拡大する限界領域について

 
 

ルイス・キャロルのアリスの物語。それらと結びつく最悪の比喩について

 本記事で訴求したきこと、それは次のようなことである。

「実は優秀な数学者だったとされるチャールズ・ドジソンことルイス・キャロル。その男が世に出したことで知られる『不思議の国のアリス』及び『鏡の国のアリス』は後の文化事象に重大な含みを持たせた
[人類の帰趨にかかわりかねないような危険なメッセージや比喩]
が何故かアリス絡みの文化事象、そう、小説や映画やその他、諸々のサブ・カルチャーに含まれていることが多い
のである」。

 本記事を読まれることになった多くの方は上を
[あまりにも馬鹿げた話]
と思われるだろう。
『19世紀に書かれた少女のおかしなおかしな冒険譚に何の危険なメッセージ・比喩の材料があるのか』という観点上。であるが、アリス絡みの作品群に[人類の帰趨にかかわりかねないような危険なメッセージや比喩]が含まれているのは事実で、についての説明は本記事できちんとなす。

 ただ、[危険なメッセージ・比喩]の中身の説明に入る前に述べておくべきことがある。いや、というより断わっておくべきことがある。

「何故、よりにもよってアリス絡みの作品に危険なメッセージや比喩が含まれているのかについての真因はわからない。にべもなく言ってしまうが、その真因は私にもはきとは分からない」("真因"ではなく表層的な理由ははっきりとしている。そういったことを言う人間さえ、この世界では稀有なのであるが、『不思議の国のアリス』/『鏡の国のアリス』が本記事別掲図で示すように極めてフリーメーソン的な作品であることがそれにあたる)。

 その点、アリス絡みの作品に対する危険なメッセージ埋め込みの"真因"は分からずとも、その真因を多角的に推察することは出来はする。例えば、だ。
「アリス・シリーズの作者、ルイス・キャロル(本名チャールズ・ドジソン)が自著にてワームホール・多重連結空間の比喩をアリスの物語に込めた(あるいは込めさせられた、か)」
と識者に指摘されていることが背景としてある可能性もある。のような指摘、多重連結空間とアリス・シリーズの関係の指摘をなしている識者は一流の学究の部類で、欧米では広く知られるカク・ミチオといった人物の名が挙げられる(右カク・ミチオはその著書 Parallel Worlds『パラルワールド』の記述内容を本Webサイト上の他所で紹介しもした[超弦理論の伝道師]として知られる一級の日系米国人物理学者だ。であるがため、その言を軽んじることはできない)。
 と、危険なメッセージの具体的なる中身に入る前にやたら小難しい話をしてしまっている中、言うが、上のような[真因の"推論"]の話とて[我々、全ての人間と無縁ではないこと]だ。何故か。
「カク・ミチオのような一級の物理学者達がなした[ルイス・キャロル作品とワームホールの先駆的言及を結びつける指摘]が[異空間とのゲートを構築し"うる"装置]を運営している物理学者達の間に広く共有されている可能性、共有された上で性質悪き符丁が用いられている可能性とてある」
からだ。
 いいだろうか。これは家畜のようにさせられてしまった人間たちに押しつけられる三流SFや三流国際陰謀小説の下らない筋立ての話ではない(異空間からこの世界に何かが侵入しようとしてきているなどというと、常識の世界では三流SFの粗筋とされてしまうだろう)。
 現時、欧州原子核研究機構(CERN)という欧州20か国(メンバー国)と日本など他協賛国の秀才を集めた組織がスイスとフランスの国境で実施している[人類史上最大級の実験プロジェクト]に関しては[異空間とのゲートを実験副産物として構築しうるとの懸念]が取り沙汰されており、そこにアリス絡みの性質悪き比喩が垣間見れたりもするのだ。具体的にはこうである。

 相互に加速した素粒子を衝突させ高エネルギーを解放し、そのエネルギーの変化を観察するための粒子加速器。その超弩級版に該当するLHC(大型ハドロン衝突型加速器)を用いて[存在は予測されるもいまだ未発見の超対称性粒子]を発見するといった大義の下、[衝突実験]が開始された。スイスとフランスの国境でCERN(欧州原子核研究機構)の手により"兆単位の電子ボルト(TeV)"で[陽子衝突実験]が開始されたのだ。その衝突実験については実験の結果、異なった次元との扉が開き、そこから何かが来たり、こちらからそちらに何か送れるようになる"可能性"もあると(冗談抜きに)一部の人間が指摘している。誰がそのようなことを言っているか。他でもない実験実施組織CERNのコンピューター部門の統括者だ。だけではない。CERN実験が副産物としてワームホール(別名アインシュタイン・ローゼン・ブリッジ)を生成する可能性については他の第一級の科学者の言及もある(ロシア人科学者が特にそういうことを声高に訴えている)。そして、そういった話は接合する。CERNALICEという名が付された実験プロジェクトをあまりにも意図ありげに運営していることと、である(右に言うところのALICEの流布された正式名称は[大型イオン衝突実験]と訳せる A Large Ion Collider Experimentである)

 上を一読し、最高級の科学者の指摘があるとの話をも一蹴、『やはり馬鹿げている』と思われる貴方は幸せだ(おそらく、そういった類の感想を抱かれた方は"明示的"にこの世の中で圧倒的な力を誇示しているフリーメーソンのような連中の背後に何が控えているかを考えたことがなき方だろう。あるいは、[愚者の国にさせられた日本]の先進国最低品質基準マス・メディアが発信するカスみたいなレベルの情報や右を補完する"体裁"をとっている日本語ネット上のこれまたカスみたいな情報にしか触れたことがなき方、CERNの名など聞いたこともない方だろう:右は愚弄ではない。日本の言論界が触れないCERNの名は欧米では[マイクロ・ブラックホールを発生させ地球を消滅させうる機関]と的外れなあり方ながらかなり知られている、と訴求したかっただけだ)。と、述べつつ、CERN、災禍の中心である可能性があるその組織の粒子加速器使用実験には次のような背景から見たうえでも「無視すべからざる不審点がある」とこの場にて訴求しておこう。

CERNALICEと並び、ATLASという名が付された実験プロジェクト・装置を運営している。そのATLAS、正式名称として[環状形大型ハドロン衝突型加速器構成ユニット]とでも訳すべき A Toroidal LHC ApparatuSはギリシャ神話の[ティターン族に属する巨人アトラス]を介し、起こることがはなから言及されていた2001年9月11日の[二つの塔倒壊事件]と結びつけられている。冗談ではなく結びつけられている。時に、[異空間のゲートの比喩]を伴ってである(実に馬鹿馬鹿しいと思って然るべき話だ。が、事実は小説より奇なり。私が本Webサイト上の[問題意識の所在]と題したカテゴリにて18万字超を割き、告発した911の背景事情についてよくよく分析していただきたい。そうすれば、神話的背景知識の有無など関係なく、[非事情通には一見、意味不明なるここでの話]が極めて合理的な推察であることがお分かりいただけるだろう)。

・911の事件ははなから起こることが前言されていた、と直近の点にて述べたが、CERNと結びつく事前言及作品と判断可能な作品も存在する。[ペンタゴンと亜空間の怪物の比喩]を含んだ、である(本Webサイト上の[問題意識の所在―10―]と題した頁を参照いただきたい。そこにて客観的なる因果関係のパスを挙げている)。

 前置きが小難しく、かつ、異常に長くなってしまった。ゆえに、欧州原子核機構ことCERN、初のWebサーバー、"ネクスト"・キューブ(NeXTcube)を世に出した存在としても一部の有識者に知られ、今日のネット社会のある意味での[産みの親]でもあるCERN絡みの不審事の話はここまでとしておいて、だ(危険なメッセージ埋め込みの真因に関する可能性論の話から離れて、だ)。アリス・シリーズに埋め込まれた危険なるメッセージの具体的なる内容の話、本記事の本題にようやっと入ることとする

 まずもって1999年に公開されたあまりにも有名すぎる映画 THE MATRIX『マトリックス』から話そう。
 『マトリックス』。
 あまりにも有名な同映画は、日本ではほとんど知られていないことだが、
[後の"同時多発テロ"と呼ばれる事件の日付である2001年9月11日が主人公のIDカードに書かれていたこと]
が海外で取り沙汰されているような映画である(その[911の"年"月日入りのワンシーン]がここに言う危険なメッセージの一つだ。個人的には日本にて『マトリックス』が公開された日付が海外のそれより後ろにずれ、1999年9月11日だったことを非常に重く見ている: In Japan , the movie THE MATRIX was released on September 11, 1999.)。
 と、最初に重要なことを指摘した上で言うが、同『マトリックス』、ルイス・キャロルとアリス作品へのオマージュを含んでいる。隠喩めかして白ウサギのタトゥーをした女が登場したりもするからそう言えるのだ(アリスを異世界に導くのはホワイト・ラビットだ)。
 その点につき、
「『マトリックス』が仮想世界から現実世界への誘いを大きなテーマにしているのだから、アリスの比喩を含んでいて当然じゃないか。あんたが言うアリス絡みの危険なメッセージとかいうやつとは無縁だよ」
と言う向きもあろう。あろうから、言っておく。「それは甘い」。そのように言う理由は三点ほど、ある。

 まず、一点目。有名な話として映画『マトリックス』が実にフリーメーソン的な映画であったことがある(:貴方がネット上に流通している英語動画をよく分析されれば、同点につきお分かりいただけるだろう)。フリーメーソンは2001年9月11日に起こった"テロ"などと放言される事件と密接に結びつく存在であり(フリーメーソンと911の事件の関係の立証には他所で極めて多くの字数を割いている)、かつ、アリス・シリーズに含まれる比喩と結びつく結社でもある(それについては本記事で述べる)。そこから映画『マトリックス』にアリスの比喩が込められているのはフリーメーソンの象徴言語である可能性が如実にある。これは馬鹿げているようで決して馬鹿げた物言いではない。フリーメーソンは現実に他の911の事件が起こることを前言した映画作品群で自分たちの象徴体系をまぶしているからである(代表的映画は『ファイト・クラブ』だ。同映画、本Webサイト上の他所にて解説しているように[メーソン製の911予告映画]となっている)。

 次いで、「アリス・シリーズの比喩が映画『マトリックス』に含まれているのが仮想世界への誘いの物語として自然なこととする」視点を甘いとする理由の二点目。映画『マトリックス』には THE ANIMATRIX『アニマトリックス』という日本人も深く関わっていたスピンアウト作品があるのだが、その作品にも原作の『不思議の国のアリス』へのこだわりの踏襲が見られる。要するに、『マトリックス』シリーズと『不思議の国のアリス』には強いつながりがあるように見える(が、それ単体では問題にならない。他の理由と複合的に考えるべきだ)。

 理由の三点目。これは長く非常に重大な話となるとお含みいただきたい。本Webサイトでも度々、言及しているデービッド・アイク( David Icke )という人物が[この世界の最奥の秘密を虚偽情報に度々、言及しながらも、一部分、暴露した節がある自身の著作群](アイクが自著で爬虫類人という存在に言及しつつ亜空間から世界が操作されていると指摘したことは極めて重要な話だ。それがためにアイクと彼の著作は欧米で最大限、物議を醸すに至った節がある)の一部に対して、である。 CHILDREN OF THE MATRIX『(邦題)竜であり蛇であるわれらが神々』と Alice in Wonderland and the World Trade Center Disaster『(邦題)究極の大陰謀』との題名を付したこと、そう、[マトリックス]と[アリス]の語を立て続けに用いての題名を付したことが問題となるのである(邦訳版はタイトル名のみならず中身も原著のそれと若干、異なる)。
 それについては、デービッド・アイクの CHILDREN OF THE MATRIX『(邦題)竜であり蛇であるわれらが神々』は映画『マトリックス』の公開後、その内容を受けて書かれたものだから、マトリックスの語がタイトルに含まれていること自体に不自然性は何らないともとれる。とれるものの、彼、アイクがそれに続く自著 Alice in Wonderland and the World Trade Center Disaster『(邦題)究極の大陰謀』で[アリス・シリーズからのインスピレーションを得て、アリスをタイトルに反映させた動機]について、「この世界がアリスの不思議の世界のようなものである。内面の鏡像が外面に作用する仕組みがコントロールされていたり、鏡の世界のようなあべこべ話法が許容されていたりするためにである」といった要約内容以上に語っていないように見えることが問題となる(言っておくが、デービッド・アイクの Alice in Wonderland and the World Trade Center Disaster自体はそのどぎつい"邦題"タイトルに関わらず、911の事件の実態を鋭い観点でえぐっているかなりの良著だ。未読の方には一読をお勧めするような、だ)。
 デービッド・アイクは[映画『マトリックス』シリーズが『不思議の国のアリス』シリーズを意識したものであること]を想定していた可能性もあるのだが、仮に同アイクが[マトリックスとアリスの自著タイトル連続使用]の面で[やらせ]によって動いていると[最悪の嗜虐的行為]たりうるから問題になる(ここでは批判がましく言いはするが、私はデービッド・アイクという人物には[やらされ人]ではなく、―たとえ"半分"でも―[闘う男]、そして、[この世界の限界に屈せぬ者達が恐怖と絶望に負けぬよう促す男]としての期待を捨ててはいない。しかし、と同時に人間の悲しい業もよく知っているため、勇士の想いにも雑念が混在する可能性"も"考えている。また、誤解を避けるために言っておくが、日本でデービッド・アイクを持ち上げてきた、そして、持ち上げている胡散臭い者達とアイクを部分的に評価しもする私には何ら関係はない)。
 何故、アイクがマトリックスとアリスを自著タイトルに続けて用いたことが嗜虐的行為"かもしれない"と言えるのか。これから述べるアリス・シリーズの暗く危険な隠喩が部分的真相告発者にも影響。それが[偽りの希望]を与える方向で働いていかねないとも"考えられる"からであり、希望を与えて殺すのは最も残忍なやり方と言われるからだ:この世界は今まで極めて残忍な運用のされ方をしてきたことから[最後]にそういったことがなされている可能性もある(私はそれを[竜退治の聖ゲオルギウス方式]や[亀退治のマリオ方式]と内心、忌んでいる)。仮にそうなら、私は殺されても、そういうふざけたやり口には抗う心意気で動いているのであるが。

 以上、述べてきた三点の理由から ―三点目が特に長くなってしまったが―、お分かりいただけことかと思う。
「映画『マトリックス』がアリス・シリーズ絡みの比喩を内に含んでいることにつき[別世界への侵入物語としての共通項]からさして不自然ではないだろう」
との見解を当然視するのは妥当でない、と。併せて、『マトリックス』とアリス・シリーズの危険な関わり合いについても深くご理解いただけたことかと思う。

 『マトリックス』の話はここまでとしておいて、補足としての図像を挟んでの続く話でも映画とアリス・シリーズの不快極まりない関係について論じていく


※上の図像群は、下段右下の竜退治の絵と下段中央の赤十字以外、全てキャロルの[アリスの物語]の挿絵の抜粋である(著作権がきれた挿絵群、100年も前に描かれた挿絵群だ)。とした上で本記事の内容の補足をそれら図像を介し述べておく。
 まずは上の段にて抜粋した挿絵群に着目いただきたい。ジョン・テニエルという人物の手によるそれら挿絵群の"時点"でフリーメーソン的(Freemasonic)だ。トランプの兵隊たち。彼らは[どこの地区の何番ロッジと自身達の交流会館(ロッジ)に記号を振って認識しているフリーメーソンの象徴物]である。何?こじつけだと?いや、ちがう。抜粋した挿絵に見る女王をご覧いただきたい。彼女が[チェスの駒(クイーンの駒)]に仮託されていることがお分かりだろう。とした上で、はっきり言ってしまうが、
「メーソンらがそこにいう[チェスの駒]に自分たちを重ねうるから、[物語の中、最強の駒、クイーンに従うトランプの兵隊たち]がロッジ・システムの枠内で生きるメーソン的だととれるのだ。フリーメーソンのロッジの床に連中の象徴物ともいうべき白黒の市松紋様、要するに[チェス盤状の装飾]が施されており、連中の階層数がチェスの白黒陣営の駒総数32に近しい33であるとされているのと表裏一体の話として、である(右からメーソンの最高階層は駒同士の争いの枠外にいるともとれよう。だが、違う。メーソンというのは全て駒なのだ)」。
 さて、キャロルのアリス・シリーズが挿絵の時点でフリーメーソン的であるという、その重要事を含んでいただいたうえで上掲下段の[竜退治の図と拡大した赤十字の図]をご覧いただきたい。竜退治の図の方は[聖ゲオルギウス]が竜退治をなす様子を描いた15世紀後半のパオロ・ウッチェロという画家の手による作である。赤十字の方は竜退治をなす右の聖ゲオルギウス、本Webサイト上の他所でも象徴的アイコンとして言及している聖ゲオルギウスのトレンド・マークとなっている赤十字だ。
 ここで何故、アリスの話の中で竜退治の聖人なのか。何故、アリスの話の中で赤十字なのか。そう思われた方が大半だろうが、赤十字がフリーメーソンの象徴であり、かつ、[赤十字]と[竜退治]がアリス絡みの文化事象に最悪の比喩を伴って取り入れられている節があるから[布石]として両者を挙げたのだ。
 以上、ここにてなした図の説明をも念頭に続く内容をお読みいただきたい。


 『マトリックス』と映画つながりでアリス・シリーズに危険な比喩が含まれていることを示す他の例 ―映画に限っての例― を挙げる。下のIからIVの内容を精査いただきたい。

I.2009年公開(日本では2010年公開)の映画に The Imaginarium of Doctor Parnassus『Dr.パルナサスの鏡』というものがある。テリー・ギリアムという男が撮った同映画についてはプログラム殺人との兼ね合いで他所にて多くの筆を割いたのだが、その映画も"間接的ながら"アリス・シリーズに関係している。次の〔1〕〔4〕のような点を介して、である(箇条書きの中に箇条書きを重畳的に書くことになってしまったが、混同せず、読み解いてもらいたい)。

〔1〕映画『パルナサスの鏡』では鏡の先に異世界が展開しているが、それはルイス・キャロルの Through the Looking-Glass,and What Alice Found There『(邦題)鏡の国のアリス』との目立った共通要素である。
〔2〕『Dr.パルナサスの鏡』も『鏡の国のアリス』も「英国絡みの」「フリーメーソンの比喩であふれた」作品である(『パルナサスの鏡』が極めてフリーメーソン的な作品であることは有名な話だ。フリーメーソンの象徴体系について少し勉強して同映画を見るか、関連動画を見れば、一目瞭然なこととして。また、『Dr.パルナサスの鏡』を撮った男、テリー・ギリアムは米国人だが、『Dr.パルナサスの鏡』は英国映画と見て差し障りない)。
〔3〕『Dr.パルナサスの鏡』は次の段で述べる他の英国映画、公開時期に数か月しか離隔がない
『アリス・イン・ワンダーランド』
といくつかの要素を共有する。具体的には
「ハリウッド俳優ジョニー・デップを起用している」
「チェス盤象徴を多用していたフリーメーソン絡みの映画である」
といった要素を共有しているといったことがある(フリーメーソン的なる要素の共有が殊に問題だ)。
〔4〕これは重要なことだが、『パルナサスの鏡』の監督、テリー・ギリアム ―死んでもオトモダチにはなりたくない部類の輩と見ている― がアリス・シリーズと縁のある監督であることもある。次のような理由から、である。
「テリー・ギリアムは1970年代にルイス・キャロルが生み出したアリス・シリーズ登場の怪物ジャバウォッキーを題材にした映画を撮っている(ジャバーウォッキーことジャバウォックは近年、公開された『アリス・イン・ワンダーランド』でも重要な要素となっているとすぐに触れる存在だ)」
「テリー・ギリアムが2005年に映画化した作品、Tideland『ローズ・イン・タイドランド』はアリス・シリーズを題材にした映画である」。

 以上、〔1〕〔4〕の各点から『Dr.パルナサスの鏡』もアリス・シリーズと無縁ではない(間接的に関係がある)と言えるが、同『Dr.パルナサスの鏡』は
[11と12と13に関わる最悪の人間大虐殺の比喩]
を含んでいかねない作品である。何、冗談だろう?何、馬鹿げた陰謀論 ―陰謀論というのはえてして根拠がないか根拠が馬鹿げた大嘘であるから同語反復にもなるが― だろう?いや、冗談でもないし、陰謀論でもない。『パルナサスの鏡』はハリウッド・スターをメッセージ伝達のため"だけ"に儀式的に殺し、その儀式殺人に伴う象徴言語でもって、[人類にこれから何をするつもりなのか、というフリーメーソンの飼い主の思惑]を前言した映画だと言えるのだ。そして、その前言上での肝が[11と12と13に関わる最悪の人間大虐殺の比喩]であると言えるのだ。
 が、その解説をここでなすときりがないので詳細は本Webサイト冒頭部につらなる[問題意識の所在―15―]と題したページや本記事と同じカテゴリ掲載の[プログラムの象徴としての生贄殺人]と題した他記事 ―文字色改変部をクリックすることで遷移可能― に譲る。譲った上で、
「とにかくも、[アリス・シリーズと同様、鏡の先にある異世界を扱った映画]として、[すぐ後に封切られた同じくのフリーメーソン映画、『アリス・イン・ワンダーランド』といくつかの要素を共有する映画]として、『パルナサスの鏡』が人類の帰趨に関わる比喩を含んでいるという結論だけを押さえておいていただきたい」
としておく。

II.2010年公開のアメリカ映画、 Alice in Wonderland『アリス・イン・ワンダーランド』。上のIでも言及したその有名映画もまた[重要な比喩]を含んでいかねないことに着目してほしい。具体的には『アリス・イン・ワンダーランド』劇中、[片目の男](その外見から別記事で触れている北欧神話の主神オーディンの比喩ともとれる)とワン・セットで敵役として描かれる[赤の女王]絡みでいくつも重大なメッセージが秘められているらしきことに着目して欲しいのだ。 
 まずもって、[赤の女王]が頼る怪物の描写が意味的である。原作『鏡の国のアリス』で[正体不明の怪物]とされる[ジャバウォック]が[竜]として明示されていることがそうだ(原作でのジャバウォックは竜であると字面上では明言されていない。ジョン・テニエルというアリス・シリーズの挿絵を描いた男はジャバウォックを滅したはずの恐竜のパーツを取り入れた竜"のような"怪物として描いてはいるのだが)。その竜としての側面強調の背景には「ほぼ確実に」英国・合衆国をはじめ極めて有名になったデービッド・アイクの異説があると言える。[竜]・蛇を人間に亜空間から憑依する爬虫類人の比喩としたデービッド・アイクが既述のように[アリス]の名を彼の著書、 Alice in Wonderland and the World Trade Center Disasterに引用して、「911テロは人形達を用いたやらせだった」と告発。欧米で大変、物議をかもしたから、昨今のアリス映画に竜が目立つように出てきたと解せられる(くどいが、『アリス・イン・ワンダーランド』の原作、ルイス・キャロルのアリス・シリーズはデービッド・アイクが活動拠点、英国から世に出た)。
 とした上で述べるが、映画『アリス・イン・ワンダーランド』がアイクとその著書を意識して原作を改変しているらしいことには[最悪の比喩]が伴ってい"うる"。何故か。多少、ややこしくなるも説明を講じよう。
 それについてはアイクが自著タイトルにアリス・シリーズからの引用をなした背景の一つには
「この世界が『鏡の国のアリス』の如く全てが逆転した世界であればこそ、という発想があった"らしい"」
ことを念頭に置く必要がある(については先の『マトリックス』の段で言及しもした)。
 その
[全てが逆転した世界であればこそ、という論法]
は映画『アリス・イン・ワンダーランド』"自体"にも多々、当てはまる節がある。『アリス・イン・ワンダーランド』は[人類の抵抗心の現れ]を含むようで見ていて気分が良くなる映画なのだが、その実、「フリーメーソンの歴史的アヘン貿易的なるものを美化していたり ―本記事でも後の補足部で解説― 」「劇中、善玉として描かれる[白の女王]がサイン・オブ・ホーンズ(当方著作でも問題としている手サイン。操られ人やインサイダーのマーキングと物議を醸す)を見せていたり」「メーソンの"役者"を多々、起用していたりする」といった具合にである(同映画配給元のディズニーが"有名な"メーソン企業であることと無縁でなきことかもしれないが)。
 そのように逆転事象を多々、含む映画で[赤の女王]が敗れるのだが、それ自体、[あべこべの反対話法]とすると、である。[実に危険な兆候]の比喩となる、というのがここでの懸念事、アイクの説を『アリス・イン・ワンダーランド』が取り込んでいるらしきことに見る懸念事だというわけである。言い換えると、「本当は赤の女王が勝つ」であるとすると破滅的状況が待っていることになりかねない、と見ている(具体的には「大勢の人間が横死させられることになりかねない」と見ている)。
 ここで、再度、「何故か」だが(女王が勝つと何故、破滅的状況となるか、だが)、映画の[赤の女王]が[生物学]上の仮説に結びつくことが大量殺戮計画実在の[可能性]を伴っていうるのだ。『何を馬鹿な』とお思いになられるかもしれない。だが、そうではない。そうではないのだ。このことは次の箇条書き部、IIIでも触れる重大なことであると含んでいただいた上で先を読んで欲しい。さて、直近、映画の[赤の女王]と[生物学]とが結び付けられているとしたが、具体的には[赤の女王仮説( Red Queen's Hypothesis )]絡みの話となる。ここで、[赤の女王仮説]とは何かだが、それは『鏡の国のアリス』の中で[赤の女王]が「とどまるためには走り続けねばならない」という[逆転したセリフ]を口にしたことに由来する仮説、「生物種が存続する(とどまる)には常に進化せねばならない(走らねばならない)」という生物学上の仮説だ(アリス・シリーズに由来する生物学上の仮説。つい最近の映画『アリス・イン・ワンダーランド』でも女王が[生物を支配する術にこだわっている存在]とまさにそれらしく描かれている)。そして、同仮説はウィルスなどによる大量殺戮と結びつきうる。[赤の女王仮説]の生物が進化しなければならないという論法を支えるものとして、生物が[ウィルス・細菌・寄生虫]などとの競争に勝たねばならぬから、という考えがあるゆえに、である。
 もうお分かりだと思う。
「逆転した世界で赤の女王に勝つ」ということは、換言すれば、「赤の女王に負ける」ということだが、それは「ウィルス・細菌・寄生虫に負ける」という発想に容易に結びつくというわけだ。
 何?「それでも、お前の考えすぎ/連想ゲームだ」だと?「何をさせられるか分らないフリーメーソンの連中が懸念を抱いているらしいように連中と同様の深読みをしているにすぎない」だと?残念でならないが、そうではないだろう。日本"にも"『不思議の国のアリス』と続編『鏡の国のアリス』、及び、両作作者ルイス・キャロルの話を種本に[絶滅プログラムを動かしている連中がいそうなこと]に触れたサブ・カルチャー作品が ―デービッド・アイクが物議を醸す説を1999年に提唱しだす以前から― あったりすることがそのように言う理由だ([赤の女王]自体に対する明示的言及を伴わず、だ)。そして、そういったサブ・カルチャーの中には
「全く洋の東西を挟んで文化伝播していないような形で」
「極めて隠喩的に ―人間業とは思えぬほどに隠喩的に― 邪なる意図がありそうなことを示している」
ものも含まれていたりするのである(私が最近、精査したところ、漫画作品やテレビ・ゲームといったものに垣間見れたりもする)。
 と言及した上でもなお、
『馬鹿げている/三文オカルトじみている』
と思われる方も多いだろう。が、日本のサブ・カルチャーの中には[作者の想像力の産物]ではなく、多分、これは[やらせ]だろうという悪魔的なものも含まれていたりすることはいくらでも強調できることだ(フリーメーソンが悪魔主義的だと欧米で頻繁に言われるのは詰まる所、連中の飼い主が悪魔的だからだ)。その点、私は[赤や黒]や[ゾンビ]や[竜]や[赤い目]や[反物質]にこだわりつつ、人間を玩具にしている者達は大嫌いだが、とにかくもそういう兆候があるとはきと明言できるのである(この世界では無意識にどういう前言がなされているか分からない。海外ではフリーメーソンの連中達が911の事件にまつわる前言を極めて多数の映画で確信犯的かつ組織的になしていたととれるが、に対して、日本でも気になる話がある。海外のそれ程、露骨なものではないようだ、というのが実際に調べた人間としての印象だが、極めてソフトな911の事件の前言が漫画作品の中に含まれていたと噂されているのだ ―[都市伝説]程度に一部の人間のネット上での話柄に挙がっているにすぎないが、偶然にしてはあまりにも不気味な911絡みの予言じみた描写が日本"では"極少数の例として漫画作品に垣間見れたりもする―)。
 さて、映画『アリス・イン・ワンダーランド』にデービッド・アイクの主張の反対話法がアリス絡みで含まれていかねないとの話はここまでとし、次の箇条書き部に入ろう(続く箇条書き部IIIIVは今まで論じてきたIIの内容が正しいと間接的に示すものとなっている)。

III.人間の感性で造られたとは思えぬ英国映画に関する話をなす。その映画、極めて不快な映画のタイトルは 28 weeks later『28週間後』だ(この『28週間後』、視聴は決してお勧めしない。最悪の映画だと私は見ている)。同映画でもアリスという名前と赤の女王を意識させる隠喩が登場する。劇中、人類を[赤い眼をした狂気の殺人マシーン]に変えてしまうウィルスの仲介者の名前がアリスとなっており、しかも、そのアリスによって殺人マシーン化した暴徒を皆殺しにすることで鎮圧する作戦の名前が[コード・レッド]なのだ(ウィルスに負けぬよう進化せねばならないのが[赤の女王仮説]で赤の女王に負けるということはウィルスに負けて死ぬことだと上の箇条書き部で書いた)。
 につき、最悪映画『28週間後』にはスカーレット少佐 ―スカーレットは[深紅]ということで赤につながる― という登場人物が出てくるのもまた、問題なのだが、そんなことよりはるかに問題なのは『28週間後』のタイトルイメージが露骨にデービッド・アイクの異説を意識させるように造られていることである。デービッド・アイクの著書 CHILDREN OF THE MATRIXの"原著"タイトルイラストが『28週間後』で真似られているのである(具体的相似性はここで挙げた語を海外情報に強い検索エンジンに入力、自身で確かめてほしいとしつつ、ここで付言しておく。日本にあまりにも遅く邦訳され、そして、オカルト専門カテゴリで販売された上にたいして流通していないと知ったデービッド・アイクの著書 CHILDREN OF THE MATRIXに関してはタイトル名だけではなくタイトル・イラストが邦訳版と洋書版で全く異なる。ために、日本の書店でそれは見ることは出来ないが、問題とする図像はこういうものである。[顔の半分が非人間的になった人間])。
 何故、そのようなことになっているのか。可能性は複数ある。「デービッド・アイクの説に傾倒するような輩は操作者にとって都合が悪い(都合が悪いからコード・レッドで殺すと脅している)」のか、「デービッド・アイクが『黙示録』に登場する偽預言者の役割を付加されているとキリスト教を広めた悪魔的存在が示唆している(『黙示録』には赤の女王を想起させる赤い竜とワンセットで偽預言者が登場する。その点、私は預言・予言などなさず、客観的根拠に基づく推測しかなさない)」のか、「ただ単純にフリーメーソン達が悪しき当てつけをアイクに対してなしただけである(ただし、アリス絡みの性質悪きサブ・カルチャー群から見てこの可能性は低いと見ている)」のか、といった具合にである。が、一つ言えることはこうだ。「人間の感性では造られたようには見えない残虐映画で赤の女王仮説を意識させるようにアリスが登場していることは決して軽んじるべきではない」。

IV.[赤の女王]仮説が援用された最悪の映画『28週間後』の話は直近にしたが、同様の映画は他にもある。それがアメリカ映画の Resident Evil『(邦題)バイオ・ハザード』シリーズだ。同『バイオ・ハザード』シリーズ、日本のテレビ・ゲームの映画化作品だが、調べたところ、映画独特の命名方式をとっている。そして、それが赤の女王仮説( Red Queen's Hypothesis )と結びつくように"調整"されている。
 映画『28週間後』のように自我をなくした元人間達としてのゾンビと闘う女主人公の名がアリスとなっており、同主人公が対峙する施設管理システムの名がレッド・クイーン(赤の女王)となっているからだ。何?「たかが、ビデオ・ゲームの映画化作品如きでとやかく言いすぎだ」だと?残念でならないが、その批判は妥当ではない。かく言う理由としては次の〔1〕〔4〕がある(またもや箇条書き内部に箇条書きを重畳的に書いて恐縮だが、我慢していただきたい)。

〔1〕映画『バイオ・ハザード』シリーズにでてくる敵役の多国籍企業アンブレラ社。その社章はフリーメーソンが大好きな赤十字となっている(フリーメーソンは竜退治の英雄ゲオルギウスのシンボルでもある赤十字をシンボルとして好む。中世の十字軍の主力軍隊であり、金融業のはしりだったテンプル騎士団の後裔をフリーメーソンはもって任じており、そのテンプル騎士団の象徴が赤十字だからだ。それが上掲補足図でゲオルギウスと赤十字の図像を挙げた理由だ)。

〔2〕上の〔1〕にて一見、幼稚ともとれるフィクションの中での多国籍企業の社章として[傘にフリーメーソン的赤十字が刻まれた紋様]が出てくるとした。問題は、映画より前に、そして、映画の元となった日本のテレビ・ゲームの登場より前に意外な場所にその架空の社章と全く同じデザインのものが見られたことだ。私が映画に含まれる隠喩を研究していた折、故あって分析対象にした1992年公開の映画 Batman Returns『バッドマン・リターンズ』の中でもそれは登場していたのだ。同映画、『バッドマン・リターンズ』は極めてフリーメーソン的な映画である(一部でそれを問題にして動画化している欧米人もいる。また、本Webサイト他所でバットマン・シリーズにて特定のシンボルをまぶされた役を与えられたハリウッド俳優が生贄殺人ととれる形で不審死していることを詳述している)。加えて、極めて重要なこととして上述の『アリス・イン・ワンダーランド』を撮ったティム・バートンという映画監督の手による作品でもある。その『バッドマン・リターンズ』で具体的にどう、架空の企業、アンブレラ社そっくりの傘と赤十字の融合シンボルが登場したかだが、ペンギンという悪役が持っていた傘のシンボルマークとして登場した。そのような登場の話と映画監督ティム・バートンが『アリス・イン・ワンダーランド』で[赤の女王]仮説に固執させられていたことを比較し、色々、考えるのは決して行きすぎではないだろう(上のIにて述べている『パルナサスの鏡』。『アリス・イン・ワンダーランド』と公開時期が近しかった同映画でハリウッドスターが儀式殺人の具にされたとの話に一言、触れたことを覚えておいでだろうか。その殺された節あるスター、ヒース・レジャーは『パルナサスの鏡』の劇中ワンカットでバットマン・シリーズに出てくる悪役、上のペンギンによく似た格好もさせられていた。馬鹿げた話だが、そういったことにすら意味がありうる。というのも、ヒース・レジャーの生贄殺人プログラムには彼がバットマン・シリーズの有名映画、『ダークナイト』でさせられた格好が関わっていると言えるからだ。多くの米国人が問題視しつつ口に出して言えない"前例"(他記事詳説の前例)との兼ね合いから言えるからだ)。

〔3〕映画の元となったのが日本のテレビ・ゲームであるがため、『たかがテレビ・ゲームで何なのか』と大人の常識人は批判してくるかもしれないというのが、ここでの反証の対象だと再度、断った上で述べておく。「テレビ・ゲームには一部、決して軽んじるべきではない隠喩が含まれている作品がある」。私はコンピューター産業業界にも関わっていたことがある人間だが、テレビ・ゲームの業界に関わったことは一度たりともない。ないものの、「テレビ・ゲームには最新の技術を用いて、多数の人間が一斉に一つの方向を見ながら、他人に幻や夢を見せる作品を構築するという背景上、極めて隠喩的な作品が極一部、ある」と聞いたこともあり、かつ、実際にレベルの高い作品を体験したことがあるから右のように言うのだ。と、強調した上で言うが、「日本のテレビ・ゲームにはアリスと赤とゾンビ(!)を結び付ける作品がある」(と研究の上、知った。ちなみに、アメリカ映画ならぬ日本のゾンビ退治のテレビ・ゲーム、バイオ・ハザード・シリーズ原作にはアリスの名前は出てこないようだ)。その作品の具体名は差し控えさせていただくが(学ぶ気がある者は自身で学んで欲しい)、[かなり昔、世に出たもので、欧米に文化伝播していない、正規のルートでは文化伝播していない(この点がきわめて重要だ)もの]となっている。とした上で言っておくが、私は日本のテレビ・ゲーム業界有力者が多くフリーメーソンであるなどとは決して言わない(ただし、その可能性もある。日本人のフリーメーソン会員は非常に少ないとの"設定"になってはいるものの、その可能性もあるのだ。それを言ってしまえば、国会議事堂の一部の場のチェス盤模様の床とて胡散臭いものとなるが)。ゲーム産業にフリーメーソンが「多く」関わっているなどと言わないものの、人間の機構と人間それ自体がどうコントロールされるかについてはよく知っている。[全くの非インサイダー]を集めた環境から外からの雑念(というより操作)が影響、最悪の比喩を含んだ作品が出来上がる、造っている当事者たちもが意味を知らないような比喩を含んだ作品が出来上がるシステムの横顔も知っている。ために、英語化されていない日本のテレビ・ゲーム(映画にせよ、テレビ・ゲームにせよ、半面で人間が造っているわけだから、そこには称えるべき勇気が垣間見れることもある)が[赤の女王仮説とゾンビとアリスを結びつけていたこと]と[アメリカ映画の筋立て]が同様の要素を悪魔的に共有していることに関し意味を見出すのは決して行きすぎでも馬鹿げたことでもないと述べておく。

〔4〕これは上の〔3〕と一部、通底することだが、一見、ナンセンスに見える物語を有した作品にもそれを造った大人達の想いが込められていることもある。その式で言うと、アメリカ映画、Resident Evil『(邦題)バイオ・ハザード』シリーズはかなり意味深な、子供向けではない比喩も含まれている(赤十字が描かれた傘の話は置いておいても、だ)。それは[暗号理論]絡みの話となる(よりにもよって[暗号理論]である)。映画『バイオ・ハザード』では映画独特の筋立てとして女主人公アリスを人間盗聴器・盗撮器にしてそこから情報を収集しているキャラクターのアイザックスという存在が出てくるのだが、アイザックとは暗号理論におけるインターネット・サービス・プロバイダーのことである。そして、アリスは暗号理論で情報の送り手を指す名称でもある(Aさん、BさんのやりとりからAとBの文字を人名に当てはめアリス・ボブの名が用いられる)。私は何もアイザックことISP(インターネット・サービス・プロバイダー)が"実際に"情報の窃取に関与しているなどとのパラノイアスティックな話をしているのではない(ただし、日本では狂ったメディアが一切、報じないようなフリーメーソンの係累にあたる国家寄生カルト団体の構成員による携帯電話通話履歴組織的窃取事件が発生しており、かつ、欧米ではそういったことと通信の秘匿性に絡む構造的欠陥をあわせてなじる風潮が一部である。それについては自著でも論じている:また、余談続きになるが、現時、プロバイダ・サイドの盗聴技術、[ディープ・パケット・インスペクションことDPI]が臆病者ばかりが目立つ官僚達 ―最終的には身内をも滅ぼす仕組みで動いているらしき国家寄生カルトに歯向かえない連中だ― のために日本で幅広く利用される方向で話が進んでいる)。真偽はさておき、そういうメッセージが赤の女王に関わる比喩を含んだアリス絡みの作品に事情通だけ分かるように含まれていることが問題だと言っているのだ。無論、赤の女王の比喩を混入したのも同じ式で事情通向けの間接話法となりかねない、という意味で、である。

 どうであろうか。上の〔1〕〔4〕を精査していただければ、たかだか、テレビ・ゲームの映画化作品でとやかく言いすぎだ、との批判が妥当ではないことがお分りいただけることかと思う。

 以上、[箇条書き部の中の箇条書き重畳記載]や右に起因する[詰め込みすぎの詳述形態]などから読みづらくなっているかもしれない、と反省するところだが(ただし、極めて複雑なことを圧縮して伝えている関係上、やむなしとの想いもある)、IからIV ―うち、IIVは〔1〕から〔4〕とさらに細目に分かれる― を読まれることで、だ。アリス絡みの作品に含まれている性質悪き比喩が何なのか、多くをお分かりいただけたものか、と思う
 として、まとめたところで、アリス・シリーズと結びついた危険なメッセージ(比喩)の話をそろそろ切り上げることとしよう。

 最後に一言。
 「国内外のアリス・シリーズに関わる隠喩について興味ある向きはネット上で色々と調べられるはずだ。ここで述べたような文脈ではなくとも、一見、関係ない情報の束を漁るという手法でだ。また、アリス・シリーズに限らず、映画絡みの危険な隠喩群については私の著作や本Webサイトの他記事を読めば、よく分かるようにしたのでそちらを参照するのもよいだろう。
 あとは読者の一部の中にでも、この世界を変えたいとの想いと力が生じてくれんことを。そう願っている」。


枠外部にあたるこの場で本記事本文でなした話の補足と確認をなしておこう(いいだろうか。補足確認である)。
 まずは上掲左の図だが、ジョン・テニエルという挿絵画家が『鏡の国のアリス』登場の[鏡の先の世界に存在する鏡文字(反転文字)で書かれた詩本に出てくる怪物、ジャバウォック]を描いたものである(本記事冒頭でも言及した鏡と多重連結空間の話を思い出してほしい)。その姿、滅した恐竜の特徴を受け継ぐ竜"状"の形態をとる。とるも、それは『鏡の国のアリス』作者、ルイス・キャロルが字面でそうだ、と明言した姿ではない。そのこと、「明言した姿ではない」ということがディズニー(極めて有名な話としてフリーメーソン企業)の昨今のアリス・シリーズの翻案映画化手法との兼ね合いで不快な意味を持つ。
 ディズニーはつい最近、封切られた映画にて(右に言うように原作者キャロルの明言なくして、かつ、「殊更に」といったレベルで)アリス・シリーズを[原作と乖離した完全なる竜退治の物語]に変えたが、そのやり口が「竜は人類を支配する人外の象徴だ」などとして物議を醸すに至った男、デービッド・アイクの[アリス]がつく著書への「望ましくなき」意識誘導だととれるからだ(本記事本文で述べたことの確認になる)。いいだろうか。「望ましくなき」である。何故、そのように言えるのか。

 第一に、デービッド・アイクは[竜で自身たちを表する存在]に対峙する必要を説く著書でフリーメーソンの最奥の秘密を部分的に告発しているが、それに対し、ディズニーの者達は昨今のアリス・シリーズ、竜退治の物語に[フリーメーソンの暗部の正当化の比喩]を最大限、まぶしているから、そう言える創価学会を美化している映画を誰が真実だと思うだろうか。それと同じだ:フリーメーソンの悪質性は係累の創価学会などより遙かに上を行っているともとれることはこの際、抜きにしておく)。長くなってしまうが、それについての具体的根拠を挙げよう(本文でなした例示以上に詳しくだ)。
 まず、『アリス・イン・ワンダーランド』の劇中末尾で[英国の対中国貿易を理想化した場面]を登場させてから、エンディング・クレジットに入ることについて。それが[フリーメーソン主導のアヘン貿易の肯定]という寓意を含んでいることが実にかぐわかしい。極東その他での阿片貿易は、すなわち、中国のみならず世界中で麻薬中毒者を造る挙動は「メーソンの関与なくして成立していなかった」と多くの人間が指摘しているのだが、その絡みで映画に実にかぐわかしい側面が見えるのだ。貴方が「歴史を多少なりとも詳しく知っていれば」だが、映画『アリス・イン・ワンダーランド』のエンド・クレジットに出てくる[サスーン]といった文字から少なからずを読み取れることとして、である(嘘ばかりの歴史に興味を持ってそれを詳しく知っている向きも少なかろうから、解説する。その点、サスーンは歴史的に[阿片を収益の源泉]にしていた資本の名である。私は劇場にて[メーソン企業とされる会社の作たる映画]のエンディング・クレジットの最後の方にサスーンの名を見出し、思わず、眉をしかめてしまった。無論、現代のサスーンの後裔は麻薬とは無縁とも「とれる」が、その一門をああいった筋立ての映画に関与させるのは問題であるからだ)。
 だけではない。さらに、こういうこともある。
 近代英語俗語で阿片に耽溺することは Chase the dragon、すなわち、[竜を追う]と表する。そして、メーソンにはアヘンや麻薬を用いた儀式的挙動もあるという。としたうえで、[映画劇中にてアリスは自身が斃した竜の血を白の女王から与えられ、現実世界に戻った後、中国世界への進出を明言してからエンディングに入ること]が、その絡みで胡散臭さを醸し出してもいる。同じエンディングで[あべこべの世界に入っている/不思議の世界に入っているのがエンディングテーマ歌詞で強調されていること][そのエンディングテーマ歌詞が流れている背景で幻覚キノコのようなものが次第次第に巨大化していくさまが描写されていることキノコはひげ面の赤い服の男がテレビゲームの中で亀達を倒すために摂取するベニテングダケ状のもの/幻覚キノコ状のもの。デービッド・アイクが唱えた異説では幻覚剤を摂ると爬虫類達に逆にノックアウトされることになるようだが)とあわさって胡散臭さを醸し出しているのだ。無論、竜退治の末に麻薬の寓意が実に露骨にまぶされているという観点からである
 以上が「『アリス・イン・ワンダーランド』はフリーメーソンの暗部、[歴史的麻薬拡散団体にして麻薬使用団体]としての暗部の正当化の比喩をまぶした映画であり」、ゆえに「デービッド・アイクのアリスがタイトルにつく著作への望ましくなき意識誘導がある」と考える第一の理由である。

 『アリス・イン・ワンダーランド』がデービッド・アイク著作への望ましくなき意識誘導を含んでいる理由として第二に、である。第一の理由として述べたことと「多く重複する」ことだが、その重大さから格別に論じることとして、『アリス・イン・ワンダーランド』の反対解釈の(サブリナル的ともとれる)推奨の存在が挙げられる。エンディング・テーマの露骨な歌詞と麻薬トリップを思わせる寓意から竜ジャバウォックを打ち倒すのも「全てが逆転した世界の話なればこそ」と強調されている節があることがそれだ(はなから反対解釈を前提に造られている節すらある)。
 要するに、望ましくなき意識誘導として「デービッド・アイクの著書に見る主張もまた反対話法だ」と強調している風がある(この第二の理由、及び、それと重複しもする第一の理由よりだ。次のような意図があるともとれる。「フリーメーソンでもアイクよろしく[綺麗事の竜との対峙]は語れる。いや、というより、騙れる。そのPRをもって、アイク説(に見るような考え方)に対する聞く耳を持った者達の支持が弱めるか、それを超えて、人々の間の厭世感、ひいては、無力感を増大させる。結果、邪なる者達の邪なる挙動を容易になさしめるようにする」 :右のごとき意図の存在を想起したくなるような土壌は日本にもあるように見える。低劣な物言いをわざとなしているととれる類や陳腐な似非神秘家らの一部が「比喩ととるべき話を馬鹿げた陰謀論そのままの属性で」アイク説を担いでいるからだ。それにつき、「アイク本人が胡散臭い奴ではないのか」と突っ込みを入れたくもある向きもあるだろう。無論、欧米圏で日本とは比べ物にならないほどの物議を醸しているデービッド・アイクという人物自体がその類、[反対話法の語り手]であるという最悪の可能性も完全否定できはしないが、しかし、一面でアイク説の革新性を評価している人間として言う。「アイクについては、信じる/信じないにせよ、重きを置くべきところが非常に多い(虚偽情報や間違い、そして、反対話法ととれる箇所が彼の持説の中には ―何故なのかといった按配で実に多く― 含まれているとしつつ、なおだ)。それに彼には[半面ながら闘う男]としての側面が垣間見れもする」)。

 望ましくなき意識誘導判断の理由として第三に、映画の中の[赤の女王]、あべこべの世界で[白の女王]に敗れる存在にまつわり、[人類大量間引き計画が進行していることを匂わすサブカルチャー]が決して文化伝播しない形で東西に存在しているということがある(本記事本文の内容をよく読んで欲しい。としつつ言うが、デービッド・アイクのタイトルにアリスがつく著作の方向への[間引きの寓意を含んでいるような反対話法体現物]での意識誘導がなされているのなら、デービッド・アイクの著書結論の反対事象(人類は完全に抑圧され、多くの人間が殺される)が引き起こされる可能性とてある)。

 上にて解説してきた[昨今のアリス・シリーズでのアイク著作への望ましくなき意識誘導の話]を含んでいただいたうえで、上掲図右上の写真をご覧いただきたい。
 先にルイス・キャロルはジャバウォックを竜と明言していないとしたが、それは「極めてフリーメーソン的なるアリス・シリーズを遺したキャロル"自身"が竜と無縁であった」ということと同義ではない(換言すれば、キャロルと竜は結びつきうる)。そのことを示すのが上掲右上の写真である。
 同写真、[ルイス・キャロルがゲオルギウスの竜退治をモチーフに子供達を映した写真]となっている(余談だが、ルイス・キャロルは年端もいかぬ小児としての少女たちの思わせぶりな裸体写真も複数、遺している。それゆえ、「キャロルは少女性愛者の類であったのでは」とも言われている。はっきり言ってしまうが、それとて真実たりうる。大いに真実たりうる。[英文Wikipediaに掲載されている写真そのものの異常さ]もさることながら、キャロルがそうであったろうフリーメーソンは「組織的に児童虐待をなしている」とよく噂される存在であり、私が分析する限り、まさに連中はその式で語れる邪悪な操り人形の集団だと言えるからだ(「客観的に立証可能なこととして」"連中"は組織的なる生贄殺人にもやぶさかではない)。皮肉なのは、そんな子供を性的なる玩弄物にするよう"仕向けられている"、いかれた者達への比喩的言及を含んだ作品群(アリス・シリーズ)が児童文学の傑作などとされているこの人間世界の実情そのものだ)。
 上掲のキャロル由来の写真のモチーフは[竜退治のゲオルギウス]である。そのゲオルギウスは言ってみれば、[逆のことを言い、やる反対話法の極致とも言うべき存在]たりえ(のように言える理由は本Webサイト上の他記事にても詳述している)、本記事本文で既述のように[フリーメーソンのシンボルと密接に関わる存在]でもある(フリーメーソンは竜退治の聖人ゲオルギウスのシンボルを採用しているが、他面、メーソンは竜とも結びつく蛇を尊崇視するシンボル体系を持った[蛇の結社]でもある)。
 そんなものにこだわらされていた輩 ―ルイス・キャロル― が遺した作品が竜退治の物語に際立ったやり方で翻案されて、しかも、の中に二重話法が透けて見える。くどくなりはするが、唯、その一事とってみたところで、軽んじられるものではない。

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