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ルイス・キャロルのアリスの物語。それらと結びつく最悪の比喩について本記事で訴求したきこと、それは次のようなことである。 「実は優秀な数学者だったとされるチャールズ・ドジソンことルイス・キャロル。その男が世に出したことで知られる『不思議の国のアリス』及び『鏡の国のアリス』は後の文化事象に重大な含みを持たせた。 本記事を読まれることになった多くの方は上を ただ、[危険なメッセージ・比喩]の中身の説明に入る前に述べておくべきことがある。いや、というより断わっておくべきことがある。 「何故、よりにもよってアリス絡みの作品に危険なメッセージや比喩が含まれているのかについての真因はわからない。にべもなく言ってしまうが、その真因は私にもはきとは分からない」("真因"ではなく表層的な理由ははっきりとしている。そういったことを言う人間さえ、この世界では稀有なのであるが、『不思議の国のアリス』/『鏡の国のアリス』が本記事別掲図で示すように極めてフリーメーソン的な作品であることがそれにあたる)。 その点、アリス絡みの作品に対する危険なメッセージ埋め込みの"真因"は分からずとも、その真因を多角的に推察することは出来はする。例えば、だ。 「相互に加速した素粒子を衝突させ高エネルギーを解放し、そのエネルギーの変化を観察するための粒子加速器。その超弩級版に該当するLHC(大型ハドロン衝突型加速器)を用いて[存在は予測されるもいまだ未発見の超対称性粒子]を発見するといった大義の下、[衝突実験]が開始された。スイスとフランスの国境でCERN(欧州原子核研究機構)の手により"兆単位の電子ボルト(TeV)"で[陽子衝突実験]が開始されたのだ。その衝突実験については[実験の結果、異なった次元との扉が開き、そこから何かが来たり、こちらからそちらに何か送れるようになる"可能性"もある]と(冗談抜きに)一部の人間が指摘している。誰がそのようなことを言っているか。他でもない実験実施組織CERNのコンピューター部門の統括者だ。だけではない。CERN実験が副産物としてワームホール(別名アインシュタイン・ローゼン・ブリッジ)を生成する可能性については他の第一級の科学者の言及もある(ロシア人科学者が特にそういうことを声高に訴えている)。そして、そういった話は接合する。CERNがALICEという名が付された実験プロジェクトをあまりにも意図ありげに運営していることと、である(右に言うところのALICEの流布された正式名称は[大型イオン衝突実験]と訳せる A Large Ion Collider Experimentである)」。 上を一読し、最高級の科学者の指摘があるとの話をも一蹴、『やはり馬鹿げている』と思われる貴方は幸せだ(おそらく、そういった類の感想を抱かれた方は"明示的"にこの世の中で圧倒的な力を誇示しているフリーメーソンのような連中の背後に何が控えているかを考えたことがなき方だろう。あるいは、[愚者の国にさせられた日本]の先進国最低品質基準マス・メディアが発信するカスみたいなレベルの情報や右を補完する"体裁"をとっている日本語ネット上のこれまたカスみたいな情報にしか触れたことがなき方、CERNの名など聞いたこともない方だろう:右は愚弄ではない。日本の言論界が触れないCERNの名は欧米では[マイクロ・ブラックホールを発生させ地球を消滅させうる機関]と的外れなあり方ながらかなり知られている、と訴求したかっただけだ)。と、述べつつ、CERN、災禍の中心である可能性があるその組織の粒子加速器使用実験には次のような背景から見たうえでも「無視すべからざる不審点がある」とこの場にて訴求しておこう。 ・CERNはALICEと並び、ATLASという名が付された実験プロジェクト・装置を運営している。そのATLAS、正式名称として[環状形大型ハドロン衝突型加速器構成ユニット]とでも訳すべき A Toroidal LHC ApparatuSはギリシャ神話の[ティターン族に属する巨人アトラス]を介し、起こることがはなから言及されていた2001年9月11日の[二つの塔倒壊事件]と結びつけられている。冗談ではなく結びつけられている。時に、[異空間のゲートの比喩]を伴ってである(実に馬鹿馬鹿しいと思って然るべき話だ。が、事実は小説より奇なり。私が本Webサイト上の[問題意識の所在]と題したカテゴリにて18万字超を割き、告発した911の背景事情についてよくよく分析していただきたい。そうすれば、神話的背景知識の有無など関係なく、[非事情通には一見、意味不明なるここでの話]が極めて合理的な推察であることがお分かりいただけるだろう)。 ・911の事件ははなから起こることが前言されていた、と直近の点にて述べたが、CERNと結びつく事前言及作品と判断可能な作品も存在する。[ペンタゴンと亜空間の怪物の比喩]を含んだ、である(本Webサイト上の[問題意識の所在―10―]と題した頁を参照いただきたい。そこにて客観的なる因果関係のパスを挙げている)。 前置きが小難しく、かつ、異常に長くなってしまった。ゆえに、欧州原子核機構ことCERN、初のWebサーバー、"ネクスト"・キューブ(NeXTcube)を世に出した存在としても一部の有識者に知られ、今日のネット社会のある意味での[産みの親]でもあるCERN絡みの不審事の話はここまでとしておいて、だ(危険なメッセージ埋め込みの真因に関する可能性論の話から離れて、だ)。アリス・シリーズに埋め込まれた危険なるメッセージの具体的なる内容の話、本記事の本題にようやっと入ることとする。 まずもって1999年に公開されたあまりにも有名すぎる映画 THE MATRIX『マトリックス』から話そう。 まず、一点目。有名な話として映画『マトリックス』が実にフリーメーソン的な映画であったことがある(:貴方がネット上に流通している英語動画をよく分析されれば、同点につきお分かりいただけるだろう)。フリーメーソンは2001年9月11日に起こった"テロ"などと放言される事件と密接に結びつく存在であり(フリーメーソンと911の事件の関係の立証には他所で極めて多くの字数を割いている)、かつ、アリス・シリーズに含まれる比喩と結びつく結社でもある(それについては本記事で述べる)。そこから映画『マトリックス』にアリスの比喩が込められているのはフリーメーソンの象徴言語である可能性が如実にある。これは馬鹿げているようで決して馬鹿げた物言いではない。フリーメーソンは現実に他の911の事件が起こることを前言した映画作品群で自分たちの象徴体系をまぶしているからである(代表的映画は『ファイト・クラブ』だ。同映画、本Webサイト上の他所にて解説しているように[メーソン製の911予告映画]となっている)。 次いで、「アリス・シリーズの比喩が映画『マトリックス』に含まれているのが仮想世界への誘いの物語として自然なこととする」視点を甘いとする理由の二点目。映画『マトリックス』には THE ANIMATRIX『アニマトリックス』という日本人も深く関わっていたスピンアウト作品があるのだが、その作品にも原作の『不思議の国のアリス』へのこだわりの踏襲が見られる。要するに、『マトリックス』シリーズと『不思議の国のアリス』には強いつながりがあるように見える(が、それ単体では問題にならない。他の理由と複合的に考えるべきだ)。 理由の三点目。これは長く非常に重大な話となるとお含みいただきたい。本Webサイトでも度々、言及しているデービッド・アイク( David Icke )という人物が[この世界の最奥の秘密を虚偽情報に度々、言及しながらも、一部分、暴露した節がある自身の著作群](アイクが自著で爬虫類人という存在に言及しつつ亜空間から世界が操作されていると指摘したことは極めて重要な話だ。それがためにアイクと彼の著作は欧米で最大限、物議を醸すに至った節がある)の一部に対して、である。 CHILDREN OF THE MATRIX『(邦題)竜であり蛇であるわれらが神々』と Alice in Wonderland
and the World Trade Center Disaster『(邦題)究極の大陰謀』との題名を付したこと、そう、[マトリックス]と[アリス]の語を立て続けに用いての題名を付したことが問題となるのである(邦訳版はタイトル名のみならず中身も原著のそれと若干、異なる)。 以上、述べてきた三点の理由から ―三点目が特に長くなってしまったが―、お分かりいただけことかと思う。 『マトリックス』の話はここまでとしておいて、補足としての図像を挟んでの続く話でも映画とアリス・シリーズの不快極まりない関係について論じていく。 ※上の図像群は、下段右下の竜退治の絵と下段中央の赤十字以外、全てキャロルの[アリスの物語]の挿絵の抜粋である(著作権がきれた挿絵群、100年も前に描かれた挿絵群だ)。とした上で本記事の内容の補足をそれら図像を介し述べておく。 『マトリックス』と映画つながりでアリス・シリーズに危険な比喩が含まれていることを示す他の例 ―映画に限っての例― を挙げる。下のIからIVの内容を精査いただきたい。 I.2009年公開(日本では2010年公開)の映画に The Imaginarium of Doctor Parnassus『Dr.パルナサスの鏡』というものがある。テリー・ギリアムという男が撮った同映画についてはプログラム殺人との兼ね合いで他所にて多くの筆を割いたのだが、その映画も"間接的ながら"アリス・シリーズに関係している。次の〔1〕-〔4〕のような点を介して、である(箇条書きの中に箇条書きを重畳的に書くことになってしまったが、混同せず、読み解いてもらいたい)。 〔1〕映画『パルナサスの鏡』では鏡の先に異世界が展開しているが、それはルイス・キャロルの Through the Looking-Glass,and What Alice Found There『(邦題)鏡の国のアリス』との目立った共通要素である。 以上、〔1〕-〔4〕の各点から『Dr.パルナサスの鏡』もアリス・シリーズと無縁ではない(間接的に関係がある)と言えるが、同『Dr.パルナサスの鏡』は II.2010年公開のアメリカ映画、 Alice in Wonderland『アリス・イン・ワンダーランド』。上のIでも言及したその有名映画もまた[重要な比喩]を含んでいかねないことに着目してほしい。具体的には『アリス・イン・ワンダーランド』劇中、[片目の男](その外見から別記事で触れている北欧神話の主神オーディンの比喩ともとれる)とワン・セットで敵役として描かれる[赤の女王]絡みでいくつも重大なメッセージが秘められているらしきことに着目して欲しいのだ。 III.人間の感性で造られたとは思えぬ英国映画に関する話をなす。その映画、極めて不快な映画のタイトルは 28 weeks later『28週間後』だ(この『28週間後』、視聴は決してお勧めしない。最悪の映画だと私は見ている)。同映画でもアリスという名前と赤の女王を意識させる隠喩が登場する。劇中、人類を[赤い眼をした狂気の殺人マシーン]に変えてしまうウィルスの仲介者の名前がアリスとなっており、しかも、そのアリスによって殺人マシーン化した暴徒を皆殺しにすることで鎮圧する作戦の名前が[コード・レッド]なのだ(ウィルスに負けぬよう進化せねばならないのが[赤の女王仮説]で赤の女王に負けるということはウィルスに負けて死ぬことだと上の箇条書き部で書いた)。 IV.[赤の女王]仮説が援用された最悪の映画『28週間後』の話は直近にしたが、同様の映画は他にもある。それがアメリカ映画の Resident Evil『(邦題)バイオ・ハザード』シリーズだ。同『バイオ・ハザード』シリーズ、日本のテレビ・ゲームの映画化作品だが、調べたところ、映画独特の命名方式をとっている。そして、それが赤の女王仮説(
Red Queen's Hypothesis )と結びつくように"調整"されている。 〔1〕映画『バイオ・ハザード』シリーズにでてくる敵役の多国籍企業アンブレラ社。その社章はフリーメーソンが大好きな赤十字となっている(フリーメーソンは竜退治の英雄ゲオルギウスのシンボルでもある赤十字をシンボルとして好む。中世の十字軍の主力軍隊であり、金融業のはしりだったテンプル騎士団の後裔をフリーメーソンはもって任じており、そのテンプル騎士団の象徴が赤十字だからだ。それが上掲補足図でゲオルギウスと赤十字の図像を挙げた理由だ)。 〔2〕上の〔1〕にて一見、幼稚ともとれるフィクションの中での多国籍企業の社章として[傘にフリーメーソン的赤十字が刻まれた紋様]が出てくるとした。問題は、映画より前に、そして、映画の元となった日本のテレビ・ゲームの登場より前に意外な場所にその架空の社章と全く同じデザインのものが見られたことだ。私が映画に含まれる隠喩を研究していた折、故あって分析対象にした1992年公開の映画 Batman Returns『バッドマン・リターンズ』の中でもそれは登場していたのだ。同映画、『バッドマン・リターンズ』は極めてフリーメーソン的な映画である(一部でそれを問題にして動画化している欧米人もいる。また、本Webサイト他所でバットマン・シリーズにて特定のシンボルをまぶされた役を与えられたハリウッド俳優が生贄殺人ととれる形で不審死していることを詳述している)。加えて、極めて重要なこととして上述の『アリス・イン・ワンダーランド』を撮ったティム・バートンという映画監督の手による作品でもある。その『バッドマン・リターンズ』で具体的にどう、架空の企業、アンブレラ社そっくりの傘と赤十字の融合シンボルが登場したかだが、ペンギンという悪役が持っていた傘のシンボルマークとして登場した。そのような登場の話と映画監督ティム・バートンが『アリス・イン・ワンダーランド』で[赤の女王]仮説に固執させられていたことを比較し、色々、考えるのは決して行きすぎではないだろう(上のIにて述べている『パルナサスの鏡』。『アリス・イン・ワンダーランド』と公開時期が近しかった同映画でハリウッドスターが儀式殺人の具にされたとの話に一言、触れたことを覚えておいでだろうか。その殺された節あるスター、ヒース・レジャーは『パルナサスの鏡』の劇中ワンカットでバットマン・シリーズに出てくる悪役、上のペンギンによく似た格好もさせられていた。馬鹿げた話だが、そういったことにすら意味がありうる。というのも、ヒース・レジャーの生贄殺人プログラムには彼がバットマン・シリーズの有名映画、『ダークナイト』でさせられた格好が関わっていると言えるからだ。多くの米国人が問題視しつつ口に出して言えない"前例"(他記事詳説の前例)との兼ね合いから言えるからだ)。 〔3〕映画の元となったのが日本のテレビ・ゲームであるがため、『たかがテレビ・ゲームで何なのか』と大人の常識人は批判してくるかもしれないというのが、ここでの反証の対象だと再度、断った上で述べておく。「テレビ・ゲームには一部、決して軽んじるべきではない隠喩が含まれている作品がある」。私はコンピューター産業業界にも関わっていたことがある人間だが、テレビ・ゲームの業界に関わったことは一度たりともない。ないものの、「テレビ・ゲームには最新の技術を用いて、多数の人間が一斉に一つの方向を見ながら、他人に幻や夢を見せる作品を構築するという背景上、極めて隠喩的な作品が極一部、ある」と聞いたこともあり、かつ、実際にレベルの高い作品を体験したことがあるから右のように言うのだ。と、強調した上で言うが、「日本のテレビ・ゲームにはアリスと赤とゾンビ(!)を結び付ける作品がある」(と研究の上、知った。ちなみに、アメリカ映画ならぬ日本のゾンビ退治のテレビ・ゲーム、バイオ・ハザード・シリーズ原作にはアリスの名前は出てこないようだ)。その作品の具体名は差し控えさせていただくが(学ぶ気がある者は自身で学んで欲しい)、[かなり昔、世に出たもので、欧米に文化伝播していない、正規のルートでは文化伝播していない(この点がきわめて重要だ)もの]となっている。とした上で言っておくが、私は日本のテレビ・ゲーム業界有力者が多くフリーメーソンであるなどとは決して言わない(ただし、その可能性もある。日本人のフリーメーソン会員は非常に少ないとの"設定"になってはいるものの、その可能性もあるのだ。それを言ってしまえば、国会議事堂の一部の場のチェス盤模様の床とて胡散臭いものとなるが)。ゲーム産業にフリーメーソンが「多く」関わっているなどと言わないものの、人間の機構と人間それ自体がどうコントロールされるかについてはよく知っている。[全くの非インサイダー]を集めた環境から外からの雑念(というより操作)が影響、最悪の比喩を含んだ作品が出来上がる、造っている当事者たちもが意味を知らないような比喩を含んだ作品が出来上がるシステムの横顔も知っている。ために、英語化されていない日本のテレビ・ゲーム(映画にせよ、テレビ・ゲームにせよ、半面で人間が造っているわけだから、そこには称えるべき勇気が垣間見れることもある)が[赤の女王仮説とゾンビとアリスを結びつけていたこと]と[アメリカ映画の筋立て]が同様の要素を悪魔的に共有していることに関し意味を見出すのは決して行きすぎでも馬鹿げたことでもないと述べておく。 〔4〕これは上の〔3〕と一部、通底することだが、一見、ナンセンスに見える物語を有した作品にもそれを造った大人達の想いが込められていることもある。その式で言うと、アメリカ映画、Resident Evil『(邦題)バイオ・ハザード』シリーズはかなり意味深な、子供向けではない比喩も含まれている(赤十字が描かれた傘の話は置いておいても、だ)。それは[暗号理論]絡みの話となる(よりにもよって[暗号理論]である)。映画『バイオ・ハザード』では映画独特の筋立てとして女主人公アリスを人間盗聴器・盗撮器にしてそこから情報を収集しているキャラクターのアイザックスという存在が出てくるのだが、アイザックとは暗号理論におけるインターネット・サービス・プロバイダーのことである。そして、アリスは暗号理論で情報の送り手を指す名称でもある(Aさん、BさんのやりとりからAとBの文字を人名に当てはめアリス・ボブの名が用いられる)。私は何もアイザックことISP(インターネット・サービス・プロバイダー)が"実際に"情報の窃取に関与しているなどとのパラノイアスティックな話をしているのではない(ただし、日本では狂ったメディアが一切、報じないようなフリーメーソンの係累にあたる国家寄生カルト団体の構成員による携帯電話通話履歴組織的窃取事件が発生しており、かつ、欧米ではそういったことと通信の秘匿性に絡む構造的欠陥をあわせてなじる風潮が一部である。それについては自著でも論じている:また、余談続きになるが、現時、プロバイダ・サイドの盗聴技術、[ディープ・パケット・インスペクションことDPI]が臆病者ばかりが目立つ官僚達 ―最終的には身内をも滅ぼす仕組みで動いているらしき国家寄生カルトに歯向かえない連中だ― のために日本で幅広く利用される方向で話が進んでいる)。真偽はさておき、そういうメッセージが赤の女王に関わる比喩を含んだアリス絡みの作品に事情通だけ分かるように含まれていることが問題だと言っているのだ。無論、赤の女王の比喩を混入したのも同じ式で事情通向けの間接話法となりかねない、という意味で、である。 どうであろうか。上の〔1〕-〔4〕を精査していただければ、たかだか、テレビ・ゲームの映画化作品でとやかく言いすぎだ、との批判が妥当ではないことがお分りいただけることかと思う。 以上、[箇条書き部の中の箇条書き重畳記載]や右に起因する[詰め込みすぎの詳述形態]などから読みづらくなっているかもしれない、と反省するところだが(ただし、極めて複雑なことを圧縮して伝えている関係上、やむなしとの想いもある)、IからIV ―うち、IとIVは〔1〕から〔4〕とさらに細目に分かれる― を読まれることで、だ。アリス絡みの作品に含まれている性質悪き比喩が何なのか、多くをお分かりいただけたものか、と思う。 最後に一言。 ※枠外部にあたるこの場で本記事本文でなした話の補足と確認をなしておこう(いいだろうか。補足と確認である)。 第一に、デービッド・アイクは[竜で自身たちを表する存在]に対峙する必要を説く著書でフリーメーソンの最奥の秘密を部分的に告発しているが、それに対し、ディズニーの者達は昨今のアリス・シリーズ、竜退治の物語に[フリーメーソンの暗部の正当化の比喩]を最大限、まぶしているから、そう言える(創価学会を美化している映画を誰が真実だと思うだろうか。それと同じだ:フリーメーソンの悪質性は係累の創価学会などより遙かに上を行っているともとれることはこの際、抜きにしておく)。長くなってしまうが、それについての具体的根拠を挙げよう(本文でなした例示以上に詳しくだ)。 『アリス・イン・ワンダーランド』がデービッド・アイク著作への望ましくなき意識誘導を含んでいる理由として第二に、である。第一の理由として述べたことと「多く重複する」ことだが、その重大さから格別に論じることとして、『アリス・イン・ワンダーランド』の反対解釈の(サブリナル的ともとれる)推奨の存在が挙げられる。エンディング・テーマの露骨な歌詞と麻薬トリップを思わせる寓意から竜ジャバウォックを打ち倒すのも「全てが逆転した世界の話なればこそ」と強調されている節があることがそれだ(はなから反対解釈を前提に造られている節すらある)。 望ましくなき意識誘導判断の理由として第三に、映画の中の[赤の女王]、あべこべの世界で[白の女王]に敗れる存在にまつわり、[人類大量間引き計画が進行していることを匂わすサブカルチャー]が決して文化伝播しない形で東西に存在しているということがある(本記事本文の内容をよく読んで欲しい。としつつ言うが、デービッド・アイクのタイトルにアリスがつく著作の方向への[間引きの寓意を含んでいるような反対話法体現物]での意識誘導がなされているのなら、デービッド・アイクの著書結論の反対事象(人類は完全に抑圧され、多くの人間が殺される)が引き起こされる可能性とてある)。 上にて解説してきた[昨今のアリス・シリーズでのアイク著作への望ましくなき意識誘導の話]を含んでいただいたうえで、上掲図右上の写真をご覧いただきたい。 |
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