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「アメリカ」は刑務所国家というより国家的刑務所となり下がった(統計に見る異常性)最初に驚愕のデータを提示しよう。 〔1〕アメリカ合衆国では「法的拘束者」の数が急増している。結果、現在、700万人以上ものアメリカ人が「収監中」か「執行猶予中」か「仮釈放中」のいずれかに該当する(2008年次で730万人以上の人間が法的拘束下に。米当局の発表については合算方式などに不分明なところが多いのであるが、それを含んだ上での具体的内訳については2006年時点で計720万人超の法的拘束者のうち、収監中が220万人超、執行猶予・保護観察中が420万人超、仮釈放中が79万人超となっている:出典はU.S. Bureau of Justice Statistics[合衆国司法統計局]の資料)。 〔2〕上の〔1〕と明らかに逆行するように米国の犯罪発生件数は1993年を境に減衰傾向にある。 上の〔1〕-〔2〕のようなデータを提示したところで、だ。事態の異常性を視覚的に把握いただくべく下にグラフ群を掲載した。 上グラフ群の作成に際し用いた主たる出典がFBIの発表資料と U.S. Bureau of Justice Statistics[合衆国司法統計局]の資料(共に英文Wikipediaの関連項目出典ともなっている)であるとお断りさせていただいた上でグラフ群の解説をなす。 さて、以上のような1991年から2005年のデータの推移から何が見えるか。 「1991年か2005年にかけて法的拘束者は155%(端数切り捨て方式)増加となった。すなわち、14年間で1.5倍超に増えた。他面、その間(1991年-2005年)の犯罪比率は急減している(財産に対する犯罪の発生件数は従来比66%になり、暴力事犯発生件数は従来比61%、殺人事件発生件数は従来比57%となった)」。 法的拘束者が1.5倍に増えた反面、犯罪発生比率は急減しているのだ。これを[深刻な矛盾]と言わずして何と言おうか。 ここで、次のような突っ込みを入れたくなる方もいるかもしれない。 ・米国では刑務所人口が急増してはいるが、他面、犯罪の多くは「長い懲役」とは結びつかないものである。むしろ、犯罪者の大部分は執行猶予や仮釈放に処せられている(米国の法的拘束者のうち、いわゆる刑務所暮らしは200万人であり、他の法的拘束者500万人超は執行猶予中か仮釈放中である)。犯罪を犯したか、意思弱く犯罪を犯させられた者達を ―刑務所人口を急増させつつ― 片端から堀の内側に放り込んでも彼らの拘束期間の短さから法的拘束"自体"が犯罪の減少につながっているとは考えられない(米国の刑務所は日本のそれとは異なり、再犯率を高める側面が強いとの批判があることを置いておいた上でも、である)。 ・アメリカでは犯罪が全くもって割に合わなくなってきている。効果対リスクの面で。というのも、いわゆる三振法(Three strikes law)が1990年代中盤に至るまでに多くの州で採用されたからだ。そこにいう三振法とは一定の悪質度を超えた犯罪絡みの有罪判決を3回以上、受けると、有無を言わさず、終身刑を進呈されるという内容のものである。同三振法の3回カウントの1回カウントのやり方については色々と批判もあるのだが、とにかくも、米国ではその三振法の影響で犯罪発生比率が急減していると"常識的には"とれる(米国で犯罪が長期的減少傾向をとる画期となったのは1993年からであるが、その年から州法としての三振法の運営が各州でなされるようになっていった。三振法と犯罪発生比率には明らかに関係がある ―不当に終身刑に処せられた人間もいるだろうが、その悲惨さはこの際、論じない、としてだ―)。 以上、箇条表記した二点のことをまとめて、である。 「米国では刑務所入りを始め法的拘束が急増しているが、それは犯罪率急減の原因ではない。犯罪者の物理的拘束は犯罪率急減の原因ではないのだ。罪人は法的拘束を負わされても、その期間は比較的、短期に終わり、また、時に拘束が緩いがために。むしろ、犯罪率が1993年以降、急減しているのは一度、罪人のレッテルを貼られた者が米国で再犯を犯す気にはならないようになってきているためである(三振法の導入により)」。 何?それでも何かが引っかかる?当たり前だ。わざと何かが引っかかるように話をなしたのだから。に関し、「犯罪者を片端から法的に拘束しているから法的拘束者の急増と犯罪率の急減が併発しているのではないか。(私が強調するような)矛盾はない」との見解が妥当ではないとしたが、それは[単一解]として妥当ではないだけであって、「三振法と法的拘束者の倍加による波状攻撃が犯罪発生比率の減少にリンクしている」と考えるとかなり妥当解に"近く"なるのだ(一部の人間は当局はじめ司法制度の維持・運営に携わる者達の思惑はそこにある、と考えているかもしれない)。 だが、妥当解に"近く"なっても、決して、[矛盾]は消えない。上のような一見、最もらしい考えは[程度の問題]を克服できる解答ではないからだ。 いいだろうか。確かに米国では当局はじめ司法制度の維持・運営に携わる者達が[施策]として[三振法による脅し]と[法的拘束者の急増による烙印押し]を併用して犯罪発生率を意図的に急減させているとも考えられはするのだが(ただし、そのようなことを口にする当局者の話は目立って公には見られない)、仮にそうであったと仮定しても、明らかに[オーバーキル(やりすぎ)]となっているのである。「犯罪発生比率が従来比50-60%に減少した中、法的拘束者を1.5倍に増やす意味も必要もない」のだ。もっと言えば、日本とは異なり[刑務所が社会的不適合者とさらなる犯罪者の養成所](ただし、米国では最近、刑務所も民営化の煽りで悪い意味で社会適合的な機能を有するようになってきており、刑務所の中でコールセンター業務が請け負われたりと奇怪な状況となっている)となっている側面が強い米国で「長期的犯罪減少傾向の中、法的拘束者を急激に増大させていく意味も必要もない」のである。矛盾は消えないのだ。 以上、掲載グラフ群に見る増減の対比から矛盾があることを述べてきたが、以降はその矛盾についてさらに深く掘り下げてみることとする。 さて、まずもって知っておくべきこと。それはこうだ。 「法的拘束者の数が増えたのは従来なら不起訴になるような事犯・容疑者 ―いいだろうか。ポイントは[容疑者]であるということだ。黒白は裁判で決せられるのだ― が法的処罰の対象にされているからである。もっと単純に言えば、ありとあらゆる咎が厳しく罰せられるようになったからである」。 ここで『お目こぼしが少なくなったのか』と思われる方もいるだろう。が、さにあらず、だ。正確には「疑いをかけられた者がことごとく罰せられるようになったから」が正解だ(たとえ冤罪・無罪であろうと、だ。法曹達と「当局」が貴方を、被疑者をどこに導くか、それが問題になるのだ)。 基本的なところを述べた上で根本問題に触れよう。 [事情通の常識人がなしそうな合理的な推論]刑務所民営化関連事業がビジネスとして旨味多く利権化しているから性質の悪いロビイスト(政治的便宜斡旋屋)などの暗躍などもあって厳罰化が進行しているのではないか(刑務所人口が増えるとそれで潤う連中がいる)。[囚人という名の客が増えれば、大儲け]という次第で ⇒ [反論]一見、正しさを含んでいるようで全くもって正しくない見解である。確かに、米国の刑務所のランニング・コストは利権と結びつくように急増している。私がオンライン上の英文調査報告・統計資料を精査した限りでも、ここ二十数年間でいくつかの合衆国の州の刑務所運営費用は5倍以上に増大している(犯罪率が相対的に見て減少した年度間で、である。その一事とっても事態は常軌を逸している)。そういったコスト増大傾向は見てとれるも、そも、[有罪・無罪の判決を下し罪人とみなした者を収監する機構]は[一部の人間の利権]のためだけに動きはしない。部分的に利権と癒着した勢力の働きで警察に検挙ノルマが課せられるといったことはあるかもしれない。あるいは、警察の捜査を管掌する検察に有罪判決獲得の目標値が与えられ、司法取引が活発になるといったこともあるかもしれない。だが、行政から独立しているとの建前の裁判官や市井の弁護士連中がその潮流にきちんと一致するように動かねば"こと"は成就しないだろうと常識的に考えられる。ために、「マスコミや政界、法曹界全体を巻き込んだ社会の不安定化に対する犯罪撲滅気風の増大が機構を動かす」というのならまだ分るが、刑務所人口の増加を志向する利権によって多くの人間が臭い飯を食わされるようになっているとの考えは全くもって正しくないようにとれる(マスコミや政界、法曹界をあまねく巻き込んだ犯罪撲滅気風の高まりが収監者増をもたらすこともありうると直近述べたが、それにしても、いや、それであればこそ、オーバーキルには至らないはずであろう。機構を"不合理無比に"動かすことができる地下水脈的なメカニズム、911の事件を起こすような連中の話となると話は別だが:ただし、「常識的に物事を説明できそうに見せもする例外もある」としておこう。例えば、表層的で非本質的な悪の告発しかなしていないと非難されてもやむなしか、というドキュメンタリー映画だが、有名映画監督のマイケル・ムーアが撮った『(邦題)キャピタリズム~マネーは踊る~』。の中に更生施設民営化事業団と結託したビジネスで青少年に有罪判決を多発していたこれぞ屑と言うべき裁判官が出てくる。出てくるも、が、そういった類が大量にいて、有罪判決を濫発しているとは[ほぼ考えられなきこと]だ)。 [事情通の常識人がなしそうな合理的な推論]米国は人種対立の渦中にある。だから、黒人層の収監率が異常に多いような形で法的拘束者の数が急増しているのだ ⇒ [反論]黒人層の収監率が際立って高いのは事実だが、白人層の収監率も増加傾向にある。加えて、白人層は[執行猶予]や[仮釈放]の対象になりやすいからその収監人口が少ないにすぎない(白人層が[執行猶予]や[仮釈放]になりやすいのは弁護士を雇う資力の問題やアメリカの残存差別意識に起因するかどうかはこの際、問題にならない。白人層にしても犯罪率減少傾向下で刑務所収監者を増やしているわけだからだ。問題は、そう、[犯罪者]とのレッテルを貼られやすくなっており、病気が蔓延し、屑の横暴が時として許される刑務所に当局の胸先三寸で何時でも追加的に放り込まれかねない状況下におかれているということである)。また、これを言ったらお仕舞いだが、差別とワンセットになった闘争は(実は犯罪もなのだが)最悪の存在によって醸成された土壌でのやらせのショーである(フリーメーソン及び彼らの下位カルトの問題、そして、魂の問題について考えたことがない一部の幸福な方々、不完全に夢を見ている幸福な方々は言っている意味が"まだ"分からないと見るも)。人種問題を持ち出しても本質には迫れない。迫れるはずがない(私は本Webサイトの他所で[110階建ての二つの塔]が崩された場、ニューヨークで110番街の区画化がなされている、白人地区と黒人達のハーレムとの区画化、黒と白の区画化がなされているのはフリーメーソン達が崇める"神"(のフリをした存在): Great Architect of unFree-masonryの意思によるところであると告発した。「110丁目をまたぐ」という言葉がニューヨーカーの間で特別な言葉となると指摘しつつだ。それにつき、言っておくが、[日本やその他の国で犯罪通報電話窓口となっている110番]も[アメリカの犯罪通報電話窓口となっている911番](ここ数十年来、ナイン・ワン・ワンである)も11と結びつく最悪の儀式的符丁である)。 ここまで述べれば、もう大体のところはお分かりいただけただろう。アメリカ合衆国という国は[法的拘束者人口の増加]だけ見ても狂ってしまっている国家なのだ(その他の意味でも米国は狂気を加速させている。米国では失踪者が大量に発生しており、白服の性質悪き連中によって科学的根拠なしに大勢の子供に"覚醒剤"そのものが配られていることも本Webサイトや自著にて触れている。嘘ばかりつく陰謀論者などといった類のやり口とは異なり、客観的データを呈示するという形で、だ)。 「米国ではオペレーション・トーチの名の下に地下鉄で対テロ対策要員としてのサブマシンガン装備の警官が巡回するようになったりしている ―アメリカの物知る大多数の市民から見れば、あまりにもナンセンスな話なのだが―。さて、そのようなマシンガン装備の警官が地下鉄構内を巡回する契機となったアメリカで起こった[911の"テロ"とされるもの]は実際はテロでも何でもなかった。大災厄に向けての比喩を含んでいると合理的に推察できる[フリーメーソンの人形たちを用いた大々的儀式]だった([911の事件の儀式性]については18万字超の論稿で根拠提示による立証はなしたと自負する ―同論稿をいまだ精査していただいていないなら、ここでの私の話は[超陰謀論者の放言]以上に見えはしないとだろうとも断ってもおく―)」。 上のようなことを「馬鹿げている」ととって認めないのは個人の自由であるが(ただし、客観的根拠によって立証可能な真実は何を言ってもやっても揺るがない)、私としては次のような可能性論がそれ絡み(上の「」内で述べたこと絡み)で問題となる、[アメリカ合衆国の狂気の根本]として問題となる、ととっている。 「米国が法的拘束者を増やしているのはこの時期にあって[プリズン・ブレイク](言っておくが、プリズンとは刑務所のことではない。この世界の運営システムそのものだ)を唱える者が大々的に出てくると困るからだ(とも考えれる)。設立からしてメーソンの手によってなされたフリーメーソン製 ―建国の父、56人中53人が"明示的"フリーメーソンであるとされる― のフリーメーソン支配国家たるアメリカでは[最後の仕上げ]、[911を儀式の一貫としているような最後の仕上げ]がなされているこの時代にあって邪魔者や暴れる者が出てこないように手綱が絞められているにすぎない風が如実にあるのである(スクリーニングの段階での有罪化率の意図的増大とスリーストライク法に見る厳罰化は両輪ともとれる。多数の弱き罪人達のみならず無辜の強き者、システムに抗う者達に足枷をはめるための装置の、だ)」。 これにて本記事で伝えたきことのほぼ全てを伝えた(あとはその本旨を押さえたうえで枠線下部にて補足として述べているようなことを把握いただければ、幸甚といった次第である)。 上は本記事のために作成したアレンジ画、ジェームズ・ギルレイ( James Gillray )という18世紀後半から19世紀にかけ活躍した画家の絵を元に作製したアレンジ画だ。その掲載意図だが、次のようなものとなっている。 「上のアレンジ画の元となった画家ギルレイの絵は[フリーメーソンによって革命をもたらされたフランスが英国によからぬ影響力を行使しうること]を訴求するために描かれたものととれる」(元となった絵には革命の象徴記号、もっと言えば、フリーメーソンの象徴記号がまぶされているからだ。本Webサイト上の[赤き帽子に秘められた操作の比喩]という記事にて解説していることとして)。 以上の話をもって、本記事の締めくくりとしよう。 |
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