考えられる操作の手法について |
プログラムに準拠して起こされる大事件。その隠喩的事前表明によって人形らを統制する手法まず最初に次のことをお含みいただきたい。 「記事表題から考えれば、真っ先に述べなければならないのは2001年9月11日に起こった事件であると明言するに足る理由がある。が、911の事件については本Webサイト上の他所([問題意識の所在]と題したカテゴリ)にて十二分に論じつくしているので、ここ本記事では 以上をもって前置きとし、次に挙げる図像群をご覧いただきたい。 左はタイタニック号の沈没前の写真となる(と言いつつも、部分的に意図をもって下手な合成をなしている写真だが)。右はH・G・ウェルズの小説、『宇宙戦争』の中に掲載されているイラスト、船を襲う異星人の戦闘機械トライポッド(Tripod[三脚]の名を冠するマシーン)を描いたイラスト、著作権保護期間が超過したイラストである。 図像の抜粋意図に言及したところで最初に述べるべきは そのように書くと『実に馬鹿げている』と思われる方もいることだろう。であるが、それは以下に挙げた事由、〔1〕→〔4〕という順序で段階的に検討していただき事由から明言できることである。 〔1〕タイタニック沈没を露骨に予見したような小説がタイタニック沈没の10年以上前の1898年に書かれていた。その小説のタイトルは「総称して」 Futility, or the Wreck of the Titan『無益なること』(『タイタンの難破』)となる ―内容変更がなされている版も含めて、通例、まとめて、 Futility, or the Wreck of the Titanと表する― 。 小説のタイトル紹介部を見た時点で思うところがあって然るべきものだが、その中身となると、まさしく[豪華客船を沈没させることの予定の吐露]と言えるようなものとなっている。すなわち、「人類がそれまでに生み出した規模の中にあって最大級とも言える不沈船(Unsinkable)の異称を持つ船、タイタン(Titan)の名を冠した船が北大西洋にて氷山に激突、多数の犠牲者を出しながら沈没する」という小説の筋立てが現実のタイタニックの沈没とそっくりなのである。どうそっくりか、いま一つ分らないという方のために指摘するが、次のような点でそっくりなのである。 A.小説ではギリシャの巨人族、タイタンの名を冠する[タイタン]という船、最大級サイズの船が沈む ⇔ 現実には当時の世界で最大級サイズだった船、[タイタンの]を意味するタイタニックという豪華客船が沈んだ B.小説のタイタンは不沈船とも言うべき設定のものだった ⇔ 現実のタイタニックの異称は不沈船だった(ただし、不沈船の異称には多少、誇大表現との側面があったことがネット上の英文情報にある) C.小説ではタイタンは北大西洋上で氷塊に激突して沈む(その後、小説は氷上冒険譚にシフトするのだが、そのストーリーはどうでもよい) ⇔ 現実のタイタニックは北大西洋上で氷山に激突して沈んだ。無論、沈んだ場所、沈み方が小説と同様のものである D.小説ではタイタンの事故とともに多数の人間が死ぬ ⇔ 現実のタイタニック沈没でも乗船者の大多数が死んだ 無論、AからDのような一致性が偶然で生じる可能性は限りなくゼロに近い、ととらえるべきところだろう。 (※ちなみに筆者の手元にある情報では真偽確認が及ばなかった不分明な話であるため取り上げなかったが、一部[英文情報媒体]によると、 とにかくも、馬鹿げた一致性が小説と事後の事故の間に横たわっていることから、1898年の小説Futility『無益なること』についてはおよそ100年前の当時にあって 〔2〕上の〔1〕にて述べたこと、 Futility,
or the Wreck of the Titan『無益なること』(『タイタンの難破』)と総称される小説が馬鹿げたぐらいに正確な記述を含んでいる件に関し、本記事執筆時の2010年下半期現在、日本語Wikipediaの[タイタニック]項目には次のようなことが書かれている。 第一に、2010年下半期現在、英文Wikipediaの[Titanic]項目にはそういう記述はない(「 Futility, or the Wreck of the Titanの粗筋と現実のタイタニックの沈没の一致性が現実の沈没事故の後の加筆による」との括っての記述はない)。というより、英文Wikipediaの Futility, or the Wreck of the Titanの項目にすら加筆によって[偶然の一致]が目立ってもたらされたという記述は現時ない(今後、改訂される可能性はあるが。尚、本稿初稿では手落ちゆえにきちんと筆者がカヴァーしきれていなかったこととして1898年版のタイトルの方がFutility『無益なること』と殊更に呼ばれもし(その1898年の版の方のオリジナル稿はネット上よりは入手できない)、1912年版のタイトルの方が The Wreck of the Titan『タイタンの沈没』と強調されてもいる。そして、それら1898年版と1912年版をまとめて、 Futility, or the Wreck of the Titan『無益なること』(換言すれば『タイタンの沈没』)と呼びならわす慣行がある)。 第二に、 Futility, or the Wreck of the Titan『無益なること』(『タイタンの難破』)には1898年出版の版と1912年以後の版があって後者にて現実の事故を受けての書き直しがあるのは[確たる事実]とされているが(ただしオンライン上に見受けられるのは1912年の版のみとなっており、[著作権表示が並行して付与されている1898年の版]の[現物]がオンライン上に見受けられないことに関しては少なからぬ人間が違和感を吐露しているようである)、 その書き直しの結果、上の〔1〕(の中のA.からD)によって摘示した一致性のどれかを後付けで新たに付け加える類のことがなされたとのことは「ない」(と多くの人間の指摘から見てとれる)。 「書き直された部位は沈んだタイタンが現実のタイタニックに船体データ面でより近くもなるようなものにすぎない」とされているのである(※私がここにて呈示している情報もそうした情報らに依拠している ―それに関し、私がオンライン上の情報に担がれている可能性もあるにはあるが、その可能性は情報の複合考慮から小さい(先述の職業的懐疑論者にして数学者の故マーティン・・ガードナーまでが[AからDまでの要素を有した旧版]を検討しているからこそ今日まで論議が続いているのだと自然に解される)― )。 以上のようなことをもって日本語Wikipediaの編集スタンスは性質悪きものと見え、かつ、 Futility, or the Wreck of the Titan『無益なること』(『タイタンの難破』)の前言の一致性の話は折り紙つきのものととれる(愚者の国、日本の外の世界、英語圏ではそういった一致性に"根拠なく"疑義を呈する者はいない、とも指摘しておく。尚、根拠を呈示しての異論がどういった性質のものなのかはオンライン上から確認できるマーティン・ガードナーの物言いの伝、「統計的にはありうる」との物言いの伝を当記事の先の段で紹介している)。 としつつ言うが、そういった馬鹿げた一致性の問題、予定の事前吐露と受け取られることはタイタニックの沈没に限られない。911の事件にも全くもって同じことがあてはまる(911の事件の方については疑うことが不可能な「映像」コンテンツ上の事前予定吐露事例が多々ある。のうちの最たる一事例については続く〔3〕と〔4〕にて触れる)。 〔3〕タイタニックの沈没前言小説と関わることとして、2001年の9月11日の事件発生、その前言映画に触れる(代表的なる前言映画の一作品だけ取りあげる)。『ファイト・クラブ』がその映画である。[同時多発テロ]などと"犬"に呼ばれる事件の二年前に封切られた同映画、完全に事件の前言になっているものだった(本Webサイト上の[問題意識の所在]と題したカテゴリの中の[問題意識の所在―6―]というページにて詳述に詳述を重ねている。結論から言うと、映画『ファイト・クラブ』に垣間見れるメッセージ・象徴言語群と2年後の911の事件の間の一致性が[偶然の一致]として現れている可能性は天文学的に低い:くどいが、「一億分の一よりも低い」と言える程度で、だ。単純に初等数学で習う確率論"的なる"発想法に依拠してすぐにそう考えられることとして)。 〔4〕[上の〔3〕に見る911の事前予告映画]と[タイタニックの沈没前言小説]は次に述べるようなI-IIIの観点から"接合"している。 I.双方とも、フリーメーソンによる犯行を「示唆する」との内容を有したものである(映画『ファイト・クラブ』に見る911前言とフリーメーソンの関係については[問題意識の所在]と題したカテゴリの中の[問題意識の所在―6―]というページ、直近にても参照先として挙げたページにて解説している。小説に見るタイタニック沈没前言とフリーメーソンの関係については同[問題意識の所在]カテゴリの中の[問題意識の所在―8―]というページにて解説している※ただし、それら該当頁の解説を完全に理解するには[問題意識の所在]と題したカテゴリの内容を冒頭から把握しておく必要がある)。 II.上のIにて述べたことを受けて言うが、何故、フリーメーソン達 ―自主性無き駒であるとの指摘もなされている者たち― がタイタニックを沈め、911の事件を起こした、と考えられるのか。 III.上のIIと表裏をなすこととして、である。911の事件もタイタニックの沈没も[入力値]まで似通ったものになるよう調整されていた節がある。 非常に長くなってしまった。だが、上の〔1〕から〔4〕(うち〔4〕はIからIIIで構成)を順々に読まれることで、タイタニックの沈没が911とも結びついた儀式、ようするに、[やらせ]であることは「一面で」お分かりいただけることか、と思う(「一面で」と敢えてしたのは本Webサイト上の参照箇所を読んだ上でないと多くを理解することは出来ないだろう、と判断したからである)。 ※H・Gウェルズ小説『宇宙戦争』に登場する異星人の侵略マシーン、トライポッドを描いた[ウェルズ自身は難色を示していたとされるところの挿絵]。トライポッド、シュールな同マシーンは隠喩を込められて後の作家ジョン・クリストファー( John Christopher )の小説に登場させられていたように実に含蓄に富む存在となっている。 ここで再度、本記事冒頭に挙げた写真の話に立ち戻る。その点、冒頭写真の抜粋意図はすでにほんの一言だけ述べているが(「犠牲者の死を無駄にしないために写真を挙げた」と述べた)、 より具体的に、 に関しては、本Webサイト上の他記事を読まれるなどしてお分かりの方もおられると思うが、 だが、もっと重要なことがある。H・G・ウェルズが予言的なる作品 ―というより事前予定吐露を含んだような作品、か― を多々、遺していること。それが既述のタイタニック沈没事前言及小説、『無益なること』(換言すれば『タイタンの難破』)と同じ匂いを感じさせるのがH・G・ウェルズの小説登場キャラクター(トライポッド)とタイタニックの写真をつなげた主たる理由である(本記事のタイトルを確認していただきたい)。 では、極めて意味深い作品を多々、発表してきたH・G・ウェルズはいかなる予言的なことを書いていたのか(あるいは書か「させられていた」のか、か。「させられた」と言うのは[預言・予言]などはまさに"操り人形の所業"だからだ)。下に箇条書き形式で挙げてみることとする(各箇条書き部はそれぞれかなり長くなると断わっておく)。 ・H・G・ウェルズと言えば、である。まずもって、[核兵器の開発]を予言し、かつ、"促してい"たことが有名である。次に述べるような形で、である。 「ウェルズは The World Set Free『解放された世界』で早くも1914年に核兵器の登場、及び、最悪の核戦争の招来を予見していた(現実の核兵器開発の30年前)」。 そのような予見が可能だったのはウェルズが小説を執筆した時代には[放射性崩壊に伴い長年にわたって放出されるエネルギー総量が膨大になること]に一部の科学者が気づいていたがために、ウェルズがそういった科学者の気づきを小説の核兵器の原理に採用しえたからだ、ともされる(後にウェルズを称賛することとなる科学者フレデリック・ソディの[放射性崩壊に関する研究]をウェルズが参考にしたとされる。私個人としてはそこにいうフレデリック・ソディという男もウェルズと同様、[占いの霊](それ自体、最低の妄言文書たる『聖書』の日本語訳に出てくる言葉である)あるいは[世界操作手法を決する力]に取り憑かれていたようにしか見えないのだが。 ―フレデリック・ソディはニクソン・ショックで外為相場が変動相場制に移行するより遙か昔に変動為替相場に移行しないと[システム]が立ち行かなくなると前言していたからである― )。 であるが、ウェルズが真に先見的 ―[革新的]とは言わない。自身でものを言っていないかもしれない人間を革新的だ、などと表したくはない― だったのはウェルズ小説が後の核兵器開発者達を触発せねば、核兵器開発は遙かに遅れていたと「常識論の世界でも」言われていることである。それについてはウェルズの『解放された世界』を物理学者・発明家のレオ・シラードが1932年に読み、そこから同ジラードが[核連鎖反応の実現]を"確信"せねば(言葉を換えれば、[膨大な核エネルギーの抽出方法]を"確信"せねば)、かつ、核兵器開発可能性につきアメリカに具申せねば、核兵器は今日の形のように人類史に現れていなかった、ということがある。 (※頻繁に括弧内で補足をなしている中、さらに読みづらくなって恐縮だが、本カッコ内で[多少、長くなる補足]をなしておく。 括弧内での補足が長くなってしまったが、とにかくも、である。ウェルズが核爆弾の開発の数十年前に核爆弾の出現を予言し(ウェルズの小説の後、20年経った後でもアーネスト・ラザフォードのような一流の科学者とて「核エネルギーの工業的利用は不可能だ」と述べていたことが日本語Wikipediaの[レオ・シラード]項目にも載せられていることに着目すべきだ)、なおかつ、その核爆弾を用いた飛行機による世界核戦争、そして、核兵器による大破壊に抗するための[世界統一政府]の樹立を1914年に小説のテーマにしていたというのは事実だ(ウェルズの小説の中での核爆弾の爆発の仕方は「何日もの間に渡って爆発し続ける」というものだが、それは放射能汚染のことを前言"させられていた"ものである可能性もある。また、後述するが、ウェルズはほぼ確実にフリーメーソン員であるため、"彼ら"流の用語、長年、使われてきた用語とされる[世界統一政府]という言葉を用いていたととれる)。 本記事主題に関わる重要な補足 ウェルズの原爆事前言及小説『解放された世界』につき取り上げたところで、英文Wikipedia ―和文のほうではない― にあっての[ Morgan Robertson ]項目(タイタニック沈没との絡みで問題視される1892年のFutilityと1912年の The Wreck of the Titanの著者にまつわる項目)をめぐる記述についてここで「意図して」取り上げる。 英文Wikipediaの[ Morgan Robertson ]項目には その点、問題となることとして、である。次のようなことがある。 Futility,or the Wreck of the Titan (:1898年に刊行されたFutilityの改訂版を含む短編集としてあらためて1914年に刊行されたとされるもの。1912年に著されていたとされる The
Wreck of the Titan を主題作として内包する短編集)の中に収録されているという短編 Beyond the Spectrum『スペクトラムを超えて』との題の小説が さて、以上のような話については個人的には 以上、述べたうえで、次のようなことが[熟慮して然るべきこと]になる、と強調したき次第である。 「 Futility,or the Wreck of the Titanという短編集 ―(現行、英文Wikipediaの〔 Morgan Robertson 〕項目ではない〔 Futility,or the Wreck of the Titan 〕項目の方には実に紛らわしいことに同 Futility,or
the Wreck of the Titanが小説Futilityよろしく1898年に刊行されているとしかとれない記述とてなされているので惑わされないでいただきたい)― の刊行時期のことが問題になる。 事実関係が錯綜している中、ご理解いただくのは一難事かもしれないが、以上のことを(相応の人間が嘘ばかりをばらまいている和文ネット上ではなく利用人口が十倍に匹敵する[嘘吐きを忌むカルチャー]を持つ欧米圏に由来するネット上の英文情報を通じてよくよくも検証されたうえでも)ご理解いただければ、次のことがすとんと胸に落ちることか、と思う。 [ ―当記事の続く内容にも関わることとして― 太平洋戦争からして遠大な予定通りに進められた、それ相応の結果を想定しながら予定通りに進められた一大イベントであると受け取られる](ちなみに予定の計画状況を示すために使われるのも所詮は人形、[生死さえ自分で決めることの出来ぬ人形]である可能性もある。問題小説を書いたモルガン・ロバートソンも時ならぬ最後を迎えている、しかも、儀式がかった形で時ならぬ最後を迎えているとのことがあるゆえに、である ―モルガン・ロバートソンは「アトランティックシティのホテルでのヨウ化水銀系の過剰摂取がもとで死んだ」とされているが、そもそも、(アトランティックシティに見る)アトランティックとはロバートソンの小説でのタイタンおよび現実のタイタニックが沈んだノースアトランティック(北大西洋)と親和性が高い名称だからである(私の見立てではより根本には古の神々タイタンの一群に含まれるアトラスの比喩があるとのことになるが)― ) 以上の帰結の是非を ―この後、どういう計画が控えているのかとの慮(おもんぱか)りと同時に― 検討していただくために作成したのが本記事であり、本サイトである。 ・H・G・ウェルズには第二次世界大戦の勃発の仕方"をも"ほぼ正確に予言している、との側面もある。 ウェルズは1933年 ―奇しくもナチスが政権をとった年であり、上掲のレオ・ジラードがウェルズの他著から着想を得た核反応を確たるものとして概念化した年だ― に世に出した The Shape of Things to Come『世界はこうなる』という作品で大戦の7年前にほぼ正確に大戦の始まり方を予言しているのである(「予言」は ―くどいが― 憑かれたような人間特有の兆候だと私は考えている。換言すれば、[予定]をフィクションにかこつけて操り人形が口にしているケースが実態だと考えている ―ただし、我々と異なる時間軸から物を見ることが出来る存在がいれば、介入して歴史を[予定]どおりに動かさなくとも未来を語らしめることは可能だろう。デービッド・アイクという男がその可能性を自著にて取り上げているように、である― )。 では、具体的にどうウェルズは第二次大戦勃発過程を前言していたのか。次のような形で前言していたとのことがある。 「第二次世界大戦の戦端は欧州のポーランド、ダンツィヒにてドイツ軍とポーランド軍の戦いによって開かれる」 詳しくはウェルズの『世界はこうなる』を手にとって確認いただきたいものだが(確認の手間を省きたい向きは英文Wikipedia[ The Shape of Things to Come ]項目にあっての予見性につき扱った記述部をご覧になられるのもよいだろう)、 上はドイツ軍のポーランド侵攻時の最初の攻撃がダンツィヒの要塞に対する艦砲射撃であったこととほぼ一致している (⇒独軍は他所をその5分前に攻撃し、それでもって開戦の火蓋が切られたともいえるのだが、細かいことを気にすべきではない。何故なら、ドイツ軍のポーランド侵攻 ―第二次世界大戦の開戦― の大義名分はドイツがポーランドに対し第一次世界大戦時前の自国領土、"ダンツィヒ"の返還を求めたことにあるからである) 。 その点、ウェルズの前言が化け物じみていると言えるのには第二次世界大戦の起こり方と原因をきっぱりと言い当てていたこともあるが、開戦の年をほぼ正確に言い当てていた、ということもある。 ただ、一つ断わっておけば、ウェルズの第二次大戦開戦絡みの予言については常識論で処理されてしまう余地もあるにはある(それゆえ、今日まで大問題となっていないともとれる)。ウェルズの The Shape of Things to Come『世界はこうなる』がものされた1933年の時点でダンツィヒはヴェルサイユ条約でドイツから奪われた地、ドイツが返還を期して市政の変化を強く望んでいた都市であり、かねてより、後の闘争の根となると予測がつかなくもなかった都市である、ということがあるからである(ウェルズもダンツィヒをめぐる情勢について『世界はこうなる』で細かく述べている:私のような人間に言わせれば、ポーランド回廊/ダンツィヒが第一次大戦後ドイツから奪われたのは、はなから後の[闘争の根]にするつもりだった可能性もあるということになるが。110番を連想させるような1月10日という日付にて批准されたヴェルサイユ条約の第"11"節 ―SectionXI― でダンツィヒを国際連盟管理下の都市としてかつてのドイツ帝国から引き離したのは"11"にまつわる儀式だったとも考えられるからだ ―[何を言っているか分からない馬鹿げた話]ととられた方は本Webサイト上の[問題意識の所在]と題したカテゴリを最初から読んでみていただきたい―)。 だが、再度の反駁(はんばく)として、ドイツはヴェルサイユ条約を1935年まで破棄していなかったことや(『解放された世界』刊行は1933年)、ウェルズの書が出された一年後にはドイツがドイツ・ポーランド不可侵条約を締結しているなど武力衝突が必ずしもすぐに生じうるものと観念出来なかった事情があるにもあった(従って、ウェルズの予言は予測とは言えぬ、神がかったものだと依然として言える。そも、ウェルズの『解放された世界』が世に出た年はナチスが政権をとり、ドイツを乗っ取る過渡期にすぎない)。 また、ウェルズの開戦予言的中については開戦"後"の経緯を正確に言い当ててはいないので、そう例えば、「ウェルズは現実にはすぐに敗北したポーランドが何年も持ちこたえるとし、現実にはドイツとの開戦を選択した英国が中立を維持するなどとしていた」ことより、それ程、重要視すべきものではないという向きもあろうが、それについては次のような疑義を挟むべきであろう。 ・ウェルズは1933年に記された The Shape of Things to Come『世界はこうなる』で他にも次のような出来すぎた予見をなしている(多く英文Wikipediaにすら細かく書かれているような有名なこととしてである)。 [チャーチル一門の者が第二次世界大戦に際し重要な役割を果たすと予見]:ウィンストン・チャーチルが政治的に不遇の時期にあった際に右の如し予言をなしたことが驚異的なることとしてある。とした上で、ウェルズの人間離れしたところは右のチャーチル絡みの予言を"反対話法"としてなしたことである。次のよう形で。「1.チャーチル本人ではなくその息子が、2.大戦を終わらせるための宥和路線訴求スピーチを欧州全域に響くが如しの形で行うも、3.失敗する、とウェルズは予測した。が、現実には1.息子ではなく親のチャーチル本人が、2.戦時指導者として戦争を効率的かつ好戦的に主導し、3.その行いが後のヤルタ会談でのVサインの披露に見られるな形で奏功させた、と正反対の事態が現出した」。右のように[小説執筆時には日の目を見ずに終わると考えられていた政治屋]絡みの予言を大きくはあて、小さくはことごとく外すかのような形でなしたのは「結局は的外れだ」と軽んじるべきことではない。ウェルズは「大きく当て、小さなことで絶妙に外す」ことをやらされていた役者であるともとれるからである(その理由は「全部当てれば、すべてがやらせであることが露見するとの懸念があったのでは」という形ですでに述べている)。 [潜水艦から広範囲を狙い撃ちできる空飛ぶ魚雷が発射されるようになり、それが国家体制のありようも変えてしまうと予見]:ウェルズが1933年に問題とする書『世界はこうなる』を出した時点ではロケットは誕生して間もない技術であり、それを兵器化する試みもドイツ軍が目立たぬ形ではじめたばかりにすぎない。世界初の弾道ミサイルのV2ロケットが実戦投入されたのは1944年のことであり、そのかなり後だ。それにも関わらず、ウェルズが1933年の時点で後のICBMこと大陸間弾道ミサイルのようなものの出現を予見していた、より正確には「都市攻撃を想定して運用されていたSLBMこと潜水艦発射弾道ミサイルが重要な存在となり、それが戦争の有り様を変えてしまうと予見していた」ことは実に驚異的である(ウェルズは1914年の時点で[今日のSLBMが打ち乱れる事態がそれとイコールである核戦争]に言及していたことを忘れてはならない。[超一流の物理学者でさえ、その後、20年経っても「不可能事だ」と否定していたような核の工業的利用]について他の超一流の物理学者に[核兵器開発の可能性を閃かせたような話柄]で前言していた作品の中で核戦争に言及していたことを忘れてはならないのだ)。ナチスがウェルズの著作を参照していたとしかとれない形で射程僅か300km程度にすぎないV2ロケットの潜水艦発射を大戦末期、構想していたことに見るようにウェルズが兵器のアイディアを(核爆弾以外にも)提供していたとしか見えない側面を感じさせもすることとして、である。 [日中戦争において日本が中国側のゲリラ的抵抗によって敗北すると予見]:そもそも、である。ウェルズが『世界はこうなる』を執筆した1933年の段階では日本の侵攻領域は満州の周辺に限られていた。日本は1933年に国際連盟を脱退してはいるのだが、それは満州の領有権に絡んでのことである(すでに1932年の時点にて"5.15"事件で狂った人形の類が一国の首相を射殺してなお極刑を免れつつ、後に重用されることになるような狂った国、責任をとらぬ屑と表裏一体の国家破壊因子が権力をほしいままに出来る狂った国になりつつはあったが)。協定で満州事変が終息したのも1933年であり、1935年の時点では広田弘毅が「満州外中国との侵略なき相互強調」の演説をなしていたりもした。にもかからず、ウェルズは日本が中国と泥沼の戦争に突入し、かつ、泥沼のうちに敗北を喫するということまでも予見していたのである。これはウェルズの他予言の的中と併せて考えて大戦の発生から帰趨も事前に決せられていたことを臭わせもする(ただし、ウェルズは「日本とアメリカは洋上で一回、戦闘する」「共産主義勢力が日中両国を牛耳るがそれは長期的に見て過渡期の体制にすぎなかった ―半分は的中した―」などともしている。だが、それらは先に挙げてきたウェルズの化け物じみた先見性のどれをも否定しきれるものではない。また、大戦の根本的やらせ疑惑については私の自著にて懇切丁寧に解説しているので、気になる向きはそちらを読まれてもいいだろう)。 いかがであろうか。以上、箇条書き部の各点をよくお読みいただければ、H・G・ウェルズという男が i.まずもって、H・G・ウェルズ自身が ―先にも一言、言及したように― ほぼ確実にFreemasonである。かく言う根拠にはウェルズが The New World Order『新世界秩序』という題の論評を世に出していることもまたある。 ii.上に述べたことからウェルズはほぼ確実にフリーメーソンであると解されるが、彼の作品には[フリーメーソンがどう操作されているのか]ということに関する隠喩的な言及をなしたものが多く含まれる節がある。例えば、
The Stolen Body『盗まれた身体』や Star Begotten『問題を抱えた惑星』などの作品がそうであるととれる。 iii.ウェルズの作品にはフリーメーソンの飼い主が何なのかを考えたものが多々、含まれている。 iv.一見、上のiiとiiiを見るとウェルズは[限定的真相告発者]のようにも見える。それについては、無論、ウェルズがフリーメーソンながら[半分で闘う者]として真相を告発しようとしていた可能性もあるのだが、だが、私は『十中八九、そうではないのでは』と見ている(ウェルズのスタンスは本Webサイトでも頻繁に取り上げているデービッド・アイクという男、フリーメーソンの秘密を限定的にばらした男と異なるように見ている)。何故か。 iからivの各点を読まれれば、である。H・G・ウェルズのは予言は[フリーメーソンの神の悪しき言葉]として顕在化したものであるととれる理由がよくお分かりになられることかと思う(悪しき言葉、というのがポイントである。としつつ、述べるが、「役者に語らせしめる言葉だけではなく、フリーメーソンの神のフリをしている連中"自体"、脚本家達も全部かその実に多くが凄まじく邪悪な性質を有しているようだ」ともいえる。が、についてはここでは触れず、本Webサイト上の他所記述内容と本記事の行間に込めた拙意から判断していただきたい)。 以上、ここに至るまで書いてきた内容を通して次のようなことが言える。 「ウェルズが第二次世界大戦を予見しえたのも、核戦争を予見しえたのも(あるいは未了のこととして大量死の後の世界政府の樹立に言及していることを含めるべきかもしれない)、本記事前半部から触れていた Futility, or the Wreck of the Titan『無益なること』(換言すれば『タイタンの難破』)と同様、人の死と悲惨を伴った"予定"の問題ととれる」。 あとは各人がここに至るまで長々と書いてきたこと、 ※本記事本文にて述べたことの補足として写真を挙げておこう(精神性がないパロディ、御用メディアの人間「でさえ」追及可能な表層的な悪事追及に用いられるようなパロディの類を[飼い犬仕様のもの]として筆者は忌んでいるのであるも、ここでは確たる寓意を込めたパロディ/真なる悪を追求するためのパロディ ―見た目は下卑ているが― を本Webサイト本記事のために作成、挙げることとした)。 上の段の写真は敗れ去った人殺し達の写真である。左はムッソリーニ。右のちょび髭の男については解説は不要だろう。イカみたいなものは、そう、ドイツとイタリアを破壊した最悪の人形達の飼い主の象徴とでもしておこうか(イカみたいなものについては本記事冒頭に姿を持ち出した存在でもある)。 |
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