考えられる操作の手法について

 
 

プログラムに準拠して起こされる大事件。その隠喩的事前表明によって人形らを統制する手法

 まず最初に次のことをお含みいただきたい。

記事表題から考えれば、真っ先に述べなければならないのは2001年9月11日に起こった事件であると明言するに足る理由がある。が、911の事件については本Webサイト上の他所([問題意識の所在]と題したカテゴリ)にて十二分に論じつくしているので、ここ本記事では
[(911の事件と部分的に接合しはするも)911の事件とは別にプログラムに準拠して起こされた過去の大事件]
について専一に取り上げることとする。そうすることでこれから先も同様の事件が同様の背景から起こされうると訴求できるとの認識の下にである

  以上をもって前置きとし、次に挙げる図像群をご覧いただきたい。

 はタイタニック号の沈没前の写真となる(と言いつつも、部分的に意図をもって下手な合成をなしている写真だが)。はH・G・ウェルズの小説、『宇宙戦争』の中に掲載されているイラスト、船を襲う異星人の戦闘機械トライポッド(Tripod[三脚]の名を冠するマシーン)を描いたイラスト、著作権保護期間が超過したイラストである。
 と、ここで次のようなことを言う人もいるかもしれない。『タイタニックとわけのわからねぇ宇宙人小説のふざけた機械を合成した写真を挙げて何が言いたいんだよ。沈没で死んでしまった大勢の人に対して失礼じゃねぇのか』。が、はっきり言ってしまえば、である。「そのような木を見て(というより葉っぱの葉脈しか見ていない、か)、森を見ずの道徳論を唱える輩がいたら、そういった輩こそが愚かな言辞でもって犠牲者の死を完全に"無駄死に"にしている、度し難い阿呆である」と厳しくも述べつつ先を進めよう(一人突っ込みで語調荒くも熱くなりすぎたが、今日に至る人類史がかくの如きなっているのは主流のマスコミに右の如きことを口走る阿呆がたくさん登用されているからだ、と考えればこそ、熱くならざるをえない)。
 もっと言えば、
「H・G・ウェルズの小説のシュールな"マシーン"は犠牲者の死 ―タイタニックの沈没に限らず、911の犠牲者、そして、今日に至るまでなされ続けてきた遠大なやらせの犠牲者達の死― を無駄死ににしないために挙げたものだ」
としつつ先に進めよう。

 図像の抜粋意図に言及したところで最初に述べるべきは
[タイタニック沈没の"儀式"性]
である。タイタニックの沈没に関しては[儀式]として何年も前から計画されていた節がある、というより、計画されていた、と明言出来るような事情があるのである。

 そのように書くと『実に馬鹿げている』と思われる方もいることだろう。であるが、それは以下に挙げた事由、〔1〕〔4〕という順序で段階的に検討していただき事由から明言できることである。

〔1〕タイタニック沈没を露骨に予見したような小説がタイタニック沈没の10年以上前の1898年に書かれていた。その小説のタイトルは「総称して」 Futility, or the Wreck of the Titan『無益なること』(『タイタンの難破』)となる ―内容変更がなされている版も含めて、通例、まとめて、 Futility, or the Wreck of the Titanと表する― 。 小説のタイトル紹介部を見た時点で思うところがあって然るべきものだが、その中身となると、まさしく[豪華客船を沈没させることの予定の吐露]と言えるようなものとなっている。すなわち、「人類がそれまでに生み出した規模の中にあって最大級とも言える不沈船(Unsinkable)の異称を持つ船、タイタン(Titan)の名を冠した船が北大西洋にて氷山に激突、多数の犠牲者を出しながら沈没する」という小説の筋立てが現実のタイタニックの沈没とそっくりなのである。どうそっくりか、いま一つ分らないという方のために指摘するが、次のような点でそっくりなのである。

A.小説ではギリシャの巨人族、タイタンの名を冠する[タイタン]という船、最大級サイズの船が沈む ⇔ 現実には当時の世界で最大級サイズだった船、[タイタンの]を意味するタイタニックという豪華客船が沈んだ

B.小説のタイタンは不沈船とも言うべき設定のものだった ⇔ 現実のタイタニックの異称は不沈船だった(ただし、不沈船の異称には多少、誇大表現との側面があったことがネット上の英文情報にある)

C.小説ではタイタンは北大西洋上で氷塊に激突して沈む(その後、小説は氷上冒険譚にシフトするのだが、そのストーリーはどうでもよい) ⇔ 現実のタイタニックは北大西洋上で氷山に激突して沈んだ。無論、沈んだ場所、沈み方が小説と同様のものである

D.小説ではタイタンの事故とともに多数の人間が死ぬ ⇔ 現実のタイタニック沈没でも乗船者の大多数が死んだ

 無論、AからDのような一致性が偶然で生じる可能性は限りなくゼロに近い、ととらえるべきところだろう。

(※ちなみに筆者の手元にある情報では真偽確認が及ばなかった不分明な話であるため取り上げなかったが、一部[英文情報媒体]によると、
[最大乗客収容数の近似性(三千人とも)]/[氷山衝突事故の発生時期の近接性(共に4月とも)]/[氷山衝突箇所が船体側面であったこと]
などといった意味でも[現実との事故との類似性]が1898年小説にはあったと指摘されている(:ただし、そこまでの類似性が本当に存在しているかについては上のAからD、海外で検証されに検証されているようなことのようには保証できない。「後述するように」1898年小説には事故後の1912年に[より現実の事故との一致性を強めた書き直し版]が作成されているとの経緯があり、筆者には[1898年版]と[1912年版]の異動を現物に当たって確認する術が(古色蒼然とした[現物]を入手できないとの背景上、信頼できると判断した第三者情報を参考にする以外)「ない」からである)
 尚、数学系をはじめとした科学系読み物の著者にして懐疑主義標榜団体に属していた故マーティン・ガードナー( Martin Gardner ) ―和文ウィキペディア程度のものにも紹介頁が設けられている著書多数の人物― が小説の前言について「統計的には可能である」との意見を表明していたと英文諸種ウェブ媒体では紹介されているのでその点についても以下、付記・紹介しておく。
 職業的懐疑主義者として名にし負うマーティン・ガードナーによる[小説と現実の状況の一致性を科学的に説明しようとの立論]の論拠としてはおよそ次のようなことがオンライン上のまじめな英文サイトに挙げられている次第である。

「海洋小説に通じた作者ならば現実に近しい沈没シナリオの予測(氷山衝突による沈没などの予測)が立ったはずである」(:巨船を沈没させるのは氷山衝突ぐらいのものであるなどとも。現実のタイタニックは他客船と衝突事故を起こしそうになっていたりもするのだが、それでも巨船は沈まなかったとでもいうのだろうか)
「委細は公表されていなかったが、1892年9月刊行のニューヨーク・タイムズが報じていた(らしい)こととして、ホワイト・スター・ライン社が後のタイタニックの仕様を想起させるような巨船の建造計画のことを発表しており、その巨船の呼び名が[ジャイガンティックGigantic](「巨人の」との意味の言葉)となっていたこと、すなわち、[タイタンTitan(ギリシャに出てくる冥界の下部領域に放逐された巨人の神々)の名称]を想起させるものであることからして1898年にタイタンを登場させた小説家の着想の元を自然な流れで説明ができる」
(:現実のタイタニックの建設計画は1907年から1908年に策定されていたとされているが、そうした事実を脇に置いておいても、私個人は[ジャイガンティック]から[タイタン]の名称を着想することを自然な流れだとは思っていない。尚、Giganticジャイガンティックと表される巨船についてはタイタニック姉妹船となる二代目ブリタニック号( HMHS Britannic.1911工事着工。1914年進水)の初期名称もまた[ジャイガンティック]であったとされていることとも結びついているようにとれる)
 批判的見解紹介部はここまでとしておく。読み手の方々には以上のような懐疑主義者団体に属し数学系の読み物の著者としても知られていたマーティン・ガードナーのような[常識の守衛]の声にも耳を這わせつつ悟性でもって確率論から何が導き出せるか考えていただきたいものである)

 とにかくも、馬鹿げた一致性が小説と事後の事故の間に横たわっていることから、1898年の小説Futility『無益なること』についてはおよそ100年前の当時にあって
[史上最大級の海難事故であり史上最大級の客船の沈没事故でもある事故の発生が入念に予定されていたこと]
を指し示した作品として検討すべき側面がある(それにつきより細かき根拠を呈示しての話も直下なす)。

〔2〕上の〔1〕にて述べたこと、 Futility, or the Wreck of the Titan『無益なること』(『タイタンの難破』)と総称される小説が馬鹿げたぐらいに正確な記述を含んでいる件に関し、本記事執筆時の2010年下半期現在、日本語Wikipediaの[タイタニック]項目には次のようなことが書かれている。
the Wreck of the Titanという小説が事故を予言したものとされているが、事故後に書き直されていることが判明している
 そうした記述は、というより、それを書いた日本語を解する編集者は実に性質が悪い。何故、そうも述べるのか。

 第一に、2010年下半期現在、英文Wikipediaの[Titanic]項目にはそういう記述はない(「 Futility, or the Wreck of the Titanの粗筋と現実のタイタニックの沈没の一致性が現実の沈没事故の後の加筆による」との括っての記述はない)。というより、英文Wikipediaの Futility, or the Wreck of the Titanの項目にすら加筆によって[偶然の一致]が目立ってもたらされたという記述は現時ない(今後、改訂される可能性はあるが。尚、本稿初稿では手落ちゆえにきちんと筆者がカヴァーしきれていなかったこととして1898年版のタイトルの方がFutility『無益なること』と殊更に呼ばれもし(その1898年の版の方のオリジナル稿はネット上よりは入手できない)、1912年版のタイトルの方が The Wreck of the Titan『タイタンの沈没』と強調されてもいる。そして、それら1898年版と1912年版をまとめて、 Futility, or the Wreck of the Titan『無益なること』(換言すれば『タイタンの沈没』)と呼びならわす慣行がある)

 第二に、 Futility, or the Wreck of the Titan『無益なること』(『タイタンの難破』)には1898年出版の版と1912年以後の版があって後者にて現実の事故を受けての書き直しがあるのは[確たる事実]とされているが(ただしオンライン上に見受けられるのは1912年の版のみとなっており、[著作権表示が並行して付与されている1898年の版]の[現物]がオンライン上に見受けられないことに関しては少なからぬ人間が違和感を吐露しているようである、 その書き直しの結果、上の〔1〕(の中のA.からD)によって摘示した一致性のどれかを後付けで新たに付け加える類のことがなされたとのことは「ない」(と多くの人間の指摘から見てとれる)。 「書き直された部位は沈んだタイタンが現実のタイタニックに船体データ面でより近くもなるようなものにすぎない」とされているのである(※私がここにて呈示している情報もそうした情報らに依拠している ―それに関し、私がオンライン上の情報に担がれている可能性もあるにはあるが、その可能性は情報の複合考慮から小さい(先述の職業的懐疑論者にして数学者の故マーティン・・ガードナーまでが[AからDまでの要素を有した旧版]を検討しているからこそ今日まで論議が続いているのだと自然に解される)― )。

 以上のようなことをもって日本語Wikipediaの編集スタンスは性質悪きものと見え、かつ、 Futility, or the Wreck of the Titan『無益なること』(『タイタンの難破』)の前言の一致性の話は折り紙つきのものととれる(愚者の国、日本の外の世界、英語圏ではそういった一致性に"根拠なく"疑義を呈する者はいない、とも指摘しておく。尚、根拠を呈示しての異論がどういった性質のものなのかはオンライン上から確認できるマーティン・ガードナーの物言いの伝、「統計的にはありうる」との物言いの伝を当記事の先の段で紹介している)。 としつつ言うが、そういった馬鹿げた一致性の問題、予定の事前吐露と受け取られることはタイタニックの沈没に限られない。911の事件にも全くもって同じことがあてはまる911の事件の方については疑うことが不可能な「映像」コンテンツ上の事前予定吐露事例が多々ある。のうちの最たる一事例については続く〔3〕〔4〕にて触れる)。

〔3〕タイタニックの沈没前言小説と関わることとして、2001年の9月11日の事件発生、その前言映画に触れる(代表的なる前言映画の一作品だけ取りあげる)。『ファイト・クラブ』がその映画である。[同時多発テロ]などと"犬"に呼ばれる事件の二年前に封切られた同映画、完全に事件の前言になっているものだった本Webサイト上の[問題意識の所在]と題したカテゴリの中の[問題意識の所在―6―]というページにて詳述に詳述を重ねている。結論から言うと、映画『ファイト・クラブ』に垣間見れるメッセージ・象徴言語群と2年後の911の事件の間の一致性が[偶然の一致]として現れている可能性は天文学的に低い:くどいが、「一億分の一よりも低い」と言える程度で、だ。単純に初等数学で習う確率論"的なる"発想法に依拠してすぐにそう考えられることとして)。

〔4〕[上の〔3〕に見る911の事前予告映画]と[タイタニックの沈没前言小説]は次に述べるようなI-IIIの観点から"接合"している

I.双方とも、フリーメーソンによる犯行を「示唆する」との内容を有したものである(映画『ファイト・クラブ』に見る911前言とフリーメーソンの関係については[問題意識の所在]と題したカテゴリの中の[問題意識の所在―6―]というページ、直近にても参照先として挙げたページにて解説している。小説に見るタイタニック沈没前言とフリーメーソンの関係については同[問題意識の所在]カテゴリの中の[問題意識の所在―8―]というページにて解説している※ただし、それら該当頁の解説を完全に理解するには[問題意識の所在]と題したカテゴリの内容を冒頭から把握しておく必要がある)。

II.上のIにて述べたことを受けて言うが、何故、フリーメーソン達 ―自主性無き駒であるとの指摘もなされている者たち― がタイタニックを沈め、911の事件を起こした、と考えられるのか
 その答えは[タイタン]を一つのキーワードとしたプログラム、チェスの上の駒たるメーソンを動かすメーソンの飼い主のプログラムが背面で動いているからであると受け取られる。そのプログラムはこの分野における私の造語たる[アトラス・プログラム]とも言うべきものとなる(アトラスとは"タイタン"族に属する巨人だ。そして、911のあの事件はそのアトラスの象徴が秘教的にまぶされたものであると証せられもする)。
 より具体的には、[世界を支える負荷をおった巨人アトラス] をヘラクレス絡みの神話とは真逆に打ち倒すことで天が落ちてくるが如きの大災厄を現出させるというもの、[(その)前夜祭としての儀式的行為] をも包摂するとのプログラムが背面で動いていると具象論でもって述べることができる(馬鹿げた話と思われるだろう。だが、そう思われるのは当サイトで公開している論稿の検討を通じてそのプログラムの実在問題について判断いただいてからでも遅くはないとしておく。「同論稿は[問題意識の所在]という本Webサイト上のカテゴリで公開しており、また、PDF一括表記版もダウンロード可能にしている」と述べつつである)。

III.上のIIと表裏をなすこととして、である。911の事件もタイタニックの沈没も[入力値]まで似通ったものになるよう調整されていた節がある。
 については[両者共々、モルガン財閥絡みの不審さが色濃く出たものとして現れた]ということがある。モルガン財閥。[外交問題評議会]を通じて ―少なくとも前世紀までは― 米国を操っているなどとも"言われていた"財閥だが、その財閥がどうタイタニックに関わっていたか。どう911の事件に関わっていたのか。
 まずもって、タイタニックの事実上のオーナーがジョン・モルガン、モルガン財閥の創立者だったということがある。
 そのジョン・モルガンに関しては[タイタニックの沈没]を事前に知った上で乗船を拒否していた男だ、との陰謀論が今日でも時折、囁かれている。その伝での陰謀論の理屈付けが[保険金の詐取] ―正確に言うとモルガンに支配されていたホワイト・スター・ライン社、[五芒星を目にした蛇]といった社章を持つフリーメーソン的企業の保険金の詐取― だから陰謀論自体は「動機の解説の面で不正確である」と言えるが、とにかく、「モルガンは病気でもないのに乗船を拒否し、それが不審さを醸し出している」との話がタイタニックに伴っていることを押さえてほしい。
 対し、911の事件だが、モルガン財閥の中核企業(といっても金融詐欺の中枢企業でもあるが)たる投資銀行モルガン・スタンレー、現時、売上高が10兆円規模に達している同社がテナントとして従業員を集中配置していた階数に[ロボットのような存在が運転する飛行機]が突っ込んだにも関わらず、同社従業員はほとんど「死ななかった」ということがある。
 専門に雇われていた警備担当者リック・リスコーラが一機目の飛行機突入後、迅速な避難を促したとの話(リック・リスコーラ自身はビルの中で死んだとされ、それゆえ美談視されもしている)とワンセットのこととしてである。
 以上はタイタニックの沈没と[事情通と思しきモルガンの事前逃避]という形でつながる911の事件の本当の意味での事情通 ―ようするに蛇のような存在に人類を売った類ともとれる者達― が何をやっていたのか。それについては英文資料でもいろいろと興味深いものがあるので、真実を知りたく、かつ、英語を解する方々はそちらを当たられるのもよいだろう)。
 さらに、である。 Futility, or the Wreck of the Titan『無益なること』(『タイタンの難破』)の作者の名前はモルガン・ロバートソンだった。いいだろうか。ここでもモルガンが出てくるのである(事情通による事前の皮肉か、操り人形の飼い主が人形に決意を固めさせていたのか。そんなところではないか、と睨む)。
 さて、モルガン絡みのタイタニック沈没事件と911の事件の相関性を述べてきた上で言うが、
モルガン絡みの相関性は不審事全体の中の一要素でしかない。豪華客船沈没(往時の世界では史上最大クラスの客船)と貿易センタービル(完成時には史上、最も高かったビル)の倒壊の間にはニューヨークを介した根深い関係もある(それについては[問題意識の所在―8―]というページに解説している)。
 また、問題の本質が非人間的な"カネ"の凝集体と化してきている財閥などではなく、あくまでもフリーメーソンの駒などを利用しつつもの儀式であることを忘れてはならない

 非常に長くなってしまった。だが、上の〔1〕から〔4〕(うち〔4〕IからIIIで構成)を順々に読まれることで、タイタニックの沈没が911とも結びついた儀式、ようするに、[やらせ]であることは「一面で」お分かりいただけることか、と思う(「一面で」と敢えてしたのは本Webサイト上の参照箇所を読んだ上でないと多くを理解することは出来ないだろう、と判断したからである)。


※H・Gウェルズ小説『宇宙戦争』に登場する異星人の侵略マシーン、トライポッドを描いた[ウェルズ自身は難色を示していたとされるところの挿絵]。トライポッド、シュールな同マシーンは隠喩を込められて後の作家ジョン・クリストファー( John Christopher )の小説に登場させられていたように実に含蓄に富む存在となっている。


 ここで再度、本記事冒頭に挙げた写真の話に立ち戻る。その点、冒頭写真の抜粋意図はすでにほんの一言だけ述べているが(「犠牲者の死を無駄にしないために写真を挙げた」と述べた)、

 より具体的に、
 何故、タイタニック絡みで一見、ふざけているとも思える合成写真を挙げたのか。
 何故、タイタニックと小説、『宇宙戦争』のマシーン、Tripodことトライポッドが結びつくというのか。
 その説明をなす。

 に関しては、本Webサイト上の他記事を読まれるなどしてお分かりの方もおられると思うが、
「Tripodがこれぞまさしくフリーメーソンを皮肉ったもの、醜いおトモダチ関係でつながっている["一つ目"大好きの紐帯] ―日本の創価学会も国際的な一部の者達はその同盟者である― を皮肉ったものとなっている
ということもある。
同点については[赤き帽子に秘められた操作の比喩 ]との題の本Webサイト上の記事を参照されたい。その記事を通し、H・G・ウェルズとそれ以外の他の作家の使用例を併せて考えてトライポッドがフリーメーソンとその飼い主を皮肉ったものになっていることが分かるだろう)。

 だが、もっと重要なことがある。H・G・ウェルズが予言的なる作品 ―というより事前予定吐露を含んだような作品、か― を多々、遺していること。それが既述のタイタニック沈没事前言及小説、『無益なること』(換言すれば『タイタンの難破』)と同じ匂いを感じさせるのがH・G・ウェルズの小説登場キャラクター(トライポッド)とタイタニックの写真をつなげた主たる理由である(本記事のタイトルを確認していただきたい)。

 では、極めて意味深い作品を多々、発表してきたH・G・ウェルズはいかなる予言的なことを書いていたのか(あるいは書か「させられていた」のか、か。「させられた」と言うのは[預言・予言]などはまさに"操り人形の所業"だからだ)。下に箇条書き形式で挙げてみることとする(各箇条書き部はそれぞれかなり長くなると断わっておく)。

・H・G・ウェルズと言えば、である。まずもって、[核兵器の開発]を予言し、かつ、"促してい"たことが有名である。次に述べるような形で、である。

「ウェルズは The World Set Free『解放された世界』で早くも1914年に核兵器の登場、及び、最悪の核戦争の招来を予見していた(現実の核兵器開発の30年前)」

 そのような予見が可能だったのはウェルズが小説を執筆した時代には[放射性崩壊に伴い長年にわたって放出されるエネルギー総量が膨大になること]に一部の科学者が気づいていたがために、ウェルズがそういった科学者の気づきを小説の核兵器の原理に採用しえたからだ、ともされる(後にウェルズを称賛することとなる科学者フレデリック・ソディの[放射性崩壊に関する研究]をウェルズが参考にしたとされる。私個人としてはそこにいうフレデリック・ソディという男もウェルズと同様、[占いの霊](それ自体、最低の妄言文書たる『聖書』の日本語訳に出てくる言葉である)あるいは[世界操作手法を決する力]に取り憑かれていたようにしか見えないのだが。 ―フレデリック・ソディはニクソン・ショックで外為相場が変動相場制に移行するより遙か昔に変動為替相場に移行しないと[システム]が立ち行かなくなると前言していたからである― )。

 であるが、ウェルズが真に先見的 ―[革新的]とは言わない。自身でものを言っていないかもしれない人間を革新的だ、などと表したくはない― だったのはウェルズ小説が後の核兵器開発者達を触発せねば、核兵器開発は遙かに遅れていたと「常識論の世界でも」言われていることである。それについてはウェルズの『解放された世界』を物理学者・発明家のレオ・シラードが1932年に読み、そこから同ジラードが[核連鎖反応の実現]を"確信"せねば(言葉を換えれば、[膨大な核エネルギーの抽出方法]を"確信"せねば)、かつ、核兵器開発可能性につきアメリカに具申せねば、核兵器は今日の形のように人類史に現れていなかった、ということがある。

※頻繁に括弧内で補足をなしている中、さらに読みづらくなって恐縮だが、本カッコ内で[多少、長くなる補足]をなしておく。
 直近にて「ウェルズ小説をシラードが読まねば、核兵器開発が遅れたと常識論の世界では"される"」としたが、現実にはウェルズやシラードがいなくとも別の[役者]が別の理由付けで動いていただろうと考えられもする。ウェルズ小説から閃いたとされるレオ・ジラード ―日本への原爆投下に猛反対したとされるなど憎めない人間ではある― も
[代えが効く役者]
ではなかったか、と見るのである。
 何故、そのように述べるのか。
シラードという男は本Webサイト上の他所で述べている、
[CERNこと欧州原子核研究機構が"ゲート"を開いて人類を滅ぼしかねない行為に用いている加速器]
の誕生にも関わっている科学史上の頂点級の男でもある
のだが、彼の人脈を見ていると、日本の漫画界がトキワ荘を中心にした狭い人脈から発展したことに見るような不自然性の何十倍といった不自然性が伴い、シラードが「活躍」した特徴的なサークルの中あるいはその他の類似のサークルから[代用品]はいくらでも「調達」できたととらえられるからである
 具体的にはシラードがベルリン大学(往時はフリードリヒ・ヴィルヘルム大学)在学時代、アインシュタインに統計力学のゼミを受け持ってもらったとされることに絡み、その[狭い一大学のゼミ]に右シラードやアインシュタイン級の科学史上の頂点クラスの存在、今日の我々の科学文明の根本的基礎を造った学者の卵達が集まったのに[出来レースよろしくの不自然性を醸し出している]と見て取れるとのことがあるのである。ジョン・フォン・ノイマンもその一人だと言えば、科学史に多少なりとも詳しい人間はすぐにピンとくるはずである(またフォン・ノイマンの他にアインシュタインのベルリン大学でのゼミ出身者からは[ノーベル物理学賞受賞者]が[ハンガリー出身のユダヤ系としての出自]を共有しながらも何人も出ている) ―※ジョン・フォン・ノイマンをはじめとしたハンガリー出身の天才達はアメリカではあまりに人間離れした頭脳から[宇宙人の一団]と呼ばれていたと何かの本で読んだことがあるが、言ってみれば、[悪魔の頭脳]と表されたジョン・フォン・ノイマンのような男がいなければ、今日のコンピューター社会は常識的に考えて到来していなかったか、別の形のモノになっていた。尚、加速器ということに関して言えば、結果的にその[最終的発明者]と世間一般に評価されているのはレオ・シラードではなく、シラードらが属していたサークルの外側の米国で研究をやっていたアーネスト・ローレンスとなっているわけだが、同アーネスト・ローレンスの周囲からしてそれ相応の臭いがぷんぷん付き纏っていると指摘できもする― 
)。

 括弧内での補足が長くなってしまったが、とにかくも、である。ウェルズが核爆弾の開発の数十年前に核爆弾の出現を予言しウェルズの小説の後、20年経った後でもアーネスト・ラザフォードのような一流の科学者とて「核エネルギーの工業的利用は不可能だ」と述べていたことが日本語Wikipediaの[レオ・シラード]項目にも載せられていることに着目すべきだ)、なおかつ、その核爆弾を用いた飛行機による世界核戦争、そして、核兵器による大破壊に抗するための[世界統一政府]の樹立を1914年に小説のテーマにしていたというのは事実だ(ウェルズの小説の中での核爆弾の爆発の仕方は「何日もの間に渡って爆発し続ける」というものだが、それは放射能汚染のことを前言"させられていた"ものである可能性もある。また、後述するが、ウェルズはほぼ確実にフリーメーソン員であるため、"彼ら"流の用語、長年、使われてきた用語とされる[世界統一政府]という言葉を用いていたととれる)。
 そこに[人間離れした先見性]を見てとれると言ってしまって、何の差し障りがあるだろうか。

 本記事主題に関わる重要な補足

 ウェルズの原爆事前言及小説『解放された世界』につき取り上げたところで、英文Wikipedia ―和文のほうではない― にあっての[ Morgan Robertson ]項目(タイタニック沈没との絡みで問題視される1892年のFutilityと1912年の The Wreck of the Titanの著者にまつわる項目)をめぐる記述についてここで「意図して」取り上げる。

 英文Wikipediaの[ Morgan Robertson ]項目には
[小説家モルガン・ロバートソンの作品には(タイタニック関連で問題となる作品とはまた別に)[太平洋上で日本軍の奇襲が米国に対してなされるとの筋立ての小説]である Beyond the Spectrum『スペクトラムを超えて』という作品が存在している]
ということが記載されている。

 その点、問題となることとして、である。次のようなことがある。

  Futility,or the Wreck of the Titan (:1898年に刊行されたFutilityの改訂版を含む短編集としてあらためて1914年に刊行されたとされるもの。1912年に著されていたとされる The Wreck of the Titan を主題作として内包する短編集)の中に収録されているという短編 Beyond the Spectrum『スペクトラムを超えて』との題の小説が
ハワイとフィリピンの間にて米国籍の船らを日本軍が宣戦布告することなく急襲するとのあらすじ ―要するに30年近くのちの真珠湾奇襲を想起させるあらすじ― を有しているものであるだけでなく(ちなみに小説は後のサンフランシスコに対する日本軍の急襲が英雄的行為で防がれるとの粗筋をも有していると記載されている)、小説作中、日本軍が用いた[紫外線ライト]ultraviolet-searchlightとも。 Beyond the Spectrum『スペクトラムを超えて』の表題は同紫外線ライトからきているとされている)という兵器、相手を失明化させるための兵器の効果が原爆被害者に見受けられた被害状況 ―激しい熱による火傷― と似ている」
と指摘されている、とのことがある。

 さて、以上のような話については個人的には
『部分的に[虚偽]を含んでいる可能性もある』
と即時的にとらえもしていた。というのも、 Futility,or the Wreck of the Titanに収録されている The Wreck of the Titan ―有名なタイタニック沈没に対する前言小説の事故後書き直し版(1912年版)― については「この小説の筋立てはアンビリーバボルだね」と言われながらも出版拒否されてきたとの経緯が英文Wikipedia[ Morgan Robertson ]項目に記載されていたからである(:1914年に出版された Futility,or the Wreck of the Titanには The Wreck of the Titan が収録されていると解される形での記載が英文Wikipediaの[ Morgan Robertson ]項目にはなされているのと同時に、である ―対して、見たところFutilityの方は収録されていないとも受け取られる記載がなされている―  )
 その点、それを述べるのなら、 Beyond the Spectrum『スペクトラムを超えて』の粗筋の方が「アンビリーバボー」と受け取られるところだろう、と見もし ―19世紀末からくすぶる黄禍論のようなものの影響を観念したとしても、そして、日露戦争での勝利を観念したとしても、アメリカのような国を日本が急襲することになるなどとは(1914年という折には)それこそアンビリーバブルな話と述べられるところだろう、と見もしていた― 、であるから、事実関係の捏造が ―Wikipediaとの媒体に相応しく― なされている可能性「も」あるととらえもしたわけである(一群の嘘吐き共に私自身がたばかられている可能性「も」あると強くも受け取っていたわけである)。 が、直後、 Beyond the Spectrum『スペクトラムを超えて』という作品の現物PDF化文書の内容を検討してみて、そして、日本と米国の戦争は当時のフィクションで(本当かどうかは類例を押さえていないために判断しかねるが)よく見られた設定であるとのは注釈を参照してみて、 Beyond the Spectrumとの小説が上記の通りのあらすじで現実に刊行されているとのことが[事実]であると看做すに足ることであると知った。

 以上、述べたうえで、次のようなことが[熟慮して然るべきこと]になる、と強調したき次第である。

Futility,or the Wreck of the Titanという短編集 ―(現行、英文Wikipediaの〔 Morgan Robertson 〕項目ではない〔 Futility,or the Wreck of the Titan 〕項目の方には実に紛らわしいことに同 Futility,or the Wreck of the Titanが小説Futilityよろしく1898年に刊行されているとしかとれない記述とてなされているので惑わされないでいただきたい)― の刊行時期のことが問題になる。
 仮にその短編集としての初版が Beyond the Spectrum『スペクトラムを超えて』という作品をも含むものとして1914年に刊行されているとの話が完全に真正なものであるのなら、その刊行時期はウェルズの The World Set Free『解放された世界』の刊行年と[同一年](1914年)とのことになるからである The Wreck of the Titan自体の著作権表示は1912年となっている)
 その点、1914年に刊行されたウェルズの『解放された世界』と同年に刊行された作家作品、タイタニックの前言作品として有名なFutility(1898)の著者としても知られる作家のタイタニック前言小説書き直し版(1912年)絡みの短編集(1914年)に収録されている短編 Beyond the Spectrum『スペクトラムを超えて』が日本軍による真珠湾を想起させる粗筋を有しており(フィリピン・ハワイ間で日本軍が宣戦布告なしに米国籍の船体らを奇襲)、なおかつ、その小説表題と結びつく作中登場の紫外線ライトの使用効果が原爆の被害状況を想起させるものであると指摘されていることは
ウェルズの The World Set Free『解放された世界』の粗筋が原爆の登場を予見したもの ―日本軍の真珠湾奇襲に伴う太平洋戦争の結果、実戦投入されることになった兵器の登場を予見したものでもいい― と恐ろしく符合する
ゆえに問題になるのである」
(仮に原子爆弾の問題を加味しなくとも ―白内障のような失明をきたす病状や火傷は原爆(の放射線)によらなくとも紫外線によっても惹起されるとのことを顧慮して加味しなくとも― 事後の世界情勢を露骨に予見してみせた小説が同一年に出ていることが問題になる)

 事実関係が錯綜している中、ご理解いただくのは一難事かもしれないが、以上のことを(相応の人間が嘘ばかりをばらまいている和文ネット上ではなく利用人口が十倍に匹敵する[嘘吐きを忌むカルチャー]を持つ欧米圏に由来するネット上の英文情報を通じてよくよくも検証されたうえでも)ご理解いただければ、次のことがすとんと胸に落ちることか、と思う。

 ―当記事の続く内容にも関わることとして― 太平洋戦争からして遠大な予定通りに進められた、それ相応の結果を想定しながら予定通りに進められた一大イベントであると受け取られる](ちなみに予定の計画状況を示すために使われるのも所詮は人形、[生死さえ自分で決めることの出来ぬ人形]である可能性もある。問題小説を書いたモルガン・ロバートソンも時ならぬ最後を迎えている、しかも、儀式がかった形で時ならぬ最後を迎えているとのことがあるゆえに、である ―モルガン・ロバートソンは「アトランティックシティのホテルでのヨウ化水銀系の過剰摂取がもとで死んだ」とされているが、そもそも、(アトランティックシティに見る)アトランティックとはロバートソンの小説でのタイタンおよび現実のタイタニックが沈んだノースアトランティック(北大西洋)と親和性が高い名称だからである(私の見立てではより根本には古の神々タイタンの一群に含まれるアトラスの比喩があるとのことになるが)― )

 以上の帰結の是非を ―この後、どういう計画が控えているのかとの慮(おもんぱか)りと同時に― 検討していただくために作成したのが本記事であり、本サイトである。

・H・G・ウェルズには第二次世界大戦の勃発の仕方"をも"ほぼ正確に予言している、との側面もある。

 ウェルズは1933年 ―奇しくもナチスが政権をとった年であり、上掲のレオ・ジラードがウェルズの他著から着想を得た核反応を確たるものとして概念化した年だ― に世に出した The Shape of Things to Come『世界はこうなる』という作品で大戦の7年前にほぼ正確に大戦の始まり方を予言しているのである(「予言」は ―くどいが― 憑かれたような人間特有の兆候だと私は考えている。換言すれば、[予定]をフィクションにかこつけて操り人形が口にしているケースが実態だと考えている ―ただし、我々と異なる時間軸から物を見ることが出来る存在がいれば、介入して歴史を[予定]どおりに動かさなくとも未来を語らしめることは可能だろう。デービッド・アイクという男がその可能性を自著にて取り上げているように、である― )。

 では、具体的にどうウェルズは第二次大戦勃発過程を前言していたのか。次のような形で前言していたとのことがある。

第二次世界大戦の戦端は欧州のポーランド、ダンツィヒにてドイツ軍とポーランド軍の戦いによって開かれる

 詳しくはウェルズの『世界はこうなる』を手にとって確認いただきたいものだが(確認の手間を省きたい向きは英文Wikipedia[ The Shape of Things to Come 項目にあっての予見性につき扱った記述部をご覧になられるのもよいだろう)、 上はドイツ軍のポーランド侵攻時の最初の攻撃がダンツィヒの要塞に対する艦砲射撃であったこととほぼ一致している (⇒独軍は他所をその5分前に攻撃し、それでもって開戦の火蓋が切られたともいえるのだが、細かいことを気にすべきではない。何故なら、ドイツ軍のポーランド侵攻 ―第二次世界大戦の開戦― の大義名分はドイツがポーランドに対し第一次世界大戦時前の自国領土、"ダンツィヒ"の返還を求めたことにあるからである) 。

 その点、ウェルズの前言が化け物じみていると言えるのには第二次世界大戦の起こり方と原因をきっぱりと言い当てていたこともあるが、開戦の年をほぼ正確に言い当てていた、ということもある
 ウェルズは1940年の1月に戦端が開かれると1933年に述べているのだが、現実には1939年9月に戦端が開かれており、予想と実態の間にわずか4カ月の離隔しかないからだ。ここで良識人は『そんなことがあっていいはずがない』と思われるかもしれないが、現実にほぼ的中している予言がなされている。それは動かない事実である。

 ただ、一つ断わっておけば、ウェルズの第二次大戦開戦絡みの予言については常識論で処理されてしまう余地もあるにはある(それゆえ、今日まで大問題となっていないともとれる)。ウェルズの The Shape of Things to Come『世界はこうなる』がものされた1933年の時点でダンツィヒはヴェルサイユ条約でドイツから奪われた地、ドイツが返還を期して市政の変化を強く望んでいた都市であり、かねてより、後の闘争の根となると予測がつかなくもなかった都市である、ということがあるからである(ウェルズもダンツィヒをめぐる情勢について『世界はこうなる』で細かく述べている:私のような人間に言わせれば、ポーランド回廊/ダンツィヒが第一次大戦後ドイツから奪われたのは、はなから後の[闘争の根]にするつもりだった可能性もあるということになるが。110番を連想させるような1月10日という日付にて批准されたヴェルサイユ条約の第"11"節 ―SectionXI― でダンツィヒを国際連盟管理下の都市としてかつてのドイツ帝国から引き離したのは"11"にまつわる儀式だったとも考えられるからだ ―[何を言っているか分からない馬鹿げた話]ととられた方は本Webサイト上の[問題意識の所在]と題したカテゴリを最初から読んでみていただきたい―)。

 だが、再度の反駁(はんばく)として、ドイツはヴェルサイユ条約を1935年まで破棄していなかったことや(『解放された世界』刊行は1933年)、ウェルズの書が出された一年後にはドイツがドイツ・ポーランド不可侵条約を締結しているなど武力衝突が必ずしもすぐに生じうるものと観念出来なかった事情があるにもあった(従って、ウェルズの予言は予測とは言えぬ、神がかったものだと依然として言える。そも、ウェルズの『解放された世界』が世に出た年はナチスが政権をとり、ドイツを乗っ取る過渡期にすぎない)。

 また、ウェルズの開戦予言的中については開戦"後"の経緯を正確に言い当ててはいないので、そう例えば、「ウェルズは現実にはすぐに敗北したポーランドが何年も持ちこたえるとし、現実にはドイツとの開戦を選択した英国が中立を維持するなどとしていた」ことより、それ程、重要視すべきものではないという向きもあろうが、それについては次のような疑義を挟むべきであろう。
「全て正確に言い当ててしまったらば、[この世界の重要事の多く、あるいは、ほぼ全てがやらせである]との事実がまだ騙されている人間ら多くの人間にばれてしまうからではないか」右は911の事件のやり口でもう多くの人間が気づいて「しまっている」ことだが)。
 のような観点ゆえ、ウェルズは自身が属していたメーソンの立場から真実のすべてを述べなかったか、述べ"させられなかった"とも見受けられもし、不可解極まりない事態に変わりはないと見ている(私の自著で細かく解説していることだが、ナチスとメーソンは表向き対立関係を演出しつつ、深い関係にあった。ナチス自体もナチスの神秘思想自体もメーソン"製"のものだという形で、である(:ご存知なくは[メーソン関連人脈が設立したとのトゥーレ協会]と[DAPことドイツ労働者党]の関係についてお調べいただきたい)。 そういったことについてフリーメーソンとその身内の醜団体に飼われているような陰謀論者のような者達とは違い、私は"根拠主導型"で訴求しているとも断わっておく ―具体的根拠を前に陰謀論者と私をレッテル貼りしたい向きはそうすればよい。ただし、そうした輩は「事実に目を背ける宗教の徒と同じだ」と私としては歯牙にもかけないが―)。

・ウェルズは1933年に記された The Shape of Things to Come『世界はこうなる』で他にも次のような出来すぎた予見をなしている(多く英文Wikipediaにすら細かく書かれているような有名なこととしてである)。

[チャーチル一門の者が第二次世界大戦に際し重要な役割を果たすと予見]:ウィンストン・チャーチルが政治的に不遇の時期にあった際に右の如し予言をなしたことが驚異的なることとしてある。とした上で、ウェルズの人間離れしたところは右のチャーチル絡みの予言を"反対話法"としてなしたことである。次のよう形で。「1.チャーチル本人ではなくその息子が、2.大戦を終わらせるための宥和路線訴求スピーチを欧州全域に響くが如しの形で行うも、3.失敗する、とウェルズは予測した。が、現実には1.息子ではなく親のチャーチル本人が、2.戦時指導者として戦争を効率的かつ好戦的に主導し、3.その行いが後のヤルタ会談でのVサインの披露に見られるな形で奏功させた、と正反対の事態が現出した」。右のように[小説執筆時には日の目を見ずに終わると考えられていた政治屋]絡みの予言を大きくはあて、小さくはことごとく外すかのような形でなしたのは「結局は的外れだ」と軽んじるべきことではない。ウェルズは「大きく当て、小さなことで絶妙に外す」ことをやらされていた役者であるともとれるからである(その理由は「全部当てれば、すべてがやらせであることが露見するとの懸念があったのでは」という形ですでに述べている)。

[潜水艦から広範囲を狙い撃ちできる空飛ぶ魚雷が発射されるようになり、それが国家体制のありようも変えてしまうと予見]:ウェルズが1933年に問題とする書『世界はこうなる』を出した時点ではロケットは誕生して間もない技術であり、それを兵器化する試みもドイツ軍が目立たぬ形ではじめたばかりにすぎない。世界初の弾道ミサイルのV2ロケットが実戦投入されたのは1944年のことであり、そのかなり後だ。それにも関わらず、ウェルズが1933年の時点で後のICBMこと大陸間弾道ミサイルのようなものの出現を予見していた、より正確には「都市攻撃を想定して運用されていたSLBMこと潜水艦発射弾道ミサイルが重要な存在となり、それが戦争の有り様を変えてしまうと予見していた」ことは実に驚異的である(ウェルズは1914年の時点で[今日のSLBMが打ち乱れる事態がそれとイコールである核戦争]に言及していたことを忘れてはならない。[超一流の物理学者でさえ、その後、20年経っても「不可能事だ」と否定していたような核の工業的利用]について他の超一流の物理学者に[核兵器開発の可能性を閃かせたような話柄]で前言していた作品の中で核戦争に言及していたことを忘れてはならないのだ)。ナチスがウェルズの著作を参照していたとしかとれない形で射程僅か300km程度にすぎないV2ロケットの潜水艦発射を大戦末期、構想していたことに見るようにウェルズが兵器のアイディアを(核爆弾以外にも)提供していたとしか見えない側面を感じさせもすることとして、である。

[日中戦争において日本が中国側のゲリラ的抵抗によって敗北すると予見]:そもそも、である。ウェルズが『世界はこうなる』を執筆した1933年の段階では日本の侵攻領域は満州の周辺に限られていた。日本は1933年に国際連盟を脱退してはいるのだが、それは満州の領有権に絡んでのことである(すでに1932年の時点にて"5.15"事件で狂った人形の類が一国の首相を射殺してなお極刑を免れつつ、後に重用されることになるような狂った国、責任をとらぬ屑と表裏一体の国家破壊因子が権力をほしいままに出来る狂った国になりつつはあったが)。協定で満州事変が終息したのも1933年であり、1935年の時点では広田弘毅が「満州外中国との侵略なき相互強調」の演説をなしていたりもした。にもかからず、ウェルズは日本が中国と泥沼の戦争に突入し、かつ、泥沼のうちに敗北を喫するということまでも予見していたのである。これはウェルズの他予言の的中と併せて考えて大戦の発生から帰趨も事前に決せられていたことを臭わせもする(ただし、ウェルズは「日本とアメリカは洋上で一回、戦闘する」「共産主義勢力が日中両国を牛耳るがそれは長期的に見て過渡期の体制にすぎなかった ―半分は的中した―」などともしている。だが、それらは先に挙げてきたウェルズの化け物じみた先見性のどれをも否定しきれるものではない。また、大戦の根本的やらせ疑惑については私の自著にて懇切丁寧に解説しているので、気になる向きはそちらを読まれてもいいだろう)。

 いかがであろうか。以上、箇条書き部の各点をよくお読みいただければ、H・G・ウェルズという男が
[核戦争とワンセットになった世界政府の樹立を核利用技術の実現が絵空事とされた時代、いわんや、核兵器の開発など絵空事の絵空事だった時代(1914年)に予言したこと]の不可解さ
[第二次世界大戦の勃発の仕方や極東の戦局、そして、戦後の大陸間弾道ミサイルの運用のあり方までを戦前(1933年)に予言したこと]の不可解さ
を理解いただけるかと思う。
 そして、H・G・ウェルズのそうした予言は[フリーメーソン(を動かす力学)の背面に存する神(のフリをした者達)の悪しき言葉]として顕在化したものであるととれる。何故か。それについては以下のiからivの順でウェルズの特質に着目して考える必要がある。

i.まずもって、H・G・ウェルズ自身が ―先にも一言、言及したように― ほぼ確実にFreemasonである。かく言う根拠にはウェルズが The New World Order『新世界秩序』という題の論評を世に出していることもまたある。
 その点、[新世界秩序]とは[フリーメーソンが理想としている新世界]のことを指す[色がついた用語]だと多くの人間に認知されている今日、陰謀論者達に限らず欧米の多くの人間が[新世界秩序]を問題としているのにはそういう背景がある。については、新世界秩序という言葉を使う者は日本で「価値をつくる("つくる"を漢字で書きたくない程に実質の伴わなぬ言葉である)」などという言葉を多用する人間よりはるかにかぐわかしいと言えば、分かるだろうか)。
 だけではない。ウェルズは核戦争核の脅威を逃れるための[世界統一政府]が必要であるとしているのだが、新世界秩序と結びついた world governmentこと統一世界政府とは18世紀より語られるフリーメーソンの理念、アンドリュー・ラムゼイという男が語ったともいう「世界を一つの共和国にする」というフリーメーソンの理念そのものの発想法であるフリーメーソンの人形達が本当に"そのような馬鹿話" ―陰謀論者達に永年、さえずらせてきた馬鹿話― を信じているかは話が別である。メーソンがやってきたことと言えば、どこぞやの提携カルト団体がどこぞやの国でやったように多くの人間を心魂を抜くが如きやり方で腑抜けにしていったことであると解されるからである。
追記:英文Wikipediaの[ New World Order ( conspiracy theory ) ]項目([新世界秩序(陰謀論)]項目)に当記事で問題視したウェルズの新世界秩序観にウェルズ自身が後に疑念を提示するようになったこと、記載されだしている。当記事初稿執筆時には[ウェルズが新世界秩序ことニュー・ワールド・オーダー的なるものに肯定的な評価をなしていたこと]が英文Wikipediaの同項目([ニュー・ワールド・オーダー]項目)にもっぱらに記載されていたように記憶しているのだが、とにかくも、現行、[ウェルズは[新世界秩序]と題された論稿にあっても新世界秩序に否定的なことを述べるようになっていた]との記載が英語版Wikipedia上ではなされている(ウィキペディアの媒体性質より内容変転を見るかもしれないも)。それにつき、述べておきたいが、読み手は惑わされるべきではない。ウェルズが ―後、どういう変節を見せたかは別として― [かつて世界統一政府の有用性を是として鼓吹した者にして、なおかつ、化け物がかった態様での予言をなしていた者]であることには変わりはない
)。

ii.上に述べたことからウェルズはほぼ確実にフリーメーソンであると解されるが、彼の作品には[フリーメーソンがどう操作されているのか]ということに関する隠喩的な言及をなしたものが多く含まれる節がある。例えば、 The Stolen Body『盗まれた身体』や Star Begotten『問題を抱えた惑星』などの作品がそうであるととれる。
 ウェルズ小説『盗まれた身体』はアストラル・プレーンと呼ばれる"狭間の領域"に精神を飛ばしていた者が肉体を良からぬ存在に乗っ取られてしまうという筋立てのものなのだが、その普通に考えれば訳の分からぬ筋立ては18世紀に名声を博していた"フリーメーソン員の"神秘家、スウェデンボルグの[幽体離脱時の肉体乗っ取られ理論]と酷似した発想法に依拠しているものととれる。
 『問題を抱えた惑星』(おそらく未邦訳の作品)については、実に笑えぬ粗筋となっており、地球人が母星が危機に瀕した火星人によって[代替種族]として変異させられている可能性について論じたものとなっている(染色体に宇宙線を当てるというこれまたアレな設定で話が展開する)。
 と、ここまで話した上で人は思うかもしれない。
『スウェデンボルグとかいうフリーメーソン系神秘家の思想を拝借しているらしい時点でフリーメーソン的であるというのは分かる。が、何故、火星人に変異させられているなどというシュールな話も含めて、それがフリーメーソンの操作の問題に通じるというのか』。
 については
「今、現時点で欧米でフリーメーソンが何でもさせられるとんでもない連中になっているのは憑依されているが如きのメカニズムが働いているからである」
との異説が大変、物議を醸すものとして存在していることに触れる必要がある(欧米で特にそういった説が水面下、取り沙汰されている)。
 そうした異説が物議を醸している背景は[爬虫類人人類支配説の分析]という本Webサイト上の記事を読んでいただければ、分かるだろうと述べた上で、仮にそこにいう憑依説の内容が正しければ、だ。フリーメーソンの内面はこの地球上の多くの人間に課せられている以上の制約がかけられていることになる。
「幽体分離中に身体を乗っ取られちまった」「内面が火星人になっちまった」というぐらいにひどい形で、である。
 『何を馬鹿げていることを』と思うのは勝手である。だが、そのような馬鹿げた話とて一面で説得力を伴うことなのだ。それなりの背景あってのこととして、である (本Webサイト上の[赤き帽子に秘められた操作の比喩]という記事や私の公開した自著をまじめにお読みいただければ、その"それなりのこと"が何なのか分かるはずだ。ここでは際限なく脇に逸れてしまうことになりかねないのでその内容に言及しないが)。
 とにかくも、今、欧米で物議を醸している憑依と呼ばれる事象にまつわる異説、それも世の中に化け物がかった要素が認められるために説得力を伴う異説をウェルズの作品が先取りしている、「フリーメーソンがどう操作されているのか」ということに関する隠喩的なる言及をなしつつ先取りしている節があることは ―異説を容れるか容れないかは貴方次第だが― お分かりいただけたかと思う (異説が体系立って語られだしたのは前世紀末からである。ウェルズの作品は似たようなことをそれより一世紀も前にフィクションにかこつけて言及していた、ととれる)。

iii.ウェルズの作品にはフリーメーソンの飼い主が何なのかを考えたものが多々、含まれている。
 例えば、上に挙げた『宇宙戦争』に登場する火星人がそうである。彼ら、火星人は本記事冒頭に挙げたトライポッドという機械を駆って人間の掃討作戦を開始する存在として描かれるわけだが、そこに言うトライポッドがフリーメーソンの飼い主の比喩につながる存在となっているのである(そうも述べる理由については本Webサイト上の[赤き帽子に秘められた操作の比喩]という記事を参照のこと)。
 だけではない。ウェルズが『宇宙戦争』の前年、1897年に世に出した短編に『水晶の卵』という作品があるのだが、その作品で地球を水晶を介して別世界より我々の世界を覗く火星人もまたフリーメーソンの飼い主の比喩と"とれる"。
「フリーメーソン支配者の亜空間から覗く目がフリーメーソンの一つ目紋様の由来である」
との説が今、欧米で物議を醸す、そう、その説に触れた書名と著者名をポップ・シンガーが歌の中で持ち出すぐらいに物議を醸すだけのかぐわかしき側面がメーソンにはある ―例えば、フリーメーソン象徴体系にはこれぞ亜空間から覗いている目を描いているな、という印象を覚えさせるようなものがたくさんある―
 ためにそのようにとれるのである。

iv.一見、上のiiiiiを見るとウェルズは[限定的真相告発者]のようにも見える。それについては、無論、ウェルズがフリーメーソンながら[半分で闘う者]として真相を告発しようとしていた可能性もあるのだが、だが、私は『十中八九、そうではないのでは』と見ている(ウェルズのスタンスは本Webサイトでも頻繁に取り上げているデービッド・アイクという男、フリーメーソンの秘密を限定的にばらした男と異なるように見ている)。何故か。
 まず第一に、である。彼の[フリーメーソンが操られている方式]や[フリーメーソンの飼い主]に対する考察の流布手法は架空の物語にまぶし、心魂をとられてしまったが如き者にしか分からない形をとる。それは最奥の操作の問題を「所詮は超有名"フィクション"の話柄」として隠す意図と言われてしまっても文句の言えぬ[中途半端な手法]ととれなくもない。
 だが、そういった"弱さ"だけならウェルズに責められて然るべきといった側面は無いか、少ない。問題は第二に、である。ウェルズの思想にある種の邪悪さがつきまとうことである(ウェルズ個人は言わされていただけかもしれないが)。[大量死の後に生まれてくる統一世界政府を積極的に是認する考え][全ての人間が内面から等しき存在(平等に扱われるということ以前に"質的"に等しき存在)になることを是認する考え]などがその例である ―今の人間社会の現状を見れば、そういった考えを実現するために何がなされるか考えるだけで嫌気がする―。
 第三に、の話としてウェルズが災厄実現の予定を"現実に"吐露させられていたことがある(それが極めて重要である)。核の登場しかり、大戦の勃発しかり。
 上にて述べたことから、ウェルズは[半分で闘う者]として真相を告発しようとしていたというより、フリーメーソンの[魂が抜けきったようなエージェント]として多くの意味深い話をさせられていた類と見てとれる。
では、何故、ウェルズがそのようなことをさせられていたのか。フィクション化しての事実の曖昧化の意図、そう、「事実は小説より奇なり」を「奇なりは所詮、小説なり」にしてしまう意図や奴隷に限定的に真実をばらして愚弄してやろうという意図があった可能性もある ―限定的に真実をばらすことでなす愚弄と言えば、だ。[蛇の紋様にまつわる謎(二重螺旋構造篇)]という本Webサイト上の記事に細かい解説をなしているが、この世界ではルネサンス期の絵画にその数百年後に判明した[精子・卵子の構造]や[DNAの構造]が描かれているといった馬鹿げたこと、それも、処女懐胎の結果、生まれたなどとされる救世主を崇める妄言宗教、その主要伝導団体のシンボルに転用された節がある構図をまぶした絵画にてそういうことがなされているという馬鹿げたことが現実にある―。 あるいはより重要なこととして、そう、本記事で伝えたき主たる点に関ることとして要職にあるメーソンの操り人形達にフィクション経由でふざけた予定を事前に伝え、そういったやり口で一部の汚れ仕事をなす人間を萎縮させしめ、もって、統治・操作を円滑にしようという意図が介在している」と考えられもする)。

 iからivの各点を読まれれば、である。H・G・ウェルズのは予言は[フリーメーソンの神の悪しき言葉]として顕在化したものであるととれる理由がよくお分かりになられることかと思う(悪しき言葉、というのがポイントである。としつつ、述べるが、役者に語らせしめる言葉だけではなく、フリーメーソンの神のフリをしている連中"自体"、脚本家達も全部かその実に多くが凄まじく邪悪な性質を有しているようだともいえる。が、についてはここでは触れず、本Webサイト上の他所記述内容と本記事の行間に込めた拙意から判断していただきたい)。

 以上、ここに至るまで書いてきた内容を通して次のようなことが言える。

「ウェルズが第二次世界大戦を予見しえたのも、核戦争を予見しえたのも(あるいは未了のこととして大量死の後の世界政府の樹立に言及していることを含めるべきかもしれない)、本記事前半部から触れていた Futility, or the Wreck of the Titan『無益なること』(換言すれば『タイタンの難破』)と同様、人の死と悲惨を伴った"予定"の問題ととれる」

 あとは各人がここに至るまで長々と書いてきたこと、
[プログラムに準拠して起こされる大事件]
と題に含めた本記事で長々と書いてきたことについてよく考えていただければ、と思う。今、何がなされようとしているのか、脇をよく見つつ


本記事本文にて述べたことの補足として写真を挙げておこう(精神性がないパロディ、御用メディアの人間「でさえ」追及可能な表層的な悪事追及に用いられるようなパロディの類を[飼い犬仕様のもの]として筆者は忌んでいるのであるも、ここでは確たる寓意を込めたパロディ/真なる悪を追求するためのパロディ ―見た目は下卑ているが― を本Webサイト本記事のために作成、挙げることとした)。

 上の段の写真は敗れ去った人殺し達の写真である。左はムッソリーニ。右のちょび髭の男については解説は不要だろう。イカみたいなものは、そう、ドイツとイタリアを破壊した最悪の人形達の飼い主の象徴とでもしておこうか(イカみたいなものについては本記事冒頭に姿を持ち出した存在でもある)。
 下の段の写真は勝った人殺し達の写真である。より具体的には高等学校の歴史の教科書の多くが載せていると思われるヤルタ会談での写真である。中央に座る三人の男達が後の世界の枠組みを決めたとの"設定"になっている(現実にはイカみたいなもので象徴される存在に操られる組織、人形の集団が決め"させられている"と述べられもするわけだが)。その三人組、左からイギリス首相ウィンストン・チャーチル、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト、ソビエト連邦中央委員会書記長ヨシフ・スターリン(の影武者とも)となっている。 うち、ウィンストン・チャーチルとフランクリン・ルーズベルトは有名なフリーメーソンとなる([追記として]:両大戦にての連合国側(英米)の主導者としての立ち位置が与えられていた大統領フランクリン・ルーズヴェルトがメーソン員であったとのこと、そして、ウィンストン・チャーチルがメーソン員であったとのことについてはたかだか英文ウィキペディア項目程度のものやその他、オンライン上の媒体から確認できるところとなる。につき、ルーズベルトについては(目立つところとして英文Wikipedia List of Freemasons ]項目にて) Franklin Delano Roosevelt, U.S. President. Holland Lodge No. 8, New York.と表記され、チャーチルについては(同媒体同項目にて) Prime Minister of the United Kingdom, Studholme Alliance Lodge No. 1591, Rosemary Lodge No. 2851. (Note: The Churchill Society claims he resigned from his Lodges in 1912.)と表記されているところである ――その点、目立つところの媒体ウィキペディアについては誰でも編集できるとのその一事、文責の曖昧さから信用性に問題があり、また、その内容も有為転変としていて表記の通りの記載が残置しているかどうかすら請け合えないとのこともあるのだが、同文のことはその他、真っ当なる媒体からでも確認できるとのこと、申し述べておく―― )。  対し、ドイツのちょび髭に勝るとも劣らぬ虐殺執行人だったスターリンについてはメーソンだったとの表立った言説が中々、見受けられないも、イカを登場させた小説家、H・G・ウェルズとの対談をなし、それが文書化の上、世間に流布されたような男であった(意外だっただろうか。だが、事実だ。 Marxism VS Liberalism『マルクス主義対リベラリズム』と題されてまとめられた会見がそれである。の中で、ウェルズは紳士面して最もらしきことを口走っていた大量殺人鬼スターリン相手にこれまた紳士的に対応。「人の真価は富の多い少ないや階級により決まるわけではないはずです」といった概ね正しいことを口にしているのだが、そう、社会主義も自由主義も本質的なところは"やらせ"であることには決して触れぬ応対をなしていた)。
 さて、上掲の写真に見られる亡き人殺し達の飼い主はいま、ろくでもないことを企んでいる節が如実にある。そこで読み手に問いたいところである。それでいいのか、と

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