歴史。伝承。神話。人類の歩んできた足跡上に存在するエニグマ(謎) |
クリスマスと『黙示録』。その不気味極まりない相関関係本記事のテーマは上の表題にて掲げているように 「クリスマスことイエス・キリストの降誕祭と『黙示録』の(客観的にはきと指し示せるところの)関係性について論じる」 ことである。そのように言明した上でまずは極めて常識的なる話から始めるが、 そのような[プレゼントをもらう子供達のみならず大人達にも区切りとして重大な意味を持つ欧州のクリスマス]だが、何故、それが『黙示録』と関係していると述べるのか。よりにもよって、『黙示録』、新約聖書の最後部を飾る最低の預言文書にして 非常に長く、かつ、ややこしい話になるが、以下、その点につき万事、遺漏なく根拠主導方式で実証的に遺漏なく論じていくこととする(※)。 (※真実を知りたき読者の方々に、あるいは、私が正しく、かつ、論理的なことを述べているかどうか確認する必要を感じた方々にまずもって含んでおいてもらいたいのは以降の内容が「非常に長く」かつ「複雑に」なるということである。 それでは以下、本題に入るとし、最初に下に挙げた各図(および付してのそれらにまつわる解説)をご覧いただきたい。 上掲四図中の左上は15世紀末に描かれた[サトゥルヌス](Saturnus)というローマ由来の神の画となる(:往古の西ローマ帝国の時代も遠くなりし頃、15世紀に描かれた Leopoldi compilatio de astrorum scientia という古文献に収録の画となる)。 図の右上は円で囲って示したようにサトゥルヌスと相似形を呈する存在を描いたものである。より具体的には、[時の翁]( Father Time )と呼ばれる"比喩的存在"をヤン・サーンレダム( Jan Searnredam )というオランダの芸術家が17世紀初頭に描いたものである(:[時の翁]の描写を含むヤン・サーンレダムの上作品についてはその寓意性から[911の事件の儀式性を立証した本Webサイト上からダウンロード可能なPDF文書]のタイトルにも用いているが、それはここでは余談だ)。 次いで、図の左下。[ユールのヤギ]こと Yule Goat(ユールとはゲルマンの冬至の祭りのことだ)とも結び付けられていたクリスマスの伝統を受け継ぎヤギの上に乗る[クリスマスに来訪する老人]である。につき、[サンタクロース]という呼称を敢えて用いず、[クリスマスに来訪する老人]としたのには訳がある。欧米ではクリスマスに子供達にプレゼントを渡す老人を[サンタクロース]と呼称しない地域も多く、 Father Christmas、クリスマスのおじさん・クリスマスの老人といった他の呼称もたくさんあるがため、より包括的な呼称を用いたのである。 四図中の右下。悪魔の王、[サタン]を描いた近代画(画家ギュスターブ・ドレが『地獄篇』近代刊行版の挿絵として描いたとのもの)である。 ここまでの内容からして何やら、ごちゃごちゃしていて分かりづらいという方も多かろう。多かろうから、上掲図像群にて示される視覚的特徴を押さえた上で、なおかつ、次の点につき述べるのが当記事の趣意であること、把握しておいてもらいたい、としておく。 「 [土星神格化存在サトゥルナス](左上)とそれとほぼ同等の存在である[時の翁](右上)。及び、[サンタクロースとも称されるクリスマスの老人](左下)と[サタン](右下)。 それら全てが結びつきながらクリスマスに『黙示録』との接点があることを指し示すとの神話・伝承上のアイコンとなる」。 以上のように当記事で指し示す所存であることにつき述べた上で、話を進展させるためにもうひとつアイコン(象徴記号)となる存在を挙げておくことと。それは北欧神話の主神、オーディン(Odin)である。下の図をご覧いただきたい。 左は19世紀後半にて描かれた北欧神話主神オーディン ―隻眼の神― の画、伝承に見るオーディン似姿に基づいて作成された画である。右はオーディンが8本足の愛馬、スレイプニルに乗るさまを描いたゲルマンの遺物(レリーフ)よりの抜粋である。 ここでは上掲図に示されるオーディンの視覚的特徴 ―白ひげを豊かに蓄えているといった特徴― とオーディンの愛馬(スレイプニルと神話上呼称されるそれ)が8本足となっているとの[神話上の設定]を押さえておいていただきたい。 ここまででもってして[(当記事での論証を展開する上で)前提として挙げるべき存在]を挙げきった。 次いで、それら前提となる存在、そう、今まで挙げてきた[アイコン(象徴記号)となる存在ら]にアルファベットを振ってクリスマスの背後にある悪魔的比喩 ―『黙示録』との絡みでの比喩― について解説を講じることとする。 具体的には、である。下のA-Dのように振っての神話・伝承上のアイコンらの間の相関関係を論じることで真実につき訴えることとする。 A[サトゥルヌス]/[時の翁] [サトゥルヌス]/[時の翁]と[クリスマス来訪の老人]の関係について まず、A[サトゥルヌス]/[時の翁]とB[クリスマス来訪の老人]の関係について指摘することからはじめる。そこには下の箇条書き部 ― 点(・)で始まる各箇条書き ― によって示せるような相関関係がある。 ・サトゥルヌスとはローマ由来の異教神だと一言触れたが、そのサトゥルヌス、古代ローマではかなりメジャーな存在だった(とされる)。ローマではサトゥルヌス絡みの祝祭、サトゥルナリア祭が一週間もの期間、主従逆転風習(主人が奴隷に給仕する等)とワンセットになった乱痴気騒ぎを伴い催されていたと伝わるぐらいにである。 ・上の点(・)にて述べたことを顧慮したうえで述べるが、サトゥルナリアと結びつく存在、[サトゥルヌス](及び、それに姿が酷似した[時の翁])とサンタクロースなどとも呼ばれる[クリスマス来訪の老人]には無視出来ぬ共通点がある。 ・小さきことながら、クリスマス来訪の老人もサトゥルナスも[豊かに髭をたくわえた老人]として描かれる。 以上箇条書き部の内容をもってして [クリスマス来訪の老人]と[サタン]の関係について 次いで、B[クリスマス来訪の老人]とC[サタン]の関係についてである。下の箇条表記部各点をご覧いただきたい。 ・まずもって、サンタがサタンの"完全なるアナグラム" ―文字入れ替え言葉― になっているということがある(Santa‐ClausのSantaはアルファベットの順序を換えれば、Satanとなる)。それだけ述べる限りにおいては人によっては皮相な印象論と受け取るかもしれないが、まずもってその式からしてクリスマス来訪の老人と悪魔の王は結びつくように「調整」されていると考えることができる(サンタクロースなどという呼称が近現代に与えられた時点で[恣意的なること]と言える)。 ・サンタなどと呼称されるクリスマス来訪の老人は[赤い格好の存在]としてよく描かれる。それがコカコーラ社PRと結びつくというのは前後関係を履き違えた誤った俗説であると断じた上で述べるが、サタンの格好は[赤い竜]としても知られる。それにつき、個人的にはサンタのある種、奇抜な格好は幻覚キノコ[紅天狗茸](Amanaita-Muscaria。これに類したマッシュルームが「宗教を人に押しつける上で大変、重宝された」と主張する向きが欧米には一部おり、クリスマスを降誕祭として祝うキリスト教の秘教的聖体が同じくのキノコであるという説も部分的説得力を伴って存在)の外観に似ていると見てもいるが、すなわち、サンタ風体は[世界的に有名なテレビゲームでひげ面の男が摂取して巨大化するために用いるキノコ類似の特定種幻覚キノコ]の外観に似ているとも見てもいるのだが。 ――無論のこととして、といった話柄は「暴論も大概にしろ」ととられるものだが、キノコの話はともかくも、[赤い似姿と赤い竜の関係]についてはそれが何故、重んずべきものになるのか、当記事のこれよりの段にて合理的なる詳述をなしていく所存である―― 。 ・この話が重い。上にて堅い論拠に依拠して ・サンタクロースとも呼称されるクリスマス来訪の老人と密接に結びつくクリスマス・ツリー。実はその時点で悪魔的アイコン(サタンと結びつく象徴)が用いられていると解されるようになっている。下の図をご覧いただきたい。 左は19世紀末のフリーメーソン批判者 ―後、"やらせの者"と判明― のレオ・タキシル( Leo Taxil )、その男がらみのフリーメーソン攻撃宣伝ポスターに描かれたメーソンが崇めるとされる悪魔像[バフォメット]の似姿となる(同バフォメットの近代的なる典型的構図はFreemasonゆかりの人間だったともとれるエリファス・レヴィという男によって固まった)。 B([クリスマス来訪の老人])とC([サタン])の関係性についての話は取りあえずここまでとしておこう。私の無償公開著作などを読んでいないと、五芒星の話など、こじつけがましいと見る方も多かろうが、以上、述べてきたことは [本記事全体の内容と比較してみて、より一層、重みをなす話] と含んでいただいた上で先をお読みいただきたい。 [クリスマス来訪の老人]と[オーディン]の関係について B[クリスマス来訪の老人]とD[オーディン]の関係についてである。両者の間には下に箇条表記して挙げるような形で[明確な相関関係]が存在している。 ・実のことを言ってしまって、クリスマスに来訪する老人には[聖ニコラウス伝承由来の存在]といった側面だけではなく、[オーディン由来の存在]としての側面も色濃くある。英文Wikipedia程度の情報媒体にも載せられていることとして、である (英文Wikipediaの[ Santa Claus ]項目に(そして、和文Wikipediaの[サンタクロース]項目程度にも極部分的に)載せられている話となる ――(英文Wikipediaのサンタクロース項目から文言を引くとして Numerous parallels have been drawn between Santa Claus and the figure of Odin, a major god amongst the Germanic peoples prior to their Christianization. Since many of these elements are unrelated to Christianity, there are theories regarding the pagan origins of various customs of the holiday stemming from areas where the Germanic peoples were Christianized and retained elements of their indigenous traditions, surviving in various forms into modern depictions of Santa Claus. 「(大要(抄訳)として)サンタクロースと北欧神話の主神オーディンの間には多数のパラレリズム(類似性)が存する。それはおそらくゲルマンのキリスト教化に際しての異教的風習の習合に依るところと解される」 との記載の後にサンタクロースとオーディンの類似性の一例摘示がなされていたりする)―― )。 具体的には次のようなことが幅広くも指摘されていることとしてある。 「オーディンには冬至の際、[大空で狩りの祝祭を催すとの話]が伝わっている(:ゲルマン民族は冬至を[ユールの祭り]で祝していた。今日でも北欧では[クリスマス]ではなく、[ユール]との語が冬至の年末イベントを指す言葉になっているのはそのためである)。今日伝わる北欧神話の主たる出典、古エッダにも、より後の13世紀にスノッリ・ストゥルルソンにまとめられた散文エッダにもオーディンが8本足の馬、スレプニルで中空を舞う冬至の狩りの様子が描かれている、そういった確とした文献的根拠があることとしてである。それがまずもって、サンタクロースなどと呼ばれる老人がトナカイにソリを引かせることによって[冬至の空を飛行する話]と酷似している(サンタのトナカイは原初的な姿では Yule Goat、ゲルマンの祭りにつながる[ユールのヤギ]とされていた。については、悪魔を想起させもするヤギに乗ったサンタの絵を冒頭に挙げている)。 ・上に述べたことだけでも、[クリスマスおよびクリスマス来訪の老人]と[オーディン]が密接に結びつくことは一目瞭然だが、サンタのソリをひくトナカイの数が、だ。
19世紀初頭から8頭とされていたことが冗談抜きにオーディンのスレイプニルの足の数、8本とつながる。スレイプニルが8本足なのは有名な隻眼の神の愛馬の特徴である、上掲図レリーフに見ることが出来るような特徴であるとした上でつながる(サンタクロースのソリを引くトナカイの数が8頭だと明確に規定され出したのは19世紀初頭の A Visit from St.Nicholas.『サンタクロースが来た』からだ。私の見立てでは、その話をこさえたともされるコロンビア大学で古典を教えていたクレメント・クラーク・ムーア(
Clement Clarke Moore )などがオーディンのスレイプニルが8本足であることを知っていた上で二重話法をしこませたのだ、と見る。オーディンが魂を狩らせる存在であること/アメリカの象徴(国璽)がフリーメーソンに頻用される[三角形の中の一つ目類型のシンボル]と重なること、それが[オーディンの一つ目]とむすびつきうることをよく知った上で、だ)。 ・オーディンとクリスマスに来訪する老人は「視覚的にも接合する」。前に挙げた19世紀の絵画の中のオーディンの姿、流浪人たる老人に身をやつした形態でのオーディンの姿を見てほしい。そこには[白ヒゲを長々と垂らしているというオーディンの特徴]が実によく現れている。それは、白ヒゲを長々と垂らしているというのは我々が知るサンタクロースの際立った特徴でもあるというのは言うまでもないだろう。 長くなってしまったが、以上書いてきたことをもって[クリスマス来訪の老人]と[オーディン]の間には際立った相関関係がある、そう、Bクリスマス来訪の老人とDオーディンの間には 『そもそも、(先に述べた)[Bサンタクロースなどとも呼称するクリスマス来訪の老人とCサタンの相関関係]には多少、強引な要素もあるようだから、"無理がある"のでは?』 と考える向きもおられるかもしれない(私が[Bクリスマス来訪老人とCサンタの関係]についての従前の話で「こじつけがましくも、本記事全体の内容を検討することでより一層、重みをなす話である」と多少、控え目なことを書いたこともあるため)。 「オーディンが北欧神話上の最終戦争ラグナロクでの[決定論的敗者]としての立ち位置を与えられている一方、サタンもまた『黙示録』上での最終戦争ハルマゲドン ―ハルマゲドンは地名だが、最終戦争そのものを指す言葉ともなっている― での[決定論的敗者]の立ち位置を与えられている(北欧神話ではオーディンを始めた主要な神々が死ぬことを前提に話が進んでいる。他面、聖書の『黙示録』では赤い竜ことサタンが敗れることを預言している)」。 上のような形でC赤い竜ことサタンとDオーディンとの間には弱いながらも共通性があり、―繰り返すも― そのことがB≒Dから(BとCの相関関係を前提に)CとDの関係性を論じることも無理なからぬこととの考えを"側面から"支えている (また、述べておくが、オーディンは上位者への反乱をなした者でもある。すなわち、オーディンは原始の巨人ユミルに反逆し、世界の主催者になったと北欧神話が語り継ぐ存在である。 他面、サタンもまた[上位者である神に抗った元天使長]との設定が付された存在でもある ―オーディンの反乱は奏功し、サタンの反乱は地獄行きにつながっているわけであるが、神話的類似性の多重性の中ではそれは置いておいておく。また、際立ったこととして述べておくが、先にサンタクロースとの類似性を論じているサトゥルナスという神はクロノス(ゼウスの父神)の別名で知られており、そのクロヌスからして父神ウラヌスに背きそれを放逐した神として知られている― )。 さて、Dオーディンに伴うある種の要素は、だ。Cサタンに"直結"することではないが(ただし、間接的にはつながる)、 「オーディンは隻眼の存在だが、その隻眼(一つ目)がフリーメーソンが頻用する象徴、[三角形の中の一つ目]と関係していると述べられる。そのように述べる理由は複数あるが、ここで取り立てて問題視すべきこととしては、フリーメーソンが悪魔主義的なる映画 ―彼らの成員の手による映画― でオーディン・シンボルを[ピラミッドの中の一つ目]と併せて用いていた、ということがある。より具体的には"悪魔主義"的なフリーメーソン由来の映画『パルナサスの鏡』の中で[ピラミッドの中の一つ目]シンボルを額に刻まれたハリウッド・スターが[色々な意味でのオーディンシンボルにまみれた配役]を演じさせられていたということがある。 上にて言及したような["悪魔主義的映画"にまつわる"スター"の配役通りの死]が[フリーメーソンのシンボルとオーディンのシンボルを結びけるもの]として存在しているがゆえに、である。その式でフリーメーソンが[五芒星という悪魔主義的とされる象徴]を[ヤギ(ユール・ゴート)と結びつく存在、オーディンとほぼ同値の関係にあるクリスマスに来訪する老人]絡みのイベントにて飾られるツリー頂上部に悪魔主義的動機でもってまぶしたという見立て(上述の見立て)がより説得力を帯びたものになるのだ。 「サンタクロースこと[サタンを部分的にアナグラムとする呼称]で呼ばれる存在、クリスマス来訪の老人。その老人が同値をとるオーディンを介して(B≒Dの関係を介して)、蛇を実際に尊崇視することで有名なフリーメーソンが[蛇のカルト]として秘教的に崇めているともされるエデンの園の蛇ことサタン(C)と結びつく」 との論法が「より一層、強固なものになる」というわけである([BサンタとCサタンの関係性]が強化される、でもいい。そうなるとBサンタ≒Dオーディンを介して[CサタンとDオーディンの関係]を論じる見解もより説得力を帯びたものとなる:このややこしい話に鋭い方はこう突っ込むだろう。「オーディンが悪魔主義と結びつくとの話をした時点でCサタンとDオーディンの関係を論じているのでは」と。が、「映画に見る悪魔主義をサタン"自体"の属性と断じるには少し無理がある」との観点上、私はそういった論調をとらず、Bサンタ≒Dオーディンの関係を間に挟んで話を進めた。また、言っておくが、以上の話は結論が前提を補強するような詭弁の類、循環論法ではない。[フリーメーソン製の悪魔主義的なる映画とオーディンの関係]/[フリーメーソンの一つ目シンボルとオーディンの関係]という[循環の外から持ってきた補強材料]をもって論証を強化しているからである)。 [サトゥルヌス]/[時の翁]と[サタン]の関係について 話を切り替える。切り替え、A[サトゥルヌス]/[時の翁]とC[サタン]の関係性について論じることとする(D[オーディン]とA[サトゥルヌス]・[時の翁]の関係を論じることを先にすべきかとも思ったが、ここではAとCの関係を先に論じることとする)。サトゥルナス(時の翁)とサタンの間には以下に箇条表記するような関係が成立する。 ・(先にも多少、言及したこととして)つづりが似ている。サトゥルヌスはSaturnusと書くが、そこにはサタンの単語を構成するsとtとaとnの文字がすべて入っている。だけではない。サトゥルナスは土星ことサターンの名称起源になっているが、その土星のスペルはSaturnであり、響きもスペリングもよりサタンに近接したものとなる(流布された通説ではサタンことsatanの命名理由は今より2500年以上前に話されていたバビロンの言語、アラム語(Aramaic)の[敵対者]を意味する語、satanaに由来するとされるが、通説だけでものを見るべきではない)。これは土星サターンことサトゥルナスの祭りがクリスマスの起源になっていると言われもすること、そして、右にいうクリスマスにやってくる老人が(既述のとおり)サタンと結びつくことを複合顧慮して「あまりにも出来すぎている」と言える(ここまできて、まだ「偶然の一致だ」などと言う向きがあるのなら、次のうち、どちらかだろう。「内容を理解していないか」「宗教で狂わされているか」)。 ・(先にほんの少し言及したこととなるが)サトゥルナスは[自らを生んだ存在、あるいは、上位者に抗った存在]とも言える。サトゥルヌスはギリシャ神話におけるクロノス(ゼウスの父。時間の神のクロノスとはまた別の農耕神とされるが、その区別は時代が経つにつれ曖昧となっていった)に淵源を持つ存在とされるが、そこにいうクロノス、父たる天の神、ウラヌスに歯向かい追放した存在であるがためにそう言えるのである。他面、サタンは神に歯向ったという天界の天使、ルシファーだったという設定があり、上位者に歯向かったという点でクロノス=サトゥルナスと相通じるところがある存在である(ただし、サトゥルヌスと同様の起源をもつとされるクロノスはサタンと異なり始めから造物主に敗北したのではなく、一旦、勝ってから神話上でその報いを受けて倒されるとの設定になっている)。 ・サトゥルヌスと同一存在視されるクロノスをはじめとしたティターン神族、ギリシャ神話の古き神々はだ。ゼウス達、新しき神々との戦いに敗れて、地下の無間地獄、冥界の下にあるタルタロスに幽閉されたとされる。それは、である。サタンが神との戦いに敗れ、地獄に幽閉されたとされることと好対照をなす(ダンテの『神曲』などによるとルシファー=サタンは[地獄の最奥の場、地球内部の中心]に囚われているとの設定になっている。それはティターン親族が[冥界の下のタルタロス]に幽閉されたという話とつながる)。 ・サトゥルヌスはギリシャ版のクロノスとは異なり、ローマでは篤く崇拝されていた(とされる)。人々に法を教え、ワインの栽培方法を教えたなどとされ、[人類に知を与えた啓蒙者]とみなされていたからである。そのことは、である。サタンこと蛇にエデンの園の知恵の樹 ―クリスマス・ツリーの由来とも― を人間に与えた[人類に知を与えた啓蒙者] との説がつきまっていることと妙に話が符合する(クリスマス・ツリーが知恵の木に仮託されているとの説が存在し、そのクリスマスがサトゥルヌスの祭りと結びついていることも一致性の問題に拍車をかける)。 上もてAサトゥルナスとCサタンの間にも相関関係が成立していることがお分かりいただけただろう。 ※本記事は長い。ただでさえ詰め込みすぎているため、ここで頁を改めた方が良いだろう。真実を知りたい向きには下の右側の道を通って先を読みとかれることを勧める。 |
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