歴史。伝承。神話。人類の歩んできた足跡上に存在するエニグマ(謎)

 
 

マヤ遺跡たるチチェン・イッツァ。そして、チチュルブ・クレーターについて

 ここでは
中米はユカタン半島に存するチチュルブ・クレーター(チチュルブ・クレーターというのは[恐竜を絶滅させたと見られる巨大隕石の衝突の痕跡としての巨大クレーター]のことである)ユカタン半島で栄えたマヤ文明の遺構の奇怪な関係]
について取り上げる。その相似性の背後にあることが[我々の面前にある岩壁]の問題に通底することであろうととれる。そう述べるに足る根拠があるからである()。
(※のように声を大にして述べても見識ある大半の方には『神秘家/トンデモ論者の類が馬鹿げたことを書いているな』としか思われないだろうから ―オンライン上にはそうしたジャンクが(話芸の巧拙の違いこそあれ)大量に出回っているためにそのように思われて当然だろう― 次のようなことを強調しておきたい。「事後の内容、すなわち、[誰でもオンライン上ですぐに確認可能なことを根拠としている内容]が真たるものかご自身で裏をとっていただきたい。尚、私としては読み手をたばかるようなことは決してしていないと矜持に賭けて述べたき次第である」

 さて、(唐突とはなるが)、当サイト内では次のようなことを問題視している。

「事理に通じた一部の向きが問題視していることだが、とある映画が先に起こった911の事件を予見していた、とのことがある。具体的にはツインタワー(九一一の事件にて時間差を伴っての飛行機の突入を経て順次崩落していった双子の塔)の上階に風穴が開き、直後、タワーが瞬時崩壊するさまを1993年に描写していた、とのことがある」

 911の事件が起こることを事前描写していた映画は ―極めて重要となこととして― 多々存在しており、その類ばかりを集めた海外の告発者の手による動画もオンライン上に流通しているのだが、ここで問題とする上映画はそうした映画群のなかにあっての
SUPER MARIO BROS.『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』(1993)
という映画である。

 のような映画の事前描写が不可解なことについて端的には ―(「ためになしている」ところを)神秘家由来の情報媒体かと誤解を招きかねないようなタイトルだが 本サイト内の、

[CERNと「次元の扉」開閉の懸念(九一一にまつわる儀式性詳説X)](クリックにて遷移)

とのページに触れているとして「話を進める」(:[911の前言をなしている映画作品が存在しているということそのものが馬鹿げている]あるいは[前言がなされているという話には常識的な話から反論がなせるのではないか]とお考えになられた向きは上の参照先を読んだうえで、そして、当の映画のオンライン上から確認できる場面のチェックをなしたうえで続く内容を検討されることを推させていただく)

 「話を進める」としてまずもって問題としたきは次のようなことである。

「WTCでの悲劇を2001年のそれそっくりそのままの形態にて予見していた1993年の映画
SUPER MARIO BROS.『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』
は次の如くの粗筋を有したものであった。
隕石によって分断された恐竜人の世界と人間の世界を融合しようとの企みが恐竜人首領によって ―何故なのか「隕石の欠片をもって」との手法にて― 企図され実行に移された]。
 そのような粗筋から想起されることは
現実の世界で恐竜を滅亡させたとされる ―少なくとも通説では滅亡させたとされる― アステロイド(小惑星;巨大隕石)の衝突
である。
 そのアステロイド衝突跡地のことをいろいろと分析してみると奇怪なことが見えてくる」

 ただでさえ誤解を招きそうな話。の中にあって上のようなことを書くと『いよいよもって・・・・』と思われかねないかと嫌なのであるが、そこを強行軍で歩を進める。

 さて、(ここでまでの流れにて本記事冒頭部にて述べたこととのつながりが見えてきた、といった方もあろうかと思われるが)、恐竜を滅亡させる契機となった小惑星が落下したとされる場は
[南米はユカタン半島のチチュルブ・クレーター( chicxulub crater )と呼ばれる場]
となる。そこにいうチチュルブ・クレーター、冒頭から名を挙げたそれは地磁気の様相・鍾乳洞の分布状況などからして[恐竜を滅亡させた巨大なクレーター](の最有力候補とされるに至っている小惑星衝突後の落下痕跡)と20世紀後半期(1978年以後)、同定・捕捉されるに至ったものだが ―そして最近では直径10キロメートルを超える隕石が落ちたときのものとされるに至っているものだが― 、同クレーターと近接している場に
[著名な遺跡]
が存在している。

 それがチチェン・イッツァというマヤ文明の遺構である。

 ここで次のことをまずもって押さえておいていただきたい。

「チチェン・イッツァという遺跡は際立って爬虫類の類(なかんずく蛇)と結びつく。滅したアメリカ大陸の旧文明自体が本然としてそういうものでもあるのだが、際立って爬虫類の類と結びつく。細かくは下の図解部を参照されたいが、そこ(チチェン・イッツァ内)にて存在している遺物群が極めて精緻な形での爬虫類の類(なかんずく蛇)への崇拝意図を表しているのである」(※)

付記:脇に無用に逸れているように見えるかもしれないも、後の内容に関わる付記をなす。
 遺跡チチェン・イッツァ Chichen Itzaを遺した文明であるマヤ文明。
 同マヤ文明、焼畑農業での地力減退に付随する一定サイクルでの都市の放棄(偽りをこととする連中は民族・文明自体の突然失踪などと鼓吹したりする)を繰り返し彼らの従前ライフスタイルの継続を許容しなかったスペインの到来まで有為転変の中にあったともされる同マヤ文明で主神クラスの存在として崇められていた神に[イツァムナー]という神がいた。そのイツァムナーItzamna、創造神であり穀物の発明者ともされる同神については[外貌からして蛇やイグアナと結びつけられる神格である]との見立てもあったようなのだが、もっといえば、同神(イツァムナー)は[語源からして爬虫類の類と結びついていた神であった]との説もある(正確には「そういう説もあった」)。
 一昔前の学究は[イグアナの家]がマヤの有力神たるイツァムナーの語源であるとの説を唱導していた、というのである。
 となれば、そう、イツァムナー語源が[イグアナの家]にあるとの説が正しければ、遺跡チチェン・イッツァはその名称だけで爬虫類と「自然に」結びつくものであると解釈すべきだったかもしれない。すなわち、マヤで有力な神の名であるItzamnaItzaがマヤ語で[イグアナ]を意味し、Itzamnaは[トカゲの家](lizard-house)を意味しているという説(現時にあって棄却abandonedの憂き目を見ているという説)が正鵠を射ている(いた)のなら、極めて似た語感のマヤの遺跡チチェン・イッツァ Chichen Itzaも「その名称からして」爬虫類と自然に結びつくものであると言っても差し障りないと見られていたかもしれない。 
 が、神の名であるイツァムナーが[イグアナの家]を指す言葉であるとの学説は現時、容れられないものとなっているらしく、それに代わり、[itzは生物から流れる液質上のものであるのでイツァムナーはそれに関係ある言葉ではないのか]といった見解や[itzamは魔術(sorcerer)を意味する言葉であるからそちら絡みの名ではないか]といった見解が出されており、(神格izamnaの語源について)、定見がないとのことになっている ―少なくともオンライン上から確認可能な最新の情報によれば、だ― 。
 マヤ神話体系にあっての有力神イツァムナー語源解釈が変遷しているという話から離れて、だ。遺跡チチェン・イッツァ自体についてもその名称は同遺跡の建設者たる民の後裔、イツァ族(Itza-people)、「現存する」民族集団たる同イツァ族の民族名に由来するとされており ―ただし彼らが話してきたイツァ語は死語となりつつあるようである― 、同イツァ族にいうイツァ(Itza)が[魔法をかけられた水]という語となり彼らイッツァ族の言葉でチチェン・イッツァとは mouth of the well of the Itza[イッツァの井戸の口]すなわち[魔法の水を湛えた井戸の口]という意味となるようであるから(通説にあってはそうなるようであるから)、チチェン・イッツァの名前だけをもって遺跡が爬虫類と結びつくとまでは述べることもできない
 以上、細かくもなったが、[チチェン・イッツァという遺構の名称 ―征服者スペインの言葉、スペイン語の影響も受けているだろう名称― 自体が爬虫類の類と結びついていると(無責任にも)述べているのではないこと]/[遺跡が爬虫類の類と結びつくとするのはその内容物との兼ね合いであること]、ここにては強調したかったわけである。尚、私の見立てではチチェン・イッツァが直近既述のように[魔法の水を湛えた井戸の口]と結びつく言葉であるとされていることも ―残酷さと愚弄が表出しているという意味で― 酷きこととなるのだが、については、本記事の後の段にて詳述する)

チチェン・イッツァが蛇を中心とする爬虫類と結びつくことを指し示すべくもの図解

(上列の写真)中米はユカタン半島に存在するチチェン・イッツァを19世紀末、欧米の発掘者らが探査していた折の写真となる ―今より130年ほど前の写真。往時にあっては著名な学者とされ、のち、[ムー大陸がらみの理論に固執するトンデモ学者]との至当なる評価を受けることになった者にしてフリーメーソンでもあったとされるオーガスタス・ル・プロンジョン(他分野から考古学の世界の入った人物)の発掘隊を写した写真となる― 。見て明らかなように多量の蛇の石像が発掘者らの下に転がっている。
(下段左の地図と下段右の写真)マヤ文明の遺構チチェン・イッツァの遺跡配置を指し示す鳥瞰図とその鳥瞰図に見る(よく知られた遺跡たる)[ククルカン神殿(Kukulcan-temple)]。ククルカン神殿がその崇拝のために設けられたものであるところの[ククルカン]という神、同神はマヤ文明と同様、現メキシコ領内メキシコ高原に栄えたお隣のアステカ文明にあってのケツァルコアトルの[質的同等物]であった。それはケツァルコアトルがそうであるように(写真に見る神殿が祭っていた)ククルカンも[羽毛の生えた蛇の神]というべき存在であったことを意味している ―※尚、ククルカンを崇めていたマヤ文明やケツァルコアトルを崇めていたアステカ文明は総称してのメソアメリカ文明の系譜を継ぐ近縁の文明といえる。現在のペルー界隈に拠ったインカ帝国に見る南米圏の文明がアンデス文明に属するのに対して、である― 

 以上紹介したうえで問題となることは次のようなことである。

・ククルカン ―人類を創始した羽毛が生えた蛇の神とも右の神が降臨した者とされた祭司の名前であるとも語られる存在― に対する崇拝はイッツァ族の本拠、すなわち、遺跡チチェン・イッツァで中心的にとりおこなわれていた、とされる。それによってチチェン・イッツァが爬虫類の類と[濃厚に結びつく地]であるとの物言いが適切なるものであるとの側面が強まる。

・チチェン・イッツァには最も目立つククルカンの神殿以外に他にも蛇やトカゲと結びつく象徴が多々ある(東南アジアの遺構アンコールワットがそうであるように、である)。近年、修復されたという神殿にXtoloc(シュトロック)、マヤ語で[イグアナ]という語が付されることとなったように遺跡は蛇やトカゲを想起させるシンボリズムで溢れ、たとえば、オサリオ(Ossario/納骨堂。19世紀の発掘時、地中に通じる穴より人骨が出土)と呼称される壇上ピラミッドでも階段の手すりに蛇が彫刻され ―それはククルカンのピラミッドの際立った特徴でもある― 、戦士の神殿(Temple-of-the-Warriors)と呼称される神殿には蛇の着ぐるみをかぶったように蛇の口から人の顔が覗いている像 ―真意を考えると実に気色の悪い像だが― が据え置かれていたり、生贄儀式と繋がっていたとされる球技場やその他の神殿内のレリーフなど蛇が彫りこまれている事例には枚挙に暇がない。といったことからもチチェン・イッツァの爬虫類との結びつきがより濃厚に浮かび上がってくる。

・チチェン・イッツァには非常に高度な技術、残酷な生贄儀式にかかわずらっていた文明由来のものとは思えぬ高度な技術が用いられている。それにつき言ってしまえば、チチェン・イッツァを包摂するマヤ文明が偏執的な拘りをもって編み出したとされるマヤ暦もそうしたものなのだが、ククルカン神殿に天体現象との兼ね合いで実に凝った仕掛けが採用されているのである。春分/秋分の折 ―要するに一年にあって昼と夜の長さがほぼ同じになる日である―、 チチェン・イッツァで最も目立つランドマーク、羽毛を生やした蛇の神ククルカンの神殿に据えられた階段にあって[階段下段に設けられた蛇の頭部の像]に向けて階段手すりに丁度、蛇が蛇行するような影が浮かびあがるとの仕様となっているのだ ―下の図を参照のこと― 。チチェン・イッツァには春分点や夏至・冬至を観測するための天文台も備え付けられていたと判明しているわけだが、のような蛇(爬虫類)に対するこだわりは本記事主題と密接に結びつく。

春分と秋分の折、ククルカン神殿に蛇行する蛇が浮かび上がるの図。そうしたことを実現するには高度な天文知識を要するのは論を俣たない。

 さて、直近、図解部を通じチチェン・イッツァが爬虫類の類 ―なかんずく蛇の類― と濃厚に結びつくことを指し示したうえで本記事の主題に通じる話に舵を切る。

 下の図をご覧いただきたい。

 図は[世界地図におけるユカタン半島の位置]、そして、ユカタン半島内におけるチチュルブ・クレーター(今より6500万年前、白亜紀末の恐竜絶滅につながった小惑星衝突痕とされるクレーター)とチチェン・イッツァの位置を指し示したものである(:尚、爆心地を取り巻く円の脇にChicxulubと書いてあるのはチチュルブ(チクシュルーブ)・クレーターの発見と範囲の同定の上で重要となった地、チクシュルーブ村の所在地となる)
 チチェン・イッツァとチチュルブ・クレーターが近しい位置にあることが上をもってお分かりいただけるだろう(:ただし、である。近しいと言っても ―手前が地図の縮尺を見た限り― 隕石落下の爆心地(と考えられている地点)とチチェン・イッツァの間には「200km近い距離がある」のも事実だ。そのように述べると、『およそ200kmだと?それは断じて近しくはないだろうが』ととらえる向きもあるかもしれないが、のような観点は当を得たものではないと述べておく。「10km超ともされる隕石衝突によって瞬間的なる影響を被った地点 ―今日にまで衝突の痕跡をしのばせる円内の箇所― の境界線とチチェン・イッツァの距離となると数十キロメートル ―30km前後か― まで距離は縮まり、コースの設定によっては[東京都内を直線距離で横断できないような距離]程度の離隔しか隕石跡地とチチェン・イッツァの間にはないことになってしまうとのことがあり」、そして、―すぐに後述するような― 「チチェン・イッツァと隕石落下地との間には深くも問題とすべき地形的関係がある」とのことがあるのだ)

 次いで下の図をご覧いただきたい。

 

 図は
チチェン・イッツァの中の特定部と小惑星(アステロイド/巨大隕石)の落下痕跡が密接に結びついていること
を指し示したものとなる。
 図にCenotes(Sinkholes)と書いてあるだろう。その点、[セノーテ](Cenoteというのは
[小惑星の落下地帯の痕跡ともなっている地下水を湛えた穴]
のことである。
 小惑星が落下した後、永き時をかけて、自然がその跡地に[石灰石よりなる水を貯め込む穴]を用意したとされるのである ―ユカタン半島のセノーテの分布状況は地磁気の状況などと並び小惑星の落下痕の範囲を特定するための材料にされた― 。

 さて、そのセノーテは ―飲料水供給元との側面を超えて― チチェン・イッツァにあっては[人身御供を捧げる場]として機能した。マヤ文明を学ぶ歴史家の間にて知らぬ者なき程に有名な人間の生贄を放り込むためのセノーテがチチェン・イッツァには存在しているのである([聖なるセノーテ]ことSagrado-Cenoteとして知られるものがそれにあたる)。セノーテに放り込まれる人間は時に溺死せずに引き上げられてセノーテ内で見たものから吉兆を占う予言者としての役割を果たしたとされるが、その委細はこうである。
「セノーテは死後の世界 ―あるいは来世― かつ神の世界に通じる門であるとされていた。それもあって、神(多くはマヤにおける[鱗をもった雨の神たるチャックChaac神])への伺い立て ―天候にまつわる請願や天候にまつわる予測の聴取― のためにそこに落とされる方(溺死させられる方)と落とす方(殺人を犯す方)の間にある程度の合意ができていた(というのが通説視される)状況であった」)。

(※メソアメリカ文明に属するマヤ文明やアステカ文明にあっては神に請願する/天候状況を期待するものへと改変するための祈りをなすために凄惨な生贄儀式が日常茶飯事的に行われていたのはよく知られることである ―なかんずくアステカの[太陽を消滅させないために行われた生贄儀式]については実に醜悪なものであったこと(心臓をまだ動いている状況で生贄から取り出すなど)がスペイン征服者らの仄聞として今日に伝わり有名である― 。そのような人身御供の儀に比してセノーテの儀式はやり方として穏やかなものであるように見えるが、ときに水死体にされてしまう方は ―妄信に狂って合意のうえであったとしても― ある種の犠牲者であったことは言うまでもない。なお、[巨大な水たまり]を用いての殺人儀式の伝承はスペインの征服後も失伝することなく今日に伝えられていたものであるようで、宣教師が書き記していたその伝承に触発された考古学者、19から20世紀初頭にあって名を馳せた考古学者エドワード・トンプソン Edward Herbert Thompsonが伝承真偽を確かめるべく人身御供の言い伝えがあるチチェン・イッツァのセノーテに決死のダイビングを敢行、生贄に供された者たちの人骨群と彼らとともに捧げられた供物を発見したとされる ―それがチチェン・イッツァのセノーテが有名となった経緯でもある― )

 チチェン・イッツァのセノーテに関し問題視すべきととらえることはうえにとどまらず次のようなこともある。

・20世紀に伝承が真実であることが証され耳目をさらった[生贄の儀のためのセノーテ]の他にもチチェン・イッツァにはセノーテが存在しており、そのセノーテは Xtoloc Cenoteと呼ばれている。シュトロック・セノーテ。すなわち、[イグアナのセノーテ]となる。命名には発掘者らの思考法も介在していると思われるが、のような命名がなされたのにはそれなりの背景があるようにとれる。

・本記事の先の段にあって ―付記という形にて、であるが― 言及したことを繰り返す。チチェン・イッツァという名前は
[魔法の水を湛えた井戸の口]
という意味合いの言葉となる。
 チチェン・イッツァを興した民の末裔にあたるイツァ族のイツァ(Itza)が[魔法をかけられた水]という語となり、かつ、彼らイッツァ族の言葉でチチェン・イッツァが mouth of the well of the Itza[イッツァの井戸の口]となることより、チチェン・イッツァとは[魔法の水を湛えた井戸の口]という意味となる、というわけである。
 ここで考えなければいけないだろう。
 およそ6500万年前、白亜紀末に巨大隕石が落下したできた地球の傷痕。地球を人体にたとえた場合、銃弾で撃たれて出来上がった四肢の「小さき」弾痕となるものであり、後に起こった状況(多量の出血やそれに伴う身体機能の低下)は含まないといったものであるそのような「小さき」傷跡にて[傷痕に起因する地形の形態 ―石灰岩の地層に水が湛えられているとのセノーテの形態― より命名されていた宗教センターたるチチェン・イッツァ]で
[生者の世界と死者の世界を分かつ境界線にして鱗を持った神の世界と人界を分かつ境界線と定置されていた穴]に人間が放り込まれ殺されていた
という意味を、だ。

 チチュルブ・クレーターを生じさせるような小惑星の衝突によって見方によっては2億年近くの期間 ―中生代の三畳紀から白亜紀にかけての期間― にあって地球を席捲していたとされる恐竜が滅びることとなったというのが通説だが、瞬間的にも大量の恐竜を殺し、その後の影響 ―地球規模の大火災による生態系の変化/隕石衝突に起因する塵によっての日光を遮断しての寒冷化誘発― によって恐竜を絶滅させたという事件が起こったその現場、そこにて
[恐竜を想起させる爬虫類に近接する神々]
を異常に凝ったやり方 ―たとえば春分/秋分にあってのククルカンのピラミッドにおける影が蛇行して生じるといった演出を伴ったやりかた― にて崇める者たちによって隕石跡地のセノーテが[あの世と神の世界につながる途]とされ、その場へと神(鱗をもった神と描写されるチャック神)に伺いを立てる ―天候を占うあるいは天候改変を願う― ため生贄が投ぜられていた、というその意味を考えなければならないだろう。

 さて、私は本記事冒頭で次のようなことを ―繰り返しとなるが― 述べている。

 こともあろうにWTCでの悲劇を2001年の有様そっくりそのままに事前描写して見せていた1993年の映画 SUPER MARIO BROS.『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』 ―額面は著名なテレビゲームを原作とするナンセンスな児童向け映画であるが、のようなものであるからといって、重篤な比喩が含まれていないとのことにはならない― は次のような粗筋を有したものであった。
[隕石によって分断された恐竜人の世界と人間の世界を融合しようとの企みが恐竜人の首領によって企図され実行に移された]。

 もう何が言いたいかお分かりになられている方も多いだろう。が、結論は容れられないという方が過半であろうから、以下、I.II.と振っての話をなす

I. マヤ文明のククルカンという神、宗教センターのチチェン・イッツァにあっての中心的モニュメントであるククルカンのピラミッドにて祀られていたククルカンはアステカ文明のケツァルコアトル(羽毛を生やした蛇の神)の[質的同等物]である。
 そのケツァルコアトルを崇めていたアステカ、残酷な人身御供の儀の実行が統治機構の役割として確立されていたそのアステカではよく知られた預言 ―というより妄信体系か― が重要視されていた。文明を授けた神とされるケツァルコアトルが[一の葦(アシ)の年]に帰還するという伝承が重んじられていた、というのだ ―尚、ケツァルコアトルは人身御供の儀を忌む慈悲深き神であったなどとも伝わるが私はそんな話は信じていない。直下にて記述するように[予言に基づくケツァルコアトルの来臨]が実際は天然痘の猩獗(しょうけつ。隆盛)による破滅的事態だったという事情があること、そして、ケツァルコアトルの亜種のククルカンを崇めたてまつる神殿を中心としたチチェン・イッツァで何が行われてきたかは書いてきた通りであるがゆえに、である― 。
 (繰り返すが)ケツァルコアトルは[一の葦の年]( the year Ce Acatl )に帰還するとされていたわけだが、その[一の葦の年]に1519年という年が該当していたがため、同年にスペインからの征服者エルナン・コルテスがアステカ支配領域に本格進出を開始し年内にアステカ首都テノチティトランに進出するに到った際、アステカ皇帝は彼を[正当な統治者]として推戴する意向を見せ、そうした格好で現地勢力の[征服者(コンキスタドール)らの征服活動 ―地勢理解と同盟勢力の確保― ]に対する対応が後手に回り、(スペイン側にとって)「騙し討ちもよく奏功し」「会戦でも勝つ」状況とあいなったというのである。結果、現地民の文明は ―悪しきものであったとはいえ― 完全破壊されることとなった、原住民人口が征服者が大陸から新大陸に持ち込んだ天然痘の隆盛などで壊滅規模の減少をみる中にあって完全破壊されることになった。
 以上は預言の反対成就という観点でも実に[できすぎていること]である()。

(※補足として尚、上にて記したことと結びつく長らくも通説視されてきた歴史観 ―[ケツァルコアトルの帰還とコンキスタドール(スペイン勢)の到来が現地民に同一のものとして受けとられたとの話に重きを置く歴史観]― には異論を差し挟む向きが近年になって出てきてもいるという ―英語版の方のWikipediaにもはきとそう書かれている― 。たとえば、 Matthew Restallといった毛並みがよい ―権威と看做されうる― ラテンアメリカ史を専門とする学究らが次のようなことを主張しているという。
「ケツァルコアトルとコルテスの結びつきを論じる歴史的資料はすべてスペイン由来のものである ―征服によって現地文明の記録の焼却が横行した中にあっての批判だが、とにかくも、スペイン由来のものであるというところか― 。たとえば、アステカを征服したエルナン・コルテス本人がスペイン君主カール五世に送った書簡内の記述だとかそういうものである。
 だけではなく、(英文wikipediaに記載されているところによれば)、コルテスが現人神(あらひとがみ)と看做されたとする記録のその実に多くは征服完了後、数十年を経てから作成されたものであり、アステカ皇帝がコルテスを統治者として推戴したという記録も誤解釈の余地あるものとなる。かつ、仮にそれら記録の内容が事実でもそれはアステカ皇帝の ―現地の有職故実(マナー体系)のありようを受けての― 来訪者を慮っての丁重さの表出にすぎなかったととれる」
 その点、上のような説(コルテスとケツァルコアトルが来訪直後の一時期にあって同一視されていたという史観に異議を投げかけるといった説)の支持者の裾野は次第に拡大してきており、主要説におさまらんといった勢いでもあるという。
 以上、言及しつつも、思うところを語れば、だ。私は『[コルテスが預言の一の葦の年に帰還したケツァルコアトルの化身と看做されていたとの記録]については ―征服活動をなした側の記録とはいえ― 伝承改竄がなされる必要もなきところのものであり(:この方面に関しては北米アステカならぬ南米インカにあってのケツァルコアトルに似た文化の接受者としての神格ビラコチャが[顎鬚を生やした白人]として伝わっていたなどという胡散臭い話がてんてこもりであるため伝承の組織的改竄の可能性も否定しきれないが)、実際に改竄はなされておらず、コルテスがケツァルコアトルの化身として来臨 ―実際には来寇だが― したという妄信が初期、現地の統治者らにあったというのは史実であったのだろう』と見ている。が、仮にそうした見立て、広く受け入れられてきた史観のとおりの見立てが誤っており(征服活動を通じて形作られていった虚偽の歴史的記録に振り回されている見立てであった)としても、それは ―本記事で問題としたきこととの絡みでは― 大きくは問題にならないことであると考えている。多くの人間たちが語り継いできた[1519年という数値レベルでの現地伝承との一致性]の話の信憑性は薄れはするが、救いを与える蛇の神が来臨するという言い伝えが ―何所に由来するかは議論が分かれるところだが― 後付けででも伝わっており、によって、もたらされた結果が現実には破滅的事態 ―スペイン人が持ち込んだ[原住民が免疫を持たぬ天然痘の大流行による人口の激減](説によっては数十分の一を残して原住民は死んでいった)と[原住民の奴隷化]― 、伝わるところと正反対の破滅的事態であったという史実に何ら異動はなく、そこに実に悪辣な反対話法のにおいがつきまとうことに何ら異動はないからだ

II. ここにて当サイト他所にて訴求している内容を受けもして本記事の核となることを ―長くもなるが― 書く
 マヤ文明。アステカ文明。インカ文明。高校で世界史を学んだ向きならご記憶の方も多かろうが、それら新大陸アメリカにて栄えていた文明はすべてスペインよりの征服者(コンキスタドール)に滅ぼされた文明である。
 としたうえで述べるが、メソアメリカ文明・インカ文明に引導を渡したスペインの現在の国旗は下にて示したとおりのものである(同国旗の歴史は浅いも ―重要なこととして― 歴年、用いられてきた国旗・国章にも同様のシンボリズムが見て取れることになっている)。

 二本の柱が描かれているのがお分かりだろう。それらはジブラルタル海峡 ―地中海と太平洋を隔てる海峡― の呼称として古代より用いられてきた[ヘラクレスの柱]の象徴物である(:ギリシャ神話の英雄ヘラクレスが彼の航海の途上、大西洋と地中海の海峡部に柱を作った ―ローマ時代の伝承によれば「アトラス山脈で分かたれていた地中海と大西洋を怪力で山地を粉々にし海峡そのものを作り出した」などともされる― との故事にあやかってジブラルタル海峡はヘラクレスの柱とされるのだ)。
 そのヘラクレスの柱のスペイン国旗(および国章)にあっての長年にわたっての使用が問題になる以下述べるような事情、―(初見の人間には唐突きわまりない点をいくつも含むが)― A.からI.の流れにて指し示すような事情があるからだ

A. 本記事冒頭にて私は次のような[事実]を指摘した。
「二〇〇一年九月一一日にて起こったワールド・トレード・センターにあっての惨劇の発生を露骨に予見しての描写を含むサブカルチャー作品が幾作もある」(そのなかで本記事は『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』に着目している)。
 そうもした[事実] ―海外情報に強き動画サイトでそうした数多のサブカルチャー内の映像を切り取って集めた動画も公開されている― が示すように事前に発生することが明言されていた九一一の事件。同事件については
崩落した二つの塔 ―ツインタワー― がヘラクレスの柱に仮託されていたという事情
が存在している()。
(※当サイト内の[呪われた世界とプログラム拘束の魂ら(九一一にまつわる儀式性詳説I)] ―クリックすることで遷移可能― にて始まる一連の各頁内容を読み進めていく過程で[ツインタワー⇔ヘラクレスの柱]となると私が述べる理由をご理解いただけるはずである。[九一一の発生を露骨に前言していた映画内での描写]や[フリーメーソン(の前身団体)の立役者ともされる哲学者の著名古典]などをひとところに結節させるものとしての視覚的根拠が存在しているとご理解いただけるはずである)


B. 直近、
崩落した二つの塔 ―ツインタワー― がヘラクレスの柱に仮託されていたという事情
があると述べたが、九一一の事件というのはヘラクレスの柱が登場するヘラクレスの計12回にのぼる冒険 ―[ヘラクレスの一二の功業]として知られる欧州では有名な冒険である― のうちの11番目の冒険と密接にかかわっていた事件「でも」ある。推論でも何でもなく断定できることとして、である()。
(※ヘラクレスの11番目の冒険に登場する[黄金の林檎]の比喩が九一一の発生を予告した際立った小説 ―欧米にあっては多くの人間が名前だけは知っている有名な小説(当サイト内でも詳しく紹介している小説)― の中で頻繁に持ち出されていることなど「も」その根拠となるが、多角的に11という数値と結びつけられていた九一一の事件で標的にされたニューヨークという都市がヘラクレスの11番目の冒険と深くも結びつくようにされている、とのことが重要な根拠となる。尚、九一一がヘラクレスの功業と結びついていると摘示する人間は欧米圏にあっても(よく知っていて、あるいは、気づいていてだんまりを決め込んでいる人間はそれこそ数万/数十万といそうだが)絶無に近しいほどにいない。欧米圏でも五指を要さぬ程度にしかいない。対し、私は ―臆病者達を横目に― 事実に重きを置いた[立証]に注力することとした。誰一人、[立証]を試みようとしない(「科学的に摘示するところとしての異論なくもの真実のみが我々を救える」のに試みようとしない)ところを、だ)


C. 上のB
九一一の事件がヘラクレスの第11番目の冒険に接合しているとの根拠がある
と述べたが ―その根拠の中身について詳しくは当サイト内の他所解説部をご覧いただきたい― 、ヘラクレスの11番目の冒険に登場してきた存在に巨人アトラスがいる。そのアトラスはアトランティスという言葉と結びついている。ギリシャ神話で天界を支える役割を背負われた巨人アトラスの娘らをもってアトランティスと呼称する用法があり( Daughter of Atlas ⇔ Atlantis とする用法があり)、かつ、プラトンがその古典で伝える伝説上のアトランティスの王の名がアトラスとされていることなどもそのように述べる理由となる()。
(※一応、述べておくが、「沈んだ大陸アトランティスについて云々するのはまともな部類ではない」との見解が有識者らにあることは ―目的に応じて[誤解を恐れずにの話]をなすのにもやぶさかではない人間と自認するところの身ながら― 私とてよく理解している。宇宙人を意味する英単語エクステレストリアルについての話が[Eワードではじまる奇人・変人特有のお話]と看做されるようにアトランティスについての話が[Aワードではじまる奇人・変人特有のお話](あるいは『神々の指紋』の著者とされるグラハム・ハンコックのように一見それらしくも見えるも間違いだらけの話を展開する厚顔無恥の輩由来のお話)と看做す風潮がある、きちんとした書物をひととおりきちんと読んでいる学のある人間には当然の前提としてある、とのことはよく理解しているのである。が、『常識を理論と理論を支える誰が見ても容易に確認できる根拠によって打破しなければ我々の存続はないのではないか』との観点が ―当サイトの内容を真摯にお読みいただければよくよくもご理解できようかと期待するような事情あって― 私の中にはあり、敢えても[Aワードではじまる奇人・変人特有のお話]に踏み込んでいるのである ―尚、『映画のなかで九一一の前言が何たらとぬかしている時点でこの男の話はそれ相応のものととえられる』と(当然としての)想いを抱いた方は現実に証拠にあたってみればよい。インターネット上に異論を許さない動画情報もたくさん転がっており、その気になれば、すぐに確認できるはずである― )


D. ここに至るまでのA.からC.の内容を一言でまとめる。
九一一の事件はヘラクレスの11番目の冒険と結びついておりヘラクレスの11番目の冒険は巨人アトラスと結びつく。そして、そこにいう巨人アトラスとはアトランティスと密接に結びつく存在である」。
 以上の要約を踏まえ述べるが、
実はアメリカ大陸を伝説の大陸アトランティスの質的等価物と看做す風潮があり、かつ、その風潮を支えるだけの歴史的根拠がある
 著名な17世紀成立の古典や16世紀末期成立の地図内の巨人の描写なども含めて根拠となることはすべて当サイト内の詳説部にて細かくも記しているので知り理解する必要を感じた向き ―私の見立てでは知り理解する必要があるのは我々人類全員だが― はそちらをあたっていただきたいが、[現存のアメリカ大陸]が[伝説上沈んだ大陸とされるアトランティス]の質的等価物と看做す風潮があるのである(いいだろうか。アメリカ=アトランティスと言っているのではなく、そのように「看做す」風潮が[質的等価物に関すること]としてあるということが重要なのだ)。


E. ヘラクレスの10番目の冒険に登場するシンボルたるヘラクレスの柱 ―遠望するとアラビア数字の11にもなるようにとれる象徴物― を掲げる国家、スペイン王国は1492年、レコンキスタ(イベリア半島からイスラム系王朝を放逐する過程であったレコンキスタは[失地回復]と訳せる)を成し遂げた。そのレコンキスタの完了後にあたる1492年、そう、ポルトガルから後援を受けたヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ最南端の喜望峰を通過しインドへの活路を見出す5年前、スペインはヘラクレスの柱の先の大海 ―アトラスの名を冠するアトランティック・オーシャンこと大西洋― へ延々と進む(まさしく神話のヘラレクスばりの)[歴史を変えることとなった航海]を後押しした。スペインはレコンキスタ完遂の年にあたる1492年にコロンブスの提案を容れ、1492年、コロンブスによって太平洋の先の陸地の発見とあいなったわけである。また、コロンブスのアメリカ到達後、行われたアメリカ大陸 ―アトラスと結びつくアトランティスと(歴史的背景あって)質的等価物と看做しうる大陸― への侵略・植民活動。その最先鋒に立ったコンキスタドールらを後援していたのもすべからくスペインであった(漸次的にスペインならぬポルトガルの植民地となっていったブラジルはコンキスタドレースの暴力的侵略に曝されたとは言い難い)。


F. レコンキスタ(失地回復)を完遂したスペイン王国。そのスペイン王国の標語、国章にも描かれている標語はPlus Ultra(プルス・ウルトラ)]とのラテン語文句である同[プルス・ウルトラ]もまたヘラクレスと結びつく言葉だ。コロンブスがアメリカ大陸に到達したしばらく後になってカール5世(欧州屈指の権門ハプスブルクの人間としてスペイン王統を継いだ君主。カルロス一世でもある)が自己のモットーとしていた同文句をスペイン王国標語に変えるように注力しスペイン国標語となったプルス・ウルトラというのは元を辿れば[伝承にてヘラクレスの柱に刻まれていたとされる文句]なのである。正確にはプルス・ウルトラに「否定の接頭語ををつけた」 Nec Plus Ultraという言葉がヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)に[この先には何もない]とのニュアンスで船乗りへの警告の意味合いで刻まれていたと伝承にあるところをカール一世がそこより否定の接頭語を取り去りスペイン国標語としたというのである ―(国の標語となったプルス・ウルトラがコンキスタドールおよびコンキスタドレースを支える国是の美化によく用いられるに至った)― 。
 言わんとしていることはスペインの新大陸侵出は思想的にギリシャ神話のヘラクレス(正確にはヘラクレスが打ち立てたヘラクレスの柱)と結びついていたということだ。
 そして、のようなことは上のC.と振った段 ―尚、ここでの話はF.の段の話となる― にてなした話、スペインが進出対象とした新大陸アメリカがヘラクレスが11番目の冒険でかかわった巨人アトラス(ひいてはアトランティス)とかかわるという話とも結びついていると自然に解釈できる。ヘラクレスが10番目の冒険で打ち立てた柱と密接に結びつく国がヘラクレス11番目の冒険にて登場の巨人と結びつく地(アメリカ=アトランティス)を征服していったという意味で、である。


G. では、アメリカへの進出と濃厚にも結びつくギリシャの英雄ヘラクレスとは何者なのか。一言で言えば、[メデューサの子孫などにあたる蛇の眷族]退治で名高い[メデューサ殺しのペルセウスの子孫]である。羅列すれば、ヘラクレスは次のような蛇の眷族を屠(ほふ)っている。
[系図上、メデューサの孫にあたる討伐対象として]⇒ヒドラ(九の頭をもつ大蛇)/ケルベロス(蛇のたてがみと蛇の尻尾をもった三つ首の地獄の番犬)/オルトロス(ケルベロスの兄弟。双頭の蛇を尾を持つ番犬)/ゲーリュオーン(三面六臂の戦士で形態上、蛇とは結びつかないが、系図上はメデューサの孫。オルトロスの飼い主)
(※神話上、有名なヒドラ/ケルベロス/オルトロスらは蛇女エキドナを母としメデューサの首からしたたった血より生まれたクリュサオールを父としている。そして、ゲーリュオーンもまた ―エキドナを母としているわけではないが― クリュサオールの方を父としている。ゆえに、彼らはメデューサの孫となる)
[系図上、メデューサの曾孫にあたる討伐対象として]⇒ラドン(100の頭をもつ怪蛇。エキドナとオルトロスの間の子)/ネメアの獅子(蛇ではないが蛇女エキドナとオルトロスの間にできた子供とされる)
[系図上、メデューサとは関係なきようにとれるも蛇の怪物の討伐対象として]⇒赤ん坊の時にひねり殺した二匹の蛇(赤ん坊のヘラクレスを殺そうと女神ヘラが送り込んだ蛇をヘラクレスは縊り殺している)/神々に戦いを挑んだ巨人族ギガス(ギガスらは足が蛇となっている姿で彫像化されるギリシャ神話の怪物である。彼らとの最終戦争に勝つためにオリンポスの神々はヘラクレスを召し抱えたという)
 上もてお分かりのようにヘラクレス程、(多頭の)蛇の眷族を殺した英雄は古今東西の神話には見受けられない、との塩梅になっているのだ。


H. 九一一の事件が
ヘラクレスの冒険と結びつくように調整されているものである
とは上のB.と振った段で既述のことだが、もっと言えば、九一一の事件の主眼はヘラクレスの神話上の事績の逆のことをやることを前言することにあると解釈できるようになっている。何故か。ヘラクレスが打ち立てた二本の柱 ―ジブラルタル海峡の柱にしてアメリカへのゲートともとれる柱― にツインタワーが仮託されていると言うことができるだけの[視覚的根拠]があるわけだが(再言するが細かくは当サイト内の解説頁を参照されたい)、そのツインタワーが崩されたということは、だ。ヘラクレスが建立した柱が現実には崩されており、ヘラクレスの冒険の逆が演じられるとの物言いととれるのである ―無論、根拠は他にもあるのだが、それをここで強調すると論理の流れが循環論法との非難を受けかねないものとなってしまうのでそれは置く― 。


I. 上のH.の段にて述べたとおりのことであると解釈するのならばすべてがしっくりくるようになっていることがある。
 たとえば、
[古代アトランティスが蛇の眷族に影の王国から次元間侵略された]
との侮蔑を買うにすぎぬ話を広めていた神秘家が20世紀前半よりいたこともその範疇に入る(※)。
(※神秘家の名はモーリス・ドリール( Muriel Doreal )となる。何故、侮蔑を買うにすぎぬ話などとも述べるかといえば、(響きの問題はさておき)、「モーリス・ドリールの物言いが多く Shadow Kingdom『影の王国』というより以前の短編パルプ小説(そこそこに知られたものらしいヒロイック・ファンタジー、蛮人コナン・シリーズの産みの親として知られるロバート・ハワードという作家の手による小説)より拝借されている( Robert Howard ⇒ Muriel Doreal )ことがよく知らべればわかるようになっているとのこと」そして「理と知と誰でも確認可能な根拠に基づかず神秘的なことをあたら口走る類が人類史にあってまともであったためしは一度たりともないだろうと私的経験に照らしても書籍やその他メディアよりの普通人を上回る情報摂取を通じても(寡聞ではない中)知っているとのこと」があるからだ)
 放言をこととする神秘家などという毒にしかならぬ人種/『また同じような手合いによる同じような放言か』との反応を真実の一片が含まれているかもしれない分野にて拡散しうるという意味で毒にしかならぬ人種でさえもが早くも20世紀前半期 ―大戦期― に[古代アトランティスが蛇の眷族に影の王国から次元間侵略された]などと述べていることに[何らかの背景]があればどうか。とすれば、それは本記事冒頭から述べていることにも通ずる事情ということになるだろう()。
(※上にて私は20世紀前半期の神秘家の物言いにも着目している。[何らかの背景]があれば、と留保条件を置いて、である。のような背景については ―それを超えなくては我々に未来はないだろうと定置することとして― 当サイト内の[爬虫類人人類支配説の分析][LHCの如き巨大粒子加速器とブラックホールの発生リスクの関係が問題となりだした始原期]といった題の他記事で細かくも論じている(クリックすることで各記事に遷移可能)。響きの奇矯さを置いたうえで ―筆者を馬鹿にしてやるかとでの出だしの思いでもいいので― それら他記事にて提示している情報につきよくよくも検討していただきたいものである)

 上のA.からI.の流れにて私が「何故」、レコンキスタ(失地回復)を掲げるスペインがレコンキスタ完了と同時にアメリカ大陸に進出し、後に血まみれの惨劇 ―従前の歴史家の見立てが正しいのなら1519年という[羽毛の生えた蛇の帰還の年とされた年]よりはじまった惨劇を含む― が演じられたことを問題視するかお分かりいただけるだろう

 以上、I.II.うちII.は当サイト内他所内容紹介部のA.からI.を包摂)の如きことを述べたうえで、

「ツインタワーの上階に風穴が開き、直後、タワーが崩壊するさまを1993年に描写するという映画があった。同映画のタイトルは
SUPER MARIO BROS.『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』(1993)
で同映画の粗筋は
[隕石によって分断された恐竜人の世界と人間の世界を融合しようとの企みが恐竜人の元首によって企図されている]。
というものである」

ということを重要視せざるをえない理由につき詰めて述べておく。

 第一の理由として。九一一の事件はそれなりの背景があって起こされたものであると本サイト内にて細かき解説を講じているが、事件を起こしたのが人形のような人間らの組織 ―イスラム過激派どまりの組織であると私は一言も述べていないしそのように述べるつもりもない― であったとしてもことは決して人形のような者たちの主義・思惑 ―心性醜く自分たちは選ばれたと思っている輩であるほうが人形としてはよくできているのだろう― のレベルで片づけられるものではない。というのもヘラクレスの冒険の逆のことをやるなどという比喩が露骨に ―人形らはどこまで気づいているかはわからないがそれこそ露骨に― 九一一の事件と結びつくものとして諸所にまぶす意味・理由など「人間に由来するようなものとしては」考えらないからだ。

 第二の理由として。これが大きいのだが、人類の歴史には不可解極まりない操作の片鱗が見え隠れしているとのことがある。『大上段から振りかぶりすぎである』ととらえる向きもあるかもしれないが然にあらずで、歴史に名を刻んできた特定の人間(あるいは人間集団)が自分たちの意思で動いていない、自分たちの思惑で ―改竄されたものといえ― 記録を残していない、自分の筆で象徴・美術作品の類を描いているわけではない。そうとしか言いようがないということが多々あるのである。客観的にこれはこうでこうだ、と挙げ連ねられるような形のものとして多々あるのである。細かくは当サイト内の諸所解説頁や当サイト経由で公開しているPDF版筆者著書 ―初版数千部で商業出版されるところであったものを出版社サイドによる俗悪本化・トンデモ化(トンデモなど何も変ええないし何も変えないだけにあるジャンクだと見る)の思惑を感じて出版権を自身の手元にとどめたもの― を参照されたいが、のようなことがあるゆえ、本記事でここに至るまで述べてきたことも同様のこと、すなわち、人が何らかの操作の下にあって表出したものであると論じられる、と言いたいのである。

 上をもって[隕石跡地とその隕石跡地に存在する遺構の特性の不気味なる関係]を問題視している本記事で述べたきことは大体にして論じきったが[次のようなこと]をも ―実に嫌な話となるのだが― 述べておく。

「二〇一二年に近づくにつれ、宗教家や神秘家の類がアセンション(原義は[昇天]で「死ぬ」という言葉に容易につながる)などという言葉を盛んに唱導・流布するようになっている。ときには[次元が上昇する] ―本記事で言及した映画の内容から興味深くもある[戯言]であるととらえる― などと述べつつである。
 そのような話の淵源はおそらくマヤ文明 ―本記事で扱った遺跡をうちに含む遺跡― の暦上の大周期(13バクトゥンとの単位で示される期間;1バクトゥンは十四万四千日を指す)、今よりおよそ五千年前の紀元前三千百十四年近辺から始まる大周期が計算上、二〇一二年の冬至(カウントいかんいよっては十二月二十一日か一二月二十三日かに分かたれる)に終わることに起因する[変化を望む思潮](あるいは[終末を恐れる思潮])であるととらえるが、はっきり言えば、である。そうした予言じみた見方 ―問題となる時期さえも解釈如何によって大きくも異動をきたすといった見方― の存在に何ら重きを置かずとも
このままいけば、人類に望ましい変化は絶対に起きないし、起きるとしたらば、最悪の形での突然死である可能性が色濃い
ということがある
 粒子加速器実験。二〇一二年末 ―いいだろうか。現代の専門の呪い師ども好みの二〇一二年末である― にエネルギー実現状況が倍増される方向で予定されていた ―だが二〇一四年に繰り越された― 実験、史上最大の実験であるのに国内メディアは全く報じない実験。その粒子加速器実験それそのものかその実験の延長線上にある計画 ―粒子加速器の出力倍増計画― で極微ブラックホールの類が人為生成される目算が「実験に携わる多くの実験関係者らも[肯定的に]論じるところとして」高いとされている、とのことがある。  その点、大方の予測では
「 ―科学の進歩を約束するともされる― ブラックホール生成はブラックホール蒸発を伴う」
とされているが、仮にブラックホールが[実験]で生成され、それが蒸発せず、かつ、拡大スピードが早ければ即座に我々は死ぬ(そして我々の子孫も永遠に産まれざるものとなる)ことになると言えてしまうのである。
 『徒に危機意識を煽っている』ととられるかもしれないが、然にあらずで、上には現実的危険であると述べるに足る事情がある ―そこにいう事情については本サイト内他ページでこと細かくも解説している 。
 それが(神秘家達が使う用法とは別の文脈での)[次元の接合]の意味である、我々をことごとく贄(にえ)としての[次元の接合] ―科学的識見ある向けを想定して述べれば事象の地平線の確立の行程でもいい― の意味であると"とらえられる"のである」

 以上、述べたところで ―長くはなるも― 重要な話をなしておく。

[直近、述べたこととの兼ね合いで問題視すべきことについて]

 唐突となるが、ギリシャ古典の源流を語るうえで抜きには出来ぬ人間についての話をなす。具体的には伝説の吟遊詩人ホメロスについての話をなす。同ホメロスは[それが失伝しておれば今日の欧米文学は全く異なるものとなっていただろうとされる作品]たる『イリアス』 ―木製の馬で滅びた古の都での激戦を唄った作品― と『オデュッセイア』 ―木製の馬をこさえた男の艱難辛苦の旅路を唄った作品― の二作の作者として知られる古代ギリシャの伝説上の詩人だが(活動年代は紀元前8世紀などともされる)、彼の名前と伝わるところの彼の特性に多くのものを見て取ることができるようになっている。
 につき、ホメロスとは[従うことを強いられた者]あるいは[人質]の意となる言葉で、そのホメロスは ―琵琶法師よろしくの― 盲目の詩人であったとされる。詩の神への霊感を讃えながら、文字情報に置き換えれば膨大な量となる一大叙事詩を口頭で語り継ぐ吟遊詩人である。
 そのホメロスが文字ではなく口で語り継いだ叙事詩(欧米圏では人類の残したもっとも偉大な古典と定置されているような古典)に出てくる木製の馬と伝説上の都の陥落の物語につながる比喩が、具体的には木製の馬によって陥落した都市を巡る戦争の比喩が[黄金の林檎]の象徴を介して ―「こともあろうに」の話として― 人類史上最大規模の粒子加速器実験に「実に巧妙に」含まれている、とのことがある(については本サイトに追加した記事にても細かくも論じている)。
 のようなことに ―直近、述べたことをも顧慮したうえで― 何の意味を見出さないというのは甘すぎるとして話を続ける(:事実を見る勇気が全くない/事実を見ないで主義や信仰への妄信を通じ愚かしくも死ぬ運命に満足しているプログラムである、といった人間が読み手であれば甘い/甘くないの話は何の意味をなさないが)
 さて、[ホメロスよろしくの(失明した後天的)盲目の詩人]であり、かつ、ホメロスやダンテ(『神曲』の作者として知られる13-14世活動の文豪)と並ぶ詩的天才と称された人物に17世紀英国の詩人たるジョン・ミルトンがいる。
 そのジョン・ミルトンが口述して筆記者 ―ミルトンの娘と有給の雇われ人― に筆記させたと伝わる Paradise Lost『失楽園』の内容に本記事で述べたことを想起せざるをえぬことが ―実に残念だが― 記載されている
 まずもって次のイラストを見ていただきたい。

 図はミルトンの17世紀の叙事詩『失楽園』の一幕をモチーフに『失楽園』近代刊行版に19世紀の挿絵家ギュスターブ・ドレが付したものである。より具体的には
[神に叛乱を起こした元天使長(要するにサタンである)が神の被造物たる人間の視察(およびその籠絡)へとエデン目指して地獄の奥底から単身飛行を開始した後、(途中で)到達した地獄門 ―地獄門と言えばダンテの『神曲』では有名な文句が付されている門でもある― にて自分の配偶者たるSin[罪]と妻たるその[罪]との間にできた息子にあたるDeath[死]に邂逅した場面を描いたもの]
である ―ミルトンは[罪]と[死]を擬人化している― 。

 ここで図をあげたうえで述べたきは次のようなこと(α.β.と表する)である。

α.(図に見る)サタンの妻である[罪]とサタンと[罪]の間の息子である[死]は後にサタンが林檎によって人間(イヴ)の誘惑に奏功したことより、アダムとイヴの子孫に根づくことになったとされる(:私は宗教などすべて馬鹿げたものだと考えているが、ここでは宗教的叙事詩たる『失楽園』をものしたミルトンのプロットの設定の仕方を問題視している)。サタンの思惑の実現により[罪](地獄の鍵を管掌する蛇の女)がすべからくの人間の心に浸透し、次いで、[罪]によって腐った心根の人間を最後に[死]が皆殺しにするプロセスができあがったと17世紀の文豪ミルトンは ―いかにもの美文調といった筆致にて― 描くのである([サタンが人の世界と地獄の間を結ぶ橋を架けるプロセス]を描いているともいえる)。同点につきまずもって着目すべきは盲目の詩人ミルトンがそのプロセスを克明に描いて見せた誘惑は林檎によってなされているとの聖書(『創世記』)に基づく記述だ。対し、―伝わるところの歴史が正しいのなら― ミルトンより2400-2500年前に欧州古典の原典たる一大叙事詩を唄っていたミルトンと同様の[盲目の詩人]ホメロスは古の都トロイアの陥落につながる激戦を描いているわけだが、神話上、トロイア陥落につながる戦争は[黄金のリンゴ]によってもたらされたことになっている(トロイヤ戦争が元をたどれば黄金のリンゴによって惹起されたことはそこそこに有名だが、そのプロセスは戦いの一局面を切り取ったものであるホメロスの叙事詩では語られない)。また、黄金のリンゴとくればブラックホール生成実験とされるところの実験を行っている機関が実験関連事象に用いている象徴とも結びついているものともなる先の段で一言だけ言及したこととなる。尚、ニュートンの発見にもリンゴはかかわっているし、ブラックホールとも関係がある重力が極大化して生ずるワームホールの命名由来ともリンゴは結び付いている)。
 林檎で多くものことが ―あまりにも不快な形にて― 結びつくのである。
 それにつき古代ギリシャの伝承 ―不和の女神エリスが投げたとされる黄金のリンゴにまつわる伝承― と『旧約聖書』のアダムとイヴの伝承をこさえた者たちの間に参照・被参照の関係があった、そう、「純粋に人間レベルで」あった、とお思いになる向きもあるかもしれない。そうした見立てを全否定するつもりはないが、『およそ考えられないことではないか』と私としては疑念提示したい次第だ ―疑念を提示するにとどめ、そうした見解を否定しようと思わないのはひとつに『旧約聖書』を絶対視するユダヤ教より派生したキリスト教がギリシャ神話のエピソードを典拠にありもしない聖人の物語を捏造していたりすると伝承研究の過程で知ったからである。愚にもつかない宗教というものは往々にしてそういうものなのだろうが― 。

β.ミルトンの『失楽園』ではエデンの園が設けられた場と地獄(サタンが住まう万魔殿が設けられた領域)の間にAbyss[深淵]の領域が横たわるとされる。サタンは地獄門の先に広がるその[深淵]を横断する通路 ―人間の楽園と地獄を結ぶ通路― を作ったことに(ミルトン叙事詩では)なるのだが、問題は、である。[罪]と[死]が番人を務めていたとミルトンが描く地獄門の先にあるその[深淵]のミルトン描写が現代の物理学から見るブラックホール(Blackhole)の特性を反映しているようにも見えることなのだ。
 それにつき、まずもって底なし穴の暗黒領域という側面でそうだ ―深淵(アビス)というのは元来からしてそういう意味の言葉であるが― 。
 次いで、ミルトンの[深淵]の描写に見る時間と空間が意味を有さなくなるとの描写もブラックホールの特性に適合する(ブラックホールの内部では時間と空間が何の意味も有さなくなる。尚、 ―科学史を極初歩的なレベルで知っている人間ならば分かろうが― 時間と空間が有機的にかかわっているものであると考えられるようになったのはここ100年のことであり、ブラックホールの中で時間と空間がぐちゃぐちゃなものとなると広く考えられるようになったのは20世紀も半ばにさしかかってからである。他面、ミルトンは17世紀人である)
 そして、[深淵]自然の祖]などと表されていることもブラックホールのことを想起させる(ビッグバン理論では前宇宙での物質がブラックホールによって吸収され時空の底に落ちたそれら物質が新宇宙を形作る原動力となるとされている。ブラックホールは宇宙の死刑執行人にして揺り籠でもある存在であるなどとされる所以である)
 以上、類似点を挙げた上で原典原文も引用しておくが、ここでのミルトンが語るAbyss[深淵]とブラックホールの類似性の話は次のような一節にまつわることである ―※原文引用している文の英文法がまったくもっておかしくも見えるのは俎上に上げているものが[今日の我々が知る英語ではなく今は使われなくなっている文語](江戸期の言葉のようなもの)かつ[詩を構成する雅文]だからだ― 。

The secrets of the hoary deep ; a dark illimitable ocean, without bound,
Without dimension, where length, breadth, and height,And time, and place, are lost ; where eldest Night And Chaos, ancestors of Nature, hold Eternal anarchy, amidst the noise Of endless wars, and by confusion stand.( BOOK II.,lines 890-895 )

[上に見るMiltonAbyss描写に対する拙訳として]:秘められし古き世界。暗く、果てしなく境界なき大洋長さ・幅・高さが、そして、時間と場所が居所を失う次元なき世界。そこにては夜と混沌、自然の祖先たるそれらが終わりなき諍いの不協和音の中、混沌を立つ瀬として無限の無秩序状態を保っていた。

 原典からの引用をなしたところで述べるが、ミルトン『失楽園』にブラックホール特性と似通ったことが ―地獄門の先にあるアビス(深淵)の特性として― 書かれているのを[偶然の一致]だと思うだろうか。そんなことを口に出すのはおよそ私のような人間ぐらいのものだろうが、声を大にして「違う」と指摘したい。次の1.2.のようなことがあるゆえに、である。

1. ミルトンの『失楽園』同様に地獄門(Gate-of-Hellを登場させている古典にダンテ(Dante)のInferno『神曲』地獄篇があるそのダンテの『地獄篇』にも ―こともあろうにミルトン同様の地獄門の先にある領域がらみで― ミルトンより[えげつない形]でブラックホールの比喩が介在していると解釈できるようになっている)。

(※補足:欧米物理学者のなかにも ―はきと明示せずにだが― そのようなダンテの著名古典の中の描写をブラックホールの特性と彼ら由来の科学読み本の中でなぞらえる者らもおり、その中では
Danteの『地獄篇』に登場する地獄門(Gate-of-Hell)のようにブラックホールの境界線 Event Horizon[事象の地平線]に落ちた者は希望なくも生きて帰ってこれない」
といった物言いがなされていたりする。
 たとえば、車椅子のカリスマ物理学者として知られるスティーブン・ホーキング( Steven Hawking /残念ながら同男はブラックホール蒸発による安全論の理論的支柱を提供した人間となっている)が世界的大ヒットとなった書籍、 A BRIEF HISTORY OF TIME(邦題)『ホーキング、宇宙を語る』で上と同じようなこと ―「ダンテの『地獄篇』に見る[地獄門]にはブラックホールと相通じる側面がある」― を書いているしホーキングはより深い意味で『地獄篇』にブラックホールとの接合点を見ていたと自然に考えられるが、彼はそれを指摘するような類ではないのだろう、筆者が研究の一環として参考にしたブラックホール関係の著作の作者クリフォード・ピックオーバー( Clifford Pickover という人物も著作 Black Holes: A Traveler's Guide(邦題)『ブラックホールへようこそ!』にて[ホーキングのダンテ『地獄篇』に対する引用]に注意を向けるようなことをほんの一言だけ書いている ―琴線に触れるところがなければそのようなことはしないだろう― 。その点、私が怒りを通り越して失笑してしまったのは、である。粒子加速器実験の歴史的沿革を細かくも記しているポール・ハルパーン( Paul Halpern という物理学者を兼ねる作家の手によるCOLLIDER(邦題)『神の素粒子』という書における記述だ。同書にては[フェルミ国立加速器研究所(Fermi-lab)という研究機関のスタッフが同研究所にて働き出した際に先輩職員より「この門(フェルミ研究所の門)をくぐる者は一切の希望を捨てよ」という(ダンテの『地獄篇』に登場する)地獄門に打刻の隻句をもって警告されていたという逸話]が紹介されている。いるのではあるもそれが何故、失笑を誘うというかと言えば、同書(COLLIDER(邦題)『神の素粒子』)で名を挙げられているフェルミ研究所がブラックホール人為生成疑惑実験にまつわる訴訟を近年、米国にて提訴された粒子加速器実験参加機関であり(他所でも詳述していることだがCERNに参画する機関としてその行状を訴えられた)、COLLIDER(邦題)『神の素粒子』著者のポール・ハルパーンという物理学者が[はっきりとものを言わぬ向き ―ブラックホール生成実験と揶揄される実験でおまんまにありついている類の一人であろう― ]であるとすぐにわかるからだ。臆病ではっきりと物を言わぬ操り人形のような物理学者たちのせいで皆が死んでしまったらば失笑どころではすまないのだが)

 以上、述べたうえで(物理学者らの具体的言辞の話にも括弧内補足という形で触れたうえで)言明すれば、ダンテの地獄篇とブラックホールの近接性について私は当サイト内の他所追記部で[より露骨なこと]を指摘している(:詳しくは当サイト内の[問題意識の所在]と題したカテゴリ内の10ページ目 ―[CERNと「次元の扉」開閉の懸念(911にまつわる儀式性詳説X)]と題したページ― を参照されたい)。

 同じくも地獄門の先にある領域に関してブラックホールを想起させる記述が複数古典に共有されているのなら、それを偶然の産物と看做してしまうのは「本記事で問題としているようなことをも顧慮し」多幸症患者の挙動 ―あるいは運命を変えられぬ者たちの挙動― としか言いようがない尚、私は[運命を変えられない者たち]には理解があるが(私とて結果論的にはそうなのかもしれないからだ)、[運命を変えられないようにする者たち]の挙動には ―心を非情の鬼にして― ありとあらゆる角度から戦いを挑むつもりで生きているとも述べておく。 

2. ミルトンの『失楽園』では最後のほうでエデンの園でイヴをたばかったサタンらがさらなる罰、神に叛逆して地獄に落とされたことに加えてのさらなる罰を受けることになる。サタンは蛇に変じて「こんな蛇の身でもリンゴを食べて賢くなれたのです」とイヴを騙したと描写されているのだが、意気揚々、地獄の彼の居城 ―万魔殿― に帰還した後、彼の取り巻きの堕天使ともども ―蛇に変じての詐術を神に問責されるかたちで― 蛇の怪物に変えられたさまをミルトンは巧みな筆致で描写するのだ(:実にコミカルな ―であるが笑えない― 描写が『失楽園』の岩波文庫からの邦訳版にも見いだせる。万魔殿で人間を堕落させた成果につき一演説ぶった後、サタンは会堂に居合わせた堕天使の身内からの喝采の声を期待するが「しゅっしゅっ」と異様な非難がましい音しか聞こえない。どうしたことかと思ったらば、サタンも含めてその場に居合わせた者が皆、神罰にて蛇に変じていく過程であったというのである)
 さて、のような蛇への変異の話と本記事で書いてきたことから論理的に導き出せる次のような話は ―幸福な(あるいは「脳がいい天気な」か)人間ほど馬鹿げている話と看做すだろうが― 複合顧慮して然るべきことである。

[人間よりも古い種族たる恐竜人が「隕石」を用いての技で次元の接合をなそうとしているとの荒唐無稽映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』が ―こともあろうに先の九一一の前言をなしていた映画との形にて― 存在している](※ミルトンの『失楽園』に登場する堕天使らも人間よりも古い種族で新発の人間をたばかることを壮挙としていた旨、描写されている)

[チチュルブ・クレーター、恐竜を滅亡させた「隕石」落下の跡地で蛇を重んずる宗教が人身御供の儀を伴って存在していた。そして、そこには ―その文明圏における際立った退歩性にそぐわず― 高度な建築知識・天文学上の知識が活用されていた]

[隕石の痕跡に(天候伺いのために)鱗をもったチャック神への訪問者が放り込まれて殺されていた文明。その文明が栄えたアメリカ大陸はアトランティスの質的等価物 ―アメリカがアトランティスそのものであると言っているのではない― と看做せるようなかたちになっていると述べるだけの材料がある。そして、そのアトランティスが蛇の種族に次元間侵略されたなどというパルプ小説やその小説での書きようから影響を受けた神秘家言辞が20世紀前半期より存在していた](※いいだろうか。右とアメリカで栄えた文明、疫病と争乱の中での『黙示録』的状況の中で駆逐されていった文明が蛇崇拝と異常に結びついていたことの間には何らかの関係があるとは自然に想起できるところである)

[アトランティスは巨人アトラスと結び付く言葉である。そして、その巨人アトラスと結び付く比喩が先に起こった九一一の事件に含まれていた](※本記事内にあっては初出の話をなすが、巨人アトラスは先に問題としたホメロスが描く叙事詩でトロイアの滅亡の因となった黄金のリンゴについてよく知る[天界の担ぎ人]として登場してくる。また、そのアトラスの名が ―実験関係機関に確認をとったところ― 1992年からの巨大粒子加速器を巡るプロジェクトの計画策定段階より一大実験グループ名称へと用いられることが決定されているのだ)

 以上、α.ββ.はさらに1.2.を包摂)と振った箇所でもって私が何を問題視しているのか、より一層、明確化しただろう。

 尚、述べておくが、一九九三年に[上階に風穴があき倒壊していくツインタワー]を登場させていた映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』に見るような次元接合(と描写されること)をやろうとしている存在が ―馬鹿げた話と聞こえるだろうが― いるのならば、であるその手管はブラックホール(およびその近縁種のアインシュタイン・ローゼン・ブリッジことワームホール)の人為的生成となると考えられるそのブラックホール特性の描写と思しき記述がダンテの『神曲』地獄篇とミルトンの『失楽園』に ―やり方こそ違えども同じくも地獄門の先にあることがらみで― 含まれている

 そのように述べた上で再度もって繰り返し言っておくが、

「地球圏での粒子加速器装置を用いての安定したブラックホールの製造対価 ―今、そのブラックホールを製造すると問題視される実験が危険領域とされる方向に出力を上げる方針で行われている― はおそらくというよりほぼ確実に我々人間全員の死である」

と自然に考えることができる(マイクロブラックホールが暴走すれば、そう、地球のコアに落ち込み周囲を喰らい出すとの形で人為生成されたならば我々は瞬時に殺されることとなる)。

 以上、くどくも指摘したうえで「くどいなかついでに」あらためておけばミルトンの『失楽園』のあらすじはこうだ。
「万魔殿に本拠をおくサタンにリンゴでたばかられたイヴの子孫。彼・彼女らはことごとく最終的に地獄門を守っていた[罪](サタンの伴侶)と[死](サタンの息子)の餌食になることとなる。[深淵](ミルトンの書きようにブラックホール特徴との際立った接合性が認められる領域)を横断してそれら怪物が[罪に浸食され死ぬべき定めを負った人間]に襲い掛かってくることになる」。
 対し、(本記事にあっては初出だが本サイト内他所で問題としているような)ダンテの『神曲』地獄篇のあらすじはこうだ。
「地獄門の先に展開する螺旋状の地獄の最深部の氷地獄でサタンが人類の裏切り者たちを未来永劫噛み砕き続けている ―サタン(ルチフェロ)は重力が向かう先の地球のコア(現実とは逆に氷地獄と描写される)で裏切りの罪で地獄落ちした者たちを永劫に噛み砕いていると描写される。裏切り者たちが氷漬けとなっているという特性に[歪みのなかで時が止まるが如くとなる]というブラックホールの性質、永劫に噛み砕かれ続けるとの話に吸い込んだものを引き延ばしてすり潰し続けるブラックホールの性質、重力が向かう先としてのルチフェロ所在地にブラックホールの本然としての性質(ブラックホールはいわば重力の怪物である)が見てとれる。話はそれにとどまらないのだが― 」。

 ここにて論じているがごとくのことを『馬鹿げている』と思うのは勝手だが、
[人間の歴史には無意識ないし意識的な操作が介在していると考えなければ成り立たないといった要素が多々ある]
というのは[事実]である ―先にも言及しているが当サイトはそういったことをも細かく訴求するとのかたちで構築している(ときに最も私が忌む人種たる神秘家や宗教の徒輩と勘違いされかねないような話柄を用いることにもやぶさかではないといったかたちで構築している)― 。
 そうした[事実]および本記事で述べたが如きことをあわせて世に問い ―それ相応の人間がばら撒いたジャンクばかりが認諾される(あるいは目につくようになっている)世の中だが― 変化をきたさなければ明日はない、との状況に来ている。私はそのように考えている。

 これにて本記事を終える。

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本記事を読み解かれるにあたって留意していただきたきこと
 本記事は[非常に細々としたもの]となっており、たた単純に斜め読みするだけで内容を押さえきれるものではない。そこで
[印刷した紙面に目を通すなどじっくり検討できる形での精査]
を強くも推させていただきたき次第である(によって、私が信用に値する人間か否か、読者の方々ご自身でご判断いただければ、幸甚である)。