歴史。伝承。神話。人類の歩んできた足跡上に存在するエニグマ(謎) |
爬虫類人人類支配説の分析:後半部頁を改めたところで前頁の内容を一言で要約しておく。 「現在、欧米で物議を醸している爬虫類人人類支配説、そう、その主唱者やその主著の名がポップ・ミュージックに取り上げられるまでに物議を醸している爬虫類人人類支配説。人間が爬虫類人により"多次元的"に支配されているとの驚愕の内容を有した同説が何故、海外で多くの人間の支持を得るに至ったのか。そこには主唱者、デービッド・アイクの特異な来歴(詳述済み)も影響してはいるが、良識人をも唸らせるだけの神話的・文化的背景があったことも大きいととれる(その伝では宗教的狂気はほとんど背景にはないととれる:神話的・文化的背景については前頁の内容を参照のこと)。であるにも関わらず、日本では、のような説が[まともな話柄]では全くといっていい程、取り沙汰されていない(多くオカルト論やニューエイジャーの話柄に限局化されている。主唱者のそういった側面を過度に誇張するようなやり方でだ)。それについては、相応の事情が介在していると考えることもできる」 以上、一言で前頁の内容を要約したところで、だ。同じくの前頁にて、その方向で話を進めると述べたこと、爬虫類人人類支配説が説得力をもって迫ってくる[視覚的なる事情]についての解説をなそう。最初に下の図をご覧いただきたい。 左はフランツ・プフォル( Franz Pforr )、19世紀初頭にいくつかの作を遺したドイツ人画家の手による[聖ゲオルギウスをモチーフとした画]である。右は君主ことSovereignソブリンの名を冠する英国の伝統的法定金貨、長らく[竜を刺す聖ゲオルギウス]が描かれてきたソブリン金貨である。 さて、上のような[聖ゲオルギウス]絡みの例に触れた上でだ。下の図を見ていただきたい。 上の左にて挙げた絵は19世紀から20世紀にかけて活躍したジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse)、美しく写実的な絵を描くことでも有名だったその画家の[ギリシャ神話のパンドラをモチーフとした絵画]である。対し、上掲右は、ウォーターハウスの絵に付随する視覚的な問題 ―本記事テーマと接合する問題― を解説するために挙げた図像"群"である。 まずもって、抜粋したウォーターハウスの絵の縁起・由来からだが、[ゼウスからプロメテウスの弟エピメテウスに贈られた美女パンドラ]がありとあらゆる災厄が詰まった箱を開けている様を描いたものである(:パンドラとは[人の形をした一種のブービートラップ]で「パンドラに災厄が詰まった箱を開けさせることで人類の台頭を恐れたゼウスが人類に災厄をばら撒こうとしていた」と神話ではされる)。 何?「似ているだけだろう。考えすぎだ」だと?いや、違う。そう明言できるだけの事情がある。 については、上のパンドラの絵を描いたウィリアム・ウォータ-ハウスが才能に反し ―極めて残念なことに― Freemasonの象徴、例えば、白黒の市松紋様 ―フリーメーソンの交流「会館」たるロッジの床に描かれるチェス盤模様― などをまぶした絵をよく描いていた人物だった、ということもある(※)。 だけではない。より深遠なる意味で図には[フリーメーソン象徴たる三角形の中の目]がまぶされていると観念できもする。次のような理由ゆえに、である。 これにてウォーターハウスの絵を[三角形の中の目]を描きもしているフリーメーソン寓意画だと述べている理由はお分かりいただけだろう。 とした上で、述べるが、 ここまでお読みになられた段階で読者の一部は内心でこう言われているかもしれない。 いや、そうではない。問題とする必要があるのだ。ウォーターハウスの絵を見たフリーメーソン達 ―おそらく何万、何十万人というフリーメーソンが今までに上のウォーターハウスの絵を直に見てきているはずだ。ウォーターハウスはフリーメーソン本場の地の英国の画家なのだから― は絶対に上のようなことは思わないからこそ、[爬虫類人人類支配説]との絡みで問題とする必要があるのだ。 その点、フリーメーソンは儀式に使うエプロンにも一つ目を不気味に描いているように一つ目にこだわらされきった存在であるが、だからこそ、連中はデービッド・アイクがそう述べているように では、上の絵は今まで何万人、何十万人と累計で上の絵を見てきた、そして、これから見るフリーメーソンのために書かれたものだというのだろうか。そう、アーサー・チャールズ・クラークという小説家が最悪の小説、
Childhood's End『幼年期の終わり』(日本のこれまた最悪のサブカルチャー作品に影響を与えていることでも有名な作品)で人類を支配することになったオーバーロードが悪魔そのものの姿をした宇宙人であるとしているのと同じ式で何かを伝えるために描かれたものだというのだろうか。 以上のように長々と述べてきたことを読まれて、 図の左はグリーンバックことドル札に描かれているアメリカ合衆国国章に見る[ハクトウワシ]だ。図の中央は一般に1782年から1841年まで用いられたとされる合衆国国章の雛型である。図の左は ―多くの解説は不要と思われるが― 万券こと一万円札に描かれている平等院の鳳凰である。と、一言解説をなした上で、ここでまずもって、押さえておいてほしいのはだ。上掲図の中央に見る合衆国国章の中の鳥、それは「ハクトウワシ"ではない"のでは?」という疑惑が一部で取り沙汰されていることだ。1782年から1841年まで用いられたとされる合衆国国璽に刻まれていたその鳥は[ハクトウワシ]などではなく[不死鳥ことPhoenix]であると一部洋書などで問題とされているのである(よく見れば、お分かりになろうが、実際、それは"ワシ"の類に見えない)。 上のような話を含んでいただいたうえで上掲中央の[かつての国章に描かれていた存在]と上掲右の[平等院の鳳凰]を比較いただきたい。 「おそらく、合衆国の国章(の初期版にその姿を現わしていた)フェニックスと平等院の鳳凰を結びつける人外のおふざけがあったのだろう」。 現時(本記事執筆現時)、日本語のWikipediaでは「鳳凰とフェニックスは別物である」と書かれてはいるが、それは人間のレベルの発想にすぎないと述べつつ、そう考えられるのだ(上に挙げたような事例の形態の一致性が鳳凰とフェニックスの関連性を雄弁に物語る。その点、日本では手塚治虫のような漫画家が鳳凰とフェニックスこと不死鳥のイメージをごちゃまぜにし、[混同]の根を造ったなどとも言われるが、[混同]など最初からなかったともとれる。火と結び付けられる二つの神話上の鳥が同一視されるか、別個のものとされるかはそういった象徴記号を人間に用いさせる人外の胸先三寸の問題にすぎない、といった話につながることとして)。 以上で、先に論ずるとしたこと、ハクトウワシの時点で実は性質の悪い象徴が介在している、ということを訴求しえたと思う。 I.今日、見ることが出来る[ホルスの一つ目]のシンボルは往古、[蛇の神ウアジェトの一つ目]であったとされる(:本稿執筆時現在、日本語Wikipdeiaの[ウアジェト]項目には[ウアジェトの目]が実際は[ホルスが悪神セトとの戦いのときに奪われた目]である、などと誤解を招くようなことが書かれているが、英語資料を渉猟し、神々の前後関係から熟考したところ、[ウアジェトの目]⇒[ホルスの目]との変転過程の方が正しいととれる)。 II.上に記した理由から「ホルスと同一視されるフェニックスである」ともとれる、かつての合衆国国璽に刻まれていた鳥。それは口に帯を加えている ―上掲図参照―。 実はその帯、[蛇]の体現物と合理的に解釈できる。何故か。それ単体で蛇に見えるということもある。20世紀になって制定されたというメキシコ「国章」に描かれているのが[蛇をくちばしでくわえるワシ]であることも大きなこととしてある(実際にインターネット検索し、見てみればよい)。だけではない。他にも本Webサイト上の他所に述べたように欧州では中世の写本の挿絵の時代から帯で隠喩的に蛇を体現していることが非常に多かったということもある。ために上掲のフェニックスと思わしき鳥(あるいはホルス)が加えているのは蛇であると合理的に解釈できる。 上のIとIIが改定を施される前の初期合衆国国章に見ることが出来るフェニックス状の鳥の時点で(それがホルスと同一視されるという文脈にて)[爬虫類人人類支配説を指示する視覚的なる根拠]を垣間見ることが出来るという理由となる。爬虫類人の象徴言語ともされる[蛇絡みの印章]の頻用が人間業とは思えぬ形で秘教的に現代に引き継がれている、という文脈上。 何?こじつけがましくはないか、だと?そういった想いを抱かれた方にはよくよく考えていただきたい。日本の[一万円札の鳳凰]に日銀券印章制定に際し絶対に参考にされたはずがない[160年以上も前に廃された合衆国国章]との際立った相似形を認めることができる、それも、鳳凰とフェニックスという火に絡む伝承上の存在を対応させつつ認めることができるという[馬鹿げたこと]が現にある、という現状について考えていただきたい(日本の一万円札に鳳凰が描かれていたのは1958年から流通していた聖徳太子が描かれていた版も同じである。個人的には、上に挙げた紙幣の10000円の額面記載部の隣に蛇ともとれる唐草模様が描かれていることもかぐわかしくとっているが。不平等の象徴、紙幣に"平等"院の鳳凰を刻むその性質の悪質さと並んで考えるべきこととして)。そういった[馬鹿げたこと]の延長線上として、いかに悪質な比喩が成立していたとしてもおかしくはないだろう。 いかがであろうか。以上、挙げた事例から"だけ"でも爬虫類人人類支配説が視覚的なる支持材料を伴っていることをお分かりになられたのではないだろうか。 語りきれなかったことも多かったが、そして、細目にこだわりすぎてしまった風もあるが、とにかくもである。本記事、[異説の流布者の来し方]から述べ始め、[異説が非属人的なる要因で受け入れられた背景]や[異説が視覚的に説得力をもって迫ってくる事情]に触れた本記事を通してそれなりのことは伝えることができたと思う。背景を論じてきた爬虫類人人類支配説の真偽判断は読者に譲るしかないが、肝心要なのはこの世界を変えたいという気持ちだ。あとは本Webサイト閲覧者たちの一部でもいい。考えることも訴えることもまだ十二分に出来る方々が[ガス室がついていそうな監獄](濃厚にそうだと疑われる理由は他にて詳述している)の壁を壊す方向で動いてくれたならば、と願っている。 ※補足 「人類の多くは爬虫類人によって[蜂の巣の精神]( Hive Mind ハイブ・マインド)を押しつけられている。彼ら、爬虫類人自身の階層秩序がそうであるような形で、だ」。 馬鹿げているだと?であるが、上は全くもって笑いごとではない話だ。出来の悪いSFに登場する悪役の特質としても登場する[集合精神が支配された状況]。そのような状況が人類にも当てはまること(特にフリーメーソンのような連中に強く当てはまること)を示す象徴が古今東西の文化事象の中に見いだせるからだ(なかんずく、インドの象徴群は露骨だ。諦めの空気が充満しているあの国を旅した人間として言うが)。 左上は言うまでもない孔雀だ(掲載したのはその最大種、マクジャク)。その孔雀を発端に[ハチの巣の精神]ことハイブ・マインドの象徴物といえるものに触れていく。 右上。19世紀に活躍したラジャ・ラヴィ・ヴァルマというインド人画家が描いた神の絵。南インドはタミール地方で勢威を誇るムルガン(Mruga)という名のヒンドゥーの戦争の神の絵だ。"青い"孔雀の上に"赤い"姿で座る ―フリーメーソン組織は"青"ロッジの上に"赤"ロッジがくるよう位置づけがなされていることは有名― ともいう神ムルガンを描いた『勝利とクンダリーニの神』という題のその作品、見れば分かろうが、「孔雀の羽毛の紋様を多数の目に見立てつつ複数の人格が融合した集合意識を表している」。あとは「蛇が人に悟りをもたらすなどとされるクンダリーニに仮託され、集合意識の象徴神と向き合っている」という画の意味を考えてみればよい(クンダリーニとは体内に眠るエネルギーのことを指し、クンダラやクンダリンは螺旋やとぐろ巻く蛇との意味を持つ言葉だ。個人的には、そのようなものを中途半端に開花させた人間が「精神に異常をきたし自殺に走る」などとされていることを興味深くとっている。クンダリーニ・ヨガを始めとしたヨガと似たような瞑想重視の修行方法をとる日本の禅。それにも幻聴などをきたす精神の病(とされるもの)、禅病があるからだ:オウムのような人形からなる麻薬利用カルトに狂ったジャンピング・ヨガごっこをさせていた解答も「悪魔のジョークとして」そこにあるのやもしれない、とも見ている)。 左下。チベットの仏教美術作品。いわゆる[第三の目]の目が開いてしまった存在が融合し、何か因果な状況になっていることが、そう、孔雀の羽の目に仮託されるがごとくの因果な状況になっていることが見て取れる。それも[ハチの巣の精神]に突入した人間の状況の象徴ととらえること"も"出来る。チベットの仏教美術作品にはグロテスクさ、ここに極まれりという形で[蛇の"隠喩的象徴"と頭部が融合した集合精神神格化存在が結び付けられている図像]も見受けられるからだ(すぐに言及するが、インドやその他、アジアのみならず、そういうものは欧州にも見受けられる)。 右下。 ドイツ帝国の領邦だったザクセン・アルテンブルク公国の紋章だ。そこに見る紋章学に言うところのクレスト、[兜飾り]を見てほしい。中身が空っぽになった甲冑 ―それがプログラムのようになった統治者(人間)達の寓意であることはここでは深く述べない― の上に孔雀の羽が飾られているのが見てとれることだろう。その孔雀の羽根飾りとお隣の兜飾りの有り様を比較いただきたい。もう、私が何が言いたいか、半面で理解していただけたはずだ。 図を挙げての追記をなしておく。 どうだろうか。孔雀 ―ギリシャ神話で孔雀は[蛇の杖を持つヘルメスに殺された百の目巨人アルゴス]( Argus Panoptes )と結びつく存在だ― の例を引き合いにし挙げている極一部の例だけでも、だ。人間の集合精神が蛇で体現される存在に拘束されているという語り口のハイブ・マインドの話、そう、爬虫類人人類支配説の帰結として出てくる話を深く語ることが出来る素地があるのをご察しいただけたのではないだろうか(:重々承知のこととして[集合精神]云々は(私が忌むような)神秘主義者特有の物言いともあいなるわけだが、そうした側面を脇に斥けたうえででも深く語ることが出来そうなこと、部分的にご察しいただけたのではないだろうか)。 何?そんな話をされても、そもそも[集合精神]が何なのか分からない?デービッド・ボーム(故人)のような第一級の物理学者でさえもが 爬虫類人人類支配説と表裏をなす、人類の集合意識に対する支配の話(人類昆虫化計画あるいは昆虫化事実とも言うべきハイブ・マインドの話)。について、不十分ながら、補足をなしたところで本記事を終えよう。 |
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