歴史。伝承。神話。人類の歩んできた足跡上に存在するエニグマ(謎)

 
 

爬虫類人人類支配説の分析:後半部

 頁を改めたところで前頁の内容を一言で要約しておく

現在、欧米で物議を醸している爬虫類人人類支配説、そう、その主唱者やその主著の名がポップ・ミュージックに取り上げられるまでに物議を醸している爬虫類人人類支配説。人間が爬虫類人により"多次元的"に支配されているとの驚愕の内容を有した同説が何故、海外で多くの人間の支持を得るに至ったのか。そこには主唱者、デービッド・アイクの特異な来歴(詳述済み)も影響してはいるが、良識人をも唸らせるだけの神話的・文化的背景があったことも大きいととれるその伝では宗教的狂気はほとんど背景にはないととれる:神話的・文化的背景については前頁の内容を参照のこと)。であるにも関わらず、日本では、のような説が[まともな話柄]では全くといっていい程、取り沙汰されていない(多くオカルト論やニューエイジャーの話柄に限局化されている。主唱者のそういった側面を過度に誇張するようなやり方でだ)。それについては、相応の事情が介在していると考えることもできる

 以上、一言で前頁の内容を要約したところで、だ。同じくの前頁にて、その方向で話を進めると述べたこと、爬虫類人人類支配説が説得力をもって迫ってくる[視覚的なる事情]についての解説をなそう。最初に下の図をご覧いただきたい。

 はフランツ・プフォル( Franz Pforr )、19世紀初頭にいくつかの作を遺したドイツ人画家の手による[聖ゲオルギウスをモチーフとした画]である。は君主ことSovereignソブリンの名を冠する英国の伝統的法定金貨、長らく[竜を刺す聖ゲオルギウス]が描かれてきたソブリン金貨である。
 いかがであろうか。前頁補足部にて言及した聖ゲオルギウス絡みの事象の一部を挙げただけでも[爬虫類人人類支配説]が視覚的に説得力をもって迫ってくることがお分かりになられたのではないだろうか特に上掲左の絵は露骨だ。そこに描かれているのは竜というより[爬虫類人]そのものだからだ ―画家フランツ・プフォルが"動かされ"ていたなどとは強弁したくはないが、それとてありうる。としつつ、画家プフォルが生きた時代よりも後の第三共和政期フランスの[自由を讃えるオブジェを囲んだ巨大彫刻]にも上の絵画に見るような存在が「人間を嘲笑うような形で」ゲオルギウスの名を冠する彫刻家によって彫られていた、ということもあると付言しておく:本Webサイト上の[二匹の獅子と操作の比喩]との題の記事にてその写真を掲載している―)。

 さて、上のような[聖ゲオルギウス]絡みの例に触れた上でだ。下の図を見ていただきたい。

 上の左にて挙げた絵は19世紀から20世紀にかけて活躍したジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse)、美しく写実的な絵を描くことでも有名だったその画家の[ギリシャ神話のパンドラをモチーフとした絵画]である。対し、上掲右は、ウォーターハウスの絵に付随する視覚的な問題 ―本記事テーマと接合する問題― を解説するために挙げた図像"群"である。

 まずもって、抜粋したウォーターハウスの絵の縁起・由来からだが、[ゼウスからプロメテウスの弟エピメテウスに贈られた美女パンドラ]がありとあらゆる災厄が詰まった箱を開けている様を描いたものである(:パンドラとは[人の形をした一種のブービートラップ]で「パンドラに災厄が詰まった箱を開けさせることで人類の台頭を恐れたゼウスが人類に災厄をばら撒こうとしていた」と神話ではされる)。
 そのような[ウォーターハウス画自体の縁起]に触れたうえで問題としたきは、である。パンドラがゼウスより渡された箱 ―ありとあらゆる悪感情・闘争の根や疫病の元が入っていたものの、底には[希望]が残されていたともされる箱― にフリーメーソンの象徴がまぶされていることである。[三角形の中の一つ目]がそうだ(上掲右列を参照されたい)。

 何?「似ているだけだろう。考えすぎだ」だと?いや、違う。そう明言できるだけの事情がある。

 については、上のパンドラの絵を描いたウィリアム・ウォータ-ハウスが才能に反し ―極めて残念なことに― Freemasonの象徴、例えば、白黒の市松紋様 ―フリーメーソンの交流「会館」たるロッジの床に描かれるチェス盤模様― などをまぶした絵をよく描いていた人物だった、ということもある(※)。
※上につき余談。フリーメーソンの面子には ―汚き言葉で恐縮だが― [糞みたいなもの]しか造れなくともコネゆえに歴史的に[最高級の芸術家]と評価される人間も多い。例えば、マルク・シャガールのように[子供の落書き]で偉人の仲間入りを果たした人間が顕著な例だ。その点、この世界のシステムを考えれば、「主流"文化"作品の多くが糞のようなものだ」とは事情通には論じるまでもないことではある ―マルセル・ディシャンは糞ではなくトイレをそのまま"芸術"作品にし膨大な[価値というやつ]を造り出してしまった:「価値をつくる」とは[日本を侵食しきったカルトの標語]になっている言葉だが[美風や尊厳そして真実にまつわる価値破壊]が真義の反対話法と解釈すべきものである―。 主流"文化"がとるに足らぬものであることは者識る向きには今更、論じるまでもないことではあるにはあるも、そうした紛い物ばかりの世界にあって[本当に才能がある人間]にフリーメーソン疑惑が伴うと余計に残念なのだ)。

 だけではない。より深遠なる意味で図には[フリーメーソン象徴たる三角形の中の目]がまぶされていると観念できもする。次のような理由ゆえに、である。
 パンドラの箱の中に描かれたフリーメーソン象徴と見えもする部分に[怪物のような存在]が描かれている。そこにいう[怪物のような存在]、合理的に考えれば、[鳥類のワシあるいはハヤブサ]であるととれる。何故か。箱をパンドラに送ったゼウスの象徴がワシだからである。そして、そのことはフリーメーソン・シンボリズムの話と結びつく。[三角形の中の一つ目]、プロビデンスの目などと称されるそのフリーメーソン・シンボルを[国章]に刻む国家、アメリカ合衆国の同じく[国章]にはワシもまた描かれているからだ(ハクトウワシこと Bald eagleが三角形の中の一つ目の反対側、国章の反対側に描かれている

 これにてウォーターハウスの絵を[三角形の中の目]を描きもしているフリーメーソン寓意画だと述べている理由はお分かりいただけだろう。

 とした上で、述べるが、
 フリーメーソンの三角形の中の目がエジプトのハヤブサの格好をした神、Horusこと[ホルス]の目に由来するとの考えがあるゆえに、ウォーターハウスの絵はホルスを描いたものであるととれもする本当はハヤブサの格好をしたホルスではなく、蛇の往古神、ウアジェトの目ととれるのだが、それは後に触れる)。

 ここまでお読みになられた段階で読者の一部は内心でこう言われているかもしれない。
 よし分かった。では、上に描かれている化け物"的なる"存在はハクトウワシ ―あるいはホルスの象徴としてのハヤブサ― であり、それとの絡みで上の絵はフリーメーソン絵画なのだろう。だったとしてもそんなことを爬虫類人絡みのこの場で問題にする必要などないだろうに

 いや、そうではない。問題とする必要があるのだ。ウォーターハウスの絵を見たフリーメーソン達 ―おそらく何万、何十万人というフリーメーソンが今までに上のウォーターハウスの絵を直に見てきているはずだ。ウォーターハウスはフリーメーソン本場の地の英国の画家なのだから― は絶対に上のようなことは思わないからこそ、[爬虫類人人類支配説]との絡みで問題とする必要があるのだ

 その点、フリーメーソンは儀式に使うエプロンにも一つ目を不気味に描いているように一つ目にこだわらされきった存在であるが、だからこそ、連中はデービッド・アイクがそう述べているように
結社員(フリーメーソンリー成員)をチェス盤状の床の上に乗せた[至高存在]―フリーメーソンは彼らの神を[至高存在]と表しもする― の亜空間から覗く目を体現したものが[三角形の中の一つ目]ではないのか』
と考えている節が如実にある(デービッド・アイクは「[フリーメーソンの三角形の中の一つ目の紋章]は憑依されているような者達を支配している爬虫類人が異次元から覗く目を描いたものだ」と鋭く指摘しているが、それは ―突拍子さに反し― 正鵠を射た見方ととれる。フリーメーソンの象徴体系、Web上でも散見される象徴体系を分析する限り、これぞまさしく[異次元空間から覗く目]を描いたものといった風情のシンボル画が「あまりにも異常に」多いからだ)。
 ために、フリーメーソン達は、そう、別途詳述しているように何でもやらされることと「なってしまった」者達(実は"フリー"、自由の、という時点で最悪の反対話法である。カルト関係が口にする価値をつくる云々が反対話法であるのと同様の式で、だ)は上の絵を見て[自分たちを支配しているのが絵の中の怪物の如き存在 ―はっきり言ってワシやハヤブサの類には見えにくい。むしろ、先に掲載のフランツ・プファル画に見る怪物に近しい― だと直感するようにできている]と言えるのである。

 では、上の絵は今まで何万人、何十万人と累計で上の絵を見てきた、そして、これから見るフリーメーソンのために書かれたものだというのだろうか。そう、アーサー・チャールズ・クラークという小説家が最悪の小説、 Childhood's End『幼年期の終わり』(日本のこれまた最悪のサブカルチャー作品に影響を与えていることでも有名な作品)で人類を支配することになったオーバーロードが悪魔そのものの姿をした宇宙人であるとしているのと同じ式で何かを伝えるために描かれたものだというのだろうか。
 アーサー・クラークの『幼年期の終わり』の"原著"、初期版タイトルイラストには巨大な爬虫類の目が描かれていると述べつつ、はっきり言ってしまおう。
「おそらくそうだ」と。
 ために、上のジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの絵にワシやハヤブサの類には"見えにくい"存在が描かれていることの時点で爬虫類人人類支配説が視覚的に説得力をもって迫ってくる。そういうことである(:ウォーターハウスの絵に描かれている存在はさらに前に挙げた画家、フランツ・プフォルのゲオルギウスに刺される爬虫類人然とした存在の顔に近しかろうとしたが、フリーメーソンの飼い主に関するその式での話は、だ。フリーメーソンが蛇象徴を尊崇視することを強いられていること、彼らの[ホルスの目]然とした一つ目印章が実は[蛇の神、ウアジェトの目]の印章らしいこと ―後述― をあわせて考えれば、「良識人にとっても[馬鹿げた印象論]では終わらない」。ここまでの話にそのようにとられる懸念があっても、である)。

 以上のように長々と述べてきたことを読まれて、
 『何がフリーメーソンだよ。その連中とハクトウワシをつなげてまで爬虫類人に話を持っていこうっていうこじつけがましさ、とってつけたようなことを云々し続けるあんたの心根が気にくわないな』
と反感を募らせている方もいるかもしれない。いるかもしれないも、だが、下の図を挙げることでハクトウワシそれ自体の時点で実は性質の悪い象徴が介在していることを訴求したいと思う(それが爬虫類人人類支配説の視覚的支持材料の話につながるからだ)。

 図の左はグリーンバックことドル札に描かれているアメリカ合衆国国章に見る[ハクトウワシ]だ。図の中央は一般に1782年から1841年まで用いられたとされる合衆国国章の雛型である。図の左は ―多くの解説は不要と思われるが― 万券こと一万円札に描かれている平等院の鳳凰である。と、一言解説をなした上で、ここでまずもって、押さえておいてほしいのはだ。上掲図の中央に見る合衆国国章の中の鳥、それは「ハクトウワシ"ではない"のでは?」という疑惑が一部で取り沙汰されていることだ。1782年から1841年まで用いられたとされる合衆国国璽に刻まれていたその鳥は[ハクトウワシ]などではなく[不死鳥ことPhoenix]であると一部洋書などで問題とされているのである(よく見れば、お分かりになろうが、実際、それは"ワシ"の類に見えない)。

 上のような話を含んでいただいたうえで上掲中央の[かつての国章に描かれていた存在]と上掲右の[平等院の鳳凰]を比較いただきたい。
 [広げた羽の形状]。[長い首]。[照らすように存在する光輪のような印章の位置]。[長い尾]。それらが顕著な相似形を呈していることがお分かりになられたことか、と思う。無論、鎖国下の日本にアメリカ人がやってきて自国の国章に日本の平等院の鳳凰を反映させようとしたなどという馬鹿なことはありえない。そう、お断りした上で述べよう。

 「おそらく、合衆国の国章(の初期版にその姿を現わしていた)フェニックスと平等院の鳳凰を結びつける人外のおふざけがあったのだろう」。

 現時(本記事執筆現時)、日本語のWikipediaでは「鳳凰とフェニックスは別物である」と書かれてはいるが、それは人間のレベルの発想にすぎないと述べつつ、そう考えられるのだ(上に挙げたような事例の形態の一致性が鳳凰とフェニックスの関連性を雄弁に物語る。その点、日本では手塚治虫のような漫画家が鳳凰とフェニックスこと不死鳥のイメージをごちゃまぜにし、[混同]の根を造ったなどとも言われるが、[混同]など最初からなかったともとれる。火と結び付けられる二つの神話上の鳥が同一視されるか、別個のものとされるかはそういった象徴記号を人間に用いさせる人外の胸先三寸の問題にすぎない、といった話につながることとして)。

 以上で、先に論ずるとしたこと、ハクトウワシの時点で実は性質の悪い象徴が介在している、ということを訴求しえたと思う。
 とした上でさらに深い話をすると上掲抜粋図の時点で容赦なく[爬虫類人人類支配説を指示する視覚的なる根拠]となる。それについては上掲中央のフェニックスがすでに一言だけ言及しもしている存在、[ホルス]と結びつくこと"から"話す必要がある。ホルス。フリーメーソンの一つ目がそれ由来とされるエジプト由来の神格であり、ゆえに合衆国国章に見る[ピラミッドと一つ目]の一つ目の持ち主であるともとれる神格だ(上掲のパンドラの箱に描かれている存在であるともしていいが)。
 「合衆国国章に見ることが出来る[ピラミッドと一つ目]のメーソン印章の起源がホルスの目である」という話、多くの論者が主張する話の通りなら、国章の反対側に描かれているハクトウワシもホルスとなり(ホルスはハヤブサを体現した存在である)、それは上掲のフェニックスがホルスであることとも同義だ(ホルスが[毎朝昇って"復活"する"太陽"と結びつく鳥の神格]であることもフェニックスが["復活"と"火"と結びつく鳥]であることと関わる。さらに言ってしまえば、ホルスが往古エジプト神からギリシャ化されてハルポクラテスという神となり、[キリストとマリアの"母子像"]のひとつの原型を提供していると"される"ことを込みに考えて、[ホルス=フェニックスの視覚的効果]が死んだ人間が復活することを説くことの馬鹿馬鹿しさを高度に示唆あるいは茶化している可能性も考えられる)。
 そして、そのようなことは、ホルスと合衆国国章上のフェニックス(ととれるもの)が同義であることは、下に挙げたような各点(III)から[爬虫類人人類支配説を指示する視覚的なる根拠]となるのである。

I.今日、見ることが出来る[ホルスの一つ目]のシンボルは往古、[蛇の神ウアジェトの一つ目]であったとされる(:本稿執筆時現在、日本語Wikipdeiaの[ウアジェト]項目には[ウアジェトの目]が実際は[ホルスが悪神セトとの戦いのときに奪われた目]である、などと誤解を招くようなことが書かれているが、英語資料を渉猟し、神々の前後関係から熟考したところ、[ウアジェトの目]⇒[ホルスの目]との変転過程の方が正しいととれる)。

II.上に記した理由から「ホルスと同一視されるフェニックスである」ともとれる、かつての合衆国国璽に刻まれていた鳥。それは口に帯を加えている ―上掲図参照―。 実はその帯、[蛇]の体現物と合理的に解釈できる。何故か。それ単体で蛇に見えるということもある。20世紀になって制定されたというメキシコ「国章」に描かれているのが[蛇をくちばしでくわえるワシ]であることも大きなこととしてある(実際にインターネット検索し、見てみればよい)。だけではない。他にも本Webサイト上の他所に述べたように欧州では中世の写本の挿絵の時代から帯で隠喩的に蛇を体現していることが非常に多かったということもある。ために上掲のフェニックスと思わしき鳥(あるいはホルス)が加えているのは蛇であると合理的に解釈できる。
 そして、それが口を両側から開けている双頭の蛇、いわゆる[アンフィスバエナ状の形態]をとっていることがきわめて意味深いというのが私の考えだ。再度、何故か、だが、私の公開した自著『人類と操作』にて図解を講じつつ言及していることとして猛禽類を権威の象徴にする人類史上の風潮には[双頭の鷲]を権威の象徴とする淵源があり、その[双頭の鷲]のさらなる淵源の一つがAmphisbaenaことアンフィスバエナ(双頭の蛇または竜)紋様にある、ともとれるからである(フリーメーソンの上位階層の象徴ともなっている[双頭の鷲]についてはバビロンの都市で用いられていた双頭の鷲に由来するとの指摘もあるが、アンフィスバエナ"も"その生成に関わっている可能性もあると見ている
 アカデミカルな話に偏りすぎたが、仮に上の[フェニックス]がアンフィスバエナとしての蛇をくわえているのなら、だ。上掲の合衆国国章に描かれている帯 ―あらため蛇― は[蛇の神、ウアジェトの目がハヤブサの神、ホルスの目としてフェニックスよろしく"復活"したこと]を示し、[双頭の蛇がフェニックス紋様あらためハクトウワシ紋様に刻まれて生き続けていること]を指し示しているともとれる現代のグリーンバックことドル札には蛇が絡みつくような唐草文様が多数、描かれているが ―というより$マークの由来自体が蛇だとされている―、その中でハクトウワシが帯をくわえている国章の部分は実は[メーソンの象徴たる双頭の鷲]でありえ、その由来となっていると思しき[アンフィスバエナ]でさえありうる:右のような一見、素っ頓狂ともとれる話に関する図解については本Webサイトからダウンロード可能な著作を参考のこと)。

 上のIIIが改定を施される前の初期合衆国国章に見ることが出来るフェニックス状の鳥の時点で(それがホルスと同一視されるという文脈にて)[爬虫類人人類支配説を指示する視覚的なる根拠]を垣間見ることが出来るという理由となる。爬虫類人の象徴言語ともされる[蛇絡みの印章]の頻用が人間業とは思えぬ形で秘教的に現代に引き継がれている、という文脈上。

 何?こじつけがましくはないか、だと?そういった想いを抱かれた方にはよくよく考えていただきたい。日本の[一万円札の鳳凰]に日銀券印章制定に際し絶対に参考にされたはずがない[160年以上も前に廃された合衆国国章]との際立った相似形を認めることができる、それも、鳳凰とフェニックスという火に絡む伝承上の存在を対応させつつ認めることができるという[馬鹿げたこと]が現にある、という現状について考えていただきたい(日本の一万円札に鳳凰が描かれていたのは1958年から流通していた聖徳太子が描かれていた版も同じである。個人的には、上に挙げた紙幣の10000円の額面記載部の隣に蛇ともとれる唐草模様が描かれていることもかぐわかしくとっているが。不平等の象徴、紙幣に"平等"院の鳳凰を刻むその性質の悪質さと並んで考えるべきこととして)。そういった[馬鹿げたこと]の延長線上として、いかに悪質な比喩が成立していたとしてもおかしくはないだろう。

 いかがであろうか。以上、挙げた事例から"だけ"でも爬虫類人人類支配説が視覚的なる支持材料を伴っていることをお分かりになられたのではないだろうか。
 爬虫類人人類支配説が説得力をもって迫ってくる[視覚的なる事情]については他にも挙げるべき事例がたくさんあるのだが古今東西の遺物などありとあらゆるところに他事例を見いだせる。日本も例外ではなく)、それらについての解説は私の著作、本Webサイトからダウンロード可能な著作や本Webサイト上の他記事に譲ることとしよう。

 語りきれなかったことも多かったが、そして、細目にこだわりすぎてしまった風もあるが、とにかくもである。本記事、[異説の流布者の来し方]から述べ始め、[異説が非属人的なる要因で受け入れられた背景]や[異説が視覚的に説得力をもって迫ってくる事情]に触れた本記事を通してそれなりのことは伝えることができたと思う。背景を論じてきた爬虫類人人類支配説の真偽判断は読者に譲るしかないが、肝心要なのはこの世界を変えたいという気持ちだ。あとは本Webサイト閲覧者たちの一部でもいい。考えることも訴えることもまだ十二分に出来る方々が[ガス室がついていそうな監獄](濃厚にそうだと疑われる理由は他にて詳述している)の壁を壊す方向で動いてくれたならば、と願っている。


※補足 
 本記事で分析対象とした爬虫類人人類支配説の主唱者、デービッド・アイク( David Icke )。彼はここ最近になって自著にて次のようなことを言い出している(その傾向は2010年の彼の著書でより強まりもしている)。

人類の多くは爬虫類人によって[蜂の巣の精神]( Hive Mind ハイブ・マインド)を押しつけられている。彼ら、爬虫類人自身の階層秩序がそうであるような形で、だ

 馬鹿げているだと?であるが、上は全くもって笑いごとではない話だ。出来の悪いSFに登場する悪役の特質としても登場する[集合精神が支配された状況]。そのような状況が人類にも当てはまること(特にフリーメーソンのような連中に強く当てはまること)を示す象徴が古今東西の文化事象の中に見いだせるからだ(なかんずく、インドの象徴群は露骨だ。諦めの空気が充満しているあの国を旅した人間として言うが)。
 貴方が上のような物言いに対し、どう思おうが、私は頓着しない。「そんなことはありえない」と全否定しようと、「あるけど、マーベラスな話だぜ」と肯定しようと、頓着しない(宗教団体に心魂を完全に売り渡したような人間は「何が、蜂の巣の精神だよ。真我に至ることは尊いことだよ」などと古代インドから言い古されていた概念をさえずるかもしれない。私もそれが万人の不幸につながらなければ、勝手に言っていればいい、と寛容をもって接するだろう ―が、現実にはそのような甘いことを言ってもいられそうではない雰囲気になってきているような気もしはするも―)。
 であるが、とにかく、知っておいて欲しいのは「(直近に述べたように)人間の歴史上には[蜂の巣の精神]を体現したような象徴物が多々、見受けられ、それが蛇のカルトとされるフリーメーソンにまつわるシンボリズムなどと奇怪に接合している」ということである。そのことは、無論、爬虫類人人類支配説に深く関わる話でもある
 ゆえに、本補足部でそういった[蜂の巣の精神]を体現していそうな象徴物の"極々一例"を挙げておこう。爬虫類人人類支配説につき分析した記事の補足として相応しかろうということで、である。

 左上は言うまでもない孔雀だ(掲載したのはその最大種、マクジャク)。その孔雀を発端に[ハチの巣の精神]ことハイブ・マインドの象徴物といえるものに触れていく

 右上。19世紀に活躍したラジャ・ラヴィ・ヴァルマというインド人画家が描いた神の絵。南インドはタミール地方で勢威を誇るムルガン(Mruga)という名のヒンドゥーの戦争の神の絵だ。"青い"孔雀の上に"赤い"姿で座る ―フリーメーソン組織は"青"ロッジの上に"赤"ロッジがくるよう位置づけがなされていることは有名― ともいう神ムルガンを描いた『勝利とクンダリーニの神』という題のその作品、見れば分かろうが、「孔雀の羽毛の紋様を多数の目に見立てつつ複数の人格が融合した集合意識を表している」。あとは「蛇が人に悟りをもたらすなどとされるクンダリーニに仮託され、集合意識の象徴神と向き合っている」という画の意味を考えてみればよい(クンダリーニとは体内に眠るエネルギーのことを指し、クンダラやクンダリンは螺旋やとぐろ巻く蛇との意味を持つ言葉だ。個人的には、そのようなものを中途半端に開花させた人間が「精神に異常をきたし自殺に走る」などとされていることを興味深くとっている。クンダリーニ・ヨガを始めとしたヨガと似たような瞑想重視の修行方法をとる日本の禅。それにも幻聴などをきたす精神の病(とされるもの)、禅病があるからだ:オウムのような人形からなる麻薬利用カルトに狂ったジャンピング・ヨガごっこをさせていた解答も「悪魔のジョークとして」そこにあるのやもしれない、とも見ている)。

 左下。チベットの仏教美術作品。いわゆる[第三の目]の目が開いてしまった存在が融合し、何か因果な状況になっていることが、そう、孔雀の羽の目に仮託されるがごとくの因果な状況になっていることが見て取れる。それも[ハチの巣の精神]に突入した人間の状況の象徴ととらえること"も"出来る。チベットの仏教美術作品にはグロテスクさ、ここに極まれりという形で[蛇の"隠喩的象徴"と頭部が融合した集合精神神格化存在が結び付けられている図像]も見受けられるからだ(すぐに言及するが、インドやその他、アジアのみならず、そういうものは欧州にも見受けられる)。

 右下。 ドイツ帝国の領邦だったザクセン・アルテンブルク公国の紋章だ。そこに見る紋章学に言うところのクレスト、[兜飾り]を見てほしい。中身が空っぽになった甲冑 ―それがプログラムのようになった統治者(人間)達の寓意であることはここでは深く述べない― の上に孔雀の羽が飾られているのが見てとれることだろう。その孔雀の羽根飾りとお隣の兜飾りの有り様を比較いただきたい。もう、私が何が言いたいか、半面で理解していただけたはずだ。
 そして、欧州には集合意識に対する支配の図が他にも存在している。自著に挙げたものとして、ここにはその図を挙げなかったが、地獄の図にまつわる絵、アストラル・プレーン ―天と地の狭間の領域。興味深いことに瞑想によって実感できる世界とのオカルト理論も存在している。フリーメーソンから派生したオカルト団体にはそういった領域の探訪を目的の一に掲げているところもある― にまつわる絵としてだ。[身体より蛇を多数、這わせた悪魔が人間の霊体を咥えこんでいる図]などが存在したりしているのだ(中世の頃からだ)。それもまた、人間の集合精神が悪魔的存在の虜囚になっていることの比喩的表現となっているととれる(インドではほとんど同様の構図を[三神一体]、他で詳説する所存の根本教義 ―調べたところ、オウム真理教のゾンビ人間達の教義にも影響していたらしき教義― で神の世界のお話にしてしまっているのだが)。

図を挙げての追記をなしておく。
[左]江戸期浮世絵に見る典型的「鳳凰」像。
[右]欧州近代画に見られる「不死鳥」像 ―絵の不死鳥はロシアの民話で[王の庭から黄金のリンゴを奪っていたとされる火の鳥]をモチーフに描かれている―。
両図を通じて述べておきたきは次の二点である。
伝承では鳳凰の尾は[孔雀の尾]であるとされている(上の図でもまさにそうだ)。そのことは Hive Mindにまつわるここでの話と結びつきもする。
[ロシア民話に登場する火の鳥]を[東洋の鳳凰像]と結びつけようとした画家の思惑が上の右の絵に作用しているとも考えられる(常識的に考えれば)。だが、本記事本文で論じたように[改訂前のアメリカ合衆国国璽に見受けられる存在]と[一万円札に描かれている平等院の鳳凰]の馬鹿げた類似性の問題はそうした常識的伝播論で説明がつくものではない。ために、「鳳凰や不死鳥は[操作にまつわる特殊記号]となる」と考えられるが、そこにいう鳳凰が孔雀と結び付けられていることは[爬虫類人人類支配説][孔雀の象徴画に見るハイブ・マインド的特質]の関係をより際立たせもする。

 どうだろうか。孔雀 ―ギリシャ神話で孔雀は蛇の杖を持つヘルメスに殺された百の目巨人アルゴス]( Argus Panoptes と結びつく存在だ― の例を引き合いにし挙げている極一部の例だけでも、だ。人間の集合精神が蛇で体現される存在に拘束されているという語り口のハイブ・マインドの話、そう、爬虫類人人類支配説の帰結として出てくる話を深く語ることが出来る素地があるのをご察しいただけたのではないだろうか(:重々承知のこととして[集合精神]云々は(私が忌むような)神秘主義者特有の物言いともあいなるわけだが、そうした側面を脇に斥けたうえででも深く語ることが出来そうなこと、部分的にご察しいただけたのではないだろうか)
 とした上で言っておくが、類例は他にもたくさんあり、そこから、いくらでも話を広げていくことも出来る。例えば、[蛇のカルト]とされていると本記事前頁にて述べたフリーメーソン。そのフリーメーソンが悪趣味に儀式用エプロンに[蜂の巣]を描いたりしているのも同じ括りで語れることだ私のようなフリーメーソンが大嫌いな[外部]の人間もそういった不快なエプロンの構図を英文Webサイトから確認できたりする)。あるいは、フリーメーソンと歴史的にプロレスを演じてきたカトリック。蛇を悪魔の王の象徴と嫌ってはいるが、その実、秘教的なる蛇絡みのシンボルを用いてきた節があるカトリック。その教皇の歴史的なる冠の一部がグロテスクに[蜂の巣]状の形状をとっており、それが教皇の紋章に見ることが出来るハチの姿と不快な形で接合したりすることも同じ括りで語れることだ

 何?そんな話をされても、そもそも[集合精神]が何なのか分からない?デービッド・ボーム(故人)のような第一級の物理学者でさえもが
「人の魂はそもそももってからして根源で一である可能性がある」
と述べていたこと(私はあたら権威を持ち出すのを良しとしてデービッド・ボームの名を出したわけではない)などを交えつつ量子力学の波動・粒子二面性の説明をなしても、[集合精神]自体について全く考えたことなき方にはそれが何なのか、想像にも及ばないかもしれない。
 ために、(ここでの話が避けて通るべき神秘主義的な話に傾きすぎていること、承知の上にて)誤解を恐れず続けて言うが、「世の中には[集合精神]という言葉で表されるものにつき深く考えざるをえない状況の人間がたくさんいるように見受けられるとだけはそうした向きにも押さえておいてほしい(:だから、そういったテーマと操作の問題についても(真偽は別として)非常に細かく触れているデービッド・アイクの本が売れ、彼の説が注視されているようにとれる。 あるいは ―そも、[集合精神]という言葉は宗教の徒輩の専売特許となっているようなものでもあるのだが― 宗教にて[精神の垣根を人を超えた超常的なる存在に対し取り払うことと接合する[梵我一如]や[三位一体]などという言葉]が重んじられ、仏教を奉じる東洋にあって古来、[多数の精神が合一を見ていることを示すような多頭の仏像たち]が慈愛の仏あるいは軍神として(印度宗教の崇拝物よろしく)数多制作されてきた理由もまたそこにあるようにとれもする)。
 そういった方々、集合精神につき深く考えざるをえなくなった人々は ―それが[内面の束縛]と結びつくのなら尚更のこととし― ある意味で大事なものを奪われた犠牲者となってしまってもいる。いいだろうか。私は創価学会の如きカルトやそれと悪しきおトモダチ関係にあるフリーメーソンのような組織が大嫌いだが、のような組織に「特に」そういった方々が五万と含まれていると言えるだけの背景が ―流布された言行録を分析したうえで述べることとしても― あるのだ([集合精神と操作の問題]について考えている向きはその他にもたくさんいるととれるのだが、それを言うときりがないので詳しくは書かないこととする)。集合精神につき考えたことがなかったという向きにも、それだけを押さえておいていただき、この世界の悪と向き合ったとき、本然を見失わないでいてほしい。

 爬虫類人人類支配説と表裏をなす、人類の集合意識に対する支配の話(人類昆虫化計画あるいは昆虫化事実とも言うべきハイブ・マインドの話)。について、不十分ながら、補足をなしたところで本記事を終えよう。

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