運命の女神フォルトゥナの運命の輪。それは大災厄実現プログラムに関わる事象たりうる
はじめに。
「本記事は本Webサイト上のいくつかの他記事 ―本記事中、都度、紹介― と密接不可分な関係にあり、それらの内容を押さえていただかないと、理解がおぼつかないものとなっている。
なかでも、
[二匹の獅子と操作の比喩]と題した本サイト上の他記事 ―右の文字色改変部をクリックすることで遷移可能―
は本記事の前提となる内容を含んでいるがため、その[二匹の獅子と操作の比喩]と題した記事から"先に"読むことを強く勧めさせていただく」。
以上のような断りをなしたうえで本題に入るとし、まずは下の図をご覧いただきたい。
上の図につき[左側]の図の方はアルブレヒト・デューラーの16世紀初頭の作品で[運命の女神フォルトゥナ]を描いたものだ。
対し、そのフォルトゥナ画と向き合うように配置した[右側]の図の方は本Webサイトの他記事、[二匹の獅子と操作の比喩]と題した記事 ―本記事冒頭部にてリンク部を設けている記事― にて紹介したフランス第三共和政期のモニュメントで[革命の象徴としての女神マリアンヌ]を撮った20世紀前半の写真の一部である。
ここで冒頭で断ったこと、
「[二匹の獅子と操作の比喩]と題した記事を読んでいないと本記事を読んでもしっくりこない」
という話が早速、関わってくる。
推奨事前読解記事を読んでいない限り、上掲右側の図に見る女神マリアンヌの像が[悪質な比喩の塊]であることを理解しがたいだろうとの文脈でである。
その点、
「[かつて、それを取り囲むように笑い転げるが如くの巨大な爬虫類状の生物の像らが据え置かれていた像]/[アナトリア(現トルコ界隈)由来の去勢をなす女神(キュベレという女神)の具現化様式と際立った相似形をなす像]/[同じくの伝承上の去勢をなす女神の去勢対象とされた神(アッティスという神)と同様のフリギア帽を解放奴隷の象徴として用いていた革命勢力が革命を起こしてきたことの奇怪さを(事後的にでも)端的に示す像]が上掲右にて写真を挙げた像 ―革命の象徴としてのマリアンヌ像― である」
というのが冒頭より事前読解を勧めもしていた、
[二匹の獅子と操作の比喩]と題した本サイト内の他記事
の内容にして帰結である(:本記事ここでの段だけを読めば、 ―当然のこととして― 何を言っているのか、分からないだろうが)。
そのように述べつつ、上にて言及の[既紹介の他記事内容・帰結]を前提に話を進める(:くどいが、[二匹の獅子と操作の比喩]と題した紹介記事を読んでおられない方々にとり本記事は[意味不分明なる駄文]と見えてしまうような構成となっている)。
さて、上掲右のマリアンヌが上掲左の[運命の女神フォルトゥナ]の画(欧州で極めて有名な巨匠デューラーの作品)と形態的に近しい格好をしている ―[女神が球体の上に乗っかっている]などしている― のには「"それなりの意味がある"」と考えられる。
写真のマリアンヌのモニュメントが既述のように[悪質な比喩の塊](:例えば、上掲右側の写真のマリアンヌが手に[ローマの法の象徴ともてはやされるファスケス]/[ファシズムの命名由来となっているとされる棒の束と斧を合わせたファスケス]を持っていることも悪質な比喩に含まれる)とも言うべきものであること"も"深く関わってくることとして、である。
「嗜虐的なる操作者が彫"らせた"としかとれぬようなマリアンヌ像にフォルトゥナ類似の象徴がまぶされていること"も"また悪質な比喩の一要素と自然にとらえられる」
という文脈上、マリアンヌとフォルトゥナの相似形には「それなりの意味がある」と考えられるのだ。
では具体的にどのような意味があるというのか。
それに関しては、
「フォルトゥナという[運命の女神]のシンボルが近代の革命を主導してきたフリーメーソンのような手合いを頤使(いし。使役)しているとの[人外]とでも表すべき存在にとって長期的プロジェクト ―あるいは、結末のつけ方― の方向性を示すアイコン(象徴記号)となっている。実に性質悪き象徴記号となっている」
と考えられることにまつわる意味がある(随分というより、あまりにも遠大な物言い、人によっては[妄想狂のそれ]ともとられかねない物言いと聞こえるだろう。が、我慢して先を読み解いてほしい)。
[フリーメーソンを操作する人外]云々の話 ―「人外」の一語で[常識人の世界]ではまさしく[トンデモの極北]とも言うべき話柄とあいなるだろうが― については「本稿を読む前に読んで欲しい」と冒頭から述べてきた記事([二匹の獅子と操作の比喩]と題した記事)やその他の本Webサイト上の記事・記載内容に譲り「とやかく、その内容を解説しない」として、である ―そういう(世間的に見て)馬鹿げた話としかとられぬことを論じるにあたっての委細を他記事に譲っていることも「推奨の特定他記事を読んでいただいてから本記事を読んでいただきたい」と(くどくも)述べている理由となる― 。 当然にして誤解・曲解を招くようなエキセントリックな物言いで記事を書きすすめているとの一事の前提にあることは他所に譲って解説しないとして、本記事固有の今まで述べてきたことに対して「だけ」でも、
『上抜粋図にあってのフォルトゥナという運命の女神とマリアンヌ絡みのモニュメントの一致性の話を過度に一般化しようとしていないか?(そもそも、マリアンヌ像とデューラーの絵だけからフォルトゥナ絡みの普遍的なる相似形を見出すこと自体が妙ではないか?)』
と思われる方もおられるかもしれないから、次のようなことを述べておく。
「まずもって、フォルトゥナという女神が球体に乗っているのは上のデューラーの絵に限られない。むしろ、球体に乗っているのはフォルトゥナの広く知られた姿である(すぐに他例については挙げる)。また、繰り返すも、上のマリアンヌの図像は[悪質な比喩の塊]と言えるだけの事情があり、そこに意味を見出さ"ない"方が甘いと言えてしまうようなこととなっている。ために、マリアンヌのモニュメントを引き合いにフォルトゥナ像に性質悪き意味を見出し、それを訴求することに[飛躍]や[過度の一般化](持説押し付け論法。いわゆる牽強付会というやつだ)というべき要素はさしてない(それに[悪魔のマリアンヌ像]を持ち出さずともフォルトゥナの不快な寓意を論じることが出来るということもある:そうはしなかったが、本記事の以降の内容でお分かりいただけるはずだ)」。
以上をもって、ある程度、
[前提となること]
を述べた。述べたので、ここよりフォルトゥナを[危険な要素を体現した象徴記号]と見る具体的なる話に舵を切る。下に挙げる各図をご覧いただきたい。
抜粋図は左から順に
[16世紀前半、オランダで描かれた運命の女神フォルトゥナの姿]
[運命の輪を廻し人の運命に結末をつけるフォルトゥナを描いた絵画](19世紀の英国人画家エドワード・バーン・ジョーンズの作)
[15世紀から存在していたとされ今日伝わるタロットの原型的存在とされるヴィスコンティ・スフォルツァ版タロット( Visconti Sforza
Tarot deck )の中の運命の輪を描いたカード]
となっている。
ここでそれら抜粋図につき問題視すべきことは次の〔1〕から〔3〕の各点だ。
〔1〕上図をもって先述したような[ある程度、一般化もできる構図]すなわち[フォルトゥナが球体の上に乗っかている構図]を見てとることができる(左の図)。そのことは先になした話、「フォルトゥナとマリアンヌの彫像に相似形を見出し、それに関し云々することは不自然ではない」との話を「視覚的に」補強するものである。
〔2〕フォルトゥナが回す[運命の輪]が極めて重要な象徴となる(:運命の輪。日本のコテコテな昼ドラマに出てきそうなフレーズだが、その語源はフォルトゥナと往古から結びつく節がある。欧州では中世、フォルトゥナの運命の輪が広く図像化されていたのだ)。
何故か。
同[運命の輪]が
[スフィアとの名称で表すべきだろう特定の球体構造](:フォルトゥナと結び付けられもするその[特定の球体構造]については本記事後の段で解説する)
との関係で重要な象徴となり、その関係が2001年の911の事件の背景にある思考法を「一面で」説明することにつながるからである(:のようなことを唐突にも述べだすと私が[問題意識の所在]と題した本Webサイト上の他所にて書いたことを読了していない向きにとっては[およそ理解不能な物言い]と映るだろう。が、本記事だけからだけも「およその概要だけは」理解できるよう解説を講じたい)。
〔3〕タロット・カードの[運命の輪]。15世紀の最も古いタロット・カード(上掲右)などにも見ることが出来る同[運命の輪]がタロット・カードそのものとあいまって重要な意味を有する、と述べられてしまう ―言っておくが、私はタロット占いなどという下らないオカルト論体系には何の興味も抱いていない。ここで問題なのは[タロットにメッセージを介在させるような力学]が存在しているということだ― 。
上の〔1〕にての[それ自体で完結している確認の話]はもうよいとして、直近、枠線で括った部にて表記している〔2〕と〔3〕の具体的なる中身の話に入る。
端緒として次に挙げる図像群をご覧いただきたい。
まず[最左部(左列)の上の方の図]からだが、[アルファベットのTの字が逆の方向に配置された球体]が描かれた同図、
[16世紀オランダ絵画(ひとつ前の図の抜粋部にて挙げた画)の中のフォルトゥナが手に持つオーブの拡大図]
となっている。
その直下、[最左列の下の部の図]は
[西洋のオーブの典型的なる構図 ―丸の中にTの字を書きこむという構図― を描いたもの]
である。
次いで、[上掲図中央部の図]だが、
[ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロットの運命の輪のカード ―ひとつ前の図の抜粋部にて挙げたもの― の部分拡大図]
である。
さらに、[上掲右の図]だが、―唐突極まりないものだとは承知の上で挙げるも―
[『ファイト・クラブ』という著名映画の中の一場面に登場するオブジェを ―およそ形式でだが― 再現したもの]
である。
図の由来に言及したところで図の抜粋意図の「説明」に入る(確認のために述べれば、そこにいう「説明」は図の抜粋前に問題視した点、先の〔1〕から〔3〕のうちの〔2〕と〔3〕に関しての具体的なる中身の話に接合するものである)。
ここでは左からではなく右から説明するとした上で、[上掲右側の図]からだ。
上にても述べているように、そこに見る黄金の球体は一九九九年に封切られた映画、『ファイト・クラブ』にて登場したものである。
そして、―該当詳述箇所を読まずに本記事"だけ"を読んだ限りではトンデモ論の典型ともとられようことが― 同映画、『ファイト・クラブ』は2001年の911の事件の露骨なる前言映画(あるいは完全なる犯行予告映画)となっている。
信じがたい話かもしれない。だが、
[フリーメーソンのような手合いが911の事件を予告"させられていた"のが同『ファイト・クラブ』だということは帰納法的手法(証拠を積み上げる手法)で完全に客観的に証明可能なことであり、私は本Webサイトの他所でその証明をなしている]
のである(:申し様に偽りがなきものか確認いただきたい。該当部表記箇所は[問題意識の所在]との題の本Webサイト・カテゴリ内における[問題意識の所在―6―]というページ ―文字色改変部をクリックすることで遷移可能― である)。
911の前言がなされているという同点につき『真実かどうか疑わしい』という向きは詳説箇所(直近にてリンク部を設けている参照先)を読んでいただければよいとして、ここでは『ファイト・クラブ』が911の事件の予告映画だったことを「前提に」話を進める(:冒頭部より述べていることを繰り返すが、「本記事は本サイト上の他の記載内容に多くを依ってものしているものとなる」)。
他記事内容を「前提に」話を進めるとした上で以下のI-IVを順に把握してほしい。
I. 911の事件の現場となったWTCことワールド・トレード・センターには[スフィア]というオブジェが据え置かれていた。その[スフィア]、911の事件で焼かれた。焼かれたも、後、事件の犠牲者に捧げる[永遠の炎]としての位置づけを与えられて ―実はそのこと自体が嗜虐的なるジョークの現れともとれるのだが― バッテリーパークに飾られるようになっている(:詳細については[問題意識の所在]と題した当該サイト内の他カテゴリにおける[問題意識の所在―8―]というページにて解説している)。
II. 上のIにて述べたWTC据え置きオブジェだった[スフィア]は諸事情からフリーメーソン・モニュメントと言えるのだが(:先にリンクも貼った[問題意識の所在―6―]参照のこと)、それと極めて似たオブジェ、というよりコピーそのものであるものが映画『ファイト・クラブ』、同時ビル爆破倒壊を最終目標として描いた映画劇中にて[ビル爆破の前の一石二鳥計画]の一環として転がされていた(:『ファイト・クラブ』が911の前言だと言えるのは"その程度"の生ぬるい根拠だけによるのではない)。その[スフィア・コピー]が他でもない[上掲の右側の図に見る球形のオブジェ]である。
III. 「ここで述べることは本記事の後の内容にも関わってくる重要な話として押さえておいていただきたい」とした上で述べるが、
「上記IIにてWTCのスフィアにそっくりだと指摘した『ファイト・クラブ』登場のオブジェは[円の中にTの字が描かれたもの]になっている。
その形状は西洋にあって古来から伝わる世界地図の表記方法、
[TO図と呼ばれる世界地図の表記方法体現構造]
に対応しているとも合理的に解釈可能なものであり(:[問題意識の所在―6―]と題したページにて解説)、かつ、さらに言えば、[中世に作成された羊皮紙製写本内の図像内容 ―本サイト内他所にて具体例を抜粋― ]より[人間の内面、魂と呼ばれるものが住まう場、あるいは魂そのものの象徴物]と接合していると解釈可能なものでもある(:とりたてて、[問題意識の所在―7―][問題意識の所在―13―][問題意識の所在―14―]と題した各ページにて詳しく言及している)。[オーブ]とも称すべき象徴物の形状として、だ(オーブとは宝珠のことでスフィアと[球]との意味を共有している)」
IV. 直近表記のIIIにて述べたことが上掲右上、『ファイト・クラブ』登場のスフィア・コピーのスケッチをここにて挙げた理由となっている。丸の中にTの字を描いた構造、[欧州にて古来から伝わる世界地図表記法の構造]にして[欧州中世写本にあっては人間の魂の住まう場あるいは魂そのものと関係するものとして描かれた構造]を"予告"映画の中のスフィア・コピーがとっていることが後述する観点上、重要ととれるため、スフィア・コピーのスケッチを挙げたのである。
以上、IからIVを読まれたことでどういった意図をもって上掲右のスフィア・コピーのスケッチを抜粋したか(半面でも)慮りいただければ幸い、として話を進める。
ここまででもって[上掲右の図] ―予告映画『ファイト・クラブ』登場のスフィアのスケッチ― の抜粋意図につき「部分的に」「核心部には触れぬ形で」言及したところで、である。次いで、[上掲の中央に見る図]たる[ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロット中の運命の輪のカードの部分拡大図]と[上掲の左の図]たる[16世紀オランダ絵画中のフォルトゥナが手に持つオーブの拡大図(及び西洋のオーブの典型的なる構図)]の抜粋意図の説明を一言だけなす。
さて、その点については(上掲中央および右の図の抜粋意図については)上掲の右側の[映画『ファイト・クラブ』登場オブジェのスケッチ]抜粋意図の部分的言及段階で大体のところは察しがついた方もおられるだろう。
『 [上掲中央]及び[上掲左側]の図と[上掲右]の図は[丸にTの字]印章という構図を共有しているがため、2001年の9月11日の事件と何らかの関係がある、タロット・カード(上掲中央)も運命の女神(上掲左)も2001年9月11日の事件と何らかの関係がある。そう述べたいのだろう?』
などと考えたりしながら。
に関しては、「まさしくその通りである」、―(映画『ファイト・クラブ』が根拠を積み重ねる方式で(異論なくも)[911の事件発生の事前言及作品]となっていることを容れていただかなければ理解はしていただいても納得はいただけないだろうが)― 、『タロットカードおよび運命の女神が911の事件と関わっていると述べたいのだろう?』という見立てを抱かれたような向きを想定してのこととして
「まさしく、その通りである」
と述べたい。
そう述べたことをもって上図像群における[中央の図](ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロットに見る[丸にTの字]構造を背とした[フォルトゥナ]像)と[左の図]([タロット以外の絵画に見るフォルトゥナ]が手に持つ[丸にTの字]構造を具備したオーブの拡大図)の抜粋意図を ―「端的に」ながら― 説明したことになる(:「共通要素があるから抜粋したのだ」と述べていても本段階ではまだ「何故、抜粋したのか」まで解説していないのであるが)。
ここまで論じたところであとは、である。 上述した図像群の抜粋意図を念頭に下に挙げるA―Iの各点をよく検討していただきたい(:言ってみれば、以下のA―Iがここに至るまで述べてきたことが向う先としての帰結の解説となっている)。
A. フォルトゥナが[丸にTの字]構造を背景に描かれている上掲中央図はタロット・カードよりのものだが、(あまりにも唐突になるも)、タロット・カードの象徴体系を用いて最悪の儀式的行為 ―生贄殺人― が実施されていると「客観的に指し示すことができる」とのことがあると[本Webサイト上の他所]で述べている。セレブリティなどと称されるに至った著名人が[タロットカードと結びつく際立ったやり方]で死地に追い込まれたという文脈で、である (:[「プログラムの象徴」としての生贄殺人]という題の他記事 ―文字色改変部をクリックすることで遷移可能― にて解説していることだ。 ※くどくも再言するも、本記事は本サイト内他所の読解を前提にものしているものであり、単体で検討されることは想定に置いていない) 。
そして、その儀式的行為は「フリーメーソンの何でもする者達を用いて」かつ「フリーメーソンの何でもする者達に対する意思表示として」実現されている節がある (:直近にて参照先とした本Webサイト上の[「プログラムの象徴」としての生贄殺人]という記事、及び、[問題意識の所在]カテゴリ内における[問題意識の所在―15―]にて詳述) 。
B. 上のAの延長線上の話として
「タロット・カードの象徴体系が911の事件の先にある予定を示唆するために用いられている節「もまた」ある」
ということがある(:911の事件が「11」と結びつくということは[問題意識の所在]と題したカテゴリ全体を通じて詳述していることである。そのことは ―ここだけ(本記事単体)を読まれるだけでは何を言っているのか[話のエキセントリックさ]ゆえにおよそ理解していただけないだろうも― 「11」の次にあたる「12」という数とも神話・伝承上の由来あって結びつくとも言える。言えるのではあるも、ハリウッド俳優が露骨なやり方でタロット・カードの12の象徴体系 ―北欧神話の主神オーディンにまつわる象徴体系― をまぶされた中で[演出された怪死]を遂げたのもその一環ととれる。※詳しくは直近にて参照対象として挙げた[プログラムの象徴」としての生贄殺人]との題の他記事や[問題意識の所在―15―]を参照のこと)。
そのことを示すのが以下に挙げるCからHの話だ。
C. タロット・カードは純粋なオカルト愛好家のみならず、悪しきオカルト主義者としての立ち位置を有していた有名フリーメーソン員と結びつくものでもある。
例えば、ウェイト版タロット、イギリス発の[現代タロットの一大形態]とまでなっている同ウェイト版タロットを作成したのは[黄金の夜明け団]という魔術結社 ―要するにオカルト結社― 所属のアーサー・エドワード・ウェイトという男だったわけだが、その男からして筋金入りのメーソンだった(とほとんど異論の余地なくとれる)。 ウェイト所属の黄金の夜明け団は創立者がフリーメーソンのフリーメーソン外郭団体であり(私の自著にて言及)、ウェイト自身がフリーメーソンの解説本をものしているからそのように言えるのだ(:メーソン絡みの詳しき解説を自著にてなしているが、私はメーソンではなく、メーソンのような者達 ―何でもさせられるような人種― を心底忌む人間である。そう述べた上で言っておくが、「私とウェイトが違うのは ―傲岸不遜ととられるかもしれないが本サイトの全体的内容から判断いただきたいこととして― ウェイトはインサイダーとして多く下らない駄法螺を放言していたにすぎない輩であり私はアウトサイダーとして[悪事の問責]をなしている」ということである)。
だけではない。ウェイトと同様、現代タロットカード形成史に名を残した存在として20世紀最大の魔術師(あるいは ―本当かどうかは知らぬも― 最悪の悪魔主義者)と呼ばれる男、アレイスター・クローリーがいるが、いわゆるトート・トロットの考案者たるそのクローリー、直近既述の[黄金の夜明け団]出身のフリーメーソン員である(要するに、クローリーもそちら系の役者か人形だろうと見えるということである。クローリーがメーソンであったこと自体に疑義を呈さんとするオンライン上の情報も現時見受けられるが、来歴からしてそうであると摘示することができるようになっている)。
そこから、こう言うことも出来る。
「タロットというものはフリーメーソン員が大好きになりがちな、フリーメーソン製小道具としての側面が強きものである」。
D. 繰り返すも、2001年の911の事件を起こしたのはフリーメーソンの者達だったと「指し示せる」ようになっている(:メーソン象徴・メーソン語を含む『ファイト・クラブ』のような映画で具体的場所込みでビル群の発破倒壊がなされるとの前言がなされており、なおかつ、WTC敷設のオブジェ、スフィアのようなオブジェにメーソン象徴主義の介在 ―王冠潰しの儀など― が見いだせることは事実である。地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教に創価学会の人脈が間接的に関わっていたとも国内絶版ノン・フィクション(『オウム帝国の正体』)で指摘されているが、といったことをこの世界でなせる組織力、憑かれたように動かされるとの組織力を有した者達がどういったところにどういう風に存在するか、よくよくも考えてみるべきだ)。
本記事では根拠を示さず結論だけ触れるとの形で委細を他所 ―本サイト内の[問題意識の所在―6―]と題した他ページ― に譲っているわけだが、
「誰が」(Who;白黒チェス盤の床やタイラー(メーソン役職名としてWikipediaにも掲載)に固執する相応の象徴体系の使用に固執する者達が)
「何を」(What;隣接するビルの倒壊を)
「何処で」(Where;ニューヨーク、なかんずく、ワールド・トレード・センター界隈で)
「どういった理由にて」(why;既存体制の混乱の惹起目的にて。右は人形のようなインサイダー向けの嘘の目的ととれるが)
「どのように」(how;発破(時限式爆弾)によって実現させる)
といったところまで具体的に言及した前言がフリーメーソンの比喩で溢れた映画『ファイト・クラブ』にてなされている、と述べられるのである ―海外ではそういったことについて分かりやすく触れた英語動画を公開している向きもある(まだ、のような動画が閲覧・入手できるかは保証しない)― 。
そして、そのような911の事件の予告映画(『ファイト・クラブ』)にてWTCのオブジェ、スフィアにそっくりなものが転がされている。
以上のことを前提に上掲中央に抜粋した、
[ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロットの構図](:同ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロット自体は15世紀のものということで18世紀に設立されたことになっている近代的フリーメーソンとは関係ないともとれるが、タロットには上のCで述べたようなことゆえにメーソンの連中に重視される側面がある)
に着目されたい。
[運命の輪]を描いたタロットが「それ全体で」911の予告映画に登場したスフィアのコピー作品 ―ワールド・トレード・センターに設置されていた実物のコピー作品― と「丸の中のTという形で」相似形を呈している。だけではない。運命の輪は輪という性質上、回転させれる存在だが、『ファイト・クラブ』の中のスフィア(コピー)もごろごろと転がされていた。そのことは、そう、"それだけ"とっても偶然には見えない。
E. フリーメーソンのアーサー・エドワード・ウェイトがこさえた上述のウェイト版タロット。その中ではそれ以前のタロット・カードと異なり、11番目のカードに[正義のカード]が割り振られている(伝統的タロットでは11番目のカードに配されているのは[力のカード]だ)。
そのタロットの[正義のカード]に描かれるのは、"一般には"
[目隠しをした女神として表される正義の女神]
であるとされる(;ウェイトのタロットに見る女は目隠しをして「いない」が、その由来はやはり[正義の女神]の起源としての存在、法と公正の女神などとされるテーミスであるとされている。法と言えば、本記事最上段で挙げたマリアンヌも["法"と権力の象徴にしてファシズムの象徴であるファスケス]を手に持ってはいるが)。
対して、上のDにても問題視したところのヴィスコンティ・スフォルツァ版タロットの[運命の輪]のカードにも同じく[目隠しをした女性]が描かれている(:図では分かりづらいが、そうなっている。一般に[運命の輪のカード]は10番目のカードとなっており、8番目、あるいは11番目の[正義のカード]とは別のものだ、と指摘しつつも)。
それは
[時に目隠しをされた姿で図像化されていたともいう運命の女神フォルトゥナそのものの姿]
なのだが、によって、
[運命の輪]がメーソン員にとっては「11」と結びついて意味をなす
とも考えられる(正義こと審判を司る目隠しされた女神と並んで、だ)。
メーソンには画期として"目隠し"をされる儀式が存在すること(:有名な儀式で写真も広く出回っている。有象無象の陰謀論者達が揃い踏みでイルミナティ ―光を与えられた者/与える者― という呼称にこだわっているのは[目隠しを儀式で外され光を与えられるメーソンへの意識]もあるだろう)を加味して考え、
「10番目のカードで目隠しをした運命の輪がかつて描かれており、最近の11番目の[改訂版]カードでフリーメーソン員のウェイトが正義の女神(:ただし、ウェイトの女神は目隠しをしてはいない)を登場させたことが明からさまな身内間の象徴言語として成立する」
からだ。
上に加えて留意すべきは
[2001年9月11日の事件が極めて多角的に「11」という数字 ―[運命]のカードに続く[目隠しの正義]ないし[ライオンとワンセットになった女の力]のカードの数値― と結びつくように調整されている]
ことである(:本Webサイト上の[問題意識の所在]と題したカテゴリ全般を通してその旨、詳説していると先にも言及)。
そういったことから911の事件は運命の輪"とも"結びつくよう調整されている節があると述べられるのである(※「ウェイト版タロットの10番目のカード、運命の輪が四大元素と結び付けられている」こともメーソンとの絡みで実は最悪の比喩につながりうる。その点については本記事で詳述しきれるものではないので[四大元素とフリーメーソンと911の事件の前言]の関係について触れた[問題意識の所在―10―]と題したページの該当記述部を参照いただきたい)。
補足としての図解部[1]
補足としての図解をここにてなしておく。まずもっては下の図をご覧いただきたい。
上図が指し示すところは ―基本的にはここまでの解説部に記載したとおりのことなのだが― 次のようなことである。
・フリーメーソン系魔術結社[黄金の夜明け]に属していたウェイトが作成に主導的役割を果たしたウェイト版タロットでは8番目のタロットカードたる[正義(Justice)のカード]と11番目のタロットカードたる[力(Strength)のカード]の位置が逆転している。
・直近述べたようにウェイト版タロット( Rider-Waite tarot deck )で11番目に配されているのは正義のカードだが、正義の象徴物は「一般論として」[正義の女神]となる(現にタロットでもそうなっている)。さて、[正義の女神]いうと司法の象徴神たる Lady Justice(あるいは古代ギリシャ・ローマに遡ってのその淵源たるテミス/ユースティティア)と同じくもの存在と言える。そして、[レディ・ジャスティス]というと[目隠しされた姿で表される存在]である(:ここにて問題としているウェイト版タロットでの女神は目隠しされてはいないのだが)。
・レディ・ジャスティスが被せられている[目隠し]というものはフリーメーソンが画期としての儀式の場で被せられるものでもある。ゆえに、[目隠し]はフリーメーソンのような類には想うところがあるものであると言える ―ネット上で目隠しされたメーソンの姿を検索してもよかろうし、映画、例えば、フランス映画 La Cite des enfants perdus『ロスト・チルドレン』(本サイト内他所紹介の映画でもある)にて悪役らが[画期的局面で付けられているモノクル(単眼鏡)]が目隠しの隠喩になっているらしきことに(実際に映画『ロスト・チルドレン』を見てみて)想いを馳せていただくのもいいだろう― 。
・11番目のカードの次に来るのは[吊るされた男(ハングト・マン)のカード](12番目)であり、[死神のカード](13番目)である(上掲図ではウェイト版からそのタロットカードの構図を抜粋した)。につき、 ―すぐ後の段にても再言及することだが― とあるハリウッド・スターが[死神のカード]を意識させるようにされつつも[ハングト・マンのカード]に仮託されて殺されている(死地に追い込まれている)と言える、とのことを細かくも当該サイト内の他記事で論じている。[一旦、目隠しをされた者達の中にて光を与えられたと誤信しているかもしれない最悪の連中]を伝達先としての象徴言語にまつわる話として、である。
参照先として挙げている当サイト内の他記事群をご覧いただいていないと消化不良の感は払拭いただけないかともとらえるのだが、読み手の消化不良感を少しでもやわらげられるようにと付した本図解部[1]はここまでとする。
F. 近現代タロットカードでは[運命の輪]は10番目のカードとしての位置づけを与えられている。と、確認した上で述べるが、その運命の輪は
[1から9番目で表される世界と11から20番目のカードで表される世界を分かつ存在]
とみなされたりもする(:[1から9までのカードに見る職掌・位階のタロット上表現とワンセットになった即物的世界]と[11から20までのカードに見る抽象記号体系のタロット上表現とワンセットになった精神主義的世界]の違いを分かつのが[運命の輪]であるなどと「極めて観念論的/抽象論的に」対比されたりもしながらだ)。
そういったこと ―単体で見る限り下らない抽象論と科学的人間に看做されようこと― とて911につながるべくの"9"と"11"の間に[運命の輪]を置いた符丁と「なりうる」(であったとしても、それは[911という数値が重きをなすプログラムの一要素]でしかないとも考えられるのだが。本質はギリシャ神話に絡む最悪の反対解釈話法にあると"立証"できるようなことがあるがゆえに ⇒ [問題意識の所在]カテゴリ中の[問題意識の所在―8―]参照のこと)。
そして、そこに述べる(9と11および運命の輪と結びついた符丁と)「なりうる」ということの蓋然性は ―本サイトで訴求していることを検討いただければお分かりいただけることかと思うが― 相当に高いものであるととれる。
G. フリーメーソン員、アレイスター・クロウリーは自身のこさえたトート・タロットで11番目のカードに『黙示録』の獣の象徴を配置していた(クロウリーと同じくフリーメーソンの役者だったウェイトが11番目に正義のカードを配していたのに対してだ)。[欲望]と題されたクローリー由来の著名なカード・シリーズでは11番目のカードに『黙示録』登場の獣、七つの頭の怪物が描かれているのである。
そういったこともまた部分的に上述した「911とタロットの不気味な関係を際立たせ」もする(:ご存知だろうか。アメリカ版"11"0番は、そう、"正義"を体現すべく用いる警察呼び出し電話番号は2001年の事件 ―"11"0階建てのビルが9月11日に92人(乗客81人+乗員11人)を乗せたアメリカン航空"11"便に突撃されてはじまった事件― が起こるずっと前から9[11]番(9+1+1=11)だったことを。その警察呼び出し番号がクローリーのような性質悪き役者を育んだフリーメーソンの本場、イギリスとなると999番となっている。その番号999は、そう、反転させると666になるのだが、666という数、『黙示録』に登場する獣の数字である。そこから次のように考えることができる。『[クローリーのトートタロットの図像がウェイトの"11"の"正義"のカード ―日本では110番によって呼び出される警察、時にペンタゴンよろしくの五角形シンボルとも結びつく警察によって実効性を保たれる「司法」と正義の女神を介し接合― のそれから666の『黙示録』体現物に変化していること] は[緊急時連絡番号]と結びくようになっていうる』。何も知らない向きには[数値オカルト主義者の戯言]と映るかもしれないと危惧しつつ述べることとして、である)。
そして、
「上にてなした話は"11"と異様に結びついていた911の事件の後の話にもつながることとして[12番目のタロット・カードと続く13番目のカード]との絡みでも意味を持ってきうる」。
補足としての図解部[2]
補足としての図解をなしておく。
上図が指し示すところは ―やたらと込み入った図とはなっているが― 簡明に表すれば、次のようなことである。
・同時多発テロなどと呼称される事件が起こった米国の緊急電番号(Emergency-Telephone-Number)。それは911と呼ばれる事件が発生する前から911番だった。
・世界中の少なからずの国の緊急電話番号(警察・消防呼び出し番号)が[11]という数値を意識させるような番号となっている(※さりとて、のような番号になっていない国もまた多いのだが ―欧州圏で頻用される112など― 。要は緊急電話番号の三桁を構成する各数字を足し合わせると11になるケースや110のように11が目立つように前面に出ているケースが多いということだ。同点につき『110まで含めるのはこじつけでは』と思われる方もいようが私はそうは思わない。110を採用する日本の警察の緊急時ではない応対電話番号は♯9「110」とされているし(日本の消防・救急の受付番号は119である)、911で崩されたアメリカのツインタワーも110階建てであった(110Story-Towersであった)。ロード・オブ・ザ・リング、興味深くも[二つの塔]を表題に掲げる同小説の作者たるトールキン(J.R.R.Tolkien。意図せず無意識的に妙なことを書かされていた類であった可能性もある)が110を[eleventy]と呼称するよう広めるが如くの挙に出ていたことがあろうとなかろうと110を11と結びつけることに行き過ぎた側面はないと考えている)。
・フリーメーソン系オカルト結社作成のタロットカードでは11番目のカードは正義のカードとなっているが(先に述べたように[力のカード]ではなく、だ)、正義となると[目隠しされた女神](レディ・ジャスティス)がその表象物となり(既述)、かつ、正義(すなわち司法制度)の担保は緊急電話番号 ―911や110― で呼ばれる警察の役割となっている。この時点で[11]絡みで多くがつながるようにもとれる。
・同じくのフリーメーソン系オカルト結社に由来する別タロットカード体系(ウェイト版タロットに対するトートタロット)では11番目に正義の女神ではなく[聖書にてバビロン大淫婦と呼称される存在]( Whore of the Babylon )が配されている ―いまだ継続しているようである著作権上の問題とその卑猥さもあり上の図ではトート・タロットの図版を用いず中世の壁画から[バビロンの大淫婦の形態]を再現した― 。さて、古代バビロン所在地と言うと[現在のイラクの地]がご当地となっている。911(11と結びつく数字)で人災に晒されたアメリカが911を契機に攻撃対象としたのがイラクの地(バビロン)であったことからして出来すぎているようにとれなくはないだろうか(タロットカードから押し広げて論じている同点について[こじつけ]と思われても別にかまわないのだが)。 また、トート版タロットで11番目のカードと結び付けられたバビロン大淫婦は666という数値と『黙示録』を通じて結びつく。聖書の最後部を飾る妄言文書『黙示録』では大淫婦がその上に乗るという[黙示録の獣](7つの頭を持つ獣)が[獣の印としての666]を滅せられる人々に刻む、などと書かれているからだ ―言っておくが、私は選別主義と尊厳を踏みにじる行為の肯定的表現に溢れている『聖書』という書物を好いていない― 。
さて、[666と結びつくバビロン大淫婦]を11番目のカードに刻んだトートタロット作成の魔術結社関係者 ―そのような類は[フリーメーソン系の性質悪き操り人形]としてしか見ていないが― には[反対解釈の思想]があるとされている(:後、記載内容が変更されるかもしれないが日本語Wikipediaの[ウェイト版タロット]の項目「にすら」逆位置解釈のことが言及されている)。してみると、666を「左右」「上下」反転させた際に999が出てくることにも意味がありうる。999が[タロット作成前に採用された英国緊急電話番号]と同値である(英国では999が警察呼び出し番号となっている)とのことがあるゆえに。上にて述べたように同じくものフリーメーソン製の他タロットカード体系 ―トート・タロットに対するウェイト版タロット― で11番目のカードが[正義の象徴](司法の象徴と結びつく女神を描いたもの)に改変されており、現実に司法制度を守る司直の連絡先が「カードの生まれた地でもある英国の番号が999番になっているところ」世界中で[11という数値]と結び付けられているようにとれることに出来すぎの感を覚えるのである。
・本記事でもかするように述べているが、911の事件の発生を露骨に予告した『ファイト・クラブ』はフリーメーソンのマーキングを大量に含んでいた映画だった。フリーメーソンのマーキングを含んだ911の発生予告作品は『ファイト・クラブ』に限られないのだが(のような作品群を ―メーソンに批判的という形で― 大量にピックアップし公開している向きも海外にはいる)、ここでの絡みで問題になるのは ―本記事の後の段でも触れるように― ウェイト版タロットを作ったアーサー・エドワード・ウェイトもトート・タロットを作ったアレイスター・クローリーも「元は」と言えば
[同じくものフリーメーソン系英国魔術結社(著名なオカルト団体)の成員]
だったということである。
以上、―繰り返し部も多く辟易されている方もいるかもしれないが― 書いたところで補足としての本図解部は終える。そこからどういった帰結が導けるかは「言わずもがな」として、のような帰結を[こじつけ](far-fetched)であろうと容れないのは各自の自由だ。が、述べておけば、 「真実に真っ向から向き合わなければ望ましき明日の日を見ることはできないだろう」
というのは普遍的なことであろうと考えているし、であるから、このような記事をものしている。
(※付言しておく。
「本記事での話は ―直近の話からのように誤解されている方もいるかもしれないも― 予言・預言などといった人形や役者がやっていることとは一線を画すものとしてなしている。直近の段で問題とした『黙示録』、["9章11節"にアバドンなる翼とサソリの尾を持つというイナゴの王を登場させたりしている妄言体系のようなもの]を扱いつつも、あるいは、[タロットカードの如き占いなどという非科学的分野で重んじられるもの]を扱いつつも、多くの人間 ―あるいは全ての人間― の今後に関わる[具体的なる話][根拠主導方式の立論と接合する話]を(本記事では)展開しているのである」。
については ―先述した内容の繰り返しを含むが―
「北欧神話上の主神オーディンにも仮託される[死刑囚]のタロットカード、12番目の[吊るされた男]のカードの寓意に立脚したような形にて有名ハリウッド・スターが"現実に"怪死させられたことが一種の生贄殺人であると具体的根拠によって"立証できてしまう"ことも本記事の関連事象として重要となる」
ということは訴求してもしたりない ―先のAの箇所でも参照先として挙げた本Webサイト上他記事、[「プログラムの象徴」としての生贄殺人]との題の記事を参照のこと。尚、私とは異なる観点ながらハリウッドスターの死をフリーメーソン生贄殺人だと指摘する英語動画もあったりする― 。
ハリウッドスターの属人的悲劇でとどまるような情報の伝達行為はフリーメーソンの「フ」の字にもまともな文脈では触れることが出来ぬ専門のゴシップ紙にでも任せればよいとして、
「つい最近、フリーメーソン映画で特異なる役回りを演じさせられた後、儀式殺人の具にされた有名ハリウッド・スターと露骨に結びつけられていた12番目のタロット・カード、その次の13番目のカードが『黙示録』に出てくる死の騎士を描いている[死のカード]だということが重要な話としてある」
のである。
その点、疫病を伴った死の騎士は「ハデスこと地獄を連れている」などと妄言録たる『黙示録』にはあるが、それが本Webサイト上の[問題意識の所在]と題した部位で膨大な字数を割きその存在を立証している
[911の事件の背後にあるギリシャ神話依拠のプログラム]
の中の一要素、[ギリシャ神話英雄の12番目の冒険に登場する冥界の比喩および12番目の冒険の次にくる『黙示録』的状況(蛇の巨人らとの戦争たるギガントマキア)の現出]と一致したりもするようにこの世界はできている ―繰り返すが、(当然にして本記事「単体」だけを読む限り意味不明な話ともなろうので)、委細については当該サイト内の解説部を参照されたい― 。
そういう固い(事実として固い)話と「接合」している記事として本記事主題の色を[それ専門の輩]が(憑かれたように不合理無比に)なしている予言・預言の類 ―あるいはタロットカードが如きものの解釈論を(歴史学的にではなく)ただただオカルティックに云々している類でもいい― と同色には見ていただきたくはないのである)。
H. 先に述べたDの内容とも接合することだが、[丸にTの字]を描いた映画『ファイト・クラブ』登場のスフィア・イミテーションそっくりのものを[運命の女神、フォルトゥナ]が手に持っていることは実に意味深い。
その点、女神フォルトゥナが手に持つ物体オーブが
[TO図と呼ばれるもの ―(右TO図とは中世古地図に認められるこの世界の体現図でありそれが最初に用いられ出したのは『黙示録』絡みの実在していたかも怪しい修道士の注釈書だ)― が描かれているもの]にして[欧州中世写本に認められる、魂の住まう場あるいは魂そのものと結びつく象徴物]
である、とは先にも言及したことである(:具体的根拠となる図画像については本サイト内他所を閲覧いただきたい)。
それゆえ、
「女神フォルトゥナがTO図構造反映オーブを手に持つことは彼女によって仮託される存在がこの世界を、魂を、人間の運命をもて遊んでいることにつながる」
とも言える。
とした上で、フォルトゥナが[運命の輪]を廻すようにオーブを廻し出したらどうなるか(現実に911予告映画『ファイトクラブ』ではオーブ ―WTC据え置きオブジェだったスフィアのイミテーション― が転がされているのだ)。一部タロットのみ運命の輪の下に描かれているのは邪悪な者とされる存在だが、他の運命の輪の構図では運命の輪の下に人間たちが組み敷かれて描かれていることも含んで、こう言うことが出来ると見ている。
「この世界、あるいは、魂とも呼ぶべき本質が車輪の中で潰されるが如きの大災厄が現出しうる」。
それについては(ここだけ読まれる限りにおいては)[メタファーであっても馬鹿げた物言い]と聞こえることだろうが、然にあらず、との事情がある(くどくもなるが、[問題意識の所在]と題した本サイト内のカテゴリをお読みいただきたい)。
I. 本記事上では初出の話をなすが、[丸にTの字]を描いた球体、オーブ ―上掲図参照― は[黄金のリンゴ]と呼ばれるものの体現物でもある(:その黄金のリンゴ自体が魂の比喩ともとれる。詳細については同点について細かくも論じている本Webサイト上の[問題意識の所在―9―][問題意識の所在―14―]と題して始めた頁を参照のこと)。
[ギリシャ神話上で11という数と結びつく黄金のリンゴ]はその黄金という特質と不死性から[黄金・不死](そして、魂)を追及対象とした錬金術と結びつくものだが、錬金術となると近現代のタロットを作り出した連中も関わってくる。
それについてまずもって述べるべきはウェイト版タロットをこさえた男(アーサー・エドワード・ウェイト)とトート・タロットをこさえた男(アレイスター・クロウリー)の出身母体である。それら近現代タロットのメジャーな形態を構築した男たちは揃ってフリーメーソン外郭団体の[黄金の夜明け団]出身者だったのだが、その[黄金の夜明け団]、正式名称は[黄金の夜明けのヘルメス学実践結社](
The Hermetic Order of the Golden Dawn )となっている。そこにいうヘルメス学/ヘルメス思想というものはいわば、錬金術から派生したオカルト体系である(:ヘルメスとは錬金術史上の伝説的存在、ヘルメス・トリスメギストスによる)。また、黄金の夜明けの黄金とはまさしく錬金術の目的となっていたものだ。
そのようなことを顧慮しつつ、そして、フリーメーソンの象徴体系が錬金術の象徴体系と奇怪にも結びついていることを顧慮しつつ、仮に近現代タロットを作ってきた連中が[錬金術と結びつくようにはなから"調整"されていた存在]だったとすると、である。運命の輪をまわすとは錬金術とも結びつく話になりかねない。そう、例えば、「現行人類は金の採掘を期して遺伝子操作されて造られた存在である」とのかつて物議を醸した異説 ―主唱者はシュメールの印章を解読して、そのような結論を導き出したと主張する地球外生命体介入論者、ゼカリア・シッチンだ。シッチン説は[虚偽と位置づけられたこと]の多さゆえに現行、ほとんど顧みられなくなってはいるが― などともつながることに"なりかねない"(私は[すでに至らぬところを反駁(はんばく)されるところまで反駁されているとされるシッチンの説]を容れているわけではないが)。今日、可採掘量の75パーセントが採掘済みとされる黄金(元素記号は携帯電話会社のブランド表記名とも同じでau)、日本の都市鉱山 ―リサイクル対象となる[携帯電話]などの電子機器に含まれる金をもって都市鉱山と呼称するのは資源ビジネスの世界では常識だ― だけでも現存埋蔵量の20パーセントが含まれるという黄金。その黄金を回収するために鬼のような虐殺部隊がやってくるなどといったシュール極まりないこととて考えようと思えば考えられる(:ただ、私自身は「諸種の反対根拠より」そのようなこと ―ウェルズのSF小説『宇宙戦争』ばりにシュールな状況が「金回収などという目的のためだけに」具現化すること― はまずないのでは、と考えるに至った。あくまでもほとんどありえないとの可能性論としてとらえれば[金回収云々の話]とて完全放棄はできないであろうが。そして、のようなことであっても一部の人間には強迫観念として介在しているかもしれず、それゆえにそういう筋立てとなったと「とれもする」映画もある。[19世紀に拓かれた世界最大の金の産出地]を舞台にしたエイリアン帰還モノ、映画『ロード・オブ・ザ・リング王の帰還』の監督がプロデュースした『第9地区』という映画がそれだ)。
あるいは、潰えた似非科学体系、であっても、重要な隠喩を多々含んでいたと考えられる錬金術の体系にあって[黄金の生成]より重要視されていたととれる["不死"可能化技術やそれと等価と言うべき技術の実現]についての話 ―これまた他所に譲るが、[不死]と[時空間の操作問題]が[現時、物理学者らが周囲の反対をものともせずに行っている史上最大規模の実験成果]を介して関係していうるとの話については本サイト内でかするように触れている― が重要となってくると考えることもできる(:残念ながら、私の見立てでは右が[最もありうべきこと]であるとなる。[無視できぬほどに多数の根拠] ―うち、一部は本サイトにて呈示― から「ほぼ確実では」といった按配にて[最もありうべきこと]であるとなる)。
何にせよ、特定の目立つ記号体系を含むもの ―ここでは番号および象徴と結びついたタロット― ひとつとっても多くがつながるように「できている」。それは認めざるをえないのだ。
どうだろうか。上のA-Iを段階的に「精読」されることで
[運命の女神フォルトゥナのオーブ状の持ち物とタロットの構造的相似性に着目してそれらを抜粋した意図(抜粋して伝えたかったこと)]
が何なのか、ご理解いただけたのではないだろうか。もっと言えば、本記事の核心にして訴求したきことが何なのかご理解いただけたのではないだろうか。
(参照先までを読まれたうえで[理解を超えて容れる容れないの判断をなすまでの段階]に歩を進めるといった方が如何ほどまでおられようかは分からないが)
もう書くべきことは書いた。ために、これにてフランス革命の女神マリアンヌと運命の女神フォルトゥナの一致性から始めた[運命の女神と運命の輪にまつわるプログラムの話]を終えることとしよう。
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