プログラム拘束の魂たちが紡ぎ出す結末を変えるために

 
 

問題意識の所在 ―9―

 前頁までで
[アトラス・プログラムの実在問題]
について箇条書きによって論じてきた。が、"まだ"半信半疑の方もおられるかもしれない。そこで、だ。大人の常識人の最後の砦(「愛国心は悪党の最後の砦」という名言からもじって、このフレーズを用いた)を「攻略」することから本頁は始めたい。何故か。大人の常識人の常識的見解というやつを「砲弾」にしての大砲火が大災厄の実現を許すことにつながると考え、十二分に立証をなした上であっても、だ。大人の常識人に ―本稿で述べたきたようなことに関して― 「最後の砦」を残すことは「大災厄実現に向けての砲弾供給のための兵站線」維持・復旧を許すことに等しいと見るからだ。 

 以上、前置きが長く、かつ、冗長になったが、潰すべき常識的見解の砦の防壁としては以下のようなものが想定される ―下に挙げた常識人の想定見解内に付して記した括弧()内記述、文字色を変えている記述は私の補足であり、「ここでの本筋との絡みでは」無視してもらってもかまわない― 。

見解A.「アンタはICBMのアトラスとコンピューターのアトラスの結びつきにこだわっていたな。が、それについては、だ。こう考えることも出来はしないか?
 まずもって、コンピューターのアトラスは世界初のプログラム可能マシン、コロッサスと同様の理由から命名されたものであるとも考えられる(コロッサスは英国で1944年に登場した暗号解読のための軍用コンピューターである)。いいか。コロッサスとは"巨人"の意だが、そこからアンタがこだわるコンピューターのUNIVAC1101は"アトラス"と巨人(コロッサス)つながりで命名されたものだとも考えられるってわけだ。で、アトラスがコンピューターの名称に付されたこと自体が遠因になって、すなわち、ICBMを支える技術として発展してきたコンピューターの一部がアトラスと命名された影響を受けて初期ICBMにもアトラスの名が付された、とも考えられるってわけだ。アトラスことUNIVAC1101はENIACのような弾道計算マシーンじゃないがな。 それにだぜ。ペンタゴン人脈などを社員に迎えていた企業のスペリー社がレミントン・ランド社(UNIVAC1101供給企業)を後、買収したことに見受けられるようにいわゆる軍産複合体ってやつがだ。共通の人脈・ノウハウの影響を受けつつ、アトラス、アトラス言ってても、おかしくはないじゃないか。
 まだあるぜ。仮に、そういった背景が"なかった"としても、だ。アメリカ人ってのは神話から色々と命名するのが好きなようにも見える。アメリカ人達は大型飛行"艇"、世界最大の軍用飛行艇にもヘラクレスって名前をつけたそうじゃないか(補足その人類史上最大級の飛行艇のヘラクレスとはハワード・ヒューズが開発したヒューズH4 ハーキュリーズのことだ。神話上、ヘラクレスは発狂し、ハワード・ヒューズが後、発狂"させられてしまった"節があることは余談だが)。あんたはな。考えすぎなんだよ

 考えすぎ云々は(大事な"内面"の後天的)抜け作の戯言だとしても、その他の意味では極めて洗練された想定反論を持ち出した。突っ込み能力抜群の常識人を想定してスタイリッシュな常識的見解を持ち出したわけだ(この世界ではスタイルと中身は往々にしてかけ離れているのだが)。
 また、より直情的だが、より"常識力"を高めた、こういう常識的見解というやつも考えられる(直近表記の常識的見解を便宜的に見解Aとし、次に述べるものを見解Bとしよう)。

見解B.「スフィアが何だって言うんだよ。丸っこい訳の分からないオブジェひとつでどうしてそこまで突き詰めることが出来るっていうんだよ。仮にだぜ。変なことがあるように見えてもただの"偶然"に決まってるよ。あんた、"偶然"をつなげるために、そのスフィア、ワールド・トレード・センターにおいてあったっていうスフィアに関して[英国の思想家(フランシス・ベーコン)][中世のTO図]何やらとかいうものまで持ち出したんだろ?正直、どうかしているよ。あんたが言っているのはな。高校の頃、俺達が鼻糞ほじっておさらばした『平家物語』のようなモンに準拠して、変な宗教団体が変な儀式をやってるってぐらいナンセンスな話だぜ (補足大人の常識人達が内容を詳しく知らないような『平家物語』やそれと結びつく『源平盛衰記』。その中のとあるシュールな下り、教科書に載せられることなき下りにて描かれる[大蛇に変身する者達]の話 ―壇ノ浦で入水した安徳天皇が親たる大蛇と共に蛇の眷属としての平家一門に海底の竜宮でかしづかれているとの記述― は私の著作や本Webサイト上の他所にて触れている。[法華経流布のための説話]で[大蛇に変身した存在]が北条氏有力者の法華経流布功徳を称えるといったことが伝わっているのと結びつく話として、だ右の点につき、カッコ内補足を長々と続けつつも、もう一言、言っておく。『平家物語』や『源平盛衰記』といった古典の中の蛇人間の話と社会を毒している現代カルトの成り立ちには ―馬鹿げて聞こえることだろうが― 関係性がある。そのことについても本Webサイト上の他所にて[根拠とともに]詳しく言及している)。 
 ニューヨークが黄金のリンゴである云々っていうのも常人には理解できない、ぶっ飛んじまった発想じゃないかよ。正直、現代社会に生きる俺達には神話なんてものはどうでもいいんだよ。アップルはアップルでもゴールデン・アップルじゃねぇ、アップル社のオーディオ機器には興味があるがな(アップルの名物CEOは私が大嫌いなカルト団体にトモダチが多いとされる企業のウォルト・ディズニー、要するに、フリーメーソン企業として多くの欧米人に嫌われているウォルト・ディズニーの役員でもある。が、それは余談だ)。
 いいか。アップルとか呼ばれているニューヨークのあの事件、あれはな。大人の常識じゃ、イスラムの飛んじまった連中のな。よくできたテロなんだよ。アトラスだかタイタンだか何だかしらねぇが、俺達の日常世界にダイダラボッチはな。見えねぇし、そもそもいないことになってんの。分かったかい?(補足だから、大人の常識人の世界ではダイダラボッチはアトラスのように倒されることもないと言える。どこぞやの人形達がこさえた聖書とかいう実に下らない本 ―その真正さを声を大に主張することも大人の常識人の世界で認められている本― ではダイダラボッチに似ているベヒモスことバハムート、人間の比喩にも見えるそれが最後に葬られることになっているようだが

 さらに、こういう常識的見解というやつも考えられる(便宜的に常識的見解Cとしておこう)。

見解C.「あんたの話を聞くとフリーメーソンが数百年単位で陰謀をめぐらせているって聞こえるな。ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』や『天使と悪魔』みたいな陰謀小説じゃないんだぜ?数百年も、親から子へ、そして、孫へ、さらに孫へと陰謀を受け継がせられるかってんだよ。どんな教育をしたらそんなことが出来るんだよ?企業体や宗教団体でもそんなものがあるなんて聞いたことがないぜ。オウム真理教級のどんなにいかれたカルトだって丸くなっちまうスパンの話じゃねえかよ。そんなことがあったら、まさしく、ミラクルだぜ

 自身で書いていて辟易してしまったが、まず最初に述べたような、常識的見解(見解A)のようなことを口にされたき方がいるとしたら、だ。こう考えてみるべきだろう。

 「 [人脈的なる根が同じだから、同じような命名規則が用いられており、の式で自然であるがゆえ、問題にならない]ではない。[不快な事象の根が同じような者達に起因し、だからこそ、不自然極まりない相関関係が現出。問題が透けて見える] 」。

 例えば、である。軍用コルトガバメント1911Aを製造しUNIVAC1101(Atlas)を製造していたのも一面でレミントン・ランド社だ。同社が「何とか革命」(そういう言葉が日本にある。多くの方が大嫌いな漢字四文字の言葉だ)を掲げるカルト団体に中枢を冒された日本の会社のようにフリーメーソンに中枢を冒された会社だったらどうか(レミントン・ランド社に関しては実際に有名なフリーメーソン、ダグラス・マッカーサーを会長に据えている)。あまりにも不自然に「創」という漢字ばかり使う連中に中枢が牛耳られた日本の大企業のような会社だったらどうか(人事がやられ、リクルーティング機能が破壊された会社は遅かれ早かれそうなる。よく言われる組合と宗教団体の綱引きなど建前にすぎない)。フリーメーソンの飼い主の意向がその商品名にすら"強く"出てくるだろう?
 これは戯言ではなく、往々にしてあることである。フリーメーソンが欧米系資本の会社の役員の多くに会員を抱えている ―優良企業の役員の"三分の二"云々などとも― ことは彼らフリーメーソンの誇るところだからだ(外資系の会社に入って出世したければフリーメーソンに入ればよい。但し、貴方の"魂"の問題は全く保証しない。貴方が悪事への"ポーカーフェース"対応を強いられても、妻子が売春始めどんな悪事にかかずらわせられても文句は言わないことだ。メーソンの中のメーソンといった人間の一部実態が人肉食に言及しているとも解釈可能な映画『ローズマリーの赤ちゃん』級、デービッド・アイクという男が主張するようなものかどうかは知らないが ―ただし、有名な[ボヘミアン・グローブ・乱痴気騒ぎ]級のものが存在することは確実だ― 、欧米ではフリーメーソン員であることがステータスだ、などとは本当は誰も思っていないと指摘しつつの話としてだ)。
 もう大人の常識人にも言わんとしていることは分かったろう(というより、悪い意味での大人の常識人だったら、分かることだろう。私が特に真実を伝えたいのは大人の常識人になりきっていない、抗う力を十二分に持った人達だが)。

 次いで、見解Bのようなものに対する反論としては「百聞は一見に如かず」方式でいく。下の図をご覧になられるとよい。

 上掲[左上]からだ。同図はフリーメーソンの前身団体の基礎を造った男とも言われているフランシス・ベーコンの著書からの抜粋だ。何が見える?

[二本の柱とその間にある球体](球戯ボウリングでのスネークアイのような状況にある球体)

だ。さて、ボウリング・ボウルのような球体を描く上掲左上の図は『ニュー・"アトランティス"』、ベーコン死後の1627年に世に出た書の口絵である。[サロモンの家]といった言葉が出てくるその『ニュー・アトランティス』にあって[二つの柱]の間にある球体の置かれている場が[ベーコンが大アトランティスと定置していたアメリカ]だと推察されるというのはここまでの流れ上、自明のことである。 次いで下図をご覧いただきたい。

 図をもって語らしめた。あとはもうよい。話すことはない。私が本Webサイトで以前に書いたこと、具体的には[問題意識の所在―6―]と題して書き始めた頁の記述内容[問題意識の所在―7―]と題して書き始めた頁の後半部の記述内容をご覧になられれば、それでよい。911の事件とWTC付設オブジェ・スフィアとアトラス/アトランティスが ―[ベーコン著書挿絵]や[地図帳アトラス構図]を介し― 容赦なく完全に結びついているとお分かりいただけるだろう。昔の英国人思想家(ベーコン)を持ち出した時点でこじつけではないのか、というありうべき見解Bに対して、「ベーコンの次元で多くが完全に結びつく」という返答をなすことと同じ話として、だ (私はこれでも紳士的な筆致で書いているつもりだ。見解Bのような意見を持つ人間が"仮に"いたら本来、取り合わぬところをわざわざ一人芝居までして、まともに応対する素振りを見せているのだから。その点、ヒトの"内面的本質"、魂と呼ばれるもののレベルの問題について考えたことがある向きで、かつ、見解Bのような考えを持つ者がいるとしたら、「精神でよだれを垂らしながら死ぬのを待っていればいい」と ―厳しくも― 言うだろうとまで前の部でした者として、明言しておく。「常識力がベーコンのように一口に喰われるのを待つぐらいに高い者の言い分を想定、仮想対話をなしているのは第一義にまだこの世界の見かけに騙されている方々、[不完全な形で夢を見ている方々]がいるからだ」と)。

 見解Bに対する再反論を続ける。続いて上掲四図中の[左下]と[右下]。老人らが甲冑の人物に相対する同図、16世紀初頭から中葉にかけて活躍したドイツ人画家ルーカス・クラナッハの手による絵画、 Judgement of Paris『パリスの審判』及び、その一部拡大図だ。見解Bのような異見が「そのようなものを持ち出すのが馬鹿げたことである」としている過去の遺物、先の段で何度となく言及した[TO図(トゥー・マップ)]を体現した宝珠が(画中にて)描かれているのが ―ここまでの内容をきちんと把握されている読み手の方々には― お分かりいただけるだろう。そして、その宝珠、
[トロイア戦争の元凶、パリスの手に託された【黄金のリンゴ】 ―先の頁、[問題意識の所在―3―]でニューヨークと結びつくとした【エリスの黄金のリンゴ】と同一物― として描かれているもの]
なのである。
 そのことは、黄金のリンゴがTO図描画型宝珠と結びついていることは、である。[問題意識の所在―6―]と題して書き始めた頁の後半部にて書いたこと、すなわち、
「TO図が[911の"完全"犯行予告映画]にて[劇中に見るスフィア・イミテーション ―WTC敷設オブジェたるスフィアの明らかなるイミテーション― ]に描き込まれていたのは偶然ではない」
と書いたことが正しいのだと完全に指し示している。については、
[問題意識の所在―7―]と題して始めた頁の前半部の内容
及び
[問題意識の所在―8―]と題してアトラス・プログラムの実在立証をなした部位
の内容を受けたものとして書くが、次のように指し示せる、ということである。

  [崩壊した二つの塔の間に置かれていた黄金のWTCワールド・トレード・センターのスフィア(彫刻家ケーニッヒの作)] = [フリーメーソン製の911予告映画『ファイト・クラブ』に登場した、TO図が刻まれてもいた黄金のスフィア] = [右と視覚的にそっくりなものとしてのオーブ、しばしば、TO図も描かれるケーニッヒ(王)達と神のオーブ(宝珠)] = [右と視覚的にそっくりなものとしての(直前抜粋の絵画の宝珠仮託版に見るようにTO図ともつながる)黄金のリンゴ] = [ヘラクレスの11番目の冒険登場のアトラスの娘達 ―ヘスペリデス― の黄金のリンゴ] = ["消えぬかがり火"としてバッテリーパークに飾られている修復オブジェとしてのWTC倒壊時、焼かれたスフィア(再度、帰着)] ⇒ [自由の女神像が手に持つ黄金の"かがり火" ―バッテリーパークの復旧版スフィアと同様のかがり火― にしてヘラクレス11番目の冒険登場のプロメテウスが人類に与えた火] という形で"完全につながっている"ためである)。

上につき非常にややこしい話ととられる方もおられるかもしれない。おられるかもしれないも、そういう方々には[ここに至るまで解説してきたこと]をも振り返っていただきつつ、上の関係式をよくよくご覧いただけたら、と述べておきたい。そうすれば、上記の関係が[完全に客観的に導き出せているもの]とお分かりいただけるはずだ。と同時に「[自由の女神]は[アトラスの娘=アトランティス]である」こともお分かりいただけるはずだ

「さらに」の補足:理解しておられる向き・これから理解されることになるだろう向きを対象にさらに長々と付記をなしておく(理解がおぼついてない段階ではこの追加補足部は無視していただいても構わない)。本立証文書 ―いいだろうか。証拠主導方式の"立証"文書である― を隅々まで真剣に検討された方がおそらく首をかしげるだろう話、そして、私自身、分からないところにも通底する話なのだが、次のようなことが問題ともなる。
「現時、[アトラスを打ち倒すプログラム]が進行しているように観察され、かつ、[アトラスの娘=アトランティス=自由の女神=ニューヨークのプロメテウス像と多くの要素を共有する存在]ととれるようになっている。他面、[鎖に繋がれたプロメテウスを解放させる]という秘教思潮もフリーメーソンの儀式を主導した者達にはあるようにとれるようになっている」。
 につき、[アトラスを崩すとの話]と[アトランティス=アトラスの娘と露骨に同値をとるようにニューヨークに配されているプロメテウスを解放させるとの話]がどうして矛盾なく結びつくというのか
 訂正を入れる可能性もある現時点の見立てにすぎないのだが、個人的には次のようにとらえている。
ここに至るまで書いてきたように[プロメテウス]と[アトラスの娘=ヘスペリデス達]はニューヨークを介してつながるように調整されているが、それは関連事象を結びつけつつ意思表示する目的を出ないように見受けられる。要は[ヘラクレスの冒険の逆を演出する]というプログラムの趣旨から大きく逸脱せねばそれでよい。プロメテウスの解放がヘラクレスで象徴されるものを殺す方向で進めばそれでよい。そういう思考法が透けて見える。アトランティスが沈もうが、そのアトランティスと何故だかプロメテウスが結び付けられていようが、ヘラクレスで象徴される[本然としてのヒト ―全人類ととらえてもらっても構わない― ]がこのフェーズ(第12フェーズ)で行き詰まり、取って代わられればそれでよい、というわけだ。フリーメーソンの筋金入りには[新アトランティスの復興]あるいは[アトランティスからの脱出]―ローランド・エメリッヒという911予告をなしたことでも有名な映画監督の作品、『2012』を見よ― という馬鹿げた子供騙しの話を"教育"で聞かせつつ、である
 上の見解をただしい、ただしくはないと判断するのは個人の裁量に委ねられるところだが、[逆・ヘラクレスの冒険プログラム]が進行していること"自体"には相違ないようになっている ―ここでの話はその立証の確認段階のものである― 

 長々とした補足部を挟んだうえで本題に戻る。さて、想定される見解B、悪い意味での「幼年期の終わり」を迎えることを是とするような大人の話柄としての見解Bでは「TO図持ち出し自体がこじつけだ」となりかねないとしているが(そのような反論を想定しているが)、―TO図がもう何百年も前より[黄金のリンゴ]に仮託されていると言えるために― そんなことは全くないのである(今までの内容を"理解"した上でTO図に着目したことをこじつけ・おしつけだ、とする輩がいるとしたら、その輩こそ、おしつけの徒だ。"不合理な"難癖の)。

 次いで、ベーコン著作内掲載図などを挙げている先に掲載した四図中の[右上]。高等学校で化学の授業を受け、そこで習ったことを覚えている方はすぐに分かろうか、と思うが、元素の周期表を持ち出した。何故、いきなりも周期表なのか?それについては一見、関係ない話から入るが、我慢して欲しい。

 2001年の911の事件について、その欺瞞性を喝破せんとしているドキュメンタリーの中でよくできたものとして Loose Change 『ルース・チェンジ』という作品がある。同『ルース・チェンジ』、欧米では非常に有名なものとなっており、911の事件がいかに詐欺的なものであったか、これでもか、これでもか、"客観的に"えぐったものなのだが(→訂正:「いかに詐欺的なものであったか、―問題を含む形でながら― 指し示したものなのだが」)、その中に、である。こういう指摘がある。

「飛行機一部部位にはチタン(Titanium)が使われているはずだ。そのチタン、極めて耐熱性に優れ、それゆえ大型旅客機の事故ではチタン含有部の残骸がはきとした形で残る。残るはずなのに、911のあの事件、ペンタゴンに突っ込んだそれとの絡みではチタン含有部位の残骸痕跡があまりにも不自然なまでに見受けられない。おかしい」

 もっともな指摘に見えるし、実際にそうなのだろう(→訂正:「実際にそのように受け取られ「も」するようになっている」)(あの911の事件は発破で起こされたやらせのショーを含んでいると"学者"団体にさえ、指摘されているようなナンセンスなものだった)。

別枠を設けての追記Loose Change『ルース・チェンジ』にまつわる訂正について

 本稿作成初期、手前の至らなさゆえに、ドキュメンタリーフィルム『ルース・チェンジ』に[過度にプラスの評価を与えるようなこと]を書いていたが、のちに『ルース・チェンジ』に対する批判英文媒体(たとえば、オンライン上に現行、ワード形式で公開されている Loose Chage Second Edition Viewer Guide ―その書きようから『ルース・チェンジ』と別の意味で色がついた指向性を感じもしないでもないが、結構有名のものであるようである― などの批判英文媒体)を集中的に精査することで
[ドキュメンタリー・フィルム『ルース・チェンジ』には諸所、批判されて当然、といった箇所が(想定していた以上に)含まれていること]
を知って考えをあらためることにした。
 ゆえに、ルース・チェンジ』については[それ相応の評価付け「も」なされているものである]との前提で本稿の後の話をなしていくものと読み手には受け取っていただきたい、と述べる次第である(:筆者としては『ルース・チェンジ』のようなものと本稿の信用性は何らリンクしておらず、一部訂正をここにて加えただけで足りる、と考えている)。
 ちなみに、和文では『ルース・チェンジ』の問題点を目立って指摘しているウェブ媒体は見受けられなかったので、(英文を解する向きには)、[ワード形式で公開されているヴュワー・ガイド(同ヴュワー・ガイドを担ごうというのでは断じてない)]などの問題点指摘媒体と『ルース・チェンジ』動画現物を対比しながら『ルース・チェンジ』の信用性につき何が「虚」で何が「実」であるかの判断などを御自分でなされることを薦める ―この馬鹿げた世界では『ルース・チェンジ』の「虚実」の所在がどこにあるかを調べようとする人間とてそうはいないようにもとれるのだが、一応、心ある読み手が読者になっていると想定しもし右のようなことを書いておく― 。

 その点、筆者の見解を述べれば、『ルース・チェンジ』につき重くも受け取るべきなのは
[911の事件が未然形であった際に表出していた兆候としての一部出来事の描写]
である。
(:事前兆候につき、読み手がもし、真実を突き詰めていきたいとの意欲ある方であるのならば、だ。『ルース・チェンジ』冒頭部でその策定がなされたと「されている」 ―ただし、[誇張]も観念されるところである― [ノラドこと北アメリカ航空宇宙防衛司令部の「テロ」対策プラン]について『ルース・チェンジ』を見ながらでも顧慮していただきたいところがある。
 それにつき、『ルース・チェンジ』冒頭で
[ノラドが事前に事前テロ対策プランの中で想定していたと「される」のと同様の馬鹿げたほどに出来すぎたシチエーション
をクリス・カーター( Chris Carter )というテレビプロデューサー(『エックス・ファイル』という愚にもつかぬドラマを生み出しことでも有名なテレビプロデューサー)が The Lone Gunmen『ローン・ガンメン』という自身が製作主導したテレビドラマにて「それと同様に」描いていたとの[事実]が存在しているのである ―『ルース・チェンジ』作者らはそうしたことを指摘してくれては「いなかった」と思うが、欧米圏ではその点について幾人もの人間が問題視している― 。
 より具体的には
2001年3月4日に放映された『ローン・ガンメン』作中エピソードに「乗っ取られた飛行機がワシントン(すなわちそのポトマック川をはさんだだけの郊外にペンタゴンが存在する都市)ないしワールド・トレード・センターに突入しそうになった」ことが描かれ(利益獲得の陰謀のためにそのようになったと描かれ)、現実の事件との一致性ゆえに後に物議を醸すことになったとのことがありもする
のである(『ルース・チェンジ』作者らが問題視しているノラドこと北アメリカ航空宇宙防衛司令部の事前テロ対策プランとはそのようなシチュエーションを「想定」したものである) ―その伝での『ローン・ガンメン』の問題性についてはThe Lone Gunmen(TV series) ]との「英文」Wikipediaの一項にも「不十分ながら」部分的に言及がなされている。確認をなすうえで一番、直截な方法は『ローン・ガンメン』のその絡みでの関連動画を精査することであるのだが、字面レベルでそういうことについて調べてみるのもよかろう。尚、そちらもまた同様に動画にあたっていただく(それにつき同定・捕捉するとの能力を有しているのであればだが、あたっていただく)のが直截な方法であると思うのだが、クリス・カーターについては Harsh Realm『ハーシュ・レルム』というヴァーチャル・りアリティ世界を扱った別ドラマでも911のことを視覚面およびドラマ登場人物のダイアログの面で事前予告していたことが分かりやすい動画ベースで指摘されていた類ともあいなる― )

 上が『ルース・チェンジ』につき重んじて取り上げるべきところであるとして、他面、『ルース・チェンジ』の[実に性質が悪き側面]についてだが、それは、ひとまとめにして
[911の事件が起こった後に問題となった諸事象についての解説部らに見て取れる虚偽性]
であると受け取っている。その点、[どうしてここにて虚偽情報を挙げ、なおかつ、訂正をなさないのだ]といったところで『ルース・チェンジ』というドキュメンタリーは偽りをなしている、との指摘がなされている ―『ルース・チェンジ』が問題人物の証言の持ち出しや事実関係の捏造などをなしていることも多く指摘されている― (細かい内容については諸種批判情報に当たっていただきたい。尚、批判者らの物言いに即して述べれば、「『ルース・チェンジ』は嘘の凝集体であるため、訂正のしようがない」ともあいなるようだが、私はそうはとらえていない)。

 以上、述べた上でさらにもって付記しておくが、
「『ルース・チェンジ』それ自体に虚実ないまぜの話の押し売りと揶揄されるようなところがあるとすれば、世に見る批判者一同には「虚」を叩いて、それでもってひとくくりに911をめぐる陰謀史観を否定しようとの側面が目立って見て取れもする(彼らは『ルース・チェンジ』「にも」見るべきところがある点につき総じて取り上げようとしない)
とのことがある。両者ともども、[極端]でありすぎるのだ(妥当解と想定されるような欠陥を補いあっての中庸の途を行こうとしていない)。

 それにつき、筆者から見れば、[闘犬におけるアンダードッグ](負けることを前提に用意された弱い犬)と[アンダードッグに勝つべく用意された本流としての犬]の戦いが展開しているような気がしないでもない。仮にそうであるとすれば、その目的は何か。
[本当にみるべき真実から我々の視線を逸らさせること]
であると考えている(ウェブ媒体を探りに探っていけば、見つけられることと思うが、『ルース・チェンジ』については同様の指摘をなす欧米人も一部いる)。

 それが我々、人間に押し付けられた限界であるようにも見ているのであるが、
知らなければ、致命傷になるだろうといった本当のこと
がそれ相応の人間 ―緩慢なる自殺命令を下されているのにも関わらずそのことを理解できない(しようとしない)だけの知能程度あるいは精神的気風を伴っているとの人間ら― の関与の下で情報封鎖の対象(それが奏功しての社会的無視の対象)にされる中で
[アンダードッグと別の飼い犬の争いばかりに光があてられる状況]
にあるのであれば、実害を被ることになるのは我々、全員だろう。
 そう述べつつ、ここでの付記部ですら心ある向きに[何らかのプラスの作用]を及ぼすことを願う次第である ―尚、そのように述べる私の言っていることが取り合うに足りるものか否かについては本稿全体の内容を(トリヴィアに至るまで細かく検証されながらでも)後追い精査いただき、各自ご判断いただきたい、と(くどくも)述べておく― 。

 以上、述べた上でようやっと[周期表]の話に入る。
 有名ドキュメンタリー『ルース・チェンジ』では周期表にも着目、[チタニウムの不在問題]を原子記号(Ti)のクローズ・アップをもなしつつ訴えていた。
 そのチタンことチタニウム(英語でいうところのタイタニウム)の語源は何かご存知だろうか。ティターンことタイタン、すなわち、アトラスが属する神の一派だ。(そのことを含んだうえで)「チタンがない」だって?まるで、私が想定した上見解Bに連なるような話ではないか。
 ただし、である。『ルース・チェンジ』を製作した向きは「チタン(タイタン)があるべきところにない(無論、既述のアトラス・プログラムの話とも結びつく物言いである)」と言っているのだ。
 対して、ここで想定した大人の常識人の中の性質の悪い部類が言いそうな物言いでは
「俺達の世界ではアトラスだかタイタンだか、ダイダラボッチだか何だか知らないが、巨人なんてものはいないことになっているんだよ」
とあいなる。巨人の存在を無視することのナンセンスさを私がなじっているということはお分かりいただけたろう。ダイダラボッチ(アトラス)がいるのにいないことにし、ダイダラボッチを殺すプログラムが動いているのに目をつぶる。そういった比喩的な話につながることとして、だ(:私としては『ルース・チェンジ』を製作した向きの裏面としての気風にても同様の観念が介在しているのかもしれない、とも推察しているのだが、手前勝手な推察に過ぎないので、それについては論じない)。

 ここまでまじめに読んでいただければ、見解Bのような考えをこの期に至っても抱くことがいかに馬鹿馬鹿しきことか、多くの方にご理解いただけるものか、と思われる。

 

 見解Bから話を切り替えて、見解Cについてだ。こちらも想定見解Bに対する反論と同じ式で反論を講じることとする。すなわち、図から反論を講じていく(その反論は最終的に[フリーメーソンに重んじられるソロモン王を巡る寓意についての話]にもつながっていく)。
 まずもって下の図をご覧いただきたい。

 [左上]の図から。17世紀初頭、作製されたフランス王アンリ4世の肖像画である。同肖像の中でアンリ4世は「ヘラクレス」の出で立ちで描かれている。その絵画の寓意性も考慮に入れて特筆すべきは、である。まずもって、同絵画が実にフリーメーソン的 ―freemasonic― であることだ。具体的には「チェス盤状の床」と「オベリスク」(一般にはエジプトの日時計由来とされる石碑。存在理由不分明の記念碑として欧州史につきまとってきたものだが、現時、フリーメーソン達の象徴の一つとなっている)が"同時に"描かれているだけではなく、だ。扮装した王の下に多頭の蛇の怪物が描かれているためにフリーメーソン的である、といえるのである(:フリーメーソンと蛇象徴は密接不可分だ。当のフリーメーソン関係者らは ―常識論の範疇を絶対に出ないような表向き、講学的なる書物群の中で― 「蛇を尊崇視していた往古グノーシス主義の名残りだ」などと強弁するに留まることだが)。
 そのことを、アンリ四世肖像画がフリーメーソン的であることをよく理解していただくために、挙げたのが[右上]と[右下]の図だ。右上は有名なフリーメーソン都市であるワシントンDC(同合衆国首都が構造的メーソン都市なのは陰謀論などではなく都市設計者/合衆国建国者達の兼ね合いで"史実"である)。そのワシントンDCに見られるメーソンたち由来の「オベリスク」である(アンリ四世の肖像画のそれと比較いただきたい)。次いで、右下。ワシントンDCとワシントンつながりで持ち出したが、有名なフリーメーソンであったアメリカ合衆国初代大統領ワシントンである。メーソンのエプロンをつけた正装で同ワシントンが立っているのは?チェス盤の上である。いいだろうか。チェス盤状の床はメーソン「交流会館」ことロッジの床に存在するもの、換言すれば、メーソンの象徴そのものである(そして、それはチェス・"マシーン"に操られるままになった彼らの本質の体現物でもある)。
 以上で、アンリ四世の肖像が一面でいかにフリーメーソン的かよくわかっていただけたか、と思う。
 しかし、とは述べてきたものの、だ。明らかに不可解なことがある。フリーメーソンが王侯貴族や有力商人の会員を多数、抱え、隆盛を極めるようになったのは肖像が描かれた17世紀初頭ではなく、それより100年前後、後からのことである、と欧米の事情通の世界では"されている"からだ(極めて有名な話として、―思考の幅が"制限"されているも― "思索的メーソン"などと称される者達が中心となっていたとされる近代メーソンのグランド・ロッジ建設は18世紀初頭、1717年である)。であるがために、フリーメーソンはメーソン自体が流布する荒唐無稽な起源論(エジプト由来云々)の真偽は別として、言われているより早くから王侯貴族に浸透、歴史贋造と謀略で"人形"史を彩ってきたと合理的に判断出来もする。

 と通説と異なる見解に言及した上で、ようやっと、上図像群を抜粋した理由の説明に入る(見解Cに対する再反論となる「何百年も連綿と続くプログラムの話」をする)。

 フリーメーソン的な上掲左上のアンリ四世の肖像画のオベリスクとは反対にある背景の柱、二本の柱をご覧いただきたい。おそらく、その二本の柱は、だ。
 ほぼ確実に
[アンリ四世が扮しているヘラクレスが打ちたてたジブラルタル海峡の二本の柱の体現物]
である。
 上は暴言ではない。全くないもって暴言ではない。何を根拠に明言しているのか。前の頁、
[問題意識の所在―7―]と題して書き始めた前の頁の後半部
にて挙げた図を参照されるとよい。そこに挙げられたジブラルタル海峡の二つの柱を描いた図像群(ひとつは地図帳『アトラス』、ひとつはフランシス・ベーコン『ノヴム・オルガヌム』からの抜粋)に目をとおしていただければ、上のアンリ4世の2つの柱と"そっくりなもの"がジブラルタル海峡の二本の柱として描かれていることがお分かりになられるだろう(本頁でも部分的関連説明図を下に挙げておく)。
 そのこと、すなわち、アンリ四世の"フリーメーソン的"肖像画に「ヘラクレスの柱」が描かれていることを含んでいただいた上でだ。同「ヘラクレスの二本の柱」がフリーメーソンの象徴としての二本の柱、悪魔を使役したともオカルト論の世界ではされるソロモン王の神殿の入り口に建っていた二本の柱「ヤキンとボアズの柱」ともアンリ四世の肖像画の時点"でさえ"酷似していると知っていただきたい(:尚、本ページでも先に言及した著作、フランシス・ベーコン著の『ニュー・アトランティス』作中に理想的組織体として登場してくる仮想の科学技術促進組織[サロモンの家(ソロモンの家)]の描写が後の[英国王立協会 ―現在の学問の中枢機関と看做されている権威の中の権威― ]の設立動機とつながっているとされているように、そして、英国王立協会の発展史が(メーソンらが誇る形で)メーソンと結びついているとされることにも見受けられるように、[フリーメーソン思潮]と[ソロモン王関連事象を重視する思考法]は濃密に結びついている。陰謀論でも何でもなく有名な事実の話として、である)
 その点、直近にて参照先として紹介したの同じページ、[問題意識の所在―7―]と題して書き始めた頁にて抜粋している典型的メーソン・シンボル画を確認いただければ、そして、本ページの後の段で挙げる補足図をご覧いただければ、
フリーメーソンのヤキンとボアズの二本の柱とアンリ四世絵画のヘラクレスの柱とが"外見的に酷似"している
ことがお分かりいただけるはずだ。

 不可解事、そう、底流に流れるプログラム的思考がなければ成立しえないような不可解事の話は、だが、そのような柱の話に留まるものではない。
 それにつき、プロテスタントとカトリックの宗教対立の結果、最終的に狂信的なカトリック教徒に暗殺されたとされるアンリ四世。ヘラクレスに扮した格好で自らを描かせしめたフランス王アンリ四世。彼の若かりし時分の結婚式の際に日本でも高等学校の『世界史』の授業で習うような有名な虐殺事件が発生したとのことが意をなしてくる。

[神の愛、人類の救済を説くキリスト教の旧教徒が新教徒(アンリの結婚式の来賓)に"不意打ち"をくらわして虐殺を開始したという映画『ゴッド・ファーザーPartIII』のそれも真っ青な虐殺事件、世にいうところのサン・バルテルミの虐殺]

がそれである。瞬間的な死者は数千人であるともいう同虐殺事件、数十年間のユグノー戦争継続で数百万人もの人間 ―往時の欧州人口比率からすれば凄まじい数だ― が横死させられることになった原因でもある同虐殺事件を取りあげたのには無論、相応のわけがある。神の愛 ―と言っても、起源をたどれば、原初、蛇の神だったともされる神の実意なき偽りの愛だが― を唱導するカトリック教会が(問題の肖像画でとりあげた)フランス王アンリ四世の若き時分の結婚式のために集まった仇敵、新教徒ことユグノー虐殺を"記念"してだ。他ならぬ9月11日を記念日としたことがそのわけだ(教皇グレゴリウス13世が1572年に9月11日を記念日に制定。言っておくが、虐殺自体の発生日付は1572年8月24日である)。

 何?もう「あんたの言いたいことは見えた」だと?
「要するに、アンリとかいう王様の結婚式の際に血まみれショーが演じられた。で、ヘラクレス好きのアンリの結婚式の際のその虐殺と続くドンパチを記念してカトリックがとち狂ったように9月11日を虐殺記念日とした。全てが、911とヘラクレス絡みで結びつく。そう言いたいんだろ」だと?
 そのようにお考えになられた方にはなかなか、まじめに私の言っていることをお聞きいただけているということで敬意を表したい。表したいも、それだけでは十分ではないと見ている。何点か補足として伝えたきことがあり、その補足を伝えたうえでないとまだ懐疑的な方にこじつけとの印象を覚えさせかねないと危惧するのだ。

 については、肖像画の寓意から話しはじめる必要がある。アンリ四世が実にフリーメーソン的なる肖像画にヒドラを打ち負かすヘラクレスとして自身を描かせた背景にある寓意から話しはじめる必要があるだろう(ヒドラを打ち負かす様については上掲の図の左下の他のヘラクレス絵画の該当箇所拡大部との比較をなしていただきたい)。とした上で述べるが、肖像画には、歴史家といった人種 ―彼らがいかに厚顔無恥なことをやってのけているかは私の著作でも触れている― が精神でよだれを垂らしながら口にする、次のような寓意の介在があると解釈"できも"する(常識論の話として解釈できもする)。

「アンリ四世はユグノー(新教徒)主導者→カトリック(旧教徒)→新教徒→旧教徒と改宗に改宗を重ねて宗教対立の時代で身を処し、結果的に宗教対立収拾に尽力した。だから、アンリ四世は宗教という名の多頭の怪物(新教も旧教も"起源"は同じであるととれる)を御した男として、自らをヘラクレスに仮託させしめたのだ」。

 正直、この期に及んで上のようなことをしたり顔で口にする輩がいたとしたら、心底、軽蔑するが、とにかくだ。上のような寓意が肖像画に介在しているという解釈は一見、筋が通っている。
 しかし、我々は知っておくべきだ。一見、歴史的対立関係を演出しつつも、今日、欧州では「教会」と「フリーメーソン」のような者達はマフィアも一枚かませた上で皆、おトモダチである、ということを。(欧米で有名なP2ロッジ事件にちなむ話として日本語Wikipedia記載の「ロベルト・カルヴィ」項目、アンブロシアーノ銀行頭取に絡む項目でもご覧になられるとよいだろう。"その程度"の情報からでも真実の一端が垣間見れるはずだ)。
 その点、付言しておくが、アンリ4世が開祖となっているブルボン朝の面々をフランス革命で一時期、権力の座から追い出したメーソン("史実"としてフランス革命主導者の多くがメーソンだった)、 同メーソンは新教徒と同様にローマ教会と根深く対立していたことに"なっている"。18世紀にはローマ教会に「反キリスト」とまで呼称され、実際、KKKのインナーサークルとしてつい100年前までアメリカの対カトリック熱を(プロテスタント礼賛をなしながら)煽っていたのはメーソンである、といった具合にである(私の著作にやらせの典型例として言及)。
 であるのに、現代になって、ローマ教会が資金運用を仇敵であるはずのメーソンの犯罪部門 ―マフィアと癒着したメーソン組織― に任せていたことが"判明"しているのである(いいだろうか。超偽善のシステムは「一朝にしてならず」だ)。そういったことは、だ。フリーメーソン的肖像画を残さしめたアンリの時代(400年前)の宗教対立にも当てはまっていたと見えてならない(アンリがくるくるとコマのように新教や旧教を行ったり着たり出来たのはそれゆえとも見える)。
 アンリが御した多頭の怪物というのは新教徒も旧教徒も「起源」が同じだ、ということではなく、字義通り、新教徒も旧教徒も飼い主(大元)を一にしている化け物である
ということの現れととれるのである。
 と同時に、(何故、神の恩寵のすばらしさをとく教会が"虐殺"を礼賛し911を記念日にしているのか、ということと併せて)自らをヘラクレスに仮託した男アンリ四世は最後、どうなったのかということも考えるべきだ。彼は神の愛を奉じる旧教徒に暗殺されたのだ。
 ために、私は次のように言うことが出来るものと見ている。

「表向きの近代メーソンの確立期より100年前にフリーメーソン的な肖像画で自らを[ヘラクレス]に仮託した男。最終的に多頭の怪物の頭のうちの一つの"歯"(宗教的狂信者という"人形")に噛み付かれて殺された男。その男の若い時分になされた結婚式の際の虐殺の記念日、後の数百万人単位の死者を出す戦争につながった虐殺の記念日が911だったのが、そもそも、プログラム(神話とは逆に[ヘラクレス]で表されるものを破壊するプログラム)の中で2001年9月11日が選定された動機の一つになっていうる」。

 非常に迂遠な話となったが、以上が想定反論としての見解Cに対する私の再反論の"一部"だ。

「代を重ねながら数百年という単位でヒトや組織が陰謀をめぐらすことなんて出来やしない。数百年というのはオウム真理教級のいかれた破壊的カルトも丸くなってしまう期間だろう?」

といった見方を呈する見解Cに対する再反論の"一部"だ(:"人殺し仕様の愚かな玩具"から構成されていたオウムを引き合いに出したのは妥当ではなかったかもしれない。何故か。同カルトが稚拙極まりない論法でフリーメーソンを批判していたらしいも、その実、「フリーメーソンが下位カルトを支配しているように(メーソンとモルモン及びエホバの証人の関係は海外では有名)、どこぞやの戦後より急拡大した超大規模宗教団体関係者インナーサークルが違法行為を主導していた団体だった」というのは一部でよく指摘されていることだからだ。元新聞社記者といった"正統派"ジャーナリズム・サイドでさえも ―書店に並ぶ大量のゴミに先んじて絶版本化されてはいるが― 書籍で"間接的に"指摘するところであるといった程度に。正統派ジャーナリズムも非正統派陰謀論もトモダチ関係の本質を常識論のレベルで片づけるための道具であることを抜きにした上で、まだ夢を見ている方のために指摘しておくが)。
 要するに
「数百年単位で計画は練られている(陰謀などという陳腐な言葉は使わない。"はかりごと"のレベルの話ではないからだ)。何も一つの結社に限られず、あまねく組織に浸透した人形達を用いてのものとして、である」(ただし、実行部隊となるのは前からプログラム通りに動くことを前言させられていた複数組織のまとめ役としてのフリーメーソンと連中のアライアンス・パートナーだろう。だから、一つの組織のはかりごとではない、複数組織の駒達を用いてのプログラムだ、と言った上でもフリーメーソンを専一に問題としてきたし、これからもそうする。アンリ四世とほぼ同時代人であるフランシス・ベーコンが公式的見解に見るメーソンの歴史的登場時期前にメーソンの前身組織を整備しつつ、今日のメーソンを拘束するプログラムの事前表明を「なさせられていた」と解せられることも顧慮しつつ
 そのように言える。そういうことである。

 が、上は見解Cに対する再反論の"一部"でしかない。見解Cのような
「人間が、あるいは、人間の組織が数百年も続く計画を立案・実行できるわけがない」
といった"超"常識的な反論の大前提には上に挙げた再反論(の一部)と相容れない要素が内在しており、その要素に対するスタンスを明示しておかないと「本当の意味で脈絡ある応対」にはならないからだ。

 と、ややこしいことを書いたように見えるだろうが、こういうことだ。

見解Cのような考え拠って立つ大前提のようにもとれる)計画は人間によって策定され実行されるものだ、という見方。そういったものに相対すると、
[でも、それは人間業じゃないよ。おしまい]
というカードを切られうる。となると、私が上にてなしたような反論、お人形さんたちみたいな方々がシュール極まりない計画実現のため、何百年もの間、個々の属する組織間で応対をなしながら動かされている、というような再反論は反論として成立しなくなりうる

 そこで
「人間業じゃないと聞こえる。だから、あんたの話はおかしいよ」
見解Cのような意見の持ち主が述べてきた場合を想定。彼ら"へ脈絡ある"合理的再反論をなすために言っておく。今という時分にあっては有害なだけと見える大人の常識人の常識的見解の押し付けに"まだ"批判能力を残された方々が惑わされないように言っておく。

人外が人間の挙動に影響を与えているから、今まで述べてきたような馬鹿げたことが起こっている(ここでの話に当てはめると数百年単位の計画が動いているとしないとありえないようなことが透けて見える)。
 私とて"人外が介入している"などといった三文オカルトじみたことは言いたくはないのだが、フリーメーソン達の飼い主が人外でないと成立しえないようなことでこの世界は満ち満ちているのである上に挙げたメーソン員、ワシントンのシンボル画のGの字の上方に描かれている[円のなかに五芒星をあしらったシンボル]。それがB-29の翼部にも、果ては北朝鮮国旗や中国の共産党議事堂の上にも描かれている、そっくりそのまま描かれていることぐらいまでは何とか"人為"で説明出来るとしても、だ)。
 その点、
 本Webサイトでは最初から人外の存在を"念頭においている"と述べていたし、良識派 ―私がここで良識派としているのは多くのメーソンやカルト構成員達が自分たちに関わる話として言葉を変えて口にしている[魂といったものの問題]を考えたことのない方々のことだ― に取り立てて配慮しつつ人外の話を何度も何度も口にしてきた(多く"かする"程度に、であるが)。
 何故、[人外の関与]絡みの話をなすのにそこまで慎重になっているかだが、世間一般にトンデモとされる領域に完全に足入れしてしまっていることも言わずもがなの話としてある(くどいが、その伝でのお断りは最初よりなしている)。
 他面、ここでの話に深く関わることとして、ある事象が"存在しえない"ということを立証することが
[悪魔の証明]とときに言われるように、非常に反論が難解なことであるのもきわめて大きい([悪魔の証明]とは"例外"や"予期できぬ要素"を全て存在否定できぬために「ある事柄はありえない」との[否定の証明]をなすのが難解であるのを指しもするラテン語由来の文句だ)。
 すなわち、Webサイト閲覧をなしつつ、
『人外の介入など"ない"だろう』
と考えそうな["良識的"かつ"合理的な"方々]は、だ。フェアに行けば、上にいう悪魔の証明 ―人外の介入の"否定"の証明― の義務を負わされた方々であるとも定置でき、彼らのような人間に[押し付け]とならないように最大限、配慮して話をなしてきたつもりなのだ(証拠を積み重ね、因果関係を立証し、補足説明を嫌というほどにするという形で配慮をなしつつ話をしてきた)。
 が、もう良識人に対する配慮は十二分になしてきた"つもり"だ (:敢えて「つもりだ」と言うに留めているのは私の見解に"合理的に"再反論を講じれる方を歓迎したいからだ)。 にも関わらず、この期に及んで、人外の介入を否定する、不合理に神などといったものの存在を妄信するように、
[確たる理由もなく人外の介入を頭ごなしに否定する常識"教"信者]
がいるとしたら、だ。そういった人間の意見には反論を講じる意味も値打ちもないものといえるだろう(どこぞやのインテリ風を吹かせた輩が[何とかの壁]などという下らぬ造語をこさえ、日本でも人の原理主義の壁は越えられないと訴えたりもしていたが、私はそうは思っていない。ただし、魂が抜けたような面構えでこの期に及んで非合理的な反論をなす輩がいるとしたら、そういった人間は[話の通じぬマシーン] ―先進国の中でも(相対論上の)"格別"としての話だが、この国の教育はそういう者達ばかり造り、この国のシステムはそういう者達にしか影響力を与えないように出来ている― として度外視する

 率直に言えば、上の想定見解Cのようなものには直近表記の「」内記述のことだけ述べておけばよいのだが、理解を促すためにわざわざ図解を講じつつ
「数百年単位の計画が着実に進められているのは事実だろう」
と説明した。

アンリ四世肖像画にまつわる一致性について。
[左]後に膨大な数の死傷者を出すことになった戦争の原因たる虐殺結婚式。馳せ参じた来賓が式の後、虐殺された日付が8月24日だったのにも関わらず、何故だかカトリックが仇敵たる新教徒のその虐殺記念日を911に制定した虐殺結婚式。同結婚式の新郎だったアンリ4世がヘラクレスに仮託され描かれている画 ―踏みつけられているのは多頭の蛇の怪物、ヒドラか―。
[中央]アンリ4世の同時代人、フランシス・ベーコンが著書 Novum Organum『ノヴム・オルガヌム(新機関)』で挙げている図。本頁で911の儀式の背景にある根本思潮との兼ね合いでその名を再度、持ち出したベーコンの著書内の上掲図には[ジブラルタ海峡の象徴物]、要するに、[ヘラクレスの二本の柱]が描かれている。
[右]フリーメーソンの象徴画。そこに描かれているソロモン王の神殿の前に立つ二本の柱、ヤキンとボアズだ(:ヤキンとボアズと結びつくソロモン王は悪魔を使役したとされる。ゆえに、中世末期から近世初期にかけて欧州で流行った魔術書 ―私見を述べれば[往時の非科学的なる人間]をからかうために造られた妄言文書群― には Lesser Key of Solomon『ソロモン王の子鍵』(『ゲーティア』とも)と呼称される書物があったりする)。
さて、上の各図を結びつける結節点だが、―ここまでくれば言うまでもなく―[ヘラクレスの柱]となる。各図全てに[ヘラクレスの柱]の典型的構図、円で囲った典型的構図が見て取れるようになっている(:[ヘラクレスの柱]の右・典型的構図の萌芽は先の頁で既述のように16世紀末葉のメルカトルの地図帳 ―ヘラクレスの第"11"番目の冒険に登場する巨人アトラスと密接に結びつく地図帳― に求められると解釈可能である)。そして、そのようなヘラクレスの柱を介した結びつきは[アンリ4世の虐殺結婚式と結びつく虐殺記念日が911となっていること]、[蛇の眷属退治の英雄ヘラクレスが建てた柱がヘラクレスの冒険と共に911の儀式と密接に結びつくように調整されていること](立証をなしたこと)と関係性があると考えられる。

 以上、長く、かつ、複雑になったが、本頁表記部はここまでとしておこう。次頁では大人の常識人の最後の砦の防壁が崩れたことを示しつつ、これから何が起こり"うる"のか、ということに触れていく。

前のページへ〔PREVIOUS PAGE〕   次のページへ〔NEXT PAGE〕

追記 私が本サイト公開をなしてから[本サイト上のWTC敷設オブジェ、スフィアSphereに関する分析]を"露骨に"意識させるように911にまつわる印象論を展開する、しかも、見様見方によっては私の名"をも"意識させるように911にまつわる印象論を展開する向きが出てきた
[万人のために毀損されてはいけない真実][自身の名誉]のためにお断りしておくが、そうした[WTC付設オブジェ、スフィアに関する印象論]―何故だか当サイト内容を想起させるような書き様の印象論― を展開している向きと私との間には何の関係もない(:先方が展開している[本サイトを想起させるような媒体]の削除や変更をなしても私の方でも逐次、ファイルダウンロードその他で証跡を残しているとも述べておく。かぐわかしき他要素との関係を衡量しつつだ)。
 尚、上にて述べたことと関連性あるかどうかは「現時、読み手の主観にゆだねざるをえない」ことだが、次のようなことにも言及しておく。
私は[初版数千部かつ増刷で大量流通をはかる方向で話を進めていた自著作]との関係で出版社に寄生しているそれなりの者達にオンライン上での剽窃行為をなされたことがある(:相当量の資料を弁護士に渡しているし、その経緯は本サイト上の他記事で部分的に触れている)。その節の[印象操作するが如くの組織的剽窃行為の動機]として考えられるのは重要情報を世に問うたことなどにまつわる[特定圧力団体との軋轢]であり:本サイトや私の公開している無償公開版著作をよくご覧になられて私がどういった団体にとって都合の悪き物言いをなしているか判断していただきたい、微小的なことを述べれば、[陰謀論やその近接領域まわりの話芸で食っているような者達の存在理由の否定に対する心情的抵抗]だろう:陰謀"論"で食っている者達は社会を喰っている、とも言える。もう陰謀論のようなものに我々がたばかれていてよい局面ではないからそのように言う ―といった手合いの身内は「インターネット関連中間産業の人間の特段の助力をも受けているとしか見えないような方式で、そう、組織的に応援されながらとしか思えない式で」諸種媒体上でゴミを「効果的にばら撒き続ける」だろうが―
真っ当な人間は[出典明示の引用]という選択肢に代えて[剽窃][猿真似]といった選択肢をとることなどしないだろう。偽名を用いて人様になりすます者たちが犯罪者であるのと同じことである。そして、それが[多くの人間の福利に関わる真実の立証]の領域でのことであるのなら尚更、罪深い([剽窃][猿真似]をなす手合いの背後にあるのが[真実の陳腐化・曖昧化の意図]と合理的に考えられるからだ実際、本サイト上での記述を露骨に受けている節あるコンテンツを展開している者達は結論だけを参考にし、非論理性と拙劣さを強調する式での陳腐化をなして事実を曖昧模糊としようとしている節がある。 そう述べたうえで強調しておきたいが、私は決してやさしくはないのでそのようなふざけた行いは、性質悪き[剽窃]や[猿真似]は ―法的許容範囲を超え、なおかつ、「対策が必要である」と判断すれば― 許すつもりはない(:尚、私は真っ当な人間が本サイトから出典明示の[法的に適正な引用]をなすことは歓迎するが、昨今の状況に鑑み、[引用しつつの誉め殺し]のような策が講じられる可能性もある、と見ている。それなりの品性や属性を強調している者達が本媒体提供情報の引用を ―引用することで毀損する方式で― はじめれば毅然とした態度で対応するつもりだ、としつつ述べることとして、である)。

後の頁への伏線としての枠外追記部
先の頁にてフリーメーソンの比喩となっているとも述べた多頭の怪物ゲーリュオン(Geryon)。その彼の古名がCern(欧州原子核研究機構)に語感近しきCerunと古エトルリア語にてなっていると「されている」ことについては直近 ―上の枠外付記部言及の話― で触れたとして、だ(:その点について扱った英文サイトも極々少数ながらある。ただし、発音・綴りの類似性問題について現代語・古語の相違を差し引いて強調しすぎるのはこじつけ ―far-fetched― との批判を免れないか、とも危惧するが)。「もうひとつ」重要なCERNがらみの話同じくの語源の話につき ―ウェブ上より得た情報を紹介しつつ― 言及しておくこととする。
 私がネット上から見繕って張ったリンク先 ―当媒体とは関係なきリンク先― は英語で記載されているがため、英語を解する向き以外、多少、確認に手間取ることもあるかもしれないとしつつ下にてのネット上他媒体を参照していただき、そして、
「CERNがローマの門(ゲート)の神、ヤヌスと複雑なパスを描いて結びつくことを把握いただきたい」
のだ余談としての付記 尚、些事ながら一応のこととして述べておく。「CERNの名を想起させる他サイトから当サイトにリンクを張られた向きもおられるようだが、そこでリンク張りに用いられ検索結果画面に反映されもしている他サイトと私(および当サイト)との間には何の関係もない」。CERNの名を想起させもするドメイン名の中規模仲介サイトたるそこにいう他サイトが[当サイトのレベル低き剽窃物]ととれる別サイト由来のコンテンツ ―今なお名を変え残存しているコンテンツ(:この不思議の国で最大限、目立つようにネット上に配置されている陳腐化コンテンツでもある)― へのリンクを貼る上で過去、執拗に用いられていたことを把握しているのは置いておいて、である;私はこれから解説していく[二面性の神ヤヌス]のように裏表がある類はまったくもって好かないが誰がそうかなのかまでは深く調べる暇もなく邪魔立てが「言論展開活動上、問題にならぬ限り」あるいは「(本ページ他所で言及しているように)法的許容範囲を超えない限り」関知しないこととしている(もし正しき方が私のサイトにリンクを張っていただいているのなら失礼な申しようのこと、詫びておきたい)― )。

長くもなった余談としての括弧内表記部を挟んだところで挙げるが、以下が
ジェノバの語源が門の神たるヤヌスであることを示すネット上情報の例]
となる。

http://www.etymonline.com/index.php?term=Genoa
(クリックすることで遷移)
 語源一般について解説した上記サイト内情報をご確認頂ければ、
イタリアの都市ジェノヴァ(GenovaあるいはGenoa)の名称由来が門の神たるヤヌス(Janus)にある
ことはお分かりいただけるはずである。としたうえで問題は次のようなことである。

・[イタリアのジェノヴァ]CERN(欧州原子核機構)が地球に破滅をきたしうるともされる ―副産物としてか門を開きうるともされる― 実験を行っている[スイスのジュネーブ]とはスペルがきわめて近しくもある(GeneveジュネーブGenovaジェノヴァ。綴り方いかんによっては一字しか異ならない。既述のゲーリュオンの古名CERNの話のように)。

CERN由来の反物質の悪用を実に荒唐無稽な形で描いたことでも有名な小説『天使と悪魔』(同小説については後の段で詳述する。911の前言小説]と解せられることも込みで、だ)では悪役のローマ教会の裏切り者が
[ヤヌス]
と呼ばれていた(その二面性ゆえに、であろう)。ヤヌス。それがジェノヴァの命名由来ともなっているローマの門の神、顔が二つある神の名だとは出典を挙げつつも直近、触れたことだが、にまつわる問題として『天使と悪魔』の作者たるダン・ブラウンという男がイタリアのジェノヴァのことを『天使と悪魔』の筋立ての中には反映させていないことがある(しかし、すぐに書くようにジェノヴァのことも『天使と悪魔』の筋立てに関係があるように見えるがためにダン・ブラウンを動かす暗示的な意図が問題となる)。

・上にて挙げた図をご覧になられればお分かりいただけようが、
「CERNの実験が行われているジュネーブとイタリアのジェノヴァ(門の神たるヤヌスに由来する都市)とヴァチカン市国(同ヴァチカンは『天使と悪魔』で盗まれた反物質爆弾が(二面性のヤヌスの暗躍により)爆発しかねなかったと描かれる場)が完全に一直線となっている」。
 そのようなことが偶然で起こりうる可能性を顧慮していただきたいとしつつも繰り返すが、2000年刊の『天使と悪魔』の作者はイタリアのジェノヴァのことを ―二面性の門の神たるヤヌスのことを持ち出しつつも― 作中、取り上げていない。

・本頁でもかする程度に触れ、後の頁で詳述していくこととしてCERNの実験には
[門を開く]
との可能性論が取りざたされている。そこから『天使と悪魔』の作者がやらされ人 ―"人形"のように自身の意思でものを言っているわけではない類― であった場合にCERN絡みで反物質がヴァチカンに向けて運び込まれる『天使と悪魔』の筋立ては極めて重要なものだということになる。ヴァチカンが[地獄に落ちる人間]と[神の天国に行く人間]を選り分ける、醜き選民主義一神教の本山であることも加味して、である([地獄観に見る底なし穴]がブラックホールの寓意につながることもあるが、キリスト教に伴う恐ろしく邪悪で人間離れした側面 ―後述― との絡みもある ⇒後日にあっての訂正:キリスト教に見る地獄観は[火の池地獄]といったものとより強く結びつき[底なし穴]とは ―聖書文言上では― そう強くは結びついてはいないようだと認識を改めた。ただ、聖書から離れもしてのギリシャに遡る西洋地獄観には[深淵へとつながる穴]という側面が強く見受けられ([底なし穴]を意味するAbyssアビスという言葉は地獄のことを意味しもする)、妄信の範としての聖書の中にあっても『黙示録』9章11節に登場するアバドンといった存在が[『黙示録』に登場する獣の出てくる場でもある底なしの淵]と繋がるとされていることに誤りはない

 以上、「さらに追加した本段も」後の頁をご覧いただく前段階にあっては消化不良感を覚えさせるようなものとなってしまっているようで恐縮だが、
[冒頭頁より履践を推させていただいている[理解のための印刷後検討]までなされるようなこの世界を真摯に変えたいとの向き]
にそうした読みづらき本段の内容までもがお役立ていただけること、願っている。