考えられる操作の手法について

 
 

赤き帽子に秘められた操作の比喩

 最初にお断りをなしておく。
 「本記事は視覚的な意味での理解を促すことに重きを置いている。ために、とにかく掲載各図間の関係性に着目してほしい」

 上を含んでいただいたうえで次に挙げる図像群をご覧いただきたい。

 上段・中断・下段の各段に分けた上で解説しよう(下段は拡大図を含む)。

 上段についてだが、同段における左の図は[フリギア帽をかぶったフランス革命原動力たるサンキュロット](サンキュロットとはフランス革命前の都市労働者階層を指す)を描いたものだ。右の図は[フリギア帽をかぶら"された"ルイ16世](フランス革命で処刑された王だ)を描いたものである。そこにいう[フリギア帽]、本記事のメイン・テーマとなっている[赤い三角帽子]についてはおいおい触れるとし、話を続ける。
 次いで、中段。同段、左図の方は18世紀後半から19世紀にかけて活躍した英国の風刺画家、ジェームズ・ギルレイ( James Gillray )の手による[フランス革命風刺画]だ。対し、右の図の方はあまりにも有名な[フランス人権宣言(の中の象徴画)]、フランス革命によって採択れた同文書からの抜粋図である。
 下段について、だ。そこに見る左の図右の図も直近、中段で作品を挙げたジェームズ・ギルレイの手による作品(革命絡みの風刺画)である。とした上で、左の図に関してだけ、もう少し詳しく述べると、[革命期フランスを叙事詩『オデュッセイア』に登場した怪物、スキュラに例えたもの]である。ここでは[スキュラが登場する一幕]も[スキュラ]自体も後に解説するとし、とりあえず[スキュラ]との名前だけを押さえておいていただきたい。

 以上、大雑把ながら図の由来に一言触れた上でだ。上掲図像群の間の関係性に着目していただきたい。補助線に沿って、よく観察されれば、次のようなことが言えることが分かるはずだ。

 「革命で用いられていた赤い帽子 ―上にて一言だけその名称に言及した[フリギア帽]― が[三角形の中の目]と対応づけさせられながら、風刺の対象とされている」
 より具体的には、
 「フランス革命象徴となっていたフリギア帽がフリーメーソン象徴たる三角形の中の目、[プロビデンスの目]などと呼称される象徴 ―イルミナティの象徴などともされるが、はきとしていることはそれが確実にメーソンの象徴であることだ― と結び付けられて風刺画上で批判されている。人権宣言をモチーフにギロチンに明け暮れた革命の虚構が滑稽さと酷さを誇張して描かれていたり、あるいは、フランスそのものが伝説上の怪物、スキュラに仮託し描かれていたり、といった形で、である」

 ポイントは
「赤い三角帽子ことレッド・キャップ、フリギア帽がフリーメーソンのよく知られた象徴と結び付けられている」
ことである。
 につき、何故、赤い三角帽ことフリギア帽が数百年前からフリーメーソン象徴として描かれていたというのか
 恐ろしくてか、それとも、物理的にしゃべることが出来なくてか、この世界ではよく知っていても、そのような話を口にする者は「海外でさえ」絶無に近しいほどにいないのだが、2009年、出版社に引き渡し、同年に出版が決まっていた当方著作。本ウェブサイトでも公開しているその著作の[追記改訂稿]の段階でその理由につき私は明言してみてもいる(:右著作の主たる公開理由は[出版社関係者による露骨なオンライン上での剽窃行為]や[出版社の誠意なき態度]に応じての出版権の譲り渡し拒否決定にある)。

 「赤帽子がフリーメーソンの象徴に用いられていたのはフリギア帽フリーメーソンの[最奥の秘密]に関わるからである」

 その点、上に言う[最奥の秘密]の話に入る前に、フリギア帽がメーソンの象徴と結びつけられていることに関する考えられうる表向きの理屈、飼われている連中が口に"しそうな"理屈を話すと、である。

 「フリギア帽が革命の象徴になった由来、同帽子が[古代の解放奴隷の証し]だったことと関係しているのだろう。そう、そのことが自由を希求するフリーメーソン象徴に結びつけられたのだろう」
とでもあいなろうか(そのようなことしか言えない者は[ファウスト博士]として物識る人間に表面で賞賛され、内心で軽蔑されるだろうが)。

 しかし、上のような表向きの理屈に反し、「事実は小説より奇なり」だ。[赤い帽子] ―どこぞやの亀さん達と闘うひげ面の男がかぶる帽子のようにMの字は書かれていないが、とにかくも赤い帽子― ことフリギア帽がフリーメーソンの[プロビデンスの目]と極々一部の人間に結び付けられていた背景にはそれが[去勢の象徴]であることが影響している(と言える)。

 何?「フリーメーソンというのは中国の後宮に詰めていた宦官みたいな連中だというのか」だと?いや、違う。
 多少、[精神論的とも見える話]にはなるが、フリギア帽は[物理的な去勢]ではなく[人間の本質、魂とも言うべきものに対する去勢の象徴]となっており、フリーメーソン達はその式で内面が独特な状況にある、と言いたいのだ(:右のような[内面の状況]というものに言及した上で述べておくが、「この"総体的"に魂が抜けた世界では相対論にすぎないのであるも、フリーメーソンは最悪の部類に入る連中であると考えられる」)。
 何?「馬鹿げていて ―あるいはニューエイジャー・チックすぎてか― 聞く気にはならない」?それはよく分かる。
 なかんずく、そう思われた方が幸か不幸か、いまだ、[内面の問題]について考えたことがない向きなら尚更のこととしてだ(:古今東西、[内面の問題][魂の問題]という形でありとあらゆる宗教の話柄になってきたわけだが、そのようになっている理由など[この世界を生まれたままの視点]で見ておられる方には考えられることではないだろう。無神論者である私も探求活動を始めるまで、それが何なのか思いもよらなかった)。
 だが、上のような[秘密結社にまつわる精神論的とも見える話]につき常識人たち、「本当の大人は政治や宗教、そして、それに類する話には関知すべきではない」といった主義信条を奉じるような常識人からいくら疑念を呈されようとも、である。今は歩みを緩める時でもないし、緩められるときでもない。そのように述べた上で大雑把でもいい。まずもって、フリーメーソンがどういった者達なのかについて、そう、例えば、
[フランス映画の La Cité des enfants perdus『(邦題)ロスト・チルドレン』を視聴する]
なりしてよく考えてほしい(:同『ロスト・チルドレン』、フリーメーソンがどういう者達なのか、日本の創価学会 ―フリーメーソンのアライアンス・パートナーであることは本当の事情通の間では有名な組織。一部メーソン員がオンラインで学会を担いでいたりするのはその微細なる現れにすぎない― と同様、何をさせられているのかが隠喩的に実によく描かれている。そこに登場するCyclops、サイクロプスこと[一つ目教団]というのがフリーメーソンの比喩であるというのは「言わずもがな」の同映画を見た事情通ほぼすべての共通認識であると指摘しつつ)。
 映画 La Cité des enfants perdusを視聴するなりして、メーソンの内面の問題をよく考えてしてほしいとしたところで、フリギア帽がフリーメーソンの象徴となっているのは「それが魂というレベルでの内面に対する去勢の比喩だからである」との話、そう、[メーソンの最奥の秘密]に関するより具体的なる話に入ることにしよう。 

 さて、フリギア帽は世間一般には[解放奴隷の象徴]などとされているが(既述)、現実にそれが最も頻繁に現れているのは[去勢に絡む遺物群]である。
 上は冗談でも何でもなく、今日、見ることが出来るフリギア帽をかぶった存在が登場している遺物の多くは
[去勢された神]
あるいは
["魂"に対する処置を描いたレリーフ(かつ去勢的シーンがおどけて描かれるレリーフ)に登場する神]
絡みのものなのである(便宜的に[去勢された神]前者["魂"に対する処置を描いたレリーフ]後者として、続く話をなす)。

 そこに言う前者[去勢された神]については[アッティス]という神の名が挙げられる(:いいだろうか。ここでの目的はマイナーな神の由来を講学的に云々することではなく、潰えた宗教の神を引き合いに[フリーメーソンの内面の問題]、ひいては、[人の世の呪われた実相]を訴求することだ)。 そのアッティス神、古代アナトリア地方(キリスト教勃興期以前の現トルコ界隈)で信仰されていたとされる神であり、母親の女神、キュベレの怒りに触れ、狂わされて自己去勢した神 ―狂乱"させられて"自己去勢したわけだから「去勢された神」と言える― としても知られている。

 そして、問題はそのアッティスが直近にて挙げた後者[魂に対する処置を描いたレリーフに登場している神]([同じくフリギア帽をかぶった神])と外見的にそっくりなことである。その[魂に対する処置を描いたレリーフに登場している神]とは[ミトラ神]という神だ。同ミトラ神の由来については本Webサイト上の他所([問題意識の所在]と題したカテゴリ内など)でも解説しているので詳細は殊更に触れずに一言で言えば、[契約の神]/[無数の目を持つ者]/[全ての人間の監視者]といった位置づけ・呼称を与えられていた神、古代ローマで篤く信仰されていた神となる。 同ミトラが [魂を処置される生贄の供物としての牛(人間の象徴物とも)がサソリに睾丸を挟まれるおどけたシーン ―要するに去勢的シーン― ]を描いたレリーフ (:右レリーフはミトラ教神格が蛇の杖を持ち、[蛇の杖を持ったヘルメスあるいはマーキュリー神]よろしくpsychopompos[魂の送迎者]としての役割を果たしているものであるなどと「される」) とワンセットになっている神だということは、である。 ミトラの外見的コピー、アッティスの去勢話を想起させ、そして、[フリギア帽にこだわるメーソンの実態]を想起させもする。

 ここまで書いたうえで次のように思われる方も多かろう。

 『「フリーメーソン象徴がフリギア帽に仮託されつつ、メーソン内面の質的去勢を示している」とこの男が主張するところの論拠、それは大昔のフリギア帽をかぶった神サマの去勢ネタにすぎないのか。暴論以前の話だろう』。

 確かに、ここまでの内容だけでは、そう思われて然るべきだ。が、以上、なしてきた話は
[関係性の度合い][一般化の容易性の度合い]が並々ならぬものである
と述べることでフリーメーソンの最奥の秘密、[メーソンという"ともだちの紐帯"が魂のレベルで去勢されていること]を明かす方向につながる。そのように明言できる。

 その点、[関係性の度合い]が並々ならぬという話についてだが、まずもって、[去勢させられたアッティス]とそっくりの外見を有するミトラ神、魂の処置の場面が牛の去勢と共に描かれているミトラ神のレリーフが実は近現代フリーメーソンの象徴を多く内に含んでいる、ということが挙げられる(:補足しておくも、[ミトラ教壊滅時]と[近代フリーメーソンの団体としての成立時期]の間には ―調べればすぐに分かる類のこととして― 1000年以上の離隔がある)。
 ミトラ神がアッティス神同様、かぶるフリギア帽がフリーメーソンの象徴であるという話は循環論法 ―主張の帰結が主張の理由に含まれているような論法― となりかねないということで言及しはしないが、例えば、ミトラ教のレリーフの[月(の神)や太陽(の神)の配し方]がフリーメーソンの象徴画の典型的構造と相似形を呈しているといったことがある(この際、フリーメーソンが遺物を真似たのか、遺物を自身達の象徴体系を反映するよう偽造したのか、といったことは論点にならないので述べない)。
 あるいは、フリーメーソンが[蛇の結社]と一部で揶揄されている理由となっているメーソン特徴、[蛇象徴の尊崇視]と結びつくように「ミトラ教レリーフに蛇の象徴体系が多くつきまとう」といったことも無視してはならない(:ミトラ教のレリーフにあって ―[魂の処置を示すもの]に限局化しても― ミトラは[蛇の杖]と結びつけられている)。 例えば、上掲のフランス人権宣言図像の[三角形の中の目]の下側をよく見てみるとよい。そこには[尾を噛む蛇の紋様]、いわゆる、ウロボロス紋様が描かれている。同ウロボロス紋様もまた、メーソンの象徴に組み込まれているものなのだが、その人権宣言の中のウロボロスの前面に[ミトラがかぶるフリギア帽]が槍に刺されるように描かれているだろう?そのことは「ミトラ教のレリーフが蛇と結びついている」と直近、述べたこととの絡みで意味をなすように"できている"のである。

 そういった話はミトラに限られない。ミトラとそっくりな格好をしたアッティスについてもフリーメーソンとの関係性を強く匂わす要素がある。極めて重要なこととして、次のようなことがあるのだ。

 アッティスには[二匹のライオン]のシンボルがつきまとう。アッティスを去勢させた女神キュベレの古代式戦車が二頭のライオンに牽引され、アッティスが女神の戦車の従者をつとめている姿で彫像化されているという形でだ。
 とした上で言えることとして、[二対のライオン]というのはフリーメーソン(と、そのトモダチとも言うべき連中)のシンボルであり、同[二頭のライオン]で古代式戦車を牽引させているキュベレとはフリーメーソンが主導したフランス革命のマスコット、フランスの人格化存在としての[女神マリアンヌ]の"本当の正体"でありさえする(:右は正統派歴史学者が容れない、あるいは、口にしない類の話となるが、[実証拠]に基づきはきと明言できることである。それについては本記事と密接に結びつテーマを扱った本Webサイト上の他記事、[二匹の獅子と操作の比喩]との題の記事を参照されたい

 いかがだろうか。フリーメーソンとミトラ神、及び、アッティス(とそれらの往古の神々と結びつくフリギア帽)の間には ―妙な言い回しだが― 去勢の比喩絡みで並々ならぬ[関係性]があることをお分かりになられたのではないだろうか。

 上にてフリギア帽(絡みの存在)とフリーメーソンの間には並々ならぬ関係があることは述べた。
 しかし、
『そういった関係性は極一部の事象にのみ当てはまること、[抜粋風刺画](ジェームズ・ギルレイの手によるフランス革命を批判した風刺画)や[フランス人権宣言の中の槍に刺されたレッド・キャップ及びウロボロス]にしか当てはまらぬことではないのか。到底、一般化できるような話ではないのではないか』
と思われる方もいるかもしれない。
 だが、そうではないのだ。フリーメーソンとフリギア帽の象徴は"頻繁に"結びつくのである。すなわち、[関係性の度合い]のみならず[一般化の容易性の度合い]も並々ならぬ程度に達している。
 私の自著でも図解したことだが、合衆国の国章初期案やそれに対する国章草案改定案の図柄を分析してみると[光り輝く三角形の中の目]と[フリギア帽]が対応づけされていることが非常によく分かったりもする。あるいは、現キューバの国章を分析してみるとだ。フリーメーソンの象徴"でも"ある五芒星がフリギア帽と結び付けられている、しかも、ジェームズ・ギルレイの上掲に抜粋した風刺画そのままに結び付けられていることがこれまた非常によく分かったりもする(キューバの国章のそういった"かぐわかしさ"については[伝説上の怪物、スキュラ]との絡みで本記事にて後、図解する)。 

 結局のところ、フリギア帽とメーソンの象徴が結びつくとの話は十二分に一般化できることなのである(証言者の多さではなく、客観的に判断可能な該当事例の多さからだ)。

 ここまでの話で「フリーメーソン象徴が去勢の象徴としてのフリギア帽に仮託されている」との話は[関係性の度合いが極めて強いものとして成立]し、そのような成立ケースが多々あることにて[一般化しての主張も可能]であるとお分かりいただけたか、と思う。
 あとは最も大事な点、何故、フリギア帽が"解放"の象徴物としてではなく"去勢"の象徴物としてフリーメーソンと結びつけられているのか、そこから導き出せる魂に対する去勢の比喩とは何なのか、ということについてである。それは ―長くなるが― 以下のような話で指し示せることである。

 フリーメーソンは何でもやるし、やらされる。革命のみならず、大規模虐殺や戦争の背後でも暗躍する(私の自著にてその証左につき詳しく言及している)。つい最近では2001年9月11日のテロとされる一連の事件を引き起こしたりもした。[悪しき儀式的行為]だとよくわかった上で引き起こしたりもした (この際、ビン・ラディンをはじめとしたイスラム勢力が表向きテロとされる行為の実行に"用いられたか"否かは問題にならない。フリーメーソンが911の事件の背後で暗躍していたのは[事実]であり、連中は1999年に封切られた映画の時点でそれ絡みの計画を[自組織関与の比喩]と同時に露骨に明かしていさえしたからだ ―本Webサイト上の[問題意識の所在]と題したカテゴリ内の一連の記述内容を参照のこと― 。 ※後日付記フリーメーソンが911の事件を引き起こしたということは ―その動機面を除けば― 「容易に立証できる」ことだ。しかし、立証のための客観的証拠を挙げ連ねても[情報へのアクセスシブリティー(到達容易性)]を毀損される方向で動きがちであると ―国内外関連情報渉猟を通し― 見受けられもする(国内ケースでは[手前の公開した情報への到達容易性]の詳細な観察との絡みでそのように述べている。より"まとも"ではある海外でも勇気ある方の告発が[その他、諸々のゴミ]に ―それなりの作為の影響を受けてか― 埋もれているとケースが目につくといったことがある)。 のようなことと基本的には同じ力学が働いてのことであろう、[多くの人間の生死に関わる犯罪行為の容易なる立証]自体を毀損するようにメーソンの関係者、あるいは、それ以下の下働きととれる者達が[煙幕と思しきもの]を放出しているケース、[本来的に立証可能なこと][根拠不分明なる陰謀論]でもって陳腐化させているようなケースが目立って観察されもする(彼ら悪しきお"ともだち"関係に組み込まれた者達は陰謀論者の役割をも演じ、その顔でもってイルミナティなどといった[存在さえあやふやな組織]と自組織を併置させつつ、自らを[陰謀論や都市伝説の中だけの悪役]にさえしている。本当は[立証可能な事実群から問責可能な確定囚]となって然るべきところを、だ)。 そういったこと、陰謀論者としての陳腐化情報 ―偽・神秘家の弁や詐狂者の弁も含む― の流布などをなしている類、時に真相告発者の[露骨なる猿真似]をなしたりさえしつつ[人類に対する犯罪行為]を糊塗しようとする類は見る向きが見れば、すぐそれと分かる連中ではあるが(連中のやり方は猿真似ひとつとってもある種、えげつなく、かつ、真実を伝えようという熱意も伝わってこないゆえ)、そういったことをやる者達が「組織的に」使役されていること自体が極めて問題であると言える。 ゆえに、我々、人類は告発すべき悪に真正面から向き合うことで、この世界が碌でもない方向に行くのを阻止せねばならないとの考えからネット上にてジャンクがばら撒かれている現状を憂えている身として、長々とこの場に[敢えての後日付記]をなした)。
 そのようにフリーメーソンがどんな醜行為にも手を染める、決して自主性を持たぬチェスのポーンのように動くのはフリーメーソンが"憑依"されているが如くのメカニズムで動かされていればこそ、との議論が欧米で盛んになされるようになってきている(:デービッド・アイクという男がその議論の中心にいる。彼、アイクの説には[憑依論]のみならず[変身論]といった[より信じがたい話]が含まれていたり、明らかな虚偽であると調べれば、すぐに分かるような話が多く含まれていたりもするのだが、[私のような人間でも許容できる面]として、の中にあって[見るべき点]が多いのもまた事実。 そして、―古人の神秘主義的な物言いで言うところの― [憑依]の如き態様でメーソンが動かされているという、そういった話は響きに反し、決して馬鹿げたものではない(ここで当然のこととして「疑問符をつけたくなった」向きも多かろうが、そういった方々には本記事の以降の内容と本Webサイト上の他記事の内容を是非、精読いただきたい)。
 については、
 異次元世界をチェス盤と結びつけるようなフリーメーソン象徴体系が[あまりにも不気味なもの]として多数あることより、そして、亜空間より覗く一つ目をエプロンにつけて儀式に臨むメーソン自身の異常性より、そうした論法が迫真性をもって迫っている、ということもある(:[異常性の話]に言及したところで述べておくが、メーソンの間では儀式的殺人さえ行われているというのは有名な話だ。『馬鹿馬鹿しい』ととりたくなるのはよく分かるが、右は[都市伝説]の類ではなく[立証可能な事実]である。メーソンが有名ハリウッド・スタ―を儀式的に殺すお膳立てをなしたと"証明"可能、といったことがあるゆえに、である ―本Webサイト上の[プログラムの象徴」としての生贄殺人]という記事を参照のこと― 。その点、当のメーソン自身がそうした醜行為の実施をより低次のレベルで ―他や身内に対する恫喝のためか― [笑い話やただの陰謀論のネタ]にしたりもしているようなのだが(メーソン製911予告映画『ファイト・クラブ』の脅しのシーンでもそういったことが露骨に垣間見れる)、とにかくも、メーソンとは[あまりにも"異常な"偽善組織]と明言できる存在である ―911を起こした時点で論を俟たないことなのだが― 。フリーメーソンのアライアンス・パートナーたる創価学会、組織形態がメーソンと酷似している同・国家寄生カルト団体の婦人部が自らの年端もいかぬ子息にさえ["彼ら"の表層の理念] ―利・善・美にまつわる「価値をつくる」などといった"額面"上の理念― に反するような狂態を「組織的に」演じさせることにもやぶさかではない、といったことに通底する式で、だ)。
 あるいは、
 メーソンの代表的な象徴が[魂の処置と結びつく神のレリーフ・去勢の神格群]と結び付けられていることの奇怪さがメーソンの内面の気質 ―何かに憑かれているといった気質― について多くのことを示唆している、ということもある :欧米ではメーソンに入った人間が人格の急変を遂げるとの説が多く、かつ、メーソンの奇怪な儀式の過程で内面に対するコントロール作用が強まっているとの話がある。そのこともミトラ教のレリーフとの関連をにおわせる 

 以上をもって
フリギア帽が[物理的な去勢]ではなく[人間の本質、魂とも言うべきものに対する去勢の象徴]となっており、フリーメーソン達はそのフリギア帽にこだわらされつつ、内面が独特な状況にある者達である
ことを訴求できたか、と思う ―※換言すれば、メーソンの[最奥の秘密]に関する話につき訴求出来たか、と思う。ただ、そうは述べつつも、本記事だけでは納得いただけない方も多かろうから次の本サイト上の他記事も併読されることをお勧めしておきたい。[二匹の獅子と操作の比喩][三種の神器をはじめとした権威の象徴物に込められた隠喩](クリックすることで各記事に遷移可能。それら記事は予断を抱かれやすきタイトルに反し[具体的根拠羅列方式に則た論理展開]に重きを置いていると断わっておく)―。

 次いで、今までなしてきた赤き帽子の話を踏まえ、下に挙げる図像群をご覧いただきたい。

 左上の図はフリーメーソンの正装をまとった合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンが議事堂の定礎の儀に臨む場だ。右上の図は若年期の同ワシントンが測量をなす場を描いた画である。と、ここまで述べたうえで左上と右上の図を挙げて伝えておきたかったことを(上掲他図の解説に先んじて)述べておく。

 左上と右上の図中には[三脚]構造が現れている(三脚とはカメラを支える時に用いる三本足の土台だ)。その三脚、英語で言うとTripod"トライポッド"であることを押さえておいてもらいたい。それが[フリーメーソンへの帽子の比喩を介した処置]の問題につながるからであるフリーメーソンのワシントンの絵を挙げたのは単純にその[三脚]に着目してほしかったがゆえだ
 上を含んでいただいたうえで他図の解説をなす。

 上掲の左下の図。小説の中に出てきた敵役、トライポッド(三脚の名を冠するメカ)と称される敵役の挿絵だ。同[トライポッド]が登場した小説とは近年、映画化されたということで日本でも有名なH・G・ウェルズ原作の The War of the Worlds『宇宙戦争』である。H・G・ウェルズならぬ、オーソン・"ウェルズ"のラジオドラマ版で[異星人の侵略開始を事実と誤信]した聴衆による大パニックを引き起こした作品としても有名な、である(:1938年のマーキュリー劇場放映版により現出したパニック。に関し、[マーキュリー]とは蛇の杖、ミトラ教の上述の魂の処置の場を描いたレリーフにも登場してくる蛇の杖とも結びつく、メーソンとなじみ深いローマの神だと指摘しておく。また、余談続きになるが、同『宇宙戦争』、1949年、南米はエクアドルにて放送されたときも「聴衆を狂わせ、騙されたと怒った聴衆達の暴挙 ―放火― で何人かのメディア関係者の死者が出た」とされる)。
 と、ここで何故、ウェルズの小説の中に見るトライポッドを挙げたのか。すぐ前にて述べたことを繰り返すが、そのトライポッドがメーソンに対するコントロールの比喩となっていると解せられるからだ。[宇宙人由来のマシーン]というその下らない[架空の存在]のレベルで、である。

 何?「図ではトライポッドとかいう『宇宙戦争』のマシーン、一つ目のやつがビームみたいなものを発しているな。それがメーソンへのコントロールを寓意しているとでも言うつもりなんじゃないだろうな』だと?うむ。そういった考えを抱かれた方には「図をよく見た上で ―聞こえはエキセントリックであるも― いい線を行っている」と述べたい。述べたい一方で、「だが、それは極一面での正解でしかない」としておく必要もあるだろう(そも小説の作者のウェルズ自身は[熱線を発するトライポッド]を一つ目と結びつけられるのを嫌っていた節がある:本Webサイト上での他所で詳述しているように[色つき]だったろう男、ウェルズは挿絵家のトライポッドイラストを嫌っていた)。
 そのような印象論だけでわざわざ、馬鹿げたフィクション上の存在を登場させたわけではない。ウェルズの有名小説に出てくるトライポッドというマシーン ―通例、三脚の上には「魂を抜く機械だ」などと昔の俗説にあったカメラが乗るのだから一つ目を連想すること自体は不自然ではない― は、他の作家による後の作品にも登場しており、そこまで考えたうえで問題となるのだ。
 その他作品とは何か。1960年代後半に世に出された、ジョン・クリストファー( John Christopher:本名サミュエル・ヨウド)著のヤングアダルト向けSF小説、 The Tripods『トリポッドシリーズ』である。同『トリポッドシリーズ』、『宇宙戦争』を書いたウェルズへのオマージュとして作中に『宇宙戦争』同様の敵役、トライポッドを登場させているのだが、それ絡みでだ。次のようなストーリーがフリーメーソンへの痛烈な皮肉になっている。

 「地球は[マスター]と称されるトライポッドを駆る異星人、姿を見せない異星人達に征服され、永年、統治されてきた。その異星人達によって地球人は14歳に達するか達しないかの年齢でキャップ(Caps)と称されるインプラント、孫悟空のつけているような輪を頭につけられることで想像力・好奇心を奪われ、[トライポッドを神と崇める家畜同然の奴隷]にされていた(地球人は異星人がどういう姿をしているかも分らず、彼らが駆るトライポッドを神と"誤信"しているのである)」

 上が何故、皮肉になるのか。大多数の方は『言うまでもないだろう』と思われているかもしれないが、次のようなことが言えるからだ。

・『トリポッドシリーズ』の世界では異星人をマスターと強調して呼称する(邦訳版ではマスターではなく[主人]と表記しているようだが)。それはフリーメーソンがグランドマスターだとか、マスターメーソンだとか、マスターが大好きな"人形"になっている関係上、皮肉になる(トライポッドの元ネタがH・G・ウェルズが登場させた100フィート=33メートル以上の触手をもつマシーンであることを抜きにしても、だ:33はメーソンの階層数である)。

・『トリポッドシリーズ』の世界では14歳になると人間に[キャップ](帽子)と呼ばれるインプラントがはめられる。それが本記事でここに至るまで述べてきたこととの兼ね合いで皮肉になる。すなわち、キャップとは[フリギア帽シンボル絡みの隠喩]を意識した上での[魂というレベルでの内面に対する去勢のための装置]という意味でフリーメーソンに対する皮肉だと言えるのである(帽子ことキャップの如きものをはめられることを拒否した私のような人間から見れば、この世界、「本質的なことは考えられないか、考えられても口に出して言えない」ように"なってしまった"人間ばかりなのだが。フリーメーソンやメーソンとお"トモダチ"関係にあるカルトなど、その見本市であるとも言える)。

 いかがだろうか。フリーメーソンに対するフリギア帽の比喩、[人間の本質、魂とも言うべきものに対する去勢の象徴]の比喩が数十年前のサブカルチャーにも現れていたことをお分かりいただけのではないだろうか。大人の常識人はそのようなことを一切、口にしはしないのものの。
 あとは、である。上掲図で The Tripodsと文字をふった存在から矢印を引いた The Caps達(要するに、帽子付けられ人)の姿に目を向けてほしい。同図、冒頭にて挙げた[画家ジェームズ・ギルレイの手によるフランス革命風刺画]からの[部分的"再"抜粋]であるが、[赤い帽子をはめられた連中、フリーメーソンが一目散に逃げ散るさまを示したもの]である。要するに、のち、ギロチン・パーティーに発展してしまったフランス革命から逃げ散るフリーメーソンを描いたものである(額面通り解して、サンキュロットでもいいのだが、サンキュロットの後ろにいたのはフリーメーソンだ)。そして、実に性質が悪いのは[2001年の9月11日の事件発生前の現場]に関しても同じことがあてはまっていた節があることである。

 フランス革命が真の平等と自由をもたらしたものではなかったこと、いや、偽りの平等と自由しかもたらさなかったものであることは私の著書 ―先に「故あって」出版が頓挫したと述べた著書― に譲るとして、である。もう十二分に三脚を契機に語れることは語った。語ったので、次の話に移るとしよう。いや、その前に、ひとつ、大事なことを忘れていた。上掲のジョン・クリストファー原作の『トリポッドシリーズ』、フリーメーソン企業として一部で有名なディズニーが「2012年を目処に」映画化を企画しているとの情報がインターネット上で散見されたことに関し、「何故、いま、この時期なのか」と問題提起をなしたいということがあった。
 につき、
 「メーソン企業かなんだか、知らないが、ディズニーも色々、考えているんだよ」という向きもあろう(後日付記:当のメーソン絡みの人間でさえディズニーの悪口を言うことも ―創価学会員がスタジオジブリの悪口を述べるように― あるようだが、そういったことは置いておいて甘き人間を想定。右のようなことを書いた)。
 私もそうであって欲しいのだが、そうではないかもしれない。2012年に関しては、そこら中の胡散臭き連中が「画期だ、画期だ」と放言している年であるということがある。911の事件が数字の11に関わる儀式であると20万字近くを割いて他所で述べている人間としては、だ。フリーメーソンが何らかの動きに呼応させられている節があるかもしれないと危惧しているのである(:ディズニーがつい最近、封切った『アリス・イン・ワンダーランド』。アリス・シリーズに竜退治を織り込んだ同映画は表向きには見ていて小気味いいものだったが、メーソン製の最悪の二重話法を伴っているものだととれる ―[ルイス・キャロルのアリスの物語。それと結びつく最悪の比喩について]と題した本Webサイト上の記事で詳述― 。それと同様、2012年を公開目標としているともされていた、ディズニーの『トリポッドシリーズ』映画化の話にも二重話法の臭いがしないでもない。『トリポッドシリーズ』の原作者、ジョン・クリストファー自体については ―金を貰って飼われている下らない陰謀論者達には「ロックフェラー財団から奨学金を貰っていたような輩だ」とそれだけで批判する者もいるかもしれないも― その小説執筆は「"やらせ"ではなかったのではないか」と見たいのだが)。 
 以上、他事例から見る危険性の一応の補足をなしたところでだ。次に下の図をご覧いただきたい。

 図の左上の不快極まりない図像についてはだ。深い解説は必要あるまい。それは[メーソンの象徴として一ドル札の裏に描かれている合衆国国章の一部]である。右上は冒頭にて挙げた図の再掲で18世紀末のジェームズ・ギルレイの手による作品、[フランス革命風刺作品]である。とした上で、画家ギルレイの手による同フランス革命風刺画につき着目すべきは革命期フランスが[スキュラ]に例えられていることである(これは先にも一言だけ触れたことだ)。

 スキュラ。ギリシャ古典、叙事詩『オデュッセイア』に登場した女の海の怪物。魔女の毒で下半身が6匹の犬にされてしまった哀れな存在であるが、同怪物が登場する『オデユッセイア』という戯曲自体の意味深さ ―本Webサイト上他所でも一部、『オデュッセイア』に含まれる[セイレーンの比喩の話]をかするようになしたりもしている― を考慮して、そして、上述したようにフリーメーソンの内面の操作への比喩となっているとしたフリギア帽にわざわざ同怪物が仮託されていることから判断して、(ここでの文脈にあって取り立てて)重要視すべき存在である。

 それを指し示すべく挙げたのが、上掲の左下右下の図だ。両図はキューバ共和国国章とその拡大部を挙げたものである。につき、上掲風刺画にてスキュラに例えられた革命期フランス以上に [スキュラ寓意物(棒に刺されたフリギア帽)] に近しいものがキューバ国章に見受けられることがお分かりいただけるだろう。そのことがキューバという国家絡みで[実に厄介な操作の存在の"可能性"]を感じさせもすることが問題となる。後の世にギルレイの風刺画がプログラムとの兼ね合いで参考にされたのか。あるいは、ギルレイの風刺画があったためにプログラムの流れが決められたのか。そういったことに由来すると思しきキューバ絡みの[厄介な操作の存在の"可能性"]を感じさせることが問題となるのだ。

 その[厄介な操作の可能性]の話をする前に、である。上掲ギルレイの風刺画"自体"の私が見て取った[表向きの意味]、フランス革命期の意味について触れておこう(解説が遅くなってしまったが)。それはこうだ。

 叙事詩『オデュッセイア』にはオデュッセウスが航海の途上、二匹の怪物が出現するという難所に際会したことが記されている。そこにいう一匹の怪物は渦潮の怪物、カリュブディス。もう一匹は魔女の毒によって怪物に変じてしまった下半身が6頭の凶暴な犬となっているスキュラである。
 オデュッセウスらは前者の渦潮の化け物については見事に音で存在を見破って避けたが、スキュラに関しては避けきれず、6人の船員がスキュラの獰猛な犬の下半身の餌食になってしまった(スキュラは毎回、6人の船員を喰らう怪物として知られる)。
 そのような叙事詩『オデュッセイア』の筋立てに基づき、イギリス人風刺画たるギルレイは[フランスが狂的な連中に牛耳られるとフランスに面したドーヴァー海峡がスキュラと渦潮の間を渡るが如きの物流上の難所たりうるとの危惧]を表明した(ようにとれる。フランス人権宣言に槍に刺したフリギア帽が垣間見れるという観点上)

 上のような表向きの意味が読み取れる風刺画が何故、[厄介な操作の可能性]を伴いつつ、キューバ共和国と結びつくと考えられるかだが、次に挙げる〔1〕―〔3〕の順で段階的に述べていくこととする。

〔1〕キューバ国章に垣間見れるフリギア帽だが、五芒星が中央に描かれている。その五芒星、近代以後、フリーメーソンが目立って用いてきたアイコン(象徴記号)である。フリーメーソンの崇拝の対象などと噂される[悪魔像のバフォメット像]が額に五芒星を配して描かれる ([五芒星を配して描かれた典型的バフォメット像]は本来的にはフリーメーソンともその批判者とも"表向き"異なる者 ―エリファス・レヴィという男― の手によって近代史上に現れ出したが、そのような常識論に惑わされるべきではない) のも、アメリカの擬人化キャラクターのアンクル・サムがバフォメットよろしく[五芒星が中央に描かれている帽子]をかぶっているのもその式で語れることとして、である。
 というより、アメリカ合衆国がメーソン製国家 ―合衆国憲法制定会議に参じたファウンディング・ファーザーズの大半がフリーメーソンであったことは有名な"史実"である― として五芒星を多数、配した国旗を掲げ、歴史に登場してきたことが五芒星とフリーメーソンの関係を如実に指し示す。ために、「フリーメーソンの内面の操作へのシンボルとなっているとしたフリギア帽と同じくかぐわかしき五芒星がワンセットになっている」という意味でキューバ国章は ―重み付けの観点から― 実に胡散臭い

〔2〕実のことを言うと、キューバ共和国はアメリカ合衆国にとっての[スキュラ]となった国家である。ギルレイの絵が描かれてから200年近く、年を経てからの話として。何故、そのように言えるのか。につき、まずもって押さえるべきはキューバがフロリダ半島に面し、アメリカ本土との間に海峡を形成していることである。そう、風刺画家ギルレイがドーバー海峡を難所化する存在としてのフランス革命政権をスキュラに仮託したのと同様の海洋上の地理的条件がキューバとアメリカの間に成立している"とも"いえるのだ(ただし、キューバが[海上封鎖]をなしえたかというとそんなことが出来たはずがない。その"逆"は一時的に現出しはしたものの)。
 が、そういった地理的条件よりもはるかに重要なこととして、キューバがアメリカに[オディッセウスが通ったのと同様の難所をスポット的に通ること]を要求したということがある。[キューバ危機]絡みで、である。
 キューバ危機。一九五九年のキューバ革命の結果、キューバがアメリカ資本を排斥しつつ、産業の国有化に見る社会主義化を推進。終いにはソ連と結託し、自国領土内に核ミサイルを配備させるに至ったことによる第三次世界大戦勃発の危機。一歩間違えば、その危機を契機に世界は全面核戦争に突入していたともとれるのだが([アトラス]や[タイタン]や[トール]や[ジュピター]。本Webサイト全内容を読んでいただければ、性質の悪き人類操作プログラムの命名規則に基づいているととれるそういった名の核ミサイルが乱れ飛び、だ)、それは言い方を変えれば、だ。既述の通りのこと、「アメリカがスキュラと渦潮の怪物の間の海峡を通るが如きの難所越えを要求されていた」と言えるだろう。

〔3〕上の〔1〕の点からキューバの国章はフリーメーソン的であると言える。そして、〔2〕の点からキューバは風刺画家ギルレイの絵に見るスキュラになっていたととれる。
 それらに次のようなことを加味して見れば、
「キューバ危機は後の世にギルレイの風刺画が[メーソンを動かすことで実現させるプログラム]との兼ね合いで参考にされたか、あるいは、ギルレイの風刺画があったためにプログラムの流れが決められたかして現出した出来事である"可能性がある"」
と考えることができる。

A.アメリカと冷戦を起こしたソ連はその誕生がフリーメーソンと結びついている節がある。そして、冷戦がそもそも"やらせ"だった節が如実にある。

B.アメリカの為政者とて数百年単位の遠大なプログラムに則って飼われている存在にすぎない可能性が如実にある。

 上Aについては「ソ連のシンボリズムやソ連の衛星国のシンボリズムのフリーメーソン色につき解説し、なおかつ、革命派左派ボリシェビキがいかな援助に基づいてソ連という国家を誕生させたかと解説している」私の著作を参照いただければ、多くのことを理解いただけるだろうとし、ここでは仔細に触れない(触れていたらきりがない)。

 Bについては、この呪われた世界がどう形作られてきたか考えたことのなき方のために次のようなことを述べておこう。

 キューバ危機に臨んだ合衆国大統領ジョン・F・ケネディ。暗殺されてしまったことでも有名な彼とこれまた暗殺されてしまったことで有名な合衆国大統領リンカーンの間には次のような一致性がある。
 [リンカーンは1846年、ケネディは1946年に議員に選出(100年シフト)] / [リンカーンは1860年、ケネディは1960年に大統領に選出(100年シフト)] / [リンカーンもケネディも黒人問題に取り組んだリベラル派] / [リンカーンもケネディも裁判による裁きを受けることなくして殺されることになった暗殺者に頭を撃ち抜かれて死亡] / [リンカーンはフォード劇場で横死し、ケネディはフォード車の上で横死] / [リンカーンの後継者もケネディの後継者も"ジョンソン"という名の"南部出身"の"民主党"系議員の副大統領(二人とも"反動派")] / [二人のジョンソンの誕生年は1808年と1908年(100年間シフト)] 等々。
 以上はリンカーン・ケネディ一致性問題に絡む俗説にあるような眉唾モノの話、真偽不明の話を除いたうえでの客観的にすぐ確認可能な一致事象群だが、[確率論]的に見て、だ。普通には起こりえないものである(初等数学で習うサイコロの同じ目の連続出現率の話に超単純化させてみて考えても直観的に分かるだろう?については、確率論を用いた詭弁でリンカーン・ケネディのパラレリズム問題を否定する向きもあるようだが)。
 さらにである。「偶然の悪戯だよ」と思いたい人間を嫌がらせるような話として、ケネディの暗殺にはフリーメーソンの儀式臭が伴っていたという説が説得力を伴って存在している(要するに、911の事件と同じだ)。
 ために、フリーメーソンの飼い主がアメリカの為政者達 ―今日に至るまで多くがメーソンだ― とて数百年単位の遠大なプログラムに則って飼われている存在にすぎないことを示唆して見せた可能性が如実にあると言える(私の自著ではそういうことが往古よりあったことに言及している。すなわち、ローマ帝国皇帝達が捏造された存在ではないのなら、彼らはプログラムに則って在位年代や死に様を調整されていた存在である可能性に ―具体的データに基づき― 言及している

 一見、異常無比、常識人には唾棄されてしまうだろうBの話も説得力を伴って成立することがお分かりいただけたものか、と思う。

 〔1〕〔2〕〔3〕(におけるAB)の各点を総合的に考慮して[キューバ]とは絵画ベースで見る[スキュラ]の立ち位置を与えられていた国家である可能性がある。そういうことである。

 さて、長くなりつつも、[キューバ]との関係でスキュラ絡みの[厄介な操作の存在の"可能性"]について論じはしたが、まだ、風刺画家ギルレイのスキュラの絵に見る寓意の重要性の話をしつくしたわけでない。その点に関しては次に述べるようなこともある(伝承に依拠した抽象的な話にならざるをえないが、[非常に重要な話]としてだ ―「私は伝承から通り一遍の下らぬ教訓話をなす類などではない」と断りつつの[非常に重要な話]としてだ― )。

 ギリシャ古典に見る英雄オデュッセウスが際会したスキュラと彼女とワンセットとなっている渦潮の怪物、カリュブディス。それら怪物達の待ち受ける難所越えの話はこの世界に生きる者の多くが人生航海上、向き合うことになる"システム"の構造を体現した存在ともとれる。
 カリュブディスの渦潮 ―創価学会の機関紙の名前と結びつくもの。そして、アーサー・チャールズ・クラークの最低小説『幼年期の終り』で悪魔の格好をした異星人に見とられて滅びに向かっていく人間の集合精神の格好― の"音"に惑わされ屈すれば、渦潮に呑みこまれるがごとく、本然を失ってしまう。そう、歯車の一つのパーツにされてしまう。それが個人の必要に駆られての歯車化なら別にかまわないのだが ―私も会社員時代、忍従することの尊さを覚えた― 、潮を巻き、[自身で考えることのできない人間]を造ることを目的とした組織や機構の必要に駆られての歯車にされてしまう。
 他面、渦潮の怪物をうまくよけようとしてもだ。伝承上ではかつて美しき乙女だった、が、見る影もなく変えられてしまったスキュラが醜い半身でもって待ち構えている(もうそこにかつてのスキュラはいないようにも"見える"。実はいつも残っているのだが)。スキュラに負ければ、あるいは、スキュラをやりすごさなければ、渦潮に放り込まれるか、最終的に別のやり方で殺されるかのどちらかだ。それもまた寓意でスキュラ=[フリーメーソンのような輩]に囲まれ(日本にもそこら中にそいつらがいて仲間を増やしている)、困難を強いられるということである。そう、システムにはまりこめない、まだ自身で考える力を持っている人間たちに変えられてしまった半身が襲い掛かってくるのだ([ゾンビ映画]ではまってしまった者達が噛みついてくるとしてもいいが)。
 より常識論的な話をすれば、お前は常識人ではないから、システムにはまれ、との脅しがメーソンに代表される"権威"(と言っても糞みたいなものだが)によってなされ、それに抗うか、従うかの選択を強いられる(時に忍従は緩慢なる死とつながりうる。私のように抗った先が何なのかはいまだ保証できないが)

 何?訳がわからない観念論をいきなり持ち出すな、だと?ただでさえ、ややこしい話なのに、さらにややこしくしてどうするんだ、だと?そう思われた方には言っておきたい。
 「 [操作]が何なのか、分かる日が来ないことをお祈りしつつ、そういった日が来ても、立ち向かってほしい」と。([操作]の問題については私の自著 ―2010年上半期に"商業"出版されていたはずだったものを公開版に焼き直したもの― でも量子力学といったものをも持ち出し解説しているが、まだこの世界の実態について考える経験をしていない方々にはそこまで考えることは無理強いしない)。 
 他面、上の話を目にし、「お前の言うことももっともだ」と思われた方にはだ。「だがなぁ」をつけずにこの世界の行く末に想いを馳せつつ、よくよく考えてほしいと思う(もう気づいているはずだ。操作者達はとてつもなく邪悪で邪悪なことをやろうとしている、あるいは、やらせようとしている、と)。
 上のような話、一見、観念論の体裁をとりつつも大事な話をしたところでだ。下の図を最後に見てほしい。

 抜粋した絵画が[スキュラがオデュッセウス一向に襲いかかるさまを描いたもの]であることを述べれば、その他については多く、解説不要だろう。としつつ、視覚的に絵画の寓意をご理解いただきたい。

 さて、もう赤い帽子に絡む比喩について現時点で私が知っていることは語りきった。語りきったので本記事を終えることにするが、最後に一言、述べておく。

 「このようなご時世である。本記事を読んでまだ抗う力を有した方、各自が牢獄の壁を崩す(プリズン・ブレイク)べく、行動してくれることを"望む"」。

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枠外後日付記1:改訂に改訂を重ねていく中、―全般的に詰め込みすぎの風がある本Webサイトにあって― 本ページの密度は取り立てて濃いものとなってしまった。ために、真偽検討をなす必要性を感じた方には[印刷後、補助線を引くなどし整理しつつの紙ベースでの検討]を一層お勧めするといった仕儀になっているのだが、その通りのこと ―印刷後検討― を履践するつもりの方がおられれば、である。印刷し真偽検討をなされる際にはカラー印刷をお勧めてしておきたい。自宅外の商用端末 ―学生の方などは所属教育機関の端末でもいい― を用いてでも、カラー印刷で刷られることをお勧めしておきたいのだ。何故か。筆者悪癖としての「文字色を変えた括弧内補足を重畳的に記載する」スタイルが白黒印刷をなしたとき、読解の邪魔になりかねない ―補足部と本文の区別が文字色の同一化により読解が困難になりかねない― と危惧するからである。

枠外後日付記2:本記事後半部にてなした[オデュッセウス冒険を引き合いにしてなした比喩的な話]につき、誤解を招きかねない余地があると思われたのでこの場に以下のようなことも付記しておく。

 オデュッセウスにはトロイ戦争の際、[トロイの木馬]を考案した奸智に長けた策謀家との側面があるが、私は策謀家"的なる"意図をもって本サイトで告発を開始したのではない

 その点、まずもって、本サイト内容に策謀家の最たるやり口たる嘘・偽りがないことは[具体的根拠 ―多く裏を簡単にとれる類のもの― に基づいてしか話さない筆者スタンス]をもってお分かりいただけるはずだ。
 また、オデュッセウスが考案したとされる[トロイの木馬]がよく知られたコンピューター・ウィルスの品種名になっていることから、「あの男はその手のものをばら撒いている類である」と創価学会のような連中が組織的に印象操作をなしてくる可能性とて考えられるが ―私と創価学会は真っ向から対立する関係にある。そして、そういった連中による印象操作は現時、警戒されるべきこととなっている― 、本サイト内容を仔細に検討いただければ、お分かりいただけるはずである。「本サイトおよび私 ―実名公開をなし言論展開をなしている個人― が[司直の手にかかるべき悪しき行為]とは無縁の存在である」ということを。につき、もし、私が[ウィルス散布者]の座に貶められるのなら、それは具体的根拠によって立証可能な[人類に対する犯罪行為]の片棒を担ぐ連中による犯罪行為の結果ゆえだろうと強調しておきたい(そうなれば、私も対処策を講ずる。民事では検討中であるも、敢えて刑事事件にはしなかったことをも ―"別件"込みで― 刑事事件化させた上で、だ)。

 しかし、上のように朗々と述べつつも、である。一つだけ、トロイの木馬との絡みで懸念するところがあるにはある。コンピューター・ウィルスといったもののレベルを超えて、私のような人間[自体]がトロイの木馬の役割を「期せず」与えられてしまっている可能性もある、というのがその懸念するところだ。どういうことか。以下をよくお読みになられれば、お分かりになられるはずである。

 漫画作品として極めて有名なものに『20世紀少年』という作品がある。昨今、映画化され、ヒットしもした同『20世紀少年』は[創価学会とフリーメーソンの異常極まりなき紐帯の本質]を暗に批判しているという意味で称賛するに値する側面を有していた反面、[911の事前言及とつながっていると解釈可能な側面を多々含む作品]でもある ―劇中、登場する[9人の戦士][反物質関連兵器]といった表現・要素が他のサブ・カルチャー作品と相通じながら911の事前言及と結びついている風があったりもする― 。その『20世紀少年』、主人公のケンヂという男が死にぞこなった挙句 ―私もある種、[内面の死]を迎えそうな状況にまでなったケンジという名の男である― 、最後にライブを行うとの筋立てとなっている。
 その[20世紀少年・最後のライブ]にまつわる筋立てが、である。70年代、欧米で一世を風靡した『イルミナティ三部作』という小説、『20世紀少年』とは異なり「秘教的な意味で"完全に"911を事前予告していた」と告発すべきフリーメーソン製小説の粗筋、[バンド・グルーブたるイルミナティ指導者達が自らライブを行い、その参加者たちを蘇るナチスの生贄にしようとしていたという劇中"ラスト"部の粗筋]に通じるものがあるようになっている。哀しむべきことになっている(私は何も『20世紀少年』原作者がフリーメーソンだ、などと言っているのではない。ただし、70年代欧米のヒット作、『イルミナティ三部作』邦訳版があまりにも遅まきに(つい4-5年前に)日本の書店に並ぶこととなったその前後にあって ―"時期的"・"動機面"で不自然に― 『20世紀少年』がケンヂの最後のライブを持ち出したことに不気味な相関関係を見出さざるをえない、と言っているのだ:無論、私は[存在自体不確かなるイルミナティなる組織]の関係者でもなく、[本記事で本来的には確定囚だと揚言したフリーメーソン]の関係者でもないから右のようなことを細かく、かつ、堂々と書いている)。
 そういった[問題視せざるをえない複数サブ・カルチャーの間の不気味な関係性]のために、私のような類が真実を訴えた際、それを容れていただいた方々が何か危機的なる状況に陥りはしないか、とも危惧するのだ(:そういうことは私のような類と異なり、多くの虚偽情報をも広めているデービッド・アイクという男の挙動にも当てはまってしまう可能性がある。デービッド・アイクも私と同様、そのようなことは露も望んではいないからこそ、あれだけ持説を広めるのに躍起になっているのだと思いたいのだが)

 上を読まれて[誇大妄想狂の戯言]と内心で唾棄・笑殺したくなるのはよく分かるが、述べたいことは[一般論としての推測の話]であり、簡便にはこういうことである。

 「真実を訴える力を有した人間が、私"のような" ―"のような"がポイントだ― 人間が真実を訴える様に倣い(:付言しておくも、この「倣う」には[卑怯者のやり口たる剽窃・猿真似]は含まれない)、それなりの行動を起こしてくれようとも、である。それが悪しき方向に流れるように[この世界を醜く、かつ、歪に構築してきた連中]が企んでいる可能性がある。類型化された特定の人間の挙動 ―トロイの木馬のような餌にされているかもしれない挙動― に対して、そのような対処策が講じられるコンセンサンス ―悪しき協約― が形づくられている可能性があるのである」(:仮に、その通りならこの世界の行く末は知れていることになるが、無論のこととして、私は決してそういったことを認めるつもりはなく抗うだろう。生ある限り)。

 であるからこそ、述べておくが、

 私は何も押し付けない。たとえ、いくら私が客観的根拠と共に本当のことを述べ並べ立てようとも、人類への犯罪行為を立証していようとも、判断は全て、各個人にゆだねられている。私と共に抗うか。自分なりのやり方で抗うか。それとも耳を塞いで無視を決め込むか。すべて、自身の意思の赴くままに決するべきだ。重要なのは自分の意思で歩むべき道を決めることであり、それ以上のことを ―個人的希望の話から逸脱して― とやかく言うつもりはない

 さらに、話を急転換、―付記部があまりにも長々としたものになることを覚悟の上で― [唐突さが際立って聞こえもするだろうこと]を述べておくが、[トロイの木馬]絡みでは次のようなことが言えもする。

 私の見立てでは我々、人類にとっての[トロイの木馬]はCERNという組織が運営しているATLASといった装置の"先にあるもの"である可能性がきわめて高い(ATLASとは正式名称の時点でトロイと響きが似たような語を含む加速器運用プロジェクトおよび装置の総称だ)。
 [我々、人類に破滅的事態を招来する意図がある懸念]の材料は「他にも」あるのだが ―[創価学会とフリーメーソンのような連中を用いて化学兵器を使用する意図があることを示唆しているサブ・カルチャー]が[洋の東西で普通では考えられないような一致性]を伴い存在し、の中には[911の事前言及作品]も含まれている、といったことがあるのもそのように述べる理由となっている― 、CERNのやっていることが殊に危険な要素と接合するようにできている。できているため、[人類にとってのトロイの木馬]はCERNと結びついて存在している可能性が高い、と見るのである(CERNの行為いかんによってはそこから[ケルベロスの毒の涎]とも呼ぶべきものが我々の世界に流れだしてくる可能性がある。[山とある判断材料] ―私が本サイトにて呈示している情報をご検討いただきたい― に基づき述べることとして)

 以上、あまりにも長々と ―人によっては素っ頓狂さばかりが目立つだろう― 後日付記をなしたが、
『ここでの付記でさえもが、まだ考える力を有した方の思考の足しになれば』。そう願っている。

 ともあれ、今、望むべくことは全てを含んだ上で「だが、しかし」と言える方が真実を告発し、変えることを試みだしてくれることだ(あまりにもくどいが、選択の自由は個々人に委ねられていてこそ然るべき、と考えている一方で、である)。

 少なくとも、私はそう信じ、それだけのために生きている。