典拠となるところの明示[1] ―「何が」「どのように」「瞭然と」存在していると
指摘できるようになっているのか,【(異様にも)歴年、露骨かつ嗜虐的に先覚的
言及なされてきたところの人災
】にまつわっての具体的典拠ら呈示に入る前に

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HTML形式分割版]

異論など生じようもなかろうとの状況ありようについての詳解(紹介)の部]に先駆けて「まずもって」述べておきもしたきことらについて (以下、Web公開版([PDF一括版]および[HTML形式分割記述版])にあっての巻頭言に換えての表記となす)

( 本稿がLHC問題関連訴訟を【国内行政訴訟】として提訴、(原告として長くもかかずらうこととなった)そうした挙までをも一助に重要な事柄を訴えようとしてきたとの者による訴求文書であることについて )

 最初にその点についてから述べるが、内容検討によって理非の程について「確認」頂きたいところとして本稿は


LHC実験(委細後述の[史上最大の「実験」]とされる営為)に伴う[常軌を逸しての欺瞞性]、そして、[人間存在を根本から嘲笑うが如くもの嗜虐的寓意]の問題についてかねてより思い至るところがあったため、

【国際[加速器]マフィアとされる紐帯 ((IFCA→)ICFAこと International Committee for Future Acceleratorsと表されもする紐帯;世界各地の主要加速器研究所所長と研究代表者で構成される紐帯) にあって枢要な立ち位置をなし、LHC実験(委細後述)に公金でもって組織的に関与してきたとの国内権威の首府たる研究機関を向こうにまわしての国内行政訴訟の提訴】

を意図してなしもし、「訴求の用に供すためだけの」そちら訴訟に原告として数年間、関わってきもしたとの者、そうした者として小閑を偸(ぬす)んでしたためもした「[危機的状況の訴求]・[証拠呈示]のための」文書


となる(※)。

※本稿筆者が原告として提訴をし、長くもかかづらうこととなっていた[LHC関連行政訴訟]についての付記として

同訴訟 ―実験に公金でもってして関わる公的機関が国民に対する説明責任の問題に背馳(はいち)し、また、法に触れるとの欺瞞ある応対を平然となし、実験のリスク問題(ブラックホール生成が取り沙汰されてきたとの問題)に関して衆をたばかるようなことをなしたとの原告主張が【法律上の争点】となっているとの訴訟― は日本国内にて2012年に提訴し、その第一審からして年度にして2年、本稿のここ書きはじめの部をしたためもしている2014年まで続いていたとのものである(記者会見が被害者らによって開かれた[大規模宗教団体関係者(幹部)による通話履歴漏洩事件]を巡る顛末などを無視、といったことを存在しないがようにまったくもって報じてこなかったといった【前歴】がある、他面、【その他のありとあらゆる愚にも付かぬ[事件]】らは積極的に報ずるとの体制にて動いている節ある東京司法記者クラブ出入りの面々などにあっては、そも、興味関心の対象「外」であったようではあるが、とにかくも、そういう訴訟を水面下でたたかってきたのが筆者という人間となる)。 その点、本稿筆者が仮に単純に【おかしな人間 ―残念ながら世間にて吐いて捨てるだけいるとの取り合うに足らぬとの類― 】であるのならば(そう、[好訴癖]とのそれ絡みの言葉があるように質的狂人の類でも訴訟は提訴できる)、 訴訟は何ら[理]なきところとして即時棄却dismissを見、第一審からして年度に2年は続かなかっただろう(と強調したい)。 につき、[本稿をしたためもしている者](筆者)の水準、および、本稿にての筆者訴求内容の重要度を推し量るうえでのひとつの材料として[そうもしたこと]をも斟酌・一考いただければ、と申し述べたい次第でもある(:筆者申しようの適正さ判断にあって最も肝要なることは各自銘々が本稿の中身を直に(批判的視座にてでも)検討いただき、立論ありよう・状況訴求に行き過ぎ・言い過ぎの類があるか見極めていただくことでありましょう,と強調しもしたい中で「まずもってはも、」の間口の問題として書き記すところとして、である)。

同訴訟は2014年現時点をもってして【国内「初」かつ「唯一」のLHC関連訴訟】となっている ――「現行、」[(世間的には)まともと見做される筋]より一切、取り上げられざるもの挙となっているが、とにかくも、同訴訟、そうもした訴訟となっている―― 。

・同訴訟LHC実験に伴う欺瞞性を唯・常識的な話柄で法廷にて問おうとしたとの訴訟)にあっての
[[法律上の争訟]としての性質]
[法廷でのやりとりそれ自体からして現出していた先方実験機関の主張にみとめられる[欺瞞性][不品行]のありよう(不誠実な[逃げ]を観念すれば、先方実験機関が雇った弁護士ら由来の欺瞞性であるなどと強弁されかねないが、筆者には法廷での[欺瞞性]からして多くが先方研究機関それ自体に端を発していると指摘できる)]

については時機を見、別途、委細に踏み込んでの(「本稿ありようとは打って変わっての」)世間的常識のみに基づいてのきちんとした解説媒体を設けたい ――訴訟解説資料については「これは、」と見た向きに従前から水面下で頒布なしてきたとのことがあるわけだが、ウェブ上などにも常識的解説媒体を設けたい―― 「とも」考えている(追記として:本稿それ自体の中でも当該国内訴訟について「申し分け程度に」もの言及をなすこととしたこと、ここに追記しておく)。

 上にて言及の訴訟のことなどについては『姑息的であざといことをする』といった心証を抱かれる向きもあるかもしれないが、とにかくも、以上、筆者この身がどういったかたちで
【自身が重要事と同定するに至った事柄についての訴求 ―常識世界での行政訴訟といったものさえも自己目的化したものではなくそのための「ひとつの」具材にしての訴求― 】
に力を入れてきたのか申し述べもしたうえで、である。

 ここ書きはじめの部では本稿の性質がいかようなものなのかについて

隻句隻語にて訴求すべくもの引用 ――文書冒頭部引用、[題句]とも表せられようところの引用―― 

を直下なしておくこととする(:良くてエピゴーネン(観念模倣者としての亜流)的やりよう、悪くて[知]を有しておらぬために[継ぎ接ぎ]をなしてもっともらしく見せるとのやりよう....などとのわけでは毛頭ない(と申し述べたいところとして)、またもって、空虚なる権威主義的話柄に頼ろうというわけでもなくただただ以降、長大な本稿の内容についての効果的訴求をなすためだけもの引用をまずもってなしておくこととする)。

[(いわばもの)冒頭題句の部として]

If you think that your belief is based upon reason, you will support it by argument, rather then by persecution, and will abandon it if the argument goes against you. But if your belief is based on faith, you will realize that argument is useless, and will therefore resort to force either in the form of persecution or by stunting and distorting the minds of the young in what is called "education".
-Bertrand Russell
  Human Society in Ethics and Politics

(上に対する補いもしての拙訳として)
仮にもし[自身の信ずるところ、それは[理]に基づいているものである」と貴殿が考えているのならば、その信ずるところを[迫害](による持説・所信と一致せざるところの否定)などではなく[議論]によって支持することとしているのだろうし、仮にもし、そうもした[議論]の結果が自身の信ずるところに反することになるのならば、貴殿は当初の所信を捨て去ることとなるであろう(正しい・正しくないを証拠や論理に基づいてのやりとりによってのみ判ずる、[理]によって判ずるとの当然の帰結として。 だが、もし仮に貴殿の信ずるところが([理]ではなく)[信仰]に依拠しているとのものならば、最早、そこでは[議論]は無用の長物と化す、貴殿は[迫害]によってか、あるいは、[[教育]と呼ばれもする若者ら精神を阻害・矮小たらしめる式 ―理とは多く相容れない歪で,反復的な式― ]によっての[強制]の力にのみ正当性論拠を求めることになるであろう」 
――バートランド・ラッセル『倫理と政治における人間社会』より

There is some soul of goodness in things evil,
Would men observingly distil it out,
For our bad neighbour makes us early stirrers,
Which is both healthful, and good husbandry:
Besides, they are our outward consciences,
And preachers to us all ; admonishing,
That we should dress us fairly for our end.
Thus may we gather honey from the weed.
And make a moral of the devil himself.

-William Shakespeare
  Henry V

(上に対する文意重んじての訳として)
「悪しきことらの中にも善なる魂、その片鱗があるものだ。
 それを各々が明々白々に引き出せもするかが問題なのであり、我らは今まさに我々に害をなさんとする者達のために早起きなしている。これは健康的であるし、良きことかな、時間の倹約をもたらしてくれもする。
 その上、彼ら我らを害せんとする者達は我らが外なる良心であり、かつ、また、我ら全員にとっての説教師、まったくもって軽んじざるべき説教師ですらある。
 そう、(我らの命を奪おうとする)彼らによってさえ我らは最期の秋(とき)に備えて時宜に適っての扮装をなせもするのだ
 こうもして我らは雑草から蜜を集めもし、悪魔それ自体から道徳律を導き出しもするのだ

――ウィリアム・シェイクスピア戯曲『ヘンリー5世』、アジャンクールの戦いに臨んでの王の言より(ここでは拙訳を付したが、同戯曲の分かり易くもの訳としてはたとえば、国内では小田島雄志の白水社版などを参照されたい)

No one knows where the borderline between non-intelligent behavior and intelligent behavior lies; in fact, to suggest that a sharp borderline exists is probably silly. But essential abilities for intelligence are certainly:
---
to respond to situations very flexibly;
to take advantage of fortuitous circumstances;
to make sense out of ambiguous or contradictory messages;
to recognize the relative importance of different elements of a situation;
to find similarities between situations despite differences which may separate them;
to draw distinctions between situations despite similarities may link them;

to synthesize new concepts by taking old them together in new ways;
to come up with ideas which are novel.
---
Here one runs up against a seeming paradox. Computers by their very nature are the most inflexible, desireless, rule-following of beasts. Fast though they may be, they are nonetheless the epitome of unconsciousness. How, then, can intelligent behavior be programmed? Isn't this the most blatant of contradictions in terms? One of the major theses of this book is that it is not a contradiction at all.
-Douglas Hofstadter
  Godel, Escher, Bach: An Eternal Golden Brai
d

(上に対する国内流通訳書に見る訳として)
「知的でない行動と知的な行動との間の境界線がどこに引かれているのかは、誰も知らない。実際、正確な境界線が引けると考えるのは、おそらくばかげたことである。しかし知性の本質的な能力として、次のようなものを挙げることはできる。
---
・状況に非常に柔軟に対応すること、
・偶然的な環境を利用すること、
曖昧な、あるいは矛盾する情報からその意味を読みとること
特定条件下で異なる要素らの相対的順位を捕捉すること(訳本訳出欠損部)
いろいろな相違によって分離されかねない状況の類似点を発見すること
いろいろな類似点によって結ばれている状況にあって区別すること

・古い概念を新しいやりかたで結合することによって新しい概念を構成すること、
・新奇な着想を思いつくこと、
---
 ここで一見、逆説的なことにぶつかってしまう。コンピュータというものは、その本性からして、最も硬直的で、欲求をもたず、また規則に従うものである。いくら速くても、意識がないものの典型にすぎない。それなら、知的な行動をプログラム化することがどうして可能なのだろうか?これは最も見えすいた用語の矛盾ではなかろうか?)」
――ダグラス・ホフスタッター著 (Godel, Escher, Bach: An Eternal Golden Braid の訳書『ゲーデル、エッシャー、バッハ――あるいは不思議の環』(白揚社刊行の旧版), Introduction: A Musico-Logical Offering[音楽 論理学の捧げ物]の節、42ページから43ページ)より (※機械的人間ならぬ自由なる人間、理と知を重んじ矛盾・錯綜する情報から重要なる関係性を引きだそうという自由なる一個の人間として to make sense out of ambiguous or contradictory messages; to recognize the relative importance of different elements of a situation;[曖昧な、あるいは矛盾する情報からその意味を読みとること][いろいろな相違によって分離されかねない状況の類似点を発見すること]とのところにも最大限、[知]と[意]を傾けるとのことを強調なしたくもの引用とした)

Though the instantaneous destruction of the Earth is certainly more apocalyptic a concern, in reality, the latter questions are more appropriate to other discussions - such as those concerning global warming. Hopefully this chapter and the next will convince you that your time is better spent worrying about the depletion of the contents of your 401(k) than fretting about the disappearance of the Earth by black holes. Although schedules and budgets posed a risk for the LHC, theoretical considerations, supplemented by careful scrutiny and investigations, demonstrated that black holes did not.
To be clear, this doesn’t mean the questions shouldn’t have been asked. Scientists, like everyone else, need to anticipate possible dangerous consequences of their actions. But for the question of black holes, physicists built on existing scientific theories and data to evaluate the risk, and thereby determined there was no worrisome threat.

-Lisa Randall
  Knocking on Heaven’s Door
  CHAPTER 10 BLACK HOLES THAT WILL DEVOUR THE
  WORLD

(上に対する国内流通訳書に見る訳文として)
「地球が瞬時にして崩壊するという不安は、たしかに黙示録的なインパクトとしては大きいけれども、現実にいまいったような疑問を差し向ける対象は、むしろ別の問題――たとえば地球温暖化など――のほうがふさわしいだろう。この章と次の章を読んで納得してもらえるといいのだが、実際、ブラックホールによる地球の消滅にやきもきするより、自分の401k(確定拠出型年金)の中身が減っていくことを心配するほうが、よほど有益に時間を使えるというものである。LHCにとってスケジュールの問題や予算の問題がリスク要因になったことはあっても、ブラックホール問題がリスク要因になったことは一度もない――これは純理論的な考えからいっても、それを補足する精細な調査によって、実証ずみである
 誤解しないでほしいのだが、これは決して疑いを持つなということではない。科学者はもちろん、ほかの誰もと同じく、自分たちの行動が危険な結果を招く可能性をきちんとあらかじめ考えておく必要がある。しかし、ことブラックホールに関するかぎり、物理学者は既存の科学理論とデータを積み重ねて、そのリスクを評価しており、それによって、心配すべき驚異は何もないと結論したのだ

――原著2011年刊行のリサ・ランドール著 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、[第10章 ブラックホールは世界を呑み込むか]の章、243ページ(訳書にての頁数)より

Before the 1990s, no one thought about creating black holes in a laboratory since the minimum mass required to make a black hole is enormous compared to a typical particle mass or the energies of current colliders.
-Lisa Randall
  Knocking on Heaven’s Door
  CHAPTER 10 BLACK HOLES THAT WILL DEVOUR THE
  WORLD

(上に対する国内流通訳書に見る訳文として)
一九九〇年代より前の時代には、実験室でブラックホールが生成される可能性など、誰も考えていなかった。なにしろブラックホールを生み出すのに必要な質量は、最低限でもとほうもない大きさだから、一般的な粒子の質量や現行の加速器のエネルギーを考えれば、まったく問題外だったわけである
――原著2011年刊行の上と同じくものリサ・ランドール著 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、[第10章 ブラックホールは世界を呑み込むか]の章、245ページ(訳書にての頁数)より(※)

(※以上はハーバード卒のカリスマ女物理学者リサ・ランドール ――その提唱理論( RS Model )それ自体についても本稿の執筆が進んだ段階で解説なす所存であるとの物理学者―― の近著(ノッキン・ヘブンズ・ドア、『宇宙の扉をノックする』)にみとめられるブラックホール生成可能性に関する安全性にまつわる言、[ Planck Energy(プランク・エネルギー)というものの極小領域投下挙動が人間によっては再現不可能と考えられてきたこと]による安全性の言だが、といった部が何故・いかようにして「種族の存続の可能性を否定する」がごとくもの式で人間存在を喰いきった[欺瞞]の問題( deadly deception )に関わると判じられるかについて本稿では遺漏無くもの解説をなしていく所存である

We can fashion a conceptual bridge between Susskind's and Smolin's idea of black holes being the "utility function" (the property being optimized in an evolutionary process) of each universe in the multiverse and the conception of intelligence as the utility function that I share with Gardner. As I discussed in chapter 3, the computational power of a computer is a function of its mass and its computational efficiency. Recall that a rock has significant mass but extremely low computational efficiency (that is, virtually all of the transactions of its particles are effectively random). Most of the particle interactions in a human are random also, but on a logarithmic scale humans are roughly halfway between a rock and the ultimate small computer.
A computer in the range of the ultimate computer has a very high computational efficiency. Once we achieve an optimal computational efficiency, the only way to increase the computational power of a computer would be to increase its mass. If we increase the mass enough, its gravitational force becomes strong enough to cause it to collapse into a black hole. So a black hole can be regarded as the ultimate computer. Of course, not any black hole will do. Most black holes, like most rocks, are performing lots of random transactions but no useful computation. But a well-organized black hole would be the most powerful conceivable computer in terms of cps per liter.
[ . . . ]
In 1997 Hawking and fellow physicist Kip Thorne (the wormhole scientist) made a bet with California Institute of Technology's John Preskill. Hawking and Thorne maintained that the information that entered a black hole was lost, and any computation that might occur inside the black hole, useful or otherwise, could never be transmitted outside of it, whereas Preskill maintained that the information could be recovered. The loser was to give the winner some useful information in the form of an encyclopedia. In the intervening years the consensus in the physics community steadily moved away from Hawking, and on July 21, 2004, Hawking admitted defeat and acknowledged that Preskill had been correct after all: that information sent into a black hole is not lost. It could be transformed inside the black hole and then transmitted outside it. According to this understanding, what happens is that the particle that flies away from the black hole remains quantum entangled with its antiparticle that disappeared into the black hole. If that antiparticle inside the black hole becomes involved in a useful computation, then these results will be encoded in the state of its tangled partner particle outside of the black hole.
-Ray Kurzweil
  The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biology
  CHAPTER 6 The Impact . . .

(上に対する国内流通訳書に見る訳文として)
「サスキンドとスモーリンの、ブラックホールはマルチバースの中の個々の宇宙にとって効用関数(この場合、ある進化の過程で最大限に活用される特性)であるとする考えと、私とガードナーの、知能を効用関数と見なす考えの間には概念上の橋を架けることができる。第三章で述べたように、コンピューターの能力はその質量とコンピューティング効率によって測られる。岩はかなりの質量であるがコンピューティングの効率はきわめて低いということを考えてみよう(この場合、コンピューティング効率とは内包する粒子の処理を指し、実質的にそれはランダムと言える)。人間も、その粒子の相互関係の大半はランダムだが、対数目盛りで計ったコンピューティング効率では、岩と究極の小型コンピュータのおよそ中間に位置する。究極のコンピュータになるとそのコンピューティング効率はひじょうに高い。いったんコンピューティング効率が最適化されれば、コンピュータの能力を増す唯一の方法は、その質量を増やすこととなる。質量を十分に増やせば、その重量はブラックホールへの崩壊を引き起こすほど強力になる。それゆえ、ブラックホールは究極のコンピュータと見なすことができるのだ。
 もちろん、どんなブラックホールもそうだというわけではない。たいていのブラックホールは、たいていの岩と同じく、多くのランダムな処理を起こっているが、コンピュータとしては役立っていない。しかし、よく組織されたブラックホールは容積あたりのCPSという点では、もっとも強力に思考できるコンピュータとなる
・・・(中略)・・・
 一九九七年、ホーキングと仲間の物理学者キップ・ソーン(ワームホールを研究した科学者)は、カリフォルニア工科大学のジョン・プレスキルとある賭けをした。ホーキングとソーンは、ブラックホールに落ちた情報は失われると主張し、ブラックホールの中で起こったいかなるコンピューティングも、それが有用であるなしにかかわらず、外側へ送られることはありえないとしたが、対するプレスキルは、情報は取り出せると主張した。敗者は勝者に、役に立つ情報を辞典という形で贈ることにした
 それから数年の間に物理学界のコンセンサスはじわじわとホーキングから離れていき、そして二〇〇四年七月二一日、ホーキングは敗北を認め、結局はプレスキルが正しかったと言明した

――レイ・カーツワイル著 The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biology『特異点の時は近い.人類が生体組織を超越するとき』の邦訳版(原題に対してかなりのタイトル名意訳がなされての『ポストヒューマン誕生 コンピューターが人間の知性を越えるとき』(現NHK出版刊行)にあっての CHAPTER SIX The Impact . . .(第六章[まさにその衝撃])の部、478ページから479ページ(二〇〇七年に刊行された邦訳版にての頁数)より

In 1935 Einstein and physicist Nathan Rosen formulated "Einstein-Rosen" bridges as a way of describing electrons and other particles in terms of tiny space-time tunnels. In 1955 physicist John Wheeler described these tunnels as "wormholes," introducing the term for the first time.
[ . . . ]
In 1988 California Institute of Technology physicists Michael Morris, Kip Thorne, and Uri Yurtsever explained in some detail how such wormholes could be engineered.
[ . . . ]
They also pointed out that based on quantum fluctuation, so-called empty space is continually generating tiny wormholes the size of subatomic particles. By adding energy and following other requirements of both quantum physics and general relativity (two fields that have been notoriously difficult to unify), these wormholes could be expanded to allow objects larger than subatomic particles to travel through them. Sending humans through them would not be impossible but extremely difficult. However, as I pointed out above, we really only need to send nanobots plus information, which could pass through wormholes measured in microns rather than meters.
Thorne and his Ph.D. students Morris and Yurtsever also described a method consistent with general relativity and quantum mechanics that could establish wormholes between the Earth and faraway locations. Their proposed technique involves expanding a spontaneously generated, subatomic-size wormhole to a larger size by adding energy, then stabilizing it using superconducting spheres in the two connected "wormhole mouths." After the wormhole is expanded and stabilized, one of its mouths (entrances) is transported to another location, while keeping its connection to the other entrance, which remains on Earth.
[ . . . ]
Matt Visser of Washington University in St. Louis has suggested refinements to the Morris-Thorne-Yurtsever concept that provide a more stable environment, which might even allow humans to travel through wormholes. In my view, however, this is unnecessary. By the time engineering projects of this scale might be feasible, human intelligence will long since have been dominated by its nonbiological component. Sending molecular-scale selfreplicating devices along with software will be sufficient and much easier. Anders Sandberg estimates that a one nanometer wormhole could transmit a formidable 1069 bits per second.
Physicist David Hochberg and Vanderbilt University's Thomas Kephart point out that shortly after the Big Bang, gravity was strong enough to have provided the energy required to spontaneously create massive numbers of selfstabilizing wormholes. A significant portion of these wormholes is likely to still be around and may be pervasive, providing a vast network of corridors that reach far and wide throughout the universe. It might be easier to discover and use these natural wormholes than to create new ones.

-Ray Kurzweil
  The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biology
  CHAPTER 6 The Impact . . .

(上に対する国内流通訳書に見る訳文として)
「一九三五年、アインシュタインとネイサン・ローゼンは[アインシュタイン-ローゼン橋]という、電子やその他の粒子がとおる小さな時空トンネルについて発表した。一九五五年、物理学者ジョン・ホイーラーはこのトンネルを「ワームホール」と表現し、その言葉を初めて世に知らしめた。
・・・(中略)・・・
一九八八年、カリフォルニア工科大学の物理学者マイケル・モリス、キップ・ソーン、ウーリー・エルツヴァーは、そのようなワームホールを設計する方法についてくわしく説明した。
・・・(中略)・・・
量子ゆらぎに基づけば、「真空の空間」は絶えず原子より小さなサイズの小ワームホールを作りだしているとも指摘した。エネルギーを加え、量子物理学と一般相対性理論(この二つの分野は統合が難しいことで知られる)双方の要求を満たすことにより、このワームホールは拡張され、原子より大きい物体も通れるようになるだろう。そこへ人間を送り込むことは不可能ではないものの、きわめて困難である。しかし、上述したように、実際には情報を付加したナノボットさえ送ればいいわけで、そうなるとワームホールの直径は、数メートルどころか数ミクロンもあれば十分だ。ソーンとその博士課程の学生モリスおよユルツェヴァーは、一般相対性理論と量子力学のどちらにも矛盾しないで、地球と遠い場所を結ぶワームホールを作る方法についても述べた。彼らが提唱した技術は、自然発生した原子より小さいワームホールにエネルギーを加えて拡大し、さらに超伝導状態の球を用いて二つの[ワームホールの口]を安定させるというものだ。
・・・(中略)・・・
ワシントン大学(セントルイス)のマット・ヴィサーが提案したモリス-ソーン-ユルツェヴァー構想を改善したワームホールは、いっそう環境が安定しており、人間も通行できるようになっている。しかし、わたしの考えでは、これは不必要だろう。この規模の技術計画が実現するころには、人間の知能は非生物的部分が優位を占めるようになって久しいだろう。ソフトウェアとともに分子サイズの自己修復するデバイスを送れば十分であり、そのほうが簡単だアンデルス・サンドベルイは、一ナノメートルのワームホールは一秒あたり10の69乗ビットもの膨大な情報を送ることができると試算している
 物理学者デヴィート・ホッホベルクとヴァンダービルト大学のトマス・ケップハートは、ビッグバンのわずかのちに重力はひじょうに強くなり、そのエネルギーがあれば自己安定するワームホールが大量に自然発生できたはずだ、と指摘する。このようなワームホールの大部分はまだあちこちに残っていて、宇宙全体にわたって遠く幅広い地点を結ぶ広大なネットワークの回廊を作っているそうである。新しいものを作るより、このような自然のワームホールを発見し利用したほうがずっと簡単かもしれない

――レイ・カーツワイル著 The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biology『特異点の時は近い.人類が生体組織を超越するとき』の邦訳版(原題に対してかなりのタイトル名意訳がなされての『ポストヒューマン誕生 コンピューターが人間の知性を越えるとき』(現NHK出版刊行旧版)にあっての CHAPTER SIX The Impact . . .(第六章[まさにその衝撃])の部、466ページから468ページ(二〇〇七年に刊行された邦訳版にての頁数)より(※)

(※ここで引用なしたのは米国のカリスマ発明家にしてカリスマ起業家として知られるレイ・カーツワイルの[技術的特異点]というものについて論じた著作 ―― The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biology―― にあっての記載内容であるが、同引用部に見る[遠大]、あるいは、[ Science Fictionがかって気宇壮大に過ぎる]と(当然に)受け取られようとの同じくもの引用部に見る未来予測、そのようなものが何故にもって[具体的危険性]の問題に関わるのか、[関連するところの先覚的言及の束]と(露骨にも)結合しながらもそうもなっているのかについては本稿を順を追って検討いただければ理解なしていただけるであろう

(ここまでをもってして千句一言、本稿のありようを端的に訴求すべくもの[(いわばもの)冒頭題句の部]とする)

 直上にあっての(洋書によくみられるとの[他所からの引用がなされてのエピグラフ;題句・題辞の部]のありようを意識しもしての)[(いわば、もの)冒頭題句の部]で引き合いに出しもした引用内容にもダイレクトに関わる」ところとして、である。

 ここ本稿では

具体的事実をつまびらやかにする

とのかたちにて属人的主観などは本来的に問題にならぬし、問題とすべきではないとの、

人間の危急存亡の問題に関わる[欺瞞]がそこに「はきと」存在していること

上の[欺瞞]の構造が「極めて根が深いもの」となっていること

の両二点についての摘示をなしていくこととする。

 その点、上記のことらを証して示す、具体的なる[証示]のための段に入る前のこととしてまずもって下の図解部をご覧いただければ、と思う。

 図に付しての日本語解説部をご覧いただければお分かりいただけようことかとは思うが、上は

[[誰でも容易に裏取りなせる確たる事実ら]及び[それら事実の間に横たわる多重的な繋がり合い]の呈示から個人の主観など問題になる余地もなくそうであると明言できる事柄

真偽不明さがゆえに「論」(セオリー)にすぎぬ(「論」に留まり続けている)との事柄
との間に横たわる分水嶺

を示さんとすべくもの図となる。

 図にて強調表示しての[分水嶺]を越えて、

「確実にそうであると述べられる」

ところを切り分けして、

[読み手に確証をいただけるだけの膨大な典拠ら]

と共にそのありようを呈示するとのかたちで最前、ほんのつい先立って言及したことら、

人間の危急存亡の問題に関わる[欺瞞]がそこに「はきと」存在していること

上の[欺瞞]の構造が「極めて根が深いもの」となっていること

の両二点の[異論など生じえもしなかろうとの実在]を指し示す、そうもした趣意の下、手間暇を惜しまずに作成したのが本稿となる(:論稿中身の真偽についてはきちんと確認いただきたいのだが、マインドの面としてそうした挙をして「これもって壮なり」と見るか、あるいは、不快なるやりようと見做すか、読み手がいかようにとらえるかに筆者は頓着しない ――要らぬこと、属人的目分量の問題について言及すれば、である。筆者としては 『重要事にあってはまさしくもの[具体的に[証示]なせるとの真実]のみが人間を救いうるとの([十分条件]ならぬ)[必要条件]を満たしているものである、それが眼前に十全に呈示されたうえで何も策(て)を打たぬ種族ならばどうしようもなかろう』 との観点に基づいてただひたすらに真実(であると確言できること)の呈示をなすことを本稿にて重んじているのだが、([滅]であれ[続]であれ)[結果が全て]の世界でミクロの問題として一人一人がいかような観点を抱くかまでは頓着しない―― )

 いましばらくも証示それ自体の話に入る前の[まずもっての話]を続ける。長大なる(ものとなると前言するところの)本稿、そのここ書き出しの部からして、

「[具体的事実]らをつまびらやかにするとのかたち(すなわち、[具体的事実]らを判断の基礎に置くとのかたち)にて属人的主観の問題などは本来的に問題にならないし、問題とすべきではないとのことの指し示しをなす」

とのことを述べているわけだが、では、そこにて[判断]の基礎に置くとの

具体的事実

とはいかような[性質]のものか。

 そこから明示しておく必要があると(当然にして)判じ、言及しておくが、ここ本稿で問題としている[具体的事実]とは

特定の性質を帯びた「記録的」事実

のことを指す。

 特定の性質を帯びた「記録的」事実

 すなわち、それは

「特定の公的資料・古典および近現代の著名文物ら[流布されての(歴史的)記録]にこれこれこういう記載がなされているとの[文献的事実]( Philological Truth )として残っている、 あるいは、 [流布されての「映像的」記録]として尺何分の映像作品の再生パートこれこれの部にて再生確認可能となっているとのかたちで残っている」
とのことがある上に、なおかつ、
世間一般の人間が極めて容易にその旨をオンライン上や流通書籍にあってその通りであることを確認できる
との事実

のことを指す。

 本稿では以上のようなものであるとはきと言明しての[記録的事実]らを抜粋とのかたちで ――指定した通りのところを閲覧すれば「誰でも第三者が容易に後追いできる」とのかたちで―― 抽出し、もって、それだけをもってして本稿にての指し示し事項の[証示]の材とする

 換言すれば、である。本稿ではそうもした[記録的事実]が伴っていないところは訴求(状況の訴求)にあっての基本骨格とはせず([記録的事実]が伴っていないところは[余事記載]・[傍論]であるとあらかじめ断っての言及をなすに留め)、[記録的事実]「のみ」から導き出せるところとして、

[[恣意の賜物でなければ何なのか、との極めて特徴的な要素]にまつわる「多重的」「相互」関係]

を呈示、もって、

人間の危急存亡の問題に関わる[欺瞞]がそこに「はきと」存在していること

上の[欺瞞]の構造が「極めて根が深いもの」となっていること

の両二点の[証示]に全力を傾けることとする。


本稿にての[証示]のプロセスにまつわる解説として

 直上にてまさしくも問題となるとの事柄らの[証示]に全力を賭していくと申し述べているわけだが、その

[証示の具体的プロセス]

についてここにて「視覚化なしながら」もの解説を ―(話が長くなって望ましくないとの認識もあるのだが)― なしておく (証示、その中身に入る「前」にあってのまずもっての話として、である)。

 直下にての図をご覧いただきたい。

 表記図では

[指し示しにあっての[第一段階](Step1)]

として

個々の事実らの[呈示]と[確認]のプロセス

を ――それがいかようなものなのか視覚的に訴求しつつ―― 挙げもしている(そちら個々の事実の呈示・確認のプロセスについては英文にて Fact Findingのプロセスと図内にて表記しているところともなる)。

 そこにて問題となる事実らは(先述の通りの)[記録的事実]となるわけだが (つい上の段にて申し述べたことを繰り返せば、本稿で重んじるのは唯、特定の公的資料・古典および近現代の著名文物ら[流布されての(歴史的)記録]にこれこれこういう記載がなされているとの式で[文献的事実]( Philological Truth )として残っている、 あるいは、 [流布されての「映像的」記録]として尺何分の映像作品の再生パートこれこれの部にて再生確認可能となっているとのかたちで残っている」との事実にして、なおかつ、世間一般の人間が極めて容易にその旨をオンライン上や流通書籍にあってその通りであることを確認できるとの事実だけである)、 それら[記録的事実]の呈示のために本稿にあっては

[数多の出典紹介部](連番でナンバリングしていくとのそれら自体からして長大なるものとなりもしての出典紹介部)

を設けている、筆者指し示しを網羅的にカヴァーするもの・誠実なる読み手の十全の納得を得られるものとしての[出典紹介部]を設けていると申し述べておく(細かくは続いての本稿本論部の内容の検討でもって理解いただけるであろうとのところとなる)。

 次いで、同じくもの上にての図では

[指し示しにあっての[第二段階](Step2)]

として

[(第一段階にて呈示の個々の事実らの間に成立している)相互関係を「指し示す」プロセス

のことを挙げている。

 そこにての相互関係とは ――先にてもその旨、一言、述べているが―― 

[[恣意の賜物でなければ何なのか、とのことが問題になるとの極めて特徴的な要素]にまつわる「相互」関係]

とも言い換えられるものとなる。

 以上、言及したうえで申し述べるが、本稿では上にて視覚的に図示なしてもいる[第一段階](Step1)及び[第二段階](Step2)のプロセス ――くどくも再言なせば、[第一段階](個々の事実らの[呈示]と[確認]のプロセス)及び[第二段階](第一段階にて呈示の個々の事実らの間の相互関係を「指し示す」プロセス)の各プロセス―― を「交互に繰り返す」ことで
[多くの事実(間の相互)関係の摘示]
をなしていく。
 下に視覚化しているようなかたちにて、である。


Facts[各事実]らの間に成立するCorrelation[相互関係]のモデルたる図として)


(今しばらく[本稿にての証示のプロセスの視覚化しての解説]を続けるとし、)

 先掲の図らを通じて視覚化を試みている通りの第一段階と第二段階(の両プロセスの繰り返し)にて摘示なしもしていくとの複数の事実関係について本稿では第三段階(Step3)として」

各事実「関係」を包摂するよりもって巨視的な意味での関係性

がそこに成立しており、なおかつ、その巨視的関係性にあって

[特徴的な要素](際立ってユニークな要素でもいい)

の共有がとみに、露骨にといった按配でとみにみとめられるとのことの摘示をなすのに「さらにもって」努めていく。

 視覚化すれば下の図にて示すようなかたちにて、である。

 直上図にて視覚化試みているプロセス ――[ Exhibiting[Multiple Connectivity of (aforesaid) Correlations ]Process ]と英文表記もなしもしているプロセス―― にて示さんとしている、
[複数関係性が指し示すところの「巨視的」関係性]
がいかようなものなのか、極々単純化させての[例示]表記をなしてみる。

------
 Aさん、Bさん、Cさん、Dさんの間には「お互いに」(「一方的」ではなく各人同士が知り合っているのであろうとのかたちで「お互いに」)もの繋がり合いが見てとれる。
 従って、Aさん、Bさん、Cさん、Dさんは
[グループI]
に属すると分類できもする(このレベルでは小規模の仲良しサークルといったありふれた紐帯のようなものとも判じられもする)。
 他面、グループIに属するとのAさんと「別の」EさんとFさんとGさんの間には(Aさんだけ重複するかたちで)繋がり合いが見てとれる。
 従って、AさんとEさんとFさんとGさんは
[グループII]
に分類されることになる。
 ここで[グループI]と[グループII]につながりあいがみとめられること自体は別段、奇異ではない(Aさんという特定の個人が双方グループに関わっている程度の問題として、である)。
 だが、同文同様の繋がり合いが2グループどころか
「数十のグループに渡って相互に関わるとの式で当てはまっており」、――ここからが重要なのだが―― 、 なおかつ、「それら繋がり合いを有するグループの少なからずの者達には揃って[特定の色](たとえば、[共通の建物]に出入りしている/[共通の独特なるドグマ]を奉じている)が伴っていると指し示せるようになっている」とすればどうか。
 それらグループ(の少なからずの成員)は
[特定の巨大な紐帯](宗教でもいいし結社でもいいし何ならばネズミ講でもいい)
の[サブ・ユニット](細胞)として組織的に動いている可能性があると「当然に」類推されるところとなる...。
------

 強調するが、上は[例示]表記としての話にすぎない。 その点、本稿筆者は本稿にて特定の組織がどうのこうのといった[人的紐帯]のことなどをそこに[問題の根]が凝集しているように問題視するつもりは「ない」わけだが (そのように「事物ベースではなく表だっての人間関係に基づいてのこととして」問題を論じようとするのは多く下らぬ陰謀論者、ないしは、陰謀論的なるやりようをとる向きかと現時、筆者は見立てるに至っている ―(直下にあっての、にまつわっての断り書きをも参照のこと)― )、 とにかくも、[相互関係の特性]として上のようなことに通ずることを ――比喩として人間関係のことを例にもちだしたが、それを[事物の関係性]に換えてのこととして相互関係の自明なることを示すとの式で―― 本稿では「はきと」摘示なしていく (:[人間の危急存亡の問題に関わる[欺瞞]がそこに「はきと」存在していること][そちら[欺瞞]の構造が「極めて根が深いもの」となっていること]との先述のことらに関わるところの事実関係を「はきと」摘示していく)。


(陰謀論者やりようとの差異性について訴求すべくも、「一応」、以下のこと、断っておく。

Although this long paper deals with [ foretelling problems ] which are related with masonic symbolic system deeply , I don't cling to point of view that such organizations as Freemasonry (or "legendary" Illuminati) are chief conspirators behind significant incidents. As an author of this evidence-based paper, I never intend to maintain "self-belief-system" avoiding the sterile land of conspiracy theorists who persist in conspiracy "theories" such as [ NWO conspiracy theory ] , [ Illuminati (that organisation can't be identified exactly) conspiracy theory ] or [(fictional? ) power obsessed human elite circle conspiracy theory ].
「長くもなるとの本稿にあって本稿筆者は
[フリーメーソンのシンボル体系と濃厚に接合する「前言」事物]
らがあまりにも露骨に多数存在しているとの問題についても取り扱うが(具体的事例を多数挙げながらも取り扱うが)、だが、だからと言って、(本稿それ自体にて)フリーメーソンのような組織体が重要なる出来事の背後背面に控えるフィクサーとしての陰謀団であるとの見立てを押し売りしたいわけではない。フリーメーソンのシンボリズムを異常異様なることに流用する力学があるとは具体的事実を挙げ連ねて指摘なすが、[チェス盤上の駒]が陰謀の立役者であるなどとは考えていないし、そのようなことを目立って訴求するつもりもない
 またもってして筆者は陰謀論者よろしく[新世界秩序陰謀論][イルミナティ(という実体不明瞭なる組織体)に関連する陰謀論][「人間の」権力それ自体に固執するエリート・サークル(架空存在たりうる)による陰謀論]ら不毛なる陰謀論の領域に固執するような人間でもない ―尚、筆者が[陰謀論者にとっての金城湯池(たる陰謀論の領域)]をして the sterile land【不毛なる地】と殊更に表しているのは現時、目につきやすくなっているところの陰謀論 Conspiracy Theoriesあるいはその撒布のための媒体らにあっての相応の特性を捕捉している、 「【分断】と【不信】の根を人間社会に広める」 divide and rule「分断して統治(無力化)する」との観点でdisbelief[不信]の根を広める)ためか、でなければ、「稚拙・陳腐化させて問題となるところを矮小化する」ためであろうと露骨に判じられる式で 【詐欺・捏造で満ち満ちた( filled with frauds and forgeries )劣化情報】(たとえば子供騙しの幼稚な加工写真や加工映像) を撒布しているとの目立ってのありようを捕捉するに至っているからである(にまつわっては本稿の後の段で折に触れもしての微に入っての解説を講ずることとする)― 」

(:本稿が陰謀論者やりようと訣別することにした人間なりの手仕事であることは本稿に対する最低限の読解をなしていただければ分かろうとのことになるようにしているつもりなのだが、そうもあっての中ながらも、言葉尻をとらえるように、
[[陰謀論者由来の申しよう ―[本質的問題]を抜きにしてたかだかもの傀儡(くぐつPuppet)の皮相的紐帯に人類の悲劇が凝集しているように鼓吹しもするとの申しよう― ]と本稿指摘事項を同種同一化なさしめようとのやりようをなさんとする]
のは、はきと述べ、「筆者の側には決して立ちはしまいとの筋目・筋合いの類の挙、[重要事]を馬鹿噺に貶めんとの類の挙であろう」と当然に見ていることも申し添えておく)


 上にて人間の間の繋がり合い ―Aさん,Bさんらの仲良しサークルの関係の問題― に差し当って仮託して例示なしたようなこと(事物の繋がり合いが問題になるところを差し当って人的繋がり合いに置き換えて例示なしてみたこと)、相応の露骨なる関係性がそこにはきと現出しているとのところに関しては

「黒くもないところに黒を見出している」 (この場合の黒白とは[[恣意的なもの]としてそうなっている](黒deliberate)/[[ただの偶然]としてそうなっている](白only-co-incidental)とのことを指す

との異論反論を呈することは困難かとは思うのだが ―「相関関係と因果関係とは異なる」「相関関係と因果関係(あれなければこれなしの関係)を履き違えるべきではない」との当然の申しようがなせるところであっても[黒くもないところに黒(恣意性)を見出している]との異論反論を呈することは困難かとは思うのだが― 、本稿ではその証示を使命となしているとのことら、

人間の危急存亡の問題に関わる[欺瞞]がそこに「はきと」存在していること

上の[欺瞞]の構造が「極めて根が深いもの」となっていること

の両二点に関わるところとして[さらにもの分析]を(直上表記の第三の段階Step3に歩み至った「後」にあっても)なす。

 すなわち、

(上にて視覚化なすべくもの図を挙げていた[第三段階]に至るまでの流れにて指し示しもした)

[各事実「関係」を包摂するより巨視的な意味での関係性]

について

[「意味」的なつながりあいにまつわる分析

[(意味を捨象しての[尤度(ありうべき頻度の度合い)]と[記号論的]つながりあいに依拠しての)「確率論」的な意味での分析

の「両面での」アプローチを「さらにもって」講ずることとする。

(さらになすとの両面アプローチにおける)意味上のつながりの分析としては

「つながりあいの核にある[独特な要素]がどういったものであるか]

の精査をなし(先にての[[事物の関係]を[人間関係]に置き換えての[例示]の話]を引き合いに述べれば、「お互いに相互に繋がり合っている」「数多の」複数グループが揃って出入りしていると分かった建物がどういったものでどれだけ特異性を有しているのか、お互いに関わっている複数グループが共に奉じている特定のドグマがどういった種別のものでどれだけ特異性を有しているのかといった分析をなすとのことである)、 もって、[恣意性]([偶然]としてではなく[執拗さ]を伴っての[恣意])がそこにある、そして、それがいかような性質のものであると判じられるかをつまびらやかにするように努める。

 他面、(両面アプローチにおける)確率論的なアプローチについては本来的にそれがそうしたものとなるところとして

[ある程度以上の識見を有した向きを対象としての計数的分析]

をなすこととする。 その点、筆者は理系や文系などという分類を下らぬものと見ているわけだが、高校生程度の数学に対する理解水準で事足りるとの水準に落とし込んで(ハイスクール・クオリティに落とし込んで)、[大学で確率論を学んだ向きの発想法(近代数学者の大家ピエール=シモン・ラプラスが煮詰めたやりようとの絡みで革新的とされるベイズ確率論・ベイズ推定 Bayesian Inferenceに基づいての発想法)を「単純化」してのモデル]を呈示する(:無論、理解する意志がある向きならば難なく理解もできようとの数式説明 ―この国の育ち盛りの知能とは相容れないようにも見える教育現場でのやりよう、説明を省いての[最初に天ありき]的なやりよう(知能とは無縁なる機械人間にインプットするが如きやりよう)ではなくにものきちんとした数式説明― も懇切丁寧に付しての話をなす)。
 そうもした直上言及の確率論的アプローチについては、(いくら話を単純化しているとはいえども数式に拒否反応を示す向きもあるだろうから)、
付録
との位置づけを与え、[[本稿の主要訴求事項]の理解にはその把握までは求めないとの「付け加えての、」部]とするように心がけることともする。


 以上でもって本稿にてその[証示]をなしていくと先に申し述べたことら、

人間の危急存亡の問題に関わる[欺瞞]がそこに「はきと」存在していること

上の[欺瞞]の構造が「極めて根が深いもの」となっていること

の両二点についてのまさしくもの[[証示]のプロセス]にまつわる「視覚化なしつつもの」解説 ―「証示に入る前のまずもっての」解説― を終えることとする。

本稿にての[証示]のプロセスにまつわる解説の部はここまでとする


 直近直上の段までにて ――実にもって長くもなってしまったが―― 本稿にての[指し示しの「態様」]がいかようなるものかの話をなした。

 そうもして[手法]の問題(以降、本稿にての続く内容を確認されてそこに券面偽装・虚偽の類がないか、きちんとそうした[手法]が履践されているか確認願いたきところの[手法]の問題)についての解説をなしたところで

人間の危急存亡の問題に関わる[欺瞞]がそこに「はきと」存在していること

上の[欺瞞]の構造が「極めて根が深いもの」となっていること

の両二点、本稿指し示し事項らが「主として」どういうことに関わるものなのかとの解説「をも」 ――委細は後段に譲るかたちでながら―― なしておくこととする。

 その点、本稿指し示し事項に主として関わるのは次の通りのこととなる。

 科学界の発表動向とまったくもって平仄が合わぬところ、[一部の科学理論の登場時期]を相当程度、前倒しせざるをえぬとの[加速器による災厄実現]と関わる予言的言及が存在している
 のみならずそれら予言的言及が
「他の」問題となる事柄ら
と「多重的」かつ「純・記号論的」にして「露骨なる」関係性を呈しており、そこに[明確なる悪意](我々人類に対する詐害意志そのもの)の問題が観念できるようになっている
 ずっと[昔]に遡るところとして、である([ずっと昔]がどういった性質のものと解されるかは本稿を流れとして検討していく中でご理解いただけるであろうと揚言する)。

 上にて表記の [科学界の発表と平仄が合わぬところで[一部の科学理論の登場時期]を相当程度前倒しせざるをえぬとの[加速器による災厄実現]と関わる予言的言及が存在している] とのことに関して

「本稿にて問題視する所存であるとの情勢・状況について何ら把握していない向きを想定して」

の(先んじての)端的な言及をなしておくが、

[現行、[史上最大の科学実験]と表される[加速器実験]が実施を見ており、の実験、LHC実験についてはブラックホールを生成なしうるとの可能性が取り沙汰されるに至った]

とのことがある。

 につき、最前、開巻の段のすぐ下の段より述べているように

「個人の主観は問題にならないし、問題にすべきではないとのことを「読み手が何ら惑うところがないとのかたちで」摘示していく」

との本稿の拠って立つところの方針に基づいて、上記のこと([現行、[史上最大の科学実験]と表される[加速器実験]が実施を見ており、の実験、LHC実験についてはブラックホールを生成なしうるとの可能性が取り沙汰されるに至った]とのこと)にまつわる基本的事実関係、

1.そもそも[加速器実験]とは一体全体どういったものなのか

2.そもそも[加速器実験のうち史上最大の科学実験とされているLHC実験]とは一体全体どういったものなのか

3.[(上に言う)LHC実験がブラックホールを生成しうると考えられもしているとのこと]とは一体全体どういうことなのか

についての[解説]を ――出典明示なし、次いで、それら出典よりの原文引用をなすとのかたちで―― (証示に入念に入念を期しての本稿本論部に入る「前」の差し当ってのものながら)直下なしておくこととする。


[[問題となることの摘示]に入る前に基本的な事柄らの紹介・解説導入部にあっての「差し当っての」最低限度のものとしての紹介・解説)をなすとして]

 まずもって

[そもそも[加速器実験]とは一体全体どういったものなのか]

についての最低限の解説を(差し当ってのものとして)なしておく。

1.[加速器実験]とは一体全体どういったものなのかについて

 常識世界での説明のされようでは端的に述べれば、である。(その[額面上の目的]も含めて一般人が聞き及ぶことも少なきものか、とも思うのだが)[加速実験]とは「下のように」一言説明なせるものとなっている。

[「加速器実験とは」極微の世界に対して膨大なエネルギーを集中投下できるものとしての加速器という装置 ――電磁石や高周波加速空洞にて構成される装置―― を用意し、そのうえでそちら加速器 ――繰り返すが、電磁石や高周波加速空洞にて構成される装置―― を用いて(極微スケールにての)高エネルギー状態を実現するとの営為であり、性質上、[大がかりな顕微鏡による観察挙動]と表されるものでもある]

 以上のような一言にての定義のなしよう ――[「加速実験とは」磁石と結びついた加速器という装置でもって高エネルギー状況を実現して極微世界を観察する行為である]―― が事宜に適った(「常識目線で見た場合に」事宜に適った)ものであることを示すべくもの出典を挙げておく。

(直下、[加速器実験]に重鎮として関わってきたレオン・レーダーマン( Leon Lederman )という人物、1988年にノーベル物理学賞を受賞している同男が著した、 THE GOD PARTICLE(邦題)『神がつくった素粒子(下巻)』(国内流通訳書の版元は草思社)にての[6 加速器――そいつが原子を粉砕するんだな]の部、12ページから15ページよりの掻い摘まんでの原文引用をなすとして)

 素粒子物理学者たちは、それぞれの時点で最強の加速器を作ってよろこんでいた。なぜそうするかといえば、それはわれわれホモ・サピエンスがいろんなことをするときと同じ理由だ――好奇心、自尊心、権力、欲、野心・・・・・・。われわれは仲間とビールを飲みながら物思いにふけり、はたして神様は、われわれがつぎに作る加速器――たとえば一九五九年に完成間近になっていたブルックヘブンの三〇ギガ電子ボルトの「怪物」――がなにを生みだすかご存じなのだろうか、としばしば考えたものだ。われわれはそんな前代未聞のエネルギーを手に入れて、自分たちにも解けないような謎を生みだすだけじゃないのか。
・・・(中略)・・・
加速器全体は、石油のもつ化学エネルギーを一秒あたりわずか一〇億個ほどの電子に凝縮するための、きわめて能率のわるい巨大装置と考えてもよい。石油火力発電所からの電力が送電線を通って研究所にとどき、変圧器を経由して電磁石や高周波加速空洞へ送られる仕掛けだ。巨視的な量の石油を加熱して、各原子が四〇テラ電子ボルトをもつようにすれば、そのときの温度は絶対温度4×1017つまり四〇京度になる。とすれば、原子は溶解してクォークになっているだろう。これが、誕生後一〇〇〇兆分の一秒にもならないころの宇宙全体の状況だ。それほどのエネルギーをつかってわれわれはなにをするのか?
・・・(中略)・・・
 加速器は、生物学者たちが小さなものを研究するために使用する顕微鏡のようなものだ。通常の顕微鏡は、きわめて倍率が高いが、その理由はとりもなおさず、光学顕微鏡の光源のエネルギーより電子のエネルギーのほうが高いからだ。光よりも電子の波長のほうが短いおかげで、生物学者たちは微粒子を構成する分子を「見る」ことができるようになった。どの大きさまで「見え」て研究できるか、を左右するのは対象にぶつかってゆく物体の波長なのだ。量子論によれば、波長が短くなればエネルギーが増加する、ということがわかっている。

(訳書よりの引用部はここまでとする)

 上にての洋著 THE GOD PARTICLEの流通訳書 ――書店で買い求めずとも多くの図書館を通じて借り受けなせるとの書籍―― よりのページ数指定しての原文引用部にては

[(加速器によって実現する極微領域のエネルギー状態として)巨視的な量の石油を加熱して、各原子が四〇テラ電子ボルトをもつようにすれば、そのときの温度は絶対温度4×1017つまり四〇京度になる。とすれば、原子は溶解してクォークになっているだろう。これが、誕生後一〇〇〇兆分の一秒にもならないころの宇宙全体の状況だ

加速器全体は、石油のもつ化学エネルギーを一秒あたりわずか一〇億個ほどの電子に凝縮するための、きわめて能率のわるい巨大装置と考えてもよい(以下略)]

加速器は、生物学者たちが小さなものを研究するために使用する顕微鏡のようなものだ

とのことが記載されており、それがまた一般にあっての加速器実験に対する言われようともなる(尚、[一般性]の問題に関わるところとして直近直上にて引用なした著作 THE GOD PARTICLE(邦題)『神がつくった素粒子(下巻)』(邦訳版版元は草思社)の著者であるレオン・レーダーマンは米国の加速器研究機関フェルミ国立研究所の二代目所長にして1988年にノーベル物理学賞を受賞している向きとなる。については英文Wikipedia[ Leon Lederman ]項目にて(以下、引用なすところとして) He took an extended leave of absence from Columbia in 1979 to become director of Fermilab. [ . . . ]As the director of Fermilab and subsequent Nobel physics prizewinner, Leon Lederman was a very prominent early supporter ― some sources say the architect or proposer ― of the Superconducting Super Collider project, which was endorsed around 1983, and was a major proponent and advocate throughout its lifetime.(以下、訳として)レオン・レーダーマンはフェルミ国立加速器研究所の所長となるために1979年、コロンビア大にての休職期間を延長した。・・・(中略)・・・フェルミ国立加速器研究所所長として、そして、後のノーベル物理学賞受賞者としてレオン・レーダーマンは1983年に計画承認を見ての超伝導超大型加速器(SSC)構想にあっての極めて目立っての初期支持者 ―幾人かが指摘するところとしては計画の立案ないし提唱をなした者ともされる― となっており、その生涯を通じてのそちらSSC構想の支持・擁護者であった」との表記がみとめられるとおりである)。
--------

(ここまでにて[[加速器実験]とは一体全体どういったものなのか]についての「差し当っての」最低限の説明を終える)

 次いで、

[そもそも[加速器実験のうち史上最大の科学実験とされているLHC実験]とは一体全体どういったものなのか]

についての解説を(証示に入念に入念を重ねての本稿本論部指し示しに入る「前」の差し当ってのものながら)なしておく。

2.[加速器実験のうち史上最大の科学実験とされているLHC実験]とは一体全体どういったものなのかについて

 最初に述べるが、史上最大の実験と表される[LHC実験]について「も」直上にて言及なしたところの[加速実験]の基本的定義、

[[極微スケールにての高エネルギー状態を実現・観察するための営為]にして[顕微鏡としての巨大装置を用いての観察挙動]]

との基本的定義が当てはまる。

 そのように述べたうえでまずもって基本的なるところとして和文ウィキペディアにての[大型ハドロン衝突型加速器]項目の記載内容を引くことからはじめる。

(直下、基本的なことであると判じ、「現行にての」和文ウィキペディア[大型ハドロン衝突型加速器]項目の記載を引くこととしたところとして)

 大型ハドロン衝突型加速器 (おおがたハドロンしょうとつがたかそくき、 Large Hadron Collider、略称 LHC) とは、高エネルギー物理実験を目的としてCERNが建設した世界最大の衝突型円型加速器の名称。スイス・ジュネーブ郊外にフランスとの国境をまたいで設置されている。2008年9月10日[1]に稼動開始した。また、LHC実験はそこで実施されている実験の総称。
[概要]
 陽子ビームを7TeVまで加速し、正面衝突させることによって、これまでにない高エネルギーでの素粒子反応を起こすことができる。最大重心系衝突エネルギーは、14TeV付近。但し、陽子-反陽子型の実験装置ではないため、連続重心系衝突エネルギーは8TeV~10TeV程度の実験エネルギーになる予定。
・・・(中略)・・・
CERNが建設し、2000年に実験を終了した Large Electron-Positron Collider (LEP) の地下トンネルに、陽子-陽子衝突のための加速器を新たに設置して建設された。全周は約27kmある巨大なもので、日本のマスメディアは規模を山手線に例える事がある。

(以上、現行にての和文ウィキペディア表記よりの引用とした ――ウィキペディアとの媒体については易変性が伴う、すなわち、編集の上で記述内容が度々もって変動を見るとのことが想定される。また、ウィキペディアとの媒体については不特定の編集者に編集行為が許されているためにときに中立性・公正さ、どころか、事実関係についてすら疑わしいとの記事が見受けられることもままある(であるから大学教育の世界ではウィキペディアをソースとして引用することなどは通例、[まったくもって望ましくないことである]とされる)。といった常識的な言われようのことを踏まえたうえでなおもって上のLHC実験の基本的解説については錯誤・誤謬が認められないとのこと、一応、断っておく(また、上にての[1]と振られての出典紹介部にては現行、[ 1↑ CERNのプレス・リリース(2008年9月10日)]とのソースが記載されているところでもある)―― )

 以上の基本的記述内容 ――[(LHC実験における)LHCとは欧州原子核研究機構ことCERNが運用し、全長27キロメートルの地下トンネルの中で陽子ビームの衝突実験を行う巨大加速器である]との記述内容―― を踏まえて[LHCもまた(先に例示の[加速器]のありようの説明に見受けられるところと同じくも)[顕微鏡]としての意味合いを呈している]との解説がなされていることを欧米圏科学ジャーナリストの著作から引いておくこととする。

(直下、欧米圏で比較的名が知れ、訳書も多く出されているサイエンス系読み物の著者たるアミール・アクゼルの手になる Present at the Creation The Story of CERN and the Large Hadron Colliderの邦訳版『宇宙創造の一瞬をつくる CERNと究極の加速器の挑戦』(早川書房ハードカヴァー版)の[第1章 爆発する陽子]の部、24ページから25ページよりの掻い摘まんでの原文引用をなすとして)

 LHC内部での陽子衝突により解放される凄まじい量の高密度エネルギーは、科学を未踏の新たなレベル、我々の宇宙ではビッグバン直後以来観測されたことのない高エネルギーの領域へと推し進めてくれる。そのような形で大型ハドロンコライダーは我々を百数十億年昔に連れていき、誕生直後の灼熱の宇宙を満たしていた状態を見せつけてくれる。LHCのおかげで物理科学は様変わりし、我々はかつてないほどの宇宙の深淵をのぞき、過去と現在の宇宙の構造を解明し、未来を見通し、もしかしたらその意味さえ解き明かすかもしれない。
・・・(中略)・・・
 粒子を高速まで加速し、反対方向からやってきた粒子と衝突させる。この衝突によってエネルギーが解放され、アインシュタインの式に従ってそのエネルギーが別の高速粒子に変わる。つまり、粒子の衝突によって解放されたエネルギーから質量を「造り出す」ことができる。純粋なエネルギーから生まれたこの新たな質量には、宇宙誕生から一秒に満たない頃にしか存在していなかった粒子が含まれているかもしれず、それらの振る舞いを研究することが、今日我々が自然界で見ている力や粒子を理解する上で鍵を握っている
 このようにLHCは、今まで観測されたことのない粒子や自然現象を再現してくれる。また時をさかのぼり、宇宙が超高密度で熱い粒子の「スープ」、いわゆる「クォーク=グルーオン・プラズマ」だった頃の遠い昔の原始時代へ連れていってくれる。このコライダーは巨大顕微鏡としても機能し、時空の内部構造を見せてくれるかもしれない

(訳書よりの引用部はここまでとする)

 上に見るようにアミール・アクゼル (その細かき来歴については英文ウィキペディア[ Amir Aczel ]項目の内容やその他書誌情報を参照いただきたい) の著作『宇宙創造の一瞬をつくる CERNと究極の加速器の挑戦』(早川書房ハードカヴァー版)にあって

[(粒子を高速まで加速し、反対方向からやってきた粒子と衝突させ、そちら衝突によってエネルギーが解放するとの)LHC実験]

に関して

今まで観測されたことのない粒子や自然現象を再現してくれる。また時をさかのぼり、宇宙が超高密度で熱い粒子の「スープ」、いわゆる「クォーク=グルーオン・プラズマ」だった頃の遠い昔の原始時代へ連れていってくれる。このコライダーは巨大顕微鏡としても機能し、時空の内部構造を見せてくれるかもしれない

との説明がなされている(LHC実験についても[極微スケールにての高エネルギー状態を実現・観察するための営為]にして[顕微鏡としての巨大装置を用いての観察挙動]との定義が当てはまるとの紹介がなされている)。

(ここまでにて[LHC実験とはいかようなものなのか]についてのさしあたっての説明を終える)

 さらに続いて

[[LHC実験がブラックホールを生成しうると考えられもしているとのこと]とは一体全体どういうことなのか]

についての紹介をも(証示に入念に入念を期しての本稿本論部に入る「前」の差し当ってのものながら)なしておく。

3.[LHC実験がブラックホールを生成しうると考えられもしているとのこと]とは一体全体どういうことなのかについて

 LHC実験がブラックホール生成をなしうると考えられもしているとのことについては流布流通を見ている科学読み本 ――直上にても引き合いに出した科学読み本―― にての解説のなされようの引用をなしておきたい。

(直下、欧米圏で比較的名が知れ、訳書も多く出されているサイエンス系読み物の著者たるアミール・アクゼルの手になる Present at the Creation The Story of CERN and the Large Hadron Colliderの邦訳版『宇宙創造の一瞬をつくる CERNと究極の加速器の挑戦』(早川書房ハードカヴァー版)の[第13章 CERNでブラックホールは作られるか?]の部、275ページよりの掻い摘まんでの原文引用をなすとして)

 LHCの中で起こるように物質が高密度に潰れることでもブラックホールは生じると考えられるLHCの陽子は一個あたり七TeVのエネルギーレベルに達し、陽子のペアの衝突では合計でその二倍(一四TeV)のエネルギーが生成するが、これは今までに加速器の粒子衝突で達成されたレベルをはるかにしのぐ。LHCによって我々は未知のエネルギー領域に突入し、はるかに大きいエネルギーを持つと考えられている宇宙線由来を除けば地球上で見られたことのない衝突が起こる。

(訳書よりの引用部はここまでとする)

(さらにもって続けて、直下、同じくものアミール・アクゼル著作訳書『宇宙創造の一瞬をつくる CERNと究極の加速器の挑戦』(早川書房ハードカヴァー版)の[第13章 CERNでブラックホールは作られるか?]の部、282ページから283ページよりの掻い摘まんでの原文引用をなすとして)

二〇〇九年五月六日に私は、一九六八年にひも理論を提唱した聡明な物理学者ガブリエーレ・ヴェネツィアーノに会いに、今度はパリのカルチェ・ラタン中心部にある名門コレージュ・ド・フランスの彼のオフィスを訪れた。そしてLHCについて話をした。
 その巨大な装置が凄まじいパワーを発揮したとき物理学に何が起こるか、そのことにヴェネチアーノがわくわくしている様子が感じられた。LHCのパワーは我々が見たことのない大きさなので、スイッチが入ったとき何が起こっても不思議ではない。ヴィネチアーノは言う。「そのとき起こりうる出来事はあまりに多いので、どれに注目してどれを無視するか決めておかないといけない。私たちは大きな角度の散乱を引き起こす現象に注目することにした。CERNでは、ブラックホール生成の証拠を探そうという議論もあった。しかしブラックホールが実際に現われる確率はとても低いと思う」。ヴィネチアーノの説明によれば、LHCでのブラックホール生成を認めるモデルは時空の隠れた次元の存在を前提としているという。
 もしブラックホールが出現してそれがスティーブン・ホーキングの式に従って蒸発したら、ホーキングはとてもうれしがるだろう。ヴェネチアーノは言う。「もしLHCでマイクロブラックホールが作られ、それが世界をのみ込むこともなく、ブラックホールに関するホーキングの研究が予測するとおり放射を発して蒸発すれば、ホーキング放射の実験的証明となってホーキングはノーベル賞を受賞するだろう」

(訳書よりの引用部はここまでとする ―※― )

※1直近直上にての引用部にては
LHCでのブラックホール生成を認めるモデルは時空の隠れた次元の存在を前提としている
との表記がなされているが、それは余剰次元理論]という1998年より提唱の理論のことを指す。につき、そちら余剰次元理論については[その存在が加速器実験安全性主張の流れと矛盾する予言的言及]に関わることであるとの認識の下、本稿の後の段でも折に触れて言及・解説なしていくことになること、この場にて言及しておく)

※2直近直上にての引用部には
もしLHCでマイクロブラックホールが作られ、それが世界をのみ込むこともなく、ブラックホールに関するホーキングの研究が予測するとおり放射を発して蒸発すれば、ホーキング放射の実験的証明となってホーキングはノーベル賞を受賞するだろう
との表記もがなされているが、そちらは[ホーキング輻射]という[70年代より提唱されだした自然界に極微ブラックホールが観察されないことを説明づける理論]、そして、[後に加速器の生成ブラックホール(まさしくもの極微ブラックホール)が安全であるとの論拠に「転用」されることとなった理論]にまつわる話となっている。同・ホーキング輻射についても(「重要なことに関わる」との認識の下、)本稿の後の段にて細かくも取り上げること、この場にて言及しておく)

(ここまでにて[LHC実験がブラックホール生成をなしうるといかように考えれているか]についての「差し当ってもの」説明を終える)

 以上をもってして

1.そもそも[加速器実験]とは一体全体どういったものなのか

2.そもそも[加速器実験のうち史上最大の科学実験とされているLHC実験]とは一体全体どういったものなのか

3.[(上に言う)LHC実験がブラックホールを生成しうると考えられもしているとのこと]とは一体全体どういうことなのか

についての概説部 ――本稿本題に入る前にての「まずもっての」詳説ならぬ概説の部―― を終えることとする。


 前置きが長く、極めて長くもなってしまった。

 ようやっとのこととしてここよりが本稿にての[本題]となる。

 さて、[長大なる本稿にての通貫しての訴求事項]に基礎たるところに関わるため、それらから問題視するのであるが、以降、その[記録的事実]としての実在性の論拠を最も「堅い」典拠から指し示すところとして、

事実Aから事実E(と分類なしもしての各記録的事実ら)]

が存在しているとのことが意をなしてくる。

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(ここHTML版にての第一頁からして(枠外にてながらも)強調したきところとして)

「強くも申し述べるが、この身は【終末論者】と世間的に呼ばれる人間として自分自身を規定してはいない。思うに、真に健全なる向きであれば、―【終末的状況】を【執拗に意図されたゴール】として志向するメカニズムがあるのだと判明した場合にあっては― そのような終末的状況を回避すべくも犠牲を厭わずにの全力の回避行動を取るはずであろうかと考えられる(終末的状況をもたらそうとのまさにその力学が神や悪魔の力かと見紛うようなありようを呈していようとも、あるいは、いかにも(家畜小屋の功利的運営思考に通じているといった)産業的なるありようを呈していようとも真に健全なる者ならば(その力学に対して)[全力で抗うべし]との帰結に変わらずも向かおうかと考えている)。そして、本稿の目的とは、である。馬鹿げもしている戯れ言の類としての「多義的解釈可能性を伴った」(ゆえに信などはなから置けぬだろう)ノストラダムス的言い分の類などではなくにもの【容易に確認可能なる堅い筋目の事実ら】(第三者が容易に確認可能であるとの文献的事実らや歴史的記録等々)との形態での論拠らに基づきもして終末志向の力学が確と存在しているとのこと ―しかも【操られた者らを用いての人災;マン・メイド・ディザスター】として具現化すると判じられるものとしてその問題となる力学が確として存在しているとのこと― を(決断と行為を仰ぐべくも)白日の下に晒すことにある。  以上の点に関して本稿筆者は読み手検討者たる諸賢に自身言い分を無条件に信じろとは当然に求めない(申しよう奇異さの問題もあって無批判の受容など到底求められないとのこともあるのだが、と同時に、[無条件・無批判に何かを信じる]のは宗教というものの特性、何かに思考を譲り渡した者らの心的作用に相通ずる望ましくなきありようであろうと強くも判じているとのことがあってそうも述べる)。代わって筆者この身は自身指摘の理非についてとにかくも「批判的に」検証いただきたいと求める次第である(それでもってして自身の置かれている状況が本質的にどういうものなのか一人でも多くの[力を蔵した向きら](滅亡を志向している力学を下支えするように同輩の足を引っ張るがごとく実に虚ろなる者ら「ではない」との力を蔵した向きら)に状況を理解いただきたい、そして、望むらくは何らかの行動を求めたいと考えている)」

I assert, I am never belong to unstable persons who are called “eschatologists”. I think that truly sound people ,mostly, would conclude doomsday-like-situation should be evaded at any costs if there turn out to be the [definite] mechanism which will bring to such a situation as the deliberately projected goal ( whether the mechanism seems (sham-)godlike , demoniac or industrial, it makes no difference ) . And ,the main theme of this long paper is to make clear that there are many evidences , which are never Nostradamus-like- nonsense (with tremendous ambiguity) but are based on facts which anyone can verify without difficulty (-philological truth,widely recorded (historical) events,etc,) , about the existence of the (aforesaid) end time oriented mechanism via 【 the very man-made-disaster by controlled people 】. I , in that point, never request readers to believe me without reservation but rather request to inspect my claims with critical consideration .

(またもってして(ここ本ページがその出だしに相当するとの)HTML版にての長大な指摘事項ら、それらを一括して呈示してのPDF版(四巻構成)の当サイト内ダウンロードページへの経路を下に設けておく)

(PDF版文書ダウンロードは以下より)

Entities that physicists refer to as Black holes , already fulfilled many extraordinary Predictions , and firm Guilty Intent『物理学者の類がブラックホールとよびならわしている存在ら、既に実現を見てきた異様なる予見的言及、そして、確たる他害意志の介在問題について』右文字色改変部としてのリンクを辿った先にての(当サイト内の)他ページからダウンロード可能としている

 ※あらためもし、こちら外枠部にあって、追記として,呈示しておきたき[誤記]の問題について

 当頁をもってHTML版の開巻の部としもしての(2017年に産がある)長大な事実関係指摘文書 ―(こちら当頁の文中でも記し添えしているようにもの(書き手には過てることなどなく,「遺憾ながらも」真を穿っているとの確証がある中にあっても)[とにかくも眉に唾を付けてでも「批判的なる視座にて」検証いただきたい]とのものとしての長大な事実関係指摘文書)― においては[てにをは]レベルの純然たるケアレスとしての誤記、そして、極々一部ながらも、に、とどまらずもの([樹を見て森を見ず]どころか[(一部の)枝葉の配置が“畸”であろう]との筋目のものであったとしてもの)批判やむなしかとの訂正して然るべき誤記が部分的・幾箇所かに含まれている ― 見苦しくも(しかし「されどもの」)[言い訳以外の何物でもないとのこと]を記せば、である.そのようにもの誤記をなしていたのは書き手が自身指摘行為に対して節として不実であったためではなくに、手持ち時間の少なさ/焦眉の急の感より巧遅を犠牲にして拙速に奔らざるをえなかったがゆえに弾丸タイプの中で「万端手落ちなくに.」とはなせなかったとの事情がある― 。

 その点、誤記については、助詞レベルのミスとしてのてにをは]レベルのものらについては「それらを都度直していたならば、きりがない」との認識があるため、基本的に放置の方針がある、との由にて見苦しくものさま、ご寛恕いただきたき次第ではあるものの(当頁をもってHTML版の開巻としての文書は[人という種の死命の所在を示しきらんとしているもの]である、そうもした性質の文書を訂正が容易くもあるA4数枚文量でもって用意できるわけがない、[一人の人間が自身の命・人生を賭けてまで示さんとしてなお達するに「当然」一難事であるとの筋目のもの]として厖大な文量(;紙幅にしてA4にて数千頁.字数にして数百万字との厖大な文量)を割かざるをえなかったとのことがあり、かくも長大な文書の細かくもの保守に手間を割けないでいるとのことがそのようにも述べるところの事情としてある)、 ただ、「[てにをは・汎ミスに留まらずに重くもの誤記については定期的に修正・開示する必要がそれをなせる暇・持ち時間と効果効用に対する必要性認識が書き手にあるとの限りにおいてはあろうと当然にして捉え見ている。

 そこでこちら外枠の部直下において、要修正と捉えての誤記(の呈示)と,に,対しての修正表記をまとめなしているとの部位を、サイト内リンクとして、呈示しておく。

⇒(直下テキストダブルクリックにて遷移)
■誤記と修正箇所の紹介表記部へはこちらより■

(↑上は4巻構成PDF一括収録版文書の当サイト内ダウンロードページにあっての,補い訂正しておくべきと判じたところをまとめ記しての部位への遷移リンクとなる)

 聞き苦しいことにも[注意;意を注ぐこと]をなす[自在度]を伴った御仁がおられた際に、当サイト内において
「何を言っている?事実と異なるではないか」
と捉えられもしたところが(「そのような部位はまったくもって無いから問題なのだが.」と述べたくもある次第ではあるものの)目につくようなことが仮にあれば、それが上記の誤記訂正部にて訂正対象とされているものではないか、ご確認いただきたい次第である。 

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)