典拠となるところの明示[149]――付録の部と位置づけしもしての確率論的分析。
ベイズ主義による[現象](データ)から判ずる[原因](仮説)の確率判断

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ベイズ推定による確率計算に際して本稿ではいかようなかたちでもってしての[事前確率]の設定をなすのかについて

(先立っての頁までにて[ベイズ確率論における仮説設定のありよう]について詳説し、次いで、本稿にて持ち出している仮説H1からH5(なるもの)に対していかな計数的定義 (尤度(ゆうど)設定) をなすのかについて解説しもしてきたとのその上での話を続けるとし、)

 さて、仮説H1からH5の成り立ち度合いについて呈示する前に述べておきたいのだが、つい先立っての段で解説を試みてきたようにベイズ確率論では

[ベイズ更新のプロセス ―先行する試算にて導出された事後確率(P(H|D))を[修正された確率]として後続する式の事前確率(P(D|H))の部に順次代入していくとのやりよう― ]

が何よりも重視されているとのことがある。

 ベイズ更新のプロセスによってすぐ直前のデータに対する事後確率導入のための式たる、

P(Hx|D)=P(D|Hx) × P(Hx) / ( P(H1) × P(D|H1) + P(H2) × P(D|H2) + P(H3) × P(D|H3) + ・・・ + P(Hn) × P(D|Hn) )

の解P(H|D)が続いての事後確率導入のための式の事前確率(P(D|H))の部に代入されるとのプロセス、延々と続けられもするそうした、

[[直前式にての事後確率(左辺)の導出] ⇒ [続いてデータが与えられた際の新しい式 ―これまた左辺に事後確率を置いての式― にあっての事前確率(右辺の一部)に対する直前式の解答(事後確率)の代入] ⇒ ・・・・・ のプロセス]

から漸次、追加されていく入力データに各々別々同じくものものとして紐付けられた仮説らの成り立ち度合いがより[現実的状況](集積されていった過去のデータの比率のありよう)に近似していくというのがベイズ確率論 ―広くもベイズ推定([ Bayesian inference ])と言われているやりよう― にあっての主たる特色をなすところとなっている。

 そうもしたベイズ推定では

[事前確率] (ここでは検討対象となる仮説をH1からH5との格好で設けているので[事前確率]であるP(H1)からP(H8)は、たとえば、9番目のデータD9の入力時にあってはP(H1|D8), P(H2|D8), P(H3|D8), P(H4|D8), P(H5|D8)とも定義されてベイズ更新プロセスにて更新されていく[先データ入力時の事後確率]ともなる)

初期値を設定することから話がようやっとはじまる 。

 その点、一般にベイズ推定を用いての確率分析では
[初期確率]
の指定 ―ここまで解説のために筆を割いてきた[ベイズ更新]のプロセスにより、データ取得に応じて次第次第にその確率が変遷していくとのP(H)、仮説Hが成り立つ状況の初期確率にまつわっての指定― に際して各仮説間の可能性は平等であるとの推定の下で話をはじめるきらいもある (:たとえば、H1からH5から仮説を設けているのならば、P(H1)からP(H5)の各仮説にまつわっての初期成立確率を極めてアバウトに100%を五等分、20%ずつと見繕うといった式の分析がなされもするきらいもある ―そうしたやりようを理由が十分に捕捉されていない、であるからこそもってしての不十分理由の法則であるなどとよくも表現されるところである。対しては、そうもした馬鹿げている程にアバウトである(と受け取られてしまう)ようなやりようでもデータが大量に与えられもすれば、次第次第に実態に近付いていくとの発想法が背景にある― ) 。

 初期確率を平等に配分するような傾向もある中で、だが、本稿での分析にあっては初期確率については我々人類にとって望ましくはないとの結果招来に通ずる仮説の成立可能性ほど成立可能性を低くも見繕うとの式をとることとする(反言すれば、H1を最も剣呑なるものとして呈示している中でH1→H2→H3→H4→H5の順序で初期確率を高くも見繕っていくとのことをなす)。

 具体的にはまずもって仮説H1 Hypothesis1:明らかに[執拗なる意志]の賜物がゆえに「特定の」事実関係が現出していると判じられるとするところの仮説― が真なる原因としてある(他の仮説らと[こちら立てばあちら立たず]の排他的関係にある真なる原因としてある)がゆえに関連するところの情報(データ;事象)が出てきもすると見繕う上での可能性 (にあってのデータらの具体的捕捉の前にまずもって設定しておく「初期状態の」事前確率) についてはその話柄の異常性に鑑(かんが)みて、

0.3%] (1000に3つ.日本には嘘つき・ほら吹きの類の言いようの伝をして「たった千に三つの真実のもの」との語感で千三せんみつと称する伝統があるわけだが、それに倣わせてもらっての確率設定とする

と見繕うこととする ―世間一般の―普通人は「人間とは皆殺しにするとの帰結を伴っての効用・プランある中で[畜舎](無痛収容所でもいいが)でだまくらされながら馬草を与えられてきた家畜のようなものである」などとの話を聞けば、条件反射的にほら吹きや狂人の戯れ言・よまい言の類にしか受け取らないであろう(実際に世間にはそういうことを見巧者にはすぐにそれとわかる幼稚極まりない宗教的話柄で口に出す類がおりもし、といった輩らは大概、ねじが何本かとんでしまっている、左巻きにもほどがあるとの見るからにおかしな類であることが多い.自身、おかしいと受け取れようことを敢えても口に出すのにもやぶさかではないとの者として寛容を旨としたいとの筆者のような人間でもウェブブラウジングなどしている中で、あるいは、街頭で宗教的な活動をしているそういう筋目の終末論者の類を見ると(その者らが[中身が空っぽの役者]であると分かったうえでも)吐き気を催したくなるところとして、である).であるから、ここでは(かぐわかしいところが実際にある中でも)千三つ、1000に3つとの初期確率設定を敢えてもなしている― 。

 また、仮説H2 Hypothesis2:おそらく[執拗なる意志]の賜物がゆえに「特定の」事実関係が現出していると判じられるとするところの仮説― が真なる原因としてある(他の仮説らと[こちら立てばあちら立たず]の排他的関係にある真なる原因としてある)がゆえに関連するところの情報(データ;事象)が出てきもすると見繕う上での可能性 (にあってのデータらの具体的捕捉の前にまずもって設定しておく「初期状態の」事前確率) は(H1と同文に)その異常性に鑑みて、

0.5%] (200に1つ

と見繕うこととする。

 さらに仮説H3 Hypothesis3:[執拗なる意志]か[部分的思惑の発露]か[偶然]かにつき「予断・楽観的見方をまったく許さない」との灰色の状況に由来するものとして「特定の」事実関係が現出していると想定されるとするところの仮説― が真なる原因としてあるがゆえに関連するところの情報(データ;事象)が出てきもすると見繕う上での可能性は

9.2%

と見繕う (こちら9.2%という数値が『果たして謙虚modestなるものなのか?』とのことについては下に断り書きを付しておく) 。

 続いて仮説H4 Hypothesis4:おおよそ(おそらく)にして[部分的思惑の発露]ないし[偶然]として「特定の」事実関係が現出していると想定されると見る仮説― が真なる原因としてあるがゆえに関連するところの情報が出てきもすると見繕う上での可能性(初期確率)は

30%

と見繕うこととする。

 そして、仮説H5 Hypothesis5:ほぼ確実に[部分的思惑の発露]ないし[偶然]として「特定の」事実関係が現出していると想定されると見る仮説― が真なる原因としてあるがゆえに関連するところの情報が出てきもすると見繕う上での可能性(初期確率)は

60%

と見繕うこととする。

(以上をもってして各々を和して100%となるとするとの初期確率にまつわる「便宜的」設定を(話を単純化するために)採用する ―※― )

※事前確率における初期的設定についての断り書きとして

 直上までにそうもしたセッティングの言明をなしてきたところの、

H1:明らかに[執拗なる意志]の賜物がゆえに「特定の」事実関係が現出していると判じられる (判断の確度としては[明らかである][歴然としている]とのことで「強」) ⇒ 初期設定確率0.3%

H2:おそらく[執拗なる意志]の賜物がゆえに「特定の」事実関係が現出していると判じられる (判断の確度としては[おそらくそうであろう]とのかたちで上のH1に劣る) ⇒ 初期設定確率0.5%

H3:[執拗なる意志]か[部分的思惑の発露]か[偶然]かにつき「予断・楽観的見方をまったく許さない」との灰色の状況に由来するものとして「特定の」事実関係が現出していると想定される (尚、[ことの本質]があまりに重要なものである、体系的に[皆殺しにするとのオペレーションの実施]にまつわる「執拗な」意思表示がなされてきたか否かに直に関わる、との領域では「予断・楽観的見方をなんら許さない」とのことはすなわち[危機の分析と回避]に全力を尽くして然るべき状態と同義であろう) ⇒ 初期設定確率9.2%

H4:おおよそ(おそらく)にして[部分的思惑の発露]ないし[極めてよくできた偶然]として「特定の」事実関係が現出していると想定される(判断の確度としては[おそらく]との程度で「弱」) ⇒ 初期設定確率30%

H5:ほぼ確実に[部分的思惑の発露]ないし[極めてよくできた偶然]として「特定の」事実関係が現出していると想定される(判断の確度としては「強」) ⇒ 初期設定確率60%

との[事前確率](何度も記しているように[与えられた[データ]に基づき]、漸次、事後確率が外挿されていく中で変更されていくとのP(H)の部)の「初期」設定が[謙虚ならざるもの](持説強弁の徒のやりように近しきもの)と述べられるか、と言えば、

「断じてそうではなかろう」

と申し述べておきたい(H3の確率を9.2%と見繕うやりようはフェアと言えるのか否かとのことを考えながらも書くところとして、である)

 元より[事前確率の初期設定]は追加のデータが与えられていくにつれ、修正されていくものなのだが、データが与えられる前から「最も危険である(ものとして枠組みを決めもしている)」H1 ―[恣意]の賜物がゆえに「特定の」事実関係が現出していると判じられるとのHypothesis1(仮説1)― が0.3%程あると見繕いもしていること、また、明確な断定は出来ないが予断を許す状況ではないとするHypothesis3(仮説3)について9.2%であると見繕いもしていることについてすら断じて[行き過ぎ]にはならぬとのことがこの世界にはある。

 それについて書いておくが、


H1からH5の仮説の枠組みを決めるとの尤度設定の基礎材料となっている判断材料Black,Grey,Whiteら[事象]の切り分け・捕捉の方式からして ―それはそれで[機械的導出方式]としては愚拙なりに出来る限り多くの関係性判断を包摂するやりようを取ったつもりなのだが― 現実に他にも存在している「問題となる」関係性らを数多無視しているとの仕様のものとなっている、それゆえに、[恣意性]がそこにあるとの判断材料を見逃すようなところが「強くも」ある


とのものとなっていること「も」ある。

 先にて表記をなしてきたところの[要素A]から[要素J]、


要素A:[911の事件の発生を事件発生前に先覚的に言及しているとの要素を具備している] (e.g.[[911]と[双子]との言葉の双方と関わる式での描写を目立ってなしている][ニューヨークのビル爆発とペンタゴンの攻撃を同時に描き、また、911と親和性が高い数値列を用いている]等等)

要素B:[[ブラックホール]ないし[ワームホール]ないし(機序不明概念としての)[異界との扉]のどれか一つないし複数と明示的に結びつけられている] (e.g.[特定フィクションが[ワームホール]を登場させている][特定ノンフィクションが[ブラックホール]を作中の主要テーマに据えている]等等)

要素C:[粒子加速器と結びついている] (e.g.[特定文物が粒子加速器に関わるものである]等等)

要素D:[アトランティスと命名されての概念と関わっている] (e.g.[特定フィクションが[伝説の沈んだ大陸アトランティス]に目立って言及している]等等)

要素E:[古のトロイアにまつわる伝承との結節点 (1.叙事詩『イリアス』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての構成要素】あるいは2.【叙事詩『オデュッセイア』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての要素】などとの結節点) を色濃くも具備している] (e.g.[特定フィクションが[トロイアの木製の馬]と直接的に結びつく作中要素を具備している][特定フィクションが叙事詩『オデュッセイア』や叙事詩『イリアス』(の主要登場キャラクター)と結びついている]等等)

要素F:[ヘラクレスの12功業と直接的に関わっているとの特性を具備している] (e.g.[特定文物がヘラクレス第11功業と関わる]等等)

要素G:[爬虫類の知的異種族([聖書の蛇]や[悪魔]といった存在は除く)と濃厚に結びついている] (e.g.[特定フィクションが知能を持った蛇の種族を登場させている]等等)

要素H:[垣根としての五芒星・五角形と濃厚に結びついている] (e.g.[特定フィクションが垣根としての五角形を作中の重要要素に据えている]等等)

要素I:[キリスト教大系におけるサタンないしルシファーと「直接的に」結びついている] ([特定フィクションが聖書におけるサタンを作中にて悪役として登場させている]等等)

要素J:[聖書における禁断の果実と「直接的に」結びついている] (e.g.[特定フィクションが聖書における禁断の果実のことを扱っている])


の複数共有を呈している文物らの捕捉をもって関係性における判断材料Black,Grey,White(との厳密に定義しての確率論の基礎たる【事象】ら)を導出するとのかたちにて設定しているわけだが、[要素A]から[要素J]のただ単純な共有関係の捕捉だけでは
[[要素A]から[要素J]の間には相互に複合的多重的な繋がりあいが歴然とそこにある]
とのことを十二分に顧慮していることになるとは言えない ―[言下・行間の問題]として「そういうありようがあるからこそ....」との思想があるわけだが、十二分に顧慮しきっているとは言えない― ところがありもする。

 たとえば、である。ここ[付録と位置付けての部]としての確率論の話に入る前の本稿本論の部では


要素D:[アトランティスと命名されての概念と関わっている] (e.g.[特定フィクションが[伝説の沈んだ大陸アトランティス]に目立って言及している]等等)

要素E:[古のトロイアにまつわる伝承との結節点 (1.叙事詩『イリアス』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての構成要素】あるいは2.【叙事詩『オデュッセイア』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての要素】などとの結節点) を色濃くも具備している] (e.g.[特定フィクションが[トロイアの木製の馬]と直接的に結びつく作中要素を具備している][特定フィクションが叙事詩『オデュッセイア』や叙事詩『イリアス』(の主要登場キャラクター)と結びついている]等等)

要素F:[ヘラクレスの12功業と直接的に関わっているとの特性を具備している] (e.g.[特定文物がヘラクレス第11功業と関わる]等等)


が何故もって濃厚に結びついているのか、そして、同じくものことが何故もって問題になるのかとのことにまつわっての指し示しを入念に、入念になしている。
 にまつわって皮相的な話をなせば、[要素D]に見る[アトランティス]が[要素F]に見る[ヘラクレス12功業関連物]の中の第11功業登場の[黄金の林檎の園]および[巨人アトラス]と濃厚に関わっていると指摘できるようになっていること、そして、[要素D]に見る同じくもの[アトランティス]と[要素F]に見る同じくもの[ヘラクレス11功業に登場の黄金の林檎の園]が[要素E]に見る[古のトロイア]と濃厚に関わっている ―ポイントは本来的にそれらに関わり合いがあることに蓋然性があまりない中で互いに関わっている― ことの証示を本稿本段では入念に、入念になしている (:[古の陸塊アトランティス](要素D)とは[黄金の林檎の園](要素F)と極一部識者に同一視されてきた地である。そして、[ヘラクレス12功業(のうちの11功業)]にて登場してくる[巨人アトラス](要素F)は黄金の林檎の在処を知る巨人と伝わっている存在である。 他面、[古のトロイア](要素E)は[黄金の林檎](要素F)が原因にて崩壊した伝説上の存在となり、そちらトロイアの崩壊説話には[アトランティス](要素D)との記号論的なる接合性が存在している ――といった各々の事柄らの出典内容および本稿にてのそれら出典原文引用部を示すための出典紹介番号についてはここでは再述しない(に関してはここに至るまで幾度も言及してきた出典(紹介番号)のための記述部をご覧頂きたい)―― ) 。

 以上のような皮相的側面より突き進んでさらに奥まったところで捕捉されてくる関係性がよりもってして問題になるとのこと、そうもしたことまでもが[要素A]から[要素J]までの具備の判断プロセス、そして、[要素A]から[要素J]の共有関係の特定化プロセスで最大限顧慮されているわけではない(ここ確率論の至らなさと計数的に定義しづらい問題の重篤性に関わるところとして、である)。
 確率的分析の背景にある[発想法]には確かに関係性が存することまでの言下・行間での慮(おもんぱか)りが含まれているわけではあるも、表層を越えてのありようで深い層での関係性への顧慮がなされているとは言い難い。
 そうも述べられるところとしてこの世界には深層面で「現実に」次のような関係性が「ある」ことが問題になる(とのことを本稿では延々と取り上げてきもした)。



[長くもなっての問題となる関係性の例示表記として]


 911の事件の発生を奇怪にも先覚的に言及している ―問題はといったことがあることについて[偶然の賜物で説明がなせるのか][恣意の発露なのか(であれば、その恣意はどの程度の悪質性・意志の強さを呈したものなのか)]見極めることにある― が如き内容を有している文物には[黄金の林檎]と結びつくものらが含まれている。

 その点、本稿では
[根底からの傀儡(くぐつ)の問題]
がいかようにそこに介在していると受け取れるのかとの点については敢えてもってして仮定形のそれ以上の話柄では取り上げずに

『ファイト・クラブ』  ルネサンス期画家ルーカス・クラナッハに【黄金の林檎】として描かれていたものと同一のものを【ワールド・トレード・センター(ツインタワー合間)付設のオブジェ】に仮託させて登場させている1999年初出映画であり、ワールド・トレード・センターその界隈にまさしくも仮託されていると述べられる一帯にて「グラウンド・ゼロと劇中呼称されてのありようを現出すべくも」ビル複数連続倒壊が企図されているとのことが描かれている映画ともなっていること、その具体的ありようについて本稿補説4の部で10万字単位の文量を割いて細かくも紹介してきたとの作品 ―現実に911の事件ではWTC1からWTC7が倒壊を見た(うち、突如、パンケーキ状に突如頭から崩れていった第七ビルについては発破倒壊にまつわる言われようが専門家団体よりずっと主張され続けた)わけではあるも、映画ではワールト・トレード・センターと何度も何度もワンカットで示唆される場所にあっての連続ビル倒壊(パンケーキ状にビルが崩れていく発破倒壊)が具現化している.そうもした1999年初出の映画『ファイト・クラブ』の原作小説である小説版『ファイト・クラブ』(1996年初出)では不自然なまでに超に加えてもの超が付く程の高層ビルである「191階」建てのビルが発破倒壊の対象と描かれている― )
『トレイディング・プレイシズ(邦題:大逆転)』  黄金の林檎と同一物であると見られてきたオレンジを【ワールド・トレード・センターとナンバー911が相互描写されての部】と目立って結びつけている1983年初出映画(ワールド・トレード・センターに横付けされたタクシーに911と親和性高い数値列が認められ、かつ、直後のワールド・トレード・センター内の時計描写が[9][11]との時針と結びつけられているとの作品)) 
『ジョジョの奇妙な冒険』  (国内で物議を醸してきたところとしての[911の予見描写とされる描写](それは[月][一つ目][太陽]を並べてのフリーメーソンの絞首刑者、ハングド・マンにまつわる儀式が執り行なわれるエンタード・アプレンティス位階(徒弟位階)のトレーシング・ボードとそっくりの構図を絞首刑との式で意味論的にもつながるやりかたで登場させている部でもある)をオレンジ(→黄金の林檎)と爆発物]と結びつけもして登場させている漫画作品)
『ジ・イルミナタス・トリロジー』  副題に[黄金の林檎]を冠する70年代欧米圏にて大ヒットした小説作品となり、マンハッタン・ビル爆破、ペンタゴン爆破を描きもし、【マンハッタン象徴物とペンタゴン象徴物の並列描写をなしているシンボル】の多用をなし、また、その他の意での予見描写でも問題となる作品)

を[黄金の林檎](要素F)と相通ずるところで[911の事前言及](要素A)をなしている作品の例として例示してきた (:またもってして「予見的作品としての側面からは外れる、というのも911の事件が起こった後の作品であるからである」とのこと、申し述べつつ、【ナンバー911と黄金の林檎の結びつき】についてはここ最近(2012年後半)にあって封切られた September Eleven 1683とのタイトルの洋画 ―直訳すれば、『1683年、9月11日』ともあいなるタイトルの洋画作品― が[黄金の林檎]との語を含むナレーションではじまりもする、黄金の林檎と歴史的に呼び慣わされていた(とされる)ウィーンに対するオスマン・トルコのウィーン包囲を描いた歴史スペクタクルとなっているといったことがあるといったことも本稿では紹介している ―そうもした映画のことは予見作品(要素A)の条件に適合しないとのことでここでの確率論の顧慮対象外になるのだが― ) 。

 他面、本稿[補説4]の部にて取り上げもしていた映画Armageddon『アルマゲドン』(1998年初出の映画)では

劇中冒頭シーンにて[アトランティス](黄金の林檎の園とも同一視されてきた伝説上の沈んだ陸塊)と命名されている(実在の)スペース・シャトルが隕石によって破壊される] (そして、ニューヨークはマンハッタンにて The shuttle Atlantis exploded in space at 3:47 a.m, Eastern Standard「スペースシャトル・アトランティスが東部標準時間午前三時四七分、宇宙にて爆発しました」とのテレビ放映がなされるとの描写がなされる)



[冒頭の[スペースシャトル・アトランティス破壊(のアナウンス)]の直後のシーンにてニューヨーク]に隕石が降り注ぐとの描写がなされ、その途中過程で、
「911番(緊急連絡番号)に電話してくれ!(英語では Somebody dial 911!)」
との悲痛の叫びが上げられもする(:[ブルドックをペットとしている男]と[ゴジラの着ぐるみを持った男]の登場している一連のシーン、さらに述べれば、前者の男のブルドックが飼い主の手から離れて後者のゴジラ男と一悶着を起こしている一連のシーンの後、ブルドックが隕石によって開けられた穴に落下し、そうもした状況を受けて飼い主の男が「誰か911に連絡してくれ!」と叫ぶシーンがそれとなる ――ディレクターズ・カット版ではない方のノーマル・カット版のDVDにあっては再生時間にして本編開始後およそ00時間07分40秒にて該当シーンが登場する―― )。 
 そして、[911にダイアルしてくれ!]との男の戯画化された悲痛なる叫びの後、[エンパイアー・ステート・ビル]や[ツインタワー]に隕石が激突するとの描写がなされる(ディレクターズ・カット版ではない方のノーマル・カット版のDVDにあっては再生時間にして本編開始後およそ00時間09分44秒にて[半壊したツインタワー]も登場してくる ――※「911番に電話してくれ!」との描写それ自体ではさして不可解なことではない(日本で110番や119番に相当する緊急時連絡番号は従前より911番だったからである)。だが、[[911]と[ニューヨークのビル群倒壊]が一連のシーンにて結びつけられている]のは、他にも同じくもの映画『アルマゲドン』に着目すべき点があることに鑑み、その時点「でも」[かぐわかしい]と受け取れるところではある―― )



[冒頭のニューヨークへの隕石(の欠片)襲来シーンの後、[地球に迫る巨大隕石を破壊するためのオペレーション]が急遽進められていくとのなかで[電光時刻表示板]および[電光カウントダウンタイマー]が目立つように登場するシーンが幾シーンかあり、うち、2つのシーンは
[611](反転させると911と通ずることになる数値列)および[911]との電光表示式カウント・ダウン・タイマー(各々別地所別物のタイマー)にあっての数値が登場するシーン
ともなっており、それら双方共に
「ツイン」・シャトルズ(双子のように「瓜二つの」シャトル)
と結びつけられている、すなわち、
隕石を破壊するための人類の命運を決するために急場を縫って改装され双子のように瓜二つの外観で同時発射されることになるスペース・シャトル(フリーダムFreedomとインデペデンスIndependenceと名付けられた瓜二つのスペースシャトルら)
と視覚的に結びつけられているとのことがなされているとのことがある] (:ディレクターズ・カット版ではない方のノーマル・カット版のDVDにあっては再生時間にして本編開始後00時間43分05秒にて隕石衝突時の世界崩壊までの電光式カウントダウンタイマーが登場、その数秒後から[双子状のスペース・シャトルの模型]と[地球儀(ワールド・グローブ)]がブリーフィングのシーンにて結びつけられるとのことがなされている。また、スペースシャトル打ち上げが差し迫った折の電光式カウントタイマー(先のタイマーとは別のタイマー)が表示されるシーンでは双子のように並ぶスペースシャトルの描写がなされた直後、タイマーが[9:11から9:10へと数値が移行する]との描写がなされている。そちらはディレクターズ・カット版ではないノーマル・カット版にての本編開始後およそ00時間59分07秒から00時間59分09秒のシーンが該当シーンとなる(ので疑わしきにおかれてはDVDレンタルされるなどして確認されてみるとよかろう ――尚、映画『アルマゲドン』のそうしたシーンについては(本稿筆者が「映画『アルマゲドン』もかぐわかしいということか....」と気付くことになった契機となった作品として)YouTubeにて流通している 911 Hidden in Hollywoodとの一連の動画シリーズの中のPartIIと振られた部にも端的に紹介されている―― )



ツイン・シャトルズとでも表すべき瓜二つのシャトルらによる隕石「爆破」(デモリッション)の作戦がいよいよクライマックスに到達しようとのシーンにて(和文字幕ではニュアンスが伝わりにくいのだが) Nine and a half Gs for 11 minutes.「ナイン」・アンド・ア・ハーフ・ジーエス・フォー・「イレブン」・ミニッツとの「9」「11」との数値を含む言いまわしが用いられている(日本語字幕では「9.5Gが11分間続く」となるが、英文字幕をDVD再生環境にてオンにして表示させれば、瓜二つのスペース・シャトルによる[爆破]作戦が佳境を迎えようとのシーンが[9]と[11]との数値表現と(ハーフとの語を介在させつつ)結びつけられていることが視覚的にも分かるようになっている)] (ノーマルカット版DVDにては本編開始後およそ1時間21分19秒あたりの部として確認なせる)

とのことが見受けられる。

 本段の話との絡みでネックとなるところは複層的に911の事前言及と解される描写が見受けられる映画『アルマゲドン』 ―直上言及の[911関連数値列と近接して描写される双子のシャトルによる隕石爆破が主軸となっている作品]― という作品が[アトランティス]とも結びつけられていることである(冒頭にてスペースシャトル・アトランティスが隕石に破壊される)。
 そこに見るアトランティスは[黄金の林檎の園]ともまた欧米一部識者によって史的に結びつけられてきたとのものであり、その伝で

『ファイト・クラブ』  ルネサンス期画家ルーカス・クラナッハに【黄金の林檎】として描かれていたものと同一のものを【ワールド・トレード・センター(ツインタワー合間)付設のオブジェ】に仮託させて登場させている1999年初出映画であり、ワールド・トレード・センターその界隈にまさしくも仮託されていると述べられる一帯にて「グラウンド・ゼロと劇中呼称されてのありようを現出すべくも」ビル複数連続倒壊が企図されているとのことが描かれている映画ともなっていること、その具体的ありようについて本稿補説4の部で10万字単位の文量を割いて細かくも紹介してきたとの作品 ―現実に911の事件ではWTC1からWTC7が倒壊を見た(うち、突如、パンケーキ状に突如頭から崩れていった第七ビルについては発破倒壊にまつわる言われようが専門家団体よりずっと主張され続けた)わけではあるも、映画ではワールト・トレード・センターと何度も何度もワンカットで示唆される場所にあっての連続ビル倒壊(パンケーキ状にビルが崩れていく発破倒壊)が具現化している.そうもした1999年初出の映画『ファイト・クラブ』の原作小説である小説版『ファイト・クラブ』(1996年初出)では不自然なまでに超に加えてもの超が付く程の高層ビルである「191階」建てのビルが発破倒壊の対象と描かれている― )
『トレイディング・プレイシズ(邦題:大逆転)』  黄金の林檎と同一物であると見られてきたオレンジを【ワールド・トレード・センターとナンバー911が相互描写されての部】と目立って結びつけている1983年初出映画(ワールド・トレード・センターに横付けされたタクシーに911と親和性高い数値列が認められ、かつ、直後のワールド・トレード・センター内の時計描写が[9][11]との時針と結びつけられているとの作品)) 
『ジョジョの奇妙な冒険』  (国内で物議を醸してきたところとしての[911の予見描写とされる描写](それは[月][一つ目][太陽]を並べてのフリーメーソンの絞首刑者、ハングド・マンにまつわる儀式が執り行なわれるエンタード・アプレンティス位階(徒弟位階)のトレーシング・ボードとそっくりの構図を絞首刑との式で意味論的にもつながるやりかたで登場させている部でもある)をオレンジ(→黄金の林檎)と爆発物]と結びつけもして登場させている漫画作品)
『ジ・イルミナタス・トリロジー』  副題に[黄金の林檎]を冠する70年代欧米圏にて大ヒットした小説作品となり、マンハッタン・ビル爆破、ペンタゴン爆破を描きもし、【マンハッタン象徴物とペンタゴン象徴物の並列描写をなしているシンボル】の多用をなし、また、その他の意での予見描写でも問題となる作品)

が911と結びついていることとの連関が「当然に」想起されられるところともなる。

 長くもなっての例示のための表記を続ける。

 ここ[付録と位置付けての部]としての確率論の話に入る前の本稿本論の部では


要素B:[[ブラックホール]ないし[ワームホール]ないし(機序不明概念としての)[異界との扉]のどれか一つないし複数と明示的に結びつけられている] (e.g.[特定フィクションが[ワームホール]を登場させている][特定ノンフィクションが[ブラックホール]を作中の主要テーマに据えている]等等)

要素C:[粒子加速器と結びついている] (e.g.[特定文物が粒子加速器に関わるものである]等等)

要素D:[アトランティスと命名されての概念と関わっている] (e.g.[特定フィクションが[伝説の沈んだ大陸アトランティス]に目立って言及している]等等)

要素E:[古のトロイアにまつわる伝承との結節点 (1.叙事詩『イリアス』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての構成要素】あるいは2.【叙事詩『オデュッセイア』というトロイア崩壊にまつわるプロセスを扱った古典の際立っての要素】などとの結節点) を色濃くも具備している] (e.g.[特定フィクションが[トロイアの木製の馬]と直接的に結びつく作中要素を具備している][特定フィクションが叙事詩『オデュッセイア』や叙事詩『イリアス』(の主要登場キャラクター)と結びついている]等等)

要素F:[ヘラクレスの12功業と直接的に関わっているとの特性を具備している] (e.g.[特定文物がヘラクレス第11功業と関わる]等等)

要素I:[キリスト教大系におけるサタンないしルシファーと「直接的に」結びついている] ([特定フィクションが聖書におけるサタンを作中にて悪役として登場させている]等等)

要素J:[聖書における禁断の果実と「直接的に」結びついている] (e.g.[特定フィクションが聖書における禁断の果実のことを扱っている])


が何故もって濃厚に結びついているのか、との指し示し「をも」入念に、入念になしている。以下に一例摘示するようなかたちにて、である (そちら直下枠内記述部にて下線を付した部が[要素B]から[要素J]の何れかに該当しているとの箇所となる) 。

トロイア崩壊に至るまでのプロセスとそこに関与したと伝わる金星体現神格としてのギリシャ神話における女神アフロディテ(ローマ神話におけるヴィーナス)にまつわってのエピソード;パリスの審判として知られるエピソード](要素E) ⇔ (濃厚なる純記号論的一致性が存在) ⇔ [エデンの園の誘惑が金星(明けの明星)と歴年結びつけられてきたルシファーに仮託される古き蛇によってなされているとの宗教教義が重要視されてきたとの歴史的背景](要素Iおよび要素J

トロイア崩壊の元凶ともなった黄金の林檎がたわわに実るとされる黄金の林檎の園](要素F) ⇔ (不死の果樹園/失われた理想郷/蛇との繋がり合いなどから相通ずるものであるとの視点の近代よりの呈示) ⇔ [エデンの園](要素J

黄金の林檎の園](要素F) ⇔ (西方は大洋の彼方の島との側面/アトラスと関わるとの側面より相通ずるものであるとの視点が呈示され続けていただけの背景が存在) ⇔ [アトランティス](要素D

アトランティス](要素D) ⇔ (相通ずるものであるとの視点が呈示され続けてきただけの歴史的事情が存在) ⇔ [新大陸アメリカ] ⇔ [新大陸アメリカにて崇拝されていた土着の神格ケツァルコアトル] ⇔ (複合的相関関係の存在) ⇔ [ルシファーに仮託されもするエデンの誘惑の古き蛇](要素Iおよび要素J

[新大陸アメリカにて崇拝されていた土着の神格ケツァルコアトル] ⇔ (「冥界に双子の片割れを持つ存在」「金星の体現存在」としての複合的類似性の存在) ⇔ [トロイア崩壊に至るまでのプロセスとしてトロイア戦争の原因となった約定を提案してきたと語り継がれる金星体現神格としての女神アフロディテ、および、その原初的似姿とされている古代メソポタミアの女神イナンナ・イシュタル](要素E

トロイア崩壊に至るまでのプロセスとしてトロイア戦争の原因となった約定を提案してきたと語り継がれる金星体現神格としての女神アフロディテ、および、その原初的似姿とされている古代メソポタミアの女神イナンナ・イシュタル](要素E) ⇔ (古代中近東の金星体現存在による冥界下りのエピソードをルシファーの冥界落ちと結びつける一部見解の存在) ⇔ [代表的古典たるダンテ『地獄篇』にみとめられる地獄門の先にあるルシファー(ルチフェロ)の領域および代表的古典たるミルトン『失楽園』に見る地獄門の先にあるサタン(ルシファー)構築の通路とエデンの喪失の物語](要素Iおよび要素J) ⇔ [どういうわけなのか、今日的な意味でのブラックホールと近似する描写が「極めて多重的に」ダンテ『神曲;地獄篇』およびミルトン『失楽園』の[地獄門の先と結びつけられたルシファーに由来する災厄]関連の描写にみとめられるとの文献的事実ありよう](要素Bおよび要素Iおよび要素J) ⇔ [ブラックホール加速器検出器「ATLAS」にて検出(イベント・ディスプレイ・ツール「ATLANTIS」によって検知)するとされるに至ったLHC実験に見るATLASアトラスおよATLANTISアトランティスとの繋がり合い](要素Bおよび要素Cおよび要素Dおよび要素F

[代表的古典たるダンテ『地獄篇』にみとめられる地獄門の先にあるルシファー(ルチフェロ)の領域](要素I) ⇔ [ダンテ『地獄篇』] ⇔ [ヘラクレス12功業と「純・記号論的に」「多層的に」相通ずるかたちでルシファー領域への到達を描いている古典](要素F

[代表的古典たるミルトン『失楽園』に見る地獄門の先にあるサタン(ルシファー)構築の通路にまつわっての描写 ―エデンよりの追放プロセスの描写― ](要素Iおよび要素J) ⇔ [トロイア崩壊伝承と複合的に通ずる(黒海界隈との属地的な意味「も」含めて複合的な側面で通ずる)描写をなしている部](要素E

(各々の関係性にまつわる出典内容および本稿にてのそちら出典原文引用部の番号を示すための出典紹介番号については再述しない(ここに至るまで何度となくそのために筆を割いてきた出典(紹介番号)のための記述部をご覧頂きたい))

 以上のような関係性はさらにさらに煮詰めていくと次のような関係性にも帰着する(とのことを本稿の[補説3]の部にて証示に努めている)。


(長くもなっての例示の部はここまでとする)



 上に一部例示なしてきたような本稿の摘示事項としての多層的関係性の問題までをも[要素A]から[要素J]の共有関係より機械的に導き出しての[黒][灰][白]オプションの導出で「十二分に」顧慮しきれているか、と問われれば、「然にあらず」としか述べようがない。 確かに直上例示なしてきた関係性に相通ずる問題を[黒][灰][白]の導出によって部分的に顧慮なすとのかたちとはしているつもりなのだが、であっても十全・十二分に(上にて再述したような)相関関係を顧慮できているとまでは言えない。
 というのも、機械的処理手順による[黒][灰][白]導出プロセスにあっては ―処理手順をご覧いただければお分かりいただけるであろうが― 

[特定二作品にあっての要素らの双方向的関係性(共有関係)以上の関係は顧慮して「いない」]

とのことがある中で「現実には」[複数要素の円環状の多層的関係性]が成立しているとのことがあり、それが現われているところのものとしての上にて一部摘示しているが如き再述したような関係性であるとのことがあるからである (:[関係性1]⇔[関係性2]が複数成立していることの問題性を[黒][灰][白]の導出プロセスは最大限顧慮出来るようになっているが、[関係性1]⇔[関係性2]⇔[関係性3]⇔[関係性1](回帰)といったかたちで成立している円環状の関係性が複数成立していることの確率的問題についてまでは顧慮が十二分に及んでおらずそうもしたことは背景にある「のであろう」との「であろう」付きの背景事情として ―情報処理にあっての重み付けの「思想」にあって― 顧慮しているにすぎない) 。

 そうした多層的関係性が「厳然・冷厳と現実に存在している」(論拠を挙げ連ねてのその存在の証示をなすための長大なる本稿でもある)とのことがある中で

H1:明らかに[執拗なる意志]の賜物がゆえに「特定の」事実関係が現出していると判じられる (判断の確度としては[明らかである][歴然としている]とのことで「強」) ⇒初期設定確率0.3%

H2:おそらく[執拗なる意志]の賜物がゆえに「特定の」事実関係が現出していると判じられる (判断の確度としては[おそらくそうであろう]とのかたちで上のH1に劣る) ⇒初期設定確率0.5

H3:[執拗なる意志]か[部分的思惑の発露]か[偶然]かにつき「予断・楽観的見方をまったく許さない」との灰色の状況に由来するものとして「特定の」事実関係が現出していると想定される (尚、[ことの本質]があまりに重要なものである、体系的に[皆殺しにするとのオペレーションの実施]にまつわる「執拗な」意思表示がなされてきたか否かに直に関わる、との領域では「予断・楽観的見方をなんら許さない」とのことはすなわち[危機の分析と回避]に全力を尽くして然るべき状態と同義であろう) ⇒初期設定確率9.2%

H4:おおよそ(おそらく)にして[部分的思惑の発露]ないし[極めてよくできた偶然]として「特定の」事実関係が現出していると想定される(判断の確度としては[おそらく]との程度で「弱」) ⇒初期設定確率30%

H5:ほぼ確実に[部分的思惑の発露]ないし[極めてよくできた偶然]として「特定の」事実関係が現出していると想定される(判断の確度としては「強」) ⇒初期設定確率60%

とのかたちでもってして

[初期値としての事前確率] (はなから更改することを前提にあらかじめそれぐらいか、と見積もり設定しておく初期確率、P(H1)からP(H5))

を設定する、そう、H1,H2にあって0.3%及び0.5%として設定し、H3は9.2%と設定することは ―話がエキセントリック(奇矯)なものであれ― [至当なもの]であっても決して[自説強弁のやりよう]ではないと申し述べておきたい(そうした仮説が成り立つと判じられるだけの「その他の」十全に顧慮しきれていない多重的関係性がそこにあるのであるからそうした背景事情を顧慮してH1やH2の初期確率を0.001%であるといった値でスタートするのは妥当ではない、だから最も剣呑であるH1も[1000に3つ]ぐらいの事前確率でシュミレーションをスタートさせ現実世界のデータでもってしてその確率的変動を分析していく、そして、H3のようなところの目算も10%に近しいところに見繕うのが妥当であろう、と申し述べる)。

 ベイズ確率論(の中のベイズ推定の手法)について確率計算の前提となることの説明を一通りなし終えた ―[仮説設定(仮説の計数的定義)とはいかなる行為か]、[尤度とは何か]、[事前確率と事後確率の意味合いはいかなるものか]([ベイズ更新による事後確率の次の計算にあっての事後確率への更新とはいかなるものか])との解説をなしたうえで仮説設定(尤度設定)・事前確率設定の具体的数値設定をなした― ところで以降の段では具体的計算をなしていくこととする。
 
(本稿本段、確率論について物怖じせずに理解しようとの意志のある方にあっては) まずは下の表を参照されたい。

 同表では

[判断材料Blackという情報Dataが与えられたとき、(それぞれ設定なした[尤度]によって計数的に別々なるものとして成立している)[仮説]らにまつわる[事後確率]ら(の相対的比率;確率分布)が → (矢印)の値へと変化している]

ことを示している (例:P(H1|D)、特定Dataに対して仮説H1の確率論的枠組みが決せられている(Dataの向かう先がH1となっている)との確率が所与の事前「初期」確率0.3%(「千の内の三」たる0.003)からデータ[Black]の一単位捕捉によって2.7%(0.02726446531)へと増大しているとのことを表にあっては示している) 。

 より具体的には、である。
 上の表は
[下図にて示すような計算]
を体現させてのものとなっている (下段の四角枠で囲った部がデータ入力の一例摘示とのかたちで直前にて簡易なる表を呈示した部となる)

 上にての数式(ベイズ推定の一般公式として内容を解説してきた[14]式)の意味合いについて理解に欠けるところがある(理解する気がある中でありながらも理解に欠けるところがある)との向きにあっては
「高等学校程度の知識量で理解できるような水準に落とし込んでの」
ここまでのくどくもの解説をご覧いただきたいと申し述べもし(尚、一応解説するが、分母のところの数列記号を用いて表記しているところの計算については[ P(H1|D) × P(H1) + P(H2|D) × P(H2) + P(H3|D) × P(H3) + P(H4|D) × P(H4) + P(H5|D) × P(H5) ]との式を計算するとのかたちとなりもしており、そちら分母の式構成要素、[尤度]であるところのP(H1|D)からP(H5|D)については(表に示している通り)Blackでそれぞれに0.03(3%)、0.015(1.5%)、0.008(0.8%)、0.004(0.4%)、0.002(0.2%)との値不変の数値設定をなしているわけであるからそちら値を代入しもし、同じくもの分母にあってのP(H1)からP(H5)については初期設定している事前確率の値、先述の通り、0.03、0.05、0.092、0.3、0.6の値をまずもって代入し、解を求めることとなる)、 話をさらに進める ――条件付き確率にまつわる話の部から順々に精読なしているとの向きで、かつ、数式に物怖じしないとの向きが理解に失するといったような話は特段なしていないつもりである―― 。

 さて、表記のような数式計算によって導出されてくるP(H1|D), P(H2|D), P(H3|D), P(H4|D), P(H5|D)ら事後確率ら(の確率的比率;確率分布)については

[データが与えられる毎に更新されて次式にあっての事前確率に漸次入れ替わっていく (たとえばX番目のデータ入力に対する事後確率P(H1|Dx)ならばX+1番目のデータ入力に対する事前確率P(Dx+1|H1)へと漸次入れ替わっていく) との[ベイズ更新](先にその発想法について解説してきた数式処理)]

の対象となるわけであるが、そちら[ベイズ更新]にまつわる計算も
[基本的表計算ソフト(の類)]
を用いることで瞬時・容易になせるようになっている(※)。

(※これが三度目の引用になるのだが、下の引用部が[機械計算のベイズ確率論における必需性]についてよくも示すものとなっている。

(直下、2008年に世に出た英国の数学者兼サイエンス・ライター、そして、スタンフォード大の影響力ある職員でもあるとのキース・デブリンの手になる The Unfinished Game: Pascal, Fermat, and the Seventeenth-Century Letter that Made the World Modern(邦題)『世界を変えた手紙 パスカル、フェルマーと<確率>の誕生』(岩波書店刊行)の132頁から133頁よりの「再再度の」引用をなすとして)

 ベイズの方法は「新たな」仮説の確率をどのように計算するかを教えてくれるのではない。むしろ、新たな情報がもたらされたときに確率を「更新する」方法なのである。まず、ある仮説Hの確率を表す値から出発する。この数値を仮説Hの「事前確率」と呼ぶ。いま、ある新しい情報Eがもたらされたとき、Hの確率を更新するための計算をする。この新しい値を「事後確率」と言う。この更新は、ベイズの公式(ベイズ則)として知られる数学的公式に適切な値を代入することで得られる。事前確率は当て推量や見積りでよい。新しい情報が十分に与えられれば、ベイズの更新手続きによって、もっと正確な確率が導かれる。ベイズの方法を繰り返す用いることで(普通はコンピューターを用いる)、相当に乏しい事前確率からでも、毎回新しい情報が得られるたびに、十分に信頼できる事後確率へと変換していくことができるのだ。(とは言え、この方法もコンピュータに頼り過ぎることへの、有名な金言から免れているわけではない。つまり、「ガベージイン、ガベージアウト(ゴミを入れれば、ゴミが出てくる)」。) 
 この方法は(最初の)事前確率である「種」となる初期値に依存するので、ベイズの方法が知られてから二〇〇年もの間、統計学や確率論分野の人々からほとんどに無視されてきた。しかしながら、一九七〇年代からは、強力なコンピューターによって膨大な量の情報を繰り返して処理できるようになり、しばしば最初の事前確率の不正確さを乗り越えられるようになったため、一般的に広まるようになった

(引用部はここまでとする ―尚、上の情報EとはEvent(事象)のもじりでそういう表記がなされているものと推し量れるが、ここ本稿ではDataの頭文字を取ってDと表記しているものがそれに相当する― )

 以上の引用部に見るようにコンピューター(による機械式計算)がベイズ確率論における分析に必須なるものとなっていることはお分かりいただけるだろうが、それに関しては、表計算ソフト(マイクロソフトのエクセルに典型例を見出せるスプレッド・シートを特徴とするソフト)で多くの計算に対応できるようになっている。
 表計算ソフトとくると、世間一般には手軽に単純な表やグラフを製作したり、あるいは、少し高度なところとして入力値に応じて自動数値変換していく経理資料の作成なぞに役立つものとして生み出されたと勘違いされている向きもいるかもしれないが、表計算ソフトの本来の誕生はベイズ確率論における多層計算のような多層計算を瞬時に済ますことにある(とされている ―細かくはコンシューマー向け表計算ソフトが金融数式効率化のために編み出されたといった表計算ソフトの沿革について各自お調べいただきたい― )。

 それでは表計算ソフト ―表計算にあっての代表的オープンソースウェア、 Open Office .orgCalc― を用いて以下、(話を極めて単純化させてのここ確率論の肝となるところとして)確率分布の一例摘示をなしてみることとする。

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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

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