典拠となるところの明示[16]――加速器実験に伴う欺瞞性、 そして、そこより証示
なせもすること

関連情報にまつわるカテゴリ(各部クリックにて遷移)

加速器によるブラックホールやワームホール生成仮説に通ずる「先覚的」言及作品らの存在について(2)

 先行する段(前頁)にあっては

[[重要なることのさらなる呈示]をなす「その前に」[強くも断っておきたいことらの明示]をなす]

との文脈で問題視すると申し述べもしたことらのうち、

第二。
「本稿では[他の人間に誤解されるようなこと]を敢えても指摘しているが、といったことにしても[きちんとした論拠](属人的目分量の問題から離れもしてそこに確として存在しているとの論拠)に基づいているとのことを厳選・取捨選択して取り上げている。それが果たして本当なのか、本稿が真剣なる顧慮に値するもの、そう、[具体的行動の指針となして然るべきようなもの]とのレベルで真剣なる顧慮に値するものなのかとの観点にて読み手に切に確認いただきたいと考えている」

とのことの説明に入った。ここ本頁では上記のことの説明を続ける。

 さて、直前頁後半部には次のことを ――長々とした問題性にまつわる説明をなした上で―― 問題視していた。

前頁後半部の内容の再掲として

書籍 Parallel Worlds; A Journey Through Creation, Higher Dimensions and the Future of the Cosmos『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』にての、

「ワームホールのなかでは潮汐力や放射が猛烈になりそうなので、未来の文明は、向こう側の宇宙で再生するのに必要な燃料やシールドや養分を、最小限にして運ばなければならないだろう。そこでナノ・テクノロジーを使えば、それらを詰めた小さな鎖を細胞ほどの大きさの装置に入れて、ワームホールの向こうへ送れる可能性がある。
 ワームホールが非常に小さくて原子サイズだとしたら、その向こう側で全人類を再生できるだけの莫大な情報を、原子でできた長いナノチューブに詰めて送ることになるだろう。さらに小さくて、ワームホールが素粒子のサイズだったら、原子核をそこへ送り込み、向こう側で電子をつかまえて原子や分子を再構成するようにするしかない」

との解説のなされようには([事実F]から[事実J]と振っての事実群の摘示の中で)[事実I]として摘示してきたこと、

[事実I]

[事実F]の部にてその名を挙げた小説 Adrift Just off the Islets of Langerhans : Latitude 38°54'N,Longitude77°00'13W(邦題)『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』は

[欧州の加速器運営機関(CERNならぬCEERNなどと呼称される15TeV加速器を運用する機関)のビーム照射装置でもって[自らを縮退させての極小の分身]をホログラム上に造り出した主人公がそちら分身を己の[「底無しの」「黒々とした」「渦を巻く」へそ]に落とし込み、もって、己の魂に引導を渡させるとの粗筋の作品]

「とも」なっている。

とのことと ―文献該当部をページ数とともに引用しつつも― 「不可思議に結びつきもする」ようになってしまっているとのことでもある(ポイントは「不可思議に結びつくようになっている」とのことだが、それは時期的先後関係にて[不自然なる[先覚的言及]がなされている]とのことである)。

 その点、書籍『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』にあっては

[ワームホール(ブラックホールが二つあった際にそれらを連結したものがワームホールであるとの言われようもなされる時空間の通路)を境にする他宇宙に潮汐力や放射に耐えうる[極微機械]としてのナノマシン(極微性がゆえに潮汐力などに堪えうる)の種子をが送り込まれる]

とのかたちでの、

[ありうべき先進科学文明やりよう ――それが本当に適切なる物言いなのか門外漢には判じようもないし、その適否判断それ自体は必要もなかろうとの申しようにあって見る「仮説上の」先進科学文明やりよう―― ]

が(書籍 Parallel Worlds; A Journey Through Creation, Higher Dimensions and the Future of the Cosmos『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』が米国にてのマス・メディア露出型物理学者の手になる[科学理論・科学仮説に基づいての先進文明やりよう[予測]紹介書籍]となっている中で)[ひとつの予測]として紹介されている。
 
 他面、上にて再掲の[事実I]のようなところでその先覚性を本稿にての先立っての段で問題視してきたとの Adrift Just off the Islets of Langerhans:Latitude 38°54'N,Longitude77°00'13W (邦題)『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』という小説では ―オンライン上よりも確認できる部の事細かなる原文抜粋にて示してきたところとして―

[CEERN(CERNではない)などと呼称される15TeV加速器を運用する機関のビーム照射装置でもって[自らを縮退させての極小の分身]をホログラム上に造り出した主人公がその分身を己の[底無しの黒々とした渦を巻くへそ]に落とし込み自身の魂に引導を渡すとの粗筋が採用されている(そして、そのようなあらすじの同小説が[ケージに閉じ込められた極微ブラックホール暴走を描く他小説]と連結させられている)]

との設定が採用されている。

 きちんと内容検討いただければ自然(じねん)としてお気付きいただけるところかとは思うのだが、


極微性がゆえに潮汐力などに堪えうるナノマシン等の[文明再建の種子]がワームホールないしカー・ブラックホール越しに(多世界解釈における)他世界・他宇宙に送り込まれる(科学読み本 Parallel Worlds; A Journey Through Creation, Higher Dimensions and the Future of the Cosmos『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』に見る未来予測 ――(くどくも再引用なせば) Because the tidal forces and radiation fields would likely be intense, future civilizations would have to carry the absolute minimum of fuel, shielding, and nutrients necessary to re-create our species on the other side of a wormhole. Using nanotechnology, it might be possible to send microscopic chains across the wormhole inside a device no wider than a cell.(訳書表記)「ワームホールのなかでは潮汐力や放射が猛烈になりそうなので、未来の文明は、向こう側の宇宙で再生するのに必要な燃料やシールドや養分を、最小限にして運ばなければならないだろう。そこでナノ・テクノロジーを使えば、それらを詰めた小さな鎖を細胞ほどの大きさの装置に入れて、ワームホールの向こうへ送れる可能性がある」といった記述に関わるところの未来予測―― )

[CEERNなどと呼称される15兆電子ボルト加速器を運用する機関のビーム照射装置でもって[自らを縮退させての「極小の」分身]を造り出した主人公がその分身を己の[「底無しの」「黒々とした」「渦を巻く」へそ]に落とし込む](小説 Adrift Just off the Islets of Langerhans : Latitude 38°54'N,Longitude77°00'13W (邦題)『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』に見る内容 ――尚、[「底無しの」「黒々とした」「渦を巻く」へそ]がブラックホールの比喩的象徴物と受け取れることには(本稿前段にて摘示に努めているように)同小説 と複合的に連続する他小説『ホール・マン』が[極微ブラックホール暴走による惑星呑込み]を主たる内容とする作品となっているとのこと「も」ある―― )


とのことで「話が似通っている」(筆者がこのことを問題視している背景にはブラックホールとホログラムと情報理論に関わる現代科学理論の[登場]をも表記の70年代小説が「あまりにも奇怪にも」[予見描写]しているように解されるようになっているとのことがあるわけだが、についてはおいおい解説するとして、表層的・皮相的に見ても、双方描写は似通っているとのことがある)。

 双方作品共々(かたや2005年初出の科学読み本『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』かたや1974年初出のフィクション『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』)にて

[[底無しの渦を巻く、暗黒の重力の怪物](ブラックホールの類)と[ナノマシンの如き縮小ユニット](自らないし自らの属する文明をコピーした存在として科学上仮説にて取り沙汰されているもの)が双方、結び付けられている節]

があるわけである。

 などと述べても、1974年の小説をものした小説家からして

ブラックホールへの極微の[種子]投入の観点を導出できるだけの知識

を有しており(先進文明のやりようにまつわる未来予測につき把握しており)、そうしたアイディアに関する知識を自己の小説に反映させたととらえるのが常識人がすがりたくもなるとのところであろう(それにつき、同じくものこと、アイディアの登場時期に着目しての理非の程についてまで検証した段階ではじめて[思索][考究]として意をなすところであろうかと思う)。

 以上申し述べたうえで書くが、残念なことに上のように、小説家 ――『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』を書き記したハーラン・エリスンという作家―― が「当時の」科学界にて流通の理論体系から自己の小説のあらすじを導出したと考えることが「できない」、現代科学史に関する一領域の分析からは普通には考えることが「できない」ようになっているから問題になるとのことがある(:[ブラックホールやワームホールの放射や潮汐力に堪えうる「自律的」極微構造体の投入をなす]とのアイディアが70年代小説登場時の科学者らに導き出されて「いなかった」と考えられるようになっているとのことが指摘できるようになっているから問題になる)。

 その点、『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』(原著は2005年に刊行された Parallel Worlds; A Journey Through Creation,Higher Dimensions and the Future of the Cosmos
にあっての書きよう(70年代小説にての描写との近似性について直前部にて振り返りもしているとの書きよう)に関しては
80年代になってよりはじめて考案された[通過可能なワームホール]にまつわる理論に基づいての予測
のことが顧慮され、そして、それが
科学者E・ドレクスラーが70年代中葉に遡ると言われる自身の思索・研究を元にして80年代より目立って提唱しだしたナノ・テクノロジー理論にあってのありうべきナノマシン像
と結びつけられての科学予測がなされていると述べられるようになっている

前頁後半部の内容の再掲はここまでとする

 本頁では直上、振り返っての前頁内容を受けて、次のことについての典拠紹介をなす。

『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』(原著は2005年に刊行された Parallel Worlds; A Journey Through Creation,Higher Dimensions and the Future of the Cosmos
にあっての書きよう(70年代小説にての描写との近似性について直前部にて振り返りもしているとの書きよう)に関しては
80年代になってよりはじめて考案された[通過可能なワームホール]にまつわる理論に基づいての予測
のことが顧慮され、そして、それが
科学者E・ドレクスラーが70年代中葉に遡ると言われる自身の思索・研究を元にして80年代より目立って提唱しだしたナノ・テクノロジー理論にあってのありうべきナノマシン像
と結びつけられての科学予測がなされていると述べられるようになっている

 以下、出典紹介部を参照されたい。


| 出典(Source)紹介の部20-2 |

 まずもっては

科学関連書籍『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』に認められる[ワームホールの中にナノマシンのような放射と潮汐力に耐えうるデヴァイスを投入して文明再現の種子とするとの科学者由来の未来予測]が何時頃からありうべき先進文明やりようにまつわる予測として言及されるようになったのか

とのことについて

80年代より通過可能なワームホールの類が科学理論に適合したかたちで顧慮されることになった

との点にまつわる出典を挙げることとする。

(直下、ソーン著作 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy邦訳版『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』(原著の方は1994年刊行、邦訳版は白揚社より1997年刊行)にての437ページ前半部 ―キップ・ソーンが[通過可能なワームホール]兼[タイムマシン化可能なワームホール]を考案することになった契機にまつわる下り― よりの原文引用をなすとして)

 私は一九八四年-八五年度の最後の授業をちょうど終えて、研究室の椅子に深々と座り、アドレナリンの分泌が鎮まるのを待っていた。電話のベルが鳴ったのはそのときだった。コーネル大学の天体物理学者で古くからの友人でもあるカール・セーガンからだった。「邪魔してすまん。キップ」と彼は語った。「人間と地球外文明との最初の接触に関する小説を今、書き終えたところだが、困っているんだ。科学的なことはできるだけ正確を期したいと思っているんだが、重力物理学の中に間違いがあるのじゃないか、と心配なんだ。どうだろう。目を通して助言してくれないだろうか?」私はもちろん引き受けた。

(以上、邦訳版『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』よりの原文引用とした ―※― )

(※上の訳書よりの引用箇所に対応する原著 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacyにての「抜粋部をそのまま検索に用いることでオンライン上より確認できる」との表記は(原著にての 14 Wormholes and Time Machinesの部(p.483)より引用をなすとして) I had just taught my last class of the 1984-85 academic year and was sinking into my office chair to let the adrenaline subside, when the telephone rang. It was Carl Sagan, the Cornell University astrophysicist and a personal friend from way back. " Sorry to bother you , Kip," he said. "But, I'm just finishing a novel about the human race's first contact with an extraterrestrial civilization and I'm worried. I want the science to be as accurate as possible,and I'm afraid I may have got some of the gravitational physics wrong. Would you look at it and give me advice?" Of course I would.(引用部はここまでとする)とのものとなっている)

(続けて同じくもの著作『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』438ページ前半部よりの引用をなすとして)

 カールは確かに困難にぶつかっていた。彼はヒロインのエリノア・アロウェイを地球の近くにあるブラックホールに飛び込ませ、図13・4のような具合に超空間を通って旅させて、一時間後に二六光年の恒星ベガの近くで出現させていた。カールは相対論の専門家ではないので、摂動計算のメッセージに親しんでいなかった。ブラックホールの芯から、超空間を通って、われわれの宇宙の別の部分に旅することは不可能である。どのブラックホールも、小さな電磁的な真空のゆらぎと少量の放射にたえず爆撃されている。これらのゆらぎと放射がホールに落ち込むと、ホールの重力に加速されて、巨大なエネルギーをもつようになり、「小さな閉じた宇宙」あるいは「トンネル」あるいはわれわれが超空間を通る旅行に利用しようとするその他の乗り物に、破壊するような勢いで衝突する。・・・(中略)・・・アイデアがおぼろげに浮かんだ。ブラックホールを超空間を通るワームホールに取り替えさせたほうがいいだろう

(以上、邦訳版『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』よりの原文引用とした ―※― )

(※上の訳書よりの引用箇所に対応する原著 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacyにての「抜粋部をそのまま検索に用いることでオンライン上より確認できる」との表記は(原著にての 14 Wormholes and Time Machinesの部(p.484)より引用をなすとして) The novel was fun, but Carl, indeed, was in trouble. He had his heroine, Eleanor Arroway, plunge into a black hole near Earth, travel through hypnspace in the manner of Figure 13.4, and emerge an hour later near the star Vega, 26 light-years away. Carl, not being a relativity expert, was unfamiliar with the message of perturbation calculation. It is impossible to travel through hyperspace from a black hole's core to another part of our Universe. Any black hole is continually being bombarded by tiny electromagnetic vacuum fluctuations and by tiny amounts of radiation. As these fluctuations and radiation fall into the hole, they get accelerated by the hole's gravity to enormous energy, and they then rain down explosively on any “little closed universe” or “tunnel” or other vehicle by which one might try to launch the trip through hyperspace.[ . . . ] Carl's novel had to be changed.[ . . . ] a glimmer of an idea came to me. Maybe Carl could replace his black hole by a wormhole through hyperspace.(引用部はここまでとする)とのものとなっている)

(さらに続けて同じくもの著作『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』439ページ末から441ページ冒頭部よりの掻い摘まんでの引用をなすとして)

 ワームホールはSF作家のたんなる空想の産物ではない。それらは一九一六年、アインシュタインが場の方程式を定式化したわずか数ヵ月後に、その方程式の解として数学的に発見されたのである。ジョン・ホイーラーと彼の研究グループは、一九五〇年代にさまざまな計算を行って、それを徹底的に調べ上げた。・・・(中略)・・・ワームホールはある瞬間に作り出され、やがてちぎり取られて消えてしまう――創造からちぎれるまでの全寿命はあまりにも短すぎて、何物も(人も、放射も、どんな種類の信号も)、その中を通って一方のマウスから他方のマウスまで行くことはできない

(以上、邦訳版『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』よりの原文引用とした ―※― )

(※上の訳書よりの引用箇所に対応する原著 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacyにての「抜粋部をそのまま検索に用いることでオンライン上より確認できる」との表記は(原著にての 14 Wormholes and Time Machinesの部(p.486)より引用をなすとして) Wormholes are not mere figments of a science fiction writer's imagination. They were discovered mathematically, as a solution to Einstein's field equation, in 1916, just a few months after Einstein formulated his field equation; and John Wheeler and his research group studied them extensively, by a variety of mathematical calculations, in the 1950s. However, none of the wormholes that had been found as solutions of Einstein's equation, prior to my trip down Interstate 5 in 1985, was suitable for Carl Sagan's novel, because none of them could be traversed safely. Each and every one of them was predicted to evolve with time in a very peculiar way: The wormhole is created at some moment of time, opens up briefly, and then pinches off and disappears ― and its total life span from creation to pinch-off js so short that nothing whatsoever ( no person, no radiation, no signal of any sort) can travel through it, from one mouth to the other. Anything that tries will get caught and datroyed in the pinch-off. Figure 14.2 show's a simple example.(引用部はここまでとする)とのものとなっている)

(さらに続けて同じくもの著作『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』444ページよりの掻い摘まんでの引用をなすとして)

 そこで、パサデナに着くと、私はカールに長い手紙を書いて、なぜ彼の小説のヒロインは急ぎの星間旅行にブラックホールを使うことができないかを説明し、ヒロインにはそのかわりにワームホールを利用させること、そして小説の中のだれかにエキゾチックな物質がほんとうに存在し、ワームホールを開けておくのに利用できることを発見させるように提案した。カールは私の提案を喜んで受け入れ、それを彼の小説『コンタクト』の最終稿に取り入れた。カール・セーガンに私の意見を伝えた後、私は彼の小説が一般相対性理論を学ぶ学生の教育用に使えることを思い当った。こうして学生に役立たせるために、マイク・モリス(私の学生の一人)と私は、一九八五年の冬にエキゾチックな物質に支えられたワームホールに対する一般相対論の方程式と、これらの方程式とセーガンの小説との関連について論文を書きはじめた。・・・(中略)・・・一九八七―八八年の冬以前に、われわれは論文を[アメリカン・ジャーナル・フィジックス]誌に投稿したが、その時点では論文はまだ掲載されていなかった

(以上、邦訳版『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』よりの原文引用とした ―※― )

(※1上の訳書よりの引用箇所に対応する原著 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacyにての「抜粋部をそのまま検索に用いることでオンライン上より確認できる」との表記は(原著にての 14 Wormholes and Time Machinesの部(p.490)より引用をなすとして) So upon reaching Pasadena, l wrote Carl a long letter, explaining why his heroine could not use black holes for rapid interstellar travel, and suggesting that she use wormholes instead, and that somebody in the novel discover that exotic material can really exist and can be used to hold the wormholes open. Carl accepted my suggestion with pleasure and incorporated it into the final version of his novel, Contact. / It occurred to me, after offering Carl Sagan my comments, that his novel could serve as a pedagogical tool for students studying general relativity. As an aid for such students, during the autumn of 1985 Mike Morris (one of my own students) and I began to write a paper on the general relativistic equations for wormholes supported by exotic material, and those equations' connection to Sagan's novel. / We wrote slowly. Other projects were more urgent and got higher priority. By the winter of 1987-88, we had submitted our paper to the American Journal of Physics, but it was not yet published ; (引用部はここまでとする)とのものとなっている―― )

(※2表記引用部は
[従前、通過可能なものが構築されることはありえないと看做されていた(少なくとも空想家の領分、たとえば、亜空間航法といったものが随分前から登場を見ていたSFの世界「以外」のところではそうも看做されていた)とのワームホール]

[負のエネルギーを持った物質たるエキゾチック物質](こちらエキゾチック物質については本稿の後の段でも細かくもの解説をなす)
によって通過可能なかたちで安定化しうるとのことがキップ・ソーンによって提唱されたことを受けてのパートとなる(:ワームホールが従前、通過可能とは受け取られていなかったとのことは[物理学者ホイーラーの研究グループがその旨の研究結果を出していた]とのことが表記されている上にての邦訳版『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』よりの引用部を参照のこと。また、キップ・ソーンがそうもして通過不可能と目されていたワームホールにつき[[エキゾチック物質]によって通過可能となる]との研究結果を80年代に発表したとのことだが、そちらについてはキップ・ソーン著述『ブラックホールと時空の歪み』のみからだけではなく諸種媒体より容易に確認なせることとなり、その端緒は上引用部にて言及されているように[セーガンとキップ・ソーンの「1985年」やりとり]に由来すると一般に説明されている(につき、目に付くところの英文Wikipedia[Wormhole]項目にあっては(内容がこれより変転するかもしれないが本稿本段執筆時「現行」にて) The possibility of traversable wormholes in general relativity was first demonstrated by Kip Thorne and his graduate student Mike Morris in a 1988 paper (訳)「アインシュタインの一般相対性理論に基づいての通過可能なワームホールはキップ・ソーン及び彼ソーンの研究室の院生マイケル・モリスによって1988年の論文によってはじめて呈示された」との表記がなされているも、そこにみる1988年というのは科学論文としてきちんとした体裁を伴って表記のことが発表された時期と解される ――尚、1985年から1988年のキップ・ソーンらやりようは、と同時に、[タイムマシンとして機能するワームホール]の可能性を世に問うて物議を醸したとのものでもあるが、についても本稿の後の段で詳述をなす――  ) )

出典(Source)紹介の部20-2はここまでとする)


 直上にて訳書および原著(原著の方はオンライン上より内容を確認できるようなところがある)の各頁ごとより数センテンス内にて原文引用したことが[科学史]にあっての一断面 ―と述べれば大仰ととらえる向きもあるかもしれないが― にて現実に生じていたとされるところの、
[通過可能なワームホール]
とのものにまつわる登場経緯、
80年代になってようやくもその存在が「科学的に」論じられるようになった
ところの登場経緯である。


※上記の点について注記しておきたいところとして米国人物理学者ミチオ・カクはその著書『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』にて

「カー・リングの中心にワームホールがあれば、われわれの宇宙をまったく別の宇宙と、あるいは、同じ宇宙のなかにある別の地点と、結びつけてくれるかもしれない。
・・・(中略)・・・
現在、おおかたの物理学者は、ブラックホールを生きて通り抜けることはできないと考えている。しかし、ブラックホールの物理的解釈はまだ未熟な段階で、この推測は検証されていない。ここでの議論のために、ブラックホールを通り抜けることができ、とくに回転するカー・ブラックホールでそれが可能だと考えてよう。すると、どの先進文明も、ブラックホールの中を探査しようと真剣に考えるだろう

と述べているのに対して、カール・セーガンとキップ・ソーンのやりとりは

カー・ブラックホールでは時空間をつなぐ旅はできない

との認識に重きをおいてのものとなる(:上の訳書『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』よりの抜粋部にて カールは確かに困難にぶつかっていた。彼はヒロインのエリノア・アロウェイを地球の近くにあるブラックホールに飛び込ませ、図13・4のような具合に超空間を通って旅させて、一時間後に二六光年の恒星ベガの近くで出現させていた。カールは相対論の専門家ではないので、摂動計算のメッセージに親しんでいなかった。ブラックホールの芯から、超空間を通って、われわれの宇宙の別の部分に旅することは不可能である。どのブラックホールも、小さな電磁的な真空のゆらぎと少量の放射にたえず爆撃されている。これらのゆらぎと放射がホールに落ち込むと、ホールの重力に加速されて、巨大なエネルギーをもつようになり、「小さな閉じた宇宙」あるいは「トンネル」あるいはわれわれが超空間を通る旅行に利用しようとするその他の乗り物に、破壊するような勢いで衝突する と表記されているとおりである。ただし、本稿の後の段にてもそこよりの原文引用をなすこととするその小説『コンタクト』にてカール・セーガンはカー・ブラックホールによる時空旅行の可能性を完全に否定しているわけではないともとれる)。

 その点、ミチオ・カクの著作、2005年に世に出た著作、
Parallel Worlds; A Journey Through Creation,Higher Dimensions and the Future of the Cosmos
にあっては
[カー・ブラックホールとワームホールを融合させて考える視点]
が介在していることを明言できるようになっている(直近引用部に見る The wormhole in the center of the Kerr ring may connect our universe to quite different universes or different points in the same universe.「カー・リングの中心にワームホールがあれば、われわれの宇宙をまったく別の宇宙と、あるいは、同じ宇宙のなかにある別の地点と、結びつけてくれるかもしれない」との記述の通りである)。そうもしたところが80年代のやりとりを受けての1995年に初出の著作 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy、「カー・ブラックホールに代替するものとしてのワーム・ホールについて論じる」との著作と齟齬をきたすことを論じているとのことについては物理学者らの微妙な認識の差異やその後の理論動向の変遷を受けてのことであろうと解されるところである。


(話の流れが際限なく細かいところへと流れていっている節があると考え、訴えたきことの訴求に戻すが)とにかくも、問題は

「通過可能なワームホールのようなもの(あるいはブラックホール)が ―作家(本稿にて問題視なしてきた小説 Adrift Just off the Islets of Langerhans:Latitude 38°54'N,Longitude77°00'13W (邦題)『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』(「1974」年初出)の作者の如く作家)の空想の賜物ではなく― 「科学界にて理論的裏付けを伴って」取り沙汰されるようになったのは[1980年代に入ってから]であるとのことがある」

との点である(いいだろうか。繰り返すが、ここでは[作家の空想の賜物]ではないところとしての[理論的裏付け]の話をなしている)。

 科学関連書籍『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』に認められる[ワームホールの中にナノマシンのような放射と潮汐力に耐えうるデヴァイスを投入して文明再現の種子とするとの発想]が何時頃から科学的予測として言及されるようになったのかについての典拠となる話(多重的調査活動に基づいて導出したところの典拠となる話)をさらに続ける。
 
 さて、ミチオ・カクは

[ワームホールやカー・ブラックホール内の強烈な放射や潮汐力に由来する問題]

については極小のナノマシンの類を送り込むことでそうした強烈な放射や潮汐力の問題を克服でき、文明再建の種子をワームホールの先に送り込めるとしている( Because the tidal forces and radiation fields would likely be intense, future civilizations would have to carry the absolute minimum of fuel, shielding, and nutrients necessary to re-create our species on the other side of a wormhole. Using nanotechnology, it might be possible to send microscopic chains across the wormhole inside a device no wider than a cell. (訳書表記として)[ワームホールのなかでは潮汐力や放射が猛烈になりそうなので、未来の文明は、向こう側の宇宙で再生するのに必要な燃料やシールドや養分を、最小限にして運ばなければならないだろう。そこでナノ・テクノロジーを使えば、それらを詰めた小さな鎖を細胞ほどの大きさの装置に入れて、ワームホールの向こうへ送れる可能性がある。ワームホールが非常に小さくて原子サイズだとしたら、その向こう側で全人類を再生できるだけの莫大な情報を、原子でできた長いナノチューブに詰めて送ることになるだろう]とあるとおりである)。

 繰り返すが、他面、(1980年代に入る前の)「1974年初出の」問題となる小説 Adrift Just off the Islets of Langerhans:Latitude 38°54'N,Longitude77°00'13W『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』には

[CEERNなどと呼称される15TeV加速器を運用する機関のビーム照射装置でもって [自らを縮退させての極小の分身] をホログラム上に造り出した主人公がその分身を己の [底無しの黒々とした渦を巻くへそ] に落とし込み自身の魂に引導を渡す]

との粗筋が具現化を見ている(:疑わしきは訳書そして原文より抜粋をなしての指し示し部、当然に容易に後追いなせるように、とのかたちで設けた本稿にての従前指し示し部 ――[出典(Source)紹介の部6]から[出典(Source)紹介の部9]の部―― をご確認いただきたい)。

 にまつわっては先にて[事実F]から[事実J]と振っての記録的事実につき問題視してきたところとして小説『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』が

[15兆電子ボルトのCEERN(CERNではない)加速器]

なるものを登場させている作品として際立って不可解な先覚性を有しているとのこととの絡み、そう、同作にあって

[ブラックホールを意識させるものに[極小の分身](⇔文明再建装置の[種子]たるナノマシンと似たようなもの「とも」とれる)を送り込む]

との粗筋が具現化を見ているとのこと絡みで、

「では一体全体、ナノマシンの如きものを[文明のリ・コンストラクタ(再建設装置)]としてワームホールの先に送り込むとの発想法が一体、何時頃より目立って出てきたのか」

ということが「問題となる」(いいだろうか。CERNの14兆電子ボルト加速器LHCはブラックホールやワームホールの類を生成しうるものであると「ここつい最近」考えられるに至りもした ――につき、LHCのワームホール生成可能性についてはその言われようについて先立っての出典(Source)紹介の部18および出典(Source)紹介の部19にて取り上げたことである―― 。 他面、70年代に[CERNの14兆電子ボルト加速器LHC]にあまりにも近しい、かつ、往時の技術水準では顧慮されるところではなかった出典(Source)紹介の部6との[15兆電子ボルト加速器]なる際立って奇態なるものを登場させているとのことで問題視しているのが[ブラックホールを意識させるものに[極小の分身](⇔文明再建装置の[種子]たるナノマシンと似たようなもの「とも」とれる)を送り込む]との粗筋を伴った作品たる Adrift Just off the Islets of Langerhans:Latitude 38°54'N,Longitude77°00'13W『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』である。きちんと頭が働いていれば、以上のことより何が問題になるか、わかることか、とは思う)。

 それにつき、ここでは「直下、出典呈示しながら、」

[万能かつ極小のコンストラクタ(建設装置)たるナノマシンという概念が目立って用いられるようになったのは「1980年以降」である]

とのことについて解説していくこととする。


| 出典(Source)紹介の部20-3 |

 本出典紹介部では
[万能かつ極小のコンストラクタ(建設装置)たるナノマシンという概念が目立って用いられるようになったのは1980年以降である]
との目立つところの言われようを引いておく。

(直下、英文Wikipediaにての[ History of nanotechnology ]項目の現況記載内容より ――概念登場の先後関係列指し示しに適したかたちにて項目内表記順序とは多少異なるかたちでの―― 引用をなすとして)

The Japanese scientist Norio Taniguchi of the Tokyo University of Science used the term "nano-technology" in a 1974 conference, to describe semiconductor processes such as thin film deposition and ion beam milling exhibiting characteristic control on the order of a nanometer. His definition was, "'Nano-technology' mainly consists of the processing of, separation, consolidation, and deformation of materials by one atom or one molecule."

(訳として)
「[薄膜の添加堆積処理やナノメートル単位にての特徴的なる制御を示すとのイオンビームによる粉砕のような半導体加工工程]を記述すべくものものとして東京理科大の日本人科学者谷口紀男が1974年のカンファレンスにて[ナノ・テクノロジー]という言葉を(はじめて)使った」

(訳を付しての引用部はここまでとする ――上はナノメートル単位(原子・分子のサイズのオーダー)にての加工技術として世界ではじめてナノ・テクノロジーとの言葉が用いられ出したのが1974年にあるとのことが言及されての部となる―― )

(続いて直下、英文Wikipediaにての[ History of nanotechnology ]項目の現況記載内容より ――概念登場の先後関係列指し示しに適したかたちにて項目内表記順序とは多少異なるかたちでの―― 引用をなすとして)

In the 1980s the idea of nanotechnology as a deterministic, rather than stochastic, handling of individual atoms and molecules was conceptually explored in depth by K. Eric Drexler, who promoted the technological significance of nano-scale phenomena and devices through speeches and two influential books.

(訳として)
1980年代、[意味的に変動しやすいとのものよりも意味的に確定しての個々の原子らおよび分子らを扱ってのナノ・テクノロジーのアイディア]がK・エリック・ドレクセラー、ナノ・スケールでの現象および装置群の技術的重要性を演説および二冊の影響力ある書籍らを通じて訴求していたとの同男によって概念的にも深くも追求されることとなった」

(訳を付しての引用部はここまでとする ――上はナノメートル単位(原子・分子のサイズのオーダー)にての加工技術として世界ではじめてナノ・テクノロジーとの言葉が用いられ出したのが1974年にあるとのことが言及されての部となる―― )

(さらに続けて直下、同じくもの英文Wikipedia[ History of nanotechnology ]項目にての現況記載内容よりの引用をなすとして)

In 1980, Drexler encountered Feynman's provocative 1959 talk "There's Plenty of Room at the Bottom" while preparing his initial scientific paper on the subject, “Molecular Engineering: An approach to the development of general capabilities for molecular manipulation,” published in the Proceedings of the National Academy of Sciences in 1981. The term "nanotechnology" (which paralleled Taniguchi's "nano-technology") was independently applied by Drexler in his 1986 book Engines of Creation: The Coming Era of Nanotechnology, which proposed the idea of a nanoscale "assembler" which would be able to build a copy of itself and of other items of arbitrary complexity.

(訳として)
「1980年にあって同分野にての草分け的な科学論文、“Molecular Engineering: An approach to the development of general capabilities for molecular manipulation,”(『分子科学:分子的操作のための汎用的能力の発展へ向けてのアプローチ』)、1981年のザ・ナショナル・アカデミー・サンエンシズの会報にて初出を見たとの同論文の準備をなしている最中にドレクセラーは(思索・研究の中で)過去、1959年にてのファインマンの刺激的な講話 "There's Plenty of Room at the Bottom"(「底辺の領域には空間的余白が存在する」とでも訳すべきか)の記録を見出すに至った。[ナノ・テクノロジー]との言葉(それは谷口紀男がかつてナノ・テクノロジーと表したものと近しいものである)は1986年のドレクスラー著書 Engines of Creation: The Coming Era of Nanotechnology(邦題『創造する機械』)にて独自に a nanoscale "assembler" which would be able to build a copy of itself and of other items of arbitrary complexity[ナノ・スケールにてそれ自体のコピーを造り出せ、そして、任意の複雑的構造を有した他の品目のものらを形作れるとのアセンブラ(組み立て装置)]を指すものとされるに至った」

(訳を付しての引用部はここまでとする ―※― )


※上にては

In 1980, Drexler encountered Feynman's provocative 1959 talk "There's Plenty of Room at the Bottom" while preparing his initial scientific paper on the subject, “Molecular Engineering: An approach to the development of general capabilities for molecular manipulation,” published in the Proceedings of the National Academy of Sciences in 1981.(対応訳)「1980年にあって同分野にての草分け的な科学論文、“Molecular Engineering: An approach to the development of general capabilities for molecular manipulation,”(『分子科学:分子的操作のための汎用的能力の発展へ向けてのアプローチ』)、1981年のザ・ナショナル・アカデミー・サンエンシズの会報にて初出を見たとの同論文の準備をなしているとの最中にてドレクセラーはファインマンの1959年の刺激的な講話 "There's Plenty of Room at the Bottom"(「底辺の領域には空間的余白が存在する」とでも訳すべきであろう)の記録を見出した」

と表記されているが、そこに見るナノテク概念の開拓者として知られているエリック・ドレクスラーが着目したとの、
[1959年の講話内容(ファインマンの講話内容)]
とは同じくもの英文ウィキペディアの項目にて次のように現況記載されているところのものとなる。

(直下、同じくものところ、英文Wikipediaから引用なすとして)

The American physicist Richard Feynman lectured, "There's Plenty of Room at the Bottom," at an American Physical Society meeting at Caltech on December 29, 1959, which is often held to have provided inspiration for the field of nanotechnology. Feynman had described a process by which the ability to manipulate individual atoms and molecules might be developed, using one set of precise tools to build and operate another proportionally smaller set, so on down to the needed scale. [ . . . ] After Feynman's death, scholars studying the historical development of nanotechnology have concluded that his actual role in catalyzing nanotechnology research was limited, based on recollections from many of the people active in the nascent field in the 1980s and 1990s.  Chris Toumey, a cultural anthropologist at the University of South Carolina, found that the published versions of Feynman’s talk had a negligible influence in the twenty years after it was first published, as measured by citations in the scientific literature, and not much more influence in the decade after the Scanning Tunneling Microscope was invented in 1981. Subsequently, interest in “Plenty of Room” in the scientific literature greatly increased in the early 1990s. This is probably because the term “nanotechnology” gained serious attention just before that time, following its use by K. Eric Drexler in his 1986 book, Engines of Creation: The Coming Era of Nanotechnology, which took the Feynman concept of a billion tiny factories and added the idea that they could make more copies of themselves via computer control instead of control by a human operator; and in a cover article headlined "Nanotechnology", published later that year in a mass-circulation science-oriented magazine, OMNI.

(拙訳として)
「アメリカ人物理学者リチャード・ファインマンは1959年12月29日、カリフォルニア工科大学(カルテク)にてのアメリカ物理学界の会合で "There's Plenty of Room at the Bottom,"と題しての講演を実施し、同講演、[ナノ・テクノロジー分野にてインスピレーションを与えたもの]と(後の日にて)しばしば取り上げられるものとなった。
 ファインマンは個々の原子らおよび分子らが
[針の先端程度の大きさに縮小された、他のより小さな単位群を構築・操作するための要領よくまとまったワンセットの道具群]
を用いて展開させられように動かされるとの力の働き具合の過程を描写していた。
・・・(中略)・・・
 ファインマン死後、ナノ・テクノロジーの歴史的発展について研究していたとの学者らは
[彼(ファインマン)がナノ・テクノロジー分野の研究に対して及ぼした現実にての触媒的役割は限られたものである]
との結論を「1980年代から1990年代にかけ原初的時期にあっての同分野にて活動していた向きらの記録再構築に依拠して」下すに至った。 サウス・カロライナ大学の人類学者、 Chris Toumey
「それが初出を見てからの20年の間、ファイマン講話の印刷バージョンは[科学にまつわる文物(訳注:原文に見るサイエンティフィック・リテラチュアとはサイエンス・フィクションなどではなく科学にまつわる刊行物のことである)にての引用ありよう]にて推し量れるように無視できる程度の影響しか及ぼしていない、そして、1981年(訳注:1982年ともされる)の[走査型トンネル顕微鏡]の発見後10年を経ても同様に影響力をたいして及ぼしていない」
との帰結を見出すに至った。
 科学にまつわる文物群にあってのファインマン講話、(略しての)“ Plenty of Room”に対する関心は、その後、1990年代初頭より増大することになった。これはおそらく[十億もの微少なる極小の工場群の話に加えて人間のオペレーターによる制御に代わってのコンピューター制御を通じてそれらがより多くのコピーを作り出せるとのアイディアを取り上げていた]とのK・エリック・ドレクセラーの1986年の著作 Engines of Creation: The Coming Era of Nanotechnology(邦題『創造する機械』)にてのナノ・テクノロジーという語の使用、および、その後の年にて刊行された科学志向の読者向けの大量流通誌OMNIの[ナノ・テクノロジー]と題名を付された巻頭記事らにより、(ファインマン講話が着目され出すことになったとの)その少し前に[ナノ・テクノロジー]という言葉が重要な関心を引くことになっていたからである

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 以上のように[1959年からして[ナノ・テクノロジーに通底する発想法]が早くも物理学者リチャード・ファインマンによって取り上げていたが、そのアイディアとしての影響力は(科学文書らにあっての引用形態から)微々たるものであった]とされてもいる。


出典(Source)紹介の部20-3はここまでとする)


 直近にて付記した内容を加味してのここまでの内容をもって指し示せることは、

[ナノ・テクノロジー]の体現存在たる、

[ナノ・スケールにてそれ自体のコピーを造り出せ、そして、任意の複雑な構造を有した他の品目の目標物らを形作れるとのアセンブラ(組み立て装置)]

であるとのナノマシンが着目を集めるに至ったのは80年代からであると解され、(上にての引用部では「それについては世間には多く知られていなかったところである」ような書かれようであるも)、ナノ・テクノロジーという言葉それ自体が生まれたのは1974年、[原子の領域に踏み込んでの来たるべき半導体産業の進化]を期しての東京理科大学の谷口紀男の使用開始の折たる1974年以前に遡れない。

とのことである。

 従って「1974年に」遡る、

[CEERN(CERNではない)などと呼称される15TeV加速器を運用する機関のビーム照射装置でもって [自らを縮退させての極小の分身] をホログラム上に造り出した主人公がその分身を己の [底無しの黒々とした渦を巻くへそ] に落とし込み自身の魂に引導を渡すとの筋立てを有した小説 Adrift Just off the Islets of Langerhans : Latitude 38°54'N, Longitude77°00'13W『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』]

の執筆時点では

[[ワームホールやカー・ブラックホール内の強烈な放射や潮汐力に由来する問題]については極小のナノマシン ――自律性をもって作動するとの極微機械―― の類を送り込むことでそうした強烈な放射や潮汐力の問題を克服でき、文明再建の種子をワームホールの先に送り込むとのミチオ・カク科学動向解説本にて見受けられるような[ありうべき先進的科学文明のありうべきやりよう]にまつわる予測]

が具体的にこれはこれでとなされていたとはおよそ考えられないと述べても構わぬところとなっているととらえられる(※)。

(※付記として:1966年にアメリカで公開された映画として Fantastic Voyage、邦題『ミクロの決死圏』という著名な作品が存在する。アイザック・アシモフがすぐ後の1967年に(別人物の手によってなった脚本を元にしての)小説化をなしているとの同作品『ミクロの決死圏』、
[ミクロ化された医療チームが潜航艇に乗って人体に進入、治療を行う]
との内容の同作品が
[CEERN(CERNではない)などと呼称される15TeV加速器を運用する研究機関のビーム照射装置でもって [自らを縮退させての極小の分身] をホログラム上に造り出した主人公がその分身を己の [底無しの黒々とした渦を巻くへそ] に落とし込み自身の魂に引導を渡す]
との粗筋を有した後にて登場の小説に[アイディアとなるようなもの]を提供していたとのこともまた多少、文物の流布形態に詳しい向きには想起されるところか、とは思う。
 だから、述べておくが、
「1974年の小説『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』が奇怪なのは加速器とブラックホールの関係を(往時の科学知見よりは)不自然極まりなくも想起させるとの側面が伴っていることであり、「そうしたところから離れて」[他フィクション(『ミクロの決死圏』)との類似性が見出せること]自体はさして問題にならない」)

 ここでページをあらためることとする(:続いての頁では本件について[さらにもって何が問題になるのか]煮詰めての話をなすこととする)。

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直下、冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒[加速器実験にまつわる根深き虚偽]の問題よりはじめての状況指し示し部、その冒頭頁へは下より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

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