蛇の紋様にまつわる奇怪性(二重螺旋構造篇)
本記事は歴史上、目立って存在している[蛇と結びつく二重螺旋構造]に絡む"真実"を明かす意図のもと、ものすこととする。としたうえで、下の図像群をご覧いただきたい。
上図群は左からそれぞれ
[ヘルメスの杖]
[シュメールにて地下の神・豊穣の神として尊崇視されたと伝わるニンギッシュジダ(Ningishzida)]
[古代中国における伝説的な統治者の三皇五帝に数えられることもある伏羲(フクギ)と女媧(ジョカ:ジョカのカの部分の字についてはいわゆる機種依存文字、端末によって適切に表示されない漢字であるため、事後、女と咼の字を併せて「女咼」でその字を表することとする。要するに、不自然ながらジョカ(女媧)を女女咼と表記することとする)]
[日本の注連縄(シメナワ)]
を挙げたものとなっている。
当記事ではそれらに共通する構造が[視覚的事実の問題]として見て取れることをまずもって問題視したい。そう、
[二重螺旋構造]
が見て取れることを問題視したい([二重螺旋構造の体現]自体は図より明らかなものなのでここではとやかくしない)。
その点、明言するが、上掲図らに共有されている二重螺旋構造は全て
[蛇にまつわる二重螺旋構造]
と定置できるもするものである。
具体的にどういうことなのか簡明に解説する。
上掲図中の最左部に挙げている、
[ヘルメスの杖(固有名詞はカドゥケウスと呼ばれる杖)]
では二匹の杖が螺旋を描きながら杖に絡みつく。
その右隣に挙げている、
[シュメールの豊穣の神にして地下の神たるニンギッシュジダ(のレリーフ模写)]
に関しては二対の神格がヘルメスの杖と同様の構造物、螺旋を描いて交差する蛇に臨んでいる。
そのさらに右側に挙げている、
[中国の伝説上の統治者、伏羲と女女咼]
については彼・彼女ら自身が下半身を蛇として螺旋構造を描き、結びついている。
そして、右端に挙げている、
[日本の注連縄]
については ―異論ある向きもあろうが― 元来、交接する二匹の蛇に由来するものであるとされている(:日本の[かんながらのみち]、神道は蛇信仰と結びついてきた。正月に飾る鏡餅の名 ―カガあるいはカガチは蛇の古語だ― と形状が蛇と結びついているのもその式で語れることである)。
以上のようなことを述べたうえで次のようなこと「をもまた」[明示的にはっきりと言える]と押さえておいていただきたい(そこに付随する帰結は実に不快な可能性論とも結びついているのだが、だからと言って、「顔を背けてはならない」としつつ、だ)。
「絡み合う蛇の二重螺旋構造は生物のDNAの二重螺旋構造を示したものであり、そこには我々の本質が操作されていることを示したものであると述べられもする側面が伴っている」
何?馬鹿な、だと?根拠なき[宇宙人人類操作理論]でも展開する気か、だと?そういった意見を抱かれた方には言っておこう。
まず第一に、上は決して馬鹿げた話ではない。"人外"が[往時の人類には絶対分らないはずのDNAの二重螺旋構造の比喩]などを人間に見せつけつつ、人類を操作しているという話には[確たる論拠]がある(これから書くことをよく読んで欲しい)。
第二に、私は宇宙人が操作をなしているなどとは無条件に言いはしない。宇宙人だか、異次元人だか、我々の世界を規定するシステムの量子サーバーの管理者だか何だかは判然とはせぬものの、そういった[人外]が介入しているとは述べるが、それが宇宙人であるなどとは揚言はしない(に関し、いま、欧米で最大限、物議をかもしている男、デービッド・アイクは宇宙人かつ異次元人かつ地下基地在住者という全可能性包含論法でまとめてしまっているが、私は根拠なき話はしない)。
さて、常識人の内心の反論の声に応えたところでだ(無論、上の段階では納得など得られるはずなきことだろうが)。
ここでの申しよう、
「世界中の文化的遺物や宗教的象徴に見ることが出来る交差する二匹の絡み合う蛇が生物のDNAの二重螺旋構造(フランシス・クリックとジェームズ・ワトソンがDNAの二重構造を世間に公表したのは1953年だ)を示したものである」
との説を成り立たしめる[根拠]について論じよう。それは以下のI-IIIよりなる(殊にIIIが重要である、と前言しておく。IとIIはIIIの前座のようなものだ)。
I.上の四つの図像([ヘルメスの杖]・[シュメール神格のレリーフ]・[伏羲と女女咼]・[注連縄])、二匹の螺旋を蛇で示す形態が人類史に現れた[時代]と[地域]がばらばらであるのが出来すぎていることとしてある。その点、[地域]については上掲図像群の下にWEST(西)からEAST(東)とふったような形で幅広く分布している(ヘルメスの杖は西の地中海で生まれ、注連縄は極東で生まれた)。[時代]については ―常識としての歴史学上では― 数千年間隔で偏在していることになる。それら地域・時代の齟齬についてまとめると次のようになる。
[以下の歴史(およびその中にて紡がれた古典)に基づいての筆者の年代推察が適切と述べられるものなのか(ネット上諸種情報などを参考にしながらでも)精査・裏取りいただきたい次第である]
[ヘルメスの杖]:発祥地域はギリシャ文明を育んだ古代地中海世界。二重螺旋の蛇の杖との象徴の生成年代はどんなに古く見繕っても紀元前7世紀以後に遡ることはできない、というのが「常識的観点では」堅いところかと考えられる(オリンポス12神、ヘルメスを含む神々の起源が示されている書物、『ホメロス風讃歌』がものされたのが紀元前7世紀以後であるとされる。その時期を一つの基準にヘルメスの杖は紀元前7世紀以前にはヘルメス同様、存在していなかったのでは、と考えての推察となる:より以前に著されたヘシオドスの『神統記』はヘルメスの起源を論じる材料にはなりがたいと判断してのことである)。
[シュメール神格のレリーフ]:シュメール文明が栄えた古代中東(現イラク)がレリーフ発祥の地となる。英文でNingishzida、Sumerなどと入力して英文媒体の情報を参照いただきたい(ニンギッシュジッダ、シュメールとの和文入力ではたいした情報は入ってこないと思われるゆえに英文媒体を参照いただきたい)次第だが、レリーフ製作年代は一説には紀元前20世紀以前とされる(ヘルメスの段で触れた『ホメロス風讃歌』著述の1300年以上、前ということになる:人間の歴史には多く贋造物と見える側面が伴うということはとりあえず、置いておいてだ)。
[伏羲と女女咼]:発祥の地は古代中国となる。中国にて三皇五帝に数えられる伏義らについては少数民族ミャオ族の神を中原の民が取り入れたとする説もあるが、その起源は ―中国史すべてにそういうことが当てはまることであるも― 正確なところはよく分らない。東洋世界最古の地理書とされる『山海経』、紀元前5世紀から紀元前3世紀までの間の春秋戦国時代から存在していたとされる同書物に早くも女女咼の原型"的なるもの"が見受けられたというが、[女女咼]の名がはじめて明示的に言及されるようになったのは紀元前2世紀に成立したとされる『楚辞』からだともいい、起源がはっきりしない(ここでの[伏義と女女咼の起源論]は英文Wikipedia上の女女咼こと[Nuwa]項目記述におおく拠った。英文Wikipediaの解説が日本語のどのオンライン上での解説よりも充実しているというのも皮肉な話ではあるが)。そういった不明瞭さのために、ここでの[蛇の二重螺旋をなす伏義と女女咼の構図]は同構図が壁画に見られるようになったとされる漢王朝時代に遡るものと考え(漢王朝時代の壁画に見る伏義らの巻きつきあう形態は当記事の続く段にて挙げる)、[二重螺旋構造の視覚化]をおよそ紀元前1世紀ぐらいのものであると想定して話を進める。
[注連縄]:無論、日本のものである。その起源は ―これまただが― はっきりしない。そこで6世紀には既に注連縄が存在していたのではないかと「仮定」して話を進める(有力氏族の連合政権だったともされる大和朝廷が今日の天皇制"的なるもの"に発展する初期の時分に神道、[かんながらのみち]の原初的統一様式も確立されていったのではないか、と「仮定」しての話となる)。
上にて述べたことから[シュメールの神のレリーフ]と[ヘルメスの杖]の発祥には1000年以上の離隔があり、[ヘルメスの杖]登場と[伏羲と女女咼]登場には600年ほどの離隔がありそうだ、と常識的には考えられる。[伏羲と女女咼]登場と日本の[注連縄]様式登場の間には700年ほどの離隔があるともとれる。[シュメールの神のレリーフ]と[注連縄]には2000年以上の離隔(下手をすると2700年以上の離隔)があるものととれる。
そのように数千年の時を挟んで、多地域に同様の[蛇の二重螺旋構造]が現れてくるというのは妙にして奇怪だろう(それが次いで述べていくII及びIIIと相まって人間業ではない奇怪さを呈してる)。
II.無理矢理、解釈すれば、中東古代文明の中枢を介して、だ。[シュメール神格のレリーフ]⇒[ヘルメスの杖]⇒[伏義・女女咼]⇒[注連縄]との伝播、形態の伝播が生じたとも考えられなくもない(常識派はそうとしか言わないだろう)。
であるが、まずもって、[伏義・女女咼]の遺物の構図にコンパス(東洋でいうところの規ことキ)と定規(東洋でいうところの矩ことク)が描かれていたことが
[不可思議無比なこと][常識では説明しかねること]
としてある。
何故か。蛇の隠喩的象徴の使用から["蛇"のカルト]であると揶揄されもするフリーメーソン、18世紀にその[近代的なる萌芽]が認められるともされるフリーメーソンの印章が今日に至るまで[コンパスと定規]であることが「伏義・女女咼像と尋常ではない一致性を伴いつつ」存在しているからだ(フリーメーソンは蛇を秘教的に尊崇視する象徴体系に有していることからして[蛇のカルト]とも言われている。そのように蛇を秘教的に尊崇視している近代的フリーメーソンの印章と半身半"蛇"の[伏義・女女咼]の欧米に知られていたとは思えぬ遺物、[コンパスと定規]を手に持った姿での遺物が「単なる伝播関係でつながっている」と考える方が無理がある。フリーメーソンの色がついた歴史家が[伏義・女女咼]像を年代を偽って根本偽造した可能性 ―私の自著にても言及した可能性― を抜きにして考えれば)。
III. ここにて述べることが[決定打]となる(上のIとIIの話は「ここIIIの話に比べれば」大したことなきことである)。
下に挙げた図を見ていただきたい。
上にて挙げた画は15世紀に活躍したイタリアルネサンス期の画家、ドメニコ・ギルランディオの作、 Meeting of Augustus and the Sibyl『アウグストゥスとシビュラの出会い』とその拡大部だ(:ドメニコ・ギルランディオの作品については人外が[人間に見せてきた幻影]との絡みでも実に興味深い話があるのだが、それについては自著に譲ろう。ちなみに、上の Meeting of Augustus and the Sibyl『アウグストゥスとシビュラの出会い』が収蔵されているのは ―ウェブ上の媒体(博物館関連のHPら)に嘘がなき限りにおいては― はフィレンツェ(Florence)の美術館 (訂正:右にて美術館収蔵と表記しているが、正しくは教会、フィレンツェの聖三位一体教会( Santa
Trinità )に存在しているフレスコ画(1483-85年作成とも)であり、については同画を公開しているご当地情報言及の博物館関連ページにても呈示されていること、すなわち、往時の筆者誤記であること、確認した。記事執筆時の収集情報の整理にまつわる手前不手際とのことで訂正記述をここに謹んでなす) であるようだ。 疑わしきは画題を入力して表示されてくる英文媒体に当たるなどして裏をとられるとよい)。
一目してお分かりいただけることかと思うが、同画、 Meeting of Augustus and the Sibyl図中の蛇と結びついた二重螺旋構造が
[1953年にワトソンとクリックによって発見されたDNA構造] (上にはギルランディオ画の脇に置く形でそのDNA構造を挙げておいた)
と相似形を呈するように描かれている。
だけではない。
その二重螺旋構造がこれみよがしに
[マッチ棒のような物体]
と結びつくように画中で描かれていることにお気づきになられたか、と思う。
臆面もなく言ってしまえば、図中のマッチ棒のような物体、
[生物の精子の構造](無論、その形状は絵が描かれてから何百年を経てはじめて人類に知られるようになった構造)
だととれる。
またもやだが、馬鹿な、だと?が、馬鹿げたことが「現実にある」のだ。
それについては、まずもって、「マッチ棒そのものじゃないか」との外野からの声があるだろうから
「人間の歴史に今日の形態に近しいマッチ棒が見られるようになったのは何時なのか」
ということから言及する。
その点、マッチ開闢史に関するWikipediaの記述には英語版と日本語版のそれで大きな差異があると指摘しつつ、だ(2010年下半期現在)。より詳しい解説をなしている英語版Wikipediaの[Match]項目の記述によると、マッチは次のような経緯を経て、今日ある存在となった(:この手のことを解説している資料はWikipediaぐらいしかないがため、誤り多き同情報媒体に依存しての錯誤もあるやもしれないと事前に断わっておく)。
「マッチと似たような[木材を硫黄によりコーティングした発火補助物]は1世紀のローマ時代の文人、マルティアリスの文献に早くも言及がある。東洋でも中国は10世紀の五代十国時代の文献に[松の木からとった小片を硫黄コーティングしたもの]が発火補助物となるとの言及がある。そういったマッチ"的なるもの"は古代の文明が廃れきった暗黒時代を経た後の16世紀、欧州にも登場したが、何にせよ、初の[自家発火式のマッチ]が登場したのは19世紀初頭である。そして、それが摩擦式のものとして今日、見られるような形態に発展したのは1826年(あるいは1827年か)のジョン・ウォーカー(
John Walker )の発明による」
非本質的な細かいことをうだうだと書いてしまったが、少なくとも、絵が描かれた15世紀に[今日のマッチ棒]との形態的同等物は存在していなかった、と考えられる(自家発火式ではないコーティングされた木片が16世紀欧州に現れたと英文Wikipediaにはされているが、それがどんな形をとっていても、上掲図の如きもの、今日のマッチ的なるものだったとは考えづらい)。すなわち、図の二重螺旋と構造的に近しい蛇紋様と共に描かれているそれはマッチ棒ではないと考えられる(ただし、断言はしない。また、似たような他の道具が存在していた可能性も捨てきれない。であるが、そういった可能性を無視しても構わないと言えるだけの"他"事情もある:実のことを言うと、マッチ棒の歴史もその他事情、以降、述べていく他事情のため、無視しても構わないものだ)。
加えて、だ。マッチ云々の話などよりはるかに重要なこととして
「二重螺旋の"先端"の蛇の頭が[マッチ棒状の物体の先端]に入っていく、あるいは、噛みつくような描写が上掲絵画でなされている」
ことがある。
その点、二重螺旋構造をとるDNAがどこに集中して存在しているかご存知であろうか?
そこは、生物学的にDNAが集中して存在している箇所は[精子の先端部]だ。
何が言いたいか、お分かりだろう?
直近書いたことだけで十分のような気もするが、懐疑的な方のためにさらに書いておこう。
「上掲図の二人の人物に仰ぎ見られ、指さされている中空の物体に着目してみるとよい。そこには
[蛇状の蛇行する存在が球体を囲むさま]
が描かれているが、[精子達が競争しながら卵細胞と結合しようとする受精過程]を描いたものととれる(下にての図解部も参照のこと)。精子とDNAを描いていると考えられる図の中でのことであるから、なお、一層のこととしてそう言えるのだ」(実はそれは悪魔のジョークそのものだ。上絵画の[蛇状の蛇行する存在が球体を囲む構図]はイエズス会の印章に取り入れられている節があるのだが、イエズス会が崇めたてまつるイエス・キリストは表向き、処女懐胎したことになっている。また、イエズス会の守護聖人は聖母マリアであるとされている。処女懐胎の存在と、によって、生まれてきたとされる存在を神格視する団体、イエズス会のシンボルに[精子・卵子の結合過程]を用いさせるというそのセンス。言わずもがな、である:下に図解もなしておくこととする)。
以上のような理由から図は形態的類似性と隠喩的側面から考えて生物のDNA構造と精子が描かれているものだと言える(密接に結びつくものの似姿が"偶然"、並んで描かれる可能性は、そう、絶無に近しいからだ)。
この世界はかくのごときことをやらかす[人外](数百年前の ―仮にそうでなく70年前でも話は同じである― 絵画作成時に精子の構造、そして、DNAの構造まで言い当てられた存在、操り人形のようになった人間に未発見物の構造を描かすことが出来た存在が人間のわけがない)の比喩で満ち満ちているのだ (:世に真正視されているギルランディオ絵画『アウグストゥスとシビュラの出会い』が20世紀中盤 ―DNAの二重螺旋構造発見時期― 以降にねつ造されたものでないのならそう「断言」しても構うまい。「ちなみに」だが、DNAの二重螺旋構造を発見した二人の生化学者、ワトソンとクリックのうち、クリック( Francis
Crick )の方は幻覚剤(LSD)の影響下にあったと後日談で述べられており(追記:クリックのほうがLSDの影響下にあったことは本人自身の言明によるところでもなく、多くの論客に述べられていることで藪の中との色彩もあったところを言いすぎの感があったかもしれない。だが、クリックが後にLSDを摂っていたことは事実であると多くの人間が指摘していることは確かである)、 またノーベル賞 ―沿革よりダイナマイト賞でもいい― につながったワトソンとクリックの二重螺旋構造発見のインスピレーションは[巻きつく蛇]よりもたらされた、などと語られたりもする。そこから私は次のようにも見ている。「ルネサンス期の画家、ドメニコ・ギルランディオは ―LSDで幻覚を垣間見るような形で― 先覚的にDNAの構造でも垣間見ていたのかもしれない。操り人形の世界などそのようなものだ」)。
どうだろうか。上のIからIIIをお読みになられたことで人間の歴史に地域と時代を分かちて登場してきた蛇紋様が[生物のDNA構造]と結びついているとの話が決して暴論でないことがお分かりになられたのではないだろうか(というより、"ここまでの内容を含んだ上で"ヘルメスの杖やその他の冒頭に挙げた図像群が「DNAの比喩ではない」と言う方が暴論だろう。上のIIIがあるため、古今、洋の東西を問わず、すべてがDNAに関わっているとさえ言えてしまうのだから)。
そして、残念なことにそういった比喩、[蛇と結びついたDNA構造の比喩]を問題としたような事物にまぶした存在は極めて[邪悪な存在]であると述べられる(断定可能といった程度にである)。
そのように述べる論拠として以下に挙げる〔1〕-〔4〕を段階的に読み進んで欲しい。
〔1〕昨今、デービッド・アイク( David Icke )という欧米圏でよく知られた論客によって
[爬虫類人人類支配説]
と表すべきものが取り沙汰されているが(日本では恐ろしく低劣な話柄か宗教的な形でしかものを話さないし書かないそれ相応の者達によって稀に、欧米では時にある程度以上の水準の物言いをなす者も交えて頻繁に取り沙汰されているが)、「人類は邪悪な存在に支配されている」というそういった説を説得力もって成り立しめるだけの根拠がある。
第一に人外 ―ここではその実在を前提に話している― が[爬虫類と結びつく竜・蛇のシンボリズムに異常に固執している節がある]ということがある。
第二に上に言うような[竜・蛇など爬虫類絡みのシンボリズム]が人間業とは思えぬ極めて巧妙かつ極めて邪悪な側面を伴って存在しているということがある(私の自著でもその極めて巧妙で邪まな比喩をとりあげている。無論、今までしてきたブラックユーモアの発露としての二重螺旋の話もそうだ)。
その極めて巧妙な比喩かつ極めて邪まな側面について「ここでの話に限局化させて」話を進めても次のAとBのようなことがある(:Aは相当、長くなると前もって断わっておく。また、「Aは[比喩の巧緻さ]に焦点を絞って話をなす。Bは[比喩の巧緻さが邪悪さを伴っていること]に焦点を絞って話をなす」ともことわっておく)。
A.Binaryこと二進法。[数字、ひいては、物事の道筋を0と1の組み合わせで表するに至った方式]。その二進数はブールという哲学者に由来する論理学体系成果概念と接合しつつ電気工学や情報処理科学の"根本"を規定するものとなっている。すなわち、二進法は今日の機械文明のロジック ―電圧の程度で1と0を示し、回路を構築するなどの手法など― や情報の表現形態に相当する部分を規定している(:映画『マトリックス』の中の0と1からなる世界の有り様のように[情報の現出の仕方]を規定している"とも"言える。貴方が今見ているこのページの配色様式も文字コード様式も現実にすべて二進数で規定されているといった具合に、である)。
そして、実のことを言ってしまって、
その[二進法の背景にある発想法]が本記事で今まで取り上げてきた話題と密接に結びついている、[爬虫類の象徴]を介して、人間業と思えぬ巧妙さを伴って密接に結びついている
と述べられるだけのことがある(:一言だけ名を持ち出したデービッド・アイクという男も常識の枠外からそういったこと、二進法の背景にある発想法につき論じているが、さしあたってのここでの主眼は「正統派歴史家が呈しうる知見ともある程度、折り合いをつけつつ」二進法絡みの人間離れした側面を論じることである)。
については、まずもって、二進数が中国の事物変化の非科学的予測体系、[易] ―易はトカゲの漢字表記、蜥蜴の「蜴」に由来するとの説がある― と密接に結びついていることが問題となる。
二進法というものはその産みの親にして中国愛好家だったドイツの科学者・哲学者、ライプニッツが17世紀に
「易の六四卦に[0と1 ―陰陽の陰を0、陽を1として― の割り当て]をなして二進法計算術を再現して見せた」(記述内容の変遷を見るかもしれないが、日本語ウィキペディアの[二進法]項目程度のものにもおよそ次のよなことが記載されている⇒「ライプニッツはシノファイル(清朝時代の中国に対する愛好家)であり、易経の六十四卦に二進法の各値を対応させて賞嘆すべき中国文明の一側面であると述べていた」)
ことに見受けられるように
「本質的に易の表現方法と接合している」
のだ(それは他からの盗用概念しか口に出来ぬ似非インテリ達、まともな人間は書きこまぬ日本の掲示板などで醜い意図を持ってさえずっているような屑のような連中でも他から盗んで語れるような比較的、有名な話である:脇道に逸れつつ、一見、どうでもよいことを優しさの欠片さえない筆致で、しかも、一身上の背景事情があるように臭わせて書いたが、何故、そうしているかは[醜掲示板を介した操作]という本Webサイト上の記事を参照してほしい。同記事を通して私が[言論操作に携わっている一部の者達]に対して共感を1ミリも覚えていないし、それが理に適っていることだとはお分かりになられるはずだ)。
とした上で述べるが、そこに言う易、字句レベルでトカゲに由来するともされると直近にて言及したその非科学的体系 ―高度な概念を[占い]などという"下らぬ妄言体系"に改変して(ここにて述べている)人外が遊んでいた可能性もある― は[伏義と女女咼]に由来するとされている。
伏義と女女咼。二重螺旋構造を体現した存在として本記事冒頭から言及してきた存在である。
二進法にまつわるかぐわかしさの話を続ける。
中国から易 ―二重螺旋を体現した伏義と女女咼に由来する非科学的体系― の概念を欧州に輸出し、それを二進法を研究していたライプニッツに紹介した連中からしてかぐわかしい(可能性論としてはライブニッツに[易に基づいての新種の表現体系]を造るよう促していたとも考えられるが、周知されるところではライプニッツが二進数の手法を確立した「後に」易経がライプニッツの元に届けられたとされているようである)。ライプニッツに易経(六十四卦)を紹介、うならせた存在が中国に伝導拠点を設けていたイエズス会(の修道士のブーヴェという男)なのだが、その[イエズズ会]にも本記事冒頭から書いてきたことと接合する[蛇絡みの因縁]が介在しているからそのように、かぐわかしいと皮肉を込めて述べるのである。
それは上に挙げた[DNA二重螺旋構造]と[精子の構造]を同時に体現した16世紀に描かれた絵画
Meeting of Augustus and the Sibyl『アウグストゥスとシビュラの出会い』、
先に挙げた絵画絡みの話となる。
具体的には大蛇ピュトーンがかつて守っていたとギリシャ神話にある神託所の巫女絡み ―要するに易と同様、占い絡み― の絵画『アウグストゥスとシビュラの出会い』の上部に
「後のイエズス会紋章を先取りした図像が蛇の象徴物とワンセットになって描かれている」
ということが問題となるのだ(イエズス会の象徴の確定前にその象徴とそっくりなもの絵画 ―上にて挙げた絵画― が用いていた、と)。
のようなことは常識的に考えても、イエズス会初代総長、イグナチオ・ロヨラのロヨラ家の家紋が視覚的に蛇と結びつくこと"も"あいまって実におかしな話ではある。キリスト教徒は蛇を忌むはず。そういう文脈で、だ(よりおかしな話は処女懐胎したとの設定の救世主を崇拝する信仰体系上での歴史的最強伝導部隊イエズス会が[卵子の受精過程を描いたとれる絵画上の象徴物]と酷似したシンボルを用いていることなのだが)。
とにかくも、ここまでの内容をまとめれば、
「有名な話として[原始的二進法近接物となっている易]が冒頭から挙げてきた蛇絡みの事象([二重螺旋を体現した伏義と女女咼])に結びつくなら、その易を西洋に紹介し近代的二進法を形作ったライプニッツをうならせた者達、イエズス会も冒頭から挙げてきた蛇の事象([二重螺旋を描いた書いた絵画の中の印章])と結びつく」
ということになる(言っておくが、そうした指し示しは ―複雑なものだが― 主観の問題が介在するようなものではない。[指し示しのための各事象の選択]方法という以上には主観の問題が介在するようなものではない。[数学的立証]とでも述べられるような客観的な話なのだ ―あとは視覚根拠という揺るぎないものを無視するかしないかの問題にしかならない。尚、立証をなすことを厭わぬとの私の見立てでは[明らかにそうであるものと指し示せるもの]に相対してそれを無視することは[悲劇的な愚かさ]に通底することであるととらえている。それが[生き死にに関わる力学]と結びついている場合には特に、である― )。
そして、以上述べてきたことは、そう、
「欧米人の易への理解を介し二進法の沿革とも結びつく伏義と女女咼や二進法の発明者として知られるライプニッツに易経を紹介したイエズス会(の紋章)の双方ともが[DNA模式図となっているらしき蛇の二重螺旋]とつながっている」
ということはより深遠な意味で"出来すぎている"と言える。
背後に[コンピューター・プログラム的なる要素の共有]が透けて見えるからだ。
につき、二進法がコンピューター・プログラムと接合していることは先の話、
「二進法がブールという哲学者に由来する論理学体系成果概念と接合しつつ今日の情報処理技術の基礎になっている」
との話を繰り返せば、十分だろう。
他面、DNAがコンピューター・プログラム的側面を有しているというのはDNAが生体を構成するタンパク質とそれを形作る20種類のアミノ酸構造を「プログラムを読み取り実行するように構築する」ために言えることだ(DNAの三種の塩基配列たるコドンがアミノ酸の構造を決定し、DNAはタンパク質の設計地図といわれる。デービッド・アイクのような人物も鋭くも ―ただし飛躍を多く含んだ話柄にて― そういったことに固執している)。
[二進法と接合する易]と[DNA]。そして、それら双方に共有される[コンピューター・プログラム的なる要素]。そういったことが蛇絡みの事象、[伏義と女女咼及びイエズス会(紋章)]に集中して結びついていることが理解できれば、だ(すぐ後に、そういった理解を促す図解をなす)。
どんな人間にも
「偶然ではありえないくらいに多くのことが結節しすぎている」
という想いが生じるはずだ。
換言すれば、
[近代的二進法を生み出したライプニッツ]も[ライプニッツに原始的二進数計算方式体現物の易を紹介したイエズズ会の者たち]も[古代中国にてその易を造った者達]も ―極めて馬鹿げた話に聞こえるかもしれないが― 皆が皆、[やらせ(人間業ではない巧妙さを伴ったやらせ)の弧]に組み込まれてで動かされていたとも考えられる。冗談抜きに、である。
(重要なこととして:尚、度し難い程に愚劣な、あるいは、臆病な人間はここにて[意味のない指し示し]をなしているととらえるかもしれないが、「断じてそうではない」と強調しておく。
当サイトにあっての他の呈示情報をご覧いただければよくよくもお分かりいただけることかとは思うが、
[操り人形共を用いて「実に巧妙に」それらしくも演出してきたようである人類文明ではゴールが最悪の形で控えている]と判断できる事情が[客観的に指し示しせること]として「山積」しており、それがため、『人類は過去を振り返り(あるいは家畜を養殖するような形で人間を育ててきたような存在の胸中を慮り、でもいい)、進む道を決せないとそのまま滅亡の憂き目 ―家畜を殺して効用を得る存在がいる一方での滅亡の憂き目― に遭いかねない』 と判断、 [普通人が触れたがらない、そして、見たがりもしないかもしれないとの操り人形らの操作形態]に関する異論を許さぬ ―ここがポイントである― 客観的かつ具体的な史的指し示しに「敢えても」注力することにしたとの想いが筆者にはある
のである ―それゆえに「明らかにしても仕方なきことを明らかにしているわけではない」と強調するのである (⇒識見も何も有さない向きらを主たる対象にか、[真偽不明瞭なこと]を真偽不明瞭に述べるだけの相応の陰謀論者達、何も変え得ないし、むしろ、そのためだけに頤使(いし.使役)されているのだろうといった手合いと筆者のような人間の区別を(呈示情報の裏取り・跡追い精査に注力されるなどして)きちんとなしていただきたい)― )。
以上述べたところで図解部を挟んでBに入る。
B.上のA及びその補足として挙げた図解部が長くなりすぎたが、人外が邪悪な存在であることを示す話に戻す。
さて、日本の蛇の二重螺旋構造を体現した存在だと上述した注連縄。それは神域とそうではない場所を分かつアイコン(象徴記号)ともされるが、と同時に、それ自体が神の宿る場、依り代であるともされる。そのことが、である。デービッド・アイクという男が主張している説、
[レプティリアンこと爬虫類人が"血族" ―私の見立てではリミッターこと"後天的"去勢素子が入った極めて多くの人間だが― にDNAを介して"憑依"し、全人類を間接統治している、という説]
に接合してしまうとのことがある(有名すぎる程、有名な映画、『アバター』をご覧になられた方々はその筋立てを奇怪に思われたことだろう。あの映画にでてくる[ナヴィ族の肉体を模して造られた容れ物のような存在]としての"一部の人間(だって?)"がDNAレベルで波動リンクされている、あるいは、時に波動リンクされてしまうというのがデービッド・アイクの物議を醸している説だというわけだ)。
[神域とそうではないところを分かつ、蛇の二重螺旋構造(DNAと類似の構造)]/[依り代(神が宿るなどとされる容れもの)]
という顕著な類似二要素の共有ゆえに、である。
そのような見立てを[うがちすぎのもの]だと思われるだろうか。いや、さにあらずだろう。上のAで非常に巧妙で出来すぎた比喩を二重螺旋絡みの事象に多くまぶしている人外の特質を ―多少、分かりづらくもなってしまったが― 詳説したはずだ。そういったことをやる連中が二重螺旋構造の体現物たる注連縄に何ら意味を込めて「いない」と考える方が甘いだろう。換言すれば、注連縄の[境界としての意味]や[依り代としての意味]にDNAを介した何らかの操作の比喩が介在していると考えることはここでの文脈上、「至極、自然な発想だ」となる。
そして、その操作の比喩に垣間見れるのは、いや、によって体現される操作に見ることが出来るのは
[非常に邪悪な側面]
である。
上述したような意味を持つ象徴物、注連縄を飾る日本の歴史、日本史は欧州史に比して比較的、穏やかなものだが、そこにはやはり「大量虐殺と悲劇の連続があった」からだ。戦乱。それとワンセットになった悲劇。下らぬ天皇教 ―最近では水面下でこの国を牛耳るに至った現代カルトにとって代わられた馬鹿げた崇拝思潮― の押し付け、及び、それとワンセットになった先の大戦に見る悲劇がまさにそうだ。陰謀論者たちはこの国も原初からそうした[やらせの弧]に入っていたことを指摘しないし、出来ないが、とにかくも、それは極めて邪悪な態様の操作だ(そういった操作を傍証するような記述も有名古典の中に調整されて含まれている。『平家物語』にすら「人間に闘争を起こさせたと誇る海底の竜宮に住まう爬虫類(蛇)に変化(へんげ)する存在が登場する」ぐらいだ:右は冗談ではない。そういった教科書が教えてくれない不快な記述群についての話は[三つ鱗紋様。レプティリアン陰謀論とも結節するカルトと関わる象徴主義]という題の本Webサイト上の記事にて詳説している。同記事をきちんと読まれれば、今日の創価学会に至る問題が何なのか、よくお分かりになられるはずである。保証する)。
以上のような話は
当記事の冒頭部にて二重螺旋構造を体現していると挙げたヘルメスの杖がこれまた、魂に対する操作/憑依と接合した操作の比喩と接合している
ということも込みに考えて、決して軽んじるべき類のものではない(当サイト上の他記事群も参照のこと)。
〔2〕上の〔1〕(と中のAとB)では極めて長くなりつつも、デービッド・アイクの異説、[爬虫類人人類支配説]が説得力あるものであると述べた(言っておくも、私はデービッド・アイクの[無条件のシンパ]ではない。今まで日本でアイクの説を広めてきた者達の直接的関係者でもない。生者・死者を問わずだ。むしろ、多くの方々同様、デービッド・アイクや彼のシンパ達が極めて大事なことに触れていないことに関し、複雑な心境を抱いている口である)。
そして、アイクがその爬虫類人人類支配説の中で述べている結論、「人類の支配者はとてつもなく邪悪である」という結論に同意出来るとの根拠も"一面で"述べた(アイクの著書の真偽不明情報や明白な虚偽情報 ―かなりのウェートを占める― を差し引いた部分以外に見受けられる[人外の邪悪さの指摘]に頷けることについての根拠は上の〔1〕のBの部で多少触れたとおりである)。
とした上で言うが、
「自身でよく調べてみて、よく分かったこととして人間の歴史"全て"がその式で[呪われている]としか思えない嗜虐的な比喩で彩られている」。
それに関し微視的なことを言えば、例えば、
[ナチスの用いたハーケンクロイツこと鉤十字紋様]
と同形態の紋様がインドのナーガラージャ(直訳すれば[蛇人の王])の一、1000の頭を持つとされるシェーシャの頭部ひとつひとつに刻まれているとの伝承があることに憤りを覚えたりしている(何故か。ナチ党がナチ前身にあたるフリーメーソン関連組織、トゥーレ協会から受け継いだ鉤十字の淵源が「ヒンドゥー神話体系 ―ナーガ・ラジャのシェーシャがでてくる神話体系― にある」などとヒトラー自身が述べていたとされるからだ)。
巨視的なことを言えば、ナチスの躍進の帰結としての世界大戦の勃発の仕方までもが正確に予言されていたことに憤りを覚えてもいる(:右につき馬鹿げていると思われることだろう。だが、私が本Webサイト上に掲載している[プログラムに準拠して起こされる大事件。その隠喩的事前表明によって操り人形達を統制する手法]と題した記事をよくお読みいただければ、そのような心証は撤回せざるをえなくなると揚言できる)。あるいは、そう、アステカの人間を預言 ―というより予定だ― 通り、大量に横死させたそのやり口に怒りを覚えている(※)。
(※:アステカの統治者達、人の生皮を剥ぎ、かぶって狂喜乱舞していたともいう筋金入りの醜い玩具には同情心など1ミリも持たない。だが、「"新しい世界"を造るために[偉大なる蛇の神ケツァルコアトル]が再来するとされた年、1519年に、である。スペイン人達がアステカにやってきて、ケツァルコアトルとスペイン人征服者コルテスが間違われたことを契機として、疫病と略奪 ―『黙示録』のモチーフだ― により原住民を大量死させた(一説にはアステカの人口は征服後、数十分の一になっていたとも1000万人以上が死んだとも)といったことを"現出させる"やり口は邪悪そのものであり、怒りを覚えている。そして、右は、[アステカの崩壊過程]は不快なことに[ホビ族の預言]を介して[マヤの予言]という、現在、人形の如きニューエイジャー達を使って広めさせていることと接合する)。
〔3〕上の〔2〕の話の延長線上として、だ。救いを説く宗教には[最悪の比喩]が含まれていることに殊に人間の世界に介入してきた ―先に述べてきた二重螺旋の象徴の話から介入は明らかだ― 人外の邪悪さが現れている。キリスト教が実は根深く[キリスト教にとっての異教]と結びつき、そこに[ヘルメスの蛇の杖]を介した[魂の去勢の比喩]が垣間見れたりする、図をもってこれこれこういうことだと示せる形で垣間見れたりすることがその典型例だ(:[一見する限りにおいては訳の分からないだろう話]について参照先呈示にとどめざるをえず恐縮だが、「キリスト教が[本質の去勢の象徴としての蛇の杖]と結びついている」という点については当サイトにあっての[問題意識の所在]と題した項目上の[問題意識の所在―11―]というページなどを参照されたい)。
〔4〕2001年9月11日に起こった事件。あの事件はフリーメーソンの中のお人形が起こさせられたものだと根拠主導方式で指し示せる類のものである(本Web上の[問題意識の所在]と題したカテゴリ全体でそのことを訴え、証している。911が起こる前にそれが起こることを ―信じがたいことに― 前言していた諸種サブカルチャーの態様からしてメーソン象徴主義と執拗なまでに結び付けられている)。
そう述べた上で言うが、9月11日に起こった事件が儀式として示唆していることは
「恐ろしく邪悪」
だ。
[蛇に抗う人間としての側面を圧殺し人類に大災害 ―おそらく"破滅"級のそれ― をもたらす]
と事前意志表明したものが、あの事件だととれるように「なっている」からだ。
[神話間の本記事で指し示したようなはきとした関係]。[フリーメーソンが固執すべきよう操作されてきた象徴体系]。そして、[9月11日の事件の予告の態様]。全てが完全に、かつ、露骨に結びつきながら、上記のこと ―[蛇に抗う人間としての側面を圧殺し人類に大破局をもたらす]こと― への事前意志表明につながるよう調整されていると立証できてしまうのである(立証は[問題意識の所在]と題したカテゴリでなしている)。そのような立証を読み解いた上でも邪悪さに怒りを覚えない。そういった者は本当の意味で人間ではない(:操られ人の中には ―何を勘違いしてか― [悪魔に自分達だけが助けてもらえる]と妄信していられる[救いようがない部類]も含まれているようだが、私はそういった類を[字義どおりの人でなし/人非人]と定置している)。
重複記載部も生じてしまったが、以上、〔1〕-〔4〕で
「人間の歴史に極めて巧妙な比喩をまぶしてきた存在達は極めて邪悪な側面を有している」
と十二分に訴求出来たか、と思う。
他でも嫌になるほど、強調しているそうした側面を敢えてここで訴求したのは
「人の歴史をマーベラスで高度な文明を有した存在が温かくも見守っている」
などとの誤解を抱いてほしくはないからだ(:「知的で誠実なナチはいない」との文言どおり[精神が醜い(臆病さあるいは卑劣さが際立っている)]ないし[物をありのままに見るだけの目分量が全く利かない(漢字二字の罵倒語は用いない)]との者らを除き、このような有り様になっている世界ではそんな誤解を抱くとの真っ当な人間がいると考える方が ―悪い意味で― 杞憂かもしれないのだが、私が本記事をものしているときに、である。「米国核施設に未確認飛行物体からの反対の意がよせられている」との米国空軍関係者"達"の記者会見をこれ見よがしに取り沙汰する米国主流マス・メディアが出てきたため、『意図ある"やらせ"で動いている連中に騙されぬ方が出てこぬよう』との想いが働いた:核ミサイル、アトラス・シリーズがどういった連中によってどういった意図をもって造られていたのか、という本Webサイト上での解説を読まれれば、だ。どんなお人好しでも「その式での大手マス・メディアと空軍関係者複数人によるショーの背景が実に悪質なものだ」と分かるはずだ。ブラック・ジョークだか、煙幕だか知りはしないが)。
今、我々が考えるべきことは、そう、DNAの比喩などを用いつつ[人間を縛ってきたこと]を身内で臭わせて楽しむような連中からどうやって自由になるか、だろう。
※本記事は同様に不快なマーキングについて分析している[蛇の紋様にまつわる奇怪性(雷文篇)]という他記事とワンセットである。この世界の真実を知る勇気を持った方々にはそちらの記事もあわせて読まれることをお薦めする。
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