[911の事件の先覚的言及]と[フリーメーソン象徴体系]との接合について 補説4
先だっての頁より
[[2001年の911の事件の発生]に対する異常異様なる先覚的言及]
をなしている ―たとえば、「1999年初出の」映画版での寸刻描写にてワールド・トレード・センターのノースタワーが[ビル連続爆破計画]のターゲットになっていると受け取れる描写がなされもしている一方で「1996年初出の」小説版では高度として現実世界に存在しないような[191階建て]の超高層ビル(911の入れ替えナンバーの三桁階数のビル)が時限爆破対象として描かれもしているといったことがある― とのことを事細やかに出典挙げながら解説してきたとの『ファイト・クラブ』という作品について、同作『ファイト・クラブ』が、
[いかに[フリーメーソン的なる映画]なのか]
そして、
[同作で描かれるファイト・クラブそれ自体およびファイト・クラブのテロ挙動にて現出するシンボリズムがフリーメーソン・シンボリズムといかに濃厚に接合するようになっているのか、および、その延長線上として何が述べられるのか]
とのことについての指し示しを ―I.からV.と振っての流れで― なすとの段に入った。
以上、振り返りもしたうえで本頁固有の内容に入る。
フリーメーソンと映画『ファイト・クラブ』の結節関係についての解説を続ける。
先のI.の部(映画『ファイト・クラブ』にあって[クラブのうちと外とを厳密に分け、かつ、選り抜きのインナーサークルをファイト・クラブ内で養成しだしたと描かれるファイト・クラブ首魁]の名前となっている[タイラー]という名が[フリーメーソン・ロッジの外と内とを分けるフリーメーソンリー特定職掌]と共通のものであるとのことに着目しての部)および直近のII.の部([a1からe1]および[a2からe2]とそれぞれ分けもしてのファイト・クラブとフリーメーソンの類似関係を問題視しての部)に加えて、である。「極めて大きなところとして、」以下、解説していくようなことがある。
まずもって述べるが、映画『ファイト・クラブ』ではわざわざ
[ワールド・トレード・センターのツインタワーの間に付設されていた黄金色のスフィア]
のイミテーションを用意して、それを爆破対象としているとのさまが描かれる(細かくも問題視されるシーンについての紹介を先の出典(Source)紹介の部102(4)でなしているとおりである)。
その点、ワールド・トレード・センター、そのツインタワーの間に置かれていたスフィアを用意した建築家はバイエルン出身の建築家、フリッツ・ケーニッヒという人間となりもし、そこに見るケーニッヒというのは[王]を意味するドイツ語名詞である(出典として:事実関係が明確な基本的なこととしてすぐに確認できるので出典はウィキペディアよりの抜粋に留めておく。まずもって、英文Wikipedia[ The Sphere ]項目には(先にも引用したところの繰り返しとなるところとして) The Sphere is a large metallic sculpture by German sculptor Fritz Koenig, displayed in Battery Park, New York City, that once stood in the middle
of Austin J. Tobin Plaza, the area between the World Trade Center towers
in Manhattan. After being recovered from the rubble of the Twin Towers
after the September 11 attacks in 2001, the artwork faced an uncertain
fate, and it was dismantled into its components. Although it remained structurally
intact, it had been visibly damaged by debris from the airliners that were
crashed into the buildings and from the collapsing skyscrapers themselves.
「スフィアはかつてマンハッタンにてのワールド・トレード・センターのタワーらの間、 Austin J. Tobin Plazaにての中央に据え置かれていた、そして、現行、ニューヨークのバッテリーパークにて展示されているドイツ人彫刻家フリッツ・ケーニッヒの手になる巨大な金属製の彫刻となる」(引用部訳はここまでとする)と記載されているとおりである。そして、そこに見るケーニッヒについては英文Wikipedia[König]項目に König (/ˈkeɪnɪɡ/; German pronunciation: [ˈkøːnɪɡ] or [ˈkøːnɪç]) is the
German word for king.
「ケーニッヒはKing(王)を意味するドイツ語単語である」と記載されているとおり、英語のキング、王に相当する語である ――筆者を含めて大学で第二外国語としてドイツ語を履修した程度の人間ならばそうもしたぐらいのことは普通に知っていることか、と思う(ケーニヒスベルグという地名が有名なところとしてあるが(現在はロシア領[カリーニングラード])、その意味するところは[王の山]となっているといった按配のことはよく知られている)―― )。
また、ケーニッヒ(独逸語における[王])との名の彫刻家が製作した[スフィア]はその名前、そして、その形態ともに
[王権象徴物]([レガリア]と呼ばれる一群の王権象徴物/日本の皇室における権威の象徴、(紛い物の最たるものでも実在や真贋を云々するは忌避されがちな)[三種の神器]のようなもの)
の一つとなっている(:西洋の王権象徴物(レガリア)は[王杓][宝冠][宝珠]との形態をほぼ定型的にとりもし、それら王権象徴物のうち、宝珠、すなわち、[ソブリン・スフィア]が『ファイト・クラブ』にて登場のスフィアと同様の形態をとる)。
まずもって下の図をご覧頂きたい。
図にての上の段では王権象徴物の典型例となるものを羅列した図像よりの抜粋をなしている ―(具体的には王権象徴物の典型例を挙げたデンマークの王権象徴物(レガリア)として英文Wikipedia[ Danish Crown Regalia ]項目にて挙げられているものよりの抜粋をなしている)― わけだが、そこにては宝珠(オーブ)が
[グローバス・クルシガー]
と呼ばれるものとして主要な王権象徴物の一つとして挙げられている(:それにつき、王権象徴物たる宝珠、オーブたるグローバス・クルシガーについては The globus cruciger ( Latin, "cross-bearing orb" ) is an orb
(lat. globus) topped (lat. gerere = to wear) with a cross (lat. crux),
a Christian symbol of authority used throughout the Middle Ages and even
today on coins, iconography and royal regalia.
「ラテン語にて[十字を含んでの球]となるグローバス・クルシガーは十字を上に乗せているとの球体となり、中世を通じ、そして、今日にあってのコインなどにあってさえ、図解法および王権象徴物(レガリア)にあっての権威にまつわるキリスト教象徴となる」と(頻繁に[その程度の媒体]から引用をなすのも何ではあるかとは考えているのだが、ここではそれでは十分であろうと見、抜粋しているとの)英文Wikipedia[ Globus cruciger ]項目にあって「現行は」解説されているところである)。
そうしたグローバス・クロシガーは王の宝珠、すなわち、
[ケーニッヒ(先述のようにドイツ語での王)の宝珠(オーブないしスフィア)]
と申し述べられるものとなる。
対して、現実世界ではワールド・トレード・センターにあって王との意味合いのドイツ語ケーニッヒとの名を有していた彫刻家フリッツ・ケーニッヒのスフィアが飾られていた(と既に解説している)。そのこと、本稿にての出典(Source)紹介の部102(4)の段でも取り上げたことを再訴求するために挙げているのが[直上呈示の図にあっての下の段の部にての図像]である。
続けて、下の図をご覧いただきたい。
同図は
[WTCにてのフリッツ・ケーニッヒのオブジェを巡る位置関係]
および
[(本稿にての先の段にても挙げた)映画ファイト・クラブ登場の Project Mayhemで爆破されることになったとのオブジェの再現図]
および
[直近呈示した王権象徴物たる Globus cruciger]
の関係を端的に示すためのものである。
図をもってして一目瞭然か、とは思われるが、映画『ファイト・クラブ』にて登場する露骨なイミテーション・オブジェ ―(先述のように「「球形にして」「金色の」「噴水の中に据え置かれた」金属製オブジェ」との字面でだけ表しての特色の共通性のみならず視覚的ありようもツインタワー敷設のスフィアと際立っての一致性を呈している(出典(Source)紹介の部102(4))とのイミテーション・オブジェ)― が、と同時に、実体として王権象徴物のイミテーション「とも」なっていること、ご理解いただけるか、とは思う。
以上、表記のように映画『ファイト・クラブ』にて爆破の上、転がされているとの[宝珠状のもの](ワールド・トレード・センターはツインタワーにあって噴水の中に据え置かれているとの式で敷設されていた彫刻家フリッツ・ケーニッヒの手になるザ・スフィアの露骨なイミテーション)は上にて言及のように[キリストの象徴物(十字架)と紐付けられることもある王権の権威の象徴物]ともなっているわけだが、さて、本稿前半部にあっては
「『ファイト・クラブ』という映画にそちらイミテーションが登場しているとの[ザ・スフィア]というオブジェがワールド・トレード・センターにかつて置かれていた。そちらオブジェ、ザ・スフィアは[黄金の林檎の象徴物]としての側面を「歴史的な黄金の林檎の描かれようの問題から」帯びているようなものでもある。そこから「も」ニューヨークが黄金の林檎によって象徴されているとのことが判断できるようになっている」
との指摘を
[911の事件の露骨なる予言をなしているとの文物 ―現実の911の事件が【マンハッタンのビルとペンタゴンが同時多発的に攻撃された事件にしてその後にあって米軍から炭疽菌が漏出されての付随テロが発生した事件】であったところを【「マンハッタンのビルが爆破され、ペンタゴンが爆破されるとの筋立てを有し」かつ「米軍から漏出した炭疽菌による災害を描き」かつ「ニューヨークとペンタゴンの象徴を作中、並列させるかたちで頻繁に用いており」かつ「他の911予見事象と接合している」と『ジ・イルミナタス・トリロジー』という文物】― ]
との兼ね合いで ―映画『ファイト・クラブ』については後の段にて解説をなすとしたうえでのことながらも― 本稿の先だっての段でなしていた(同じくものことは紙幅にしてかなり遡りもしての段、本稿の出典(Source)紹介の部37-5に続いての段にて指摘していたこととなる)。
同じくもの先だっての段にての指摘、すなわち、
「映画『ファイト・クラブ』に登場する[スフィアというオブジェ(のイミテーション)]は[黄金の林檎]と(歴史的描かれようの問題から)一致性を呈するものである」
との指摘について ―長くもなるところながら― 振り返りもしての表記をここ本段にてなしておくこととする。
というのも、
「(ワールド・トレード・センターにて敷設されていた、そして、かつもってして、映画『ファイト・クラブ』にその露骨なイミテーションが登場していたとのオブジェ、フリッツ・ケーニッヒの手になるザ・スフィアがそれに類するものとなっていると指摘するところの)【黄金の林檎】がその第11番目の功業の目標物となっているとの【ヘラクレスの功業】と【911の事件】の間には多重的なる結びつきが摘示できるようになっている」
とのことが[本稿にあっての指し示しの重要なるところ]であると重ね重ね指摘してきただけのことがあるからである(:そうもしたこと、[本稿にあっての指し示しの重要なるところ]が一体全体、いかようなることなのかは「本稿の全体的検討から判断いただきたい」とここでは申し述べるに留め、とにかくも、重要なる話であるために表記のこと、[映画『ファイト・クラブ』に登場する[スフィアというオブジェ(のイミテーション)]は[黄金の林檎]と(歴史的描かれようの問題から)一致性を呈するものである]とのことについての繰り返し表記を以下、なしておくこととする)。
以上申し述べたうえで本稿の前半部にてなしていた話を振り返りもしての部に直下、入ることとする。
以下、「長くもなるも、」の振り返り表記部とする
「(まずもってしてそこから取り上げるが)ビッグ・アップルことニューヨークには【エリス島】という島が包摂されている。その場、【エリス島】を介して(結果的に)[不和]をもたらすことになってしまった多くの移民がアメリカに流れ込んだとの歴史的背景がある ――(和文ウィキペディア[エリス島]項目にての冒頭部概説部にての「現行」記載内容を引用すれば(以下、引用なすところとして)エリス島( Ellis Island )は、アメリカ合衆国、ニューヨーク湾内にある島。アメリカの文化遺産である。19世紀後半から60年あまりのあいだ、ヨーロッパからの移民は必ずこの島からアメリカへ入国した。移民たちによって『希望の島』( Island of Hope )または『嘆きの島』( Island of Tears )と呼ばれてきた。約1200万人から1700万人にのぼる移民がエリス島を通過し、アメリカ人の5人に2人が、エリス島を通ってきた移民を祖先にもつと言われている
(引用部はここまでとする)と表記されているような歴史的背景がある―― 。
そうした【エリス島】という名称は(エリス島を介してアメリカに流れ込んだ移民たちのように)[人種の坩堝]での不和・不調和を体現するが如く女神エリス、[黄金の林檎の投げ手]として神話に登場するとの女神エリスのことを名称として「想起」させる名前の島であるとも述べられる ――エリス神についてとりあえずも英文Wikipedia[ Apple of Discord ]項目にての現行記載内容より引けば、 An apple of discord is a reference to the Golden Apple of Discord (Greek:
μῆλον τῆς Ἔριδος ) on which, according to Greek mythology, the goddess
Eris (Gr. Ἔρις, "Strife") inscribed "to the fairest"
and tossed in the midst of the feast of the gods at the wedding of Peleus
and Thetis,
(訳として)「不和の林檎は[不和の黄金の林檎](希臘語表記: μῆλον τῆς Ἔριδος)として言及なされるものとなり、ギリシャ神話にあっては女神エリス(希臘語表記にしてἜρις、その意は[争乱・不和])が「最も美しき者に.」と書き入れてペレスとテティスの婚礼にあって馳せ参じていた神々の祝宴の舞台に投げ込んだとのものである」と記載されているようにエリス神は[黄金の林檎の投げ手]として神話に登場する女神である―― (:尚、【エリス島】の名称は額面上はその島の権利者であったというサミュエル・エリス( Samuel Ellis )氏から命名された、女神エリスEris(ギリシャ語綴りではἜρις)とは英文綴りが微妙に異なる向きから命名されたとされており、そうもした表向きの命名理由に女神エリスとの関係性を見出すことにはできない)」
「(以上のこと、【エリス島】との名称から【女神エリス】の名が想起されるとのことについて【「想起される」との印象論】で話が済まぬとのことに通ずる点として) 【エリス島】に対するフェリーが出ているニューヨークの一区画、バッテリーパークに[ツインタワーの間に置かれていたスフィアという黄金の球形オブジェの修復物]が(額面上は911の被害者を悼むとの名目にて)[記念碑]として安置されているとのことが「ある」 ――(英文Wikipedia[ The Sphere ]項目にて The Sphere is a large metallic sculpture by German sculptor Fritz Koenig,
displayed in Battery Park, New York City, that once stood in the middle
of Austin J. Tobin Plaza, the area between the World Trade Center towers
in Manhattan.
(訳として)「スフィアはかつてマンハッタンにてのワールド・トレード・センターのタワーらの間、 Austin J. Tobin Plaza (訳注:ニューヨーク・ニュージャージー港湾会社の重役 Austin Joseph Tobinの名より付けられたワールド・トレード・センターにてのツインタワーの間に存在していた一区画で2001年の事件で破壊された) の中央に立っていた、そして、現行、ニューヨークのバッテリーパークにて展示されているとのドイツ人彫刻家フリッツ・ケーニッヒの手になる巨大な金属製の彫刻となる」と記載されているとおりである)―― 。 その[スフィア]というオブジェ、ありし日にツインタワーに設置されていたオブジェが(女神エリスが騒乱の具としたとギリシャ神話に伝わる)[黄金の林檎]の体現物に露骨に仮託されていると判じられるだけの事由がある。ひとつにそれは[黄金の林檎の歴史的描かれよう]および[関連するところのニューヨークの地理的アイコン]より判断できるとのこととなる ――【[黄金の林檎]と[(エリス島からのフェリーが巡航している)バッテリーパークに据え置かれるに至っているザ・スフィア]の視覚的接続性】や【その他の意でのニューヨークと黄金の林檎の接続性】については続いての図解部を参照のこと―― 」
(直近言及のこと、黄金の林檎とバッテリーパーク安置のオブジェたるスフィアが[ニューヨークの「諸所」象徴的アイコンの問題]にも通ずる式で接合していることに関しての委細に踏み込んでの図解部として)
上の図は
[[ワールド・トレード・センターで焼かれた特定オブジェ]が[エリス島](および[エリス島に近接してのリバティ・アイランドに設置の自由の女神像])と[バッテリーパーク]を通じて縁深いものとなっていることを示さんとすべくも作成した図]
である(:図の作成の材としては英文ウィキペディアにてのマンハッタン関連項目掲載の図像ら ―19世紀のマンハッタン鳥瞰図および同19世紀の自由の女神像ありようを描いての新聞紙掲載図、そして、17世紀のオランダ植民地時代のマンハッタン界隈地図らを含めての図ら― を用いている)。
上掲図にても矢印にて示しているところだが、エリス島 Ellis Island(および同島に近接しての自由の女神設置のリバティ・アイランド Liberty Island)に向けて[バッテリーパーク]、先にワールド・トレード・センターで焼かれたスフィアというオブジェの残骸が展示されているとのバッテリーパークから始発を見てのフェリーが出ているとのことがある(:見解の相違など生じえない[事実]であり、かつ、世間で広くも認知されているようなところであるのでその程度の媒体よりの引用に留めるが、和文ウィキペディア[バッテリーパーク]項目にてバッテリー・パーク( 英語: Battery Park )は、ニューヨーク港に面するニューヨーク市、マンハッタン島南端のバッテリーに位置する25エーカー(10ヘクタール)の公共公園である。バッテリーは、砲台の名称であり、都市が建設されて数年後に、これからの町を守るため、設置された。・・・(中略)・・・海岸からは、自由の女神像とエリス島へ向かうクルーズ・フェリーが出港している。公園にはさらに、第二次世界大戦中に西大西洋の沿岸で死亡したアメリカ海軍兵を追悼するイースト・コースト・メモリアルなど、いくつかの記念碑がある
(引用部はここまでとする)とあるとおりである)。
繰り返すが、そのバッテリー・パーク(上掲図では英文Wikipedia[ History of New York City ]項目および同[Manhattan]項目にそれぞれ掲載されている図葉でもってして、そもそものニューヨークの植民都市化の草創期および19世紀初頭のそのありようを提示しているとのところのニューヨーク「南端」の一区画)、要するに、
[エリス島と自由の女神像(の据え置かれたリバティ島)とそれぞれにフェリー航路にて結線させられている場]
にてワールド・トレード・センターのツインタワーの間に配置された黄金色のスフィアが焼かれた後、修復を見、安置されるに至ったとの背景がある ――先に英文Wikipeida[ The Sphere ]項目より The Sphere is a large metallic sculpture by German sculptor Fritz Koenig,
displayed in Battery Park, New York City, that once stood in the middle
of Austin J. Tobin Plaza, the area between the World Trade Center towers
in Manhattan. ]
(訳として)「スフィアはかつてマンハッタンにてのワールド・トレード・センターのタワーらの間、 Austin J. Tobin Plazaの中央に立っていた、そして、現行、ニューヨークのバッテリーパークにて展示されているとのドイツ人彫刻家フリッツ・ケーニッヒの手になる巨大な金属製の彫刻となる」との文言を引いたとおりである―― 。
「問題なのは、」そのようにバッテリー・パーク([エリス島]に向けてのフェリーが巡航しているとのニューヨークはマンハッタン島南端に位置するバッテリー・パーク)に安置されるに至った金色のザ・スフィアが[黄金の林檎]と[同文のもの]と定置できるようになっているとのことである。
どういうことか。
については続いて図を付しながらも指摘するような関係性が成立しているとのことがあるからそうも述べるのである。
図の最上段では【エリス島外観】および【(エリス島が結果的にそうなったところとして[不和の象徴]とも通ずる上での)エリス島を介して大量の移民が米国に流れていくありさま】を写し撮った写真を挙げている。
そちら最上段のすぐ下の段(中段)の図は遺物 ―古代ギリシャ・アッティカの遺物として英文Wikipedia[Eris]項目に掲載されている遺物― にみとめられる不和の女神エリス ―[黄金の林檎の投下による不和の誘発]との役割を帯びた女神― の似姿およびエリス神によって投下された黄金の林檎(美の神の象徴としての字句が綴られていた林檎)を巡っての女神らの間で執り行われることになった美人コンテストの一幕を描いた絵画となる。
さらに下っての段(下段)にて呈示の図らはルネッサンス期の巨匠ルーカス・クラナッハ・エルダーの16世紀絵画、
[ Judgement of Parisとの画題の絵画(女神エリスの林檎を巡る美人投票にトロイアの皇子としての出自を持つパリスが招聘された一幕を描いての1512年から1514年にかけて作成の画/無論、英文Wikipediaなどから簡単に捕捉できるとの絵画)]
となる。
そして、同じくも下段にて呈示しているのは
[映画『ファイト・クラブ』に登場するオブジェ・スフィア(ツインタワー合間に置かれていたオブジェ)の露骨なるイミテーションを再現しての図]
となる。
以上、各段に分けて呈示の図らからお分かりいただけようことか、とは思うが、映画『ファイト・クラブ』にて登場のスフィア・イミテーションはルネサンス期の特定絵画にて[黄金の林檎](女神エリスと紐付く伝承上の果実)として描かれていたものとそっくりの外観を呈しているとのことがある。
上の図解部に見るように
[ルネサンス期の巨匠ルーカス・クラナッハ・エルダーの手になる絵画 ―三人の女神が[最高の美神の証]たる黄金の林檎を巡っての美人コンテストにトロイア皇子パリスが審判役として参画させられたとの筋立てからなるパリスの審判、ジャッジメント・オブ・パリス(パリスの審判)をモチーフとした絵画― に見る黄金の林檎]
が映画『ファイト・クラブ』に登場した金色の球形オブジェがワールド・トレード・センターの合間に据え置かれたザ・スフィアというオブジェの露骨なる摸造物(映画に登場のイミテーション)と視覚的そっくりさんとなっている(のが問題になる)。
そして、(繰り返すも)、現実世界ではツインタワーの間で焼かれたオブジェたるスフィアがバッテリーパークに後に安置されることになったとのことがある。そのバッテリーパーク(先掲の絵画に見るように黄金の林檎の歴史的描画形態と通ずるオブジェが据え置かれている一区画)よりエリス島 ―黄金の林檎を投げた女神エリスの名を想起させる島― に向けてのフェリーが出ているのであるから、「まずもってそこからして」黄金の林檎と女神エリス(黄金の林檎を争乱の具とした不和の女神)とニューヨーク(ビッグ・アップル)の関係性が観念されることになる。
話はそれにとどまらない。
バッテリー・パークからエリス・アイランドと同様にそこに向けての船が出ているとの一区画たるリヴァティ島、そこに存在する[自由の女神]像は
[黄金色を呈しての松明を掲げている存在]
となっているとのことも着目に値することとなる ――たとえば和文Wikipedia[自由の女神像 (ニューヨーク)]項目にあって(現行記載を引用するところとして)右手には純金で形作られた炎を擁するたいまつを空高く掲げ、左手にはアメリカ合衆国の独立記念日である「1776年7月4日」とフランス革命勃発(バスティーユ襲撃)の日である「1789年7月14日」と、ローマ数字で刻印された銘板を持っている
(引用部はここまでとする)と記載されているところである―― 。
そして、同・自由の女神像とは
[足下に鎖が描かれているとの彫像]
でもある ――英文Wikipedia[ Statue of Liberty ]項目にあっての冒頭部にて The statue is of a robed female figure representing Libertas, the Roman
goddess of freedom, who bears a torch and a tabula ansata ( a tablet evoking
the law ) upon which is inscribed the date of the American Declaration
of Independence, July 4, 1776. A broken chain lies at her feet.
と記載されているとおりである―― 。
そうもした[黄金色を呈しての松明を掲げている存在]であり、また、[足下に鎖が描かれているとの彫像]でもあるとの【自由の女神像】と同様に[黄金の炎]を掲げているとの存在がニューヨークはマンハッタン島に見てとれ、それは、(唐突とはなるが)、
[ニューヨークのロックフェラーセンターに据え置かれているプロメテウス像]
となる ――ニューヨークのロックフェラーセンターに置かれているプロメテウス像、米国人彫刻家 Paul Manship(ポール・マンシップ)の手になる作品がいわば[黄金の松明]を掲げるが如く存在であるとのことについては例えば、英文Wikipedia[Prometheus (Manship)]項目に「現行」掲載されている同彫像の似姿を見れば、理解できることであろう(全身、金色を呈するとのブロンズ像が全容と同様に金色の炎を手に持っている似姿を見れば、理解できることであろう)―― 。
そして、神話が語るプロメテウスというのは
[足下に引きちぎられた鎖が配されている自由の女神像よろしく「鎖で繋がれるが如く状況より解放された」存在]
である ――目立つところでは英文Wikipeida[Prometheus]項目にても Prometheus, in eternal punishment, is chained to a rock in the Caucasus, Kazbek Mountain, where his liver is eaten daily by an eagle,
「プロメテウスは永遠の責め苦としてコーカサスの岩に鎖で縛り付けられ、そこにて日々、自身の肝臓を鷲に啄(ついば)まれている」との通りの伝承が伝存している―― 。
以上指摘したうえで申し述べるが、神話が語るプロメテウスをかたどりもしている[ニューヨーク据え置きの(直近言及の)黄金の火を掲げる彫像]自体には鎖は描かれて「いない」のであるが、プロメテウス像が飾られているのと同じ場、ニューヨークにてのロックフェラーセンターに神話上、プロメテウスの兄弟との設定の
[アトラスATLAS]像
が ―彫刻家 Lee Lawrie(リー・ロウリー)の手になる作品として― 飾られていることが問題となると申し述べたい(:英文Wikipedia[ Rockefeller Center ]項目にての[ Center art ]の節の「現行の」記載内容より引用なせば、 Sculptor Lee Lawrie contributed the largest number of individual pieces
-twelve- including the statue of Atlas facing Fifth Avenue and the conspicuous friezes above the main entrance
to the RCA Building. Paul Manship's highly recognizable bronze gilded statue of the Greek legend of the Titan Prometheus recumbent,
bringing fire to mankind, features prominently in the sunken plaza at the front of 30 Rockefeller
Plaza.
(訳として)「彫刻家リー・ローリーは五番街に面したアトラス像およびレイディオ・コーポーレーション・オブ・アメリカ・ビル(別名GEビルディング)正面通用口上部のフリーズ(装飾付壁面)作品を含む12の個人的作品を ―同センターにての芸術作品として最も多いところとして― ロックフェラー・センターにもたらした。 ポール・マンシップによる極めて目立つ黄銅にて箔付けされ、人類に与えるべくもの火をもっているとの横たわるタイタン・プロメテウスのギリシャ神話に依拠しての像はロックフェラー広場30号(GEビルディング)正面の落ちこんだ一画にて際立っての色合いを付している」(訳を付しての引用部はここまでとしておく)とあるとおりである)。
そのアトラス像の[アトラス]とは ―同じくものことは後の段にて伝承上の典拠を細かくも挙げることになるが― 、
[ヘラクレスの11番目の冒険にて黄金の林檎 ―いいだろうか.ここにて問題視している[黄金の林檎]である― の所在を知る者として登場してくるプロメテウスの兄弟にあたる巨人]
にして、かつもって、
[[プロメテウス]本人がヘラクレス第11功業にてヘラクレスに言い含め、「彼に会うように、」との進言をなしたところの巨人]
として神話が語り継ぐ存在でもある(:同点については本稿にての他所、出典(Source)紹介の部39でギリシャ神話エピソードとしての出典紹介をなしている)。
といった、たかだか皮相的な側面、順序を多少たがえてまとめての表記をなせば、
[ニューヨークこと[ビッグ・アップル](巨大なる林檎)の守護神とでもいった位置付けの【自由の女神像】(リヴァティー島安置の女神像)は[足下にちぎられた鎖]が配せられての存在にして、なおかつ、[黄金の松明]を掲げる存在となっている]
⇒
[ニューヨークのランドマークとなっているロックフェラーセンターに据え置かれているプロメテウス像は[黄金の炎]を掲げる存在であるが、そちらプロメテウスはギリシャ神話にて[ヘラクレスより鎖から解放された存在]と伝わっており(従って【プロメテウス】と【自由の女神像】が[マンハッタンのアイコン][黄金の火を掲げる存在][鎖より解放された存在]との式で結びつくようになっている)、なおかつ、同プロメテウスはヘラクレスに巨人アトラスから[黄金の林檎]の在り処を訊くようにと進言した存在ともなっている(そして、【ニューヨークのランドマークたるプロメテウス像】と同様に【プロメテウスが彼に会うようにとヘラクレスに勧めた存在、黄金の林檎の在り処を知る存在である巨人アトラス(プロメテウスの兄弟にあたる巨人)の彫像】もがロックフェラー・センターには据え置かれている)]
⇒
[[黄金の林檎]を投げた不和の女神の名は[エリス]となるのだが、その女神エリスと綴りはともかくも発音が同じであるとの著名な島が存在しており、そちらが大量の移民が米国に流入するうえでの拠点にして関門となっていたとのビッグ・アップルことニューヨークのエリス・アイランド(常識上の話ではその島のかつてのオーナーがサミュエル・エリスなる人物であったからそのような名前になっているとの島)となる。 その[エリス島]に向けての定期便が[自由の女神像の据え置かれた一画]に向けての定期便と同様に運航を見ているとの場がニューヨークの南端バッテリー・パークとなり、そちら([エリス島]と[自由の女神の島]を結びつける場たる)バッテリー公園にてワールド・トレード・センターにあって911の事件で焼かれたありし日の黄金色のオブジェ、[ザ・スフィア]が安置されるようになったとのことがある。そして、映画『ファイト・クラブ』にもそのスフィアの露骨なるイミテーションが登場を見ており、こともあろうにそちらスフィア(イミテーション)との目立っての構造的近似物がルネサンス期特定絵画で[黄金の林檎]に仮託されているとのことがある]
との事由から見て「も」ビッグ・アップルことニューヨークが[黄金の林檎]と結びつけられているとの物言いがなせるように「なっている」 ――※【バッテリー・パークよりの(女神エリスと同文の響きの)エリス島へのフェリーの巡航】/【バッテリー・パークにおける黄金の林檎の歴史的具現化形態に通ずるオブジェ(ザ・スフィア)の据え置き】/【バッテリー・パークよりの自由の女神像(直上既述のようにマンハッタン・アイコンとしてプロメテウスに結びつく存在)が屹立するリバティ島へのフェリーの巡航】との各観点から[ニューヨークと[女神エリスの手管にしてヘラクレス第11功業の目標物である黄金の林檎]との結びつき]が観念されることになる、ということである。そして、判断事由はここに述べたことに留まらず「他にも」複数ある。そのように述べたうえで書くが、ここで引き合いに出しているとの極々一面的な判断事由らからしてこの世界では「どういうわけなのか」誰も指摘しようとしないとのこととなる(そこからして気付いている向きがいるかどうかは分からないが、この世界の限界領域にまつわることに関しては根拠なき稚拙な憶説・妄説を平然と鼓吹する人間(いわばもの屑か糸繰り人形であろう)が数多いる一方できちんとした論拠を伴っていることらでもそれが[ある程度の複雑性]を帯びだすと、たとえば、判断のためのプロセスが階層的になるとそのことを指摘しようとする人間が途端に[いなくなる]とのことがある)。 同じくものことに気付いている人間はニューヨーカーにして、なおかつ、神話関連知識豊富な向きであるとの人間ならば、普通ならば部分的にいそうであるようにとれるのに、(再強調して)、「どういうわけなのか」誰もそのような指摘を具象論としてなそうとしないとのこととなっている(:性質の悪い日付け偽装の紛い物ら、[馬鹿話]を広めんとするが如くの媒体なぞが相応の程度・水準の人間らによるところの手仕事、誰がみようと[どぎつさ]につき察しがつくとの愚昧さが際立った劣化物としてこれより登場する可能性もあることか、と懸念するところであるが(幾点かそういう媒体が[頭の中身が「できあがった」手合い]によって捏造画像などを伴いつつもの紛いものの陰謀論サイトが英語圏にて流布されている、手繰られてであろう、検索エンジンなどにて目立って映りやすきところとして流布されだしているとのこと「も」本稿筆者は捕捉している)、現況情報流通動態を見る限りは「どういうわけなのか」誰も同じくものことまでの呈示の挙を(筆者を除き)見せていない)―― 。
(図解部終端)
以上のような論拠らだけではなく、[他の数多の論拠]があるため(たとえば、(筆者が自媒体の他所でも指摘しているところとして)ニューヨークことビッグ・アップルと[黄金の比喩]および[揺れる双子の比喩]とを同時にサブリミナル的に結びつける1980年代初出の某映画作品なども存在しているといったことがこの世界には見てとれ、また、本稿の後の段で呈示するところとして[911の事件と黄金の林檎の関係性にまつわっての先覚的言及物「ら」]が幾点も存在しているといったことがある)、筆者としては「当然に」ニューヨークは黄金の林檎と結びつけられると指摘する次第である。
以上、振り返り表記の部とする
(最前の「長くもなっての」振り返っての部の内容をも顧慮して述べるところとして)
さて、『ファイト・クラブ』という映画作品は実在のオブジェ[ザ・スフィア](ニューヨークのツインタワーの合間に置かれていたオブジェ)に対するものとしてわざわざその精巧なイミテーションを構築して、それを爆破、次いで、転がすとの描写を劇中にて込めることで
[王という意味の姓を持つ彫刻家(フリッツ・「ケーニッヒ」)が製作した王権象徴物[宝珠]と結びつくオブジェ(ザ・スフィア)を爆破、次いで、転がすこと]
[黄金の林檎にも仮託されてきた宝珠を爆破、次いで、転がすこと(尚、本稿にての出典(Source)紹介の部39でも伝承上の典拠を細かくも挙げているところとして[黄金の林檎が女神エリスによって転がされる]ことでトロイア内破に至ったトロイア戦争の勃発を見たとの伝承が伝存しているとのことがある)]
を示していたが如く映画であるともとらえられるようになっているわけだが、フリーメーソンには
[王権象徴物や教皇権の象徴物(近代以前の旧制秩序の象徴物)としての冠(かんむり)を潰す儀式]
が沿革上、存在しているとされることが ―海外では教皇・王権象徴物に対するフリーメーソンへの態度をよくも示すものとして比較的知られているところとして― 「ある」とされる。
以下、そのことの典拠を挙げる。
ここ出典(Source)紹介の部104にあっては
[フリーメーソンにあっては【王権象徴物や教皇権の象徴物(近代以前の旧制秩序の象徴物)としての冠(かんむり)を潰す儀式】が執り行なわれている(とされる)]
とのことの典拠を挙げることとする。
まずもって[その程度の媒体]よりの引用から手始めになすとして、現行、和文Wikipedia[フリーメーソン]項目にての[階級]の節には(以下、引用するところとして)たとえば、ある階級の儀式には、バチカンの教皇の帽子やヨーロッパの王様の王冠を模した帽子を踏みつぶすというものがあり、教皇権や王権との対立の歴史を物語っている
(引用部はここまでとする)と記載されているとのことがある(日本語版ウィキペディアの出典は宝島という相応の体裁の雑誌媒体の企画特集に依拠してのものであるので、無論、それだけでは典拠としての用をなさないか、とも思う)。
対して、英文Wikipedia[ Knight Kadosh ](カドシュの騎士)項目にては同じくものことにつき[藪の中]といった書きようで次のような記載がなされている。以下のようなかたちにて、である。
(直下、英文Wikipedia[ Knight Kadosh ](カドシュの騎士)項目よりの引用をなすとして)
The Knight Kadosh is a Freemasonic degree or ceremony of initiation performed by certain branches of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemason. [ . . . ] The Knight Kadosh degree is occasionally accused of being anti-Catholic. The 1918 edition of the Catholic Encyclopedia stated that, in the ceremony in use in the Southern Jurisdiction of the Ancient and Accepted Scottish Rite in the United States, purported to have been written by Albert Pike, the Papal tiara is trampled during the initiation. This allegation does not appear in any subsequent editions of the Catholic Encyclopedia,although it was repeated by Father William Saunders in the Arlington Catholic Herald in 1996. Neither the Catholic Encyclopedia's nor Father Saunders' account agrees with Pike's earliest version of the ritual, which includes neither trampling or stabbing a skull and no mention of papal tiaras at all. However, this earliest Pike revision of the Scottish Rite degree rituals, publicly available as "The Magnum Opus or Great Work," was not adopted by the Rite's Supreme Council for the Southern Jurisdiction of the United States and thus was never practiced in that jurisdiction or any other Scottish Rite jurisdiction recognized by it. Whether these elements are included in the current official version of the ritual or in earlier official versions is not disclosed to non-members.
(訳として)
「[カドシュの騎士](訳注:フリーメーソンの30階級のことを指す)への儀礼は[古代の、そして、認証されたスコティッシュ位階]の特定支部らによって実施されているものである。
・・・(中略)・・・
カドシュの騎士位階の儀礼はしばしば「反カトリック的」であると批判されている。1918年の版のカトリック・エンサイクロペディアでは米国にての[古代の認証されたスコティッシュ位階]の南部管轄にての儀礼使用にて、アルバート・パイク(訳注:有名な十九世紀の大物フリーメーソンのことを指す.アルバート・パイクについては本稿の先の段でもその著書での申しようを引いている)によって書かれ意味されているところとして、
[教皇の三重冠(ティアラ)が儀礼]
の際に踏みつぶされるとの言明がなされている。
その申しようは1996年にてのアーリントン・カトリック・ヘラルドにてのウィリアム・ソンダース神父によって繰り返されているところとなっているが、これは続いての版のカトリック・エンサイクロペディアにてのどの版にてにも見られることがなかったとの断言ありようである。
カトリック・エンサイクロペディアおよびソンダース神父の説明は[頭蓋を踏みつけること、突き刺すことに言及していることもなく、また、教皇の三重冠に対する言及をなんらなしていない]とのアルバート・パイクの最も初期の儀式にまつわる版とも一致するものではない(訳注:確かにアルバート・パイクの著作それ自体には王権王冠・教皇宝冠に対する抗意の意は見てとれてもそれを踏みつぶすとの明示的言及はないように受け取れる.だが、ここにて引用なしているような現行の英文ウィキペディア記載には[文献的事実]の問題を無視しての欺瞞性が感じさせられるところが他にある.すなわち、[アルバート・パイク構築儀礼は ―これよりその内容を問題視するところとして― 教皇や王権の冠らの踏みつぶしを含む]ようにも解される19世紀後半から20世紀初頭にあってのメーソンら証言が古書記述(続いてそこよりの引用をなすとの古書)として残置を見ているとのことがあるからである)。
さらにもって、しかしながらも、のこととして、この最も初期のパイクのスコティッシュ位階の儀礼らにまつわる修正版は ―公にて[マグナム・オプス]ないし(その英語表記である)[偉大な仕事]としてアクセス可能となっているところのものだが― 合衆国南部にての儀礼最高評議会にて採用されているものではなく、また、そこにて認証されている他のいかなるスコッチ位階の管轄にても認証されているものでは「なかった」。そうした要素が現在の儀式の公式手順やそれより遡っての公式手順に含まれていようといなかろうと、それらはメーソン外のメンバーに開示されるようなものでもない」
(訳を付しての引用部はここまでとする)
以上のように
「フリーメーソンが教皇の冠を潰すというのは藪の中(真偽不明)のこと」
といったこと (また、それと同時に、1918年のカトリック・エンサイクロペディア内の言及に留まることにすぎないとの心証を惹起するようなこと) が英文Wikipediaなぞには書かれているわけだが、オカルト運動を推進したことでよく知られるFreemasonのアーサー・エドワード・ウェイト( Arthur Edward Waite )の手になるところとして1911年に世に出た書籍である、
The Secret Tradition in Freemasonry(二巻構成)
との著作やフリーメーソン・インサイダーとしてのメーソン著作著述家として知られるアルバート・マッキー( Albert Mackey )によって19世紀後半に初版刊行されている、
Encyclopedia of Freemasonry
といった著作ら、書籍公開ページ経由などでオンライン上より英文Google検索なして確認できるところの著作らにあってはこれより抜粋するとおりの王冠や教皇冠踏みつけにまつわる申しようが[そういうことがある]との式でなされてもおり、アルバート・パイク申しよう ―王冠や教皇冠を破壊して然るべき対象としての観念を表しているパイク著書 Moral and Dogma内の申しよう( Thus the Order of Knights of the Temple was at its very origin devoted
to the cause of opposition to the tiara of Rome and the crowns of Kings,
and the Apostolate of Kabalistic Gnosticism was vested in its chiefs.
「このようにテンプル騎士団位階はその本質的な起源として教皇の宝冠、そして、王らの王冠に対する反抗の因に帰せられるとのものであり、そして、カバラにおけるグノーシス主義的なる使徒の持続的興味が中心にあるのである」といった申しよう)― に対応しもするとのかたちで
[正当ではない言い分であるが、王冠・宝冠を踏みつぶすが如く思潮・儀式動向がフリーメーソンにはある]
とのことが推し量れるようになっている。
疑わしきは以下、引用部を参照されたい。
(直下、学究系フリーメーソンでありもしたアルバート・マッキーの Encyclopedia of Freemasonry(1873-1878年に原版が世に出ている文書)の流通版 ― Encyclopedia Of Freemasonry ( Extended Annotated Edition )との題でオンライン書店などで販売されている版にして同じくもオンライン上よりそちら記述が確認できるようになっている版― よりの引用をなすとして)
The Kadosh (thirtieth degree), trampling on the papal tiara and the royal crown, is destined to wreak a just vengeance on these "high criminals" for the murder of Molay [128] and "as the apostle of truth and the rights of man" [129] to deliver mankind "from the bondage of Despotism and the thraldom of spiritual Tyranny".[130]"In most rituals of this degree everything breathes vengeance" against religious and political "Despotism".[131] Thus Masonic symbols are said to be "radiant of ideas,which should penetrate the soul of every Mason and by clearly reflected in his character and conduct,till he become a pillar of strength to the fraternity".[132] "There is no iota of Masonic Ritual",adds the "Voice" of Chicago,"which is void of significance".[133] These interpretations,it is true,are not officially adopted in Anglo-American craft rituals; but they appear in fully authorized,though not the only ones authorized even by its system and by the first two articles of the "Old Charge"(1723),which contains the fundamental law of Freemasonry. As to the unsectarian character of Masonry and its symbolism, Pike justly remarks "Masonry propagates no creed,except its own most simple and sublime one taught by Nature and Reason.There has never been a false Religion on the world. The permanent on universal revelation is written in visible Nature and explained by the Reason and is completed by the wise analogies of faith.There is but one true religion,one dogma,one legitimate belief"
(補いつつも訳すところとして)
「カドシュ(第30位階)、
[教皇の冠と王室王冠を踏みつける]
との(語られるところの)同位階やりようはモレー(訳注:一説にはフリーメーソンの始祖との説がメーソン関係者によって重んじられているテンプル騎士団の総長ジャック・ド・モレーのこと/同ド・モレーは教皇とも気脈を通じていたフランス王フィリップ4世の謀略によって焚刑に処せられたとの背景がある)の殺害に対する正当なる復讐を[高い身分の罪人ら]に加えようとのものであり、そして、[真実および人間の権利の使徒]として人間を専制の頸木および精神の奴隷制から解放するためになされるとのものである。
この位階の大部分の儀式は宗教的および政治的専制に対しての復讐を吐露しているとのものとなる。
このようにメーソンのシンボルは全メーソンの魂を貫くべきアイディアの光放つ放射物となると言われるものであり、そして、明らかに彼が友愛団の[剛毅の柱](訳注:ピラー・オブ・ストレングス.メーソンのシンボリズムの一をなすもの)となるまで全メーソンの個性・行いを反映してのものとなるとされるものである。
メーソンの儀式にあっての微々たるところでも[シカゴの託宣]に重要性にて欠けるとのところを加えるものではない。 これらの解釈は真実のところ言って、アングロ・アメリカン系の儀礼にて正式に採用されているもの「ではない」。
しかし、システムおよびフリーメーソンにとっての根本規定を含む[オールド・チャージ(1723年発布)]によって等しく公認された唯一のものらでないが、それらは全面的に公認されたもののようには見える。
派閥的「ではない」メーソンリーおよびそのシンボルの特徴に対してアルバート・パイクはただ単に「メーソンリーはその本然と理によって教えられるところの固有の最もシンプルかつ崇高なるものを除き主義綱領を伝えるようなものではない。普遍的なる告解にて不変不易なるは目に見える本質にて書き記されていることであり、それが理によって説明され、世界にては偽なる宗教「はない」」と指摘しているだけである」
(訳を付しての引用部はここまでとしておく)
以上、まどろっこしき表記を長々と引用なしたところで書いておくが、
「問題は、」
フリーメーソンに教皇の三重冠や王権象徴物の冠を踏みつけるとの儀式が用意されている ―ないしはそういう儀式があると語られるだけの思潮がある― との話が(その現行の実施動向は藪の中であっても、そう、本当にそうしたことが実施されているかどうかメーソンの特定位階に達した人間「以外」にとり藪の中でも)世には広く知られているところとなっており、また、19世紀の学究系メーソン(アルバート・マッキー)の手になる著作にもその通りであると受け取れる表記がなされているとのことである(直近にて引用なした Encyclopedia of Freemasonryにて The Kadosh ( thirtieth degree ), trampling on the papal tiara and the
royal crown, is destined to wreak a just vengeance on these "high
criminals" for the murder of Molay...
「カドシュ(第30位階)、[教皇の冠と王室王冠を踏みつける]との同位階やりようはモレー(訳注:テンプル騎士団総長ジャック・ド・モレーのこと)の殺害に対する正当なる復讐を...」との部がそうである)。
そして、そのことが
[[スフィアを共通の象徴物としてきた王権および教皇権]と[ケーニッヒ(王)のスフィアの破壊]の寓意との関係性]
への想起を ―筆者が見る限りそういうことを目立ってオンライン上にて問題視している真っ当な向きは「現行」見受けられないが― 生じさせるということがある。
(出典(Source)紹介の部104はここまでとする)
直近III.の部にて指摘したこと ―映画『ファイト・クラブ』([金融制度を破壊して破壊からの望ましき世界の再生を目指す]などとのお題目を妄信させられての[スペース・モンキー]達が暗躍しているとの筋立ての作品)では王権象徴物たる宝珠とそっくりのものが[ツインタワー合間のオブジェのイミテーション]として爆破されているが、フリーメーソンの間には[王権象徴物を踏みつける]との高位位階儀式が存在するとのことが知られている、とのこと― 「以上に」重要な指摘をなす。以下を参照されたい。
ワールド・トレード・センターと寸刻描写されての区画にて連続ビル倒壊事件を引き起こすとの内容を有している(先述)との映画『ファイト・クラブ』にあっての
[【スフィア・イミテーション】(ワールド・トレード・センターのツインタワーの間にて設置されたオブジェ・スフィア ―ドイツ語で[王]を意味する(フリッツ・)ケーニッヒという名の男に製作されたツインタワー敷設オブジェたるスフィア― のイミテーション)が爆破され、かつ、転がされているとのその場面の描写]
に関しては
[フリーメーソンのトレーシングボードなどメーソン・シンボリズムと[共通のデザイン]を「露骨に」具現化させてのもの]
ともなっている(ツインタワー付設のスフィアのイミテーションの爆破シーンでもってフリーメーソン・シンボリズムへの意識誘導をなしていると露骨に受け取れるようになっている)
とのことすら「も」が現実にある。
以上のことについてこれより「長くなるも、」の図を多用しもしての出典紹介部(出典(Source)紹介の部105)を設けておくこととする。
ここ出典(Source)紹介の部105にあっては
ワールド・トレード・センターと寸刻描写されての区画にて連続ビル倒壊事件を引き起こすとの内容を有している(先述)との映画『ファイト・クラブ』にあっての
[【スフィア・イミテーション】(ワールド・トレード・センターのツインタワーの間にて設置されたオブジェ・スフィア ―ドイツ語で[王]を意味する(フリッツ・)ケーニッヒという名の男に製作されたツインタワー敷設オブジェたるスフィア― のイミテーション)が爆破され、かつ、転がされているとのその場面の描写]
に関しては
[フリーメーソンのトレーシングボードなどメーソン・シンボリズムと[共通のデザイン]を「露骨に」具現化させてのもの]
ともなっている(ツインタワー付設のスフィアのイミテーションの爆破シーンでもってフリーメーソン・シンボリズムへの意識誘導をなしていると露骨に受け取れるようになっている)
とのことの典拠を挙げることとする。
まずもっては以下呈示の図像らをご覧いただきたい。
上の段の部では『ファイト・クラブ』収録DVDコンテンツにあっての再生時間にして
【1時間45分44秒】
以降にて表出を見るシーンの流れ ―スフィア・イミテーションが爆破されてチェス盤紋様の床の店舗に向けてゴロゴロと転がっていくとの先述のシーンの流れ― を再現した図を挙げている(同図は先にても呈示なしていたところの図ともなる)。
対して、下の段にあってはフリーメーソン秘儀参入者 ―目隠しをさせられているとの者― がそれに向き合っているとのメーソン象徴図像(トレーシング・ボード)を画中に含むとのメーソン画となる(図の出典は英文Wikipedia[ Masonic ritual and symbolism ]項目にて「現行」掲載されている A masonic initiation. Paris, 1745.との解説が付されての図となる)。
それら図らにて[視覚的類似性が際立って問題となる構図ら]が ―世間一般の普通人がそうである以上に目が「見えない」という人間であるのならば各別― 際立って具現化していること、分かろうとのものである([2本の柱][2本の柱の間のチェス盤状の床][2本の柱の間の小階段(ステップ)]との記号論的特性の共有が[『ファイト・クラブ』登場の(ワールド・トレード・センター敷設の)スフィア・イミテーション爆破のシーン]と[フリーメーソンのトレーシング・ボード]にて共有されていること、理解いただけもしようとのところとなっている)。
続けて以下のような図像らを挙げていく。
上掲図の左部はフリーメーソンにてのメンフィス儀礼( Rite of Memphis-Misraim )の構築者とのことである Jacques Etienne
Marconis de Negreとの19世紀のメーソンがものした著作としてオンライン上にPDF版(1849年刊行のフランス語書籍としてのPDF版)が現行流通している著作、 Le Sanctuaire de Memphisにての120ページおよび121ページの間にて掲載されている図像よりの抜粋となる(フランス語著作にして、かつ古書であるとのことで筆者もその細かき内容までは解していないのだが、同著作にて同じくもの図が掲載されていることそれ自体はオンライン上よりメーソンの諸シンボルを分析していた折に筆者は捕捉しもしていた)。 図にあっての[柱]の部についてはフランス語にて ―仏語を解さぬ向きでもある程度の識見があれば容易にそれが指す対象が何なのか想起もできようところとして― Colonne Jakinおよび Colonne Boazとの語句の付記からも分かるように【ヤキン(ジェイキン)・ボアズとしての柱】というメーソン象徴が描かれている。
上掲図の右側は映画ファイト・クラブの特定部の流れを描き取っての図の再掲 ―ツインタワー敷設型のオブジェたるスフィアの露骨なるイミテーションが爆破されて、ボウリング・ボールのように転がり、チェス盤状の床の場に突入していくとの特定部の流れを描き取っての図の再掲― となる。
お分かりのことか、とは思うが、直上にて挙げた事例からして映画の問題描写とフリーメーソンリー・シンボリズムの間の露骨な相似性が伺い知れるようになっている ―同じくものことはフリー・メーソンのインサイダーから見ると映画『ファイト・クラブ』が[異なった見方]で見えるとの一例たりうる― 。
だが、まだもってして、
『微々たる一例でもって牽強付会なる話(こじつけがましき話)をなしている』
と誤解する向きもあろうか、と思うので、さらにもって指摘するが、
「フリーメーソンにあってはステップ(階段)・チェス盤紋様・ニ本の柱 ―ジェキンとボアズの柱と呼ばれるもの― を併せて描く構図が「多用」されているとのことがある」 (他面、映画『ファイト・クラブ』では[メーソン・シンボルと類似のステップ(階段)][チェス盤紋様][双子の塔(ツインタワー)の間にある球形オブジェの露骨なイミテーション]が併せて描かれているとのことがある)
上のことを示しもする図解を講じる。下をご覧頂きたい。
上掲図にあっての上の段の部、そこにて枠で括っているところは Project Gutenbergのサイトにて全文公開されている著作、ジョージ・ワシントンのフリーメーソンとしての書簡に対する分析をなしているとの20世紀初頭のメーソンの手になる著作、
Washington's Masonic Correspondence(1915年刊行/フリーメーソン( Julius Sachseという20世紀初頭にて執筆なしていたとのフィラデルフィアのメーソン)の手になる著作)
に掲載されている図像「ら」となり、それぞれ[図引用元著作にて掲載のメーソンの象徴主義体現図像(枠内上)]と[合衆国初代大統領ワシントンがフリーメーソン成員として用いていたエプロン(枠内下)]となる。
お分かりか、とは思うが、呈示の図像らにては
[ステップ](完全なる別階層に移動するための階段ではない段差としての小規模階段)
[対をなす柱ら]
[チェス盤紋様の床]
があわせて描かれており、直上図解部にての下段の部にて再掲しての
[ツインタワー敷設のオブジェたるケーニッヒのザ・スフィアの配置場所]
および
[映画『ファイト・クラブ』にて登場を見ているWTC敷設スフィアのイミテーションたるオブジェを介して導き出せる構図]
と顕著なる視覚的相似形が認められるようになっている(彼ら紐帯とは無縁なる部外者、アウトサイダーである筆者でさえ気づくに至ったことなのであるから、ありし日のワールド・トレード・センターの地理的特徴を把握したフリーメーソンであるのならば、そうした問題、映画を視た際に即時気づけもしようと思えるところではある)。
以上の図解部をもってして映画『ファイト・クラブ』に登場を見ている爆破対象オブジェ ―それが爆破されるシーンが流通を見ているDVDソフトウェアの再生時間にての何時何分何秒に出ているかも呈示してきたとの爆破対象オブジェ― がフリーメーソンリーの象徴主義の典型的構造と[オーバーラップ]するように「できあがっている」とのこと、それがよりもって普遍性を帯びた話であるとご理解いただけたか、とは思う。
(:尚、述べておくが、ここにて挙げている以外にも同様の構図を体現しての図像らはメーソン関連著作にて容易に見出せるようになっている。
たとえば、おどろおどろしき陰謀「論」関係の著作ではないところの国内流通著作としては本稿の先の段、出典(Source)紹介の部93にて挙げていたところの学究(名古屋大学の吉村正和教授)の手になる著作、講学的に[陰謀論]とは無縁な側面でフリーメーソンの特性について識者向けに論じているとの著作である『フリーメーソンと錬金術 西洋象徴哲学の系譜』(人文書院刊/当方が検討なした版は初版第一刷と巻末明記のもの)ではそのp.132およびp.135にて同様の構図を描いてのフリーメーソンのトレーシング・ボードが挙げられていたりもする(であるから、疑わしきは、ないしは、確認をなす必要を感じたとの向きはそこからして図書館を利用するなり何なりしてそうした書籍に認められる類例などからして確認されてみるとよかろう。
その点、
「国内に流通しているところの陰謀論系著作ではないフリーメーソン関連の著作からしてこれこれこういう筋目での記載がなされている」
との話柄で物事の訴求なしていることにつき、筆者のことを意中の問題として認めたくはなかろうし、また、スタンスの問題として認めるつもりはなかろうとの力学の薬籠中の者らは筆者が[陰謀論]と[陰謀論「以外」のもの]を峻別していようと峻別していなかろうとなんらお構いなし、筆者のことをして[陰謀「論」者それそのもの](要するに社会にあって正気と理性の力が十分に滲透していても何も変え得ない人種)と断ずる、あるいは、より望ましくなきところとして、積極的に筆者なぞを[陰謀論者それそのものと同文の存在]に貶めるための諸種やりよう(論拠などはなから存在しておらず予断・偏見のみが先行した工作媒体を構築して関係性をもたせる等等)をなすこともあろうかと思う。これまでの自身の歩みに付随しての[動向観察]からそうもとらえているわけなのだが、いいだろうか、ここでの話にあって筆者が何よりも重んじていることは
「特定作品に911の事前言及に通ずる描写が多重的に具現化を見ており」、
また、
「そこにてはフリーメーソン象徴主義との「露骨なる」連続性が「多重的に」具現化を見ている」
とのことを[現象]として示すことであり、[一切の価値判断から中立であるとの[現象]の呈示注力]とのそのやりようがゆえに、陰謀「論」ととらえられる素地など本来的にはなかろうと申し述べておきたい(ただし、裏取り可能であるとの[現象]がある一定程度以上、積み重なって具現化を見ていれば、そこにあっては[当然に類推されるところ]があり、その[当然に類推されるところ]が悪質性度合いで群を抜いているのならば我々は望ましくない帰結を回避すべきためにそうしたこと「をも」無視すべきではないとの判断があり、当然にここでの話からしてそうもした自身判断を行間に反映させもしての書きようをなしている))
(図を多用しての出典(Source)紹介の部105の部にての指し示しを続けるとして)
さらに同じくもの話 ―映画『ファイト・クラブ』内スフィア・イミテーション爆破シーンとメーソン・シンボリズムのはきとした相関関係にまつわる話― には続きがある。
17世紀エリザベス朝時代の有力者にして「際立っての」著述家・思想家(経験主義哲学の祖)として知られ、なおかつ、シェイクスピア戯曲の影の作者との説も伴っているフランシス・ベーコン。同フランシス・ベーコン、フリーメーソン(的紐帯)の早期の主導者との「説」も伴う歴史上の人物となる ―(たとえば、オンライン上にて容易に確認できるところとしてたかだか英文Wikipedia[ Francis Bacon ]項目にも Bacon's alleged connection to the Rosicrucians and the Freemasons has
been widely discussed by authors and scholars in many books.[70
「ベーコンの後期バラ十字団およびフリーメーソンとの関係性については広くも権威および学者らによって多数の書籍らによって議論されてきたところである」と[70]と振られての出典( Bryan Bevan, The Real Francis Bacon, England: Centaur Press, 1960 )を挙げられて語られているとおりである)― 。
そうもしたフランシス・ベーコンの著作、
New Atlantis『ニュー・「アトランティス」』(1627年刊行.本稿にての出典(Source)紹介の部52でもその内容を問題視しているとの著作)
にての扉絵に下に図示するような挿絵が掲載されていることがあり、そこからして
[『ファイト・クラブ』登場のイミテーション・オブジェ(ないしイミテーションの元となったワールド・トレード・センターはツインタワーの合間に置かれていたザ・スフィア)が特定の組織体(フリーメーソンリー)の象徴主義と視覚的に濃厚に接続しているとのこととの絡みであまりにも多くのことが平仄が合うようにできあがっている]
とのことに通ずるようになっている。
上掲図左はフランシス・ベーコンの著作『ニュー・アトランティス』に掲載されている口絵となり、二本の柱の間に球形オブジェが配されているとのものとなる。他面、上掲図右は先にも抜粋なした Le Sanctuaire de Memphis(19世紀メーソンがものした著作としてフランス語PDF版がタイトル入力でオンライン上より捕捉可能となっている著作)よりの抜粋図像(をさらに一部拡大させて再掲したもの)となる。
上の図らが何故、問題になるのか。
については視覚的側面から「だけでも」接合性が観念できるとのこともある。
すなわち、『ニュー・アトランティス』の口絵(上掲左側図)にあって配されている、
[二本の柱の間に球形のオブジェを置いての構図]
が ―先だって問題視してきたとの― メーソン関連書籍 Le Sanctuaire de Memphis掲載図(上掲右側図)にあっての、
[映画『ファイト・クラブ』のスフィア・イミテーションの爆破・転がし挙動 ―多重的にワールド・トレード・センターの連続ビル倒壊を前言しているとの側面がある映画にあってのその伝で問題となる描写― に通ずる構図]
と相似形を呈しており、それでもってして視覚的なる濃厚なる接合性が観念できるとのことがある(直下図解部を参照のこと)。
以上、視覚的なる接合性の問題に加えもして、『ニュー・アトランティス』口絵とメーソンのシンボル画にあっては ―ツインタワーの倒壊と関わるところの― 意味論的なる接合性「も」また観念できるようになっている。
それは
[ソロモン神殿の前に立つヤキンとボアズの柱]
を通じて述べられるところの意味論的なるつながりとなる。
その点、フランシス・ベーコンの New Atlantis『ニュー・アトランティス』は
[架空の島国(ニュー・アトランティス)にあってのソロモンの名を冠する文明発達促進機構[ソロモン(サロモン)の家 Salomon's House]を描いた作品]
となっている。
本稿出典(Source)紹介の部52ではそうした[ソロモンの家]の役職者の者がニュー・アトランティスへ漂着した航海者に語ったアトランティス崩壊伝承へのあらましにつきフランシス・ベーコン著作『ニュー・アトランティス』原著 ( Project Gutenbergより公開されており、それがためにオンライン上から全文確認可能な英文現代訳版)および訳書(岩波文庫から刊行されているとの版)よりの抜粋をなして示していたわけだが、ここでは現行にての英文ウィキペディア[ New Atlantis ]項目内容を端的に引用なすとして、次のようなかたちでベーコン著作『ニュー・アトランティス』と[文明促進機構としてのソロモンの家]の関係性のことがよく知られているところとなっている。
(直下、英文Wikipedia[ New Atlantis ]項目にての現行記載よりためにしての引用をなすとして)
The novel depicts the creation of a utopian land where "generosity and enlightenment, dignity and splendour, piety and public spirit" are the commonly held qualities of the inhabitants of the mythical Bensalem. The plan and organisation of his ideal college, Salomon's House (or Solomon's House), envisioned the modern research university in both applied and pure sciences.
(訳として)
「同小説(フランシス・ベーコン『ニュー・アトランティス』)は神秘の地たるベンサレム ―ニューアトランティス― の住民らが一般的性質として[気立ての良さ・内なる啓明が達せられての精神・尊厳の観点の保持・壮麗さを希求する気風・信心深さ・公共精神]を蔵している、そのような理想的なる世界(ユートピアン・ランド)の創出を描いているとのものとなる。彼(フランシス・ベーコン)の意中計画でもあった理想的なる大学組織たる[サロモンの家](ソロモンズ・ハウス)は応用科学および純粋科学双方にあっての現代的なる研究志向の大学を先取りしていたとのものであった」
(訳を付しての引用部はここまでとする ―※― )
※ベーコンの先覚性についての補足をなしておく。
ベーコンの『ニュー・アトランティス』に見るサロモンの家ことソロモンズ・ハウスのやりようとのことで述べれば、[今日の文明世界に近しいもの]を造り出したとの描写とてもが認められることがある。『17世紀に生きた人間がそのようなことをよくも描けたものだ』と受け取って然るべき、そのような先覚性が際立っているところとして、例えば、次のような描写が認められるとのことがある。
(直下、 Project Gutenbergのサイトにて全文公開されている New Atlantisの[サロモンの家](ソロモンの家)の関係者の発言として問題となりうる表記を端的に引くとして)
"We have also perspective-houses, where we make demonstrations of all lights and radiations; and of all colours: and out of things uncoloured and transparent, we can represent unto you all several colours; [ . . . ] Also all colourations of light; all delusions and deceits of the sight, in figures, magnitudes, motions, colours all demonstrations of shadows. We find also divers means, yet unknown to you, of producing of light originally from divers bodies. We procure means of seeing objects afar off; as in the heaven and remote places; and represent things near as afar off; and things afar off as near; making feigned distances.
[ . . . ]
"We have also sound-houses, where we practise and demonstrate all sounds, and their generation. [ . . . ] We represent and imitate all articulate sounds and letters, and the voices and notes of beasts and birds. We have certain helps which set to the ear do further the hearing greatly. We have also divers strange and artificial echoes, reflecting the voice many times, and as it were tossing it: and some that give back the voice louder than it came, some shriller, and some deeper; yea, some rendering the voice differing in the letters or articulate sound from that they receive. We have also means to convey sounds in trunks and pipes, in strange lines and distances.
[ . . . ]
"We have also engine-houses, where are prepared engines and instruments for all sorts of motions. There we imitate and practise to make swifter motions than any you have, either out of your muskets or any engine that you have: and to make them and multiply them more easily, and with small force, by wheels and other means: [ . . . ] We imitate also flights of birds; we have some degrees of flying in the air. We have ships and boats for going under water, and brooking of seas; also swimming-girdles and [ . . . ].
(以上、オンライン上より原文確認できるとの Project Gutenberg公開版原著表記に対し岩波文庫より出されている邦訳版『ニュー・アトランティス』(川西進訳)の該当するところの部 ―59ページから61ページにあっての記述― を中略なしながら引くとして)
「我々は光学研究所を持っている。そこではすべての光線と放射線、すべての色彩を現出させ、無色透明の物体からあらゆる色を発色させることができる。・・・(中略)・・・また光の着色作用の実験、形、大きさ、動き、色彩に関する、あらゆる眼の幻覚と錯覚、あらゆる陰影の表出も可能である(訳注: Isaac Newtonがプリズムによる光の分離実験をはじめて実践し、光が無色透明ではないとの発見につながり、かつ、光学への途を拓いたのは1666年のことで『ニュー・アトランティス』の刊行年(1626年)より40年後のことである.また、『ニュー・アトランティス』にて言及されている光学の応用による幻影の投影となると現代の映像技術に通ずるものとなる)・・・(中略)・・・また光を増幅させて遠くに届かせ、小さな点と線を見分けられるほど強烈にさせる。われわれはさまざまな物体を発光させる、あなた方にはまだ知られていない方法を見出している。天空など遠く離れたところにある物体を見る手段を獲得し、近いものを遠く、遠いものを近く、距離を欺いて表示することもできる。
・・・(中略)・・・
また音響研究所ではあらゆる音を実際に発生させ実験している。・・・(中略)・・・あらゆる明瞭な音声と文字、獣の咆哮、鳥の歌声を模倣し、表現することもできる。耳に装着して聴覚を大いに助ける器具もあれば、音声を、鞠でも投げ返すように、何度も反響させて、種々の奇妙な人工木霊(こだま)を作り、来た音声を前より大きくして返したり、高くも低くもする装置もある。あるものは、もとの綴りとも発音とも明らかに違う音声に変えてしまう。筒や管を用い、奇妙な経路を経て遠くに音声を運ぶ手段もある(訳注:17世紀に[補聴器]や[ステレオ]や[遠隔地通話機(電話機)]などの概念を口にしている向きがいればあると分かれば、―小学生ぐらいの識見しか蔵していないならば話は別だが― その驚くべき先覚性に舌を打つのが普通の反応かとは思う)。
・・・(中略)・・・
われわれはまた動力研究所を持っている。そこではあらゆる種類の運動のための動力機械が作られ、あなた方の持っているマスケット銃や他のどんな機械が起こす運動よりも早い運動を起こすために、模擬実験を行う(訳注:銃弾の速度よりも速い運動を起こす実験を起こすとの発想法が17世紀の者にどうして芽生えるのか考えるに値するであろう)。・・・(中略)・・・我々はまた鳥の飛翔を模倣し、ある程度空中を飛ぶことができるようになった。水中を進んだり、荒波にも耐える大小の舟、ボート・遊泳(以下略)」
(以上、国内で流通している訳書にての表記の引用をなした)
上にてはベーコン主著『ニュー・アトランティス』にあってのソロモンの家 ―よく「[近代の大学の先時代的理想像]を先駆けて記した著作である」「英国の王立協会の理念は同著にある」などとのかたちで引き合いに出されるフィクション上の研究統治機構― が
[あらゆる光学的手段で距離の問題を超克し、眼に対する幻影をもたらす光学的やりようとしての光の操作を自儘(じまま)にできる]
[あらゆる音響学的手段で網羅的なる音声を再生し、補聴器具を実現することも出来、音声を遠距離に送ることを可能となしている]
[あらゆる動力研究の成果として鳥の運動を模倣してある程度の飛翔が可能であり、水中進行も可能、海難事故を克服しての大きな舟も用意できる]
との文明水準に達しているとのことを描写してのパートとなる。
そうした描写はフランシス・ベーコンの母国と同じくもの英国でアイザック・ニュートン(生年:1647年)が世に産まれることになるおよそ20年前にして、そして、[蒸気機関]の登場(古代の原始的蒸気機関とは一線を画しての蒸気機関の萌芽が英国に見られ出したのはドニ・パパン由来のそれが世に出た17世紀末、広くはジェームズ・ワットの蒸気機関が世に出た1769年であると認知されている)となりもし、蒸気機関具現化よりも何十年も前(あるいは100年以上前)に刊行されていた著作ありようとして「驚異的.」とも見える先覚性を呈しており、そこにての予測は[往時](17世紀前半)よりむしろ[現代]の技術水準に近しいものがあると「普通に」受け取れるところである ―であるから、『ニュー・アトランティス』に見る組織体[ソロモンの家]の者の申しようは非常に目立つ、と述べている― 。
その点、(以下は行き過ぎての余談と見てもらっても構わないとし)筆者個人としてはフランシス・ベーコン Francis Baconと同じくものベーコンの姓を持つ13世紀の英国修道士ロジャー・ベーコン
Roger Baconからして同様の先覚的言及をなしていたことがあること、そして、[その先にあること ―人間を特定のレベルにまで文明発達するかたちで「養殖」するニーズがあったこと― ]に意味を見出してもいる。
それにつき、ロジャー・ベーコンについては同13世紀に生きたフランチェスコ会修道士が
[脅威の業なす博士]( Doctor Mirabilis/ドクターミラビリス)
と呼ばれていた所以として
[機械式飛行機]
[一人だけで操縦可能な巨大艦艇]
などといったものの着想をなしていたようであるとのことが後代、今日に生きる一部識者にもよく知られるに至っている(同じくもの申しようについて疑わしきは(当然に疑わしかろう)、たとえば、英文ウィキペディアの[ Roger Bacon ]項目にての記述やあるいはロジャー・ベーコン主著たる Opus Majus、19世紀にあってバチカンにて再発見された ―とすれば、ロジャー・ベーコンの技術予測を同姓の人物として歴史に足跡を遺しているフランシス・ベーコンが知るところがあったかには疑義もあり、そこからして問題になる― との著作にまつわるオンライン上の諸種英文解説媒体などでの解説のされようを参照されるとよかろう)。
(脇に逸れてのフランシス・ベーコン著作『ニュー・アトランティス』の先覚性にまつわる話はここまでてとしておく)
(フランシス・ベーコンがソロモンの家という文明発展装置を強くも著作『ニュー・アトランティス』にあって持ち出していたとの話をなしおえたうえで述べるところとして)
他面、[フリーメーソンリー]とは ―同組織体、そこに理性や寛容さなどとは程遠い狂的かつ悪質なるカルトやりようとの接合性を観念できないなどと述べれば「偽り」になろうとの組織体とはなる(現代のダブル・スタンダード・システムにおける反知性領域の象徴である[モルモン教]や[エホバの証人]の開祖の来歴・やりようをきちんとした媒体から調べてみればいい)わけではあるが― 表向きには、
[理想的建築物としてのソロモン神殿の再現]
[理想的構造体としてのソロモン神殿の模倣]
を理念・教義体系に組み込んでいることがよく知られている組織となる(:メーソンの教義体系にあってのソロモン神殿の重視については、たとえば、本稿にての[出典(Source)紹介の部99の直前の部]でフリーメーソンリー由来のメーソン関連情報提示サイトwww.masoniclibrary. org.au ―[メーソン・ライブラリー.オーガニゼーション・オーストラリア]といったドメイン名のサイト― にてのVenus&Freemasonと題されたページよりの抜粋をなしているところとして The layout of every Masonic Temple is said to be a model of Solomon’s Temple, and today every Master Mason is raised from his temporary death by the
pre-dawn light of the rising Venus at a symbolic equinox.
(訳として)「メーソンのテンプル構図(神殿としての建築様式)はすべてソロモン神殿をモデルにしてのものであると言われており、今日、全てのマスター・メーソン位階の者は[昼夜平分点(春分あるいは秋分)]を象徴し上昇を見るとの金星の夜明け前の光によってその[一時期的なる死]より引き上げられる格好となっている」(抜粋部に対する訳はここまでとする)との申しようが[インサイダー]によってなされていたりすることからも容易に指摘できるところとして現実にある)。
それにつき、本稿筆者は、
[自分で考える能力などそもそもはなから有していないとの家畜(に甘んじるに至った相応の者達)に押しつけられた「偽の」ドグマ(と本来的には容易に判じられもしようもの)]
との兼ね合いで何が問題になるのか、よく考えたうえで本稿にての訴求をなしてきたつもりではあるのだが、同じくもの自負に関わるところとして[言い過ぎにはならぬ]ととらえているところとしてメーソンがその再現を理想とさせられてきたソロモン神殿の建立者たるソロモン王が
[悪魔・悪鬼の類 ―などと宗教的人間に表されてきた存在― と契約して、そうした存在の使役をなしていた(ソロモン神殿の造成もソロモンに使役された悪魔の業であるともされる)との存在である]
との話が伝わっていることについて[結果面]で何が懸念されるかについて「も」分析的視点での話をなさんとする所存である(:[種族の盆栽を育てるが如くの歪なる養殖]にホワイダニット、何故、それをなしてきたのかとのことにまつわる[合理的理由]があると判じられもすることの委細については本稿の結語の部に近しいところで詳述するとしてここではまだ取り上げないが、とにかくもってまずもって申し述べれば、である)。
その点、ソロモン王が悪魔を使役した王であるとのことにまつわる「一般的な」説明のされようを下に引いておくこととする(より細かくもの説明のなされようについては本稿のさらに後の段にあって[よりもって微に入っての媒体]よりの引用および説明をなすこととするつもりだが、ここでは「一般的な」説明のされようを下に引いておくこととする)。
(直下、オンライン上より目につくところとなっている英文Wikipedia[Solomon]項目にあっての「現行の」記載内容を引用するところとして)
The Gnostic Apocalypse of Adam, which may date to the 1st or 2nd century, refers to a legend in which Solomon sends out an army of demons to seek a virgin who had fled from him, perhaps the earliest surviving mention of the later common tale that Solomon controlled demons and made them his slaves. This tradition of Solomon's control over demons appears fully elaborated in the early pseudographical work called the Testament of Solomon with its elaborate and grotesque demonology.
(補いもしながらもの訳として)
「1世紀ないし2世紀に遡るとのグノーシス主義的文書、『アダムの黙示録』 ―(訳注:同『アダムの黙示録』は20世紀になってからエジプトにて「発見」されたとのパピルスに書き記されていた一群の初期キリスト教文書ら([ナグ・ハマディ写本]として知られる文書群)の一翼をなすものとして知られているものである― ではソロモンが彼の元から逃げた処女を探し求めるために悪魔の一団を送り出したとの言及がなされており、おそらくそれが
[ソロモンが悪魔らを統御し彼の奴隷としていたとのより後の一般化した物語に通ずるところ]
に現存している中で最も初期に言及なしているとの文物であろう。この手のソロモンの悪魔の統御の伝承は完全に精緻化を見ている格好にて初期の偽典に属する書、『ソロモン書』と呼ばれる書にて手の込んだ、そして、怪奇性を帯びた悪魔学側面をもって表出を見ている ―訳注:ソロモン書には有名どころとして魔を使役する指輪としての[ソロモンの指輪]というものが登場を見ているが、については、和文ないし英文のWikipediaにての[ソロモンの指輪]項目ないし同[ Testament of Solomon ]項目程度のものにもよくまとまっての解説がなされている― 」
(訳を付しての引用部はここまでとする)
以上、ウィキペディア程度の媒体にて記載がなされているようにソロモンとは[悪鬼悪魔の類を契約に基づき使役した王]としてもよく知られている存在である。ソロモンの名を冠した魔術書の類なぞがある、本稿にての出典(Source)紹介の部72や出典(Source)紹介の部99でオンライン上より確認できる内容の引用をなしながら紹介・言及しているグリモアの名前が The Lesser Key of Solomon, Goetia、『ソロモンの小さな鍵』となっているところの理由も詰まるところ、そういう事情に因る。
といったことと関わるところ「でも」本稿の従前の段にて[ブラックホール]というものとの兼ね合いでこの身、筆者が何を具体的にどう多重的「予言的言及」現象にまつわるところの[現象]としてひたすらに細かくも指し示さんとしてきたのか、そう、(同じくものことの[背景]にある発想法についてはよりもって後の段でさらに噛み砕いて「普通に」考えられるところについて詳述する所存だが)、
[予言的言及の表出 (それらがなされていた折には今日取り沙汰されるに至っているブラックホール人為生成問題など想像も及んでいなかったはずであるにも関わらず、見た限り類似のことが具現化してしまっているとの予言的言及現象) が[ソロモンの魔符(五角形と接合する五芒星)の類と接合している文物や文化事象]にも表出を見ている]
とのことで何を指し示さんとしてきたのか、[押しつけられた通りの運命(あるいはたばかられている節が如実にあるなかでそこにいざなわれている通りの運命、でもいい)]を甘受するだけの人間ではないとの自負がある向きには裏を取っていただきたいものである(:出典(Source)紹介の部72,出典(Source)紹介の部99にて引き合いにだしているところとしての The Lesser Key of Solomon, Goetia、『ソロモンの小さな鍵』、グリモアなどという愚書・悪書の類の中にすら「も」[相応の反対話法]が込められていると解されると述べている理由につき訴求しているとの本稿従前の段の内容を振り返ってもいただき、よくよく考えていただきたいものである))。
以上、申し述べたうえで書くが、
[悪鬼羅刹の類を使役した王として伝わるソロモンが建立した神殿] ―(ご存知なきはお調べになられればすぐに分かろうことか、とは思うが、[一般教養]を出でぬ話として今日、都市エルサレムにてユダヤ教徒にとって聖地となっている[嘆きの壁]はそちら[ソロモン神殿]の遺構 (正確に述べれば、ソロモンが建立した伝説上の神殿が同じ場所に「再建」されての第二神殿をローマ期のユダヤ地区のヘロデ王が拡張工事をなしたと伝わる神殿の遺構) とされるものとなっており、イスラム教徒らにあっての聖地となっている[岩のドーム]もまたそちら[ソロモン神殿]が建っていた場所に建立されているモスクとなっている(世間一般での教科書的理解のされようを引き合いに出せば、たとえば、和文ウィキペディア[岩のドーム]項目にて(引用なすところとして)岩のドームは、東エルサレムにある、カアバ、預言者のモスクに次ぐイスラム教の第3の聖地であり、「神殿の丘」と呼ばれる聖域となっている。現在はイスラム教徒の管理下にあるが、南西の壁の外側の一部だけが「嘆きの壁」としてユダヤ教徒の管理下にある・・・(中略)・・・岩のドームはかつてのエルサレム神殿内にあり、建設はウマイヤ朝第5代カリフであるアブドゥルマリクが685年から688年の間のいつの時点かに建設を思い立ったことに始まり、688年に着工した・・・(中略)・・・ユダヤ教において「聖なる岩」は、アブラハムが息子のイサクを神のために捧げようとした台であるとされる(イサクの燔祭)。またダビデ王はこの岩の上に契約の箱を納め、ソロモン王はエルサレム神殿を建設した
(引用部はここまでとする)と解説されているようなことがある))―
の前にあっては、(先だってもフランス語書籍に見るフリーメーソン・シンボルとの兼ね合いでその名を一言のみ言及しているわけだが)、
[ヤキンとボアズの柱]
という柱らが打ち立てられていたと旧約聖書には記されており、それら柱が
[ソロモン王のソロモン神殿の模倣(あるいはそちらについては後述する所存であるとの【ロイアルアーチ】との基本位階を越えた高位位階にあっての【ソロモン神殿の残骸からの理想的新世界の模索】)]
を教義としているとのメーソンのシンボル体系にあって ―上にて言及のフランシス・ベーコンのニュー・アトランティスとツインタワーのことを視覚的に接合させるようになっているポイントに関わるところとして― 重要視されているとのことがある。
その点、まずもって、―目立つところとしての英文Wikipedia[ Boaz and Jachin ]項目にあっての前半部にてのワンセンテンスを引くにとどめておくが― ヤキン・ボアズの世間一般での基本的なる解説のされようを紹介しておく。
(直下、英文Wikipedia[ Boaz and Jachin ]項目にあっての「現行の」記載を端的に引用するとして)
Boaz and Jachin were two copper, brass or bronze pillars which stood in the porch of Solomon's Temple, the first Temple in Jerusalem.
「ボアズとヤキンはソロモン神殿、すなわち、エルサレムにあっての第一神殿にての玄関の部にて建っていたとの二柱の銅、真鍮、そして、青銅製の柱となる」
(引用部はここまでとする)
以上、「一言のみで」解説されようとのヤキンとボアズ ―旧約聖書にての Books of Kings『列王記』第7章21節から22節の言及、そして、旧約聖書 Books of Chronicles『歴代誌(下)』第3章17節にての言及も一言のみ、そのようにして簡明なものである― がフリーメーソンリーにあっていかように重視されているかについて ―検索エンジンを用いて Jachin, Boaz, Freemasonなどと検索すれば、メーソンのそちら関連の図像(ヤキンおよびボアズが小芥子(こけし)状の形状にて階段などの両端に建っているとのシンボル画など)が多数表示されてきて容易に理解もなせようとのところなのだが― ここではメーソン関連の著名著作、19世紀米国にての有力メーソンであったアルバート・パイクの手になる『モラルズ・アンド・ドグマ』にての書かれようを引いておくこととする。
(直下、 Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonry『古代より連綿と続く認証されしフリーメーソンのスコットランド位階の徳義と教義(モラルズ・アンド・ドグマ)』にあっての XII.GRAND MASTER ARCHITECTの部よりの引用をなすとして)
The three great lights of the Lodge are symbols to us of the Power, Wisdom, and Beneficence of the Deity. They are also symbols of the first three Sephiroth, or Emanations of the Deity, according to the Kabalah, Kether, the omnipotent divine will; Chochmah, the divine intellectual power to generate thought, and Binah, the divine intellectual capacity to produce it-the two latter, usually translated Wisdom and Understanding, being the active and the passive, the positive and the negative, which we do not yet endeavor to explain to you. They are the columns Jachin and Boaz, that stand at the entrance to the Masonic Temple.
(補いながらもの拙訳を付すとして)
「ロッジにての三つの光は我々(訳注:アルバート・パイクをはじめとするメーソンら)にとり、[神の力]および[智惠]、そして、[仁慈]の象徴となる。それらは[セフィロトの最初の三つなるもの](訳注:このセクションはカバラ、ユダヤ教教徒が隠然としてかたちづくってきた神秘思想たるカバラに見る[セフィロトの樹]のことを神秘主義者風にアルバート・パイクが口にしているとの部である)、[神の威光が放射したもの]たるカバラによるところの[ケテル](訳注:ケテルとは[王冠]の要素として知られるカバラの神秘思想に見る[セフィロトの樹の第一要素]を指す)としての神の全能なる意志、[コクマー](訳注:コクマーとは[智惠]の要素として知られるカバラの神秘思想に見る[セフィロトの樹の第二要素]を指す)としての思考を生み出すところの神の智惠の力、[ビナー](訳注:ビナーとは[理解]の要素として知られる[カバラの神秘思想に見るセフィロトの樹の第三要素]を指す)としての造物をなすための神の知的能力を指し、後二者([コクマー]と[ビナー])、通例、[智惠]と[理解]と訳されるそれらについては能動的なるもの・消極的なるもの、陽性のもの・陰性のもの、未だ(読み手たる)あなたに説明を試みていないところのものとなる。(そして、)それら([コクマー]と[ビナー]の二要素)はメーソンの神殿建築物の前に建つヤキンとボアズの柱にて体現されるものである」(以下略.尚、アルバート・パイクは抜粋しての話に続くところとして Free Government、自由なる政府の重要性を訴求しだしもしている)
(訳を付しての引用部はここまでとする)
(さらに直下、 Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonry『古代より連綿と続く認証されしフリーメーソンのスコットランド位階の徳義と教義』にあっての XXV.KNIGHT OF THE BRAZEN SERPENTの部よりの引用をなすとして)
The Solstices, Cancer and Capricorn, the two Gates of Heaven, are the two pillars of Hercules, beyond which he, the Sun, never journeyed: and they still appear in our Lodges, as the two great columns, Jachin and Boaz, and also as the two parallel lines that bound the circle, with a point in the centre, emblem of the Sun, between the two tropics of Cancer and Capricorn. The Blazing Star in our Lodges, we have already said, represents Sirius, Anubis, or Mercury, Guardian and Guide of Souls. Our Ancient English brethren also considered it an emblem of the Sun. In the old Lectures they said: "The Blazing Star or Glory in the centre refers us to that Grand Luminary the Sun, which enlightens the Earth, and by its genial influence dispenses blessings to mankind." It is also said in those lectures to be an emblem of Prudence. The word Prudentia means, in its original and fullest signification, Foresight: and accordingly the Blazing Star has been regarded as an emblem of Omniscience, or the All-Seeing Eye, which to the Ancients was the Sun.
(補いながらもの拙訳を付すとして)
「[至点](訳注:一般教養を出ないような話だが、[至点]とは天文学・占星術に見る夏至と冬至の現出のポイントとなる、すなわち、一年を通じて太陽の赤道からの距離が極限に達するポイントとなる)、そして、[巨蟹宮(きょかいきゅう)および磨羯宮(まかつきゅう)](訳注:黄道12宮の構成要素)、そして、[天にあってのゲートとなるところ]は[ヘラクレスの柱ら]でもあり、それらを越えては太陽たる彼が決して旅しなかったとの地点を指しもし、我々(訳注:ここでは『モラルズ・アンド・ドグマ』執筆者たるアルバート・パイクらメーソンを指す)にあってのロッジにて二つの偉大なる柱、[ヤキンとボアズ]として具現化を見てもおり、それらは換言すれば、
[巨蟹宮(きょかいきゅう)と磨羯宮(まかつきゅう)の二つの回帰線(夏至線・冬至線)の合間の中央に太陽の象徴たる環を置いたうえで境界をなす二つの対称性呈してのラインら]
となっている。
我々のロッジにてのブレイジング・スターは既に述べているように、シリウス・アヌビス、あるいは、マーキュリー、魂の守護者にして案内人を指すものであるが、我々の古き英国の有朋ら(訳注:ここでの「英国の有朋」表記は抜粋元文書の著者たるアルバート・パイクが米国系メーソン有力者であったところ、同男が英国系メーソンを指してそうした書きようをなしているとの部となる)はそれ(ブレイジング・スター)をして太陽の象徴と考えている。古き講釈曰くのところとして、「ブレイジング・スターあるいは(ヤキンとボアズらの二つの回帰線の間にあっての)中央にあっての光輝あるものは地球を照らす偉大なる明るき太陽、その温かみのある影響力によって人類に天恵をもたらしてきた存在である」とされている。また、同様にそれら講釈にあってはブレイジング・スターをしてプルーデンス、思慮分別の象徴とも語っている。プルデンシアとの語はその原義かつ最も充足的な意味合いとして[先見の明]を意味し、それに応ずるところとしてブレイジング・スターは全能性、すなわち、古代人にとって太陽であったとの万物を見通す眼の象徴と見倣されてきたのである」
(補いながらもの訳を付しての引用部はここまでとする)
一般教養、そして、神秘主義の細かき思潮に関する知識の乏しき向きにあっては(仮に英語読解力を有していたとしても)理解に失するところがあるとのフリーメーソン関連著名書籍よりの引用をなした関係上、やたらめっぽう [読みづらさを犠牲にしての註記] を付す引用部訳文内に付すことにしもしたわけだが、訳を細かくも付しての直上引用部ら、19世紀往時のメーソンの有力者 ―アルバート・パイク― にあっての著作 ―現時、未邦訳だったと思うが、モラルズ・アンド・ドグマという色々な意味で海外にて非常に有名な著作― よりの引用部らからは、とにかくも、
[メーソンにとってのヤキンとボアズの柱はカバラにてのセフィロトの樹の第二要素・第三要素(神の[智惠]と[理解])の体現存在にしてポジティブ(陽)・ネガティブ(陰)の体現存在ともなる]
[メーソンにとっての[ヤキンとボアズの柱]とは太陽がその領域を越えては先に進まない(すなわち、太陽の赤道面からの距離がそれを越えることはない)との至点(夏至・冬至現出のポイント)との境界線を指しもし、黄道12宮にあっては【[巨蟹宮](夏至6月23日から7月23日までの合間、太陽がそこに留まるとの言われようがなされている黄道12宮構成単位)および[磨羯宮](冬至近辺の12月24日から1月19日の間、太陽がそこに留まるとの言われようがなされている黄道12宮構成単位)の領域を規定する線】にして[ヘラクレスの柱]としてその合間に太陽(の象徴ともなりうるブレイジング・スターないし万物を見通す眼)を留め置いているとのものともなる](と主導者クラスであったと認知されている有名フリーメーソンのアルバート・パイク著作には記載されている ――※尚、本稿にての先行する段でその内容を問題視していたフリーメーソンのオンライン媒体にあっての特定ページでは彼らメーソンにとり(未開人の農事暦にあっての一大イベントとしてさまざまな祭りがその折に催されていたとの)夏至・冬至といったものが重要視されているとのことが解説されている。すなわち、(本稿にての出典(Source)紹介の部99にて引き合いに出していたメーソン由来のオンライン媒体www.masoniclibrary. org .auにあってのVenus&Freemasonとタイトル振られてのページ、そこよりの「再度の」引用をなすとして)
When the candidate is raised from his tomb his head rises in a curve towards
the East to meet Venus which is also rising above the horizon. The East-West line marks the equinox, the point of equilibrium between
the two solstices, when there are twelve hours of light and twelve of darkness.
「メーソンのテンプルの構図はすべてソロモン神殿をモデルにしてのものと言われており、今日、全マスター・メーソンは[昼夜平分点(春分あるいは秋分)]を象徴しての上昇見る金星の夜明け前の光によって彼の一時期的なる死より引き上げられるものとなっている。[金星の上昇]は往古カナン人の神学(セオロジー)の大系にて中心をなしていたところのものであり、フリーメーソンにあっては第三位階のフリーメーソン儀式での再生(を模しての儀式態様)のように[再生]にかこつけられているとのものである」(再度の引用部はここまでとする)との式でメーソンにとって夏至・冬至といった農事暦上のイベントが重要なものとなっていることが解説されている。そうした側面から「も」夏至・冬至と結びつけられてのヤキンとボアズの柱の重要性が「容易に」推し量れるようになっている―― )
ここまで摘示してきたことを前提に次の図を挙げる。
上掲図にての上の段の二柱の柱らは上の段にてそこよりの引用をなしたところのアルバート・パイク著作、
Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonry『古代より連綿と続く認証されしフリーメーソンのスコットランド位階の徳義と教義』
に掲載されているとのヤキンとボアズの柱(と解されるシンボル)となる。
それら対なす二本の柱の上にあって横臥している蛇らに関しては ―柱らを描いての図が Morals and Dgomaにて掲載されているのが
[真鍮の蛇(ブレイズン・サーペント)の騎士の章]( XXV.KNIGHT OF THE BRAZEN SERPENT)
との章題呈示の箇所に近接しての部であるため― 、
[真鍮の蛇](旧約聖書に認められる、神に対する不敬を呈したモーセら一行を罰し、また、癒やすために用いられたブレイズン・サーペント Brazen Serpent(日本語で流布されている呼称の方は[青銅の蛇](真鍮と青銅では正確には異なるのだが.))
を指しているのであろうと判断できるようになっている(※)。
※脇に逸れての話として
尚、メーソンにあって
KNIGHT OF THE BRAZEN SERPENT[真鍮の蛇の騎士]
との特定位階が存在するようにフリーメーソンにあって[ブレイズン・サーペントなぞの[蛇]が重要視されている]とのことについては Morals and Dogmaより原文引用するところとしての次のような表記がなされていることからも ―(世の中のことを識っておらぬし、識る必要もないと考えていようとの類ほど、[下らぬ陰謀論]との区別が付けがたいととらえること、それがゆえに唾棄すべきことと一人合点しもしようこととは当然に受け取れるようなところとしてながら、事情通を任ずる向きらにあってもメーソンが[蛇のカルト]であると言われている理由の一つになるようなものだから紹介しておくが)― 容易に推し量れるようになっている。
(直下、オンライン上から諸種の版を全文ダウンロードできるとの米系メーソンの近代にあっての最有力者アルバート・パイクの著作 Morals and Dogmaにあっての XVIII.KNIGHT ROSE CROIXの章より原文引用をなすところとして)
Man had fallen, but not by the tempting of the serpent. For, with the Phoenicians, the serpent was deemed to partake of the Divine Nature, and was sacred, as he was in Egypt. He was deemed to be immortal, unless slain by violence, becoming young again in his old age, by entering into and consuming himself. Hence the Serpent in a circle, holding his tail in his mouth, was an emblem of eternity. With the head of a hawk he was of a Divine Nature, and a symbol of the sun. Hence one Sect of the Gnostics took him for their good genius, and hence the brazen serpent reared by Moses in the Desert, on which the Israelites looked and lived.
(補いもしながらの拙訳として)
「人間は堕落はしたが、しかし、それは[蛇による誘惑]によってではなくにものことである。
何故なら、[フェニキア人]にとって蛇は神性の一部をなすものであり、同文にエジプトでも神聖なる存在であったからである(「長くなるも、」の訳注として:こうした書きよう( For, with the Phoenicians, the serpent was deemed
to partake of the Divine Nature, and was sacred, as he was in Egypt.
との書きよう)をなしているとのアルバート・パイクについては同男パイクが(蛇を神性の一端をなすものとしてここ引用部で語られている民族である)[フェニキア人]という民族が[モロク]という[人身御供を伴った(ユダヤ教・キリスト教から見ての)異教神]と結びつけられてきたとの経緯があることをどこまで認識していたのであろうかとのことが当然に脳裏をよぎりもするところではある。というのも、旧約聖書にあっては[ソロモン王](すなわちフリーメーソンにあってその神殿が最大限尊重されているとの王)が[人身御供を伴うモロク(モレク)]らユダヤ教から見ての異教神(フェニキアと結びつけられもしている神)を崇め、女らがそれに倣って犠牲を供したとの記述が列王記(上)第11章7節から第8節(英語表記では
1 Kings 11:7-11:8)に認められるからである ―オンライン上よりPDF形式で無償ダウンロード可能となっている日本聖書協会を刊行元とする旧約聖書にては(以下、列王記(上)第11章7節から第8節より抜粋なすところとして)「そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた。彼はまた外国のすべての妻たちのためにもそうしたので、彼女たちはその神々に香をたき、犠牲をささげた」(旧約聖書よりの抜粋部はここまでとする)との記述が認められる―― (長くもなっての訳注の部はここまでとする))。
(アルバート・パイク著作 Morals and Dogmaの訳出を続けるとして)蛇は暴力によって殺害されない場合は不死を呈すると見倣されており、それ自身の皮を脱ぎ捨てることで老年にあって再び若さを呈するようになる。その上、自身の口で尾をくわえる環状の蛇は永遠の象徴でもあった(訳注:尾を噛む蛇としてのウロボロス紋様が永遠の象徴であるとの有名な話を指している)。
鷹の頭部を伴うところとして蛇は神性を呈しており、[太陽の象徴]でもあった (「長くなるも、」の訳注として: Morals and Dogmaにあってのここにての引用パートにてアルバート・パイクは蛇は[太陽の象徴]であった With the head of a hawk he(serpent) was of a Divine Nature, and a symbol of the sun.
と書いているわけだが、同男はそうした言い分をなしているとの同著 Morals and Dogmaにてメ-ソンの 「Blaz」i「n」g 「S」ta「r」ブレイジング・スター(こじつけがましいfar-fetchedと受け取ろう向きもあろうが、[響き]および[綴り]からして 「Blaz」e「n」 「S」e「r」pentブレイズン・サーペントと多くを共有している語とはなる)、そのブレイジング・スターが[太陽の象徴] a symbol of the sunと見倣されているとの物言いをなし、また、太陽の象徴と言えば、[全てを見通す万能の眼]もまたそうであるとも同時に主張しているような類となる ―先にて
Foresight: and accordingly the Blazing Star has been regarded as an emblem of Omniscience, or the
All-Seeing Eye, which to the Ancients was the Sun.
と引用なしたように主張している― (長くもなっての訳注の部はここまでとする))。
(アルバート・パイク著作 Morals and Dogmaの訳出を続けるとして)そのうえ、グノーシス派の一セクトでは[蛇]をして良き性質の存在と見倣し、砂漠にてモーセが掲げたとのブレイズン・サーペント(真鍮の蛇)はそれを見たイスラエルの民をして生きせしめたとのものである」
(以上、細かくも補いつつの訳を付しての引用部とした)
細かくも注記を付した上の引用部だけからして欺瞞性が感じられる申しようとは何なのかについてひとつ理解いただけるのではないか、とは思う(ヤキンとボアズの柱を旧約聖書にみとめられる[真鍮の蛇]の象徴と結びつけているアルバート・パイクは、と同時に、「フェニキア人やエジプト人が蛇を崇めていたのだから人類の堕落が蛇によってもたらされていたというのは正しい見方ではない」との意見を呈している。だが、アルバート・パイクによると[蛇を神なるものと見なしていた]フェニキア人については[モロク]との神と結びつけられているとのことが一般論としてよく知られており、そちら[モロク]、旧約聖書にてはソロモン王 ―フリーメーソンがその神殿の再現を理想とする悪鬼羅刹の類を使役したと伝わる王である― が崇拝をなしたと伝わる(ユダヤ教・キリスト教から見ての)異教神となり、かつ、旧約聖書それ自体にて[ソロモンの妻らにあたる女達が犠牲を捧げたこと]が言及されている[人身御供の焼殺儀礼を伴っての神]ともなる。また、パイクは(モロク崇拝の)フェニキア人が崇めていた蛇をして太陽の象徴と述べているが、同男パイクは同じくもの著述内にて太陽の象徴を[万物の目]や(ブレイズン・サーペントに響き近くもある)「ブレイジング・スターと同一視しもしている。そこから [フリーメーソンのソロモン崇拝][フリーメーソンの中空より覗く一つ目のシンボリズムの重要視]に対する欺瞞性そのものに対する自己言及が透けて見えるとの感がある ―ただし、それが現実的問題に通じているのかいないのかは一部の選りすぐりの者らが集まっての扉の奥で何が行われているのか、あるいは、行われていないのかを把握していないとの筆者含めての[フリーメーソンから見ての部外者]には明朗には断じられないようになっている― )。
(ここまででもって[アルバート・パイク著作にてヤキンとボアズの柱が[真鍮の蛇]と結びつけられている節がある中で同メーソン有力者アルバート・パイクに[蛇]がいかように解釈されているのか指摘することにした]との脇に逸れての補足を終える)
さて、先に呈示の図らにあっての下の段の図は Project Gutenbergを介して全文公開されているフリーメーソン関連の著作、
Washington's Masonic Correspondence(1915年刊行/フリーメーソン( Julius Sachseという20世紀初頭にて執筆なしていたとのフィラデルフィアのメーソン)の手になる著作)
にて掲載されている図を(以前の段でも挙げたところながら)再掲したものとなる。
アルバート・パイクの Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonryに認められる口上によると、(以下、すぐ上の段にても引用なしたところをくどくも繰り返しもするが)、
The Solstices, Cancer and Capricorn, the two Gates of Heaven, are the two
pillars of Hercules, beyond which he, the Sun, never journeyed: and they
still appear in our Lodges, as the two great columns, Jachin and Boaz,
and also as the two parallel lines that bound the circle, with a point
in the centre, emblem of the Sun, between the two tropics of Cancer and
Capricorn. The Blazing Star in our Lodges, we have already said, represents Sirius,
Anubis, or Mercury, Guardian and Guide of Souls. Our Ancient English brethren
also considered it an emblem of the Sun. In the old Lectures they said:
"The Blazing Star or Glory in the centre refers us to that Grand Luminary
the Sun, which enlightens the Earth, and by its genial influence dispenses
blessings to mankind." It is also said in those lectures to be an emblem of Prudence. The
word Prudentia means, in its original and fullest signification, Foresight: and accordingly the Blazing Star has been regarded as an emblem of Omniscience,
or the All-Seeing Eye, which to the Ancients was the Sun.
(補いながらもの拙訳を付すとして)「[至点](訳注:一般教養を出ないような話だが、[至点]とは天文学・占星術に見る夏至と冬至の現出のポイントとなる、すなわち、一年を通じて太陽の赤道からの距離が極限に達するポイントとなる)、そして、[巨蟹宮(きょかいきゅう)および磨羯宮(まかつきゅう)](訳注:黄道12宮の構成要素)、そして、[天にあってのゲートとなるところ]は[ヘラクレスの柱ら]でもあり、それらを越えては太陽たる彼が決して旅しなかったとの地点を指しもし、我々(訳注:ここでは『モラルズ・アンド・ドグマ』執筆者たるアルバート・パイクらメーソンを指す)にあってのロッジにて二つの偉大なる柱、[ヤキンとボアズ]として具現化を見てもおり、それらは換言すれば、[巨蟹宮(きょかいきゅう)と磨羯宮(まかつきゅう)の二つの回帰線(夏至線・冬至線)の合間の中央に太陽の象徴たる環を置いたうえで境界をなす二つの対称性呈してのラインら] となっている。 我々のロッジにてのブレイジング・スターは既に述べているように、シリウス・アヌビス、あるいは、マーキュリー、魂の守護者にして案内人を指すものであるが、我々の古き英国の有朋ら(訳注:ここでの「英国の有朋」表記は抜粋元文書の著者たるアルバート・パイクが米国系メーソン有力者であったところ、同男が英国系メーソンを指してそうした書きようをなしているとの部となる)はそれ(ブレイジング・スター)をして太陽の象徴と考えている。古き講釈曰くのところとして、「ブレイジング・スターあるいは(ヤキンとボアズらの二つの回帰線の間にあっての)中央にあっての光輝あるものは地球を照らす偉大なる明るき太陽、その温かみのある影響力によって人類に天恵をもたらしてきた存在である」とされている。また、同様にそれら講釈にあってはブレイジング・スターをしてプルーデンス、思慮分別の象徴とも語っている。プルデンシアとの語はその原義かつ最も充足的な意味合いとして[先見の明]を意味し、それに応ずるところとしてブレイジング・スターは全能性、すなわち、古代人にとって太陽であったとの万物を見通す眼の象徴と見倣されてきたのである」
とのことであるから、中空に浮かぶ万物を見通す眼(オール・シーイング・アイ)の両脇にある柱らは[ヘラクレスの柱]でもあるとの[ヤキンとボアズの柱]とのことになり、上掲図の下の段にて再掲しての図に認められる柱ら(中央に万物を見通す眼を配しての柱ら)もまた、ヤキンとボアズの柱であるとのことになる。
ここまででソロモン神殿の前に立つヤキンとボアズの柱がフリーメーソンにとり重要なシンボルとなっていることを再度もってして訴求すべくもの話をなしたところで、次いで、(ここ図を多用しての出典(Source)紹介の部105にての)話をとりまとめるものとしての下のような図を挙げておく。
上掲図にての上の段、右側は
[ Jacques Etienne Marconis de Negreとの19世紀のメーソンがものした著作としてオンライン上にそちらPDF版(1849年刊行のフランス語書籍としてのPDF版)が現行流通している著作 Le Sanctuaire de Memphisにての120ページおよび121ページの間にて掲載されている図像よりの「再度に次ぐ再度の」抜粋をなしてのもの]
である。
同図にあって「も」フランス語の Colonne Jakinおよび Colonne Boazとの語句の付記からも分かるようにヤキン(ジェイキン)・ボアズとしてのメーソン象徴が描かれている。
他面、上掲図にての上の段、その左側は「ヤキンとボアズが正面に打ち立てられている」ものであることで知られるソロモン神殿を露骨に想起させるソロモンの家という組織が主たる作中モチーフとなっている『ニューアトランティス』にて掲載の口絵を再掲してのものとなる。同『ニュー・アトランティス』に描かれている口絵については ―(そちら図像とフリーメーソン・シンボル画のヤキン・ボアズを描いた口絵ありようとの視覚的一致性については先の段にても図にて示したこととなるが)― [ソロモン神殿を介しての意味論的なるつながり]「も」がフリーメーソン画との間に成立しているとのものとなる ―※『ニュー・アトランティス』の主要なる作中テーマが(先立っての段にて詳述なしてきたように)[ソロモンの家(サロモンの家)による文明育成の理想の呈示]とのことにあるがためにメ-ソン画との意味論的なるつながりが成立している(とのことが述べられる)― 。
以上のこと、上記図像らにあっては([視覚的なるつながり]のみならず)[ソロモン神殿を介しての意味論的なるつながり]「も」が存在しているとのことにより、そう、
[[メーソン・シンボルら]および[ソロモン神殿の柱の間に球体を配するやりよう](『ニュー・アトランティス』描写)の複合的つながり]
から
[ツインタワー敷設の球形オブジェの爆破を筋立てとする特定作品(『ファイト・クラブ』)に見る特定部描写](上掲図の下側の段にてそれにまつわる場面をくどくも再掲しているとの『ファイト・クラブ』収録DVDにあっての再生時間にして[1時間45分44秒]から[1時間45分55秒]の箇所にて現出するところの場面)
のフリーメーソン的側面が
「さらにも見てとれる」
とのことになる。そのことの解説を(話が多分に脱線するようなところもあったが)ここまでなしてきた。
話が極めて長く、入り組んだ方向に向かっているとの認識がある。そこで、である。ここ出典紹介部(出典(Source)紹介の部105と振っての部)を終える前に[整理]を兼ねての表記を下になすこととする。
その点、ここまでの引用部ら・図解部らを通じて、直下にての[第一から第五と分けもしてのことら]をこの身、筆者が指摘したいのだとご理解いただけることか、と思う。
第一.[映画『ファイト・クラブ』にあってのスフィア・イミテーション爆破シーンがフリーメーソンの「通用性が高い」図像体系と接合しているとのことが[現象]としてある]
第二.[上にいうところの図像体系は悪鬼悪魔の類を契約に基づき使役した存在であるとのソロモン王が建立させた【ソロモン神殿】(の柱)と関わるところのものである]
第三.[視覚的にツインタワーと照応する式が映画『ファイト・クラブ』にて現出している【ソロモン神殿の柱ヤキン・ボアズ】に関しては ―(ヤキンとボアズは(引用なしたアルバート・パイク著作の記述に見るように)【ヘラクレスの柱】にも仮託されるものでもあるわけではあるも)― それらがフリーメーソンにとって極めて重要なシンボリズムになっているとのことが【ソロモン神殿】がメーソンにとり極めて重要視されているものであること(フリーメーソンとは彼ら自身の弁によるとソロモン神殿を組織理念の中枢に据えての団体である)、そして、初期フリーメーソン的紐帯の創始者と学者の類に論じられてきもしたフランシス・ベーコン(経験哲学の祖としての教科書にお目見えしているような歴史上の人物)が[サロモンの家]をその著作である『ニュー・アトランティス』で[理想的なる文明の育成装置]として引き合いに出していることから「も」窺い知れるようになっている]
第五.[初期フリーメーソン的紐帯の創始者と学者の類に論じられてきもしたフランシス・ベーコン(経験哲学の祖としての教科書にお目見えしているような歴史上の人物)が[サロモン(ソロモン)の家]を[理想的なる文明の育成装置]として持ち出している『ニュー・アトランティス』という著作にあってはその扉絵に[二本の柱の間に球体を据え置く構図]が配されており、そこからして映画『ファイト・クラブ』に現出している(諸所のフリーメーソン象徴画に照応する)[スフィア・イミテーションの爆破]と[現実世界にあってありし日そうであったツインタワーの間に配されていたフリッツ・ケーニッヒの手になるザ・スフィア]の関係性のことが想起されるとのことがある]
以上のことに言い過ぎ・行き過ぎの類がないか、生き残るための努力をなすとの意志がある向きに確認を請いたい次第でもある。
(「長くもなっての」図を多用しての出典(Source)紹介の部105はここまでとする)
さて、以上、摘示してきたことらから
[映画『ファイト・クラブ』がいかに[フリーメーソン的なる作品]なのか]
[同作『ファイト・クラブ』で描かれるファイト・クラブそれ自体およびファイト・クラブのテロ挙動にて現出するシンボリズムがフリーメーソン・シンボリズムといかに濃厚に接合するようになっているのか、および、その延長線上として何が述べられるのか]
とのことを(I.からV.と分けもして)問題視しているとの本段にあって取り立てて重要であると訴求したいのは次のことらである。
[ツインタワー合間のオブジェの露骨なイミテーションを用意し、それを複数ビルら発破倒壊計画の露払いとして爆破するとの粗筋を有している映画『ファイト・クラブ』にてのそちらイミテーション・オブジェ爆破シーンがフリーメーソンの象徴画ら(トレーシング・ボードら)一般の構図から当然に[ソロモン神殿の合間]にての挙動と推察されるようになっており、ツインタワーはソロモン神殿のヤキンとボアズの柱に仮託されているとの観点が出てくる(フリーメーソンリーの一般的シンボルに見る【特徴的なステップ(小階段)】/【チェス盤】/【ヤキンとボアズの柱】の配置と『ファイト・クラブ』爆破シーンの【特徴的なステップ(小階段)】/【チェス盤】/【ツインタワー(二本の柱)の合間におかれたスフィア・イミテーション】の配置との近似性についてはくどいほどに摘示してきた)]
[ツインタワーがヤキンとボアズの柱に視覚的にオーバーラップする(フリーメーソンが実際に爆破挙動にて使役されたかは論点として棚上げにしたとしても実際にオーバーラップするように[現象]としてなっている、でもいい)ようになっているとのことがある中でヤキンとボアズの柱についてはそれら柱らが【ヘラクレスの柱】に比定される存在であるとのフリーメーソンの申しようが存在している]
上のことこそがここ本段を含むI.からV.を包摂する部にあっての主要テーマである、
[『ファイト・クラブ』で描かれるファイト・クラブそれ自体およびファイト・クラブのテロ挙動にて現出するシンボリズムがフリーメーソン・シンボリズムといかに濃厚に接合するようになっているのか、および、その延長線上として何が述べられるのか]
とのことにまさに関わるところなのだが、本稿これまでの段で何度も何度も申し述べてきたところと接続するところとして、
[次のこと]
がこの世界には[現象]として具現化しているとのことがあるがゆえに同じくものことを重要であると筆者は取り立てて強く訴求したいと判じているのである。
⇒
[911の事件が発生することを事前に言及しているような流通作品「ら」が現実に「他にも」存在している ―「どういうわけなのか」存在していると申し述べてもいい― とのことがこの世界にはあり、それら予見的作品にあっては[ヘラクレス12功業](なかんずく、うち、第11功業)との接続性「までも」が存在している ―※尚、本稿ここに至るまで呈示してきた例は【黄金の林檎】(ヘラクレス第11功業の目標物)をタイトル副題に掲げる70年代欧米ヒット小説のジ・イルミナタス・トリロジーのような一例に留まるが、無論、不快な他例が存在していることも本稿のよりもって後の段で紹介することとなる― ]
⇒
[(これより『ファイト・クラブ』以外の他の例についても紹介していく所存だが)911の事件の予見的言及をなしている文物にあってはフリーメーソン象徴主義、ひいては、の中のヤキンとボアズの柱のこともが関わっている作品らが含まれておりもし、そこに見る【ヤキンとボアズの柱】については(当のフリーメーソンがそのように自認しもしているところとして)【ヘラクレスの柱】に置き換えられるものである、そして、【ヘラクレスの柱】とはヘラクレス第10功業にて打ち立てられているものである(出典(Source)紹介の部90)とのことがある。であるから、そこからして911の事件の予言的言及とヘラクレス12功業との繋がり合いが具現化していると述べられる]
以上が『ファイト・クラブ』とフリーメーソン・シンボリズムがいかに地続きの関係を呈しているのかをここ本段にて問題視しもしていることの
[そもそももってしての理由]
となりもする次第である ([知]あるいは[精神の自由度]の欠如がゆえに[問題の本質]を見極めることができない、そういう筋目の者達は誤解するかもしれないが、筆者の念頭にあるのはフリーメーソン陰謀論を展開することなどではなく、フリーメーソン・シンボリズムと911の前言事象が[現象]として「確として」接続しているとのことがある中でそうもした[不自然なること]が[恣意の賜物]であるとして、何故、そうもしたことになっているのか、とのことであり、フリーメーソンの紐帯に属しているゾンビのような存在らが[事件の演出 ―直接的に飛行機でツインタワーに突撃することだけが演出ではなく、本来的にはラディカル・セクトのドグマの問題では済まされないものを[テロ]と鼓吹・呼ばわり、それを社会に押しつけることもまた[演出]である― ]にいかほどまでに関与させられているのか、あるいは、いないのか、といったことははきと述べれば、(そうもした筆者のこれ現行に至っての問題意識にあっては)本来的には些事・瑣末なことですらある ―※糸繰り人形を動かすパペッティア、人形遣いが我々人類に何をなさんとしていると示唆しているのか(または自分達の身内で確認しあっているのか)とのことが「いかように堅い線で」推し量れるのかが問題なのであり、人形らがどういう面構えをしているのかなどということはある種、どうでもいいことであろう?とのことである(芝居の演目が皆殺しの[「現実的」事前意思表示]である中で芝居に登場している人形らがどういう姿形を呈しているのかをそれに一意専心特化して細かく批評せんとするのは[馬鹿](失敬)だけであろう?でもいい)― )。
(以上、ここまでをもってしてI.からV.と振っての一連の部の中にあってのIV.と振っての部とする)