典拠となるところの明示[24]――斯界のカリスマと評される物理学者キップ・ソーン
の手になる著作を契機に指摘できもすること(2)

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ブラックホールにまつわる文物らが何故にもって[「奇態なる」先覚的言及]と結びついていると述べられるのか、属人的主観の類が一切問題とならぬとの式で[文献的事実]のみより摘示なせるところ[2] ――(先立って摘示してきた関係性の延長線上にあって問題となることについて)―― 

(直前頁内容の振り返り表記をまずもってなす)

(A.からF.と振って順々段階的になしていくと申し述べた話のうちのE.の段に入ってのこととして)
直前頁にあってはまずもって著名物理学者(著名性のありようも基本的なところから引いて解説しているとの著名物理学者)として知られるキップ・ソーンの著作、
BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』
特定部内容 ――[双子のパラドックス]という言葉で表されるところの機序を利用して通過可能なワームホールをタイムマシンとして構築するとの部の内容―― を紹介し、そちら内容が[双子のパラドックス]と表される現象を媒介として

[日本のお伽噺における浦島伝承]

といかように近しいものとなっているのかとの流れでの説明を講じてきた(:の過程ではキップ・ソーン著作 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』にみとめられる思考実験を浦島伝承にそのままに当てはまるといかような形容がなせるのか、との式での細かい解説をもなしもした)。

 以上のような流れの延長線上として前頁では「より先立っての」解説事項、端的に述べれば、

従前より[加速器の類][ワームホールの類]を爬虫類の異種族の来訪・来寇と結びつけているとの作品が複数作存在している
それら作品の中には奇怪な先覚性を帯びている作品らが見受けられる(解説済みのところとしてはキップ・・ソーンの通過可能なワームホールの思考実験を通じて[通過可能なワームホール]の材料になると80年代より考えられ出した[負のエネルギー]、そちら[負のエネルギー]と結びつく物理現象を捕捉したカシミール効果測定実験(1948年実施)と同文の式を1930年代に持ち出しており、かつ、人工宇宙の創造者によって惑星らが繋ぎ合わせられての闘争下で爬虫類に似た種族による人間による似た種族の皆殺しが完遂されるとの描写がなされるとのフィクション『フェッセンデンの宇宙』のことが挙げられる)

との内容にまつわる「より先立っての」解説事項を一端振り返りもし、さらにそこから

[子供受け荒唐無稽映画との体裁をとる(としか解しようがない)との映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』が[911の先覚「的」言及描写を含む作品]となっており、かつまた、[ワームホールの効果を想起させる異世界の融合を主軸とする作品]となっている]

との(同文にもの)従前解説事項の振り返り「をも」なした。

 そして、[上階に風穴が開き崩落するツインタワー]を90年代前半にワンカットで登場させているとの映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』が
[[亀の悪役退治のゲーム作品]から[恐竜人の次元融合の企みを阻止する作品]へと変じての作品]
となっていることの意味性につき ――「それ単体だけで問題視するだけにおいては下らぬ人間(あるいはそれと類似の神秘主義者)に由来する子供向けの馬鹿噺に留まるところと解される言い様ではあるか」と述べつつも―― 同作『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』に
[「亀」に乗って「竜」宮に辿り着く浦島伝承(;双子のパラドックスとの近似性が問題になる伝承)とのアナロジー(類似性)]
を見出すことすら行き過ぎにならないだけのことがある(むしろそこに着目しない方が問題になるだけのことがある)と申し述べた。

 ここ本頁では直上振り返りもしての内容にあっての

[「亀」に乗って「竜」宮に辿り着く浦島伝承(;双子のパラドックスとの近似性が問題になる伝承)とのアナロジー(類似性)][荒唐無稽子供向け映画との体裁をとる『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』に[「亀」に乗って「竜」宮に辿り着く浦島伝承(;双子のパラドックスとの近似性が問題になる伝承)とのアナロジー(類似性)]を見出すこととても行き過ぎになんらならない]

とのことにまつわりそうも申し述べるところの二つの理由の概要をまずもって呈示する(それら委細の解説に先駆けて概要をまずもって呈示する)とのことから話をはじめる。

(荒唐無稽映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』に浦島伝承との関連性をみとめることとて行き過ぎにならぬところの理由として)

 第一。

  物理学者キップ・ソーンの[通過可能なワームホール]にまつわる解説のなしようを取り上げる中で内容を問題視し、そこよりの原文引用をなしてきたところの書籍が BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』(亀の移動時間にそれを当てはめると浦島伝承にそれが接合するとの[双子のパラドックス]を[ワームホール型タイムマシン]に応用しての論理を展開していること、本稿にてのつい先立っての段で細かくも解説したとの科学書)という書籍となるわけだが、同著はそれ自体からして

[911の発生を明瞭に予見しているが如くもの「露骨な」予言的作品]

となっており、その絡みで映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』と不快かつ奇怪に結びついているとの側面が ―認めがたいこととは思うが― 確としてある(については本稿のさらに続く段で原著および訳書よりの原文引用を必要十二分と解されるだけなしながらもの細かき解説をなす)。

 であるとすると、そう、表記のソーン科学書 ――ここ本段ではいまだ解説未了ながらもの911の発生に対する予言的作品としてのソーン科学書―― と映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』の間に不快な関係性が成立しているとすると、

ソーン科学書 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』⇔[双子のパラドックス]⇔[浦島伝承]

との関係性のパス、

ソーン科学書 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』⇔(911の予見作品としての側面)⇔『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』

とのパスが「別個独立に」成立していることになる。

 換言すれば、である。

[浦島伝承]⇔([双子のパラドックス]とワームホールにまつわる思考実験を介しての近接性)⇔『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』⇔(911の事件にまつわる先覚的言及(後述)/ワームホール関連トピック)⇔『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』(「亀」救出ならぬ「亀」軍団退治のゲーム作品を原作とする恐「竜」人の次元接合のための暗躍を描く映画作品)

との関係性のパスが
[別個独立に成立しているところの関係性の合算]
から導出できてしまうことになる(であるから、映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』と浦島伝承の間にてのたかだかもの[「亀」と「竜」(竜宮)との爬虫類がらみのアナロジー(類似性)]にまつわる側面についてすら着目すべきとの話が馬鹿げたものでなくなるとのことがある)。

(荒唐無稽映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』に浦島伝承との関連性をみとめることとて行き過ぎにならぬところの理由として)

第二。

 特殊相対性理論から導き出せる帰結に相通ずること(双子のパラドックス)に言及しているような色彩を伴っているとの簡明化して解説した側面を有している以外に、浦島伝承それ自体からして奇怪な側面が付き纏っている。
 細かくもの論拠は続いての段にて挙げるが、伝承などの文化伝播が相互に観念しづらい領域、
[中世期アイルランドにて成立したとされる伝承]

[上代日本(奈良期日本)に成立したとされる浦島伝承]
がピタリとした数値的一致性を呈しながらほぼ同じ内容を有しているとのことがある。
 そのような[奇怪]なること ――(本稿にての先立っての段で炙り出しているように70年代にあって[現行加速器に対往時加速器で200倍近しいものを登場させ、そのCERN加速器を想起させる機関のビーム照射挙動でブラックホール生成がなされるように描いている作品]が存在していることも奇怪なことなのだが、それに類するところと見えもする[奇怪]なるところ)―― にまつわる話であるから、そちら浦島伝承と[予言「的」作品](ツインタワーの崩壊を予見するような描写を含む作品)としての『スーパーマリオ魔界帝国の女神』という現代映画作品との間のアナロジー(類似性)を問題視することは[子供だましの文物より引き出しての子供だましの話]で済まされるようなことではない(とのことがある)。

 上の第一および第二の点につき便宜的にここでは第二の点よりの解説をなす(第一の点に関しては本稿のさらに後の段にて何がどう問題となるのか事細かに解説する)。 

 それでは以下をご覧いただきたい。

[浦島伝承について]

 ここより(出典紹介を厚くしての本稿なればこそ)下のことにまつわる論拠を事細かに呈示することとする。


[初期、浦島太郎伝承が[浦島子]と呼ばれる男を主人公とした[竜宮]ではなく[蓬莱山ホウライザン](あるいは常世・海底の宮)に向けての異界滞在神話であったこと]

[浦島太郎(初期、浦島子と呼称)が仲睦まじくなったのは乙姫ではなく亀の化生(けしょう)した仙女であったこと]

[初期の浦島子伝承にては[三年の異界滞在]が[三〇〇年の現実時間]に対応させられていたこと]



| 出典(Source)紹介の部29 |

 本段、出典(Source)紹介の部29にあっては、


[初期、浦島太郎伝承が[浦島子]と呼ばれる男を主人公とした[竜宮]ではなく[蓬莱山ホウライザン](あるいは常世・海底の宮)に向けての異界滞在神話であったこと]

[浦島太郎(初期、浦島子と呼称)が仲睦まじくなったのは乙姫ではなく亀の化生(けしょう)した仙女であったこと]

[初期の浦島子伝承にては[三年の異界滞在]が[三〇〇年の現実時間]に対応させられていたこと]


とのことにまつわっての出典紹介を必要十二分と判じてのソースを挙げることでなすこととする (余談めくところとして、何故、そういう出典紹介が微に入っての式で易々とできるかだが、「それは、」初版数千部との予定で商業出版契約の話がまともっていた ――が、大手出版社出入りの相応の人脈などによって[強くもトンデモ化]が指向されるようになった(人間の進歩にとって害物にしかならぬとしか言い様がない[愚書・悪書の類]に成果物が貶められそうになった)中でそちら出版計画は頓挫した―― との拙著の執筆過程で同じくものことの情報収集に励んでいたとの個人的背景がこの身にあるからである) 。

(直下、『浦島子伝』(一九八一年に現代思潮社より刊行/著者は重松明久(元広島大学教授.物故者))、そのp.105からp.106よりの中略なしつつもの原文引用をなすとして)

浦島伝説は恐らく六、七世紀に濫觴(らんしょう)し、今日に至るまで諸種の文芸や昔話の形式で、書きつぎ語り伝えられてきた、かなり息の長い説話である。
・・・(中略)・・・
初期の伝記においては、主人公の名前はほぼ一貫して浦島子と表記されており
・・・(中略)・・・
室町時代頃成立した小説類以降においては、主人公は一転して浦島太郎とよばれることも、周知のところである

(まずもっての引用部はここまでとする)

(次いで、直下、上と同じくもの『浦島子伝』(現代思潮社)、そのp.120よりの中略なしつつもの原文引用をなすとして)

『風土記』系と『万葉集』系のうち、何れをこの伝説の本源的な型と考えるべきかについて、従来対蹠(たいしょ)的な見解が見られる。まず『万葉集』系に軍配を上げられるのは、佐々木信綱氏である。佐々木氏は『万葉集』の長歌が、浦島伝説のなかで最も原始的かつ本源的な形をもつとする。その理由として、「日本紀も風土記も、ともに浦島が亀を得、亀が神女と化したとあるが、これは長歌にはない。両書とも女を蓬莱の神女とした。これは言ふまでもなく志那思想の影響で、長歌では単にわたつみの神の女となつてゐる。而してまた、蓬莱といふ如き思想は長歌には見えないで、単にとこ世、即ち遠い国なる海底の宮となつてゐる(以下略)」

(引用部はここまでとする)

 以上の浦島伝承について一意専心して論じているとの学者解説本 ――今より30年以上も前に、大正生まれの学究がものした書籍とのことで旧字体・文語調が際立つ書物となっている『浦島子伝』―― にて言及されていることは次の通りのことである。

・室町時代に入る前に浦島太郎は浦島子と呼ばれ、その伝承は6世紀から7世紀に成立を見ている(濫觴らんしょうを見ている)。

・浦島子の伝承のうち、初期のものの[万葉集]系と[風土記]系では浦島は亀に化身しての神女と出会い、蓬莱とその伝承は結びつけられている(ただ、蓬莱(ほうらい/中国の伝承にあっての不死の神仙らが住まう桃源郷)については、代わって、常世(とこよ)、遠い国としての海底の宮ともされている)。

 次いで、上のことを示しもし、さらにもって、本稿本段に問題している浦島伝承に伴う奇っ怪な側面にも通ずる古典([逸文]、すなわち、引用形態のみで伝存しているとの古典)それそのものの記載内容を下に引くこととする。

(直下、同じくもの『浦島子伝』(現代思潮社)、そのp.11からp.13、『丹後国風土記』収の浦嶋子伝承に対する訓読文よりの問題となる部の掻い摘まんでの抜粋をなすとして)

丹後国風土記に曰く、與謝(よさ)の郡(こほり)、日置(ひおき)の里に筒川の村あり。此(ここ)の人夫(たみ)、
・・・(中略)・・・
筒川の嶼子(しまこ)と云(い)ひき。人と為(な)り、姿容(すがた)秀美(うるは)しく、風流(みやび)なること類なかりき。
・・・(中略)・・・
長谷(はつせ)の朝倉の宮に御宇(あめのした)しろしめしし天皇(すえらみこと)の御世(みよ)、嶼子(しまこ)独り小船に乗りて、海中(うみなか)に汎(うか)ひ出て、釣為(つりす)ること、三日三夜を経て、一つの魚だに得ず、乃(すなわ)ち、五色の亀を得たり。心に奇異(あやし)と思ひて、船の中に置きて、即(やが)て寝るに、忽(たちまち)に婦人(おもな)と為(な)りき。其の容(かたち)美麗(うるは)しく、更比(またたぐ)ふべきものなかりき
・・・(中略)・・・
爰(ここ)に嶼子(しまこ)神女(かみおとめ)なることを知りて、懼(おそ)れ疑ふ心を鎮(しず)めき。
・・・(中略)・・・
女娘(をとめ)曰(い)ひけらく、「君宣(きみうべ)棹(さお)を廻(めぐ)らして蓬山(とこよのくに)に赴(ゆ)かさぬといひき。嶼子(しまこ)従ひて往(ゆ)かむとしき。女娘(をとめ)、教えて目を眠らしめき。即(すなわ)ち不意の間に海中(うみなか)の博(ひろ)く多きなる嶋(しま)に至りき
・・・(中略)・・・
時に嶼子(しまこ)、旧俗(もとつくに)を遺(わす)れて仙都(とこよ)に遊ぶこと、既に三歳(みとせ)を逕(すぎ)たり。忽(たちまち)に土(くに)を懐(おも)ふ心を起(おこ)るに、独り親(かぞいろ)を恋(こ)ふ。故(かれ)、吟哀(かなしび)繁(しげ)く発(おこ)り、嗟嘆(なげき)日に益(ま)しき。女娘(をとめ)、問(と)ひけらく 
・・・(中略)・・・
女娘(をとめ)、玉匣(たまくしげ)を取りて嶼子(しまこ)に授けて謂(い)ひけらく、「君、終(つひ)に賤妾(やっこ)を遺(わす)れずして、眷(かへり)み尋ねむとならば、堅く匣(くしげ)を握(と)り、慎(ゆめ)、な開き見たまひそ」といひき。
・・・(中略)・・・
先世(さきのよ)に水江(みづのえ)の浦嶼子といふものありき。独り蒼海(うみ)に遊びて、復(また)還(かへ)り来ず。今、三百余歳(みほとせあまり)を経(へ)つといへり。何ぞ忽(たちまち)に此(こ)を問ふや」といひき

(引用部はここまでとする ―※― )

(※上は原典ではなく[逸文](引用文)との形態で今日に伝わる『丹後国風土記』の浦島子伝承にまつわる下りの一部パートよりの引用、学者が訓読文として紹介しているパートよりの原文引用なしてのものとなるが、同じくもの古文にて見受けられるところは
「浦島が[仙都][(亀の化身の女に連れられて到達し蓬莱で[とこよ]と訓読されている)で三年あまりすぎたところ、故郷・親族に対する懐旧の情を抑えがたくなり」
「玉匣(たまくしげ/玉手箱)を開けるな、と言われて受け取って帰還したらば」
「故郷の住人に[浦島子という男が三百年前に失跡したと伝わっていること]を耳にした」
とのパートである(ここで常識人ならば、「300年も前の失踪のことが一般の里人に覚えられているなんてどれだけマーベラスなセレブなんだよ。浦島っていう奴は.」などと思うだろうが、ここではそういうありうべき突っ込みの問題は脇に置いておく)。
 上の引用部では、

「浦島の異境滞在が丹後国風土記 ―8世紀には成立したとされる文書で逸文(引用形態)でのみ残存― の時点からして三年と三〇〇年の対応関係を呈している」

とのこともが記されている(また、さらに述べておけば、丹後国風土記バージョンでは玉手箱(玉匣たまくしげ)を開いた後の浦島の有り様が果たして[老化]にあると言いきれるのか、ぼかされているとの風もあるが(「かぐわかしき姿が風に吹き消えた」 ――上述引用元の訓読文表記では「芳蘭(かぐわしき)き体(すがた)、風雲(かぜくも)に率(したが)ひて蒼天(あめ)に翩(ひるがへ)り飛びき」―― とあるのみであるが)、万葉集にて掲載のバージョン(物部氏に連なる歌人、高橋虫麻呂の作とされる長歌)でははきと[浦島が老化した]と記載されていることが知られている(については和文ウィキペディア[浦島太郎]項目にも記載されていることである)

 細々となりはしたが、これにて


[初期、浦島太郎伝承が[浦島子]と呼ばれる男を主人公とした[竜宮]ではなく[蓬莱山ホウライザン](あるいは常世・海底の宮)に向けての異界滞在神話であったこと]

[浦島太郎(初期、浦島子と呼称)が仲睦まじくなったのは乙姫ではなく亀の化生(けしょう)した仙女であったこと]

[初期の浦島子伝承にては[三年の異界滞在]が[三〇〇年の現実時間]に対応させられていたこと]


とのことがそれ専門の学者にそうだと解説されており、実際に古文献にそういう記載がなされている([文献的事実]である)とのことの典拠紹介とした。

出典(Source)紹介の部29はここまでとする)


 浦島伝承についての出典紹介兼ねての解説部はここまでてとして次いで、[ケルトのOisín伝承にあっての浦島伝承と類似する内容]についての解説をなす。

Oisínオイシン(綴りからそうもとられよう呼びようではなく実際の口語発音に近しいかたちで呼称すればオシィアン)伝承について]

 浦島についての丹後国風土記(8世紀日本にて成立の風土記)から打って変わり、アイルランドで成立したとのOisín伝承 (こちらOisín伝承の主役Oisínについては普通一般には(ケルトの発音を意識してか)オシィアンなどと和文では表記されることが多いが、ただし、国内にて流通している著名神話学者ジョセフ・キャンベルの著書 The Hero with a Thousand Facesの訳本(筆者も探求活動の一環として内容精読している訳本)などにてはオイッシンといったかたちで訳され記述されている) にも

「三年と三〇〇年の現世(うつしよ)と異界の時間的差分を[助け出した異界の存在]と夫婦の契りを交わした男が異界から戻っての後、体験し、それとともに一挙に老化したとの粗筋]

が具現化を見ているとのことの論拠を挙げておく(直下、出典(Source)紹介の部30から出典(Source)紹介の部30-2(2)の内容を参照されたい)。


| 出典(Source)紹介の部30 |

 ここ出典(Source)紹介の部30にあってはOisin伝承において[3年異界滞在⇔300年時間経過]との数的規則がみとめられることについて「まずもって基本的なところとして」英文ウィキペディアよりの引用をなすこととする。

(直下、Wikipedia[Oisín]項目にあっての「現行」記載内容より引用をなすとして)

In Oisín in Tir na nÓg, his most famous echtra or adventure tale, he is visited by a fairy woman called Niamh Chinn Óir (Niamh of the Golden Hair or Head, one of the daughters of Manannán Mac Lir, a god of the sea) who announces she loves him and takes him away to Tir na nÓg ("the land of the young", also referred to as Tir Tairngire, "the land of promise"). Their union produces Oisín's famous son, Oscar, and a daughter, Plor na mBan ("Flower of Women"). After what seems to him to be three years Oisín decides to return to Ireland, but 300 years have passed there. Niamh gives him her white horse, Embarr, and warns him not to dismount, because if his feet touch the ground, those 300 years will catch up with him and he will become old and withered. Oisín returns home and finds the hill of Almu, Fionn's home, abandoned and in disrepair. Later, while trying to help some men who were building a road in Gleann na Smól lift a stone out of the way onto a wagon, his girth breaks and he falls to the ground, becoming an old man just as Niamh had forewarned.

(補いもしての訳として)
「『ティル・ナ・ノーグにおけるオシィアン』との作、オシィアンの最もよく知られた[Echtra](訳注:アイルランド古文学体系)または冒険譚であるとの同作にあって彼(Oisin)は Niamh Chinn Oir(訳注:金髪のニアム、海神マナナン・マクリルの娘)、すなわち、彼を愛し、ティル・ナ・ノーグ(訳注: Tir na nÓgとして言及されるケルト神話の妖精らの常若の地、約束の地)に連れて行くと告げた同存在の来訪を受けた。彼ら夫婦の契りはオシィアンの有名な息子オスカー、そして、[乙女らの花]と呼ばれる Plor na mBanの誕生につながりもした。ティル・ナ・ノーグにて三年の時を過ごしたかのように見えた後、オシィアンは故郷アイルランドに帰郷することを決したが、しかし、そこにては三〇〇年の時が経過していた。ニアムはオシィアンに[Embarr]という白馬を授け、仮に足がその馬より離れて接地したならば、過ぎ去りし三〇〇年が彼に追いつき、彼は老い、枯れしぼむことになるのであるから、その馬から下りるなとの警告をなした。オイシンは家に戻り、放置され朽ちるにまかされたアルムの丘にてのフィン(オイシンの父王たるフィン・マックール)の拠点を見つけ出した。後、 Gleann na Smólの地にて道路の開通作業にいそしんでいた男が石を道路から荷馬車に持ち上げて除こうとしているのを手伝おうとしている最中に馬につけてあった腹帯が壊れ、オシィアンは大地に転落、ニアムがあらかじめ警告していたように老人と化してしまった」

(補いながらもの訳を付しての引用部はここまでとする)

出典(Source)紹介の部30はここまでとする)


 話の特異性 ――日本の8世紀頃の浦島伝承と西欧はケルトの僻遠の地アイルランドの中世にてのオシィアン伝承、その「文化的には接合していない」世界の双方の特定文物らが極めて似たような内容を有しており、「現世にての三年は異界にての三〇〇年に相当」との際立っての数値的一致性もが見てとれるとの話の特異性―― に鑑みて記述内容が有為転変するとの英文Wikipedia程度よりの引用だけでは足りぬと見、19世紀に世に出た書籍、

The Science of Fairy Tales同著、1891年刊行の Edwin Sidney Hartlandという19世紀の文化人類学者の手になる著作権保護期間終了の書となり、著作権喪失書籍を公開しているとの Project Gutenbergのサイトより全文ダウンロード可能なものとなる

との著作の内容 ――に見る不変なる文献的事実を体現しての部―― をも下に引いておくこととする。


| 出典(Source)紹介の部30-2 |

 ここ出典紹介のための出典(Source)紹介の部30-2にあっては
[19世紀刊行の著作からしてOisinという男が[異界に三年滞在している間に故地では三〇〇年が経過しており、故地に戻った折、老化の憂き目を見た存在]として言及されている]
とのことを当該の19世紀著作それ自体から引いておくこととする。

(直下、 The Science of Fairy Tales(1891)にての CHAPTER VIII.THE SUPERNATURAL LAPSE OF TIME IN FAIRYLAND[第一三章:妖精界での時の超自然的なる経過]の章p.199、 [オイシン(英語圏綴りではなく古アイルランド語に由来するとされる発声に着目すればオシーンあるいはオシアーン)が妖精国王女がドルイド僧によって豚の顔にされていたところを治癒なして妖精国の王位を継いだとの下り、その「後の流れ」に関する解説部] の記載よりの引用をなすとして)

So he reigned for many a year, until one day the longing seized him to go to Erin and see his father and his men. His wife told him that if he set foot in Erin he would never come back to her, and he would become a blind old man; and she asked him how long he thought it was since he came to Tir na nÓg.About three years,” he replied. “It is three hundred years,” she said. However, if he must go she would give him a white steed to bear him; but if he dismounted, or touched the soil of Erin with his foot, the steed would return that instant, and he would be left a poor old man. This inevitable catastrophe occurred in his eagerness to blow the great horn of the Fenians, in order to summon his friends around him.

(訳として)
「彼(オシィアン)は[エリン](アイルランド異称)に立ち戻るとの切望が彼をとらえてやまなくなったとのその日に至るまでの何年もの間、(妖精国の)統治をなしていた。彼の妻はオシィアンに彼がもしエリン(アイルランド)の地盤に足をつけたのならば、彼は二度と彼女の元へは帰ってこれず、盲目の老人と化すであろうとのことを告げ、その上で、彼にティル・ナ・ノーグ(訳注:オシィアンが足を踏み入れた妖精らの常若の国)に来てからどれほどの時間が経過していると考えているのか、と尋ねた。「およそ三年であろう」と彼オイシン(オシィアン)は答えた。(対して)「三〇〇年です」と彼女は言った。しかしながら、もしそれでも彼が行かねばならぬというのならば、彼女は彼を支えられるだけの元気な白馬を供与するとし、もし、彼がその馬から下馬し、自身の足でエリン(アイルランド古称)の地に足を付けるとのことにあいなったならば、白馬はその刹那に立ち戻り、一人みすぼらしい老人として取り残されるだろうとの(話の)運びとなった。こうして不可避的な破局が[オシィアンの(去りし日の)同僚らを彼の周りに呼び集めるためにフェニアンの巨大な角笛を吹き鳴らそうとの熱情]にて生じることになった」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

出典(Source)紹介の部30-2はここまでとする)


 以上引用部をもってして19世紀末葉に書かれた妖精関連の物語の解説書にあって「も」[三年と三〇〇年の一致性]が具現化を見ているとのことが[文献的事実]の問題としてそこにあること、お分かりのことか、と思う。
 その点、オイシン伝承についてはその[古(いにしえ)にての登場期]からなんの改作改訂もなく「三年、三〇〇年の対応」がそこにあったのかということについて確認困難となっているものでもある。

 だが、しかし、ギンガモール、[レー(Lai)]と呼ばれる[中世詩]の類型に登場する英雄の物語からして
「三日(三年ではなく三日)の滞在が三〇〇年の滞在となっていた」
とのほぼ同様の筋立てを具現化させていることが知られており、そちらギンガモール伝承はよりもって以前から存在していたオシィアン伝承の影響下にあると判じられもする(ようになっている)。そこからして、([三年と三〇〇年か、三日と三〇〇年か]との違いはあるが)、オイシン伝承の近代欧州の蒐集者らが、と同時に、既に江戸期を終えて明治期に入っていた鎖国を終えての日本のマイナーな浦島伝承絡みの特定の下りから影響を受けもし、三年・三〇〇年の下りだけを浦島伝承からオシアン伝承に接ぎ木し今日に伝わる伝承を「改作」・案出したとの発想法は到底、成り立ちがたいものとなっていると判じられるところとなる(少なくともそれ自体[化け物がかった外力の介入]が複数の近代人をして過去偽造・詐欺的剽窃をなさしめたとの仮定を差しはさまないかぎりは、である)。
 同じくものこと、ギンガモール関連の詩に伴っての相似形 ――成立先行するところと解されるオイシン伝承の三年・三〇〇年対応表記に相通ずる三日・三〇〇年の相似形―― については Project Gutenbergを通じて公開されている(従って、書物の全文ダウンロードが容易になせるとの)1907年刊行の書、

ARTHURIAN ROMANCES Unrepresented in Malory's "Morte d'Arthur"

というアーサー王関連の伝承を集めた書物、そのp.21からp.22(プロジェクト・グーテンベルク・サイト表記では21頁から22頁と表記されている節があるが、インターネット・アーカイブ・サイトよりダウンロードできる古書PDF版にあってはp.20からp.21)の内容を引いておくこととする。


| 出典(Source)紹介の部30-2(2) |

 ここ出典(Source)紹介の部30-2(2)にあっては
Oisin伝承と地続きにあると解されるケルト伝承、ギンガモール伝承からして「三日・三〇〇年」との時間の歪みを登場させている]
とのことにまつわっての典拠紹介をなしておく。

(直下、 ARTHURIAN ROMANCES Unrepresented in Malory's "Morte d'Arthur"(1907)古書PDF版にあってのp.20からp.21の内容を引用なすとして)

The waiting maiden had ridden on quickly to the palace wherein Guingamor had entered, and they had decked it richly, and bidden the knights mount and ride out to meet their lady, to do honour to the lover whom she brought with her.[ . . . ] Yet otherwise than he deemed had it chanced to him ; not three days but three hundred years had he been in that palace ; dead was the king, and dead his household and the men of his lineage, and the cities he had known had fallen into destruction and ruin.

(分かりづらいところであるので場面解説しながらもの大要訳を付すとして)
「[待ち人となる乙女](訳注:ギンガモールが白い猪を狩るとの無理難題を負うことになった道中で出会い、騎士道の何たるかを示したとの魔法の国の乙女)はギンガモールが入城することになった宮殿に(馬で、か)乗り入れ、その場に居を定める騎士らが彼らの[淑女]および彼女が連れ立ってきた恋人ギンガモールに祝福を述べに参じた。といった場でギンガモールが過ごしたのは三日ではなく三〇〇年となっており not three days but three hundred years had he been in that palace)、その間にギンガモール故郷の王や彼の血統の者らは皆、死を得もし、ギンガモールが知っている城市らは崩壊・破滅を見ていた」

(引用部はここまでとする)

 以上のような内容のギンガモール伝承の成立時期については同じくもの引用元の書籍( ARTHURIAN ROMANCES Unrepresented in Malory's "Morte d'Arthur")にての96ページ(プロジェクト・グーテンベルク・サイト表記では96頁とされるが、インターネット・アーカイブ・サイトよりダウンロードできる古書PDF版にあっては97ページ)で推定年代12世紀のものとされての記述があり、それについては

(引用なすところとして)

GUINGAMOR.This charming lay was first published by M. Gaston Paris (Romania VIII.) from the same MS. collection as the Lay of Tyolet. The author is unnamed, but the general consensus of critical opinion has attributed it to Marie de France, the famous Anglo-Norman poetess. Certainly both in manner and matter it is a remarkably favourable specimen of the Breton lay.

(補いつつもの訳として)
「ギンガモール.このチャーミングな[レー](中世詩の一形態)は最初にガストン・パリス(19世紀後半期にて主たる活動をなしていたとのフランス人文豪)によって the Lay of Tyolet(アーサー王伝説を収めたブリトン・レー)と同じくものマニュスクリプト・コレクション(写本コレクション)から刊行されたとのものとなる。同ギンガモール叙事詩の著者は知られてはいないが、批評家筋の一般的に同意が得られているところの理解ではその作者はマリー・ド・フランス、有名なアングロ・ノルマン系の女詩人であろうとのものである(訳注:マリー・ド・フランスは12世紀活躍の人物であるから、ギンガモール叙事詩は12世紀の作とされているとのことである)。確かに様式・態様からしてブルターニュのレー(ケルト、ブルターニュの詩形たるレー)の際立って好感得られるとの標本となるものである」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

との言及のされようとなっている。

出典(Source)紹介の部30-2(2)はここまでとする)


 上もてオシィアン(Oisin)伝承の影響を受けていると判じられるギンガモール伝承からして([3年⇔300年]に代えて)「3日⇔300年」との時空間のずれを描いているとの「12世紀成立の」作品であると述べられることの典拠とした。

(※注記として:
 尚、紛らわしいことOsian・Oisinについてはジェイムズ・マクファーソンという人物に由来するところの叙事詩体系に見る主要登場人物、アイルランドの英雄的詩人である伝承上のOisinに範を取った存在たる、

Macpherson's Ossian(「マクファーソンの」オシィアン)と呼ばれる存在

が本来の伝承から遊離しての、

[18世紀後半にあって創作・捏造されたとの疑義・疑惑が色濃くも伴っているとの存在 ――英文Wikipedia[Oisín]項目の後半部にあっても(引用するところとして) Ossian, the narrator and purported author of a series of poems published by James Macpherson in the 1760s, is based on Oisin. Macpherson claimed to have translated his poems from ancient sources in the Scottish Gaelic language. These poems had widespread influence on many writers including Goethe and the young Walter Scott, although their authenticity was widely disputed.(訳文)「ジェイムズ・マクファーソンによって1760年代に刊行された一群の詩らにての語り部および自称作者たるオシアンはOisin伝承に範を置いている存在である.マクファーソンが主張していたところ、彼のオシァンを語り手とする詩らは(彼自身の創作・贋造によるところではなく)スコットランドゲール語による古代文献から訳されてのものであるとのことであった.これら一群の詩らはゲーテおよび若き日のウォルター・スコットを含む数多くの著述家に幅広くもの影響を与えたとのものであるが、しかし、その歴史的真正さも広く議論されているところのものとなっている」との記載が現行、なされている存在―― ]

として口の端によくのぼることがあるようであり、「どういうわけなのか」そちら[「マクファーソンの」オシィアン]に話柄留めての沿革にまつわる話が日本などでは強く取り上げられるようになっているとのきらいがあるように見えもする(:背景には明治期の文士たる夏目漱石が(往時の欧州の文壇の様相を受けてであろうと見える式で)[マクファーソンのオイシン]関連の詩に親しんでいたとの事情があり、また、本筋のOisin伝承に関する分析そっちのけで岩波文庫などからマクファーソンのオシィアン絡みの叙事詩が出版されていたといったことがあるようにも思われる)。 しかしそうした通用度の問題とは別に [「マクファーソンの」オシィアン]とここ本段にて問題視している[オシアン伝承](成立が相当昔に遡るとの詩集である The Colloquy of the Ancients, Tales of the Elders『古老の語らい・古人らの物語』こと Acallam na Senórachにもその登場がみとめられるとされる存在)は[まったくの別物]であるとのこと、混同しないできちんとお含みいただきたい次第である ――ついでに要らぬところとして述べれば、この世界ではたかだかもの[縁起胡散臭い近代の文学作品](18世紀後半初出のマクファーデンによるオシィアンを語り部とする文学作品)などという[どうでもよいもの]がさも縁起由来について分析すべくもの重要なものであるように取り上げられ(本来のOisin伝承がその影に隠れるようになるかたちでもって取り上げられ)、[浦島伝承と本家のOisin伝承の間に普通では説明なしがたい(後述するような理由から普通では説明なしがたい)ような一致性]が存在しているとのことを取り上げる人間が目立っていないとのことにも筆者は嘆息している(:すかすかの目・虚ろな脳髄には、そう、ゾンビのような境涯に甘んじた人間の内面にあっては[偽りの世界を固守することの先に何が待つのか]につき考えは及びもしないし、世界そのものにまつわる愚にもつかぬ常識を破壊することなくして[種の存続]など望みようもないとの観点およびそちら観点導出につながる分析に理解を示すこともないのかもしれないと筆者は見るに至っているが、たかだかものここにて述べている程度のことからしてあまりにも酷いありようであるととらえてもいる)―― )

Oisin伝承にまつわる解説部はここまでとする)

[浦島伝承とOisin伝承の間に横たわる断絶性について]

 以上、ここまでにて[浦島伝承]および[Oisin伝承]双方に

仲睦みあった相手と共に3年程、異界滞在をなした後、故郷に戻ったらば、300年の経過を見ており、直後、老化の憂き目を見た

との式で際立っての相似形がみとめられるとのことの所以たる記述を原文引用にて示し終えたわけではあるも、

[浦島伝承とOisin伝承の間に横たわる断絶性] (類似性が存在しているにもかかわらず存在しているとの断絶性)

について以降、端的なる解説をなしておきたい。

 その点、

日本の上代(奈良期)成立の浦島伝承とアイルランドのオシィアン伝承 ――双方ともに[恋におちた存在によって異界に誘われたとの作品][[三年の異界滞在]が[三〇〇年の現実時間]に対応させられている作品][異界から出た際に禁を破った主人公が時間を失ったとの描写がなされている作品]となっているとの作品ら―― の間に類似性をもたらすような文化的交流が「日本と欧州では」なかった

と解される論拠を ――極々基本的なところ、一般的歴史理解にまつわるものとして―― 挙げておくこととする。

Common knowledge[一般常識]にまつわる話としてまずは基本的なところ、和文Wikipedia[マルコ・ポーロ]項目、[黄金の国ジパング]の節よりの抜粋をなすとして)

マルコ・ポーロ( Marco Polo )は、自らは渡航しなかったが、日本のことをジパング(Zipangu)の名で初めてヨーロッパに紹介した。バデルが校正したB4写本では、三章に亘って日本の地理・民族・宗教を説明しており、それによると中国大陸から1,500海里(約2、500km)に王を擁いた白い肌の人々が住む巨大な島があり、黄金の宮殿や豊富な宝石・赤い真珠類などを紹介している。

(引用部はここまでとする)

 極々基本的なところながら、ウィキペディアよりの引用だけでは心もとないとも考えたので、さらに直下、 Project Gutenbergにて公開されている(日露戦争だに発生していなかった折の)19世紀末刊行の著作Japan(1896年刊行版/著者を日本政府のお雇い外国人ともなっていた米国の大学人デイヴィッド・モルレーとしているとの著作)よりその内容を引いておくこととする

(直下、 Project Gutenbergにて公開されているJapan(1896)の冒頭部よりの引用をなすとして)

The first knowledge of the Japanese empire was brought to Europe by Marco Polo after his return from his travels in China in a.d. 1295. He had been told in China of “Chipangu, an island towards the east in the high seas, 1500 miles from the continent; and a very great island it is. The people are white, civilized, and well favored. They are idolaters, and are dependent on nobody. And I can tell you the quantity of gold they have is endless; for they find it in their own islands.”

(訳として)「日本帝国(と19世紀末にて呼称されていた日本)の最初の知識はマルコ・ポーロが紀元1295年に中国よりの旅行から帰ってきた後に欧州にもたらされることとなった。彼マルコ・ポーロは中国にあってChipangu(ジパング)、大陸から1500マイル程東に離れたところにある島、とても大きな島であるとのその島について伝え聞くことになった。[その住人は色白であり、高度に文明化されており、好意的である。その住人は偶像崇拝主義的であり、また、他の何物にも依存していない]。(そして、マルコ・ポーロが言うところとして)彼らの島が黄金を産出するために彼らが所有している黄金の量が無尽蔵であると述べることもできる・・・(とのものであった)」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 以上のようにマルコ・ポーロ(1254-1324)が紹介するまで日本という中国より東の島国の存在それ自体が欧州には知られていなかったということが[通常の歴史理解]上の話となる(現実にそれ以前に日本のことを問題視している文献的記録が欧州に存在して「いない」と認知されているからこその[通常の歴史理解]である)。

 従って、

[[アイルランド中世にて成立した伝承]⇔[日本の浦島伝承]]

とのかたちでの直接的なつながりは観念できない。少なくとも普通には観念できない。

 では、[間接的なつながり]が問題となる文書が存在するか否かはどうか(たとえば、西洋と東洋の双方に影響を与えたとの[より古き伝承の原型・雛形]が目につかないところであった等等)。

 それにつき考えると、古今東西の東西を垣根で作用していた可能性がある伝承、それらしい伝承は確かに中国にあるようなのであるが(囲碁の観戦をなしていたらば膨大な時間が経っていたとの[爛柯](らんか/囲碁の別称)という言葉の由来につき言及している『述異記』に見る中国伝承]もその範疇に入るだろう)、 だが、しかし、そこにても
[三年・三〇〇年の一致性]
は見受けられないとの按配となっている(:少なくともこの身が「寡聞で「はない」」とのところまで文書探査をなした限りは、である ――但し、異本や異伝の裾野は広いようにもとれ、浦島伝承の元となったとの[洞庭湖の竜女伝承]を収めての中国にての漢魏叢書(中国明代にあっての16世紀末に成立した文書)に収録されている拾遺記(中国の五胡十六国時代の4世紀末記録が6世紀にまとめられたものとされている文書)からして筆者が把握していない3年と300年の数値規則を含む記述を含んでいる版の存在も[もしかしたらばありうるかもしれない]と見はする(ほぼないことか、とは見もしているが)―― )。

 表記の図は浦島「子」伝承(逸文 ―引用形態でのみ残存― とのかたちで上代(奈良期)より日本に伝わる浦島「太郎」伝承の元となるところの伝承)およびOisin伝承(ケルトの古伝承 ――先述なしたところの[「マクファーデンの」オシアン叙事詩]という全くの別物と混同しないこと―― )の間には「文化的接続性がない」ことを視覚的に強調する、ただそのためだけに作成した図である(:初言及の情報をそこに付してのものではないので[たかだかものそうしたもの]と受け取っていただきたい)。
 図の上の段に配しているのは浦島とOisinをそれぞれ描いての近代画だが、彼らの間に横たわる事細やかな一致性については
[文化伝播のパス ――図の下の段にそちら文化伝播についてよく言われてきたところの[エジプトに由来する順々・ゆっくりした一方的流れ]を示しての英文Wikipedia[ Trans-cultural diffusion ]項目に掲載されている図を挙げもしているとのパス―― ]
にて説明がなせない、というのも、「浦島伝承が濫觴(らんしょう.成立)を見たのは6世紀から7世紀であるとされており、オイシン伝承は、の後に、成立している節がある」(先述)、「欧州人が中国人を通じて日本の存在を知ったのは13世紀末であるとされている」(先述)とのことがあるがゆえに説明がなせない、とのことが問題になりもする。

 さて、文化伝播による説明のなしがたさが伴っていることを述べ、もってして、「浦島伝承というものはそれからして不可解な特質を帯びており、それがゆえに、本当の学識ある大人でも軽んじるべきものではない」との訴求の具としたところで、先に問題視したことを繰り返す。

 荒唐無稽映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』に浦島伝承との間にアナロジー(類似性)をみとめることとて行き過ぎにならぬところの理由として次の二点のことらが挙げられる。

(荒唐無稽映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』に浦島伝承との関連性をみとめることとて行き過ぎにならぬところの理由として)

 第一。

 物理学者キップ・ソーンの[通過可能なワームホール]にまつわる解説のなしようを取り上げる中で内容を問題視し、そこよりの原文引用をなしてきたところの書籍が BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』(亀の移動時間にそれを当てはめると浦島伝承にそれが接合するとの[双子のパラドックス]を[ワームホール型タイムマシン]に応用しての論理を展開していること、本稿にてのつい先立っての段で細かくも解説したとの科学書)という書籍となるわけだが、同著はそれ自体からして

[911の発生を明瞭に予見しているが如くもの「露骨な」予言的作品]

となりもしており、その絡みで映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』と不快かつ奇怪に結びついているとの側面が ―認めがたいこととは思うが― 確としてある(については本稿のさらに続く段で原著および訳書よりの原文引用を必要十二分と解されるだけなしながらもの細かき解説をなす)。

 であるとすると、そう、表記のソーン科学書 ――ここ本段ではいまだ解説未了ながらもの911の発生に対する予言的作品としてのソーン科学書―― と映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』の間に不快な関係性が成立しているとすると、

ソーン科学書 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』⇔[双子のパラドックス]⇔[浦島伝承]

との関係性のパス、

ソーン科学書 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』⇔(911の予見作品としての側面)⇔『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』

とのパスが「別個独立に」成立していることになる。

 換言すれば、である。

[浦島伝承]⇔([双子のパラドックス]とワームホールにまつわる思考実験を介しての近接性)⇔『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』⇔(911の事件にまつわる先覚的言及(後述)/ワームホール関連トピック)⇔『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』(「亀」救出ならぬ「亀」軍団退治のゲーム作品を原作とする恐「竜」人の次元接合のための暗躍を描く映画作品)

との関係性のパスが
[別個独立に成立しているところの関係性の合算]
から導出できてしまうことになる(であるから、映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』と浦島伝承の間にてのたかだかもの[「亀」と「竜」(竜宮)との爬虫類がらみのアナロジー(類似性)]にまつわる側面についてすら着目すべきとの話が馬鹿げたものでなくなるとのことがある)。

(荒唐無稽映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』に浦島伝承との関連性をみとめることとて行き過ぎにならぬところの理由として)

第二。

 特殊相対性理論から導き出せる帰結に相通ずること(双子のパラドックス)に言及しているような色彩を伴っているとの簡明化して解説した側面を有している以外に、浦島伝承それ自体からして奇怪な側面が付き纏っている。
 伝承などの文化伝播が相互に観念しづらい領域、
[中世期アイルランドにて成立したとされる伝承]

[上代日本(奈良期日本)に成立したとされる浦島伝承]
がピタリとした数値的一致性を呈しながらほぼ同じ内容を有しているとのことがあるのである。
 そのような[奇怪]なること ――(本稿にての先立っての段で炙り出しているように70年代にあって[現行加速器に対往時加速器で200倍近しいものを登場させ、そのCERN加速器を想起させる機関のビーム照射挙動でブラックホール生成がなされるように描いている作品]が存在していることも奇怪なことなのだが、それに類するところと見えもする[奇怪]なるところ)―― にまつわる話であるから、そちら浦島伝承と[予言「的」作品](ツインタワーの崩壊を予見するような描写を含む作品)としての『スーパーマリオ魔界帝国の女神』という現代映画作品との間のアナロジー(類似性)を問題視することは[子供だましの文物より引き出しての子供だましの話]で済まされるようなことではない(とのことがある)。

 上の第一および第二の点につき便宜的に第二の点からはじめての解説をなしてきたのがここまでの流れであったわけだがこれ以降はそちらこそが重要であるとの第一の点(解説が極めて長くもなりするので後回しにしたとの点)にまつわる解説に舵を切ることとする。

(E.と振っての一連の段はこれにて終えて頁を改めることとする)

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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

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