[アトラス]・[アトランティス]が[トロイア崩壊伝承]と何故もってして複線的に接合していると述べられるのかについて本稿以降の段の事実関係摘示に向けて布石としての詳解を講ずる(5)
直前頁までにて以下のことの典拠を指し示してきた。
順を追って
「[ヘスペリデスの黄金の林檎の園](アトラスの娘らが管掌するアトランティスと結びつけられてきた場)および[カリュプソの島](アトラスの娘の住処となっているアトランティスと結びつけられきた島オーギュギアー島)は双方、伝説上のトロイア崩壊の原因と関係があるものである」
とのこと、すなわち、
「[アトラスの娘らたるヘスペリデスの黄金の林檎の園]で栽培される黄金の林檎が[トロイア戦争の原因]となっていること、また、[アトラスの娘たるカリュプソの島たるオーギュギアー島]が[トロイア崩壊の奸計を奏功させたものの水害に遭い渦潮に呑まれることになった(それは一部古典ではギリシャ勢一般の運命ともされる)との武将オデュッセウス ―彼オデュッセウスは黄金の林檎を巡る争いが戦争に発展する前提条件を整えた者でもある― の漂着先]となっていること、そこから[ヘスペリデスの黄金の林檎の園]も[カリュプソの島]も[海中に没したアトランティスの候補地]のみならず[トロイア崩壊の原因]と結びついている」
とのことがあることを指し示した。
そちら指し示しをなしたこと、端的に述べれば、
[ヘスペリデスの黄金の林檎の園]および[カリュプソの島]は双方、伝説上のトロイア崩壊の原因そのものと関係がある」
とのことは
[[アランティス]と[トロイアの崩壊]の ―黄金の林檎を介しての― 結びつき]
を示すものでもあるが、さらに接合する点として次のようなこともが指摘出来るようになっている。
「トロイアはギリシャ勢に攻め滅ぼされた後、(異伝では)、その元の主(トロイアの民ら)を失った廃墟として占領をなしていた攻め手のギリシャ勢の攻囲用の防壁を伴った陣地もろとも神罰によって海中に没せしめられたとの伝承が伴っている都市となる」
「他面、アトランティスについてもギリシャの軍勢と戦争をなしている折に大地震にさらされ、ギリシャ勢諸共、海中に没したとの話が伝わっている」
さらに、である。上のことが示せる(ホロメス叙事詩などで語られていないトロイア城市末期について言及しているPosthomerica『トロイア戦記』を通じて実際にそうであると指し示せる)ことに加えて、である。次のようなこともがある。
[トロイア・アトランティス接続性を示す「他の」古文献内記述もが存在している]
以上、振り返っての直前頁の内容を受けて、ここ本頁では
[トロイア・アトランティス接続性を示す「他の」古文献内記述もが存在している]
とのことの典拠たるところを挙げることから話を始めることとする。
表記のことについては次の流れが問題となる。
「古のアトランティスの開闢王は[アトラスの名を冠する人物]であったとプラトン古典『クリティアス』に表記されているとのことがある」(本稿にての出典(Source)紹介の部36にあって典拠たる記述を挙げている)
→
「トロイアの創設者であるのはダルダノスという伝説上の存在であるが、そのダルダノスは巨人アトラスの娘(エレクトラ)の息子、すなわち、アトラスの孫であると伝わっている」(これより初出の出典紹介をなす)
→
「上のダルダノス(トロイア始祖)については[巨人アトラスの孫]であるとされる一方で同人物が[人間的側面を帯びたアトラスという「王」]に(孫ではなくその息子として)臣従していたと記しているところの地域史関連の古典が存在している、すなわち、[ダルダノス]と[アトラス王]の関係をイタリアの特定地域の(中世以後捏造されての)地域史と結びつけようとしていたとの古典が現実に存在する」(これより初出の典拠紹介をなす)
→
「とすれば、[トロイア創設者ダルダノス]は[人間としてのアトラス王]の[臣下]にして[血族]と伝わっていることになり、[人間としての側面強きアトラス王]を戴いていたと伝わるアトランティスにまつわる伝承とトロイアの伝承がより一層、深くも接合することになる」
| 出典(Source)紹介の部45 |
ここ出典(Source)紹介の部45にあっては
[トロイア・アトランティス接続性を示す「他の」古文献内記述もが存在している]
とのことについて表記の順序での典拠紹介をなすこととする。
まずもって、
「古のアトランティスの開闢王は[アトラスの名を冠する人物]であったとプラトン古典『クリティアス』に表記されているとのことがある」(本稿にての出典(Source)紹介の部36にあって典拠たる記述を挙げている)
→
「トロイアの創設者であるのはダルダノスという伝説上の存在であるが、そのダルダノスは巨人アトラスの娘(エレクトラ)の息子、すなわち、アトラスの孫であると伝わっている」(これより初出の出典紹介をなす)
→
「上のダルダノス(トロイア始祖)については[巨人アトラスの孫]であるとされる一方で同人物が[人間的側面を帯びたアトラスという「王」]に(孫ではなくその息子として)臣従していたと記しているところの地域史関連の古典が存在している、すなわち、[ダルダノス]と[アトラス王]の関係をイタリアの特定地域の(中世以後捏造されての)地域史と結びつけようとしていたとの古典が現実に存在する」(これより初出の典拠紹介をなす)
→
「とすれば、[トロイア創設者ダルダノス]は[人間としてのアトラス王]の[臣下]にして[血族]と伝わっていることになり、[人間としての側面強きアトラス王]を戴いていたと伝わるアトランティスにまつわる伝承とトロイアの伝承がより一層、深くも接合することになる」
との流れにあっての
「古のアトランティスの開闢王は[アトラスの名を冠する人物]であったとプラトン古典『クリティアス』に表記されているとのことがある」
とのことについての論拠だが、先に出典(Source)紹介の部36にあって引用なしたことを再引用することで足りると考えているため、そうする。
(直下、プラトン全集12(岩波)Critias『クリティアス』収録部の236ページよりの「再度の」原文引用をなすとして)
ポセイドンはまた五組のふたごの男の子を生み、育てられた。そしてアトランティス島全体を一〇の地域に分けたまい、最年長のふたごのうち、さきに生まれた子に、母の住まいと、その周辺のいちばん広いもっとも地味の肥えた地域を分け前として与えて、かれを他の子どもたちの王となしたまい、他の子どもたちには、それぞれに多くの人間を支配する権限と広い地域からなる領土を与えて、その領主とした。なお、かれは子どもたち全員に名前をおつけになったが、そのさい、初代の王となった最年長の子におつけになった名前が「アトラス」だったので、この名前にあやかって、島全体も、その周辺の海も、「アトランティコス……」と呼ばれるようになったのである。
(引用部はここまでとしておく ―※― )
(※以上、訳書よりの引用部に関して Project Gutenbergより全文ダウンロードできるとの英訳版Critias ――19世紀にあってのオクスフォードのプラトン翻訳家となる Benjamin Jowettとの向きによって訳がなされている版―― では同じくもの引用部について He also begat and brought up five pairs of twin male children; and dividing
the island of Atlantis into ten portions, he gave to the first-born of
the eldest pair his mother's dwelling and the surrounding allotment, which
was the largest and best, and made him king over the rest; the others he
made princes, and gave them rule over many men, and a large territory.
And he named them all; the eldest, who was the first king, he named Atlas,
and after him the whole island and the ocean were called Atlantic.
との記載がなされている ――述べるまでもないことかとは思うが、英訳版の内容を挙げているのは和文のそれと異なり英文原著の方がオンライン上で裏取りなせる、全文確認可能となっているといったことがあるからである―― )
次いで、表記のことらの中にあっての、
「トロイアの創設者であるのはダルダノスという伝説上の存在であるが、そのダルダノスは巨人アトラスの娘(エレクトラ)の息子、すなわち、アトラスの孫であると伝わっている」
とのことの出典を挙げることとする。
については基本的なことと判断、和文ウィキペディア[ダルダノス]項目にあっての現行の記載内容より次の記述(媒体が媒体がゆえにこれより変転を見る可能性もある記述)を引いておくこととする。
(直下、和文ウィキペディア[ダルダノス]項目よりの引用をなすとして)
ダルダノスは、ギリシア神話に登場する人物である。プレイアデスの1人エーレクトラーとゼウスの息子。イーアシオーンと兄弟。あるいはハルモニアーと兄弟といわれることがある。テウクロスの娘バテイアとの間にイーロスとエリクトニオスの2子、またピーネウスの妻となったイーダイアーが生まれた。トロイア王家の祖であり、ギリシャ神話における洪水伝承の1つは彼が主人公とされる(他にデウカリオーンとオーギュゲスがいる)。
(引用部はここまでとする ―※― )
(※以上のように和文ウィキペディアにて解説されていることと意味的にほぼ同じくものことを言及しているとの箇所として英文Wikipedia[Dardanus]項目(の冒頭)には次のような記載がなされている⇒ In Greek mythology, Dardanus (/ˈdɑrdənəs/; Greek: Δάρδανος) was a son of Zeus and Electra, daughter of Atlas, and founder of the city of Dardania on Mount Ida in the Troad.
(訳として)「([トロイア界隈と同じくもの語源を持つ)Troad地方にあってのイデ山に拠ってのダルダニアの市を創始したダルダノスはゼウスと[アトラスの娘たるエレクトラ]との間に出来た息子である(アトラスの孫である)]と表記されている)―― )
続いて、
「古のアトランティスの開闢王は[アトラスの名を冠する人物]であったとプラトン古典『クリティアス』に表記されているとのことがある」
→
「トロイアの創設者であるのはダルダノスという伝説上の存在であるが、そのダルダノスは巨人アトラスの娘(エレクトラ)の息子、すなわち、アトラスの孫であると伝わっている」
→
「上のダルダノス(トロイア始祖)については[巨人アトラスの孫]であるとされる一方で同人物が[人間的側面を帯びたアトラスという「王」]に(孫ではなくその息子として)臣従していたと記しているところの地域史関連の古典が存在している、すなわち、[ダルダノス]と[アトラス王]の関係をイタリアの特定地域の(中世以後捏造されての)地域史と結びつけようとしていたとの古典が現実に存在する」
→
「とすれば、[トロイア創設者ダルダノス]は[人間としてのアトラス王]の[臣下]にして[血族]と伝わっていることになり、[人間としての側面強きアトラス王]を戴いていたと伝わるアトランティスにまつわる伝承とトロイアの伝承がより一層、深くも接合することになる」
とのことらのうち、大っぴらには語られないとのこととなるも本稿にて重要視していること、
「上のダルダノス(トロイア始祖)については[巨人アトラスの孫]であるとされる一方で同人物が[人間的側面を帯びたアトラスという「王」]に(孫ではなくその息子として)臣従していたと記しているところの地域史関連の古典が存在している、すなわち、[ダルダノス]と[アトラス王]の関係をイタリアの特定地域の(中世以後捏造されての)地域史と結びつけようとしていたとの古典が現実に存在する」
とのことの典拠を挙げることとする。
についてはまずもってそこより述べるが、イタリアのフィレンツェ(英語表記はフローレンス)にての地史を扱った書として
Nuova Cronica『新年代記』
という書が[ジョヴァンニ・ヴィッラーニ]という14世紀活動(没年1348年)の銀行家・史家によってものされたものとして今日に伝わっていることがある。
(:同著『新年代記』については中身の細かいところに入らないで額面的・皮相的な解説に留まるものであるが、和文ウィキペディア[ジョヴァンニ・ヴィッラーニ]項目に次の通りの記載がなされてもいるところである。
→
(現行にての和文ウィキペディア[ジョヴァンニ・ヴィッラーニ]項目の記載内容を掻い摘まみながら引用するところとして)
ジョヴァンニ・ヴィッラーニ( Giovanni Villani, ? - 1348年)は、イタリア・フィレンツェの銀行家・政治家・歴史家。生年については、1276年とも1280年とも言われるが不明である。『新年代記』(en:Nuova Cronica)を著作した。父親のヴィッラーノ・ディ・ストルド・ヴィッラーニはフィレンツェの有力な商人の1人であり、1300年にはダンテ・アリギエーリとともに市の行政委員(プリオーネ)を務めた(ただし、ほどなく辞任して翌年の政変で失脚した同僚ダンテと明暗を分けることとなる)・・・(中略)・・・彼は古代ローマ以来の歴史家の伝統が途絶したことを嘆き、「ローマの娘」を自負するフィレンツェ市民である自分がその伝統を復活さなければならないとする霊感に遭遇した(と、本人は主張した)ことによって、彼は「ローマの娘」フィレンツェを中心とする年代記編纂を決意したと伝えられている・・・(中略)・・・『新年代記』( Nuova Cronica )は全12巻から構成され、大きく2部に分けられる。前半6巻はバベルの塔からフリードリヒ2世までを扱い、父祖以前の歴史に属するため先人の著書に依存する部分が多い。また、ジョヴァンニはラテン語をほとんど知らなかったとされる一方で、聖書や古典に関する知識が豊富であり、それが記述にも生かされている
(以上、和文ウィキペディア[ジョヴァンニ・ヴィッラーニ]項目にての(現行)記述よりの掻い摘まんでの引用部とする))
奇縁あって筆者は上に見るジョヴァンニ・ヴィッラーニ『新年代記』の内容も渉猟対象としていたのだが、そこより問題となるところの記述をここに引いておくこととする。
(直下、オンライン上にて Project Gutenbergサイトを通じて全文確認できるとの Giovanni Villaniの Nuova Cronica『新年代記』の20世紀初頭英訳版、 VILLANI’S CHRONICLE(1906)にての§ 9.- How Italus and Dardanus came to agree which should succeed to the city of Fiesole and the kingdom of Italy.の節よりの抜粋をなすとして)
When King Atlas had died in the city of Fiesole, Italus and Dardanus his sons were left rulers after him; and each of them being a lord of great courage, and both being worthy in themselves to reign over the kingdom of Italy, they came to this agreement together, to go with their sacrifices to sacrifice to their great god Mars, whom they worshipped; and when they had offered sacrifice they asked whether of them twain ought to abide lord in Fiesole, and whether ought to go and conquer other countries and realms.
(補ってもの拙訳として)
「イタリアのフィエゾーレの市 ――(訳注:フィエゾーレについてはここにて引用なしている『新年代記』がその地誌となっているところのフィレンツェ、イタリア共和国トスカーナ州はフィレンツェ県にある自治体(コムーネ)の名前として現時でも用いられている地名である)―― でアトラス王が死した折、彼の息子らである[イタラス](訳注:Itlus.イタリアの語源とも述べられる存在)および[ダルダノス](訳注:トロイアの創立者ダルダノス)は遺されし統治者となっていたところ、各々大いなる度胸を有しての君主らであったから、双方ともにイタリアの王国を統治するに値しており、そのため、(妥結点を探るため)彼らの崇拝する戦神マルス神に互いに犠牲を供しあうことを約した。そして、彼らが犠牲を神に供さんとした折、彼ら二人のうちのどちらがフィエゾーレに留まるべきか、そして、どちらが去って他の国土を征服せんとするべきか神前にて伺いをたてた」
(引用部はここまでとする)
上の引用部でもってしてダルダニスという神話上の存在が中世年代記にて[アトラス王]と結びつけられていること、理解いただけたか、と思う(※)。
※補足として
尚、引用元文書であるジョヴァンニ・ヴィッラーニ『新年代記』では
[ダルダノスがイタリアを去るべしとなったこと、そして、同ダルダノスがトロイアの地に進出してその地の王となった]
との流れが具現化を見ている(散漫な展開であるため、そちらについては原著よりの引用はなさない)。
そうもした事後展開も加味して上にて引用なしたような筋立てが見受けられるとのことについては、だがしかし、
『それが[偽史]と知れようとのものでもそれにしても通常の歴史理解からあまりにもかけ離れている突拍子もないことを扱ったものである(イタリアから出た王がトロイアの地を侵略したなどという理解は「源義経がジンギス・カンになった」よろしくの式で通常の歴史理解からかけ離れている、でもいい)。 であるから、馬鹿馬鹿しくて聞くに堪えない』
ととらえる向きもあるかもしれない(筆者目分量としては古典に関する知識に乏しいの人間であればあるほど、そういう予断に囚われやすきところか、とも見ている)。
が、少なくとも、である。 ダンテが生きた初期ルネサンス期のイタリアにあって(ジョヴァンニ・ヴィッラーニによって)具現化していた以上のような[偽史]を支えるだけの内容を有した有名古典が「古代より」伝存しているとのことは事実となり、引用なしての『新年代記』の作者ジョンヴァンニ・ヴィッラーニはそちら古典に依拠して[偽史]をこさえていたと考えられるようになっているとのことがある。
では、その古典とは何かだが、ヴェルギリウス著『アエネーイス』、現存するローマ期成立の著名古典たる同作がそうもした古典にあたり、同『アエネーイス』では
[ローマ(共和世紀を経て地中海世界を席巻するに至ったローマ)の起源]
が文献的事実の問題として
[木製の馬で陥落したトロイアの落ち武者アエネイウスの一行のイタリア来訪]
と結びつけられているとのことがあり(ローマ人には自分たちの祖先がトロイア人であったとの理解があった)、同『アエネーイス』に見るところと同じくもの内容、陥落したトロイアよりの落人がイタリアを目指した理由が
(『アエネーイス』の中では)
[彼らはダルダネス(トロイア始祖)以前の父祖の地(イタリア)に「再度」舞い戻ることにした]
との目的意識に求められているとの記載が認められるとのことがありもするのである(要するに[イタリアの民⇒トロイア入植⇒トロイア崩壊⇒イタリアへの故地を求めての旅]との流れが『アエネーイス』には具現化を見ている)。
以上のことについて紹介する前にまずもって和文ウィキペディア[アエネーイス]項目にての現行記載を引いてアエネーイスとの古典がいかようなるものなのかの紹介をなすことからはじめる。
(直下、和文ウィキペディア[アエネーイス]項目にあっての現行記載内容よりの引用をなすとして)
「アエネーイスは「アエネーアースの物語」の意。ウェルギリウスの最後にして最大の作品であり、ラテン文学の最高傑作とされる。この作品の執筆にウェルギリウスは11年(前29年-前19年)を費やした。最終場面を書き上げる前に没したため未完である。彼は死の前にこの草稿の焼却を望んだが、アウグストゥスが刊行を命じたため世に出ることになった。
・・・(中略)・・・
トロイアの王子でウェヌスの息子であるアエネーアースが、トロイア陥落後、カルタゴの女王ディードーとの悲恋を経てイタリアにたどり着き、現地王の娘との婚約とそれに反対する勢力との戦いを描く。詩の中で建設が予言されるアルバ・ロンガはローマの創立者ロームルスとレムスの出身地であり、当時ローマの礎と見なされていた」
(引用部はここまでとする)
上もてアエネーイスがトロイアよりの落人を材にとっての著名な古典であることを紹介したところで、次いで、英文ウィキペディア[Dardanes]項目(トロイア始祖ダーダネルスにまつわる項目)にての記載内容よりの引用をなしておくこととする。
(直下、英文Wikipedia[Dardanes]項目、トロイアの始祖たるダルダネスにまつわる項目よりの引用をなすとして)
A different account by Virgil in his Aeneid (3.163f), has Aeneas in a dream learn from his ancestral Penates that "Dardanus and Father Iasius" and the Penates themselves originally came from Hesperia, afterwards renamed as Italy
(上の引用部に対する訳として)
「(ダルダネス故地にまつわる)ヴェルギリウスの『アイネーイス』による他の説明はアイエイアスは夢にて彼の祖霊(ローマの祖先崇拝の対象たる存在ペナーテース)からダーダネルスおよび同様に父祖たるイーアシオンそして祖霊ペナーテース自体が原初、ヘスペリア、後にイタリアと呼ばれるところから(トロイアへ)やってきた存在であると学んだとのものとなっている」
(引用部はここまでとする)
ここまでの内容をもってご理解いただけたか、とは思うのだが、(そもそもシュリーマンにその遺跡とされるものがギリシャより西方、ヨーロッパというよりもアジアに属するアナトリアの黒海周辺にて発見されたトロイア自体が伝承通りのものとして実在していたかも怪しいとされる中にて)、欧州にあっては[古のトロイア]と自分達の歴史が[相互の始祖]に関わるところで密接に結びついているとの[偽史]が脈々とかたちづくられてきた、との背景があるのである。
(補足の部はここまでとする)
以上でもってして
「古のアトランティスの開闢王は[アトラスの名を冠する人物]であったとプラトン古典『クリティアス』に表記されているとのことがある」
→
「トロイアの創設者であるのはダルダノスという伝説上の存在であるが、そのダルダノスは巨人アトラスの娘(エレクトラ)の息子、すなわち、アトラスの孫であると伝わっている」
→
「上のダルダノス(トロイア始祖)については[巨人アトラスの孫]であるとされる一方で同人物が[人間的側面を帯びたアトラスという「王」]に(孫ではなくその息子として)臣従していたと記しているところの地域史関連の古典が存在している、すなわち、[ダルダノス]と[アトラス王]の関係をイタリアの特定地域の(中世以後捏造されての)地域史と結びつけようとしていたとの古典が現実に存在する」
→
「とすれば、[トロイア創設者ダルダノス]は[人間としてのアトラス王]の[臣下]にして[血族]と伝わっていることになり、[人間としての側面強きアトラス王]を戴いていたと伝わるアトランティスにまつわる伝承とトロイアの伝承がより一層、深くも接合することになる」
とのことを示し終えたことになる
(長くもなったが、出典(Source)紹介の部45はここまでとする)
直近までにて
「古のアトランティスの開闢王は[アトラスの名を冠する人物]であったとプラトン古典『クリティアス』に表記されているとのことがある」
→
「トロイアの創設者であるのはダルダノスという伝説上の存在であるが、そのダルダノスは巨人アトラスの娘(エレクトラ)の息子、すなわち、アトラスの孫であると伝わっている」
→
「上のダルダノス(トロイア始祖)については[巨人アトラスの孫]であるとされる一方で同人物が[人間的側面を帯びたアトラスという「王」]に(孫ではなくその息子として)臣従していたと記しているところの地域史関連の古典が存在している、すなわち、[ダルダノス]と[アトラス王]の関係をイタリアの特定地域の(中世以後捏造されての)地域史と結びつけようとしていたとの古典が現実に存在する」
→
「とすれば、[トロイア創設者ダルダノス]は[人間としてのアトラス王]の[臣下]にして[血族]と伝わっていることになり、[人間としての側面強きアトラス王]を戴いていたと伝わるアトランティスにまつわる伝承とトロイアの伝承がより一層、深くも接合することになる」
との流れが成り立つことを順々に示した。
それによって
[アトランティスもトロイアも[黄金の林檎]と結びつく ――[黄金の林檎の園]の所在地がアトランティスに仮託されていることがある一方で[黄金の林檎を巡っての争い]がゆえにトロイアは滅びている―― ]
[アトランティスもトロイアも[木製の馬の計略を考案した男]と結びつく ――アトランティスに仮託されているオーギュギアー島が木製の馬の考案者の漂着先となっているとのことがある一方でトロイアは木製の馬の計略によって引導を渡されている―― ]
[古のアトランティスも古のトロイアも双方共々が[ギリシャ勢力との戦争の果ての洪水による(ギリシャ軍を巻き込んでの)海中への完全消失]との式で結びつく]
との接合関係について既に解説しつくしてきたアトランティスとトロイアの接合関係が「よりもって濃厚に」示されたとのことになると述べて差し障りなかろう。
さて、ここまで述べてきたことをも「あわせて」顧慮すれば、自然に申し述べられることとして、
「LHC実験に供されてのATLANTIS ([ブラックホールを観測するため「にも」用いられるイヴェント・ディスプレイ・ツール]/本稿出典(Source)紹介の部35を参照のこと) は[トロイア(の崩壊)]とも結びついて映るものとなっている」
とのことになる。
同じくものことを加味したうえでここまで指摘してきた内容を整理すれば、次のようなまとめようがなせるとのかたちとなっている。
CERNはATLASという検出器をLHC実験で用いているが、その検出器ATLASにみるアトラスおよびそちら検出器と紐付くイヴェント・ディスプレイ・ツールにその名前が冠されているATLANTIS(アトンランティス)の双方がトロイアと結びついているとのことがある。
まずもって振り返るところとして、より先んじての段からして[検出器ATLASにその名が流用されている巨人アトラス自体がトロイア崩壊伝承と結びつく]ことを言及していたわけだが([ヘラクレス11功業にまつわる神話にて(トロイア崩壊の原因ともなった)[黄金の林檎]の園の場を知るのはアトラスであると語られている」とのことにまつわる話となる)、そのアトラスの名と縁起由来で結びつくアトランティス(LHC実験にあってのイヴェント・ディスプレイのツールたるATLANTISと同一名の古の陸塊)にあっても次の観点からトロイアと結びついているとのことがある。
(論拠・委細はここまでの記述に譲るところとして)
それについてはギリシャ神話にあっての
[ヘスペリデスの黄金の林檎の園](アトラスの娘らヘスペリデスが管理する果樹園)
[オーギュギアー島](アトラスの娘カリュプソが住まう島)
の両地所が双方共に欧州一部識者らによって歴年、
[アトランティス]
に仮託されてきたとのことがあるばかりではなく、同じくもの両地所が
[トロイアの崩壊伝承]
と結びつく場となっているとのことがある(:[ヘスペリデスの果樹園]にて管理されていた黄金の林檎がトロイア崩壊に至る戦争の原因となっていること、また、[オーギュギアー島]に漂着したのがトロイア滅亡の木製の馬の奸計を弄した者にして、なおかつ、それ以前に黄金の林檎を巡るやりとりがトロイア戦争に発展することになったとの前提条件(ヘレンにまつわるかねてよりの盟約)を整えた者であったとのオデュッセウスであったとのことがあるからである)。
加えて、トロイア崩壊伝承それそのものにもアトランティスよろしくの洪水崩壊伝承的側面が一面で伴っている。すなわち、有名なところとしてアトランティスに
[ギリシャ勢との戦争の後のギリシャ軍を巻き込んでの洪水による崩壊伝承]
が伴っている一方で、(あまりよく知られていないとの後日譚を扱った一古典に見るところながら)トロイア「にも」
[ギリシャ勢との戦いの末のギリシャ軍を巻き込んでの洪水による完全消滅の伝承]
が伴っているとのことがある。
のみならず、アトランティスの王がアトラス(本稿出典(Source)紹介の部39にて表記されているような[蒼穹を担ぐ巨人]というよりも[人間の王]としてのアトラス)であるとの申しようがなされている一方で木製の馬で滅ぼされることになったトロイアの創立者ダルダノスの父王も[人間のアトラス王]となっていると言及しての偽史( Nuova Cronica『新年代記』)が存在しており、その偽史の舞台は[ヘスペリア]とも呼称されるイタリアとなっている、すなわち、
[黄金の林檎 ―アトラスの娘ら(出典(Source)紹介の部40.複数形はAtlantidesとなるアトランティス)― を管理するヘスペリデスと同系統の名たるヘスペリア(Hesperia)]
とも呼称されるイタリアとなっているとのことがある。
従って、[アトランティス](アトランティスに仮託される地所)は「多重多層的に」[トロイア]と結びつくとのこととなっているわけである。
そうもしてトロイアと「多重多層的に」結びつくことになっているとのアトランティスの名を冠するツールを用いてブラックホールを観測しうるとの主張がなされてきた、そして、アトランティスと結びつく(アトランティスの王の名であるとのかたちで結びつく)とのアトラスの名を冠する、すなわち、[神話が[トロイアを滅ぼした黄金の林檎]の在処を知る存在として語り継いでいる巨人アトラス]の名を冠する検出器でもってブラックホールを検出しうるとの主張がなされてきた実験がLHC実験となっている。
以上、(向きによっては食傷するところであろうかと思えるほどにくどくも振り返りながら)、述べてきた通りに、
CERNの執り行っているLHC実験が
[アトラス:トロイア崩壊の原因のものとなった黄金の林檎の所在地を知る巨人]
[アトランティス:トロイアと複合的に結びつく伝説上の陸塊名にして国家名]
の双方と結びつくとのことは[トロイア崩壊]とも多重的に結びつくことと同義である
とのことになりもする(「実に残念ながら、」ここでの話からして指し示し対象の選択以外、筆者の主観など一切介在しておらず、あるがままのことをその通りとしてそうであると指摘しているにすぎない ――につき、同じくもの点から押し広げもして、CERNが用いているATLAS検出器のTの部分がToroidalこと[環状構造]の体現文字となっている(本稿出典(Source)紹介の部36(3))とされることにも「トロイア」との関係性を見出すかは人によるか、とも思うのであるが、この身はそうしたことからして隠喩としての意味合いが込められている可能性も十分にあるかと見ている(それだけの多重的関連性がここまでの話より透けて見えるようになっている)―― )。
※尚、ここまでの流れを(「それなりに」も)把握されたうえで読み手にあっては
[次のような見方]
を呈する向きもいるかもしれない。
『[LHC実験が[ブラックホール]を生成する可能性があると考えられていた・・・・]、従って、そうした可能性を危惧した研究者らの一部あるいはCERN運営サイドの一部が
「この装置は危険ですよ」
との意思表示を「半面の」良心良識を呈するところでなさんとした、それがゆえに、
[トロイア崩壊(望ましいものと騙されて運び込んだ木製の馬にて皆殺しの憂き目に遭ったとのトロイアの崩壊譚)と複合的に接合する(と神話・伝承に「深く」また「深く」通じている人間が分析すれば分かろうとの)アトラスないしアトランティス]
との名称がLHCに関連するところの命名規則として用いられるようになったのでは?』
しかし、上のような見方については、(極めて遺憾なことに)、
[的外れで、かつ、多幸症的な[勘違い]の賜物]
と「時期的な意味での関係性より」判断できるところの論拠について「も」本稿の先の段にて既に詳説を加えもしていた。
筆者とて
「仮にもし上のような見解 ――誤解によるところと判断なせてしまうような見方―― の通りであるのならば、どれ程よかったことか」
と当然に思っていると述べたうえで、「だが、しかし、」の話として、同じくものことに対する反対論拠として本稿にあってどういったことを挙げていたのか(掻い摘まんでの)繰り返し訴求を下になしておくこととする。
LHC実験やそれに先行するところのブルックヘブン国立加速器研究所が運営する加速器RHICに絡み[加速器によるブラックホール生成可能性]がはじめて「部外の」人間より問題視されるようになったのは[1999年]であった ――の折、ウォルター・ワグナーという人物が「スティーブン・ホーキングの理論によれば、原初宇宙には極微ブラックホールがあったとされている。そして、加速器は原初宇宙の状況を再現するという。だから、ブラックホールもまた生成されるのではないか」との理屈でもっての疑義を発しだしたとされている(本稿にての出典(Source)紹介の部1及び出典(Source)紹介の部2にあっての原文引用部を参照のこと)―― 。
その際(1999年)、実験関係機関 ―CERNおよびブルックヘブン国立加速器研究所― 、そして、物理学界を牽引する物理学者ら ―後の2004年にノーベル物理学賞を受賞することになったフランク・ウィルチェックら― は
[加速器によるブラックホール生成の可能性など「ありえない」。それは今後実現する加速器でも話は同じであり、加速器によるブラックホール生成の可能性を問題視するなどパイプドリーム(麻薬酩酊者の吸引パイプ越しの狂夢・妄夢が如きもの)にすぎない]
と断じていたとのことがある(本稿にての出典(Source)紹介の部1にて呈示の一次資料の紹介部を参照のこと。また、本稿の出典(Source)紹介の部5ではパグウォッシュ会議を代表してノーベル「平和」賞の方を受賞したイタリアの大物物理学者、フランチェスコ・カロジェロがブラックホール生成の可能性をもってしていかように[ありえないこと]とその論稿 Might a Laboratory Experiment Destroy Planet Earth?にて断じていたのかの具体的紹介もなしている)。
だが、
[2001年より発表されだしたとの[1998年提唱のADDモデル(余剰次元モデル)を受けての新発の見解] ――TeVスケール・オーダー(兆単位の電子ボルトを極微領域に集中させる状況)でもブラックホールが生成されうるとの見解―― ]
が世に出たのを契機にか、一挙にそうした公式発表が変化を見るに至り、一転、
「ブラックホールは生成されうるが、それは[即時即座に蒸発する安全なブラックホール]であり、むしろ、その観測は「科学の発展に資する」ものである」
との方向に科学界にての申しようが「迂(まが)った」とのことがある(出典(Source)紹介の部2以降にて呈示のとおりである ――それにつき、日本のLHC実験参画グループ元代表者に由来する文書として『LHC加速器の現状とCERNの将来計画』との題でオンライン上にてPDFファイル版が現行、流通しているとの資料にては(その[166]および[167]との頁番号が振られたページより引用するところとして)[1998年に提唱されたADDモデルでは余剰次元を導入することによってヒッグス粒子の質量の不安定性(階層性問題)を解決する。このときに重力はTeV領域で強くなり,LHCでの陽子衝突でブラックホールが生成され,ホーキング輻射のため10-26 secで蒸発すると予言された。これは理論屋にとって大変魅力ある新しい展開で,危険性などまでには考えが及んでいなかった](引用部はここまでとする)と述べられているとのことにも言及していた―― )。
「他面のこととして、」LHC実験にてATLASの名前が用いられるとのことが何時頃にて決せられたかと言えば、LHC実験の計画スタートが正式にCERNカウンシルに承認されるに至ったとのその折(1994年)よりも前、1992年のことであるとされている(本稿にての出典(Source)紹介の部36(2)で ATLAS and CMS collaborations publish letters of intent 1 October 1992 The Toroidal LHC Apparatus collaboration propose to build a multipurpose detector at the LHC. The letter of intent they submit to the LHC Experiments Committee marks the first official use of the name ATLAS. Two collaborations called ASCOT and EAGLE combine to form ATLAS.
(訳として)「ATLASおよびCMSコラボレーション(共同企画面々)が1992年10月1日付けで取決め書を発する: Toroidal LHC Apparatus(環状LHC装置ユニットとでも訳すところ)コラボレーションの面々はLHCにあって多目的に機能する検出器を建設するよう提案なした。そこにて彼らがLHC実験委員会に呈示してきた設立覚書にて初めてATLASという名の使用が公的に現われていた。初期のASCOTおよびEAGLEと呼ばれていたコラボレーションの面々がATLASという名称を形成するようなかたちで融合なすに至ったのである」とのCERNサイドの公式発表を引用しているところである)。
以上の流れから、
(かねてよりの構想を受けて1994年に正式に計画スタートの認可を得、2008年に初運転を見るに至ったLHC実験にあって)[1992年に遡ってATLASとの名称が用いられるようになっていたとのこと]
については[ブラックホール生成の可能性]を「人間の」関係者が「トロイアとアトラス、あるいは、トロイアとアトンラティスの関係性でもってして」警告する意図によって具現化したこと「ではない」と判じられるところである(ATLASとの名称が決した1992年というのは、いいだろうか、ブラックホール生成可能性が部外の人間より取り沙汰され、そして、その可能性が実験機関報告文書にて一笑に付されて否定されるよりも[7年も前]、そして、ブラックホール生成の可能性が転じて実験機関および科学界にて認容され[科学的に望ましき結果]と鼓吹されだしたのよりも[9年も前]のこととなっている)
(これにて[[LHCにあってのATLASやATLANTISの命名規則の使用]につき実験当事者に警告・警世の意図が(潜在的・水面下にて、でも)働いていたと考えること]がいかに的を失していると「時系列的に」判じられるのかとのことについての(従前内容に依拠しての)指し示しを終えることとする)
長くもなったが、ここまででもってしてI.からV.と振っての話の内のIII.の部、出典紹介部として出典(Source)紹介の部40から出典(Source)紹介の部45を付しもしたとの部に一区切りをつけることとする ――そのうえで続いてはIV.と振っての部に入ることとする―― 。