典拠となるところの明示[8]――加速器実験に伴う欺瞞性、 そして、そこより証示
なせもすることについて

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1970年代前半に[CERN由来の兆単位の加速器(14兆テラエレクトロンボルト)を露骨に想起させるもの]を登場させているとの小説の先覚性について

 直前頁までにて、(既に典拠示してきた[事実A]から[事実E]に加えてのものとして)、

[[事実F]から[事実I]]

と振ってのことら、すなわち、以下のことらが文献的事実・記録的事実となっていることの典拠を仔細に挙げてきた。


[事実F]

 1974年に初出を見た極めて長きタイトルのSF小説作品として、

Adrift Just off the Islets of Langerhans:Latitude 38°54'N,Longitude77°00'13W (邦題)『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』

という作品が存在している。

 同作、1975年、米国の権威あるサイエンス・フィクション分野の賞として認知されているヒューゴ賞 Hugo Awardを(同賞が長編・中長編(ノベラ)・中編(ノベレット)・短編と受賞分野が語数によって分たれている中で)[中編Novelette分野]にて受賞した作品となっている 。
 その小説『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』は作中、
15兆電子ボルトのCEERN(CERNならぬCEERN)の粒子加速器
なるものを登場させている、とのものである。

[事実G]

 上の[事実F]にて挙げた小説『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』は
SF小説大賞ヒューゴ賞を受賞した作品を収めた傑作撰集](英文Wikipediaにて The Hugo Winnersとのその傑作撰集のためだけの項目が設けられているその方面 ―サイエンス・フィクションの分野に志向性ある向き― では著名な傑作選
にて

The Hole Man『ホール・マン』(という1974年初出の作品)

という作品と(原著・和訳版版双方ともに)[連続掲載]されているとの作品となる(:中編分野のヒューゴ賞受賞作品と短編分野のヒューゴ賞受賞作品が連続掲載されるようになっているとの式で(定例化してのかたちで)当該傑作撰体裁が定められているために、である)。

 ここ([事実G]に対する言及部)にて挙げている The Hole Man『ホール・マン』という小説作品は ―同文に文献的事実の問題として―
極微ブラックホールのケージ(容器)より漏れ出しての暴発を描く小説
となっている。

[事実H]

 上の[事実F]と[事実G]の摘示(容易に後追いできるとの該当部引用による摘示)によって

15兆電子ボルトのCEERN(CERNならぬCEERN)の粒子加速器を登場させている小説]([事実F]の言及部にて挙げた小説)
極微ブラックホールの暴発を描く小説]([事実G]の言及部にて挙げた小説)

が著名な米国SF賞を受賞したSF傑作選の中で(そうなるべくも定例化しての当該傑作撰体裁が定められているため)連結させられていると示すことができるようになっているわけであるが、取り上げての小説の間には
[「配置面」([連続掲載]との配置面)以外の連結関係]
が成立しもしている。
 その点、[事実F]に対する言及部に挙げた小説 ( 『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』 ) の主人公は作中、ラリィ「Larry」との愛称(通称)で頻繁に呼称され、その主人公の正式の姓はローレンス(Lawrence)であるとの設定が採用されている。
 他面、[事実G]の言及部にて問題視した小説( 『ホール・マン』 )の作者たるSF作家の愛称(通称)はラリィ「Larry」であり、その正式名称はローレンス(Laurence)であるとのことが存する。

[事実I]

[事実F]の部にてその名を挙げた小説 Adrift Just off the Islets of Langerhans : Latitude 38°54'N,Longitude77°00'13W(邦題)『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』は

[欧州の加速器運営機関(CERNならぬCEERNなどと呼称される15TeV加速器を運用する機関)のビーム照射装置でもって[自らを縮退させての極小の分身]をホログラム上に造り出した主人公がそちら分身を己の[「底無しの」「黒々とした」「渦を巻く」へそ]に落とし込み、もって、己の魂に引導を渡させるとの粗筋の作品]

「とも」なっている。


 以上、振り返りもなしての(仔細に典拠を挙げての証示に努めてきた)各事実らから示せる関係性がどういったものであるかにつき、さらに細かくも述べれば、


[15兆電子ボルトの粒子加速器を運用するCERNならぬCEERNという架空の研究機関によるビーム照射によって主人公をホログラム上に投影された超ミクロサイズの分身へと圧縮して、その分身を[黒々と渦を巻く底無しの穴]に投入するとの筋立ての小説]([事実I]にあってのより細かき特性)

 および

[ケージより漏れ出た極微ブラックホールが惑星を呑み込むとの設定の小説]([事実I]にて言及・出典紹介の小説特性)

が1975年の「賞の受賞動態から」なるべくして問題となる撰集(アイザック・アシモフが編者を務める撰集/[事実I]の解説を参照のこと)にて連続掲載され、両者連続掲載小説間には「一方の小説主人公の作中正式呼称(ローレンス)・作中略称(ラリィ)が他方の小説の作者の正式呼称(ローレンス)・略称(ラリィ)と同一のものとなっている」との関係性も成立している


とのこと「でも」ある。

 ここで述べれば、

[15兆電子ボルトの粒子加速器を運用するCERNならぬCEERNという架空の研究機関によるビーム照射によって主人公をホログラム上に投影された超ミクロサイズの分身へと圧縮して、その分身を[黒々と渦を巻く底無しの穴]に投入するとの筋立ての小説]

という[(どうしてそういうものを出したのか、との意で)際立って奇態なるもの]は

[(小説の架空のCEERNならぬ)現実のCERNの運用する「兆単位の電子ボルトと関わる」加速器がブラックホールを生成しうるとの論調が出てきたこと]

を想起させるものである ――([兆単位の電子ボルトの加速器の登場]とのこと「も」,(後の段、[事実J]にまつわるところで詳述を加えていく所存ではあるが),先覚性が際立っているところとなる)―― ことも当然に問題になると申し述べたい。ブラックホールとは[黒々と渦を巻く底無しの穴]であるとも述べられることを加味して、である。

 ここまで述べもした段階で書くが、筆者が先行しての[事実A]から[事実E]の摘示の中で[事実E]として
[次の通りのこと]
があることを(細かくも[出典(Source)紹介の部1]から[出典(Source)紹介の部4]とのかたちで出典挙げ連ねながらものことに基づき)摘示していたことを思い出していただきたい次第ではある。


「研究機関は1999年(批判家ウォルター・ワグナーがその折になって初めて「加速器によってブラックホールが生成されるのではないか」と問題視しだした年)に至ってなお「[加速器によるブラックホール生成]の可能性などありえない」と発表していた(そのような発表動向から一転、1998年に公衆の知らぬところで提唱された余剰次元にまつわる理論動向の進展からブラックホール生成が肯定的に論じられるようになったのは2001年であるとされる ――[事実B]にまつわる を参照のこと―― )。 にも関わらず、1980年初出の小説 Thrice Upon a TIme『未来からのホットライン』)で[加速器によるブラックホール生成]への言及がなされていた」 ( 「[事実A]と[事実D]の間に横たわる[事実関係]として導き出せる」こととしてそこにあることである)

「理論動向の進展を受け、肯定的に述べられるようになったブラックホール生成の可能性。そこに見るブラックホールの生成態様は「現実世界の」2001年よりの発表動向では通年単位で1000万個、先に取り上げた1980年小説 Thrice Upon a Time(邦題)『未来からのホットライン』に見る「フィクションの」2009年から2010年の作中世界の出来事では200万個とマクロ・スケールで非常に似通ったものである」(「[事実B]と[事実D]より導き出せる」こととしてそこにあることである)

「[LHCの始動(現実世界で2008年年末に始動、2009年年末から本格稼働)に先駆けての加速器実験実施機関発の2003年報告書に見るような初期動向]としては[ホーキング輻射]をして生成ブラックホールが安全であるとの論拠として用いているのに対して1980小説「でも」ホーキング輻射がブラックホール生成元の安全であるとの言い訳として持ち出されていた旨、描かれていた ―そして、それ(ホーキング輻射を用いての言い訳)が画餅であると当該小説にて描かれていた― とのことがある」(「[事実C]と[事実D]より導き出せる」こととしてそこにあることである)

※上のようなことがあることにつき、本稿では、
--------
[1998年にはじめて提唱された理論によって導き出された新規の帰結]に基づき2001年より加速器によるブラックホール生成が科学界にて「肯定的に」認められだす前までは[物理学界の重鎮たるフランチェスコ・カロジェロ](世界中の科学者が結束してのパグウォッシュ会議を代表してノーベル平和賞受賞の栄に浴した理論物理学者)など権威筋、そして、ノーベル賞級の専門の一線科学者らを作成者らに含んでの加速器実験機関公式報告文書が
「加速器によるブラックホール生成は単純な計算より排除できる」(それゆえ1999年からその可能性があるのではないかと疑義呈しだしたウォルター・ワグナーのような批判家の物言いは取り合うに値せぬ)
と強くも述べていた(うち、加速器関連報告書に関してはブラックホール生成をして狂人の妄夢の如きものとして暗に示唆する文言(パイプ・ドリーム)を含んでいもした)
--------
とのことを ―科学界全般の論調にまつわるものとして― 取り上げている(詳しくは本稿にての 出典(Source)紹介の部1 及び 出典(Source)紹介の部5 を参照のこと)。


 以上のような事実関係が存するとのことと、(繰り返し言及なすとして)、


[15兆電子ボルトの粒子加速器を運用するCERNならぬCEERNという架空の研究機関によるビーム照射によって主人公をホログラム上に投影された超ミクロサイズの分身へと圧縮して、その分身を[黒々と渦を巻く底無しの穴]に投入するとの筋立ての小説]([事実I]にあってのより細かき特性)

 および

[ケージより漏れ出た極微ブラックホールが惑星を呑み込むとの設定の小説]([事実I]にて言及・出典紹介の小説特性)

が1975年の「賞の受賞動態から」なるべくして問題となる撰集(アイザック・アシモフが編者を務める撰集/[事実I]の解説を参照のこと)にて連続掲載され、両者連続掲載小説間には「一方の小説主人公の作中正式呼称(ローレンス)・作中略称(ラリィ)が他方の小説の作者の正式呼称(ローレンス)・略称(ラリィ)と同一のものとなっている」との関係性も成立している


とのことが両立していることは[深刻な矛盾の問題]につながる(:[1970年代から予見がなされていたと判断できるようになっている]⇔矛盾⇔[1999年に[加速器によるブラックホール生成]がはじめて公に問題視され、その可能性は完全否定されていた.そして、2001年より理論動向の進展を受けてとの申しようでブラックホール生成の可能性が一転、部分肯定されだした])

 以上のような[矛盾]が存在していることに加えて、 ――「であるからこそ、」実にもって問題になるとのこととして―― さらに次の[事実J]の通りのことさえもがあることにつき把握いただきたい、屠所の羊であることを是とせずに自身を取り巻く状況を理解したいとの意欲ある向きには把握いただきたい次第である。

[事実J]

1974年に初出の小説の中に登場する架空のCEERNの15兆電子ボルト( fifteen trillion electron volts )加速器現実世界でCERNが当時(1974年)にあって運用していた加速器(ISRと呼ばれるハドロン加速器)]よりも200倍超の規模のエネルギーを実現するとの[設定]のものであった。

1974年初出小説に見る15兆電子ボルト加速器のような「兆」の単位に突入しての一兆電子ボルトを超える加速器の建設構想計画が[青写真]として実験機関関係者意中に持ち上がったのは小説刊行の1年後との)1975年以降である(との加速器実験機関由来の内部資料が存在している)

現在CERNが運用するLHCが実現しうる最大出力は[(重心衝突系エネルギー)14兆電子ボルトとなっており、それに比して、[1974年に初出の小説に登場する(架空の)CERNならぬCEERNの15兆電子ボルト加速器はたかだかもの1.07倍程度しか強力なものにすぎない(⇒ 15TeV:14TeV=1.07(...):1.00)。そうしたかたちで1974年初出の加速器は出力との性能で見てあまりにも今日のLHCに近似している(尚、兆単位の加速器の実現可能性さえ取り沙汰されなかった往時(74年)にはLHC計画は当然に策定さえされていなかった)。

 要するに、 Adrift Just off the Islets of Langerhans : Latitude 38°54'N,Longitude77°00'13W(邦題)『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』という作品は

往時70年代のCERN運営加速器(ISR)に比して200倍超も強力なるCEERN加速器なるもの](それは小説刊行時、構想だにされていなかった規模の加速器であると研究機関文書にて記載されている兆単位電子ボルト加速器ともなる

を登場させており、かつもって、その架空のCEERN加速器なるものは

[(指数関数的に出力を増大させてきたとの加速器進化動向にあって)今日のLHCに比しては小数点2桁、数パーセントの誤差ぐらいしかないほどに出力が近似しているとのもの

ともなっているとのことがある。

 以上、[事実J]の典拠紹介を以下、なすこととする。


| 出典(Source)紹介の部10 |

 ここでは

[事実J]

1974年に初出の小説の中に登場する架空のCEERNの15兆電子ボルト( fifteen trillion electron volts )加速器現実世界でCERNが当時(1974年)にあって運用していた加速器(ISRと呼ばれるハドロン加速器)]よりも200倍超の規模のエネルギーを実現するとの[設定]のものであった。

1974年初出小説に見る15兆電子ボルト加速器のような「兆」の単位に突入しての一兆電子ボルトを超える加速器の建設構想計画が[青写真]として実験機関関係者意中に持ち上がったのは小説刊行の1年後との)1975年以降である(との加速器実験機関由来の内部資料が存在している)

現在CERNが運用するLHCが実現しうる最大出力は[(重心衝突系エネルギー)14兆電子ボルトとなっており、それに比して、[1974年に初出の小説に登場する(架空の)CERNならぬCEERNの15兆電子ボルト加速器はたかだかもの1.07倍程度しか強力なものにすぎない(⇒ 15TeV:14TeV=1.07(...):1.00)。そうしたかたちで1974年初出の加速器は出力との性能で見てあまりにも今日のLHCに近似している(尚、兆単位の加速器の実現可能性さえ取り沙汰されなかった往時(74年)にはLHC計画は当然に策定さえされていなかった)。

 要するに、 Adrift Just off the Islets of Langerhans : Latitude 38°54'N,Longitude77°00'13W(邦題)『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』という作品は

往時70年代のCERN運営加速器(ISR)に比して200倍超も強力なるCEERN加速器なるもの](それは小説刊行時、構想だにされていなかった規模の加速器であると研究機関文書にて記載されている兆単位電子ボルト加速器ともなる

を登場させており、かつもって、その架空のCEERN加速器なるものは

[(指数関数的に出力を増大させてきたとの加速器進化動向にあって)今日のLHCに比しては小数点2桁、数パーセントの誤差ぐらいしかないほどに出力が近似しているとのもの

ともなっているとのことがある。

との点につき、各部毎に申しようが真正のものであることを示す出典を挙げておくこととする。

 まずは[事実J]を要素要素に分解してのことらのうち、

・1974年に初出の小説の中に登場する[架空のCEERNの15兆電子ボルト( fifteen trillion electron volts )加速器]というものは現実にCERNが当時運用していた加速器(ISRと呼ばれる初期型ハドロン加速器)よりも200倍超の規模のエネルギーを実現するとの設定のものであった

とのことの出典として


英文Wikipedia[ List of accelerators in particle physics ]項目(和文に訳せば、[素粒子物理学にて使用の加速器一覧]項目(同項目、加速器としてどういうものが用いられてきたか、その運営場所(Location)・使用年代( Years of Operation )・出力が一覧形式でまとめられているとのものとなる)
および
英文Wikipedia[ Intersecting Storage Rings ]項目


の記述を引いておくこととする(先にも述べたことと多く重なることだが、次のこと、申し述べておく。「典拠が挙げられていない話が含まれ、書き手主観が過度に介在する可能性があるとのマイナスの特質も一部伴っているウィキペディアのようなものから記述内容引くのは問題であるとの見方もあるだろうが、多数の書籍で紹介されている著名事物の基本的解説部や(ここで取り上げている)巨大科学の実験装置の性質にまつわる来歴・仕様などの争いのない部についてはWikipediaの記載を引くだけで十分と考えている」(※尚、ここでの話については多少補っての話も後にて追加する可能性もある))。

(直下、英文Wikipedia[ List of accelerators in particle physics ]項目の[一覧]内記述より一部のみを抜粋なすとして)

[Accelerator]Intersecting Storage Rings [Location]CERN[Years of operation]1971-1984

(訳として)「加速器名称 Intersecting Storage Rings 所在地CERN 運用年1971-1984」

(極一部の記載のみを抽出しての引用部はここまでとする)

(直下、英文Wikipedia[ Intersecting Storage Rings ]より原文引用をなすところとして)

The ISR (standing for "Intersecting Storage Rings") was a particle accelerator at CERN. It was the world's first hadron collider, and ran from 1971 to 1984, with a maximum center of mass energy of 62 GeV.

(訳として)
Intersecting Storage Ringsの意であるISRはCERNの加速器である。同加速器、最初のハドロン型加速器で最大重心系衝突エネルギー62GeV(620億電子ボルト)でもってして1971年から1984年の間、運用された

(訳を付しての引用部はここまでとする)

(62GeV(620億電子ボルト)の重心衝突系エネルギーを実現していたとの Intersecting Storage RingsことISRは1970年代CERNが運用する主力加速器であった。その点についてはオンライン上に流通している諸種資料より即座に確認可能となっていると述べておく。さて、1974年時点のCERNが運転していた加速器ISRの出力最大運転時の重心系衝突エネルギーは(上にてのWikipediaの抜粋部に見るように)620億電子ボルト ―衝突させられるビームのエネルギーたる31.5GeVの2倍― である。その620億電子ボルトのISRに対して小説の[CEERNの加速器]は、先に原文引用なしているように、15兆電子ボルト( fifteen trillion electron volts )とのエネルギー規模のものであると描かれ、(単純計算で導き出せるところとして15兆という数値が620億の241.9倍以上のものなのであるから)、小説登場の加速器は往時、実際のCERN(小説のCEERNならぬ実際のCERN)で運転されていた加速器の240倍超の規模の加速器を登場させていたことになる

 これにて[事実J]を各別に要素分解なしての中にあっての、

・1974年に初出の小説の中に登場する[架空のCEERNの15兆電子ボルト( fifteen trillion electron volts )加速器]というものは現実にCERNが当時運用していた加速器(ISRと呼ばれる初期型ハドロン加速器)よりも200倍超の規模のエネルギーを実現するとの設定のものであった

とのことを指し示した。

 次いで、[事実J]にあっての

・小説の15兆電子ボルト加速器のような「兆」の単位に突入しての一兆電子ボルトを超える加速器の建設構想計画が[青写真]として実験機関関係者意中に持ち上がったのは1975年以降である

とのことの出典であるが、ここでは


フェルミ国立加速器研究所 Fermi National Accelerator Laboratory関係者由来の公文書たる(表題) Chronology:VBA (ICFA) →SSC (US-DOE)


の内容を引いておく (:そちら文書タイトルとなっているChronology:VBA (ICFA) →SSC (US-DOE) ないし同文書のオンライン上流通版のファイル名となっている fermilab-fn-0415 .pdfをグーグル検索エンジン上に入力することで特定・ダウンロードできるところの[「兆単位超えの」加速器設計構想の進展を編年史形態 ―年代順に出来事をまとめるとの形式― で解説しているとの公文書をここでは問題視する。同文書、現行、その記述内容を細かくもオンライン上で問題視している向きが当方を除き「まったくいない」とのようなほとんど知られることなき文書とはなっているのだが、といった中でながら、そのタイトルの意味合いにつき解説なせば、 [文書タイトル]Chronology:VBA (ICFA) →SSC (US-DOE)にあって付された[VBA]とは[ Very Big Accelerator ](1970年代中葉以降、構想されだした巨大加速器で便宜的にVBAこと Very Big Acceleratorと呼称されていたもの)のことを指し、[ICFA]とは[ International Committee for Future Acceleratorsの略称](世界の主要加速器研究所所長・研究代表者で構成される加速器設置構想を推進している組織体の略称/筆者は本稿の冒頭部より言及しているようにその日本国内の出先機関と国内行政訴訟の場でやりあってきた)のことを指す。また、(およそ表題らしからぬ記号の羅列のような文書タイトルの意味合いについての解説を続けるとして)[同文書タイトル] Chronology:VBA (ICFA) →SSC (US-DOE) に見る[SSC]とは超巨大加速器たる[ Superconducting Super Collider ]の略称(レーガン政権時代に合衆国で建設認可され、クリントン政権下で大統領の継続方針にも関わらず膨大な財政支出、往時のドル換算で数十億ドルに達したとの膨大な財政支出(とすれば現時日本円で1兆円に迫る支出か)へ難色を示した議会が容れずに建設計画が建設途上にて頓挫したとの超巨大加速器SSCの略称)のことを指し、US-DOEとは[ Department of Energyアメリカ合衆国エネルギー省]のことを指す。したがって、[業界用語]的な語句並べ立てての分かりづらき同文書タイトルの Chronology:VBA (ICFA) →SSC (US-DOE)とは ―[クロノロジー]が[編年史]との意となるため― 『加速器研究所所長と研究代表者で構成される組織体ICFAによる計画であった巨大加速器VBA構想から合衆国エネルギー省によるSSC構想に至るまでの編年史』と ―長ったらしくも― 言い換えられるものとなる)。

 それでは以下を参照されたい。

(直下、オンライン上よりダウンロード可能となっているフェルミ国立加速器研究所由来の公文書[ Chronology:VBA (ICFA) →SSC (US-DOE)] 冒頭ページより引用をなすとして)

The idea of a multi-TeV (trillion electron volts) proton accelerator has been being discussed for many years. How did this concept begin? Who first put forth the proposal of such an enormous accelerator? What is it? What physics would it do? Why now? How can this be done?Where to build it? This historical chronology links the early ideas of international collaboration with current rapidly-evolving developments of the Superconducting Super Collider, now seen as a national effort.

(補っての訳として)
「数TeV単位の陽子加速器を実現せんとのアイディアは「ここ数年間」議論されてきた (訳注:ここにて訳出をなしている、現行、誰でもダウンロード可能となっている文書Chronology:VBA (ICFA)→SSC (US-DOE)が世に出たのは1989年のことである ―文書第1ページに文書作成年が April 9, 1989(一九八九年四月九日)と記されている― 。 その折(1989年)を基準にして訳出部では「ここ数年間」と表記されているところである)。  
 そのような兆単位の加速器を実現せんとのコンセプトがいかにして世に出たのか誰がはじめてそのような巨大な加速器を実現する提案を前面に出したのか本文書にあっての歴史的経緯にまつわる編年史(の呈示)は現時、国家的努力の目標物との様相を呈し、今日開発が急ピッチで進められている Superconducting Super Colliderと初期の国際的協力案を関連付けて指し示さんとのものである (訳注:ここ引用部に見る Superconducting Super Colliderとは ―上にても表記したことだが― レーガン政権時代に合衆国で認可されクリントン政権下で大統領の継続方針にも関わらず議会が膨大な財政支出へ難色を示してその継続建設を容れずに途中建設放棄された加速器SSCのことを指す ―SSCこと[超伝導超大型加速器]については和文ウィキペディアにも一項目設けられているものとなる。その建設計画が破棄されたのはトンネルが20キロ超ですでに掘られていた1993年のことであり、文書作成時、1989年にあっては未だその完成は現実視されていた― )」

(補っての訳を付しての引用部はここまでとする)

(次いで、直下、 Chronology:VBA (ICFA) →SSC (US-DOE)の4と振られたページにての[時系列順に出来事を挙げての部]の中から冒頭に25と振られた部の内容を引用するとして)

11/75 “1 TeV” mentioned in R. R. Wilson Physics Today editorial regarding a world laboratory.

(訳として)
1975年11月:世界的研究機関( a world laboratory )構想に絡んで1TeVへの言及がロバート・ラスバン・ウィルソンの Physics Today(米国物理学協会が発行する会員誌) 上の論説でなされた」

(引用部はここまでとする)


「長くなるも、」の補足として

 上にて内容を引いた加速器実施機関(フェルミ国立加速器研究所)由来の公文書の表記から1975年がはじめて「1兆電子ボルト超え」がはじめて[実現目標]として明言された折柄と解されるようになっている(加速器実験機関由来の公文書に虚偽が介在しているなどとは[必要性][意味合い]から考えがたいゆえに、である)。

 尚、同じくもの編年史紹介文書(Chronology:VBA (ICFA) →SSC (US-DOE) )にあってはその4と振られたページにあっての上訳出部に続く27と振られた部にて

「1976年5月17日から5月25日にかけて往時ソ連領セルプホフにて開かれた国際的ミーティングで(より強気の)10兆電子ボルトないしそれ以上がVBAのありうべきスケールとして提案された

との表記もなされている ―原文表記は 5/17-25/76 Serpukhov organizational meeting attended, amongst others, by R.R. Wilson, L. Lederman, V. Weisskopf, R. Diebcld, J. Bjorken. VBA scale discussed; greater than or equal to 10 TeV fixed target proton accelerator(以下略) ― 。

 そうした(実現段階に至らぬ構想上のことでありながらも)加速器の目標実現エネルギーが強気のものとして出された、すなわち、「1975年11月にあってはじめて1兆電子ボルトへの言及がなされ1976年5月には10兆電子ボルトへの言及がなされるとのかたちで」目標実現エネルギーが強気のものとして出された理由についても筆者は ―門外漢ながらもできる範囲で― 精査・深耕している(問題となることが生き死にに関わるという認識があるのであるから当然、背景調査にも力を入れている)。

 それにつき、1976年に[10兆電子ボルト実現]が目標として出されるようになったのには

[加速器テクノロジーを支える基本技術の発展]

があるとも解されるようになっている。

 加速器の実現エネルギーは(下にてその出典を挙げるが)[加速器サイズ]と[磁石の強さ]と比例していると一般に説明されている。

 したがって、より強力な加速器を建設するためには
加速器が[巨大たること]が要請され、[用いられる磁石が強力たること]が要請される
とされる(:たとえば、(結局構想が頓挫したものの、ここにて挙げている資料内では実現可能性が肯定的に論じられているとの)加速器SSCでは86.6キロメートルに及ぶとされる超長大なトンネルが掘られる予定であったとのことがあり、によって、重心系衝突エネルギー40兆電子ボルトが極微領域に詰め込められるとの状況の実現が企図されていたと「される」(そのぐらいのトンネルの長大さが40兆電子ボルトの極微領域投入を約する装置の実現には要請されていた。といったSSCのトンネルの長大さについては和文のウィキペディア[超伝導超大型加速器]項目程度にも言及されていることである)。 対して、強力さで類を見ない磁石が用いられているとされるLHC実験では27キロメートル超のトンネルが用いられ、そのトンネルの長大さと結びついた加速器の長大さによって最大にして重心系衝突エネルギー14兆電子ボルトが極微領域に詰めこめられるとの状況の実現が企図されている ―※― )。

(※補足としての話をさらに補ってものこととして
 専門家でもない人間でも話し手として指し示せる、そして、聞き手として理解できるとの事実関係の摘示でもって一部科学者らの挙動(の背後にあるところ)の悪質性を問題視するというのが本稿の趣意である。といった本稿にあって読み手理解を促すために補足となる部をここに設けているわけだが、そうもした補足の部でありながらも門外漢が分かりづらいところとして、直上、
重心系衝突エネルギー(たる兆単位電子ボルト)]
との概念を持ち出している(言い訳がましくも述べれば、持ち出さざるをえなかった)ため、そちら[重心系衝突エネルギーが何であるかということの解説をさらにもって脇にそれてなしておく(無論、出典に基づいて、である)。
 その点、
「[蚊の1兆分の1]とも形容される極小領域に本来的には蚊の飛ぶ程度の運動エネルギーにすぎぬ兆単位の電子ボルトのエネルギーを詰め込み(1エレクトロンボルトは電子(エレクトロン)1個を動かすエネルギーということでそれが兆単位になってもマクロ・スケールではたいしたものではない)、もって、原初宇宙の超高エネルギー状況を再現が企図されている
とのことが
[巨大加速器実験]
にまつわって頻繁に言及・取り沙汰される重心系衝突エネルギー(たる兆単位電子ボルト)]のおおよその意味合いである。
 典拠を挙げる。
 まずもってそちら記載より挙げておくが、英文Wikipedia[ Order of magnitude (energy) ] 項目にての
1.6×10-7J(ジュール)]
と振られた部にあっては
1TeV( teraelectron volt), about the kinetic energy of a flying mosquito.「1TeVこと1テラエレクトロンボルト(1兆電子ボルト)は蚊の飛ぶ運動エネルギーに相当
との記述がなされている(:そちら表記をウィキペディアから確認いただくことでもって「[1兆電子ボルト](1テラエレクトロンボルト)というもの ――僅か[10のマイナス7乗×1.6ジュール]相当のエネルギーである―― が蚊の飛ぶ程度のエネルギーにすぎぬ」との理系分野の[一般的理解]について門外漢にもご察しいただけるであろう)。
 次いで、蚊の飛ぶエネルギー(「兆」単位電子ボルト;「テラエラクトロン」単位電子ボルト)を
蚊の1兆分の1」スケールの極微領域に蚊が飛ぶエネルギーを詰め込むというのが昨今の加速器実験における重心系衝突エネルギー[兆単位電子ボルト]の意味合いである]
ということ(上にて言及のこと)についての引用をなしておく。
(直下、アミール・アゼクルという科学ジャーナリストの著作が邦訳されたところの『宇宙創造の一瞬をつくる CERNと究極の加速器の挑戦』(早川書房「ハードカヴァー」版)p.27よりの原文引用をなすとして)
------
LHCを最大エネルギーレベルで運転すると、陽子は加速しつづけて光速(秒速二九万九七九・四五八キロ)の九九・九九九九九九一パーセントという想像を絶するスピードに到達する。このときLHCはエネルギーレベル一四TeV(テラ電子ボルト)で運転される。一TeVは蚊の飛ぶエネルギーに近く、ごく小さな値に思えるが、それがきわめて高密度になるLHCは陽子二個の体積、つまり蚊の一兆分の一の空間の中にこのエネルギーを詰め込むのだ体積あたりのエネルギーとして、これまでに達成された値をはるかにしのぐレベルだ。この超高エネルギー領域で、今まで物理学者の頭の中にしかなかった新粒子や新現象が現われると考えられている
------
(引用部はここまでとする)
 以上をもって
[重心系衝突エネルギー(たる兆単位電子ボルト)の意味合い]
が何であるかということにまつわる解説とした)

(基本的事項にまつわる出典に依拠しての解説をなしたうえでここでの補足を続けるとして)
 さて、[トンネルの長大さ]が加速器の実現エネルギーを決めるパラメーターとしての二大要素としての[加速器サイズ]と[磁石の強さ]のうちの一方となっているとして、である。もう一方の[磁石の強さ]を倍加させるとの技術革新が1970年代中葉に起こったとのことがあり、それが加速器建設動向に影響を与えたとのことがある(と実験推進者由来の書籍にあって説明されている)。

 その点について ――兆単位の電子ボルトを実現するとの加速器の構想が提案されだした背景にまつわるところとして―― 1988年にノーベル賞を受賞した物理学者レオン・レーダーマン( Leon Lederman )の著書である、

『神がつくった究極の素粒子』(下巻) (邦訳版の版元は草思社/右書籍の原題は The God Particle: If the Universe Is the Answer, What Is the Question?で1993年刊行の著作となる.尚、同著、訳書が草思社から刊行されている『神がつくった究極の素粒子』と似たような[邦題]が付された書籍として『神の素粒子 ―宇宙創成の謎に迫る究極の加速器― 』(原題は COLLIDER: The Search for the World's Smallest Particlesとの書で本稿[事実B]にてもその記載内容を挙げている日経ジオグラフィック社刊行の書)と題が付されての一般向け書籍も刊行されているが、両書はまったくの別物の書なので混同しないでいただきたい)

の内容を引いておくこととする。

(直下、『神がつくった究極の素粒子』(下巻)のp.59からp.60、[加速器のエネルギー規模が加速器サイズの大小と磁場の強弱に依存する]との旨の記載がなされている箇所より掻い摘まんでの引用をなすとして)

ここまでの技術面での議論で忘れていたことがあるとしたらば、それはなぜサイクロトロンやシンクロトロンを大きくするといいのか、ということだ。ウィデロやローロンスは、かつての研究者が考えていたような高電圧をつくらなくとも粒子を加速できることを証明した。連続したギャップを通過させるか、回転軌道にして一つのギャップをくりかえす利用するかすればいい。こうすれば円形加速器には二つのパラメーターしか存在しない磁石の強さと、粒子の軌道半径だ。加速器の建設者は、この二つの条件を調整し、必要とするエネルギーを得る加速器の半径は、主として予算面からの制約を受ける。磁石の強さは、技術面からの制約を受ける磁場を強めることができないとなれば、エネルギーを高めるためには円を大きくすることになる

(引用部はここまでとする)

(さらに続けて直下、『神がつくった究極の素粒子』(下巻)のp.61からp.62、[1973年から1977年にかけて加速器ニーズに合致した「強力な磁場」を提供する技術革新がなされた]との旨の記載がなされている箇所よりの原文引用をなすとして)

一九六〇年代初期、画期的技術が生まれた。特殊な金属でできた合金は、多量の電流を伝導して強力な磁場を形成しながら、超伝導という微妙な状態を維持できるのだ。それも、絶対温度五度ないし一〇度という比較的あつかいやすい温度でこの現象が見られるのだ。
・・・(中略)・・・
素粒子検出器用――たとえば泡箱をかこむために――としては、新合金による大型磁石がつくられたが、加速器用は無理だった。粒子がエネルギーを得るにつれて磁石を強くしなければならないからである。電磁石の電流が変化すると、摩擦効果(渦電流)をひきおこし、通常は超伝導状態を崩壊させてしまう。この問題を解決しようとした一九六〇年代、七〇年代に多数の研究が行われた。その中心となったのは、ロバート・ウィルソンがひきいるフェルミラボだった。ウィルソンのチームは、超伝導磁石の研究開発を開始した。「ザ・二〇〇」の原型が運転を開始してまもない一九七三年のことだ
・・・(中略)・・・
ウィルソンは、もし磁場を変化させる問題が解決できれば、超伝導リングは、より強力な磁場を生みながら大幅に電力を節約できるはずであり、半径が同じでもより高エネルギーが得られる、と考えた。
・・・(中略)・・・
冶金学者や材料学者と共同研究し、一九七三年から七七年の間に問題解決に成功した。モデルの磁石の電流を10秒間のうちにゼロから五〇〇〇アンペアまで上昇させ、超伝導を維持できた。一九七八、七九年には、優秀な特性をそなえた二一フィートの磁石の生産がはじまり、八三年には超伝導「アフターバーナー」としてテバトロンがフェルミラボで運転を開始した」

(引用部はここまでとする)

 以上の The God Particle: If the Universe Is the Answer, What Is the Question?(邦題)『神がつくった究極の素粒子』(下巻)よりの引用部でもってして、 ――([加速器サイズ(半径)][磁石強度]が加速器の実現エネルギー(兆電子ボルト単位重心衝突系エネルギー実現の意味合いについてはつい先立っての段にて解説している)を規定するとして)――、 70年代より磁石強度を約束する新技術が登場、兆単位電子ボルトの加速器が同じくもの70年代より実現視可能と目されるようになったとのこと、ご理解いただけることか、とは思う ―※― 。

(※脇に逸れての話として
 尚、この段階では未だ要らぬところか、とも思うのだが、
[本稿の後の段にて加速実験がいかようにしてギリシャ神話におけるトロイア戦争(トロイアの木製の寓意)に関わるようになっているかとのことを属人的主観など抜きに説明をなす]
とのことにも関わるところとして次のことをも述べておくこととする。
  ⇒
 直上、 The God Particle: If the Universe Is the Answer, What Is the Question?(邦題)『神がつくった究極の素粒子』(下巻)との書籍よりの抜粋部にてもその名が挙げられているウィルソン(e.g.[ロバート・ウィルソンがひきいるフェルミラボだった。ウィルソンのチームは、超伝導磁石の研究開発を開始した。「ザ・二〇〇」の原型が運転を開始してまもない一九七三年のことだ])は合衆国の代表的加速器運営機関であるフェルミ国立研究所の設立旗振り役にして初代所長となっていた最有力科学者(米国物理学界の長を務めた男)のロバート・ラスバン・ウィルソンのことを指す。
 同ウィルソンについては
[同男によって1975年に1TeV超えの粒子加速器への言及がはじめてなされた]
とのこともここ本稿にて先に挙げている資料、
Chronology:VBA (ICFA) →SSC (US-DOE)
よりの抜粋部にあって表記されているところである( 1/75 “1 TeV” mentioned in R. R. Wilson Physics Today editorial regarding a world laboratory.との先の引用部のR.R.Wilsonとはロバート・ラスバン・ウィルソンのことである)。
 そうもしたロバート・ラスバン・ウィルソン、
[粋なカウボーイにして進取の気風に富む芸術家肌のルネサンス的人物]
[マンハッタン計画に参画するもその実現に含むところが多々あったとの好漢]
などとも相応の人間ら(加速器実験機関関係者ら)に今なお褒めちぎられているとの向きであり米国物理学界の重鎮にして
(わざとそういう言及をなすのだが)
[トロイヤを滅ぼした[木製の馬]の奸計の考案者たるギリシャ英雄オデュッセウスの故郷イサカ(Ithaca)の名を冠するニューヨークの地にて没した人物]
としても知られている ――(英文Wikipediaからして加速器実験の大功労者であるウィルソンが最期の時を過ごした地が(そこが学術振興地区だったとしか常識人は語らぬだろうが)ニューヨークのイサカであると記載されているところである/トロイアを木製の馬の計略で滅ぼした伝説上の存在オデュッセウスの故地イサカから命名されたとのニューヨーク・イサカについては[ブラックホール・ゲート装置]を扱った小説『コンタクト』の執筆者である米国科学界の旗手であったカール・セーガンの事績およびその作品に伴う「人を食ったような」予言めかした側面について論じることになるとの本稿の後の段で再度の解説をなす)―― 。
 同男自身にとって所縁ある大学でもあるコーネル大のある[イサカ](繰り返すが、トロイアを滅ぼした計略の考案者、オデュッセウスの故地より命名されたことが知られるニューヨークの一地域)を終(つい)の住処としたロバート・ウィルソンはその師匠筋にあたるアーネスト・ローレンスと共にマンハッタン計画の推進に多大なる貢献をなしていたこと「でも」知られる向きである。
 そして、そのロバート・ラスバン・ウィルソンの師匠筋であったとのアーネスト・ローレンスという男は(本稿を公開しているサイトの一の多所でも仔細に解説していることだが)[LHCに発展することとなった「円形加速器」の開発者]にして[近年の隠し撮り流出映像から最上級のパワー・エリート達が信じ難きような狂態を演じる祭典の場として認知されるに至っているボヘミアン・クラブ]のメンバーであったことが(英文Wikipediaの[アーネスト・ローレンス]解説項目にて出典付されて)紹介されているような人間であった(そこにての現行記述よりの引用なせば Robert Gordon Sproul was a member of the Bohemian Club, and he sponsored Lawrence's membership in 1932. Through this club, Lawrence met William Henry Crocker, Edwin Pauley, and John Francis Neylan. They were influential men who helped him obtain money for his energetic nuclear particle investigations.(大要訳として)「ロバート・ゴードン・スプロールはボヘミアン・クラブのメンバーであったわけだが、同男が1932年、アーネスト・ローレンスのクラブ参加に渡りをつけた.同クラブを通じてローレンスは同男が原子核調査にまつわる研究をなすうえで必要な資金を得るのに助力した影響力ある男達と懇意となった」と記載されている次第である(同英文Wikipedia引用元箇所にて現行、出典紹介されているのは Brechin, Gray A. (1999). Imperial San Francisco: Urban Power, Earthly Ruinとのカリフォルニア大バークレー校関連の出版物の文書内記述である)。
 そうもして[奇態なる(そして流出映像を見れば分かろうこととして実に「アグリー」でもある)夏の祭典]に参加していた円形加速器の発明者たるアーネスト・ローレンスが引き立てていたロバート・ラスバン・ウィルソンがマンハッタン計画に「同計画はよろしくはない」と途中より疑義を呈したとのことが美談調で英文ウィキペディアに掲載されていようとその事績とともにその人間性に何の信も置くべきではないと本稿筆者は考えている( Bohemian Clubが何たるかについては同クラブがイヴェント主催する Bohemian Groveでどういったことがなされているかにつき(批判的紹介者・陰謀論者らのそれに対する文字情報での解説はすべて割愛したうえでも)どういった奇態なる流出映像が世にて問題視されているのか確認いただきたい次第ではある)。
 筆者は本稿にて[この世界が「人間レベルにあって」伏魔殿であるか否か]を問題視しているわけではない(そういうことを当てにならぬ材料、筆者も今までにさんざん惑わされてきた話柄をもってして鼓吹するのは陰謀論者やりようであろうと達観するに至っている)。 「問題なのは、」(後にてもそうも判じられる論拠を解説するが)傀儡くぐつと成り下がった一群の人間によって[そのように見えもする](伏魔殿と相通ずる色彩が意図的に付されている節がある)ようにされている領域が ―実体としては内実空っぽのものであれ― 垣間見れもし、たかだかものその程度のことをもってからして危険性を感じさせるとのことがある、ということである。
 以上、[補足の部]それ自体から見てでさえ、さらに脇に逸れての話はここまでとする)

(直前にて行き過ぎたことを書きすぎたか、とも思うのだが、「その上でも、」のこととして)ここ補足部にあってのここまでの内容をまとめよう。

兆単位の重心系衝突エネルギー加速器の実現構想が[青写真]として呈示された時期は「1975年から1976年」にあると(実験機関発表文書にて)されているとの件については背景として[超伝導磁石]を利用できるようになったとの技術進歩がありそちら技術進歩については
1973年から1977年
にかけて達成されたと(加速器実験機関の長の手になる著作内の記述に依拠して)解されるようになっている(※)。

(※尚、現実に兆単位の電子ボルトを念頭に置いての加速器が登場したのは80年代前半に運転開始を見た[テバトロン]が最初であるとされている ――テバトロン、名前からテブ(兆単位電子ボルト)を意識して命名されているとされる同フェルミ国立加速研究所運営の加速器は1983年の運転開始より512億電子ボルト運転に奏功し、次年度には900億ギガボルト運転に漕ぎつけていたことが知られている。また、LHCを除き1兆ボルト超えを実現したのは後にも先にもそのテバトロンだけであると認知されもしている(現行英文Wikipedia[Tevatron]項目にても The Tevatron was a circular particle accelerator in the United States, at the Fermi National Accelerator Laboratory (also known as Fermilab), just east of Batavia, Illinois, and holds the title of the second highest energy particle collider in the world after the Large Hadron Collider (LHC) near Geneva, Switzerland. The Tevatron was a synchrotron that accelerated protons and antiprotons in a 6.86 km, or 4.26 mi, ring to energies of up to 1 TeV, hence its name.[1] The Tevatron was completed in 1983 at a cost of $120 million and significant upgrade investments were made in 1983-2011.[ . . . ] The 'Energy Doubler', as it was known then, produced its first accelerated beam - 512 GeV - on July 3, 1983. Its initial energy of 800 GeV was achieved on February 16, 1984. On October 21, 1986 acceleration at the Tevatron was pushed to 900 GeV, providing a first proton?antiproton collision at 1.8 TeV on November 30, 1986.(逐語訳ではなく大要訳として)「テバトロンはイリノイ州バタビア東部にあっての合衆国フェルミ国立加速器研究所(フェルミラボ)の円形粒子加速器となり、後のLHCに次いで世界で二番目に高いエネルギー規模の加速器として知られている。テバトロンは1TeV(1兆電子ボルト)、同加速器がその名の由来となっている1テラエレクロトンボルトに向けて陽子と反陽子を加速させるとの周長6.86キロメートル(4.26マイル)のシンクロトロンとなり、1億2千万ドルを投じて1983年に完成、1983年から2011年にかけて改修投資がなされてきた加速器となる。テバトロンは1983年にて512GeV(512億電子ボルト)運転を実現、1984年には800GeV、1986年には900GeV、1986年11月には1.8TeV運転を実現した」といった記載がなされているところである)―― )

 以上、まとめたところで長くもなってのここ補足の部を終える。

補足の部はここまでとする


(補足として付した話がいささかどころか、相当長くもなってしまったとのきらいもあるが)ここまででもってして[事実J]を各別に分解しての

・小説の15兆電子ボルト加速器のような「兆」の単位に突入しての一兆電子ボルトを超える加速器の建設構想計画が[青写真]として実験機関関係者意中に持ち上がったのは1975年以降である

とのことの出典表記部を終える(その点、出典資料としてはフェルミ国立加速器研究所由来の公的文書、[Chronology:VBA (ICFA) →SSC (US-DOE) ]を挙げた)。

(要素要素に分解しての[事実J]にまつわるここ出典(Source)紹介の部10 の部にての典拠紹介を今しばらくも続けるとし、)次いで、

・現在CERNが運用するLHCの実現する最大出力は[(重心衝突系エネルギー)14兆電子ボルト]の加速器であり、それに比して、1974年に初出の小説に登場する[(架空の)CEERNの15兆電子ボルト加速器]は1.07倍程度しか強力なものではない(⇒ 15TeV:14TeV=1.07(...):1.00)

とのことの出典を挙げる。

 そちら典拠としては以下、科学読み本内容の記述を引いておくだけで十分かと判じたのでそうすることとする。

(直下、 Present at the Creation The Story of CERN and the Large Hadron Collider邦訳版『宇宙創造の一瞬をつくる CERNと究極の加速器の挑戦』(早川書房.原著2010年刊、邦訳版2011年刊)の27ページより原文引用するとして

LHCを最大エネルギーレベルで運転すると、陽子は加速しつづけて光速(秒速二九万九七九二.四五八キロ)の九九.九九九九九九一パーセントという想像を絶するスピードに到達する。このときLHCはエネルギーレベル一四TeV(テラ電子ボルト)で運転される

(引用部はここまでとしておく ―※― )

(※上の通りLHCはその最高エネルギーレベルでの運転時、14兆電子ボルトで運転されるとの加速器として認知されているわけだが、同点については当然、インターネット上でも[最も基本的な情報]としてすぐに確認できるところとなっている。2012年度よりLHCは長期運転休止に入り最高レベルでの14TeVへエネルギー規模を倍加させ突入する状況には(本稿本段執筆現時点2014年では)未だ至っていないということとともに、である ――英文Wikipedia[ Large Hadron Collider ]項目にあっての運営タイムライン言及部にて先立っての折より The LHC continues operations ramping energies to run at 3.5 TeV for 18 months to two years, after which it will be shut down to prepare for the 14 TeV collisions (7 TeV per beam).(訳として)「LHCは18ヵ月から2年の間、3.5TeVのビームで運転を継続し、その後、14兆電子ボルトへの準備のための休止段階に入ると記載されているとおりに予定明示がなされ続けてきた中で、である―― )

 さて、LHCでの(未だ未達の)最大運転時出力が14兆電子ボルトであるとして、である。1974年初出の既述の小説([事実F]の部から本稿にて言及なしはじめている『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』)にあってみとめられる、
[(CERNならぬ)CEERNの15兆加速器]
というのは
「(15兆を14兆で割れば1.07(以下小数点略)が出てくることから)[CERNのLHC]の僅か1.07倍のエネルギー規模のものである」
ということになる(:1974年小説に見る[CEERNの15兆電子ボルト加速器]とは[往時CERNが運営していた加速器(ISR)]に比して240倍超強力な出力を実現しているとのものであるばかりではなく、往時にては未だ現実視されていなかった兆単位領域(Tev領域)に突入しての加速器となるわけだが、そうした架空の加速器、今日のLHCにあまりにも出力比で近しいとのもの「とも」なっている(ここまで摘示に努めてきたことである)。さて、兆単位電子ボルトの加速器、70年代中葉、1975年より構想が企図されだしたとのことを先に出典に依拠して指摘した兆単位電子ボルトの重心衝突系エネルギーの加速器のうち、[最大出力14兆電子ボルトのもの]として考案されるに至ったLHCは何時から計画立案されだしたものなのか。少なくとも問題となる小説が世に出た74年には同加速器にまつわる青写真すら描かれていなかったと(先んじてそこよりの引用をなしたフェルミ国立加速器研究所文書にての引用部文言それ自体より)判じられるところとなっている ――さらに述べれば、LHC計画がCERNにて「正式に」スタート認可されることになったのは公式資料にて1992年であるとされていること、本稿の後の段にて指し示すことにもなる―― )

 以上、ここまでにて

[事実J]

1974年に初出の小説の中に登場する架空のCEERNの15兆電子ボルト( fifteen trillion electron volts )加速器現実世界でCERNが当時(1974年)にあって運用していた加速器(ISRと呼ばれるハドロン加速器)]よりも200倍超の規模のエネルギーを実現するとの[設定]のものであった。

1974年初出小説に見る15兆電子ボルト加速器のような「兆」の単位に突入しての一兆電子ボルトを超える加速器の建設構想計画が[青写真]として実験機関関係者意中に持ち上がったのは小説刊行の1年後との)1975年以降である(との加速器実験機関由来の内部資料が存在している)

現在CERNが運用するLHCが実現しうる最大出力は[(重心衝突系エネルギー)14兆電子ボルトとなっており、それに比して、[1974年に初出の小説に登場する(架空の)CERNならぬCEERNの15兆電子ボルト加速器はたかだかもの1.07倍程度しか強力なものにすぎない(⇒ 15TeV:14TeV=1.07(...):1.00)。そうしたかたちで1974年初出の加速器は出力との性能で見てあまりにも今日のLHCに近似している(尚、兆単位の加速器の実現可能性さえ取り沙汰されなかった往時(74年)にはLHC計画は当然に策定さえされていなかった)。

 要するに、 Adrift Just off the Islets of Langerhans : Latitude 38°54'N, Longitude77°00'13W(邦題)『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』という作品は

往時70年代のCERN運営加速器(ISR)に比して200倍超も強力なるCEERN加速器なるもの](それは小説刊行時、構想だにされていなかった規模の加速器であると研究機関文書にて記載されている兆単位電子ボルト加速器ともなる

を登場させており、かつもって、その架空のCEERN加速器なるものは

[(指数関数的に出力を増大させてきたとの加速器進化動向にあって)今日のLHCに比しては小数点2桁、数パーセントの誤差ぐらいしかないほどに出力が近似しているとのもの

ともなっているとのことがある。

とのことが「主観など問題にならぬ」ところの[裏取り容易なる確たる事実]であることを[堅く、また、容易に後追いなせるとの出典]らよりの原文引用でもって指し示した。

(極めて長々としたものとなってしまったが、[事実J]が文献的事実であることを示すべくも設けた出典(Source)紹介の部10はここまでとする ――続いての段では以上のことからどういった欺瞞性が透けて見えるのか、整理を兼ねての話をなす―― )


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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

各頁および各典拠への一覧方式遷移部へは以下より


問題となる「予見的言及→実現」の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

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ここ本頁内にて[参照先]として挙げている【「容易に後追い確認なる」「堅い」ソースを呈示しての出典紹介部ら】、それぞれへの[遷移経路]を設けておく (:クリックすることでブラウザ ―インターネット閲覧ソフト― の[別タブ(別枠)]にて典拠紹介部を表示( open "additional" tabbed window(s) of web browsers ))

[出典(Source)紹介の部1](加速器のブラックホール生成リスク問題視の契機が1999年にあり、の折、実験機関はブラックホール生成可能性それ自体を否定していたとのことにまつわっての典拠紹介部1)
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典拠紹介部第2頁 1999年における加速器を巡る議論動向

[出典(Source)紹介の部2](加速器によるブラックホール生成が[現実的にありうること]と当事者実験機関および科学界にて表立って論じられ出したのが2001年であると判じられるようになっていることにまつわっての出典紹介部2)
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典拠紹介部第3頁 ブラックホール生成可能性にまつわる研究機関の変節の経緯

[出典(Source)紹介の部3](加速器のブラックホール生成問題に関し、「たとえブラックホール生成がなされても蒸発するから安全である」との論理を目立って前面に出しての実験機関公式報告書が2003年に出されていることにまつわっての典拠紹介部3)
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典拠紹介部第3頁 ブラックホール生成可能性にまつわる研究機関の変節の経緯

[出典(Source)紹介の部4](西暦2000年前後の科学界やりとりと際立って類似性を呈しての[加速器ブラックホール生成のストーリー]を扱う小説作品が「1980年に」世に出ていることにまつわっての典拠紹介部4)
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典拠紹介部第4頁 小説『未来からのホットライン』に見るブラックホール生成描写

[出典(Source)紹介の部5](西暦2000年との折柄にあっては物理学界を代表するノーベル賞受賞科学者が[「他の」加速器リスク]の可能性を多めに見繕う慎重論を呈しつつも「加速器のブラックホール生成可能性などはエネルギー単位の問題から即時否定できるものである」と明言していたことにまつわっての典拠紹介部5)
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典拠紹介部第5頁 科学界発表動向となんら一致せざるところの先覚的言及として

[出典(Source)紹介の部6]から[出典(Source)紹介の部9]70年代に遡るところとして[欧州CERN加速器によるブラックホール生成]を臭わせている風が如実にあるとの[複数フィクション]が存在していることにまつわっての典拠紹介部6から典拠紹介部9)
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典拠紹介部第6頁 70年代小説らに見る「克明無比なる」ブラックホール生成に通ずる言及


典拠紹介部第7頁 『ホール・マン』と『ランゲルハンス島沖を漂流中』の繋がり合い