懐疑論者に軽侮されがちな著作ながらもの『シリウス・ミステリー』、同著作にあって取り沙汰されているところでもある重んじて然るべき特定事実 補説3
直前頁にあって大要、これより以下のことを問題視していくとのこと、述べた。
既述のようにダンテ『地獄篇』では重力の中枢にて人類の裏切り者らを永劫に粉砕し続けているとの三面構造(ケルベロス構造)の地獄の王たるルチフェロが登場する。
そのルチフェロの領域にて「本稿の先の段にて入念に解説したこととして、」
[今日的な意味で見たブラックホールの「類似物」への言及]
が奇怪なことに多層的に見てとれるとのことが「ある」わけだが(本稿にての出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55(3)を包摂する解説部にて詳説の通りである)、 そのことにも通底するところとして、
「[三面構造をとるケルベロス][冥界の犬][イシス]らの全てを[(ブラックホール理論の開闢ともつながっている)特定天体の特性]と関連づける」
との「ある程度、見るべき論拠に依拠した」申しようが(一部の人間に知られているところとして)存在している。
具体的には ―筆者はそうした見解を容れているわけ「ではない」のだが―
[先史時代の人類文明に対する異星の知的生物介入理論]
を広めるとのことをなしたとの[ロバート・テンプリ]という論客由来の書籍、欧米圏にて物議を醸した書籍たる、
The Sirius Mystery『シリウス・ミステリー』(原著1976年初出)
との著作に見る申しようが
「[三面構造をとるケルベロス][冥界の犬][イシス]らの全てを[ブラックホール理論の開闢ともつながる特定天体(白色矮星シリウスB)の特性]と関連づける」
ものとして提唱されているとのことがある(:筆者はそうした申しようをなしている『シリウス・ミステリー』という書籍を深い分析対象としていたとのことがあり、その筆者がたとえメーソンなりといえども(『シリウス・ミステリー』著者ロバート・テンプルについてはフリーメーソンに足入れしたとの弁が存在する)、[一級の知識人](学歴が高いという意味合いではなくナレッジと思考能力の双方に恵まれたある種、ワイズな人間)であると感じてもいるのだが、『シリウス・ミステリー』の[人をたばかるような欠陥性]についても「穴が開くほどに同著を検討しに検討した人間であるから述べられるところとして」知悉している ――尚、そうも述べる人間としてシリウス・ミステリーという著作の問題性も続く段で細かくも指摘していく。さらに述べれば、この身、筆者は[人間を薬籠中としている存在がエクストラテレストリアル、俗にイー・ティー、エイリアンなどとされる異星の存在である]などということを無条件に容れるなどとのこと、そう、『頭の具合がよろしくはない』と多くの人間らに見做されるようなことを唱道しているわけ「ではない」(先に出典(Source)紹介の部87(2)、出典(Source)紹介の部87(3)と振っての段で[重力波]との絡みで観点呈示してきたように[可能性は複数ある]と解している。それら可能性のどれもが(当然にそれを観念して然るべき「具体的兆候」を伴っての)[マリオネット仮説]と接合するようなものであるとしつつも、である)―― )。
そちら問題となる内容を含む『シリウス・ミステリー』という著作については、(本稿の続く段にて事細かに後追い可能であるとの出典挙げながら解説していく著作となるが)、
[ブラックホール理論開闢史などについての言及は一切なされておらず、また、ブラックホールそれ自体への言及も全くなされて「いない」(代わりに人類にブラックホール理論開闢の契機を与えた白色矮星シリウスBへの古典内でのあからさまな言及に通ずることが[異星文明の原初地球文明への介入]との文脈にて問題視されている)]
との筋目の著作となり、といった書である『シリウス・ミステリー』にあっての一部の[文献的事実]に依拠しての記載内容が
「これは『シリウス・ミステリー』著者に全くもって意図されてはいないことだろう」
との文脈で、そう、[異星人介入理論]なるものとは全く異なる側面、我々人間に押しつけられた科学教養(の中の高度なところ)に関連する領域で
[ブラックホール関連で多くを結びつける材料]
と(実にもって悪魔的に、だが)接合しているとのことを筆者は重んじている ――※現代の科学史に細かくも目を這わせることでそれが分かるようになっている。[ペルセポネ]と[イシス]と[ケルベロス]の伝承上の各要素が相互に結線しながら、それがなされていては「いけなかった」往古にて[ブラックホール理論の黎明・揺籃・確立に関係している天体(シリウス伴星シリウスB)]への特殊なる言及が古典それそのものの中でなされているとの指し示しが(『シリウス・ミステリー』の中で[ブラックホール]のことを問題視していないとの別文脈の中で指摘されていることと話が通ずるような式で)なせるようになっており、によって、(「この段階では、」複雑なる話、ゆえにテーゼとすれば、消化不良を呈するようなところであろうと斟酌しつつそこを敢えても述べたいのだが)、[ダンテ『地獄篇』に見る三面のケルベロス状のルチフェロにまつわるブラックホール寓意性]が[ヘラクレス12功業][ケルベロスとイシスとペルセポネを円環状に関係づけるものとしてのブラックホール理論開闢にまつわる天体シリウスB]と結線してしまうように多層的・複層的にできあがって「いる」とのことまでもがある(現行、この世界でそういうことを指摘する人間は(筆者を除き)絶無ではあるが、現実にそういうことがある(のでこれより詳述に詳述を重ねての解説をなしていく))―― 。
上のことを論じていくとの運びにて前ページまでにあっては
[著述家ロバート・テンプルによってその著書『シリウス・ミステリー』にて主張されていることの主張内容および、に対しての、目立っての批判のありよう]
について原文引用に次ぐ原文引用との式で細かくも呈示してきた。
以上のこと、振り返ったうえにて、である。これより先、本頁の内容に入ることとしたい(※)。
(※話をさらに進めるとのその前に補うべくもの表記をなしておくこととする。
その点、繰り返すが、ロバート・テンプルという人物は、
[「肉眼では絶対に見えないはずの」シリウスBの存在、また、その公転周期(50年)や重量などの特性をドゴン族が昔から把握していたと主張する]
とのやりようをとっている(同男申しように見る[ドゴン族伝承先覚的側面]については元となった民族学者らの研究内容の誤りの踏襲可能性より、真実一路のものなのかは藪の中、疑わしいとのかたちとはなっているわけであるが、とにかくも、である)。
以上のテンプルの言いように関わるところでの基本的情報の呈示について多少、不足不備があったかと思うのでここにてほんの少々、付け足しての表記をなしておくこととしたい。
まず、シリウス伴星シリウスBの公転周期が50年であるとのことについてであるが、(即時に確認できるところより挙げるとして)和文ウィキペディア[シリウス]項目からして伴星たるシリウスBの公転周期について「現況」右の概要記述部にて50.09年との表記がなされている(対して、英文Wikipedia[Sirius]項目では[ぶれ]を勘案しての表記としてPeriod (P) 50.090±0.055yrとの表記が「現行にては」なされている)。
何にせよ、伴星シリウスBが主星シリウスAを一回、まわり終える周期は限りなく50年に近い(とのことがよく知られている)とのことそれ自体は事実である(:先だってそちらからして引用なしてきた[テンプル「的」主張 ―ドゴン族がシリウスBにまつわっての先覚的言及をなしているとの言いよう― への批判者ら言い分]もそうしたシリウスBの50年周期、それが正しいとのことまでは所与の前提としてのものとなっている)。
また、シリウスBが
[肉眼目視不可能で天体観測技術が向上を見たとの近年になるまで発見されえなかった]
とのことについても無論、容易に裏取りできるようになっている。のような中で同じくものことにまつわって珍しくも英文ウィキペディア「以上に」凝っての解説がなされているとの和文ウィキペディア[ドゴン族の神話]項目に要を得た表記がなされていると見もしているので、そこにての現行記載内容を引いておくこととする。
(直下、現況、長大な解説が講じられている和文ウィキペディア[ドゴン族の神話]項目にての[シリウス]の節よりの引用をなすとして)
マルセル・グリオールはドゴン族の盲目の智者オゴトメリに取材した内容を元に、ジェルマン・ディータレンと共著で『スーダン原住民の伝承によるシリウス星系』を発表した。その研究論文では、天体の運行の秩序はシリウスの三連星のうち、宇宙で最も小さく、それでいて最も思いディジタリア星がもたらしたというドゴン族の神話を紹介している[18]。
ヨーロッパにおいてシリウスが連星であるとの説を最初に唱えたのはドイツの天文学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルで1844年のことであり、シリウスBの姿を最初に観測したのはアメリカの望遠鏡制作者アルヴァン・グラハム・クラークで1862年のことであるから、グリオールはドゴン族の宇宙に関する知識は西洋のそれと同様に高度であると訴えた。
加えて、神話は木星に四つの衛星[19]があると言及し、また、土星にリングがあることを言い当てていると紹介している。
だが、グリオールの訴えは受け入れらなかった。
グリオールがドゴン族と接触する前の1920年代に宣教師がドゴン族と接触している事実と、その当時に三連星説が主流であった[20]ことから疑念をもたれる。1915年にアメリカのウォルター・シドニー・アダムズがシリウスBのスペクトル撮影に成功してシリウスBが「小さく」「重い」白色矮星であることを証明しており、報道によってシリウスの連星は広く知られている素地もあった。また、シリウスが登場する神話はドゴン族の小さな集団にしかなく、シリウスの連星に触れる神話はグリオールの取り上げたオゴトメリのものしかなかった[21]。さらにシリウスの連星に触れる神話の存在が確認されたのは1946年以降の調査のみである[22]ことから、1920年代以降に西洋からもたらされたシリウスの連星の情報が神話に取り入れられた可能性が高いと考えられている。
その後もグリオールら人類学者、オーパーツへの興味を持つ者たち[23]が神話の採集を続けたが、グリオールの考えを裏付ける新たな神話は見つかっていない[4]。11年間、ドゴン族と生活を共にしたベルギーのワルター・ヴァン・ビーク、同じく10年間神話の採集をしたジャッキー・ボウジョは「存在しない」と結論づけている[24]。
(引用部はここまでとしておく ―※― )
(※尚、ウィキペディア記載の上引用部に付されての出典番号[4],[18],[19],[20],[21],[22],[23],[24]に対応するものとして当該ウィキペディア項目に現況現在付されているとの出典を挙げれば、[4](と振られての部)にてのそれはロバート・テンプリに啓発を与えた書籍となっている仏人民族学研究者マルセル・グリオールおよびジェルメール・ディテルランらの書 The Pale Fox『青い狐 ドゴンの宇宙哲学』(せりか書房)の後書き部、[18]にてのそれは『アフリカの創世神話』(紀伊國屋書店)という書籍、[19]にてのそれはウィキペディア[木星の衛星と環]項目記述、[20]にてのそれは[その後の研究によりシリウスは二連星であったことが判明]との文言での脇にての表記、 [21]にてのそれはカール・セーガン(本稿でそのやりようを問題視してきたところの小説『コンタクト』作者にして著名な科学者)および日本にてオルガナイズドされての懐疑主義者団体関係者ら由来の書誌の内容、[22]にてのそれは[4]と同論拠、[23]にてのそれはロバート・テンプルの The Srius Mysteryの訳書それ自体、[24]にてのそれは日本の職業的懐疑主義団体由来の通俗的書籍となっている(:うち、[4][22][24]と出典付されての部にての内容は取り上げるに値することと見立ており、実際に本稿で細かくも解説してきた。その点、[4]と[22]と付されてのところの内容([ドゴン族にシリウスの知識があったという話は信に値しない]との内容)については The Pale Foxの原著および訳書にて付された邦訳者申しようの引用を本稿にての先立っての段出典(Source)紹介の部95(3)にてなしもしており、[24]と付されてのところの内容([ドゴン族のシリウスに対する先覚知に関する報告にはそれを否定することになった別の報告が存する]との内容)についてはグリオールらの研究内容を否定した Walter Van Beek由来のオンライン上より特定できるところの論稿よりの抜粋を同じくも本稿の出典(Source)紹介の部95(3)の段でなしている))
(※またもってしてシリウスBの観測年次、重い星としての捕捉年次については英文Wikipedia[ Alvan Graham Clark ](アルヴァン・グラハム・クラーク)項目にあっての On January 31, 1862, while testing a new 18 1/2 inch refracting telescope, he made the first observation of Sirius B in Cambridgeport, Massachusetts. The magnitude 8 companion of Sirius is also the first known white dwarf star.
「(大要)シリウスBは初めて知られるところとなった白色矮星として1862年にアルヴァン・グラハム・クラークによって観測された」との記述や英文Wikipedia[ Walter Sydney Adams ](ウォルター・シドニー・アダムズ)項目にあっての He was able to demonstrate that spectra could be used to determine whether a star was a giant or a dwarf. In 1915 he began a study of the companion of Sirius and found that despite a size only slightly larger than the Earth, the surface of the star was brighter per unit area than the Sun and it was about as massive.
「(大要)1915年よりのスペクトル分析にてウォルター・シドニー・アダムスは若干地球より大きいにすぎぬとのサイズであるにも関わらずシリウスBが単位当たりで極めて輝度高く、また、太陽並みに重い天体であることを指し示した」(引用部に見るように実際の輝度はかなり高くとも、シリウスBはシリウスAの影に隠れて肉眼では目視不能な「暗い」星でもある.については和文ウィキペディア[シリウス]項目の天体パラメーターの[光度]表記のところが Sirius Aが26.01L☉( Solar luminosity )、Sirius Bが0.0024L☉となっていることで分かる)とあるとおりのことが諸所にて容易に確認できるようになっている)との記述など、目立つところの記述を一目するだけでも科学史の一断面としてそういうことがあることが窺い知れるようになっている)
これにて補ってもの表記を終える。
さて、批判家筋には「ほとんど」というより「全くもって」取り上げられていないことだが、ロバート・テンプルは
[「肉眼では見えないはずの」シリウスBの存在、その周期、動き方ら(シリウスA周囲を50年で公転するとの動き方)をドゴン族は把握している、それは「本当の」先進文明との往古にてのコンタクトの賜物によるものである]
との申しようを支える論拠を ―筆者はそちらこそが「真偽[怪しい]とのドゴン族伝承それ自体より遙かに重要である」と見ているのだが―
[ドゴンから「離れて」の他の文明圏の伝承]
「にも」求めている(:先に引用をなした英文Wikipedia[ The Sirius Mystery ]項目にて Temple did not argue that the only way that
the Dogon could have obtained what he understood to be accurate information
on Sirius B was by contact with an advanced civilization; he considered
alternative implausible possibilities, such as a very ancient, advanced,
and lost civilization that was behind the sudden appearance of advanced
civilization in both Egypt and Sumeria.
「[より先進的な文明との接触]を唯一無二の方法としてテンプルは論じておらず、彼は代わりの[信じがたい可能性ら]、たとえば、エジプトおよびシュメールにての進歩した文明の突如の出現の背後にあっての太古にて進歩していた、かつ、失われた文明のようなものにまつわる[信じがたい可能性ら]に思いを巡らしているとのものである」と記載されている通りのことがテンプル主張には見てとれる)。
そうした、
[ドゴン族伝承それ自体から離れたところで「も」先進文明との往古にてのコンタクトを示す証跡を示さんとしているとのロバート・テンプルやりよう]
の具体例として
[シリウスBの周期が50年であるという情報を[他の文明圏]が取得していた節があるとの申しようをロバート・テンプルがなしている箇所]
につき[オンライン上より文言検索で内容確認出来るとの The Sirius Mystery原著]及び[国内で流通しているとのその訳書]よりの引用を直下なすこととする(そうした引用を敢えてもなしている背景には[ロバート・テンプルの申しようにあって何が本当に問題となるのかにつき([ロバート・テンプル本人が「全く言及していない」との観点・方向性]から)指し示すための布石とする]との本稿筆者の意図がある)。
ここ出典(Source)紹介の部95(4)にあっては
[シリウスBの周期が50年であるという情報を[他の文明圏]が取得していた節があるとの申しようをロバート・テンプルがなしている]
とのことを一例紹介しておくこととする。
(直下、 The Sirius Mysteryの A Fairytale([おとぎ話])の節よりの引用として)
On the subject of Anubis Plutarch reports (44;61) some interesting beliefs. After referring to the view that Anubis was born of Nephthys, although Isis was his reputed mother, he goes on to say, 'By Anubis they understand the horizontal circle, which divides the invisible part of the world, which they call Nephthys, from the visible, to which they give the name of Isis;and as this circle equally touches upon the confines of both light and darkness,
This description could be taken to be one of the Sirius system. It clearly describes Isis (whom we know to have been identified with Sirius) as 'the confines of light' and 'the visible', and her sister Nephthys is described as being 'the confines of darkness' and 'the invisible', and common to both is the horizontal circle which divides them - the horizontal circle described, perhaps, by the orbit of the dark companion about the bright star? And here, too, is an explanation of the symbolism of the dog which has always been associated with Sirius, which has borne throughout the ages the name of the 'Dog Star'.(...)
(原著よりの引用はここまでとする)
(直下、「上の原著引用部にほぼもってして照応している」訳書『知の起源 文明はシリウスから来た』、[第二章 イシスとオシリスの物語]p.103該当部よりの原文引用をなす――(尚、日本にて流通を見ている訳書には誤解を招くような「文明はシリウスから来た」などと断定形が用いられているが、原著は仮説を強くも主張するとの体裁をとっている)―― )
アヌビスに関連して、プルタルコスは興味深い記述を残している。一般にアヌビスの母神はイシスとされているが、プルタルコスはネフュテュスがアヌビスの母神であるとの説を挙げた上で、次のように記述している。
アヌビスは水平な円であり、これにより「目に見えないもの」、すなわちネフュテュスと、「目に見えるもの」、すなわちイシスが分割される。この円は光と闇の境界に存在し、光と闇に共有されている。
このプルタルコスの記述は、シリウス星系の構造について述べたものと考えられる。イシス(シリウスA)が「光」ないし「目に見えるもの」であるとすれば、「闇」ないし「目に見えないもの」と表現されるネフュテュスはシリウスBということになる。そして、イシスとネフュテュスに表象されるシリウスAとシリウスBは、アヌビスに表象される「水平の円」によって分割されているというのだ。
この「共有する水平の円」とは、シリウスBの描く軌道、つまり、イシスはシリウスA、ネフュテュスはシリウスB、そしてアヌビスはシリウスBの描く軌道を表すのである。
(訳書よりの引用はここまでとする ―※― )
※上に引用した部にて言及されているアヌビスという存在がいかな存在なのかについて多少補足なしておく。
まずもって基本的なるところとして英文Wikipedia[Anubis]項目より引くとして
Anubis also attends the weighing scale in the Afterlife during the "Weighing Of The Heart". [ . . . ] Anubis was associated with the mummification and protection of the dead for their journey into the afterlife. He was usually portrayed as a half human ? half jackal, or in full jackal form wearing a ribbon and holding a flail in the crook of its arm.
(訳として)[「アヌビスは死後の世界にて死者の心臓の重さが測られている間、秤量に参加している存在である。・・・(中略)・・・アヌビスは彼らの死後の世界にての旅のための死者のミイラ製作と死者の保護に関連付けられている存在である。彼は飾り紐をまとい、腕の婉曲部にてからざおを持っているとの半人・半ジャッカルの混淆形態で描かれるか、あるいは、完全なるジャッカルとして描かれる」
(引用部はここまでとする)
との表記がなされているように[アヌビス]は[犬科(ジャッカル)の神][冥府の審判の介添え人との役割を有した存在]である。
また、そうもしたアヌビスについては[シリウス(を主軸としたオオイヌ座)]と結びつく存在であるとの申しようが長らくもなされてきたとの存在である。
アヌビスをしてシリウスと結びつく存在と見做す歴史的背景があることについてまずもって天文学者の類の物言いを紹介する。
(直下、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活動の英国天文学者 John Ellard Goreの手になる Astronomical Curiosities Facts and Fallacies ――1909年刊行版/『天文上の珍奇なることら、その事実性と誤謬』とでも訳せよう書籍―― という Project Gutenbergサイトより全文ダウンロードできる著作よりの引用をなすとして)
The constellation Canis Major, the Great Dog, is remarkable for containing Sirius, the brightest star in the heavens. In the Greek mythology it was supposed to represent a dog given by Aurora to Cephalus as the swiftest of all dogs. Cephalus wished to match it against a fox which he thought surpassed all animals for speed. They both ran for so long a time, so the story goes, that Jupiter rewarded the dog by placing it among the stars. But probably the dog comes from Anubis, the dog-headed god of the ancient Egyptians. According to Brown, Theogirius (B.C. 544) refers to the constellation of the Dog. He thinks that Canis Major is probably “a reduplication” of Orion; Sirius and β Canis Majoris corresponding to α and γ Orionis; δ, 22, and ε Canis Majoris to the stars in Orion’s belt (δ, ε, and ζ Orionis); and η; and κ Canis Majoris with κ and β Orionis.
「オオイヌ座は宇宙(そら)にあって最も明るき恒星たるシリウスを含むことで際立っている存在である。同オオイヌ座、ギリシャ神話では暁の女神アウローラによってケパルスに贈られた全ての犬の中で最も俊敏なる犬にて表象されているとも考えられている。ケパルスはその犬をして全動物の中で最も俊敏であると考えていた狐と競わせようと望んだ。両者が短期間に長距離を走りえたので、話が続くところとし、ゼウス神がその犬を星空に加えることを報酬として与えたという。しかし、(シリウスを含む)オオイヌ座の犬は古代エジプトの犬面の神アヌビスに由来すると考えられる(以下略)」
(訳を付しての引用部はここまでとする.尚、アヌビスはオオイヌ座 Canis Majorではなくコイヌ座 Canis Minorの方と結びつくとの観点も広く流布されている)
上にて示しているようにシリウスを包含するオオイヌ座にアヌビスが仮託されるだけではなくアヌビスという存在は[フリーメーソンの教義体系]( Freemasonic Dogma )にあってはまさしくもシリウスの体現存在であると明言されている存在となる。
それについては ――フリーメーソンの象徴主義がいかようなる側面で問題になるのか、詳述していくことになるとの本稿にての補説4(現行、補説3にあっての話をなしている)で深くも取り上げる所存であるとの書籍とはなるが―― フリーメーソンの間で極めてよく知られているとの著作、19世紀米国にての大物フリーメーソンであったとのアルバート・パイクの手になる、
Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonry『古代より連綿と続く認証されしフリーメーソンのスコットランド位階の徳義と教義』(1872)
との著作 ――(同著のためだけの解説項目が英文Wikipediaに設けられており、そこにて同著が長らくもの間、新参の米国フリーメーソンに無償で配られていたとのことが記載されている( A copy of Morals and Dogma was given to every new member of the Southern Jurisdiction from the early 1900s until 1969
と記載されている)ことに見るようにフリーメーソンの間でよく知られているとの著作)―― よりの引用を下になす。
(直下、 Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonry(1872)にての XXIV. PRINCE OF THE TABERNACLEの部よりの引用をなすとして)
When Isis first found the body, where it had floated ashore near Byblos, a shrub of erica or tamarisk near it had, by the virtue of the body, shot up into a tree around it, and protected it; and hence our sprig of acacia. Isis was also aided in her search by Anubis, in the shape of a dog. He was Sirius or the Dog-Star, the friend and counsellor of Osiris, and the inventor of language, grammar, astronomy, surveying, arithmetic, music, and medical science; the first maker of laws; and who taught the worship of the Gods, and the building of Temples.
「イシスが(彼女の伴侶たる)オシリスの遺骸を最初に発見したそのとき、ビブロスの沿岸部にてのその場にて、エリカ(訳注:ツヅジ科エリカ属の植物たるエリカ)ないしギョリュウ(訳注:ギョリュウ科の植物)の灌木がその遺骸が放つ美徳ゆえに樹木へと急成長、遺骸を守っており、そこには(フリーメーソンの象徴たる)アカシアの小枝もかかわっていた。イシスのオシリス遺骸探索行にては犬の姿を取ったアヌビスが付き従っていた。同アヌビスはシリウス、ドッグ・スターであって、オシリスの友人にして顧問、そして、言語・文法学・天文学・測量学・算術・音楽そして医学の発明者となり、神への崇拝を、そして、神殿の造成について人間に教えたとの存在であった」
(訳を付しての引用部はここまでとする ――尚、19世紀の米国の有力フリーメーソンであった Morals and Dogmaの著者たるアルバート・パイクのアヌビスの役割に対する上にての書きようは幾分というよりかなり誇張が入っているものと解されもする(ただし、アヌビスが[イシスのオシリス探索行にてオシリスの死せる遺体をミイラ化して保全するとの役割を果たした]ことはよく知られ、については、英文Wikipedia[ Osiris Myth ]項目にて The goddesses find and restore Osiris' body, often with the help of other deities, including Thoth, a deity credited with great magical and healing powers, and Anubis, the god of embalming and funerary rites.
「女神ら一行はしばしば他の神々、巨大な魔力と治癒力で知られていたトトや遺体保存および葬儀の儀の神であったアヌビスの助力をもってしてオシリスの遺体を発見かつ修復なした」と表記されているようなところがある。さらに述べれば、本稿にての続いての出典(Source)紹介の部95(5)の段にあっては[アヌビスとヘカテは同じくもの存在と解される]との言及を含んでいるとのプルタルコス著作( Plutarch, The Morals, vol. 4 )についての記述を引くことになるわけだが、本稿にてのより先立っての段にあっての出典(Source)紹介の部94(5)ではヘカテが[イシスのオシリス探索のギリシャ版たるデメテルのペルセポネ探索]に助力なしていたとの言われようがなされていることを紹介してもいる。そして、同じくものところに関わるところとして[デメテルのペルセポネ探索行](およびそれにまつわってのエレウシス秘儀)は[イシスのオシリス探索行](およびそれにまつわってのイシス密儀)と細かきところまで「酷似」していることも本稿では従前、詳説している([不完全復活しか出来ずに結局、冥界の統治者]となることになったとの最愛の存在(ペルセポネないしオシリス)を求めて女神達がその彷徨の途中にてやったと伝わっていること、たとえば、世話になった土着の王族の子を火にくべて不死にしようと試みたと伝わっていることなど「酷似」しているとのことを本稿では詳説している)。そうしたところとあわせて見て、アヌビスはイシスのオシリス探索に助力しており、ヘカテは(イシスのオシリス探索と類似の要素を帯びている)デメテルのペルセポネ探索に助力しているとのことから[ヘカテとアヌビスの両神のつながりあい]が「当然に」観念されるところではある)―― )
19世紀(1872年)に成立したフリーメーソンの教典といった位置付けに一時期なっていたとの著作、 Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonryの記述の方についは正確性に欠ける(inexactである)ところがあるかとは見えるのだが、とにかくも、19世紀に成立したとの著作からしてアヌビスは[シリウス]であり[犬の星]の体現者であるとの明言がなされている。
そうもして人間の歴史にあって長らくも[アヌビス]とは[シリウス]と深く結びつけられている存在となっている。
アヌビスの典型的な似姿を挙げておく。上掲図左は米国ボルチモア在の Walters Art Museumにて収蔵のものとして英文Wikipediaに掲載されている[アヌビスおよび同神に拝跪の礼をもって応ずるとの信奉者を彫り込んでいるとの遺物]ありようを挙げたものとなる。対して、上掲図右は本稿の先の段でも挙げた Papyrus of Hunefer[フネフェルのパピルス]と呼称される[今日伝わる『死者の書』のよく知られたバージョン]の一部を拡大しての図像となる(ちなみにフネフェルパピルスの方でアヌビスと一緒に描かれている鰐の怪物はエジプト神話で死後の審判時、秤にかけられた魂(心臓)がマアトの羽(真実の羽)なるものより重かった場合には、すなわち、死者が偽りに生きた罪人と判断された際にはその死者の魂を永劫の無の領域へと噛み砕きつくすために控えているとの設定が付されているアメミットという存在となる ―ここにて図像を挙げている[アヌビス参加の秤量]が描かれたフネフェル・パピルスと関わる同アメミットありようについては和文ウィキペディア[アメミット]項目程度のものにも現行は言及がなされている― )。
(アヌビスがいかなる存在なのかにまつわる補足はここまでとしておく)
(出典(Source)紹介の部95(4)はここまでとする)
ここまでの話、ロバート・テンプル著作『シリウス・ミステリー』に見る、
[プルタルコスの記述 ―「水平なる円としてのアヌビスによって「目に見えないもの」たるネフュテュスと「目に見えるもの」たるイシスが分割される。この円(アヌビス)は光と闇の境界に存在し、光と闇に共有されている」との記述― が[シリウス星系の構造]について述べたものと考えられることができるような側面がある。イシス(シリウスAを表象する女神)が「光」ないし「目に見えるもの」であるとすれば、「闇」ないし「目に見えないもの」と表現されるネフュテュスはシリウスB(不可視化天体たる重き白色矮星)ということになり、そして、イシスとネフュテュスに表象されるシリウスAとシリウスBは、アヌビスに表象される「水平の円」(シリウスBの水平円の軌道)によって分割されているからである」
との話については[信じがたい][穿ちすぎ(行き過ぎなまでに考えすぎ)である]とする向きも多かろう。それに関しては実際にはそうではない、まったくもってしてそうではない、とのことがある(穿ちすぎでもなんでもなくその伝では極めて真っ当な言いようであるとのことがある)のだが、にまつわっての詳説に先駆け、オンライン上よりも即時即座に確認出来るところの「アヌビスによってイシスとネフティスが可視化存在と不可視化存在に分かたれている」とのことに言及しているプルタルコス古典、その原典よりの引用をなしておく。また、と同時に、[何故もってして[女神イシス]が[シリウスの体現存在]となっている]と論じられるのかの典拠も引いておくこととする(無論、同じくものことにつき問題となることの指し示しをそれに留めるつもりはないが、とりあえずも[とっかかり]として指し示しておくこととして、である)。
ここ出典(Source)紹介の部95(5)にあっては
[プルタルコス古典にて「[アヌビス]によって[イシス]と[ネフティス]が[可視化存在]と[不可視化存在]として分かたれている」とのことが言及されている]
とのことの典拠を挙げておくこととする。
同じくものことについては
Plutarch, The Morals, vol. 4 OF ISIS AND OSIRIS, OR OF THE ANCIENT RELIGION AND PHILOSOPHY OF EGYPT(1878) ―(帝政ローマ期のギリシャ系文人たるプルタルコスの手になる『倫理問答(モラリア)』の一パートが『イシスとオシリス、エジプトにての古代宗教および哲学』と題されてのものとなり、に対しての英訳が19世紀(1878年)に講じられているとのもの)―
よりの原文抜粋をなすことにする(ちなみにラテン語表記にて De Iside et Osirideとなるローマ期のギリシャ人著述家プルタルコス著作から19世紀後半の表記英訳版を作成した人物は William Watson Goodwinという19世紀米国の権威筋の学究 ――ウィキペディアに一項設けられているとの学究―― となる)。
(直下、 The Online Library of Libertyを介してPDFファイル公開されているとの Plutarch, The Morals, vol. 4 (1878)よりの抜粋をなすとして)
44.And when Nephthys was delivered of Anubis, Isis owned the child. For Nephthys is that part of the world which is below the earth, and invisible to us; and Isis that which is above the earth, and visible. But that which touches upon both these, and is called the horizon (or bounding circle) and is common to them both, is called Anubis, and resembles in shape the dog, because the dog makes use of his sight by night as well as by day. And therefore Anubis seems to me to have a power among the Egyptians much like to that of Hecate among the Grecians, he being as well terrestrial as Olympic.
(拙訳として)
「第44節:ネフュテュスがアヌビスを出産することになった折、イシスはその子を自身のものとした。ネフュテュスは大地の下の世界、我々の目には不可視の世界の一部をなすものであった。イシスは地の上、目に見えるものであるとの世界の一部をなすものであった。これら両者に接し、境界線(あるいは境界となる円)と呼ばれるところをなし、そして、両者に共有されていたのがアヌビスと呼ばれる存在、犬が昼も夜も視界を保っていられるがゆえに犬の形態を模しているとの存在である。そして、地の存在であるのと同様にオリンポス世界としての側面を有しているがゆえに、アヌビスはエジプト人の間でギリシャのヘカテが有しているのと同じ力を保持しているように私(プルタルコス)には見える」
(訳を付しての引用部はここまでとしておく ―※― )
(※追記:以上の部については京都大学学術出版会より[西洋古典叢書]シリーズと銘打って京大系の学者らによって出されている『モラリア』、その[イシスとオシリスについて]掲載巻にあってのp.71にて
(以下、原文引用なすとして)一方、ネプテュスがアヌビスを産むと、イシスはその子を自分の子として育てます。というのは、ネプテュスとは大地の下の不可視の領域であるのに対して、イシスとは大地の上方の可視的な領域です。そして、このどちらにも触れていて、両者に共有されている円環――いわゆる地平線――がアヌビスと呼ばれ、その姿が犬になぞらえられているのです。なぜなら、犬は夜にも昼にも視覚を同じように用いることができるからです。そして、エジプト人たちのあいだでアヌビスは、ギリシャにおけるヘカテと同様の力をもっていると思われます。地下のクトン的世界に属するものでありながら、同時に天上のオリュンポス的世界に属するものでもあるわけですから。
(引用なしての部はここまでとする)
と訳されている部位と同一のものである。
またさらにもって国内書店にて幅広くも流通を見ているとの式で岩波書店 ―システムとしての委託販売方式(取り次ぎ会社を介さずにもの方式)にて書店にすすけた書籍らを置かさせしめるだけの影響力を有している半ば[認識規定機構]としての役割帯びての老舗出版社― より流布されている『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』(柳沼重剛筑波大教授(物故者)訳)の方での記載のなされようをも挙げておく。 それでは『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』(岩波文庫)p.84より引くとし、
(以下、原文引用なすとして)
ネプテュスがアヌビスを生むと、イシスはその子を自分の子として育てます。ネプティスは地下のもの、見えないものです。それに対してイシスは地上のもの、はっきり見えるものです。この地上・地下の両方に接していて、境を分ける線(地平線)がアヌビスと名づけられ、姿としては犬の姿で表わされます。犬は夜の暗闇の中でも昼の明るさの中でも、同じように見ることができるからです。そしてエジプト人の間でアヌビスは、ギリシア人の間でヘカテがもっているのと同じ力をもっているようです。それはつまり、両方とも地下世界のものでありながら、同時に天空オリュンポスの神でもあるという点においてです
(引用部はここまでとする)
以上、国内にての訳書「ら」の対応記載よりの引用とした ―ちなみに、岩波文庫より流布されている版ではない方の邦訳版、表記の京大系学究らの手になる[西洋古典叢書]シリーズの『モラリア』[イシスとオシリスについて]掲載巻では(プルタルコスの表記の著作『倫理問答集』について)この作品のテクスト伝存の状態は決して芳しくはない。十三世紀頃にプラヌデスが仕上げた校訂より古い写本は存在しないのである。しかし、近代における五百年間におよぶ編集努力のなかで数え切れない校訂がなされてきた。本書の底本であるトイプナー版(一九二九年)はその成果の一つであるが、それ以後も文献表に挙げたようないくつかの校訂本が出版されている
(以上、解説部のp.339より抜粋)と[2世紀のプルタルコス著作が13世紀「以前」のそれとしては写本すらもが存在しないものであること]が述べられた上で、そして、校訂本もいくつか亜種があるとのこと、触れられもしている。それがゆえ、オンライン上にて検討した際などにて同じくもイシス・オシリス伝承取り扱い巻でも内容が異なる可能性があるようにもとらえられる、その旨、一応、断っておきたい― )
上にての引用部に見るようにローマ期の文人、プルタルコス著作のなかで[アヌビスとヘカテが同類・近縁の存在であると表されている]ことについて注意を促すべくもの図を挙げておく。
その点、
[アヌビスとヘカテが同一物とみなされていたとの流れが実際に如何程までに濃厚にあるのか]
は判然としないのだが、そういう評価が特定古代人(プルタルコス)になされていたことを示す文献的記録が遺っていること、その意味性までは本稿が重んずるところとなる ―尚、[ヘカテ]については先だっての段からして、(出典(Source)紹介の部94(3)から出典(Source)紹介の部94(7)を包摂する部にて挙げてきた伝承上の記録に基づきもし)、「エレウシス秘儀にてペルセポネを助け同伴する存在として崇められる[ヘカテ]は[ペルセポネ][ケルベロス](同ケルベロスはアヌビスと同様に冥界と、そして、死者への処置と強くも結びつく犬科の存在である)との結びつきから重んじて然るべき存在である」と言及している存在ともなる― 。
(プルタルコス古典原文を挙げての出典(Source)紹介の部95(5)はここまでとする)
以上抜粋したこと、古典にあっての誰でも後追いできるとの記述に関してはロバート・テンプルの主観も、そして、本稿の筆者の主観も介在する余地はない。
すなわち、
[ネプテュスとは大地の下の不可視の領域であるのに対して、イシスとは大地の上方の可視的な領域です。そして、このどちらにも触れていて、両者に共有されている円環――いわゆる地平線――がアヌビスと呼ばれ、その姿が犬になぞらえられているのです。なぜなら、犬は夜にも昼にも視覚を同じように用いることができるからです。そして、エジプト人たちのあいだでアヌビスは、ギリシャにおけるヘカテと同様の力をもっていると思われます]
との記述が2世紀に由来するとされるプルタルコスの書籍(の19世紀校訂版)の中に見受けられていること、それはオンライン上より容易に確認できるところとして見受けられるとの[文献的事実]( philological truth )である。
(「問題は、」上のように[アヌビス]([ヘカテ]と同一視されもするとの犬科(ジャッカル)の神)を境界線(あるいは境界領域)として可視化存在・不可視化存在に分割されているイシスとネプテュスがそれぞれ[シリウスA]と[不可視化天体シリウスB]の寓意と述べるに足りるのか否かとのことにあるとして) さて、容易にその通りの記載が古典になされていると確認できるとのプルタルコス申しよう、英訳版にての引用元表記にて繰り返すとして
And when Nephthys was delivered of Anubis, Isis owned the child. For
Nephthys is that part of the world which is below the earth, and invisible
to us; and Isis that which is above the earth, and visible. But that which
touches upon both these, and is called the horizon (or bounding circle) and is common to them both, is called Anubis, and resembles in shape
the dog, because the dog makes use of his sight by night as well as by
day.
とのことにつき、[犬ないしジャッカルの神である(後述)アヌビスは地上可視のイシス領域と地下不可視のネフュテュス領域とを分かつ境界線(あるいは境界となる円)となっている]との部位につき、ホライズン(地平線)とバウンディング・サークル(環状の境界)が一緒くたにされていることに鑑(かんが)みれば、そして、
[アヌビスという存在は[シリウス]を包含するオオイヌ座と結びつけられており、また、シリウスそれ自体とも結びつく存在とされてきた存在である](つい先だっての出典(Source)紹介の部95(4)に付しての補足部にて解説)
とのこと、および、
[女神イシスという存在はまさしくものシリウスの体現存在(空にて目立つ可視化存在シリウスAの体現存在)として知られている神である](こちら論拠は続いての出典(Source)紹介の部95(6)にて挙げることとする)
とのことに鑑みれば、確かに、
(再度のテンプル著作 The Sirius Mysteryよりの引用をなすとして)
'By Anubis they understand the horizontal circle, which divides the invisible
part of the world, which they call Nephthys, from the visible, to which
they give the name of Isis;and as this circle equally touches upon the confines of both light and
darkness, This description could be taken to be one of the Sirius system. It clearly describes Isis (whom we know to have been identified with Sirius) as 'the confines of light' and 'the visible', and her sister Nephthys is described as being 'the confines of darkness' and 'the invisible', and common to both is the horizontal circle which divides them - the horizontal circle described, perhaps, by the orbit of the dark companion about the bright star? And here, too, is an explanation of the symbolism of the dog which has always been associated with Sirius, which has borne throughout the ages the name of the 'Dog Star'. (...)
(割愛部も見受けられるのだが、ほぼ照応するところとなっている邦訳版表記ではアヌビスは水平な円であり、これにより「目に見えないもの」、すなわちネフュテュスと、「目に見えるもの」、すなわちイシスが分割される。この円は光と闇の境界に存在し、光と闇に共有されている。このプルタルコスの記述は、シリウス星系の構造について述べたものと考えられる。イシス(シリウスA)が「光」ないし「目に見えるもの」であるとすれば、「闇」ないし「目に見えないもの」と表現されるネフュテュスはシリウスBということになる。そして、イシスとネフュテュスに表象されるシリウスAとシリウスBは、アヌビスに表象される「水平の円」によって分割されているというのだ。この「共有する水平の円」とは、シリウスBの描く軌道、つまり、イシスはシリウスA、ネフュテュスはシリウスB、そしてアヌビスはシリウスBの描く軌道を表すのである
と記載されているとの部位となる)
は(述べていることの解釈部にての奇矯さはともかくも)多く[記録的事実に依拠しての申しよう]と解されはする(「問題は、」それがこじつけで済むか否か、である)。
その点、話のまずもっての前提となるところとして
[イシス;プルタルコス曰くもの水平軌道にて分割される「可視化存在」の方の女神]
が(肉眼、ネイキッド・アイにて目視不可能なる不可視存在[シリウスB]に対する)[シリウスA]の体現存在であると知られていることについての出典を次いで挙げることとする(その点、古代エジプトの女神イシスは[シリウスの体現存在]としてよくも知られているわけだが、その出典を挙げておく)。
ここ出典(Source)紹介の部95(6)にあっては
[(プルタルコスによって[アヌビスによって[可視化存在][不可視化存在]の分割がなされている]との言いようがなされている中でそこにて[可視化存在]とされている)[イシス]は[シリウス体現神格](正確には有史以前、その存在が人類の目に映ってきたとの記録があるシリウスAの体現神格)であると古来から見られてきた]
とのことの出典を挙げることとする。
(直下、 Project Gutenbergのサイトより全文閲覧・ダウンロードできるところの The Golden Bough A Study in Magic and Religion Vol. VI. of XII. Part IV: Adonis Attis Osiris. Vol. 2 of 2.(『金枝篇』第6巻4章(の2)[アドニス・アッティス・オシリス]1911年版)の§ 2. Rites of Irrigation.[灌漑の儀式]の節よりの抜粋として)
And the sign of the rising waters on earth was accompanied by a sign in heaven. For in the early days of Egyptian history, some three or four thousand years before the beginning of our era, the splendid star of Sirius, the brightest of all the fixed stars, appeared at dawn in the east just before sunrise about the time of the summer solstice, when the Nile begins to rise. The Egyptians called it Sothis, and regarded it as the star of Isis, just as the Babylonians deemed the planet Venus the star of Astarte.
「地にての水位上昇の気配は天にての予兆を伴ってのものであった。というのも、エジプト史揺籃期、我々の時代の幕開けより三千年から四千年ほど前にあっては(注:文脈上、「紀元前数十世紀である」とのこと)、すべての恒星の中にて最も輝いていた壮麗なシリウスの星はナイル川が水位上昇を見始める時である夏至の折にて、日の出の少し前の夜明け頃、東から現れる星であったからである。エジプトの民らはそのシリウス(注:正確には不可視の白色矮星であるシリウスBに対して連星として空にて極めて目立つ可視化存在たるシリウスA)をもってして[ソティス]と呼び習わし、バビロニア人が金星をアスタルテの星と考えたようにそれを[イシスの星]と看做していた」
(拙訳を付しての『金枝篇』原著よりの引用はここまでとする)
以上のジェイムズ・フレイザーの『金枝篇』に見る申しようは有名な、
[シリウスによるヘリアカル・ライジング([ヘリアカル・ライジング]とは[太陽が昇る少し前に他の天体が先だって視認可能となる現象]を指す)と灌漑の関係性]
について言及しているとのものとなり、については和文ウィキペディア[ソプテト]項目にも
(掻い摘まんで同項目にての現行記載内容よりの引用をなすところとして)ソプテド(Sopdet)は古代エジプトの豊穣の女神で、「鋭いもの」を意味する。シリウス星が神格化されたもので、古ラテン語でソティス(Sothis)とも呼ばれる。ソプデト=ソティスを表す聖獣は(雌)犬。ソプデトはイシスの化身とされる。・・・(中略)・・・シリウス星は夏の代名詞であり、太陽が昇る直前に東の地平線上にシリウス星が現れる(ヘリアカルライジング)時期になると、ナイル川が年に一度の洪水を起こし始め、エジプトの大地に水の恵みをもたらす。そのため、洪水の時期を知らせるシリウス星であるソプデトは、肥沃の神としても崇拝された。シリウス星の出てくる方向に建てられた女神イシスの神殿では、ヘリアカルライジングの朝は、太陽(太陽神ラー)とシリウス星(女神ソプデト=イシス)の光が地平線上で交じり合いながら神殿内に射し込んだと言われている
(引用部はここまでとする)
と記されているようなところとなっている。
につき、ソプテド=イシスの聖獣が[犬]とされていることが直近表記の和文ウィキペディア[ソプデト]項目には記されているが、といったこともあってであろう、シリウスは[犬の星]として「も」非常に有名である。
英文Wikipedia[Sirius]項目にて
Many cultures have historically attached special significance to Sirius, particularly in relation to dogs. Indeed, it is often colloquially called the "Dog Star" as the brightest star of Canis Major, the "Great Dog" constellation.
「多くの文明文化が歴史的にシリウスに取り分けもってして重要性を見出しており、それは殊に[犬]らとの関係性にあってであった。実際、[オオイヌ座]との意味合いとなる Canis Majorにての最も明るい星としてそれは[ドッグ・スター]と日常会話にて呼びならわされてきた」
と記されているように、である ――尚、オオイヌ座で最も明るきシリウスについては中国でもイヌ科の動物たる狼を体現しての[天狼星]との呼称を与えられていること、そういったこともすぐにオンライン上で確認できるようになっている―― )。
またもってして述べておくが、先だってそこよりの引用をなしてきたプルタルコス古典『モラリア』、の中の[イシスとオシリスについて]掲載巻([イシスとネフティスのアヌビスによる可視化存在・不可視化存在への分割という記述]がみとめられるとの巻)にあって「も」、
[シリウスはイシスの星である]
との表記が同義同文になされている(のでそこからの引用も一応なしておく)。
(直下、 The Online Library of Libertyを介してPDFファイル公開されているとの Plutarch, The Morals, vol. 4 (1878)よりの抜粋をなすとして)
38. They believe likewise that of all the stars, the Sirius (or Dog) is proper to Isis, because it bringeth on the flowing of the Nile. They also pay divine honor to the lion, and adorn the gates of their temples with the yawning mouths of lions, because the Nile then overflows its banks,
When first the mounting sun the Lion meets.
(オンライン上にて流通を見ている英訳版『モラリア』よりの引用はここまでとする ―※― )
(※岩波書店より流布されている『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』(柳沼重剛筑波大教授(物故者)訳)にあっての上引用部に対応する記載のなされようをここに挙げておく。
(それでは以下、『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』(岩波文庫)p.74の記載内容より引用なすとして)
三八 星との関わりでは、犬星(セイリオス/シリウス)はイシスの星だとエジプト人は考えます。この星が水をもたらす、つまり洪水を起こすからです。また獅子座を崇めます。そして神殿の入り口の扉を、口をかっと開いた獅子で飾ります。ちょうど「太陽が初めて獅子座に接する時、」(アラトス『パイノメナ』一五一)
(引用部はここまでとする))
以上のこと、すなわち、[イシスはシリウス(可視化存在シリウスA)の体現存在であると見られてきた]とのことと複合顧慮すれば、
[犬の神たるアヌビスは水平な円であり、これにより「目に見えないもの」、すなわちネフュテュスと、「目に見えるもの」、すなわちイシスが分割される。この円は光と闇の境界に存在し、光と闇に共有されている。 このプルタルコスの記述は、シリウス星系の構造について述べたものと考えられる。イシス(シリウスA)が「光」ないし「目に見えるもの」であるとすれば、「闇」ないし「目に見えないもの」と表現されるネフュテュスはシリウスBということになる。そして、イシスとネフュテュスに表象されるシリウスAとシリウスBは、アヌビスに表象される「水平の円」によって分割されている]
とのロバート・テンプルの「プルタルコス古典内容に基づいての」申しようは捨て置けぬものであるとの判断が「取りあえずも、」は出てくる(:ここで強調したいのだが、問題はそのことが[さらにもっての取るに足る補強材料]を伴っているような性質の話なのか、それによって、説得力を有しての側面がさらに重み・深みを帯びてくるか、である。その点、ロバート・テンプルが只者ではない所以(ゆえん)は同男が「その他にも」極めて重くもある(頭の具合がよろしくはない状況にあるとの限りでないかぎり[極めて重くもある]ことが易々と判じられるとの)傍証事例を複合的に呈示していることである ―それらについても無論、細かくも続いての段にて呈示していく、[ロバート・テンプルが導出した帰結](異星系存在介入理論の類)と全く「異なる」ところを証示の対象としての本稿の帰結(養殖種である人類皆殺しの執拗な意思表示の存在)「にも」関わるところとして続く段にて呈示していくこととする― )。
(出典(Source)紹介の部95(6)はここまでとする)
くどくもなるが、直近までにてロバート・テンプルの次の通りの趣旨の主張の中身について細かくも解説してきた。
「プルタルコス古典は
[アヌビス (シリウスがそれと伝承上、深くも結びつけられてきた動物たる「犬」の姿をとる神) が[円環をなす境界]として[可視存在たるイシス](;人類に灌漑時期目印などとなっていたなどとの意味で多大な影響を与えてきた「犬」とも結びつけられた星たる恒星シリウスAの体現存在たる女神)と[不可視化存在たるネフュテュス]とを分割する]
との記述を含むが、そうもした記述は[イシス;シリウスA]に対置されて分割されるネフュテュスたる[肉眼目視不可能天体たるシリウスB]を表していうるとの帰結につながるものである ――シリウスは[ヘリアカル・ライジングを呈する人類史にあって大きな意味をなしてきた可視天体としてのシリウスA]と[肉眼目視不可能な19世紀まで発見なされなかった白色矮星としてのシリウスB]との連星系であると今日もって理解されているが、[シリウス体現存在としての女神イシス]が[[犬]の星たるシリウス同様に犬と結びつくアヌビス]によって[可視化部分]と[不可視化部分]に分割化されているとのローマ期成立古典に見る伝承紹介がなされているのならば、それは(目視不能の)シリウスBについて言及したものであると解される―― 」
以上の話、
[(説得力は「ある」が)それ単体で見れば、「こじつけがましさ」を未だに払拭できないと言われもしようとのロバート・テンプルのその伝での話]
についてテンプルは他の論拠を用意しており、その点についてこれより順次 ―出典(Source)紹介の部95(7)および出典(Source)紹介の部95(8)を介して― 紹介をなす (:再三再四述べておくが、自身の論証を支える論拠のワン・ノブ・ゼムとして本稿にて紹介しているにすぎぬとのテンプルの主張には[一番重要なところ](ロバート・テンプルの説の帰結が[人類文明をシリウス由来の高度知性体が見守ってきた]とのことになっていることに関わる一番重要なところ)で欺瞞性が介在していると当然に考えられるだけの材料・論拠を筆者は探求の結果、手元に保持するに至っている。それを呈示せんとするのが本稿となりもしていること、ゆめお忘れいただきたくはないものである ―魂がないといった風情で頭の具合のよろしくはないといった風情のそら言(宗教や神秘主義の手合いが軽侮されるだけとの式で持ち出すとの話柄)ばかりを口の端にかけるような類、そう、筆者が[一個の人格](話をするに値する人間存在)と見る必要を微々としても感じないとの空虚な類ではないまともな向き(たとえれば、[養殖種として殺されるとのことが分かりきった状況]である際にはその帰結に人間存在として異を呈するとの向き)が本稿を検討されている場合を想定して申し添えるところとして、である― )。
ここ出典(Source)紹介の部95(7)にあっては
[ロバート・テンプルが[シリウスBの寓意]がドゴン族伝承(既述)以外にて古典文物に含まれていると主張しているところの論拠、そのうちの一例]
を ―まずもっては軽んじられるようなところから― 紹介することとする。
(直下、 The Sirius Mystery原著 The Hounds of Hell([地獄の犬たち])の節よりの引用として)
Actaeon happened to see the goddess Artemis ( known to the Romans by her Latin name of Diana ) of the silver bow bathingnaked. Artemis then hunted him down, with fifty hounds, transformed him into a stag, and killed him with her bow (not only are hounds connected with the Dog Star, but the bow is a familiar symbol connected also with Sirius, which was so often known in ancient times also as the Bow Star). Not only were the hounds of Hades who chased Actaeon fifty in number, but Robert Graves tells us 'Actaeon was, it seems, a sacred king of the pre-Hellenic stag cult, torn to pieces at the end of his reign of fifty months, namely half a Great Year.
(オンライン上より内容の精査ができるとの原著よりの引用部はここまでとしておく)
(直下、上の原著引用部に「ほぼ照応する」ところの訳書『知の起源 文明はシリウスから来た』、[第四章 地獄の猟犬]p.162からp.163よりの該当部原文引用をなすとして)
アクタイオンとは、女神アルテミスの裸身を見てしまったために生命を落としたことで知られる人物である。あるとき、アルミテスは銀の弓を携え、キタイロンの山中で狩りをしていた。清らかな泉があったので、お供の乙女たちと水浴びをすることになった。そこへ同じく狩りにきたアクタイオンが通りかかり、木陰からアルテミスの裸身を覗き見てしまったのである。起こったアルテミスはアクタイオンを一頭を鹿に変え、彼の連れてきた五十匹の猟犬をけしかけた。アクタイオンは五十匹の猟犬に八つ裂きにされ、アルテミスの銀の弓で射殺されたのだった。ここで「弓」と「五十」が登場する。言うまでもないことだが、「弓」とは「弓の星=シリウス」であり、「五十」とはシリウスBの公転周期のことだ。アクタイオンと神聖なる「五十」との結びつきは、これだけにとどまらない。ロバート・グレイブズは次のように記述している。
鹿が信仰の対象となっていた前ギリシャ時代において、アクタイオンは鹿の聖王と見なされていた。グレート・イヤーの半分の期間、すなわち五十ヶ月の治世の後、アクタイオンは八つ裂きにされたという。
ここでは「五十」という数字が期間となって表れている。シリウスBの公転周期は五十年だが、鹿の聖王の治世は五十ヶ月である。
(訳書よりの引用はここまでとする)
上にての引用部でロバート・テンプルは
「ギリシャ神話のアクタイオンという男は「50匹」の「犬」をけしかけられ、そのうえで「弓」によって射殺されたと伝わっているが、そして、そうやって殺されたアクタイオンが鹿の聖王として「50ヶ月」の統治期間を有していたとの言い伝えが(文人ロバート・グレイブズ由来の言として)存在しているとされるが、それは「弓を体現しての星」「犬を体現しての星」「50匹の犬および50ヶ月の統治期間から想起される50と結びつく公転周期50年の星」たるシリウスBに隠喩的に言及してのことと解される」
と述べている(それ単体だけで見れば、これまた確かにこじつけがましいところだが、テンプルは[他の論拠](後述しもするそちらの方を「ゆえあって」筆者は重んじている)の呈示もなしている)。
その点、上のテンプル申しようについてシリウスが[弓を体現しての星]であることについては英文Wikipediaの[Sirius]項目にも同じくもの記述が現況出典明示なされずになされているが( Several cultures also associated the star with a bow and arrows. The Ancient Chinese visualized a large bow and arrow across the southern sky, formed by the constellations of Puppis and Canis Major. In this, the arrow tip is pointed at the wolf Sirius. A similar association is depicted at the Temple of Hathor in Dendera, where the goddess Satet has drawn her arrow at Hathor (Sirius). Known as "Tir", the star was portrayed as the arrow itself in later Persian culture.
との記載が[50]と付されての出典、 Holberg, J.B. (2007). Sirius: Brightest Diamond in the Night Skyと共に現行なされている)、その
[シリウス ⇒ 弓の星]
との伝承上の論拠が奈辺にあるのかは ―― The Sirius Mystery引用部に見るようにテンプルは the bow is a familiar symbol connected also with Sirius, which was so often known in ancient times also as the Bow Star
(日本で流通を見ている訳書では[「言うまでもなく」シリウスは弓の星である]と訳されている)とそれがさも自明のことのように述べているわけだが―― 世間一般の人間にはなかなか推し量りづらいところか、と手前は見ている。
にも関わらず、テンプルは明示的にソースを呈示してくれては「いない」のだが、本稿筆者が今よりもう随分前に読了し、その著者らの博覧強記ぶりに感銘を受けたとの洋書、
Hamlet's Mill(初出1969年の書で直訳すれば『ハムレットの製粉機』ともなろうが、文脈的に『ハムレットの臼』と訳せようとの書/現時未邦訳.往時、マサチューセッツ工科大学で歴史を講じていた Giorgio de Santillanaおよびドイツの科学者 Hertha von Dechendの両名による伝承分析書)
には[シリウスが弓の星である]とのことにつき、次のような言及がなされている(のでその部よりの引用をなしておく)。
(直下、現時、オンライン上でHTML版が公開されているとの Hamlet's Mill『ハムレットの臼』(1969) Chapter XV The Waters from the Deep ――筆者手元にあるPaperback版ではそのp.215からp.216―― よりの引用をなすとして)
The eight Yasht of the Avesta,dedicated to Sirius-Tishtriya,says of this star: "We worship the splendid,brilliant Tishtriya, which soars rapidly to Lake Vurukasha, like the arrow quick-as-lightning, which Urxsa the archer, the best archer among the Aryans, shot from Mount Aryioxsutha to Mount Huvanvant." And what does Sirius do to this sea? It causes "Lake Vurukasha to surge up, to flood asunder, to spread out; at all shores surges Lake Vurukasha,the whole center surges up"(Yt.8.31;see also 5-4). Whereas Pliny wants to assure us that "the whole sea is conscious of the rise of that star,as is most clearly seen in the Dardanelles, for sea-weed and fishes float on the surface,and everything is turned up from the bottom." He also remarks that at the rising of the Dog-star the wine in the cellars begins to stir up and that the still waters move (2.107)- and the Avesta offers as explanation (Yt.8.41) that it is Tishtriya,indeed, " by whom count the waters,the still and the flowing ones,those in springs and in rivers ,those in channels and in ponds."
This is , however , no Iranian invention: the ritual text of the Babylonian New Year addresses Sirius as " mul KAK.SI.DI.who measures the depth of the sea." mul is the prefix announcing the star, KAK.SI.DI means "arow," and it is this particular arrow which is behind most of the bewildering tales of archery. The bow from which it is sent on its way is a constellation, built from stars of Argo and Canis Major, which is common to the spheres of Mesopotamia, Egypt and China.
(補ってもの拙訳として)
「[アヴェスター](訳注:イランにて信仰されていた[拝火教]として知られるゾロアスター教の聖典)にあってのヤシュト第八章、同セクションは
[シリウス・ティシュトリア神](訳注:ティシュトリヤ、シリウスを体現した存在でゾロアスター教における星と恵みもたらす雨の体現存在としての神)
に捧げられてのものとなっているのだが、聖典『アヴェスター』同セクションではシリウスに対して
「我々は壮麗かつ光り輝くテュシュトリヤ、Vurukasha湖に[アーリア人の間で最も優れた弓使いであるUrxsaがAryioxsutha山からHuvanvant山に向けて放った稲妻のように素早き矢の如く]素早くも急上昇していくとの同神を崇めるものである」
との言及がなされている。
では、シリウスはこの海(訳注:文脈上、先の段にて氾濫が問題となるとされている[内海]としてのVurukasha湖のこと)に対して何をなしているというのか。
シリウスはVurukasha湖をして氾濫なさしめ、水面散逸するかたちでの洪水を引き起こし、拡大なさしめるとのことをなしている(と伝わっている)のである;[すべての岸辺にてVurukasha湖、その全中心よりの波が押し寄せる](ヤシュト8.41の部)との部にあるとおりの伝にてである(訳注:本稿でもつい最前にあっての出典(Source)紹介の部95(6)にて言及していることではあるが、シリウスは原初の農耕文明にとり、その[ヘリアカル・ライジング]の時期をもってして灌漑に適切な時期を教え示していた天体としての側面を伴っている。ここでの氾濫にまつわる記述はそのことへの言及がなされていると解されるようになっている)。
他面、プリニウス(訳注:ナチュラル・ヒストリ-こと博物誌をものしたローマの著述家プリニーのこと)は、(シリウスというものにつき)、
[海藻および魚らが沖まで浮かび上がってき、水底からよりすべてが持ち上げられているような有り様を呈するダーダネルス海峡にあって最も明示的に見られるが如く、およそ[大海]と表すべきものはすべて同天体(シリウス)上昇を意識している(ような動きを見せる)]
と(読み手たる)我々に確信させたがっている。
彼(ローマ期著述家プリニウス)はまた、犬の星(シリウス)の上昇期にあってワインセラーにてのワインが[動き]を見せもすること、また、静止した水が動くといったことを述べていた(2.107. ―訳注:プリニウス『博物誌』の当該事項言及箇所― )。
そして、[アヴェスター]はそのヤシュトの8.41のセクションにての説明として
[ティシュトリヤ神(訳注:先に注記したようにシリウスの体現神格)が[真なるところ]として「静止した、そして、流れる水とのかたちにて」泉ら、河川ら、水路ら、池らに[水を加えて付け足す者]である]
とのことを呈示している。
こうした記述は、しかしながら、イランの民(訳注:アヴェスターを生み出したゾロアスター教の担い手)の独創によるところではない。
バビロニアの新年に関する儀式的文書にあってはシリウスという星は[海の深さ]を測る[ mul KAK.SI.DI ]と定置されている。それにつき、mulは[星]を意味する接頭語となり、KAK.SI.DIは[弓]を意味し、それは流布見ている[弓使い]の物語の過半、その背後にて特徴的なることとなっている(訳注: Hamlet's Millでは続いて[中国の天狼星としてのシリウス]が[弓使い]と結びつけられての中華圏にてのイラストを挙げたりしているが、その出所が具体的にどこにあるかは不分明なるところがある)。
その方面にて受け継がれているところの[弓]となれば、メソポタミア・エジプト・中華圏内にて共通するところのアルゴ座・オオイヌ座を構成している星々からなる星座となろう」
(ここまでをもってして拙訳を付しての Hamlet's Mill『ハムレットの臼』 Chapter XV The Waters from the Deepよりの引用部とする ―※― )
(※[本題から脇に逸れての[余事記載]として]
尚、上にて引用元としたとの Hamlet's Millという洋書については直近引用の Chapter XV The Waters from
the Deepとのパートとその直前の段にての Chapter XIV The Whirlpoolとのパートでもってして
[多くの文明圏伝承にて共通していることとして海にあっての[大渦巻]が[冥界と現世の境界]となっている]
とのことへの言及が ―(本稿にての出典(Source)紹介の部90(11)]を包摂する解説部で触れたところの)[ダンテ『地獄篇』にてユリシーズが渦巻き状の旋風に呑まれて地獄行きを強いられたこと]など「とも」それが関わるような申しようがなされつつ― 古典古代の暗流としての世界原理理解にまつわるところとして[凝ったやりよう]で引き合いに出されているが(余事記載の中で(本稿本論との兼ね合いでは放念いただいても構わないとの)さらに微に入って記載をなせば、(以下、原文引用なすとして) DANTE kept to the tradition of the whirlpool as a significant end for great figures, even if here it comes ordained by Providence. Ulysses has sailed in his "mad venture" beyond the limits of the world, and once he has crossed the ocean he sees a mountain looming far away, "hazy with the distance, and so high I had never seen any." It is the Mount of Purgatory, forbidden to mortals. / "We rejoiced, and soon it turned to tears, for from the new land a whirl
was born, which smote our ship from the side. Three times it caused it
to revolve with all the waters, on the fourth to lift its stern on high,
and the prow to go down, as Someone willed, until the sea had closed over
us." The "many thoughted" Ulysses is on his way to immortality,
even if it has to be Hell. / The engulfing whirlpool belongs to the stock-in-trade of ancient fable. It appears in the Odyssey as Charybdis in the straits of Messina-and again, in other cultures, in the Indian Ocean and in the Pacific. It is. found there too, curiously enough, with the overhanging fig tree to whose boughs the hero can cling as the ship goes down, whether it be Satyavrata in India, or Kae in Tonga. Like Sindbad's magnetic mountain, it goes on in mariners' yarns through
the centuries. But the persistence of detail rules out free invention.
Such stories have belonged to the cosmographical literature since antiquity.
といったところ( Hamlet's Millにける CHAPTER XIV The Whirlpool冒頭部表記)が「ダンテ『地獄篇』にてユリシーズらを容赦なくも呑み込んで殺した[渦動の力](生者にはまみえることが禁じられた煉獄山より立ち現れた渦)、古来よりの伝承理解にあって世界原理との兼ね合いで重んじられていたそれである」と紹介しての『ハムレット・ミル』内表記となる)、 そうもしたところはこれより本稿にて問題視していく所存であるとの、
[[(ブラックホール理論開闢史にも関わるところの天体としてこれより詳述していく)シリウス連星系の19世紀に発見されるに至った白色矮星]と相関関係を感じさせるような申しよう]
となっては「いない」(:ハムレット・ミルでは本稿にての出典(Source)紹介の部58(2)および出典(Source)紹介の部58(3)などを包摂する解説部にて先述のような意図あって細かくも解説しているところの[黒海洪水説]とも結びつくダーダネルス海峡(トロイア創設者ダルダネスに命名由来を持つ海峡)の氾濫が[シリウスの機序]と結びつけられてきたとのことが[渦巻きの話]からさらに進んでの話として指摘されているのだが ―上にての引用部に認められるように Whereas Pliny wants to assure us that "the whole sea is conscious of the rise of that star,as is most clearly seen in the Dardanelles, for sea-weed and fishes float on the surface,and everything is turned up from the bottom."
「プリニウスは(シリウスにつき)[海藻および魚らが沖まで浮かび上がってき、水底からよりすべてが持ち上げられているような有り様を呈するダーダネルス海峡にあって最も明示的に見られるが如く、およそ[大海]と表すべきものはすべて同天体(シリウス)上昇を意識している(ような動きを見せる)]と(読み手たる)我々に確信させたがっていた」といったかたちにての[シリウス]と同著主要テーマとなる[世界原理としての渦動(かどう)の力に対する古来の見方]を接続させんとしていると解される指摘をなしているのだが― 、[シリウス]と[ブラックホール]が結びつく、実際に結びつけ「られる」ようになっているとのこと、(本稿にてのこれよりの段にて解説することになる)[20世紀前半にてのブラックホール理論の発展史]ありようと関わるような記述はハムレット・ミルには一切なされて「いない」)。
さらに述べれば、洋書『ハムレット・ミル』には[ブラックホール](「的なるもの」)のことそれ自体を問題視しての言及がまったくもって、そう、「一切」なされていない(だが、ただしもってして、『ハムレット・ミル』では(繰り返して)[ダンテ『地獄篇』にてユリシーズが渦巻き状の旋風に呑まれて地獄行きを強いられたとの下り]、すなわち、本稿にて出典(Source)紹介の部90(11)]で解説しているとの[ブラックホール(の今日の理解)に通ずる記載がなされているダンテ『地獄篇』]と[ヘラクレス12功業]の接合性にまつわって重きをなしもしているとの下りなどを引き合いに出して[多くの文明圏伝承にて共通していることとして海にあっての大渦巻が冥界と現世の境界となっていること]への言及などは事細かになされている)。
Hamlet's Millの著者らはそういうことがあることにつき、すなわち、
[多くの文明圏伝承にて共通していることとして[大渦巻]が(ダンテ『地獄篇』のそれのように)冥界と現世の境界となっている]
とのことがあることにつき、
[人類の伝承にては多く共通することが介在しており、そこに[先史時代から受け継がれてきた知]があるように見受けられる]
との食傷するまでに我々人類(にあっての[過去]を普通人より顧みようとする部類の人間)が押しつけられてきた、そう、たとえば、グラハム・ハンコックなぞの不正確な申しようを大衆受けするようになしている様に見るように押しつけられてきた[常識的なこと+アルファ]の文脈でしか述べておらず、それがゆえ、同著「『ハムレット・ミル』に関しては
[ブラックホール(的なる時空の歪み)]
といったことに話がつながる素地すら「表層的に見れば」(強調しての「表層的に見れば」だが)なんらないとのかたちとなっている ―そも、 Hamlet's
Millという書籍は(筆者保持のペーパーバック版では)その表紙部からして AN ESSAY INVESTIGATING THE ORIGINS
OF HUMAN KNOWLEDGE AND ITS TRANSMISSION THROUGH MYTH[人間の知の起源および神話を介してのその「伝達」を精査してのエッセー]と記載されているような体裁、その伝のものに留まるとのかたちで「アカデミック・ポスト与えられての学者らやりように相応しく」ものされているとの書でもある― 。
対して、なんらしがらみ無き ―ただし相応の圧力団体の面々(理性で考えれば絶対に割り切れなかろうとのドグマに基づいての大義を「無恥にも」他に無理矢理押しつけようとするといった筋目の圧力団体の面々)には彼ら[存在意味]に関わるところなのか、「向こうから」ちょっかいをかけられてきたといったしがらみは([日常の慣性の力学に支えられた世の黙殺]といった消極的なものにとどまらずに)ある― 自由人としての魂を有しているとの筆者がものしている本稿では
(上 Hamlet's Millでも取り扱われているとの)[ユリシーズ(オデュッセウス)が渦巻き状の旋風に呑まれて地獄行きを強いられたこと]
にまつわる古典記述内容からしていかように[奇怪極まりない文脈]で問題視されて然るべきものなのか、できるだけ仔細に摘示することに力点を置いてもいる(本稿の先だっての段で何故もってして[ダンテに限らずものユリシーズ(オデュッセウス)故事][現代加速器実験][ブラックホ-ル]の間に呆れるばかりの人を食ったような複合的繋がり合いが具現化するようになさせられていると指摘出来るのか、それにまつわって何を具体的にどう細やかに指摘してきたのか、よく検討いただきたいところである)。
またもってして述べておくが、
[語るに値「しない」との人間]
に対する遠慮をあまりなしていない(というよりむしろそういう手合いを排除することを想定して「お呼びではない」との口上での物言いをわざとながら鼻につくほどにくどくもなしている)との本稿に比べて「も」格段に「一般的な水準に配慮なしていない」とのマニアックな話を選択的、不親切に書き連ねているとの洋書 Hamlet's Millの内容を読解するには[ある程度の知識水準・知的意欲]が要求されることになろうともとらえられるところとなっているわけだが(であるから、尚更、[自分の意志の力で頭を鍛えた人間に相応しい思考能力]を持ち合わせて「いない」との向きらが同著を読しても(理解したフリはなせても)同著を理解できるような素地は「何らない」とも受け取れる)、といった書であっても、(脇に逸れてのこととして述べたうえでさらに敢えても書けば)、読むに値する人間がそれを目にすれば[多くのこと]が理解できるようになっている(と考える)。
であるから、[「似非」インテリの中でも一頭下等であるとの手合い]([自身の属する種ですら平然と売り払うとの魂(内的気風)を有しているのだろうと手前が判ずるような手合い])とは一線を画するとの[本当の識見]および[本当の誠意]に恵まれた人間が直に同著 Hamlet's Mill現物を分析し、本稿にて筆者が呈示している[情報]とそちら内容を複合顧慮いただければ、ここにて述べるところの問題性について「も」半ばながら理解なせる素地はあるかとも見ている ――につき、「込み入っての識見なきこと自体はなんら罪ではない」(罪なのは[無知]に甘んじての中、そのうえに、言われるまま、命令されるままに我々の生き死にの問題にまつわる告発の類にすら[腐臭]を付さんとする、言論を立ち枯れ・根腐れにせんとするといったことである)としつつ述べれば、[知能](をもたらす意志の力)はあっても(それすらも[意志]の力で得られるところかとは見るのだが)英文読解力や背景知識といった[識見]はないとの向きに対してはここで挙げているような『ハムレットの臼』のような難解な書の読解は断じて薦めない(:基礎的なことからの説明を懇切になし、また、出典をすべて呈示しているとの本稿それ自体の難解度・不親切さ度合いを[1]か[2]とすれば、私見では、海外で反響呈した書物ながらもの『ハムレットの臼』の難解度・不親切さ度合いは(それが日本語に訳されたうえでも)およそ[10]ぐらいであるととらえている)―― 。
以上、[本題から逸れての余事記載]はここまでとする)
(出典(Source)紹介の部95(7)の表記を続けるとして)
直上脇に逸れての話が長くもなってしまった。とにかくも、[シリウス ⇒ 弓の星]とのテンプル『シリウス・ミステリー』に見る表記については上記のような申しようがあるのを引けば十分かと思うのであるも、
「ギリシャ神話のアクタイオンという男は「50匹」の「犬」をけしかけられ、そのうえで「弓」によって射殺されたと伝わっているが、そして、そうやって殺されたアクタイオンが鹿の聖王として「50ヶ月」の統治期間を有していたとの伝承が存在しているが、それは「弓を体現しての星」「犬を体現しての星」「50匹の犬および50ヶ月の統治期間から想起される50と結びつく公転周期50年の星」たるシリウスBに隠喩的に言及してのことと解される」
とのパートにつき、アクタイオンが「50匹の」犬を入浴を覗き見てしまったアルテミス神にけしかけられたとのことはきちんとした伝承論拠を有しているのか、ということについてはどうなのか。それにつき、少なくとも[前世紀初頭]に出た資料に同じくものことの典拠を見出すことができるようになってもいる。
すなわち、(現行、オンライン上より全文確認できるようになっているとの)、
[ 1911 Encyclopaedia Britannica ](その年次のものが執筆者が実にもって豪勢なことで殊によく知られるとのこと、本稿の先だっての段でも既述のブリタニカ百科事典1911年版)
にあってのActaeon項目にて
ACTAEON, son of Aristaeus and Autonoe, a famous Theban hero and hunter,
trained by the centaur Cheiron. According to the story told by Ovid (Metam.
iii. 131; see also Apollod iii. 4), having accidentally seen Artemis (Diana) on Mount Cithaeron while she was
bathing, he was changed by her into a stag, and pursued and killed by his
fifty hounds.
(訳として)「アクタイオンはアリスタイオスとアウトノエーの息子となり、ケンタウロスのケイロンに訓練されたとの著名なるテーベの地の英雄にして狩人となる。(『変身物語』の作者たる)オヴィディウスによって語られるところの話では、同アクタイオンは偶然に山にてアルテミス神(ダイアナ神)の入浴中の姿を垣間見ることになり、その咎を責められるとのかたちにてアルテミスに鹿の姿に変じられ、そして、自身の五十の猟犬をけしかけられ、殺されたとのことになっている」
との記載が(オンライン上にて後追い出来るところとして)把握することができるようになっている。
次いで、「アクタイオンが鹿の聖王として50ヶ月との統治期間を保持していた」とのことについてだが、ロバート・テンプルによってそのことの出典として引き合いに出されている Robert Gravesの手になる書籍たる The Greek Myth(邦題)『ギリシャ神話』 (訳書ならぬ原著の方はオンライン上より全文確認なせるようになっている書籍)、同著 The Greek Mythは信用のおけない出典ともなりもする( unreliable source )。については、何故もってして「文人」ロバート・グレーヴズの手になる書籍たる The Greek Myth(邦題)『ギリシャ神話』が全幅の信に値しないと申し述べられるようになってしまっているのかについては
[ギルガメシュとヘラクレスの関係性などにまつわる「独創があまりにも先行しすぎての」そのやりよう]
から先にも本稿出典(Source)紹介の部63(3)を包摂する解説部にて指摘しているのだが、確かに「文人」ロバート・グレーヴズの手になる書籍たる『ギリシャ神話』そのように記載されており、(その部よりの引用をなせば)
On another occasion, Actaeon, son of Aristaeus, stood leaning against a rock near Orchomenum when he happened to see Artemis bathing in a stream not far off, and stayed to watch. Lest he should afterwards dare boast to his companions that she had displayed herself naked in his presence, she changed him into a stag and, with his own pack of fifty hounds, tore him to pieces. [ . . . ] Actaeon was, it seems, a sacred king of the pre-Hellenic stag cult, torn to pieces at the end of his reign of fifty months, namely half a Great Year; his co-king, or tanist, reigning for the remainder.
(大要)「アリスタイオスの子アクタイオンは川辺でアルテミスが水浴びしているさまを留まって見るとのことをなした際、アルテミスはアクタイオンがその同僚に女神が自身の裸体を自分に見せたなどといったことを鼓吹することがなきように彼を鹿に変じさせしめ彼の50の猟犬に引き裂かせて殺した。・・・(中略)・・・アクタイオンはギリシャ前時代にての鹿崇拝信仰にての聖なる王、グレート・イヤーの半分にあたる50ヶ月後に細切れにされて殺されるとの存在であったと見えもする」
との箇所が該当部位となる ――※先の段(出典(Source)紹介の部63(3))にても筆者の指摘内容とバッティングしていることがそこに不適切に表記されている、そして、そちらがオンライン上での相応の類やりようとの兼ね合いから目立つようになっている節があるとのことで呈示してきたとの側面、[過度に行き過ぎた主観]を含んだ(論拠となるところのないとの)申しようから[信用のおきがたい出典]であるとの側面を帯びているロバート・グレーヴズ版 The Greek Myth『ギリシャ神話』、同著の Artemis’s Nature And Deedsの節が表記の記述を含むところとなる(:それにつき、ロバート・グレーヴズ書籍をもって[信用のおけぬ]としていることにつき、少なくとも俗世間にて[秀逸なる当代きっての文人]と担がれていた(とウィキペディア程度の薄い媒体でも即時確認できようとの)ロバート・グレーヴズの手になる書籍を[信用のおきがたき出典]とする資格がこの身にあるのか、とお考えになられる向きもいるであろう(殊に「感情的」な面で、そして、「利害」の面で筆者が好ましくはないとの立ち位置に立つよう強いられて唯々諾々と従っているとの向きにあっては尚更そうなるともとれる)。だから、この場にて述べておくが、本稿筆者は「実に」奇矯なる話もなすとの者だが、それは(読み手にそれを確認する雅量(寛容さ)があるかは置き)そうした話を「実に残念ながら」[把握しているところの事実群に依拠しての申しよう]としてなしているとの筋目の者である(筆者を批判してやろうとの意図でもいい、本稿の内容を批判的に検討してみるといい)。 他面、ロバート・グレーヴズについては(心地良く安定感を感じさせるとの)[常識]の世界の住人がどの面下げてか逃げ惑うような[奇矯なること]は言わぬも、[さして材料なきところ]で行き過ぎた申しようをなすとのことが「一部にて知られているし」「実際に成程、そういうことか、と納得させられもする」論客となっている。その点、ロバート・グレイヴズについてはその邦訳なされていない(かと思われる)著作 The White Goddess『白き女神達』にまつわるWikipedia[ The White Goddess ]項目にてのCriticismの箇所にて Graves's value as a poet aside,
flaws in his scholarship such as poor philology, use of inadequate texts
and out-dated archaeology have been criticised.
「グレーヴズの詩人としての評価はさておきも、同男は文献学のようなものに対する見識の低さ、不適切なる文章らの引用、有効性を失っている考古学上の知見の使用との学問的やりようゆえに同男は批判されてきた」といった赤裸々な書かれようがなされているところがある)。また、ロバート・グレーヴズの申しようを受けての式にてロバート・テンプルは「アクタイオンは50匹の犬をけしかけられたうえでアルテミスの弓によって射殺された」としているが、表記のロバート・グレーヴズの『ギリシャ神話』にての引用部からして「50匹の犬に切り刻まれてアクタイオンは死んだ」と記載されているに留まり、そこに(ロバート・テンプルが書いているような)[犬をけしかけられた上での銀の弓による射殺]のニュアンスも見受けられないとのことも一応、断っておく(が、については(確認出来ていないのだが)伝承が複数バージョンあるところがそちら記載の所以たりえるとも考えられはする)―― 。
(出典(Source)紹介の部95(7)はここまでとする)
以上、引用なしてきたこと、
[ロバート・テンプルが『シリウス・ミステリー』にて複数文明圏にてシリウス(の伴星シリウスB)に対する先覚的言及がなされていると主張するうえでの「論拠の一つ」としているアクタイオン伝承]
について補いもしての紹介を長々となしてきたといった身ながら、本稿筆者としてはロバート・テンプルが展開しているとのそちらアクタイオンの話は
[重要な指し示し]
にあっては重きをなすものと見て「いない」。
同じくものこと、アクタイオン伝承をもってしてシリウスBに通ずるなどとの申しようは主唱者テンプルがロバート・グレーヴズなどのその主観先行の風を批判されがちな(そして、それが至当なることを諸種文献の渉猟のなかで筆者が把握するところの)文人の言を引いているとのことをも顧慮し、[「さらにもって付け足せば、」程度の話]にすぎぬだろう、としか見ていない(※)。
(※たとえ、アクタイオンを殺したと表記されているとの月神にして狩の女神たるアルテミス(のローマ版たるディアナ)が[イシス]と同等物とされていることがあっても、すなわち、本稿筆者が本稿にての立証のために先にその内容を抜粋しているとのローマ期古典 THE GOLDEN ASSE(『黄金の驢馬(ろば)』)の1639年版、現行のそれと英単語の綴りからして異なっているとのその THE ELEVENTH BOOKEにて
(再引用するところとして)
Behold Lucius I am come, thy weeping and prayers hath mooved mee to succour
thee. I am she that is the naturall mother of all things, mistresse and
governesse of all the Elements, the initiall progeny of worlds, chiefe
of powers divine, Queene of heaven! the principall of the Gods celestiall,
the light of the goddesses: at my will the planets of the ayre, the wholesome
winds of the Seas, and the silences of hell be diposed; my name, my divinity
is adored throughout all the world in divers manners, in variable customes
and in many names, for the Phrygians call me the mother of the Gods: the
Athenians, Minerva: the Cyprians, Venus: the Candians, Diana: the Sicilians Proserpina: the Eleusians, Ceres: some Juno, other Bellona,
other Hecate: and principally the Aethiopians which dwell in the Orient,
and the Aegyptians which are excellent in all kind of ancient doctrine,
and by their proper ceremonies accustome to worship mee, doe call mee Queene
Isis.
(対応するところの訳書、『世界文學体系』(筑摩書房)掲載の呉茂一(ホメロス古典の訳をなした人物で著名性伴っての学究(故人)/東京大学、退官後、名古屋大学教授)の訳業になる訳書『黄金の驢馬(ろば)』よりの引用として)「ルキウスよ、私はお前の祈りにたいへん心をうたれてここへ来ました。私は天地万物の母、あらゆる原理の支配者、黄泉の女王、天界の最古参として、あらゆる神々や女神たちのたた一つの形に示現するものです。・・・(中略)・・・最も古い人類の種族プリュギア人は、神々の母としてペシヌーヌに祀り、はえぬきのアッティカ人は、ケクロピアのミネルヴァと呼び、・・・(中略)・・・ クレータ島人は、ディクチュンナのディアーナと、三ヵ国語を話すシクリー人はステュクスのプロセルピナと、古いエレウシースの住民たちはアッティカのケレースと呼びならわしています。ある地方ではユーノー、またの地方ではベローナ、ある所ではヘカテー、またラムヌーシアと呼ばれます。・・・(中略)・・・そして太陽神の、朝生まれたての光線に照らされるエティオピアの人々と、学問の古い伝統にかけては世界に冠たるエジプトの人々とは、いずれも私にふさわしい儀式を捧げ、本来の名前によって、イーシスの女王と呼びならわし崇めるのです(以下略)」
(再度の引用部はここまでとしておく)
との表記がなされていようともアクタイオン伝承は問題となることを梁のように支える主たる論拠には満たないものととらえている ――※上にての『黄金の驢馬』の引用部位は先に本稿の重要な指し示しに関わるとの観点から[イシス]と[ペルセポネ](プロセルピナ)を同一視する思潮が古代からあったことを示すための材料として本稿の先の段(出典(Source)紹介の部94(3))にて挙げたものであるのだが、の中では、イシスが[ヘカテ]でもあり、また、[ディアナ](アルテミスのローマ版たる月神とすぐに確認できる存在)でもあると[文献的事実]の問題として記載されているわけである。とすれば、ロバート・テンプルはその式での指し示し方式の方は目立ってとっていないわけだが、[50の犬]が[シリウス体現存在たるイシスと同質性を古文献の時点で強くも持つアルテミス(ディアナ)]によってアクタイオンにけしかけられたと伝わっていることからもシリウス・コネクションを見出すことができるようになっている「とも」申し述べられる(:につき、くどくも述べておくが、本稿筆者は[シリウスから異星文明が人類文明に関与した]などとの[立証不可能なこと]を述べたいのではない(ロバート・テンプルやその著書を訳した者達はそうしたことを[可能性論]として行き過ぎた程に強くも前面に出しているようだが、筆者はそうもした可能性論に必要以上に固執すると本当に重要な問題 ―自然な因果関係から導き出せる「何故?」の問題の方がより重要性を持ってくるとの問題― が見えなくなると考えている)。 そう、合理主義者、そして、自分の属する種族(人類)にあっての語るに値する人間らに(といった向きが本当にいれば、だが)[勇気]と[意志]の問題を問いたいとの人間として筆者は[シリウスから異星文明が人類文明に関与した]などとの[立証不可能なこと]を訴求したいのではなく、[[今日的にブラックホールとの言葉で表されるもの]で我々人類を滅ぼすとの予告「としかとれない」ものが極めて巧妙に諸所あちらこちらで歴年、多重的・複合的になされ続けていた]とのことを(その[機序;作用原理]の問題はともかくも)[現象の重視]との観点にて容易に後追い可能な根拠の山にて指し示したい(立証したい)のであり、について、ここで問題視しているところの先にある[シリウスB]の話もが深くも関わっている(後の段まで読めば、その理由は「実にもって胸くそが悪くなる」ようなものだが、理解いただけるかと思う)がために本段に見るような話をわざわざもってなしている)―― )。
さて、「真に重要なのは、」ロバートテンプルが、続いて指摘するように、
[[ケルベロス]とシリウスBが結びつくだけのことがある]
と主張し、そこに関しては[文献的事実]の問題として説得力が伴っていることである(と強調したい)。
そのように述べて、
[シリウスBに関する先覚的言及にあってのロバート・テンプルの申しようには(ドゴン族云々といったところから離れれば)多くきちんとした論拠が呈示できるようになっている]
とのことについてのさらなる出典を挙げることとする。