典拠となるところの明示[52]――ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあっ
ての[現代的観点から見た場合の多重的ブラックホール類似物]

関連情報にまつわるカテゴリ(各部クリックにて遷移)

ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見る(「今日的観点で見た場合の」)ブラックホール近似物に関して何が問題になるのかについて ――『ギルガメシュ叙事詩』を引き合いにして純・記号論的に述べられもすること[2]

  直前頁では次のことにまつわる解説をなしてきた。


(直下、出典としての委細となる記述をすべて直前頁に譲っての振り返り表記をなすとして)

(原文引用にて示した) Epic of Gilgamesh『ギルガメシュ叙事詩』にあっての

「ギルガメシュが洪水伝承と結びつく存在(ウトナピシュテム)にその在り処を訊き出した不死の霊薬([若返りの草; plant of immortality]ないし[草のような格好を呈する若返りの珊瑚 coral of immortality])を蛇に奪われる

との下りは(ここまで本稿にて問題視してきたミルトン『失楽園』がそれを主たるモチーフとしているとの)[聖書に見るエデンよりの追放の物語]記号論的類似性を呈している。

 以下のような観点からである。

「(ミルトン『失楽園』がそのプロセスを主として描いているところとして)[アダムとイヴらは蛇に[禁じられた知恵の樹の実]を食すように唆されてそれを実行したがゆえに神の永遠の楽園であったエデンより追放の憂き目を見た]と聖書には書かれている。
 聖書それ自体にあってはそちら[追放の理由]として[神がアダムとイヴが知恵の木の実を食べた際に不死であれば神に近しき存在になってしまうがためそれを忌んでアダムらを罰した]との記述がみとめられるわけだが(本稿出典(Source)紹介の部54にもそこよりの抜粋なしたところの日本聖書協会『旧約聖書』創世記第3章22-24節よりの再度の原文抜粋として]:主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕されせらた。神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎを置いて、命の木の道を守らせた(引用部はここまでとする))、 他面、アダムらはその放逐以前にはエデンの中央に植えられている[知恵の樹の実]以外のすべてを食してもいいと言われていた
 そこには当然に
[生命の樹の実]
も入っていると考えられるようになっている(同様に[日本聖書協会『旧約聖書』創世記第2章16節-17節よりの再度の原文抜粋として]:主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう(引用部はここまでとする))。
 以上の部にあっての聖書の論理構造につき触れるが、それは
[生命の木の実をすでに食していた存在が新たに知恵の樹まで食べたから不死と知性の両立を好ましく思わなかった神に追放された]→[アダムとイヴは蛇の誘惑にて不死を失った(結果的に蛇によって不死を奪われるかたちとなった)
との関係式が導出されもするようなものとなる (※直前頁ではたとえば、 Plant lore, legends, and lyrics(1884)といった洋書やより一般的なウィキペディア表記などにみとめられる同じくもの解釈を取り上げもした)

 上のことに加えて[洪水伝承]をも間に加えての相関性から

ミルトン『失楽園』 → (具備) → [(旧約聖書『創世記』に依拠しての)[サタン(エデンの蛇)の姦計による楽園追放の物語]にして[不死の喪失とも接合しうる物語]としての側面]/[死と罪の浸潤プロセスに関して[黒海洪水にも接合するところ(黒海洪水発生のポイント)の複合的言及をなしていると解されるパートを含む物語]としての側面 ―(同じくものところは黒海洪水伝承・黒海洪水仮説にてボスポラス海峡がゼロから構築されたことを想起させるようにボスポラス・ダーダネルス海峡にての通路貫通に言及しているとの側面でもある)― 

『ギルガメシュ叙事詩』の問題となるパート → (具備) → [[蛇による[不死喪失]の物語]かつ[聖書『創世記』にみとめられるノアの洪水伝承関連の物語と際立っての類似性を呈する物語]としての側面]

との記号論的類似性が見出せる格好となる(※)。

(※また、直前頁では[聖書の神]が人間が[知恵]と[不死]の両立を忌んでいる存在にして、後、人間に粛正としての洪水をお見舞いした存在となっている一方で、『ギルガメシュ叙事詩』の神(エンリルという名のシュメール・アッカド神話体系に見る往古の神)にもウトナピシュテム ―ギルガメシュ第十一碑文に登場してくる洪水の生き残り― に[不死]を付与することに反対した神であるとの[設定]が伴っており、かつ、シュメール・アッカド神話の同じくもの神(エンリルという多神教にあっての神の一柱)に関してはキリスト教の神が楽園追放された人間の子孫に洪水をお見舞いしたのと同様に人間に洪水をお見舞いしているとの[設定]「も」が存在しているとのことを摘示なしもしていた)

 だが、しかし、叙事詩『失楽園』をものしたミルトンが『ギルガメシュ叙事詩』の内容を参照していたと述べることは出来ない。というのも、『ギルガメシュ叙事詩』が発見・解読され、そして、そこにみとめられる聖書の洪水伝承類似の物語ゆえに物議を醸したのは(出典(Source)紹介の部59にて示しているように)19世紀後半にさしかかってのことであるからである。


(直前にて振り返っての表記をなしたうえで、に基づいての話をなすとして、)

 さて、

[『ギルガメシュ叙事詩』→(影響を及ぼす)→ミルトン『失楽園』]

との「直接的」関係性が成立「しえない」(普通に考えれば、成立「しえない」)と見受けられるとの理由については上に記したとおりである。『ギルガメシュ叙事詩』が発掘・解読を見、そういう旧約聖書創世記の粗筋に非常に似通ったパートを含むものが往古にて叙されていたと物議を醸したのは[19世紀中葉以降]であるとされることがあるのである(先の出典(Source)紹介の部59にて詳説をなしているところである)。

 では、ミルトン『失楽園』と『ギルガメシュ叙事詩』を
[「複合的なる意味合いで」類似内容を有するもの]
となさせしめている、
[他の事由]
があるのではないか、と思われるかもしれない(当然であろう)。

 そう、[ギルガメシュ伝承]と[ミルトン『失楽園』執筆背景にある語られぬところの参考資料](のようなものが「あれば」だが)とを結ぶ「他」伝承があると考える向きもあるかもしれない。

 グラハム・ハンコックのような人間が大ヒットを見た Fingerprints of Gods『神々の指紋』 ――[人間という種族を舞台裏から操作する力学の介在]の可能性論に極力触れないで[人間の営為の賜物](太古の「神がかった」人間、失われた文明 Lost CivilizationにてのGodmenと表現されるような存在の英知の類の賜物)の介在ばかりを強調しているとの点からしてタイトルに[偽り]ありの風を伴う著作だが、そうした側面を差し引いて「も」興味深い指摘を相殺して、なお、マイナスの部が増さってしまうといった按配の多くの誤りや誇張表現を含むとの指摘がなされてきたとの著作――  、(批判能力を有さぬ向きから見れば、そうではないと映ろうが、検討をなした識者にあってはそのように見られがちな)信用の置けぬと見られるような著作( Unreliable Source )で強弁しているような、

[共通基盤となる文明(滅亡した文明)]

あるいは、そうした大仰なものではなくとも、

[結節資料となる類似要素をすべて含む中間地点の古典]

のようなものが存在しており、それがギルガメシュ伝承およびミルトン『失楽園』執筆参考資料の双方に影響を与えていたのだろうと考える向きもあるかもしれない。

 だが、普通人以上に色々なことを探査・研究して知っているとのこの身 ――(筆者のことを[識者の振りをしている紛い物ら]と一味同仁の類と見れるか否か、筆者識見の程度を本稿全体の内容からご判断いただきたい)―― でも[そのようなもの](ギルガメシュ叙事詩とミルトン著作の間のミッシング・リンクの離隔を見事に埋めきるとの古典の類)があることにつき把握「できない」でいる。

 それらしいもの、そう、ミルトンに影響を与えていた洪水伝承のアーキタイプ(原基)といったものとして想定でき「そうな」ものは確かにある(※ルーマニア出身の神話学の大家ミリチャ・エリアーデ、[(毒にも薬にもならぬとの)常識的なこと]ばかりを放言していた同男などは人類の歴史にあって共通の基盤となるようなものがあるとしてそれを[アーキタイプ(原基)]などと評しているが、ここではその語法に倣(なら)わせてもらった)。

 たとえば、ミルトンの時代へと連綿として続くかたちにての知識としての相伝を見ていた可能性があるところとして、キリスト教、ローマ帝国を[奴隷の宗教]からの台頭の過程で乗っ取り、中世暗黒時代の精神的世界の支柱となっていったキリスト教のサイドにて重用されていた初期キリスト教にての識者ら(教父チャーチ・ドクターと評される一部のギリシャ語ないしラテン語で記録を遺すだけの程度を有していた識者ら)のうちの一人として伝わっているエウセビオスという人物に由来する著作に、

[バビロニア時代(ギルガメシュ叙事詩が生まれたメソポタミアにて隆盛を見た文明)の洪水伝承]

への言及が[近代に入ってよりの遺跡発掘による古代のギリガメシュ叙事詩の「再」発見]前から見受けられるとのことが ――出典も続く段に挙げるところとして―― ありもする(今日、エウセビオスの著作にあってバビロニアの洪水伝承への言及がなされていることは一部でよく知られている)。

 については、初期キリスト教勢力の知識階級、教父(チャーチ・ドクター)の一人に数えられるエウセビオスの著作、オンライン上からも英文版の内容を確認できるとの著作にて

「(著者エウセビオスから見ての)古代の学者が書き残しているところによると、」

との[聞き及ぶところ(仄聞)を紹介するとの形式]にて、

古バビロンにて洪水がクシストロスXisuthrus王(別記載ではSisithrus王)の時代の発生して、その洪水前に[クロノス神](ギリシャ系の記録者がシュメールの神を表しているのでクロノスとのギリシャ系の名前となっているとも「とれる」)が王の夢見に現れて滅亡の洪水より逃げ延びるための方舟を建造するように指示した

といった記述が認められることが確かに[文献的事実]の問題としてあるにはある(出典(Source)紹介の部48の部にてその内容を引いた古書、オンライン上よりその全文を捕捉できるところの『福音の備え』、ラテン語にて Praeparatio Evangelica (英語にて Preparation for the Gospel) E.H. Giffordという人物の手になる1903年英訳版よりの抜粋をさらに下の段にてなす)。

 その点、初期のキリスト教圏サイドの識者エウセビオス ――その著作の内容をジョン・ミルトンが捕捉して「いうる」から問題になるとの識者―― の書きようにまつわるところとして

「ギリシャ人学者にあっての記録がそれ以前の人間たるBerosus(ベロッソス)の事跡につき書き残しており、ベロッソスによると洪水伝承がメソポタミアに伝わっていた」

とのこととなっている、より具体的には

「[それ以前のバビロン史につき記した史家にしてギリシャ語に通じたマルドゥク神殿神官]であったとの人物(ベロッソス)が洪水伝承につき記録している」

とのこととなっているとの講学的な解説が諸所にて見受けられるようになっているのだが、そちら内容、

[クロノスの夢見にての[洪水より逃れよ]とのバビロニア王クシストロスXisuthrusに対する警告とのかたちで残置・伝存している洪水伝承]

にみとめられる内容と

[近代になって「再」発見されたウトナピシュテムの洪水伝承およびギルガメシュの物語]

にみとめられる内容の間には同一性が認められない程度に質的差異がある(下に細やかな解説をなすが、エウセビオス古典に見る洪水伝承にあっては[蛇による「不死」の薬草の奪取][ウトナピシュテムという人間の不死を厭うた神のありよう]といった特有の神話的モチーフをギルガメシュ伝承と共有していない ――が、ノアよろしく方舟に命あるものの種を救うべくも動物らを載せたとの式ではエウセビオス古典に見る洪水伝承はギルガメシュ叙事詩に認められるウトナピシュテムやりようと内容を一にするものではある(そちらについて「も」下に解説する)―― )。

 であるから、初期的キリスト教識者著作からミルトン時代に伝わっていた可能性があるバビロン洪水伝承(の一つ)よりミルトンがギルガメシュ洪水伝承と似たような側面を有するものを[黒海洪水説を想起させるモチーフ]を用いつつ書き記したと述べることはできない(これ以降の出典表記部を参照のこと)。


| 出典(Source)紹介の部60(2) |

 ここ出典(Source)紹介の部60(2)にあっては、

[バビロニア由来の洪水伝承が教父エウセビオスを介して伝わる[ベロッソス]という人物の記録によるものである]

とのことがいかようなことなのか、まずもって、基本的なるところからの引用をなしておくこととする。

 エウセビオス ――初期キリスト教の識者階級たる教父―― がそちら記録について扱った資料を仄聞したとのかたちにて今日にバビロニア由来の洪水伝説を語り継いでいるとの話、そこに見る[元となった記録]の作成者たるベロッソス(ベロッソス)について扱ったウィキペディア記述内容を引くことからはじめる。

(直下、英文Wikipedia[Berossus]項目よりの原文引用をなすとして)

Berosos was a Hellenistic-era Babylonian writer, a priest of Bel Marduk and astronomer who wrote in the Koine Greek language, and who was active at the beginning of the 3rd century BC. Versions of two excerpts of his writings survive, at several removes from the original.
[ . . . ]
The Armenian translation of Eusebius and Syncellus' transmission ( Chronicon and Ecloga Chronographica respectively ) both record Berossus' use of "public records" and it is possible that Berossus catalogued his sources. This did not make him reliable, only that he was careful with the sources and his access to priestly and sacred records allowed him to do what other Babylonians could not. What we have of ancient Mesopotamian myth is somewhat comparable with Berossus, though the exact integrity with which he transmitted his sources is unknown because much of the literature of Mesopotamia has not survived. What is clear is that the form of writing he used was dissimilar to actual Babylonian literature, writing as he did in Greek.
Book 1 fragments are preserved in Eusebius and Syncellus above, and describe the Babylonian creation account and establishment of order, including the defeat of Thalatth (Tiamat) by Bel (Marduk). According to him, all knowledge was revealed to humans by the sea monster Oannes after the Creation, and so Verbrugghe and Wickersham (2000:17) have suggested that this is where the astrological fragments discussed above would fit, if at all.
Book 2 describes the history of the Babylonian kings from creation till Nabonassaros (747-734 BC). Eusebius reports that Apollodorus reports that Berossus recounts 432,000 years from the first king, Aloros, to Xisouthros and the Babylonian Flood. From Berossus' genealogy, it is clear he had access to king-lists in compiling this section of History, particularly in the kings before the Flood (legendary though they are), and from the 7th century BC with Senakheirimos ( Sennacherib, who ruled both Assyria and Babylon). His account of the Flood ( preserved in Syncellus ) is extremely similar to versions of the Epic of Gilgamesh that we have presently. However, in Gilgamesh, the main protagonist is Utnapishtim, while for Berossus, Xisouthros is probably a Greek transliteration of Ziusudra, the protagonist of the Sumerian version of the Flood

(日本語に即しての訳をなすとして)
「ベロッソスはヘレニズム期ギリシャ語での著述をなしたとのヘレニズム期著述家となり、また、マルドゥク神の神官にして天文家ともなっており、同ベロッソス、その活動年代が紀元前3世紀初頭となっているとの人物となる。彼ベロッソス著作はうち二作品が逸文・抄録、すなわち、[原典から幾分の剥落を見ているとのかたち]にて(他者にての引用形態で)残存を見ている。
・・・(中略)・・・
エウセビオス(4世紀にてのキリスト教の識者階級、教父)およびシュンケロス(訳注:英文ウィキペディアにも一項目が設けられている8世紀から9世紀にかけて生きたビザンツ帝国の歴史編纂家 George Syncellusのこと)によって伝わっているところのアルメニア語による伝存文書(各々、エウセビオスの手になるChroniconとシュンケロスの手になる Ecloga Chronographica)の双方では
「ベロッソスが[公的な記録]を使用した」
との記録が見て取れ、ベロッソスがその典拠となるところを(マルドゥク神神官としての職掌として)目録化していた可能性がある。これはベロッソスという史料元を信頼に値するものたらしめるに足りるものではないが、彼ベロッソスが史料に対して入念であり、その彼の神職としての[(古代の)聖なる記録に対する接触可能]という立ち位置が彼をして他のバビロニア人 (訳注:アレキサンダーが東征によってギリシャ世界と中東を結合させてのヘレニズム期にてのコスモポリタン化してのバビロニア人といったニュアンスであろう) ができなかったことをなさしめた可能性はある。
 彼ベロッソスが資料として伝存をなさしめた記録の正確性は(他の)メソポタミア文物の過半が今日に現存していないのであるから不分明なのではあるが、我々がメソポタミア神話に関して把握するに至っていることはベロッソスのそれ(逸文とのかたちで残置している記録)と若干ながらも比較可能ではある。 明らかなのは彼ベロッソスが書きとどめた折の記録の[形態]が[現実のバビロニア文物]と異なるものとなっており、それは「ギリシャ語で」彼が記録化をなしていたとのこととなる。
(ベロッソスに由来する)[巻の1]と称される記録の断片は上述のエウセビオスおよびシュンケロスの文書にて言及されているとのかたちで今日に遺っているものとなり、そして、そこにては
[バビロニアの創造神話にあっての説明]
[マルドゥックによるティアマトの打倒を含むところの秩序の定立の式]
が記されている。
 彼ベロッソスによると創造の後の人間の全ての知識は海の怪物オアンネスによって明かされたものであるとのことになっており、(最近の)VerbruggheおよびWickershamの二人の学者による(21世紀に入っての)2000年の申しようではこれは占星術を扱っての断片的記録として論じるのによく適合するもののようである。(抄録・逸文とのかたちで他に引用されるとの式で伝わっている)ベロッソスの遺したとされる記録の内、[巻の2]とされているところでは
[社稷(国体)創建から紀元前747年から紀元前734年にかけて在位していたナボナッサロス王に至るまでのバビロニア王らの事績]
が描写されている。それにつき、(ベロッソスの記録を今日に伝えた初期キリスト教サイドの知識人の)エウセビオスの報告しているところでは
バビロニアの最初の王たるアロロスからクシストロス、そして、バビロニア大洪水に至るまでの43万2千年の記録をベロッソスが説明しているとの旨、アポロドーロスが書き遺している
とのことである
 ベロッソスの家系(の職掌)からすれば、ベロッソスが(大洪水伝承にまつわるところの)関連部にての『王名表』(シュメールの歴史記録)に接することが出来た、殊に[大洪水前の王ら](彼らは伝承上の存在であったわけだがそうした王ら)以降の歴史、および、アッシリアとバビロンの双方を治めたセンナケリブ君臨の紀元前7世紀以後の歴史編纂の中で(『王名表』に)接することが出来たのは明らかではある。(エウセビオスと共にベロッソスのことを今日に伝えている識者として先述の)シュンケロスが書き残しているところの洪水伝承にまつわるベロッソスに関する説明では我々が今日知るギルガメシュ叙事詩と非常に似通った箇所が認められるしかしながら、ギルガメシュ叙事詩では主要人物はウトナピシュテムであるのだが、ベロッソスのそれではクシストロス ――(訳注:ベロッソス版のこのクシストロスXisouthrosの伝存するところの物語については「本稿の内容に関わるところとして」それがいかようなものなのか、後述する)―― がシュメール版の洪水伝承のジウスドラのギリシャ版の訳となる存在として現われている

(訳を付しての引用部はここまでとする)


重要であるととらえているがために付すところの脇に逸れての付記

 脇に逸れて書き記せば、直上引用部がそれにまつわるところのものとなる、

[エウセビオスの手になるベロッソス関連の記録のあり方]

からしてこの世界そのものの胡散臭さ ――『枢要部を記号論的に命名規則を割り振ることを常とする人工知能に構築でもさせたのか』といった按配の胡散臭さでもいい―― が見てとれるようなものであるとのことがある。

 その点、上にて既述のようにエウセビオスによると

[(ギリシャ人たるアポロドーロスから伝わるとされるところにて)古代神官ベロッソスは432000年分の[大洪水]に至るまでのシュメールの歴史にアクセスできたと伝わっている]

とのことだが( Eusebius reports that Apollodorus reports that Berossus recounts 432,000 years from the first king, Aloros, to Xisouthros and the Babylonian Flood.との表記を引いての部)、そも、そこに見る
432000
との数値(際立ってのユニーク・ナンバーであろう?)および単位系(年)はインドはヒンズー教世界観に見る、[悪魔カリによる邪悪が善を凌駕する最期の時代のサイクル]、いわゆる、[カリ・ユガ]( Kali-yuga432000年分と「まったく同一のもの」となっているとのことがある( Kali Yugaのサイクルについては(いくらでも確認するソースはあるわけだが)目立つところとして英文Wikipedia[Kali-Yuga]にてKali Yuga is associated with the apocalyptic demon Kali, not to be confused with the goddess Kālī. The "Kali" of Kali Yuga means "strife", "discord", "quarrel" or "contention".……The Kali Yuga is sometimes thought to last 432,000 years, although other durations have been proposed. (訳として)「カリ・ユガは終末の悪魔カリ、女神カーリーと混同されるべきではないとのそちらカリに関連づけられるものである。カリ・ユガのカリは闘争・不和・諍いあるいは論争を意味している。(中略)カリ・ユガは他の延長を観念する見立ても呈されているが、432000年続くとされている」と記載されているとおりである)。
 偶然か?
 正気の人間ならば、まったくもって同一の[432000]との数値が単位系(年)を同一にして俎上にのぼっている時点で[偶然]とは「無条件には」思うまい(その単位系(年単位)をおなじくもする、そして、双方共々に【終わりにまつわるサイクル】関連のものであるのならば、である)。 正気の人間であれば、
『何らかの文化伝播( trans-cultural diffusion )があってそうもなっているのではないのか?』
と考えるところであろう(それが脳が腐ったゾンビ人間のそれではない[健全な知性]の自然なる働きか、とは思う)。
 にまつわって本稿筆者は一歩進んで次のようなことらまで「識っ」ており、通常ありうべき[文化伝播]の問題で済まされぬ程に[ことは奇怪である](加えて述べれば、「そして、またもってして危険ですらある」)と見立てるにまで至っている。

 第一。繰り返す。エウセビオスによると(アポロドーロスから仄聞されるところとして)ベロッソスは初代王から大洪水に至るまでの432000年分の歴史記録にアクセスできたとされているが(無論、40万年越えなど古代人の年代感覚が破綻を見ているナンセンスな書きようと当然に判じられるところだが、きちんと本稿を読解いただけているのならば、そうもした年代表記における子供じみた途方もなさは話の論点になっていないことはご察しいただけるかとは思う)、そも、エウセビオス記録が[432000年の終端]に位置する[大洪水]をクロノスというギリシャの神と繋げているとのことがあることが重きをもってくる(:これよりの典拠紹介部、そして、本稿の出典(Source)紹介の部41(5)にてもかする程度に触れて解説していることだが、ベロッソス曰くのところとして[クロノス神]が往時のバビロニアの王の夢見に現われて洪水の警告を発したことになっている)。
 さて、そこにいうところのクロノス神Cronusだが、[ローマ表記がサターンとなるとの土星の体現存在]であるとのことが一般的教養の問題として知られている(英文Wikipedia[Cronus]項目にて In the most classic and well known version of Greek mythology, Cronus was the leader and the youngest of the first generation of Titans, divine descendant of Uranus, the sky and Gaia, the earth. He overthrew his father and ruled during the mythological Golden Age, until he was overthrown by his own son Zeus and imprisoned in Tartarus.…… Cronus continued to preside as a patron of harvest. Cronus was also identified in classical antiquity with the Roman deity Saturn.(訳として)「最も古きに遡る部類の、そして、よく知られているところのギリシャ神話ではクロノスとは天空神ウラヌスと大地ガイアの間に産まれたタイタンらの第一世代の中でのリーダーにして最年少者である。彼は父ウラヌスを廃した後、自身の息子たるゼウス神にタルタロスの領域に落とし込まれるまでの黄金時代を統治した神でもある。(中略) クロノス神は収穫の守護神格であり、古典古代にあってはローマの神サターン神と同一視されていた存在である」と記載されているように一般教養の問題である)のと同時に[時の神Chronos(希臘語表記Χρόνος)]と同一視される存在「でも」ある ――基本的なところから引けば、英文 Wikipedia[Chronos]項目にて During antiquity, Chronus was occasionally interpreted as Cronus, according to Plutarch the Greeks believed that Cronus was an allegorical name for Chronos.(訳として)「古代時代にあってからして(時の神たる)クロノスChronos神はタイタンの首魁であったCronusと同一視されており、プルタルコスによるとギリシャ人らは[タイタンのクロノスCronus]とは寓意的な式での[時の神たるChronos]の名と信じていたとされる」との解説がなされているところである(ちなみに欧州では中世よりの図像化形式のありようとして目立って[時の翁]と[土星神格サターン旧呼称クロノス]とが混同されている)―― 。
 432000年の後にある大洪水の警告のために王の夢に現われたと伝わるクロノス神(タイタンのリーダーであったとも伝わるCronus)と同一視されもする[時の神]たるクロノス神(Khronos ないしChronos)の方だが、ここで問題視しているカリ・ユガとは「時の」サイクルであり、[時間]を媒介にしての繋がり合いがまずもって想起される(【カリ・ユガ:43200年で終焉に通ずる刻のサイクル】←→【クロノスの夢見にあっての告知:43200年の王朝の終焉にして[刻の神]に接合するに至った神による告知】というわけである。そこからして [こと] が尋常ではないと受け取れるのだが、話はそれにとどまならい)。

 第二。インドはヒンドゥー体系の天文観、カリ・ユガの由来たる[悪魔カリ]はヒンドゥーの有名な女神カーリ-とは別の由来を持つ神だと一般には説明されているが(上に英文Wikipedia[Kali-yuga]項目よりKali Yuga is associated with the apocalyptic demon Kali, not to be confused with the goddess Kālī. The "Kali" of Kali Yuga means "strife", "discord", "quarrel" or "contention".(訳として)「カリ・ユガは終末の悪魔カリ、女神カーリーと混同されるべきではないとのそちらカリに関連づけられるものである。カリ・ユガのカリは闘争・不和・諍いあるいは論争を意味している」と表記されているところを引いたとおりである)、両者[終末の悪魔カリ]と[女神カーリー]の[響き]・[綴り]・[関連するところの意味合い]が近しいとのこともが
[時間の終焉]( End of Time Cycle
との観点で問題になる(とのことがある)。
 その点、女神Kālīの語源はインド御当地ではよく知られているらしいところとして
時間][
を意味するとのものである(:目立つところでは非常に解説が細々となされている英文Wikipedia[Kālī]項目にて現行、(長くもなる同項目の記述を極々掻い摘まんで引くとして)Kālī, also known as Kālikā (Sanskrit: कालिका), is the Hindu goddess associated with empowerment, shakti. She is the fierce aspect of the goddess Durga (Parvati). The name Kali comes from kāla, which means black, time, death, lord of death: Shiva. ……[Etymology]Kālī is the feminine form of kālam ("black, dark coloured"). Kāla primarily means "time" but also means "black" in honor of being the first creation before light itself. Kālī means "the black one" and refers to her being the entity of "time" or "beyond time." Kāli is strongly associated with Shiva, and Shaivas derive the masculine Kāla (an epithet of Shiva) to come from her feminine name.(訳として)「Kālikāとの名前でも知られる女神カーリーは女神ドゥルガーの憤怒相としての存在であり、その語源は Kālaカーラ、[黒][時間][ 死の君主]を意味する同語に由来するとされている。(中略) [語源]Kālakālam[黒・暗色がかった]との語の女性形であり、Kālaは時間、そして、最初の光の生成を祝しての闇であるとされている。Kālīはまた、と同時に、シヴァ(ヒンドゥー教主要神格の一柱たるシヴァ神)とも関係があり、シヴァはKālaの男性系に端を発 している存在である」と[Etymology](語源)の問題として記載されているとおりである)
 いいだろうか。(カリ・ユガのカリの由来たる悪魔カリとは別存在と一般に語られるが、悪魔カリと響き・綴りは際立って近しいとの「時の神格化に通ずる」女神カーリー関連の語源として重きをなす)[時間]である。 翻って大洪水に至る[432000年サイクル]の終端も「時の神」と同一視されるクロノスと結びつけられている。 ここにて[時のサイクル]たるYugaとの絡みでよりもって話が接合すること、理解いただけたかとは思う(くどいが、女神カーリーと終末の悪魔カリは別存在であると喧伝されるが、両者、कलिとのサンスクリット表記がなされるという[カリ・ユガ]の命名由来たる悪魔káliकालिका]とのサンスクリット表記がなされるという[黒][時間][死]と結びつく破壊の女神Kālī の双方は[語の綴り]・[語の響き]・[意味論的側面](時Timeの神格化にまつわる意味論的側面)で近しいところがある存在である)。

 ここまで申し述べれば、何をもってして
『枢要部を記号論的に命名規則を割り振ることを常とする人工知能に構築でもさせたのか』
といった按配の側面を感じるとの胡散臭さが感じられると述べているか、心ある向きには多く理解いただけるかとは思う ――※その点、さらに一歩進んで[意味合いの問題]につき述べれば、である。[ク ロノス(時の神と同一視される存在)の警告を伴っての大洪水]と[432000年]との「際立っての」ユニーク・ナンバーおよび単位系(年)を介して結びつきもする[悪鬼の時のサイクル](カリ・ユガ)のことを(響き・綴りの近さから)想起させる[時の神格化存在]でもあるカーリーが[黒][死][時間]を意味する語たるKālaカーラと結びついていることからしてブラックホールとの兼ね合いで問題になる「とも」筆者は「当然に」見立てているとのことがある。何故か。[黒][死][時間]は[永遠に時間が止まっているとのありようを呈する暗黒領域たるブラックホール](出典(Source)紹介の部55および出典(Source)紹介の部55(3))のことを想起させるうえ、なおかつ、最前の引用部にてそう表記されているところを引いたように(カーリー由来の)[Kālaカーラ]の男性系であるとの言われようがなされているヒンドゥーの破壊神シヴァ、カーリーが[Kālaカーラ]の女性系とされている一方でカーラの男性系とされるそのシヴァ( 日本国内の愚劣で醜悪なドゥームズデイ・カルト、オウムが意味も分かっていなかろうとの式で教団の守護神として奉じていた神でもある)の彫像をこともあろうに[ブラックホールを生成する可能性があるとされるに至っているCERN(欧州原子核研究機構)]が[ナタラージャ]との相(ダンシング・シヴァの相)との格好にてジュネーブのそちら本部に掲げているとのことがあるからである (そこからもカーリーが[黒][死][時間]を意味する語たるKālaカーラと結びついていることが問題になると見立てている (ちなみにCERNがカーリーと結びつく[Kālaカーラ]の男性系であるとのシヴァ神像を目立つように掲げていることについては英文Wikipedia[Nataraja]項目にて In 2004, a 2m statue of the dancing Shiva was unveiled at CERN, the European Center for Research in Particle Physics in Geneva. The statue, symbolizing Shiva's cosmic dance of creation and destruction, was given to CERN by the Indian government to celebrate the research center's long association with India. (訳として)「2004年頃、2メートル大のシヴァ神像がジュネーブにての欧州原子核研究機構ことCERNでお披露目を見た。同彫像はシヴァの宇宙の創造と破壊のダ ンスを体現するものとなり、永年、インドと関係があった同研究機関を祝するために贈呈されたものである」との表記がなされている)。

 尚、直上、言及したところ、

[初期キリスト教会教父エウセビオスの伝えるベロッソス洪水伝承に見る432000年との際立っての単位とカリ・ユガの432000年の一致性]

を問題視しているのは筆者だけではない。というより、むしろ、筆者は同じくもの432000関連の一致性について他の欧米圏識者の著作より教えられたとの者となる

 については本稿筆者が探求の過程で多読乱読していた著作群のうちの一つ、著名な米国神話学者である Josef Campbell(故人)の手になる The Masks of Godにあっての一部をなす Volume 3, Occidental Mythologyにあって以下のような記述がなされているとのことがある。

(直下、オンライン上よりも表記テキストを確認できるようになっているところのジョセフ・キャンベルの手になる Occidental Mythology『西洋の神話』、その Chapter 9 EUROPE RESURGENTよりの原文引用をなすとして )

I have discussed this interesting figure in Oriental Mythology, where it appeared that in the Germanic deity Odin's warrior hall there were 540 doors through each of which 800 warriors fared to the "war with the Wolf" at the end of the cosmic eon. 540 × 800 = 432,000, which is the sum of years ascribed, also, in India to the cosmic eon. The earliest appearance of this number in such an association, however, was in the writings of the Babylonian priest Berossos, c. 280 B.C., where it was declared that between the legendary date of the "descent of kingship" to the cities of Sumer and the date of the mythical deluge, ten kings reigned for 432,000 years.

(拙訳として)
「わたしはオリエント(中近東)の神話にあってのこの興味深い数(432系統の数)について[ゲルマンの神オーディンの戦士達のホールにて悠久の宇宙の終末にあっての狼(注記:フェンリル・ウルフという北欧神話の怪物)との戦いに際して(戦士)800人づつが540の扉に控えるものとして存在している」との式でそれが現われているとのところについて議論したばかりだ。(オーディンの戦士のホールに見る)540(の扉)×800(人)=432000とのこととなり、それはインドにあって悠久の宇宙に対する年数合算で出てくる単位でもある(訳注:お分かりか、とは思うが、ここではカリ・ユガのことを指しての表記がなされている)。そうもした関係性にあってのこの数の最も初期の具現化は、しかしながら、紀元前280年に生きたバビロニア領域の神官ベロッソス由来の書物にみとめられるところとなり、(そこでは)伝説上のシュメール都市群に対する始祖王権の頃から神話上の洪水に至るまで10人の王が統治なしたとされる432000年とされている

(引用部はここまでとする)

 以上、引用したように【同じくもの数値規則が作用しているとの情報】(北欧神話における終末局面にもかかわる43200)があるのならば、それは当然に学者 ―ジョセフ・キャンベルのようなよく知られた学者― が話柄として然るべきところである。そのことをお含みのうえで読み手におかれては筆者が主観が先行しすぎての非建設的なる話 ―[無責任さ]やあるいはもってしての[怖いもの見たさを出でぬ野次馬根性という名の世間大衆というやつの消費者心理に奉仕しようとのサービス精神]を特徴的に強くも伴うとの陰謀「論」者ら由来の、馬鹿げた、確認可能なる論拠も伴わぬとの非建設的なる話の類― をなしているなどとゆめ誤解なさないようにしていただきたいものである (いくら「具体的なる剣呑さにまつわる」建設的な話をなそうとも畜牛にものを説くが如きならば話は同じだとも思うのだが) 。

 上の図は Project Gutenbergのサイトにて全文公開されているとの20世紀初頭に世に出た著作 Myths of the Norsemen From the Eddas and Sagas(1909)にて掲載されている[北欧神話にて終末に解き放たれるとされる狼の怪物Fenrir(フェンリル・ウルフ)がグレイプニルという魔法の紐で(終末の刻まで)縛れるさまを描いた画]である。さて、決定論的世界観が極めて色濃くも見受けられる ――たとえば、滑稽なことに神自身が自分の遠未来の死に様を「克明に」自己言及するとの詩が伝存を見たりしている―― との北欧神話にあって[(図に見る)フェンリル・ウルフ ―北欧神話にあって主催神たるオーディンを呑み込んで殺すとされる狼― との終末の最終決戦]に関わるナンバーが432000であるとのことを指摘している ――正確には540の扉から800人の戦士が立ち現れ、総計が432000となるとのことを指摘している―― のが直上にてその著作より引用をなしたとのジョセフ・キャンベルであるが(:同ジョセフ・キャンベルの指摘に間違いはない.たとえば、本稿筆者が内容検討した『エッダ―古代北欧歌謡集』(新潮社刊)にあって(そのp.257[ギュルヴィたぶらかし]の収録部よりの引用をなすとして)すると、ハールが答えた。「なぜ、ヴァルハラにはいくつ扉があるか、どれくらいの大きさの扉かとたずねないのかな。もし、それをきいたら、誰でも好き勝手に出入りできなければ不思議だというに違いない。そして、中に入るより、中で席をとる方が楽だということは事実どおりといっておかなくてはなるまい。グリームニルの歌にこう歌われている。/ヴァルハラには五百と四十の扉があらん/狼との戦に赴くとき/八百人の戦士 一つ扉より/一度に打って出るなり(グリームニルの歌(二三))(引用部はここまでとする)と表記されているとおりである)、 そこに見る
[終末局面と結びつく432000とのユニーク・ナンバー]
と[洪水伝承]絡みで関わるクロノスのありようについてはよりもって問題となるところについて後の段にて補足表記する所存である。

脇に逸れての付記はここまでとしておく


直上までの長々と脇に逸れての表記から引き戻して

 さて、バビロニア洪水伝承というものは

[ベロッソスの伝える洪水伝承](エウセビオスの著作を介して「もしかたしらば、」ミルトンの耳に入っていた可能性もあるとの洪水伝承)

となっているのだが、その内容それ自体は

[蛇による不死の薬草の奪取とのモチーフと結びついたギルガメシュ伝承とは「異質なもの」である]

ことを示す典拠を続けて挙げておく。

 まず、著作権が切れている文献の公開に注力しているとの Project Gutenbergの媒体を通じてオンライン上より誰でも容易に確認できる(検索エンジンへの文書タイトル入力などを通じ捕捉・ダウンロードできる)ところの、

The Babylonian Story of the Deluge as Told by Assyrian Tablets from Nineveh

とのタイトルの論稿(『ニネヴェより出土のアッシリア碑文らにて語られるところのバビロン洪水伝承』とでも訳せよう論稿/その著者たる E. A. Wallis Budge(同ウォーリス・バッジ、19世紀から20世紀にて権威筋に位置していたエジプト学・中近東研究の「実務的」専門家となる)の内容を引く。

 誰でも後追いできるとのかたちでオンライン上から全文確認できるものであるから(本稿の信用性担保のためにも)そこよりの引用をここにてなしているとの著作たる表記の論稿( The Babylonian Story of the Deluge as Told by Assyrian Tablets from Nineveh)にては

[ The Legend of the Deluge According to Berosus ](そのものずばりで[ベロッソスに由来する洪水伝承])

との節にて次のような記載が認められるようになっている(:オンライン上より表記のテキスト入力で[文献的事実]の問題として裏取りできるところとして次のような記載が認められるようになっている)。

(直下、考古学者ウォーリス・バッジの手になる The Babylonian Story of the Deluge as Told by Assyrian Tablets from Ninevehにあっての The Babylonian Story of the Deluge as Told by Assyrian Tablets from Ninevehより引用をなすとして)

"After the death of Ardates, his son Xisuthrus reigned eighteen sari. In his time happened a great Deluge; the history of which is thus described. The Deity, Cronus, appeared to him in a vision, and warned him that upon the 15th day of the month Daesius there would be a flood, by which mankind would be destroyed. He therefore enjoined him to write a history of the beginning, procedure and conclusion of all things; and to bury it in the city of the Sun at Sippara; and to build a vessel, and take with him into it his friends and relations; and to convey on board everything necessary to sustain life, together with all the different animals, both birds and quadrupeds, and trust himself fearlessly to the deep.

(訳として)
「先王Ardatesの死後、継承者Xisuthrusクシストロス王は18sariの期間、統治をなした。彼の治世の折、大洪水が発生したとされ、(ベロッソスに由来する)歴史はこのように描写している。
クロノス神がXisuthrusの幻覚の中にて現れ、Daesiusの月、その15番目の日に洪水が発生するとした。従って、王は始期・中途経過・結末の歴史を書かしめることに注力し、それをSipparaに在する[太陽の都市]に埋めさせしめた。そして、洪水をしのぐための乗り物を建造、彼と一緒に彼の友人係累縁者、そして、ありとあらゆる種類の動物ら、鳥類・地を這う獣らとともに命をつなぐに必要なすべてを荷として運びこみ、彼自身をして恐れもなくその深部に委ねた]。 

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 以上のようにベロッソスが記録して今日に伝わっているところの洪水伝承とは

[クロノスが夢見に現われて王Xisuthrusに洪水の発生を警告、ノアよろしく動物ら収容の方舟を造って避難すべしと伝えた]

とのものであるとの記載がウォーリス・バッジ(前世紀前半、大戦期前まで大英博物館の長を勤めながら考古学界に影響力を誇っていた権威筋の学者)、その著作にあってなされている(:その点、ここでウォーリス・バッジ著作の解説を紹介している[ベロッソスについて言及しているとのエウセビオス著作]あるいはそれについて扱った諸文献については The Chaldean Chronicle,Xisuthrus,Chronos([文書名][洪水伝承にまつわる王の名][洪水発生を伝えたクロノスの名])などと英文にてグーグル検索エンジンにを入力すれば該当文書特定できるものである)

 さらに引用を続ける。次いで、洪水伝承がいかようなものであったのか、エウセビオス著作それそのものよりの引用をなす、具体的には Edward Hamilton Giffordとの識者によって近代、英訳がなされている版、

Eusebius of Caesarea: Praeparatio Evangelica ( Preparation for the Gospel )  ―E.H. Gifford (1903)

とのかたちで検索エンジンを動かすことで「オンライン上より文書内容を捕捉できる」との4世紀のキリスト教教父(キリスト教初期知識階級)たるエウセビオスの手になる著作『福音の備え』(ラテン語での表記は Praeparatio Evangelica.羅語ではなく英語での表記は Preparation for the Gospel. 本稿にての出典(Source)紹介の部48の部にて[金星の象徴神格としての女神ビーナスに対する中世期「前」の人間の理解]を示す著作として引用なしたものでもある)よりの引用をなすこととする。
 その点、 Praeparatio Evangelicaの20世紀初頭(1903年)になる訳出版、その巻9の部には注記として原文抜粋するところとして次の記述が含まれている。

(直下、 Preparation for the Gospel(1903)にてのbook9の部より引用するとして)

ABYDENUS] 14 'After him reigned among others Sisithrus, to whom Kronos foretold that there would be a great rain on the fifteenth day of Desius, and commanded him to hide everything connected with literature at Heliopolis in the country of the Sippari.
'And when Sisithrus had accomplished this, he straightway sailed up towards Armenia, and immediately what God had predicted overtook him. But on the third day, when the rain had abated, he proceeded to let loose some of the birds, to try whether they saw land anywhere that had emerged from the water.

(大要訳として)
「(エウセビオスがその表記を参照しているところのABYDENUSというギリシャ人史家に由来するところとして)Sisithrus王(訳注:クシストロス王に定置される王であろう)に対してクロノス神が予告したところではDesiusの月の15番目の日にて大量の雨が降るので、(記録を後世に遺すため)、シッパル地方のヘリオポリスに文献的記録らのすべてを隠せとのことであった。そして彼Sisithrus王はこれを全てなし終えアルメニアに向けて漕ぎ出したところ、突然、神が予見したところの洪水が彼を襲うことになった。しかし、三日目にして大雨は止み、彼はそれらが水面から陸地を垣間見ることがあるか試すために鳥らのうち何匹かを離した

(引用部はここまでとする)

 以上、引用なしたことからも理解いただけようが、エウセビオスが今日に伝える(ベロッソスに由来するとされる)バビロニア洪水伝承には

[クロノスの夢見による予知とのかたちでの洪水への言及](ノアの方舟伝承とつながる側面)
[動物の種を後世に遺すべくもの方舟への生物の搭載への言及](ノアの方舟伝承とつながる側面)

は見出せても、『ギルガメシュ叙事詩』に含まれるところの、

[蛇による「不死」の奪取と結びついているとの側面]
[神(の一部)が人間(ウトナピシュテム)の不死化を ――(エデンにて知恵の樹の実を取って食らった人間が生命の樹の実まで食することに難色を呈してエデン追放を決定した旧約聖書『創世記』の神の言行のように)―― 認めようとしなかったとの側面]

はなんら見出せない(ただし、『ギルガメシュ叙事詩』の方にあっての方舟の選別者、ウトナピシュテムもまた[動物の種を後世に遺すべくもの方舟への生物の搭載]をなしている  ――(本稿の出典(Source)紹介の部60にて『ギルガメシュ叙事詩』(岩波書店)p.135より引用なしたところとして)ギルガメシュの懇望にまけて、ウトナピシュテムは自分が神々に列せられた経緯を語って聞かせる。神々が人間を滅ぼそうとして地上に洪水を送ったとき、知恵の神エアの指示により、彼は方舟を建造し、地上のすべてを粘土に帰した洪水からいのちあるものの種を救ったが、洪水を起こしたエンリル神はそれを知って怒った(引用部はここまでとする)と言及されているとおりである―― との式ではエウセビオスが今日に伝えるバビロン洪水伝承はギルガメシュ伝承のそれと共通性を有していることになる)。

出典(Source)紹介の部60(2)はここまでとする)


 ここまでにて

[[ミルトン時代に伝わっていたと見受けられるバビロン洪水伝承]と[「どういうわけなのか」ミルトン『失楽園』との接合性が観念できるようになっているギルガメシュ叙事詩に見る洪水伝承(19世紀に発見された伝承)]の質的差異]

について説明なしたところで「さらに」解説しておくが、

[ヘレニズム期(アレクサンダーの東方征服によって地中海世界と中近東以東の世界が融合していた紀元前4世紀以降の世界)にあってメソポタミア地域の洪水伝承を語り継いでいたとのベロッソスのギリシャ語記録内容を後のキリスト教識者サイド(教父エウセビオス)が引用とのかたちで遺していたとのことで知られている記録]

他「にも」メソポタミア界隈の大洪水にまつわる伝説が[ギルガメシュ叙事詩]以外のところで存在しているとのことが明らかになってもいるとのことはあるにはある。

 その点、ギルガメシュに不死の秘密を伝授した[ウトナピシュティム]の質的同質存在として、

ジウスドラZiusudra](ジウスドラというのはベロッソスがそちら内容を見ていたのではないか、とされる再発見されての遺物、シュメールの王の事績につき触れた碑文 Sumerian king list『シュメール王名表』に登場する洪水伝承で選別され生き残ったと伝わる男で、同ジウスドラ、[エデンの園]に比べ見られるとのDilmun[ディルムン]、神話にては[人類創造の地であり、かつ、神々が不死を約束する桃源郷]として、他文脈にては[交易上の物資集散地域]としてメソポタミア文献に記されている理想的なる土地に招待されたことが和文ウィキペディア[大洪水]項目にすら言及されているとの人物となる)

アトラハシスAtrahasis] (アトラハシスというのはアッカドに由来する Epic of Atrahasis『アトラハシス伝承』に登場する洪水伝承の生き残りのことを指し、また、ギルガメシュ叙事詩のウトナピシュティムの別名存在に比定されている碑文上の人物でもある)

らの両者に関わるところのメソポタミア洪水伝承が存在している(と明らかになっている)とのこと「も」があるのである。

 だが、文明の揺籃地メソポタミアにあってのそれら洪水伝承 ――ベロッソスとエウセビオスを通じて伝わったもの「ではない」ジウスドラやアトラハシスの物語―― にまつわる記録がミルトンに直接的に影響を与えていた可能性はギルガメシュ叙事詩同様「ない」と述べられるところとなっている。

 ジウスドラの事績について記した Sumerian king listの中の一節が発見・解読を見たのは近代になってからであるとされており、また、アトラハシスの事績について記した Epic of Atrahasisが発見されたのも近代になってからだというのが考古学者ら言いようとなっている、門外漢でも容易に同定捕捉なせるとのそれら伝承の再発見経緯となっているとのことがあるからである(直下、目立つところの言われようを紹介しての部を参照のこと)。


(ジウスドラ伝承・アトラハシス伝承がミルトンに参照されていたとは時期的に見て、考えられないようになっているとのことにまつわる典拠について)

 まずもってジウスドラについてからだが、英文Wikipedia[Ziusudra]項目にての記述をピックアップすることからはじめる。
 ウィキペディア同項目にあっては
In the WB-62 Sumerian king list recension, Ziusudra, or Zin-Suddu of Shuruppak is recorded as having reigned as both king and gudug priest for 10 sars, or periods of 3,600.
と記載されているが、意を示せば、
「WB-62系統のシュメール王名表に対する[分析的見地に立っての分類](rencension)にてジウスドラ、ないし、ジン・スンドゥ(Zin-Suddu)が古代メソポタミア都市シュルッパクにて君臨していたとの記述が記録されていた」
ということである。そこに見る[WB-62系統シュメール王名表]とは名門の一族より出た城持ちの人物にして考古学者でもあったとのことである Herbert Weld Blundellハーバート・ヴェルド・ブランデルの頭文字(WB)をとってのものとなり、ためにジウスドラの事績が記されているシュメール王名表に対しての研究が進捗を見たのは同ハーバート・ヴェルド・ブルンデル活動年代、要するに、20世紀前半と判じられる(については英文Wikipedia[ Sumerian King List ]にも The last two sources (WB) are a part of the "Weld-Blundell collection", donated by Herbert Weld Blundell to the Ashmolean Museum.(訳)「シュメール王名表の最後の二つの構成資料(WB分類のもの)はハーバート・ヴェルド・ブルンデルによってアシュモーレ博物館に提供されたヴェルド・ブルンデル・コレクションに属するものである」と記載されており、シュメール王名表のその伝と結びつく命名由来が簡潔に示されている ――同点については考古学者でもあったとのことである Herbert Weld Blundellのやりようを扱った情報としての In 1921-1922 he presented the Weld Blundell Collection to the University of Oxfordといった事績も参照されたい―― )
 加えて述べれば、英文Wikipedia[Ziusudra]項目にてはジウスドラの物語が刊行された年次につき1914年である、 published in 1914 by Arno Poebelであるとの表記もがなされてもいる。
 以上、ジウスドラの物語が(有力者一族の出の者の保有していた、発掘されし『王名表』に対する解読から)世に明らかになったのは20世紀前半のことであると判じられるようになっているわけである。
 さらに、(ジウスドラと並んで)、アトラハシスのことをミルトンが知りえなかったとのことについては英文Wikipedia[Atra-Hasis]項目にての
Its fragments were assembled and translated first by George Smith as The Chaldean Account of Genesis; the name of its hero was corrected to Atra-Hasis by Heinrich Zimmern in 1899.(訳として)「アトラハシス関連の伝承断片はカルデア人版の創世記(のノア伝承の)説明としてジョ-ジ・スミス(訳注:19世紀活躍のアッシリア学者でギルガメシュ叙事詩翻訳も同男の手になるとされる)によって収集・翻訳され、そこにみる英雄の名は[アトラハシス]とのものであるとの方向に1899年、ドイツ人ハインリヒ・ツィンメルンによって正されることとなった
との現行記述の引用で足りることであろうと思う)。


 以上取り上げたところで、さらに述べておくも、ミルトン以後の19世紀末から20世紀前半にその内容が明るみになったとの、

[『王名表』に見るジウスドラ伝承]
[アトラハシス碑文に見るアトラハシス伝承]

以外にも類似の伝承が存する。メソポタミアにではなくギリシャにも、

[共通の伝承発生源が観念できるところの類似の伝承]

が存するのである。

 すなわち、

デウカリオン洪水伝承](デウカリオンという男がアルカディア人の所業に怒った人類粛清のためのゼウスの洪水から(プロメテウスの忠告によって)生き残り、人類の種を後の世に繋いだとの筋立ての洪水伝承)

というものが存在しており、そちらの方については(きちんと記録に残り続けたものとして)ミルトンが参照していても何らおかしくはないものとなっている。
 先に取り上げた、
[黒海洪水伝承]
を伝えていたとのサモトラケの近縁領域(ギリシャ界隈)の洪水伝承に親和性高いものとしてそちらデウカリオン洪水伝承の方がミルトンの耳に入っていたものであった可能性は「十二分に」ある、というのも、ローマ時代のオーヴィッドことオヴィディウスがものしたMetamorphoses『変身物語』という著作、その『変身物語』にあってからして[デウカリオン洪水伝承]への言及がなされており、同著『変身物語』が活版印刷にかけられたうえでミルトン「前」時代の英国、その場にて成立を見たシェイクスピア戯曲などにも材源として影響を与えていたとのことは[英文学に本当に詳しい人間]ならばよく知っているようなところだからである ――ローマ期文人オヴィディウスが著したMetamorphoses『変身物語』が後世文物らに与えた影響については英文Wikipedia[ Cultural influence of Metamorphoses ]([『変身物語』の及ぼした文化的影響])と題されてのそれ専門の一項目が設けられているぐらいの通用性が伴ってのこととなる(シェイクスピア戯曲との兼ね合いでは『夏の夜の夢』や『テンペスト』などがオヴィディウス著作の影響下にあることがよく知られている)―― 
 しかし、文人ミルトンも当然に知るところであったと十二分に考えられるそちらギリシャ由来の洪水伝承、デウカリオン洪水伝承より材を取って、ミルトンが『失楽園』の中に

[「蛇に横槍を入れられて」「不死を見失った」人間についての物語]

に[洪水伝承]の比喩を入れ込んだとは考え「られない」ところである。
 というのも、デウカリオンの洪水伝説「にも」問題となる要素、『ギルガメシュ叙事詩』のウトナピシュテムの物語に見るような
[蛇による不死の略奪]
との筋立ては含まれて「いない」からである。
 その点、[デウカリオン洪水伝承]とは
[アルカディアの地の住人の狼藉に激怒したゼウスが大洪水を起こして人類粛清をなそうとしたのをプロメテウスの助力でデウカリオンらだけが命をつなぎとめた(方舟を建造して生物をその中に満載して未曾有の大難を切り抜け、命の種を次代に繋ぎ止めた)]
との伝承であり、そこに[蛇による不死の略奪]との筋立ては反映されて「いない」のである ――和文ウィキペディア[デウカリオン]項目にて(引用するところとして)リュカーオーンの息子たちは22名とも50名ともいうが、その悪行の噂はオリンポス山にも知れ渡っていた。ゼウスは貧しい旅人に身をやつしてリュカーオーンの息子たちのもとを訪れた。彼らは旅人に臓物入りのスープをすすめたが、スープには、羊や山羊の臓物だけでなく、彼らの兄弟の一人ニュクティーモスの腸が混ぜてあった。ゼウスはこれを見破ってリュカーオーンの息子たちを狼の姿に変え、ニュクティーモスだけは生き返らせたという。別説では、息子たちが殺したのはニュクティーモスではなく土地の少年であり、ニュクティーモスが生き残ったのは、ガイアがゼウスを止めたからであるという。ゼウスはこれらのことで人間に嫌気がさし、絶滅させてしまおうと、地上に大洪水を起こした。南風とともに豪雨が起こり、恐ろしい速さで海の水かさが増した。沿岸や平野にあるすべての都市が流され、世界はわずかな山の頂以外は水浸しとなった。しかし、デウカリオーンは父プロメーテウスから警告を受けていたので、いち早く方舟を作って食料を積み込み、妻ピュラーとともに乗り込んでいた(引用部はここまでとする)と記載されているとおりのよく知られた伝承である―― 。

 ここまでにてミルトンがギルガメシュ叙事詩と同様に内容を把握することができなかったろう[ジウスドラ伝承][アトラハシス伝承]は無視すべきであるミルトンがその内容を把握しえたとも十二分にとらえられるものの内容の不一致性より[ギリシャのデウカリオン洪水伝承]「も」同様に無視すべきであるとの話をなした。

 そのうえで、エウセビオス経由の洪水伝承(先述したところの[クロノス神の王に対する警告]を内容としているとの洪水伝承)と直近言及の洪水伝承らを除き、顧慮に値する洪水伝承は存在しない ――ゲルマン神話にあっても巨人ユミル死骸をオーディンらが解体して血潮による世界創世の洪水を引き起こしたなどともされるが、あるいは、ヘブライ語伝承にて神への叛逆天使らグリゴリらが地上人と交わって造りだした巨人らネフィリムが洪水で滅せられたとも伝わりもする(ノア伝承の亜種)がそうしたものらも諸共、[一致性の不備]から顧慮に値しない―― と解されるようになってもいること、強調しておきたい (:[対象が「ない」]との否定的事実を指し示すのは([あるかも「しれない」]とのことを含めての)[否定の事実の指し示し対象の広さ]から[悪魔の証明]などと呼ばれるぐらいに指し示しが困難なることが知られているが、といった側面につながりうるところにて「他にめぼしい伝承はない」と強調をなせるだけの資格、十全十二分なる識見というものをこの身が保有しているのか疑念符を付けたいとの向きもあるかもしれない。だから書いておくが、(翩々へんぺんたる才子ぶったやりようをとかく忌み、「浅学非才」「愚見」を強調するのも日本なりの美風であるとのことを敢えて忘れもしての話として)、当該領域についても色々と調べて見識を深めた(中国に伝わる蛇の神・伏儀らに結節するところの洪水伝承の調査を入り口に色々と調べて識見を深めた)者としての筆者がジェイムズ・フレイザーが著した Folk-lore in the Old Testament: Studies in Comparative Religion, Legend and Lawとの著作にての洪水伝承絡みのパート(抄訳版も国内にて出されているとのパート)の原著および訳書よりの原文引用を本稿ここまでの段で適宜なしてきただけの識見を蔵してもいるとのこと、何卒、忘れないでいただきたい)。

 以上より述べられることは ――多分にくどくも繰り返しての話とはなるが―― 次のようなことである。

ジョン・ミルトンの『失楽園』の特定部パート ――罪と死が人間に襲いかかることになったとのプロセスを描いての部―― は、

[洪水伝承との関連性「も」が観念されるとの(トロイア界隈通路構築への)言及をなしているとの側面] (すなわち、ボスポラス海峡のゼロからの構築とワンセットの黒海洪水伝承・黒海洪水仮説の舞台たるトロイア近傍にまつわるところでボスポラス・ダーダネルス近辺[通過][通路構築]に対する多重的言及をなしているとの側面]/[トロイア攻囲勢たるギリシャ勢の過半が洪水に飲まれたとの(『トロイア戦記』に見る)末路をミクロ・スケールのありようとして呈しているとの(ホメロス伝承の中の)[オデュッセウス一行の渦潮の怪物カリュブディスとの遭遇の部]に対する言及をなしている側面]
[蛇による不死の争奪のエピソードを描いているとの側面]

との観点で『ギルガメシュ叙事詩』(の洪水伝説を収めた11番目の碑文)に特有のストーリーに見る、

[神の粛正を生き残った男(ウトナピシュテム;洪水を引き起こしもし、人間の不死化を厭いもした神の一柱の反対があったものの不死化された存在)の洪水伝承にまつわるエピソードとしての側面]
[蛇による不死の争奪のエピソードを描いているとの側面]

と ―そも、時期的に類似の要素の参照・被参照の関係が想起されるところではない(先述)との[奇怪なかたち]でながら― 接合性が「観念される」ところのものとなっている。

 そう、聖書『創世記』、[知恵の具備と不死化の両立を厭うた神によるアダムとイブのエデンの園からの追放]や[ノアの方舟と人類に対する神の粛正]が描かれているとの聖書『創世記』の内容に通ずるところで接合性が観念される」ところである(:ここにては『上にあっての『失楽園』にあっての洪水伝承にまつわる側面というものに穿ちすぎな風が感じられなくもない』と見られるようなところがいまだ払拭されていないとの観点から[「観念される」ところであるとの言いまわしを用いているわけだが、そちら[「観念される」ところであるとの言いまわしが[ヘラクレス第11功業に見る黄金の林檎関連のエピソードとエデンの園での誘惑との多重的接合性]および[同じくものヘラクレス第11功業とギルガメシュ伝承の多重的接合性]の指し示しでもってそれ([「観念される」ところである)では済まされないとのもの、関係性の環の密なることから恣意の賜物であろうと「見ざるをえない」]とのものたることを示さんというのが本稿の後の段の流れともなる ――ここでは「前段階として」[「観念される」ところである]との表現を用いているにすぎない―― )

 筆者の上の申しようについて[奇怪性]を完全に否定せんとする、完全に[的外れである]と理知的・理性的に、理の白刃にて一刀の下に叩き伏せんとする向きは反対論拠、そう、たとえば、「全てはミルトンの人間レベルの知識の幅の問題で済まされる」といった論拠を呈示するうえで

[隠れた[動因]]

の介在を顧慮しなければならないとのことになるだろう([動因]との語については辞書に載せられているように[ある物事を「直接的に」引き起こすもの]との意味合いで用いている ――といった[隠れた[動因]]の介在を想起せずに「偶然であろう」と言下に否定するのは理知的・理性的やりようではないうえ、筆者の方より追加の具体的論拠が呈示されるとき(事実これよりそうする)にあってそうしたやりようをとることは一層もって愚人・狂人の挙の如くものにすぎないとのことになるとのこと、強調しておきたい―― )。

 そちら、議論の帰趨を決する、[ただの偶然である]といった論法をごり押しするようなやりよう(完全にではなく、不完全なる反駁にしかならぬとのやりよう)などなす必要もなかろうとのかたちで決するとの

[隠れた[動因]]

というものは筆者の指摘のありよう・やりようを「不適切」として完全に斥けたい者にとって摘示が必要であろうとのものであるのと同時に、また、筆者サイドよりも別のかたちで摘示する必要があると見ているものである(筆者としても自身の指摘に[偶然であろう]との言い分で逃げを打たれる余地があるのは望ましくはないと考えているのでそうした論理の成立を許さぬだけの[動因]の呈示が必要と判じている)のだが、そちら大別すると次のようなところとなるものである。

[[未発見の古典]あるいは[発見されているも本稿筆者が識見不足より言及しそこねている古典]に対するミルトンの把握があった] (:筆者の指摘を的外れとして斥けたい向きが材料呈示すべきであろうところの動因

[ミルトンの伝承理解「以外」の他のことが(関係性の環を描かせしめるとの格好で)不可解に作用していると指し示せるだけの根拠がある] (:筆者の方が問題ありようについてなんら言い逃れを許さぬ式での訴求をなすために呈示する必要があると判じているところの動因

 につき、後者、[ミルトンの伝承理解以外の他のことが作用していると述べるだけの根拠]としての[隠れた[動因]](ここまで言及なしていなかった[物事を直接的に引き起こしている力学]の片鱗を示す材料)が存在しているとのことの摘示でもって
[尋常一様ならざる側面がそこにある]
とのことを指し示すことに本稿ではこれより注力する (事前に断っておくも、その尋常一様ならざる側面の指し示し最終的には[[ギルガメシュ叙事詩にての洪水伝承]と[ヘラクレス11功業の黄金の林檎の探索の物語の多重的接合関係]]に向けて展開していくとの指し示しは従前の内容の振り返り・整理の部も含めて「相当長いもの」ともなる) 。

 前のページへ〔PREVIOUS PAGE〕     次のページへ〔NEXT PAGE〕


これよりの証示の内容に関わるところの[布石]の部として

 つい最前の段にて

[カリ・ユガに見る数値規則とバビロニア洪水説話に見る数値規則(432000とのユニーク・ナンバーが[年]との単位系を同一にして登場してくるとの数値規則)に際立っての一致性がみとめられること]

に注意を向けもした。そのことにまつわっての「さらにもって脇に逸れての」別枠付記の部をここに設けておくこととする。

 とっかかりとして下の図解部をご覧いただきたい。

 呈示の図らは[ローマの神格サトルナスSaturnus](英語表記サターンSaturn])および[時の神クロノスChronos]とが結びつけられていることを強調し、そして、彼ら[サトルナス]および[クロノス]が

[死と時間の象徴]([作物の収穫と命の刈り取りと結びつく鎌][砂時計])

と往々にして結びつけられていることを示すためのものとなる。

 まずもってして上掲図にあっての[上の段]にて挙げている図らの出所と概要の紹介をなすこととするが、それら図らは左右とも英文Wikipediaの[Saturn (mythology)]項目 ―[サターン(神話)]項目― に現行もって記載されているとのものとなり、左側(の図)の方が
16世紀頃に製作された(とのことである)ローマの豊穣の神サトルナスを描いたものとして(当該の英文ウィキペディア項目にあって)紹介されている版画
となり、対して、右側(の図)の方が
[18世紀から19世紀に活動したロシア人画家である Ivan Akimovとの人物の手になる1802年製作の Saturn Cutting off Cupid’s Wings with a Scythe『キューピッドの羽を鎌で刈り取るサターン神』との題の画]
となる。
 以上、上の段の図葉らでもってからして[ローマのサターン(サトルナス)神]が[羽が生えた鎌持つ老人]との似姿で描かれることはお分かりいただけることか、とは思うが Saturn Cutting off Cupid’s Wings with a Scytheとの画題でまさにそうした似姿のサトルナスを描く絵画が存在している)、そうもしたサターンの似姿、[羽が生えた鎌持つ老人]は
[時の翁 Father Time
との名で欧米圏にて認知されている[[時間]の体現存在の似姿]そのものの似姿「でも」ある。
 そのことを示すために挙げもしたのが上掲図にあっての下の段の図である。そちら図の出所も同文に目につくところとしての英文Wikipedia[ Father Time ]項目([時の翁]項目)に掲載されての図、
ワシントンDCにての議会図書館(ライブラリ・オブ・コングレス;日本の国会図書館の米国版で世界最大の図書館)の存するジェファーソン・ビルディングに敷設のジョン・フラナガンという19世紀美術家の手になる[時計]に供されての像
となる(:表記の[時の翁]の米国議会図書館敷設の時計に見る像については英文Wikipedia[ Father Time ]項目、 Father Time is the anthropomorphized depiction of time. [ . . . ] Father Time is usually depicted as an elderly bearded man, dressed in a robe and carrying a scythe and an hourglass or other timekeeping device (which represents time's constant one-way movement, and more generally and abstractly, entropy). This image derives from several sources, including the Grim Reaper and Cronus, the Greek Titan of human time, reaping and calendars, or The Lord of Time.(訳として)「時の翁(ファーザー・タイム)は時の擬人化存在である。時の翁は通例、ローブを纏い、鎌と砂時計、そして、あるいはもの他の時間計測用具(時間が一方向的なものであること、より包括的・抽象的な式ではエントロピー(の増大)それそのものを示すもの)を手に持った姿で描かれる。この[時の翁]の似姿ありようはいくつかの材源、[グリム・リーパー(死神)]および[人間の時間を司る大いなるギリシャのタイタンであるクロノス]、[刈り取りと暦]、言うならば、[時の君主]との材に由来するものである」との説明にてはじまる同Wikipedia[ Father Time ]項目にあって Detail of Father Time in the Rotunda Clock (1896) by John Flanagan, Library of Congress Thomas Jefferson Building, Washington, D.Cと紹介されているものでもある)
 上掲図の一目もってしての検討でお分かりいただけることかとは思うが、時の体現存在、[[命と時間を刈り取る鎌]と[砂時計]を手に持っている時の翁(ファーザー・タイム)]が[ローマのサターン]の描画形態そのものの格好をまさしくも呈している(とのことがある)。

 直上図解部でもってして神話にまつわる一般教養に毛が生えた程度の問題として、
[[ローマの神サターン](サトルナス)と[時の体現存在](ギリシャの時の神クロノスとほぼ同じくもの存在)との接合傾向がある]
とのことが堅い話であること、ご理解いただけたか、とは思う。

 では、何故、直上図解部が如きことをくだくだと紹介なしたのか。検討なさんとするとの意欲がなければ、そも、このような解説にまで目を向けまいかと思うので、読み手たる向きの[理解]は早いかとは思うが、一義的にはそれは先立って言及なした

[[カリ・ユガ]と[クロノス(ローマにてのサトルナス)登場のバビロニア由来の洪水伝承として欧州にて伝わっているエウセビオス資料]の奇怪なる一致性の問題] (432000との6桁の[「実にもっても」のユニーク・ナンバー]にまつわる一致性

に関わるがゆえである、だが、より根本なるところとしては

「この世界の[偽物としてのありよう]に同文のことが根本から関わるように見える」

のみならず

「この世界の[結末の付け方]にも同文のことが関わっている節がある」

とのことに関わる(と判じざるをえない)とのことがあるからである。

 にまつわっては下のA.およびB.の解説を順々に検討いただければ理解なしていただけるであろう。

 フリーメーソンの外部の人間、しかも、非事情通にはおよそ識られているようなことではないが(本稿筆者もフリーメーソンの外部の人間だが、色々と思うところがあって彼らのことを精査していくなかで事情には多少、詳しくもなった[つもり]ではある)、彼らフリーメーソンには[命を刈り取る鎌][砂時計][髑髏]を彼らの[瞑想の根本]と結びつけるカルチャーがある確として根深くもある

 フリーメーソンにあっての

[沈思熟考の部屋](英語表記は Chamber of Reflectionとなる)

とのかたちで【イニシエーション】の局面なども込みで利用されている空間、そして、彼らの位階シンボルは

命を刈り取る鎌][砂時計][髑髏

と濃密に結びつけられているとのことがあるからである(:無慈悲なる刈り取り手たる[グリム・リーパー;死神][時の翁][サトルナス]の象徴そのものとメーソンの象徴体系は結びつけられている ――フリーメーソンが[瞑想の部屋]や[位階シンボル]にいかように[命を刈り取る鎌][砂時計][髑髏]を用いているかは、そう、皮相的な解説から深いところの解説まで Chamber of Reflection Weeping Virginといったキーワードで検索なして表示されてくる英語媒体などを参照することでよく理解いただけることか、とは思う (:ただし、[相応の者達ら](質的に狂っているか頭の具合が過度によろしくはないかのどちらかであるとのことらをそれらばかりが目立つように撒布している(似非)神秘主義者や同文にシステムが好むような情報操作個体ら)の手仕事として[賢き向き・真摯誠実を求む向きには軽侮反応しかきたさぬように調整されている節ある煙幕]ばかりしか出てこない日本語のオンライン上情報(正確には情報未満のジャンクら)は度外視してそうも述べる)―― )

 さて、フリーメーソンにはサタン崇拝(サトルナスことサターン崇拝ではなく[悪魔の王]たるサタンの崇拝)の陰謀「論」 Conspiracy Theoryがつきまとっている(頭の具合もよろしくはない、人間的気風もよろしくはないとの陰謀論者の言辞ばかりが目立つがゆえに[陰謀「論」がつきまとっている]とここでは表している)。 
 本稿の後の段で詳説することになるが、フリーメーソン自身は

「自分達の神は[グレート・アーキテクト・オブ・ユニバース]( Great Architect of UniverseことGAOTOU)であってサタンでもなければ、ルシファーでもない」

と強弁し、彼ら自身、―自己欺瞞の問題もあってか― そうした論法を信じきっている節もあるのだが、ここではきと述べ、フリーメーソンの枢要な象徴がそれ絡みの象徴「とも」なっているとのローマの神サターン(サトルナス)は現実に悪魔の王サタンと結びつく、純・記号論的に次の観点(i.からiv.と分けても呈示していく観点)から悪魔の王サタンと結びつく存在であるとのことが「ある」 (勘違いいただきたくはないのだが、ここでは「フリーメーソンは悪魔崇拝団体である」などとの陰謀論を鼓吹・主張したいの「ではない」。「問題は、」質的・記号論的にそうも表せられるようになっているとのことであり、そして、そうしたかたちで人間操作がなされているところの背景・背面にある意図が奈辺にあるかとのことである)。

(以下、何故、サトルナスが悪魔の王のサタンと結びつくのかの理由をi.からiv.と振って順々に挙げていく)

i.ローマのサトルナスに対する英語呼称サターンSaturnと悪魔の王の英語呼称サタンは綴り・響きの面から近しいところがある(読み手たる貴殿が[サターン](日本にてはテレビゲーム産業のやりようとしてゲーム機の名前にも用いられているサトルナスによって象徴されてきた天体、[土星]の呼称でもある)および[サタン]との名詞を耳にしてそれらが響きとして近くはないというのならば、そうとらえればいいが、とにかくも両者の[響き]が近しいと述べることになんら無理はない)。

ii.[冬至]の折、現代社会にてはキリスト降誕祭、要するに、クリスマスと呼称される行事が執り行われているその[冬至]の折にてローマ時代、[サトルナリアSaturnalia]との祭りが催されていたとのことが知られている(については和文ウィキペディア[サートゥルナーリア祭]項目や英文Wikipedia[Saturnalia]項目程度のものでもかなり込み入っての解説がなされているところとなる ――ちなみにサートゥルナーリア祭では主従転倒、大量の奴隷に支えられての社会構造となっていたローマにて主人が奴隷に礼儀を尽くすとの慣行が見られたとされるが、それはフリーメーソンの理念と一般的に鼓吹されていもするもの、[自由]・[平等]・[友愛]に相通ずる慣行でもあると言えなくもなかろう―― )。
 ここで臆面もなく言及するが、何故なのか、著名な複数絵画を接合させて見ることで
冬至にて祝祭が実施されるキリスト降誕](サトルナリア祭が行われていた[冬至]にてクリスマスと呼ばれる祝祭行事が今日実施されているとのキリスト降誕

黙示録の悪魔の王(七つの頭を持つ赤い竜)のにじりより
の構図がそのままにオーバーラップするようになっている
とのことが「ある」 ――本稿を公開しているサイトの一(現行、どういうわけなのか、「極めて」表示されにくくもなっており、また、さして閲覧されている節もないとのサイト)でも細かくも解説しているが、具体的には美術史にあって著名なる15世紀の画家である Filippo Lippi(フィリッポ・リッピ)の Adoration in the Forestとの画題の絵画(現行、英文のWikipediaにあっては同絵画のためだけの一項目が設けられているとのかなり有名な絵画)に見る構図彼なくして欧州美術史は語れないといったほどに著名なる15世紀末から16世紀初頭にかけての版画芸術の巨匠アルブレヒト・デューラーの手になる版画[黙示録]シリーズの一葉を重ね合わせることで[キリスト誕生を祝う聖母マリアの構図][黙示録にて悪魔の王がにじりよってくる構図]がオーバーラップするようになっているとのことが「ある」(下の段に、にまつわっての図解も付しておくこととする)―― 。

 そうもして
[赤い竜との形態をとる悪魔の王のにじみより]
と視覚的に歴史的絵画の中で対応するように「させられている」(解説図は下に挙げるが、とにかくも、そうも「させられている」)とのキリスト降誕の折、降誕際たるクリスマス ――赤い竜との描写が聖書・黙示録にてなされている[サタン]のアナグラム(綴り入れ替えことば)としても成立している[サンタ]なる存在が来訪するなどとの[設定]が付されての行事でもある―― は本来的には異教の祭、
[サターン神に捧げるものとしてのサトルナリア祭]
のキリスト教サイドによる習合・踏襲がなされて今日にあって実施されているものであると広くも指摘されているものとなっている

(:例えば、本稿執筆時現行時点では和文ウィキペディア[サートゥルナーリア祭]項目にての[クリスマスとの関係]の節にて次のような記載がなされているところとなる→(以下、引用なすとして)紀元1世紀ごろの初期のキリスト教徒がイエス・キリストの誕生日を知っていたという歴史的証拠はない。実際、当時のユダヤ人の法律や慣習では、誕生日は全く記録されなかったと見られている。 World Book Encyclopedia(第3巻、p416)によれば、初期のキリスト教徒は誕生日を祝う習慣は異教徒のものだと見なしていた。実際イエスが自分の生涯について何らかの記念に類することを命じたのは、死に際してのことだけだった(ルカによる福音書、22:19)。クリスマスに類する祝祭が初めて記録に見られるようになるのは、イエス・キリストの死後数百年後のことである。…(中略)…この祝祭には現代のクリスマスと同様に贈り物をしたりご馳走を食べる習慣があった(引用部はここまでとする)。また、同じくもの極めて基本的かつ目につくところとして英文Wikipedia[Saturnalia]項目にての[ Influence on Christmas ]の節には次のような記載がなされているところとなる→(以下、引用なすとして) A number of scholars, including historian David Stephens from the University of Central Florida and Professor Parker-Ducharme from Tulane University, view aspects of the Saturnalia festival as the origin of some later Christmas customs, particularly the practice of gift giving, which was suppressed by the Catholic Church during the Middle Ages.] (訳として)「セントラルフロリダ大の歴史家 David Stephensおよびトゥレイン大の Parker-Ducharmeを含めての一群の学者らがサトルナリア祭が後のクリスマスの習俗の起源となっている、殊に中世の間、カトリック教会に抑圧されていたところの贈り物の授受の実施といった点でクリスマス習俗の起源となっていると見ている」
 表記の如しで「キリスト教の降誕際(クリスマス)のひとつの淵源はサターン神の祝祭であるサトルナリアにあり」とも指摘されている) 。

iii.上のii.の点に加えて、である。キリスト降誕祭としての[冬至]にて実施されるクリスマスがサートゥルナーリア祭と同じくもローマ時代に執り行われていた[ミトラ教]の祭儀よりの習合・踏襲がなされてのものであるとの指摘もがなされていることもあり、そのことがまたサターン(サトルナス)という存在が悪魔の王サタンと結びつくことと関係していると述べられるだけの事由がある。どういうことかと述べれば、 ―先立ってそれにまつわる図をこれより呈示するとも申し述べたわけだが― [[キリストの降誕の画]と[悪魔の王のにじりよりの画]の視覚的対応関係]などが極めて著名な作品らにあって見受けられるとのことがこの世界にはありもし、またもってして、同じくもの不快なる人を食ったような対応関係の環には往古ローマのミトラ教の遺物との接点もがみとめられるとのことまでもが「ある」のだ(それがゆえに繰り返すが、「キリスト降誕祭としての[冬至]にて実施されるクリスマスがサートゥルナーリア祭と同じくもローマ時代に執り行われていた[ミトラ教]の祭儀よりの習合・踏襲がなされてのものでもあるとの指摘がなされていること、そのことがサターン(サトルナス)という存在が悪魔の王サタンと結びつくことの判断に関わる」ことになりもする.詳しくは下に呈示の図解部を参照されたい)。

(:キリスト教の冬至の折の祭り(クリスマス)と往古ローマのミトラ教祭儀の関係]については極々基本的なところより「それで充分であろう」と判じて引用するが、英文Wikipedia[ Mithras in comparison with other belief systems]項目([ミトラと他の信仰体系の比較]項目)にあっては次のような記載がなされている、多少、[ミトラ教に対するキリスト教の踏襲見解]に批判を呈するようなかたちでながらも次のような記載が「現行」なされている→ It is often stated that Mithras was thought to have been born on December 25. But Beck states that this is not the case. In fact he calls this assertion "that hoariest of 'facts'". He continues: "In truth, the only evidence for it is the celebration of the birthday of Invictus on that date in Calendar of Philocalus. Invictus is of course Sol Invictus, Aurelian's sun god. It does not follow that a different, earlier, and unofficial sun god, Sol Invictus Mithras, was necessarily or even probably, born on that day too." Unusually amongst Roman mystery cults, the mysteries of Mithras had no 'public' face; worship of Mithras was confined to initiates, and they could only undertake such worship in the secrecy of the Mithraeum. Clauss states: "the Mithraic Mysteries had no public ceremonies of its own. The festival of natalis Invicti [Birth of the Unconquerable (Sun)], held on 25 December, was a general festival of the Sun, and by no means specific to the Mysteries of Mithras."(訳として)「ミトラ神はよく12月25日に産まれた(キリスト降誕祭が催される[冬至]の折にて誕生した)とよくも言われている.が、ベック(訳注:英文Wikipediaにて出典表記されている資料の著者となる Roger Beckという人物)は「これは問題にならぬ」という.事実として彼ベックはこのミスラにまつわる世間的断定のありようをして[事実群の中の極めて言い古されたもの]と表している.に続けて、彼ベックは「実際、『フィロカルスの暦』(訳注:4世紀成立とされる装飾写本、 The Chronography of 354にて収録の暦)にあってのインビクタス神の祝祭にまつわる記述にしか(同じくものことの)典拠がない」とも言う.この場合のインビクタスとは無論、(ローマにて崇められていた)アウレリウアヌス帝期の太陽神ソル・インビクタスのことを指す(訳注:アウレリアヌスは3世紀のローマ皇帝であるから、キリスト降誕の折より後の存在とのことでキリスト教降誕祭との一致性は問題にならないとの文脈であろう ――だが、このレトリックには問題がある.というのも、初期キリスト教勢力にて何時、冬至の祭りが祝われ出したのが模糊としており、また、キリスト降誕の日付上の証跡がなんらないことに変わりはなんらないからである―― ). これはソル・インビクタスと異なる、より初期のローマの非正規の太陽神たるソル・インビクタス・ミトラが必ずしも、あるいは、多分の問題として同じくもの日に生まれたとのことに当てはまるところではない.ローマ人の間にあっての秘儀実施カルトの[ミトラ神の密儀]にあっては公的な顔というものがない.ミトラの崇拝は一部の秘儀参入者に限定されており、ミスラ教関連施設(ミスライウム)にての崇拝に限られていたことである.対してクラウス(注記:表記ウィキペディア項目にて出典表記されている著作の著者としての Manfred Claussという人物)は「ミトラ教は何ら公的な祭儀を持っていなかった.冬至の折に催される[征服されざりしところの太陽]に対する祝祭(注記:日照の力が弱化の極を見て、それより回復に転ずるとの一般的な冬至の折柄に対する理解に因るところの祝祭かとは思われる)はミトラ教のそれに固有のものではなくより一般的なものであった」と述べている」(引用部はここまでとする)といったかたちでの解説が現行にては講じられているところとなる)

 繰り返す。
 キリスト教降誕祭がミトラ教祭儀との習合しているとされてきた(この際、どちらが本地(オリジナル)でどちらが垂迹(オリジナルから影響を受けてのもの)かの別は問題ではない)とのその一事がサトルナスと悪魔の王サタンの接合性問題に何故もってして相通ずるのか。

 直上にても委細省きながらも言及したところとして

[美術史にあって著名なる Filippo Lippi(フィリッポ・リッピ)の Adoration in the Forestとの絵画(現行、英文Wikipediaにあって同絵画のためだけの一項目が設けられているとの有名な絵画)に見る構図と著名なるアルブレヒト・デューラーの手になる版画[黙示録]シリーズの一葉を重ね合わせることで[キリスト誕生を祝う聖母マリアの構図]が[黙示録にて悪魔の王が首をもたげてくる構図]がオーバーラップするようになっている]

とのことがあるだけではなく(それ自体からして実にもって[奇っ怪]とのことではある)、ミトラ教遺物(にての神棚のように様式化された構図ととれるもの)を介して

Fra' Filippo Lippi(フライヤー(修道士)たるフィリッポ・リッピ)の15世紀絵画 Adoration in the Forestとの絵画に見る構図(現行、英文Wikipediaにあって同絵画のためだけの一項目が設けられているとの有名な絵画)にて描かれるキリスト降誕の構図が(画家フィリッポ・リッピがそれを目にしていたとは考えがたいとの)[蛇の杖を掲げる異教神ミトラの典型的レリーフ](発掘によって再発見されたレリーフ)と視覚的に重なるようになっている]

とのこと「も」があるからである。そちらもまた本稿を公開することにしたサイトの一 (どういうわけなのか「極めて」検索エンジンに表示されにくくなっており(煮詰める過程でどういう料簡でどういう筋目の輩がそういうことに助力しているのかは不快な広告産業領域に配置された相応の家畜との兼ねあいでおおよそ推し量りがなせるとのありようとなっている)、またもってして、顧みられることもないと判じているとつい先ぞの段で述べもしたとのサイト) にても具体例挙げて解説していることとなりもし、

[[古代ミトラ教の再発見された典型的レリーフ構図にての蛇の杖を掲げる異教神の構図]と[ルネサンス期の著名絵画 Adoration in the Forest]にてみとめられる構図がそのままにオーバーラップするようになっている]

とのことがあるのだ(細かくもは下の図解部を参照されたい)。

【上掲図左】:美術史にあって著名なる15世紀の画家である Filippo Lippi(フィリッポ・リッピ)の Adoration in the Forestとの画題の絵画 (同画、現行、英文のWikipediaにあっては同絵画のためだけの一項目が設けられているとのかなり有名な絵画となる ―英文Wikipedia[ Adoration in the Forest (Lippi) ]項目にあって Adoration in the Forest is a painting completed before 1459 by the Carmelite friar, Filippo Lippi, of the Virgin Mary and the newly born Christ Child lying on the ground, in the unusual setting of a steep, dark, wooded wilderness. It was painted for one of the wealthiest men in Renaissance Florence, the banker Cosimo de Medici. In later times it had a turbulent history. と記載されている画ともなる― )
【上掲図右】:彼なくして欧州美術史は語れないといったほどに著名なる15世紀末から16世紀初頭にかけての版画芸術の巨匠アルブレヒト・デューラーの手になる版画[黙示録]シリーズの一葉。
 以上、呈示の両図像を重ね合わせることで[キリスト誕生を祝う聖母マリアの構図]が[黙示録にて悪魔の王(多頭の竜ないし多頭の蛇であるサタン)がにじりよってくる構図]とオーバーラップするように「なっている」とのことがある。

 英文Wikipedia[ Mithraic mysteries ]項目にも同様のレリーフが呈示されているところの往古ローマ時代にて信仰された異教、ミトラ教の典型的なレリーフ。どれくらい呈示のレリーフが汎用的な構図であったのか、また、そちら発掘されて「再」発見されたとされる遺物が既に15世紀のフィリッポ・リッピ(の作者)やアルブレヒト・デューラー(の作者)の目に入るようなかたちでも「再」発見されていたのか、そして、異教シンボルたる同ミトラ教レリーフをわざわざ模倣してここで取り上げもしている作品ら ―絵画 Adoration in the Forestおよび木版画 the Apocalypse series― を芸術家リッピやデューラーが構築する必要がそもそもあったのかが問題になる。

(問題となる構図上の類似性をまとめもしての図。起点となる視覚的類似性を呈しての[後光が射している神](ミトラ教の神およびローマ帝国滅亡後、それに取って代わったキリスト教の神)を軸にして画中の人物が似たようなセクションに配されている中で【救世主誕生をもたらした処女懐胎のマリア】←→【救世主ににじみよる多頭の爬虫類としてのサタン】/【救世主誕生をもたらした処女懐胎のマリア】←→【絡み合う蛇の杖を掲げるミトラ教の神格】←→【救世主ににじみよる多頭の爬虫類としてのサタン】との構図的類似性が[記録的事実]の問題として見てとれるようになっている)

iv.[冬至]にあってのサートゥルナーリア祭が同神を祝してのものであるとのサトルナス(サターン)は悪魔の王サタンと記号論的に相通ずる側面を有してもいる。
 第一。サターンというのは古代ローマにて[文明の恩人]として崇拝されていた存在である(時間の費消を厭い、極々皮相的なるところから引けば、和文ウィキペディア[サートゥルヌス]項目にて(現行記載内容より引用するところとして)クロノスと同一視された後の神話では、ユーピテルにオリンポスを追放された彼は地上に降り立ち、(サトルナスは)カピトリヌスの丘に一市を建設してイタリアの王となった.そして当時、未開野蛮の民だった人々に農業やブドウの木の剪定などを教え、法を発布して太古の黄金時代を築いたという(文化英雄)(引用部はここまでとする)と記載されているところである)。 他面、サタンをエデンの誘惑の蛇と比定する見解から見れば、また、サタンたるエデンの蛇は人間に[知恵と文明を授けた存在]となりもする。
 第二。サトルナス(サターン)は天の主催神となった神(自らの息子たるゼウス神)との戦いに敗れて[地の奥深くものタルタロスの領域]にて幽閉されていると神話が語る存在である(英文Wikipedia[サートゥルヌス]項目にて(現行記載内容より引用するところとして) In a vast war called the Titanomachy, Zeus and his brothers and sisters, with the help of the Hecatonchires, and Cyclopes, overthrew Cronus and the other Titans. Afterwards, many of the Titans were confined in Tartarus, however, Atlas, Epimetheus, Menoetius, Oceanus and Prometheus were not imprisoned following the Titanomachy. (訳として)「ティタノマキアと呼ばれる規模すさまじい戦争にてゼウスと彼の兄弟姉妹らはヘカトンケイル、サイクロプスらの援助あってタイタン・クロノス(注:ローマにおけるサトルナス)と他のタイタンらを放伐した。結果、多くのタイタンらがタルタロスの領域に繋ぎ止められることになったが、アトラス・エピメテウス・オケアヌス・プロメテウスらはティターノマキアに連座して獄に繋がれることはなかった」と記載されているところである)。 他面、サタンは ―子なる主催神との戦いか父なる主催神との戦いかに差分もあるのだが― 神に敗れて[地の底たる地獄]に幽閉されているとの設定が伴っている悪魔の王である(本稿こここれに至るまで聖書の黙示録にあっての同じくものことにまつわっての記述を引いているとおりである)。

何故、サトルナスが悪魔の王のサタンと結びつくのかとのことの理由にまつわってのi.からiv.と分けもしての部はここまでとする)

 さて、以上の流れからご察しいただけるかとは思うのだが、
[サトルナスの象徴]
と結びつけての組織構築・運営がなされている(先述)とのフリーメーソンに
[サタン崇拝]
にまつわっての陰謀論がつきまとっていることは

(ここまで指摘してきた)
[サトルナスのサタンとの多重的結びつき]

を顧慮してもできすぎている (:だがもってして ―(愚劣な、知的程度が異常異様に低いとの意味で愚劣な虚偽欺瞞を含んでの陰謀論的言辞の撒布者に言論を汚されぬようにとの配慮もあって)繰り返しておくが― 本稿それ自体では「フリーメーソンが悪魔主義陰謀団である」などとの陳腐なる陰謀論(ととられよう話)を唱導・鼓吹しようというわけではない。同じくも繰り返しておくが、「この際、[人形・駒としての範疇に留まっての者達がなにをどう考えているか(できあがった頭で崇拝している気になっているか)]は問題にならない、代わって、どうしてそのようなことがあるのか、そのことが何に通じているかとのことこそが問題になりもする(と強調したい)」) 。

 サターン(土星)を体現し、ギリシャの時の神にも接合するローマのサトルナス神に悪魔の王サタンとの記号論的結びつきがあるとして、である。 

サターンことサトルナスが元来、蛇崇拝の神である、さらに言えば、その延長線上にサタンとつながるアバドンという存在との結びつきがある

との観点がフリーメーソンの成員ともされる向きの手仕事ともされる近代の著作からして(後述するように[他の先賢著作よりの出典明示せじもの剽窃]の臭いも如実に伴うのだが)言及されていることがある。
 下の引用部を参照されたい。

(直下、 Project Guntenbergにて全文公開されている著作 OPHIOLATREIA, OR SERPENT WORSHIP『オフィオラテレイアすなわち蛇崇拝』(1889年に出版されての著作)よりの原文引用をなすとして)

The ancients had a notion that when Saturn devoured his own children, his wife Ops deceived him by substituting a large stone in lieu of one of his sons, which stone was called Abadir.
[ . . . ]
Abadir seems to be a variation of Ob-Adur, and signifies the serpent god Orus. One of these stones, which Saturn was supposed to have swallowed instead of a child, stood, according to Pausanias, at Delphi. It was esteemed very sacred, and used to have libations of wine poured upon it daily; and upon festivals was otherwise honoured. The purport of the above was probably this: it was for a long time a custom to offer children at the altar of Saturn; but in process of time they removed it, and in its room erected a stone pillar, before which they made their vows, and offered sacrifices of another nature. This stone which they thus substituted was called Ab-Adar, from the deity represented by it. The term Ab generally signifies a father, but in this instance it certainly relates to a serpent, which was indifferently styled Ab, Aub, and Ob. Some regard Abadon, or, as it is mentioned in the Book of the Revelation, Abaddon, to have been the name of the same Ophite god, with whose worship the world had been so long infected. He is termed Abaddon, the angel of the bottomless pit-the prince of darkness. In another place he is described as the dragon, that old serpent, which is the devil, and Satan. Hence the learned Heinsius is supposed to be right in the opinion which he has given upon this passage, when he makes Abaddon the same as the serpent Pytho.

(細かくも補いもしての拙訳として)
「古代人らは
[サターン(サトルナス)が我が子らを喰らった折、彼の妻たるオプス神(注:ギリシャ神話にあってのタイタン・クロノスの妻となっているレアー神に対応するローマの大地母神)が彼サトルナス(タイタン・クロノス)をたばかって[石]を子と思わせて子の代わりに食べさせた]
との観点を有している。
・・・(中略)・・・
 そこにみる[石]はAbadirと呼ばれるものとなっている。この場合のAbadirとはOb-Adurの派生語とも受け取られ、そのOb-Adurは(往古の)蛇の神オラスを示すもの「でも」ある。
 サターンが我が子と思って呑み込んだこれら[石]のひとつはパウサニアス(注:ローマ期(2世紀)にあってのギリシャ出身の著名な地理学者/主著は日本語にも訳されて刊行されている Description of Greece『ギリシャ案内記』)によるとデルフィにて存在しているとのことであるそれはとても神聖なるものとして祝されていたものとなり、御神酒(おみき)としてのワインを常日頃注がれ、いざ祭りとなれば、よりもって祝されたものとなっている(とされる)。そのことに鑑みるに、おそらく、サトルナスが呑み込んだとされる[石]がゆえにこのようなことがなされていた(のであろう)。[土星の座として子供らをそこに(生け贄として)供する慣習が長期にあってそこにあった。だが、それを除く過程で彼ら(古代デルポイのギリシャ住人)は別の石の柱を建立し、その前で誓約をなして他の自然の産物を生け贄へ供することとなった。この(サトルナスことギリシャ神クロノスの呑み込んだ石に)代わって建立されることになった石はそれが表象する神に由来するところとして[アブ・アダール(Ab-Adar)]と呼ばれるものだった。そこに見るAbとの語は一般的に[父]を表象するが、この場合にてはおそらく[蛇]、違い乏しくもAbあるいはAubそしてObと表されての蛇に由来するところのものであろう。幾人かの向きはこれをしてアバドン(「Ab」addon)、すなわち、新約聖書にあっての黙示録に登場する長らくも世界がその崇拝風潮に冒されていたとの蛇崇拝の神と同じくもの神の名前ととらえているアバドンとの語を与えられての同存在は闇の皇子、底無しの穴の天使の名となる(訳注:実際に聖書の黙示録9章11節にアバドンという存在が[底無し穴の王]として登場しているとのことがある)別の場所では同存在は竜あるいは古き蛇たる悪魔、サタンとして形容されてきた存在である。そのうえで教養を有していたハインシウス(Heinsius)はアバドンをしてピュトーン(訳注:デルポイで崇められていた蛇の怪異)と同じ存在であるとの意見を呈していたことは正しいのであろうと思われる

(以上、補ってもの訳を付しての引用部とする ―※― )

(※直上引用部にまつわっての「長くもなっての」補足表記として

 表記の著作 OPHIOLATREIA, OR SERPENT WORSHIP、正式名称は極めて詰め込み過ぎの風がある、
Ophiolatreia: an account of the rites and mysteries connected with the origin, rise, and development of serpent worship in various parts of the world, enriched with interesting traditions, and a full description of the celebrated serpent mounds & temples, the whole forming an exposition of one of the phases of phallic, or sex worship
との表題の著作はアマチュアの比較神話学者にして性的文学の挿絵家・著者などをもやっていたとのことが英文Wikipediaにて一項設けられて紹介されている Edward Sellonとの向きになる著作なのか、あるいは、同文にWikipediaに一項設けられて紹介されているFreemasonとして知られていたアマチュアの比較神話学者である Hargrave Jenningsの著作なのか、版権の問題として判然としないとのことがある(望見するに Edward Sellonに由来するオリジナルとなった著作をフリーメーソンの Hargrave Jenningsが前者の死後に(改訂を加えてか)刊行したものと解される)
 そして、著者からして模糊としているとのものであることを差し引いて見て「も」同じくもの著作には問題がある。
 第一点目。同・引用元著作に関しては[蛇崇拝]の多くを古代の男性器崇拝の問題に帰着させ、結局のところ、蛇崇拝にまつわる怪奇性をその程度の問題で説明しきらんとしている側面が如実に伴っており、そこからして自ずとしての限界が透けて見えるとのことがある(穿てば問題を矮小化させるとのそのこと自体が狙いともとれる)
 第二点目。言い様の典拠として歴史的著述家(パウサニアスやハインシウス)の名が同著にては挙げられているのだが、それが果たして文献的事実の問題なのか、情報収集に慣れていないとの一般人には後追い確認しづらいとのことがあり(現代社会でも後追い確認しがたいとのものばかりを典拠にしている節がある)、ゆえに、[調査意欲ある向きにとっても信憑性との点で[曰く言い難い.]と受け取られかねない]とのことが同著にはある("seems" unreliable because of lack of philological evidencesとの問題が伴う)。
 フリーメーソン手仕事とされる表記著作には以上二点の如き欠陥性の介在「も」観念されるのだが、ただしもって、である。表記の著作( OPHIOLATREIA, OR SERPENT WORSHIP )にあってのここで引用なして問題視しているとの、
クロノス(サターン)が自分の子だと思って[石]を喰らっていたその[石]は[Abdir]とも呼ばれ、それは蛇の神Orusの派生語[Ob-Adur]と相通ずる蛇崇拝と結びつくものであるサトルナスが喰らったその[石](Abdir)のひとつはパウサニウスによると(古代ギリシャの)[デルポイの蛇崇拝]の(かつての)御神体と関わるものである→[デルポイの蛇崇拝]の対象となるパイソンについては蛇崇拝・そして、Abとの蛇を意味する言葉を介してアバドンともサタンと相通ずるようになっている(との解釈がなされているし、それは妥当と解される)」
との流れでの記載内容については信憑性との面で重きもって見て然るべきとの側面が伴う。
 他に同じくものことを記載している真っ当な古典が存するとのことがあるからである。につき、(極めて悪質なことに表記著作の中それ自体では出典紹介されて「いない」わけだが)、たとえば、同文に Project Gutenbergより全文ダウンロードできるとの著作である、

A New System or Analysis of Ancient Mythologyとの著述] 同著著者は Jacob Bryant、英文Wikipedia[ Jacob Bryant ]項目表記によると18世紀から19世紀にあって他を逸して屹立していた碩学であったともされる( "the outstanding figure among the mythagogues who flourished in the late eighteenth and early nineteenth centuries"と表記される)神話学を専門にしていた近代スコラ学分野にての大家のヤコブ・ブライアントという人物となる

にあって[ほぼ同文のこと]が記載されているとのことがありもすることが重んずべきこととしてあるのだ(:はきと述べ、ここで問題視していることが表記されての部に関しては著者さえも模糊としている(筆名が用いられているとのことではなく版権・帰属関係すら模糊としている)とのこと、先述した OPHIOLATREIA, OR SERPENT WORSHIPとの著作にあって[出典を挙げないで先賢手仕事となる A New System or Analysis of Ancient Mythology(1807)との著作をそのまま文言大量流用するとの式で[剽窃](plagiarism)をなしている]とのやりようが具現化している.日本の大規模カルトの成員とこれまた同様に[相応の道](何ら自分の頭で考えないとの途)を歩むだけの内面しか有していないと透けて見える、空っぽの多くのフリーメーソンの成員に本質的なところでは本当の創造的・自律的思考など期待しようがないからこそ、多く他より盗み奪うことしかなさぬような筋目の「彼ら」には深く考えることなぞおよそ出来ないからこそ、そうもした団体の成員の輩の手になる(とされる)著述としてそうもなっているのではないかと私的にはとらえているのだが、それは置く)。 
 同じくものことについて
(以下、 Project Gutenbergサイトより全文ダウンロードできるところの A New System or Analysis of Ancient Mythology Vol.II.(1807)にての OB, OUB, PYTHO, SIVE DE OPHIOLATRIAにての節より引用なすところとして)
But Ops, and Opis, represented here as a feminine, was the serpent Deity, and Abadir is the same personage under a different denomination. [464]Abadir Deus est; et hoc nomine lapis ille, quem Saturnus dicitur devorasse pro Jove, quem Græci βαιτυλον vocant.—Abdir quoque et Abadir βαιτυλος. Abadir seems to be a variation of Ob-Adur, and signifies the serpent God Orus. One of these stones, which Saturn was supposed to have swallowed instead of a child, stood, according to [465]Pausanias, at Delphi. It was esteemed very sacred, and used to have libations of wine poured upon it daily; and upon festivals was otherwise honoured. The purport of the above history I imagine to have been this. It was for a long time a custom to offer children at the altar of Saturn: but in process of time they removed it, and in its room erected a στυλος, or stone pillar; before which they made their vows, and offered sacrifices of another nature. This stone, which they thus substituted, was called Ab-Adar, from the Deity represented by it. The term Ab generally signifies a [466]father: but, in this instance, it certainly relates to a serpent, which was indifferently styled Ab, Aub, and [467]Ob. I take Abadon, or, as it is mentioned in the Revelations, Abaddon, to have been the name of the same Ophite God, with whose worship the world had been so long infected. He is termed by the Evangelist [468]Αβαδδων, τον Αγγελον της Αβυσσου, the angel of the bottomless pit; that is, the prince of darkness. In another place he is described as the dragon, that old serpent, which is the devil, and Satan. Hence I think, that the learned Heinsius is very right in the opinion, which he has given upon this passage; when he makes Abaddon the same as the serpent Pytho. [469

との式での[ほぼ同文のこと]が
[事細かな典拠]
を挙げながらも遙かに真っ当な著述 ―神話学の大家にして近代スコラ学の大家とされるヤコブ・ブライアントの著述― に典拠付で解説されている([464]から[469]は[ギリシャ語表記の事細かな典拠(Source)の紹介番号となる)とのことがある(ことまで筆者の方で調査して特定しているところとしてある.ただし、以上引用部については即時訳に面倒が伴う、時間の費消に過ぎると判じたために「先にての OPHIOLATREIA, OR SERPENT WORSHIPよりの引用部とほぼ同文のことが記載されているところの」表記引用部に対する訳は付さないこととする)
 また、語るに足りる真っ当な読み手が後追い確認するとの可能性も微々たるものとしてながらあるかとも顧慮しながら述べておくが、意図してそこよりの引用をなしているとの問題著作 OPHIOLATREIA, OR SERPENT WORSHIPにあっては
[アレクサンダー大王の母オリュンピアスが蛇崇拝の中、蛇と乱交するとの凄まじい儀式を行っていた]
とのことにまつわっての微に入っての表記など「も」他になされている(そちらはスコラ学大家たるヤコブ・ブライアント著述よりの剽窃ではない)。 その点、この世界ではといったことからして、 ―信じがたい話と向きによっては考えるだろうも― ある程度、信用に値する、すくなくとも、文献的典拠を伴っている記述であると後追いできるものとなっている(について「も」 OPHIOLATREIA, OR SERPENT WORSHIPそれ自体には出典表記が十全になされていないから疑義が生じるのだが、それはこの際、問題にならない)。 その点、メデューサないしゴルゴンの顔が描かれた鎧を纏(まと)ってのアケメイネージャン・ペルージャ、ペルシャ帝国(のダレイオス3世)との戦い(ガルガメラの戦い)の遺物などが今日に遺っているアレキサンダー大王ことアレクサンドロス3世の母オリュンピアスが(ディオソニス崇拝のカルトにそういう信仰形態があるとされるなかで)[蛇と契っていた]などとされることは比較的知られているところとなり(英文Wikipediaなどにもすぐに確認できるところとしてアレギザンダー・ザ・グレートの母オリュンピアスが下半身蛇に変じてのゼウスと交わろうとしているとの厭な臭いがする淫猥なる16世紀絵画などが挙げられていたりする) 、同じくものことについては、たとえば、戦前期日本の知的巨人、南方熊楠などもそれ絡みの[派生伝承]につき解説していることもある。につき、現況、青空文庫を介して全文オンライン上にて公開されているとの熊楠の手になる『十二支考 蛇に関する民俗と伝説』にあっては(以下、引用するところとして)蛇が人に化けた例は諸国甚だ多く、何のために化けたかと問うと、多くは『平家物語』の緒方家の由緒通り、人と情交を結ばんとしてである。また人が蛇に化けて所願を遂げた例もありて、トランスカウカシアの昔話に、アレキサンダー大王はその実偉い術士の子だった。この術士常にマケドニア王フィリポスの后オリムピアスを覬覦(きゆ)したがその間を得ず、しかるに王軍行して、后哀しみ懐(おも)う事切なるに乗じ、御望みなら王が一夜還るよう修法(しゅほう)してあげるが、蛇の形で還っても構わぬか、人の形ではとてもならぬ事と啓(もう)すと、ただ一度逢わば満足で、蛇はおろかわが夫が真実還ってくれるなら、糞蛆(せっちむし)の形でもこちゃ厭(いと)やせぬと来た。得たり賢し善は急げと、術士得意の左道を以て自ら蛇に化けて一夜を后と偕(とも)に過ごし、同時に陣中にある王に蛇となって后に遇う夢を見せた。軍(いくさ)果て王いよいよ還ると后既に娠(はら)めり。王怪しんでこれを刑せんとす。后いわく、爾々(しかじか)の夜王は蛇となって妾と会えりと。聞いてびっくり苅萱道心(かるかやどうしん)なら、妻妾の髪が蛇となって闘うを見て発心したのだが、この王は自分が蛇となった前夜の夢を憶い出して奇遇に呆れ、后を宥(ゆる)してまた問わず(引用部はここまでとする)と同じくものことについて実に細かくも書かれているとのことがある(以上引用なした熊楠書籍に見る文語記載を現代語に訳して紹介することは煩瑣なのでなさない。また、要らぬところでさらにもって脱線する風があるが、[女性が蛇と契る]などとのグロテスクな行為態様については拙著 (自分で思考もできなかろう奴原であろうと見立てている下らぬ連中らの[剽窃]に遭うなどしながら望ましくもの商業出版が妨げられたと「私事ながらもの要らぬところでありつつも」一言申し添えたいとの拙著でもある) の執筆にあたり手前がかつてその内容を検討精読したとの著作、草莽の民俗学者の吉野裕子女史(物故者)の手になる『蛇』(講談社学術文庫)にも[日本にての巫女儀礼にも当てはまる]との記述がなされているところともなる))。
 とにかくも、である。ここにて指摘している、
[学者といった筋目の人間からは後ろ指を指されようとの OPHIOLATREIA, OR SERPENT WORSHIP『オフィオラテレイアすなわち蛇崇拝』との著作に伴う欠陥性]
を顧慮したうえでも直上、引用なしたところの書かれよう ―(クロノス神転じての)サターン神にはデルポイ蛇崇拝を介してのアバドンやサタンとの接合性が観念されもするようになっているとの書かれよう― については【古文献・古人の言及がなされていることである】【古代の習俗習慣に関わる】との意では信憑性が伴うとのの旨、再度もってして強調しておく(ヤコブ・ブライアントというスコラ学者による19世紀初頭刊行の他著作 A New System or Analysis of Ancient Mythology Vol.II.におけるより希臘語文献の事細かな出典が挙げられてのほぼ同文の書かれようから「ある程度信憑性が担保されているところであろう」と判じられるとのことである))

 直上、引用部にまつわっての補足表記が長くもなったが、蛇崇拝関連著作よりの引用部にみとめられることより問題になるのは

「サターンことサトルナス(の吐きだしたその象徴たる石)が蛇崇拝の思潮と結びつくとの指摘、かつ、そのサターン・サトルナス(に由来する石)にまつわっての[蛇崇拝の思潮](デルポイにて実施されていた蛇崇拝の思潮)が ―デルポイの蛇崇拝とアバドンという黙示録登場の悪魔との接合性などあって― [サタン]と結びつくとの指摘までもがなされていた」

とのことである(ローマの土星の体現神格サターンが悪魔の王サタンと結びつくとの指摘はまったくもって見受けられないのだが、表記の引用部にあってはそのことに通ずることが異彩を放つところとして言及されている)。

 上のような引用部にみとめられもする観点については ―同じくものことがいかほどまでに一般性を有しているのかには疑義もある中でながらも、そして、キリスト教的思考法にどっぷり首まで浸った向きらによる古代ギリシャの神らを悪魔の類と結びつけようとする意図が介在している可能性も否定しきれはしない中ながらも― 「はきと言える」ことがある。そう、同観点が(ここB.の段に入る前に)A.の段にて挙げていたi.からiv.のことら ―(ローマ神格サトルナス(サターン)と悪魔の王サタンの間の(明示的繋がり合いではない中ながらもの)視覚的繋がり合いについて解説してきたとのi.からiv.のことら)― とぴたりと符合するようになっている、「各々、別側面にて成立している」ことながらも[ぴたりと符合するようになっている]とのことが「はきと述べられる」ようになっているとのこと、そのことが問題になるのだAの段、i.からiv.にて言及してきたことと直上までにて引用してきたことは根拠の面で完全に別個のものとして成り立っているわけであるが、帰結の面では符合している
 従って、たかだかものその程度のことからして「よりもって」多角的にサターンことサトルナスと悪魔の王サタンの間の繋がり合いが観念されることにあいなる(と述べても当然に差し障りなかろうとのことになりもする)。そして、[サタンに比定される蛇によるエデンの誘惑]のプロセスがいかようにして[洪水伝承]と接合しているのか、そのことを仔細に解説しようというのが本稿これ以降の段の流れとなる。

 仮に(この段階ではまだ便宜的に「仮に」付きでの表記をなす)[サタンに比定される蛇によるエデンの誘惑]のプロセスが多角的に[洪水伝承]と接合しているとのことがあるのならば、である。クロノス神、すなわち、サタンとの接続性について直上の段まで言及なしてきたとのサトルナスのギリシャ版たるクノロスがバビロニア洪水伝承に登場している ―カリ・ユガのピリオドでもある【終末と結びつけられてのユニーク・ナンバー432000】とのぴたりとしての一致性が問題になるとのところで登場している― とのその記録的事実からして極めて問題になることになる(:【サタン】とは終末をもたらす存在と聖書に規定されており、またもってして、その【サタン】にまつわる諸描写が ―せんだってより詳述してきたところとして― 【特定古典「ら」に見るブラックホール相似形描写】や【洪水伝承のアトランティス(このアトランティスもブラックホールと通じている)とも多重的に接合しているトロイア崩壊の寓意】と「濃厚に」「奇怪極まりない式で」通じているとのことが「ある」からである)

 筆者のような人間をして(現実とは逆に)[悪魔の如き存在の従僕]とでもしたい、看做させしめたいといった按配の手合いや力学ならば、その意味をついぞ適正に判じない、あるいは、判じさせないとの相応の努力をなす(e.g.ここでの話をも彼ら由来の[偽りだらけの陰謀「論」]や[反対話法]に挿げ替えんとする)こととなると見るが、記録的事実としてそこにあることは「これ重篤.」としか表しようがないことに通ずる。
 についてはまずもって[偶然か否かの問題]で偶然とは思えないとのことがある(ただし強調しておくが、偶然か否かの判断は複線的なる証拠の顧慮でもってなすべきであろう)。 そして、次いで、証拠を重んじる科学的精神が偶然とは判断できない、反面、そこに[恣意]の問題 ――この際、それが人間業とは思えない操作の片鱗を感じさせるものであるかどうかはそちら[恣意]に関しては顧慮しないこととする―― が介在していると判断せざるえないとの中でその[恣意]の行き着く方向性が憂慮されるところとなりもし、ここでの話に関しては同じくもの伝で行き着く方向性が我々人類という種族に対する根深い詐害意図と絶滅戦争の完遂の身内間意思表示(のようなもの)と結びついていると判じられるだけの事由ら・要素らが山積しているとのことがある(実際にそうした事由ら・要素らの実在を示していくのが極めて長大なものとなっている本稿の趣意である)。

 そのようなありように抗いもしない、のみならず、そうしたありようをもたらす力学に家畜のまま従い続けるというのならば、それは生き残るに値する種族のやりようではないと容易に判じられるところである。そのように強調せざるをえないのだ(その強調が妥当なりしものなのかは本稿をよく吟味していただき、判断いただきたいものである)。

 ここまででもってしてこれよりの指し示しの[布石]をも兼ねての付記の部を終えることとする。


 前のページへ〔PREVIOUS PAGE〕     次のページへ〔NEXT PAGE〕

 上掲なしているのは19世紀後半から20世紀前半にかけて活動の著名な挿絵家アーサー・ラッカムが英訳・再刊行されたワーグナーの原作歌劇 Der Ring des Nibelungen『ニーベルングの指環』 (英文通用化タイトルとしては[指輪]一語の The Ringとも呼称される歌劇) の書籍化バージョンに提供しもしていた挿絵を挙げたもの、より具体的には挿絵家ラッカムが『ニーベルングの指環』序盤部をなすパート、 Das Rheingold『ラインの黄金』のために作成・提供していたとの画を挙げたものとなる (ただ当媒体では同画に多少の演出を施している) 。

 さてもってして、挿絵に見る女、というより、人ならざるところの[女神]はイドゥン(Idunn)という存在を(音楽界の巨匠と認知されている)『ニーベルングの指環』作曲者リヒャルト・ワグナーがフライヤ(Freia)との名前で焼き直しなし、登場させているとの存在なのではあるが、イドゥンにせよ、Wagnerが登場させた(画に見る)フライヤにせよ、北欧神話における不死の果実であるところの【黄金の林檎】と紐付けられた存在となっている(彼女ら女神達は【黄金の林檎の管掌者】となる)。 
 そうもした黄金の林檎と紐付いての彼女ら(イドゥン/フライヤ)は、いわば、神々に瑞々(みずみず)しき【不死】を(若さ約するとの)【黄金の林檎】を介して供給しているとの設定の女神となりもし、そして、彼女らの管掌する【黄金の林檎】が北欧神話多神教の神々に最早若さを与えなくなったとのその時点が【終末のはじまり】であると描写されてきたとのことがある (:【終わりの始まり】が黄金の林檎にて供給される若さの喪失と結びついていると描写されるのはワグナー歌劇にせよ、北欧神話それ自体も同文のこととなる ――ワグナー歌劇では序盤より【黄金の林檎(とフライヤ)の担保する若さの維持】が【無限の力を蔵する指輪の保持】と一時的に秤量されるのだが、結局、【黄金の林檎】と比較された指輪を欲する強欲な心(による人界の操作)が世界の終末に繋がると描写される。他面、ワグナー歌劇より遙か前から存在していた北欧神話では(それを収めたエッダ詩の訳書を借りるなどしてもよかろうしウィキペディアの[イズン]関連項目などをご覧戴くのでもよかろうが、易くも確認できようところとして)神々の最終決戦であるところのラグナロクとされる終末局面にあって黄金の林檎によって担保されていた不老は停滞を見、老化が始まると描写される―― )。

 ここからが問題なのだが、本段、脇に逸れての訴求部にあってまわりくどくもの口上にて上の如きことを引き合いに出しているのは本稿にあって【次のこと】らを【黄金の林檎】との兼ね合いで(具体的根拠と共に)訴求している ―(画に見るイドゥン・フライヤにも関わるところとして訴求している)― からである。

黄金の林檎 ―それは北欧神話から離れてのギリシャ神話ではトロイア戦争の原因、すなわち、城塞トロイアの崩壊の元凶でもある(本稿の前半部にあって古典よりの原文引用でもってして典拠紹介のこととなる)― が【人間の終末】に関わるとの指摘がなせるようになって「しまっている」、しかも、それ(黄金の林檎)がブラックホール生成との兼ね合いで古今東西にまたがっての文物を介して【人間の終末】に関わるとの指摘が濃厚になせるようになって「しまっている」とのことが現実にある (:現況現在執り行なわれているLHC実験にあって「科学の進歩に資する」とされてのブラックホール生成可能性と紐付けられてきたディテクター(検出器)の名前が【黄金の林檎】の在処を識る巨人アトラスの名を冠する ATLAS Detectorとなっているとのことが確とある一方で黄金の林檎と接合するエデンの禁断の果実を用いての誘惑者の著名古典に見る描写が(それ自体、奇怪奇矯なることなのではあるも)今日的な視点で見た場合のブラックホールの近似的描写と紐付いている、そうしたことがそれこそ山となり、それら山とあることらが相互に多重的に接合しているとのこともが「ある」)。

・上掲図の元となっているワグナー歌劇『ニーベルングの指環』は【黄金の林檎】(を管掌する女神)と【無限の富(力)を約する指環】の取引が序章の部より描かれているのだが、(黄金の林檎を管掌する女神と秤量されての)【指環】の取得に固執した者らが強欲さゆえに次々と滅亡していくさまが同歌劇では描かれる(:その一番はじめの描写は『ニーベルングの指環』前半部にあっての【黄金の林檎】管掌者たるフライヤを略取、彼女フライヤを【指輪】との取引の具とした巨人ファーフナーとファーゾルドの兄弟が殺し合いをはじめるとの部となる)。 そのことは現実世界で「黄金の林檎と接合している」とのかたちとなっている巨大なリング状の装置、加速器ラージ・ハドロン・コライダーが【指輪;リング】に仮託される風が一部ある (『ニーベルングの指環』の影響下にあるJ.R.R.トールキン原作のロード・オブ・ザ・リング『指輪物語』に登場の冥王に由来する指環と結びつけられるなど加速器LHCが【指輪】に仮託される風が実験関係者含めて見受けられる) とのことと平仄が合うにも程があろうとの筋合いのことともなる (:ただ現況もってして、同じくものことを問題視する人間はまったくいない(心ある向きには是非とも確認いただきたいところなのだが検索エンジンで英文単語を何語か入れて当たりをつけんとしてみても【リングと黄金の林檎の結びつき】を加速器との関係で目立って問題視するような向きはこの世界にはいない))。

・上にて先述のように【ギリシャ神話におけるトロイア崩壊の元凶】「でも」あるとのゴールデン・アップルがそれ(黄金の林檎)に関連する事物ら(巨人ATLAS「など」)を介してブラックホール生成をなす可能性があるとの加速器 ―巨大な【リング】でもある― と結びつくとして、である。 現在にあって巨大加速器実験を実施している「研究」機関ら、および、そちら「研究」機関らに携わっていた初期の紐帯がどうやって世に生み出されたのかもがワーグナーの『ニーベルングの指輪』に通ずる側面がある。 どういうことか。 現況、加速器実験を執り行なっている主たる研究機関ら(それら研究機関らは、と同時に、ブラックホール生成可能性に伴うリスクとの観点で中途半端に海外で法廷に引きづり出された研究機関ら「でも」ある) はその沿革上、
【マンハッタン計画の子供ら】
となっているとのことがある ―同じくものことは長大な本稿本文の部にあって(入念を心掛けての)指し示しの対象としていることでもある― のであるが (:またもってして核分裂の過程に通ずる原子核人為破壊を兵器転用なそうとしたとのマンハッタン計画にあっての挙、そちら核兵器を製造するプロセスと加速器実験にての原子核人為破壊のプロセスは同一方向のベクトルを指している ―無論にして同じくものことの典拠をも本稿本論部で入念に挙げている― )、 マンハッタン計画と今日の加速器実験(におけるブラックホール生成に通ずる挙)の縁(えにし)の深さはそれ以外にも濃厚に認められるとのことがある(たとえば円形加速器という装置をそもそも生み出した者達がマンハッタン計画の主導者となっていたとのことがある等々)。
 そうもした(加速器実験運営機関を生み出した)マンハッタン計画始動の原因になっているユダヤ系の迫害の挙に出たナチスのやりよう・躍進・劫略のプロセスはワグナー歌劇『ニーベルングの指環』と濃密に結びついているとのことがある(『指環物語』作者ワグナーがユダヤ系の向きらにあって反芸術・野蛮の象徴である忌避すべき象徴とされてきたのはナチス第三帝国およびその領袖ヒトラーが反ユダヤ主義を大っぴらに喧伝していたリヒャルト・ワーグナーを最大限重要視していたとの歴史的事実があるからであり、たとえば、ナチスの実行してきた非道なる命令体系、占領統治下の反体制派・レジスタンスを夜陰に乗じて密やかに処分することを目しての行政命令であるところのナハト・ウント・ネーベル( Nacht und Nebel )、【夜と霧】行政命令 ―日本では Man's Search for Meaningとの原題を有した心理学者ヴィクトル・フランクルの書籍の「邦題」として識られている語でもある【夜と霧】(収容所が絶滅収容所へと変遷していく画期を象徴する語であるとも認識されている)― などはワグナーの『ニーベルングの指環』に由来しているとのものとなる ――※ウィキペディア[夜と霧]項目などにおいても簡明な解説がなされてはいることだが(であるから疑わしきはその程度の媒体からでも確認いただけるであろう)、ナチスドイツが欧州にて反対派を掃討するための共通規則とした【夜と霧】命令はヒトラーが愛聴していた、そして、ナチス体制下の国家芸術の象徴として扱われていたリヒャルト・ワグナーの『ニーベルングの指輪』、その『ラインの黄金』にあっての一幕(の中の[ニーブルヘルム]の下り)にて侏儒(ドワーフ)のアルベリヒが隠れ頭巾を用いて姿を消す際に口にする台詞、「夜と霧になれ、誰の目にも映らないように.」に由来しているとのことが知られている(にまつわって述べておけば、【夜と霧の呪文】を唱えたドワーフ・アルベリヒは強欲さの象徴でもあり、絶大な力をもたらす【呪いの指環】そのものを生み出した存在でもあるとワグナー歌劇では設定付けがなされているキャラクターである)―― 。

 以上のことはそれだけを読まれる限りは何が問題になるのか判じがたいとのこととなろうかとは(当然に)思うのであるが(理解を阻む詰め込み過ぎの風もあったかと脳裏をよぎりもしている)、同じくものことにまつわっての指し示しを細々となしもしている、また、そこからさらにもってして何が述べられるのかの指摘を委細を尽くしてなしているとの本稿本論部をご検討いただければ、【ことの重篤さ】 ―重篤さというのは【執拗さ】の問題として何が企図されているのかに通じもしていることである― についてご理解いただけるか、と考えている。

ここ本頁内の記述内容を支える【「容易に後追い確認なる」「堅い」ソースを呈示しての出典紹介部ら】のうち、枢要なるものへの[遷移経路]を下に設けておく。 典拠について疑わしいとの部があれば、必要に応じて参照されたい (:クリックすることでブラウザ ―インターネット閲覧ソフト― の[別タブ(別枠)]にて典拠紹介部を表示( open "additional" tabbed window(s) of web browsers ))

[出典(Source)紹介の部41(5)]([古代バビロニアのギリシャ語を話した神官に由来するとされるクロノスにまつわる洪水伝承]についてどういう文献記録が遺っているのか、後の内容に対する足がかりとして紹介をなしていたとの出典紹介の部41(5))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第37頁 アトランティスを巡るドネリーの主張について

[出典(Source)紹介の部48]トロイア崩壊に繋がった黄金の林檎を巡っての誘惑とエデンの園での誘惑が多層的多重的に共通要素を帯びているとのことの出典紹介部の一例として黄金の林檎を巡っての誘惑者エデンの園にあっての誘惑者[惑星ヴィーナス(金星)]の体現存在としての顔を有しているとのことについての出典紹介の部48)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第41頁 エデンの誘惑と黄金の林檎 ルシファーとアフロディテ

[出典(Source)紹介の部55](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第46頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写

[出典(Source)紹介の部55(3)](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55(3))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第47頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写[2]