[加速器によるブラックホール人為生成]が一切観念されていなかったとされる折柄にて同じくものことを[奇怪なやりよう][不吉なやりよう]で事前言及しているといった筋合いの文物らが存在していることについて 補説1
前頁までにて著名作家カート・ヴォネガット ―本稿の先だっての段にてその代表作たる『猫のゆりかご』や『スラップスティック』の両二作に[加速器によるブラックホール生成にまつわる異常異様なる先覚的言及]が見てとれる節があるとのことを指摘しもしてきた([米国文壇を代表する]といった表されようが往時なされていた)著名作家― の手になる1959年刊行の小説作品『タイタンの妖女』が軽んじられるものではないとする理由として以下の三つのことを挙げもした。
第一。
[異星人に推進された人類「育種」の究極目標が[くろぽち(・)ひとつよりなる親書の異星系への伝達の補助]であった]
という『タイタンの妖女』の粗筋にあって気がかりとなるところとして[地球は[地球質量]から見てブラックホールに換算するとcm(センチメートル)単位のものにしかならない]との言われようがなされている ――換言すれば、「地球をそうしたサイズに圧縮すればブラックホールができあがる」とされている―― とのことがある。
第二。
[小説『タイタンの妖女』で重視されている時間等曲率漏斗(なるもの)の終点が赤色巨星ベテルギウスであったと設定付けられている]
とのことが[ブラックホール]との絡みで不気味に映るとのこと「も」またある。
同点については
[ベテルギウスの赤色巨星としての終焉が「小説『タイタンの妖女』刊行より後の日 ―時期的先後関係が重要となるところにての[後の日]― にて現実世界にて導き出された知見より」「近々の」ブラックホール化であるとの見方が(人類に災厄をもたらしかねない[ガンマ線バースト]との現象に関わるところとして)「目立って」問題視されるに至っている]
とのことがあり、また、と同時に、
[『タイタンの妖女』にてベテルギウスを終点としていると(何故なのか)設定付けられている[時間等曲率漏斗]というものが[くろぽち(・)ひとつよりなる親書を他星系に届けるための人類の育種]と当該フィクションの中で結びつけられている]
とのこと「も」があり、もって、(ベテルギウスの作中設定への採用からして)不気味に映るとのことがある(:整理すれば、[くろぽち(・)マークのみよりなる親書の伝達のための人類育種]と[近々のブラックホール化が(小説の刊行後にて)「目立つかたちで」可能性呈示されだした天体](時間等曲率漏斗のゴールとしてのベテルギウス)とが結びつけられていることにつき、(地球相当の質量をブラックホールに引き直すと[㎝メートル単位のブラックホール]が導出されるとの現代物理学にての指摘のされよう(先述)も加味し)、奇怪性を感じさせられるとのことである)。
第三。
「カート・ヴォネガットの『タイタンの妖女』は同男由来の『タイムクエイク』(1997)という他小説と一緒くたに見た場合に911の前言小説に化けるようなものであるということもある」(委細解説に先立って上にてその内容につきまずもっての言及をなしたことともなる)
以上、第一から第三の理由について直前頁では第一および第二のそれを支える典拠を細かくも挙げてきた。
ここで表記の The Sirens of Titan『タイタンの妖女』を軽んじざるべきものと述べるところの理由らのうち、第三の理由に関する典拠紹介(かつ「詳解」)の部に入る前に以下、
[長くなるも、の脇に逸れての補足表記](以降、数頁を割きもしての補足表記)
をなしておくこととする。
「長くもなるも、」の脇に逸れての補足の部として
ここに至るまでの出典(Source)紹介の部65(4)にあって
[『タイタンの妖女』執筆往時にあっては[赤色巨星ベテルギウスに由来する「特定の」ガンマ線バースト]どころかガンマ線バーストという概念それ自体が提唱されていなかった]
とのこと、広くも知られた事実の問題として指摘をなしたわけだが(ガンマ線バーストの元となるデータが米国の監視衛星ヴェラによって特定されたのは1967年、そして、それがガンマ線バーストという現象として提言されだしたのは1973年であり、50年代末葉に世に出たザ・サイレンズ・オブ・タイタンにあってベテルギウスの末路が地球圏に飛来しうるガンマ線バーストを伴ったブラックホール化でありうるとの見解は「人間レベルでは」顧慮されることがあったわけがなかろうとのことを指摘なしたわけだが)、さらに述べれば、
[小説 The Sirens of Titan『タイタンの妖女』執筆された1959年という折柄にはいまだ[ブラックホール]という言葉すら存在していなかった]
とのことまでもがある(:後述するように、それ以前から[今日、ブラックホールと呼称されるに至っているもの]についての理論的深化が科学者らによってなされていたことはよく知られているのだが、[ブラックホール]という通用語それ自体は記録的事実の問題として50年代末葉にはいまだ存在して「いなかった」とされているとのことがある)。
につき、ブラックホールと結びつくもの、[時空間のねじれ構造]に対してワームホールという言葉が
[「林檎」に対する虫食い穴]
とのニュアンスで物理学者ジョン・ホイーラーに生み出されたのは早くも1957年 ――『タイタンの妖女』刊行の二年ほど前の折柄―― とあいなっているとのことが指摘されている (:同じくものことは和文ウィキペディア[ワームホール]項目にすら記載されていることとなる。およそ次のようなかたちにて、である。(以下、現行にて記載内容を引用するところとして)ワームホールという名前はリンゴの虫喰い穴に由来する。リンゴの表面にある一点から裏側に行くには円周の半分を移動する必要があるが、虫が中を掘り進むと短い距離の移動で済む、というものである。ジョン・アーチボルト・ホイーラーが1957年に命名した
(引用部はここまでとする)。 以上のようにワームホールという言葉が生み出されたのは50年代であるとされている ――その点、[ワームホール]という言葉が直近言及のように1957年に生み出される前から、[時空間の歪み]としての同じくもの構造体についての原初的観念が考察対象となっていたとされ、それはかなり昔、「一九二〇年代に遡ることである」との指摘もなされている。その点についての言及もこれまた即時即座に確認できるところとしての英文Wikipedia[Wormhole]項目になされている。(引用なすところとして) The American theoretical physicist John Archibald Wheeler coined the
term wormhole in 1957;however,in 1921, the German mathematician Hermann
Weyl already had proposed the wormhole theory in connection with mass analysis
of electromagnetic field energy.
(訳として)「アメリカ人理論物理学者ジョン・アーチボルト・ホイーラーが1957年にワームホールとの造語を生み出した。が、ドイツ人数学者ヘルマン・ワイルが既に電磁場のエネルギーの量的分析との絡みでワームホール(的なるものの)理論を1921年からして前面に出していた」(引用部はここまでとする.尚、引用元がウィキペディアという易変性伴う媒体がゆえに同じくもの記述が残置し続けるかは保証しないが、同様のことは他所でも確認できるようになっている)―― )。
表記のように1957年に[ワームホール]という言葉が生み出されたとされるわけだが、そちら[ワームホール]という語の考案者として知れ渡っている同じくもの科学者ジョン・ホイーラーによって[ブラックホール]という言葉が生み出されたのはよりもって遅れてのこと、
[1967年]
のことであるとされている。
につき、ブラックホール理論の発展史にてまとめての表記がなされているとの英文Wikipedia[ Timeline of black hole physics ]項目([ブラックホール物理学のタイムライン]とで訳されるところの項目)程度のものからして
1967―― John Wheeler coins the term " black hole "
「1967年:ジョン・ホイーラーが[ブラックホール]という語を考案する」
と記載されているとのことがあり、同様の記述は(本稿にての後の段にてそちらの記述をも引用することとするとの)学者由来の書籍 ――下手な嘘はつかぬだろうという意味合いでは「まっとうな」書籍―― にもみとめられるところとなる)。
その点、
「カート・ヴォネガットという作家が「1959年初出の」自作品『タイタンの妖女』にてワームホール「的なる」もの ――[時間曲率等漏斗](ベテルギウスを終点としている時空の歪み)―― を登場させていることは果たして目立って先覚的なのか、そうではないのか。また、カート・ヴォネガットがそれにまつわる言葉もないところでブラックホール「的なる」ものを意識できたのか。アイディアの根となるところはいかほどまでに世間にあったのか」
との疑念帯びての視点が事情知らぬ向きの脳裏・胸中に芽生えることもありうるか、と思う(:希望的観測の問題ながら、[自発的思考能力を伴った人間]が本稿を読み解かんとしている場合には(わざと[曖昧さ]を強くも前面に出してのここでの話の振り方からして)そういう疑義が呈されることもあるか、と思う)。
以上、疑念帯びての視点が呈された場合を想定しての本稿筆者意見について端的に述べれば、
「カート・ヴォネガットが1959年初出の小説にてワームホール「的なる」もの(ベテルギウスを終点とする[時間曲率等漏斗])を登場させていること、それ自体はさして奇異たることではないと「映る」」
「(こちらはIFの話として)仮にカート・ヴォネガットがブラックホール「的なる」ものを「明示的に」登場させていたとしても ――未だブラックホールという言葉はなかったわけだが―― それとても奇異たることではないと「映る」」
とのこととなる(つい先立っての段にて解説してきたところの[シングル・ドットと地球圧縮1センチの問題][ガンマ線バーストとベテルギウスの問題]からは離れて、である)。
同じくもの見方は(謙遜するわけでもなく)卓識・卓見でも何でもなく、カート・ヴォネガット「以外」のサイエンス・フィクションの類を提供していた作家らがワームホール「的なる」ものやブラックホール「的なる」ものとの兼ね合いで[いかなるもの]を彼ら作品に登場させていたのかを突き詰めて見ようとすることで容易に想起されるようなもの、また、容易に理解が及ぶようなものとなっている(と申し述べたい。そして、それは「極めて遺憾ながら」、近接するところの嗜虐的やりように理解が及ぶとの話にも通底するものである ――同じくもの点については『リアノンの剣』という作品との絡みで何が問題になるのかの細やかなる解説を本稿にての後の段、ここ補足部にあっての後の段にてなすこととなる―― )。
にまつわってのところとして申し述べるが、フィクション内にてのワームホール「的なる」ものやブラックホール「的なる」ものへの言及の変遷動向について「まで」は解説講じるとの気風が世間にあり(但し、それが[加速器によるワームホール「的なるもの」やブラックホール「的なるもの」の人為生成への言及のありやなしやの問題とその背景分析]となると話が別となる)、英文Wikipediaにての
[ Wormholes in fiction ]
[ Black holes in fiction ]
と題されての項目で[ワームホール「的なる」ものら・ブラックホール「的なる」ものらのフィクションでの言及動向]につき「事細やかに委細に踏み込んでいる」といった解説がなされていることが「現行にあって」捕捉できるようになっている ――(くどくもなるが、「ただし、Wikipediaは性質上、記載内容の変転が認められやすき媒体ともなり、解説の残置や変移については何ら保証できない」とのことも断っておく。また、直上言及しての「現行にての」[ Wormholes in fiction ]項目などにあっては[アインシュタインの1920年代の写真]を[いまだワームホールの類を扱った文物が見受けられなかった折のことながらも挙げている]との[紛らわしいやりよう]「も」が目につくようになっているとのことも申し添えておく)―― )。
何も変え得ぬ(あるいはより悪いことに何かを変えることを妨害する)人間以外、そう、語るに足らぬとの人間「以外」が本稿内容を検討してくれていることを祈念しつつもの、という観点で細かくもの解説をなしておくが、うち、英文ウィキペディア[ Black holes in fiction ]項目ではブラックホール「的なる」ものがフィクション内にて目立って登場しだしたのは1940年代末葉からである ――(具体的には後述の『リアノンの剣』との題名で知られるようになった作品『火星の海王達』の登場以後からである)―― 、そして、続く50年代から、(ブラックホールという印象深い言葉は未だ登場を見ていなかったとされる折柄にてのことであるわけだが)、同じくもの作品が散見されるところともなっていたとの趣旨の記載がなされている(当然に筆者もその背景について細やかなる分析をなしている)。
以上表記の点に関わるところの英文ウィキペディアに認められる記載を引いておくこととする。
(直下、英文Wikipedia[ Black holes in fiction ]項目([フィクションにおけるブラックホールら]と題されての項目)にあっての Early works[初期的作品ら]と付されての節にての「現行にあっての」記載内容よりの引用をなすとして)
・The Sword of Rhiannon (1950): a novel written by Leigh Brackett, originally published as "The Sea-Kings of Mars" in Thrilling Wonder Stories (June 1949). Greed entices the archaeologist looter Matt Carse into a forgotten tomb of the old Martian god Rhiannon. There a strange singularity plunges the unlikely hero into the Red Planet's fantastic past, when vast oceans covered the land and the legendary Sea-Kings ruled from terraced palaces of decadence and delight. The tomb encloses a bubble of darkness ... [like] those lank black spots far out in the galaxy which some scientists have dreamed are holes in the continuum itself, windows into the infinite outside our universe!
[ . . . ]
・Stowaway to the Mushroom Planet (1956): a juvenile science fiction novel written by Eleanor Cameron. Two boys experience adventures and strange encounters on and around the Mushroom Planet, a tiny moon in an invisible orbit around the Earth that is only visible using the special filter provided by a mysterious Mr. Bass.[4] One of the hazards of the journey there is a "hole in space," rendered visible by a swarm of meteors that orbits it in a funnel-shaped circle and falls into it to completely vanish from sight. In the hole, ...there's no time?that is, for [the infalling space traveler] Horatio there's no time.
(なるべく分かり易くしての適訳に努めるとして)
「ザ・ソード・オブ・リアノン(邦題)『リアノンの魔剣』(1950年刊行→1950現行の1950記載はミスで書誌より1953年が正確なところと思われる):同作は初期、『火星の海王達』とのタイトルで『スリリング・ワンダー・ストーリーズ』誌に1949年6月にあって発表されたとの作家リー・ブラケットの手になる作となる。(同作『ザ・ソード・オブ・リアノン』では)己が欲心に衝き動かされるとのかたちで考古学者兼ねての墓荒らしたるマット・カースが[古の火星の神リアノンの忘れ去られし墳墓]へと入っていく。その墳墓にあって不思議なる[特異点]により意に沿わぬことながらも主人公(たるマット・カース)は幻想的なる過去の火星世界、広大な海が陸地を覆うように拡がり、伝説の海王達が頽廃と歓楽の巷としてのテラス仕様の宮殿から統治を行っているとの過去の火星世界へと突き落とされることとなった ――(訳注:引用なしているところの直近の部では『リアノンの剣』主人公の盗掘者兼考古学者たる主人公マット・カースがSingularity[特異点]によって過去の火星世界へと突き落とされた、そういう粗筋が『リアノンの剣』に認められるとの表記がなされている。しかし、(本稿の後の段にて同著よりの原文引用を事細かになすこととしたとの) The Sword of Rhiannon原著および国内にて流通している訳書を本稿筆者は全文検討することまでしているのだが、そこには[シンギュラリティー]、すなわち、[特異点]との言葉は登場を見ていない。そのため、ここで[特異点]との言葉が用いられているのは(引用元としたウィキペディア当該項目の)項目編集者の[自前の表現]であろうと解されるところである(訳注はここまでとする))―― 。(引用部を続け)[トゥーム;リアノン墳墓]は[暗黒の泡]、そう、幾人かの科学者らが時空連続体それ自体に開いた穴、我々の宇宙から見ての果てなく拡がる外側の世界への窓となるものとして夢想してきたとの遙か彼方の銀河へと長く伸びきった黒点の如き[暗黒の泡]をそのうちに含んでいたのだ(以下略)。
・・・(中略)・・・」
ストウワウェイ・トゥ・ザ・マッシュルーム・プラネット『きのこ惑星への密航者』(1956年):同作はエレノア・カメロンによる少年少女向けフィクションである(訳注:エレノア・カメロンという作家は『きのこ星シリーズ』という緑の小人らが菌類にて覆われた世界で暮らしているとの[架空世界もの]で知られている前世紀作家となり(そちらきのこ星シリーズは一部のみ邦訳を見てもいる)、ここにて挙げている『きのこ惑星への密航者』もその中に包含される作品となっている)。同作では二人の少年がきのこ星、ミステリアスなバス氏によって提供されるものとしての特殊フィルター越しでしか見ることができぬとの地球を周回する不可視かつ微少なる月としてのきのこ星にて冒険、そして、奇妙なる出会いを体験することとなる。冒険にあっての危険の一つとして[空間の穴]、すなわち、漏斗状の円をまくとのかたちでその周りをまわる隕石の類によってのみその姿が可視的になるもの、そして、そこに落ち込んだらば、視界から消えることになるとの[空間の穴]が登場している。その穴の中にあっては[時間]は存在しない、すなわち、(重力にて)引き寄せられた宇宙の旅人ホレイショーにとり時間がなくなるのである(以下略)」
(訳を付しての引用部はここまでとする。尚、Wikipedia当該項目では上記作品らに続くものとしてアーサー・クラークの『都市と星』といった作品もが50年代のブラックホール言及作品であるとの解説がなされている)
以上、引用なしたことに認められるように、
「[ブラックホール]という言葉はいまだ生み出されていなかった(についてはさらに後述することとはなるが、[通用語]としての[ブラックホール]との語の登場は1967年以降となるとされている)折柄ながら」
「ブラックホール「的なる」もの・ワームホール「的なる」ものを[そうしたもの]として明示して、すなわち、時空間を架橋するものとしての暗黒のゲートとして明示して扱っているとのフィクションらは既に登場を見ており」
「その嚆矢的登場は1959年に登場を見たカート・ヴォネガット The Sirens of Titan『タイタンの妖女』([時間等曲率漏斗]なるものを先述なしてきたようなやりようで登場させているとの作品)に遡ること、10年を目安にしてのこと(直上の引用部にあっての1949年初出の The Sea-Kings of Mars『火星の海王』とのフィクションを目安にしてのこと)ともなっている(と目される)」
とのことがある。
であるから、カート・ヴォネガットが
[「わざと」ブラックホール的なるものの比喩を「作家個人の思惑の問題として」『タイタンの妖女』作中に入れ込んでいた」
とのことがあると想定すること自体は問題にはならない「とも」解される(仮にブラックホールという語が1967年まで登場を見ていなかったとしても、である)。
「問題なのは、」
[作家カート・ヴォネガットがワームホール「的なる」[時間等曲率漏斗]というものを(ガンマ線バースト現象を伴ってのブラックホール化、ワームホールと同文に[重力の怪物としての空間の歪み]たるブラックホールと化すことが「後の時代にて」目立って取り沙汰されるようになった)赤色巨星ベテルギウスとつなげもし、その接合関係の中でもってして[シングルドット・マーク(地球相当質量がブラックホール化すると半径9mmになることも先述)よりなる親書の送達のための代替部品の確保としての地球人類育種の究極目標]なるものを作品粗筋の核としていることが果たして自然なることと述べられるのか否か([ベテルギウス]と[ガンマ線バースト]と[人類絶滅懸念]が複合顧慮されるようになったのは、くどいが、ヴォネガット小説が世に出たのよりかなり後である)]
[上のようなことが疑念視されるとの小説が、また、と同時に、[911の発生の前言]が如きことをなしている(およそ人間がそのようなことができるとは思えぬかたちで不自然極まりなくもなしている)とのことがあるとすればどうなのか(こちらはさらにもって煮詰めていくテーマとなる)]
ということである。
上の段までにて本段、
[脇に逸れての補足の部]
にあって伝えたくもあったことの[半分]は記述した(:「ブラックホールという言葉が生み出されたのは60年代であってヴォネガット小説『タイタンの妖女』の50年代末葉にての刊行はそれに先行するわけであるが、といった中でも、―たとえヴォネガットがブラックホール的なるものを確信犯的に比喩として用いていたとしても― そのこと自体は問題にならない。それだけの[時代的背景](知識の通用化)はあったと述べられる。だが、ヴォネガット作品にまつわる他のことは問題になる」とのことを記述した)。
次いで、ここ本段、
[脇に逸れての補足の部]
にて伝えたくもあることの[もう半分の話]に入ることとする。
そちら(ここ[脇に逸れての補足の部]で)伝えたくもある[もう半分の話]とは
「ブラックホールに通底する事柄への言及文物には[先覚性]との絡みで[異常なる側面]もが往々にして現われていることがある」
とのことにまつわることとなる ――たとえば、である。つい先程言及した『リアノンの剣』。同作にあってブラックホール「的なる」ものが登場を見ていることそれ自体は[良し]としよう([観念の流通の態様]に鑑みて際立って異常なことではないと判断なせるとしよう(その論拠は下にて挙げるところとしてブラックホール「的なる」もの・ワームホール「的なる」もの、そう、[ブラックホール]やワームホールといった言葉はまだ生まれていなかったが、ブラックホール「的なる」もの・ワームホール「的なる」ものそれ自体への理論深化が1916年あたりから徐々に(目立ってではないが)一部科学者らの間で俎上にあがる、否定こそされ俎上にあがるとのことになっていたことに求められもする))。だが、同作『リアノンの剣』が[加速器実験によるブラックホールの人為生成]に対する「極めて隠喩的なる」先覚的言及(普通に作品を楽しむかたちではまずもって気づけないようなかたちでの言及)が如きものまでを[蛇の種族による侵略]とつながるようなところで1949年初出の作品としてなしているような作品であったらばどうか(ここ補足部にあっての後の段でオンライン上よりも確認出来るとの原著該当部テキストの原文引用によって細かくも指し示すように同作『リアノンの剣』という作品は「実際に」そうした側面を含んでいる)。であれば、そこには[異常なる側面]が介在していると述べられることになる。というのも、(第一)[加速器によるブラックホール生成]が[ありうること]として問題視されだしたのはつい最近からであるとのことがあり、(第二)何故、そうしたこと(加速器によるブラックホール生成の可能性を想起させるとの言及)が「極めて隠喩的なるやりよう」でもってなされているのか、とのことからして不可解に映るとのことがあり、(第三)[蛇の種族による侵略(続く皆殺し)が如き話]と[現実の加速器実験]が結びつくようになっているとの関係性は他のところにも複合的に及んでいるとのことが摘示できるようになせるようになってしまっているとのこともがある(ここ[補説1]の部に入るまえに論拠を繊密に呈示してきたこととしてそうもしたことがある)からである(繰り返すが、そうしたことは全て確たる論拠に依拠しており、本稿にてはその摘示に努めている。容易に後追い出来るとの抽象論ならぬ具象論、それも極めて重みをもった具象論を無視するのは[狂人]か[愚人](自身が「操り人形の世界の住民であるどころか、屠所の羊が如きものとされている」ことに気づけぬが如き愚か者)か[臆病者]だけであろうと口酸っぱくも強調したきところとして、である)―― 。
以上、話の方向性につき申し述べた上で
「「何が」「どう」異常なる先覚性の現われとなっているのか」
とのことにまつわる具体的なる話に入る。
先立っての段では小説 The Sword of Rhiannon『リアノンの剣』(初出の折のタイトルは『火星の海王達』)がブラックホール「的なるもの」へフィクションとして言及している「一九四〇年代末葉の」嚆矢的小説であると[ Black holes in fiction ]項目に記載されている旨、紹介したわけであるも、より昔から同じくもの特性を帯びての[大衆小説]が世に出ているとのことがある(のでそこからして取り上げることとする)。
につき、この身、本稿筆者は[タイトル]その他などから「目につくところの」書籍については「意味がある・ありうる」と判断した限りは ――「大の大人がそうしたものにまで食指を伸ばすのはどうかね」と言われるようなジュベナイル小説の類であろうと逃避文学の類であろうと―― 網羅的に精査せんとしてきた人間である。そうまでしての探索活動(それが「浩瀚(こうかん)な読書量」にカウントされるような真っ当な部類の読書かは人によっては見方を違(たが)えるところか、とも思うのだが、少なからずもの読書量に支えられてのそうまでしての探究活動)の中でできるだけ多くの作品について(分析的視座でもって)検討してきた身として知るところとなったこととして、直近言及の『リアノンの剣』「以前」からブラックホール「的なるもの」に言及しているとの大衆小説作品が存在している、それも「奇怪」ととれるかたちにて、かなり以前から存在しているとのことを捕捉しているとのことがある(ここでの補足部後半部、[ブラックホール関連の異常なる先覚性を呈しての文物]について取り上げるとの趣意での本段に通ずるところの話である)。
より具体的には、
[(その中に包含されるRs、シュヴァルツシルト・レディウス(シュヴァルツシルト半径)の意味合いについて本稿にての先立っての段、出典(Source)紹介の部65(3)にて門外漢ながら解説を試みていたところの方程式にも通ずるとの)物理学者カール・シュヴァルツシルトに由来するブラックホール存在に通ずる「次なる」展開をもたらした解法(
Schwarzschild metric /続いての出典(Source)紹介の部65(5)にてもその歴史的提唱動向について取り上げることとする解法)が呈示されたその時(1916年)]
そして、
[それなくして現代的ブラックホールに対する観念も生じなかったであろうとの一般相対性理論の提唱時期(1915年)]
以前から「極めて不自然」に、そう、予言がかっているとのことで「極めて不自然に」
[ブラックホール的なるもの ――アインシュタインの特殊相対性理論(1905)に続く一般相対性理論(1915)およびその相対性理論を前提においてのシュヴァルツシルトの解法(1916)にて存在予見されるようになったブラックホール(後述)に相通ずるもの―― に言及しているとの作品]
が存在しているとのことがあり、そちら具体的には
The House on the Borderland(邦題)『異次元を覗く家』(1908年刊)
との怪奇小説となる(:尚、同作『ザ・ハウス・オン・ザ・ボーダーランド』こと『異次元を覗く家』の作者はウィリアム・ホープ・ホジソンという英国人作家(一兵士として第一次世界大戦に従軍をなしていた折に命を玉と散らせての夭折を遂げた文士)となり、同じくもの『異次元を覗く家』は作者ウィリアム・ホープ・ホジソンの[ボーダーランド三部作]と呼ばれる一連の作品の一画をなすものとなる)。
同『異次元を覗く家』では
[[地に開いた巨大な底無し穴]と隣接・連結しており、[「時間の流れ」が外界に対して止まっているがごとき如き場所]にして、[遙か遠未来、世界の終わりの時期へと来入者をいざなう領域] (呪われた屋敷)]
などという「どうしてこのようなものを持ち出したのか?」と疑義呈さざるをえぬ領域、
[[「時間の流れ」が外界から見て止まったような状況]となり、[時空間の法則が破綻する領域]を内包するとの[底無しの穴]たるブラックホール]を「際立って露骨に」想起させる領域]
が作中舞台として設定されている(から問題になる;小説『異次元を除く家』冒頭部では[大地にぽっかりと開いた底無しの穴]の近く、その穴が地面に入り口をさらしているとの場の近傍にかつてあったとのことである屋敷の残骸よりかつてそこに住まっていたとの男の手記が偶然見つけ出され、その残された手記からその男が[時間の終わりにいざなわれていった]「らしい」ことが語られている・・・・そういう粗筋が当該の小説では展開する ――時間の終わりにいざなわれていった男の手記を[(作中の)現在の人間達]が目にしているところにその手記の内容が妄想たる所以が感じられるとの見立てが(作中登場人物などの弁もあって)醸し出されつつも、他面、その手記の内容が妄想では済まされないとの作中設定もが採用されているからこその[怪奇小説]となっている―― )。
(※上の段にては
「[[地に開いた巨大な底無し穴]と隣接・連結しており[「時間の流れ」が外界に対して止まっているがごとき如き場所]にして、[遙か遠未来、世界の終わりの時期へと来入者をいざなう領域] (呪われた屋敷)]などという特定小説に見る作中舞台は[ブラックホール]と目立ってのアナロジー(類似性)を呈するものである」
といった表記をなしたが、(振り返る必要もないか、とも思うのだが)、そうも表せられるとの理由については本稿の先にての出典(Source)紹介の部55(3)で取り上げてもいる。
すなわち、
(同出典紹介部にて取り上げた『ホーキングの最新宇宙論 ブラックホールからベビーユニバースへ』(日本放送出版協会(現社名株式会社NHK出版))との国内にて多数流通した書籍にてのp.108からp.109よりの「再度の」引用をなすとして)
このように、崩壊してブラックホールになっていく星を遠くから見ている人は、星が実際に消え去るところを見ることはできません。その代わりその星は、実質的に見えなくなるまで、どんどんぼんやりと、赤くなっていくだけでしょう。向こう見ずな宇宙飛行士が、ブラックホールに飛び込むのを見ていると、同じようなことが起きるはずです。たとえば、彼の時計で十一時〇〇分にブラックホールに入るとします。そこは光線ばかりか、何ものも脱出不可能な領域です。ブラックホールの外にいる人は、どんなに長い間待っても、宇宙飛行士の時計が十一時〇〇分を指すのを見ることはできません。その代わり、宇宙飛行士の時計の一秒一秒がどんどん長くなって、ついに十一時〇〇分の前の最後の一秒が、永遠に続くのを見ることになるでしょう。このように、ブラックホールに飛び込むことで、少なくとも外にいる人に対しては、自分の姿が永遠に残るということは確信できます。けれど、その像は急速に薄れ、誰にも見えなくなるくらい、ぼんやりとかすんでいくでしょう
(再度の引用部はここまでとする)
などとの表されての状況が具現化すると主唱されていることを(上にてのような形容をなしている因として)取り上げている。要するに、「科学理論に基づいて[穴]の中で「一秒が半ば無限化する」とのことが述べられているとの件については、ブラックホールに落ち込んだ者ら ―その者の主観では「おそらく」瞬殺されているような状況となっている者ら― があっという間に[時果つる地]にいざなわれていることと等しかろう」ということである)
内容真偽について確認をなしたいと思われた向きは早川書房から出ているとの同著邦訳版(絶版になっているかもしれないが図書館や古書購入で内容確認いただけるであろう)を借りるなり何なりして手ずから確認いただければ、と思う (あるいは英文読解に何ら苦労もせぬとの向きならば、 Project Gutenbergのサイトより The House on the Borderlandの全文がダウンロードできるので、そちら参照されてみるのもよかろうか、と思う)。
尚、英国にての再刊行版( reprinted edition )、 Panther Booksとの英国出版社より出されている The House on the Borderland(邦題)『異次元を覗く家』にての背表紙には同作の特徴にてここにて記しているとおりの内容要約が「端的に」なされていもする。直下、引用なすようなかたちにて、である。
(直下、再版版 The House on the Borderland背表紙にての粗筋紹介の部よりの原文引用をなすところとして)
In a mysterious, brooding ruin perched on the edge of an abyss in the timeless Irish hinterland, the journal of the last tenant is discovered. In it he has recorded his mind-wrenching involuntary adventures. Descents into the Pit, desperate battles against sub-human Swinefolk, voyages across the dimensions and through aeons of time to the centre of the Universe and the death of the Solar System, an other-worldly love on the shores of the Sea of Sleep ― these are just some of the ingredients in this unique and long out-of-print tale.
(訳として)
「時の流れから取り残されたが如きアイルランド奥地にあっての深淵Abyss(と見紛うばかりの大穴)の縁(ふち)の上に建っていた神秘的でぞっとさせるような廃墟でそこに最後に住まっていた住人の手記が発見された。手記を遺した男はそのなかで[心歪ませる(が如く苛烈な)不本意ながらもの冒険の記録]を綴っていた。[大穴への降下]、(それに次ぐ)、[(大穴への)降下の中での亜人種としての豚人間らとの死命を賭しての闘い]、[次元を越え、永劫と見紛うばかりの時を経て銀河の中心へと、太陽系の死へと至ったとの旅]、そして、[眠りの海にての彼岸での愛]へと達したとの旅の記録である ――以上がユニークでありながらも長らくも絶版を見ていたとのこの物語の作中特色をなすところである―― 」
(訳を付しての引用部はここまでとしておく ―※― )
(※ポイントは「1908年」という時期に初出を見た小説にてアイルランド僻地にあっての[深淵Abyss]としての[底無しの大穴]に降り立った男が voyages across the dimensions and through aeons of time to the centre of the Universe and the death of the Solar System[次元を越え、永劫と見紛うばかりの時を経て銀河の中心へと、太陽系の死へと至ったとの旅]を経験しているなどとの描写がなされていること、その[記号論的なる意味]である(履き違えないで戴きたいが、ここにては文学的値打ちがさも高そうに見える作品のことを取り上げている中にあってながら好事家よろしく[内容・設定の妙]の類を問題としているのでは断じてないとのことである。(情報処理能力が欠けている、脳に箍(たが)でも嵌められているのかといった按配で「不自然に」思考能力が働いていないとの者らはそのようなことすら理解出来ぬか、とも懸念するのだが)、この身、筆者が問題視しているのは唯、[記号論的特性]とそこに認められる[「不」自然性]だけである))
以上のように再版版の背表紙にてその粗筋がまとめられているところの小説が[1908年]、カール・シュヴァツルシルトという男が[ブラックホールの存在]を予言することとなった解法(直下、解説するところの Schwarzschild metric)を提示した[1916年]のその「前」に世に出ていたことにあって
[奇怪性]
が感じられると述べたいのである(:シュヴァルツシルトという男がシュヴァルツシルト解を編み出した後、第一次大戦で戦病死を遂げているのに対して、の後、『異次元から覗く家』をものしたウィリアム・ホープ・ホジソンも同文に第一次大戦下、兵士として戦死を遂げているといったことまではただの奇縁であったとしても、である)。
※上の「[奇怪性]を感じさせる」とのことについて、補ってものことを述べれば、である。
「[奇怪性]を感じさせるとのことだけ、それ単体を取り上げるだけではただの好事家話柄にしかならなかろう「が」、その実、本件が我々全員の生き死にの問題に関わるとの認識がある」
からわざわざもって表記のようなことを取り上げているとのことがある。
その点、本稿にての出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55(3)では17世紀文豪ジョン・ミルトンの作
Paradise Lost『失楽園』
にあって登場するAbyss[深淵]が
[時空間の意味が失われる領域]
[永劫の底無しの暗黒領域]
としての[ブラックホール的なる特色]を帯びていることがいかような性質を帯びてのことなのかについての解説に努めていた、そうした事前経緯の延長線上のこととして『異次元から覗く家』のAbyss[深淵](とも形容される大穴)「も」またミルトン『失楽園』にあってのアビスと同文の特色 ―時間と空間の意味が失われる領域としての特色― を有しているとのことがある(とのことからして問題になると映る)がゆえの問題視をなしているのである。
それにつき、くどくも書き記せば、『異次元から覗く家』では[アビス]とも形容される[底無しの大穴]に降り立った男が[時間](あるいは自身が元いた空間とも述べられるであろう)に対する見当識を全くもって失い、気付けば、膨大な年月が経過していた ――(東洋には不思議な童らの碁の帰趨を樵夫(きこり)が観戦している内に膨大な月日が流れていた、との碁を打つ向きらには有名な[爛柯らんか](そちら[爛柯]とは白黒の碁石を並べて勝敗を競うゼロサムゲームたる[囲碁]の別称となり、碁に没頭しているうちに「柯(斧の柄)が爛れる」ぐらいの按配で時が経っているとのことを指す)との故事が伝わっているのだが、そちら[爛柯]の故事と同文に、いや、[程度]では爛柯を遙かに陵駕する式で膨大な年月が経過していた)―― 、そう、あっという間に[何百万年]もの月日が経過したなどとの粗筋設定が採用されてもいるとのそのことがミルトン『失楽園』と同文の表現が用いられる中でブラックホール「的である」がゆえに問題になるととらえているのである ―― Project Gutenbergにて全文公開されている The House on the Borderlandにあっての( XVI THE AWAKENINGの部より)引用なすところとして For, a time, I mused, absently. 'Yesterday―' I stopped, suddenly. Yesterday! There was no yesterday. The yesterday of which I spoke had been swallowed up in the abyss of years, ages gone. I grew dazed with much thinking. Presently, I turned from the window,
and glanced 'round the room. It seemed different― strangely, utterly different.
Then, I knew what it was that made it appear so strange. It was bare: there
was not a piece of furniture in the room; not even a solitary fitting of
any sort. Gradually, my amazement went, as I remembered, that this was but the inevitable end of that process of decay, which I had
witnessed commencing, before my sleep. Thousands of years! Millions of
years!
(文脈把握をなしておらぬ向きに対して正確なる逐語訳を呈示しても文意伝わらぬかと判断、意訳をなすとして)「あるとき、立ち止まりもして感極まり口をついて出たのは「昨日」との言葉であった。昨日!最早、昨日なるものはなかった。私が口にしたところの昨日というものは[幾年・幾世もの時を去らしめたとのアビス]に吸い込まれてしまっていた。といった中、十二分なる思索、それへと没念してみた。現在へと至って私は窓から振り返って部屋の周囲ありように視線を這わせてみた。奇妙に視界が違う、何もかもが全くもって違って見えた。それから私はその[奇妙]に見えさせしめていることが何たるかを理解した。そこは裸のような様相を呈していたのだ。最早、部屋(訳注:作中、悪魔が建設したともされる手記執筆者が住まうことになった屋敷の中の日常起居に用いていた部屋)には家具のひとつも残されていなかった。取り付け用金具の欠片だに最早そこには残っていなかった。驚愕の念が引いていく中で私は徐々に思い出していった。このありさまは私が寝入る前にそのはじまりを目にしていたとの崩壊の不可避的結末なのである、と。数千年!数百万年!そうした時が経過していたのだ」(意訳はここまでとする)と記載されているところが該当部となる―― 。
かくのように時間の意味が(比喩表現である[一日千秋]や[光陰矢の如し]をそのままにとらえて形容したどころでは済まされない按配で)破綻する底無しの大穴、それがブラックホールそのもののありようであるとの論拠は先立って細かくも論じている ―先立っての出典(Source)紹介の部55(3)を振り返っての解説部を参照されたいものである― が、「問題は、」である。
[そういうものを登場させている文物らが時期的に奇怪なる折に世に出ている](換言すれば、[ブラックホール関連の理論が世に出る前からそうしたものが世に出ている] ――同点についてはこれより解説を講ずる―― )
とのことがありもすることであり、そして、
[そうしたものを登場させている文物らが相互に結びつきもし、縦にも横にも装飾を華美にしながら広まっているとのこと、ありありと見てとれるとの一大伽藍としての[奇怪なる相関関係]を具現化させているとのことがある](ここでは『異次元を覗く家』とミルトン『失楽園』が類似のものとしての[アビス;深淵](なるもの)を作中にて登場させており、それら[アビス]に名詞・属性との対応関係が存するとのことを指摘しているわけだが、そも、ミルトン『失楽園』(のアビス関連の描写)が問題になるのはあまりにも奇怪なかたちで「今日的な理解で見た」ブラックホールと類似するものを登場させているダンテ『地獄篇』にての描写と多重的に接合しているとのことがあるからであり、また、それと同様に奇怪なる他の関係性もが具現化を見ているからである ――本稿にての先だっての段、出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55(3)を包摂する段では[文献的事実]の問題としてダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』の奇怪性呈してのその伝での相関関係についての解説を膨大な文量を割きもしながらなしている―― )
とのことがありもすることである。
そして、「さらにもって問題となるのは、」
[そうした[「奇怪な先覚性を帯びながらも」「相互に多重的なる連結関係を呈している」とのことら]が[人類を皆殺しにする]とのコンテクストに通じている]
とのことがありもすることである (ミルトン『失楽園』ではブラックホール描写と結びつくと先述してきたところの[アビス]横断路が[罪]と[死]が人類に襲いかかるためのものとして構築されるとの粗筋が採用されている。そうした皆殺しの比喩がトロイア ――[ありがたいと招き入れた木製の馬]によって住民が騙し討ちに遭い、皆殺しにされたと伝わっている古の都市国家―― と「実にもって巧妙かつ堂に入っての式で」接合し、かつ、どういうわけなのか、今日の加速器実験にまつわる命名規則とも多重的に接合しているようになっているとのことの入念なる指し示しに努めてきた(そして関連するところの指し示しにさらにもってこれより努める所存である)のが本稿となる)。
誤解をなされやすいと当然に思うところだが、筆者は「宗教的話柄を用いているわけではない」し ――そも、[事実]ベースのものではなく[観念と価値判断]ベースのものたる宗教的話柄に対して葬式仏教程度の無宗教・無神論者として[愚劣な機械の反復所作(どこまでいっても[まさしくもの空念仏]としての空虚なもの)]程度の[軽侮の対象に相応しきもの]としか見ていない人間が本稿筆者となる―― 、また、と同時に、理性的な人間らが顧みもした際に[おかしなこと]ととらえるようなことを述べているわけでもない ――現実にそこに認められるとの多重的なる純・記号論的一致性に着目し、そこに共通の確たるコンテキスト・確たる悪意のようなものが見出せることを摘示しながら、「そうしたことをもってして確率論的に偶然として斥けられるのか?」ということを問題視しているとのやりようが[おかしいとのこと]になれば、なんでもおかしいとのことになろうと当然に強調したい次第でもある(ただし、[偽り;鼻をつく虚偽欺瞞偽善]を[常識;生きるうえでの価値尺度]へとしつらえなおしている者達を相手に話が通じぬと解されてのところでそういうことを強調しているとの意では「おかしい」ととられることはあるか、そう、[滑稽]ないし[頭の具合がよろしくはない]との意で[おかしい]と(相応の、[生き死にの問題すら直視できぬとの愚劣な者ら]によって)[情報処理]されることはあるか、とも見ているのだが)―― )
(補ってもの話はここまでとする)
1908年に世に出た『異次元を覗く家』に先立つこと600年近くも前に世に出ているとの14世紀に著されたとされるダンテInferno『神曲;地獄篇』という作品からして[そういう側面](ブラックホール「的なるもの」への言及文物としての側面)が「露骨に」伴っている ――だが、幾人かの著名な物理学者らはかする程度にしかその点について言及しようとしていない―― というのが
[現実]
であると述べられてしまうようになっているのだが(:ダンテ『地獄篇』のその伝での「際立っての」特質については(つい直上の部にてもそちらへの注意を向けたとの)本稿の先の段、出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55(3)を包摂する段で細かく論拠挙げつつ詳解なしているとのこととなる.尚、ダンテ『地獄篇』が[ベアトリーチェという愛の象徴(亡き想い人とのかたちをとる愛の象徴)に誘(いざな)われもしての人生に迷った男のあの世巡りの物語]であったこと、そして、同『地獄篇』が[ベアトリーチェによるあの世巡りの旅人ダンテに対する救済の試みの物語]であったことを想起させるように『異次元から覗く家』という作品も[異次元を覗く家のかつての住人の亡き想い人が[眠りの海]なる領域に立ち現われて,[愛の象徴]として異次元の領域を探索しようという男をなんとか救済しようという粗筋が展開する物語]ともなっていることからして[不気味さを際立たせているような記号論的一致性]の範疇に入るように筆者なぞはとらえているのだが、解説の煩瑣さがゆえにそのことは言及だけに留めておくこととする)、「とにかくも、」、話を続ける。
時間が意味をなさなくなるとの「現代的な意味での」ブラックホール理解が生まれるようになったのは、すなわち、
[アインシュタイン相対性理論より導出された存在]
としてのブラックホールの存在が「予言」される契機となったのは一般にあってはカール・シュヴァルツシルトという科学者が
[シュヴァルツシルト解]
を編み出した第一次世界大戦中のこと、1916年であるとの言明がなされている(※ブラックホール理論開闢史についてはかなり後の段、本稿にあっての 補説3でも細かくも取り上げるが、さしあたりの論拠としては下にての出典(Source)紹介の部65(5)を参照のこと)。
ここ出典(Source)紹介の部65(5)にあっては
[ブラックホールという存在にまつわる理解は1916年のシュバルツシルト解の提言に端を求められる]
とのことの典拠を紹介しておくこととする。
シュヴァルツシルト解がブラックホール理論開闢と結びついているとのことについて[基本的なところ]としてまずもって英文Wikipedia[ Black hole ]項目の記述を下に挙げることとしたい。
(直下、英文Wikipedia[ Black hole ]項目にての現行にあっての前半部記載内容よりの引用をなすとして)
Objects whose gravity fields are too strong for light to escape were first considered in the 18th century by John Michell and Pierre-Simon Laplace. The first modern solution of general relativity that would characterize a black hole was found by Karl Schwarzschild in 1916, although its interpretation as a region of space from which nothing can escape was first published by David Finkelstein in 1958.
(訳として)
「それが有する重力場があまりにも強く光りさえ逃げられないとの存在については18世紀(の末頃)、ジョン・ミッチェルとピエール・シモン・ラプラスに最初に考案されることになった。ブラックホールというものを特徴付けることとなった一般相対性理論に則っての最初の現代的なる解法は ――[そこよりのなにものも逃れえない領域]との解釈は1958年にあってデヴィッド・フィンケルシュタインによってはじめて発表されることになったわけだが―― 1916年にカール・シュヴァルツシルトによって発見されたところとなる」
(訳を付しての引用部はここまでとする ―※― )
(※尚、18世紀からブラックホールのような存在のことが観念されていた、ジョン・ミッチェルという人物および数学史に目立っての足跡を遺しているとのかのラプラスに端を発するところとして観念されていたと上にては表記されているわけだが、 Dark Star[暗黒星]といった呼称が与えられてもいた18世紀より観念されていたそれは今日のブラックホール理解とは異質な存在、ただ単純に[([光]=[粒子]仮説に基づいての)重力が強すぎて光がそこに閉じ込められて不可視化している天体]のことを指す(その点については下にて解説書よりの引用もなす)。他面、[時間]と[空間]を[時空(スペース・タイム)]として一体に見るとのことをなした([ニュートン力学における万有引力]に対して[時空の歪み]としての説明を付けた)とのアインシュタイン以後の理解では[ブラックホール]とは[時間を巡る法則がそもそも適用されない[時空間]に開いた穴としての存在]のことを指す ――本稿で「それ」にまつわる先覚性を問題視しているのは後者の方である―― )
につき、本稿で度々問題視してきたとの物理学者キップ・ソーンの手になる著作、
BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』
にあっての(ウィキペディアなどに比してかなり充実したところの)解説部よりその記載内容を引いておくことともする ―該当文言をもってしてオンライン上にてグーグル検索をかけることでそういう記述が書籍に認められるとのこと、すなわち、[文献的事実]であるとのこと、確認できるようになっているとの記載内容を引いておくこととする― 。
(直下、洋書 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy(1994)にあっての 3.BLACK HOLES DISCOVERED AND REJECTED[第三:発見、そして、拒絶されしブラックホール]の部、p.122からp.124にかけての掻い摘まんでの引用をなすとして)
Throughout the 1700s, scientists ( then called natural philosophers ) believed that gravity was governed by Newton's laws, and that light was made of corpuscles (particles) that are emitted by their sources at a very high, universal speed. That speed was known to be about 300,000 kilometers per second, thanks to telescopic measurements of light emitted by Jupiter's moons as they orbit around their parent planet.
In 1783 John Miahell, a British natural philosopher, dared to combine the corpuscular description of light with Newton's gravitation laws and thereby predict what very compact stars should look like. He did this by a thought experiment which I repeat here in modified form:
[ . . . ]
Nothing in the eighteenth-century laws of physics prevented so compact a star from existing. Thus, Michell was led to speculate that the Universe might contain a huge number of such dark stars, each living happily inside its own critical circumference,and each invisible from Earth because the corpuscles of light emitted from its surface are inexorable pulled back down. Such dark stars were the eighteenth-century versions of black holes.
Michell, who was Rector of Thornhill in Yorkshire, England, reported his prediction that dark stars might exist to the Royal Society of London on 27 November 1783. His report made a bit of a splash among British natural philosophers. Thirteen yeats later, the French natural philosopher Pierre Simon Laplace popularized the same prediction in the first edition of his famous work Le Systeme du Monde, without reference to Michell's earlier work. Laplace kept his dark-star prediction in the second (1799) edition, but by the time of the third (1808) edition, Thomas Young's discovery of the interference of light with itself was forcing natural philosophers to abandon the corpuscular description of light in favor of a wave description devised by Christiaan Huygens ― and it was not at all clear how this wave description should be meshed with Newton's laws of gravity so as to compute the effect of a star's gravity on the light it emits. For this reason, presumably, Laplace deleted the concept of a dark star from the third and subsequent editions of his book.
[ . . . ]
Only in November l915, after Einstein had formulated his general relativistic laws of gravity, did physicists once again believe they understood gravitation and light well enough to compute the effect of a star's gravity on the light it emits. Only then could they return with confidence to the dark stars ( black holes ) of Michell and Laplace.
The first step was made by Karl Schwarzshild, one of the most distinguished astrophysicists of the early twentieth century. Schwarzschild, then serving in the German army on the Russian front of World War I, read Einstein's formulation of general relativity in the 25 November 1915 issue of the Proceedings of the Prussian Academy of Sciences. Almost immediately he set out to discover what predictions Einstein's new gravitation laws might make about stars.
[ . . . ]
Schwarzschild mailed to Einstein a paper describing his calculations, and Einstein presented it in his behalf at a meeting of the Prussian Academy of Sciences in Berlin on 13 January 1916. Several weeks later,Einstein presented the Academy a second paper by schwarzschild: an exact computation of the spacetime curvature inside the star. Only four months later, Schwarzschild's remarkable productivity was halted: On 19 June, Einstein had the sad task of reporting to the Academy that Karl Schwarzschild had died of an illness contracted on the Russian front.
The Schwarzschild geometry is the first concrete example of space-time curvature that we have met in this book. For this reason, and because it is so central to the properties of black holes, we shall examine it in detail.
(上に対する筆者訳として)
「1700年代を通じて科学者ら、その当時は[自然哲学者]と呼ばれていたわけだが、彼らは重力はニュートンの法則にて支配されていると信じており、光はとてつもなく高速かつ普遍的なる速度にて発光しているとのcorpuscles(粒子)によって成り立っていると信じていた。その速度は母星の周囲を周回する木星の衛星に由来する光の測定のおかげで[およそ秒速300000キロメートル]であると知られるに至っていた。1783年、ジョン・ミッチェル、英国の自然哲学者たる彼が敢えても光にまつわるcorpusclar(光を構成すると往時、想定されていた仮説上の粒子)にまつわる記述とニュートンの重力の法則らを結合させるとのことをなしもし、それにより、[とても小さくもまとまった星](訳注:脱出速度との兼ね合いで光さえ逃さぬとの小さくまとまっての星たるダークスター)もあるであろうと目するに至った。彼ジョン・ミッチェルはここ本書にて私(訳注:『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』著者たる物理学者キップ・ソーンのこと)が修正を加えての式で再提示することとしたような思考実験を行った
・・・(中略/キップ・ソーンによるジョン・ミッチェルの思考実験の再現表記がなされての部となるも割愛)・・・
(ジョン・ミッチェルが生きた)18世紀にて周知されていた物理法則はそうした小さくもまともなった星の存在するとの考えをなんら妨げるとのものではなかった。こうしてミッチェルは宇宙は膨大な量のそうした[ダーク・スター]を内に含んでいるのかもしれないと推測するに及び至り、そうした星らはそれ自体満足いこうとのかたちでそれらにとり重要な境界線内にのみ存在、その表面から発する光の微粒子を(十二分に強力なる重力によって)内側に引き戻すがゆえに地球より不可視なる存在であるのであろうと推測するにまで至っていた。
英国ヨークシャーはソーンヒルの管長(訳注:ジョン・ミッチェルの正業は牧師であったため、原文Rectorは聖職との兼ね合いの語と解されるようになっている)であったとのミッチェルは[暗黒星]が存在しているかもしれないとの予測を1783年11月27日、ロンドンの王立協会に報告した。彼の報告は英国の自然哲学者らの間に(水をかけられたような)若干の衝撃を与えることになった。13年の後、フランスの自然哲学者ピエール・シモン・ラプラスがそのよく知られた自著 Le Systeme du Monde『世界の仕組み』の初版版にてミッチェルのより早期の事績に触れることもなくして同様の予測を周知させることとなった。ラプラスは1799年に刊行された同著『世界の仕組み』第二版にあっても同じくもの視点を保持・呈示し続けたが、同著第三版にあってはそうはしなかった。というのも、[トーマス・ヤングの光の解釈論にまつわる発見]が往時の自然哲学者らに光の微粒子としての叙述形式を放棄させしめるに至っていた、クリスティアーン・ホイヘンスによって考案された「光を波であろう」とする記述形態に対する支持を伴ってのかたちで放棄させしめるに至っていたからであり、そして、波動たる光に対する記述様式が[星の重力がその星の光の放射に対する与える影響を計算する]とのニュートンの重力理論といかようにして噛み合うのかまったくもって明らかではなかったとのことがあるからである。この理由のために、ラプラスは彼の自著にあっての第三版およびそれに続く版以降にあってダークスターの概念にまつわる記述を削除したらしいのである。
・・・(中略)・・・
1915年11月、アインシュタインが彼の一般相対性理論を定式化したすぐその後との折になってはじめて物理学者らは、いまひとたび、[彼らが重力および光についてその光の放射に関わる星の重力の効果を計算するに十分なる理解をなしている]と信ずるに至った。その時になってより彼らはミッチェルとラプラスのダークスターら(ブラックホールら)に対する確信に立ち戻ることができた。最初のステップはカール・シュヴァルツシルト、20世紀初頭にあって最も際立っての能力を有していた天体物理学者の一人たる彼によってもたらされた。シュヴァルツシルトは第一次大戦の折、対ロシア前線にドイツ軍兵士として従軍していた際にあって1915年11月25発行のプロシア科学アカデミーの会報でもって一般相対性理論の定式化を読み、把握することとなった。ほとんどその直後にとのかたちで彼シュヴァルツシルトはアインシュタインの新しい重力の法則が星々に対してなすであろうことの予測群を見出すための挙を開始した。
シュヴァルツシルトはアインシュタインに彼の計算を書き記した論文を郵送し、そして、1916年1月13日、そのアイシュタインがベルリンにてのプロシア・アカデミーの会合にてシュヴァルツシルトの代理としてそちらを発表した。数週間後、アインシュタインはアカデミーにシュヴァルツシルトの手になる第二の論文を呈示した。[星(訳注:この場合は恒星か)の正確な「時空の」歪みに対する計算結果]を、である。僅か4ヶ月後、シュヴァルツシルトの際立っての生産的活動は停止を見た。6月19日、アインシュタインはアカデミーにシュヴァルツシルトが対ロシア戦線前線にあって戦病死を遂げたとの旨、告げるとの悲しき役割を負うこととなった。[シュヴァルツシルト幾何]は本書(訳注:『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』)にて我々が目にするところの最初の時空の歪曲にまつわる正確な具体的事例となる。この理由のため、そして、それがブラックホールの特質にあっての中心をなすところであるがゆえに、我々はそちら(シュヴァルツシルト幾何)の詳細にわたっての検証をなすこととする」
(拙訳を付しての引用部はここまでとする)
以上に認められるように
「今日的な意味でのブラックホール理解が生じた画期(先程、述べたようにブラックホールという言葉が生み出されたのは1967年であるが、ブラックホール「的なる」事物への今日に通ずる理解が生じた画期)はシュヴァルツシルトの解法が世に出た1916年以降であるとされている」
とのことがあるわけである。
(:ちなみに[アインシュタインの「とんでもない」遺産](アインシュタインズ・アウトレイジャス・レガシー)といったニュアンスで後の世にて「とんでもない」付けで問題視されるようになったとのことである[ブラックホール]については、である。直近そこよりの引用をなしたとの BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』という著作(同著、本稿の先の段で他ならぬ同著自体が「とんでもない」側面を[事実]の問題として多重的に伴っているとのこと、事細かに問題となる部を原文引用なしながらも指し示さんとしてきた著作でもある)にあってからして
[アインシュタイン本人は頑にブラックホールの存在を容れようとしていなかった]
とのことが紹介されているとのことがある ――キップ・ソーン著作 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacyの 3.BLACK HOLES DISCOVERED AND REJECTED[第三章:発見、そして、拒絶されしブラックホール]の冒頭部、p.121にあって(オンライン上より該当部テキスト入力で文献的事実であることを確認できる余地があるがゆえに以下、原文引用するところとして) The essential result of this investigation,” Albert Einstein wrote in a technical paper in 1939, “is a clear understanding as to why the Schwarzschild singulariaes' do not exist in physical reality.” With these words, Einstein made clear and unequivocal his rejection of his own intellectual legacy: the black holes that his general relativistic laws of gravity seemed to be predicting.
(訳として)「「この精査の本質的なる帰結は、」そのようにアルバート・アインシュタインは1939年にての専門的論文にて書き、続けて、「物理的実体としてシュヴァルツシルト特異点が何故存在していないとのことになるかの明瞭なる理解となる」と書いている。これらの申しようからアインシュタインは自己の知的遺産、すなわち、彼の重力の一般相対性理論が予測しているように見えたところのブラックホールに対する明確かつ絶対的なる否定の姿勢を前面に押し出してもいた」(訳を付しての引用部はここまでとする)と記載されているところともなる―― 。
といった風に
[(先にての引用部によって言及されているような式で)現代的ブラックホール概念提唱の前提条件となった一般相対性理論(シュバツルシルト・メトリックが提言されだした1916年の一年ほど前の1915年提唱)]
の提唱者となっていた他ならぬアインシュタインをはじめ科学界の有力者にその存在にまつわる議論が[総好かん]を食らっていたとのブラックホール概念が科学的に認められる契機を造り出したのは[スブラマニアン・チャンドラセカールという若き科学者による1930年代の挙](そちら帰結からしてアインシュタインは認容していなかった節があるものの挙)であるとのことが現況、広くも周知されているとのことがある ――それについては和文ウィキペディア[ブラックホール]項目にあっての現行の[理論史]の節にあっての記載内容程度のものからして(そこよりの一文のみ原文引用をなすとして)1930年に、インド出身でイギリスに留学に来ていた当時19歳のスブラマニアン・チャンドラセカールが、ブラックホールが存在することを初めて理論的に指摘したが、当時の科学界の重鎮アーサー・エディントンがまともに検討することもなく頭ごなしに否定した
(引用部はここまでとする)と表記されているようなところが科学史にて取り沙汰されているとの背景がある(同じくものことについては BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacyの 4.THE MYSTERY OF THE WHITE DWARFSの章、国内にて流通を見ている訳書『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』(白揚社刊)では[第4章 白色矮星の謎]と訳されてもいるセクションにて[シリウスBという白色矮星の崩壊過程を巡る考察がいかにしてブラックホールにまつわる理論予測につながったかについての詳述がなされている]との式にての委細にまつわる表記がなされていることともなる)。 尚、【[シリウスB]にまつわるブラックホール理論開闢史にあってのチャンドラセカールという若者による予測挙動】までもが[際立って奇怪なること]と地続きになっているとのこと「も」あるのだが、その点については本稿のさらに後の段にあって膨大な文量を割いての解説(書籍 Empire of the Stars Friendship,Obsession and Betrayal in the Quest for
Black Holes(邦題)『ブラックホールを見つけた男』(草思社)といった書籍などよりの引用をなしながらもの膨大な文量を割いての解説部)でもってして煮詰めることとする所存である―― )
(出典(Source)紹介の部65(5)はここまでとする)
直近の出典(Source)紹介の部65(5)にて
[相対性理論に基づいての今日的な意味合いでのブラックホールにまつわる理論が生まれる培地が整ったのは1915年から1916年にかけてである]
とのことの呈示に努めた(そして、そうもしたありように立脚してチャンドラセカールというインド系物理学者が(周囲よりは提唱理論否定のうえで冷遇されながら)ブラックホールの存在を具体的に示したのが1930年代であったというのが科学史上の周知されてのトピックとなっているとのことについての先駆けての表記をなした)。
といったことから鑑みるに、(繰り返しになるが)
英国人作家(ウィリアム・ホープ・ホジソン)の手になる、
The House on the Borderland(邦題)『異次元を覗く家』
と題されての1908年に世に出た怪奇小説(「問題となる」1915年から1916年より見ての7年から8年前に世に出た怪奇小説)が
[[地に開いた巨大な底無し穴]と隣接・連結しているとの[「時間の流れ」が外界に対して止まっているがごとき如き場所]にして[遙か遠未来、世界の終わりの時期へと来入者をいざなう領域](呪われた屋敷)]
という「どうしてこのようなものを持ち出したのか?」と疑義呈さざる場を作中主要舞台として設定、
[[「時間の流れ」が外界から見て止まったような状況]となり、[時空間の法則が破綻する領域]を内包するとの[底無しの穴]たるブラックホール]]
のことを想起させる格好となっていた
ことのできすぎ具合について推し量りいただけることか、とは思う。
さて、そうしたブラックホール「的なる」ものが
[異なる時空間を橋渡しするもの]
として嚆矢的に登場させられているとの指摘がなされている作品が ――先立っての段でも英文Wikipedia[ Black holes in fiction ]項目にあってその名前が挙げられていることを紹介した著作としての―― The Sword of Rhiannon『リアノンの剣』という小説作品となる(:同 The Sword of Rhiannon『リアノンの魔剣』については、英文Wikipedia[ The Sword of Rhiannon ]項目に The novel was first published in the June 1949 issue of Thrilling Wonder
Stories as "Sea-Kings of Mars".
(訳として)「同小説は1949年6月にて最初に『火星の海王たち』(シー・キングス・オブ・マーズ)との題名でスリリング・ワンダー・ストーリーズ誌にて初出を見たとのものである」と記載されている作品となる) 。
先だっての段では
「 The Sword of Rhiannon『リアノンの剣』という作品が[ブラックホール「的なる」もの]を登場させていることそれ自体に関しては[科学理論の流布態様の問題]からさして奇異たることには映らないかもしれない(取り上げるに値する[黒白]にあっての[黒]にはならない)」
との旨、申し述べもしていたわけだが(その意では直近の段にて言及した『異次元から覗く家』にあってのそれのようなブラックホール自体にまつわる先覚性は問題にならないとも受け取れる)、ただ、『リアノンの剣』という作品に関してもここ[脇に逸れての補足部](ヴォネガット小説にみとめられる問題性を訴求するための話が[主]であるところを[従]として展開しているとの補足部)にて問題視しているところ、
「【ブラックホール】に通底する事柄への言及文物には[先覚性]との絡みで[異常なる側面]もが往々にして現われていることがある」
とのことが「如実に」当てはまりもする。であるから、(ここ脇に逸れての補足部では)これより同作『リアノンの剣』にまつわる細やかな解説をなすこととする。