典拠となるところの明示[110]――[白色矮星シリウスBにまつわってのロバート・
テンプルの物議を醸しての主張内容]から[チャンドラセカール限界]へ

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古典文物らにてそれにまつわっての異常異様な先覚的言及がなされているとの解釈が自ずと出てくるシリウスB、そちら白色矮星シリウスBが何故、ブラックホールと結びつくのかについて 補説3

 前頁にあっては

[シリウスBの天体としてのパラメータ ―公転周期50年、シリウスの伴星として肉眼目視不可能性― に異常異様なる先覚性でもって言及しているとのローマ期古典が存在しているとの指摘がなせてしまう]

[上の先覚的言及に関しては[ケルベロスがギリシャのヘシオドスによる『神統記』にて50の頭を持つと叙述されている]とのこともまた関わる]

[[ケルベロス]とはヘラクレスの12番目の功業にて捕縛された存在と伝わるが、同ケルベロス捕縛に至るまでのヘラクレス12功業 ―第10功業、第11功業、第12功業― の内容と多重的に結びついているとの著名古典が存在しており、その著名古典ダンテ『地獄篇』ではケルベロスよろしく三面構造を呈するルシファーの領域が[ブラックホール](今日的な観点で見た場合のブラックホールと呼ばれるもの)と相通ずるようになっているとの指摘がなせるようになってしまっている]

との指し示しの流れに照応するところとして

[シリウスBについては[同天体によってブラックホール理論がこの世に産み落とされる契機になった]との指摘が存在し、また、そうもした指摘については[シリウスBの最も目立つシリウスA伴星との地球に対するポジション]および[科学の発展動向]から見れば、自然なことであるととれるような事情も存する]

とのことの説明に入りもした。

 より具体的には

シリウスBについては[同天体によってブラックホール理論がこの世に産み落とされる契機になった]との指摘が存在している

シリウスBの地球に対するポジションと科学の発展動向から見れば、同天体がブラックホール理論の開闢と結びついているとのことは自然なことであるととれるような事情が存する

との二段階に分けてなすと明示しての解説(そして、「がてらも、」の典拠紹介)の部に入りもした。

 そうもした流れに沿って前頁までにあっては

シリウスBについては[同天体によってブラックホール理論がこの世に産み落とされる契機になった]との指摘が存在している

とのことの解説(がてらもの典拠紹介)をなし終えた。

 ここ本頁にあっては、次いで、

シリウスBの地球に対するポジションと科学の発展動向から見れば、同天体がブラックホール理論の開闢と結びついているとのことは自然なことであるととれるような事情が存する

とのことの典拠紹介をなすことからはじめる。

 さて、

[シリウスBがブラックホール理論の開闢と結びついている]

とも述べられるわけであるが、先述のように[シリウスB]に対する[シリウスA]が

[農耕発展史と密接に結びつくような星にしてこの地球から見て最も目立つ「恒星」 ―地球近傍の「惑星」・「衛星」たる月や金星には見やすさで劣るが、「恒星」としては全天で最も目立つと先述の天体― ]

となっているとの事情がある(本稿の先の段出典(Source)紹介の部95(6)でも Project Gutenbergのサイトより全文閲覧・ダウンロードできるところの The Golden Bough A Study in Magic and Religion Vol. VI. of XII. Part IV: Adonis Attis Osiris. Vol. 2 of 2.(『金枝篇』第6巻第4章(の2)[アドニス・アッティス・オシリス]1911年版)にあっての§ 2. Rites of Irrigation.[灌漑の儀式]の節よりの抜粋をなし、 And the sign of the rising waters on earth was accompanied by a sign in heaven. For in the early days of Egyptian history, some three or four thousand years before the beginning of our era, the splendid star of Sirius, the brightest of all the fixed stars, appeared at dawn in the east just before sunrise about the time of the summer solstice, when the Nile begins to rise. The Egyptians called it Sothis, and regarded it as the star of Isis, just as the Babylonians deemed the planet Venus the star of Astarte.地にての水位上昇の気配は天にての予兆を伴ってのものであった。というのも、エジプト史揺籃期、我々の時代の幕開けより三千年から四千年ほど前にては、すべての恒星の中にて最も輝いていた壮麗なシリウスの星はナイル川が水位上昇を見始める時である夏至の折にて、日の出の少し前の夜明け頃、東から現れる星であったからである。エジプトの民らはそのシリウス(訳注:正確には不可視の白色矮星であるシリウスBに対して連星として空にて極めて目立つ可視化存在たるシリウスA)をもってして[ソティス]と呼び習わし、バビロニア人が金星をアスタルテの星と考えたように、それを[イシスの星]と看做していた」(訳を付しての再度の引用部はここまでとする)とのことを紹介していたとおりである)

 従って、夜空にてそのシリウスが

文明(農耕と結びついた食料供給のシステムでもある)を構築していった者達](原初人類でもいい)

からよくも観察されるのは必定、そして、天体観測技術が発展すれば、そこに[シリウスB]との肉眼目視不可視の伴星が伴っていることも遠からず知られることになるのも必定。そう受け取れるようになっている。さらに述べれば、文明が発達していく中で「地球圏より最も目立つ」恒星たるシリウスAの伴星たるシリウスBが小さい星であるうえに極めて重い星であることが遠からず知られることになるとのことも必定シリウスAとその発見されし伴星が相互に辿る軌道および地球との距離関係などにつき考察・望遠鏡観察がなされれば遠からず知られることになろうとのことも必定。そのように受け取れるようになっている。
 そして、 ―今日のGPS技術(グローバル・ポジショニング・システム技術)の位置補正にも有名どころとしてその応用成果が使われ、それなくしてGPS装置が正確に作動しないことに見るように人類の科学にとり不可欠な地歩を占めるに至っている相対性理論と呼ばれる理論体系の提唱をなすまでに文明が発達しているのならば― そのシリウスBの分析からブラックホールの特性予想がなされることになるのも必定、であるがゆえに、「そうなるべくして」シリウスBがブラックホール理論の開闢の契機となる星となったと受け取れ「も」する。

 以上、「必定」続きの話と結びつくところとして、

[シリウスBの地球に対するポジションと科学の発展動向から見れば、同天体がブラックホール理論の開闢と結びついているとのことはある種、自然なことであるととれるような事情が存する]

とのことの典拠となるところを先に抜粋した書籍『ブラックホールを見つけた男』より引用なしておくこととする(出典(Source)紹介の部96と多くも重複するところもあるが、とにかくも、上記のことに関わるところよりの引用をなす)。


| 出典(Source)紹介の部96(2) |

 ここ出典(Source)紹介の部96(2)にあっては

[シリウスBの地球に対するポジションと科学の発展動向から見れば、同天体がブラックホール理論の開闢と結びついているとのことは自然なことであるととれるような事情が存する]

とのことにまつわっての論拠を紹介する。

(直下、訳書『ブラックホールを見つけた男』p.94-p.95より引用をなすとして)

[シリウスBはシリウスAの伴星である。シリウスAは夜空でいちばん明るい星で、太陽の二六倍もの明るさがある。・・・(中略)・・・九世紀の天文学者たちがシリウスAに伴星があるのではないかと考えるようになったのは、シリウスAが滑らかな軌道をたどらず、ふらつくことに気づいたからである。・・・(中略)・・・シリウスAとシリウスBが互いの周りを回るのに要する時間と軌道の不規則さの度合い、さらに地球からこの二つの星までの距離から、天文学者たちはシリウスBの質量を計算することができた。その結果、シリウスBの質量は太陽とほぼ同じで、ほぼ2×1033グラムであることがわかった。・・・(中略)・・・半径も一万八〇〇〇キロメートルほどと計算されたが、・・・(中略)・・・言いかえると、シリウスBは、地球と大して変らない体積のなかに太陽の全質量を詰め込んでいるのである。このために、シリウスBの平均密度は一立方センチメートル当たり、なんと六万一〇〇〇グラムにもなってしまった。白色矮星の密度が極端に天体物理学者たちは、このような星の記述には、これまでとは別の形の完全気体の法則を捜さなければならないのではないかと考えた

(引用部はここまでとする)

 上にて述べられているのは、

「地球から距離86兆キロ(光が1年に進む距離、1光年が9.5兆キロであるので約8.6光年)と遙か彼方にあるのにも関わらず、その明るさより[夜空で一番明るい恒星]となっているシリウスAの伴星シリウスBが発見された後、地球とシリウス星系の距離、そして、シリウスAとシリウスBのお互いの軌道の関係性から天文学者らはシリウスBの重さまで割り出すことができ、によって、シリウスBの軌道計算から導き出せる重さが1立方センチメートル当たり61000グラムが詰め込まれているとの途方もないものであると判明したため、従来の法則を改めて見なければならぬとのものであった」

とのことである。

 そこより白色矮星シリウスBが

[(相対性理論登場の流れを受けての)ブラックホール理論の開闢に関与した天体]

として科学史に浮上してきたのには[シリウスBが伴星となっているところのシリウスAの地球にあっての重要性 ―最も星天にあって目立つとの恒星であった(※)との側面、そして、文明発祥の地で灌漑時期判断材料として用いられてきたような目印としての重要性― ]からと受けとれる。

(※上にての邦訳版『ブラックホールを見つけた男』よりの引用部では「シリウスが夜空で一番明るい星である」と表記されているが、それについては英語のスターを[恒星]と訳しての[恒星(star)としては最も明るい天体]とのニュアンスを旨く汲みとれきれないものであると思われる。地球から見える最も明るく見える天体は月、次いで、金星と表するべきところで、シリウスは「恒星としては」最も明るい目立つ天体と述べるべきところであろうか、と思われる ―英文Wikipedia[Sirius]項目のVisibilityとの節にても(極めて常識的なところとなるが) With an apparent magnitude of -1.46, Sirius is the brightest star in the night sky, almost twice the brightness of the second brightest star, Canopus. However, it is not as bright as the Moon, Venus, or Jupiter. At times, Mercury and Mars are also brighter than Sirius.と表記されており(シリウスAは恒星starとしては最も明るい星だが、その明度は恒星ではないとの地球近傍の天体、サテライト衛星やプラネット惑星としての[月][金星][木星]に劣ると表記されており)、紛らわしいところか、と思われる― )

出典(Source)紹介の部96(2)はここまでとする)


 以上、ここまでにて

[シリウスBについては[同天体によってブラックホール理論がこの世に産み落とされる契機になった]との指摘が存在している](出典(Source)紹介の部96

[シリウスBの地球に対するポジションと科学の発展動向から見れば、同天体がブラックホール理論の開闢と結びついているとのことは自然なことであるととれるような事情が存する](上出典(Source)紹介の部96と重複するところ大なるところとしてながらもの出典(Source)紹介の部96(2)

とのことを解説した。

 さて、[シリウスB]については以下、再掲のことを述べもしてきたとの経緯がある。


(先にての[B]の段で詳説なしてきたところにつき再度振り返って)

 ロバート・テンプル、『シリウス・ミステリー』 ―帰結自体は[常識の奴隷ら]に軽侮を買うことも多かろうとの地球「外」知性の初期文明介入仮説展開の書籍― の著者の主張を論拠「補って」分析することで

[[]の星として定置されてきた[シリウス]の伴星で[可視存在(シリウスA)に対する不可視存在]になっている[50]の公転周期を持つシリウスB](肉眼目視が完全に不可能であるため、19世紀になるまでその存在が一切捕捉されることはなかったとの天体)

が現実にそこにある一方で(確とした事実として存在している一方で)のこととして、

[[]にして[シリウス]と濃厚に結びつく存在で[可視存在と不可視存在の分割]と結びつく存在にして[50]との数値と結びつく存在]

などとの奇怪なるものがプルタルコスの手になるローマ期古典に見出せるとのことがある。
 そうして[シリウスBを意識させる存在]のことが古文献(の中の文献的事実)のみによって実際に指し示せるとの中、シリウスB自体が発見されたのはここ百数十年のこと、19世紀後半以降のことである(肉眼目視が絶対に不可能な白色矮星、シリウスBの観測は先述のようにアルヴァン・グラハム・クラークの手になる1862年のそれが初である)。「それがゆえにこそ、」の奇怪無比さである。


 以上のようなことについてロバート・テンプルは

[シリウス星系に出自を持つ存在が介入しているからそのようになっているのではないか]

とのことを ―[可能性論][仮説]と額面上は銘打ってであるが― 強くも前面に出しての主張をなしている(※)。

(※本稿の先の段([A]から[F]に分けての中での[B]の段)で解説してきたところのロバート・テンプルの主張特性についての補足として)

 水準が高い人間としてロバート・テンプルはこれぞ[狂気の行状]といったやりよう ―ないしは詐狂者としての駄法螺の類(まともな話を妄言で埋め立てようとするの式での駄法螺の類)を撒くことでシステムに認容されているとの下らぬ相応の手合いのやりよう― といった按配で「論拠・支持材料を伴わぬ」がゆえに[断言・明言できぬこと]を流布するとのことをなすような人間「ではない」。

 同男ロバート・テンプルは

[シリウス星系に居を定める存在が地球文明に干渉したと考えるのが自身の「仮説」である]

とハイポセシス、[仮説]であることを断っての[宗教の徒輩](未確認飛行物体「宗教」の類ら)とは異なるやりようをとっているのである(:テンプルが軽んじられないのはその[仮説]に見るべきところが多いからでもあるのだが、その点については、ここまでにて論じてきたことである)

 につき、テンプル主張特性について解説するところとして ―本稿筆者にはテンプルの説の一部の欺瞞性(下にても端的に言及するが如き欺瞞性)よりロバート・テンプルの主張の[帰結]までを援用擁護する意図はないのだが、引き合いに出している説であるためにテンプル主張特性について解説するところとして― テンプルは『シリウス・ミステリー』冒頭部にて次のようなことを述べてもいる。

(直下、 Robert Temple The Sirius Mystery冒頭部の What is the Mystery?にて述べていることを原文引用なすとして)

It should not surprise us that there must be other civilizations in our galaxy and throughout the entire universe. Even if the explanation of the Sirius mystery is found to be something entirely different in the years to come (though I cannot imagine what), we should bear in mind that, as we are definitely not alone in the universe, the Sirius mystery will have served to help us speculate along proper and necessary lines, and opened our innately lazy minds that much further to the important question of extraterrestrial civilizations which must certainly exist.
[ . . . ]
In the light of the evidence connected with the Sirius question, as well as other evidence which has either been dealt with by other authors or remains to be tackled in the future, it must be entertained as a serious possibility that civilization on this planet owes something to a visit by advanced extraterrestrial beings. It is not necessary to postulate flying saucers, or even gods in space suits. My own feeling is that this.

(拙訳として)
「我々の住まう銀河および全宇宙にあって他の文明が存在しているにちがいないとの観点は我々を驚かせるようなものではないはずである。たとえもし、本書『シリウス・ミステリー』の説明が将来にて[全く異なる何か]を指すとのことが判明しようとも(しかしながら私はそれが何たるか分からない)、我々は我々が宇宙にて唯一無二の存在でないこと、心に留めておくべきであり、本書『シリウス・ミステリー』が適切かつ当然たる線らを推察(スペキュレイト)するうえで助けとなろうとこと、および、本書がさらに遠くへと、我々の生来、知的に怠慢なる精神をして確かに存在しているに違いないとの地球外文明に対するより重要な問いへと向かわせることを心に留めておくべきである。
・・・(中略)・・・
他の著書らに扱われてきた、あるいは、将来にて取り組まれるだろう残余の部と同じくもシリウスにまつわる問いと接合した証拠の照らすところによれば、[この惑星地球にての文明が[先進的な地球外の存在の訪問]にて幾分かのところを拠っている]という重んずべき[深刻なる可能性](possibility)が考慮されなければならないだろう(訳注:テンプルは[深刻なる可能性]としてドゴンに伝わる水陸両棲の神格ノンモが人類に文明を与えた異星人の寓意的象徴物ではないだろうかとのことを問題視している論客である)。[空飛ぶ円盤]の類や宇宙服に身を包んだ神々を仮定する必要はないが、私の気持ちはそうしたものである

(引用部に対する訳はここまでとしておく)

 以上引用部に見るようにロバート・テンプルはシリウスよりの知的生命体の介入理論について[断言]をなしておらず、代わって、それが自己の支持する[一つの可能性論][一つの仮説(Hypothesis)]として問題視しているとの向きとなる(他面、商業主義、あるいはその他の理由があってなのだろうか、国内にて流通を見ている The Sirius Mysteryの邦訳版にあっては『知の起源 文明はシリウスから来た』などとのタイトルその字面のレベルでバイアスを強くも前面に表出させたものとしてのものとなっている)。

 そして、同テンプルは、(直上にても一言述べていることとなるが)、日本そのほかに見受けられる[UFO教信者]のような向きら、[物病み]あるいは[マニアック](英語本来のニュアンスでもっての悪い意味での「マニアック」である)と世間的には表されるような向きらと同文のやりよう、

[「証拠が伴っていない」ないし「何ら質的に重きを置くに値しない材料(捏造の可能性が顧慮されるような証拠や証拠として主張されているもその実、事実関係に全く即していないか科学的に明らかに誤っているとのもの)しか伴っていない」ところで[エイリアン]や[未確認飛行物体]の存在の類を[真実]と呼ばわるような ―いかにも物病みらしい― やりよう]

をとるような向きではなく、そうしたやりようをとるUFO狂(ないしUFO狂仕様の詐狂者)と自身を峻別するように手ずから強調している向きともなる。

 にまつわり、ロバート・テンプルは『さもありなん』ととれるところとして、

自身を順を追って批判できずに貶めようとの「卑劣な」向きに限って自分をUFO宗教( UFO Religion )の徒輩と[同一化]するようなやりようをとるのだ

と強調しており、その点については例えば、次のようなオンライン上に認められるテンプル言辞から伺い知れる。

(『シリウス・ミステリー』という著作がかつてカール・セーガン (本稿の先の段、補説2の部にあっての出典(Source)紹介の部80から出典(Source)紹介の部85を包摂する解説部にてその問題となる特性につき細々と解説してきたとの小説『コンタクト』の作者にして一時期、米国科学界を代表していた論客) の批判にさらされた書ともなった件につき)オンライン上にPDF形式で公開されている文書、

THE SIRIUS MYSTERY :Answering the Critics(1997)『シリウス・ミステリー:批判家らに対する回答として』

と題されての文書ではその冒頭頁、1と振られた頁にて次のように主張している。

(直下、 THE SIRIUS MYSTERY :Answering the Critics(1997)より原文引用するところとして)

Carl Sagan published an attack on The Sirius Mystery in the August 1979 issue of Omni Magazine, entitled 'White Dwarfs and Green Men' (pp. 44-9 and 116-8). The subtitle was 'Did ancient astronauts visit the Dogon?' Anyone who has read my book will know that I have never suggested that ancient astronauts visited the Dogon, nor did the Dogon exist in ancient times for any ancient astronauts to visit, of course. The fact that Sagan was launching a public attack on me on such a false basis seemed to me pathetic in the extreme. If you can't criticize someone honestly, why bother to do so dishonestly?

「1979年8月号オムニ誌にての44から49ページおよび116から118ページにて掲載の『白色矮星と緑の小人』(訳注:リトル・グリーン・マンは英語圏にてウチュウジンと呼称される存在を指す俗語のことである)と題された記事にてカール・セーガンは『シリウス・ミステリー』に対する非難をなした。その副題は『古代にて宇宙飛行士がドゴン族を訪問したのか』と振られてのものだった。私の本を読んだ向きならば誰でも知っていることとして、私は決して[古代宇宙飛行士]がドゴンを訪問したとは提案していない (訳注:但し、すぐに把握されるところとしてテンプルはシリウスに由来する異星文明のドゴンへの介入可能性を積極的に[仮説]として前面に押し出しているので、テンプルの言い様はいささか妥当性を失するようにもとれる)。 カール・セーガンがそのような過てる前提に基づいて私に対する公的非難をなしはじめたとの事実は[「際立って」感情的なやりよう]であるととらえているもし読者が誰かを誠実・正直に非難することができないのならば、何故、不正直・不誠実なるやりようで非難することをなすとのこと、思い悩むことがあろうか

(訳を付しての引用部はここまでとしておく)

 さて、ここで申し述べるが、

[相応の存在ないし相応の存在の手先にとって真っ当に対峙しても批判がなせぬとの標的となる言論の申しよう]

が現実にそこにあった場合、それを[台無し]にする(あるいは[毀損]する)やりようとしては

[標的の存在自体ないしその言論を物理的暴力ないし言論封殺で視界「外」に持って行く(放逐する/先進国では本来的に違法なる検閲censorshipを相応の人間 ―あるいは人間未満のリモコン付きのチンパンジーあるいは豚でもいいが― を用いて実行する)

とのやりようも観念されるところであるが、

[薬籠中の権威(と世間的に認知されている類)にターゲットのこき下ろしをなさしめる]

あるいはその対極として

[(言論を完全に視界外に持って行きがたく、その潜在する威力よりターゲット自体の存在を知らしめること自体がマイナスとなるとの判断がある場合は)信用性を毀損させるような下らぬ者達 ―インテリのフリをさせているだけといった程度低きごろつきの類など、はなから取り合うに足りる内面が欠乏を見ているとの下らぬ者達― に毀損させる方式での部分的担ぎ上げ(広域指定暴力団が政治屋に対してやったような褒め殺し方式である)をなさしめる]

との手管が用いられるケースが考えられる(ただし前段階として存在自体がないように無視の力学を強くもはたらかせるとのことが当然に観念されもするわけだが)。

 以上述べたうえで
「問題なのは、」
『シリウス・ミステリー』著者ロバート・テンプル言論に対して

[カール・セーガン (同セーガン自身が実際はマーベラスとしか述べようがないやりようをとっていたとのことは本稿補説2の段で[セーガンの[嗜虐的な隠喩的言及の予言者]としてのやりよう]との絡みで事細かに問題視している) のような人間が音頭を「とらされ」ての不適切不穏当な批判を平然となす]

とのことがなされ、もって、

[[中途半端なところ]から議論が[より真っ当な方向]に向けて決して向上していない]

と現実に見受けられるとのことがあることである。

(:尚、以上のこと、ロバート・テンプルを擁護するように述べている人間とはなるが、筆者はロバート・テンプルに全幅の信を置いているわけでもなければ、同男をして全面的殉難者であるなどと思っているわけでもない。
 そうも見ている理由の第一。同ロバート・テンプルが実際には[徹底無視](ないし[言論封殺])とのかたちで世の言論機構に応じられたわけではないとのことがあり、[中途半端なもの]ながら自説をカール・セーガンに「不適切に」批評される程度にまでは広められたとのことがある。そして、その点については本稿にての出典(Source)紹介の部95(3)でもって示したように[アフリカのマリのドゴン族の信憑性おけぬと総括されている伝承体系]を同男、ロバート・テンプルが過度に重んじていることで ―当人がそのような状況を認容していようと認容していまいと― テンプルは結果的に[闘犬にて負けるためにはなから用意されているとの噛ませ犬][目立ってのアンダードッグ]のようなものに「されてしまっている」向きであるとの可能性も脳裏をよぎるとのことがある(テンプルは間違いなく智者の範疇に入る人間とはとらえているのであるも)。 
 理由の第二。ロバート・テンプルの主張が[人間存在を芥子粒程度にしか看做していないとの悪辣な側面で満ちあふれているこの世界の[現状]にての忌むべき側面]を一切無視、[「往古にての」異星系文明の知的介入があった]ことを[神のような存在]との絡みで[仮説]として問題にしているにすぎないとのこと「も」テンプルを殉難者とは見れず、また、そのやりように共感を持てないとのことがこの身、本稿筆者にはある。テンプルが「往古にて」高度文明を持った存在が人類に文明を接受したとの仮説を唱道するに留め、この世界に嗜虐的特性が「いまなおもって」顕在化しているように受け取れる[現状]を一切無視していることに筆者のような人間には「胡散臭い」と感じさせられるところがあるのである(:それは世間一般に数多いるとの賢き臆病者らの特性、本当に恐ろしいことは一切合財見ないようにして結局は[自身の確定した運命]を変え得ぬとの特性かとも見るのだが ―(その点、[生存をなさしめる賢さ]と[生存をなさしめる臆病さ]は大概もって比例関係にあるともとれるがゆえ筆者などは世間一般の中で[単純な生存を約束する知性]だけはあるとの向きには愚人ないし狂人と取られてしまいがちであろうが、「最早、後がなく、といった局面では死命を賭すしかない」との帰結に至った人間として「話はそれで済まない」とのことを訴求しているのが本稿であると強調しておきたい次第でもある)― 、テンプルやりように関してはそうした世間の気風を理解したうえで消極的に[読み手・聞き手が見たくないところを見せないようにしている]というより、能動的に[読み手・聞き手に見せたくないことを文明の接受者としての異星文明の介入などといったロマンチックな話の筋立てで隠している]ような側面が感じられなくもないのである)。 
 テンプルに全幅の信を置いていないし、同男を殉難者と見ぬところの理由の第三。フリーメーソンであるとのオンライン上の言辞が同ロバート・テンプル「自身」に由来するところとして存在しているとのことも筆者がロバート・テンプルについて属人的に信のおけぬ理由となっているとのことがあるわけだが(ただし、それは属人的特性の問題であり主張適正さの問題ではない.程度の高い人間の物言いに対して属人的特性と主張適正さの問題を履き違えるのは宗教的狂人 ―コンピューター・プログラムのように決められた思考しかなせぬとの存在― など他愛もない相応の人種らだけであろうとも当然に見ている)、 同テンプルに関しては[シリウスC(彼の言で言うところのシリウス・トリプル・スター・システム)なるもの]の存在を無責任・不穏当に主張しすぎているきらいもまたあり(ただし、シリウスCなるものが「これより」発見される可能性も絶無ではないとも受け取れる)、もって、[程度の高い情報発信者に相応しからぬやりよう]「をも」取っているとの観点で「信がおけない」と見ていることもある)

 後半部は筆者の意見も付すことになったが、これにてロバート・テンプル主張に対する補足とした。

 ここに至るまでに摘示してきたことらにあって「危急存亡に関わるところとして問題なのは、

[ロバート・テンプルが強くも[仮説]として前面に押し出しているようなところ、[シリウス星系に出自を持つ存在が介入しているからそのようになっているのではないか]とのこと、「ありもするかはきと分からぬ異星文明 ―その点、筆者は亜地球・パラレルワールドの存在仮説のことも本稿の先の段で(筆者が重んじている重力波の問題なども交えつつ)紹介している― についての仮説の中身の軽重・適正さへの出口の見極めがたい思考]

よりもむしろもってして

複合的に[ブラックホール]と[トロイアの崩壊]に通ずる寓意]が奇怪な先覚性を伴ってのかたちで【共通のコンテキスト(文脈)】上のものとして過去から現在に至るまで存在しているとのことが具体的事実関係の束から、そう、相互に連結する態様にて巨大な動かしがたい一つの山脈をなしているとの具体的事実関係の束から導出できるとのことがある. そうもした中で、「他面で」のこととして、天体[シリウスB]がブラックホール理論開闢にシリウスの位置および天体それ自体の特性からそうなるべくして関わっているとの節がありもし(既述のように[チャンドラセカール限界]というものが星天にあって極めて目立つシリウスの伴星であるシリウスBの特色観察より導出され,その先にブラックホール理論の開闢があったとのことがあり)、またもってして、そちら白色矮星[シリウスB]、19世紀になってようやっと発見された同天体を表象しているといった按配の[異様なる先覚性]を伴っての古典記述がみとめられるとのことがありもし、かつ、そのことにすら問題となる【共通のコンテクスト(「複合的に」[[ブラックホール]と[トロイアの崩壊]に通ずる寓意]が奇怪な先覚性を伴ってのかたちで具現化している中でそこにみとめられる【共通の文脈】)との接合性が[ヘラクレス12功業]というものを介してみとめられもするとのことがある

とのその事実であると判じられる(:世の中には「たまたまそうなっているだけなのかもしれない」との見立てをまったくもって排除できないとの話、たとえば、[火星に人面状の岩が存在しているらしい(現在は[パレイドリア効果]というものによる錯視の賜物と見られている)]といったことをもってそれを異星文明の介在の証左となしたりするやりようが存するが、ここで問題視しているのはそのような性質のこと ―ロバート・テンプル「ですら」そのような物言いはなさぬとのこじつけがましきこと― ではなく、山なす具体的事実(過半は不変なる文献的事実とそこより導き出せることら)がまずもってそこにあり、それらより[ブラックホール]と[トロイアの崩壊]のことが「奇怪にも」明示的に浮かび上がってくるとのことである ―につき、[シリウスBが人類史にあって相対性理論の鬼っ子であったブラックホール理論の検証に(なるべくして)用いられたと考えられる]などということだけでそうしたことに注意を向けているの「ではない」。同じくものことを問題としているのは山ある論拠から[ブラックホールと関係性の環の中で多層的に接合するとの古文献に見る異常なる先覚的言及ありよう]が現代科学史にあっての(シリウスBと結びついての)[ブラックホール理論の開闢]とさえも多重的・複合的に接合していることすらある、ということなのである(につき、筆者筆力の問題から理解に窮するとの向きも続く段をよく検討いただきたいものである)― )

 以降、上にて表記のことについて、ここ補説3の部で指し示したいところを([D]と振っての続く段以降にて)呈示していくこととする。

 ここ補説3の部にあっての[A]から[F]と振っての段 (うち、現在は[D]の段にて筆を進めている) に入ることになったとのその前に本稿では[1]から[5]と区分けしもして

[古典『地獄篇』が「どういうわけなのか」多重的・執拗に[ヘラクレス12功業]と結びつけられている]

と述べられるところの論拠を事細かに摘示していた(出典(Source)紹介の部90から出典(Source)紹介の部90(11)]を包摂する解説部が該当するところとなる)。

 そうもして[ヘラクレス12功業]と結びつくとのことを指摘してきたダンテの手になる『地獄篇』という古典が
[現代的観点で見た場合のブラックホール類似のもの]
をその作中にて登場させていることを本稿ではより先駆けての段から問題視してきたとの経緯がある。

 繰り返しに次ぐ繰り返しの話とはなるが、具体的には

[ダンテ『地獄篇』にあっての最下層に控える三面構造呈してのルチフェロ幽閉領域に[今日的な視点で見てのブラックホール類似特性]が「奇怪にも」具現化を見ている]

とのことをひたすら文献的事実と現実世界の科学史を巡る経緯に触れながら解説してきたとの経緯がある(細かくはここ補説3の部の冒頭部ないしは出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55-3を参照されたい)。

(直上、振り返りもしてのことにまつわっての再掲図として)

 ここでは

[ダンテ『地獄篇』にあっては三面構造のルシファーが控える地獄の最終階層(コキュートス)に至る[第七階層→第八階層][第八階層→第九階層(最終階層)]への移動が[ヘラクレス12功業]にあっての[10番目の功業にて誅伐された存在]と[11番目の功業にて誅伐された存在]によって実現している]

とのことを訴求すべくも作成した図を「問題として呈示した図らの一例として」再度、挙げておく(:最終階層に控えるルシファーがヘラクレスの12番目の功業に登場する[ケルベロス]と類似構造を呈することの意味性を再度、強調するために、である)。

 またもってして

[ダンテ『地獄篇』にあっての三面構造のルシファーが今日的なかたちで定義付けされているブラックホールと呼ばれるものと類似の特色を帯びている、他古典ミルトン『失楽園』と絶妙に結びつきながら、そのような特色を帯びている]

とのことに通ずる一例としての図も(くどくも)再掲なしておくこととする。

 さて、三面構造、ケルベロス類似構造を呈するとのルシファー(原義は[光]を指すラテン語名詞にあるとのサタンの別称)の幽閉領域がダンテ『地獄篇』にあって

[(光さえ逃さぬ重力の怪物である)ブラックホールの「質的類似物」]

となっている(:『何故もってして14世紀初頭成立古典にて重力概念さえ満足に存在していなかった中で今日的な重力概念の描写が露骨になされているのか?』『古典にてどうして今日的な意味でのブラックホールの質的類似物が多層的に具現化を見ているのか?』とのその奇怪なる側面は置いておくとして、とにかくも、そうもなっている)とのことは、である。

 ヘラクレス12功業にてその捕縛こそが最終目標となっていたとの[ケルベロス]という存在が(先に論客ロバート・テンプルの申しよう及び具体的古典にての記述内容を引き合いに事細かにそのように定置される理由を解説しているように)
[シリウスB]
と結びつくとの指摘がなされ(そしてその指摘に[至当であろう]と受け取れるところが文献的事実に基づき[少なからずある]と判断がなされるようになっており)、そちら[シリウスB]が

[[ブラックホール理論の開闢]と20世紀にあっての科学史にあって密接不可分に結びついている天体]

となっていることと平仄が合うにも程があろうとのことである(:[ブラックホール理論の開闢になるべくしてなっている節ある天体]←[シリウスB]←[ケルベロス]→[ダンテ・ルチフェロ領域との関係性]→[ブラックホール質的類似物との多重的関係性]とのケルベロスを基軸にしての関係性が成立しているから平仄が合うにも程があろうと述べている ―そして、そちら関係には(すぐ下にも再度、振り返るが)他の側面からブラックホール生成実験との容赦ない結合性がヘラクレス12功業との絡みで存する― )。

 その点、シリウスBが[ブラックホール理論の開闢]と結びつけられていることそれ自体は同天体(シリウスB)を伴星とするシリウスAが我々の住まう地球に対する位置関係上、極めて目立つ存在となっており、また、歴史にて果たしてきた役割も大きい(農事暦においてシリウスAが灌漑に適した期間を報せる重要な天体であったとのことも先に紹介している)との関係上、さして不自然なことではないと判じられる。否、シリウスBの[重力崩壊に関する考察をもたらす質量重き星]としての特性が着目されるべくして着目されたとの意味合いでそれ自体は[不自然ではない]というより、むしろ、自然・自明のことと思われるようにすらなってもいる(出典(Source)紹介の部96(2))。

 であるが、

[ブラックホール理論の開闢になるべくしてなっている節ある天体]←[シリウスB]←[ケルベロス]→[ダンテ・ルチフェロ領域との関係性]→[ブラックホール質的類似物との多重的関係性]

との関係性が全くの別文脈にて成り立つようになっているのは奇怪なことである。
 関係性「の環」が自然には成立すべきではないところでそれが「現実に」成立しているとのことになっているからである(:そも、シリウスBがケルベロスと結びついているなどという指摘もロバート・テンプルのような論客が古典における[文献的事実]と関わるところをもって指摘し出すまで誰も主張しようとしなかったことになる。といった[誰も主張しようとしなかったこと]をかつて把握のうえで、また、なおかつ、ダンテ『地獄篇』におけるルシファーにてケルベロス接合特性が伴い、そして、また、そこにはブラックホール類似特性が伴っているとのことまでを把握のうえで、そういう[把握づくめ]の人間がブラックホール理論の開闢をシリウスBにまつわるところとしてもたらしたとでもいうのか?否。それはないであろう。そのようなことは論ずるまでもないことであろう。そして、ブラックホール理論が生まれいずる経緯をもたらしたのは本稿の出典(Source)紹介の部96でも事細かに解説しているように[インドの若者チャンドラセカールが英国に向かう客船の中でシリウスBの重力崩壊にまつわる計算に注力したことにある]などとされるのだが、若き日のチャンドラセカールがそうもした[把握づくめ]の人間であったとはおよそ判じられないとのことがある。第一。インドの二十歳前後の若者がローマ時代のプルタルコスのマイナーな古典の内容を把握し、そこにシリウスBと通ずる比喩が現われているなどとの知識を有していた(今日に至るまでロバート・テンプルの主張がなされるまで誰も述べなかっていなかったようなことを把握していた)などということにも無理があれば、そもそも、ブラックホール的なるものの思索はチャンドラセカールのシリウスBに対する思考の[帰結]であって[原因]ではないと判じられるとのこともあるからである)。

 そこに何が介在しているのか、[お人形]にまつわる仮説は置いておいて、問題となることに関わる図も下に挙げておく。

 以上をもってして本稿筆者が何を問題視しているのか、本稿をまじめにご検討いただいている向きにはおおよそながらもご理解いただけていることか、とは思う(:筆者の意中にあるのはそういう[現象]が奇怪にも具現化している、恣意ならざればありえないようなこととして具現化していることの先にあるそもそもの[モチベーション](糸を引く存在を仮定したうえでの[[執拗さ]の背後にある動機]と言ってしまっても構わないようなことである)なのだが、についてのおもんぱかりは本稿の内容を全体として検討のうえでなしていただきたいものである)。
 
 さらに、である。ここでの話がはきと観察可能な重篤な事実にまつわるところで真に問題になりもする理由として

(ブラックホール類似物を描いているダンテ『地獄篇』およびケルベロス捕縛とも多重的に接合しているとの)ヘラクレス12功業 ―なかんずくその第11番目の功業― は[ブラックホール生成]の可能性が中途より取り上げられるに至ったLHC実験「とも」多重的連結関係を呈している

とのことがある。

 すなわち、


[ヘラクレス12功業のうちの[巨人アトラス]と[黄金の林檎]が登場する【11番目の功業】 ―ケルベロス捕縛功業の一つ前の功業― ]
[【ヘラクレス11番目の功業】でそこが目指されている[黄金の林檎の園]との一致性が歴史的に観念されてきたところのアトランティス]
[黄金の林檎によって滅亡したトロイア]
に関わるものらが[ブラックホール生成]に関わるところでLHC実験の命名規則に「どういうわけなのか」多重的に用いられているとのことがある ―再度、申し述べれば、である。ブラックホール・イベントをも観測するとされるATLANTISや同ATLANTISがイベント・ディスプレイ・ツールとして用いられる中で「安全な」ブラックホール生成イベントを検知しうるなどと主張されてきた検出器ATLAS(黄金の林檎の所在地を把握する存在として【ヘラクレス第11功業】に登場する巨人アトラスの名を冠する検出器)などとの兼ね合いでそうもさせられているとのことがある(出典(Source)紹介の部35出典(Source)紹介の部36(3)出典(Source)紹介の部46)― 。


とのこともある(※)。

※上記のことにまつわり振り返っての表記をなしておく。

 その点、ここに至るまでの流れをきちんと検討いただいているとの向きにあられては把握いただけていることかとは思うのだが、本稿では大要、次のことを問題視してきたとのことがある。

 古典にみとめられる[文献的事実]およびそれにまつわる自然なる解釈から以下のようなことが摘示なせるようになっている。

[トロイア崩壊に至る戦争は「ヘラクレス11番目の功業にて」取得目標物として登場する[黄金の林檎]がそもそもの因となってもたらされたものであるというのが伝承の語り継ぐところである(出典(Source)紹介の部39)]

[[トロイア崩壊伝承]と[アトランティス沈没伝承]とは双方が多重的に結びつくとの要素を伴っている (第一。本稿にて先述のこととして[スミルナのクィントス]の手になる特定古典(Posthomericaこと『トロイア戦記』)に見るようにトロイアの最期は[アトランティスよろしくギリシャ勢との戦の後の洪水による破壊]であったと伝わっている ―出典(Source)紹介の部44-3から出典(Source)紹介の部44-5― 。第二。イタリアのフィレンツェのマイナーな地誌、『新年代記』の類には古のアトランティスの王であったと伝わるアトラス王と結びつく存在がトロイアの創設者ダルダネスの父親であったなどとの記載が(無論、それ単体で見る限りにあっては取るに足らぬ偽史にまつわるところではあるが)なされてもいる ―出典(Source)紹介の部45― 。第三。大きなところとして伝説上のアトランティスにまつわるあれやこれやの議論の中では[トロイア崩壊の原因となった黄金の林檎がたわわに実るヘスペリデス(巨人アトラスの娘ら)の園とアトランティスの同一性]や[トロイアに引導を渡したオデュッセウスが漂着したオギューギア島(アトラスの娘たるカリュプソの島)とアトランティスの同一性]が取り沙汰されてきたとの史的背景がある ―出典(Source)紹介の部41を包摂する解説部および出典(Source)紹介の部42出典(Source)紹介の部43を包摂する解説部― )]

 以上のような[【ヘラクレス11番目の功業】の取得目標物 ―黄金の林檎― ]を留め金としての

トロイア(最終的に木製の馬の計略で滅ぼされたとの話があまりにも有名なところとして伝わっている伝承上の都市国家)アトランティス(ヘラクレス第11番目の功業に登場する巨人アトラスと同様のアトラスという名前の王にその名が由来するとされる往古、大海に沈んだとされる伝承上の陸塊およびその陸塊に拠っての国家)の接合問題]

と相通ずるところとして、

LHC実験の実験関係者らが[ATLANTIS]というイベント・ディスプレイ・ツール ―そちらディスプレイ・ツールの再現図を挙げて同じくものものがプラトン著作に見る古のアトランティスと相似形を呈しているかの紹介も先になしている― を用いて、それでもって生成ブラックホール(科学の進歩に資するなどと呼ばわれての安全無害な生成ブラックホール)を観測しうるとの可能性を呈示しているとのことがある]

LHCは、(それが[ATLANTIS]というイベント・ディスプレイ・ツールの名称の由来にもなっているわけであるが)、[ATLAS]という検出器でもってブラックホールを観測する可能性を鼓吹しているとの実験となっているとのことがある(換言すれば、ヘラクレス第11功業に登場し、また、トロイアの崩壊原因ともなっているとの[黄金の林檎]の所在を知ると伝承が語る巨人アトラスの名を冠する検出器でブラックホール探索もが試みられていることともなる)]

LHC実験では[(黄金の林檎にてはじまった戦争にて)トロイアに引導を渡したオデュッセウスら一行を呑み込んだ渦潮の怪物カリュブディス]の名前から命名されてのCHARYBDISといったブラックホール・シュミレーション補助ツールを当該実験にて用いているとのこともある]

とのことらが具体的論拠にて遺漏無くも呈示できるようになっている ―出典(Source)紹介の部35から出典(Source)紹介の部36(3)を包摂する解説部、出典(Source)紹介の部46を包摂する解説部を参照のこと―。 

(本稿にての何度か挙げてきたとの図を再掲しておくこととする)

 以上、振り返りもしながら指摘してきた相互関係性の問題に関しては「さらに述べて」次のことが問題になるところとなりもする。


 少なくなくとも
LHC実験関係者の実験関係者「だけ」の意図意中の問題]
としては
[「ブラックホールと結びつくところがある」(と出典(Source)紹介の部55にて一例摘示なしているように一部物理学者にもそれとなく示唆されもしてきた)ダンテ『地獄篇』にあっては[ヘラクレス12功業]との結びつき「もが」あること]
を観念してのLHC実験への命名規則決定 ―ヘラクレス11功業にまつわる命名規則決定― がなされているのだとは考えられるところではない」


との側面がある、「非常に問題となる」ところとしてそういう側面がある。

 そうも述べるところの理由として、モスト・インポータントなるところは一義的には、

[(話として奇矯なれども)[どういうわけなのか」911の事件が起こることを先覚的に言及しているとの文物らが存在しており、それら文物らに[ヘラクレス12功業](の中の黄金の林檎が登場する第11功業)との多重的関係性といった要素を[文献的事実]の問題として複層的に具備している]

[「奇怪なことに」911の事件の[質的前言]をなしている ―ただし、読み手が[2001年9月11日]との日付けや[双子]といった要素を「多重的に」事件の何年も前に持ち出している文物を[質的前言]「ではない」と述べたければそうとらえればいいとも思う(そういう人間ならば銃口がつきつけられても目を瞑っての観念観想の世界でそれを抹消することとは思うが、滅であれ、結果を引き受けてそうとらえればいいと思っている)― と指摘できてしまうようになっているとの文物で、なおかつ、(LHC実験でそれが生成されるうると中途より考えられるに至ったとの)ブラックホールおよびワームホールの理論を扱った文物などが現実に存在しているとのことがある]

との指摘がなせもする (そのような馬鹿げた指摘が現実に堅くも多層的になせるように「なってしまっている」) ようなところで「ブラックホール生成は人類の科学進歩に資する」などとの弁まで講ずるに至った実験機関の人間の意図意中の問題として

[「ブラックホールと結びつくところがある」(と本稿にて一例摘示なしているように一部物理学者にもそれとなく示唆されてきた)ダンテ『地獄篇』にはヘラクレス12功業との結びつきもがあること]を折り込み済み、事前認識しての人間レベルの実験関係者によってLHC実験への[第11功業]を意識しての命名規則決定がなされているのだ]

などとのことを想起するのは「ナンセンス」である(とのことがある)。

(※上記のことに関わるところの振り返っての話として

 本稿の先立つ段にあっては問題となる特定の文物、それら原著・訳書よりの原文引用をなしながら ―英文テキストについては英語書籍の海外にての検索可能状況に照らしてオンライン上より該当部、確認可能となっていることが多いとの事情によって原文引用をなしながら― 、そして、それら原文引用情報にだけ基づきもしながら、いかように
[911前言事象]
が具現化を見ているのかとのことについて細やかなる摘示をなしてきた。

 そして、それら[911の前言文物]となっているものらが

[いかようにしてヘラクレス12功業と関わっているのか]
[いかようにしてブラックホールやワームホール理論の類と関わっているのか]

ということも折に触れて細かくも論じてきた (:ただし同じくものことについてはまだ触れていない他例(多例)があるとも先だっての段からして申し述べもしており、については本稿のよりもって後の段で扱う)。

 ここではここに至るまで何度も振り返ってきたところのそうした前言文物の中で特段に悪質性を帯びているとの「一例」を引いておくこととする。
 
 具体的には 

BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんもない遺産』(邦訳版版元は白揚社)

との著作 ―通過可能なワームホールについて取り扱っているとの論稿にして著作― が[911の事件の前言的側面をいかにして「多層的に」帯びているのか]について「再度振り返っての」言及をなしておくこととする(原文引用を通じての細かき指し示しに関しては先の段にての解説部 ―羅列しての表記をなせば、本稿にての出典(Source)紹介の部28から出典(Source)紹介の部33-2を包摂する解説部― を参照されたい)。

(以下、『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんもない遺産』が何故、前言文物として問題となるのかの再掲をなすとして)

 まとめれば、

「問題となる1994年初出の(幅広く流通しての書籍化を見ている)科学解説書 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』では
[通過可能なワームホール; traversable wormhole
にまつわる思考実験が掲載を見ており、まさしくものそちら思考実験にあっての[空間軸上の始点となるポイント]、そして、[時間軸上の始点となるポイント]、その双方で[先に発生した911の事件を想起させる数値規則]が用いられており、かつまた、そちら思考実験で用いられるメカニズムからして[「1911年に提唱された」双子のパラドックス]、要するに、[911と双子を連想させるもの]となっている。だけではない。そちら思考実験、[通過可能なワームホール]にまつわる思考実験のことが叙述される前の段で同じくもの1994年初出の著作『ブラックホールのと時空の歪み』にあっては他の思考実験のことが挙げられており、その実験(通過可能なワームホールのタイムマシン化に向けての応用の前提となる[時間の相対性]のことを説明するために挙げられている思考実験)からして[空間軸上の始発点]を[地番スタート番号との兼ね合いで911と結びつく地域]に置いており、また、同実験、[時間差爆発]を取り扱っているものともなる([911との数値]と[時間差爆発]との兼ね合いでかの911の事件を想起させもする)。
 加えて、である。そうもした思考実験らを掲載している著作とまったく同じテーマ(通過可能なワームホール)をまったく同じイラストレーターの手になるところとして扱っている「他の」著作 Zero: The Biography of a Dangerous Idea『異端の数ゼロ』からして[911の事件とブラックホールの繋がり合い]を想起させるものとなってもいる(2001年に911の事件が発生する前、2000年に世に出た「他の」著作からしてそうしたものとなっている)」

とのことが成立している。

(※以上、冗談のように聞こえるかもしれないが、すべて文献的事実として客観的に述べられるところ ―具体的には本稿にての出典(Source)紹介の部28出典(Source)紹介の部28-2出典(Source)紹介の部28-3出典(Source)紹介の部31出典(Source)紹介の部31-2出典(Source)紹介の部32出典(Source)紹介の部32-2出典(Source)紹介の部33出典(Source)紹介の部33-2らの部によって(オンライン上からの原著確認にも配慮して原著の問題となるところの英文テキストも逐一抜粋しながら)[(文献的)事実]であると指し示しているところ― のみに基づいて解説をなしているところとなる)

 そして、以上のような形で前言がなされているキップ・ソーン著作、

BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』

については
[その他の文物との関係性]
を介してこれまた[ヘラクレスの12功業]と結びつく形での前言がなされていると申し述べられるような作品「とも」なっている ―※キップ・ソーン著作 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』との絡みでは[同著著者(キップ・ソーン)による[通過可能なワームホール]のアイディアの供出・被供出]との兼ね合いで同作と結びついているとの著名小説『コンタクト』(ハードSFというジャンルにしては珍しくもミリオン・セラーを記録した著名小説)に伴う不快かつ奇怪なる側面を細々と摘示することで同作『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』と[ヘラクレス12功業][911前言事象と関わる側面]の関係性を指し示すことに本稿では注力している(:この部の字面だけ追えば不明瞭かつ奇矯なる申しようと響こうが、本稿補説2の段にあっての出典(Source)紹介の部80から出典(Source)紹介の部85を包摂する解説部をご覧いただければ、述べんとしていること、ご理解いただけるか、と思う。一言で述べれば、はきと摘示できるところとして、「『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』という著作は[通過可能なワームホール]を介しカール・セーガン『コンタクト』(1985)という作品と接合しており、その『コンタクト』からして[通過可能なワームホール]を介して[存在自体が奇怪なる他の911の事件に対する事前言及要素を含んだ「他の」ヘラクレス12功業との関係性が問題となる作品]と接合している」とのことが「現実に」あるのである― )。

 お分かりいただけることと願いたいのだが、

「上にて極一例、典拠としての委細の部を先の段に譲って再掲しているようなことが複合的・多重的に「どういうわけなのか」目立つところ、方々にて成立している ―しかも、相互連関するかたちにて成立している― がために、」

本稿では

「[ヘラクレス12功業 ―ダンテ『地獄篇』の地獄最深部に控えるルチフェロと同様の三面構造を呈するケルベロスへの地上引きづりだしをもって終わる第12功業― ]と[ブラックホール生成実験]が[トロイア崩壊伝承][トロイア崩壊伝承と複数の観点で結びつくアトランティス沈没伝承][黄金の林檎]といった要素を介して結びついていること]

の意味性を重んじており(そこに恣意性の問題が濃厚に観念できるがために重んじており)、 また、[ヘラクレス12功業]と[ダンテ『地獄篇』](ブラックホール類似領域たるルチフェロ幽閉領域に向かう物語)が結びついている件につき別方向から[シリウスBとケルベロスの関係性][シリウスBとブラックホールの関係性]のことが観念されることの意味合いを重んじているのである。

 ここで考える必要がある。

[何故、911の事件にまつわる多重的前言のようなことが(現にそれそのもののことが認められるために)存在していると指摘可能となっているのか]

とのことを、である。

 その点、ロバート・テンプルは往古文明に対するシリウス由来の異星生命体の介入の可能性を仮説として自著にて仄めかしているとのことをなしているわけだが、筆者は次のように申し述べたい。

「誰も現在に生きる人間を対象としない、あるいは、そのような立論ありようとなるよう巧妙に調整されているとの、
[往古古代にて介入問題 ―本稿にての出典(Source)紹介の部95(3)の段でその主張としての問題点を指摘しているように「胡散臭い」ドゴン族への介入問題等等― ]
では話は当然に済まされず、現在「でも」少なからぬの人間が[人類とは別の存在の操作の影響]を(意識的ないし無意識的に)受けていると ―「具体的材料に基づいて」― 考えられるようになっている、なってしまっている。
 それだけの[証跡] ―([科学的知見に依拠しての予言](とすれば[前言])および[一見にして無関係な人間らを操っての奇怪なる関係性の具現化操作]が冷然となされ続けたとのことは露骨に示すものであるとの証拠ら)― がある」

[理念]の問題を伝えつつ[対処]を求めるべくものことを申し述べるための脇に逸れての話として 

 上にて述べているようなことと響きだけは近しいとのことを
[遙かにレベル低きやりよう]
で[無知なる者]・[騙されやすき者]・[憑かれたような者達]を対象にしているとのかたちで流布・拡散している、

[完全にとんでしまっている、ないし、頭の具合が[真っ当な大人]に比して著しくもとるといったモード・スタイルを前面に押し出しての一群の質的狂人(含:ドグマ入力に反応して脳内で快楽物質でも放出されているのかといった按配での宗教的狂人) あるいは 詐狂者ら]

であるとのことになっているとのことがこの世界にはある ―能動的に説得力という名の威力を発揮する特定の言論を封殺したり色を付けようとの相応の種別の類(それが問題になりうるのならば、「特定」言論封殺や「特定」言論に対する間接的色づけに関わることになるとの人間性が疑われるような類ら)ではなく、そもそももって[問題となりうる事項に対する立論がなされたり、それがなされたうえで視界に入ってくるとの環境]それ自体を破壊してしまおうとの種別の言辞、そういうものが[質的狂人ないし詐狂者らとの方向性が透けて見えるとの一群の向きら]によって目立って拡散されているとのことがある、でもいい― 。
 それがため、重要なる話でも
[人間とは ―意識的あるいは無意識的に― 質的に操られているとの存在である]
との話を無条件・下手になせば、[「相応しくも」の相応の者達]のやりよう同文に徹底無視の方向性がとられる、ないし、誤解曲解を招くだけであろう(あるいは悲劇的人間存在というものに『そういう反応でもって応じても構わぬ』との言い分を与えるだけであろう)、それが我々を取り巻くこの世界の状況であろう、と筆者は見立てている (:が、敢えても[誤解]や[レッテル貼り]、そして、[それが最もありえるところであろう]と筆者などが納得させられるに至っているとの[徹底無視](言うまでも無く[無能なる者]にとっての[問題の最も簡明なる解決法]でもあり[破滅の原因]でもある)との式の反応を想定しつつも筆者はここにて扱っているようなこと、「ロバート・テンプルの如き論客が主唱するような往古の介入問題だけでは話が全くもって済まされない」「危険性が露骨に現出していることがホワイ・ダニット、何故そのようなことがなされたのか、始原期より続いている悲劇の核にして原因となっているとの式で我々の行く末に関わる」とのことを論じている ―※何故、筆者が理性ある人間がなしたがらないようなそうした申しよう・立論を敢えても余力を注力してなさんとしているのか、[いかなる状況でも、そう、狂った人間の世界に放り込まれたといった状況でも理性ある人間たりたいと考えている人間]として筆者が何故、ありとあらゆるリスク・犠牲・労をいとわずになしているのかは[主観など問題とならぬとの指し示しを客観的証拠をオンライン上より容易に後追い出来るかたちにて挙げ連ねているとの本稿全体の内容とその不愉快・不快極まりない帰結](ただし[自分の運命さえ決められぬとの臆病者らは逃げ惑うだけであるとの帰結]かもしれない)でもって判断いただきたいものではある― )

 上のことを述べた上で突拍子なくも書くが、かつて、チャールズ・フォートという男がいた。

 原著にてこの身も読了したことがある書籍としてザ・ブック・オブ・ザ・ダムド、『呪われし者の書』といったものをものしていた、膨大な不審事象にまつわるデータを羅列・呈示しながらもの同男の主張はこうであった。

「人類はどこぞやら介入してくる超存在、そういったものの薬籠中の存在であると「考えられる」「仮説付けられる」だけの材料がある」 (:フォートは「考えられる」「仮説づけられる」との話柄をワン・クッション置いて強くも採用していた。それにつき和文Wikipedia[チャールズ・フォート]項目にての関連するところの現行の記載を引けば、(引用なすとして)1919年の時点で既に、チャールズ・フォートは地球の「所有者」または地球外からの「訪問者」の存在を想像していた。・・・(中略)・・・しかし、フォートが自分の理論を「信じて」いたわけではなく、あくまでも集められた現象の解釈に過ぎない、と明確に強調していたことには留意すべきである(引用部はここまでとする)と記載されているところにて同じくものことがよく示されている)

 はっきりと述べ、といった物言いをなしているチャールズ・フォート自身の申しよう(第二次世界大戦「前」の前世紀前半にての申しよう)はフォートによる呈示データの問題として見れば、弱点があると受け取られてやむなしとのものである。見識を深めに深めるよう努め続けてきたとの筆者自身からしてそうとらえているし、また、一般論の話としても、今という時代より振り返っみられる中で、「未成熟immature」なものではあると受け取られているとのものである。
 それにつき、 Charles Fortはその著書 The Book of the Damnedの開巻劈頭の辞からして By the damned, I mean the excluded. We shall have a procession of date that Science has excluded.「[呪われし者]との申しようでもって私が意図しているところは[除外されし者]であるとのことである.我々は科学が除外するところのデータを列なすようなところとして保持していることとあいなろう」と定義づけしているわけだが(上フレーズは筆者がかつて検証した分厚いフォート全集の冒頭にて配置されているザ・ブック・オブ・ダムドのそのまた冒頭に配されているため、非常に目立って読み手に迫ってくるものとなる)、 といった目立ってのフォート主張からしてフォートが[問題事]と呈示していたところ、すなわち、フォート収集のデータが多く今日の批判家らよりの反駁に強くも曝されるか、曝されやすくなっているがため、その申し分の力強さが削がれることとなっているものともなっている ―フォートがいみじくも「原理主義的側面を有しているがためその伝では宗教的であろう」と総括していたとの[科学]というものが、そして、高度情報化社会にあっての常識教の信者らがフォート呈示のデータやフォート呈示の[除外領域]の不備をカヴァーするようになっている、あるいは、カヴァーしているとの主張がなしやすくなっているがためにフォート申しようは多く斥けられるものとなっている( Looking back from viewpoint of the present day, "data" offered by knowledgeable early 20th century person Charles Fort are "weak" .と当然に見えもする)とのことがある― 。
 たとえば、フォートが際立って問題視しているところとしての[中空から得体の知れぬものが降ってきたとの話]も[ファフロツキーズ現象]といったかたちで今日的説明が講じられているようなものとなっており(堅い証拠群およびそうした証拠群より導き出せる堅い因果関係のみを重要視している本稿の視点では「それ専門の」役者的好事家らのみが傾聴したがるような[超常現象論議]などどうでもいいととらえているようなところがあり、であるから、解説も省くことにしたとの[ファフロツキーズ現象]にまつわる主張については(興味があられるのならば)各自御調べいただきたい)、 また、フォートが先覚的に問題視していたとの[幻影としての未確認飛行物体]についても往時からすれば確かに世人の好奇心に応えるものであったかもしれないが(そして、彼の後裔の「相応の人間」らにそのやりようは[様式化]して踏襲されているようなものだが)、今より見れば、そのやりようからして[人間の脳の問題として幻影が具現化するだけの機序があった]、あるいは、[幻影を幻影としてではなく押し売りするとの種別の「病的な」人間が世には予想以上に跋扈横溢している](ミステリー・サークル、英語で呼称されるところのクロップ・サークルを自作自演で構築していたと自白する者らなどが出てきた)とのことで説明がなしやすくなっていることとなる。

 また、フォートの衣鉢を部分的に継いでいるようにも「とれる」、超常現象の類に懐疑的・批判的視座でもっては向き合うとの式でのみフォートの衣鉢を継いでいるようにも「とれる」との、

[現代にあっての職業的懐疑主義団体 (そのやりようについて既述のカール・セーガンといった向きが重要人物に名を連ねていたところのCSICOPといった団体が著名どころとなっている)]

についてはその特質がまったくもって褒められたものではなく、(向きによっては遠慮会釈なくも「その者達がそういう意味での[下らぬ相応の役者][人類の恥部]だからだろうが.」と述べるところか、ともとらえるのだが)、[トンデモ理論](正気の人間の口の端にのぼるとは思えぬものとなり全般的に具体的かつ客観的な論拠を伴って「いない」との馬鹿話)を否定する ―アンダードッグ(闘犬で負けるべくもわざと用意された弱い犬)由来の馬鹿げたトンデモ理論を否定する― 「だけ」の役割を負い、結果的側面から見てのその特性が

[[常識の壁](それが真っ赤な偽りでもそれを堅守することが生活を質草にとられ、また、精神気風を規定されているとの人間らに徹底的に求められているとのお題目・額面の建前の類と述べらればいいすぎになるだろうか)を会社に都合の良いように動く御用労組のような式で堅固にしようとしているだけのように見える]

とのものとなっているとのことがある(勝手にフォート後裔を任じているとの者達には、そも、[不可解なるものを真に煮詰めようとの気概][過てるものからそれがあれば正しきものを救い出すとの気概]なぞを伴っているようには全く見えず、[水準が低いもの]を同文に水準が低いことが多いとのやりよう、[識見]や[論理の映え]の欠如などに見るところとして水準が低いとのやりようでただただ槍で嬉嬉として突き刺し続けるだけであるとのことが散見される ―[下らぬもの]の粗探しだけに注力しているとの者達がそこにいるだけであり、[下らぬものを越えたもの]があるかないかの問題を見極めようとするとの気概が(フォートの時代より強固・強力なものとして呈示されるところの重要なデータが無視されるなかで)欠如を見ている風が世界には如実にある― )

 であるから、チャールズ・フォートの事績について今更もって甲論乙駁するのもどうかとも思うのだが、しかしながら、

「フォートが述べていたことの一つとして人類はどこぞやら介入してくる超存在の薬籠中の存在であると「考えられる」「仮説付けられる」だけの材料がある」

とのことにだけは同意できるところがあると筆者はとらえている。

 フォート自身はそうした観点を[可能性論]として前面に出すとの筆の運びをなしていたわけだが、筆者が本稿にて呈示している[証拠]の山 ―性質上、決して時代によって経年劣化・摩耗化を見ぬであろうとの按配での具体的証拠の山、[古文献にみとめられる文献的事実]や[現代にての文物に至るまで通貫としてみとめられる人間存在の実態を「目的論的に」指し示す文献的事実]等等― は同じくもの方向性にまつわるところで完全に明確化を見ているとのものらであり、

「そうしたことがある中にて[偶然性]を否定するほうがむしろどうかしている」

との性質のものであると明言できるものとなっている(明言できるものと「なってしまっている」)ために、そうも、フォートの[介入]を強くも念頭に置いての申しように関してだけは同意できるところがあると述べるのである。
 その点、論拠を羅列するためのものでもあるとの本稿が[どれだけの文量]でもって[どれだけの論拠]を呈示しているものなのか、納得行かぬとの向きには振り返っていただきたいものである、そして、本稿にて呈示されている論拠らが相互に連関しながら密接に結びついていることの意味性につき、よく考えてみてもらいたいものであるとここにての(脇に逸れての)話でとにかくも強調したいとのことがある(そちら訴求のためのここでのまどろっこしくなりもしての脇に逸れての部である)。

(尚、筆者は知識水準(あるいは知識無くともの知能水準))が筆者に近くもあるとの向きらを想定して、本稿の後の段にて[確率論]の話も[付録と位置付けての部](誰でも分かる話をなしているとの本論の部に対して読み手を数理に明るい(といっても大学卒業ぐらいの知識で計数的に物事を見ようとの程度に数理に明るい)人間に限っての意図しての付属的なる部)として付すが([ベイズ推定について微に入っての説明付しながらもの数理的分析部])、そこからして[事態の奇矯性]にとどまらず[事態の重篤性 ―薬籠中のものであれなんであれ種族の存亡に関わるものであろうとの事態の重篤性― ]「をも」明確に示すものであると強調なせるものとなっている(強調なせるように「なってしまっている」)。
 さらに述べておくが、筆者が『世に資するものであってほしい』と小閑を偸(ぬす)んでものしているとの本稿にあって目指しているとの方向性は
[人間および人間が寄り集まって成立している今日の文明社会が想像絶するような式でコンロールされていること]
を専らに示すことではない(とのことも断っておく)。
 といった断り書きをわざわざなすことにしたとのその意中の問題にも通ずるところとして、この身、筆者には自身のことを好かぬとの人間らの気風の問題を慮(おもんぱか)って、
『[筆者の言論の存在意味や言論がそこより発しているところの筆者の値打ちなど認めたくはないとの人間ら]にあっては筆者をして[ただの好事家向けの限界領域の話の摘示に努めるだけ ―フォート流の話芸をなすだけでもいい― の人間]ととらえるに留まり、そちら[自己完結](あるいはインプットに基づいての人間未満の機械的処理)という名の停留・停滞を見た観点で筆者をして[終わっている人間]であると思い込もうとするだけであろう(であるから[無視]あるいは最悪、[褒め殺しなどといった形態での妨害]なしても構わないなぞとの自己欺瞞が生じるとも思うのだが、それは置く)』
との見立てがあるわけだが、[行間に込めての節々の書きよう]から「はじめから」明示しているように本稿の意図しているところの方向性はただただひとつ、たかだか[既存のシステムの問題性の粗探しに注力する]といったこと程度にはとどまらず
自身の属する種族が生き残るに値する種族か見極めつつ[覚悟]を問う
とのことにこそある(その覚悟を問う声が掻き消されるのであれば、それもまた[我が属する人間という種族の回答]であろうと見立ててもいる)。
 そう、筆者の念頭にあるのは
[[操られ人らの先に控えている]のが[相応のゴール]であることを[確とした論拠らの呈示]でもって示そうということ、そして、「それで本当によいのか」となにがしかの建設的反応を期しもして問うこと]
にのみある)

 長くもなったが、[理念]の問題を伝えつつ[対処]を求めるとの脇に逸れての部はここまでとする。

 直近、脇に逸れての話から[はきとそうであると観察できるところの「現象」]を重んじての本題となるところに回帰させる。

 その点、ここ[D]と振っての段で強調すべくも問題視してきた、

「[ヘラクレス12功業 ―それら功業と[文献的事実]の問題として「多重的に」接合する作中内要素が目立ちもするダンテ『地獄篇』の地獄最深部に控えるルチフェロと同様の構造を呈する三面のケルベロスへの地上引きづりだしをもって終わる計12の功業― ]と[ブラックホール生成実験(LHC実験)]とが[トロイア崩壊伝承][トロイア崩壊伝承と複数の観点で結びつくアトランティス沈没伝承][黄金の林檎]にまつわる命名規則から結線しているとの状況が見られる」

「[ヘラクレス12功業]と[ダンテ『地獄篇』(今日的に見た場合のブラックホール類似物を描いている領域と述べられるようになってしまっているケルベロス状の三面構造を呈するルチフェロの幽閉領域に向かって冥界下りをなしていくとの物語)とが古典描写ありようとして現実に接合している一方でそれとは「別方向にて」[シリウスBとケルベロス(ヘラクレス12功業の最後の段、冥界下りの段にて登場した怪物にして、ダンテ地獄篇ルチフェロと類似構造を有する怪物)の古典ら描写を通じての関係性]および[シリウスBとブラックホール理論開闢史の関係性]についての指摘がなせるようになっている]

とのことらについては次いで[E]の部にて摘示していくような側面「も」が伴っている。

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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上掲なしているのは19世紀後半から20世紀前半にかけて活動の著名な挿絵家アーサー・ラッカムが英訳・再刊行されたワーグナーの原作歌劇 Der Ring des Nibelungen『ニーベルングの指環』 (英文通用化タイトルとしては[指輪]一語の The Ringとも呼称される歌劇) の書籍化バージョンに提供しもしていた挿絵を挙げたもの、より具体的には挿絵家ラッカムが『ニーベルングの指環』序盤部をなすパート、 Das Rheingold『ラインの黄金』のために作成・提供していたとの画を挙げたものとなる (ただ当媒体では同画に多少の演出を施している) 。

 さてもってして、挿絵に見る女、というより、人ならざるところの[女神]はイドゥン(Idunn)という存在を(音楽界の巨匠と認知されている)『ニーベルングの指環』作曲者リヒャルト・ワグナーがフライヤ(Freia)との名前で焼き直しなし、登場させているとの存在なのではあるが、イドゥンにせよ、Wagnerが登場させた(画に見る)フライヤにせよ、北欧神話における不死の果実であるところの【黄金の林檎】と紐付けられた存在となっている(彼女ら女神達は【黄金の林檎の管掌者】となる)。 
 そうもした黄金の林檎と紐付いての彼女ら(イドゥン/フライヤ)は、いわば、神々に瑞々(みずみず)しき【不死】を(若さ約するとの)【黄金の林檎】を介して供給しているとの設定の女神となりもし、そして、彼女らの管掌する【黄金の林檎】が北欧神話多神教の神々に最早若さを与えなくなったとのその時点が【終末のはじまり】であると描写されてきたとのことがある (:【終わりの始まり】が黄金の林檎にて供給される若さの喪失と結びついていると描写されるのはワグナー歌劇にせよ、北欧神話それ自体も同文のこととなる ――ワグナー歌劇では序盤より【黄金の林檎(とフライヤ)の担保する若さの維持】が【無限の力を蔵する指輪の保持】と一時的に秤量されるのだが、結局、【黄金の林檎】と比較された指輪を欲する強欲な心(による人界の操作)が世界の終末に繋がると描写される。他面、ワグナー歌劇より遙か前から存在していた北欧神話では(それを収めたエッダ詩の訳書を借りるなどしてもよかろうしウィキペディアの[イズン]関連項目などをご覧戴くのでもよかろうが、易くも確認できようところとして)神々の最終決戦であるところのラグナロクとされる終末局面にあって黄金の林檎によって担保されていた不老は停滞を見、老化が始まると描写される―― )。

 ここからが問題なのだが、本段、脇に逸れての訴求部にあってまわりくどくもの口上にて上の如きことを引き合いに出しているのは本稿にあって【次のこと】らを【黄金の林檎】との兼ね合いで(具体的根拠と共に)訴求している ―(画に見るイドゥン・フライヤにも関わるところとして訴求している)― からである。

黄金の林檎 ―それは北欧神話から離れてのギリシャ神話ではトロイア戦争の原因、すなわち、城塞トロイアの崩壊の元凶でもある(本稿の前半部にあって古典よりの原文引用でもってして典拠紹介のこととなる)― が【人間の終末】に関わるとの指摘がなせるようになって「しまっている」、しかも、それ(黄金の林檎)がブラックホール生成との兼ね合いで古今東西にまたがっての文物を介して【人間の終末】に関わるとの指摘が濃厚になせるようになって「しまっている」とのことが現実にある (:現況現在執り行なわれているLHC実験にあって「科学の進歩に資する」とされてのブラックホール生成可能性と紐付けられてきたディテクター(検出器)の名前が【黄金の林檎】の在処を識る巨人アトラスの名を冠する ATLAS Detectorとなっているとのことが確とある一方で黄金の林檎と接合するエデンの禁断の果実を用いての誘惑者の著名古典に見る描写が(それ自体、奇怪奇矯なることなのではあるも)今日的な視点で見た場合のブラックホールの近似的描写と紐付いている、そうしたことがそれこそ山となり、それら山とあることらが相互に多重的に接合しているとのこともが「ある」)。

・上掲図の元となっているワグナー歌劇『ニーベルングの指環』は【黄金の林檎】(を管掌する女神)と【無限の富(力)を約する指環】の取引が序章の部より描かれているのだが、(黄金の林檎を管掌する女神と秤量されての)【指環】の取得に固執した者らが強欲さゆえに次々と滅亡していくさまが同歌劇では描かれる(:その一番はじめの描写は『ニーベルングの指環』前半部にあっての【黄金の林檎】管掌者たるフライヤを略取、彼女フライヤを【指輪】との取引の具とした巨人ファーフナーとファーゾルドの兄弟が殺し合いをはじめるとの部となる)。 そのことは現実世界で「黄金の林檎と接合している」とのかたちとなっている巨大なリング状の装置、加速器ラージ・ハドロン・コライダーが【指輪;リング】に仮託される風が一部ある (『ニーベルングの指環』の影響下にあるJ.R.R.トールキン原作のロード・オブ・ザ・リング『指輪物語』に登場の冥王に由来する指環と結びつけられるなど加速器LHCが【指輪】に仮託される風が実験関係者含めて見受けられる) とのことと平仄が合うにも程があろうとの筋合いのことともなる (:ただ現況もってして、同じくものことを問題視する人間はまったくいない(心ある向きには是非とも確認いただきたいところなのだが検索エンジンで英文単語を何語か入れて当たりをつけんとしてみても【リングと黄金の林檎の結びつき】を加速器との関係で目立って問題視するような向きはこの世界にはいない))。

・上にて先述のように【ギリシャ神話におけるトロイア崩壊の元凶】「でも」あるとのゴールデン・アップルがそれ(黄金の林檎)に関連する事物ら(巨人ATLAS「など」)を介してブラックホール生成をなす可能性があるとの加速器 ―巨大な【リング】でもある― と結びつくとして、である。 現在にあって巨大加速器実験を実施している「研究」機関ら、および、そちら「研究」機関らに携わっていた初期の紐帯がどうやって世に生み出されたのかもがワーグナーの『ニーベルングの指輪』に通ずる側面がある。 どういうことか。 現況、加速器実験を執り行なっている主たる研究機関ら(それら研究機関らは、と同時に、ブラックホール生成可能性に伴うリスクとの観点で中途半端に海外で法廷に引きづり出された研究機関ら「でも」ある) はその沿革上、
【マンハッタン計画の子供ら】
となっているとのことがある ―同じくものことは長大な本稿本文の部にあって(入念を心掛けての)指し示しの対象としていることでもある― のであるが (:またもってして核分裂の過程に通ずる原子核人為破壊を兵器転用なそうとしたとのマンハッタン計画にあっての挙、そちら核兵器を製造するプロセスと加速器実験にての原子核人為破壊のプロセスは同一方向のベクトルを指している ―無論にして同じくものことの典拠をも本稿本論部で入念に挙げている― )、 マンハッタン計画と今日の加速器実験(におけるブラックホール生成に通ずる挙)の縁(えにし)の深さはそれ以外にも濃厚に認められるとのことがある(たとえば円形加速器という装置をそもそも生み出した者達がマンハッタン計画の主導者となっていたとのことがある等々)。
 そうもした(加速器実験運営機関を生み出した)マンハッタン計画始動の原因になっているユダヤ系の迫害の挙に出たナチスのやりよう・躍進・劫略のプロセスはワグナー歌劇『ニーベルングの指環』と濃密に結びついているとのことがある(『指環物語』作者ワグナーがユダヤ系の向きらにあって反芸術・野蛮の象徴である忌避すべき象徴とされてきたのはナチス第三帝国およびその領袖ヒトラーが反ユダヤ主義を大っぴらに喧伝していたリヒャルト・ワーグナーを最大限重要視していたとの歴史的事実があるからであり、たとえば、ナチスの実行してきた非道なる命令体系、占領統治下の反体制派・レジスタンスを夜陰に乗じて密やかに処分することを目しての行政命令であるところのナハト・ウント・ネーベル( Nacht und Nebel )、【夜と霧】行政命令 ―日本では Man's Search for Meaningとの原題を有した心理学者ヴィクトル・フランクルの書籍の「邦題」として識られている語でもある【夜と霧】(収容所が絶滅収容所へと変遷していく画期を象徴する語であるとも認識されている)― などはワグナーの『ニーベルングの指環』に由来しているとのものとなる ――※ウィキペディア[夜と霧]項目などにおいても簡明な解説がなされてはいることだが(であるから疑わしきはその程度の媒体からでも確認いただけるであろう)、ナチスドイツが欧州にて反対派を掃討するための共通規則とした【夜と霧】命令はヒトラーが愛聴していた、そして、ナチス体制下の国家芸術の象徴として扱われていたリヒャルト・ワグナーの『ニーベルングの指輪』、その『ラインの黄金』にあっての一幕(の中の[ニーブルヘルム]の下り)にて侏儒(ドワーフ)のアルベリヒが隠れ頭巾を用いて姿を消す際に口にする台詞、「夜と霧になれ、誰の目にも映らないように.」に由来しているとのことが知られている(にまつわって述べておけば、【夜と霧の呪文】を唱えたドワーフ・アルベリヒは強欲さの象徴でもあり、絶大な力をもたらす【呪いの指環】そのものを生み出した存在でもあるとワグナー歌劇では設定付けがなされているキャラクターである)―― 。

 以上のことはそれだけを読まれる限りは何が問題になるのか判じがたいとのこととなろうかとは(当然に)思うのであるが(理解を阻む詰め込み過ぎの風もあったかと脳裏をよぎりもしている)、同じくものことにまつわっての指し示しを細々となしもしている、また、そこからさらにもってして何が述べられるのかの指摘を委細を尽くしてなしているとの本稿本論部をご検討いただければ、【ことの重篤さ】 ―重篤さというのは【執拗さ】の問題として何が企図されているのかに通じもしていることである― についてご理解いただけるか、と考えている。

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

各頁および各典拠への一覧方式遷移部へは以下より


問題となる[「予見的」言及→実現]の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

PDF形式文書配布ページへは以下より


典拠解説媒体としての[一括PDF文書]の公開頁

ここ本頁内の記述内容を支える【「容易に後追い確認なる」「堅い」ソースを呈示しての出典紹介部ら】への[遷移経路]を下に設けておく典拠について疑わしいとの部があれば、必要に応じて参照されたい (:クリックすることでブラウザ ―インターネット閲覧ソフト― の[別タブ(別枠)]にて典拠紹介部を表示( open "additional" tabbed window(s) of web browsers

[出典(Source)紹介の部31](キップ・ソーン著作 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』が[911の事件の先覚的言及文物]となっていることにまつわっての出典紹介部31(以降)の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第25頁 ソーン『ブラックホールと時空の歪み』のとんでもない特性

[出典(Source)紹介の部32](キップ・ソーン著作 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』が[911の事件の先覚的言及文物]となっていることにまつわっての出典紹介部32(以降)の部)
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典拠紹介部第26頁 書籍『ブラックホールと時空の歪み』の問題性(続き)

[出典(Source)紹介の部35]LHC実験とトロイア崩壊およびアトランティスの関係性を示す命名規則上のありようにまつわっての部LHC実験にあっては[(トロイア崩壊の因たる)黄金の林檎の在処を知ると神話が語り継ぐ巨人アトラス]の名前を冠する検出器ATLASおよび黄金の林檎の果樹園とも同一視されもするアトランティス]の名前を冠するディスプレイ・ウェアATLANTISによって生成極微ブラックホール捕捉をなしうるとの可能性が取り沙汰されてきたとのことについての出典紹介の部35)
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典拠紹介部第30頁 アトラス・アトランティスとLHC命名規則の繋がり合い

[出典(Source)紹介の部36(2)](LHC実験にあってはブラックホール生成可能性が問題視されるそれ以前、1992年から覚書が交わされてATLASとの名称の使用が確定していたことにまつわっての出典紹介の部36(2))
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典拠紹介部第30頁 アトラス・アトランティスとLHC命名規則の繋がり合い

[出典(Source)紹介の部39]トロイア崩壊の原因が黄金の林檎となっているとのこと、また、そちら黄金の林檎がヘラクレス第11功業に登場を見ている「巨人アトラスと結びつく神の果実」でもあるとのことに関しての出典紹介部39)
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典拠紹介部第35頁 ブルフィンチ神話要覧書などに見る黄金の林檎とトロイア

[出典(Source)紹介の部41]トロイアとアトランティスの関係にまつわっての出典紹介部の一例[トロイア崩壊の原因たる黄金の林檎が実るヘスペリデスの黄金の林檎の園]が何故、[アトランティス]と結びつくのかについての出典紹介の部41)
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典拠紹介部第37頁 アトランティスを巡るドネリーの主張について

[出典(Source)紹介の部43]トロイアとアトランティスの関係にまつわっての出典紹介部の一例トロイアを木製の馬の計略で劫略した武将オデュッセウスが漂着した島が何故、[アトランティス]と結びつくのかについての出典紹介の部43)
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典拠紹介部第38頁 アトランティスとトロイアの記号論的関係性の深耕として

[出典(Source)紹介の部44(3)](海中に没したアトランティスとトロイア城塞に記号論的類似性が幾点もあることにまつわっての出典紹介部44-3(以降の部))
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典拠紹介部第38頁 アトランティスとトロイアの記号論的関係性の深耕として

[出典(Source)紹介の部46]LHC実験とトロイア崩壊およびアトランティスの関係性を示す命名規則上のありようにまつわっての部LHC実験にあってはトロイア攻囲戦に木製の馬で決着をつけた武将オデュッセウス ―黄金の林檎を巡る争いがトロイア戦争に発展した原因としての盟約を取り決めた存在でもある― が仲間共々呑み込まれた渦潮の怪物カリュブディス]の名前を冠するイヴェント・ジェネレーターCHARYBDISによって(「無害なる、」と強弁される)生成極微ブラックホールのありうべき似姿再現シュミレーションがなされてきたことについての出典紹介の部46)
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典拠紹介部第40頁 LHC実験とトロイア崩壊譚の関係についてのまとめ

[出典(Source)紹介の部55](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55)
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典拠紹介部第46頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写

[出典(Source)紹介の部55(3)](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55(3))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第47頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写[2]

[出典(Source)紹介の部80(2)](小説作品『コンタクト』登場のゲート装置が「明示的には」加速器とは結びつけられて「いない」ことにまつわっての出典紹介の部80(2))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第84頁 小説『コンタクト』に対するキップ・ソーン関与について

[出典(Source)紹介の部82(2)](小説『コンタクト』が何故もってして嗜虐的な寓意と関わるのか、また、それが何故もってしてトロイア関連のものとなっていると述べられるのかについての典拠を紹介しての出典紹介の部82(2)以降の部)
の参照は直下より


典拠紹介部第88頁 カール・セーガン小説『コンタクト』と反対話法

[出典(Source)紹介の部90](ダンテ『地獄篇』がいかようにして[ヘラレクレス12功業]と接続性を呈しているのかについての出典紹介部90以降の部)
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典拠紹介部第99頁 ダンテ『地獄篇』に見る地獄降下、そして、ブラックホール

[出典(Source)紹介の部90(5)](ダンテ『地獄篇』がいかようにして[ヘラレクレス12功業]と接続性を呈しているのかについての出典紹介部90(5)以降の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第101頁 ホメロス、ヴェルギリウス、そして、ダンテ

[出典(Source)紹介の部95](ロバート・テンプルの『シリウス・ミステリー』の基本的特性について解説している典拠紹介部95以降の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第106頁 ロバート・テンプル『シリウス・ミステリー』に見る問題性