古典文物らにてそれにまつわっての異常異様な先覚的言及がなされているとの解釈が自ずと出てくるシリウスB、そちら白色矮星シリウスBが何故、ブラックホールと結びつくのかについて 補説3
直前頁までにてロバート・テンプル著作『シリウス・ミステリー』にあって著者テンプルが主色として問題視していること「以外」の部は次のように表記できるとのものであること、指摘してきた。
[犬のケルベロスは3つの頭ではなく50の頭を持っていたとも伝わる。それがゆえに、[50年の公転周期でもって「犬の星」のシリウス星系を回るシリウスB]と[50の頭を持つ犬たるケルベロス]の結びつきが ―ケルベロスについての顧慮すべき他事情を顧慮した際に― 「想起」されるとのことがある] ⇒ (以上、ロバート・テンプル申しようにあってのケルベロスが[50の頭を持つ]と伝わっているとの部は容易に確認可能な事実である ――出典(Source)紹介の部95(8)―― )
[上の結びつきは[50の][猟犬]が[弓]と結びつく狩人の女神アルテミスによってアクタイオンにけしかけられるとの文脈にても[犬の星]にして[弓の星]たるシリウス、「50年の周期と結びつく」シリウスBとの絡みでより「想起」されるところである] ⇒ (以上、ロバート・テンプル申しようにつき、アクタイオンが50の猟犬をけしかけられたとの伝承を語り継ぐ資料が存在するとのこと「まで」は事実である ――出典(Source)紹介の部95(7)―― )
[上の結びつきは[[可視存在シリウスA(イシスによって象徴)]と[不可視存在シリウスB]を分かつ存在とプルタルコス古典にて記述されているとの「判断」がなされるところの「冥府の犬の神」たるアヌビス(同アヌビス自体、シリウスと結びつく存在である)]と[ケルベロス]との結びつきに着目することで問題となるところである] ⇒ (以上、ロバート・テンプル申しようにつき、【[水平円とワンセットのアヌビス](シリウスを包摂するオオイヌ座と結びつけられ、また、シリウスそのものとも結びつけられてきた存在)によって[イシス](シリウスAの象徴神格として知られる)と[ネフティス]が可視・不可視存在に分断される】との一見する限りは意味不明なる暗号がかった記述がプルタルコス古典『モラリア』にて具現化を見ていることは容易に確認出来るところの事実である(問題はそうもした古典記述が【水平円軌道をなし、50年の公転周期を有し、19世紀まで発見されることがなかった肉眼目視不可能存在であるシリウスB】と【星天にあって目立つシリウスA】の連星系であるシリウス星系の構造をネフティス・イシスの分割にて示していると言えるか、である).また、プルタルコス古典『モラリア』にて【可視存在イシスと分割されての地下世界の不可視存在】とされるネフュティスが地下世界の存在であるようにケルベロスもアヌビスも冥界(地下世界)の犬科の存在であるとのこともまた事実である ――出典(Source)紹介の部95(5)―― )
そして、それらについて執拗なる解説を講じてきたとのロバート・テンプルの申しよう、繰り返すが、
[犬のケルベロスは3つの頭ではなく50の頭を持っていたとも伝わる。それがゆえに、[50年の公転周期でもって「犬の星」のシリウス星系を回るシリウスB]と[50の頭を持つ犬たるケルベロス]の結びつきが ―ケルベロスについての顧慮すべき他事情を顧慮した際に― 「想起」されるとのことがある]
[上の結びつきは[[可視存在シリウスA(イシスによって象徴)]と[不可視存在シリウスB(地下世界のネフュティスによって象徴)]を分かつ存在とプルタルコス古典にて記述されているとの「判断」がなされるところの冥府の犬の神たるアヌビス](そして[ヘカテ])と[ケルベロス]との結びつきに着目することでその至当性が論じられるとのものである](:尚、先に付しての解説をなしている部では次の通りの内容を古典より引いていた→[プルタルコスはローマ時代の古典『倫理問答(モラリア)』にて「アヌビスはヘカテと結びつく」と記している](出典(Source)紹介の部95(5))。その点、アヌビスと結びつくとの意見が古人(プルタルコス)にて呈されていた[ヘカテ]については[ヘカテ⇔ケルベロス]との記号論的関係性が導出できるようにもなっている(出典(Source)紹介の部94(7))。そこから「冥界の犬の審判員たるアヌビスは冥界の犬の番犬たるケルベロスと結びつく」との観点が自然ジネンとして出てくる)
[上の結びつきは[50の][猟犬]が[弓]と結びつく狩人の女神アルテミスによってアクタイオンにけしかけられるとの文脈にても[犬の星]にして[弓の星]たるシリウス、うち、「50年の周期と結びつく」シリウスBとの絡みでよりもって強くも「想起」されるところである]
とのまとめかたがなせるとの申しようのうち、
[上の結びつきは[50の][猟犬]が[弓]と結びつく狩人の女神アルテミスによってアクタイオンにけしかけられるとの文脈にても[犬の星]にして[弓の星]たるシリウス、うち、「50年の周期と結びつく」シリウスBとの絡みでよりもって強くも「想起」されるところである]
を(そのように指摘できることが事実として存在していても)[こじつけがましき側面強きところ]として敢えても軽視したうえでも
[犬のケルベロスは3つの頭ではなく50の頭を持っていたとも伝わる。それがゆえに、[50年の公転周期でもって「犬の星」のシリウス星系を回るシリウスB]と[50の頭を持つ犬たるケルベロス]の結びつきが ―ケルベロスについての顧慮すべき他事情を顧慮した際に― 「想起」されるとのことがある]
[上の結びつきは[[可視存在シリウスA(イシスによって象徴)]と[不可視存在シリウスB(地下世界のネフュティスによって象徴)]を分かつ存在とプルタルコス古典にて記述されているとの「判断」がなされるところの冥府の犬の神たるアヌビス](そして[ヘカテ])と[ケルベロス]との結びつきに着目することでその至当性が論じられるとのものである]
とのことらを本稿では取り立てて重視するものであるとのことを先だってのページで強くも申し述べた。
加えて、先だってのページでは同じくものことにまつわって以下の事柄 ―ロバート・テンプルが問題視しているわけではないが、仏教(と習合した迷信)ありようについて詳しければロバート・テンプル申しように関わるところで想起もなされようとの事柄― すらも問題になる素地があると指摘した。
「亡者を裁く死後の旅にて死者が冥界の裁判官ら ―閻魔を含む中国より輸入されたとのいわゆる十王信仰にいうところの十王ら― より良い心証より得られるように、となされるのが、仏教で言うところの
[中陰(中有)の期間の服喪期間 ―死後49日間― での供養(くよう)]
であるとされている」(:シジュウクニチ、49日の期間の終了時にてなされる最も重要な法要が中陰法要、いわゆる、七七日、大練忌の法要で、その達成後にて忌み明け(50日目到達)とあいなり、(筆者もそうだが)伝統的仏教徒に分類されている人々の位牌は[白木造りの位牌]から[真っ黒な漆塗りの本位牌]に切り替えられるとの風習がある)
⇒
[49日を経ての[忌み明け](没後50日後)のことを想起させるように日本にあっては(故人死後50「年」を経ての)[50回忌]にて故人の名前が過去帳に転写、遺骨が土に返される、との風習がある。さて、ここでもまた[死者にまつわる境界線]として[50]が重きをなす ―位牌模様替えとのことで故人の扱いが画期を迎える50日後の[忌明け]および故人の名が過去帳に写され供養が終わるとの[50回忌]に見られる[49と50の境目]が意味をなす― ]
⇒
「49日の法要に関わる十王信仰に見る十王の内の一人、冥界の代表的審判者である閻魔(エンマ)のそもそもの由来はヤマYamaと呼ばれる『リグ・ヴェーダ』(紀元前インドにて隆盛を極めたバラモン教の聖典)に見る神、さらに遡れば、イラン一帯に起源を持つとされる神にあるとされている。そのヤマ、[文献的事実]の問題として[二匹ワンセットの四つの目を持つ犬]の連れがいるとされており、そのヤマの犬らは「ケルベロスと結びつく」との文献学者ら(権威サイドの学者ら)よりの指摘がかなり前から存在している」
⇒
「以上のような話 ―[[冥府の犬](ヤマの犬)と[冥府の審判役](ヤマあらため閻魔)と[50絡みの冥府の裁判と結びつく境界線]の接合]にまつわる話― はここまでに指し示してきたことら、
【アヌビス(シリウスA体現存在である[イシス]を[可視存在]として[地下世界の不可視存在であるネフュティス]と水平円をなすかたちで分割するなどとされている地下世界(冥府)の犬の神格/それ自体からしての犬の星シリウスと通ずる存在)との結びつきが観念されるケルベロスは三つの頭ではなく50の頭を持っていた「とも」される.それがゆえに、[50年の公転周期でもって「犬の星」のシリウス星系を水平円軌道で回る不可視存在のシリウスB]と[50の頭を持つ犬たるケルベロス]の結びつきが「想起」される】
とのことらが問題なくも申し述べられるようになっているとのロバート・テンプル主張内容の[重み]を側面(別方向)より増大させることともなる]
本頁では直上枠内表記のことの典拠を挙げることから話をはじめる。
ここ出典(Source)紹介の部95(9)にあっては
[日本の法事の類までもがロバート・テンプルの言い分・言いようと50を基礎に置く冥界との観点で接合する]
とのことの典拠を順次段階的に挙げていくこととする。
その点、まずもって
「亡者を裁く死後の旅にて死者が冥界の裁判官ら ―閻魔を含む中国より輸入されたとのいわゆる十王信仰にいうところの十王ら― より良い心証より得られるように、となされるのが、仏教で言うところの
[中陰(中有)の期間の服喪期間 ―死後49日間― での供養(くよう)]
であるとされている」
との仏事についての通俗的理解に関して、(社会通念を扱っていることであるので出典としてはウィキペディア程度のものより挙げる程度で十分であろうと判断、そうするとし)、和文ウィキペディア[中陰]項目および同[十王]項目の内容を引いておく。
(直下、和文ウィキペディア[中陰]項目より中略なしつつもの引用をなすとして)
中陰(ちゅういん)、中有(ちゅうう)とは、仏教で人が死んでからの49日間を指す。死者があの世へ旅立つ期間。四十九日。死者が生と死・陰と陽の狭間に居るため中陰という。・・・(中略)・・・発祥地であるインドの仏教においては、臨終の日(命日)を含めて7日ごと、7週に亘り法要を行っていた。輪廻の思想により、人の没後49日目に、次に六道中のどの世界に生まれ変わるかが決まる、と考えられていたからである。それが日本に伝わり、宗旨によって考え方は様々であるが、人は死後、魂を清めて仏になる為に中陰の道を歩き、あの世を目指す。その所々に審判の門があり、生前の罪が裁かれる。罪が重いと魂を清めるため地獄に落とされるが、遺族が中陰法要を行い、お経の声が審判官に届けば赦される。それが下記の7日毎に行う法要である。・・・(中略)・・・位牌を用いる宗旨では、四十九日までに臨終後すぐに作られる白木の位牌である「内位牌」から、漆塗りの位牌である「本位牌」に作り変える。
(和文ウィキペディア[中陰]項目よりの引用はここまでとしておく ―※― )
(※尚、上のウィキペディア[中陰]項目ではこれより修正・削除を見る可能性もあることとして、
「49日とのやりよう、七七日が用いられているのは古代インド文明の七進法に基づき七ごとなのである」
などとも「現況」、記載されているが、筆者が把握しているところとして、その点については疑わしい、というより「どうしてこのような出鱈目がこの場にて?」という記述とも受け取れるところではある。
個人的興味から数学史にまつわる書籍を幾冊も読んできた人間として調べたところとして7進法(7で桁上がりするとの数字記述法)が人類の文明にて重きをなした事例は目立って存在して「いない」ようであるとのことがある(にも関わらず和文ウィキペディア[中陰]項目には49日の問題について印度で古代、7進法が用いられていたからだ、なぞと記載されている。一週間の曜日のように天体の影響を受けているとの書きようならばまだしも、である)。
それにつき、[12進法]や[60進法]といったものが(60進法を採用していたとされるバビロンの例にように)往古ならずとも僻遠の地にて用いられてきたとのことがあるようなのだが、人類史にあって7進法 ―対数にて底が7( base 7 )の数、英語で述べるところのSeptenary― が取り立てて目立って用いられてきたとのことは(根拠伴わぬ属人的印象論を書き綴っただけのブラヴァッキーのような前世紀オカルト論者由来の[信憑性低き出典]以外のところでは)聞かれないし、調べても目立って見つからないようになっている(日本語媒体にては論拠よくも調べていない中でだろう、国内ウィキペディアの記述それ自体に惑溺させられている節ある誤情報の再流布媒体も見られる中にて、である)。
その点、印度の数学とのことで述べれば、ゼロが印度数学にて現れる前に用いられていたのは英文Wikipediaにも一項目設けられている[ Brahmi numerals(ブラーフミー数字)]と呼ばれる記数法であり、そこにては[nava]と呼ばれる「9」の数までが桁の区切りに用いられていたとのことが知られている。
以上より[誤記]と見るべきか、との記述も当該ウィキペディア項目(引用元となした[中陰]項目)には現況含まれているとしつつ述べておくが、[因習]それ自体にまつわる記述は正確であると見、上にてそこよりの記述を引いていること、一応、断っておく)
(次いで中国でも信仰がなされ、その因習が認められるとのことである十王信仰について解説しているとの和文ウィキペディア[十王]項目より中略なしつつもの引用をなすとして)
十王(じゅうおう)とは、道教や仏教で、地獄において亡者の審判を行う10尊の、いわゆる裁判官的な尊格である。数種の『十王経』類や、恵心僧都源信の『往生要集』に、その詳細が記されている。人間を初めとするすべての衆生は、よほどの善人やよほどの悪人でない限り、没後に中陰と呼ばれる存在となり、初七日 - 七七日(四十九日)及び百か日、一周忌、三回忌には、順次十王の裁きを受けることとなる、という信仰である。・・・(中略)・・・仏教が中国に渡り、当地の道教と習合していく過程で偽経の『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』(略して『預修十王生七経』)が作られ、晩唐の時期に十王信仰は成立した。また道教経典の中にも・・・(中略)・・・同名で同順の十王を説く経典が存在する。・・・(中略)・・・『預修十王生七経』が説くのは、生七斎と七七斎という二つの仏教儀礼の功徳である。このうち、生七斎は、生者が自身の没後の安穏を祈願して行う儀礼であり、その故に「預修」(または「逆修」)という。・・・(中略)・・・没して後、七日ごとにそれぞれ秦広王(初七日)・初江王(十四日)・宋帝王(二十一日)・五官王(二十八日)・閻魔王(三十五日)・変成王(四十二日)・泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理を担当する。七回の審理で決まらない場合は、追加の審理が三回、平等王(百ヶ日忌)・都市王(一周忌)・五道転輪王(三回忌)となる
(和文ウィキペディア[十王]項目よりの引用はここまでとしておく)
これにて
「亡者を裁く死後の旅にて死者が冥界の裁判官ら ―閻魔を含む中国より輸入されたとのいわゆる十王信仰にいうところの十王ら― より良い心証より得られるように、となされるのが、仏教で言うところの
[中陰(中有)の期間の服喪期間 ―死後49日間― での供養(くよう)]
であるとされている」
とのことの典拠を紹介とした。
次いで、
[忌み明け(没後50「日」後)を想起させるように日本には(故人死後50「年」を経ての)50回忌にて過去帳に故人の名前は転写され、遺骨は土に返される、との風習がある。ここでもまた(49日と同様)[死者にまつわる境界線]として[50]が重きをなす]
とのことの典拠を紹介しておくこととする。
同文に世に言い古された社会通念を扱っていることであるので出典としてはウィキペディア程度のものより挙げる程度で十分であろうと判断し和文ウィキペディア[忌年]項目内容を引いておくこととする。
(和文ウィキペディア[年忌]項目より中略なしつつもの引用をなすとして)
中陰法要(忌明け)後、命日から100日目に「百ヶ日」の法要が行われるが、この「百ヶ日」と「一周忌」、「三回忌」の3つの法要は、中国の儒教の祭祀の影響によって付加されたものである。これは、亡者が「初七日」 - 「七七日(四十九日)」と「百ヶ日」を含めた8つの忌日と、「一周忌」、「三回忌」の2つの年忌の、合計10度の時点で、冥界の十人の王に審判を受けるという「十王信仰」に基づいている。・・・(中略)・・・「七回忌」以降の法要は、日本で独自に付加されたものである。日本では11世紀以降に、十王信仰が広まった。さらにその後、鎌倉時代に、「七回忌」、「十三回忌」、「三十三回忌」が行われるようになったが、これは、「十三仏信仰」に基づいている。これは、十王信仰の各王を垂迹と見て、それぞれの王に本地となる仏菩薩を擬定し、それぞれの法要の時には、その仏菩薩を本尊として法要を行うというものである。・・・(中略)・・・神道では三十三回忌をもって荒御霊が和御霊(祖霊)になるとするため、三十三回忌を区切りとする。日本の仏教の一部では、神仏習合の影響により、三十三回忌・五十回忌をめどに「祖先神」として一体化すると考える場合もある。・・・(中略)・・・一般人の場合、三十三回忌もしくは五十回(遠)忌を最後の年忌にするのが一般的であり、それを弔い上げ、あるいは、問切りと呼んでおり、その時に、寺への寄進や永代供養を行う場合が多い。なお、宗祖や中興の祖、その寺の開山などの僧などについて五十回忌以降に行われる年忌について遠忌と呼ばれることが多い
(和文ウィキペディア[忌年]項目よりの引用はここまでとしておく)
これにて、
[忌み明け(没後50「日」後)を想起させるように日本には(故人死後50「年」を経ての)50回忌にて過去帳に故人の名前は転写され、遺骨は土に返される、との風習がある。ここでもまた(49日と同様)[死者にまつわる境界線]として[50]が重きをなす]
とのことの典拠紹介とした。
さて、次いで、(それこそが本稿ここでの話にて重みを有しているところなのだが)、
[49日の法要に関わる十王信仰に見る十王の内の一人、冥界の代表的審判者である閻魔(エンマ)のそもそもの由来はヤマYamaと呼ばれる『リグ・ヴェーダ』(紀元前インドにて隆盛を極めたバラモン教の聖典)に見る神、さらに遡れば、イラン一帯に起源を持つとされる神にあるとされている。そのヤマ、[文献的事実]の問題として[二匹ワンセットの四つの目を持つ犬]の連れがいるとされており、その犬らは「ケルベロスと結びつく」との学者ら(権威サイドの学者ら)よりの指摘がかなり前から存在しているとの神格でもある]
とのことの典拠を以下、紹介することとする。
閻魔の由来がヤマとされる神であるとのことについてはオンライン上より即時確認できるとの[基本的なるところ]からまずもって挙げることとする。
(直下、和文ウィキペディア[閻魔]項目よりの引用をなすとして)
閻魔は、サンスクリット語及びパーリ語のヤマ (यम, Yama) の音訳。ヤマラージャ(यमराज, Yama-rāja、ラージャは王の意味)とも。音訳は閻魔羅闍(えんまらじゃ)、意訳は閻魔大王(えんまだいおう)。略して閻羅王(えんらおう)、閻(えん)とも。
・・・(中略)・・・
『リグ・ヴェーダ』では人間の祖ともされ、ヤマとその妹ヤミーが兄弟姉妹婚により最初の人類が生まれ、人間で最初の死者となったゆえに死者の国の王となった。虚空のはるか奥に住むという。インドでは、古くは生前によい行いをした人は天界にあるヤマの国に行くとされた。
・・・(中略)・・・
骨の姿をした死の病魔トゥルダクや、二匹の四つ目で斑の犬サーラメーヤを従える。現在のインドでは、青い肌で水牛に乗った姿で描かれる(本来は黒い肌だが美術上の様式として青く描かれる)。
(引用部はここまでとしておく ―※― )
(※注記:上の和文ウィキペディア解説項目では[1][2][5]と振られるとのかたちで閻魔の由来がリグ・ヴェーダの神ヤマに由来すること、また、そのヤマが犬を連れているとのことの出典が紹介されている。具体的には[1]は『東洋神名事典』 (新紀元社)、[2]は『仏尊の事典』(学習研究社)、[5]は草野巧 『地獄』 (新紀元社)が取り上げられている著作となる。尚、閻魔の由来についてはインドおよび中国での縁起が解説されているとの英文Wikipedia[Yama]項目にもNaraka ―ナラカは奈落のサンスクリット呼称である― としてマンダリン(中国の公用語としての官話)にてDiyuとされるヴェーダのYama同等物が冥土の裁判官としての閻魔王となっていること( Enma-O or Enma Dai-O judges souls in Meidoとなっていること)が[基本的なところ]として記載されている)
次いで、閻魔の由来となっているとされるヴェーダの神(冥界の裁定者)であるヤマにつき、そのヤマがケルベロスと結びつくとのより学術的な出典よりの抜粋をなす。
(直下、 Project Gutenbergを通じて公開されている論稿にして20世紀初頭、[文献学]を専門としていたとの学究( Maurice Bloomfieldモーリス・ブルームフィールドという学究)の手になるものである Cerberus,The Dog of Hades The History of an Idea(1905)『ケルベロス、ハデスの犬 ―観念の歴史― 』、その THE TWO DOGS OF YAMA.[ヤマの二匹の犬]の節のp.13からp.14よりの抜粋をなすとして)
The tenth book of the Rig-Veda contains in hymns 14-18 a collection of funeral stanzas quite unrivaled for mythological and ethnological interest in the literature of ancient peoples. In hymn 14 there are three stanzas (10-12) that deal with the two dogs of Yama. This is the classical passage, all depends upon its interpretation.
[ . . . ]
In the first place, it is clear that we are dealing with the conception of Cerberus. In stanza 10 the two dogs are conceived as ill-disposed creatures, standing guard to keep the departed souls out of bliss. The soul on its way to heaven is addressed as follows:
"Run past straightway the two four-eyed dogs, the spotted and (the dark), the brood of Sarama; enter in among the propitious fathers who hold high feast with Yama."
A somewhat later text, the book of house-rite of Acvalayana, has the notion of the sop to Cerberus:
"To the two dogs born in the house of (Yama) Vivasvant's son, to the dark and the spotted, I have given a cake; do ye guard me ever on my road!"
(補ってもの訳を付すとして)
「リグ・ヴェーダ (訳注:古代印度の聖典ヴェーダの中にて最古のものとされる古典で神々に対する讃歌を主たる内容とする) の第10巻は古人の文物にての神話学的および民族学的な興味関心との式では他に類を見ぬとの送葬供養の歌の節の束としての[聖歌14―18]を含んでいる。うち、聖歌14にてはヤーマの二匹の犬について扱うとの三つの節(第10から第12節)が含まれている。これは古典的な一節であり(現代語と通ずるところがないため)、ほとんどすべての部位は解釈に依存するところとのものとなる。
・・・(中略)・・・
ヒンドゥー教徒らがそれらと関係づけているとの観念すべてを入念になぞるとのことをなせば、それら聖歌の節らは一対の自然なるものへ適切かつ密接にそれら自体としてあるべきところとしてまとまっていく(リゾルブ、解決する)とのものである。第一に、ケルベロス(の同等物)の観点を我々が扱っていることに関してその含むところは明確である。第10の節(訳注:文脈上、リグ・ヴェーダ第10巻の中の聖歌14に見る第10の節)によれば二匹のイヌら(ヤマの犬ら)は死者の彷徨える霊らが無上の喜びの境地(文脈上、死の国のことか)より出でぬように見張っているとの[性質が悪い(非友好的な)生き物ら]であるとの理解が示されている。(その点、)天国への道を歩む魂につき次のような描写がなされている。
[まっすぐと二匹の四つ目の犬ら、まだら模様にて色黒きSarama(訳注:ヤマの犬の名前でサーラマーヤと呼ばれるそれ)の群れを後にする:ヤーマと一緒に高遠なる祝祭の宴を張っているとの好意的な父祖らの間に入っていく]。
そのやや後にて成立した文献、一族の祭儀(冠婚葬祭)を記している『アシュヴァラヤーナ』では[ケルベロスに対する贈り物](訳注:ギリシャ神話ではプシュケーの冥界下りとのエピソードがあり、にあっては[ケルベロスに贈り物としての甘い物が食餌として供されケルベロスをやり過ごした]との故事が現実に存在するのでそれを指してのことと思われる) の概念と通底することが描かれている。すなわち、[ヤーマVivasvantの息子の館にて生まれし二匹の犬ら、闇およびまだら模様らに対して私は菓子を与える。そなたら(訳注:yeはあなたらの古語)よ、我が道を守れ!と]とのことが描かれている」
(訳を付しての引用部はここまでとしておく ――ポイントは[ヤマ(冥府の審判者たる閻魔の起源となった存在)の犬]が「冥界の犬にして」「死者の見張り番であり」「菓子の類をもってしてそれに由来する災厄を避けられると伝わっている」存在であるとの点で[ケルベロス]との共通性を有していると指摘されていることである―― )
これにて、
[49日の法要に関わる十王信仰に見る十王の内の一人、冥界の代表的審判者である閻魔(エンマ)のそもそもの由来はヤマYamaと呼ばれる『リグ・ヴェーダ』に見る神、イランに起源を持つとされる神にあるとされる。そのヤマ、[文献的事実]の問題として[二匹ワンセットの四つの目を持つ犬]の連れがいるとされており、その犬らは「ケルベロスと結びつく」との学者ら(権威サイドの学者ら)よりの指摘がかなり前から存在しているとのことがある]
とのことの典拠を示したことになる。
(※尚、上にて Project Gutenburgのサイトにて公開されている1915年の論稿の作者モーリス・ブルームフィールドは(引用部からも古典の文献的記述をこだわっていることもそれに所以するところとしてであろう)[文献学] ―古典にて字面としていかなことが文献的事実として記載されているかを重んじ、その縁起を重んじるとの学問(本稿でも重要視している[文献的事実]を第一義にしての学問)― を専門としている研究者であるとされている。については英文Wikipedia[ Maurice Bloomfield ]項目にて現行、 Maurice Bloomfield, Ph.D., LL.D. (February
23, 1855 ― June 12, 1928) was an American philologist and Sanskrit scholar.
「モーリス・ブルームフィールドは学術博士号および法学博士号保持の米国人[文献学]学者(philologist)にてサンスクリット学者であった」と表記されているとおりである。物事の理非曲直の程を解釈論・目分量を交えて述べ、それでいて常識よりの逸脱性が問題にならぬとの式を取る社会科学系の学者稼業一般の人間の申し分に比べて、物事の理非曲直以前に特定文献にどういう記述がなされているとのことを重んじるとの風がある[文献学]を専門とする向きとなれば、(考古学・古文書学的側面での捏造や誤解読の問題が介在しなければ、だが)、「その言や,よりもって軽んじられじ」とのことになろうことか、とは思われる)
(※さらに分け入っての話として:上にて引用したところ、20世紀前半まで活動した学究 Maurice Bloomfieldは表記の論稿、
Cerberus,The Dog of Hades The History of an Idea(1905)『ケルベロス、ハデスの犬 ―観念の歴史― 』
にての THE TWO DOGS OF YAMA EXPLAIN THEMSELVES.の節、そのp.20にて次のようなことをも指摘している。
(ワンセンテンス引用をなすところとして)
The Veda of the Katha school (xxxvii. 14) says: "These two dogs of
Yama, verily, are day and night,"
「カータカ派のヴェーダ文献が語るところではヤマのこれらの二匹の犬はまさしくもの[昼]と[夜]の体現存在である」
以上は四大ヴェーダの内の一つヤジュル・ヴェーダ、それが細分化しての黒ヤジュル・ヴェーダ(クリシュナ・ヤジュル・ヴェーダ)のカータカ(カタ)系の文書にて「ヤマの二匹の犬が昼および夜を示す」とのことが記載されているとのことを指しての部位となる。
さて、本稿にては先の段にてロバート・テンプルが論拠としているところとしてプルタルコス文書(『倫理問答』ことMoralia)の中にて次のような記述が含まれていることを紹介した。
44.And when Nephthys was delivered of Anubis, Isis owned the child. For Nephthys is that part of the world which is below the earth, and invisible to us; and Isis that which is above the earth, and visible. But that which touches upon both these, and is called the horizon (or bounding circle) and is common to them both, is called Anubis, and resembles in shape the dog, because the dog makes use of his sight by night as well as by day. And therefore Anubis seems to me to have a power among the Egyptians much like to that of Hecate among the Grecians, he being as well terrestrial as Olympic.
(同じくもオンライン上より確認できるプルターク古文献テキストについては京都大学学術出版会より[西洋古典叢書]シリーズと銘打って京大系の学究らによって出されている『モラリア』、その[イシスとオシリスについて]掲載巻にあってのp.71にて(原文抜粋するところとして)[一方、ネプテュスがアヌビスを産むと、イシスはその子を自分の子として育てます。というのは、ネプテュスとは大地の下の不可視の領域であるのに対して、イシスとは大地の上方の可視的な領域です。そして、このどちらにも触れていて、両者に共有されている円環――いわゆる地平線――がアヌビスと呼ばれ、その姿が犬になぞらえられているのです。なぜなら、犬は夜にも昼にも視覚を同じように用いることができるからです。そして、エジプト人たちのあいだでアヌビスは、ギリシャにおけるヘカテと同様の力をもっていると思われます。地下のクトン的世界に属するものでありながら、同時に天上のオリュンポス的世界に属するものでもあるわけですから。]と訳されているところのものである)
表記のテキストでは
「アヌビス(冥府の犬の神にして罪状を測る秤の保持者)は[昼]と[夜]とが見分けられる存在である/昼「的」なる可視世界の体現者イシスと夜「的」なる不可視世界の体現者ネフティスを分けられる存在である」
と明言されている。『そこからしてできすぎであろう』と筆者はとらえている ―ケルベロスとアヌビスの一致性問題に関わるところとしてとらえている― 次第でもある。誤解を恐れずに敢えても述べれば、そこからして「機械的に」そういう風にしつらえられている臭いがすると述べたいのである)
[閻魔の元となったヤマの犬]が[ケルベロス]との連続性を有しているとのことについて「さらにも、」の典拠を下に挙げておくこととする。
具体的には英文Wikipedia[Cerberus]項目にての特定部記述 ―出典表記が Mallory, J. P.; Adams, D. Q. (2006). "Chapter 25.10:
Death and the Otherworld"とのかたちで学究筋の著書そしてその該当部記述を挙げるとのかたちでなされている部にての特定部記述― および Project Gutenbergにて公開されているとの著作、19世紀末刊行の The Popular Religion and Folk-Lore of Northern India,
Vol. II (of 2) (1896)という学究 William Crooke ―同ウィリアム・クルークは英文ウィキペディアにてそこそこの文量で解説設けられているような往時にあって令名を博していた英国にての権威筋の東洋学者となる― の手になる著書からの抜粋をなしておく。
下をご覧頂きたい。
呈示の部をきちんと読まれればお分かりいただけようが、ケルベロスとの語のそもそもの由来がヤマの犬の名前[Sarvara](sabala)にあるとの申しようが19世紀末から今日に至るまでなされているとのことがある ――それにつき、ケルベロスの語源について[闇][薄闇]といったニュアンスがあるとの申しよう「も」19世紀著作にてなされているが、それが至当か否かについては(言語学上の知識の不足から)何とも申し述べることができない―― 。
(出典(Source)紹介の部95(9)はここまでとする)
直上にての出典紹介部をもってして
「亡者を裁く死後の旅にて死者が冥界の裁判官ら ―閻魔を含む中国より輸入されたとのいわゆる十王信仰にいうところの十王ら― より良い心証より得られるように、となされるのが、仏教で言うところの
[中陰(中有)の期間の服喪期間 ―死後49日間― での供養(くよう)]
であるとされている」(:シジュウクニチ、49日の期間の終了時にてなされる最も重要な法要が中陰法要、いわゆる、七七日、大練忌の法要で、その達成後にて忌み明け(50日目到達)とあいなり、位牌が[白木造りの位牌]から[真っ黒な漆塗りの本位牌]に切り替えられるとの風習がある)
⇒
[49日を経ての[忌み明け](没後50日後)のことを想起させるように日本にあっては(故人死後50「年」を経ての)[50回忌]にて故人の名前が過去帳に転写、遺骨が土に返される、との風習がある。さて、ここでもまた[死者にまつわる境界線]として[50]が重きをなす ―位牌模様替えとのことで故人の扱いが画期を迎える50日後の[忌明け]および故人の名が過去帳に写され供養が終わるとの[50回忌]に見られる[49と50の境目]が意味をなす― ]
⇒
「49日の法要に関わる十王信仰に見る十王の内の一人、冥界の代表的審判者である閻魔(エンマ)のそもそもの由来はヤマYamaと呼ばれる『リグ・ヴェーダ』(紀元前インドにて隆盛を極めたバラモン教の聖典)に見る神、さらに遡れば、イラン一帯に起源を持つとされる神にあるとされている。そのヤマ、[文献的事実]の問題として[二匹ワンセットの四つの目を持つ犬]の連れがいるとされており、そのヤマの犬らは「ケルベロスと結びつく」との文献学者ら(権威サイドの学者ら)よりの指摘がかなり前から存在している」
⇒
「以上のような話 ―[[冥府の犬](ヤマの犬)と[冥府の審判役](ヤマあらため閻魔)と[50絡みの冥府の裁判と結びつく境界線]の接合]にまつわる話― はここまでに指し示してきたことら、
【アヌビス(シリウスA体現存在である[イシス]を[可視存在]として[地下世界の不可視存在であるネフュティス]と水平円をなすかたちで分割するなどとされている地下世界(冥府)の犬の神格/それ自体からしての犬の星シリウスと通ずる存在)との結びつきが観念されるケルベロスは三つの頭ではなく50の頭を持っていた「とも」される.それがゆえに、[50年の公転周期でもって「犬の星」のシリウス星系を水平円軌道で回る不可視存在のシリウスB]と[50の頭を持つ犬たるケルベロス]の結びつきが「想起」される】
とのことらが問題なくも申し述べられるようになっているとのロバート・テンプル主張内容の[重み]を側面(別方向)より増大させることともなる]
との流れが「論拠にあって問題ないところとして」成り立つとの典拠を挙げもした。
さて、ここまできたところで(補説3と題しての本稿のこのパートにあって、先立つ[1]から[5]に続いて[A]から[F]と振ってなすと言明してきた話の中にあっての)[B]の話を ―実にもって長くもなってしまったが― 終えることとする。
※本稿にてのここ補説3の部でどういう流れでの筆の運びをなしてきたのか、ここで振り返り表記をなしておく。
まずもって、ここ補説3では
「冥界下りのダンテ『地獄篇』 ―かねてより本稿にて[今日的な解釈論で見た場合のブラックホール近似物が[どういうわけなのか.]多重的一致性を伴って描写されている](一部の物理学者は明示的にではなく隠喩的に同じくものことに言及するにとどまるが、そういうものが多重的一致性を伴って描写されている)とのことを問題視してきた著名古典― にはヘラクレスの12功業との結びつきが存在する」
と申し述べ、その論拠を[1]から[5]と振っての段にて指し示してきた(:[1]から[5-b]では『地獄篇』でルシファーが幽閉されている領域(現代的な観点で見た場合のブラックホール近似物にまつわる描写が多層的に現われているとの領域)への降下が[ヘラクレス10番目の功業][ヘラクレス11番目の功業][ヘラクレス12番目の功業]と濃密に結びついており、また、三面構造を呈する『地獄篇』ルシファー(『地獄篇』の冥界の王)がヘラクレス第12番目功業での捕縛対象として設定されている三面のケルベロスと多重的接合性を呈することを詳述した ――本稿にての出典(Source)紹介の部90から出典(Source)紹介の部90(11)]までがそちら[1]から[5]の段にて述べもしていることの典拠を必要かつ十分に(筆者の独創・主観の問題では「断じて」ないことを示すうえで必要かつ十分に)遺漏なくも挙げているとの部となる―― )。
そして、[1]から[5]でもっての指し示しを終えたうえでダンテ『地獄篇』とヘラクレス12功業の関係性を示すべくもの話をなした背景には本稿で延々と指摘してきたこと、すなわち、以下のことが問題になるからであると再度の注意を向けもした。
第一.
「[ブラックホール生成]をなしうると「2001年から」科学界に認められることになった ―1999年にその可能性がはじめて問題視された折、「そのようなことはありえない」と物理学者が大同一致して否定の弁を表明していた(出典(Source)紹介の部1を皮切りに本稿冒頭部から実験機関発表文書ら引用をなしてきたとのそちら内容を参照のこと)にも関わらずブラックホール生成が[現実にありうる]と「中途より」認められることになった― とのLHC実験、同実験については、(事実の問題として)、
[ヘラクレス12功業のうちの[巨人アトラス]と[黄金の林檎]が登場する11番目の功業]
[ヘラクレス11番目の功業でそこが目指されている[黄金の林檎の園]との一致性が歴史的に観念されてきたところのアトランティス]
[黄金の林檎によって開戦を見た戦争で滅亡した[トロイア]]
に関わる命名規則が[ブラックホール生成]に関わるところで多重的に用いられているとのことがある ―ブラックホール・イベントをも観測するとされるATLANTISや同ATLANTISがイベント・ディスプレイ・ツールとして用いられる中で「安全な」ブラックホール生成イベントを検知しうるなどと主張されてきた検出器ATLASなどとの兼ね合いでそうもさせられているとのことがある(出典(Source)紹介の部35および出典(Source)紹介の部36(3)および出典(Source)紹介の部46)― 」
第二.
「ヘラクレス12功業のうちの第11功業に登場する[黄金の林檎]に関しては(余程の歴史通でなければ把握するところではないと考えられるところなのだが)象徴上の問題として史的に[失楽園をもたらしたエデンの果実]と結びつけられてきたとの背景があるものである(出典(Source)紹介の部51)。
その点、といった(暗流として、でも)一部識者に[黄金の林檎]と結びつける見方があるとの[エデンの禁断の果実]を ―(旧約聖書それ自体には禁断の果実が林檎であると明示的に言及がなされて「いない」ところを)― 同文に[林檎]そのものと定置して
[蛇に変じたルシファーによるアダムとイヴの林檎を用いての誘惑による人類の始祖の楽園からの追放]
を描いていたという古典がジョン・ミルトン『失楽園』となっているのだが、同古典、ミルトン『失楽園』「にも」殊に問題となるダンテ『地獄篇』と同様に今日的な意味でのブラックホールと類似するものが(といったことの方はまったくもって指摘されていないことだが)「どういうわけなのか」描かれているとのことがある (しかも、その古典『失楽園』に認められる「奇怪な」と表せようものとしての[今日的な定義で見るブラックホールと類似するもの]については [ブラックホール類似形描写の形態としてはダンテ『地獄篇』にてのそれと「委細では」異なる特質(ブラックホールの「他の」属性)を描いているとのものである] にも関わらず、[それが描かれているパートが[ルシファーに由来する災厄][地獄門の先の領域での特性]であるとの観点ではダンテ『地獄篇』と共通している] とのことがあるというもの「でも」ある(出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55(3)を包摂する解説部)」
(ここ補説3の部にてのここに至るまでの内容を振り返っての話を続けるとして)
直近まで述べてのことに注意を向けたうえで
「以上のようなことが成り立つ背景には(伝承をよく知った)人間レベルの恣意 ―たとえば、CERN実験関連の命名規則を決めた科学者の恣意― では話が済まされないとの「別」事情が多重的に、不快なるものとして山積しているとのことがある(その絡みで本稿が何を述べているかを検討すれば、(現実に向き合うだけの最低限の脳機能を有している人間であるのならば、だが)、自身を取り巻く状況がどういったものなのか、理解できるだけの話をなしているつもりである)」
との趣旨のことを「再」強調したうえで[A]から[F]と分けての話に入った。
それら[A]から[F]と振っての話については
[ダンテ『地獄篇』とヘラクレス12功業の結びつきの話にも通ずるところの特定の事実関係が「際立って」存在しもし、そして、それら事実関係が極めて重要な問題の所在を指し示すべくものものであることを示すのがこれよりの[A]から[F]の流れである]
との趣意のことを申し述べもし、まずもって[A]と振っての段では
[ペルセポネ] (本稿にての先の段、[5]と振っての段 ―(なかんずく出典(Source)紹介の部90(10)]を包摂する部位)― にて解説したような式でダンテ『地獄篇』に(ヘラクレス12番目の功業内容との絡みで)相通ずるところがあるとの神)
という冥界の女神が
[イシス] (エジプトからギリシャ・ローマ圏の双方に渡来し篤く信仰されていたとの女神)
および
[ケルベロス] (ヘラクレス12番目の功業にてその冥界よりの引きづりだしが目標となっていた三面の犬の怪物)
と多重的に結びついているとのことを指し示すための話をひたすらに細かくもなした(:また、その過程でペルセポネが[フリーメーソンの秘教思潮にも影響を与えているエレウシス秘儀]にあって崇拝されていた女神であるとのことも解説した ―出典(Source)紹介の部91から出典(Source)紹介の部94(7)を包摂する解説部― )。
次いで、[B]と振っての段(直上、つい今しがたまで筆を進めてきたとのセクション)では先行しての[A]の段で摘示してきたところの
[ペルセポネ←→(複数古文献で同一性が記載)←→ヘカテ←→(顕著な記号論的一致性⇔ケルベロス]との関係性が[イシス←→(古文献の記載内容および崇拝形態などの顕著な一致性)←→ペルセポネ]
との関係性が
[白色矮星シリウスBに対する史的に見て奇怪なる先覚的言及]
とつながるだけの素地が十分すぎるほどに「ある」とのことの摘示を ―出典(Source)紹介の部95から出典(Source)紹介の部95(9)を包摂する解説部を通じて― なしてきた (※その際、ロバート・テンプルの『シリウス・ミステリー』との書籍、[毀誉褒貶相半ばする]というより「毀」と「貶」ばかりが目立つとの書籍ながらも同書籍の内容を深くも問題視した。具体的には、(同著結論およびそちら結論を支えるうえでの主要なる主張内容、ドゴン族にまつわる主張内容には「反証材料がある」とのことで支持できないとしつつも)、同著『シリウス・ミステリー』一部主張がローマ期の著名古文献にみとめられる[文献的事実]に根ざしており、そこに論拠を付け加え、主張内容に多少訂正を加えることで問題となる関係性([A]で示してきた関係性)から[複数古典を介しての白色矮星シリウスBに対する「史的に見て奇怪なる」先覚的言及]が浮かび上がるとのことを問題視した)。
直近まで振り返っての流れを受けもし、([A]から[F]と振っての部のうち、つい今しがたまでの[B]に続けての)これよりの[C]の段では[シリウスB]が[ブラックホール]といかような側面で結びつけられてきた天体なのか、その解説をなしていく。
より具体的には
「現実に現代科学史にあっては白色矮星シリウスBが[ブラックホール理論の発展経緯]と密接に結びついているとの背景がある」
とのことの解説をなすこととする。
(ここより[C]と振っての段に入るとして)
「まずもって述べるが、」
[シリウスBについては[同天体によってブラックホール理論がこの世に産み落とされる契機になった]との指摘が存在し、また、そうもした指摘については[シリウスBの最も目立つシリウスA伴星との地球に対するポジション]および[科学の発展動向]から見れば、自然なことであるととれるような事情も存する]
とのことがある。
上のことに関して[どういうことか]との解説(そして、「がてらも、」の典拠紹介)を以下、二段階に分けてなす。すなわち、
[シリウスBについては[同天体によってブラックホール理論がこの世に産み落とされる契機になった]との指摘が存在している]
[シリウスBの地球に対するポジションと科学の発展動向から見れば、同天体がブラックホール理論の開闢と結びついているとのことは自然なことであるととれるような事情が存する]
との二段階に分けて解説(そして、「がてらも、」の典拠紹介)を以降、各別になしていくこととする。
ここ出典(Source)紹介の部96にあってはまずもって
[シリウスBについては[同天体によってブラックホール理論がこの世に産み落とされる契機になった]との指摘が存在している]
とのことの典拠を挙げることとする。
その点、ここでは典拠としてロンドン大教授(退役教授)として[科学史研究]を専門としているとの向き( Arthur I. Millerという向き)を著者とする、
Empire of the Stars Friendship,Obsession and Betrayal in the Quest for Black Holes(邦題)『ブラックホールを見つけた男』(原著2005年刊、邦訳版2009年刊/邦訳版版元は草思社)
という書籍の内容を引くこととする。
(直下、 Empire of the Stars Friendship,Obsession and Betrayal in the Quest for Black Holes(邦題)『ブラックホールを見つけた男』(草思社)にての[地球圏より極めて目立つ恒星としてのシリウスAの伴星たるシリウスBが[白色矮星]であると判明した経緯]について扱った部である[第三章 天体物理学の巨人エディントン]p.94-p.96より中略なしながらもの掻い摘まんでの引用をなすとして)
シリウスBはシリウスAの伴星である。
・・・(中略)・・・
十九世紀の天文学者たちがシリウスAに伴星があるのではないかと考えるようになったのは、シリウスAが滑らかな軌道をたどらず、ふらつくことに気づいたからである。
・・・(中略)・・・
シリウスAとシリウスBが互いの周りを回るのに要する時間と軌道の不規則さの度合い、さらに地球からこの二つの星までの距離から、天文学者たちはシリウスBの質量を計算することができた。その結果、シリウスBの質量は太陽とほぼ同じで、ほぼ2×1033グラムであることがわかった。
・・・(中略)・・・
半径も一万八〇〇〇キロメートルほどと計算されたが、
・・・(中略)・・・
言いかえると、シリウスBは、地球と大して変らない体積のなかに太陽の全質量を詰め込んでいるのである。このために、シリウスBの平均密度は一立方センチメートル当たり、なんと六万一〇〇〇グラムにもなってしまった。白色矮星の密度が極端に高かったため、天体物理学者たちは、このような星の記述には、これまでとは別の形の完全気体の法則を捜さなければならないのではないかと考えた。
(訳書よりの引用部はここまでとしておく)
以上はシリウスBが[白色矮星]としていかにエポックメイキングな天体として存在予測されるに至ったのかということにつき言及した部である(:そも、白色矮星こと[ホワイト・ドワーフ]という言葉、[太陽と同様の質量を持つにかかわらず地球と同程度かやや大きめのサイズに縮小したとの恒星]を指すとの自体が生み出されたのもシリウス伴星たるシリウスBの恒星分類法におけるスペクトル分類がA型、白色系統であったとのことが和文ウィキペディア[白色矮星]項目に現行記載されているとのこともある ――(和文ウィキペディア[白色矮星]項目にての[形成過程]の節より抜粋をなせば)「白色矮星」という語は、シリウス伴星が白色、スペクトル分類がA型であったところからできたものであるが、観測の結果、他にも青・青白・黄白・黄・橙・赤など通常の恒星と同じものが存在することがわかった
(引用部はここまでとする)とされているようなところがある―― )。
それにつき述べておけば、
[白色矮星と「後に」呼ばれるようになったもの]
の嚆矢はエリダヌス座のエリダヌス40番星の伴星( 40 Eridani B )であるとされもしている。既に18世紀後半、1783年より発見されていたとのことである[エリダヌスB]が1910年より白色矮星と呼ばれるようになった(スペクトル分類が公にされたのは1914年とも)、それは
[シリウスBの白色矮星「としての」定義年次](1915年/シリウスBの存在自体は本稿にてここまで引用なしてきたところにて言及されているように既に1862年に(アルヴァン・グラハム・クラークという人物によって)特定されていたとされる)
に先立つこととされもしている(:英文Wikipedia[ White dwarf ]項目にて The pair 40 Eridani B/C was discovered on January 31, 1783, by William Herschel. It was again observed by Friedrich Georg Wilhelm Struve in 1825 and by Otto Wilhelm von Struve in 1851. In 1910, it was discovered that although component B was a faint star, it was white in color. This meant that it had to be a small star; in fact it was a white dwarf, the first discovered. [ . . . ] The unusual faintness of white dwarfs was first recognized in 1910 by Henry Norris Russell, Edward Charles Pickering, and Williamina Fleming ; the name white dwarf was coined by Willem Luyten in 1922. In 1910, Henry Norris Russell, Edward Charles Pickering and Williamina Fleming discovered that, despite being a dim star, 40 Eridani B was of spectral type A, or white.[ . . . ] The spectral type of 40 Eridani B was officially described in 1914 by Walter Adams.
(大要)「エリダヌス40番星のエリダヌスBおよびCは1783年ウィリアム・ハーシェルにて発見された。次いで、それが観測されたのはフリードリッヒ・ジョージ・ヴィルヘルム・シュトルーベによる1825年のこと、次いで、オットー・ヴィルヘルム・フォン・シュトルーベによる1851年のこととなり、1910年にはエリダヌスBがおぼろげな星でありながら白色を呈していることが発見されることとなり、そのことはエリダヌスBが小さな恒星に違いなく白色矮星であるとのことを意味していた。・・・(中略)・・・白色矮星のおぼろげさに依拠しての特色はヘンリー・ノリス・ラッセルらによって1910年に発見されることとなり、白色矮星との呼称それ自体は1922年にウィレム・ルイテンによってあみ出された。1910年、ヘンリー・ノリス・ラッセルらは[か細い星であるにも関わらず、エリダヌス40番星の伴星がスペクトル分析におけるA型、すなわち白色を呈している]ことを「発見」、そちらがウォルター・アダムスによって1914年に公に記述されるに至った」と記載されているとのことがある)。
尚、[エリダヌスB]のスペクトル分類を[後に白色矮星と呼ばれるもの]として公的に表現するに至ったとされるウォルター・アダムズ( Walter Adams )という人物がシリウスBの白色矮星としての側面を発見した人物「とも」なっているとされることもある ―英文Wikipedia[Sirius]項目にて In 1915, Walter Sydney Adams, using a 60-inch (1.5 m) reflector
at Mount Wilson Observatory, observed the spectrum of Sirius B and determined
that it was a faint whitish star.
と記載されているようなところがある― 。
とにかくも、である。
表記の著作、
Empire of the Stars Friendship,Obsession and Betrayal in the Quest for Black Holes『ブラックホールを見つけた男』(草思社)
ではそうしたエリダヌス40番伴星のシリウスBに先立つ白色矮星としての同定の経緯も踏まえられたうえで(同著邦訳版p.96には(中略なしつつも引用するところとして)ウォルター・S・アダムスは・・・(中略)・・・シリウスBの明るさとスペクトル型を測定し、シリウスBもο2エリダヌス座Bと同じく、スペクトル分類はAだが、温度は若干低く約八〇〇〇ケルビンであることを見出した。ο2エリダヌス座Bは単なる異常現象ではなかったのだ
と記載されている)、そのうえで
「シリウスBこそがブラックホール理論登場に極めて重要な役割を果たした星である」
とはきと言明されている。その点についてはこれよりの当該著作よりの引用部を参照いただきたい。
(直下、[ブラックホール理論の開闢と白色矮星がいかように結びついているのかの経緯説明]をなしている部として訳書『ブラックホールを見つけた男』(草思社)の[第五章 英国への旅立ちから運命の日まで]、の中での[ブラックホールへと至る洋上の構想]と付された節にてのp.146よりの引用をなすとして)
ファウラーの場合と同じく、チャンドラも完全に冷えきった白色矮星に焦点を合わせていた。それは、白色矮星がどこまで大きな質量をもてるかには限界があるというものだった。チャンドラは計算によって、限界質量が太陽の質量と同程度であることを明らかにした。だが、燃料を使い果たしたあとに、いま求めた限界値よりも大きな質量で最期を迎えた場合はどうなるのだろう?収縮に歯止めをかけるものは何もないから、どこまでも収縮しつづけるのだろうか。
(掻い摘まんでの引用部はここまでとする)
(直下、[ブラックホール理論の開闢と白色矮星がいかように結びついているのかの経緯説明]をなしている部として訳書『ブラックホールを見つけた男』(草思社)[第五章 英国への旅立ちから運命の日まで]p.172よりの引用をなすとして)
計算をつづけていたチャンドラは、一九三一年の終わりに、相対論的縮退からは、もう一つ、驚くべき結果が出てくることを知った。それは、放射圧が総圧力の一〇パーセントを越えている星は、完全に縮退してしまうのを防ぐ縮退コアを生み出すことができないというものである。電子が密集してどれほどぎゅう詰めになっていても、そのような星の内部は必然的にものすごい高温になるから、星は完全気体の状態を保つだろう。縮退圧がなければ、非常に固い非圧縮性コアが生じることはありえず、したがって、燃えつきた星が重力によって限りなく高密度の無限に小さな点にまで押し潰されるのを妨げるものは何もないことになる。
(掻い摘まんでの引用部はここまでとする)
以上、科学史を専門とする大学人にものされた Empire of the Stars Friendship,Obsession and Betrayal in the Quest for Black Holes(邦題)『ブラックホールを見つけた男』より引用なしてきたとの下りは
[スブラマニアン・チャンドラセカールという大英帝国植民地時代のインド出身の若者 (後にノーベル賞を受賞することになった物理学者/その叔父はチャンドラセカール渡英の折と同年の1930年にノーベル物理学賞を受賞しているインド人物理学者チャンドラセカール・ラマン) が英国ケンブリッジ目指しての航海航程にてその洋上、船中にて白色矮星が崩壊したらばどうなるのか、ということにまつわる着想を得、英国到着後もそのことを煮詰めることになった]
とのことを取り上げた部位となる。
同部ではチャンドラセカールが[白色矮星](往時、シリウスBが代表例であると認知されていた白色矮星)がどの程度までの質量を持てるのかの計算をなし(引用部にあるようにその[限界質量]については[限界質量が太陽の質量と同程度であることを明らかにした]とされているものである)、そうした質量上の限界を超える恒星が崩壊した場合に ―ブラックホール存在予測にそれがつながることになったこととして― [どうなるのか]とのことが表記されているわけである([いま求めた限界値よりも大きな質量で最期を迎えた場合はどうなるのだろう?収縮に歯止めをかけるものは何もないから、どこまでも収縮しつづけるのだろうか]との訳書『ブラックホールを見つけた男』引用部にて表記されている問いの答えとしてブラックホールの存在が予想されることになったとのことがある)。
それにつき、科学史家アーサー・ミラー著作の訳書、『ブラックホールを見つけた男』(草思社)の[第九章 星の研究をはじめた物理学者たち]の段(p.309以降の段)ではチャンドラセカールが呈示した議論は誰にも答えられなかったこと、そのような中でオッペンハイマー(マンハッタン計画を主導したかのロバート・オッペンハイマー)が同じくもの領域に踏み込み、
[ブラックホール理論(より具体的には主流の科学者らが[シュヴァルツシルト半径の問題から予測されるもの]でありながらチャンドラセカールを「除いて」誰も認めなかったとの[ブラックホールと今日呼ばれるようになったもの]にまつわる理論)の泰斗]
となったことが紹介されているので、その部よりの掻い摘まんでの抜粋を下になしておくこととする。
(直下、訳書『ブラックホールを見つけた男』(草思社)[第九章 星の研究をはじめた物理学者たち]の段、p.309よりの一部引用を下になすとして))
このときまで、チャンドラの理論が提起した重要な疑問、すなわち、チャンドラが見出した上限質量を超す白色矮星はどうなってしまうのかとう疑問には、だれ一人答えを出していなかった。
そのような星が収縮していって、ものすごい高密度の、想像もつかないような小さな点になってしまうというようなことがほんとうに起こるのだろうか?ようやくオッペンハイマーがこの問題に取り組むことになった。 ・・・(中略)・・・ 彼は星が最期を迎える四番目の道筋を検証した。それは、星がどこまでも崩壊をつづけ、ついには周囲の空間そのものを「貪欲な胃袋」に呑み込んで一生を終えるというものである。これは天体物理学の最前線への攻撃であり、オッペンハイマーはのちにマンハッタン計画を立案したときと同様、周到に準備をして戦いを仕掛けた)
(掻い摘まんでの引用部はここまでとする)
(さらに続けて直下、『ブラックホールを見つけた男』(草思社)[第九章 星の研究をはじめた物理学者たち]の段、p.312よりの一部引用を下になすとして)
先人たちとは異なり、オッペンハイマーとスナイダーはシュワルツシルト半径を真剣に受けとめ、これを実際の星に当てはめることができるかどうかを調べはじめた。
二人が発見した驚くべき結果は、一定の条件のもとでなら、大質量の星は確かに内側に向けて爆発(爆縮)を起こすことができ、最後にはシュワルツシルト半径よりも小さくなって周囲の空間を引き寄せ、見えなくなってしまうというものだった。科学者たちはシュワルツシルト半径を指すのに、最初は「シュワルツシルトの特異点」という言葉を使った。光がこの領域の内側から外に出るには無限の時間がかかるからである。けれども、この用語は間違った呼び方であることが明らかになる。
シュワルツシルト半径がそのような範囲を定めるものであるのに対して、爆縮する星こそ、最後はどこまでも小さくなって無限大の密度になる、すなわち特異点になるのである。奇妙で不可解ではあるものの、星が特異点になるというこの解は、かつてチャンドラが述べたことにほかならなかった。チャンドラは、ある一定の質量を超えた星が、まさしくそうした振る舞いをすることを見出していたのだ。チャンドラの発見がついに立証されたのである。
オッペンハイマーとスナイダーの研究は好奇心をそそる謎を生みだしたが、彼らはどう説明すればいいのか困惑してしまった。収縮して、ほぼシュワルツシルト半径の大きさになった星とともに運動している観測者の見方と、星を遠くから眺めている観測者の見方とがあいいれないように思えたのだ。星とともに運動している観測者は、物質が速度を上げながら内部に流れ込んでいくのを見る。シュワルツシルト半径によって定まる地平面に近づけば近づくほど、重力場はますます強さを増して物質を引き寄せるからである。・・・(中略)・・・したがって、遠方の観測者は、星がシュワルツシルト半径に達しているとき、収縮している星が「凍りついたように動きを止めた」と報告するだろう。収縮する星の強力な重力に押さえ込まれてしまうため、光がそこから脱出するにはますます長い時間を要するようになり、最後には星が空間と時間のうちに「凍りついて」、もはや動いていないように見えてしまうのである。
(掻い摘まんでの引用部はここまでとする ―※― )
(尚、表記引用部にみとめられる(再度繰り返してその部を引くとして)したがって、遠方の観測者は、星がシュワルツシルト半径に達しているとき、収縮している星が「凍りついたように動きを止めた」と報告するだろう。収縮する星の強力な重力に押さえ込まれてしまうため、光がそこから脱出するにはますます長い時間を要するようになり、最後には星が空間と時間のうちに「凍りついて」、もはや動いていないように見えてしまうのである
(引用部はここまでとする)との部、 Frozen Starと呼ばれていた当初よりのブラックホール理解がダンテ『地獄篇』における[光の名を冠する存在(ルシファー)が囚われておりもし、明示的にそうであると言及されての[重力の中枢]にての凍り漬けの世界にて凍り漬けにされた者達の主観上の粉砕劇と客観上の外側観測者から見ての凍り漬けが並列しているとのありさま ―[永劫の悲嘆の領域]として一度入れば、希望を捨てよ、出ることはあたわぬと地獄門に描写されての悲嘆の川(コキュートス)の領域― ]といかように間尺が合うものなのか、とのことを本稿の先だっての段では解説してきたとのことがある ―その点、さらに振り返れば、ダンテ『地獄篇』における[地獄門の先にある][ルシファーによる災厄に関わる]領域がミルトン『失楽園』の方では[時間と空間が意味をなさなくなる領域](時間と空間をあわせて描写するなどまさしくも(ミルトン時代から数百年後の)後にあってのアインシュタイン的理解そのものの描写がなされての領域)にして[ルシファー(光)でさえそこに落ち込めば脱出不能となる永劫の底無しの暗黒領域]と描写されもしており、似通ったものに対するミルトン『失楽園』のそうした描写と複合思料することで今日、[ブラックホールと表されているものに対する現代的理解にそのまま通ずるもの]が(『地獄篇』描写から)多層的一致性を帯びながら立ち現れてくることが問題となりもする― (振り返っての表記はここまでとする))
まとめれば、である。
[先にチャンドラセカールが[白色矮星シリウスB]を契機に問題視していたのと同様のこと ―白色矮星のようなものが崩壊し続けた場合、どうなるのかと問題視していたのと同様のこと― が後にオッペンハイマーら(マンハッタン計画に関与する前のオッペンハイマーら)によって[シュヴァルツシルト半径のことを天体の爆縮作用に応用しての検討]で裏付けられることになり、によって、シュワルツシルト半径に達した天体につき[光が脱出することも出来ずに時間と空間にて凍りついたような様相]が具現化を見る(要するにブラックホールと今日、呼ばれているものの特性の具現化を見る)との帰結が導き出されたということになっている]
とのことが「ある」、そのように科学史ができあがっているのである。
それがためにチャンドラセカールは
[ブラックホールを見つけた男]
と表されているのである。
ここまで書籍の記述の内容を引き合いに出しながら問題視してきたのはいわゆる、
[チャンドラセカール限界]
の発見経緯にまつわる部位である。
その点、[チャンドラセカール限界]とは、一言表記すれば、
[寿命を終えて(核エネルギーを使い果たして寿命を終えて)重力崩壊を起こすことになった恒星のうち、ある一定以上の質量限界を超過した星は白色矮星にはならずに中性子星やブラックホールになるとのその限界線]
のことを指している(英文Wikipedia[ Chandrasekhar limit ]項目のApplications(効果解説)の節にて The core of a star is kept from collapsing by the heat generated by the fusion of nuclei of lighter elements into heavier ones. At various stages of stellar evolution, the nuclei required for this process will be exhausted, and the core will collapse, causing it to become denser and hotter. A critical situation arises when iron accumulates in the core, since iron nuclei are incapable of generating further energy through fusion. If the core becomes sufficiently dense, electron degeneracy pressure will play a significant part in stabilizing it against gravitational collapse. If a main-sequence star is not too massive (less than approximately 8 solar masses), it will eventually shed enough mass to form a white dwarf having mass below the Chandrasekhar limit, which will consist of the former core of the star. For more massive stars, electron degeneracy pressure will not keep the iron core from collapsing to very great density, leading to formation of a neutron star, black hole, or, speculatively, a quark star.
(訳として)「星の中心核はより軽い元素らの原子核がより重いものらのそれへと核融合する過程にて発生する熱によって崩壊を免れている。恒星の漸次的変化にての様々な局面にてその崩壊阻止のプロセスに要求される原子核は使い果たされ、そして、中心核はやがて恒星をより密度高く、また、熱いものとなさしめつつ崩壊を見ることになる。決定的なる状況は(鉄の原子核は核融合を通じてさらなるエネルギーを生成できないがゆえに)鉄が中心核にて蓄積したときから生じる。もし核が十分に密度高いものであるのならば、電子縮退圧が重力崩壊に抗して恒星を安定化させるうえで重要な役割を果たすことになるだろう。主系列星がもし十二分に大きくはない(およそ8太陽質量以下であるのならば)、それは結果的にチャンドラセカール限界以下の質量を持った白色矮星、かつて星のコアを構成していたとのものを形成するのに十分といった質量のそぎ落としをなすことになる。より重きところの恒星らにあっては、電子縮退圧も星の鉄の中心核をしてすさまじい密度へと崩壊することを妨げることはなく、[中性子星]あるいは[ブラックホール]あるいは思索上の存在ではあるが、[クオーク星]の形成とのことになるだろう」との記載はその特性を端的に表記しているとの部位となる)。
くどくも説明のなされようを紹介すれば、同チャンドラセカール限界、[寿命を終えて(核エネルギーを使い果たし寿命を終えて)重力崩壊を起こすことになった恒星の内、ある一定以上の質量限界を超過した星は白色矮星にはならずに中性子星ないしブラックホールになるとのその限界線]についてチャンドラセカールが煮詰めることとなったとされる、そう、ブラックホール(的なるもの)の形成が周囲の科学者に否定される中で(:英文Wikipedia[ Chandrasekhar limit ]の冒頭部にて This limit was initially ignored by the community of scientists because such a limit would logically require the existence of black holes, which were considered a scientific impossibility at the time.
「この限界線はそれが論理的に往時、科学的に不可能と考えられていたブラックホールの存在を要するとのものであったため往時の科学者らのコミュニティーにて無視された」と記載されているとおりである)若き日のチャンドラセカールが渡英を企図しての航路の途上の計算を端緒にして煮詰めることとなったとのそのチャンドラセカール限界がゆえに、
「ブラックホールの実在を真に具体的かつ先覚的に予想したのはチャンドラセカールである」
とされているわけである。
そのことを細かくも扱った書籍が
Empire of the Stars Friendship,Obsession and Betrayal in the Quest for Black Holes(邦訳版タイトル『ブラックホールを見つけた男』/半ば、チャンドラセカールの自伝的なる色彩を呈しての書籍)
なのである(まさしく邦題にて[ブラックホールを見つけた男]とされているとおりである。尚、原著タイトルに付された Friendship,Obsession and Betrayal in the Quest for Black Holes[ブラックホールら探索にあっての友情・偏見・そして裏切り]との部位は往時の英国学界に君臨していた大物学者のアーサー・エディントンとその影響下にある学究らがチャンドラセカールの理論を決して認めようとしなかったとのこと、そして、の過程で伝手・頼みの綱にしていた友誼を結んでの学者らにまで若き日のチャンドラセカールが失望させられたとのことを指しての表題となっている)。
ここで本稿にて問題視しているところの、
[ Sirius B ]
に注意を向ける。
先にて抜粋なした訳書『ブラックホールを見つけた男』(草思社)p.146よりの引用部にあって
[ファウラーの場合と同じく、チャンドラも完全に冷えきった白色矮星に焦点を合わせていた。それは、白色矮星がどこまで大きな質量をもてるかには限界があるというものだった。チャンドラは計算によって、限界質量が太陽の質量と同程度であることを明らかにした。だが、燃料を使い果たしたあとに、いま求めた限界値よりも大きな質量で最期を迎えた場合はどうなるのだろう?収縮に歯止めをかけるものは何もないから、どこまでも収縮しつづけるのだろうか]
と記載されているようにブラックホール実在理論(とワンセットになってのチャンドラセカール限界の導出)には[白色矮星]の考察が重きをなしており、それについては、チャンドラセカールの限界線の発見は
[特定の白色矮星・シリウスBの存在あってのもの]
であると同じくもの著作( Empire of the Stars Friendship,Obsession and Betrayal in the Quest for Black Holes(邦訳版タイトル)『ブラックホールを見つけた男』)それ自体に「はきと」記載されている。以下の部がそのことを「端的に」表記している部となる。
(直下、[シリウスBがブラックホール理論の開祖として知られるに至ったチャンドラセカールの運命を変えた星であること]について言及した部として訳書『ブラックホールを見つけた男』よりの[第三章 天体物理学の巨人エディントン]にてのp.94冒頭部より抜粋をなすとして)
二五年後、エディントンとチャンドラは、これら謎に満ちた白色矮星が最後に迎える運命をめぐって激しく議論を戦わせることになるが、そのときには天体物理学者たちは、白色矮星は燃えつきた星だと考えるようになっていた。さらに一九一四年には、一人の天文学者が、別の白色矮星シリウスBに関して、ちょっと信じがたいような観測結果を発表していた(後述のアダムズによる観測のこと)。このシリウスBが、チャンドラとエディントンの生涯と、天体物理学のその後の歩みを変えることになる。
(掻い摘まんでの引用部はここまでとする)
上の引用部と先立っての引用部でもってお分かりいただけようが、[シリウスB]こそが、そう、
[論客ロバート・テンプルが「人類の遺した古典にてその奇怪なる存在指し示し材料が数多見受けられる」とのことを指摘していた(テンプル主張内容については本稿にての先立っての[B]の段で詳述なしてきたことである)との星天にあって最も明るき恒星たるシリウスAの伴星たるシリウスB (シリウスAに対して肉眼目視不可能であるがゆえに古代にては言及されているようなことが「あってはならない」との天体) ]
こそが
[ブラックホールという存在の実在を理論的に示すとのことをなした男(チャンドラセカール)のまさしくものそのエポックメイキングな予想]
の具にされているとのことが[事実]としてあるとされるのである。
(:チャンドラセカールがおよそ80数年前に新規理論を煮詰めていたとの英国、その英国にてのロンドン大で科学史の専門家として奉職しているとの著者 Arthur I. Millerの手になる Empire of the Stars Friendship,Obsession and Betrayal in the Quest for Black Holesの訳書(草思社より刊行の『ブラックホールを見つけた男』)よりの関連するところの抜粋を(より端折っての式で)再度なすこととする。
(引用をより掻い摘まんでなすところとして)
[このときまで、チャンドラの理論が提起した重要な疑問、すなわち、チャンドラが見出した上限質量を超す白色矮星はどうなってしまうのかとう疑問には、だれ一人答えを出していなかった。そのような星が収縮していって、ものすごい高密度の、想像もつかないような小さな点になってしまうというようなことがほんとうに起こるのだろうか?ようやくオッペンハイマーがこの問題に取り組むことになった
・・・(中略)・・・
彼は星が最期を迎える四番目の道筋を検証した。それは、星がどこまでも崩壊をつづけ、ついには周囲の空間そのものを「貪欲な胃袋」に呑み込んで一生を終えるというものである(・・・)
・・・(中略)・・・
先人たちとは異なり、オッペンハイマーとスナイダーはシュワルツシルト半径を真剣に受けとめ、これを実際の星に当てはめることができるかどうかを調べはじめた。二人が発見した驚くべき結果は、一定の条件のもとでなら、大質量の星は確かに内側に向けて爆発(爆縮)を起こすことができ、最後にはシュワルツシルト半径よりも小さくなって周囲の空間を引き寄せ、見えなくなってしまうというものだった。
科学者たちはシュワルツシルト半径を指すのに、最初は「シュワルツシルトの特異点」という言葉を使った。光がこの領域の内側から外に出るには無限の時間がかかるからである。けれども、この用語は間違った呼び方であることが明らかになる]
(訳書よりのまとめを兼ねての引用はここまでとする))。
(出典(Source)紹介の部96はここまでとする)
ヒストリー・オブ・サイエンス、[科学史]にまつわる常識論上の話として上にて書籍に解説されていることを引いたことを前提に申し述べれば、ブラックホール理論(今日、ブラックホールと呼ばれている時空間にあっての凄まじい重力を呈する構造体にまつわる理論)をもたらした契機は ―時間と空間に対する見方を変えたとのアインシュタインの相対性理論のこと言うに及ばず―
[[シュヴァルツシルト半径](質量に応じて決まるその半径よりも狭いところに収縮した物体は理論上、ブラックホールになると後に考えられるようになった半径)との概念をもたらしたシュヴァルツシルト方程式という式の解法の呈示](1916年にての出来事/本稿では出典(Source)紹介の部65(5)などにて言及)
および
[星の重力崩壊のプロセスを導き出す契機となったチャンドラセカール限界の呈示](1930年以後/本稿にての直前の段までにて解説)
である。
うち、今日のブラックホール理論が登場するうえでの土台となったチャンドラセカール限界というもの、重力崩壊のプロセスが煮詰められることとなった原因となっているのが[シリウスB](の観察)であると指摘されていることを重んじているのが(くどくも強調しておくが)本稿である。