カール・セーガン『コンタクト』における[ブラックホール]ないし[ワームホール]生成のゲート装置と結びつけられてのナチス(の躍進)とマンハッタン計画の関係について 補説2
直前頁にあっては長くもなった問題提起のための部 ―カール・セーガン『コンタクト』にあってはきと見受けられるとの[露骨で嗜虐性が感じられる反語法]について詳解をなし、もって、問題提起となすとの部― から本題に立ち戻って([a]から[f]と振っての一連の指し示しにあっての)[d]と振っての部に入りもし、その流れで以下の如しの趣旨のこと、申し述べた。
カール・セーガン『コンタクト』にあっては
[ナチスの1936年のベルリン・オリンピックの映像(エポックメイキングにテレビ「中継」放送された映像)が異星文明の地球に対するゲート装置の設計図を送信する上での媒質として使われた]
との設定が採用されている。
そうもしたこととカール・セーガンの『コンタクト』という作品に伴う臭気を放ってやまないとの側面(既に幾頁も割いて指し示してきたところの[加速器によるブラックホール生成問題にまつわっての異常異様なる先覚的言及をなしているとの側面]および[嗜虐的反対話法が用いられているとの側面])とを複合顧慮したうえで問題となるようなところとして以下のことがある。
ナチスのユダヤ人に対する迫害、そして、そのナチス・ドイツの征戦を勝利のうちに完遂させる可能性があったナチスドイツの原始爆弾開発可能性。そうした状況に生存上の危惧を感じたユダヤ人科学者らが大同団結して開始を促したとの言われようが現代史にまつわるところでなされているマンハッタン計画 ―(本稿の先の段にて既述のように)グラウンド・ゼロとの言葉を生みだした計画― については
1.[後にLHCに進化するに至った円形加速器、その円形加速器の[真の発明者]とされる人間(レオ・シラード)がそもそもの計画のプロモーター(推進者)となっていた計画]
2.[公式上の円形加速器の発明者とされる人間(アーネスト・ローレンス)が初期段階にてとりまとめ役として重要な役割を果たしていた計画]
3.[公式上の円形加速器の発明者とされる人間(アーネスト・ローレンス)に計画に招聘された人間たるロバート・オッペンハイマーが[ブラックホール(とかなり後になって呼ばれるようになった[縮退星]というもの)の研究で既に業績を挙げていた科学者]として科学者陣を率いることになりもしていた計画]
4.[戦後影響力を増した同計画関係科学者によってブラックホール生成問題で矢面に立たされることになった研究機関らの主要なるもの(フェルミ国立研究所/ブルックヘブン国立研究所/CERN)らが設立なさしめられることになった計画]
となっているとのことがある
ここ本頁では以上、端的に振り返りもしての先だってのページの流れを受けて
ナチスのユダヤ人に対する迫害、そして、そのナチス・ドイツの征戦を勝利のうちに完遂させる可能性があったナチスドイツの原始爆弾開発可能性。そうした状況に生存上の危惧を感じたユダヤ人科学者らが大同団結して開始を促したとの言われようが現代史にまつわるところでなされているマンハッタン計画 ―(本稿の先の段にて既述のように)グラウンド・ゼロとの言葉を生みだした計画― については
1.[後にLHCに進化するに至った円形加速器、その円形加速器の[真の発明者]とされる人間(レオ・シラード)がそもそもの計画のプロモーター(推進者)となっていた計画]
2.[公式上の円形加速器の発明者とされる人間(アーネスト・ローレンス)が初期段階にてとりまとめ役として重要な役割を果たしていた計画]
3.[公式上の円形加速器の発明者とされる人間(アーネスト・ローレンス)に計画に招聘された人間たるロバート・オッペンハイマーが[ブラックホール(とかなり後になって呼ばれるようになった[縮退星]というもの)の研究で既に業績を挙げていた科学者]として科学者陣を率いることになりもしていた計画]
4.[戦後影響力を増した同計画関係科学者によってブラックホール生成問題で矢面に立たされることになった研究機関らの主要なるもの(フェルミ国立研究所/ブルックヘブン国立研究所/CERN)らが設立なさしめられることになったとの計画]
となっているとのことがある。
との点についての典拠紹介を ―そこからしてかなりもって長くもなってしまうのだが― なすことからはじめたい。
(※本出典紹介部にあっての[通史として世間的によく知られたところを言及しての箇所]はネット上で目立つところとなっているウィキペディア程度の媒体からの引用を多用することとなっていること、断っておく。その点、ウィキペディアは確認が(内容変転を見ていなければ)なしやすいとの側面を持つ一方、誤記・誤謬も数多見られること、よく知られている ――そのため、真っ当なところであるのならば大学でもそれを引用元とするなど論外とされがちである―― のだが、ここで取り上げている[通史となるところ]については誤謬無いこと、その他のソースらからも本稿筆者手ずから後追いしているところだけを抜粋していると申し述べておく)
ここ出典(Source)紹介の部84にあっては、
ナチスのユダヤ人に対する迫害、そして、そのナチス・ドイツの征戦を勝利のうちに完遂させる可能性があったナチスドイツの原始爆弾開発可能性。そうした状況に生存上の危惧を感じたユダヤ人科学者らが大同団結して開始を促したとの言われようが現代史にまつわるところでなされているマンハッタン計画 ―(本稿の先の段にて既述のように)グラウンド・ゼロとの言葉を生みだした計画― については
1.[後にLHCに進化するに至った円形加速器、その円形加速器の[真の発明者]とされる人間(レオ・シラード)がそもそもの計画のプロモーター(推進者)となっていた計画]
2.[公式上の円形加速器の発明者とされる人間(アーネスト・ローレンス)が初期段階にてとりまとめ役として重要な役割を果たしていた計画]
3.[公式上の円形加速器の発明者とされる人間(アーネスト・ローレンス)に計画に招聘された人間たるロバート・オッペンハイマーが[ブラックホール(とかなり後になって呼ばれるようになった[縮退星]というもの)の研究で既に業績を挙げていた科学者]として科学者陣を率いることになりもしていた計画]
4.[戦後影響力を増した同計画関係科学者によってブラックホール生成問題で矢面に立たされることになった研究機関らの主要なるもの(フェルミ国立研究所/ブルックヘブン国立研究所/CERN)らが設立なさしめられることになったとの計画]
となっているとのことがある
との点についての典拠となるところを順々に紹介なしていくとして、まずもっては、
1.[マンハッタン計画は後にLHCに進化するに至った円形加速器、その円形加速器の[真の発明者]とされる人間(レオ・シラード)がそもそもの計画のプロモーター(推進者)となっていた計画である]
とのことの典拠を挙げることとする。
(直下、容易に確認可能なき史実であるがゆえにそれで十分と判断、目に付くところとして誰でもオンライン上より即時即座に確認可能なところとしての和文ウィキペディア[レオ・シラード]項目の現行の記述よりの([中略]なしつつもの)部分的抜粋をなすとして)
レオ・シラード・・・(中略)・・・は、原子爆弾開発などに関わったハンガリー生まれのアメリカのユダヤ系物理学者・分子生物学者である。・・・(中略)・・・シラードはアインシュタインを通じたルーズベルト大統領への進言によって原子爆弾開発のきっかけを作った人物として知られる。・・・(中略)・・・これより前に、線形加速器さらにはサイクトロトロン、ベータトロンに関する特許を相次いで出願している。サイクロトロンの特許出願はローレンスがそれを思いついた時期に数か月先立ち、やはりその実現の4年前であった。
(引用部はここまでとする)
(直下、容易に確認可能な事実関係に争いなき史実であるがゆえにそれで十分と判断、目に付くところとして誰でもオンライン上より即時即座に確認可能なところとしての和文ウィキペディア[マンハッタン計画]項目の計画端緒にまつわる現行記述よりの一部抜粋をなすとして)
ナチス・ドイツが先に核兵器を保有することを恐れた亡命ユダヤ人物理学レオ・シラードらが、1939年、同じ亡命ユダヤ人のアインシュタインの署名を借りてルーズベルト大統領に信書を送ったことがアメリカ政府の核開発への動きをうながす最初のものとなった。この「進言」では核連鎖反応が軍事目的のために使用される可能性があることが述べられ、核によって被害を受ける可能性も示唆された。
(引用部はここまでとする.尚、同点についてのより細かい経緯については同じくものウィキペディアにあっては[アインシュタイン=シラードの手紙]項目に記載されているところとなる)
ここまでにて
1.[マンハッタン計画は後にLHCに進化するに至った円形加速器、その円形加速器の[真の発明者]とされる人間(レオ・シラード)がそもそもの計画のプロモーター(推進者)となっていた計画である]
とのことについての目に付くところの世間的説明のなされようを引いたとして、次いで、
2.[マンハッタン計画は後にLHCに進化するに至った円形加速器、その円形加速器(初期型円形加速器:サイクロトン)の[表立っての発明者]としてノーベル物理学賞を受賞している科学者(アーネスト・ローレンス)が初期、枢要な役割を果たしていた計画となっている]
とのことについて最も目立つところでいかな関連情報が目に入るようになっているのかについての紹介をなしておくこととする。
(直下、容易に確認可能な史実であるがゆえにそれで十分と判断、目に付くところとして誰でもオンライン上より即時即座に確認可能なところとしての和文ウィキペディア[アーネスト・ローレンス]項目の現行の記述よりの(中略なしつつもの)部分的抜粋をなすとして)
アーネスト・ローレンス・・・(中略)・・・は、アメリカ合衆国の物理学者。・・・(中略)・・・原子物理学や素粒子物理学で標準的に使用されるサイクロトロンを発明したことで知られる。・・・(中略)・・・第二次世界大戦中はマンハッタン計画に参加し、質量分析法によるウラン235の工業的分離に成功した。戦後も加速器の改良に力を注ぎ、バークレーにベヴァトロン(Bevatron)と名付けられた当時世界最大のシンクロトロンを建設した。セグレとチェンバレンらによる反陽子の発見もベヴァトロンによるものである。1939年、「サイクロトロンの開発および人工放射性元素の研究」によりノーベル物理学賞を受賞した。
(引用部はここまでとする.尚、アーネスト・ローレンスがその遺産としたベヴァトロンBevatronが後にSuperHILACという他加速器とドッキングさせられて、加速器ベバラックBevalacとなって[「ローレンス」・バークレー研究所]にあって運用された折にどういったことが取り沙汰されたかについては本稿にての出典(Source)紹介の部11で仔細に紹介なしているところとなる)
(直下、容易に確認可能な史実であるがゆえにそれで十分と判断、目に付くところとして誰でもオンライン上より即時即座に確認可能なところとしての英文Wikipedia[ Ernest Lawrence ]項目の現行の記述よりの部分的抜粋をなすとして)
During World War II, Lawrence eagerly helped to ramp up the American investigation of the possibility of a weapon utilizing nuclear fission. His Radiation Laboratory (known as the Rad Lab), became one of the major centers for wartime nuclear research, and it was Lawrence who first introduced J. Robert Oppenheimer into what would soon become the Manhattan Project.
(訳として)「第二次世界大戦中、アーネスト・ローレンスは核融合技術を利用した兵器の実現可能性の米国調査を増大させることに助力した。彼の放射線研究所(通称:ラド・ラボ)は戦時下、核兵器調査の主たる中心地となり、そして、彼ローレンスこそが間を経ずにマンハッタン計画となるとのところにロバート・オッペンハイマーを招聘しもした人間となっている」
(引用部はここまでとする ―※― )
(※注:上の引用部にて記載のサイクロトロンとは[円形加速器の初期タイプ]のことを指し、それがシンクロトロンというものに進化、後にブラックホール生成装置としてのLHCに発展していったということが幅広くも知られているところとしてある(※下にての一応、付したところのオンライン上にての解説のありようを参照されたい)。
(直下、和文ウィキペディア[加速器]項目にての装置概要記載の部、[古典的なサイクロトロン]と付されての部にあっての現行記載内容より引用なすところとして)
以上は理想的なサイクロトロンに関する記述であるが、実際にはいくつかの制限がある。まず粒子の散逸を防ぎ安定した加速を実現するために粒子を収束(フォーカシング)する必要があり、そのためには磁場を一様な状態からずらさなければならないということである。もうひとつは、粒子が相対論的速度(光速に近い速度)まで加速されるともはや上記の等時性は成り立たず加速を継続することが出来なくなるという点である。これらの問題点を解消するために歴史的には様々な工夫がなされてきたが、エネルギーフロンティアの開拓はシンクロトロンに道を譲ることとなった。現代のサイクロトロンはセクター型にすることにより上記の問題を部分的に解決し、大強度重イオン加速器として原子核物理学の発展に寄与している。
(引用部はここまでとする)
これにて
2.[マンハッタン計画は後にLHCに進化するに至った円形加速器、その円形加速器(初期型円形加速器:サイクロトン)の[表立っての発明者]としてノーベル物理学賞を受賞している科学者(アーネスト・ローレンス)が初期、枢要な役割を果たしていた計画となっている]
とのことに関連しての言及が目立つところでいかようになされているのかについての紹介を終える。
尚、直上、初期円形加速器、シンクロトロンに道を譲ったとのサイクロトロンについて上の和文ウィキペディアの引用部にてはレオ・シラードの特許出願がアーネスト・ローレンス(サイクロトロン発明にてノーベル賞を1939年に受賞したとのことが上にての引用部に記載されているとの科学者)のそれに数か月先立ち、レオ・シラードがサイクロトロン開発者であるように表記されているとのことがある(抽出して再引用なせば、これより前に、線形加速器さらにはサイクトロトロン、ベータトロンに関する特許を相次いで出願している。サイクロトロンの特許出願はローレンスがそれを思いついた時期に数か月先立ち、やはりその実現の4年前であった
と記載されているとのことがある)。
が、他書籍ではシラードの特許は有効に受理されていないような記載がなされ、アーネスト・ローレンスこそが特許関連で円形加速器の発明者として認知されているとの書きようが往々にしてなされてもいる(そして、レオ・シラードと同文に初期マンハッタン計画にて重要な役割を果たしたアーネスト・ローレンスは円形加速器開発の功績でノーベル物理学賞を受賞しているとのことがある)。
そこだけは疑義があるため、ウィキペディアに加えての他媒体より内容引いての紹介をなしておくが、レオ・シラードの方が円形加速器の真の発明者であるとされることについてCOLLIDER『神の素粒子 ―宇宙創成の謎に迫る究極の加速器― 』(ポール・ハルパーン著.訳書の刊行元は日経ジオグラフィック/本稿で何度かその内容を問題視したとの加速器実験担ぎ上げ書籍)の邦訳版には以下のような記述が含まれている。
(直下、COLLIDER『神の素粒子 ―宇宙創成の謎に迫る究極の加速器― 』p.116-117にあってはよりの引用を引用なすところとして)
なぜかシラードはこの設計を実施には移さなかった。彼はほかにも二つの加速器の特許申請をしたが、どちらもそこまでだった。彼の申請が受理されたかどうか記録はない
(引用部はここまでとする)
上の記載内容は和文ウィキペディアのレオ・シラードの特許がアーネスト・ローレンスに先立つとの現行にての書かれようと平仄が合わぬようにもとれる。
他面、ピューリッツァー賞を受賞、海外で広くも流通を見ている節ありの The Making of the Atomic Bombとの書籍の訳書『原子爆弾の誕生』(上巻.紀伊国屋普及版)にあっては以下のような記載がなされている。
(直下、 The Making of the Atomic Bomb『原子爆弾の誕生』p.17、レオ・シラード事績にまつわるパートよりの引用をなすとして)
もう一つ、同じように特許が与えられた奇妙な発明がある。こちらのほうは、もし彼が特許をとるだけでは満足せず、それ以上の努力を傾注して本気でアイデアを推し進めていたら、世界的な評価を勝ちうることができたであろうと思われる発明である。それは、アメリカの実験物理学者、アーネスト・O・ローンレンスの発明によってサイクロトロンとして呼ばれるようになった装置に関するものであった。この装置の設計方法を、シラードはローレンスとは別に、彼より三カ月早く構想している。サイクロトロンとは、原子核の構成粒子を円形の磁場で加速する一種のポンプである。シラードはこの装置の特許を一九二九年の一月五日に申請している。ローレンスがサイクロトロンを考えたのは同じ年の四月一日ごろであり、実際に稼働する小型のモデルを作製したのは一年後であった
(引用部はここまでとする)
以上のように特許を巡る経緯については「書籍・媒体によって言及内容に若干の齟齬が見受けられるようなことがあり」判然としないところが少なからずあるのだが、円形加速器(後にLHCにまで進化した円形加速器の初期形態としてのサイクロトロン)の発明者が「双方」、マンハッタン計画の推進・遂行で主要な役割を果たしたレオ・シラード ―アインシュタインに助力を求めつつマンハッタン計画の元となる計画の策定を大統領(フランクリン・ルーズヴェルト)に進言したとの科学者― および(シラードの後に続くかたちで同加速器を具現化させた)アーネスト・ローレンス ―マンハッタン計画の初期段階で主導的役割を果たし、ロバート・オッペンハイマーを計画に引き入れたとの科学者― であるということが[史実]として認知されていることに相違はない。
ちなみに、国内より出されている加速器実験の成果にまつわる最近の大衆向け解説書 ―具体的書名は挙げない― にあってなどでは(長期化した行政訴訟でこの身が[ブラックホール生成実験にまつわる国内実験関係者やりよう]との絡みでその記述内容を問題視したとの著作ともなるのだが)その著者となる東大の物理学系の教職員が ―誤字などといったそういったレベルの誤記ではなく― 本質的なところで
「円形加速器の開発者はローレンツ力を世に呈示したヘンドリック・ローレンツである」
などとの[全くもって事実と異なること]を(校訂など編集過程に問題があったのか、著者本人が余裕がなかったとのことでの加速器に活かされているローレンツ力に過度の重みづけを与えての汎ミスなのか知らないが)書いているのであるも、そういう誤表記に(といった向きがいれば、だが)当該問題をこれより煮詰めようとすることとした向きが惑わないでもらいたいものである。
次いで、
3.[マンハッタン計画を主導したのが「既に」ブラックホール理論の立役者として知られていたロバート・オッペンハイマーであった]
とのことについての目に付くところでの解説のなされようを紹介しておくこととする。
(直下、容易に確認可能な史実であるがゆえにそれで十分と判断、目に付くところとして誰でもオンライン上より即時即座に確認可能なところとしての和文ウィキペディア[ロバート・オッペンハイマー]項目の現行の記述よりの(中略なしつつもの)部分的抜粋をなすとして)
J・ロバート・オッペンハイマー ・・・(中略)・・・は、ユダヤ系アメリカ人の物理学者である。理論物理学の広範な領域にわたって国際的な業績をあげたが、第二次世界大戦当時ロスアラモス国立研究所の所長としてマンハッタン計画を主導。卓抜なリーダーシップで原子爆弾開発プロジェクトの指導的役割を果たしたため「原爆の父」として知られた。・・・(中略)・・・ 1930年代末には宇宙物理学の領域で、中性子星や今日でいうブラックホールを巡る極めて先駆的な研究を行っていたが、第二次世界大戦が勃発すると、1942年には原子爆弾開発を目指すマンハッタン計画が開始される。オッペンハイマーは1943年ロスアラモス国立研究所の初代所長に任命され、原爆製造研究チームを主導した。彼らのグループは世界で最初の原爆を開発し、ニューメキシコでの核実験(『トリニティ実験』と呼ばれている)の後、日本の広島、長崎に落とされることになった ・・・(中略)・・・ 中性子の研究にからんで、星の質量がある限度を超えれば、中性子にまで縮退した星がさらに圧潰する可能性を一般相対性理論の帰結として予測し、ブラックホール生成の研究の端緒を開いた(トルマン・オッペンハイマー・ヴォルコフ限界)。しかし、彼のブラックホール研究は、マンハッタン計画への参画によって中断した。陽電子の予知、トンネル効果の発見も重要な業績である。
(引用部はここまでとする ―※― )
(※1942年に開始されたマンハッタン計画に先駆けて1930年代末にはオッペンハイマーが「今日でいうブラックホール」を巡る先駆的研究を行っていたと言及されていることがここ本段にて問題視していることとなる。尚、同様のことについて目立つところでは例えば、英文Wikipedia[ Tolman-Oppenheimer-Volkoff limit ]項目にての The form of the equation given here was derived by J. Robert Oppenheimer and George Volkoff in their 1939 paper, "On Massive Neutron Cores"[ . . . ] In a neutron star less massive than the limit, the weight of the star is balanced by short-range repulsive neutron-neutron interactions mediated by the strong force and also by the quantum degeneracy pressure of neutrons, preventing collapse. If its mass is above the limit, the star will collapse to some denser form.
It could form a black hole, or change composition and be supported in some
other way (for example, by quark degeneracy pressure if it becomes a quark
star).
(逐語訳ではなく大要紹介にとどめるとして)「トルマン・オッペンハイマー・ヴォルコフ方程式はロバート・オッペンハイマーそしてジョージ・ヴォルコフとの連名で1939年論稿『中性子星のコアにあって』にて呈示されたものである。(同式によって)重力崩壊を起こした際に質量上の限界線を越えるかで中性子星にとどまるか、ブラックホールのようなよりもって密度高きものにまで崩壊するかが決まる」との記述などからも確認できるようになっているが、オッペンハイマーがいかようにしてブラックホール関連の領域に食指を伸ばしたのか、といったことについては Empire of the Stars Friendship,Obsession and Betrayal in the Quest for
Black Holes(邦題)『ブラックホールを見つけた男』(原著2005年刊、邦訳版2009年刊。邦訳版版元は草思社)といったブラックホール理論史にまつわる解説書を検討されてみるとよく分かるようになっている ――本稿にての後の段にあっては同書、 Empire of the Stars Friendship,Obsession and Betrayal in the Quest for Black Holes(邦題)『ブラックホールを見つけた男』から同じくものこと、オッペンハイマーの初期的ブラックホール研究に扱った段の記述も引くこととする―― 。さらに補っても述べれば、重力崩壊した恒星の末路としてのブラックホールについては当初、ブラックホールという呼び名ではなく、縮退星であるとかそういう呼ばれ方をされていた。そうしたものに対してブラックホールという名称が生み出され利用されだしたのは(本稿出典(Source)紹介の部65(10)などにて示しているように)1967年からであると現代科学史では定置されている)
以上引いたことに
3.[マンハッタン計画を主導したのが「既に」ブラックホール理論の立役者として知られていたロバート・オッペンハイマーであった]
とのことの紹介は留めておく。
さらに続けて、
4.[マンハッタン計画とは後の加速器実験を推進することとなった研究機関らの主要なるもの(フェルミ国立研究所/ブルックヘブン国立研究所/CERN)が戦後影響力を増した同計画関係科学者によって設立なさしめられることになったとの計画である]
とのことの典拠を示しておく。
まずは[ブルックヘブン国立研究所]および[CERN] ――[ブルックヘブン国立研究所]も[CERN]も本稿の冒頭部(の出典(Source)紹介の部1)よりその発表文書の内容を問題視しながら指し示していることとして[粒子加速器によるブラックホール生成問題]で批判の矢面にさらされることとなった組織である―― がマンハッタン計画に参加した科学者イシドール・ラビ(イ「ジ」ドール・ラビとも)によって設立後押しされているとのことについての説明のなされようを紹介しておく。
(直下、誰でもオンライン上より即時即座に確認可能なところとしての和文ウィキペディア[イジドール・イサーク・ラビ]項目の現行の記述よりの(中略なしつつもの)部分的抜粋をなすとして)
イジドール・イザーク・ラービはアメリカ合衆国の物理学者。・・・(中略)・・・共鳴法による原子核の磁気モーメントの測定法の発見により、1944年、ノーベル物理学賞を受賞した。・・・(中略)・・・1940年にはマサチューセッツ工科大学の放射線研究所の副所長となり、ロスアラモス国立研究所でアメリカの原爆開発に関わった。第二次世界大戦後は、ブルックヘブン国立研究所や欧州原子核研究機構の創設者のひとりとなった。
(引用部はここまでとする ―※― )
(※尚、現行英文Wikipedia[ Isidor Isaac Rabi ]項目には A legacy of the Manhattan Project was the network of national laboratories,
but none was located on the East Coast. Rabi and Ramsey assembled a group of universities in the New York area
to lobby for their own national laboratory. When Zacharias, who was now at MIT, heard about it, he set up a rival group at MIT and Harvard. Rabi had discussions with Groves, who was willing to go along with a new national laboratory, but only one. Moreover, while the Manhattan Project still had funds, the wartime organization was expected to be phased out when a new authority came into existence. After some bargaining and lobbying by Rabi and others, the two groups came together in January 1946. Eventually nine universities ( Columbia, Cornell, Harvard, Johns Hopkins, MIT, Princeton, Pennsylvania, Rochester and Yale ) came together, and on 31 January 1947, a contract was signed with the Atomic Energy Commission (AEC), which had replaced the Manhattan Project, that established the Brookhaven National Laboratory.
(補ってもの訳として)「マンハッタン計画の遺産は国立研究所らのネットワークであったわけだが、それらのどれもが東海岸とは(マンハッタン計画が名前にそぐわず米国の東海岸地方から離れて推進されていたとの経緯があり)無縁なるところであった。イシドール・ラビおよびノーマン・ラムゼー(ラビの同僚の有力物理学者.後にノーベル賞受賞)は自分たち自身の国立研究所を設立させるべくものロビー活動を行うべく(東海岸の)ニューヨーク地域の大学らからなるグループを組織した。その折、マサチューセッツ工科大学に所属していたザカリアス(物理学者 Jerrold R. Zacharias)がそうした流れを聞き及び、「我こそは」と競うグループをマサチューセッツ工科大学およびハーヴァードに組織することになった。イシドール・ラビは国に新しい国立研究所を創設するとのことに対し積極的に賛意を表していたグローヴス(マンハッタン計画を主導した米国軍人レズリー・グローヴズ)と議論を交わしたが、新国立研究所創設に賛意を表するのはグローヴス唯一人にとどまった。往時はマンハッタン計画が未だ予算を保持しての折ながらも、新しい関連行政機関が登場を見るに至っていたとの折ともなり、戦時中の組織は段階的に縮小消滅していくことが期されていた。といった中、イシドール・ラビおよびその他の同調者による交渉・ロビー活動の後、二つのグループ(文脈上、ラビらのロビー集団とマサチューセッツでザカリアスが組織化したロビー集団の二つのグループ)は1946年1月に統合を見るに至り、そして、1947年1月31日、コロンビア大、コーネル大、ハーヴァード大、ジョン・ホプキンス大、マサチューセッツ工科大、プリンストン大、ペンシルヴァニア大、ロチェスター大、イェール大の(東海岸の)9大学が大同団結なして合意、マンハッタン計画関連組織を継承・代替するかたちとなっていた[原子力委員会](マンハッタン計画関係者が中心になって設立した戦後の原子力関連技術管理組織で原子力技術の民生移管を名分としていた)との間に[ブルックヘブン国立研究所]を設立するとの合意をなした」(引用部に対する補ってもの訳はここまでとする)とより細かき経緯が( John S. Rigdenという物理学者としての著者の手になる Rabi, Scientist and Citizenという書を出典として)記載されてもいる)
それにつきマンハッタン計画関与科学者であるイシドール・ラービについてはCERN(現行、LHC「実験」を主催している欧州原子核研究機構)の創設旗振り役ともなっていることがよくも知られている人間となり、オンライン上で目立つところとしてそのことが明言されているウィキペディア記載をここでは下に引いておくこととする。
(直下、誰でもオンライン上より即時即座に確認可能なところとして英文Wikipedia[ Isidor Isaac Rabi ]項目の現行の記述よりの部分的抜粋をなすとして)
Rabi suggested to Edoardo Amaldi that Brookhaven might be a model that Europeans could emulate. Rabi saw science as a way of inspiring and uniting a Europe that was still recovering from the war. An opportunity came in 1950 when he was named the United States Delegate to the United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization (UNESCO). At a UNESCO meeting at the Palazzo Vecchio in Florence in June 1950, he called for the establishment of regional laboratories. These efforts bore fruit; in 1952, representatives of eleven countries came together to create the Conseil Europe'en pour la Recherche Nucle'aire(CERN).
「(訳として)ラビはエドアルド・アマルディにブラックヘブン国立加速器研究所は欧州人の模範となるものであるべしと訴えていた。同イシドール・ラビは科学をもってして戦傷が癒えぬ欧州を刺激・統一させるひとつの手段と看做していた。彼が合衆国によってユネスコの代表として指名された1950年に好機が巡ってきた。フィレンツェのヴェッキオ宮殿でのユネスコの会議にてラビは域内研究機関の設立を求めることになった。これら努力は実ることになり、1952年、11カ国の代表らが欧州原子核研究機構(CERN)の創設の合意に至った」
(訳を付しての引用部はここまでとする.尚、上記のことについては John S. Rigdenという物理学者としての著者の手になる Rabi, Scientist and Citizenという書を出典としているとの表記が現行、Wikipediaには見てとれる)
以上、
[ブルックヘブン国立研究所](本稿の冒頭部、出典(Source)紹介の部1からしてその発表資料 Review of Speculative "Disaster Scenarios" at RHICを挙げて、加速器RHICに伴うブラックホール生成可能性を問題視されだした機関であるとのことを詳説した米国の主要加速器運営組織の内のひとつ)および[CERN]
らがマンハッタン計画関係者の手により、マンハッタン計画の衣鉢を継ぐとの組織・人脈らの関与で世に生まれ落ちたとのこと、その[通史として語られるところ]につき紹介した。
さらに、
[主要加速器実験機関のうち、フェルミ国立研究所がマンハッタン計画関係者の手により設立を見たことについて]
とのことの出典を(とりあえずも端的に)挙げておく。
(直下、誰でもオンライン上より即時即座に確認可能なところとしての和文ウィキペディア[ロバート・ラスバン・ウィルソン]項目の現行の記述よりの(中略なしつつもの)部分的抜粋をなすとして)
[ロバート・ラスパン・ウィルソン ・・・(中略)・・・ はアメリカ合衆国の物理学者。マンハッタン計画でグループリーダ一を務め、フェルミ国立加速器研究を企画、建設した。1967年から1978年まで初代の所長を務めた]
(引用部はここまでとしておく)
以上、オンライン上より即時即座に確認できるところより抜粋して示さんとしているようにマンハッタン計画の関係者たるイシドール・ラビとロバート・ウィルソンらが
[ブルックヘブン国立研究所][欧州原子核研究機関(CERN)][フェルミ国立研究所]
の設立に尽力、それら設立後の主導者になったということがそれら科学者にまつわるウィキペディア解説項目程度のところにも見受けられる[史実]として世に知れ渡っているとのことがある。
そして、そうして建立を見た加速器実験機関らについては[その力(影響力)の源泉]がマンハッタン計画にあるとの申しようが当の実験機関当事者 ―フェルミ国立研究所二代目所長― によって「も」言及されたりしている。
ここではその典拠としてロバート・ウィルソンが設立に尽力なした加速器研究機関フェルミ国立研究所の二代目所長となったレオン・レーダーマン( Leon Lederman )という男、1988年にノーベル物理学賞を受賞している同男が著した、
THE GOD PARTICLE(邦題)『神がつくった素粒子(下)』(邦訳版版元は草思社)
よりの引用をなしておくこととする。
(直下、 THE GOD PARTICLE(邦題)『神がつくった素粒子(下)』にあっての48ページより原文引用をなすところとして)
「第二次世界大戦の前と後では、科学研究は決定的に変化した(こんな物議をかもすような発言をしていいのかな?)アトムの探究においても新しい局面を迎えることになった。そのいくつかを見ていこう。第二次大戦は科学技術の飛躍的発展をもたらした。その多くはアメリカから起こった。ヨーロッパのように、すぐそばで爆弾が炸裂して轟音にじゃまされることはなかった。戦時下におけるレーダー、エレクトロニクス、核爆弾(正しい名で呼ぶなら)の開発は、科学と工業技術が協力すればいかなることが可能になるかをよく示している――ただし、予算の制限を受けないかぎり。・・・(中略)・・・以来、米政府は科学の基礎研究を支援することになった。基礎研究および応用研究にたいする援助額はうなぎのぼりに増加し、一九三〇年代の初めにE・O・ローレンスが苦労して手にした助成金の一〇〇〇ドルなど、笑い草になってしまった。この金額は、一九九〇年の連邦予算の基礎研究助成金――総額約一二〇億ドル!――にくらべると、インフレ率を顧慮しても、影が薄い」
(引用部はここまでとしておく)
(続けて直下、上と同じくもの THE GOD PARTICLE(邦題)『神がつくった素粒子(下)』にあっての50ページより原文引用をなすところとして)
「卓上の研究から発展して、周囲数マイルの加速器を使用する研究にいたる過程を監督していたのは、アメリカ政府だ。第二次大戦時の爆弾計画がもとになって、原子力委員会(AEC)が生まれた。これは核兵器の研究、生産、貯蔵を監督する文民機関である。また、原子物理学、その後身である素粒子物理学の分野での基礎研究に予算を配分し、監督する役目も国家から委託されている」
(引用部はここまでとする.尚、米国の[原子力委員会(AEC)]は先にイシドール・ラビのブルックヘブン国立研究所設立を巡る経緯の通史的解説の紹介部で先述したように[加速器実験機関設立の認可・決定機関]ともなっていた ――Wikipediaにて a contract was signed with the Atomic Energy Commission (AEC), which
had replaced the Manhattan Project, that established the Brookhaven National
Laboratory.
と表記されているような機構となっている―― )
上の THE GOD PARTICLE(邦題)『神がつくった素粒子(下)』よりの引用部に見るようにマンハッタン計画に淵源を持つとのことが明示されている
[原子力委員会](民生化されての原発産業とは異なる観点での原子力利用、核兵器の管理・監督と粒子加速器実験実施機関らの管理・監督を行ってきた米国国営機関)
転じての
[アメリカ合衆国エネルギー省](DOE)
が後に米国にて提訴された[LHC実験差し止め訴訟]にあっての被告の一たる国家機関、レオン・レーダーマンというここにて引用なしている著作をものした男が二代目所長を勤めていた[フェルミ国立研究所]と並んでの[LHC実験差し止め訴訟]の被告の一たる国家機関となっているとのことが(下にて出典呈示するとのこととして)現実にある。そのようになっているのはマンハッタン計画の「後」に設立されたそれら政府機関が[窓口]として加速器実験に多額のマネーを誘導、また、加速器実験を監督してきたとの経緯がある ――上にてレーダーマン著作より引用なしているような経緯がある―― からである(政府機関に寄生する加速器マフィアと核兵器マフィアは「史的には」[大元でひとつであった]とも述べられ、それは[なるべくものナチスに対するカウンターアクション](マンハッタン計画)に端を発して集合した科学者らのその後のありようが基礎たるところとしてあるがゆえであるとのかたちとなっている)。
ここまででもってして、
[マンハッタン計画とは後の加速器実験を推進することとなった研究機関らの主要なるもの(フェルミ国立研究所/ブルックヘブン国立研究所/CERN)が戦後影響力を増した同計画関係科学者によって設立なさしめられることになったとの計画である]
とのことの典拠(その気があるのならば、オンライン上よりすぐに確認・裏取りできもしようとの典拠)を充分と判じた分だけ挙げた。
次いで、以下、
4.[戦後影響力を増した同計画関係科学者によってブラックホール生成問題で矢面に立たされることになった研究機関らの主要なるもの(フェルミ国立研究所/ブルックヘブン国立研究所/CERN)らが設立なさしめられることになった計画]
との側面にあってのもう半分の要素、[(問題となるマンハッタン計画派生の研究機関らが)ブラックホール生成問題で矢面に立たされることになった]とのことにまつわっての出典を挙げておく。
まずは
[(マンハッタン計画の産である)ブルックヘブン加速器研究所がブラックホール生成問題に関して矢面に立たされた研究機関であることについての出典]
を挙げることとする。
(直下、本稿の前半部出典(Source)紹介の部1にてもそこよりの引用をなしたとの Case of the deadly strangeletsと題されたオンライン上流通文書 ――物理学系専門誌の特定記事の転写物/検索エンジン上での表記のタイトル入力で現行、特定・ダウンロード可能な文書―― にての19と脇に振られての頁よりの「再度の」原文引用をなすとして)
The trouble began a few months earlier, when Scientific American ran an article about RHIC (March 1999 pp65-70). Its title, "A little big bang", referred to the machine's ambition to study forms of matter that existed in the very early universe. Walter Wagner, the founder of a botanical garden in Hawaii, wrote a letter in response to that article. Citing Stephen Hawking's hypothesis that miniature black holes would have existed moments after the big bang, Wagner asked whether scientists knew "for certain" that RHIC would not create a black hole.
Scientific American printed Wagner's letter in its July issue, along with a response from Frank Wilczek of the Institute for Advanced Study in Princeton. Physicists hesitate to use the word "impossible", usually reserving it for things that violate relativity or quantum mechanics, and Wilczek called RHIC's ability to create black holes and other such Doomsday ideas "incredible scenarios".
Amazingly, however, he then went on to mention another Doomsday scenario that was more likely than black holes. It involved the possibility that RHIC would create a "strangelet" that could swallow ordinary matter. But not to worry, Wilczek concluded, this scenario was "not plausible".
It was the July 1999 issue of Scientific American containing the Wagner-Wilczek exchange that then inspired the Sunday Times article in mid-July. This was followed by much more press coverage, and the filing of a lawsuit, by Wagner himself, to stop the machine from operating.
Shortly before the July issue of Scientific American was published, Brookhaven's director John Marburger learned of the letters, and appointed a committee of eminent physicists (including Wilczek) to evaluate the possibility that RHIC could cause a Doomsday scenario. After the Sunday Times article appeared, CERN's director-general Luciano Maiani - fearing a similar reaction to the Large Hadron Collider that was then in the planning stages - did likewise.
(上の引用部に対する拙訳として)
「問題はサイエンティフィック・アメリカン誌が加速器RHICについての記事(1999年3月号65-70ページ)を掲載した時より数か月前に遡る。
『小さなビッグバン』とタイトルが付されていた同記事は[極めて早期の宇宙にて存在していた物質の組成を研究する装置の野心的側面に言及していた]とのものだった。ハワイの菜園の創立者となっていたウォルター・ワグナーがその記事に対してのものとしての手紙を書いてよこしてきた。[ビッグバン直後、ミニブラックホールが存在していた]とのスティーブン・ホーキングの仮説を引用しながら、ワグナーは「科学者らは加速器RHIC(訳注:『小さなビッグバン』と題されての記事にて取り上げられていた加速器)はブラックホールを生成することがないとはきと分かっているのか」と訊ねてきた。
サイエンティフィック・アメリカンは7月発行版にプリンストン高等研究所のフランク・ウィルチェックよりの応答を脇に添えてワグナーよりの投書を載せた。物理学者というものは通例、相対性理論や量子力学の法則を侵すものに言及するとき、「不可能である」との言葉を使うのに躊躇するきらいがあり、ウィルチェックはRHICによるブラックホール生成能力、および、その他に[黙示録のその日]に通ずる観念につき[信じられるものではない]と表した。
だがしかしながら、驚くべきことに、彼(ウィルチェック)はブラックホールよりさらにありえやすくもある黙示録のその日の現出的状況(ドゥームズ・デイ・シナリオ)に言及することまでなした。それはRHICが通常の物質を呑みこみうるストレンジレットを生成する可能性を指し示して見せた、とのものであった。しかし、「心配することなかれ」とし、ウィルチェックは「このシナリオはplausibleではない」(「ありえることではない」あるいは「もっともらしくは見えない」)と結論付けた。
後の7月中旬のサンデー・タイムズ紙の記事に影響を与えたのは1999年7月のサイエンティフィック・アメリカン誌のワグナー・ウィルチェック書簡を含む版である。これがより多くの紙誌における取扱い、そして、稼働中のマシンを止めるためのワグナー彼自身のものにもよる訴訟の提訴によって後追いされることになった。
サイエンティフィック・アメリカン誌の6月発行より少し前、ブルックヘブン国立研究所の所長ジョン・マクバーガーは書簡をめぐる状況を知り、RHICが[黙示録のその日の現出的状況]を引き起こしうるかの可能性について見極めさせるためのウィルチェックを含む令名馳せていた物理学者らによる委員会を設立していた。サンデー・タイムズの記事が世に出た時には計画推進段階にあったラージ・ハドロン・コライダーにつき同じくもの反応が出てくることを危惧したCERNの所長ルチアーノ・マイアニも同様のことをなした」
(訳を付しての引用部はここまでとする ―※― )
(※上にては1999年当初、ブルックヘブン国立加速器研究所(マンハッタン計画関係者が設立した研究機関と上にて指し示しなした研究機関)が運営する加速器RHICがブラックホール生成問題につき最初に取り上げられることになったことが明示されている)
以上、ブルックヘブン国立研究所 ――つい先立っての段でマンハッタン計画参画者のイシドール・ラビが設立したとのことを指摘したとの研究機関―― がブラックホール生成問題につき、一番最初に矢面に立たされることになった研究機関であることを紹介したとして、次いで、
[アメリカ合衆国エネルギー省(DOE)、フェルミ国立加速器研究所、CERNらマンハッタン計画の子供らがブラックホール生成問題のリスクを問われるかたちで合衆国法廷に引きづり出されている]
とのことの出典を挙げる。
(直下、誰でもオンライン上より即時即座に確認可能なところとして英文Wikipedia[ Safety of high-energy particle collision experiments ]項目の Legal challengesと題されての部に見る現行の記述よりの抜粋をなすとして)
On 21 March 2008, a complaint requesting an injunction to halt the LHC's startup was filed by Walter L. Wagner and Luis Sancho against CERN and its American collaborators, the US Department of Energy, the National Science Foundation and the Fermi National Accelerator Laboratory,
「2008年3月21日をもってしてLHC実験の開始を停止する差止めを求めての申し立てが[CERN]およびアメリカのその協働機関たる[アメリカ合衆国エネルギー省]、[アメリカ国立科学財団]、[フェルミ研究所]らに対してウォルター・ワグナー、ルイス・サンチョらによって提訴された」
(訳を付しての引用部はここまでとする ―※― )
(※上にては加速器実験機関関係者がブラックホール生成可能性につきなんら言及していなかったとの時点で[ブルックヘブン国立研究所]のブラックホール生成可能性につき疑義発しだしたとの人物、ウォルター・ワグナーが後に[CERN(マンハッタン計画関係者イシドール・ラビが設立にての旗振り役を果たしたと先に指し示した研究機関)]、[フェルミ研究所(マンハッタン計画関係者ロバート・ウィルソンが設立したと先に指し示した研究機関)]、[アメリカ合衆国エネルギー省(元・原子力委員会としてマンハッタン計画関係者が大元となっている合衆国省庁)]らをLHC実験の差し止め訴訟にての被告として訴えていることが記されているわけである ――ブラックホール生成実験に資金援助しているか、そこに直接的にコミットしているとの組織の行為の差し止めを求めるとのかたちにて、である―― 。 尚、ワグナーらが関わった訴訟案件 ― Sancho v. U.S. Department of Energy ( CIVIL NO. 08-00136 HG KSC )とのケース名の訴訟― についてはそちら訴訟内容について原告文書と判決書より原文引用をなしながら本稿の先の段で多少ながらも微に入っての解説をなしている(出典(Source)紹介の部17から出典(Source)紹介の部17-4を包摂する段)。同訴訟案件につきより細かくもの検討をなしたいとの向きらで英文の訴訟資料を読み解くぐらいの見識を有しているか、あるいは、見識欠如を補うだけの意欲を有しているとの向きらが検討なしたいとのことであれば、 Sancho v. U.S. Department of Energy ( CIVIL NO. 08-00136 HG KSC )との入力で当該訴訟PDF化文書((筆者も当然に検証しているとの文書)が特定・ダウンロード可能となっているので、そちら目を通してみるのもよかろうか、と思う)
ここまでにて
[マンハッタン計画とはブラックホール生成問題で批判の矢面に立たされることになった研究機関の設立をもたらした計画でもある]
とのことの典拠を紹介したことになる。
以上をもってして「順次段階的に、」との式で
ナチスのユダヤ人に対する迫害、そして、そのナチス・ドイツの征戦を勝利のうちに完遂させる可能性があったナチスドイツの原始爆弾開発可能性。そうした状況に生存上の危惧を感じたユダヤ人科学者らが大同団結して開始を促したとの言われようが現代史にまつわるところでなされているマンハッタン計画 ―(本稿の先の段にて既述のように)グラウンド・ゼロとの言葉を生みだした計画― については
1.[後にLHCに進化するに至った円形加速器、その円形加速器の[真の発明者]とされる人間(レオ・シラード)がそもそもの計画のプロモーター(推進者)となっていた計画]
2.[公式上の円形加速器の発明者とされる人間(アーネスト・ローレンス)が初期段階にてとりまとめ役として重要な役割を果たしていた計画]
3.[公式上の円形加速器の発明者とされる人間(アーネスト・ローレンス)に計画に招聘された人間たるロバート・オッペンハイマーが[ブラックホール(とかなり後になって呼ばれるようになった[縮退星]というもの)の研究で既に業績を挙げていた科学者]として科学者陣を率いることになりもしていた計画]
4.[戦後影響力を増した同計画関係科学者によってブラックホール生成問題で矢面に立たされることになった研究機関らの主要なるもの(フェルミ国立研究所/ブルックヘブン国立研究所/CERN)らが設立なさしめられることになったとの計画]
となっているとのことがある。
との点についての出典紹介をなしたとの格好となる。
(出典(Source)紹介の部84はここまでとする)
(「行き過ぎている話、の中にあって、輪をかけて行き過ぎたもの」と映るかと見もしながらも訴求すべきかと判じたことを扱うこととした図解部として)
ここでは多少、行き過ぎたものであるが、訴求すべくかと判じた点についての図解部を設けておく。
ウィキペディア程度の媒体より引くことにしたとの[以下の記載内容 ――世間一般の人間に対して常識論上のこととして理解されていることにまつわるオンライン上での目立つ記載内容―― ]をご覧いただいたうえでさらに下に呈示の図らの意味合いについて ――[種族の未来を否定する力学]に抗し、宗教的作用をきたし、愚劣な、自己思考しない人間らを大量生産してきたとの[幻影投影の力学]にも抗おうとの気概・精神の自由度を有した向きにあっては―― 考えて頂きたい次第である。
(直下、極めて常識的なことが記載されているとの和文ウィキペディア[大恐慌]項目よりの抜粋として)
1929年のウォール街の暴落は米国経済に大きな打撃を与えた。しかし当時は株式市場の役割が小さかったために被害の多くはアメリカ国内にとどまっており、当時の米国経済は循環的不況に耐えてきた実績もあった。不況が世界恐慌に繋がったのは、その後銀行倒産の連続による金融システムの停止に、FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)の金融政策の誤りが重なったためであった。暴落の後、米国には金が流入していたが、FRBはこれを不胎化させ、国内のマネーストックの増大とは結び付けようとしなかった。これにより米国では金が流入しているにも関わらずマネーストックが減少し続けた。その為金本位制をとる各国は金の流出に対し、金融政策を米国のそれと順応させるを得ず(各国は金の流出を抑えるために金利を引き上げざるを得なかった)、不況は国際的に伝播していった。特に金本位制を取っていたドイツやオーストリアや東欧諸国は十分な金準備を持たず、また第一次世界大戦とその後のインフレにより金融システムが極めて脆弱な状態であった。その為、米国やフランスへの金流出により金準備が底をついてしまい、金融危機が発生した。
・・・(中略)・・・
当時の米国大統領、ハーバート・フーヴァーの「株価暴落は経済のしっぽであり、ファンダメンタルズが健全で生産活動がしっかり行われている(ので大丈夫)」という発言は末永く戒めとして記憶されることになった(当時の大経済学者アーヴィング・フィッシャーエール大学教授の所論でもあった)。金本位制の元で、経済危機はそのまま経済の根幹を受け持つ正貨(金)の流出につながる。7月のドイツからの流出は10億マルク、イギリスからの流出は3000万ポンドだった。さらに数千万ポンドを失ったイングランド銀行は1931年9月11日金本位制を停止し、第一次世界大戦後の復興でやっと金本位制に復帰したばかりの各国に衝撃を与えた。イギリスは自国産業保護のため輸入関税を引き上げ、チープマネー政策を採用した。ポンド相場は$4.86から$3.49に引き下げられた。ブロック経済政策は世界中に波及し、第二次世界大戦の素地を作った。
・・・(中略)・・・
ドイツは第一次世界大戦の敗戦で連合国から巨額の賠償金を請求され、フランスのルール占領にともなうハイパーインフレーションにより、従来の賠償金徴収体制が崩壊したことは明らかとなった。このためアメリカを賠償金支払いプロセスに参加させることで円滑な支払いが可能になり、またアメリカをはじめとする外国資本がドイツに導入され、ドイツ経済は回復傾向が続いていた。しかし大恐慌によってドイツ経済は深刻な状態へ陥った。アメリカ資本は次々と撤退し、復興しかけていた経済は一気にどん底に突き落とされた。失業率は40パーセント以上に達し銀行や有力企業が次々倒産、大量の失業者が街に溢れ国内経済は破綻状態となる。さらに1931年3月23日に、ドイツがオーストリアと締結した関税同盟をヴェルサイユ条約違反だと非難したフランスが、制裁としてオーストリアから資本を引き揚げたことがきっかけとなりオーストリア最大の銀行クレジット・アンシュタットが破綻したことは欧州全体に深刻な金融危機をもたらした。さらに賠償問題を解決するため、新たに検討されたヤング案に対する反発は、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の躍進をもたらした。
(引用部はここまでとする。上はアメリカのFRBによる金融政策上の失策(但し意図的に世界経済破綻をきたすうえではの上策ともとれるが)がナチス台頭、ひいては第二次世界大戦勃発をもたらしたとのかのグレート・ディプレッション、[世界大恐慌]を引き起こしたとのことにまつわっての「一般的」歴史的分析がなされている部よりの抜粋となる)
上の図の内容に関わるとのことで申し述べるが、鳥類のワシは[欧米の権力機構の象徴]として長らくも用いられてきたものである。下を参照されたい。
(直下、極めて常識的なことが記載されているとの和文ウィキペディア[鷲(紋章)]項目よりの抜粋として)
鷲(英語: Eagle、ドイツ語: Adler)は、鷲を用いた紋章の一つ。鷲の図案は紋章の中で、チャージ、サポーター、クレストなどとして使われている。また頭部、羽、足など鷲の一部が使われる場合もある。 鷲は、強さ、勇気、遠眼、不死などの象徴として使われ、空の王者や最高神の使者とも考えられた。神話では、ギリシャ神話ではゼウス、ローマ神話ではユーピテル、ゲルマン部族ではオーディン、ユダヤ教やキリスト教の聖書では神、キリスト教芸術では福音記者ヨハネなどに関連して使われた。古くはローマ帝国の国章とされ、ヨーロッパを中心として関連した帝国、王国、貴族、都市、教会などで使用された。現在のドイツ、アメリカ合衆国、ロシア連邦、エジプトなどの国章にも使われている。
(引用部はここまでとする)
さて、上にては鷲は(ローマの象徴 Imeperial Eagleなどとの沿革もある一方で)[ゼウス神の象徴]であるなどと掲載されているが、
(わざとそういう飛躍性が鼻につこうとの話柄をとるとして)
[鷲に変じてのゼウス]
が目立っても登場してくるのは
[トロイア ――後に黄金の林檎を巡る諍(いさか)いから滅亡の道を歩むことになった古の都市トロイア―― の皇子ガニメデをゼウスが略取したとの伝承]
にまつわるところである。ゼウスが神々に不死を約束するネクターの給仕係として見目麗しきガニメデを欲したとされる、であるから、ゼウスが鷲に変じてトロイア皇子を不死の飲料(ネクター)の給仕係として略取したとの式にて、である(:和文ウィキペディア[ガニメデス]にてガニュメーデースは、ギリシア神話の登場人物である。イーリオス(トロイア)の王子で美少年だったといわれる。オリュムポス十二神に不死の酒ネクタールを給仕するとも、ゼウスの杯を奉げ持つともいわれる・・・(中略)・・・ガニュメーデースの誘拐には諸説がある。まずガニュメーデースをさらったのは誰かについて異伝があり、神々たち、ゼウス自身、ゼウスの使いの鷲、ゼウスが鷲の姿に変じてさらったなどの説がある。一方で、タンタロス、またはミーノース、エーオースがさらったという伝承もある。また、ガニュメーデースがさらわれた場所は、一般にトローアスのイーデー山(ラテン語名イーダー山)であるとホメーロス他ではいわれる
(引用部はここまでとする)と記載してあるとおりである)。
他面、北欧神話では
[神々に永遠の若さと不死を約するとの神話的設定を伴っての黄金の林檎]((ガニメデがその給仕係となった[ネクター]よろしくの神に不死を約するとの北欧神話版の方の黄金の林檎)
の略取の物語が(ギリシャ神話と同文に)鷲と結びつけられて登場してくる。鷲に変じた巨人(スィアチ)が黄金の林檎の管理者たる女神イズンを略取するとの筋立てが北欧神話では具現化を見ているのである(:同文にオンライン上にあって目につきやすきところとして和文ウィキペィア[スィアチ]項目にて[『スノッリのエッダ』第二部『詩語法』で、彼がアース神族の女神の一柱イズンを、神々に永遠の若さをもたらすリンゴもろとも略奪する経緯が紹介されている・・・(中略)・・・ロキは「永遠の若さをもたらすリンゴによく似たリンゴを見つけた。あなたのリンゴと見比べてみないか」などと言って、リンゴを持たせたイズンをアースガルズの外へ連れ出す。鷲に変身したスィアチが素早く彼女をさらってしまった。リンゴを食べられなくなった神々はたちまち老い始めた](引用部はここまでとする)と記載してあるとおりである。尚、たかだかウィキペディア程度の出典ではなく、よりもって高度な出典を出せとご所望の向きもあられるかもしれないから書いておくが同じくものことについては本稿にての先の段、出典(Source)紹介の部63(3)に接合するとの部にてオンライン上より誰でも確認可能であるとの Project Gutenberg公開の著作、スウェーデン人著述家 Viktor Rydbergの手になる Teutonic Mythology(『チュートン人の神話』)の記述内容として Thjasse was known as the storm-giant who having been born in deformity
was ever seeking golden apples from Idun to cure his ugliness. Upon one occasion assuming the form of an eagle he interrupted a feast of Odin, Honer and Loke and when the latter attempted to strike the voracious bird with a stake found himself fastened to both stake and eagle and was borne away shrieking for mercy. Thjasse promised to release Loke if he would bring to him Idun and her golden apples.[ . . . ]Idun, who possesses "the Asas' remedy against old age," and keeps the apples which symbolise the ever-renewing and rejuvenating force of nature, is carried away by Thjasse to a part of the world inaccessible to the gods. The gods grow old, and winter extends its power more and more beyond the limits prescribed for it in creation.
(訳として)「スィアチはゆがみをもったかたちで生まれ落ちたとの嵐の巨人となり、彼は自身の醜さを取り除くためにイドゥンから黄金の林檎を求めようとしたとの存在となる。ある機会にてそのスィアチがオーディン・ヘーニル・ロキらの供宴を鷲の姿にて遮らんとした折、三者の内のロキがその貪欲なる(鷲の姿に変じたスィアチであったとの)鳥を棒にて打ち払おうとした際、その棒諸共、鷲にくくりつけられるかたちで連れ去られる格好となりもし、(空中にて)金切り声にて慈悲を請うことになった。スィアチはもしロキが彼の元にイドゥンおよび彼女の黄金の林檎を持ってくれば、解放してやろうと請け合った・・・(中略)・・・イドゥン、[アサ神族(アース神族)の老いに抗する対処策]を保持し自然にての絶えず産まれ変わる力・若返る力を象徴しての林檎を管理していたとの彼女がスィアチによって神々の到達不可能なる世界へと略取されることになる。神々は老いはじめ、自然創造の理にて規定されていた上限を超えて冬がその勢威を強めていくことになる」(引用部に付しての拙訳はここまでとする)との記載を引いていたところでもある)。
そうしたことら、[鷲に変じてのゼウスによるガニメデの略取]と[鷲に変じての巨人スィアチによる(北欧神話神格ロキを利用しつつもの)イドゥンの略取]とのことらは
[不死の飲食物の給仕係ないし管理者の鷲に変じた存在による略取]
とのことで話がつながるわけだが、そちらと関わる黄金の林檎に伴う不快極まりない寓意を[核たるところのうちの一つ]として問題視しているのが本稿となる。
上掲図上段にては[女神イドゥンを象(かたど)った彫刻](左)と[女神イドゥン(および彼女が管掌する黄金の林檎)を捕まえて略取しているとの鷲に変じた嵐の巨人スィアチの似姿を描いた画](右)とを並列して挙げた(イドゥンを象った彫刻は Herman Wilhelm Bissenという彫刻家の作となり、スィアチを描いた画は20世紀前半部、1920年代に描かれたものとして英語版ウィキペディアに掲載されているものとなる)。 対して上掲図下段。[ガニメデと鷲に変じたゼウスが並列して描かれる彫刻](左)と[ゼウスのガニメデ略取の場面を描いた画](右)とを並列して挙げた(ガニメデと鷲に変じたゼウスの双方を描く彫刻は Project Gutenbergのサイトにて公開されているおよそ100年程前の Myths of Greece and Romeとの著作(著者はHélène Adeline Guerberという歴史家)にて掲載されている写真、往時、ナポリの美術館に収蔵されていたとの一品を元にしたものとなり、他面、ガニメデ略取を描いているとの画は Eustache Le Sueurという17世紀フランスの有力画家の手になる作となる)
上のようなアナロジー(類似性)の問題をわざわざもってして取り上げているとの背景としては次のようなことがある。
「特定伝承では[リングの類]「とも」結びつく[黄金の林檎]だが(:[黄金の林檎]が[リングの類]と結びつくとの伝承があることについては本稿にての出典(Source)紹介の部60(3)で Project Gutenbergサイトで公開されており、その気があれば誰でも入手できるとの Hélène Adeline Guerberという前世紀前半まで活動の英国人史家の手になる Myths of the Norsemen From the Eddas and Sagas、『エッダからサガに至るまでの北欧人種の神話』とでも訳せよう同著作にての The Wooing of Gerdaとの節にあっての『スキールニルの歌』というエッダ収録詩にての解説部より内容を引いていた。(再度、引用するところとして) To induce the
fair maiden to lend a favourable ear to his master’s proposals, Skirnir
showed her the stolen portrait, and proffered the golden apples and magic
ring, which, however, she haughtily refused to accept, declaring that her
father had gold enough and to spare.
「(スキールニルが自身が北欧の神フレイの恋の仲介役を演じることになったとのその相手方の巨人族の乙女ゲルズの説得に際し)輝く金髪の乙女の耳をば自らの主人の求婚の提案へと傾けさせるため、スキールニルは主人の肖像を見せ、そのうえで、[黄金の林檎]と[魔法のリング]を(彼女がフレイ神と結ばれる対価に、と)提示したが、彼女は[彼女の父は十分にして余りあるほどの黄金を持っている]とたからかに述べ、その申し出を容れることを拒んだ」(拙訳付しての引用部はここまでとする)との記述を引き、[黄金の林檎]と[リング]が結びついていることを指し示さんとしてきた ――ちなみに直近引用部にて
magic ring[魔法のリング]とされているのはDraupnirドラウプニルという固有名詞が与えられているものとなることも先に摘示せんとしてきた。北欧神話にあっての同ドラウプニルについては日本では[アームブレスレット](腕輪)と表されもすることがあるものだが、[オーディンの金の「リング」]であると表現されることが英語圏では多いものとなり、たとえば、英文Wikipedia[Draupnir]項目なぞには In Norse mythology, Draupnir is a gold ring possessed by the god Odin
with the ability to multiply itself: Every ninth night eight new rings
'drip' from Draupnir, each one of the same size and weight as the original.[
. . . ] It was offered as a gift by Freyr's servant Skirnir in the wooing
of Gerdr, which is described in the poem Skirnismal.
「北欧神話における[ドラウプニル]とはオーディンに保有されている[増殖能力を帯びての黄金の「指輪」 a gold ring]となる。9夜毎に元となったものと同じサイズ・同じ重量の新たなドラウプニルがドラウプニルからドリップ、滴り落ちてくる・・・(中略)・・・同リングは『スキールニルの歌』にて表されるところ、ゲルズへの求婚に際してフレイ神の従僕スキールニルより贈り物として呈示されたものとなっていた」との記載が見受けられるところとなっている―― )、 ギリシャ神話では[最高の美神の証(あかし)]ともなっているそちら[黄金の林檎]の取得を企図しての女神らの争いがトロイア破滅をもたらしたとの故事が「あまりにも」現況の[リング(粒子加速器)にまつわるブラックホール生成問題の背面にある事柄ら]と接合すると述べられるだけの事情・要素があるとのことが本稿にての訴求事項となっている」
などと述べても、ここでの話「単体」だけ読まれれば、無論、
『(黄金の林檎との多重的関係性について先だってからより問題視をなしてきたとの作品たる)カール・セーガン小説『コンタクト』に見るマンハッタン計画にまつわる内容を[(上にての図示部にて取り上げているとの)鷲と背面でよくもつながるとのマンハッタン計画に至るまでの流れ]とつなげるべくもの[極めて牽強付会なる物言い]([極めてこじつけがましきことを前面に押し出しての物言い])をなしているにすぎない』
そのように当然に思われるところか、とも思う。「が、現実にはそうではない」ということは本稿の内容をよく検討頂ければ、お分かりいただけることか、と思う(弱者を強者が食らうとの自然界のピラミッド構造、食物連鎖の頂点に立つ鳥類の鷲とても相応の寓意付けに用いられているとの側面がこの世界にはある、そういうことと共にお分かりいただけることか、と思う)。
(多少、行き過ぎたものとの感ありの話ながらも、訴求すべきかと見たことを扱っての図解部は以上とする)
さて、ここまでにあって
[ナチスに対するカウンター・アクションが昂じてのマンハッタン計画と加速器実験の関わり]
についての話をなすことでもってしてマンハッタン計画というものが
[後にLHCに進化するに至った円形加速器、その円形加速器の[真の発明者]とされる人間(レオ・シラード)がそもそもの計画のプロモーター(推進者)となっていた計画]
[公式上の円形加速器の発明者とされる人間(アーネスト・ローレンス)が初期段階にてとりまとめ役として重要な役割を果たしていた計画]
[公式上の円形加速器の発明者とされる人間(アーネスト・ローレンス)に計画に招聘された人間たるロバート・オッペンハイマーが[ブラックホール(とかなり後になって呼ばれるようになった[縮退星]というもの)の研究で既に業績を挙げもしていた科学者]として科学者陣を率いることになった計画]
[戦後影響力を増した同計画関係科学者によってブラックホール生成問題で矢面に立たされることになった研究機関らのうち、主要なるもの(フェルミ国立研究所/ブルックヘブン国立研究所/CERN)らが設立されることになったとの計画]
との観点で[加速器実験]と結びつくことを示し、もってして、
[(ナチスがベルリン・オリンピックで流したテレビ映像が異星系より送られてきて、その中にブラックホールないし通過可能なワームホールを用いてのゲート装置の設計図が紛れ込まされていたとの凝った粗筋を有しているとの)カール・セーガン『コンタクト』にあっての不快なる側面を示す]
との訴求をなせるとのことになる。
そして、問題はそういうことがあるのが ―くどくも繰り返すところとして― [『コンタクト』作者セーガンが自らのユダヤ系としての出自・歴史を振り返って加速器実験のありようについての思いの丈を示さんとしていた]との筋の話ではなんら説明がつかないとのことである。小説『コンタクト』および『コンタクト』作者たるカール・セーガンやりようにあっての臭気を放ってやまないとの側面(既に幾頁も割いて指し示してきたところの[加速器によるブラックホール生成問題にまつわっての異常異様なる先覚的言及をなしているとの側面]および[(先覚性が問題となるところで)嗜虐的反対話法が用いられているとの側面])とを複合顧慮したうえでそうも判じざるを得ぬとのことがあるがゆえに危険であると申し述べるのである。
(今しばらくも[d]と振っての段の話を続けるとして)
次いで、小説『コンタクト』(『コンタクト』はハードSFに分類される作品としては異例なことにリリース後2年で175万部が供給されたとの世界的ミリオンセラー記録作 ――先にもそちら記載を引いたところだが、英文Wikipedia[ Contact (novel) ]項目にての Publication historyの節にて The first printing was 265,000 copies. In the first two years it
sold 1,700,000 copies. It was a main selection of Book-of-the-Month-Club.
(「初版」26万5000部、刊行後最初の2年で170万部を売り上げた)と記載されているところである―― との作品にして、かつもって、[米国科学界のオピニオン・リーダーとなっていた天文学者カール・セーガンが満を持して放った力作]であるとの売り口上の作品)にあってのゲート構築 ―ブラックホールないしワームホールの人為生成と結びつけられてのゲート装置― の構築のプロセスが『ギルガメシュ叙事詩』(における英雄ギルガメシュの不死の探求)「とも」結びつけられているとの点について取り上げることとする。
同じくものこと、小説『コンタクト』(に見るゲート装置構築のプロセス)と『ギルガメシュ叙事詩』(における英雄ギルガメシュの不死の探求)との結びつきもまた
[現行執り行われている加速器実験における黄金の林檎と関わる側面]
[ブラックホールやワームホールとの接点および911の事件の発生の事前予告との二つの側面を具備した文物らにおける黄金の林檎と関わるとの側面]
と同文に[黄金の林檎](既に本稿にて詳しくも解説しているようにエデンの園での禁断の果実「とも」複合的多重的に結びつくようになっているとの神話上の果実)との接合点となるからである。
以下のこと、参照されたい。
[小説『コンタクト』に関してはナチスによるテレビ放送に紛れ込まされるかたちで外宇宙より送信されてきたマシンの建設計画に対して建設資金を提供し、日本の北海道にそれを最終的に完成させたのは技術的優良企業の経営で財をなしたとの作中設定の大富豪(ハッデンという作中人物)であったとの粗筋が採用されているのだが、そこに見る[ブラックホールないしワームホール生成ゲート構築の資金的後押しをなした大富豪]との設定のハッデンなる登場人物、(ギルガメシュ叙事詩に見る)[ギルガメシュ]を自らの存在、そして、行く末と重ねているといった按配のバビロン懐古趣味の人間として描かれている。 そして、同人物、(ゲート装置設計の後押しをなしたのもそのためと描写される中で)「不死を願って」[冷凍睡眠状態にしつつもの自らの肉体]を宇宙に放流しそれを(不死化技術を擁した)地球外先進文明が回収してくれることを祈念、物語の終盤部にて[ギルガメシュ](不死を求めての旅に出たとの英雄)の名を冠するスペースカプセルに入り込んだとの設定の人物ともなっている]
[さて、(ゲート建設計画が一端は暗礁に乗り上げた折に助け船を出したとの『コンタクト』登場の架空の大富豪ハッデンがそちらと作中結びつけられているとの)[ギルガメシュの不死を求めての旅の物語]と言えば、である。 それが[黄金の林檎の物語であるヘラクレス第11功業]と高度に記号論的な質的同一性を帯びているとのことを (ギルガメシュ叙事詩の内容を知る由もなかったであろうとの17世紀文豪ジョン・ミルトンの手になる『失楽園』のブラックホールに相通ずる描写が[ギルガメシュの不死の旅と繋がっている洪水伝承および蛇による不死の略奪]をなぞるが如くものとなっており、そのことと黄金の林檎との結節点について訴求するとの観点から) 本稿にて従前、問題視してきたとの物語でもある] (ギルガメシュの不死を求めての物語とヘラクレス第11功業の[黄金の林檎][洪水伝承]を介しての顕著なる接合性については本稿にての出典(Source)紹介の部63から出典(Source)紹介の部63(3)を包摂する解説部を参照のこと)
[とすると、小説『コンタクト』は[ギルガメシュ]、[ヘラクレス第11功業と[黄金の林檎]を介して記号論的に接合する不死を求めての旅に出たとの英雄]に自らを仮託していた不死を焦がれ望んだ男の援助でゲート装置が構築された作品とも「記号論的に」言い換えられるわけであるが、[ギルガメシュとヘラクレスの記号論的連結に黄金の林檎が関わっていること]は本稿にてのこれまでの段にて述べてきたこと、[トロイアとトロイア崩壊の原因としての黄金の林檎の接合性][アトランティスと黄金の林檎の園の接合性]と[ブラックホール生成問題]の関係性 ――たとえば、1992年(『コンタクト』出版後7年の後)よりLHC参画の実験グループ、未だブラックホール生成の可能性だに観念されていなかった折にその命名がなされたとの実験グループの名はATLASグループと決せられているわけだが(出典(Source)紹介の部36(2),出典(Source)紹介の部36(3))、そも、[アトラス]とは[黄金の林檎の在処を知る巨人]としてヘラクレスの11番目の功業にまつわる神話にお目見えする巨人となっているとのことがありもし(出典(Source)紹介の部39)、その巨人アトラスの名前を帯びたアトラスグループの検出器ATLASがブラックホール生成をとらえた際にその画面ディスプレイを実現するイヴェント・ディスプレイ・ツールが[黄金の林檎の園;大洋の彼方にあると伝わるアトラスの娘の果樹園]と同一視されもしていた伝説上のアトランティスの名を冠してのATLANTISとなっている、そういったことらに見る関係性―― に鑑(かんが)みて、[偶然]の問題としては(「またもや、」のこととして)できすぎている側面がある]
とのことが申し述べられるようになっている。
表記の申しようを支えるところとして小説『コンタクト』に見るゲート装置構築挙動にギルガメシュ(の不死の探求)のモチーフが色濃くも関わっているとのことの出典を下に挙げておくこととする。
ここ出典(Source)紹介の部85にあっては、
[小説『コンタクト』に関してはナチスによるテレビ放送に紛れ込まされるかたちで外宇宙より送信されてきたマシンの建設計画に対して建設資金を提供し、日本の北海道にマシンを最終的に完成させたのは技術的優良企業の経営で財をなしたとの作中設定の大富豪(ハッデンという作中人物)であったとの粗筋が採用されているのだが、その大富豪ハッデン、[ギルガメシュ]を自らの存在、そして、行く末と重ねているといった按配のバビロン懐古趣味の人間として描かれている。そして、同人物、自らを冷凍睡眠状態にしつつもの肉体を宇宙に放流しそれを先進文明が回収してくれることを祈念、物語の終盤部にて[ギルガメシュ]の名を冠するスペースカプセルに入り込んだとの設定の人物となっている]
とのことが Philological Truth[文献的事実]であることを示すべくもの出典を原文引用との式で挙げておくこととする。
まずもっては
[富豪ハッデンらの企業が建設に関わっていた[送信されてきた設計図に基づくマシーン設計計画]が一端は爆破テロによって水泡に帰した後、ハッデンおよびそのビジネスパートナーの山岸という人物が北海道に造っていた同一マシーンが正式に認可されるようにすべしとの暗流としてのやりとりがなされ、結果的に、マシーン計画がその方向で実現を見たとの作中設定が採用されている]
とのことから[文献的事実]であることを示しておくこととする。
(直下、『コンタクト(下)』(新潮「文庫」版 ――池央耿/高見浩訳―― 、重版重ねての第六刷版)にあっての[エルビウムの車知]の章、87ページより[最初期、マシンの建造を引き受けていたのは富豪ハッデンの経営する企業であった]との記載内容につき掻い摘まんでの原文引用をなすとして)
アメリカにおける<マシーン>建造の元請けはハッデン産業だった。ソル・ハッデンは、<メッセージ>に指示されいないいかなる検査も実施するべきではないと強く主張し、また、コンポーネントの一部を仮に組み立てることにも反対した。<メッセージ>の指示は厳守されなくてはならず、一字一句たりともおろそかにしてはならない、というのが彼の方針だった。
(国内にて流通している訳書よりの引用部はここまでとする ―※― )
(※以上の原著CONTACTにあっての Erbium Dowelの章にあっての表記は ――オンライン上にて検索エンジンに表記のテキスト入力することで特定できようところとして―― Hadden Industries was the American prime contractor for Machine construction. Sol Hadden had insisted on no unauthorized testing or even mounting of components intended for eventual assembly into the Machine. The instructions, he ordered, were to be followed to the bit, there being no letters perse in the Message.
とのものとなる)
(直下、『コンタクト(下)』(新潮「文庫」版重版)にあっての[オゾンの長老たち]の章、125ページより[大富豪ハッデンが主人公に対してマシーンの開発計画の再開可能性について示唆している]との記載内容につき掻い摘まんでの原文引用をなすとして)
「しかし、このわたしが<マシーン>のことを諦めていないのですから」ハッデンは言葉を続けた。「あなたが悲観的になることはないでしょう。察するところ、あなたは、もう<マシーン>は完成しないのではないか、計画の挫折を願っている人間がこう多くては、この先あまり希望を持てないのでないか、と心配しておいでですね。大統領も同じ気持ちと見受けました。
(国内にて流通している訳書よりの引用部はここまでとする ―※― )
(※以上の原著CONTACTにあっての The Elders of Ozoneの章にあっての表記は ――オンライン上にて検索エンジンに表記のテキスト入力することで特定できようところとして―― "If I'm not disheartened about the Machine," he went on, "I don't see why you should be. You're probably worried that there never will be an American Machine, that there are too many people who want it to fail. The President's worried about the same thing.
とのものとなる)
(直下、『コンタクト(下)』(新潮「文庫」版)にあっての[オゾンの長老たち]の章、135ページから136ページより[富豪ハッデンとその日本でのビジネスパートナーの山岸なる人物が一端破壊されたマシーンを北海道で完全再現させる用意があることにつき明示なした]との記載内容につき掻い摘まんでの原文引用をなすとして)
「じゃあ、同じ<マシーン>がもう一基、日本で密かに建造されている、ということですか?」
「いや、必ずしも秘密というわけではありません。これまでコンポーネントを個々に試験して来ましたが、それ以外の試験方法を採ってはならないという法はないでしょう。それで、山岸さんとわたしはこんなことを考えているのです。北海道で進めている試験の予定を変更して、この段階でひとまず全体を組み立ててみるのですよ(略)」
・・・(中略)・・・
気にするふうもなく、ハッデンはエリーに向き直った。「コンポーネントの中には試験で撥ねられるものも出て来るでしょう。あるいは、輸送の途中で各種の衝撃を受けているものもあるかもしれません。が、いずれにせよ、最終的にはすべて<メッセージ>の基準に合格しなくてはならないわけで、まず全体を組み立てること自体が一種のテストであると言えます(以下略)」
(国内にて流通している訳書よりの引用部はここまでとする ―※― )
(※以上の原著CONTACTにあっての The Elders of Ozoneの章にあっての表記は ――オンライン上にて検索エンジンに表記のテキスト入力することで特定できようところとして―― "You mean you've been secretly assembling an identical copy of the
Machine in Japan?" "Well, it's not exactly a secret. We're testing
out the individual components. Nobody said we can test them one at a time.So here's what Yamagishi-san and I propose: We change the schedule on the
experiments in Hokkaido. We do full-up systems integration now, and if
nothing works we'll do the component-by-component testing later. The money's all been allocated anyway.[ . . . ] Unperturbed, adden continued.
"Now some of the components will have been spun or dropped or something.
But in any case they'll have to pass the prescribed tests.
とのものとなる)
(直下、『コンタクト(下)』(新潮「文庫」版)にあっての[蟻の夢]の章、148ページより[富豪ハッデンらの手でマシーンの複製が製造され、それが正式に認可されることとなった]との記載内容につき掻い摘まんでの原文引用をなすとして)
いつものことながら、記者団の質問は月並だった。国柄や風土の違いは多少認められるにしても、<マシーン>に対する報道陣の姿勢は、基本的に世界中どこも同じだった。アメリカとソ連の挫折の後、日本で<マシーン>が建造される運びになったことを評価しますか?北海道の生活で、隔絶感を味わうことはありませんか?・・・(中略)・・・十二面体を三層のベンゼルが覆う<マシーン>の構造をどう説明しますか?もちろん、誰にもわからないことを承知の上で、アロウェイ博士個人の解釈をお訊きしたい。エリーはそれに答えて、判断の材料がないところで何かを解釈しようとすることの愚かしさを説いた。
(国内にて流通している訳書よりの引用部はここまでとする ―※― )
(※以上の原著CONTACTにあっての The Dream of the Antsの章にあっての表記は ――オンライン上にて検索エンジンに表記のテキスト入力することで特定できようところとして―― As always, the questions were familiar. Reporters all over the world
had nearly the same approach to the Machine, if you made a few allowances
for local idiosyncrasies. Was she pleased that, after the American and Soviet "disappointments,"
a Machine was being built in Japan? Did she feel isolated in the northern
island of Hokkaido? Was she concerned because the Machine components being used in Hokkaido
had been tested beyond the strictures of the Message? Before 1945, this
district of the city had been owned by the Imperial Navy, and indeed, immediately
adjacent she could see the roof of the Naval Observatory, its two silver
domes housing telescopes still used for timekeeping and calendrical functions.
They were gleaming in the noonday Sun. Why did the Machine include a dodecahedron
and the three spherical shells called benzels? Yes, the reporters understood
that she didn't know. But what did she think? She explained that on an
issue of this sort it was foolish to have an opinion in the absence of
evidence.
とのものとなる)
ここまでにて
[(小説『コンタクト』では)富豪ハッデンらの企業が建設に関わっていた[送信されてきた設計図に基づくマシーン設計計画]が一端は爆破テロによって水泡に帰した後、ハッデンおよびそのビジネスパートナーの山岸という人物が北海道に造っていた同一マシーンが正式に認可されるようにすべしとの暗流としてのやりとりがなされ、結果的に、マシーン計画がその方向で実現を見たとの作中設定が採用されている]
とのこと ――同じくもの部は現行にあっての和文ウィキペディア[コンタクト(映画)]項目に(以下、引用なすとして)ハデンの助言によりエリーはメッセージの解読に成功。メッセージに含まれる設計図をもとにヴェガへの移動装置が建設される。エリーは乗組員に志願するが、審議会でパーマーに「神の存在を信じるか」と問われ、実証主義の立場から否定する。結果、神を信じる多くの人々を思い込みだと思っていることを理由にエリーは落選し、表向きに神の存在を認めたドラムリンが乗組員に選ばれてしまう。しかし動作テストの日、カルト宗教家の自爆テロによりマシーンは破壊され、ドラムリンも死亡する。失意のエリーのもとに、ハデンから北海道で極秘に建造されていたマシーン2号機の存在が知らされ、乗組員として誘われる。エリーが乗り込むと、ワームホールを経由しヴェガにたどり着く。エリーはそこで父親を見つけるが、ただ父親の容姿をした異星人であることに気づく。彼らはそこで何億年もの間知的生命体とコンタクトを取っているのだといい、エリーは地球に送り戻される
と記述されているようにハリウッド女優ジュディ・フォスター主演の映画版『コンタクト』にも採用されているとの筋立てとなる―― の出典紹介を原著及び訳書よりの原文引用との式でなしたところで、次いで、
[冷凍保存の可能性を模索していた人間としてハッデンがギルガメシュと名付けられた小型スペースシップで太陽系外に冷凍睡眠状態になりながら旅立つとの作中設定が採用されている]
ことの出典を示しておく。
(直下、『コンタクト(下)』(新潮「文庫」版)にあっての[ギルガメシュ]の章、296ページより298ページにあっての[富豪ハッデンがその肉体に冷凍化処置を施して宇宙に放出なさしめ、ギルガメシュと名が付いたスペースシップが他の先進文明に回収されることを願っての冒険に出た]との記載内容につき掻い摘まんでの原文引用をなすとして)
考えてみれば、死の直前ということにこだわる理由もないではないか。余命僅か一、二年とわかったら、それ以上肉体が衰えないうちに、直ちに冷凍人間になってしまった方が賢明ではなかろうか。それにしても・・・・・・。ハッデンは溜息を吐いて思案した。肉体を蝕んでいる病気がどのような性質のものであれ、それをそのままにしては、蘇生の後も病勢は悪化するのではなかろうか。何世紀にもわたる冷凍睡眠から目覚めた途端に、異星人にはまるで馴染みのない黒腫や心筋梗塞で死んでしまっては意味がない。ハッデンは結論した。彼の理想を実現する方法はただ一つ。頑健な肉体をもって星間宇宙へ片道旅行に出るしかない。病苦に悩み、老醜をさらすことを免れるという点でも、この方法は願ってもない。太陽系の内惑星を遠く離れれば平衡体温は絶対温度で僅か数度に下がるであろうから、冷凍を持続する必要もない。温度は自然が管理してくれる。しかも、経費はかからない。この論法で、ハッデンは計画を煮詰めた。・・・(中略)・・・彼は望み得る限り最良の健康状態だった。<マシーン>の始動から九時間後、新年の鐘を合図に<メトセラ>の腹に抱かれた大型補助宇宙船のロケット・エンジンが点火した。宇宙船を見る間に加速して地球圏脱出速度に達した。ハッデンはこの宇宙船を<ギルガメシュ>と名付けていた
(国内にて流通している訳書よりの引用部はここまでとする ―※― )
(※以上の原著CONTACTにあっての Gilgameshの章にあっての表記は ――オンライン上にて検索エンジンに表記のテキスト入力することで特定できようところとして―― Suppose you knew you had only a year or two to live. Wouldn't it be better to be frozen immediately, Hadden mused--before the meat goes bad? Even then--he sighed--no matter what the nature of the deteriorating illness, it might still
be irremediable after you were revived; you would be frozen for a geological
age, and then awakened only to die promptly from a melanoma or a cardiac
infarction about which the extraterrestrials might know nothing. No, he
concluded, there was only one perfect realization of this idea: Someone
in robust health would have to be launched on a one-way journey to the
stars. As an incidental benefit, you would be spared the humiliation of
disease and old age. Far from the inner solar system, your equilibrium
temperature would fall to only a few degrees above absolute zero. No further
refrigeration would be necessary. Perpetual care provided. Free. By this logic he came to the final step of the argument: If it requires
a few years to get to the interstellar cold, you might as well stay awake
for the show, and get quick-frozen only when yon leave the solar system.
It woul also minimize overdependence on the cryogenics. [ . . . ] Instead,
on the stroke of the New Year, nine hours after the Machine had been activated,
the rocket engines flamed on a sizable auxiliary vehicle docked to Methuselah. It rapidly achieved escape velocity from the Earth-Moon system. He called it Gilgamesh.
とのものとなる)
以上でもって、
[小説『コンタクト』に関してはナチスによるテレビ放送に紛れ込まされるかたちで外宇宙より送信されてきたマシンの建設計画に対して建設資金を提供し、日本の北海道にマシンを最終的に完成させたのは技術的優良企業の経営で財をなしたとの作中設定の大富豪(ハッデンという作中人物)であったとの粗筋が採用されているのだが、その大富豪ハッデン、[ギルガメシュ]を自らの存在、そして、行く末と重ねているといった按配のバビロン懐古趣味の人間として描かれている。そして、同人物、自らを冷凍睡眠状態にしつつもの肉体を宇宙に放流しそれを先進文明が回収してくれることを祈念、物語の終盤部にて[ギルガメシュ]の名を冠するスペースカプセルに入り込んだとの設定の人物となっている]
とのことの出典とした。
(出典(Source)紹介の部85はここまでとする)
以上、出典紹介なしたうえで、次のこと、強調しておく。
「何故、ギルガメシュ伝承が[ヘラクレス伝承]と[黄金の林檎]を結節点に結びつくのか、また、そのことがいかようにしてブラックホールにまつわる問題と接合しており、それが危険であると申し述べられるかについては本稿にあっての補説1と銘打っての部(現行は補説2と銘打っての段にて筆を進めている)に入る前に[既に詳述に詳述を重ねて指し示してきたこと]をよく検討いただければ、お分かりいただけるであろう」
ここまできたところで[d]と振っての段の表記は終えることとする。
尚、さらに後に続けての[e]と振っての段以降にては
「[a]から[f]と振って展開していく」
と事前に述べていた一連の部の中で[d]の段に至るまで一貫してその内容を問題視していたとの小説『コンタクト』から「ひとまず」離れての指し示しをなすこととする。
(:これよりの本稿内容について「またもって」述べておくが、「さらに後に続けての[e]と振っての部に入るとのその前に[a]から[d]と振っての段、そして、に先立つところの段にてここ補説2と振ってのパートにて今まで何を指摘してきたのか、[まとめての振り返り表記]をなしておくこととする」 ――※につき、本稿執筆に際しては『いみじくも重大なことを訴求せんとするのならば、[通貫しての論理的一貫性・情報としての統一性]がとにかくも重要である(要請される)はずである』とのある種、当たり前でもあろうとの観点が強くも介在している、そう、『体系的論理も伴わぬ、また、同じくも体系的なる証拠呈示も伴わぬとの文章・文書には「元より何かを訴求しようとのものとしての意味・値打ちがない」、そうしたものは説得性のなさがゆえに「情報的価値」(愚人でないならば分かろうがこちら[情報的価値]と[世間的反響度合い][通用性]は比例関係にはない、臆病さと自由度制約にも支えられた抑圧作用が働く領域、タブー(禁忌)の領域ではむしろそれらは反比例関係にある)が低い、それがゆえ押せば動くとみているものらをアジろう(扇動しよう)というわけでもなく、大の大人が[一個の人格ある者]とみとめた向きに何かを理知的に説かんとべくも披瀝するようなものではない、その伝では同じくものものは散漫なる駄文・感想文にすぎない(そも、[何かを真剣に変えようとする意志の力](知恵の本源となりもしようと手前が見ている力)ないし人をヒトとみとめようとの真摯誠実さが根本的に欠如を見ているからそうもなっているのであろう)』との筆者観点が本稿執筆に際して強くも介在しているわけだが、ただそうは述べても、(語るに値するそうした向きが筆者が行く末見極めたくもあるこの世界に本当に[いる]と仮定して)、本稿の理想的なる読み手に(そうもした)[本稿の一貫性重視のありよう]が伝わっているかについては疑義がありもする(:本稿の[情報提示論稿としての濃密さ](砕けて言えば[詰め込みすぎのきらいありのありよう])が読み手に絶えず立ちどころ・居所を見失わすような式で作用しかねないと危惧懸念しつつもそうした疑義を抱いている)。 「そこで、」補説2と振ってここに至るまで何を示してきたのか、そこにいかなる通貫性が伴っているのか、「そうした一貫性伴っての物事ら関係性にまつわっての摘示が「なせてしまう」背景があることそれ自体が軽んじてはならぬところである」と訴求すべくもの意味も兼ねての[まとめての表記]を([e]と振っての段に入る前に)なしておくこととする―― )