本稿本段まで摘示に努め、申し述べもしてきたことを一端振り返っての部として
ここまできたところで(「話が散逸化しているきらいがあり、主眼たるところが見えづらくなっているか」とのこの身、書き手認識があるため)一端、ここに至るまでの流れを整理するための部を直下、設けておく。
[整理のための部]
本稿にてのここまでの流れを「端的に」振り返っての表記を以下、なすこととする
本稿では下の[事実A]から[事実E]のようなことが記録的事実・文献的事実にのみ依拠して申し述べられることの摘示をまずもってなしてきた。
[事実A](先立っての 出典(Source)紹介の部1 にて典拠となるところを必要十分なだけ(公的資料よりの原文引用を通じて)指し示したところとしての記録的事実)
粒子加速器によってブラックホールが生成される可能性が取り沙汰されだしたのは
[1999年]
からである。
その1999年との折柄にあっては
[厳密な意味では専門家ではない市井の個人] (ウォルター・ワグナー)
によってブラックホール生成可能性が[災害を引き起こす元凶たりうるもの]として問題視されだした(権威あるとされる専門家らがブラックホール生成可能性を目立って問題視していたわけではない)。
対して、そうした属人的疑念視がマス・メディア「にも」取り上げられることになったことを受け、専門家サイドからは
「ブラックホール生成がなされることはそもそもないことである」
との強調がなされ、ブラックホール生成の可能性それ自体を事実上完全否定する(狂人の妄夢の如きものであるとする)当事者研究機関の一群の報告書ら ―(後にノーベル賞受賞者となった科学者も関与しての報告書でもある)― が世に出されることとなった。
[事実B](先立っての 出典(Source)紹介の部2 にて典拠となるところを必要十分なだけ(公的資料よりの原文引用を通じて)指し示したところとしての記録的事実)
粒子加速器(の中にあってのLHC)による[ブラックホール生成]がなされうるとのことが ――([事実A]に見るように[1999年にあってそれが[ありうべきリスク]として専門領域「外」の人間に問題視されだした際には「そも、粒子加速器によるブラックホール生成はありうべきところではない」と当事者研究機関に否定されていた]とのところから一転して)――
[ありえることである]と「肯定的に」科学界主流筋および研究機関によって「公的に」認められるようになったのは
[2001年]
のことからである(:その2001年からの論調では「通年で1000万個単位の」「安全な」極微ブラックホールが生成されることになりうるともされるようになった)。
すなわち、「1999年にあっては」ブラックホールが人為生成される可能性だに否定していた科学界・実験機関の論調が「2001年に」変容を見、一転、加速器によるブラックホール生成をしてありうると肯定するようになったとのことがある(それについては、―これまた当然に論拠を挙げるところとして― [1998年に水面下で提唱されていた余剰次元理論(というもの)から導き出された帰結]が2001年の[変節]の背景にあると一般には説明されている)。
[事実C](先立っての 出典(Source)紹介の部3 にて典拠となるところを必要十分なだけ(公的資料よりの原文引用を通じて)指し示したところとしての記録的事実)
粒子加速器LHCによってブラックホール生成がなされうると加速器実験実施研究機関に認容されるに至った折、当然に学者らは
「ブラックホール生成がなされても[安全]である」
と強調していた。
ブラックホール生成がありうることとされるに至っての後、その初期的段階(2001年から2003年)にあっては安全性にまつわる論拠として
[[ホーキング輻射(ふくしゃ)と呼称される(仮説上の)現象]の発現による生成ブラックホールの即時蒸発]
のことが部外者・公衆向けの安全性報告文書で挙げられ、次いで、2008年以降よりは安全性論拠として
[宇宙線(Cosmic-ray/宇宙を飛び交う高エネルギーの放射線)との比較による生成された「蒸発しない」可能性のあるブラックホールの無害性]
のことが(更改を見ての)部外者・公衆向けの安全性報告文書にて強くも前面に押し出されるに至った、とのことがある。
そのような安全性論拠の主張動態(重み付け)の変化の背景には ―それについても当然に典拠挙げるところとして― [ホーキング輻射](と呼ばれる仮説上の現象)の発現が確実視され「なくなった」とのことがあると「される」。
[事実D](先立っての 出典(Source)紹介の部4 にて典拠となるところを必要十分なだけ(問題となる小説作品よりの原文引用を通じて)指し示したところとしての文献的事実)
1980年に初出を見た英国人作家ジェイムズ・ホーガンの手になる小説作品 Thrice Upon a Time『未来からのホットライン』にあっては[文献的事実]として
1.「[EFCこと欧州核融合協会との組織体が運営している施設]であるとの設定の[核融合プラント(バーグヘッド重イオン施設にあっての「加速器」使用型核融合プラント)]が問題となっている局面で」
2.「[加速器]使用型核融合プラントにての加速器で生成された大量の極微ブラックホール(具体的数値として[200万個にも及ぶ大量の極微ブラックホール]と作中明示)が地球にコアに落ち込み人類滅亡をきたすとの状況にまで至り」
3.「にも関わらず、そのような状況をもたらしたブラックホール生成元となった施設の当の運営者らは「[ホーキング輻射(ふくしゃ)現象の発現]によって粒子加速器接合型核融合発電プラントによるブラックホール生成は地球に壊滅的事態をもたらすことはない、そういうことは百万年に一回も起こりえないことだろう」との言い逃れをなしていた」
との内容を有している。
[事実(事実関係)E](先立っての 出典(Source)紹介の部5 にて補うところを指し示しているところの事実関係)
([事実A]から[事実C]と[事実D]の間には以下のような[矛盾]と[際立った先覚性]の問題が見受けられると指摘できるところである)
「部外の人間が「加速器はブラックホールを生成するのではないか」と突発的に問題視しだしたとの1999年にあっては[加速器によるブラックホール生成可能性]は研究機関発表動向として完全否定されていた(それが肯定的に論じられるようになったのは2001年である)にも関わらず1980年初出の特定小説にあってからして加速器によるブラックホール生成が言及されていた」(「[事実A]と[事実D]より[事実関係]として導き出せる」ところである)
「加速器によるブラックホール生成については2001年よりの発表動向で通年単位で1000万個の生成可能性ありとされるに「至った」の対して、問題となる1980年初出小説でもブラックホール200万個生成が描かれているとのことで非常に話が似通っている」(「[事実B]と[事実D]より[事実関係]として導き出せる」ところである)
「加速器生成元が(2001年から2003年に至る)初期動向としてホーキング輻射をブラックホール生成が安全であるとの論拠として用いているのに対して、問題となる1980年初出の小説「でも」ホーキング輻射がブラックホール生成がなれていても[安全である]とのブラックホール生成元の言い訳として持ち出されていた旨、描かれているとのことがある」(「[事実C]と[事実D]より[事実関係]として導き出せる」ところである)
以上、(再摘示なしての)各事実らに横たわる関係性から本稿では
[物理学界の発表動向と何ら平仄が合わぬとの予言(がかったもの)が存在している]
とのことを[理の当然]として問題視し、そのうえで次のこと、申し述べていた。
「他にもブラックホール生成問題にまつわる先覚的言及をなしている文物らが存在しているのだが、それらがその[先覚性][正確性][克明さ]のどの面でも群を抜いているとの異常無比なるもの、まさしくもの[[予言的作品]にして[告知文物]]といった形態のものとして存在しているがゆえに問題になる ――本来的には[[未知]を前提にしての予言「的」作品]と[[既知]を前提にしての告知文物]は論理的に両立するものではないわけだが、それらの要素を双方体現しているがために異常無比となるものが存在している(がゆえに問題になる)―― 」
以上のことに関するところとして本稿では次の[事実F]から[事実J]の存在を摘示していった。
[事実F](先立っての 出典(Source)紹介の部6 にて典拠となるところを必要十分なだけ(問題となる小説作品よりの原文引用などを通じて)指し示したところとしての文献的事実・記録的事実)
1974年に初出を見た極めて長きタイトルのSF小説作品として、
Adrift Just off the Islets of Langerhans:Latitude 38°54'N,Longitude77°00'13W(邦題)『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』
という作品が存在している。
同作、1975年、米国の権威あるサイエンス・フィクション分野の賞として認知されているヒューゴ賞 Hugo Awardを(同賞が長編・中長編(ノベラ)・中編(ノベレット)・短編と受賞分野が語数によって分たれている中で)[中編Novelette分野]にて受賞した作品となっている
。
その小説『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』は作中、
[15兆電子ボルトのCEERN(CERNならぬCEERN)の粒子加速器]
なるものを登場させている、とのものである。
[事実G](先立っての 出典(Source)紹介の部7 にて典拠となるところを必要十分なだけ(問題となる小説作品よりの原文引用などを通じて)指し示したところとしての文献的事実・記録的事実)
上の[事実F]にて挙げた小説『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』は
[SF小説大賞ヒューゴ賞を受賞した作品を収めた傑作撰集](英文Wikipediaにて The Hugo Winnersとのその傑作撰集のためだけの項目が設けられているその方面 ―サイエンス・フィクションの分野に志向性ある向き― では著名な傑作選)
にて
The Hole Man『ホール・マン』(という1974年初出の作品)
という作品と(原著・和訳版版双方ともに)[連続掲載]されているとの作品となる(:中編分野のヒューゴ賞受賞作品と短編分野のヒューゴ賞受賞作品が連続掲載されるようになっているとの式で(定例化してのかたちで)当該傑作撰体裁が定められているために、である)。
ここ([事実G]に対する言及部)にて挙げている The Hole Man『ホール・マン』という小説作品は ―同文に文献的事実の問題として―
[極微ブラックホールのケージ(容器)より漏れ出しての暴発を描く小説]
となっている。
[事実H](先立っての 出典(Source)紹介の部8 にて典拠となるところを必要十分なだけ(問題となる小説作品よりの原文引用などを通じて)指し示したところとしての文献的事実・記録的事実)
上の[事実F]と[事実G]の摘示(容易に後追いできるとの該当部引用による摘示)によって
[15兆電子ボルトのCEERN(CERNならぬCEERN)の粒子加速器を登場させている小説]([事実F]の言及部にて挙げた小説)
[極微ブラックホールの暴発を描く小説]([事実G]の言及部にて挙げた小説)
が著名な米国SF賞を受賞したSF傑作選の中で(そうなるべくも定例化しての当該傑作撰体裁が定められているため)連結させられていると摘示できるようになっているわけであるが、それら小説の間には
[「配置面」([連続掲載]との配置面)「以外」の連結関係]
が成立しもしている。
その点、[事実F]に対する言及部に挙げた小説 ( 『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』 ) の主人公は作中、ラリィ「Larry」との愛称(通称)で頻繁に呼称され、その主人公の正式の姓はローレンス(Lawrence)であるとの設定が採用されている。
他面、[事実G]の言及部にて問題視した小説( 『ホール・マン』 )の作者たるSF作家の愛称(通称)はラリィ「Larry」であり、その正式名称はローレンス(Laurence)であるとのことが存する。
[事実I](先立っての 出典(Source)紹介の部9 にて典拠となるところを必要十分なだけ(問題となる小説作品よりの原文引用を通じて)指し示したところとしての文献的事実)
[事実F]の部にてその名を挙げた小説 Adrift Just off the Islets of Langerhans : Latitude 38°54'N,Longitude77°00'13W(邦題)『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』は
[欧州の加速器運営機関(CERNならぬCEERNなどと呼称される15TeV加速器を運用する機関)のビーム照射装置でもって[自らを縮退させての極小の分身]をホログラム上に造り出した主人公がそちら分身を己の[「底無しの」「黒々とした」「渦を巻く」へそ]に落とし込み、もって、己の魂に引導を渡させるとの粗筋の作品]
「とも」なっている。
[事実J](先立っての 出典(Source)紹介の部10 にて典拠となるところを必要十分なだけ(公的資料などよりの原文引用を通じて)指し示したところとしての記録的事実)
・[1974年に初出の小説の中に登場する架空のCEERNの15兆電子ボルト( fifteen trillion electron volts )加速器]は[現実世界でCERNが当時(1974年)にあって運用していた加速器(ISRと呼ばれるハドロン加速器)]よりも200倍超の規模のエネルギーを実現するとの[設定]のものであった。
・[1974年初出小説に見る15兆電子ボルト加速器]のような「兆」の単位に突入しての一兆電子ボルトを超える加速器の建設構想計画が[青写真]として実験機関関係者意中に持ち上がったのは(小説刊行の1年後との)1975年以降である(との加速器実験機関由来の内部資料が存在している)。
・[現在CERNが運用するLHC]が実現しうる最大出力は[(重心衝突系エネルギー)14兆電子ボルト]となっており、それに比して、[1974年に初出の小説に登場する(架空の)CERNならぬCEERNの15兆電子ボルト加速器]はたかだかもの1.07倍程度しか強力なものにすぎない(⇒ 15TeV:14TeV=1.07(...):1.00)。 そうしたかたちで1974年初出の加速器は出力との性能で見てあまりにも今日のLHCに近似している(尚、兆単位の加速器の実現可能性さえ取り沙汰されなかった往時(74年)にはLHC計画は当然に策定さえされていなかった)。
要するに、 Adrift Just off the Islets of Langerhans : Latitude 38°54'N, Longitude77°00'13W(邦題)『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』という作品は
[往時70年代のCERN運営加速器(ISR)に比して200倍超も強力なるCEERN加速器なるもの](それは小説刊行時、構想だにされていなかった規模の加速器であると研究機関文書にて記載されている兆単位電子ボルト加速器ともなる)
を登場させており、かつもって、その架空のCEERN加速器なるものは
[(指数関数的に出力を増大させてきたとの加速器進化動向にあって)今日のLHCに比しては小数点2桁、数パーセントの誤差ぐらいしかないほどに出力が近似しているとのもの]
ともなっているとのことがある。
(整理のための部にての振り返っての表記を続けるとして)
以上のような事実らがすべて両立して存在しているとのことを念頭に本稿では
[さらに次の方向性での深耕をなす]
とのかたちで筆を進めていった。
[既知を前提にしての[予告](がかったもの)と解される側面]
[未知を前提にしての[予言](がかったもの)と解される側面]
が同一のところにあって「奇怪にも」並存していることについて一例たるところを指し示してきたわけだが、同点については
「[未知]がその実、[未知]ではなかった。ブラックホールの生成は随分前から観念されていたにもかかわらず実験機関および科学界関係者が大同団結して「70年代より観念されていた」そうした可能性についてしらを切り続けていた」
とのことが観念されるかの考察をなす必要がある
上のことに関わるところで次のことらの適否を(出典に依拠しての事例紹介をなしつつものこととして)考察対象としてきた。
[70年代から人知れず問題視され、1979年には人知れずに[加速器Bevalacベバラック]にまつわる[ある種の異常に高濃度なる核物質( density isomers )の生成による地球崩壊誘因リスク]が取り沙汰されていたとのことがある。そのこととの絡みで先覚性が現出していたとのことについて[[未知]によるところではなくその実の[既知]であった、そこを[知らん振り]をなしていた]との式で[科学者の欺瞞の問題]だけで説明が付くのではないか]
[遅くとも1980年代に入ってより、粒子加速器による[真空の相転移]に起因しての宇宙の崩壊リスクが取り沙汰されていたとのことがある。(上と同文に)そのこととの絡みで先覚性が現出していたとのことについて[[未知]によるところではなくその実の[既知]であった、そこを[知らん振り]をなしていた]との式で[科学者の欺瞞の問題]だけで説明が付くのではないか]
以上のことらにまつわる考察の中で本稿では
「少なくとも[事実A]から[事実J]の問題は[[加速器ベバラック]にまつわる[異常に高濃度核物質生成による地球崩壊誘因リスク]の検討がなされてきたとの事情]や[粒子加速器による[真空の相転移]に起因しての宇宙の崩壊リスクの検討がなされてきたとの事情]では説明が付くような性質のもの「ではない」とのこと、易々と判じられる」
との論拠を呈示していった(細かくは 出典(Source)紹介の部11 から 出典(Source)紹介の部14 を包摂する解説部を参照のこと)。
そのうえで本稿にあっては
「向きによっては[そこに確信犯的な虚偽の問題があるとしてもそうでなかったにしてもいずれにせよLHCが稼働を見てよりもいまだに地球が存続を見ているのであるから、ブラックホール生成にまつわるあれやこれやは過去の問題である.したがって、そうしたことは重きをもって注視するに値しないものである]などとの見立てを呈するかもしれない.だが、それは不適切極まりないものの見方である.というのも本件は終わっていない、危険性を如実に示す問題は残置し続けているからである」
との強調をなした(「問題となる先覚性体現文物が「他に」も山と存在しており、については、本稿のよりもって後の段にて順次摘示していく」と申し述べつつも、である)。
それにつき、同じくものこと、
LHCにまつわる問題は(LHCが稼働を見ての後も我々が安閑としていられるとの現実的状況下でも)「終わっていない」
とのことについては
[[LHCによるブラックホール生成]については「これよりの」装置のアップロードを経てから近未来なされる可能性があるとのCERNサイドの科学者の見方が呈されている]
とのことを ――「それとて専門家筋に由来する結果が出るまで適否判断できないような話であり、また、皮相的な話ではある」と断りつつも―― まずもって指摘した(表記のことについては 出典(Source)紹介の部15 を参照のこと)。 そのうえで本稿では次のことを強くも申し述べた。
「[装置稼働後、LHCによるブラックホール生成の可能性については極めて低くなっていると見られるに至っている]と太鼓判を押すような物理学学界の大物物理学者などの(科学的論拠あっての)指摘もなされているが(出典(Source)紹介の部16)、だが、そうした見方に[安心立命の揺るがざる根拠]を見出すべきではない。
LHC実験については ――[科学理論の至当さ]といった(筆者を含め)門外漢には適否判断も満足に出来ないとのところから離れて―― 誰でも容易にその通りであると判断なせる(すくなくとも頭が障害無くも働いているのならば、誰でもその通りであると判断なせる)ところの[問題性]が伴っている。
そして、その問題性とは
[それが蒸発せずに、なおかつ、成長するのに天文学的時間を要しなかった場合に我々全員の命を刈り取ることになる出来事(ブラックホール人為生成)につき
[はきとした証拠の山](本稿のここまでの段にて摘示なしてきたような事例が「一例」としかならぬような証拠の山)
に基づき[奇怪な予見的言及]がなされ続けてきたということが指し示せるとの[事実]がそこにあり、加えて、その[事実]が指し示すとの方向性があまりにも[異常]かつ[酷薄]なものとなっているとのことがある](:より具体的には「[普通一般の人間のやりよう]ではおよそ説明が付けがたいとの[「奇怪な」前言]が山として具現化している、のみならず、それら[「奇怪な」前言]が[執拗なまでの恣意性の問題]を観念されもするとのかたちで[「堂に入った」「悪意によって成り立つ」系統立った側面]を相互に連関しながら呈している」とのことがある)」
振り返りもしての上のような強調をなしもしたところで本稿は(ここにての[整理]のための表記をなすことになったとの)まさに直前の部に至っているとのことがある
(以上をもってして[整理]のためのここに至るまでの流れの振り返り表記とした)
さて、直上の段にて本稿こここれに至るまでの内容を[整理]のために振り返ったとして、
[重要なることのさらなる呈示]
をなす「その前に」、
[強くも断っておきたいことらの明示]
のための話を(人によっては「くどくも・・・」と映るようなかたちでながら)以降、なすこととする。
具体的には[以下のこと]らの明示のための話を以降、なすこととする。
第一。
「[本稿で問題視したいこと]は[物理学者ら理論にあっての欠陥性]を指摘するなどということには毛頭ない。そういうこと、物理学者ら理論にあっての欠陥性を摘示するとの資格も能力も筆者にはない(などと述べると心得違いをなしている向きは『この者が摘示事物に確証・自信を抱いていないからそうもしたことを言うのだろう』と誤解するかもしれないが、そうではない)。 専門家らの理論の適否などを論ずることなどせずとも、それでも、[実験](と世間的には明示されている営為)に伴う問題となることは「容易に」摘示できるようになっているし、第三者でもそのことは確認できるようになっている。そのことの把握を求め、その先にあることの意味を問うのが本稿の趣意である」
(こちら第一の点の明示のために続く段にては[「反面教師としての」海外のLHC関連訴訟を巡る顛末の解説]を話柄としての説明をなすこととする)
第二。
「本稿では[他の人間に誤解されるようなこと]を敢えても指摘しているが、といったことにしても[きちんとした論拠](属人的目分量・属人的観点から離れもしてそこに確として存在しているとの論拠)に基づいているとのことを厳選・取捨選択して取り上げている。それが果たして本当なのか、本稿が真剣なる顧慮に値するもの、そう、[具体的行動の指針となして然るべきようなもの]とのレベルで真剣なる顧慮に値するものなのかとの観点にて読み手に切に確認いただきたいと考えている」
(こちら第二の点の明示のために[奇異奇矯と受け取られもしようこと、であるが、顧慮に値すること]がいかようなことなのか、極々一例、先行するところの説明を間を経ずに(紙幅にしてそう先のところではないとの段にて)なすこととする)
それでは表記のことにまつわる話を以降、なすこととする。