典拠となるところの明示[112]――金星体現存在として伝承・神話に登場を見て
いる存在らに通じもする多層的関係性.それが何故、問題となるのかについて

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[冥界の女神ペルセポネを軸として成立している多層的関係性]、それら多層的関係性と記号的に接合する[金星の体現存在らを巡る多層的関係性]について 補説3

 本稿にあってのここまでの流れにあっては[D]と振っての段で

ヘラクレス12功業 ―それら功業と[文献的事実]の問題として「多重的に」接合する作中内要素が目立ちもするダンテ『地獄篇』の地獄最深部に控えるルチフェロと同様の構造を呈する三面のケルベロスへの地上引きづりだしをもって終わる計12の功業― ]とブラックホール生成実験(LHC実験)]とがトロイア崩壊伝承][トロイア崩壊伝承と複数の観点で結びつくアトランティス沈没伝承][黄金の林檎にまつわる命名規則から結線しているとの状況が見られる」

ヘラクレス12功業ダンテ『地獄篇』(今日的に見た場合のブラックホール類似物を描いている領域と述べられるようになってしまっているケルベロス状の三面構造を呈するルチフェロの幽閉領域に向かって冥界下りをなしていくとの物語)とが古典描写ありようとして現実に接合している一方でそれとは「別方向にて」シリウスBとケルベロス(ヘラクレス12功業の最後の段、冥界下りの段にて登場した怪物にして、ダンテ地獄篇ルチフェロと類似構造を有する怪物)の古典ら描写を通じての関係性およびシリウスBとブラックホール理論開闢史の関係性についての指摘がなせるようになっている]

とのことらを典拠を挙げ連ねながらも細かくもの式で詳述してきた。

 そのうえで本稿では(上のことらを論じての[D]と振っての段の説明表記をなし終えたところで)[E]と振っての段に入りもし、

冥界の女神ペルセポネ[シリウス象徴神格ソティスとしての色彩をも具備するイシス]と ―[イシス・オシリス伝承]および[エレウシス秘儀]の関係もあって― 際立っての同質性を「多層的に」帯びている存在である」

とのことを細々と指し示しなし(出典(Source)紹介の部97)、次いで、そうもした指し示しをなしもしたことに関わるところとして


イナンナ・イシュタルについては[金星の象徴化存在]として、および、その他の意味合いで[悪魔の王ルシファー]との「純・記号的」なる接合性・同一性を多重的に指摘可能な存在となっており」(典拠となる部について出典番号を込みに続く段にて[再言及]するところとなるが、それは[属人的主観が問題にならぬこと]である)

上の伝での接合性・同一性 ―イナンナ・イシュタル⇔悪魔の王との記号論的接合性・同一性― の環にはペルセポネも関わることとなり」(直近までの指し示しもこちらの点に関わる)

「といったことと[[ペルセポネ]と[シリウス]および[シリウスBの体現存在と同定されもするケルベロス]との接合性及び[[シリウスB]と[ブラックホール理論開闢史]との接合性及びヘラクレス12功業との多重的関係性を呈しているダンテ『地獄篇』、同『地獄篇』に登場するヘラクレス第12功業捕縛対象であったケルベロス状の似姿を呈するルチフェロ(ルシファー)とブラックホールの「奇怪なる」接合性らのことを複合顧慮すると、(問題となる接合性「ら」の基本たるところは先の段までにて順序立てて解説してきたところだが、再度の振り返り表記を続いてなすとして)ブラックホールを環の中心に置いての多重的関係性もが指し示されるようになっている」


とのことらについての指し示しに入った。

 以上、振り返りなしたうえでここ本頁では、(前頁に引き続き)、


イナンナ・イシュタルについては[金星の象徴化存在]として、および、その他の意味合いで悪魔の王ルシファー]との「純・記号的」なる接合性・同一性を多重的に指摘可能な存在なっている」


とのことの指し示しをなすべくもの話を続ける。

 さて、ここでの指し示し事項に関わるところとして本稿では以下、枠内にて表記の通りのことを示すべくもの説明をなしていたとの事前経緯がありもする。


(既に本稿にての従前の段で典拠を指し示してきたところながらもさらに続く段にて典拠を再度、挙げる所存であることらとして)

・[[明けの明星=金星]が星天にて辿る経路を[堕天(冥界落ち)した悪魔の王]および[冥界下りの女神](イシュタル)の両者と結びつけて解説を試みる]との論調の申しようが「常識論の世界にて」存在しているとのことがある。

・(本稿にての出典(Source)紹介の部61で既に取り上げてきたところとして)中米にて[ケツァルコアトル]という神格が崇められていたとのことがある。
 同ケツァアルコアトルは
[人類に文明を授けた羽毛の生えた蛇にして「金星の」体現存在]
との側面を持つ存在としてアステカ文明の成員らの元への帰還が待望されていたとの存在である。そして、同ケツァルコアトル、冥界に[双子の兄弟たる神ショロトル]を持つ存在であると語り継がれている。
 他面、古代メソポタミアの冥界下りをなしたイナンナ・イシュタルは[金星の体現存在としての神格]にして[冥界に双子の姉妹エレシュキガル]を持つ存在であると語り継がれている。
 従って、[ケツァルコアトル]と[イナンナ]は
[金星の体現存在にして冥界に双子の血族を持つ存在]
との際立っての側面を共有しているとのことがある。

・ケツァルコアトルに関しては(既に先立っての段、本稿にての出典(Source)紹介の部53から出典(Source)紹介の部53(4)を包摂する段で述べていたところとして)次のような観点で[悪魔の王サタンにも比定されるエデンの誘惑の蛇]と類似性を帯びている存在である。


[金星]と深くも結びつくルシファーことサタンが
人類にエデンで知恵の実(を食す機会)を与えた蛇
とキリスト教教義体系にて結びつけられる存在であるのに対して、(イナンナと結びつく素地ありの)ケツァルコアトルは
人類に文明を授けた羽毛の生えた蛇
とされている。
 また、そのケツァルコアトルがアステカの地に帰還すると予言なされていた年1519年に(それが果たして[予言通りの年]であったのか論が分かたれるところでもあるのだが)新大陸の征服事業の一環としてアステカに到達したスペイン人侵略者らをしてアステカ人がケツァルコアトルが帰還したと誤信、もって、スペインから持ち込まれた天然痘ウィルスによって現地人口の圧倒的縮減がなされる中でアステカが侵略されていったとのことが世界史上の一エピソードとして見受けられるとのこと「も」サタンとの類似性の絡みで問題になる。
 というのも、アステカが滅ぼされたのは16世紀頃であるが、それよりも遙か昔に成立したことになっている新約聖書の末尾にあってのヨハネの黙示録では[蛇たるサタンが衆をたばかり地獄に道連れにするとの筋立て]が採用され、また、同じくものヨハネの黙示録では獣と龍による破滅の前の先触れの段にて[黙示録の四騎士]と結びつく[戦乱・疫病]が地上の人間に苦しみをもたらすとの[設定]もが採用されており、そこからして[ケツァルコアトル信仰]と[聖書を基軸に見てのサタンありよう]の間の目立っての類似性の問題が当然に観念されるようになっているからである ――※[中米での歴史的出来事]([[金星の体現存在]にして[文明の恩人たる蛇]の帰還に「騙された」文明が[疫病と[戦乱]で滅亡を見たとの出来事])と[聖書の黙示録の筋立て]([[金星と結びつくルシファー]を別名としする[エデンの園で知恵を授けた蛇と同一視される存在]の望むべからざる来臨と同存在への「欺瞞に満ちた崇拝」のために文明が[疫病]と[戦乱]の内に絶滅を見るとの筋立て)])が[文献的事実]と[歴史的事実]の接近との観点での一致性を帯びているとのことがある―― 。


(これよりそうしたものが成立していることを再度、指し示す所存であるとの関係性について端的に関係図表記すると以下のようになる)

 以上の関係性がそれぞれ別個独立に別要因から摘示できるにも関わらず、結果的にそれらの間に複合的なつながりが観念されるようになっているとのことがある。「であるから」こそ、その偶然としてのありえなさ度合い ―恣意性の可能性― が当然に問題になると述べるのである。

 煩瑣ではあるが、上記のことら ―既に本稿にての出典(Source)紹介の部53から出典(Source)紹介の部53(4)を包摂する解説部、そして、出典(Source)紹介の部61を包摂する解説部で延々と示しもしてきたこと― についても、この身申しように論拠なきようなところは、実に残念なことに、ないとのことを示すため、容易に確認できるところの出典を続いて「再」呈示することとする。

 まずは上記のことらのうちの


・[[明けの明星=金星]が星天にて辿る経路を[堕天(冥界落ち)した悪魔の王ルシファー]および[冥界下りの女神](イシュタル)の両者と結びつけて解説を試みる]との論調の申しようが「常識論の世界にて」存在しているとのことがある。


とのことを示すオンライン上にての記述内容を挙げておく。

(直下、英文Wikipedia[Lucifer]項目にての Mythology behind Isaiah 14:12[イザヤ書14章12節の背後にある神話]との部よりの現行にあっての記述 ―(易変性伴っての媒体性質より改訂を見るかもしれないが、「現行にあっての」記述)― の原文引用をなすとして)

Mythology behind Isaiah 14:12
In ancient Canaanite mythology, the morning star is pictured as a god, Attar, who attempted to occupy the throne of Ba'al and, finding he was unable to do so, descended and ruled the underworld.The original myth may have been about a lesser god Helel trying to dethrone the Canaanite high god El who lived on a mountain to the north. Hermann Gunkel's reconstruction of the myth told of a mighty warrior called Helal, whose ambition it was to ascend higher than all the other stellar divinities, but who had to descend to the depths; it thus portrayed as a battle the process by which the bright morning star fails to reach the highest point in the sky before being faded out by the rising sun.
Similarities have been noted with the East Semitic story of Ishtar's or Inanna's descent into the underworld, Ishtar and Inanna being associated with the planet Venus.

(補いもしての訳として)
イザヤ書14章12節の[背後]にある神話として] (訳注:先に本稿でも解説しているようにここに見る旧約聖書イザヤ書14章12節以降の段に見る[天より落とされた存在としての明けの明星][国々を動かし世界を荒野のようにし、その都市を破壊した者らを解きはなさないとの存在]といった記述内容が[明けの明星]を意味するラテン語であるルシファーが[新約聖書にて悪魔の王として登場してくるサタン]とが結びつけられるに至った所以(ゆえん)とされる)  
 古代カナン地方神話にあって[明けの明星]はアッタルという神、(有力神たる)バアルの玉座を奪おうとして、それが出来ぬことがわかって、冥界に下り、そこを統治したとの神と結びつけられている。その原初となる神話は劣位の神Helelが北面の山に住まっていたカナン人の高位の神El(エル)を王位から引き下ろそうと試みていたとのものであるのかもしれない。 ヘルマン・グンケル (訳注:19世紀末尾から20世紀前半にかけて著述活動なしていたとのドイツの旧約聖書学者/和文ウィキペディア「にも」現行、一項設けられているとの向きで[中近東の古代信仰と聖書の連続性]を問題視していたことで知られる学究) によっての神話の再構成は他の主要な神々よりも上位の存在を越えようとしたこと、しかし、冥界に下らざるをえなかったとのHelalと呼ばれる万能の戦士神について語っている (訳注:中近東地方にて発生したのがヤハウェと呼ばれる唯一神を崇めるユダヤ教であるが、そのユダヤ教および陸続きの唯一神信仰たる唯一神に抗い「堕天」した存在が後の悪魔の王ルシファーであるとの設定がキリスト教体系にて採用されていること、そうしたことがここにて引き合いに出されているヘルマン・グンケル申しようの背後にある ―※についての現行、オンライン上より即時に確認できるところの和文ウィキペディア[ルシファー]項目にての常識的なる解説は(引用するところとして)「キリスト教の伝統的解釈によれば、ルシファーは元々全天使の長であったが、土から作られたアダムとイブに仕えよという命令に不満を感じて反発したのがきっかけで神と対立し、天を追放されて神の敵対者となったとされる。「ヨハネの黙示録」の12章7節をその追放劇と同定する場合もある」(引用部終端)とのものである― )。 それは光輝く明けの明星(金星)が空にあっての最高地点に達しようとする中で昇り行く太陽に霞み、視界よりの消滅なさしめられる(フェード・アウトする)前に失敗を見ることを[闘い]として描いたとのものである(ように解される)。
 イシュタルおよびイナンナは惑星の金星に関係付けられる神格なのであるから、一致性問題は東部セム系に伝わるイシュタルまたはイナンナの冥界下り (訳注:ルシファーが堕天して地獄に下ったことを意識させるとの書きようとなる) に関しても着目させられようとのことになる (訳注:ここにては現行、注記番号[36]と振られており、申しようの出典として Marvin Alan Sweeney, (1996). Isaiah 1-39. Eerdmans. p. 238.との著作が紹介されている) 」

(訳を付しての引用部はここまでとしておく)

 以上、補いもしつつの訳なしての引用部に見るように

「太陽に抗うように見えても太陽に敗北せざるをえぬ金星の性質をもってして[古代中近東に由来する金星の体現存在 ―後にサタンを指すものとされるに至ったルシファーやイシュタルあるいはイナンナ― ]の地獄落ちが設定されたと看做すような論調が存在する」

との指摘がなされているわけである(:問題なのはそれを真に穿っているか否か以前に、そういう論調が、すなわち、「ルシファーやルシファーと類似性を呈するアッタル(Attar)やヘレル(Helel)、そして、イシュタル・イナンナといった中近東に由来する存在が[冥界下りをなした金星体現存在]となっているのは金星が太陽の前に霞まざるをえぬからであろう」との論調がヘルマン・グンケル( Hermann Gunkel )という表記の部で紹介されている20世紀初頭まで活動したドイツ系聖書研究学者およびその著書 Creation and Chaos in the Primeval Era and the Eschaton(『始原と終末にての創造、そして、混沌』とでも訳せよう著作/初出1895年、近年2006年にも欧米圏にて刊行)などにて見受けられること自体である)。

 これにて、


・[[明けの明星=金星]の辿る経緯を[堕天(冥界落ち)した悪魔の王]および[冥界下りの女神](イシュタル)の両者と結びつけて解説を試みる]との論調の申しようが「常識論の世界にて」存在しているとのことがある。


とのことを指摘したとして、次いで、


・中米にて[ケツァルコアトル]という神格が崇められていたとのことがある。
 同ケツァアルコアトルは
[人類に文明を授けた羽毛の生えた蛇にして「金星の」体現存在]
との側面を持つ存在としてアステカ文明の成員らの元への帰還が待望されていたとの存在である。そして、同ケツァルコアトル、冥界に[双子の兄弟たる神ショロトル]を持つ存在であると語り継がれている。
 他面、古代メソポタミアの冥界下りをなしたイナンナ・イシュタルは[金星の体現存在としての神格]にして[冥界に双子の姉妹エレシュキガル]を持つ存在であると語り継がれている。
 従って、[ケツァルコアトル]と[イナンナ]は
[金星の体現存在にして冥界に双子の血族を持つ存在]
との際立っての側面を共有しているとのことがある。


とのことを典拠を指し示す。その点、本稿の先の段にあって「も」まったく同じくものこと、

[金星の体現存在イシュタル(イナンナ)とサタンの ―ケツァルコアトルを介しもしての― 同質性]

を問題視していたとのことがある(主として出典(Source)紹介の部61にてのことである)。

 そうもした本稿にあっての先の段の内容の「一部」を振り返りつつ、


・中米にて[ケツァルコアトル]という神格が崇められていたとのことがある。
 同ケツァアルコアトルは
[人類に文明を授けた羽毛の生えた蛇にして「金星の」体現存在]
との側面を持つ存在としてアステカ文明の成員らの元への帰還が待望されていたとの存在である。そして、同ケツァルコアトル、冥界に[双子の兄弟たる神ショロトル]を持つ存在であると語り継がれている。
 他面、古代メソポタミアの冥界下りをなしたイナンナ・イシュタルは[金星の体現存在としての神格]にして[冥界に双子の姉妹エレシュキガル]を持つ存在であると語り継がれている。
 従って、[ケツァルコアトル]と[イナンナ]は
[金星の体現存在にして冥界に双子の血族を持つ存在]
との際立っての側面を共有しているとのことがある。


とのことにまつわる典拠を一部再提示することとする。


(多く出典(Source)紹介の部53(3)などとと共通するところ大なるところの出典紹介部として ――新規の出典紹介部ではないので新たに番号を振ることはしない―― )

(以下、イシュタルやルシファーが[金星の体現存在]であったことに対してケツァルコアトルもまた金星の体現存在となっていること、そして、イシュタルが[双子の姉妹を冥界に持つ]ことに対してケツァルコアトルも同様に[双子の兄弟を冥界に持つ]こと、ルシファーが[エデンの園にての知恵の樹の実の「蛇の」誘惑者]であったのに対してケツァルコアトルが[文明の授け手の羽毛ある蛇の神]であったことの出典を順次挙げていくこととする)

[ケツァルコアトルが[金星の体現存在][双子の神を冥界に持つ存在][文明の授け手でもあった羽毛ある蛇]であるとの典拠の再紹介として]

 まず基本的なところとしてオンライン上にて即時即座に確認できるところの英文Wikipedia[Quetzalcoatl]項目より ―出典(Source)紹介の部53(3)にてなしたのと同様に、もの― 掻い摘まんでの再度の抜粋をなしておくこととする。

(直下、英文Wikipedia[Quetzalcoatl]項目冒頭部よりしばらく下っての段にての現行記載内容よりの引用をなすとして)

Among the Aztecs, whose beliefs are the best-documented in the historical sources, Quetzalcoatl was related to gods of the wind, of Venus, of the dawn, of merchants and of arts, crafts and knowledge.
(中略.続いて[ In Aztec culture ]と付されての節よりの抜粋として)
To the Aztecs, Quetzalcoatl was, as his name indicates, a feathered serpent, a flying reptile (much like a dragon), who was a boundary-maker (and transgressor) between earth and sky. He was a creator deity having contributed essentially to the creation of Mankind. He also had anthropomorphic forms, for example in his aspects as Ehecatl the wind god. Among the Aztecs, the name Quetzalcoatl was also a priestly title, as the two most important priests of the Aztec Templo Mayor were called "Quetzalcoatl Tlamacazqui". In the Aztec ritual calendar, different deities were associated with the cycle-of-year names: Quetzalcoatl was tied to the year Ce Acatl ( One Reed ), which correlates to the year 1519.

(訳として)
「歴史的資料(訳注:侵略者スペインサイドの資料など)にて極めてよく文書化されているとの信仰を有していたアステカの民らの間にてケツァルコアトルは風・金星・夜明け・商業・芸術・技能・知識の神々と関連付けさせられていた。
・・・(中略)・・・
アステカの民らにとってケツァルコアトルの名は[大地と空の境界線を定めた存在(そしてその境界の侵犯者)としてのドラゴン]と評するほうがより適切であろうといった[飛行する爬虫類]としての[羽毛ある蛇]のことを指し示すとのものとなる。同ケツァルコアトルは人間の創造に根本から関わっているとの創造神とみなされてもいる。また、ケツァルコアトルは風の神Ehecatlとしての側面にて人間の形態を取ることもある。アステカ人の間にてケツァルコアトルの名は神職の称号名となり、アステカの神殿にて最も重要な二つの神職位階は Quetzalcoatl Tlamacazquiと呼ばれるものであった。アステカの儀式上の暦では年単位の周期が異なる神々の名前と対応付けられており、ケツァルコアトルは[一の葦の年]と対応付けさせられており、それは1519年(訳注:スペインよりの征服者エルナン・コルテスがアステカ皇帝モンテズマと会見した年)と対応している」

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 尚、ケツァルコアトルという神の「より細やかな」概説としては(出典(Source)紹介の部53(2)より再度の引用をなすところとして)次の通りの出典を引いていた。

(直下、 Project Gutenbergのサイトにてダウンロードできるとの AMERICAN HERO-MYTHS. A STUDY IN THE NATIVE RELIGIONS OF THE WESTERN CONTINENT(1882)にての The Return of Quetzalcoatl CHAPTER III. THE HERO-GOD OF THE AZTEC TRIBES. §1. The Two Antagonists.より再度の引用をなすとして)

The culture hero of the Aztecs was Quetzalcoatl, and the leading drama, the central myth, in all the extensive and intricate theology of the Nahuatl speaking tribes was his long contest with Tezcatlipoca, "a contest," observes an eminent Mexican antiquary, "which came to be the main element in the Nahuatl religion and the cause of its modifications, and which materially influenced the destinies of that race from its earliest epochs to the time of its destruction."
[ . . . ]
Like all the heroes of light, Quetzalcoatl is identified with the East. He is born there, and arrives from there, and hence Las Casas and others speak of him as from Yucatan, or as landing on the shores of the Mexican Gulf from some unknown land. His day of birth was that called Ce Acatl, One Reed, and by this name he is often known. But this sign is that of the East in Aztec symbolism.[2]
[ . . . ]
His name is symbolic, and is capable of several equally fair renderings. The first part of it, quetzalli, means literally a large, handsome green feather, such as were very highly prized by the natives. Hence it came to mean, in an adjective sense, precious, beautiful, beloved, admirable. The bird from which these feathers were obtained was the quetzal-tototl ( tototl, bird ) and is called by ornithologists Trogon splendens.
The latter part of the name, coatl, has in Aztec three entirely different meanings. It means a guest, also twins, and lastly, as a syncopated form of cohuatl, a serpent. Metaphorically, cohuatl meant something mysterious, and hence a supernatural being, a god. Thus Montezuma, when he built a temple in the city of Mexico dedicated to the whole body of divinities, a regular Pantheon, named it Coatecalli, the House of the Serpent.

(訳として)
アステカにあっての文化的英雄はケツァルコアトルとなっており、ナワトル語を母語とする(同アステカ文明担い手たる)氏族全てにあっての広範囲に渡り、かつ、入り組んだ神話大系にあっての主要なる物語、中心に位置するとの神話は
[ケツァルコアトルとテストポリテカとの長きに渡る対立]
ともなっており、その対立は、衆に優れてのメキシコ古物蒐集家が述べるところ、
ナワ族(ナワトルを母語とする民族)の宗教にての主要素、そして、その修正の因ともなり、その最も初期の物語から破壊の折に至るまでの民族の運命に影響を与えてのものとなっている
とのことである。
・・・(中略)・・・
陽の側面を体現しての諸々の英雄らに認められるように、ケツァルコアトルは東との方向と紐付けられている存在となる。彼はそこにて生まれ、そこからやって来たとされ、同ケツァルコアトルにつきラス・カサス(訳注:スペインのインディオに対する虐殺にまつわる記録を遺したことでも有名なスペイン人修道士たる史家[バルトロメ・デ・ラス・カサス]のこと)や他の人間は[ユカタン半島あるいは未知なる土地からメキシコ湾海岸へやってきた存在]と言及している。彼ケツァルコアトルの降誕の年はセーアカトル( Ce Acatl )、[一の葦の年]となっており、その絡みでケツァルコアトルはしばしば知られるとのことになっている(訳注:19世紀後半に執筆されたここにての引用元書籍 AMERICAN HERO-MYTHS. A STUDY IN THE NATIVE RELIGIONS OF THE WESTERN CONTINENTにあってのこの部では[[ケツァルコアトルの帰還の年]とされる[一の葦の年]がスペイン人のエルナン・コルテスの到来期間と期を一にしていたため、現地民がスペイン人侵略者をケツァルコアトルと誤信された]とのことが言及されているのだと解される)。しかし、この[一の葦の年]の象徴はアステカシンボリズム体系にあっての東方のシンボルでもある。
・・・(中略)・・・
彼ケツァルコアトルの名前は象徴的なものであり、等しくも翻訳できるようなものとなっている。Quetzalcoatlにあってのquetzalliの部は地元民にとても珍重されているとの[大きく見事な緑色の羽毛]を意味する。そのうえでそちらquetzalliは形容詞的意味合いにて[高価な][美しい][親愛なる][賞嘆に値する]との意を有するに至っていた。それら羽毛の産出元としての鳥はquetzal-tototlとの鳥となり、鳥類学者によってトロゴン・スプレンデス、美しきキヌバエドリと呼ばれている鳥となる。Quetzalcoatlという語の後ろの部コアトルcoatlはアステカ人にとり、三つの意味を有しており、[客人]そして[双子ら]、最後に、cohuatlとの語と同義扱いされながらの[蛇]の意である。比喩的な文脈でとらえれば、(蛇を意味する)cohuatlとの語は神秘的な何物か、そして、霊的な存在、神との意味の語となっている。このようなところでモンテスマ(訳注:アステカ帝国の統治者)はメキシコ・シティが現在存在する場にて神々全神格に捧げる正規の万神殿(パンテオン)としてCoatecalli、[蛇の家]と名付けられた神殿を建立しもしていた

(訳を付しての引用部はここまでとする)

 上にて引いてのところでは

[アステカの民らの間にてケツァルコアトルは風・[金星]・夜明け・商業・芸術・技能・知識の神々と関連付けさせられている]
[その名にての[コアトル]からして[蛇][双子]と結びつくものであるとされている]

とケツァルコアトルが[金星の体現存在][双子と結びつく存在]であることが示されているわけだが、同Quetzalcoatl

[[金星の体現存在][文明の接受者]たる存在]

とされていることにつきもう一押しの出典紹介を再度なしておく。

(オンライン上よりその手のソースは堅いところでもいくらでも見つかるようになっているのだが)ここでは手堅いところとして

The Archaeology of Measurement: Comprehending Heaven, Earth and Time in Ancient Societies, Cambridge University Press, 2010(2010年、ケンブリッジ出版会刊行の『単位の考古学:古代社会にての天と地と時間に関する理解』とでも訳せよう書)

にてのp.160の記述を引いておくこととする。

(直下、 The Archaeology of Measurement: Comprehending Heaven, Earth and Time in Ancient Societiesよりの再度の引用をなすとして)

The center of the pyramid divides this line at the Sacred Precinct into 416- and 584- molicpitl segments. The latter is the principal Venus cycle count. This is appropriate because the god Quetakoatl was associated with Venus as morning and evening star.

(大要訳として)「(ケツァルコアトルの)ピラミッドの中央部はこの聖なる区域を(特定の規則に基づいての)二区画に分割する。後者は金星のサイクル計算と一致しているとのものとなる。これはケツァルコアトルが[明けの明星](モーニング・スター)にして[宵の明星](イブニング・スター)たる金星と関連づけられているとのことによる

(引用部はここまでとする ―表記の英文テキストをオンライン上、Google検索エンジンに入力することでソースとなる原著については特定できるはずである― )

 さらに次の箇所も(出典(Source)紹介の部53(3)にてなしたのと同様に)再度引いておく。

(直下、 Project Gutenbergのサイトにてダウンロードできるとの AMERICAN HERO-MYTHS. A STUDY IN THE NATIVE RELIGIONS OF THE WESTERN CONTINENTにての The Return of Quetzalcoatl CHAPTER III. THE HERO-GOD OF THE AZTEC TRIBES. にての§3. Quetzalcoatl, the Hero of Tula.よりの引用をなすとして)

But it was not Quetzalcoatl the god, the mysterious creator of the visible world, on whom the thoughts of the Aztec race delighted to dwell, but on Quetzalcoatl, high priest in the glorious city of Tollan (Tula), the teacher of the arts, the wise lawgiver, the virtuous prince, the master builder and the merciful judge.

(訳として)
「ケツァルコアトルはアステカ民族が生きるに喜びを感じていた可視世界、その神秘的なる創造者との位置付けにある神ではないが、同ケツァルコアトルは栄華を誇ってのトゥーラ(訳注:アステカ勃興前にメキシコ界隈で栄えたトルテティカ文明の都市群)よりの高位の祭司、技芸の教授者賢明なる法制定者、美徳をもっての王子、建築家、慈悲深い審判者との存在ではあった」

(訳を付しての引用部はここまでとしておく ―※― )

(※さらにオンライン上にて目立つところを挙げれば、現行にての英文Wikipedia[Quetzalcoatl]項目にも上記のことと同文のことが記載されている[ historian David Carrasco has argued that the preeminent function of the feathered serpent deity throughout Mesoamerican history was as the patron deity of the Urban center, a god of culture and civilization.]「歴史家の David Carrascoはメソアメリカ史全体にわたっての羽毛ある蛇の役割が都市中枢にての庇護者としての神、文化文明の神としてのものであったことを論じている」と記載されている)

 以上、再掲しての材らをもってしてケツァルコアトルが[金星を体現する存在]にして[羽毛ある蛇]であり、と同時に、[文明のプロモーター]であるとされていることの再提示とするが、といったケツァルコアトルが

[冥界に双子の兄弟神を持つ]

ことの出典を(出典(Source)紹介の部61と同文の繰り返し表記を含むところとして)挙げておく。

(直下、英文Wikipedia[Xolotl]項目よりの抜粋をなすこととして)

Xolotl was also the god of fire and of bad luck.He was the twin of Quetzalcoatl the pair being of the virgin Coatlicue,and was the dark personification of Venus, the evening star.He guarded the sun when it through the underworld at night. He also assisted Quetzalcoatl in bringing humankind and fire from the underworld.

「(訳として)ショロトルは火と不運の神でもある。彼は処女としてのコアトリクエ (注:コロンブス到来前のアメリカで崇められていた蛇の大地母神) に由来するケツァルコアトルの双子にして[金星のより暗い方面での人格化存在]、宵の明星である(注:金星を明け方から見れば、明けの明星、夕闇から見れば、宵の明星となるとの観点に立っての申しようがなされている)。 彼はまた、それが夜間、地下の冥界を通り過ぎるとき、太陽を守護する役目を果たしている。ショロトルはまたケツァルコアトルが人間を運ぶのを助け冥界よりの火にくべる」

(訳を付しての引用部はここまでとしておく)

(さらに続いて、冥界と結びつくショロトル特性について和文ウィキペディア[ミクトラン]項目(アステカ神話にての[冥府の最下層]にまつわる項目)の現行記述より一部引用をなすとして)

戦で死んだ者、雷で死んだ者、出産で死んだ女、子供のうちに死んだ者以外は全てこのミクトランに向かう。その旅は困難で4年の年月を要するが、死神であるショロトルがそれを助ける

(訳を付しての引用部はここまでとしておく)

 以上の引用部よりショロトルが冥界と結びつくケツァルコアトルの双子であるとのことがよくも知られていること、理解してもらえるものか、と思う(※)。


(※ケツァルコアトルの双子がショロトルとされている点につき(本稿にての出典(Source)紹介の部61で付したのと同文のものとしての)付記として)

 先にもケツァルコアトルがその名として[双子]と結びつけられていることを挙げたわけだが、Quetzalcoatlケツァルコアトルに付されてのcoatlをして[蛇][双子]を意味とするとの指摘が「一般的に」なされていることについて補ってもの話をなしておく。
 については本稿にてのつい先立っての段にて(出典(Source)紹介の部53(2)より再度の引用をなすとのかたちで)挙げた Project Gutenbergのサイトにてダウンロードできるとの著作、往時にて令名高かった考古学者がものした、
AMERICAN HERO-MYTHS. A STUDY IN THE NATIVE RELIGIONS OF THE WESTERN CONTINENT(1882)
にての The Return of Quetzalcoatl CHAPTER III.にて
[ The latter part of the name, coatl, has in Aztec three entirely different meanings. It means a guest, also twins, and lastly, as a syncopated form of cohuatl, a serpent.。Quetzalcoatl]「後の部の名コアトルはアステカ人にとり、三つの意味を有しており、[客人]そして[双子ら]、最後に、cohuatlとの語と同義扱いされながらの[蛇]の意である」
と記載されていることにとどまらず、[オンライン上の目立つところの記述]として次のような指摘がなされているとのこともある。
(直下、英文Wikipedia[Coatl]項目の現行にての記載内容より抜粋するところとして)
[ Coatl ( also spelled cohuatl, couatl, or cuatl ) is a Nahuatl word meaning "serpent" or "twin". It is the name of one of the day-signs in the Aztec Calendar.](訳をなすとして)「cohuatl,couatl,あるいはcuatlとも綴られるコアトルcoatlは[蛇]ないし[双子]を意味するナワトル語となり、同語はアステカ暦にての日付供用サインの一つの名ともなっている」(Wikipediaよりの引用はここまでとする)。
 表記のこと、ケツァルコアトルの[コアトル]が双子との意味合いとなっているところと結びつくように当然に解されるところとして、 Project Gutenbergのサイトにて誰でもオンライン上より取得可能な20世紀前半に書かれた文書 The fundamental principles of Old and New World civilizations(1901年刊/19世紀後半から20世紀前半にかけての比較的専門家筋ではよく知られているらしい米国の女流考古学者の Zelia Nuttallゼリア・ヌッタルとの向きの手になる論稿)にあってはそのFootnotesの部の3と振られた箇所にあっては
(引用なすところとして)Besides the word coatl=twin, the Mexicans had another term to express some thing double, in pairs. A plant with two shoots was named xolotl. Double agave plants, or maize when occasionally met with, were regarded with superstition and named me・xolotl.]コアトルという語が双子との語となることに加えて、メキシコ人には何か一対となっている二つのものを指すものとしての他の語法があった。[二つの枝を持つ植物]は[ショロトル]と命名されていた。重弁の(あるいは八重咲きの、か)の竜舌蘭(リュウゼツラン)系の植物ら、しばしば、トウモロコシと同一視されるそれらは迷信にあってはメ・ショロトルと命名されている」(引用部訳はここまでとする)
との表記がなされてもいる。
 といった風にケツァル「コアトル」の[コアトル]が[双子]となること、また、そのコアトルと結びつくところで(ケツァルコアトルの冥界にての双子の片割れたる)[ショロトル]との語が引き合いに出される存在となっていることが専門家(アメリカ大陸を領分にしての考古学者)よりかなり前から指摘されており、そして、それを受けてかの現代にあっての一般化がなされているとのことがある)。


 続いて[ケツァルコアトルとショロトルの関係性]を想起させるようにメソポタミアの金星体現存在としての女神イナンナ(後のアッカド期にてはイシュタルと呼称)が冥界に[双子の片割れ]といった風に評される姉妹神エレシュキガルを持つと伝わっていることの出典を ――出典(Source)紹介の部61と同文のものとして―― 挙げることとする。

(直下、英文Wikipedia[Ereshkigal]項目よりの掻い摘まんでの抜粋として)

In Mesopotamian mythology, Ereshkigal was the goddess of Irkalla, the land of the dead or underworld. [ . . . ] Ereshkigal was the only one who could pass judgment and give laws in her kingdom. The main temple dedicated to her was located in Kutha. The goddess Ishtar refers to Ereshkigal as her older sister in the Sumerian hymn "The Descent of Inanna" (which was also in later Babylonian myth, also called " The Descent of Ishtar " ). Inanna/Ishtar's trip and return to the underworld is the most familiar of the myths concerning Ereshkigal.

「メソポタミア神話にあってエレシュキガルは地下世界にての死者の王国たるIrkallaの女神となっている。・・・(中略)・・・エレシュキガルは彼女の冥府の王国にて審判を下し、法を適用する権限を持った唯一の存在である。彼女を祭っての主たる神殿はKuthaの地にて存在していた。女神イシュタルはエレシュキガルをして[自身の姉である]とシュメールの讃歌、『イナンナの下降』にて言及している。[イナンナ・イシュタルの冥界への旅]とそこよりの復帰の話はエレシュキガルにまつわる最も膾炙(かいしゃ)されての神話となっている」

(訳を付しての引用部はここまでとしておく)

(※尚、上にてエレシュキガルがイシュタルの姉であると表記されているが、同エレシュキガルが金星体現存在イシュタル・イナンナの「双子としての」姉妹となっていると言及されることが目立ってあり(双子の姉と言及されるとのことが目立ってあり)、については、英文Wikipedia[Inanna]項目にての[ Interpretations of the Inanna descent myth([イナンナ下降神話の解説])との部位にて Additionally, the myth may be described as a union of Inanna with her own "dark side", her twin sister-self, Ereshkigal, as when she ascends it is with Ereshkigal's powers, while Inanna is in the underworld it is Ereshkigal who apparently takes on fertility powers, and the poem ends with a line in praise, not of Inanna, but of Ereshkigal.]「付け足せば、イナンナ冥界下降の)神話はイナンナと彼女のダーク・サイド、彼女の「双子の」姉妹エレシュキガルとの結合として叙述されてのものであるようにもとれ、イナンナが冥界にあっての折には(イナンナの属性たる)豊穣の力を明らかに帯びることになったのはエレシュキガルであり、イナンナが冥界より上昇した折にはエレシュキガルの力と共にあったとのことにもなり、シュメールの詩はイナンナではなくエレシュキガルに対する賛辞でもって終わっている」と記載されていることからでもオンライン上にて労せず、確認をなすことができるところである ――またもってして述べれば、本稿にての先立っての出典(Source)紹介の部61ではエレシュキガルがイシュタルのコピー、カウンター・パート( counterpart )であるとのことに言及している Project Gutenbergのサイトにて全文公開されているとの Encyclopaedia Britannica, 11th Edition, Volume 9, Slice 7(ブリタニカ百科事典第11版)にての[ERESHKIGAL]項目よりの掻い摘まんでの原文抜粋をもなしている―― )

 以上、金星体現存在としての神話伝承上の存在、イシュタルとケツァルコアトルの間に

[冥界に双子の兄弟(姉妹)を有する存在]

としての共通性が伴っているとのこと、指摘した。

 ここまでにて


・中米にて[ケツァルコアトル]という神格が崇められていたとのことがある。
 同ケツァアルコアトルは
[人類に文明を授けた羽毛の生えた蛇にして「金星の」体現存在]
との側面を持つ存在としてアステカ文明の成員らの元への帰還が待望されていたとの存在である。そして、同ケツァルコアトル、冥界に[双子の兄弟たる神ショロトル]を持つ存在であると語り継がれている。
 他面、古代メソポタミアの冥界下りをなしたイナンナ・イシュタルは[金星の体現存在としての神格]にして[冥界に双子の姉妹エレシュキガル]を持つ存在であると語り継がれている。
 従って、[ケツァルコアトル]と[イナンナ]は
[金星の体現存在にして冥界に双子の血族を持つ存在]
との際立っての側面を共有しているとのことがある。


とのことの論拠の再提示をなした。

(一連の繰り返し多く含めての典拠紹介部はここまでとする)


 さらに、


・ケツァルコアトルに関しては次のような観点で[悪魔の王サタンにも比定されるエデンの誘惑の蛇]と類似性を帯びている存在である。


[金星]と深くも結びつくルシファーことサタンが
人類にエデンで知恵の実(を食す機会)を与えた蛇
とキリスト教教義体系にて結びつけられる存在であるのに対して、(イナンナと結びつく素地ありの)ケツァルコアトルは
人類に文明を授けた羽毛の生えた蛇
とされている。
 また、そのケツァルコアトルがアステカの地に帰還すると予言なされていた年1519年に(それが果たして[予言通りの年]であったのか論が分かたれるところでもあるのだが)新大陸の征服事業の一環としてアステカに到達したスペイン人侵略者らをしてアステカ人がケツァルコアトルが帰還したと誤信、もって、スペインから持ち込まれた天然痘ウィルスによって現地人口の圧倒的縮減がなされる中でアステカが侵略されていったとのことが世界史上の一エピソードとして見受けられるとのこと「も」サタンとの類似性の絡みで問題になる。
 というのも、アステカが滅ぼされたのは16世紀頃であるが、それよりも遙か昔に成立したことになっている新約聖書の末尾にあってのヨハネの黙示録では[蛇たるサタンが衆をたばかり地獄に道連れにするとの筋立て]が採用され、また、同じくものヨハネの黙示録では獣と龍による破滅の前の先触れの段にて[黙示録の四騎士]と結びつく[戦乱・疫病]が地上の人間に苦しみをもたらすとの[設定]もが採用されており、そこからして[ケツァルコアトル信仰]と[聖書を基軸に見てのサタンありよう]の間の目立っての類似性の問題が当然に観念されるようになっているからである ――※[中米での歴史的出来事]([[金星の体現存在]にして[文明の恩人たる蛇]の帰還に「騙された」文明が[疫病と[戦乱]で滅亡を見たとの出来事])と[聖書の黙示録の筋立て]([[金星と結びつくルシファー]を別名としする[エデンの園で知恵を授けた蛇と同一視される存在]の望むべからざる来臨と同存在への「欺瞞に満ちた崇拝」のために文明が[疫病]と[戦乱]の内に絶滅を見るとの筋立て)])が[文献的事実]と[歴史的事実]の接近との観点での一致性を帯びているとのことがある―― 。


とのことの論拠だが、繰り返すには長すぎる、重複が多くもなりすぎると見たので疑わしきにあられては本稿にての
出典(Source)紹介の部53から出典(Source)紹介の部53(4)
をご覧いただきたい。
 もってして、上と同文のこと、すなわち、【エデンの誘惑者】について


[蛇であるという存在となっている](出典(Source)紹介の部54
[ある種の文明の促進者とでもいうべき存在となっている](出典(Source)紹介の部54(2)
[(ルシファーと見た場合に)金星と結びつく存在ともなる](出典(Source)紹介の部54(3)
[エデンの住人とその子孫の期待を裏切ることになった存在となっている](出典(Source)紹介の部54(4)


とのことが述べられるようになっていること、及び、【(欧州人から見ての)新大陸アメリカに存在していたアステカ文明にて信仰されていたケツァルコアトル】について


[羽毛を持った蛇との語感の名前の神となっている](出典(Source)紹介の部53(2)
[金星の体現存在となっている](出典(Source)紹介の部53(3)
[文明の恩人となっている](同出典(Source)紹介の部53(3)
[同神を崇拝していた地域の住民の期待を裏切ることになったとの神となっている](出典(Source)紹介の部53(4)


とのことらが述べられるようになっていること、ご理解いただけるはずである。

 以上をもって


・[[明けの明星=金星]が星天にて辿る経路を[堕天(冥界落ち)した悪魔の王]および[冥界下りの女神](イシュタル)の両者と結びつけて解説を試みる]との論調の申しようが「常識論の世界にて」存在しているとのことがある。

・(本稿にての出典(Source)紹介の部61で既に取り上げてきたところとして)中米にて[ケツァルコアトル]という神格が崇められていたとのことがある。
 同ケツァアルコアトルは
[人類に文明を授けた羽毛の生えた蛇にして「金星の」体現存在]
との側面を持つ存在としてアステカ文明の成員らの元への帰還が待望されていたとの存在である。そして、同ケツァルコアトル、冥界に[双子の兄弟たる神ショロトル]を持つ存在であると語り継がれている。
 他面、古代メソポタミアの冥界下りをなしたイナンナ・イシュタルは[金星の体現存在としての神格]にして[冥界に双子の姉妹エレシュキガル]を持つ存在であると語り継がれている。
 従って、[ケツァルコアトル]と[イナンナ]は
[金星の体現存在にして冥界に双子の血族を持つ存在]
との際立っての側面を共有しているとのことがある。

・ケツァルコアトルに関しては(既に先立っての段、本稿にての出典(Source)紹介の部53から出典(Source)紹介の部53(4)を包摂する段で述べていたところとして)次のような観点で[悪魔の王サタンにも比定されるエデンの誘惑の蛇]と類似性を帯びている存在である。


[金星]と深くも結びつくルシファーことサタンが
人類にエデンで知恵の実(を食す機会)を与えた蛇
とキリスト教教義体系にて結びつけられる存在であるのに対して、(イナンナと結びつく素地ありの)ケツァルコアトルは
人類に文明を授けた羽毛の生えた蛇
とされている。
 また、そのケツァルコアトルがアステカの地に帰還すると予言なされていた年1519年に(それが果たして[予言通りの年]であったのか論が分かたれるところでもあるのだが)新大陸の征服事業の一環としてアステカに到達したスペイン人侵略者らをしてアステカ人がケツァルコアトルが帰還したと誤信、もって、スペインから持ち込まれた天然痘ウィルスによって現地人口の圧倒的縮減がなされる中でアステカが侵略されていったとのことが世界史上の一エピソードとして見受けられるとのこと「も」サタンとの類似性の絡みで問題になる。
 というのも、アステカが滅ぼされたのは16世紀頃であるが、それよりも遙か昔に成立したことになっている新約聖書の末尾にあってのヨハネの黙示録では[蛇たるサタンが衆をたばかり地獄に道連れにするとの筋立て]が採用され、また、同じくものヨハネの黙示録では獣と龍による破滅の前の先触れの段にて[黙示録の四騎士]と結びつく[戦乱・疫病]が地上の人間に苦しみをもたらすとの[設定]もが採用されており、そこからして[ケツァルコアトル信仰]と[聖書を基軸に見てのサタンありよう]の間の目立っての類似性の問題が当然に観念されるようになっているからである ――※[中米での歴史的出来事]([[金星の体現存在]にして[文明の恩人たる蛇]の帰還に「騙された」文明が[疫病と[戦乱]で滅亡を見たとの出来事])と[聖書の黙示録の筋立て]([[金星と結びつくルシファー]を別名としする[エデンの園で知恵を授けた蛇と同一視される存在]の望むべからざる来臨と同存在への「欺瞞に満ちた崇拝」のために文明が[疫病]と[戦乱]の内に絶滅を見るとの筋立て)])が[文献的事実]と[歴史的事実]の接近との観点での一致性を帯びているとのことがある―― 。


とのことの再度の論拠紹介の部とした。

 さて、ここまでにて論拠を呈示しながら次のような関係性の環が「何の無理もなく」描けることの訴求に注力なしてきた。


イナンナ・イシュタル⇔(金星の体現存在/冥界に双子の神を持つ存在)⇔ケツァルコアトル

ケツァルコアトル⇔(金星の体現存在/文明の授け手/蛇と結びつく存在・期待を裏切って会衆に破滅をもたらす存在)⇔ルシファー・サタン

ルシファー・サタン⇔(冥界(地獄)下りの存在/金星の(軌道の)体現存在)⇔イナンナ・イシュタル(⇔ケツァルコアトル(回帰))


 以上のような関係性、[ルシファー]と[イナンナ]が(純・記号論的に)多重的に結びつくとのことにまつわっての「具象論に依拠しての」話をなした上で強調するが、さらに「別方向から」加えもしてのこととして、


[イナンナ・イシュタル]⇔[アフロディテと同一視される存在]

[アフロディテによる黄金の林檎を巡っての計略が奏功したパリスの審判]⇔(記号論的一致性が多重的に存在)⇔[エデンの園の誘惑]

[エデンの園の誘惑]⇔[ルシファー(サタン)による[失楽園]誘発のプロセスとする見方の通念化]


とのこと「も」が成り立つとの意味で多くのことが、あまりにも多くのことが接合してしまうとのことがある ―※― 。

※ここでは、(くどいとは承知の上にてであるが)、

[[シュメール神話・アッカド神話のイナンナ・イシュタル]が[ギリシャ・ローマ神話のアフロディテ・ヴィーナス]と同一視されるだけの所以(ゆえん)があること]

[(イナンナ・イシュタルと同一視される)アフロディテが関与しての黄金の林檎を巡っての籠絡(絶世の美女を取引の具にしての工作)のありようがエデンの園の誘惑プロセスと多重的類似性を呈していること]

の二点について振り返っての話をなしておく。

 まずもってして

[[シュメール神話・アッカド神話のイナンナ・イシュタル]が[ギリシャ・ローマ神話のアフロディテ・ヴィーナス]と同一視されるだけの所以(ゆえん)があること]

についてであるが、(出典(Source)紹介の部61(2)にても解説していたようなところとして)、次のように文献上の典拠が見出せるようになっている。

(直下、ヘブライ語文献学にあっての学究として前世紀に令名を馳せていたとのスタンリー・アーサー・クックという学究の手になる著作、 Project Gutenbergのサイトにて全文ダウンロード可能であるとの THE RELIGION OF ANCIENT PALESTINE (1908)にての CHAPTER VII THE PANTHEONよりの「再度の」原文引用をなすとして)

The phonetic equivalent of Ishtar in old Arabia was a god ( so perhaps also in Moab, ninth century ), and Ishtar herself appears in Assyria with a beard and is likened to the god Ashur, thus finding a later parallel in the bearded Aphrodite ( Astarte, Venus ) of Cyprus.

(拙訳として)
「古代アラビア界隈(メソポタミア)にてのイシュタル、その発音に即しての同等物はモアブ地方の前9世紀にての神となり、同イシュタルはアッシリアにてあごひげをたくわえた姿でアッシュール神と結びつくかたちで現われもし、そうして、[あごひげをたくわえたキュプロスのアフロディテ](アスタルテないしヴィーナス)との相似形を後に見出せることなった存在でもある

(引用部に対する訳はここまでとする)

 上にての専門の学者解説よりの引用にてお分かりいただけようかと思うが、[イシュタル(イナンナ同等物)]と[アフロディテ(ヴィーナス同等物)]は歴年、学者らによって同一視されるべき存在であるとの見方が提示されてきた女神らとなっている ――※(これまた本稿の先にての出典(Source)紹介の部61(2)の内容を繰り返しての話とはなるが)古代宗教に詳しき向き・見巧者にあってはイシュタルといった女神に関しての話となると[巫娼]、すなわち、[聖域で春をひさぐことを強いられての神殿娼婦ら]にまつわる淫風と結びつく妖しく淫らな女神という印象を強くも受けることもあるかとは思われるのだが、さらに事情に詳しき専門家の類にはイシュタルやアフロディテはバイ・セクシャル的なる存在とも見られているようなのである。直上にての引用部に見るように[あごひげをたくわえたイシュタル]や[あごひげをたくわえたアルロディテ]の像が存在していることがその理由となる(につき、ギリシャ・アフロディテの同等物たるローマ・ヴィーナスに関わるところとして英文Wikipedia[ Venus Barbata ]項目にあって[ Venus Barbata ('Bearded Venus') was a surname of the goddess Venus among the Romans. Macrobius also mentions a statue of Venus in Cyprus, representing the goddess with a beard, in female attire, but resembling in her whole figure that of a man (see also Aphroditos).]「あごひげを生やしたヴィーナスを意味する Venus Barbataはローマ人の間にてのヴィーナスの名となっている。マクロビウス(訳注:ローマのサトゥルナリア祭に材をとった作品を遺していることで知られる5世紀初期に生きた文人)が言及しているところとして[キュプロス島にてのヴィーナス](訳注:直前にてそこよりの引用をなした THE RELIGION OF ANCIENT PALESTINE (1908)で言及されている存在)はあごひげをもった女神としての姿を呈しており、女の服装なしている中で全体として男としての似姿を呈していたとされる」(引用部はここまでとしておく))―― 。
 とにかくも諸種背景があってであろう、一般論として[イシュタル(イナンナ)とアフロディテ(ヴィーナス)は同一の由来に帰着する存在である]と見られている(アフロディテにまつわる英文Wikipedia[Aphrodite]項目にて[ In native Greek tradition, the planet had two names, Hesperos as the evening star and Eosphoros as the morning star. The Greeks adopted the identification of the morning and the evening stars, as well as its identification as Ishtar/Aphrodite, during the 4th century BC, along with other items of Babylonian astrology, such as the zodiac (Eudoxus of Cnidus).]「ギリシャにあっての本来の伝統にあってはその星(金星のこと)は二つの名を持っていた、すなわち、宵の明星としてのHesperosと明けの明星としてのEosphorosである。ギリシャ人らは紀元前4世紀のバビロニア占星術、たとえば、エウドクソスの黄道十二宮概念のようなものらの他事項を傍目にイシュタル(バビロニアの女神)/アフロディテに対するのと同様に明けの明星と宵の明星の意味付けをなした」(再度の引用部はここまでとする)と表記されているように、である)

(ここまでを[イナンナ(イシュタル)とアフロディテ(ヴィーナス)の一致性]にまつわるところとして振り返っての話とする)

また、

[(イナンナ・イシュタルと同一視される)アフロディテが関与しての黄金の林檎を巡っての籠絡(絶世の美女を取引の具にしての工作)のありようがエデンの園の誘惑プロセスと多重的類似性を呈していること]

については下のようなかたちで振り返り表記をなしておく。


([パリスの審判]というものが古の都市トロイアの崩壊の原因となっていること、そして、そちら[パリスの審判]の中身が最高の美神の証とされるに至っていた[黄金の林檎]を巡っての女神らの諍い(一種の神々の美人コンテスト)に審判役としてかかづらわされることになったパリス(トロイア皇子)が[絶世の美女](ギリシャ有力諸侯の人妻ヘレン)を得ることを条件に女神らの一柱、アフロディテに[黄金の林檎]を渡して同女神を最高の美神と認定することとした]とのものであった ―出典(Source)紹介の部39にて事細かに出典紹介挙げながら解説しているようにそうしたものであった― とのことを前提に、以下、従前の内容を振り返るとして)

1.
トロイアは黄金の林檎]が[取引の具]にされてのパリスの審判が原因になって崩壊することとなった。他面、エデンではときに林檎と定置されての禁断の果実]が[取引の具]にされて人間が堕落を見る、キリスト教ドグマに見る[原罪]を負うことになった。につき、双方、[林檎との特質を具備したものに起因する悲劇的・破滅的結末]とのことで共通性がみとめられる(聖書それ自体にはエデンにて用いられたフォゥビドゥン・フルーツ、そちらが林檎であると明言しての言及はなされていないわけであるも、古典内記述を含めてそれがいかように林檎と欧州にて定置されてきたのかも本稿では仔細に典拠紹介している)

2.
パリスの審判の黄金の林檎を巡っての誘惑のプロセスは女難]を[誘惑された者]に与えたものとなる(トロイア皇子パリスは黄金の林檎を巡る争いにあって審判役として任じられた折に絶世の美女、ファム・ファタールと表されもするヘレン獲得を取引の具に持ち出され、彼がその取引に応じたために、結果的にヘレンの夫およびその兄アガメムノンの召集に応じてのギリシャ連合軍のトロイア遠征がはじまることになる)。 他面、エデンの園の誘惑も[女難]を[誘惑された者]に与えたものとなる。蛇がアダムの妻のイヴの方から先だって籠絡し、梃子(てこ)に使われたとの格好でファム・ファタールとも評される女、イヴの誘いに応じてアダムの方も知恵の樹の実を食して結果的にアダム・イヴ双方共々楽園追放の憂き目に遭うことになったとの[設定]が採用されているわけである。

3.
黄金の林檎を巡っての誘惑のプロセス(トロイア崩壊につながったパリスの審判にて表出を見た誘惑のプロセス)は惑星の金星の体現神格]としてのアフロディテ(ローマ神話におけるヴィーナス)によってもたらされたとのものとなっている。他面、エデンの誘惑の果実を用いた蛇の正体が[サタン]本体であるとする見解(旧約聖書にはその旨、明言されていないが、欧州にて歴年呈されてきたし、ミルトン『失楽園』にその最たるところが見出されるとの見解)を容れるとサタンという存在が別名ルシファーとなっているとのこと、また、ルシファーという名称が[明けの明星]としての金星と密接に結びついていることより、エデンの誘惑のプロセスも(パリスの審判同様)[金星の体現存在]によってもたらされたものとなっていると述べられる。

4.
(パリスの審判それ自体を巡る話から多少離れるも、のところとして)黄金の林檎はヘラクレス第11功業にて登場を見るものでもある。そちらヘラクレス第11功業にて黄金の林檎を管掌しているとされるのはヘスペリデスという存在だが、彼女達はその係累の問題も含めて[宵の明星]としての金星と強くも結びつくとされる存在である(金星と結びつく存在が管掌をなしているとの林檎)。他面、エデンで[林檎]と定置されるもする禁断の果実を誘惑の具とした蛇はそれをサタンの体現存在と見ると、サタン⇒ルシファー⇒明けの明星⇒金星との観点で金星と結びつくことになる(直上の3.の繰り返し)。黄金の林檎を巡るやりとりでパリスにヘレンの提供を提案したアフロディテが金星と強くも結びつく神格であることを脇に置いたうえでも、黄金の林檎は(ヘスペリデスという存在を介し「も」して)金星と結びつく素地があり、その伝でルシファー(明けの明星⇒金星)が用いたともされるエデンの禁断の果実と接合するものでもある。

5.
(パリスの審判それ自体を巡る話から多少離れるも、のところとして)ヘラクレス11功業では黄金の林檎を守護する怪物として[100の頭を持つ爬虫類]としてのラドンという存在竜とされるが、ギリシャ神話の竜は半ば蛇のようなものでもあると本稿の先の段で細かくも解説している存在が配されているとの伝承の伝わりようがなされているが、エデンの誘惑も爬虫類、の中の、蛇とつながっている

6.
黄金の林檎の園]は実際に欧州学究や芸術家によって[エデンの園]に仮託されてきたものともなっている(ルネサンス期画家ルーカス・クラナッハ・ジ・エルダーの画に見る視覚的ありようや近代の権威筋の学究たるアレクサンダー・ムーレイのその著作での申しようを引きあいに出しての本稿にての出典(Source)紹介の部51の内容を参照のこと)。一致性にまつわる申しようとしては[黄金の林檎の園]も[エデンの園]も双方共に[不死とつながる食物が(林檎と関わるようなかたちで)存在する場][失われた理想郷としての場]であるとのことが引き合いに出されたりもしているが、(以上の1.から5.の関係性を念頭に置いても)、そうした受け取り方には無理がないと解されもするところである。


 以上のようなかたちで

[(イナンナ・イシュタルと同一視される)アフロディテが関与しての黄金の林檎を巡っての籠絡(女を取引の具にしての工作)のありようがエデンの園の誘惑プロセスと多重的類似性を呈している]

とのことが摘示できるわけだが、同じくもの話については次の[図解部](こちらも従前内容を振り返ってのものとなる)にてあらためて摘示するようなこと「も」が補強材料として挙げられるところとなっている。


(図解部)

 先行する段ではイナンナ・ケツァルコアトル・ルシファーの間にあっての関係性の環を摘示してきた。簡略表記すると次のように図示できるとのかたちにて、である。

 さて、本稿にての出典(Source)紹介の部52ではフランシス・ベーコンという歴史上の人物(フランシス・ベーコンは同じくもの出典紹介部出典(Source)紹介の部52にて評価のなされようも紹介しているように世界史上、極めて有名な英国の思想家にして文明のプロモーターとされる人物となる)がアメリカ大陸をして

[アトランティス](ニュー・アトランティスに対する大アトランティス)

である、そのようにその著作『ニュー・アトランティス』で定義しているとのことを同著作『ニュー・アトランティス』そのものからの長くもの原文引用をなしつつ示しもしていた。

(ベーコン著書『ニュー・アトランティス』表紙)

 フランシス・ベーコンがアメリカ大陸をして[アトランティス]と定置していたのは(出典(Source)紹介の部36にてプラトン古典『ティマイオス』の書かれようを原文引用なしつつ呈示しているように)アトランティスが

[[ヘラクレスの柱](ジブラルタル海峡/地中海と大西洋を分かつ海峡)の先に控える、リビュアとアジアを合わせたよりも大きな島([ there was an island situated in front of the straits which are by you called the Pillars of Heracles; the island was larger than Libya and Asia put together])]

と伝わっている、そこから、欧州人に新大陸などと呼び慣わされていたアメリカ大陸がアトランティスに対する定義付けとある程度合致していることも影響しているように当然に受け取れるようになっている(そうもした解釈が成り立つ中で下にて呈示の Gilles Robert de Vaugondyとの18世紀作成の地図にてもアメリカ大陸がアトランティスとのかたちで形容されている)。

 以上のようにプラトン古典に見る地理関係上の問題もあってアメリカと同一視されるところがあったのであろうと単純には想起されもするアトランティスについては

[黄金の林檎の園と同一物]

であると述べられるような存在「とも」なっていた。

 というのも、

「「巨人アトラスの娘らが[アトランティス]とも呼称される中で」(アトラスの娘らは複数形ではAtlantides、単数形ではAtlantisと呼称される存在であるとされる ―出典(Source)紹介の部40― )、アトランティスら、[巨人アトラスの一群の娘]らの中に黄金の林檎を管掌するとの娘らヘスペリデスが含まれていること、彼女らヘスペリデスの[黄金の林檎の果樹園]が(欧州人から見ての西の彼方とも言うべきアメリカのことを想起させるように)大洋の彼方にあったと伝わっていることからアメリカとアトランティス(アトラスの娘ら⇔アトランティス⇔古の陸塊)との想起がなされるようなところがあった

のである(例示を出典(Source)紹介の部41にてなしている)。

 そして、アトランティスと同一視されもしていた[黄金の林檎の園]に関しては[エデンの園]と同一となっているとの申しようがしばしば欧州識者層によってなされてきた(出典(Source)紹介の部51)。ひとつにそのことにはエデンの園が[不死に関わる(失われた)楽園と伝わっている][禁断の果実が林檎と結びつけられてきた]といった事情があると考えられる中で、である。
 同じくものこと、アトランティスが[黄金の林檎の園]と結びつき、またもってして、[エデンの園]とも結びつきもするとのことについては[トロイア崩壊伝承]とも接合するところであるとして、下の通りの図解などを従前講じてきたところとなる。

 以上のようなこと ―[アメリカとしてのアトランティス]と[黄金の林檎の園]および[エデンの園]の接合― をここまで同存在にまつわる関係性について摘示に努めてきた[ケツァルコアトル](コロンブス、そして、スペイン勢力到達前、歴年、アメリカ大陸にて崇められてきた蛇の神)のことまで複合顧慮のうえで見ると次の関係図に見るが如きことが摘示できるようになって「も」いることになる。

 訴求したきところはお分かりのことか、とは思う。(ひとつひとつの関連性は薄いものでも複数関係性がひとところに結線しすぎるとの意で問題になるとの)[意味的連結の多重性の問題]として[黄金の林檎]と[エデンの林檎]と[ルシファー]で話がつながりすぎるとのことを問題視しているのである。

(図解部はここまでとしておく)


 以上でもって

[[シュメール神話・アッカド神話のイナンナ・イシュタル]が[ギリシャ・ローマ神話のアフロディテ・ヴィーナス]と同一視されるだけの所以(ゆえん)があること]

[(イナンナ・イシュタルと同一視される)アフロディテが関与しての黄金の林檎を巡っての籠絡(絶世の美女を取引の具にしての工作)のありようがエデンの園の誘惑プロセスと多重的類似性を呈していること]

の二点について振り返っての話を終えることとする。

 さて、ここまででもってして

「何故、ルシファーとイナンナ・イシュタルの関係性が尋常一様ならざる関係性の環を描いているのか」

の指摘を(本稿の従前内容を[整理]するとのかたちで)なしてきたわけだが、同じくもの話の流れに加えて、

[イナンナ・イシュタルとペルセポネの多重的関係性]

をも複合顧慮するとよりもって尋常一様ならざる関係性の[環]の存在が眼前に立ち現れてくる、しかも、ブラックホール(の類似物)具現化にまつわるところでそうもなっているとのことがある。

 以降、同じくものことについて ―不快でならないとの話ではあるが― 万事万端遺漏無くにもの詳解を講じていくことにする。

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直下、本稿冒頭部へのリンクを設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上掲なしているのは19世紀後半から20世紀前半にかけて活動の著名な挿絵家アーサー・ラッカムが英訳・再刊行されたワーグナーの原作歌劇 Der Ring des Nibelungen『ニーベルングの指環』 (英文通用化タイトルとしては[指輪]一語の The Ringとも呼称される歌劇) の書籍化バージョンに提供しもしていた挿絵を挙げたもの、より具体的には挿絵家ラッカムが『ニーベルングの指環』序盤部をなすパート、 Das Rheingold『ラインの黄金』のために作成・提供していたとの画を挙げたものとなる (ただ当媒体では同画に多少の演出を施している) 。

 さてもってして、挿絵に見る女、というより、人ならざるところの[女神]はイドゥン(Idunn)という存在を(音楽界の巨匠と認知されている)『ニーベルングの指環』作曲者リヒャルト・ワグナーがフライヤ(Freia)との名前で焼き直しなし、登場させているとの存在なのではあるが、イドゥンにせよ、Wagnerが登場させた(画に見る)フライヤにせよ、北欧神話における不死の果実であるところの【黄金の林檎】と紐付けられた存在となっている(彼女ら女神達は【黄金の林檎の管掌者】となる)。 
 そうもした黄金の林檎と紐付いての彼女ら(イドゥン/フライヤ)は、いわば、神々に瑞々(みずみず)しき【不死】を(若さ約するとの)【黄金の林檎】を介して供給しているとの設定の女神となりもし、そして、彼女らの管掌する【黄金の林檎】が北欧神話多神教の神々に最早若さを与えなくなったとのその時点が【終末のはじまり】であると描写されてきたとのことがある (:【終わりの始まり】が黄金の林檎にて供給される若さの喪失と結びついていると描写されるのはワグナー歌劇にせよ、北欧神話それ自体も同文のこととなる ――ワグナー歌劇では序盤より【黄金の林檎(とフライヤ)の担保する若さの維持】が【無限の力を蔵する指輪の保持】と一時的に秤量されるのだが、結局、【黄金の林檎】と比較された指輪を欲する強欲な心(による人界の操作)が世界の終末に繋がると描写される。他面、ワグナー歌劇より遙か前から存在していた北欧神話では(それを収めたエッダ詩の訳書を借りるなどしてもよかろうしウィキペディアの[イズン]関連項目などをご覧戴くのでもよかろうが、易くも確認できようところとして)神々の最終決戦であるところのラグナロクとされる終末局面にあって黄金の林檎によって担保されていた不老は停滞を見、老化が始まると描写される―― )。

 ここからが問題なのだが、本段、脇に逸れての訴求部にあってまわりくどくもの口上にて上の如きことを引き合いに出しているのは本稿にあって【次のこと】らを【黄金の林檎】との兼ね合いで(具体的根拠と共に)訴求している ―(画に見るイドゥン・フライヤにも関わるところとして訴求している)― からである。

黄金の林檎 ―それは北欧神話から離れてのギリシャ神話ではトロイア戦争の原因、すなわち、城塞トロイアの崩壊の元凶でもある(本稿の前半部にあって古典よりの原文引用でもってして典拠紹介のこととなる)― が【人間の終末】に関わるとの指摘がなせるようになって「しまっている」、しかも、それ(黄金の林檎)がブラックホール生成との兼ね合いで古今東西にまたがっての文物を介して【人間の終末】に関わるとの指摘が濃厚になせるようになって「しまっている」とのことが現実にある (:現況現在執り行なわれているLHC実験にあって「科学の進歩に資する」とされてのブラックホール生成可能性と紐付けられてきたディテクター(検出器)の名前が【黄金の林檎】の在処を識る巨人アトラスの名を冠する ATLAS Detectorとなっているとのことが確とある一方で黄金の林檎と接合するエデンの禁断の果実を用いての誘惑者の著名古典に見る描写が(それ自体、奇怪奇矯なることなのではあるも)今日的な視点で見た場合のブラックホールの近似的描写と紐付いている、そうしたことがそれこそ山となり、それら山とあることらが相互に多重的に接合しているとのこともが「ある」)。

・上掲図の元となっているワグナー歌劇『ニーベルングの指環』は【黄金の林檎】(を管掌する女神)と【無限の富(力)を約する指環】の取引が序章の部より描かれているのだが、(黄金の林檎を管掌する女神と秤量されての)【指環】の取得に固執した者らが強欲さゆえに次々と滅亡していくさまが同歌劇では描かれる(:その一番はじめの描写は『ニーベルングの指環』前半部にあっての【黄金の林檎】管掌者たるフライヤを略取、彼女フライヤを【指輪】との取引の具とした巨人ファーフナーとファーゾルドの兄弟が殺し合いをはじめるとの部となる)。 そのことは現実世界で「黄金の林檎と接合している」とのかたちとなっている巨大なリング状の装置、加速器ラージ・ハドロン・コライダーが【指輪;リング】に仮託される風が一部ある (『ニーベルングの指環』の影響下にあるJ.R.R.トールキン原作のロード・オブ・ザ・リング『指輪物語』に登場の冥王に由来する指環と結びつけられるなど加速器LHCが【指輪】に仮託される風が実験関係者含めて見受けられる) とのことと平仄が合うにも程があろうとの筋合いのことともなる (:ただ現況もってして、同じくものことを問題視する人間はまったくいない(心ある向きには是非とも確認いただきたいところなのだが検索エンジンで英文単語を何語か入れて当たりをつけんとしてみても【リングと黄金の林檎の結びつき】を加速器との関係で目立って問題視するような向きはこの世界にはいない))。

・上にて先述のように【ギリシャ神話におけるトロイア崩壊の元凶】「でも」あるとのゴールデン・アップルがそれ(黄金の林檎)に関連する事物ら(巨人ATLAS「など」)を介してブラックホール生成をなす可能性があるとの加速器 ―巨大な【リング】でもある― と結びつくとして、である。 現在にあって巨大加速器実験を実施している「研究」機関ら、および、そちら「研究」機関らに携わっていた初期の紐帯がどうやって世に生み出されたのかもがワーグナーの『ニーベルングの指輪』に通ずる側面がある。 どういうことか。 現況、加速器実験を執り行なっている主たる研究機関ら(それら研究機関らは、と同時に、ブラックホール生成可能性に伴うリスクとの観点で中途半端に海外で法廷に引きづり出された研究機関ら「でも」ある) はその沿革上、
【マンハッタン計画の子供ら】
となっているとのことがある ―同じくものことは長大な本稿本文の部にあって(入念を心掛けての)指し示しの対象としていることでもある― のであるが (:またもってして核分裂の過程に通ずる原子核人為破壊を兵器転用なそうとしたとのマンハッタン計画にあっての挙、そちら核兵器を製造するプロセスと加速器実験にての原子核人為破壊のプロセスは同一方向のベクトルを指している ―無論にして同じくものことの典拠をも本稿本論部で入念に挙げている― )、 マンハッタン計画と今日の加速器実験(におけるブラックホール生成に通ずる挙)の縁(えにし)の深さはそれ以外にも濃厚に認められるとのことがある(たとえば円形加速器という装置をそもそも生み出した者達がマンハッタン計画の主導者となっていたとのことがある等々)。
 そうもした(加速器実験運営機関を生み出した)マンハッタン計画始動の原因になっているユダヤ系の迫害の挙に出たナチスのやりよう・躍進・劫略のプロセスはワグナー歌劇『ニーベルングの指環』と濃密に結びついているとのことがある(『指環物語』作者ワグナーがユダヤ系の向きらにあって反芸術・野蛮の象徴である忌避すべき象徴とされてきたのはナチス第三帝国およびその領袖ヒトラーが反ユダヤ主義を大っぴらに喧伝していたリヒャルト・ワーグナーを最大限重要視していたとの歴史的事実があるからであり、たとえば、ナチスの実行してきた非道なる命令体系、占領統治下の反体制派・レジスタンスを夜陰に乗じて密やかに処分することを目しての行政命令であるところのナハト・ウント・ネーベル( Nacht und Nebel )、【夜と霧】行政命令 ―日本では Man's Search for Meaningとの原題を有した心理学者ヴィクトル・フランクルの書籍の「邦題」として識られている語でもある【夜と霧】(収容所が絶滅収容所へと変遷していく画期を象徴する語であるとも認識されている)― などはワグナーの『ニーベルングの指環』に由来しているとのものとなる ――※ウィキペディア[夜と霧]項目などにおいても簡明な解説がなされてはいることだが(であるから疑わしきはその程度の媒体からでも確認いただけるであろう)、ナチスドイツが欧州にて反対派を掃討するための共通規則とした【夜と霧】命令はヒトラーが愛聴していた、そして、ナチス体制下の国家芸術の象徴として扱われていたリヒャルト・ワグナーの『ニーベルングの指輪』、その『ラインの黄金』にあっての一幕(の中の[ニーブルヘルム]の下り)にて侏儒(ドワーフ)のアルベリヒが隠れ頭巾を用いて姿を消す際に口にする台詞、「夜と霧になれ、誰の目にも映らないように.」に由来しているとのことが知られている(にまつわって述べておけば、【夜と霧の呪文】を唱えたドワーフ・アルベリヒは強欲さの象徴でもあり、絶大な力をもたらす【呪いの指環】そのものを生み出した存在でもあるとワグナー歌劇では設定付けがなされているキャラクターである)―― 。

 以上のことはそれだけを読まれる限りは何が問題になるのか判じがたいとのこととなろうかとは(当然に)思うのであるが(理解を阻む詰め込み過ぎの風もあったかと脳裏をよぎりもしている)、同じくものことにまつわっての指し示しを細々となしもしている、また、そこからさらにもってして何が述べられるのかの指摘を委細を尽くしてなしているとの本稿本論部をご検討いただければ、【ことの重篤さ】 ―重篤さというのは【執拗さ】の問題として何が企図されているのかに通じもしていることである― についてご理解いただけるか、と考えている。

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

各頁および各典拠への一覧方式遷移部へは以下より


問題となる[「予見的」言及→実現]の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

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ここ本頁内の記述内容を支える【「容易に後追い確認なる」「堅い」ソースを呈示しての出典紹介部ら】への[遷移経路]を下に設けておく典拠について疑わしいとの部があれば、必要に応じて参照されたい (:クリックすることでブラウザ ―インターネット閲覧ソフト― の[別タブ(別枠)]にて典拠紹介部を表示( open "additional" tabbed window(s) of web browsers

[出典(Source)紹介の部41]トロイアとアトランティスの関係にまつわっての出典紹介部の一例[トロイア崩壊の原因たる黄金の林檎が実るヘスペリデスの黄金の林檎の園]が何故、[アトランティス]と結びつくのかについての出典紹介の部41)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第37頁 アトランティスを巡るドネリーの主張について

[出典(Source)紹介の部48]トロイア崩壊に繋がった黄金の林檎を巡っての誘惑とエデンの園での誘惑が多層的多重的に共通要素を帯びているとのことの出典紹介部の一例として黄金の林檎を巡っての誘惑者エデンの園にあっての誘惑者[惑星ヴィーナス(金星)]の体現存在としての顔を有しているとのことについての出典紹介の部48)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第41頁 エデンの誘惑と黄金の林檎 ルシファーとアフロディテ

[出典(Source)紹介の部51]トロイア崩壊に繋がった黄金の林檎を巡っての誘惑とエデンの園での誘惑が多層的多重的に共通要素を帯びているとのことの出典紹介部の一例として黄金の林檎の果樹園エデンの園は実際に歴史的に相通ずるものと見られてきたとのことについての出典紹介の部51)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第42頁 エデンの誘惑と黄金の林檎を巡っての誘惑の接続性

[出典(Source)紹介の部52](アメリカ大陸をもってしてアトランティスと定置しているとのフランシス・ベーコン著作『ニュー・アトランティス』の内容を細かくも紹介しての出典紹介の部52)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第44頁 アトランティスと蛇崇拝の先コロンブス期アメリカ

[出典(Source)紹介の部54(4)](ケツァルコアトル再臨類似のプロセスにあって現出した裏切りと同文の結果をもたらした等等、エデンの誘惑の蛇に比定されもするサタン・ルシファーの特質について解説しての出典紹介部54(4)以降の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第44頁 アトランティスと蛇崇拝の先コロンブス期アメリカ[2]

[出典(Source)紹介の部55](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第46頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写

[出典(Source)紹介の部55(3)](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55(3))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第47頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写[2]

[出典(Source)紹介の部90](ダンテ『地獄篇』がいかようにして[ヘラレクレス12功業]と接続性を呈しているのかについての出典紹介部90以降の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第99頁 ダンテ『地獄篇』に見る地獄降下、そして、ブラックホール

[出典(Source)紹介の部97](冥界の女王ペルセポネとシュメ―ル・アッカドの女神イナンナ・イシュタルの間に横たわる一致性について典拠紹介なしての典拠紹介部97の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第111頁 ラテン語[明けの明星;ルシファー]に通ずる多重的関係性