冥界の女神ペルセポネを軸として成立している多層的関係性にまつわって問題となりもすること 補説3
本稿では直前の段まで
「何故、ルシファーとイナンナ・イシュタルの関係性が尋常一様ならざる関係性の環を描いているのか」
とのことについての指摘を(本稿のよりもって従前の内容を[整理]するとのかたちで)なしてきたわけだが、前頁では同じくもの話の流れに加えて、
[イナンナ・イシュタルとペルセポネの多重的関係性]
をも複合顧慮するとよりもって尋常一様ならざる関係性の[環]の存在が眼前に立ち現れてくる、しかも、ブラックホール(の類似物)具現化にまつわるところでそうもなっているとのことがある、と申し述べた。
以上、極々端的に振り返りもしての流れに則りここ本稿ではペルセポネを巡る多重的関係性のことを問題視することから話をはじめる。
さて、ここで(くどくも、の)振り返り表記をなしておくが、(指し示し要素選択以外に主観の問題は介在しないところとして)、[イナンナ・イシュタルとペルセポネの間]には次のような関係性が成立していることを本稿では既に呈示している。
[ペルセポネもイナンナ・イシュタルも冥界下りをなした女神である](出典(Source)紹介の部91、出典(Source)紹介の部97)
[古代中近東のドゥムジ神とその質的同等物タンムズ神は「冥界下りをなした」イナンナ・イシュタルの愛人としての神である。他面、ドゥムジ・タンムズと起源を同一とすると指摘されているアドニス、植物の死と再生のサイクルを体現しての同神はペルセポネの愛人としての神である。ゆえにイナンナ・イシュタルとペルセポネは双方質的同一存在を愛人としていることになる(さらに述べれば、彼女らのその愛人は女神らのやりように応じて非業の死を遂げてもいる)](出典(Source)紹介の部97)
[アフロディテ ―アドニス神をペルセポネと「共に」愛人としていた神― はイナンナ・イシュタル ―アドニス同等物とされるドゥムジ・タンムズ神を愛人としていた存在― と金星の体現神格にして愛の女神としての側面から結びついているとの申されようが学者らによってなされてきた存在である。そして、アドニスをペルセポネと「共に」愛人を共有していたと伝わる同アフロディテ(ヴィーナス)については[ペルセポネら複数女神の一なる相としての女神]と看做されての申されようを古代人になされていた存在である](出典(Source)紹介の部94(6)の内容を振り返っての出典(Source)紹介の部97)
以上、振り返りもして表記のことらから、
[ルシファー⇔(多重的関係性の成立)⇔イナンナ・イシュタル]
とのことが指摘できるとしたうえでのこととして、
[イナンナ・イシュタル⇔(質的同質性の問題が介在)⇔ペルセポネ]
とのことをも複合顧慮すべきであると述べたいのだが、については、
[全くの別方向、他の側面にあってよりペルセポネとルシファーとの間に[奇怪なる接合性]が見出せるようになっている]
とのことを本稿筆者は非常に重んじている。
その点、ペルセポネとルシファーにあっての[奇怪なる接合性]については
[ペルセポネの[ペルセポネと同一視される女神ヘカテ]を介してのケルベロス ―黄金の林檎取得がヘラクレスの第11番目の功業の目標であったのに対してその捕縛および地上引きづり出しがヘラクレスの第12番目の功業の目標となっているとの三面の地獄の犬― との連続性](典拠:出典(Source)紹介の部94(3)から出典(Source)紹介の部94(7)を包摂する解説部)
[ダンテ『地獄篇』とヘラクレス12功業の多重的接合性、の中で、自然(じねん)として想起させられるようになっている三面構造のケルベロスとダンテ『地獄篇』の三面構造のルシファーとの接続性](典拠:出典(Source)紹介の部90から出典(Source)紹介の部90(10)]を包摂する解説部)
でもってそちら両者の接合性が観念されるところとなっている(端的に表せば、のこととして)。
そして、そちら一致性については ―詳述をなすための図解部を下に設けるが― [ブラックホールを巡る問題]もが関わってくるがゆえに奇怪性が問題となるとのことがある。
(上のことにまつわる[復習][整理]を兼ねての「長くもなっての」図解部を設けるとして)
上掲図らは
[ペルセポネ]
[ヘカテ]
[ダンテ『地獄篇』に登場を見ているルチフェロ]
の関係性について端的に、他にも山と存在し本稿で既に指し示してきた関係性を全て脇に置いて端的に訴求しようと挙げたものとなるが、 そこに見る
[[ケルベロスと結びつくヘカテ][ケルベロスと「文脈上」結びつくようになっている『地獄篇』登場のルチフェロ]ら双方との関係性が問題になるペルセポネ]
については
[ケルベロス捕縛が目標となるヘラクレス12番目の功業]
のみならず
[黄金の林檎取得が目標となるヘラクレス11番目の功業](本稿で詳述してきたことに深くも通じているとの神話伝承上のエピソード)
にも接合する存在となっている。その点にまつわる関係図として先に挙げたところの図も下に再掲しておくこととする。
また、ペルセポネについていかような関係性のパスが絵が描けるか、さらに下にてまとめての呈示をなしておく(尚、以下呈示の関係性にあっての[媒介項]らについてはすべてここに至るまで典拠紹介部を設けてそれら概要について解説したものとなる)。
[ペルセポネPersephone] ⇔ (媒介項Medium:[冥界降下 descent to the underworldをなした女神]/[双方が愛人としている神TammuzおよびAdonisの伝わるところの同一性]) ⇔ イナンナ・イシュタル Inanna/Ishtar
イナンナ・イシュタルInanna/Ishtar ⇔ (媒介項Medium:[金星を神格化した存在( divine personification of planet Venus )としての特性]/[冥界に双子の片割れエレシュキガルEreshkigalおよびショロトルXolotlを持つとの共通性]) ⇔ ケツァルコアトルQuetzalcoatl ⇔ (媒介項Medium:[蛇と結びつく【文明の接受者】 ― promoters of civilizations related with serpent― としての特性]/[金星 Planet Venusと結びつくとの特性]/[期待を裏切るとのかたちで災厄をもたらした蛇としての共通性 ― betrayal and disaster( the fall of Aztec civilization and " Quetzalcoatl like conquistadors" & [ the fall of man and betrayal and disater caused by old serpent seen in "Revelation"] )― ]/[アメリカ大陸 American Continent→アトランティスAtlantisとの見立てが存在し(e.g. Francis Bacon's Great Atlantis)、また、アトランティスAtlantis→黄金の林檎の園 Garden of Hesperides(Atlantides)→エデンの林檎の園 Garden of Edenとの見立てが存在するとの背景]) ⇔ サタンSatan(ダンテ『地獄篇』 Dante's Infernoに登場するルチフェロLucifero)
サタン(ダンテ『地獄篇』に登場するルチフェロLucifero) ⇔ (媒介項Medium:ダンテ『地獄篇』Infernoに見るケルベロス捕縛で終結するヘラクレスの計12の功業の後半部との際立っての近接性( continuity between Dante's Inferno and 12 labours of Hercules )、そして、その近接性を介してのダンテ『地獄篇』に登場する三面のルシファーと三面のケルベロスの接合性) ⇔ ケルベロスCerberus
(さらに以下、ケルベロスCerberusを介しての関係性がいかように多重的にペルセポネPersephoneに回帰するかの複数パタンを羅列するとして)
ケルベロスCerberus ⇔ (媒介項Medium:本稿にての先の段で詳述に詳述を重ねてきたところとして、[ヘシオドスのTheogony『神統記』に見るところの50の頭を持つケルベロス fifty headed Cerberus]が[アヌビスAnubis]・[ヘカテHecate]といった別神格を通じてシリウスの伴星、50年の公転周期を持つ白色矮星シリウスBと奇怪に結びつくと述べられるだけの背景 ―例としてのプルタルコス古典に見る記述(e.g. "strange" description about Isis = Sirius of Plutarch's Moralia)― が存在) ⇔ シリウスB(SiriusB) ⇔ (媒介項Medium:エジプトよりのグレコ・ローマン・ワールド(古代ギリシャ・古代ローマ世界)への渡来神でもあった女神イシスの犬の星シリウスの体現神格としての特質) ⇔ イシスIsis ⇔ (媒介項Medium:[ローマ期古典『黄金の驢馬』 the Golden Assに見る三面構造のペルセポネ triple headed PersephoneやヘカテHecateとイシスIsisを同一視する叙述]あるいは[ペルセポネ・デメテルを崇拝するエレウシス秘儀 Eleusinian Mysteriesとイシスにまつわる伝承との類似性]) ⇔ [ペルセポネPersephone](回帰)
ケルベロスCerberus ⇔ (媒介項Medium:「双方ともに三つの頭を持つ存在であり」「双方共に冥界と強くも結びつく存在であり」「双方共に犬(番犬としての犬)と極めて濃厚に結びつく存在であり」「双方共に毒物トリカブトの縁起由来と強くも結びつけられている存在である」とのありよう) ⇔ ヘカテHecate ⇔ (媒介項Medium:両者を同一存在とする、古典に見る記録的叙述内容や学識者らの申しよう) ⇔ [ペルセポネPersephone](回帰)
ケルベロスCerberus ⇔ (媒介項Medium:上にて言及と同文の媒介項) ⇔ ルシファーLucifero ⇔ (媒介項Medium:[双方ともに金星と深くも結びつけられているとの存在であること、双方ともに冥界下り(ないしは冥界=地獄落ちと幽閉)と関わる存在であることの式「でも」ルシファーLuciferoと結びつくイナンナ・イシュタルInanna/Ishtarとアフロディテ・ヴィーナスAphrodite/Venusの伝わるところの同質性を顧慮したうえでそこに見るアフロディテ・ヴィーナスの誘惑と関わるところの[黄金の林檎 the Golden Appleにまつわる誘惑]と[ルシファー(古き蛇)が関わると伝わるエデンの禁断の果実 Forbidden fruit depicted as an appleにまつわる誘惑]における類似性までをも顧慮することで浮かび上がってくるとの関係性) ⇔ イナンナ・イシュタルInanna/Ishtar ⇔ (媒介項Medium:上にて言及のものと同文の、[冥界降下をなした女神][双方が愛人としている神の際立っての同質性]との媒介項) ⇔ [ペルセポネPersephone](回帰)
ケルベロスCerberus ⇔ (媒介項Medium:直上言及と同文の媒介項) ⇔ ルシファーLucifero ⇔ (媒介項Medium:旧約聖書にあって登場の禁断の果実を林檎と見る歴史的視座の存在) ⇔ 林檎としてのエデンの誘惑の果実 Forbidden fruit depicted as an apple ⇔ (媒介項Medium:人間の楽園追放をもたらしたとの誘惑の果実がトロイア内破をもたらすことになった黄金の林檎と結びつけられるだけの質的類似性 ―本稿にて詳述の[アフロディテ・ヴィーナスが勝利を見たパリスの審判 Judgement of Parisにまつわる特性とエデンの誘惑に伴う特性の記号論的連続性]や[黄金の林檎の園とエデンの園を同種のものと見るような視座が一部の人間にあったとの事情]に関わるところの質的類似性― の存在) ⇔ 黄金の林檎 ⇔ (媒介項Medium:[黄金の林檎]の対価として差し出された絶世の美女ヘレンHelenと ―ケルベロス捕縛がモチーフとなるヘラクレス12功業にて救出されることになったテセウスTheseusら誓約を介しての― ペルセポネとの連続性) ⇔ [ペルセポネPersephone](回帰)
(上にて整理・復習を兼ねて呈示の関係性らにあっての[エデンの禁断の果実][黄金の林檎]を媒介項にしての部については関係図を直下、再提示なしておく)
相互に円環上の繋がり合いを呈しているとの以上枠に括りながらも振り返っての関係性 ――属人的主観などが問題になるものではなく、そして、容易に後追い可能である (ただしそうもしたことまでを敢えても指摘しようとの向きはこの世界にはどういうわけなのかなんら見受けられない) との関係性―― について問題となるところは次のようなところである (と本稿筆者は 「当然に」 とらえている)。
「果たして以上のような関係性は「手の込んだ」偶然の悪戯の問題 ――恣意性なきところ―― で済むものなのか、でなくとも、特定の今日に残置している記録ら(神話・伝承らを媒質として残置しているとの記録ら)の間に横たわる一致性は人間レベルの模倣・被模倣行為の賜物で済むものなのか」
上の疑問に対する筆者から呈示したき回答はこうである。
「当然に偶然の一致の問題では済まされない。関係性の環が相互に別個の方向から多重的に色濃くも具現化しているとのことがあり、その多重性の環がそれぞれ[同一方向]に通じているとのことがあり、それによって、[恣意性の問題]が極めて露骨に表出してくるとのことがある。
では、恣意性の賜物の問題となるとどうか。
については、[肉眼目視不可能天体たるシリウスBにまつわる科学的知見の先覚的言及に純・記号的に多重的に関わるとの要素が介在している(出典(Source)紹介の部95(5)以降の部)]/[シリウスBとはブラックホール理論開闢になるべくして関わっている節ある天体である(出典(Source)紹介の部96以降の部)]/[関係性の環にあってはまた別方向から『地獄篇』にブラックホール類似のものが描かれている(出典(Source)紹介の部55以降の部)]とのことらがこれまた「全くの別方向から」関わっているがゆえに人間レベル ―たとえば、ローマ期の文人であるプルタルコスや『黄金の驢馬』を記したアプレイウス、あるいは、ルネサンス期のダンテらのレベル― での模倣・被模倣でことが済むようになっては「いない」。 それゆえ、人間業とはおよそ判じられない恣意性が透けて見えるから[奇怪である]とのことになるわけだが、その奇怪なる相関関係が[ブラックホール]および[トロイアの寓意]の方向性を執拗に指し示していることがとにかくもってして問題になる(続いて同点にまつわる再述もなす) ――※欧米圏文化の源流に位置する古典(既述のホメロス叙事詩ら)にて描かれるトロイア城市が内側から完全崩壊に向かうことになった戦争の原因、その原因たる[黄金の林檎]と中近東に由来する一神教ドグマに見る[エデンの果実](キリスト教神学ではルシファー・サタンが用いた手管とされるもの)が結びつきながら、ブラックホールとの接合性を呈するとの関係性のようなものが歴史的に表出していればどうか。ここでは属人的なる主観とは無縁なること、要素要素に還元してすべて証拠を挙げ連ねようとの具象論に基づいてそういう話をなしている―― 」
(上の如きことらにまつわる [数理的分析] も本稿の後半部にてなすこととしたことについての 「脇に逸れての」 断りとして:
直上呈示の如き多重的関係性が摘示できるようになっている、容赦なくも冷厳として 「そうもなってしまっている」 とのことについて本稿にてのこれよりの段ではそうもした関係性に関わる他の問題事らについての指し示しに注力していく所存だが、そうもしてのさらに指し示していく「他」多重的事例を踏まえたうえでの確率論的な説明、
[高校生程度の数学知識で理解できようとのかたちにて調整したベイズ確率論にまつわる付説]
をも本稿にての後の段で付すこととすること、ここに断っておく。
その点、小難しい数式と共に奇矯なることを述べもする、奇矯なることに関して確率論を振り舞わすなどとのことをなしもするととかくもってして似非科学者・マッドサイエンティストの類か、ないしは、詐欺師の類か、と看做されようことか、とは当然に思うのであるが、筆者やりようは[極めて基本的なる公式]だけを用いての[これこれこういう仮説「ら」を入力要素にあっての尤度(likelifood)に対応するものとして設けて、【これこれこういう仮説「ら」を入力要素にあっての尤度(likelifood)に対応するものとして設けて、[特定のアルゴリズムでフィルタリングをかけて顧慮すべきデータとして抽出した事実関係]らのありようから(それら事実関係の確率的配分に対応するものとして設定した)[仮説]らの数理的妥当性に対して分析するとこういう予測が試算として出すとの式での形態の確率論】に留まると申し述べておく。
などとくだくだしくも申し述べてもこの段階ではそうしたこと、理解など到底なしていただけぬところかとは思うのだが(『それが当たり前の反応か』と当然に思う.しかし、に対しては後の段で多くの向きらに理解いただけるようにと相当程度の紙幅を割いて実にもって細かい説明をなす所存でもある)、具体的には Bayesian method、
[[適正なデータ]入力さえなされるのならば、差分・誤差を吸収して現実的に妥当性の高い方向性に次第次第に収斂していくとの柔軟性を有したベイズ推定](市場調査からスパムメールのフィルタリングまで幅広くも実務応用されているとの確率論的手法の一類型)
とのかたちでの確率論の話をも本稿の後半部に付すことにしたとここに断っておく ――数式を手繰ることだけならば、それこそ漢字二字の罵倒語がまさしくも相応しかろうとの向き(「専門何とか」あるいはより性質悪くもの「専門家・学者の皮をかぶった紛い物」)でもできようことかとは思うのであるが、本稿では[我田引水方式の,詭弁を支えるための数字操作や観念論に近しいとの数式遊びなどには堕さぬとのスタンスでの[基本的確率分析]のモデル]を付録として付す(知識がある向きならば[数式処理]と[データの適正さ]と[仮説設定のありよう]しか問題にならぬことが理解できようとのかたちでの近似的モデル分析のやりようを付録として付す)―― )
(後にての数理的分析の実行について先んじてなしもした話から本題に立ち戻りもし)
ここにてキーとなる存在であると強調したいのは[冥界の女王ペルセポネ]及び[ブラックホール]である。
整理のためにここに至るまで解説を講じていることを(「またもや、」のこととして)繰り返すが、冥界の女王ペルセポネについては長くも箇条表記しての次のことらが摘示できるようになっているとのことが問題になる。
■[ペルセポネ]は[ヘカテ]と結びつけられてきた、ときに「両者は同一物である」といったかたちで結びつけられてきた存在となっているとの背景がある(:ペルセポネとヘカテはエレウシス秘儀という古代の儀式体系で共に祭られる存在であった(出典(Source)紹介の部94(5)など)のだが、エレウシス秘儀との関係性を想起させるローマ期小説作品『黄金の驢馬(ろば)』にて[三面のペルセポネ]とヘカテは[イシスの別相なる同一存在]として言及されている存在である(出典(Source)紹介の部94(3))。また、ペルセポネとヘカテとの同一性については識者よりの関係性指摘が歴年なされてきたところでもある(トマス・ブルフィンチの神話の解説著作 THE AGE OF FABLEを引き合いにしての出典(Source)紹介の部94(6)などを参照のこと)。また、ペルセポネの母にあたる穀物神デメテルは原初、娘にあたるペルセポネと同一であったとの指摘がなされている存在だが、ペルセポネと共にエレウシス秘儀にて祭られているとのそのデメテルとヘカテを同一視するローマ期人間の物言いもがあることも ―19世紀から20世紀になった人類学分野の大著、『金枝篇』の内容を引き合いに ―出典(Source)紹介の部94(6)にあって― 問題視している)。
そのように[ペルセポネ]と同一存在と扱われもするとの[ヘカテ]は冥界の犬の番犬[ケルベロス]と濃厚に結びつく存在である。ヘカテは(これまたここに至るまで何度も述べてきたことだが)「冥界と関わる」「三面の存在となっており」、また、「番をなす犬と濃厚に関わる存在となり」「毒性植物トリカブトの由来と密接に関わっている」存在とされるが、他面、ケルベロスは「冥界と関わる」「三面の存在となっており」、また、「番犬としての役割を果たしており」「毒性植物トリカブトの由来と密接に関わっている」存在であるからである(出典(Source)紹介の部95(8)にあってその著述内の申しようを問題視していたとの著述家ロバート・テンプルが引き合いに出しもしているロバート・グレーヴズ物言いに依拠すると「ケルベロスとヘカテは縁起由来を同一にする存在となる」とのことだが、といった物言いには確たる古文献上の論拠をなかなか見つけられないとのことがあり(筆者は色々とそのために当たりをつけんとして無為なる結果を見た)、ここでは[純粋なる記号論的一致性]の観点から指し示せるヘカテとケルベロスの一致性の関係性を専らに問題視していること、お含みいただきたいものである)。
以上より[ヘカテ]を中間項にしてのペルセポネとケルベロスの際立っての類似性が観念されるわけである(換言すれば、[ペルセポネ]⇔[ヘカテ]⇔[ケルベロス]との関係性が成り立つと述べられる)。
■[ペルセポネ]はエジプトの女神[イシス]と結びつけられるだけの背景を伴った神格でもある(本稿でも出典(Source)紹介の部92および出典(Source)紹介の部93にて出典挙げて入念に示してきたこととして、前世紀以前より学術文書で指摘されていることとして[デメテル・ペルセポネにまつわるエレウシス秘儀]と[イシス・オシリスの祭儀体系]の間には際立っての相似性・類似性が存在しており、実際にローマに伝来してのイシス信仰を中心にしての粗筋が展開するローマ期の小説『黄金の驢馬(ろば)』の中では(出典(Source)紹介の部94(5)にて英訳版より和訳版よりの原文引用をなしているように)問題となる[エレウシス秘儀]とも通ずる式にて[ペルセポネやヘカテは[イシス]を実体としての一なる女神である]との書かれようがなされている)。
そして、そのように[ペルセポネ]との一致性が往古から語られていたところの[イシス]というエジプトよりの渡来神(エジプト名アセトAset)については[恒星シリウスの体現存在]としての側面を有しており(本稿にての出典(Source)紹介の部95(6)で先に詳述のようにヘリアカル・ライジング現象と共にある古代の灌漑にあって極めて重要な役割を果たしていたシリウスはエジプトにて[ソティス]という神格名でイシスと結びつけられていたとの背景があるとよく知られている)、同イシスについては
[冥界での魂の審判に携わる犬(ジャッカル)の神アヌビス ―同アヌビス自体が(出典(Source)紹介の部95(4)に付しての補足の部にて典拠紹介しているように)[シリウス]と結びつく存在である― ]
を介して不可解にも[古代人が認識できたはずがない肉眼黙示不可能なシリウスB]の方向性を指し示す存在であるとの指摘が ―出典(Source)紹介の部95(4)以降の部にて事細かに解説しているように― 説得力を伴ってなされているとの存在となる(※)。
※振り返っての話として:一時期物議を醸した英国の論客ロバート・テンプルに由来するところのものとして ―筆者はそのテンプルの強調するところ(シリウス星系に親和性高い異星人介入の仮説)には重大な誤謬が含まれているととらえているわけだが― 次のような申しようを先に引いていた。
(ロバート・テンプルの申しようとして)
「近現代の天文学の発展によって19世紀よりようやっと判明したこととして夜空にあっての最も明るい星には従前、発見されていなかった肉眼目視不可能な伴星としてのシリウスBが連星系として伴っていることが分かった。シリウスAが明るい可視の星であるのに対して、シリウスBは不可視の星となっている。それとの関わりが想起されるところとしてプルタルコス古典『モラリア』にあっては【イシス(シリウス象徴存在)が「光」ないし「目に見えるもの」として、ネフティスたる「闇」ないし「目に見えないもの」とされ、それが水平円をなす(冥界の)犬の神アヌビスに分割されているとの記述が含まれている】との記述が含まれている。そして、そうもしたプルタルコス古典にあっての記述が【犬の星たるシリウスAとシリウスB(50年の公転軌道を持つ肉眼目視不可能天体)に対する隠喩的言】であると考えられるだけの事情がある(細かくも先述してきたところとしてそちら事情は[イシスと同文にシリウスと結びつけられてきたとのアヌビスとヘカテ・ケルベロスとの接合性][ケルベロスの(3つではなく)50の頭にまつわる伝承][犬の星シリウスにてのシリウスBの周期50年]といったことらと通じている)」
(ロバート・テンプルの申しよう紹介部はここまでとする)
取り上げたロバート・テンプル申しように関しては確認したところとして上の部の論拠「については」決して駄法螺などではない。きちんと古典、そこに見る文献的事実によって後追いできるものとなる ―※出典(Source)紹介の部95(5)にて挙げているように The Online Library of Libertyを介してPDFファイル公開されている(従ってオンライン上にて検索エンジンにて表題入力しHTML形式やPDF形式の該当文書を同定するなどして誰でも確認をなせる)との Plutarch, The Morals, vol. 4 [1878]にあっては[文献的事実]( philological truth )の問題として And when Nephthys was delivered of Anubis, Isis owned the child. For Nephthys is that part of the world which is below the earth, and invisible to us; and Isis that which is above the earth, and visible. But that which touches upon both these, and is called the horizon (or bounding circle) and is common to them both, is called Anubis, and resembles in shape the dog, because the dog makes use of his sight by night as well as by day.And therefore Anubis seems to me to have a power among the Egyptians much like to that of Hecate among the Grecians, he being as well terrestrial as Olympic.
([対応するところの訳として]蔵書量がそこそこに豊かであるとの図書館より借り受けることも可能であるとの邦訳書、京都大学学術出版会より[西洋古典叢書]シリーズと銘打って京大系の学者らによって出されている『モラリア』、その[イシスとオシリスについて]掲載巻にあってのp.71にては(原文抜粋するところとして)一方、ネプテュスがアヌビスを産むと、イシスはその子を自分の子として育てます。というのは、ネプテュスとは大地の下の不可視の領域であるのに対して、イシスとは大地の上方の可視的な領域です。そして、このどちらにも触れていて、両者に共有されている円環――いわゆる地平線――がアヌビスと呼ばれ、その姿が犬になぞらえられているのです。なぜなら、犬は夜にも昼にも視覚を同じように用いることができるからです。そして、エジプト人たちのあいだでアヌビスは、ギリシャにおけるヘカテと同様の力をもっていると思われます
との訳がなされている)との部が表記のテンプル主張内容に対応するところとなる― 。
※ロバート・テンプル申しようについて多少細かく、また、長くもなっての「さらにもの」振り返り表記をなしておく。
ロバート・テンプルは
「[冥府の犬科存在アヌビス]は[イシス]と同文に犬の星シリウスと結びつけられてきた存在だが、同アヌビス、冥府の犬ケルベロスと結びつけられもしてきた存在である。そして、ケルベロスについてはその頭を3つではなく50とするとの古代伝承があるがゆえに、【[犬の星シリウスと結びつき50の頭を持つケルベロスとも結びつく水平円軌道をなすアヌビス]によって[可視存在イシス](史的に見てのシリウスA体現存在でもある)と[不可視存在ネフュテュス]が分割されている】との記述がローマ期のギリシャ系文人プルタルコスの手になる古典上にあってなされているのは[可視存在シリウスA]と[公転周期50年、水平軌道をなす不可視存在シリウスB]に対する隠喩的言及と判断なせる」
との「説得力を伴った」主張をなしているわけだが、
[アヌビス(シリウス体現存在ないしシリウスを包含するオオイヌ座と結びつく神格)による可視存在(シリウスA体現存在たるイシス)と不可視存在(ネフュテュス)の分割]
に言及している問題となるプルタルコス由来のローマ古文献『モラリア』それ自体の中で[アヌビス]と[ヘカテ]が結びつくとの表記「も」がなされているとのことがあり(出典(Source)紹介の部95(5))、そちら[ヘカテ]が[ケルベロス]と「多重的に」接合性を呈していると述べられるようになっているのだから(出典(Source)紹介の部94(7))、ロバート・テンプルの[アヌビスとケルベロスの接合性]を云々する物言いには一層もってして無理がないとのかたちとなっている。
さらに述べれば、ロバート・テンプルは
「ギリシャ伝承ではアクタイオンという男が50の猟犬をけしかけられて弓の神アルテミスに殺されたことになっているが、そのことからして[犬の星]のみならず[弓の星]ともなる[シリウス]およびその伴星の[50年の周期を持つシリウスB]と結びつくのであろう」
とも述べているわけであるも、その指し示しもまた多少ながら見るべきところを伴ってのものとなっている(出典(Source)紹介の部95(7))。
以上述べたうえで本稿にての先の分析内容も踏まえて書くが、ロバート・テンプルが強くも前面に押し出している仮説、
「人類の初期文明にてシリウス星系にて由来する超高度文明の介入があった」
との仮説の帰結それ自体は本稿筆者がそれを首肯(無批判なる肯定)などしていることはなんらないとのものになっているのではあるも(マルチバース・多世界解釈のことを考え、かつもって、凄まじい距離をものともせぬ介入手段の想像困難性のことを考えれば、介入者がシリウス星系に由来する云々以前にそも、異星人であるかどうか断じられないとのことがある)、[現象重視の観点]に立脚して物事を見れば、[ロバート・テンプルのシリウスBにまつわる先覚的言及に関する申しよう]については(その欠陥性・反駁容易なる側面 ―(先にそうもした側面としてテンプル説にはドゴン族にまつわる主張の部で脆弱性がとみにみとめられると詳述している)― を十分に顧慮したうえでも)重んじて然るべきものであると解される側面があり、そして、その支持材料は我々身近「にも」散見されるとのことがあり、について「も」本稿では事細かに取り上げてきたとの背景がある。
具体的には
「東洋の冥府の審判官は常識の話として閻魔(エンマ)となっているが、原初、その閻魔は[ヤマ]と呼ばれる印度のヴェーダ文献の神、より遡っては古代イラン界隈からの渡来神であったとの指摘が諸所にてなされている存在となっている。そして、閻魔の元となった存在とされる[ヤマ]の方については[ケルベロスと起源同一視される犬の手先]を伴っているとの指摘が学究によって歴年なされてきたとの存在である(先に20世紀の[文献学]研究者の論稿の内容なども引いている)。
そうもした[ケルベロスと起源を一にする(とされる)存在]を伴ってのヤマ(あるいはヤーマ)から派生した存在とされている閻魔 ―同・閻魔、オシリスに従っての冥府の審判介添え役たるアヌビスが[虚偽を暴き魂を裁くためのマアトの羽を乗せた秤]と結びつけられているように[虚偽を暴き死者を裁くための浄玻璃の鏡]を持つ存在でもある― をはじめ10人の冥府の審判官らに対する東洋にあっての[十王信仰]にあっては
[49日]
との期間が冥界の裁判官らに対する情状酌量を求める祈念の期間とされているとのことが現実にある(日本で多くの人間が細かきことについて知らず・考えずにその信徒に分類されているとの仏教、その法要での供養の様式では冥府の裁判官に情状酌量を願う十王信仰に起因するとも言われる[49日]を終えての[50日]をもって[忌み明け]として[白木造りの位牌]から[漆塗りの真っ黒の本位牌]への移行が行われたりすることが脳裏をよぎるところともなっている)。
そういった伝でも、
[[50]と[ケルベロス(閻魔の原初的形態としてのヤマの飼い犬と起源的に同一のものであるとするとの見解が伝わっている存在にしてヘシオドス『神統記』など初期的古典では50の頭を持っていたとされる存在)やアヌビス(ケルベロスとの連続性の指摘がなせるようになってもいるシリウス象徴化存在)ら冥府の犬ら]を巡るシリウスB周期(公転周期50年の天体)にまつわる話]
に話がつながる(50と死後の世界の相通ずる日本の風習との絡みで言えば、故人没後50「年」を経ての[50回忌]にて故人の名前が過去帳に転写、遺骨が土に返される、との風習が一部にてみとめられるとのこともまたある)」
とのことを論じてきたとのことがある( Cerberus, The Dog of Hades The History of an Idea(1905)との文献学学者の手になる論稿などを引き合いに出しての出典(Source)紹介の部95(9)を参照のこと)。
(ペルセポネにつき先に述べてきたことの振り返り表記を続けるとして)
■ここまで[何度も出典とその出典を指し示す部を提示しながら申し述べてきた]ように[冥界の女王ペルセポネ]と[ケルベロス]は結びつくようになっている(【[ヘカテ]を介しての連続性】や【ヘラクレス11功業およびヘラクレス12功業の関係性を介しての記号論的連続性】について詳解を講じてきたことである)。また、同文に[何度も出典とその出典を指し示す部を提示しながら申し述べてきた]ように[冥界の女王ペルセポネ]と[イシス]は結びつくようになっている。
さて、双方共々にペルセポネおよびヘカテと接合するイシスとケルベロスの両者に
[シリウスおよびシリウス伴星の白色矮星たるシリウスB]
との関係性があるとされること(直近にても本稿の先の内容を振り返って言及しているとのこと)は
「奇怪なこと」
である。
何故か。
第一。
これまた何度も何度も申し述べてきたこととして、話が19世紀まで発見されることがなかったとの肉眼目視「不可能」であるシリウスBに対する[複数の古典らにての奇怪な言及]との話に関わっている、そこからして奇怪であるとのことがある(その[機序]が[現象]それ自体に対して説明が付きがたいこと、まさしくもの[ミステリー]に関わる ―[ロバート・テンプルがその主張の核にすえているとのアフリカにあってのドゴン族伝承に見るシリウスBへの細やかな伝承]といったものについては「ミステリーにはあたらない、文化伝播(西洋先進知識の後進地域への知識・情報の移行)で説明がなせるところである」との反証がなされているとのことを本稿にての出典(Source)紹介の部95(3)で解説している一方でのこととしてそちらは反駁(はんばく)できぬところとして[ミステリー]に関わる― ところとして奇怪である)。
第二。
シリウスBについては
[[シリウスAの伴星であるがゆえに地球から見て極めて目が行きやすい(ただし天体観測技術が近現代レベルに到達すればこそ行きやすい)との位置関係]および[重力崩壊に関わるその白色矮星としての性質]から現代科学史に見るブラックホール理論開闢に極めて濃厚に関わっている存在と(そうなるべくような式で)なっている]
とのことがある(:本稿の先の段、[C]の段にての出典(Source)紹介の部96 を包摂する解説部で Empire of the Stars Friendship,Obsession and Betrayal in the
Quest for Black Holes(英国の科学史専門の学究の手によって著されたとの書籍/国内版元の草思社より出されている邦訳版タイトルは『ブラックホールを見つけた男』)を引き合いに、その点、[シリウスBがブラックホール理論開闢史に濃厚に(なるべくような式で)関わっている]ことについて渡英して挫折、後に一陽来復を見ることとなったチャンドラセカールの事績に関わるところとして入念に指し示しなしている)。
そして、
[ブラックホール理論開闢史と関わっているシリウスB]
[古典にてそれにまつわっての[不可解な言及]がケルベロスやイシス(ペルセポネとの質的同等物)との絡みで存在するとの見解が複合的に呈されているとのシリウスB]
とのことで述べれば、
[冥界下りの物語たるダンテ『地獄篇』にてのルチフェロ(サタン)がケルベロス構造(三面構造)を呈しながら今日的観点で見るところのブラックホール類似物としての特色を具備しているとのことがある(本稿にての出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55(3)で詳述を重ねてきたことである)]
[上記ルチフェロについては[イシュタル・イナンナ]という古代メソポタミアの神格と[ケツァルコアトル(中米で崇められていた羽毛ある蛇)]といった媒介項を介しもして記号論的に接合しており(すぐ前の段にて本稿のより以前の段の内容を振り返ってものを解説をなしてきたところである)、[イシュタル・イナンナ]と言えば、ペルセポネとの同質性が複合的に見てとれる女神でもある(出典(Source)紹介の部97)]
とのことから
[ペルセポネ ⇔ ヘカテ ⇔ ケルベロス ⇔ シリウスBとの関係性が古文献記述態様より問題視されもしている存在 ⇔ シリウスB ⇔ ブラックホール理論の開闢に関わる天体]
[ケルベロス ⇔ (ヘラクレス12功業を介しての多重的連続性) ⇔ ダンテ『地獄篇』に見るルシファー ⇔ 今日的に見た上でのブラックホール的特質を多重的に兼ね備えた描写]
[ルシファー ⇔ イシュタル・イナンナ ⇔ ペルセポネ(回帰)]
との円環状の関係性が想起されることになっている。それがため「も」あって奇怪、できすぎの感を否めない。
(ペルセポネにまつわる関係性の表記をさらに続けるとして)
■(ここまで箇条表記してきたことに加えて)以下のi.からiii.のことらからも接合関係が呈示できるようになっている。
i.ダンテ『地獄篇』の(今日的に見た上でブラックホール類似物をどういうわけなのか具現化させているとの)ルシファーの領域に至る道程に関しては ―木製の馬の計略で滅したトロイア崩壊の物語とも同時に関わるところにて― ヘラクレス12功業(冥界下りの上でのケルベロス捕獲で終わるとの12功業)との結びつきが多重的に見受けられるようになっているとのことがある(:ここ[補説3]にあっての[1]から[5-b]と振っての部、出典(Source)紹介の部90から出典(Source)紹介の部90(11)を包摂する解説部を参照のこと)。
そうした『地獄篇』にあっての最下層へと至る下り ―ルシファー幽閉領域に至るまでの描写― と濃密に関わるとの解説に努めてきた[ヘラクレス12功業]及び[トロイア崩壊]との接続性についてはブラックホールを生成するとの見解が近年呈されるに至っている加速器実験LHC実験の命名規則にも見てとれるとのことがある。「理由ともあれ」現実にそういうことがある(出典(Source)紹介の部35から出典(Source)紹介の部36(3)を包摂する解説部および出典(Source)紹介の部46を包摂する解説部を参照のこと)。
ii.[ブラックホール生成実験と近年評されるようになったLHC実験]および[ブラックホール類似のものに関わる三面のルチフェロを登場させているとのダンテ『地獄篇』]の双方に「どういうわけなのか」関わる[ヘラクレス12功業]および[トロイア崩壊の寓意]とのことで述べれば、[冥界落ちの女神ペルセポネとヘラクレスの12功業の最後の冥界下りの目標物ケルベロスとの間には連続性があること][冥界落ちの女神ペルセポネはトロイア戦争の原因としての絶世の美女ヘレンと同様に同じくもの者達 ―テセウスとペイリトオス― の約定に基づく略取対象となっていること](出典(Source)紹介の部90(10))が想起されもするようになっている。
iii.本稿は[エデンの園にてのルシファーの誘惑]と[黄金の林檎の園と関わるアトランティスの(伝承に見る)地理的特性およびトロイア崩壊伝承]の関係性を仔細に摘示してきたもの「とも」なる ―出典(Source)紹介の部48から出典(Source)紹介の部51― のだが、その伝からして多重性的関係性が観念できるようになっている(LHC実験はヘラクレス11功業に登場する巨人アトラス、[トロイア崩壊の原因]でもあると伝わっている黄金の林檎が栽培されているとのまさしくもの[黄金の林檎の園]の所在地を知る巨人の名を冠した加速器付属検出器[ATLAS]で観測活動をなしている、さらにはそのためのイベント・ディスプレイ・ツールとして黄金の林檎の園の場にも歴史的に仮託されてきたアトランティス、ATLANTISとの名称の装置を使っているとのことがある ―繰り返すが、本稿にての出典(Source)紹介の部35から出典(Source)紹介の部36(3)を包摂する解説部および出典(Source)紹介の部46を包摂する解説部が同じくものことの解説部となる― )。
(ここまで述べてきたことを簡略化しての関係図に落とし込まんとすれば、およそ次のようなかたちでの描画がなせる)
以上ここまでの延々くだくだしくもなっての解説をもってして
「何を(本稿筆者が)問題視しているのか」
ということについて ―本稿内容を(批判的視座でもってしてでも)まじめに検討なしているとの向きにあっては― 理解いただけるものか、と思う(そして、「悲劇的なること、これ極まりないことに」そうした結びつきの話には[結びつき指し示し要素 ―文献的事実といったかたちで第三者が容易に確認できるとのかたちで摘示なしてきた要素ら― の選択]以上には属人的主観の問題が介在していない、それがゆえに、尤度(ゆうど/所与のデータに伴う[ありえやすさ][ありえなさ]の問題)を顧慮したうえでの純粋なる確率論の問題に収斂していくとのことでもある)。
この話はだが、まだ終わらない。 さらにもってして、
[ペルセポネを媒介項にしての多層的なる関係性]
が摘示できるようになっているとのこと「もある」のである。
さて、これ以降、[ペルセポネを媒介項にして奇怪なる関係性]の話をさらになすとして、それは
[レコンキスタ]
にまつわるところとなる([レコンキスタ]の意味も無論、下に解説する)。
以降、a.からe.と振りもして述べていくことら(都度、「基本的な」典拠も付しながらも述べていくことら)について「も」その重要性にまつわる主張が適宜適切なものなのか、ご判断いただきたいものである。
a.今日のスペイン・ポルトガルが存在するヨーロッパ西部地域、イベリア半島にあってはイスラム教政体(イスラム勢力)がキリスト教政体と割拠して存在していたとの時期(具体的には8世紀から1492年、15世紀末までの時期)が世界史上、存在していた。その時期にあってキリスト教勢力から見て、イスラム教勢力の領域 ―7世紀に興ったイスラム王朝ウマイヤ朝の勢力がヨーロッパ西部、ピレネー山脈に至るまでの領域をアフリカ北岸経緯で侵出、扼するに至ったことになったとの沿革が元にありもして西ヨーロッパ・イベリア半島に飛び地的に存在することになったイスラム勢力の領域― を再奪取することを失地回復・再征服と銘打って[レコンキスタ]と呼び習わしていたとの背景がある(下らぬ受験勉強の話をなせば、高等学校で世界史を並んだ者が受験にて成果を出すために暗記を強いられるとの最も基本的なる知識の一つである。基本的なことであるのでその典拠としては下に和文ウィキペディア[レコンキスタ]項目程度のものよりの引用をなすにとどめる)。
(直下、和文ウィキペディア[レコンキスタ]項目にあっての現行記載内容より掻い摘まんでの引用をなしておく)
レコンキスタ(スペイン語:Reconquista)は、718年から1492年までに行われたキリスト教国によるイベリア半島の再征服活動の総称である。ウマイヤ朝による西ゴート王国の征服と、それに続くアストゥリアス王国の建国から始まり、1492年のグラナダ陥落で終わる。レコンキスタはスペイン語で「再征服」(re=再び、conquista=征服すること)を意味する。ポルトガル語では同綴でルコンキシュタという。日本語においては意訳で国土回復運動や、直訳で再征服運動とされる。
・・・(中略)・・・
718年、西ゴート王国の貴族を称するペラヨが、アストゥリアス地方でキリスト教徒を率いて蜂起し、アストゥリアス王国を建国した。多くの史家はレコンキスタの開始をこの年に設定している。722年(あるいは718年、724年とも)、ペラヨはコバドンガの戦いに勝利し、イスラム勢力に対するキリスト教国家として初めての勝利を手にした。これは実際には小規模な戦いに過ぎなかったが、イベリア半島のキリスト教徒にとっては象徴的な初勝利であった。
・・・(中略)・・・
12世紀後半まで、キリスト教諸国とムワッヒド朝の戦いはほぼ互角といえた。キリスト教諸国はそれぞれの勢力拡張に重点を置き、統一戦線を張って戦おうとはしなかった。ムワッヒド朝も、本拠地が北アフリカであることから東方への拡張を主眼としており、イベリア半島にはそれほど戦力を割いていなかった。このような両勢力の事情から、決定的な局面はなかなか訪れなかった。
・・・(中略)・・・
1230年頃、ムハンマド・イブン・ユースフ・イブン・ナスルがアルホーナで蜂起し、ナスル朝を建国した。ナスル朝は1235年にグラナダを攻略し、1238年に遷都した。このためグラナダ王国とも言う。グラナダはシエラネバダ山脈の天険を最大の防御としており、キリスト教勢力も容易にこれを突破することはできなかった。
・・・(中略)・・・
13世紀半ばにはムスリム勢力はグラナダに残るのみとなったが、キリスト教勢力の内部不一致などやグラナダの難攻不落のため、陥落するのは1492年までかかった。
(以上、和文ウィキペディア[レコンキスタ]項目にあっての現行記載内容よりの掻い摘まんでの引用とした)
レコンキスタの終焉はアラゴン・カスティリャ同君連合国がイベリア半島に拠っていた最後のイスラム勢力のナスル朝、イベリア半島にあってのグラナダ地方に拠っていた同王朝を1492年に駆逐することによってもたらされることになった([ナスル朝][1492年(15世紀末)にあっての終焉]といったこともまた高等学校で世界史の科目を活用しようと決めた向きらが暗記を求められるようなところである)。
そのグラナダ地方に拠っていたナスル朝 ―かのアルハンブラ宮殿を遺したことでも知られるイスラム王朝― に対して攻め手側であったアラゴン・カスティリャ同君連合サイドでは[自分たちの領域としてのグラナダ王国]こそがその場に相応しいと主張、ナスル朝領域にキリスト教勢力版グラナダ王国の建立をナスル朝滅亡の前からして主張していたことがある。
そして、同グラナダ王国の紋章が
[ザクロ]
であった。
そして、そも、グラナダの語源がザクロとの言葉にあったとのことが[ペルセポネ]に関わるところで「問題になる」(※)。
(※注記として:[グラナダ王国紋章がザクロであった]とのことまでは込み入っての話は日本の高校の科目としての世界史、その受験プロパーの学習としては暗記を求められるようなことでは「ない」。
さらに述べれば、日本の教育現場(良き社会の歯車、もとい、成員を構築すべくもカリキュラムが組まれているとの教育現場)では
[グラナダ王国]
と言うとグラナダに拠っての最後のイスラム王朝たるナスル朝の別称のように教育サイド(世界史知識供給サイド)にて呼称される傾向があるのだが(上にて引用なした和文ウィキペディアの現行記載内容にあっても(再引用するところとして)1230年頃、ムハンマド・イブン・ユースフ・イブン・ナスルがアルホーナで蜂起し、ナスル朝を建国した。
ナスル朝は1235年にグラナダを攻略し、1238年に遷都した。このためグラナダ王国とも言う
(引用部はここまでとする)との記載がなされ、かつ、立ち読みにてすぐに同定できもしようところとして複数の教科書・参考書らにもそうした記載がみとめられる)、しかし、英語圏では[グラナダ王国]とは[ナスル朝(エミレーツ・オブ・グラナダ Emirate of Granada、ザ・ナシリッド・キングダム・オブ・グラナダと英文呼称されるナスル朝)の呼称]とは別物、征服側のキリスト教勢力側が[征服対象地に存在するもの]と号していた「本来あるべき」領域国家の呼称ともなっている(欧州人の見ているグラナダ王国とは他人の支配している土地をさして「あそこは我々の[グラナダ]ランドである」と呼称しているようなものであった)。
同じくものこと(グラナダ王国とはキリスト教勢が征服対象地に一方的に存在を主張した王国の名でもあったとのこと)、そして、[グラナダ王国]の紋章がグラナダとの地名と結びつくザクロであったことについては英文Wikipedia[ Kingdom of Granada ( Crown of Castile ) ]項目([グラナダ王国(カスティーリャ君主制)]項目)にて
The heraldry of Granada was employed as a personal device by Henry IV
of Castile before the conquest of Granada, in the form of two fruited pomegranate branches, known as a granada in
Spanish, with the motto reinar es agridulce ("to reign is bittersweet").
It was later incorporated into the coats of arms used by the Catholic Monarchs
and their descendants. From 1475, the monarchs of Castile called themselves
also monarchs of Granada, but it was not until 1492 that their military
might made the title more than a boast. In 1497, a new coin, the excelente
de granada featured the coat of arms of the Kingdom of Granada. This heraldic
figure became part of Spain's national coat of arms.
(訳として)「グラナダ紋章はカスティリャ王国のエンリケ4世( Henry IV )にてグラナダ征服に先駆けて私的に採用されたとのものとなり、その形態は二つに枝分かれし実をなしてのザクロ、スペイン語で[グラナダ]として知られるザクロの形状を取り、紋章モットーとしての[ reinar es agridulce(統治なすことは甘く、また、苦いものである) ]を伴っていた。同紋章は後にカトリック君主国およびその後裔の国家の紋章に取り込まれ受け継がれることになった。1475年までカスティーリャは彼ら自身をしてグラナダの統治者と自称しもしていたが、そのことはその称号を同国軍隊が1492年に勝ち取る(訳注:グラナダに拠っていたイスラム王朝のナスル朝を滅亡させた、とのことである)まで高言にすぎなかった。1497年、新たな貨幣として the excelente de granadaがグナラダ王国の[ザクロ]を模したものとして登場した。この紋章構図はスペインの国章の一部となりもした」(訳はここまでとする)
と記載されているとおりである)
b.[レコンキスタ]、すなわち、イベリア半島からのイスラム勢力の放逐運動兼領土拡大を進めていたアラゴン・カスティリャ同君連合国は1492年にかねてより[ザクロ]の紋章と(王たるエンリケ四世が)結びつけていたグラナダの地、すなわち、地名とザクロとの言葉が対応するようになっているとの地 ―(英文Wikipedia[ Kingdom of Granada ( Crown of Castile ) ]項目より The heraldry of Granada was employed as a personal device by Henry IV of Castile before the conquest of Granada, in the form of two fruited pomegranate branches, known as a granada in Spanish, with the motto reinar es agridulce ("to reign is bittersweet").
「グラナダの紋章はカスティリャ王国のエンリケ4世( Henry IV )にてグラナダ征服に先駆けて私的に採用されたとのものとなり、その形態は二つに枝分かれし実をなしてのザクロ、スペイン語でグラナダとして知られるものの形状を取り、紋章モットーとしての[
reinar es agridulce(統治なすことは甘く、また、苦いものである) ]を伴っていた」との記述を先に引いているとおりにザクロとの言葉と地名が対応している地)― をイスラム王朝ナスル王朝を滅亡させることで掌握するに至った(:和文ウィキペディア[ナスル朝]項目、の中にあっての、高校生ですらお勉強のために暗記を強いられるとのことを含む現行の記載内容を引けば、(原文引用するところとして)キリスト教徒の征服が差し迫った1487年、グラナダの法学者たちはムハンマド11世に対し、マムルーク朝に使節を派遣し救援を求めるよう迫ったが、マムルーク朝の援軍は派遣されず、グラナダ攻略の見合わせを求めるキリスト教修道士(聖墳墓教会)2名がカトリック両王に派遣されただけであった。1491年春にフェルナンド2世の1万騎の軍勢によりグラナダは包囲され、年末には籠城側の窮乏は限界となった。1491年末にムハンマド11世とカトリック両王間で降伏協定が結ばれ、1492年1月2日にグラナダは無血開城しレコンキスタが完了した
(引用部はここまでとする)とのことのとおりである)。
そのグラナダの地(ザクロの地)の確保がなされた年と同年、1492年にコロンブスはかねてよりカスティリャ女王イザベル1世と折衝していた新大陸発見事業につき国家よりのお墨付きを得た。すなわち、コロンブスが発見した土地にあっては同男が総督となる権利を、そして、公益上の紛争を裁く権利を与えられてのサンタ・フェ協約が締結されることになったとのことがある(によってコロンブスの発見事業は半ばもの国家公認事業となった。また、その航海費用の過半も王国より供出される運びとなった ―「本来ならば、引用先として望ましくはないと学術の世界では認識される媒体ながらも」「常識的なることについてはあまり謬見は認められないとの形となっており」「また、オンライン上より即時に確認できるとのメリットはある」英文Wikipedia[ Capitulations of Santa Fe ]より記述を引けば、 The Capitulations of Santa Fe between Christopher Columbus and the Catholic Monarchs were signed in Santa Fe, Granada on April 17, 1492. They granted Columbus the titles of Admiral of the Ocean Sea, the Viceroy, the Governor-General and honorific Don, and also the tenth part of all riches to be obtained from his intended voyage. The document followed a standard form in 15th-century Castile with specific points arranged in chapters (capitulos). Although not a formal agreement, the capitulations resulted from negotiation.
(訳として)「クリストファー・コロンブスとカトリック教徒君主らの間の合意書は1492年4月17日、グラナダのサンタ・フェにて締結されることとなった。彼らはコロンブスが外洋にての提督の地位を保持すること、副王・総督、そして、栄典帯びての敬称としてのドンの称号を名乗れること、そして、彼が意図しての航海にて得たすべての富の十分の一を得られることで同意を見た。同文書はいくつか特殊な修正されての点を区分単位で含むとのものでありつつ15世紀カスティーリャにての正式文書としての体裁に準拠していた。公式の同意ではなかったが、合意書は交渉の賜物として得られたものでもあった」(訳を付しての引用部はここまでとする)といった風に細かくも記載されているところとなっている― )。 そうして1492年にコロンブスは大西洋(アトランティック・オーシャン)の先に向けての航海に出た。
上掲図はアラゴン王とカスティリャ女王の婚儀に続けて、正式には1479年に成立したカスティリャ・アラゴン連合国が1492年にグラナダのザクロを掌中に収めてレコンキスタを完遂することになったとのことを示すために付した図となる。その点、上掲図左上は年代記に見るアラゴン王の[紋章を体現した象徴的似姿として描かれているとの姿]となる(出典となる史料は英文Wikipediaに掲載されているとのものとなり、カスティリャ王女と婚儀を交わした王たるフェルナンド2世の二代前の王アルフォンソ5世の治政に作成されたものとなる)。他面、下段の図らについてであるが、下段左は1492年、アラゴン王とカスティリャ女王が婚儀結んで成立した同君連合国、カスティーリャ=アラゴン連合国(英語圏では Catholic Monarchsと呼び慣わされる統治体)によって征服されたナスル朝の「後に」設置された統治体の紋章、[ザクロの王国紋章]となる(英文Wikipedia[ Kingdom of Granada ( Crown of Castile )]に掲載されている紋章となる ―(再述するが)日本ではイベリア半島に拠ったイスラム系の最後の王朝ナスル朝の別称をグラナダ王国とする風が強くもあるも、ここではその用法は取っていないとのこと、お含みいただきたい― )。加えて、下段図右についてではあるが、そちらはカスティーリャ=アラゴン連合国、後のスペイン王国がいかようにしてザクロに対するこだわりを見せていたのかを示すために挙げたものとなり、出所は Project Gutenbergのサイトにて公開されているヘラルドリー、紋章学に関する1909年刊行の解説書たる A Complete Guide to Heraldry(同著著者、その方面ではよく知られているようである紋章学関連の著述家 Arthur Charles Fox-Daviesの浩瀚なる紋章学に関する知識がひしひしと伝わってくるような緻密なる解説書となる)より抜粋したものとなり、その図葉概要は
[イギリス王室に嫁いだスペイン女王キャサリン・オブ・アラゴンとの兼ね合いで彼女の夫となったヘンリー8世と同キャサリン・オブ・アラゴンが共にバッチとのかたちで帯びていた紋章]
となる(:[イギリスのティーダー朝王家の紋章たる赤薔薇・白薔薇紋章](ランカスター家とヨーク家の紋章の融合形)と[スペイン王家の象徴としての「ザクロ」]が合体を見ているとの紋章となり、といったものからしてスペイン王国のザクロへのこだわりが分かるようになっている ―ちなみに(表記のようなザクロ・バラの混淆型であるバッジを帯びていたとのことである英国王の)ヘンリー8世となると自身の後添えアン・ブーリンに対する酷薄なる仕打ちでも歴史通には有名な王とはなっているが、呈示の紋章が生み出される契機となったキャサリン・オブ・アラゴンとの婚儀が「離婚」とのかたちで解消されたうえでヘンリー8世は同アン・ブーリンを娶っているのであり、その際、離婚を強行したヘンリー8世に対するカトリックからの破門措置、そして、イギリス国教会のカトリックからの分離とのかたちで歴史が展開を見ているとのことがある(離婚と結びついての揉め事のためにイングランド国教会が今日あるようなものになったことは日本でも高校生が世界史の科目で限定的に把握を強いられるぐらいに有名なことではあるが、キャサリン・オブ・アラゴンなど知らないとの向き、だが、アン・ブーリンのことは知っているといった向き、いたらば稀有であろうかもしれぬとの向きを一応想定しての多少細かくもの言及をなしておいた)― )。
さて、ここより問題としたいのはスペインがザクロを掌中にしたその年、1492年にあってザクロの地(グラナダ)での協約(直上言及のサンタ・フェ協約)が原動力となって開始された、
[ヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)の先を目指しての航海]
[アメリカ大陸発見に結びついた航海]
がいかようにしてペルセポネと結びつくと述べられるようになっているか、である。
c.上のb.にて紹介しているように、コロンブスのアメリカ大陸に向けての航海はスペイン(アラゴン・カスティリャ同君連合)がグラナダを征服、ザクロを食したといった状況に至った直後にザクロを紋章とする土地、そして、ザクロとの言葉と対応しているとの地(グラナダ)のサンタ・フェでの契約を下に実現を見たとのものと述べられる。
といったコロンブス航海によって発見されたアメリカ大陸の植民地化事業を推進していたスペインは
[ヘラクレスの柱およびそこに刻まれての特徴的なモットー(標語)]
を紋章として利用するようになっていった。
その紋章ありようには新大陸へのスペインのスタンスが介在していると考えられる、[ジブラルタル海峡](南端をアフリカ、北端をイベリア半島とする地中海と大西洋の門となる海峡)が[ヘラクレスの柱]にて歴史的に象徴されてきたとの中でスペインのスタンスが介在しているように考えられるようになっているとのことがある。
それにつき、まずもって述べるが、
「ジブラルタル海峡に仮託される[ヘラクレスの柱]は古代より大西洋(アトラスの海ことアトランティック・オーシャン)の先には何もない、そこより先に向かったものは戻ってこれないとの認識の下、ラテン語の Nec Plus Ultra「この先には何もない」とのフレーズと共にあったとされるのであるも、といったヘラクレスの柱の象徴的理解に対してカスティリャ・アラゴン王国を継ぎスペイン王国の盟主となっていたハプスブルク家出身のスペイン王カルロス1世(同王、ドイツ皇帝位を戴いてのカール五世でもある)が Nec Plus Ultraとのそのモットーの部を Plus Ultra「この先を越えて」と変えて自己の標語として用いだしたとの経緯がある」
とされる。
といった事情あってカルロス1世が王として君臨したスペインのモットーとなり Plus Ultra(この先を越えて)とのモットー付きのヘラクレスの柱そのものがスペイン国の紋章となったとの経緯があるとされている。
ここ出典(Source)紹介の部98にあっては、
[ザクロのグラナダ王国を掌握することでレコンキスタを終えて大海原(ヘラクレスの柱で体現されるジブラルタル海峡を越えた先にある大西洋)に漕ぎ出したスペインの紋章が[ヘラクレスの柱と結びつくプルス・ウルトラ「さらに越えて」との標語を用いてのものであった]
とのことの出典をここに挙げる。
まずもって基本的なところとしてそこよりの引用からなしはじめるが、オンライン上より即時確認できるところとして和文ウィキペディア[プルス・ウルトラ(モットー)]項目には「現行」、次のように記載されている。
(直下、和文ウィキペディア[プルス・ウルトラ(モットー)]の現行にての記載内容を引用するところとして)
プルス・ウルトラ( Plus Ultra,ラテン語でもっと先へ、もっと向こうへ、更なる前進)はスペインの国のモットーで、カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の個人的なモットーから採用された。『グラナダにおけるカール5世の宮殿』(1985年)の著者アール・ローゼンタールはこのモットーの起源を研究した。モットーはヘルクレスの柱と密接に結び付けられた。それは・・・(中略)・・・当時知られていた世界の果てを示している。神話によれば、その柱はネク・プルス・ウルトラまたはノン・プルス・ウルトラ( Nec Plus Ultra,Non Plus Ultra,先には何もない)という警告を発して、船員たち、探検家たちがそれ以上進まないための警告として役立っていた。
(引用部はここまでとする)
直近引用部では
[プルス・ウルトラが[もっと先へ]を意味するフレーズであること、それがスペイン国旗・国章に刻まれていること、元来、ネク・プルス・ウルトラとの文言が[この先には何もない]との意味合いでヘラクレスの柱に刻まれていたとの伝承があること]
が言及されている。
につき、ウィキペディアなどより重んずべきもの、そして、オンライン上より即時に確認できる引証の材としての出典を挙げるとすれば、 Project Gutenbergのサイトにて全文公開されている19世紀末の書、 A SHORT HISTORY OF SPAIN(1898年刊行. Mary Platt Parmeleという19世紀から20世紀活動の歴史家の手になる書籍)にてCHAPTERの III.、その18ページより抜粋するところに次のような記載がなされているところでもある。
(直下、 Project Gutenbergより全文ダウンロード可能であるところの A SHORT HISTORY OF SPAIN(1898)にてのCHAPTER IIIの記載内容よりの原文引用をなすとして)
In order to understand the indifference of Rome to the Spanish Peninsula at this time, it must be remembered that Spain was then the uttermost verge of the known world, beyond which was only a dread waste of waters and of mystery. To the people of Tyre and of Greece, the twin "Pillars of Hercules" had marked the limit beyond which there was nothing; and those two columns, Gibraltar and Ceuta, with the legend ne plus ultra entwined about them, still survive, as a symbol, in the arms of Spain and upon the Spanish coins; and what is still more interesting to Americans, in the familiar mark ($) which represents a dollar. (The English name for the Spanish peso is pillar-dollar.)
(拙訳として)「当時のローマの(現行にては)スペインを擁する半島に対する無関心さを理解するためにはスペインが当時、[既知の世界の極限の縁(へり)]に存在しており、そこを越えてあるのは[水と神秘の恐るべき荒れ地]であった(と考えられていた)とのこと、思い出されねばなるまい。ツロとギリシャの人々にとり[双子のように対なすヘラクレスの柱]は[その先に何もない]との限界線を示すものであり、そして、ジブラルタとセウタに存する二つの柱は伝説の ne plus ultra(この先には何もない)がそれらにまとわりつくところとなりながら、スペイン貨幣上のスペイン紋章に見るシンボルとし、そして、アメリカ人にはより興味深いことにドルを体現するよく知られたドルマーク(スペイン・ペソ通貨の英語呼称は[柱のドル]となる)のシンボルとし、未だ存続を見ている」
(訳を付しての引用部はここまでとする)
上にての19世紀末に世に出ていた歴史家の手になるスペイン史簡易解説書籍にては
[ジブラルタル海峡(欧州サイドをジブラルタル、アフリカサイドをセウタとする海峡)の象徴物としての双子の一対の柱たるヘラクレスの柱に「この先には何もない」との意味で ne plus ultraの碑が刻まれていたとの伝承が存すること、また、そのような碑が刻まれていたとされるヘラクレスの柱が(19世紀末にて)スペイン紋章およびドル・マークにその姿を留めていること]
とのことが記載されている。
以上で指し示しを十全になしていることか、ともとらえるが、同様にオンライン上より即時確認できるとのメリットはある媒体よりの抜粋をもう少しなしておく。
(直下、英文Wikipedia[ Charles V, Holy Roman Emperor ]項目にての Coat of Arms of Charles V(カール五世の紋章)の節よりの引用をなすとして)
Charles I also incorporates the pillars of Hercules with the inscription "Plus Ultra", representing the overseas empire and surrounding coat with the collar of the Golden Fleece, as sovereign of the Order. Being crowned Emperor in 1519, ringing the shield with the imperial crown and Acola double-headed eagle of the Holy Roman Empire and behind it the Spanish Cross of Burgundy.
「スペイン王カルロス1世 (訳注: Charles I.神聖ローマ帝国皇帝としては Chales Vとなり、日本語読みではカール5世) はまた(自身の)紋章にてのヘラクレスの柱にプルス・ウルトラの文言を組み込み、もってして、海外に広まった帝国 (訳注:ハプスブルク家出身のカルロス1世・兼・ドイツ皇帝カール5世の統治下のスペインは新大陸に足場を固め[日の沈まぬ帝国]と化していたことが知られている ―日本で世界史をお受験に使うことをした高校生ですら把握を求められるとの通用度合いの高い知識となる― ) を表象し、紋章外面を金羊毛騎士団、同騎士団の絶対的優位性を示すものとして金羊毛の襟章 (訳注:15世紀に設立され、後にハプスブルクを中心とした紐帯になった定員数極少数の騎士団、欧州の際立っての貴顕が名を連ね、日本の皇室もその勲章を与えられているところの[ギリシャ神話のイアソンに主導されての金羊毛皮ゴールデン・フリース獲得のためのギリシャ神話英雄がオールスター出演した伝承]に由来する金羊毛騎士団の襟章(えりしょう)) で囲んだ。カルロス1世が1519年、皇帝位を授与されたことを受け、紋章にての楯の部は帝国の宝冠、神聖ローマ帝国の双頭の鷲にて周辺を円環に取り囲まれることになり、その後ろにバーガンディーのスペイン十字が配されるに至った」
(訳を付しての引用部はここまでとしておく)
また英文Wikipedia[ Plus ultra (motto) ]項目にては次のように記載されている。
(続いて直下、英文Wikipedia[ Plus ultra (motto) ]項目よりの引用をなすとして)
The motto became popular in Spain after Charles V became king of both Aragon and Castile in the early 16th century. It subsequently became the motto of Habsburg Spain and featured on the Spanish dollar. The motto was used to encourage Spanish explorers to go beyond the Pillars of Hercules and on to the New World. Today the inscription, along with the Pillars of Hercules, is featured on both the national flag and emblem of modern Spain. It was also featured on the shield of the Second Spanish Republic.
「プルス・ウルトラとのモットーはカール五世が16世紀前半にてアラゴン・カステーリャ両国の王になった後にてのスペインにてよく知られたものとなった。同モットーは順次、ハプスブルク家統治下のスペインのモットーとなり、そして、スペインドルにて示されるとのものになった。同モットーはスペイン人探検家らが新世界(アメリカ)へとヘラクレスの柱を越えて行くことを鼓舞するために用いられたとのものである。今日、ヘラクレスの柱の側にての同標語の刻み込みがスペインの国旗および国章の双方にて特徴的に見て取れるようになっている。それはまた、第二スペイン共和国の紋章、その楯の部にてもその特徴をなすものとして用いられていたものであった」
(訳を付しての引用部はここまでとしておく)
(出典(Source)紹介の部98はここまでとする)
これにてc.にて表記のこと、
「スペインがグラナダ(ザクロ)を扼するに至った年、グラナダの地にて1492年に締結されたサンタ・フェ協約に基づき、コロンブスの冒険的航海がスタートを見、新大陸アメリカが「発見」された。その新大陸アメリカの征服を国家として促進したとのスペインはジブラルタル海峡(大西洋と地中海を分かつ海峡)の象徴物たる[ヘラクレスの柱]に「この先を越えて」 Plus Ultraとの標語を加えてのものを国家の紋章として新大陸に漕ぎ出していく者達を鼓舞した」
とのことの指し示しとなした。
視覚的理解を促すための図を挙げておく。
その点、上掲図左上の部にあっては
[スペイン王[カルロス1世](英文表記は Charles I)との立ち位置に加えて後に神聖ローマ帝国皇帝[カール5世](英文表記は Charles V)としての立ち位置も兼ねるようになり名実共に[日の沈まぬ帝国]の君主となったとのハプスブルク王朝主導者の似姿を描いた肖像画 ――(同画にあっての鎧にての反射光を描く絵筆の妙からして唸らされるようなところがある、その卓抜した腕前がゆえに16世紀にあって声望を博していた肖像画家ティチアーノの作としてのカール5世肖像画)―― ]
を挙げておくこととした。同肖像画に描かれたカルロス1世・カール5世が鷲を軍旗としていたローマの継承者としての自負から自分達の紋章としていたとの[双頭の鷲]、ハプスブルクの表象としての[黒き双頭の鷲]を刻み込んだスペイン紋章に
[ Plus Ultra[この先を越えて]とのフレーズとワンセットになったヘラクレスの柱]
をもまた刻み込んだということを示すために挙げたのが上掲図右上の紋章呈示の部となる(出典は英文Wikipediaとなる)。
カルロス1世にしてカール5世でもある大領域国家の君主が[ヘラクレスの柱に Plus Ultra[この先を越えて]との文言を加え込んだもの]を紋章に加えたこと、そのことにまつわる文字情報としての典拠についてはここまでにて細かくも紹介してきたところだが、とにかくも、上掲図でもってしても紋章に刻み込まれた、
[ヘラクレスの柱と Plus Ultra[この先を越えて]]
がいかようなものなのか、視覚的にも理解いただけることか、と思う。
d.ここに至るまで
[1492年:ザクロを紋章とすることになった王国の所在地にしてスペイン語のザクロが地名と対応しているとの地グラナダの制圧によるスペイン(カスティリャ・アラゴン同君連合)のレコンキスタ完遂] → [いわばものザクロを食した状況の具現化] → [1492年:ザクロのグラナダにてのサンタ・フェにての協約の締結によってのクリストファー・コロンブスの新大陸発見航海の開始] → [16世紀(スペインの新大陸植民地化事業が進んだ1500年代)にてのスペイン紋章にてのヘラクレスの柱および Plus Ultraの刻字、そして、それによる新大陸事業関係者への鼓舞]
との史的経緯について指し示してきた。
以上の流れが何故、問題になるのか。これより順次、その点についての詳解を加えていくが、問題となると見立てているのは一義的には
「冥界の女王ペルセポネに通ずる「残虐な」複合的関係性を同じくものところに見出せる」
とのことが「ある」からである。
その点、まずもって述べるが、
「ペルセポネはザクロを食したため冥界の住人になったと伝わる存在である」(先にも[エレウシス秘儀]にまつわるところとして英文Wikipedia[ Eleusinian Mysteries ]項目にての Mythology of Demeter and Persephoneの部にての記載として Zeus, pressed by the cries of the hungry people and by the other deities who also heard their anguish, forced Hades to return Persephone. However, it was a rule of the Fates that whoever consumed food or drink in the Underworld was doomed to spend eternity there. Before Persephone was released to Hermes, who had been sent to retrieve her, Hades tricked her into eating pomegranate seeds, (six or four according to the telling) which forced her to return to the underworld for some months each year. She was obliged to remain with Hades for six or four months (one month per seed) while staying above ground with her mother for a similar period.
(訳として)「ゼウスは飢えた人々の叫び、そして、苦痛の声を聞いた他の神々に圧力受けるとのかたちにて(冥界の主催者たる)ハデスをしてペルセポネを帰還なさしめた。しかしながら、冥界の飲食物を口に入れたものは誰であれ冥界にて永劫、時を費やすことになる(訳注:日本の伊弉冉(イザナミ)神話に見る黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)と通底する神話的設定でもある)というのが[運命の神ら]が定めたルールでもあった。ヘルメス(訳注:伝令としての神格)の元へとペルセポネが解放なされる前にハデスは彼女をして(冥界に由来する)柘榴(ざくろ)の種(伝承によれば六ないし四)を騙して食させしめ、そのことが年に何ヶ月かはペルセポネをして地下世界に戻らしめることになった。彼女は同じくもの期間、母の元にて上の世界に留まる一方でのこととして、六ヶ月ないし四ヶ月(実ひとつに対して一ヶ月)冥界のハデスの元に留まることを強いられることになった」(訳はここまでとする)を引いていたとおりのこととして[ペルセポネがザクロを食したために冥界の住人になった]とのことは欧米圏にて実によく知られていることである)。
図示なしながらもの脇に逸れての話として
ここでは脇に逸れての話、それも多少、
[行き過ぎて過度に憶測がかった話と見做されもしようとの話]
を意図的になしておく。
以上、そうもした話の性質につき断ったうえでのこととして、である。下の図をご覧頂きたい。
図にての上の段では[手榴弾](英語でいうところのハンド・グレネード)の姿を挙げている。細かくは上の段にての左側が「安全ピン装着式としては」第一次大戦にあって初出の[手榴弾]
似姿が一次大戦直後に刊行された著作( Project Gutenbergのサイトにても全文公開されている1919年に刊行の Inventions of the Great Warとの著作)にあって[一次大戦付随の発明]として紹介されているものとなり、他面、上の段にての右側が(1906年に発明されたとされる[近代式手榴弾]に間を経ずにの一次大戦から今日あるような[安全ピン]を付けられたバージョンが登場しだしたとの)手榴弾がマイナーチェンジを経続けた結果、今日、米軍らに主力兵器として採用されている[M67「破片式」手榴弾]の似姿となる。さて、呈示の図の見るような「破片式」手榴弾とは英語で表記するところの fragmentation hand grenadeとのものであるが、その兵器名、手「榴」弾というものが元来からしてそうであるように爆発力それ自体で標的を殺傷する兵器であるのと同時に爆発として飛び散った砕片ら ―悪魔の果実種でもいいだろうが― でもって標的を殺傷する兵器であることを強くも前面に押し出しての名称とも言える(その点、[爆発で飛び散らせて対象を害するように仕込まれている砕片の束]でもって殺傷をなそうとの兵器発想法がいかようなものなのかは ―ここでの話が意図しているザクロ、その果実の問題にも通ずるところがあるからこそ、細々と言及するのだが― その史的背景も含めて英文Wikipedi[Fragmentation (weaponry)]項目に詳しい )。
下段の図はザクロの学名 Punica granatum ―(granatumとgranadaとの言葉を(先になしている話からお分かりいただけようかとは思うが)同系統の言葉である)― と結びつくところとして作成されもしているものを引いてのザクロ細部紹介図となる。
さて、米軍歩兵の主力兵器となっているM67破片手榴弾(上掲図上段図右)と下のザクロ概要図に見るザクロ似姿に
[形状上の「際立っての」相似形](細かき湾曲の仕方も含めての相似形)
を見出すのは容易いのであるが、米軍歩兵主力兵器がそうした似姿になっているのは(人間工学的合理性を追求した結果とのこともあろうかとは思いたくもあるのだが)ザクロとの関係性が当然に想起されるところとなっている。というのも、手「榴」弾、ハンド・グレネードに見るグレネードの名称はそもそも柘「榴」ザクロ、スペイン語ではグラナダにもなるとのザクロと密接に結びついているとのことがあるからである(:戦争映画なぞで兵隊らが英語で「グレネード!」と喚いているのをご覧になられた向きもあるかもしれない。そういう描写は投擲するか、投擲されてくる手榴弾グレネードの語源がザクロにあるとのことを顧慮すれば、「ザクロ!」と喚きたてているのに等しいとのことでもある)。
(直近述べてのことの出典として:まずもって英文Wikipedia[ Hand grenade ]項目にてのEtymology(語源)の節にての現行記載を挙げおく。
(原文引用するところとして)
The word "grenade" derives from the French word for a "small explosive shell". Its first usage in English dates from the 1590s. It is likely derived from
Old French pomegranate (influenced by Spanish granada), so called because
the many-seeded fruit suggested the powder-filled, fragmenting bomb, or
from similarity of shape.
「グレネードとの言葉は[微少なる爆発に伴う砕片]を意味するところのフランス語に由来している。同語の最初のイギリスでの使用年次は1590年代に遡る。それは相応しくも古フランス語の[ザクロ]の語(スペイン語のグラナダ=ザクロに影響を受けている言葉)にそうなるべくして由来している、というのも、多数の種を含むザクロ果実が火薬で満たされ破裂する爆弾と通ずるところがある、ないしは形状上の相似形があるからである」
(訳を付しての引用部はここまでとしておく)
以上のことだけでは納得できなかろう向きもあろうか、と思うから、そも、 hand grenadeのgrenade、上にてはスペイン語のザクロ(グラナダ)に影響を受けたとも記述されているそのフランス語単語がザクロそのものを指す言葉であるとのことについてさらなる引用をもなしておくこととする。
については英文ウィキペディアのザクロにまつわる項目よりの引用をなしておくこととする。
(以下、英文Wikipedia[Pomegranate]項目にあっての Etymology and terms for pomegranate in other languages[ザクロの語源とザクロを指す他の言語での言葉として]の節での現行記載内容より原文引用をなすとして)
The name pomegranate derives from medieval Latin pomum "apple" and granatum "seeded". This has influenced the common name for pomegranate in many languages (e.g. granada in Spanish, Granatapfel or Grenadine in German, grenade in French, granatapple in Swedish, pomograna in Venetian).
「pomegranate(ザクロ)との言葉は中期ラテン語にての林檎を指すpomumと果実に恵まれたを指すgranatumに由来している。これが諸種言語にてのザクロの共通する呼称に影響を与えている。例えば、(ザクロを指すところとしての)スペイン語にあってのgranada、ドイツ語にあってのGranatapfelないしGrenadine(訳注:アプフェルapfelはドイツ語では林檎を指す語であり、それがgranaとの接頭語と結びつけられている)、フランス語のgrenade(訳注:ここがハンド・グレネードのグレネードがフランス語のザクロとなっていることを示す部となる)、スウェーデン語のgranatapple、ヴェネチア様式のpomogranaなどがそうである」
(訳を付しての引用部はここまでとしておく)
さて、欧米で第一次大戦の折にあって安全ピン装着型の今日あるような形状が生み出されたとの携行型ザクロ、ハンド・グレネード、それが戦中期日本にあって自決用 ―軍属・民間人双方にての自決用― に多用されたとのことがあるのはよく知られたことである(映画などではクリントン・イーストウッドが撮った『硫黄島からの手紙』、同映画にて酸鼻を極め現実もまたさもあったのであろうといったかたちで手榴弾を使っての自決がインパクト強くも多数回描かれている)。
といった先の大戦での日本での手榴弾による自決はハンド・グレネードとの言葉のありようから、
[ザクロ(グレネード)の実(四散する砕片)を喰らっての死]
であったとも言い換えられるわけだが、それはもののいいようとして
[日本の死と汚れの神・伊弉冉(イザナミ)の伝承]
ともオーバーラップするものであると述べれたらばどうか。
その点、
「ペルセポネは冥界の食べ物たるザクロの実を食して現世に顕現できない冥界の住人になったと伝わるが(直近にて基本的なる典拠は挙げているところである)、日本のイザナミにあって「も」冥界の食べ物を食して現世に後戻りできない冥界の住人になった ―いわゆる黄泉戸喫(よもつへぐひ)をなして冥界の後戻りできない冥界の住人になった― との伝承が伝わっており」(イザナミの似姿を見たイザナギの恐怖と狼狽の話ばかりが目立っており、あまり知られていないことだが、そういうエピソードが伝わっており)、
とすれば、
「ペルセポネの冥界入りの果実たるザクロ(グラナダ/グレネード)を喰らって現世と決別するという最期のありようは[伊弉冉(いざなみ)の黄泉への定着方式]と記号論的には結びつく」
とも述べられるとのことがある(出典表記として:イザナミがいわゆる[黄泉戸喫(よもつへぐひ)]なる行為をなして、すなわち、冥界の飲食物を食して冥界の住人になったとの描写が古事記になされていること、そのことの出典表記もなしておく。それに関しては和製 Project Gutenburgとも言えるかたちで著作権が喪失を見た著作を無償公開しているとの青空文庫にてのページでも全文閲覧できるところの角川書店出版版『古事記』(昭和にあって国文学者として令名を馳せていた武田祐吉によって監訳されている版)より次の記載内容を ―「青空文庫、黄泉戸喫」などとの検索エンジン入力で該当部記述をオンライン上より特定できようことかとは思うが― 原文引用しておくこととする。(武田祐吉監修の『古事記』より該当部引用するところとして)ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「悔やしかも、速(と)く來まさず。吾は黄泉戸喫(よもつへぐひ)しつ。然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り來ませること恐(かしこ)し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神(よもつかみ)と論(あげつら)はむ。我をな視たまひそ」と、かく白して、その殿内(とのぬち)に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき
(引用部はここまでとする)。お分かりのことかとは思うが、ここで問題視しているのは[文献的事実の問題]としてイザナミが「悔やしかも、速(と)く來まさず。吾は黄泉戸喫(よもつへぐひ)しつ。然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り來ませること恐(かしこ)し
」と述べている部である ―現代文で表せば、「来るのが遅すぎました。すでに私は[ヨモツヘグイ]してしまった(黄泉のものを食してしまった)のです。しかしながら、愛しいイザナギ様がやってきてくれたこと、まことに恐れ多いことです」とでもなろうかといった部を重んじている― )。
それにつき、日本の記紀神話に見る、
[冥府に亡き妻を求めて向かったイザナギ(イザナミノミコトの夫)が腐乱したイザナミを見たがためにイザナギと訣別をなすことになった]
との一幕、いわゆる「見るなのタブー」に関わる一幕が含まれていることは有名なことではあるが(和文ウィキペディア[イザナミ]項目にあっての現行の記載を ―出典表記を重んじる本稿であるからこそ、煩瑣でありながら、そして、読みやすさを犠牲にしながらそのようなことまでわざわざなしているとの式で― 引用するところとして)死後、イザナミは自分に逢いに黄泉国までやってきたイザナギに腐敗した死体(自分)を見られたことに恥をかかされたと大いに怒り、恐怖で逃げるイザナギを追いかける。しかし、黄泉国と葦原中津国(地上)の間の黄泉路において葦原中国とつながっている黄泉比良坂(よもつひらさか)で、イザナミに対してイザナギが大岩で道を塞ぎ会えなくしてしまう。そしてイザナミとイザナギは離縁した
(和文ウィキペディア[イザナミ]項目よりの引用部はここまでとする)と表記されているようなところである)、同じくものその「見てはならないとのタブー」に関わる側面で古代ギリシャのペルセポネと関連するところの神話がイザナギ・イザナミ神話に共通する側面を帯びているとのことがここでの話 ―日本にてのザクロ(グレネ-ド)による自決・玉砕・冥府行きとギリシャのペルセポネのザクロ飲食による冥府の存在化に関するここでの話― に重みを持たせるところともなっていると申し述べたいとのこと「も」ある(先にペルセポネとイザナミの間には冥界の食べもの摂取による冥界の住人化との話が伝わっていると紹介したが、彼女らには[振り返って見てはならないのタブー]の問題も関わっている)。
ギリシャ神話にあってはオルフェウス、その竪琴と歌の名手オルフェが冥王ハデスと[ペルセポネ]からの許しを受けて自身の亡き妻エウリュディケの現世への引き戻しを「彼女の姿を見なければ」との条件付きで認められたとの一幕が存在しており、そこにあってはオルフェウスが妻エウリュデケの姿を見たために彼女と永劫に訣別したとの伝承が伝わっていることも
[[ギリシャ神話](柘榴を食して冥界の者になったペルセポネも関わる冥界を生死両界を境にしての訣別の神話)と[日本の神話](イザナミと黄泉戸喫(よもつへぐい)して冥界の者となったイザナギの生死両界を境にしての訣別の神話)の結合点]
として挙げられる、それがゆえに、話の重みを増させるところ「でも」あると述べたいとのこともある(出典表記として:オルフェウスが亡き妻エウリディケを追って冥界下りをなし、もって、その返還を冥府の王ハデスと王妃ペルセポネに請うた、美しき竪琴の調べをもってして請うたがために、「振り返らざるに妻の魂を現世に連れ戻せたらば」、との条件付きで妻の返還を赦されたとのエピソードについての神話的エピソードにまつわる典拠紹介からなしておく。具体的には Project Gutenbergのサイトにて公開されている古色蒼然とした書たる Myths and Legends of Ancient Greece and Rome『古代ギリシャおよびローマの神話と伝承』にあってのOrpheus関連エピソードの部より掻い摘まんでの抜粋をなしておくこととする。(以下、表記著作よりの引用をなすとして) His longing to behold her once more became at last so unconquerable, that he determined to brave the horrors of the lower world, in order to entreat Aides to restore to him his beloved wife. Armed only with his golden lyre, the gift of Apollo, he descended into the gloomy depths of Hades, where his heavenly music arrested for a while the torments of the unhappy sufferers. [ . . . ] Undismayed at the scenes of horror and suffering which met his view on every side, he pursued his way until he arrived at the palace of Aides. Presenting himself before the throne on which sat the stony-hearted king and his consort Persephone, Orpheus recounted his woes to the sound of his lyre. Moved to pity by his sweet strains, they listened to his melancholy story, and consented to release Eurydice on condition that he should not look upon her until they reached the upper world. Orpheus gladly promised to comply with this injunction, and, followed by Eurydice, ascended the steep and gloomy path which led to the realms of life and light. All went well until he was just about to pass the extreme limits of Hades, when, forgetting for the moment the hard condition, he turned to convince himself that his beloved wife was really behind him. The glance was fatal, and destroyed all his hopes of happiness;
(訳をなすとして)「彼女(亡き妻エウリュディケ)への哀憐の情はついには克服しがたきものとなり、それがゆえ、彼(オルフェウス)はアイデス(冥王ハデス)に最愛の妻を返すように求めるため、地下世界の恐怖をものともせずにの挙を敢行することにした。アポロンよりの贈り物であった黄金の竪琴のみを帯び、彼オルフェウスが天上の音の調べにてしばしの間、不幸なる囚われ人の苦しみを和らげたとの冥界ハデスにあっての陰鬱なる深みへと降りて行った。・・・(中略)・・・どこにいても眼前にあった恐怖と苦しみの光景に周章なしながらも、オルフェウスはアイデス(冥王ハデス)の宮殿に至るまで探索をなし続けた。無情なる冥王ハデスおよびその妻ペルセポネが座すとの玉座の前に詣でて、彼オルフェウスは竪琴の調べにあわせて苦難の物語を語った。オルフェウスの甘き旋律に憐情を催すところがあり、ハデス・ペルセポネらは妻エイリュディケを彼が[現世](地下世界に対するアッパー・ワールド)に至るまでに彼女似姿を振り返って見ないのならば、との条件付きでエウリュディケを解放することに同意した。オルフェウスは喜んでこの(解放にあっての)差し止め条項を呑み、エウリュディケを連れ立つとのかたちにて生命と光の領域(現世)に向け、険しく、そして、沈鬱なる道を登っていくこととなった。全てが順調に運び、まさしく冥界との極限の部を通りこそうとした際、ほんの寸刻、状況の困難さを忘れ、彼は自分の最愛の妻が本当に自分の後ろにいるのかどうか確認すべくも振り返りをなしてしまった。その一目が致命的となり、オルフェウスの幸せへの望みを断ち切ることとなった」(訳を付しての引用部はここまでとする))。
ここまでの内容を整理する。
「ギリシャ神話におけるペルセポネは[冥界に属していたザクロを食して冥界の存在(冥界の女王)と「確定」した存在]と伝わっている。他面、日本の記紀神話における伊弉冉(いざなみ)は[冥界の飲食物を飲食した、黄泉戸喫(よもつへぐひ)をなしたために冥界の存在として「確定」した女神]と伝わっている。
といった共通項のみならず、ギリシャ神話では[ペルセポネ]らの許可を受けて最愛の妻を冥府から連れ出そうとしたオルフェウスがその妻(エウリュディケ)の姿を振り返って見てしまったがために彼女と幽冥境にすることになった、エウリュディケの冥界の存在としての側面が「確定」し生死両界を挟んでの離別をなすことになったとのエピソードが伝わっている。それと極めて似たようなところとして日本の記紀神話でも亡き妻イザナミに逢うために黄泉へやってきたイザナギ神につき[イザナミの姿を見たために彼らの訣別が固まった]との描写がなされている。
そうもした按配で複合的類似性を呈している[(ペルセポネ関連の)ギリシャ神話と日本神話にての特定描写]に関わるところとして ―「イザナミ・イザナギが大戦終結まで実質的国教であったとの国家神道にあっても[国産みをなした神]として崇拝をなされていたことに関わるところでもあるように」映るところとして― 日本にては戦中期、
[ザクロ(グレネード)を喰らっての冥府行き]
が戦地自決とのかたちで横行していた。それをして偶然で片付けられるのか(イザナミ・イザナギを国産みの神として尊崇視するとの体系を核に据えての国家神道が人々の精神を拘束していた際に「天皇陛下万歳!」などと今際の際にて大音声(だいおんじょう)で呼ばわり、[現人神]としての風采の上がらぬ小男を神として崇めてのザクロ(グレネード)による自決が横行していたのを偶然と、そう、[神道]と[ギリシャ神話のザクロの冥府の女王]のエピソードの連続性のことも加味して偶然として片付けられるか)といったことを問題視している」
ここではそういう話をなしているのである。
上のことを前提に置いたうえでここ本題から脇に逸れての話で訴求したいと考えているとのことは、
「問題はそうした側面が伴っていること、修羅の巷といった按配の戦場にて具現化してきた[ザクロ](手榴弾;グラネード)を喰らうことで生きることを放棄しての行為(あるいは結果的にグラナータを喰らわされて殺されたも同文の生きることを放棄「させら」れての行為)に計算尽くの[背景設定] ―自分で本質的に何かを考えるようなことをしないとの機械ら、その行為を規定するプログラミングのフローのような背景設定― のようなものが介在していれば、その背景設定にあっては
[人の生き死にを巧妙に、かつ、冷酷・嗜虐的に操作しようとの力学](先だっても似たようなことを申し述べたとのことだが、まるで歌を詠んだ際の掛け詞の妙なぞを競うがように人の死でもってグロテスクな造化の妙を競う(殺人劇を何かに見立てて実演する、そう、見立て殺人 Ritualistic Murderをまるで歌会か何かのように実行している)とのやりようを呈している、そうも露骨に見えもする力学でもいい)
が強くも作用している、そして、人間の生き死にの問題がそういう力学の薬籠中のものとして芥子粒のように扱われてきたのが人間の歴史というものである」
とのことではあるのだが、ここでの伊弉冉(いざなみ)にまつわる話は
「印象論に傾きすぎているきらいありと見なされるものであろう」
とのことで堂々となすことを念頭に置いてのものではない ―脇に逸れてのここでの図示の段に入った時点で先に「脇に逸れての話、それも多少、行き過ぎて過度に憶測がかった話とみなされもしようことを意図的になしておく」と申し述べていたとおりである― 。
ただし、そうも断りつつ明言するが、
「ここでの話は印象論がかったものなれど[脇に逸れての意図しての話]としてはなすべきに値するものとなるだけの側面が伴っている、それだけ本筋となる[ぺルセポネを巡る「他の」関係性]については重んじて然るべき側面が伴っている(ペルセポネを巡る関係性の多重性度合いはあまりにも異常なものとなり、それなればこそ、の問題として、「ここでの[手榴弾]と[ザクロ]と[黄泉戸喫(よもつへぐい)]の話とて行き過ぎの話、ただそれだけにとどまるものではないだろう」と申し述べる)」
具体的証拠の山とそこから自然に導出できるとの因果性の呈示でもってして[人間を馬鹿にし尽くしたうえで殺し尽くそうとしているとの力学があること]を示しても、そこに[聞く耳]が存在しなければ何にもならないわけだが、とにかくも、(聞く耳を持った、機械のような存在では「ない」との向きが読み手であった場合を想定して)、続けての話をなすこととする。
(脇に逸れての話はここまでとしておく)