冥界の女神ペルセポネを軸として成立している多層的関係性にまつわって問題となりもすること 補説3
前頁までにあっては[ペルセポネ]を巡る多重的関係性のことを摘示していった。専らにしてそうもした関係性がブラックホール(の類似物)具現化にまつわるところでそうもなっているとのものとなっているとのことを示すとの観点にて、である。
そして、直前頁にあっては問題となる関係性 ―(さらに後の段にて振り返りもする関係性)― をあらかた摘示した後、
[ペルセポネを媒介項にしての関係性]
が「さらにもってして」多層的に広まっているとのことが「ある」、具体的には、
[レコンキスタ]
にまつわってのところとしてそうもしたことが「ある」と申し述べ、そのことにまつわっての説明をなすための部であるとして[a.からe.と各別に振っての順次段階的なる説明の部]に入った。
ここ本頁では以上、極々端的に振り返っての流れでの話を続ける(ちなみに前頁までにてのd.の段までで[レコンキスタ(イベリア半島からのイスラム勢力の放逐)運動の中、1492年に[ペルセポネがそれを食した果物]でもある柘榴(ザクロ)を意味するグラナダがスペイン勢力に占領された直後から大航海時代が幕開けを見、その流れの中でスペインが新大陸に向かっていく欧州人を[ヘラクレスの柱]の紋章を用いつつ鼓舞することになった]とのことを(細かくも典拠挙げながらも)解説し終えている)。
さて、先述のこと、
「グラナダがザクロを意味する言葉となり、また、ペルセポネがザクロを食したことで冥界の住人になった」
とのことだけでは、無論にして、
[スペインがザクロ(を意味するグラナダの地)をものにした(との按配でのレコンキスタ完遂をなした)]
とのことに[ペルセポネ伝承との奇怪なるアナロジー(類似性)]を見出すことは「まだ」できない(こじつけにすら「ならない」ところであろう。当たり前である、とのこととしてである)。
しかし、次の各点を念頭に置いての分析をなすことで導き出せるとの側面、そこまでを複合顧慮すると[アナロジー](類似性)の問題が偶然で済むようなものではないとの式で浮かび上がってくることが分かるようになってもいる。
[スペイン(カスティーリャ=アラゴン連合王国)によるグラナダに拠ってのイスラム王朝たるナスル朝征服直後にて幕開けを見た大航海時代 ―ザクロのグラナダにて締結されたサンタ・フェでのサンタ・フェ協約で幕開けを見た大航海時代でもいいだろう― にあって、後、スペインはヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡象徴物、すなわち、新大陸と旧大陸の間に横たわる第一関門となった大西洋と地中海世界の分かれ目の象徴物)に Plus Ultra「この先へ」と刻んでの紋章を世界帝国を表象するもの・スペイン勢力への新大陸進出を後押しするものとして用いだした(つい最前にての出典(Source)紹介の部98,出典(Source)紹介の部98にて先述)]
[ヘラクレスの柱及びそこに刻まれた碑(プルス・ウルトラ)でもって大航海時代の新大陸事業を促進したカルロス1世(先述のようにドイツ皇帝カール5世でもある)治世下のスペインでアステカを侵略したコンキスタドレス(新大陸征服者)がエルナン・コルテスであり、同コルテスが現地人にケツァルコアトルの神使(エミッサリー・オブ・ケツァルコアトル)ないしケツァルコアトルそれ自体であると[ケツァルコアトル再臨の予言]に基づき看做されていたとの言い伝えが ―その時代なりの真偽はともかくも― 記録として伝わっている。そして、そうもした現地人の勘違いがゆえに現地人の滅びが加速されたとの歴史的評価がなされている(出典(Source)紹介の部53(4)にて先述)]
[ダンテ『地獄篇』にては地獄の第8階層、[謀略者の地獄]にてオデュッセウス(ユリシーズ)が仲間の冒険心・探究心を鼓舞しつつ[ヘラクレスの柱]を越えた段階で[旋風](ワール・ウィンド)に巻き込まれて地獄行きを強いられたとの描写がなされている(出典(Source)紹介の部90(11)にて典拠紹介のことだが、再度、下にその内容を問題視する)]
[ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』原典では[ヘラクレスの柱]通過をなしてのダンテ『地獄篇』とは筋立てが異なり、オデュッセウスらは[元来、ペルセポネの侍女らであった]との伝承上の設定が伴っているセイレーン(ないしサイレン)らの歌をやりすごした後、[カリュブディス(大渦)]に巻き込まれ、オデュッセウスのみが生き残り、カリュプソの島 ―欧州識者によって古のアトランティスにも仮託されてきた存在であること、本稿にて先述のアトラスの娘カリュプソの島オーギュギア島― に漂着したと描写される(出典(Source)紹介の部44-2や出典(Source)紹介の部82などにて先述のことである)]
以上の各点が[ペルセポネのザクロ伝承]と[ザクロを食してのレコンキスタの完遂]とを多重的に結びつけることともなっている。
どういうことか。
その「どういうことか」に関わるところとしてここに至るまで[ペルセポネ]に関して問題視してきたことについてまずもって振り返る。その点、本稿では下の通りの関係性を摘示してきたとのことがある。
上の如しの多重的なる関係性のパス ―陰謀論者などという唾棄すべき人種やそれを小粒にしたようなオンライン上に駄法螺を撒いているとの頭の具合のよろしくなさがありありと伝わってこようとの者達はそうしたものらを破壊すべくもの論調を展開しているようだが、[容易に裏取りできる出典、文献的事実のみに依拠してのこと]として摘示できるところの関係性のパス― として描けるようになっていることについて「純化させて」示せば、次のような指し示しもなせる。
直上呈示のパスにてここに至るまでの段にて詳述してきたことと、
[スペイン(カスティーリャ=アラゴン連合王国)によるグラナダに拠ってのイスラム王朝たるナスル朝征服直後にて幕開けを見た大航海時代 ―ザクロのグラナダにて締結されたサンタ・フェでのサンタ・フェ協約で幕開けを見た大航海時代でもいいだろう― にあって、後、スペインはヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡象徴物、すなわち、新大陸と旧大陸の間に横たわる第一関門となった大西洋と地中海世界の分かれ目の象徴物)に Plus Ultra「この先へ」と刻んでの紋章を世界帝国を表象するもの・スペイン勢力への新大陸進出を後押しするものとして用いだした(つい最前にての出典(Source)紹介の部98,出典(Source)紹介の部98にて先述)]
[ヘラクレスの柱及びそこに刻まれた碑(プルス・ウルトラ)でもって大航海時代の新大陸事業を促進したカルロス1世(先述のようにドイツ皇帝カール5世でもある)治世下のスペインでアステカを侵略したコンキスタドレス(新大陸征服者)がエルナン・コルテスであり、同コルテスが現地人にケツァルコアトルの神使(エミッサリー・オブ・ケツァルコアトル)ないしケツァルコアトルそれ自体であると[ケツァルコアトル再臨の予言]に基づき看做されていたとの言い伝えが ―その時代なりの真偽はともかくも― 記録として伝わっている。そして、そうもした現地人の勘違いがゆえに現地人の滅びが加速されたとの歴史的評価がなされている(出典(Source)紹介の部53(4)にて先述)]
[ダンテ『地獄篇』にては地獄の第8階層、[謀略者の地獄]にてオデュッセウス(ユリシーズ)が仲間の冒険心・探究心を鼓舞しつつ[ヘラクレスの柱]を越えた段階で[旋風](ワール・ウィンド)に巻き込まれて地獄行きを強いられたとの描写がなされている(出典(Source)紹介の部90(11)にて典拠紹介のことだが、再度、下にその内容を問題視する)]
[ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』原典では[ヘラクレスの柱]通過をなしてのダンテ『地獄篇』とは筋立てが異なり、オデュッセウスらは[元来、ペルセポネの侍女らであった]との伝承上の設定が伴っているセイレーン(ないしサイレン)らの歌をやりすごした後、[カリュブディス(大渦)]に巻き込まれ、オデュッセウスのみが生き残り、カリュプソの島 ―欧州識者によって古のアトランティスにも仮託されてきた存在であること、本稿にて先述のアトラスの娘カリュプソの島オーギュギア島― に漂着したと描写される(出典(Source)紹介の部44-2や出典(Source)紹介の部82などにて先述のことである)]
の各事項が多重的に結びついていると述べられることが問題になるのである。それにつき、続くe.の段にて示すこととする。
e.「前提として」第一に述べたきことは次のことである。
「ペルセポネについては[ヘラクレス12功業]の最後の冥界下りの段にて登場するケルベロスとの連続性をヘカテ、ペルセポネと同一存在視されての古典上の記述が存する同ヘカテにまつわる特性を介しもして有しているとの存在ともなるのだが(出典(Source)紹介の部94(3))、ケルベロス捕縛の第12功業によって終わる[ヘラクレス12功業]にあっては[10番目の功業]にて[ヘラクレスの柱]が打ち立てられていると伝わっている ―エトルリア語(ローマ隆盛の前にイタリアで栄えたエトルリア文明の言語)でCerunと呼称されていたとの申しようもなされている「三面の」ゲーリュオンをヘラクレスが殺傷した[10番目の冒険]にてヘラクレスはジブラルタル海峡に仮託される二本の柱を打ち立てていると伝わっている(:先に本稿の出典(Source)紹介の部90にて岩波文庫版アポロドーロス『ギリシャ神話』p.97―p.98よりの原文引用なしたところを再引用するとして) 「第十の仕事としてゲーリュオネースの牛をエリュテイアから持って来ることを命ぜられた。エリュテイアはオーケアノスの近くの、今ではガディラと呼ばれている島であった。この島にクリューサーオールとオーケアノスの娘カリロエーと子ゲーリュオネースが住んでいた。彼は三人の男の身体が腹で一つになっていて、脇腹と太腿からは三つに分れた身体を持っていた。彼は紅い牛を持っていて、その牛飼はエウリュティオーン、番犬はエキドナとテューポーンから生れた双頭の犬オルトスであった。そこで、ゲーリュオネースの牛を目ざしてヨウロッパを通過して多くの野獣を殺し、リビアに足を踏み入れ、タルテーソスに来り、旅の記念としてヨウロッパとリビアの山上に向かい合って二つの柱を建てた」(引用部はここまでとする)とあるとおりである)― 。
その点、[ヘラクレス第12功業に登場のケルベロスとペルセポネの連続性]を示す事由は先述のようにヘカテを介してのそれにとどまらないのだが、とにかくもってして、ペルセポネがヘカテを介して[ヘラクレス12番目の功業(登場のケルベロス)]と結びつくと述べられる一方で「ペルセポネに冥界滞留を強いることになったとの果実である」ザクロを食した後のスペインが推し進めた新大陸事業では[ヘラクレス10番目の功業にて登場の柱]が重きをもって前面に押し出されていた。
まず、そのことが(続く内容に関わるところとして)意をなしてくるだけのことが「ある」」
上掲図はペルセポネとヘカテ、本稿にての出典(Source)紹介の部94(3)で細かくも古典よりの原文引用をなしたといったかたちで出典紹介しているような式で[同一視されもしていた]とのことを呈示していた彼女らペルセポネとヘカテの両女神の結びつきが[ケルベロスとペルセポネのつながりあいにも通ずること]を示すべくも先に挙げていた図(に多少マイナーチェンジを施したもの)となる。
以上、図に見るようなペルセポネとケルベロスの関係性、本稿にての先立っての段で事細かに指し示してきた関係性がここでの話の流れに重くも関わってくる。
次いで呈示することにしたとの上掲図は先にてのb.およびc.の段(現行にてはe.の段での話をなしている)にあって言及のこと、
[グラナダの地(ザクロの地)にてレコンキスタ完遂の同年の1492年に締結されたのがサンタ・フェ協約であり、同協約にて認可・スタートを見たコロンブスの探索行(港街パロスから一路、大西洋へと進んで行ったとの航海)が奏功した結果がスペインのコンキスタドレスら(征服事業者ら)のアメリカ大陸進出(征服活動)であった]
とのことが次の観点から問題になることを(布石として)強調するためにもちだしたものとなる ―同図、グラナダ(ザクロ)の地にてサンタ・フェ協約が締結されたことに関わるところとして[ナスル朝の降伏協定が結ばれグラナダの地への無血入城が決した折を描いての絵画]( The Capitulation of Granadaと題されての19世紀後半に描かれた歴史絵画)と[ザクロ]と[地図]を一挙に挙げての図となる― 。
さて、
「スペインがカール1世(サンタ・フェ協約を締結した女王イザベル1世の二代後の君主)の手によってプルス・ウルトラ Plus Ultra、[この先を越えて]とのフレーズを刻んでのヘラクレスの柱 ―ヘラクレスの10番目の功業にて打ち建てられた一対の柱ら― を越えた先にての地で現地人にもたらされた災厄は「純・記号的に」ペルセポネとつながっている」
とのことが「ある」。その点についてどういうことなのか、以降の流れをよく検討いただきたい。
上の図解部にて、さらにもってして、
[ペルセポネが[ヘラクレス12番目の功業(登場のケルベロス)]と結びつくと述べられる一方で「ペルセポネに冥界滞留を強いることになったとの果実である」ザクロを食した後のスペインが推し進めた新大陸事業では[ヘラクレス10番目の功業にて登場の柱]が重きをもって前面に押し出されていた]
とのことを強調したとして第二に述べたきことは次のことである。
ダンテ『地獄篇』にあってはオデュッセウス(ユリシーズ)ら一行 ―トロイア崩壊を木製の馬でもたらした者に率いられた一行― が第8階層の地獄たる[謀略者の地獄]へ落ちるとのことを[ヘラクレスの柱を越えた段階での旋風(つむじかぜ)による船の沈没・クルー全員の溺死]とのかたちで強いられたと描写されている(出典(Source)紹介の部90(11))。
といったオデュッセウスら一行が(渦潮の怪物カリュブディスではなく)渦を巻くが如くワールウィンド、日本語になおせば[旋風](つむじかぜ)にて呑まれて地獄行きを強いられたと描写されているその行き先たる地獄の第8階層、そちら第8階層に続く第9階層(地獄の最下層)にダンテらは
[ヘラクレス11番目の功業にて登場した巨人アンタイオス]
におぶられて降下したと当該古典(『地獄篇』)には描写されている(これまた先述のことである)。
そうもした『地獄篇』地獄最下層の第9階層でダンテらがまみえた存在こそがケルベロス構造をとる地獄の主ルチフェロ(サタン)となる。
それにつき、[ヘラクレス12功業]というものが[三面のルチフェロ目指して冥界下りをなすダンテ『地獄篇』]といかに多重的に結びつくかは本稿のここに至るまでの段にて仔細に論拠呈示なしながら詳述してきたことではあるが、ケルベロス構造のルチフェロがいかような論拠でケルベロス寓意に通じていると述べられるかもその中で示してきたことである(:『地獄篇』には貪欲(グラトニー)の罪を体現しての貪欲者の地獄にもケルベロスが登場してくると紹介しつつ、「12番目の功業に登場のケルベロス構造を呈するルチフェロが控える最下層第9階層に至るまでの(『地獄篇』にて描かれる)二段階降下プロセスにはヘラクレス10番目、11番目の功業 ―12番目の冥界下りの功業と特定の登場人物メノイテースを介して接合する功業― に登場した怪物らが関わっている」「そも、浅い階層でのケルベロス登場の段からしてプルートス(ペルセポネの異父兄弟ともされ、また、冥王ハデスと結びつく存在)の意味不明さが有名なる叫びを介してサタンとつなげられているとの解釈がなせるようになっている」といったことらを厚く論じてきた ―出典(Source)紹介の部90から出典(Source)紹介の部90(10)― )。
以上、振り返りもして申し述べているところの、
[ケルベロス ⇔ 『地獄篇』ルチフェロ]
との見方に複合的に関わるところとして、
[ペルセポネはヘカテを介してのケルベロス接合存在となり(文献的記録を記号論的に解釈したうえでの申しようである)、また、他面、ペルセポネは質的類似物となっているイナンナ・イシュタルを介しても(イナンナ・イシュタルと類似性を有するローマのヴィーナスや中米アステカ文明のケツァルコアトルを媒介項に)多重的にルシファー「とも」接合する存在となっている]
との指摘がなせるようになっている。
ここでくどくも振り返り申し述べるが、
[古代メソポタミアの女神イナンナ(ないしイシュタル)が「冥界下りをなした存在であり」「植物の死と再生にまつわる特性を帯びている神格(タンムズ・ドゥムジ)を愛人化している」存在である]
とのことがあるようにペルセポネについては
[「冥界下りをなした存在であり」「植物の死と再生にまつわる特性を帯びている神格(タンムズ・ドゥムジと同一視されるアドニス)を愛人化している」存在である]
との特性が伴っている
ということがある(典拠は出典(Source)紹介の部97にて仔細に呈示している)。
といったペルセポネと際立っての類似性を呈するイナンナ・イシュタルについては(ルシファーがラテン語にてその体現物となっているところの)金星ことヴィーナスの体現存在たる女神ヴィーナス(ローマ期以前のギリシャ呼称ではアフロディテというペルセポネとアドニスを巡って争った存在でもある)と濃厚に結びつくとの指摘がなされている存在であり(その伝、明けの明星を介してのヴィーナスとの接合性との伝からして[明けの明星の体現存在としての冥界落ちのルシファー]と[冥界下りのイナンナ・イシュタル]の接合性が観念できる)、また、イナンナ・イシュタルは、(ここからがスペインの大航海時代の挙に関わるところなのだが)、[アステカで崇められていたケツァルコアトル]との間にて[双方共に金星の体現神格である][双方共に冥界に双子の姉妹(兄弟)を有している]との類似性を有しているとの存在「とも」なる(本稿出典(Source)紹介の部61)。そうしてイナンナ・イシュタル(ペルセポネと多重的なる同一性を呈しているとの女神ら)と結びつくケツァルコアトルと言えば、[1.金星の体現存在][2.蛇としての属性を帯びた存在][3.文明の授け手としての存在]との観点で[2.蛇としての1.金星体現存在、3.エデンにて知恵の樹の実をアダム・イブらに食させた存在]との質的同一性を帯びている存在とも述べられるようになっていることを本稿の先の段では詳述してきたことである。
そして、(さらに振り返っての記述を続いての段にてなすことともなるが)、新大陸にてスペイン到来前から執り行われていたケツァルコアトル崇拝は
[その信徒の期待を裏切って彼らに破滅を進呈した]
とのものである(とも述べられるようになっている)。
ケツァルコアトルが再度の来臨を果たすことになるとされていたとのことである預言の年、1519年に([ザクロの地グラナダ]を掌中におさめたうえで新大陸へ向けて1492年から漕ぎ出したとの国家たる)スペインの征服者、コンキスタドールたるエルナン・コルテスの一行がついにアステカ領域に本格進出、当初、現地民より歓待なされることになった、すなわち、新大陸現地のアステカ帝国にて[ケツァルコアトル神ないしその神使]と看做されて歓待されることになったために新大陸の劫掠が容易に進んだと「スペインサイドの歴史的記録にては」伝えられているとのことがあるのである。そして、そうして歓待してまでの当初の現地民期待が裏切られ[戦乱][疫病]による破滅がスペイン勢によってもたらされたというのが歴史が語るありさまとなっている(:現地民 ―生け贄の儀式を恒常的に、かつ、大量の犠牲者を出しながら行っていたとされる[醜悪な文明]の成員ではあるが、とにかくもの現地民― は[神と一度は信じた者]から侵略をなされたことになった、その際、戦乱と欧州から持ち込まれた天然痘で現地民人口は圧倒的に縮減を見たともされるわけだが、他面、聖書の末尾にあっての『黙示録』にては[[サタンと呼ばれる古き蛇にして竜なる存在と偽預言者と人々に刻印を与える獣]が衆生をたばかって神の勢力に対する敗北すべくもの戦いを仕掛ける]との筋立てが見て取れ、かつ、同文書(『黙示録』)では滅すべき対象とされた人間達が被ることになる被害態様には[戦乱]・[疫病]といったことが濃厚に影を落としている。それがために【キリスト教徒による[戦乱][疫病]を先住民に与えたケツァルコアトル崇拝(による裏切り)】と【キリスト教徒による聖戦の完遂と結びつく黙示録のサタンやりよう(とバビロンの衆に対する裏切り)】がオーバーラップして見えもするようになっている ―本稿にての出典(Source)紹介の部54(4)の部で既に細かくも出典挙げながら呈示していたことだが、再度、振り返っての話も続いてなしておく― )。
(全て本稿の従前の段にて入念に指し示してきたことをくどくも繰り返してのこととなるのだが)
以上のような文脈からザクロ(スペイン語でのグラナダ)を食して冥界の主となったペルセポネに関して述べれば、ケルベロス(地獄篇にてのルチフェロと結線する存在)との接続性が問題になるばかりではなく、ペルセポネ質的類似物としてのイナンナ・イシュタルを介して「も」、そして、アメリカ大陸で崇められていたケツァルコアトルを介して「も」(ポイントは度重ねてもそう表記できるようになってしまっているところの[助詞「も」付きの問題]である)ルシファー、聖書の誘惑の蛇にも比定されるサタンと接合する存在となっている。
その点、『地獄篇』最下層(コキュートス)手前の階層(マーレボルジェ)で
[オデュッセウスが[ヘラクレスの柱]を越えて地獄行き(第8圏マーレボルジェの[謀略者の地獄]行き)を強いられた]
と描写された後、さして間を経ずに登場してくる[第9圏のルシファー]が
[ケルベロス][イナンナ・イシュタル(およびさらなる媒介項としてのケツァルコアトル)]
を介して
[ザクロ(グラナダ)を食したペルセポネ]
と結びつくとのこと(ここまでその繰り返しもしての強調に専心しもしてきたこと)が不気味となる理由には「まずもって」次のようなことが ―(本稿の内容をきちんと把握されているとの真摯なる読み手には想像いただけていることか、とは思うのだが)― ありもする。
「スペインがザクロたるグラナダの地 ―(ペルセポネ([黄金の林檎の対価と後にされるに至った絶世の美女ヘレン]と秤量されるかたちで一時期、テセウスらギリシャ神話の英雄らの同一の誓約にまつわる存在とされていたとの女神)が[冥界の住人]へと変じた原因としての果実、そのザクロを名前に冠する地域)― を扼するに至った後、[ヘラクレスの柱]を越えての新大陸進出を鼓舞なしたとの歴史上の出来事はルシファーが最下層に控えるダンテ『地獄篇』にあっての、
[[ヘラクレスの柱]越えをなしたオデュッセウスら ―黄金の林檎にてはじまったトロイア戦争に木製の馬の計略で引導を渡した謀将ら― が地獄行き(最下層より一階層手前の地獄八圏にあっての[謀略者の地獄]行き)を強いられたとの粗筋が具現化を見ているとの側面]
[三面のケルベロス構造を伴っているルシファー([ヘラクレスの柱]を越えてオデュッセウスが落ちた地獄の第8圏のすぐ下の地獄の第9圏に幽閉されている存在)にあってのザクロを食したペルセポネとの多重的関係性を想起させるとの側面]
と連続性を感じさせるものでもある」
([整理][復習]を兼ねての図の呈示部として)
先の出典(Source)紹介の部90(10)の解説を終えての部にて呈示をなしだしての図、そして、後続する段にても再掲を何度かなしていたとの図を(実にもってくどくも、だが)再度もってして再掲することとする。
上掲図にて訴求しているような関係が成り立っていること「も」あり、ペルセポネはヘラクレスの第11功業、そして、ヘラクレスの第12功業 ―ケルベロスの冥界から現世への引きづり出しを目的にしての功業― と結びつく素地があるとの存在なのではあるが、またそれと同時に(これまた何度も何度もくどくも繰り返し述べてきたことだが)[ペルセポネ]は[ヘカテ]と結びつくとされてきた存在でもあり、その[ヘカテ]と[ケルベロス]との連続性がゆえに ―連続性の先にあるところとして― そこからして[ペルセポネ]は[ケルベロス]と結びつくとも申し述べられる存在となっている(アコナイト、ヘカテ・ケルベロスの象徴たるそのトリカブトとヘカテ・ペルセポネらの似姿、そして、ザクロ構造模写図を挙げた図を下に挙げておく)。
ペルセポネが[ヘラクレスの第11功業][ヘラクレスの第12功業]と結びつく存在であるとして、そこに見る[ヘラクレスの第11功業][ヘラクレスの第12功業]および付け加えての[ヘラクレスの第10功業]らとの質的連続性が(それら功業の順序にそのまま対応するかたちで)ダンテ『地獄篇』の後半部、最下層、三面構造のルシファーの領域に至るまでの道程にて認められるとのことがある。現実にある(その指し示しに注力してきたのが本稿にての出典(Source)紹介の部90以降の段である)。
ダンテ『地獄篇』の後半部では
[地獄の第7圏⇒(ダンテらの降下)⇒地獄の第8圏(詐害者の地獄)]
[地獄の第8圏⇒(ダンテらの降下)⇒地獄の第9圏(最下層・裏切り者らの地獄)]
との流れがそれぞれヘラクレスの第10功業および第11功業にて誅伐された怪物らの助力で実現している旨が描かれているとのこと、本稿にては指し示してきたわけである([地獄の第7圏⇒(ダンテらの降下)⇒地獄の第8圏]はヘラクレスの第10功業にて誅伐されたゲーリュオンとの怪物にダンテらがおぶわれて実現を見ており、[地獄の第8圏⇒(ダンテらの降下)⇒地獄の第9圏]はヘラクレスの第11功業の途上にて誅伐されたアンタイオスとの怪物にダンテらがおぶわれて実現を見ているとのことを本稿にての先立っての段にて指し示している)。
上に見る漸次降下にあって『地獄篇』主人公のダンテ(作者自らが具現化しての主人公)は
[地獄の第7圏⇒(ダンテらの降下)⇒地獄の第8圏(詐害者の地獄)]
との式での降下を
[ヘラクレスが第10功業にて誅伐したゲーリュオン]
におぶわれるとのかたちで実現しているわけではあるが、そうもしてダンテらが降り立った『地獄篇』地獄第8圏、
[詐害者の地獄](よく日本語では悪意者の地獄と訳されるが、語感として[ Eighth Circle(Fraud)]は詐欺・騙りにて人を害した手合いらの地獄とのことで詐害者の地獄と訳した方がより事宜に適っているように見えもするとの地獄第8圏)
にあっての彷徨の後半部で(ダンテおよびダンテに師父と慕われるヴェルギリウスの霊は)
[トロイア城市を木製の馬の奸計で内破させ住民皆殺しとの帰結をもたらしたオデュッセウス(ユリシーズ)らが炎に包まれての永劫の懲罰を受けているありさま]
に際会することとなる(本稿にての出典(Source)紹介の部90(11)]で英訳版『地獄篇』などからの引用をなしているとおりである)。
の折、ダンテらは炎に包まれて罰せられているとのオデュッセウスの亡魂から
「自分達はヘラクレスの柱を越えた折、旋風(つむじかぜ/英語でいうところのワール・ウィンド)に襲われ、座礁・転覆の憂き目を見、ここ(地獄篇、詐害者の地獄)に至った」
との話を聞く ―※ホメロス叙事詩『オデュッセイア』ではオデュッセウスは渦潮の怪物カリュブディスに呑まれての船の大破・クルー全滅の憂き目に逢いながら、アイザック・ニュートンなどに言わせれば、アトランティスの別の顔とのことになっていたとのカリュプソの島に漂着し(本稿にての出典(Source)紹介の部43でそちらいわれようについては事細かに解説している)、その後、さらなる旅を経て、故郷に帰り着いたと描かれるのだが、ダンテ『地獄篇』ではそれがオデュッセウス含めてのヘラクレスの柱越えの後の全滅へとアレンジされている(といったアレンジの体現としての『地獄篇』に見るオデュッセウス口上については本稿にての出典(Source)紹介の部90(11)で事細かに引用なしているところである)― 。
それにつき、出典(Source)紹介の部90(11)に後続する部にあって図示なしたこととも通ずるところとして以下のような図示がなせもするところとなっている。
上に見るような図と先に挙げたところのスペインおよびスペインに後援されての征服者らの動きは下の図のようなかたちで相似形を呈する。
この段階では[ヘラクレスの柱]を越えての共通性しか((括弧付きで)「表層的には、」)見えないであろうが、
[ダンテ『地獄篇』がヘラクレスの計12の功業(の後半部)と関わること、また、その絡みでダンテ『地獄篇』の三面構造のルシファーが三面構造のケルベロスと複合的に結びつく側面を帯びていること]
を顧慮、そのうえで
[(直近にて繰り返しながら強調しているように)冥府の女神ペルセポネに[ケルベロス]および[ヘラクレス12功業](にあっての第11功業および第12功業)と接続性が観念できること]
および
[スペインのアメリカ大陸進出がグラナダの地(ザクロの地)を掌中に収め、そのうえでグラナダの地でコロンブス航海への後押し決定がなされたために実現したとされること ―そして、次いで、スペインは国是としてヘラクレスが第10功業にて打ち立てた柱を大航海時代の紋章に刻み込んだとされること― ]
および
[ザクロはペルセポネと密接に結びつく果実であること]
および
[スペインがヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)を越えて進出した先の新大陸にて具現化したケツァルコアトル信仰にあっての信徒の期待への裏切りと黙示録に具現化を見ているサタンの会衆への裏切りとの間にはアナロジー(類似性)が存すること]
および
[ダンテ『地獄篇』ではヘラクレス第10功業にて打ち立てられた柱を越えた段階で堕地獄を見ることになったオデュッセウスらが地獄第8圏にて欺瞞によるトロイ劫略の罪にて罰せられているが、ダンテらはそうもしたオデュッセウスらが罰せられている地獄第8圏にヘラクレス第10功業(要するにヘラクレスがジブラルタル海峡に仮託される柱を打ち立てている功業)にて誅伐されたゲーリュオーンにおぶわれて降下していること、また、ダンテらは次いで地獄最下層たる中枢部にルシファーが控える領域(地獄第9圏)にヘラクレス第11功業にて誅伐されたとされる巨人アンタイオスにおぶわれて降下していること]
の各事項を顧慮しつつ、加えてのこととして、新大陸の悲劇がペルセポネ伝承と多重的に接合する ―それはとどのつまり、[ペルセポネと『地獄篇』ルシファーが結びつくこと]に相通ずることでもある― と判断できるだけの「他の」論拠らがある。
直上言及の「他の」論拠にまつわっての話に入る前に強調のために[カルロス1世(ヘラクレスの柱の紋章化と結びつく為政者/1516-1556年にて王位君臨)統治下にてのスペインの侵略行為は[ケツァルコアトルの裏切り]が具現化を見たようなものであった]とのことについて表記しておく
本稿の先の段、出典(Source)紹介の部53以降の段では
[スペインのコンキスタドール(征服者)であるエルナン・コルテスが征服活動を行ったアステカ帝国ではコルテス到達の1519年が[ケツァルコアトル再臨の年]と重なっていたとのことがあり、コルテスがケツァルコアトルないしその神使とされたことが征服活動を容易にしたと伝わっている]
[(ケツァルコアトルの一党が再臨したとのことにまつわる現地人誤信がゆえに容易に進んだともされる征服事業の中、スペイン人が戦争と共に持ち込んだとの)現地人が耐性を有していなかった天然痘の影響もあって征戦それに続く土地収奪の中で現地人人口は圧倒的激減を見た]
とのことを摘示している(本稿にての出典(Source)紹介の部53(4)では現行、 Project Gutenbergのサイトより全文ダウンロードできるようになっているとの19世紀にあって声望高かった考古学者 Daniel Garrison Brintonの手になる American Hero Myths (1882)の内容として He is born there, and arrives from there, and hence Las Casas and others speak of him as from Yucatan, or as landing on the shores of the Mexican Gulf from some unknown land. His day of birth was that called Ce Acatl, One Reed, and by this name he is often known.
「ケツァルコアトルの降誕の年はセーアカトル( Ce Acatl )、一の葦の年となっており、その絡みで彼はしばしば知られるとのことになっている」といった記述を引きながら、スペインのコルテスの「来臨の」年が1519年となっているといったことについて細かくも解説している。それにつき、歴史家 Matthew Restall(の著書)によるところとして「コンキスタドレス(新大陸征服者)の代表的人物の一人であったコルテスが羽毛の生えた蛇と同一視されて征服が容易になったということ自体がスペインによる[アステカの征服後、間もなくしてより広がりだした「伝説」染みた物の言いよう]である」との見方もあるとも同じくもの先の段で紹介しているわけであるが、何にせよ、[スペインのコンキスタドレスが現地人にケツァルコアトルないしその神使と看做されたとのこと、そして、それによって侵略が容易になったとの言い伝えが今日に伝わっていること]自体は ―新旧の学者らの文献的事実として認められる書きようからも容易に真偽判断できるところより― 事実である(何百年も前に「実際に」現地人がそうしたやりようをなしたか、幾世紀にわたってスペインサイドの人間がそういう言い伝えを(事実と異なるところで)用意していったのか、といったことはここでの話の本筋には関わらない)。また、本稿にての出典(Source)紹介の部53(4)の段ではスペイン人の征服事業が現地民に何をもたらしたか、ということについて ―(その後の出典(Source)紹介の部54(4)の段にて解説していること、[新約聖書ではその末尾の黙示録の部にてサタン、「金星と強くも結びつく存在」「一見にしては知性・文明の接受者としての側面を帯びている蛇としての存在」「会衆の期待を裏切って破滅へといざなった存在」「アメリカ大陸を黄金の林檎の園転じてのエデンと看做す風潮から見ればアメリカ大陸で崇められた神格との接合性を観念できる存在」としてケツァルコアトルと結びつくようになっているサタンという存在が偽りへの会衆を大同団結させて最後にキリスト教教徒との戦いに敗れ、サタンを崇めた者らに破滅をもたらすとの描写がなされている]とのこととの対応関係を論ずるための前段階として)― 解説を講じもしていた)。
上の写真は英文Wikipedia[ Double-headed serpent ]項目に掲載されているアステカ帝国由来の財宝の写真となる(同財宝、現行、大英博物館に収蔵のものとなる)。
写真に見るような双頭の蛇 ―ターコイズにて装飾されたケツァルコアトルを象(かたど)っていると考えられもしている双頭の蛇― については由来がはきとしないとされるのだが、
[スペインからの征服者エルナン・コルテスがアステカ首府入城をなした遂げた折、皇帝モンテスマ2世より同征服者(コルテス)に「敬意をもって」贈られたものである]
との説明が(可能性論として)呈示されている ―その点については当該遺物にまつわる英文Wikipedia[ Double-headed serpent ]項目にて It is not known how this sculpture left Mexico, but it is considered possible that it was amongst the goods given to the conquistador Hernando Cortez when he was sent to take the interior of Mexico for the Spanish crown. Cortes arrived on the coast of what is now Mexico in 1519, and after battles he entered the capital on November 8, 1519 and was met with respect, if not favour, by the Aztec ruler Montezuma II. Some sources report that Moctezuma thought that Cortes was the feathered serpent god Quetzalcoatl and treated him accordingly.
(訳を付すとして)「(双頭の蛇たる)この像がいかようにメキシコに遺っていたのかははきとしないのだが、彼がスペイン王室のためにメキシコ内部を扼するために送り込まれた時、征服者エルナン・コルテスに贈呈された品々のうちの一品であったというのがありうべきところとして考えられているとのものである。1519年に現在メキシコとなっている地の岸辺にコルテスは到着し、何度かの戦闘を経て1519年11月8日に(アステカ)首府に入城、熱意を伴ってではなかったかもしれないが、アステカ統治者モンテスマ2世に敬意をもって迎えられることになりもした。いくつかの文献がモンテスマがコルテスを羽毛ある蛇の神ケツァルコアトルと考えており、彼をそれに応じて遇したとのことが伝えている」との記載がなされているところである―
。
コルテスがケツァルコアトルと見做されたことからして不分明とされるような風潮があるのだが、とにかくも、コルテスがケツァルコルテスの再臨なした存在であると考えられていたとの文献的記録が残置していることが問題になる(尚、長大な本稿にての先立っての段にても言及なしていたことの再言及となるが、[アステカ皇帝モンテスマらがコルテスを神と信じていた]とのことについての初期の記述は早くも16世紀に成立していたスペイン側の記録、フランシスコ会修道士ベルナルディーノ・サアグンが編纂主導して成立した Florentine Codex『フィレンツェ絵文書』よりみとめられる(とされる)。また、モーリス・コリス著『コルテス征略誌』にてもコルテスへの神格化が征服者サイド記録にて記されていることがうかがい知れるようになっている)。
ここより「他の」論拠としての【アトランティスを通じての結節性】についての話に入りたいのだが、今一歩の前段階のこととしてくどくも強調したいところとして、アメリカ大陸で信徒を裏切るような史的結果をもたらしたとの信仰の崇拝対象、羽毛ある蛇ケツァルコアトルは多層的にルシファーと結びつき(本稿にての出典(Source)紹介の部53から出典(Source)紹介の部54(4)を包摂する部にて詳述を加えてきたところである)、また、それと同時に、ケツァルコアトルという存在は
[ペルセポネと記号的に濃厚に結びつく存在であると(本稿にての出典(Source)紹介の部97にあって)指し示してきた女神 ―少なくとも共に冥界下りをなした女神達について、それら女神らがそれぞれ愛人としていると伝わる植物神としての死と再生の神らが同一存在であると伝わってるのならば、「記号論的に濃厚に結びつく」と述べても何ら差し障りないであろう― であるイナンナ・イシュタル] (後のギリシャ・ローマのアフロディテ・ヴィーナスの元となったとされる古代中近東にて信仰を集めていたとの女神ら)
「とも」純・記号的に結びついていると先述なしてきた存在ともなっている(本稿にて出典(Source)紹介の部61の段で事細かに解説を講じてきたこととして(ペルセポネと濃厚に結びつく)イシュタル・イナンナは[金星の体現神格]であり、[冥府にエレシュキガルという対なる存在(双子)の係累を伴っている神格]と伝わっているわけだが、ケツァルコアトルも[金星の体現神格]であり、[冥府にショロトルという双子の係累を伴っている存在]である)。
従って、新大陸にて現出した状況、
[ケツァルコアトルの再臨を信じたアステカの者達がスペイン人に持ち込まれた疫病と戦乱によって破滅的状況に陥った]
との状況は
[[ペルセポネ(ザクロを食して【冥界の主催者】となった女神)と記号論的・多重的に結びつく存在]の再臨によって疫病と戦乱によって破滅的状況に陥った]
とも「純・記号論的に」置き換えがなせるものとなっている(そこにて問題になるのは読み手が事実から何かを判断する能力があるかないか、だけである)。
以上表記のようなことがある中にて ―これよりアトランティス絡みの指摘に入るとして― 、
「ケツァルコトアル崇拝がなされていたアメリカ大陸 ――すなわち、スペインが国章にヘラクレスの柱を刻み込んでヘラクレスの柱にて表象されるジブラルタル海峡を越えて進出の対象とした「新」大陸―― は大航海時代欧州の折より欧州人に【伝説のアトランティス】(プラトン古典『ティマイオス』を通じて今日に伝わる大西洋の彼方にあるとされた陸塊)の同等物と見られるに至っていた」
「大航海時代がはじまる「前」の欧州にてものされたダンテ『地獄篇』ではオデュッセウス(ユリシーズ)が「野獣とは異なる知を拓く冒険のためにこの先に漕ぎ出そう」と一席ぶった後にヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)を越えて、間を経ずに旋風(つむじかぜ;ワールウィンド)に襲われて船旅の同道者諸共、海の藻屑と消えた(そしてダンテらがヘラクレス第10功業に登場の怪物ゲーリュオンにおぶわれて降下した先たる地獄第8圏に墜ちた)。だが、そうもしたオデュッセウス堕地獄のダンテ『地獄篇』粗筋に影響を与えたホメロス原典では(船旅の一行を襲ったのが[渦を巻く渦巻き]か[旋風]かの違いもあるのだが)オデュッセウスは同道者が皆、渦巻きによる難破で死ぬことになった中でただ一人生き残り、女神カリュプソの島オーギュギアー島に漂着している。そして、そのオーギュギアー島、アイザック・ニュートンやヨハネス・ケブラーら欧州の著名人らを含めて【アトランティス同等物】とみられていた領域である」
とのことがある(本稿にての出典(Source)紹介の部43ではアイザック・ニュートンの The Chronology of Ancient Kingdoms『古代王国年代記』の内容を引きながら、いかようにしてアイザック ・ニュートンがカリュプソの島をアトランティスとして言及しているのか、その紹介もなしている)。
であるから、『地獄篇』(ペルセポネ関連の多重的一致性が問題になる古典)と【スペインのザクロ(グラナダ)を扼してよりの所業】(ペルセポネ関連のケツァルコアトルにまつわる一致性が問題になる所業)がアトランティスを介して「も」接続することになる ――※尚、現行、日本語ウィキペディアなどに誤解を招く誤記があるようだが(後、訂正されるかもしれない)、ダンテ『地獄篇』とは違って遙か昔に吟じられたとされるホメロス古典『オデュッセイア』それ自体にはオデュッセウスが渦潮に襲われたのがヘラクレスの柱の先であるとの表記などまったく見受けられない(そこをどういうわけなのか和文ウィキペディアではホメロス古典『オデュッセイア』にて「も」オデュッセウスがヘラクレスの柱を越えたとの誤解を与える表記が、訂正されるかもしれないも、現行はなされている)。その点もってして、ホメロス古典におけるオデュッセウスらの航海の領域にはいろいろな説が比定地との兼ね合いで呈示されており、たとえば、英文Wikipedia[ Geography of the Odyssey ]項目には(ホメロス原典にて)オデュッセウスらがサイレンや、スキュラ、渦潮の怪物カリュブディスらに襲われたのはシチリア近辺のメッシーナ海峡( the Strait of Messina )だとの説が紹介されているぐらいである)。であるから、アイザック・ニュートンらがオデュッセウスらが漂着した先たるカリュプソの島をアトランティスだと強弁するには(ホメロス原典にはオデュッセウスらが大洋=大西洋の先に漕ぎ出したとの目立っての記述がないため)多少無理があるのだが、しかし、であればこそ、【スペインの「ヘラクレスの柱を越えての」進出先たるケツァルコアトルが崇められていたアトランティス仮託物(=アメリカ大陸)】と【ダンテ『地獄篇』の「ヘラクレスの柱越えの後の」(ルシファーを中枢に据えての地獄への)オデュッセウスら堕地獄の筋立てに影響を与えているホメロス原典に見るアトランティス仮託物(カリュプソの島)】との関係性が自然ならざるところから出てきているわけではない(ただ単純に大西洋の彼方に漕ぎ出したからとのことでそういう一致性が自然なる解釈より出てきたわけではない)との意味で[恣意性](わざとらしさ)が問題になると映るところでもある―― 。
(重要なことであるとの認識のうえでのくどくも繰り返しての図解部として)
本稿出典(Source)紹介の部52ではフランシス・ベーコンという歴史上の人物(フランシス・ベーコンは同じくもの出典紹介部出典(Source)紹介の部52にて評価のなされようも紹介しているように世界史上、極めて有名な英国の思想家にして文明のプロモーターとされる人物となる)がアメリカ大陸をして
[アトランティス](ニュー・アトランティスに対する大アトランティス)
である、そのように同人自著『ニュー・アトランティス』で定義しているとのことをベーコン著作『ニュー・アトランティス』からの長くもの原文引用をなしつつ示していた。
フランシス・ベーコンがアメリカ大陸をして[アトランティス]と定置していたのは(出典(Source)紹介の部36にてプラトン古典『ティマイオス』の書かれようを原文引用なしつつ呈示しているように)アトランティスが
[[ヘラクレスの柱](ジブラルタル海峡/地中海と大西洋を分かつ海峡)の先に存在するリビュアとアジアを合わせたよりも大きな島 there was an island situated in front of the straits which are by you called the Pillars of Heracles; the island was larger than Libya and Asia put together
]
として伝わっている、そこから、欧州人に新大陸などと呼び慣わされていたアメリカ大陸がアトランティスに対する定義付けとある程度合致していることも影響しているように当然に受け取れるようになっている(下にて呈示の Gilles Robert de Vaugondyとの18世紀作成の地図にてもアメリカ大陸がアトランティスとのかたちで形容されている)。
さて、プラトン古典に見る地理関係上の問題もあってアメリカと同一視されるところがあったのであろうと普通には想起されるアトランティスは
[黄金の林檎の園と同一物]
であると述べられるような存在「とも」なっていた。
というのも、
「「巨人アトラスの娘らが[アトランティス]とも呼称される中で」、といったアトランティスら、巨人アトラスの一群の娘らの中に黄金の林檎を管掌するとの娘らヘスペリデスが含まれていること、彼女らヘスペリデスの[黄金の林檎の果樹園]が(欧州人から見ての西の彼方とも言うべきアメリカのことを想起させるように)大洋の彼方にあったと伝わっていることからアメリカとアトランティス(アトラスの娘ら⇔アトランティス⇔古の陸塊)との想起がなされるようなところがあったとされる」からである(一例としての出典(Source)紹介の部40)。
そして、アトランティスと同一視されもしていた[黄金の林檎の園]に関しては[エデンの園]と同一となっているとの申しようがしばしばもなされてきた(出典(Source)紹介の部51)。ひとつにそのことにはエデンの園が[不死を約束する楽園と伝わっている][禁断の果実が林檎と結びつけられてきた]といった事情が影響を与えていると考えられもする。
(くどくも繰り返しての図解部はここまでとする)
[黄金の林檎の園]とのことで述べれば、それが問題になるのはヘラクレス11番目の功業であるのだが(出典(Source)紹介の部39にてアポロドーロスの古典BIBLIOTHEKE内記述を挙げてもいるようにヘラクレスの目標は黄金の林檎の園に実る黄金の林檎の取得であった)、ヘラクレスの11番目の功業についてはペルセポネとの[絶世の美女ヘレン(黄金の林檎の対価としての美女)]を通じての複合的な結びつきが観念できる功業ともなっている(本稿にての出典(Source)紹介の部90(10)]の段にて解説したことである。についてはつい先の段にてもペルセポネPersephoneとヘレネHelenにまつわる関係図のくどくもの再掲をなしている)。
だけではない。黄金の林檎の園(ガーデン・オブ・ザ・ヘスペリデス)に関してはエデンの林檎の園[ガーデン・オブ・ジ・エデン]と結びつけられる存在であるとの視点が欧米人の一部識者に存在してきたとのこと(直近にての図解部にても取り上げていることであり、それもまた本稿にて何度も繰り返し指摘してきたとのこととなるが)も問題になる。エデンで禁断の果実を用いての誘惑をなした存在、蛇がキリスト教理解ではサタン(要するに地獄篇の最下層に幽閉されているルチフェロと同一存在)と見倣されることが多く、となれば、
[[ケツァルコアトル]と[古き蛇としての悪魔の王(ルチフェロ)]の間に横たわる関係性]
との何度も注意を向けてきたとのその関係性が ―[新大陸アメリカ]⇔[アトランティス]⇔[黄金の林檎の園と歴史的に見做されてきた地]⇔[エデンの園との一致性が一部で指摘されてきた地]との式で― 「またもや」想起されるからである。
そして、(理解している向きには食傷するまでに繰り返しているところの回帰しての申しようをなせば)、『地獄篇』ルチフェロとケルベロスの結びつきがザクロを食した女神「とも」通じているというのが本稿ここにて(「関係性の多重性度合いから」)重視していることである。
上のことらは
[スペインがザクロ ―ペルセポネの冥界滞留に関わる果実― を食した(グラナダを掌中に収めるに至った)後、ヘラクレスの柱を掲げつつ侵略活動を推進した]
とのことと
「あまりにも平仄があう」
とのことである(:ダンテ『地獄篇』にあっては[ヘラクレスの柱越えのオデュッセウス](黄金の林檎を巡る諍いで滅ぶことになったトロイア戦争での重要な存在)が旋風に巻き込まれて地獄行きを強いられ、ルシファー領域一歩手前の地獄の階層に落ちたとされるわけだが、対して、現実世界の大航海時代にあってのスペインは[ヘラクレスの柱]を越えて[アトランティスと定置されもする新大陸]への進出にザクロ(グラナダ)を食した後、乗りだしたとのかたちともなっている。そして、そこにはダンテ『地獄篇』で地獄に落ちたと描写されるオデュッセウスがホメロス原典では渦潮の怪物に呑まれた後、[カリュプソの島]に一人だけ漂着したとされていること、その[カリュプソ(巨人アトラスの娘たる女神カリュプソ)の島]が[古のアトランティス]と見られてきたとのアナロジーが ―[ケツァルコアトル⇔『地獄篇』ルチフェロ(サタン)⇔ケルベロス⇔ペルセポネ(ザクロを食しての冥界の主催者)]/[ケツァルコアトル⇔イナンナ・イシュタル⇔ペルセポネ]との接続性に関わるところとして― みとめられもする。だが、他面で以上表記のように[アトランティス⇔アメリカ大陸⇔黄金の林檎の園⇔エデンの園]と見るアナロジーの問題「も」同じくもの関係性を指示するものとして存在している。に関して問題なのは[あまりにも多面的多重的に物事が一箇所に集約しすぎている]とのことである)。
以上、段階的に述べもしてきたこと、すなわち、
[スペイン(カスティーリャ=アラゴン連合王国)によるグラナダに拠ってのイスラム王朝たるナスル朝征服直後にて幕開けを見た大航海時代 ―ザクロのグラナダにて締結されたサンタ・フェでのサンタ・フェ協約で幕開けを見た大航海時代でもいいだろう― にあって、後、スペインはヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡象徴物、すなわち、新大陸と旧大陸の間に横たわる第一関門となった大西洋と地中海世界の分かれ目の象徴物)に Plus Ultra「この先へ」と刻んでの紋章を世界帝国を表象するもの・スペイン勢力への新大陸進出を後押しするものとして用いだした]
[ヘラクレスの柱及びそこに刻まれた碑(プルス・ウルトラ)でもって大航海時代の新大陸事業を促進したカルロス1世(先述のようにドイツ皇帝カール5世でもある)治世下のスペインでアステカを侵略したコンキスタドレス(新大陸征服者)がエルナン・コルテスであり、同コルテスが現地人にケツァルコアトルの神使(エミッサリー・オブ・ケツァルコアトル)ないしケツァルコアトルそれ自体であると[ケツァルコアトル再臨の予言]に基づき看做されていたとの言い伝えが ―その時代なりの真偽はともかくも― 記録として伝わっている。そして、そうもした現地人の勘違いがゆえに現地人の滅びが加速されたとの歴史的評価がなされている]
[ダンテ『地獄篇』にては地獄の第8階層、[謀略者の地獄]にてオデュッセウス(ユリシーズ)が仲間の冒険心・探究心を鼓舞しつつ[ヘラクレスの柱]を越えた段階で[旋風](ワール・ウィンド)に巻き込まれて地獄行きを強いられたとの描写がなされている]
[ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』原典では[ヘラクレスの柱]通過をなしてのダンテ『地獄篇』とは筋立てが異なり、オデュッセウスらは[元来、ペルセポネの侍女らであった]との伝承上の設定が伴っているセイレーン(ないしサイレン)らの歌をやりすごした後、[カリュブディス(大渦)]に巻き込まれ、オデュッセウスのみが生き残り、カリュプソの島 ―欧州識者によって古のアトランティスにも仮託されてきた存在であること、本稿にて先述のアトラスの娘カリュプソの島オーギュギア島― に漂着したと描写される]
との流れにてペルセポネを介してのさらなる関係性のありようが問題視される点について説明を講じようと試みてきた。
「直近までの内容を理解している向きが読み手であればこそ、」との前提を置いた時にのみ、その整理のための用をなすとのまとめの図を下に付しておく。
筆者がここまでにて問題視していたのは下に挙げての図にあっての
Persephone[ペルセポネ]
Quetzalcoatl[ケツァルコアトル]
との要素にあって「も」関係性のパスが描ける、スペインの新大陸征服事業ありようを介して関係性のパスが描けるとのことである。
(問題は以上のような多重的関係性が指し示せるようになっている点につき[それが偶然、あるいは、こじつけで済むか]である。につき、人間のつながりを線で引いた場合に大概、数人を媒介項にしただけで多くの人間に関係性を見出せてしまうとの話柄などはよく耳にするところだが、といったことにも通ずるところとして[黒くもないところ]にこじつけで関係性を無理に導出しているわけ「ではない」とのことを筆者自身がよくも知る(そして、それにつき読み手に確認いただきたい)とのことがここでの話となる。
よく考えてみればいい。
ここでの話は関係性のパスが相互連結関係を呈しており、また、同じくもの方向性(ペルセポネでもいいしケルベロスでもいい)を指し示しているのである。
複数の人間が「相互に」仲良くしながら同じような服を着て同じ方向を目指して歩いていたらば、そこに何らかの[紐帯]を見出せるであろう?(Aさん、Bさん、Cさん、Dさんが各別に人間関係を構築しているとの観察事実を捕捉している中、さらにもってAさん、Bさん、Cさん、Dさんが[一直線でつながる関係性のパス]で「全員」数珠つなぎでつながっているとのことまでを捕捉しているならば、そして、そこに基軸となる共通性(彼らは全員同じ「特殊な」服装をしている等々)があるとまで特定しているのならば、スポーツサークルつながりでもいいし、会社の同僚つながりでもいい、あるいは、宗教関連でもいい、何らかの[人間的紐帯;グループ]というものの存在が当然に推し量れるであろう? ―関係ない人間に組織の色を付けようとする、あるいは、虎の威を借り人間関係を偽るといったことが介在していないことを念頭に置いての[人定]がしっかりしているようなところで「相互」かつ「複合的」に通貫しての関係性のパスが見て取れる、しかも、そこに際だっての特性が見て取れるとのことに通ずる話をしている― )。
そして、その[紐帯]が我々を皆殺しにしようとするような極悪非道のものであるとの要素をも帯びているとのことがその他事情から訴求できるようになっている。
雑文が過ぎた感もあるが、とにかくも、ここではそういうことに通ずる話をしているのである)
複合的・多重的な関係性が成立していることを(その想起するだに忌まわしき[機序]、[人間の意識的・無意識的コントロール]といった考えられるところの機序の問題は置いておいても)[偶然]で済ますことができるものか。
「否、できまい」
というのが本稿筆者が「具体的論拠の山より」導き出した帰結である (そうも偶然の問題は成り立たぬと強調する背景には「[ここにて論じているところ]からして一部事例にしかなっていない」とのさらにもって濃密なる関係性の環を呈示する材料に事欠かないとのことがあり、につき、(ここ補説3の枠から離れてのこととして)本稿のここまでの段でも論じてきたし、これからも論じていく所存である) わけだが、そうしたことが「偶然ではない」として、それは
[これまであった悲劇(誰も語ろうとしないし、恐ろしくてか、あるいは制約上からか、見ること・聞くこともなさないとの節ある「過去の」悲劇)の問題]
に留まらず、「これよりの」問題、災厄の「予測」にまさしくも関わることであると声を大にして述べたいとのことがある ―(いいだろうか.筆者は陰謀「論」者(真に望ましき方向では何も変ええまいとの[主観に依存した馬鹿げた物言い]をなすとの手合い)の印象論などではなく理性的な人間としての「事前兆候」の指し示し (社会に、人間存在に[存続]に値するだけの自浄能力があるのならばそれを正しいかたちで再頒布できるとの「事前兆候」)の指し示しに努めているのである)― 。
その点、直近明示の関係性からして
「ブラックホール生成実験と言われるところの加速器実験と「複合的・多層的に ―すなわち、[執拗なる意志のありようが問題になる]との式で― 」接合する」
とのことがあるからこそ問題になる(何度も何度も申し述べてきたこと、[[アトランティス]と[ブラックホール生成可能性が取り沙汰されることに中途よりなった加速器実験]と[黄金の林檎が原因で滅したトロイア]の関係性][[ダンテ『地獄篇』]と[ヘラクレス12功業]と[ブラックホール関連事物ら]の関係性]はここでは繰り返さないこととする)。
(脇に逸れての話として)
ここで物事の本質というものの絡みで問題となることについてさらに訴求するための意図しての話をなしておく。本稿にての先のでは下にて呈示の地図を材にして(ここでの話とは全く異なる方向性、黒海洪水説にまつわることに関しての)図解をなしていた。
上に再掲しての同地図は17世紀後半、1689年に Gerard van Schagenというアムテルダムの地図製作家に由来する古地図となるのだが、そうしたものにあってからして
[新大陸とペルセポネの関係性を「想起」させるような側面]
を帯びている節がある。
下の図をご覧頂きたい。
地図にあっての左上方部には[冥王ハデス]とそのハデスに略取される[ペルセポネ]、そして、[ケルベロス]が配され、ペルセポネを抱えるハデスがアメリカ大陸(を中心とした地図の半球)を睥睨(へいげい)するかのような描かれようがなされているとのことがある。
その点、地図のハデス・ペルセポネ・ケルベロスらに囲まれて描かれる戦乱のありようについては
[新大陸にて原住民(インディオ等)と征服者の間で生じた紛争]
とは見えない ―いかにもといったかたちでのアメリカ原住民然とした当事者の姿が見られない― とのことがあるのだが(新大陸で行われた殺し合いを描いているのか、旧大陸で行われた戦争のことを描いているのか判然としない)、筆者としては「であっても、」新大陸の殺し合いが
[ザクロの地での協約]
より始まったことが同地図より想起されるところであろうととらえている(ペルセポネにまつわる新大陸にての腐臭を放ってやまないとの不快なる関係性について摘示なしてきた人間としてそうもとらえている)。
だが、ここでの地図を引き合いに出しての話については
[行き過ぎた印象論]
として斥けられたとしてもそれはそれで仕方ないととらえている(仮に地図の中にあって[新大陸でのインディオの虐殺]と[ケルベロス]が極めて露骨に結びつけられているのならば話は別であったろうともとらえている中で、である)。
しかし、再度の「だが、」の問題として、直近の段にて呈示してきたペルセポネを巡る関係性の話が重きをもって存在していること自体に何ら相違はなく、いずれにせよ、それがゆえの歴史の酷薄さ・欺瞞性が問題になるとのことに変わりはない。読み手にはそのこと、ご理解いただきたいものである。
非常に長くなってしまったが、これにて([A]から[F]と分けて論じてきたところの)[E]の段での話はここまでとする(※)。
(※本稿の複雑性がゆえに読み手が区切りの部を把握するのに難渋することであろうと考え、注記しておくが、ここでは補説3と銘打っての部 ―本論に対する補説としての位置づけの部― にての話をなしており、同じくもの補説3の部は
[ダンテ『地獄篇』とヘラクレス12功業の関係性]
を専らに問題視するとのことを
「[1]から[5]、そして、に続いての、[A]から[F]との各部にさらに細分化させて」
なしているとのものとなる。そして、直近までの部は(補説3の中の[1]から[5]に続いての[A]から[F]のうちの)[E]の段に属さしめてのものであった)
先の段、[E]の段にては次のことが事実であると指し示すに足りるだけのことを摘示してきた。
「古代中近東の信仰にて崇められていた女神イナンナ・イシュタルについては[冥界下りして冥界に囚われた金星の象徴化存在]として、および、その他の要素、その他の媒介項をはさむことで[悪魔の王ルシファー]との接合性・同一性を多重的に指摘可能な存在ともなっており」
「その伝での多重的関係性の環 ―イナンナ・イシュタルとルシファーの間に横たわる関係性の環― には[ペルセポネ]という女神が関わることとなり」
「[ペルセポネ]と([イシス]や[ヘカテ]を介しての)[シリウス]および[シリウスBの体現存在としてのケルベロス]との接合性を顧慮すると、[ルシファ-]が古典『地獄篇』(ないし古典『失楽園』)にてどのように描写されているかとのことと関わるところとして[ブラックホール]を環の中心に置いての多重的関係性もが指し示されるようにもなっている」
ここ[F]の段では以上のことが
[フリーメーソンを規定する思考法と密接に接合している]
とのこと「にも」なっているとのことを指し示すこととする。
さて、先の段では
「[デメテル・ペルセポネを祭神としてのエレウシス秘儀]と[イシス・オシリスにまつわる崇拝体系]がフリーメーソンの儀式・典礼体系と発想として接合している」
とのことを出典に依拠して述べてきた(※)。
※出典(Source)紹介の部93をほぼそのままに振り返っての記述として
本稿では和書、
『フリーメーソンと錬金術 西洋象徴哲学の系譜』(人文書院刊/名古屋大学吉村正和教授が執筆なした比較的学術的色彩が強き著作でフリーメーソンを陰謀団として取り上げるといった側面が絶無に近しき書籍)
のp.22-p.24([ルキウスのイシス=オシリス密儀]の節)よりの中略なしつつの掻い摘まんでの抜粋として以下の記述を引いていた。
(直下、『フリーメーソンと錬金術 西洋象徴哲学の系譜』p.22-p.24よりの「再度の」引用として)
古典密儀宗教については現存する資料が限られており、正確な内容が伝えられていないことはすでに述べた通りである。その中で、アプレイウスの『黄金の驢馬』第十一巻は、ルキウスのイシス=オシリス密儀への参入をかなりなまなましく描いていることで有名である。物語形式を通して叙述されてはいるが、そこにはアプレイウスの実体験が入り込んでいることはほぼ確実であり、少し詳しく見てみるだけの価値がある。
『黄金の驢馬』の主人公ルキウスは、魔術への好奇心から梟になって空を飛び回ろうとしたが、誤って驢馬に変身する。
・・・(中略)・・・
第一巻から第十巻において「運命の女神」に支配されたルキウスが、第十一巻においてイシスに救済されるまでの物語である。
・・・(中略)・・・
予言通りに翌日、イシスを祀る行列が繰り出され、ルキウスは大神官の待つ薔薇の花環を飲み込む。と同時に、ルキウスの体は驢馬から人間へと戻る。
・・・(中略)・・・
ルキウスは毎晩のように密儀を受けるようにというイシスのお告げを受けていたが、ようやく意を決して大神官のもとにいく。大神官は彼に対して、密儀参入が死を賭して行われるべき行事であること、「世俗の食べ物」や「禁制の飲み物」を断って心身の浄化に努めることを告げる。
ルキウスはまず斎戒沐浴ののち、十日の間「肉食と飲酒」を絶つ禁欲生活を送り、密儀参入の日を迎える。ルキウスは新しい亜麻布の衣服を着て、神殿の至聖所へと導かれる。アプレイウスはここで、密儀参入に関する秘密厳守の規定について、次のように述べている。
「あなたがたはおそらくその部屋で交わされた二人の会話とか、そこで起こった事件とかについて、何か話してほしいと強く要望なさることでしょう。・・・・しかし、それについて不謹慎なお喋りをしたり、あるいは大それた好奇心から、それを聞こうとしたら皆さんのお耳も私の舌も等しく罰を蒙ることは必定です。」古代密儀宗教はほとんど例外なく、密儀に関する沈黙の義務を参入者に課している。エレウシス密儀においても、「その密儀には怖れ畏むべきもので、これを侵すことも、それについて問うことも許されない」として、秘密厳守が要請された。
(再度の引用部はここまでとする)
上にての和書『フリーメーソンと錬金術 西洋象徴哲学の系譜』よりの引用部では
[イシス密儀が古代ローマにものされた小説『黄金の驢馬(ろば)』(イシスとペルセポネの同一性にまつわる言及がなされている古典)にて作中、重要なモチーフとされていること]
[イシス密儀がエレウシス密儀と同様に参加者に秘密厳守を強いているとのものであること]
[イシス密儀の秘密厳守を求めるやりようは掟を破ったものに厳罰を強いるといった性質のものであること]
とのかたちでイシス=オシリス密儀とエレウシス秘儀(ギリシャにてのデメテル・ペルセポネ両女神にまつわる秘教儀式)の[密儀としての接続性]について言及されているわけであるが(尚、本稿では[エジプト伝来のイシス・オシリスの物語]と[ギリシャのエレウシス秘儀にまつわるデメテル・ペルセポネの物語]の間にて[第一、双方の物語で死した存在が哀惜の情を抱いてのパートナーに探し求められて、その死した存在が後に冥界の統治者に変ずるとの粗筋が採用されている]、[第二、双方の物語(あるいはその物語に基づいての著名な密儀)ともども穀物の成長に関わり、豊穣を願っての特性と関わっているとの指摘が(近現代の学究らによって)なされているとのことがある]、[第三、双方の物語にて死別したパートナーを探し求めている方の存在がその途上、子供を火にくべて不死にしようとするが、失敗するとの際立って特異な下りが表出を見ているとのことがある]、[第四、実際に[イシス・オシリスの物語]と[ペルセポネ・デメテルの物語]が結びついているとの古代からの指摘がある]とのことをそれぞれ出典細かくも指し示しながら紹介してもいた)、 本稿では相互に結びつく、
[イシスにまつわる崇拝体系]
[デメテル・ペルセポネにまつわる崇拝体系]
にはフリーメーソンの秘儀形態と通ずるとの認識がフリーメーソン自体にも存在していることを(前々世紀末期および前世紀前半の書籍よりの引用とのかたちで)指し示してきもした。
(直下、フリーメーソン員アルバート・マッキーの手になる Project Gutenbergのサイトで公開なされている The Symbolism of Freemasonry(1882)の XXVII.The Legend of the Third Degree.よりの「再度の」引用をなすとして)
Thus in the Egyptian Mysteries we find a representation of the death and subsequent regeneration of Osiris; in the Phoenician, of Adonis; in the Syrian, of Dionysus; in all of which the scenic apparatus of initiation was intended to indoctrinate the candidate into the dogma of a future life.
It will be sufficient here to refer simply to the fact, that through the instrumentality of the Tyrian workmen at the temple of King Solomon, the spurious and pure branches of the masonic system were united at Jerusalem, and that the same method of scenic representation was adopted by the latter from the former, and the narrative of the temple builder substituted for that of Dionysus, which was the myth peculiar to the mysteries practised by the Tyrian workmen.
(訳として)
「このように古代エジプトの秘儀に関しては我々は[オシリス]に[死の表象]と[続いての再生]を見出すことをなし、フェニキアにては[アドニス]について同様のものを見出すことをなし、シリアにあっては[ディオニソス]につき同様のものをば見出すことをなし、それらについて[秘儀の背景にての仕組み]が秘儀参入候補者を[後の日にあっての生への教義]の方へと教化するのを意図してのものであるとのすべてを見出せる。
ここでは[ソロモン王の神殿に関わるティロスよりの労働者らの尽力を通じて石工機構の非純正の、そして、純正の支部らがエルサレムにて結集を見、前者から後者によって背後の表象が採用され、[神殿建立者らの語りにてティロスの(ソロモン神殿建設に従事の)職人らによって実施されていた秘儀]がディオニソスに特有な神話であったとのことが代弁されることになる]と述べれば十分であろう」
(訳を付しての再度の引用部はここまでとしておく ―※― )
(※上にての引用部に関する注記を ―出典(Source)紹介の部93にあってもほぼ同文のことを記載しているわけだが― ここになしておく。
その点、複雑な話ではあるが、
「フリーメーソンには[ソロモン王の神殿をエルサレムに建立した石工ら(聖書上ではティロス(ツロ)という古代都市国家、レバノン南部に現行遺跡が存在する国から来た石工ら)の故事を重んじての教義体系]が存在しており」、
そうしたメーソン教義体系に見る伝説上の石工ら (ヒラム・アビフというメーソン儀式体系にあって重きをなす仮想の棟梁と結びつけられる石工ら) に対して、
[ディオニソス、[オシリス]やアドニスのように[死と復活の神話が伴う神の「秘儀」]への参入が実施されていた]
と(それが史実であるかは置き)表記引用部にては記載されているのであり、もって、
[メーソンの[死と再生への固執]を[メーソンが重んじる伝説上の石工らのその伝での秘儀参入]と結びつけての話をなす]
との意図が表記著作 ― The Symbolism of Freemasonry(1882)― の著者にあると(背景知識ある識者には、だが)分かるようになっているとのことがありもするのである ――「端的な引用に依拠しての端的な話をさらになす」としたうえでも表記の著作、 Project Gutenbergのサイトよりダウンロードできるとの The Symbolism of Freemasonry(1882)にての巻末 Synoptical Index.Aの段(大要解説[ア]段)のAdonis解説項目にて In the mythology of the philosophers, Adonis was a symbol of the sun;
but his death by violence, and his subsequent restoration to life, make him
the analogue of Hiram Abif in the masonic system, and identify the spirit of the initiation in his Mysteries, which was
to teach the second life with that of the third degree of Freemasonry.
(訳として)「哲学者らに由来するところの神話学見地にあってはアドニスは太陽のシンボルとなる。しかし、彼の暴力による死、そして、続いての生への復活は同アドニスをしてメーソン体系にあってのヒラム・アビフ(メーソンに重要視されるティロスの地からソロモン神殿建立のために馳せ参じた石工らの棟梁)の質的同等物となさしめ、彼アドニスの秘蹟へのイニシエーションの精神を[第二の人生への教授をなそうとの意味でメーソンの第三位階の秘蹟](訳注:マスター・メーソン位階への参入秘蹟)と結びつけるものである」と記載されていることからも[同様のこと]はうかがえるようになっている―― )
(続けて直下、これまたフリーメーソン員( DUDLEY WRIGHTダッドリー・ライトという明示されてのFreemason)の手になる著作として Project Gutenbergのサイトで公開なされている THE ELEUSINIAN MYSTERIES AND RITES(1919)、その冒頭部、Preface(序文)の部より先にて引用なしてきたことを「再度の」引用をなすとして)
The Eleusinian Mysteries ― those rites of ancient Greece, and later of Rome, of which there is historical evidence dating back to the seventh century before the Christian era ― bear a very striking resemblance in many points to the rituals of both Operative and Speculative Freemasonry.
「古代ギリシャおよび後期ローマのそれら儀式がキリスト教時代より7世紀ほど遡るとの史的根拠を伴うとのエレウシス秘儀は実務的フリーメーソンリー(訳注:オペレイティブ・メーソンリー.職能組合的色彩が強かったと「される」前期メーソン紐帯)および思弁的フリーメーソンリー双方の儀式体系に対して多数の点でまさしくもの著しい一致性を帯びているとのものである」
(訳を付しての再度の引用部はここまでとする)
(以上をもってしてフリーメーソンの識者層が[イシス・オシリスの儀][エレウシスの儀]を自組織イニシエーション思潮といかように結びつけての物言いをなしているかの紹介とした)
本稿にての出典(Source)紹介の部93で取り上げたとのフリーメーソンへの死と再生へのこだわりを示す図像を「再度」挙げておくこととする。
[上掲図左]:メーソンの象徴・儀式体系要覧書 Duncan's Masonic Ritual and Monitor(1866年刊行版/現行、全文オンライン上より取得可能となっているとの著作)にて掲載されているとの挿絵となり、
[フリーメーソンのエンタード・アプレンティス(第一位階 First Degree[徒弟]位階希望者)、すなわち、フリーメーソンの門を叩く者がそれを受けることを強制されるイニシエーション(画期としての儀式)にて
[死刑囚の格好](目隠しをされ、絞首刑の縄を巻き付けられての格好)
をなさしめられた後、目隠しを取られ、光を与えられるとの式がとられるとの一連のそのプロセスを描いたもの]
となる。
[上掲図右]:メーソンの第三位階 Third Degree(マスター・メーソン位階)に格上げされる者がその額面上の寓意性を学ばされるとのトレーシング・ボードに見る棺桶の象徴となり、英文Wikipedia[ Tracing board ]項目に現行、その写真が掲載されているとのものとなる。
(以上のこと、[死すべき者が光を与えられて復活を果たす]とのメーソンのイニシエーションの流れがいかようにエレウシス秘儀と結びついているのかとのことにつき(ローマ期古典『黄金の驢馬(ろば)』内容を加味しもし)解説を講じているのが本稿の出典(Source)紹介の部94(4)である)
さて、直近振り返ってのこと、すなわち、
[[イシス・オシリスに対する崇拝体系]および[デメテル・ペルセポネのエレウシス秘儀]とフリーメーソンの[死と再生に関わる典礼体系]の連続性]
とのことに加えてフリーメーソンに関しては「無論、出典に依拠してのこととして」次のようなこと「も」述べられるようになっている。
「フリーメーソンとは金星象徴神格ヴィーナスの象徴を彼ら位階引き上げの儀に見る様式に組み込んでいると彼ら成員自体が認めている(との組織でもある)」
続いて、(確たる問題意識あってのこととして)、表記のことにまつっての典拠を挙げることとする。