典拠となるところの明示[126]――欧米圏のそれと特徴的シンボリズムを共有しも
している日本国内にあっての[911発生の予見的言及作品]について

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[911の事件の先覚的言及]と[フリーメーソン象徴体系]との接合について 補説4

 直前頁までにあって、大要、以下のこと、解説してきた。

 911の発生を予見しているが如くサブ・カルチャー作品が何作も何作も存在しており、の中には、フリーメーソン・シンボリズムとの連続性を呈する作品らも含まれている。そして、日本国内のサブ・カルチャー作品にも同様のことが当てはまりもし、本稿ではその伝で問題となるものを幾例かを呈示することとした。

(以上の運びで話をなしていた中で青少年層向けアニメ映画作品アニメ映画『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス』について取り上げたうえで)
 著名な漫画作品である、
『ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース』
もまたその範疇に入るものとなる。
 具体的には和文ウィキペディアでもってしてから同じくものことが解説されているとおりのこととして、


事実1オインゴ・ボインゴ兄弟のマンガにて死ぬことが「予言」された男の服には[911]との数字が目立って記載されている ⇒ 「誰でも容易に確認できるようになっている」との[文献的事実]である

事実2:劇中に見る上記の男の死亡予言描写(漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』の中の劇中の漫画作品(英文タイトルが付されており OINGO BOINGO BROTHERS ADVENTURE)にての予言描写)][飛行機と確と結びついている ⇒ 「誰でも容易に確認できるようになっている」との[文献的事実]である

事実3:劇中に見る上記の男の死亡予言が10時30分との時刻と紐付いてのバス乗車時間と結びつけらている ⇒ 「誰でも容易に確認できるようになっている」との[文献的事実]である

事実4:以上の事実1から事実3に見る描写を含む漫画作品が世に出たのは1990年代前半となっている ⇒ 文献にまつわる情報(書誌情報)としてすぐに確認できることである


とのことらが現実にある。

 上のような要素にて分解できる予見描写についてはまたもってしてフリーメーソンのシンボル(入門徒弟位階エンタード・アプレンティスの一般的なトレーシング・ボード構図)とも接合するものとなり、それは下のような式で図示できるところのものとなる。

(問題となる漫画作品に見る[予見描写構図]の解説図の再掲として)

(問題となるフリーメーソンのシンボル画 ―月と一つ目と太陽を一直線に並べるとのトレーシング・ボード構図― の再掲として)

 以上、委細を先だっての段に譲りもしての振り返り表記なしたうえで前頁よりそうした部に入るとのこと、言及していた[長くなるも、の補足の部]にこれより入ることとする。


[極めて長くなるも、の補足として]


(最前の段にて言及なしたとのこと、[メーソン・シンボリズムにあっての[太陽][一つ目][月]を並べる構図]と[国内特定漫画作品(『ジョジョの奇妙な冒険(スターダストクルセイダース)』)にあっての奇怪なる「予見的」描写]が「連続性を呈している」とのことについて(極めて長くなるも、とのかたちにて)補足となるところの表記 ―「■補足1」から「■補足3」と分けてもの表記― をこれ以降、なすこととする)

■補足1

 まずもって述べておくが、

本稿筆者は『ジョジョの奇妙な冒険』の作者、極めて芸術的とも言える独特なる画風を深化させているとのことがうかがえているとのその人物がフリーメーソンであると論じているのではないし、そのようなことを問題視するつもりは元よりない」(下らぬ陰謀論の(再)頒布者といった向きはそこを履き違えることか、と思うが、「そうではない」)

『ジョジョの奇妙な冒険』の作者の予見描写にまつわっての申しよう、

「(予告描写の部については)考えていないでそういう描写をなしていた」 (先に和文ウィキペディアでそういう作者コメントがなされていることを紹介している)

との申しようにみとめられる、

考えていない

がどういう文脈のものであるかは問題になることか、とはとらえているが、ここでの論点は[属人的特性の(不確かな可能性論に依拠しての)批評]をなすとのことなどにはない ―※【傀儡(くぐつ・かいらい)としての[属人的心中]などというものがさして意をなさない「紐を付けての」候補者】などを統治機構にて擁立する力学「以上」の操り人形操作のメカニズムの介在の可能性とてこの世界にあっては当然に「ある」ととらえているわけだが、といった中では[薬籠中の人間の属人的属性]などについて(機序・作用原理といったことを論ずるといったこと以外に)云々するとのことには意味がない、そのようなことは巨視的な状況を分析しようとの者がやることではないととらえている― 。

 他面、人間に[予見的描写]をなさしめる尋常一様ではない力学がそこに存在している ―(本稿にての出典(Source)紹介の部87(2)で部分的にその[方法論]にまつわる可能性を(「誤っているところかもしれないが」と断りつつも)呈示しているような力学が存在している)― との式でしか説明のしようがないとのことらが山積している中で実際にそうもした予見描写をなさしめる力学が介在しているのならば、である。
 その力学の発するところのほうが
「何故、」
「どういう心根で、」
薬籠中にある人間にそういう描写がなさしめているかは、(Ifの話として)、「だが、しかし、」のこととして[極めて問題になる]ことであると筆者はとらえている(:ちなみに筆者は先の段でワールド・トレード・センターのうちの第七ビルの倒壊の仕方について発破倒壊説が専門家団体より呈示されているとのことを ―その申しよう自体の真偽にまつわる手前価値判断を「本稿では」敢えても呈示しないで― 先の出典(Source)紹介の部101を包摂する解説部にて紹介しているわけだが、YouTubeなどでも説得力を感じさせる動画が流通させられているそちら申しようが真なれば、そういうこと(コントロールド・デモリッションこと発破倒壊)を実現ならしめるような「人間の次元の紐帯」は ―国内の相応の大規模宗教組織など相応の団体の二重人格的特性にも通暁している人間として申し述べるが― [極めて限られてくる]と述べても構わないことか、ととらえている(たとえ、不適切に[政府のインナーサークル]などというそれ相応の呼ばれようをしようとも問題となるような紐帯は極めて限られてくるととらえている))

 それにつき、そう、どういう心根でか、のWhyの問題については筆者は[予言の霊の業]といった言葉が相応しいような力学が発するところには善意のようなものは存在しておらず、

『部分的に今後実現させるべくもの予定 ―(あるいはそこに本稿にての出典(Source)紹介の部28-3に続く段でかするように言及しているとの[超光速通信]のようなもの(光の速度を超える通信とはすなわち過去に遡行する通信たりうるものとなる)が関わっていれば、まさしくもの将来の出来事の身内間示唆か)― を自儘に手繰ることが出来る薬籠中の人間に吐露させ、[災厄の中身]と[災厄の実現に使役するユニットら](紐帯)の属性を部分的に[事前言及]する、そういうことをなしても人間存在はそれに対して何もしないし、できなかろう』

とたかをくくっての観点が表出を見ているだけではないか、ととらえている (:述べておくも、筆者は『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズひとつとってからして、そこにて[善意]のようなものが介在している可能性があるなどとは「露も見ていない」。については、同漫画シリーズをも思索の対象として分析した関係上、その初期のシリーズの話数における胸くそが悪くなるような嗜虐的描写に見る[邪悪さ]をよく知っていることも大きなところとしてある。たとえば、シリーズ全般を通して「人の生き死にの問題をあまりにも軽々しく扱っている」ことが通読なした段階で容易に理解できるとの同漫画シリ-ズではその初期の段階にて[子供の助命を請うていたなかで吸血鬼にゾンビ人間にされた母親が子供を嬉々として食いちぎる描写]などが人間存在の[自由意思]の問題を愚弄するように、そう、人間存在の自由意思が[外力]にていかようにもねじ曲げられるとのかたちで嗜虐的極まりないかたちで入れ込まれているといったことがある ―「何故、このような胸くその悪くなる描写を「わざわざ」子供が多くも読むような漫画の類に入れ込んでいるのか.構成を考案した者はどういう性質の者なのか」と疑義感じさせるようなかたちで入れ込まれていることがある― がために、そのようなものに善意の「ぜ」の字が介在する余地があるなどとは露も思っていない、そうも述べるのである)

■補足2

 こちら補足したき第二の点は長くなる。

 さて、漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』にての予見描写の部について当の作者自身は、(繰り返すも)、

[(作品にあっての予言描写とされる部を)考えていないで書いていた]

と述べているとのことがあるようだが(:『ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース』にあって911の予言染みたものが具現化していることにまつわるところとして先にて和文ウィキペディア[スターダストクルセイダース]項目の現行にての表記を引用なしていたところとして(再引用するとして)トト神の漫画が旅行客の男性の死亡を予知する(正確には乗ったバスが事故に会い、死亡する)描写があるが、これがアメリカ同時多発テロを予言するかのような描写だとして一部で話題となった。理由としては、事故死した男性の着ていた服に「911」と書かれており、サメのような顔をした飛行機がそばを飛び、イスラム教のシンボルである三日月が描かれている。さらに、死亡する直前に男性が「おっ、十時半だ」とバスの時刻を呟いているが、これは貿易センタービルが崩落した時刻でもあった。荒木はこの噂に対して「考えずに描いてた」と述べている。当該の場面はアメリカ同時多発テロより以前の1990年に描かれたものであり、事件より11年前のことであった。作者がこの噂を知ったのは2007年5月ごろと、噂が出始めた時期と比べるとかなり遅かったようである(再引用部はここまでとしておく)との記述に見るように「考えずに書いていた」と述べているとのことがあるようだが)、であったとしても、はきと述べられることがある。

 その[はきと述べられること]とは

「問題となる予見描写の部(先述)にあっての「太陽」「一つ目」「月」を並べての描写単純に視覚的な意味合い(先にてその特性を図像挙げながら示したような視覚的意味合い)からだけはなく「これ深甚なる意味で奇怪な予見ありように関わっている」との式でも[フリーメーソン・シンボリズム]のみならず[フリーメーソン・シンボリズムと関わるところの錬金術の象徴体系]と相通ずるところがあるものである」

とのことである(※)。


※[錬金術]についてのこととして

 筆者は「これ長大な」といった文量を割いて本稿で論じてきたように

「[黄金の林檎というもの](のシンボル)が【911の事件の予見的言及】にまつわるところ「でも」、また、【ブラックホール生成実験と表されるに至った「実験」】にまつわるところ「でも」奇怪なかたちで関わっており、その関わりあいにあって【多重的なる相互の連結関係】が垣間見れる」

とのことを重要視しているのではあるが(そこにいう多重的連結関係については本稿のここに至るまでの流れをきちんと読まれれば、よく理解できることであろうとも述べておく)、そも、[黄金の林檎]というものは[不死]および[黄金]との要素が伴っているものでもある。「黄金の」林檎はそれを食する者に[不死]を与えるとの按配にて、である(北欧神話で黄金の林檎が不死にまつわるものであったことについても本稿の先の段では事細かに解説している)
 そして、[不死]と[黄金]とくれば、潰えた妄言体系、[錬金術]にあっての二大目標となっているとのことがある(錬金術というのは[不死の霊薬]の生成と[黄金]の生成を二大目標に掲げての[潰えた妄言体系 ―と述べても近代科学文明の地ならしをした「妄言」体系であるともされるわけであるが― ]となっていることがよく知られている)
 といった観点から、また、[(いろいろな意味で問題になるとの)フリーメーソンの象徴主義]が[錬金術のシンボル体系]と濃厚に結節しているとのことを情報収集の過程で知るに至った ―和書にても(その伝での解説はほとんどなされていないとのことで残念ではあるのだが)『フリーメーソンと錬金術 西洋象徴哲学の系譜』(人文書院/本稿にての先の段でも出典としていくばくかの記述を引いているとの学究系の書)との著作が刊行されているように[フリーメーソンの象徴主義]と[錬金術]のそれは結節しているとのことを知るに至った― ことから、筆者は普通人にはまずもって縁がなかろうとの錬金術関連の書籍の図像的分析も ―額面上からとらえれば、「それらは所詮、オカルトの遺物でしかあるまい」と一歩引いての覚めた目をもちながらも― なしてきたとのことがあり、といった絡みから[錬金術]にまつわってある程度、深い話もがなせるようになっている。


 表記のこと、漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険(スターダストクルセイダース)』にての予見描写がフリーメーソン・シンボリズムのみならず錬金術の象徴体系とも(皮相的な視覚的一致性の問題を越えるところとして)「予見ありように関わる」ところで深くも結びついているとのことについては「まずもって、」

[錬金術象徴体系にあっての【】【太陽】【一つ目紋様に通ずるもの】を並べてのシンボル]

として手前が把握する具体例を挙げておくこととする。

 下の図をご覧頂きたい。

 同図は『改革された哲学』とでも訳せよう17世紀初出の錬金術書、 Johann Myliusヨハン・ミューリウスという錬金術関連の著述家の手になる Philosophia reformata(1622)という書籍からの抜粋なしての図となるが、そこにては]と[太陽]と[円と結びつけられた三角形](という「いかにもな、」構図)が並置して描かれている(※)。

(※下にもそのことを示す図解部をさらにもってして挙げるが、

「「本稿用に、」と作成した[『ジョジョの奇妙な冒険』の予見描写の再現図]にあっては上の錬金術書『改革された哲学』の[顔のついた太陽と月ら]の図像からの「流用」をなしている」(わざとそうした)

 その点に関しては先立っての段でも同趣旨のことを申し述べているように

「[『ジョジョの奇妙な冒険』の予見描写の「再現」図]ならぬ原作オリジナルの予見描写イラストにあっても[顔のついた太陽][顔のついた月]が描かれたりもしているが、そちらは本稿にて呈示の再現図とは異なる独特なる雰囲気を醸し出したものとなっているとのことがある中で本稿では漫画に見るオリジナル・イラストレーションにおける擬人化のありようを忠実には踏襲せず、錬金術書に見る擬人化された太陽と擬人化された月を代わりに挙げてもいる」 

 上に呈示したような錬金術書(1622年初出の『改革された哲学』)に見る描写がフリーメーソンの象徴体系と接合するようにもなっており、また、多く普通人が知るところなき漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の特定部描写とも同じくもの錬金術シンボル画が結節しているとのことがある。

 同じくものことについてはさらに続いての下図解部をご覧頂きたい。

 上掲図最上段では ―ここまでの図呈示の流れに目を向ければ、一目瞭然であろうが― 先に挙げたところの Philosophia reformata『改革された哲学』内図像よりの再掲をなし、中段では同 Philosophia reformataより一部図像パーツ拝借なしつつもわざとそうなるべくも作製した『ジョジョの奇妙な冒険』にての特定部描写の再現図の再掲をなしている。

 対して下段では

[比較対象として持ち出したフリーメーソン徒弟位階(エンタード・アプレンティス位階)のトレーシング・ボードの再掲をなし、また、それとあわせて合衆国一ドル紙幣に描かれている[ピラミッドと一つ目の印章]および最上段で挙げた Philosophia reformata『改革された哲学』にての地球と重なるように描かれているとの三角形および円を併せての構図]

を抽出して呈示している。

 以上の図らをもってお分かりいただけようかと思うが、『ジョジョの奇妙な冒険』のイラストは[フリーメーソン象徴主義](例としての徒弟位階のトレーシング・ボード構図を挙げている)および[錬金術シンボル画](例として Philosophia reformataの図像を挙げている)と接合しながら、[月][太陽][目]の構図が[911]を介して[地球]と相通ずるものであることを象徴主義の観点で指し示すが如くものとなっている(: Philosophia reformata『改革された哲学』にあっての[月]と[太陽]を両側に配しての中央の地球の構図が[三角形の中の円]と重なるようになっているため、また、他面、メーソン象徴主義に見る[月][太陽][目]の構図が[目]の部分で[ピラミッドより覗く万物を見通す目のシンボル]と重なるようなところがありもするため、そうも述べられるようになっているとのことが「一つには」ある ―字面だけではおよそ理解出来るようなところではないため、とにかくも、それさえ見れば瞭然としたありようについて理解いただけるであろうとの図を参照いただきたい次第である― )

 上のように相似形の問題を示しても

『メーソン・シンボリズム(およびそれと酷似している国内漫画作品に見る予見描写)と錬金術シンボリズムのありようとを結びつけるべくも[僅少なる例]でこじつけをなしているだけであろう』

と考える向きもあられるかもしれない(ここまでの話をなしているだけの本段階では全く順当なる反応ではある)から述べるが、この身が把握するところとして直近、その構図を問題としていたところの Philosophia reformata(1622)をものした17世紀に生きたヨハン・ミューリウス Johann Myliusという錬金術関連の書らの著述家のやりように関してはその他の図像群を介して「も」[メーソン象徴主義と錬金術の露骨なる接合性]を示すものとなっている(については具体例を直下、挙げることとする)。

 下の図をご覧頂きたい。

 上掲図にての上の段の左上の図像は(直前までその図葉を挙げてきた錬金術書 Philosophia reformata(1622)の著者でもある) Johann Myliusの著作たる Anatomia auriという錬金術関連の著作(1628年に刊行されたとされるもの)にて掲載の図葉 ―(当然に上にてその図画像を挙げた Philosophia reformataと同様に表記の文書名( Anatomia auri )を検索エンジン上で入力することでそちら図像を欧文サイトを通じて捕捉できようとの図葉)― となる。

 対して、上掲図にての右上の段にあって呈示することとしたのは『賢者の羅針盤』という書物、1779年に記された著作に収録されている図葉となり、オンライン上にも(英文Wikipediaも含めて)図画像が広くも流布されているとの、
[薔薇十字思想(というもの/Rosicrucianism)とフリーメーソン象徴主義の折衷が体現されてのシンボル画]
となる(:同『賢者の羅針盤』掲載の図像については本稿の先の段、出典(Source)紹介の部93にてもその内容を引き合いに出しているとの国内学究(吉村正和名古屋大学教授)の著作『フリーメーソンと錬金術 西洋象徴哲学の系譜』(人文書院)にあっても掲載されているものとなり、そこに付けられた解説は(『フリーメーソンと錬金術 西洋象徴哲学の系譜』p.112より原文引用するところとして)1779年にベルリンにおいて匿名で出版された錬金術的薔薇十字文書『賢者の羅針盤』の図版:上部に太陽と月が描かれた2本の柱には、JとBの文字が刻まれている。それぞれの文字はヤキンとボアズ(ソロモン神殿の前に立てられた2本の柱)というフリーメイソンの象徴を指しており、この図版では薔薇十字錬金術思想とフリーメーソンの象徴が融合している(引用部はここまでとする)と解説されているものとなっている ―※ちなみに、欧州には[薔薇十字思想]という錬金術体系と接合する秘教思潮が存在しており、そちら秘教思潮がフリーメーソンの勃興に影響を与えているとの説が一部で語られるところとなっている。同じくものことについては英文Wikipedia[Rosicrucianism]項目にて According to Jean Pierre Bayard, two Rosicrucian-inspired Masonic rites emerged towards the end of 18th century, the Rectified Scottish Rite, widespread in Central Europe where there was a strong presence of the "Golden and Rosy Cross", and the Ancient and Accepted Scottish Rite, first practised in France, in which the 18th degree is called Knight of the Rose Croix.「ジャン・ピエール・ベイヤード(英文Wikipedia当該項目の出典としてその論稿が持ち出されている人文学修士号M.A.の持ち主として薔薇十字思想とメーソンに関わる研究をなしているとの向き Jean Pierre Bayard)によると薔薇十字団にインスパイアされての二つのメーソン位階が18世紀末に向けて登場を見ており、(うち一つは)、[黄金の薔薇十字]の影響が強くもそこにあったとの中央ヨーロッパにて広まった[改訂版スコットランド位階]であり、(もう一つは)、当初、フランスでその運用がなされていたところの[薔薇十字の騎士]との名での第18階階級を用意している[古代の認証されたスコットランド位階]となる」(引用部はここまでとする)との記載を認められるようなことがある― )。

 上掲図を通じもしてお分かりのことか、とは思うが、先に

[地球を背景にしての三角形の中の円の構図(それは後述するが、錬金術における[賢者の石]の構図ともなる)を太陽・月を配する錬金術画を Philosophia reformata(1622)を通じて遺しているとのその著者 Johann Myliusやりよう]

は[フリーメーソン象徴主義]とも(またもってしてフリーメーソンに習合されて頻繁にメーソン・シンボル体系として紐付けられて用いられるようになったとの)[万物を見通す目]とも接合するように[できあがっている]のである(上掲図下段の部も参照すれば、視覚的にそのことがよく理解出来るであろう)。

 さて、ここまでの流れにて[錬金術シンボル構図]および[911と一つ目が刻まれた『ジョジョの奇妙な冒険』の予見描写の構図]がオーバーラップ、接合していることを視覚的にかなり密に訴求してきたつもりである ―下の確認のための図を参照のこと― (再度強調するが、ここでの話は「図を抜きにしては何を述べているのか、理解を得られぬであろう」との按配でのとにかくもの図の内容を重んじての話となる)。

 以上のような流れに依拠したうえでさらに摘示しておくが、

「漫画『ジョジョの奇妙な冒険』にての

【[]と[太陽]と[一つ目]を並べての奇怪なる予見描写 ―フリーメーソンの象徴主義、トレーシングボードなどに見るやりようと同一の描写― 】

に関しては、

911という数値と一つ目を合算させての部

が錬金術象徴主義体系における[賢者の石](英語で述べるところの Philosopher's stone,[哲学者の石])というものの寓意と重なるようになっていることまでもが「ある」」

(:[賢者の石]についてはその通俗的理解に関して英文Wikipedia[ Philosopher's stone ]項目冒頭部にあっての「現行の」記述を引いておく。(以下、抜粋なすとして) The philosophers' stone or stone of the philosophers ( Latin: lapis philosophorum ) is a legendary alchemical substance said to be capable of turning base metals such as lead into gold (chrysopoeia) or silver. It was also sometimes believed to be an elixir of life, useful for rejuvenation and possibly for achieving immortality. For many centuries, it was the most sought-after goal in alchemy. 「(賢者の石こと)フィロソファーズ・ストーンないしストーン・オブ・フィロソファーズ(ラテン語におけるラピス・フィロソフォラム)は鉛のような卑金属を黄金あるいは銀に変性させることができるとの錬金術における伝説的物質となるそれはまた、生命の霊薬(エリクシャー)、若返りや不死さえも実現しうるのに使えるとのそれであると信じられてきたものである。何世紀もの間、その賢者の石は探求の果てにある最大の目標となっていた」(訳付しての引用部はここまでとしておく)。以上、通俗的なる[賢者の石]の説明のされようについて紹介した)

(賢者の石の通俗的理解については上にて言及したとして) 下の図をご覧頂きたい。

 上の図の左側は ―筆者が探求活動の中で読んで見たフィリップ・J・デイヴィス( Philip J. Davis )という数学者の手になる Descartes' Dream『デカルトの夢』という著作の邦題タイトルにも同図が認められるように比較的、知られた図であるともとらえているのであるが―

[17世紀ハプスブルク家ドイツにてのお雇い錬金術であった Michael Maierミヒャエル・マイヤーという人物(英文Wikipedia[ Michael Maier]項目にて Michael Maier (1568-1622) was a German physician and counsellor to Rudolf II Habsburg, a learned alchemist, epigramist and amateur composer.と冒頭より記されての事績が伝わっている人物)の手になる17世紀前半に成立した錬金術寓意を扱った著作、 Atalanta FugiensFugienはラテン語のFugio[(跳ぶように)逃げ去る]の分詞とされているため[跳ぶが如く去りゆくアタランタ]とでも訳せようかとの著作)に掲載の図像]

となり、錬金術における[賢者の石]の体現図像として英文Wikipedia[ Philosopher's stone ]項目にても現行、[賢者の石の似姿]として掲載されているとの図ともなる(:なお、一般に[賢者の石]の外観は ―錬金術媒質における水銀と結びつく、あるいは、東洋における練丹術媒質と結びつく辰砂の外観と結びつくとの式でか― [赤い石]( red stone )と描写されることが多いとされるのだが、英文ウィキペディアにおける賢者の石に関する当該項目にては現行、 Alchemical authors sometimes suggest that the stone's descriptors are metaphorical. It is called a stone, not because it is like a stone. The appearance is expressed geometrically in Michael Maier's Atalanta Fugiens. "Make of a man and woman a circle; then a quadrangle; out of the this a triangle; make again a circle, and you will have the Stone of the Wise."しばしば錬金術関連の著述家らは[(賢者の)石の描写は比喩的なるものである]と示唆しもしていたミヒャエル・マイアーの手になる Atalanta Fugiensにあってはその外観は幾何学的なるものであると描写されている。(曰く、のこととして)[男と女でもって円をなし、それから四角形を描画、その外側に三角形を配し、さらに円を描く、さすれば、智惠の石を得るであろう](とのかたちにて、である)」(訳を付しての引用部はここまでとする)との理解のなされかたも存在していると紹介されており、上掲図に見る[賢者の石]の似姿はそうした理解に基づいたものとして同じくもの英文ウィキペディアに掲載されているものとなる)

 対して、上の図にての右側は先程挙げたところの1622年に成立しているとされる(錬金術関連著述家ヨハン・ミューリウスの手になる書たる) Philosophia reformataに掲載の図像を再掲したとのものとなるわけだが(すなわち、複線的にフリーメーソン・シンボリズムら、そして、それと際立っての相似形を呈する『ジョジョの奇妙な冒険』の予見描写部と接合するとの図像を再掲したものとなるわけだが)、先行する Michael Maierミヒャエル・マイヤーの Atalanta fugiens掲載の図像(上掲右)の影響を受けてのものなのか、同じくものもの、三角形の中に円と四角形が入れ込まれているとの構図が[賢者の石]の描写とすぐに分かるようになっている(直上にて引用なしたばかりのことを繰り返す. The appearance is expressed geometrically in Michael Maier's Atalanta Fugiens "Make of a man and woman a circle; then a quadrangle; out of the this a triangle; make again a circle, and you will have the Stone of the Wise."「ミヒャエル・マイアーの手になる Atalanta Fugiensにあっては賢者の石の外観は幾何学的なるものであると描写されている。[男と女でもって円をなし、それから四角形を描画、その外側に三角形を配し、さらに円を描く、さすれば、智惠の石を得るであろう](とのかたちにて、である)」.以上のような描写のされようとここにて呈示の図をあわせて見れば、そこに賢者の石の図像が具現化しているとのことは一目瞭然、ご理解いただけるであろう)

 ここまできたところで「どうしてそういう話を本段でわざわざなしているのか」に関わるところとして話をさらに煮詰める。下の図をご覧頂きたい。

 同図は錬金術の寓意を含む古書 Atalanta fugiensがその名を冠するところのAtalantaというのがギリシャ神話にあっての伝説的存在、アタランテという[豪の者としての乙女]と関わっていることを示すためのものとなる(画の右側に挙げたのは豪の者たるアタランテを描いた17世紀末の絵画、 Nicolas Colombelという画家の手になる絵画となる)。
 直上よりその名を持ちだしたギリシャ神話に登場するアタランテという存在は
[黄金の林檎]
とワンセットになっている。次のようなかたちで、である。

(直下、和文ウィキペディア[アタランテ]のよくまとめられている ―筆者がおさえているところとして古典との齟齬がない― 黄金の林檎に関わる記述部よりの引用をなすとして)

アタランテーの名声が高くなったため、求婚者たちが押し寄せた。そこでアタランテーは、結婚の条件として、求婚者が彼女自身との競走に勝つこととし、競争に負けた者は殺されるとした。ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』によれば、まず男を先にスタートさせ、武装したアタランテーが追い抜いた時点で男は射殺されたという。アタランテーは生きている人間のうちで最も足が速かったため、多くの若者が命を落とした。『変身物語』の語るところによれば、アムピダマースの子で求婚者のひとりヒッポメネース(『ビブリオテーケー』はメラニオーンに作る)は、アプロディーテーに祈りをささげて守護を求めた。アプロディーテーはこれに応じて、ヒッポメネースに3個の黄金の林檎を贈った。競争のとき、アタランテーが俊足を飛ばして追い抜こうとするたびにヒッポメネースは後ろに林檎を投げた。アタランテーがこれに気をとられ、リンゴを拾っている間にヒッポメネースが先にゴールした

(引用部はここまでとする)

 上にて引用のようにアタランテーは[黄金の林檎と結びついた存在]である(:上にて挙げた図は直上の引用部に表記されている筋立て通りに求婚者が投げた(アフロディテより譲り受けての)[黄金の林檎]に気をとられているそのアタランテーの似姿を描いてのものとなる)

 さて、アタランテー神話に関わる[黄金の林檎]、本稿にての先の段(出典(Source)紹介の部63(3)など)で述べてきたように、ゲルマンの北欧神話では
[不死の象徴]
とされているとのものである(同じくものことの出典表記をくどくも繰り返しはしない。そちら委細については出典(Source)紹介の部63(3)などの解説を参照いただきたい)。

 北欧神話にあっては

「神々 ―アース神族― が不死と永遠の若さを約する黄金の林檎(イドゥンという女神が管掌)の恩恵に浴しており、その黄金の林檎が争奪などなされると若さが失われ、問題になる」

との描写がなされているのである。

 そのように黄金の林檎は[黄金]と[不死]の体現存在でもあるわけだが、それら[黄金]と[不死]は ―上の段にて英文ウィキペディアの[ Philosopher's stone ](賢者の石)項目冒頭部にあっての端的にして基本的なることにまつわる記述を引きながら伝えんとしたように― [錬金術の究極目標]となっている。
 といったこともあってだろうと推し量れるところとして[黄金の林檎]に我を忘れ、婚儀成立を条件にしての求婚者との競争に負けたとの伝承が伝わっているアタランテーの名を冠するものとしての
Atalanta Fugiens
という題名の錬金術寓意を扱っての書なのであろう
と解されるところともなっている。そして、 Atalanta Fugiens(繰り返すが、Fugienはラテン語のFugio[(跳ぶように)逃げ去る]の分詞とされているため[跳ぶが如く去りゆくアタランタ]とでも訳せようかとの著作)にあって[賢者の石]の理想的似姿として[三角形の中の円形構造](にしてフリーメーソンの万物の目と結びつく構図)が具現化しているとのことを指摘してきたのが本稿ここまでの流れである。

「細かくも、」の補足として

上の点につき補いもして述べておけば、 Atalanta FugiensAtalantaが[黄金の林檎関連神話に見る競争敗者たる求婚者に死を要求していたギリシャ神話の快速の乙女アタランテー]に由来することそれ自体は周知されている事実である(たとえば、英文Wikipedia[Atalanta]項目にて The German mythologist, epigramist, composer, physician and counsellor to Rudolf II, Michael Maier published Atalanta Fugiens in 1617, an early work of mixed media which included an epigrammatic verse on the Greek myth, along with 50 emblematic images and music fugues relating to Atalanta's flight.「ドイツの神話学者・警句がかった短き詩文の紡ぎ手・編集者・外科医にしてルドルフ2世の相談役だったとのミヒャエル・マイヤーは1617年に Atalanta Fugiens、すなわち、50の象徴画と乙女アタランタの遁走に関わるフーガとセットになってのギリシャ神話依拠の警句的韻文を含む複合メディア的なる作品のはしりとしての作品を刊行している」との記載がなされている)。そうもした中で表記錬金術関連の寓意を含む書物( Atalanta Fugiens )でのアタランテーの題名使用については
黄金の林檎が[不死]と[黄金]という錬金術二大目標を体現している果実である
との皮相的理由よりも深甚なる意味合いが介在していると考えることもできる。たとえば、黄金の林檎に眩惑された乙女アタランテーに関しては[後に夫と共に獅子に変じさせられた]との伝承も残されており、錬金術の[賢者の石]の生成プロセスの寓意画が[獅子]とよく結びつけられているとのことがありもするといったことがあるため、それが表記書物題名のアタランテの名称使用へと結実しているの「かもしれない」とも見受けられもする(だが、きりがないのでそうしたことまでについてはいちいちもの解説をなさないこととする)。

 さらに加えて書いておくが、

[[黄金の林檎]と[錬金術]が強くも結びついているとの(ここでの)話]

は筆者の独創の賜物でも何でもないとのこと、断っておく(事情通の間にあっての一般論でさえありする)。
 につき、
『筆者のことを是が非でもおかしなことを言う人間と見たい・考えたいとの人間ならば、証拠に依拠しての筆者申しようを諸共、[取り留めもない「独創」の放流・放出の問題]に「すり替え」もしようか』
と思えもし、実際にそういう人間が相手なれば、筆者としても

「ご随意に.[自身の生き死に]に関わる客観的なる問題を懇切丁寧に示されたうえでも、そうしたいのならば、そういうもの(不用意に振り回すべきではない「独創」なるもの)の問題にでも何でも勝手に置き換えるがよかろう」

とも申し述べたいところなのだが、節義節度の問題として、たかだかここでの話からして[そうしたものではない]とのこと、一応、断っておく。
 実際に錬金術体系はときに[黄金の林檎]と結びつけられており、そのことにまつわる学者筋など媒体にての言及も見受けられるようになっているのである。たとえば、筆者が数多渉猟してきたそちら方面絡みの書籍の中で国内一般人に目に付きやすきところのものとしての『魔術と錬金術』(ちくま学芸文庫刊/著者はイタリア語・イタリア文化を専門にしているとの澤井繁男関西大学教授)という文庫本にあってのp.248やp.257にあっても錬金術象徴体系が[黄金の林檎](ヘスペリデスの園の林檎)と結びつけられているとの表記が(図に対する一言での注釈表記との引用なしがたいものながらも)認められるところである。あるいは欧米書籍内記述でオンライン上より確認できるものとしては Project Gutenbergのサイトにてダウンロード可能であるとの Hidden Symbolism of ALCHEMY and the OCCULT ARTS『錬金術とオカルト芸術にての隠されたシンボリズム』という書籍 ―フロイト学派の担い手であったヘルベルト・シルベレ Herbert Silbererという心理学者の手になる著作― にあっての記述として(以下、そこより引用なし) Flamel writes on the hieroglyphic figure of two dragons (in the 3d chapter of his Auslegung d. hierogl. Fig.) the following: “Consider well these two dragons for they are the beginning of the philosophy [alchemy] which the sages have not dared to show their own children.... The first is called sulphur or the warm and dry. The other is called quicksilver or the cold and wet. These are the sun and the moon. These are snakes and dragons, which the ancient Egyptians painted in the form of a circle, each biting the other's tail, in order to teach that they spring of and from one thing [our lion!]. These are the dragons that the old poets represent as guarding sleeplessly the golden apples in the garden of the Hesperian maidens.(意訳なすとして)「錬金術師フラメル(訳注:14世紀から15世紀に活動した錬金術師で賢者の石を生成したなどとの伝承が伝わっている著名な錬金術師のニコラ・フラメルのことを指す)が[二匹の竜の象形文字](本書第三章の図)について書き記すところは次のようなものである。「こられ二匹の竜らは賢人らが敢えてもその門弟に見せようとしなかった錬金術哲学の[原初]の体現存在であるとのこと、よく考えてみるがよい。前者がいわゆる硫黄そして温乾の象徴であり、後者は水銀と冷湿の象徴である。また、それら竜らは太陽と月であり、そして、それら竜らは[我らがライオン]からわき出るとのところを示唆するために古代エジプト人が[他の尻尾を各々が噛み合いながらもの円形構造をなす姿]にて描写したとの蛇ら、そして、ドラゴンらでもある(訳注:かなり文法的にねじれた英文であるために意訳するにも苦吟した次第だが、原文では[錬金術の象徴体系では一部の段階が獅子にて表象されていることを受けての書きようがなされている]のだと解される)。また、象形文字にての竜らたる)それらは古の詩人らがヘスペリスの乙女らの果樹園にて[黄金の林檎]を眠ることなく守っているとするドラゴンの表象でもある」(訳を付しての引用部はここまでとする)といった表記が([錬金術と黄金の林檎の象徴にての接合性]を示すものとして)挙げられるところともなっている)。


 上は[賢者の石]が[黄金の林檎]と結びつけられるようなものであることを視覚的に訴求・強調するためだけに挙げた図となる。
 同図にての上の段の図像らは、(繰り返すまでもないことか)、とは思うが、賢者の石の寓意的似姿にまつわる図を挙げたものらとなり、同図の下の段のそれについては
[北欧神話にあっての黄金の林檎を管掌する女神イドゥン(および彼女と彼女の管掌する黄金の林檎を巨人との取引の具とした北欧神話の悪神ロプトことロキ)を挙げた図として本稿の先の段、出典(Source)紹介の部63(3)にて挙げた図を再掲したもの]
となる。

 ここまでにて

ジョジョの奇妙な冒険にての予見描写(中央にて一つ目と結びつく911を配し左右に月と太陽を配するとの構図の部にて現われている(と世間にあっての一部でも語られている予見描写))】 ←→ (フリーメーソン象徴主義・錬金術象徴主義との視覚的相関関係) ←→ 【賢者の石の似姿にまつわる図像】 ←→ (アトランテーの名を冠する錬金術寓意を含む書物との視覚的接合性による接点) ←→ 【黄金の林檎

との関係性について、(多重的なる関係性の所在を示すべくも図を複数挙げながら)、摘示なさんとしてきたわけであるが、[黄金の林檎]とくれば、 ―さらに後の段でも他例を挙げる所存であるが― 本稿にて911の事件の予見描写と関わっているとのことを訴求してきたものとなる。すなわち、911の予見描写作品としての側面を多重的に含む作品『ジ・イルミナタス・トリロジー』に副題レベルで用いられているのがそれ(黄金の林檎)となると解されることの訴求に注力し出典(Source)紹介の部37から出典(Source)紹介の部37-5以降の段にての話となる)同文に多重的なるかたちで[ワールド・トレード・センターでの複数ビル倒壊事件に関する事前言及作品]としての特質を帯びているとの映画『ファイト・クラブ』に登場してきている[(映画の中での爆破対象としての)ツインタワー敷設オブジェたるスフィアのイミテーション]からしてルネサンス期絵画にての黄金の林檎の描写と重なるようになっていること、そういったことの指し示しに注力してきたとの経緯がある ―尚、本稿にては前半部、出典(Source)紹介の部37-4以降の段よりニューヨークそのものがいかにして[黄金の林檎]関連の事物と記号論的に結びつくか、とのことについて「も」言及なしはじめている― 

 上の図は『ファイト・クラブ』という映画、すなわち、

[ワールド・トレード・センター(と暗示的に何度も何度もワンカットで描写される場)にての連続ビル爆破倒壊に向けて話が進んでいくとの事前言及映画 ―ワールド・トレード・センターにて計7棟のビル(ツインタワーこと1WTCおよび2WTCを中心に7WTCまでのビルら)が崩れ落ちていくことになったことに関する事前言及映画― 

としての特質について本稿にて詳説を加えてきたとの同映画作品にあって登場する、

[フィクションならぬ現実世界でのツインタワーの間に設置されていたオブジェ、 The Sphereザ・スフィア)の映画版イミテーション]

の似姿を再現画として挙げ、その映画版イミテーション・オブジェが黄金の林檎の描写形態と似通っているものであることを示すルネサンス期絵画(画家ルーカス・クラナッハ・エルダーによる黄金の林檎を描いての『ジャッジメント・オブ・パリス』との画題の絵画)を挙げもしている図となる ―本稿にて同様のことを訴求すべくも何度も取り上げてきたところの図となる― (その点、映画『ファイト・クラブ』がいかような意味で予見映画となっているのか、また、同作が([映画に認められるツインタワー敷設オブジェイミテーション]と[黄金の林檎]の関係性も含めて)いかような悪質な寓意で溢れた映画なのか、そうしたことらについての網羅的解説は本稿にての出典(Source)紹介の部101出典(Source)紹介の部102から出典(Source)紹介の部102(9)出典(Source)紹介の部103から出典(Source)紹介の部103(6)出典(Source)紹介の部104出典(Source)紹介の部105を包摂する部位、文字数にして(ワープロソフトの文字カウント機能を用いて測定したところ)15万字以上を割いての部位にて仔細に呈示しているので、理解が及んでいないとの向きはそちらを「まずもって」参照いただきたいものである)

 ここまでの内容をきちんと把握なしていれば、理解できようことか、とは思うが、指し示したきことは要するに、

「漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の予見描写は ―作者が「考えずに(問題となる部を)描写していた」と公式に述べていようとも― 複雑な寓意と接合関係を呈している。具体的には欧州にてのフリーメーソン象徴主義、そして、錬金術における象徴主義との接合関係を呈している。そして、その接合関係から【「他の」多重的なる意味での911の予見文物】のこと「も」が浮かび上がってくるように「できあがっている」」

とのことである (:またもってして述べるが、ここでは【錬金術象徴体系における黄金の林檎】のことを引き合いに出したわけであるが、その【黄金の林檎】が別の側面「でも」『ジョジョの奇妙な冒険』の問題となる描写と関わっているとのことがある ―同じくものことについては後にての段で詳述する― 。そこに見る黄金の林檎とのことで述べれば、本稿にて従前、そのことを入念に示してきたように相互に結びつくようになっているとの911の予見事物ブラックホール生成可能性が取り沙汰されるに至った加速器実験を繋ぎ合わせる留め金たる存在となってもいる ―911の予見事物の中には黄金の林檎と結びつくものが含まれており、また、ブラックホール関連トピックと結びつくものらが含まれている(そして、それらの間には相互に繋がり合いがみとめられる)。他面、ブラックホール生成可能性が取り沙汰されるに至った加速器実験については【黄金の林檎】の在処を把握すると伝承が語り継ぐ巨人アトラスの名前を冠する検出器ATLAS(運営実験グループ)によってブラックホール生成可能性が模索されることにもなった、また、その際、【黄金の林檎の園】(ヘスペリデスの園)にも一部欧州人に歴年、仮託されてきたアトランティス(海中に没して滅んだとプラトン古典に伝わる古の陸塊)の名を冠するイヴェント・ディスプレイ・ウェアATLANTISによるブラックホール生成イヴェント確認が予想されてきたといったこと「も」がある(本稿にての[出典(Source)紹介の部35][出典(Source)紹介の部36(2)]といった部にて解説を加えていることである)― )。

(:尚、ここでの長くもなっての補足の部 ―■補足1から■補足3と区分けしての補足の部― を終えた段階でその方向性の指し示しをさらにもってなす所存であるとのこととして本稿筆者は漫画『ジョジョの奇妙な冒険』に見る[911の予見的描写]それ自体が【黄金の林檎の同等物】と【爆破】とを結びつけているものですらある神話伝承に詳しくない普通人にはまずもって気付けるわけもないであろうとのことであるが、具体的にはこれはこうでこうであるとの式で同じくものことについては後の段にて詳述するとのことを非常に重んじている)

■補足3

 先に問題視したところの、

[漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の予見描写と[メーソンとのシンボリズム]の間に認められる目立っての連続性](共に左右中空に[月]と[太陽]を配し、中央部中空に[一つ目]を配するが如きものらの間に認められる連続性を「目立っていない」というのならば、そうとらえればいいが、筆者はそういう見方はしていない)

についてであるが、それは

[天国への梯子(はしご)](こと[ヤコブの梯子;ジェイコブズ・ラダー]

というものを巡る連結関係「とも」述べられる。

 その点、 ―それがここにて補足したき第三の点に関わるからこそそうもするのだが― [ヤコブの梯子]とは何かについて基本的なること、目に付くところの世間的解説のされようも挙げておく。

(以下、和文ウィキペディア[ヤコブの梯子]項目より極々端的なる引用をなすとして)

[旧約聖書の創世記28章12節でヤコブが夢に見た、天使が上り下りしている、天から地まで至る梯子、あるいは階段]

(以上が聖書それ自体にのみ典拠を求めれば、ワン・センテンスで話が終わってしまうとの[ヤコブの梯子]の説明となる)

 フリーメーソンには上記のヤコブの梯子、聖書にては創世記28章12節の一文ぐらいにしか見受けられないとのヤコブの梯子 ―天国と地上を行き来するための梯子(はしご)― を自分達のシンボルにて多用するとの風潮がある。下にて再掲のシンボル画(フリーメーソンの入門位階、エンタード・アプレンティスこと徒弟位階にて用いられるトレーシング・ボード画)の中央にては梯子が配されていることはお分かりいただけることかとは思うが、そちらが[ヤコブの梯子]である。

 そうしたフリーメーソンにあってのヤコブの梯子の使用については当のフリーメーソン(の宣伝要員といった按配の論客)自体が国内にて邦訳されている著作にあって次のように述べているところである。

(直下、最近になって邦訳された著作としての Robert Lomas(ロバート・ロマス/多くの出鱈目表記を含むとの「文献的事実に依拠せずにの」似非歴史分析を世に出してきたとのことが知られていること、先述しもしたメーソン)の手になる THE SECRET POWER OF MASONIC SYMBOLS邦題『フリーメーソンシンボル事典』(邦訳版版元は学習研究社)にての256ページよりの引用をなすとして)

第1階級のトレーシング・ボードは、新入りメイソンに<クラフト>の哲学的見通しを示す。ロッヂの市松紋様の床は、光と闇とが互いに相手を取り囲んでいる。この床が遠く伸びて空と出逢う。その空は次に昼と夜に分かれる。北東隅にある太陽は昼を司り、未加工の切石を照らしている。それは美の柱の陰にある。北西隅にある月は夜を司り、その知識の光が完璧な切石を照らしている。・・・(中略)・・・祭壇はヤコブの梯子の基盤を支えており、この梯子は東の空に昇る輝ける明けの明星に達している(以下略)

(引用部はここまでとしておく ―※― )

(※尚、表記引用部ではヤコブの梯子が向かうトレーシング・ボード構図にあって中央に配されているのが[明けの明星](金星)であるとの書かれようがなされているのだが、メーソン象徴主義にあっては柱ら ―時にヤキンJachinとボアズBoazの柱であり、時に[力][美][智惠]の三つの柱ら( pillars of Wisdom, Strength, and Beautyとされるものら)― の間にあって配されるそれは[万物を見通す眼]にして[太陽ないしシリウス体現存在としてのブレイジング・スター]であると別の形容がなされることもがある ―同じくものことに関しては本稿にての出典(Source)紹介の部105の部、極めて解説が長くもなっている同出典紹介部にて挙げたアルバート・パイク著作 Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonry『古代より連綿と続く認証されしフリーメーソンのスコットランド位階の徳義と教義』(とでも訳すべき著作)にあっての XXV.KNIGHT OF THE BRAZEN SERPENTの部の記述よりの引用をなして、その旨、先に解説していたところでもある― )

上は[ヤコブの梯子]こと[ジェイコブズ・ラダー]にまつわるフリーメーソンシンボル画(問題となる漫画作品にあっての予見描写との視覚的接続性について解説してきたとの徒弟入門位階のトレーシング・ボード)とその他のフリーメーソン関連シンボル画(先に挙げたところのシンボル画)を並べもしての図となる。図をもってして即時お分かりいただけることかとは思うが、位置関係上、[万物を見通す眼]と[梯子](ヤコブの梯子)の間に照応関係が成立している

 以上、述べてきたようなシンボルに関するフリーメーソンらの主張がなされているのであるから、連続性問題、不快なる予告描写にまつわる連続性問題はヤコブの梯子、ジェイコブズ・ラダーにまつわるもの「でも」あると指摘するのである(:さも詳しそうに指摘なしてはいるが、断っておくも、筆者はフリーメーソンの成員などでは断じてない。[真に正しいとありたいと欲する者]が【狂信的なカルト(国家寄生カルトの類でもいい)の如き人的紐帯に囚われているような「相応の」手合いら ―外面はともかくも内面は恐ろしく空虚、空っぽであり、個人に対して大の大人が集団で人権侵害、尊厳の蹂躙を(彼らの下らぬドグマに基づいて)なすといったようなことすら平然と是認するような何でもするとの者達の「相応の」身内― 】と一味同仁と見られたがるだろうか?悟性が備わっている、語るに値するとのレベルの人間ならばそうは見られたくはないとお分かりいただけるであろう。それと同様の理由として自分がメーソンなどではないと強くもこの場にて断っておく ― I swear, I am not a member of Freemason.― )

 ここまできたところで述べるが、フリーメーソン・シンボリズム体系ではヤキンとボアズの柱の間に据え置かれるとの天国への階梯(かいてい)、
ヤコブの梯子(はしご)]
については
[[操り人形らといった按配の相応の存在]であるとも忌々しくも表せざるをえぬと筆者がとらえている多くの人間が何も自分の頭で考えずに向かっていく(いざなわれていく)方向性]
をよくも示しているとの側面が
いろいろなところ
で見受けられるとのことが「ある」。

(:[ヤコブの梯子]にまつわっては本稿を後付けで付すこととしたウェブサイトらのうちの一項目では次のようなことをも随分前より指摘せんとしてきた。 
⇒ 
「【ヤキンとボアズの柱の柱】(および【ジェイコブズ・ラダー】)との記号論的・視覚的相似形が「どういうわけなのか」【マンハッタン計画にて用いられていた計画徽章(きしょう)】らにも目立って見受けられ、また、歴史的事実としてそういったかぐわかしいシンボルを掲げてのマンハッタン計画の結果、具現化した日本への原爆投下、その投下地を鳥瞰図形式で眺めた際の地理的位置関係もが【ヤキンとボアズの柱】(および【ジェイコブズ・ラダー】)と「これは、」との按配で ―(不謹慎な譬(たと)えかもしれないが、不快さ・驚かされ度合いとのことで述べれば、巨大なゴキブリがいきなり眼前視界に入ってきたような「うわ.」との按配で\)― 類似形を具現化させている」。 
 話柄としての奇矯性はともかくも、[そういうこと]で溢れているのがこの世界であると指摘することにやぶさかではないのが愚拙、筆者という人間である ―※ヤキンとボアズ、そして、原爆投下地とマンハッタン計画シンボリズムの関係性についてよりもって詳しくは (本稿がそこでの指し示しの出典網羅的紹介文書との役割をも兼ねているとの文書ともなるのだが) PDF形式文書 『911の儀式性詳説 起こりうべき災厄の予測 (自身の常識方向での動きの合間を縫って取り急ぎ作成したこともありもし、「[赤色巨星]をして[赤色矮星]と表記し間違える」などとの[あまりにも不手際が際立っての誤記]を含み、その意で不完全なる側面も伴うが、他面で多くのことの指し示しに注力なしているとの解説文書) などの内容(従前よりの当方由来のウェブサイト公開ファイルの内容)を参照いただければ、とも思う― )
  

 それにつき、天国の階梯、ヤコブの梯子との絡みでは、である。『ジョジョの奇妙な冒険』そのものに関わるところとして

補足にあっての話として[行き過ぎたこと]を申し述べるが、

との留保条件付きの話であると事前に断ったうえで筆者が『これは、』と思うところの指摘をこれよりなしておきたい ―以降、ひとまとめにしてのこととして、である― 。

(【ヤコブの梯子】が国内著名漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』(にあっての予見描写として知られるもの)との絡みでなぜもってして問題となるのかについての ―「補足にあっての話として[行き過ぎたこと]を申し述べるが、」と断ったうえでの― ひとまとめにしての指摘として)

 ここで最初に申し述べるが Jacob's Ladder[ヤコブの梯子(はしご)]とは
[天国への梯子]
となる(先だって旧約聖書創世記28章12節に見る【天使が天から地上に向けて上り下りするための階段ないし梯子(はしご)】との言及のされようについて解説したとおりである)。

 さて、英語で表するところの[天国への梯子]とのことであるとのことであれば、単純に字面の問題として、

[ステアウェイ・トゥ・ヘブン]([天国への階段])

「とも」表せようものである(※そうした記述は媒体の易変性 ―うつろいやすさ― がゆえにこれより消除されるかもしれないが、「現行にあっては」英文Wikipedia[ Stairway to Heaven (disambiguation)]と題されての項目 ―訳すれば、[ステアウェイ・トゥー・ヘブン(曖昧さ回避)]項目とでもなろうか― にあって Jacob's Ladder is a stairway to heaven described in the Book of Genesis which the biblical patriarch Jacob envisions during his flight from his brother Esau.ヤコブの梯子は族長ヤコブが彼の兄エサウからの逃亡の折に幻視した旧約聖書創世記にあって叙述されるステアウェイ・トゥー・ヘブン(天国への階段)]である」との表記、ヤコブの梯子をして[天国の階段(ステアウェイ・トゥ・ヘブン)]とする表記が認められるところでもある)。

 そこに見る天国への階段、ステアウェイ・トゥ・ヘブンの名を冠する極めて有名な曲がある。[かなりの洋楽通ならず]ともの[大概の音楽好き]ならば知っていることか、と受け取れる、それぐらいの按配で有名な英国バンド、ツェップこと Led Zeppelinの代表曲、独特なる錆びのパートで極めてよく知られた、

Stairway to Heaven(1971年リリース)

という曲がそれである(:最初に述べておくが、同曲の[曲名](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)がここまでその特異なる性質について論じてきたし、さらにそれについて解説することになるとの『ジョジョの奇妙な冒険』という漫画作品にあっての相応の描写、本稿筆者が『これは意味深く、また、危険なにおいを感じさせるところである』と見ている部分 ―作中主人公らを皆殺しにする、のみならず、作中世界そのものを不可逆的に根本破壊するとの部分― に(作品設定に濃厚に影響を与えているとの式で)登場を見ているため、そちら[ステアウェイ・トゥー・ヘブン]との歌曲のことを持ち出している)。

 日本ではあまり知られていないこととなるが(国内では洋楽好きが持ち上げてばかりの曲となるが)、同曲、[ヤコブの梯子]がそうしたものともなる[天国への階段]との言葉を曲名に冠しての

[ステアウェイ・トゥ・ヘブン]

については逆再生なすと[悪魔の王への礼賛]のメッセージが具現化していることが分かるとの"説"が音声データ伴って流布されている、そういう意味で実にもって悪名高い曲となっている(:冗談であろう?そう思われるかもしれないが、実際にそういう悪評が有名英国バンド、レッド・ツェッペリンの代表曲『ステアウェイ・トゥ・ヘブン』には伴ってもおり、これより解説するところとしてそれが ―引用なして指し示すこととするも― 米国での[逆再生メッセージ混入に対する法規制]の流れにまで影響を与えたとのことが「現実に」ある ―それについては「そうしなければフェアではなかろう」との観点で[否定]の方向での語られようについて「も」引用を通じて紹介なすこととするが、当のバンド、レッド・ツェッペリン自体は「俺たちはそういうことをやっていない.こじつけにすぎない」と強調しているとのことがある― )。

 その点、レッド・ツェッペリン Led Zeppelinの[ステアウェイ・トゥ・ヘブン]に関しては

[懸命に耳を傾ければあの調べはついに我らに訪れる]

などとのフレーズを含むとの曲である中で[バックマスキング]と呼ばれる手法を用いての[悪魔を礼賛するとの逆再生メッセージング混入疑惑]が伴っているものとなり、については、 If there's a bustle in your hedgerow, don't be alarmed now..."(直訳すれば)「君の生け垣にせわしき音が分け入ってくるっていうなら、どうかびっくりしないでおくれよ」との部を逆再生すると Here's to my sweet Satan I sing because I live with Satan. (直訳すれば)「きたれ優しき(親愛なる)サタンよ」「我はサタンと共にあるがゆえに唄う」との音声があぶりだされてくるとの疑惑[suspision]が取り沙汰されてきたとの経緯がある(目立っては八〇年代のことよりである)。

 そして、そちら疑惑が

[米国にての逆再生メッセージ混入に対する(州法での)法規制を巡る一悶着]

にまで発展したとのことがある。

 同点に関して[目に付くところの欧米圏での理解のされよう]を英文Wikipediaの曲の紹介項目などから以下、挙げておく。

(直下、まずもって英文Wikipedia[ Stairway to Heaven ]項目にあっての Allegation of backward masking[バックマスク行為に関する申し立て]の節よりの引用をなすとして)

In a January 1982 television program on the Trinity Broadcasting Network hosted by Paul Crouch, it was alleged that hidden messages were contained in many popular rock songs through a technique called backward masking. One example of such hidden messages that was prominently cited was in "Stairway to Heaven." The alleged message, which occurs during the middle section of the song ("If there's a bustle in your hedgerow, don't be alarmed now...") when played backward, was purported to contain the Satanic references "Here's to my sweet Satan" and "I sing because I live with Satan." Following the claims made in the television program, California assemblyman Phil Wyman proposed a state law that would require warning labels on records containing backward masking. In April 1982, the Consumer Protection and Toxic Materials Committee of the California State Assembly held a hearing on backward masking in popular music, during which "Stairway to Heaven" was played backward. During the hearing, William Yarroll, a self-described "neuroscientific researcher," claimed that backward messages could be deciphered by the human brain.[ . . . ] The band itself has for the most part ignored such claims. In response to the allegations, Swan Song Records issued the statement: "Our turntables only play in one direction-forwards." Led Zeppelin audio engineer Eddie Kramer called the allegations "totally and utterly ridiculous. Why would they want to spend so much studio time doing something so dumb?" Robert Plant expressed frustration with the accusations in a 1983 interview in Musician magazine: "To me it's very sad, because 'Stairway to Heaven' was written with every best intention, and as far as reversing tapes and putting messages on the end, that's not my idea of making music."

(補ってもの訳をなすとして)
「1982年1月放映のポール・クローチにて司会なされてのトリニティ・ブロードキャスティング・ネットワークのテレビ番組にて「バック・マスキングと呼ばれるテクニックでもって隠されたメッセージがさまざまポピュラー・ロックナンバーに混入されている」との主張がなされた。そのような[隠されたメッセージの一例]として際立って引き合いに出されたのが Stairway to Heavenのそれである(との言及が番組内でなされた)。主張されるところのメッセージとは曲の中程のパートにて見受けられるとのもので "If there's a bustle in your hedgerow, don't be alarmed now..."「君の生け垣にせわしき音が分け入ってくるっていうなら、どうかびっくりしないでおくれよ」との部位を逆再生すると " Here's to my sweet Satan"そして " I sing because I live with Satan."「きたれ優しき(親愛なる)サタンよ」「我はサタンと共にあるがゆえに唄う」との悪魔主義的言及があらわになってくるとのものであった。 同主張がテレビ番組内でなされた後のこととして、カリフォルニア州議員のフィル・ワイマンは逆再生を含むレコードには警告ラベルを貼ることを要求すべしとの州法(の案)を提出することになった。 1982年4月、カリフォルニア州議会の消費者保護・毒性物質委員会は大衆音楽にあっての逆再生(バックマスキング)にまつわる聴聞会を開き、そこにてはステアウェイ・トゥ・ヘブンが逆再生されて示された。その公聴会の合間にあって自称としての神経科学調査者とのウィリアム・ヤロルという人物が[反対方向より入れ込まれてのメッセージ]が人間の脳によって解読されうるものであるとの主張をなしていた。・・・(中略)・・・ バンド(レッド・ツェッペリン)自体はそのような主張らを大概の場合、無視していた。そのような主張に対して、スワンソング・レコード社は次のような声明を発した。[当社ターンテーブル(レコードプレイヤー)は前方方向にしか演奏なせないものである]。また、レッド・ツェッペリンのレコーディング・エンジニア(バンドと協働する音響技術者)であるエディ・クレイマーはそのような主張に対して
全般的かつ全くもって馬鹿げたものだ。[そんな馬鹿げたこと something so dumb]をなすためにスタジオでの時間をだれが浪費しようっていうのか?
との声明を発した
「長くもなっての」訳注として:ただし、レッド・ツェッペリンと組んで仕事もしているとの音響技術者にしてプロデューサーたる同エディ・クレイマー Eddie Kramerの上記主張には首をかしげるようなところがあると「私的には」見ている。彼エディ・クレイマーの前歴からそうも述べる。その点、「有名な」音響技術者にして音楽プロデューサーとしても知られている同エディ・クレイマーが組んで仕事をやってきたバンドにはレッド・ツェッペリン以外に[キッス]というニューヨークから伸びてきたバンドが含まれてもいる(和文ウィキペディア[エディ・クレイマー]項目にも現行、解説されていることである)。同キッス、KissのSSの部分がナチス親衛隊SSのSS徽章のようなデザイン ―[重ね稲妻]とも表される特徴的なルーン文字由来のSを配してのデザイン― となっているとの Heavy Metal Bandたるキッスは[独特なる白塗りの似姿 ―日本音楽シーンにも「輸入」されたアレである― ]で地獄より熱い、[ホッター・ザン・ヘル](邦題:地獄の叫び)といったアルバムをリリースしているとの「そちら系の」色を([パフォーマンス]と銘打って)前面に出しているとのバンドとなりもする。そして、エディ・クレイマーは(和文ウィキペディア[エディ・クレイマー]項目程度のものにも記されているところとして)そのキッスの[相応の悪魔主義的色彩(表向きには商業的な意味での装飾としての悪魔主義カラー)を前面に出しての音楽性]が際立つAlive!というライブ・アルバムのプロデューシングをなしもしている。エディ・クレイマーが「誰が悪魔主義礼讃のバックマスキングにスタジオの時間を使うというのか」などとの批判的声明を出しているとのことである逆再生メッセージ混入疑惑が問題になる「前の」1975年のこととして、である(ちなみにレッド・ツェッペリンのステアウェイ・トゥ・ヘブンこと[天国への階段]の英国リリース時期は1971年であり、そのバック・マスキングによる性質の悪いメッセージ混入疑惑が一般に知られるようになったのは上にてのウィキペディア記述に認められるように「1982年からとなり、エディ・クレイマーがキッスのプロデューシングにいそしんでいたのはその合間のことである)。くだらぬこと、「ださい」と(死語一語にて)人によってはせせら笑うようなことを延々取り上げるようでなんではあるのだが、より具体的にはエディ・クレイマーが1975年にプロデューシングなしているとのバンド、キッスのAlive!というライブ・アルバムは日本語で[地獄の狂獣 キッス・ライブ]といった訳を振られてしまうような音楽性のアルバムとなっていることが誠実性の程とのことで問題たりうるように「見える」とのことがある(いいだろうか.おもわず失笑したくなるようなところとして[地獄の狂獣 キッス・ライブ]である)。 となれば、だ。くどいが、キッスをプロデュースしていたエディ・クレイマーに関しては(直近、英文Wikipediaに認められるように)「 something so dumbサムシング・ソー・ダァム(「何をされてもダマテンよろしくの馬鹿げたこと」とでも訳せようか)なぞのために誰がスタジオでの時間を浪費しようっていうんだ?」と述べながらも、相応のそちら方向性を「明示して」売りにしているバンド・キッスと「同様の」もののプロデューシングに[密行性の音楽性]に関わるところで関与していたかもしれないし、といった批判をなされうるようなエディ・クレイマーには[音源]から実際にそういう疑惑がかけられているレッド・ツェッペリンのありうべきかもしれないやりようを「馬鹿げたこと」との口上で否定する資格はないようにも見えてしまうということがある。尚、訳注というより余談染みた話になってしまっているなかで[ありうべき落ち]の問題にも言及しておくが、作家ジョージ・オーウェルの『一九八四』というディストピア小説(監獄小説)にあっては[知能・知性の閃きが奪われ、また、魂の尊厳をも奪われているといった風情の存在へと成り下がった、精神性もなく、また、真に思考することもないとの家畜のような大衆]に対してはまったくもって意味の無い、[馬草]のような「宣撫」のためだけの音楽が「機械にてランダムに歌詞が振られて」供給されているとの世界が描かれている(一九四〇年代からしてそういう小説が出ていた。ちなみに[マルコフ連鎖方式]という数学理論を応用しての機序を用いれば、確かに意味がありそうにも見える、神秘的託宣のようにも見えるとの文章をランダムの入力文字列よりこれまたランダムに再構築できるようになっている。筆者も半ばもの遊び心からその性能について試してみたことがあるのだが、マルコフ連鎖方式にあってのそのことを実感できるフリーソフトウェアも存在している)。 そうしたことより振り返って見て、[産業]として成り立っているポピュラー・ミュージックというのはどういうものか。そこに一九四〇年代の監獄社会諷刺小説『一九八四』に見られる[機械的機序によってランダムにアウトプットされてくる文章を歌詞として利用しての大衆を「感覚的に」宣撫するためだけの音楽]、馬草としての音楽以上の意味性・メッセージ性を伴った「アーティスト」(と音楽産業の人間が呼びならわしているタレントら)由来の歌曲というやつがいかほどにあるというのか。音楽は社会批評の媒質などではない、[満ち足りた境地でリズム感のみを愉しむもの]であると割り切ってみればそれはそれでいいかもしれない。しかし、メッセージ性との観点で見れば、(それがあるように振る舞われるから鼻につくわけだが)国内の主流歌曲はまったくもってひどいものであると見ている。閑話休題)
(長くもなった注釈の部をはさんだうえで引用部に対する訳を続けるとして)
 ロバート・プラント(レッド・ツェッペリンのヴォーカル)は『ミュージシャン』誌(かつて存在していた米国音楽誌)にあっての1983年時でのインタヴューで
[僕にとってそういう話 ―レッド・ツェッペリンのステアウェイ・トゥ・ヘブンに逆再生メッセージ混入疑惑が取り沙汰されていること― があるのはとても哀しいことだね。っていうのも、同曲は全面的な意味での「最良の」意図でもってつくりあげたものなんだから。テープを反対にして終わりにメッセージを混入するなんてのは曲作りをするうえでの僕の発想じゃないんだよ]
と表している。

(以上をもってして英文Wikipedia[ Stairway to Heaven ]項目にあっての Allegation of backward masking[バックマスク行為に関する申し立て]の節よりの引用とした)

 次いで、述べるが、バックマスキングという手法で楽曲に逆再生するメッセージを入れ込むことが[特異なること]か、と述べれば、否、それは決して特異なることではない、むしろ、ビートルズやりように嚆矢を見ての[歴(れっき)としたレコーディング手法]であるとされていることがあることについても ―世間一般の目につくところの言及のされようを紹介するとの意図で― 英文Wikipediaなぞの記載内容を掻い摘まんで引いておくこととする。

(直下、極めて文量多き項目たる英文Wikipedia[Backmasking]項目にあっての記載内容より「掻い摘まんでの」引用をなすとして)

Backmasking is a recording technique in which a sound or message is recorded backward onto a track that is meant to be played forward. Backmasking is a deliberate process, whereas a message found through phonetic reversal may be unintentional.
Backmasking was popularised by the Beatles, who used backward instrumentation on their 1966 album Revolver. Artists have since used backmasking for artistic, comedic and satiric effect, on both analogue and digital recordings. The technique has also been used to censor words or phrases for "clean" releases of explicit songs. Backmasking has been a controversial topic in the United States since the 1980s, when allegations from Christian groups of its use for Satanic purposes were made against prominent rock musicians, leading to record-burning protests and proposed anti-backmasking legislation by state and federal governments. [ . . . ] The Beatles, who incorporated the techniques of concrete into their recordings, were responsible for popularizing the concept of backmasking. Singer John Lennon and producer George Martin both claimed they discovered the backward recording technique during the recording of 1966's Revolver; specifically the album tracks "Tomorrow Never Knows" and "I'm Only Sleeping", and the single "Rain". Lennon stated that, while under the influence of marijuana, he accidentally played the tapes for "Rain" in reverse, and enjoyed the sound. The following day he shared the results with the other Beatles, and the effect was used first in the guitar solo for "Tomorrow Never Knows", and later in the coda of "Rain". [ . . . ] In 1981, Christian DJ Michael Mills began stating on Christian radio programs that Led Zeppelin's "Stairway to Heaven" contained hidden messages that were heard by the subconscious. In early 1982, the Trinity Broadcasting Network's Paul Crouch hosted a show with self-described neuroscientist William Yarroll, who argued that rock stars were cooperating with the Church of Satan to place hidden subliminal messages on records. [ . . . ] One result of the furore was the firing of five radio DJs who had encouraged listeners to search for backward messages in their record collections. A more serious consequence was legislation by the state governments of Arkansas and California. The 1983 California bill was introduced to prevent backmasking that "can manipulate our behavior without our knowledge or consent and turn us into disciples of the Antichrist". Involved in the discussion on the bill was a California State Assembly Consumer Protection and Toxic Materials Committee hearing, during which "Stairway to Heaven" was played backwards, and William Yaroll testified. The successful bill made the distribution of records with undeclared backmasking an invasion of privacy for which the distributor could be sued. The Arkansas law passed unanimously in 1983, referenced albums by The Beatles, Pink Floyd, Electric Light Orchestra, Queen and Styx, and mandated that records with backmasking include a warning sticker: "Warning: This record contains backward masking which may be perceptible at a subliminal level when the record is played forward." However, the bill was returned to the state senate by Governor Bill Clinton and defeated. [ . . . ] In the 1973 film The Exorcist, a tape of noises from the possessed victim was discovered to contain a message when the tape was played backwards. This scene might have inspired subsequent copycat musical effects. Although the Satanic backmasking controversy involved mainly classic rock songs, whose authors denied any intent to promote Satanism, backmasking has been used by heavy metal bands to deliberately insert messages in their lyrics or imagery. Bands have utilized Satanic imagery for commercial reasons. For example, thrash metal band Slayer included at the start of the band's 1985 album Hell Awaits a deep backmasked voice chanting "Join Us" over and over. However, Slayer vocalist Tom Araya states that the band's use of Satanic imagery was "solely for effect".

(以下、上記引用部に対する「補いもしながらの」拙訳として)
「バックマスキングは音声ないしメッセージが[前方向への再生がなされるとのことが意図されたトラック]に対して後ろ向きで録音される手法である。音声反転にて見付けられるとのメッセージについては意図的ではないとのものがある一方でのこととして同バックマスキングは周到なるもの「とも」なっている。バックマスキング(という手法)は彼らの1966年のアルバムである『リヴォルバー』にて反対方向でのレコーディングの考案なしたとのビートルズにて大衆化を見た。 アーティストらは芸術的・喜劇的・風刺的効果を狙っての理由からアナログおよびデジタルの録音過程双方にてバックマスキングを用いる同テクニックは露骨・あからさまな歌曲の「クリーンな」リリースのため、言葉らやフレーズを(自主)規制するように隠す意図で用いられてきたものでもある。 バックマスキングは米国では1980年代、キリスト教団体によって悪魔的意図での使用がなされているとの著名なる音楽家に対する申し立てがなされたとのものとなり、(それがゆえ)、レコード焼却抗議や州および連邦政府による反バックマスキング規制提案につながったとのかたちで80年代より物議を醸す話題となっている。 ・・・(中略)・・・ concrèteとの音楽手法を自分達の音楽レコーディングに取り込んだビートルズはバックマスキングの手法の大衆化に一石を投じたバンドでもある。歌手ジョン・レノンとプロデューサーのジョージ・マーティンの双方ともどもが1966年のアルバム、『リヴォルバー』のレコーディング中にて反対方向録音の技術を発見したと主張している。殊に、同アルバムのなかの『トゥモロー・ネバー・ノウ』『アイム・オンリー・スリーピング』『レイン』がそうした曲となる(訳注:『トゥモロー・ネバー・ノウ』『アイム・オンリー・スリーピング』『レイン』らにて逆回転式録音が用いられていることは日本でもよく知られている)。 ジョン・レノンが述べていたところではマリファナの影響下で彼は偶然、『レイン』のテープを逆再生してしまい、その音を楽しんだ(がゆえにバックマスキング利用開始の契機がもたらされた)とのことになっている。翌日、レノンはビートルズの他の面々とそうした音源を分かち合い、ギターソロとしての『トゥモロー・ネバー・ノウ』および『レイン』にての末尾の部にて初めてバックマスキングの効果が用いられるに至ったとのことである。 ・・・(中略)・・・ 1981年にあって、キリスト教徒のDJたるミカエル・ミルズがキリスト教系ラジオ番組にてレッド・ツェッペリンの『ステアウェイ・トゥ・ヘブン』にて潜在意識に語りかけてくる隠されたメッセージが含まれているとの主張をなしはじめた。1982年の初期、トリニティー・ブロードキャスティング・ネットワークのポウル・クローチが
[ロック・スターらがチャーチ・オブ・サタン(悪名高いアントン・ラヴェイという男に率いられてのパフォーマンス的悪魔主義伝道団体)とグルになってレコードに潜在意識に語りかけてくる潜在的メッセージを入れ込んでいる]
との主張をなしもしていた自称神経科学者のウィリアム・ヤロールを交えてのショー番組を主催した 長くなるも、の訳注として:尚、キリスト教の信徒らサイドよりの「他の」よりましなものに聞こえる主張 ― christians' claim― としては「 back maskingとは逆再生をなすことだが、悪魔主義信奉者「的」人物であったとの話も伝わる著名オカルティストのアレイスター・クロウリー Aleister Crowlyの思想には[導師たらん者は「レコードを反対から聴く」などして事物を反対から見るように努めるべし]との主張が含まれていること (英文Wikipedia[ back masking ]項目にても The backwards playing of records was advised as training for magicians by occultist Aleister Crowley, who suggested in his 1913 book Magick ( Book 4 ) that an adept "train himself to think backwards by external means", one of which was to "listen to phonograph records, reversed."との記述が認められるとおりである) を指摘し、そうもレコード逆再生に言及していたアレイスター・クロウリーがバックマスキングを[1966年]に創始したと伝わるバンドであるビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』という[1967年]初出のアルバムジャケット(といっても極めて多数の著名人がそこではお目見えしているとのものであるが)に登場を見ていること、また、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが逆再生疑惑が浮上する「前」からクロウリーの別宅を購入する程にクロウリーの思潮に入れ込んでいたとのことが伝わっていることが逆再生の動機として考えられる」とのそれなりの説得力ある主張も展開されている ―※同点については英文ウィキペディアのバックマスキング関連の項目にて現行、十二分に記載されていないとのことだが、英文Wikipedia[ Aleister Crowley ]項目にあって記載されているところとして Crowley also had a wider influence in British popular culture. He was included as one of the figures on the cover art of The Beatles' album Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (1967), and his motto of " Do What Thou Wilt " was inscribed on the vinyl of Led Zeppelin's album Led Zeppelin III (1970). Jimmy Page, the guitarist and co-founder of 1970s rock band Led Zeppelin was fascinated by Crowley, and owned some of his clothing, manuscripts and ritual objects, and during the 1970s bought Boleskine House, which also appears in the band's movie The Song Remains the Same.「クロウリーはまた英国の大衆文化にあって幅広い影響力を有している。彼クロウリーはビートルズの1967年のアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のカバー・イラストレーションに描かれる人物らの一人となっており、彼クロウリーのモットーである Do What Thou Wilt「汝をしぼませるようなことをなせ」がレッド・ツェッペリンの1970年アルバム『レッド・ツェッペリンIII』のビニール部にて刻み込まれていたとのことがあり、(またもってして)、ロックバンドたるレッド・ツェッペリンのギタリストにして共同創始者の一人であるジミー・ペイジはクロウリーに眩惑されていたがゆえにクローリーの衣装・文書・祭具のいくつかを所有し、1970年代にあって(クロウリーの居宅であった)ボレスキン・ハウスを購入、同邸はバンドの『ザ・ソング・リメインズ・ザ・セイム』(という曲)のプロモーションムービーに登場を見ている」(引用部はここまでとする)との記述からそういう物言いがなされるだけの背景があることの一端が窺えるようになっている― 。 尚、世の中には「アレイスター・クロウリーはサタニストの類ではない、ただのオカルティストであって、そうしたいいようは中傷者らの物言いである」との申し分もあるようだが(英文Wikipediaのクロウリー関連の項目でもそのようなことが書かれている)、コロンゾンChoronzonという名が与えられての悪魔的存在を「自らに憑依させる」儀式を行う、「動物の生き血を儀式ですする」といった[馬鹿げたこと]をやっていたことで知られる男たるクロウリーの行いは少なくとも[理性の世界の人間]には「憑かれたような」暗闇の世界の住人、悪魔主義者と分類されるような類と同文同一のやりように見えるのは論を俟たないことか、とは思う ―長くもなっての訳注はここまでとする― )
(長くもなった注釈の部をはさんで引用部に対する訳を続けるとして)
 そうした(キリスト教の信者らが率先して広めたとの)熱狂的なる風潮の一つの結果はリスナーにレコード・コレクションから逆再生メッセージを捜してみるようにと奨励したとの五人のラジオDJらの解雇であった。より深刻な結果はアーカンサスとカリフォルニアの州政府による規制であった。1983年、カリフォルニア州にあって[我々の行為を知識および同意なくして操作しようとのものたりえ、我々を(キリスト教の影響力強き米国らしく)反キリストの門弟へと変えかねないとのバックマスキングは妨げるべし]との法案(可決されてアクトActというかたちでの法令になる前の法案)が提出されたとのことがあった。同法案にまつわる議論に関わるとのかたちでカルフォルニア州議会消費者保護および毒性物質委員会はステアウェイ・トゥ・ヘブンが逆再生されるのを聞きもし、(先に言及の神経学者の)ウィリアム・ヤロールが証言をなしもした。成立のきざしを見せていた法案、そちらは[事前宣告無しのバックマスキングがなされているレコードの供給行為をなしたがゆえに訴えられることになったとの配給業者によるプライバシー侵害]と見倣すようなものであった。アーカンサス州法とのことでは1983年に全会一致で[ビートルズ、ピンク・フロイド、エレクトリック・ライト・オーケストラ、クイーン、スティクス(らの著名バンド)によるアルバムらに言及、それらアルバムにそういうものであるとの警告ラベル ―[警告:このレコードはレコードを前方方向に再生した場合でもサブリミナル・レベルで知覚されうるとのバックワード・マスキングを含んでいます]と書いたステッカー― を貼れと要求するとの法令が通過を見たが、しかしながら、同法令は州知事であったビル・クリントンによって州の上院に差し戻され、そして、棄却を見た。 ・・・(中略)・・・ 1973年の映画『エクソシスト』にては憑依された犠牲者に由来するテープのノイズ音が逆再生するとメッセージを含んでいるとのものになるとの発見がなされるとのものであった。このシーンが以降の音楽効果にあっての模倣行為者らを刺激したとも受け取れる悪魔主義的なるバック・マスキングがなされているとの論議はそれらの作成者らがサタニズムを推進する意図などを全否定しているとの古典的なロック・ソングを主として巻き込んでのものとなっていたのだが、他面、ヘビィ・メタル系のバンドらはむしろ意図的に歌詞・イメージ像に(バックマスキング形式で)メッセージを挿入するとのことをなしはじめていた。(ヘヴィ・メタル系の)バンドらは悪魔主義的イメージを商業的目的で利用なしはじめていたのである。スラッシュメタルバンドのスレイヤーは1985年のバンド・アルバム『ヘル・アウェイツ』にての冒頭部にて「我々の仲間に加われ」と囁く低音での逆再生音声を何度も何度も繰り返すとのかたちで混入した。しかしながら、同バンド、スレイヤーのヴォーカリストであるトム・アラヤはバンドにての悪魔主義的イメージは「ただ単純に[効果]を企図してのものである」と述べている」

(以上、英文Wikipedia[Backmasking]項目からの引用部訳とした)

 世間一般で理解されているところとしてバックマスキングという音楽手法をとることが際立って困難なことでもなければ、その使用例も散見されるとのこと、上の引用部でもってご理解いただけたか、と思う(:尚、本稿ではレッド・ツェッペリンが「わざと」反対から聞くと悪魔の王への信仰を表明していると判断できる音声を自分達の楽曲『天国への階段』に入れたのかそうではないのか論ずることはなさない。上記引用部にて補足として記したレッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジのやりよう(レコードの逆再生視聴の奨めをなしていたアレイスター・クローリーの邸宅を入手するなどのクローリー・マニア的なるやりよう)からして「胡散臭いものである」ことは論ずるまでもないことか、とは思うのであるが、否定の弁が連呼されている中でのところで、しかも、我々人類の今後にとっては非本質的な話となるようところで意固地なる主張をなすことに意味性を感じないため、そうした疑惑[suspicion]の真偽について(紹介こそしはすれども)論ずることはなさない)

 ここで問題となろうと筆者が見ているのは80年代前半から目立ってその特性について
「悪魔の王への礼賛を含むものである」
との話が ―その真偽は別として― 米国にての規制州法の成立動向を推進したようなところとして『ステアウェイ・トゥ・ヘブン』(=天国への階段)という曲に伴っていること「それ自体」である。

 80年代から相応の疑惑をかけられていたとの曲たる『ステアウェイ・トゥ・ヘブン』と同名の[ステアウェイ・トゥ・ヘブン]が『ジョジョの奇妙な冒険』という漫画作品にあって

既存世界全てを[重力]の作用で徹底改変する力学] (作中に見る[天国への道]を体現する力学)

と「目立って」結びつけられている ―結局、同『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズの正義の味方であった主人公らもその力学に巻き込まれて最終的に殺され、また、作中世界そのものも不可逆的に破壊されて別世界に移行するとのかたちで「目立って」結びつけられている― とのことをこの身、筆者は「それなりの理由あって」重んじているのである。

 それにつき、ここまでの内容をよく理解して「いない」との向きは次のように思われることであろう。

『だから何だと言うのか。ただの漫画作品の粗筋にまつわる話だろう?そんなことを細々と話そうとするなど、「相応の」人間のやることだ』

 以上のありうべき心中を慮って(繰り返しを含んでの)(再)訴求をなす。

 第一にジョジョの奇妙な冒険』という作品には
911の予見描写と世間で語られるところのもの
が含まれており、に関しては、(奇妙奇怪でならないことだが)[文献的事実]の問題として頷けるところが多い
 ―尚、『ジョジョの奇妙な冒険』にあっての奇怪な先覚的描写、すなわち、180度時針を回転させると911という数値と結びつく時刻(それはツインタワーのノースタワーの方が崩落した時刻でもある)にあって[911]という数が刻印された上着を着た男が[フィクションの中の漫画の予言の成就]によって[[飛行機]が登場するとの場面]で串刺しにされて死ぬとの描写がなされている、との先覚的描写については先述なしてきたことに加えて、[さらに問題となるところ]を本稿のこれより続いての段でも指摘していく所存でもある― 。

 第二に上にて摘示の『ジョジョの奇妙な冒険』の先覚的描写はフリーメーソンの特定のシンボル体系と際立っての類似性を呈しているとのものである(中空に[月]と[一つ目]と[太陽]を並べて配するとのメーソンのエンタード・アプレンティス位階(入門徒弟位階)のトレーシング・ボードやその他、ロッジのシンボリズムに見る図式が『ジョジョの奇妙な冒険』の当該予告描写の部と一致しているとのことがある)

 第三に上の第二の点で取り上げた(予見描写の部と際立っての類似性を呈する)フリーメーソンの特定のシンボル体系に関しては[ヤコブの梯子](ジェイコブズ・ラダー)というものが関わっているとのことがある。ジェイコブズ・ラダーがいかようなものか、と言えば、[天国へと至る梯子(はしご)]として旧約聖書にて登場を見ているものとなるわけだが、それは言い換えれば、レッド・ツェッペリンの問題となる歌曲 ―逆再生疑惑が根強くも取り沙汰されている歌曲― に振られてのステアウェイ・トゥ・ヘブンという曲名と同様のものとなる(問題となるマンガ作品にあっての[911の予告描写としての部]が[ステアウェイ・トゥ・ヘブン]と言い換えられもする[ジェイコブズ・ラダー]のシンボルとも接合するようになっている)。

(「これよりさらに煮詰める」ところとして)
第四。(それ相応の音源的特性があるからこそ、州法における規制騒動にまで発展したところとしてのきな臭い側面を伴うとの)ステアウェイ・トゥ・ヘブン』というレッド・ツェッペリンの曲名と同一名称を冠するものが『ジョジョの奇妙な冒険』にての表記のようなもの(作品主人公らを皆殺しにし、既存の世界を徹底改変して別物にしてしまうとの[重力に根ざした力学]が体現するところの[天国への道])として登場を見ていることがある。

 以上の(再)訴求なしての各点から

「ことは[たかだか漫画作品のことであるから]との次元で放擲(ほうてき)できるようなことではなく、それがために問題となるのである」

と述べるのである。

 そして、以上の各点のうち、第一から第三の点は(それがいかに奇矯奇怪なるものであっても)[文献的事実]であることを「論拠となるところの仔細なる呈示」とのかたちでここまでにて示してきたことになる(疑わしきは先の内容を振り返って見てみればいい)。
 加えて、これより労を厭わずに細かくも論ずるつもりである第四の点も決して軽んずべきものではないこと、(脳のネジが緩むに緩んでいるか、ないしは、現実世界にあっては自己を殺す力学など「ない」と頑なに信じることを信条にし、かつ、その力学によって[愚劣にも殺されていく]との結果にも満足できるという心性を有しているとの向きのならば話は別だが)、お分かりいただけることか、とは思う。

それでは上にて呈示のポイント、(第一から第三の点に続く)第四の点についての事細かな解説をなす。

 ここでまずもって述べるが、

[(知る向きも多き)『ジョジョの奇妙な冒険』という作品はスタンドと呼ばれる一種の超能力、および、超能力が具現化してのいろいろな似姿が登場人物の背後に登場して、トリック・騙し合いなどを駆使しての攻防戦が繰り広げられる作品となる]

とのことがある(上にいうスタンドについては直下、和文ウィキペディアよりの引用部を参照のこと)。

(以下、ウィキペディア[スタンド (ジョジョの奇妙な冒険)]項目にての現行記載内容よりの引用をなすとして)

スタンドは、荒木飛呂彦の漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズに登場する架空の超能力Part3(第三部)『スターダストクルセイダース』で初登場し、以降のシリーズに設定(能力)が引き継がれている。漢字では「幽波紋」と表記される。
[概要]
「スタンド」とは「パワーを持った像」であり、持ち主の傍に出現して様々な超常的能力を発揮し、他人を攻撃したり持ち主を守ったりする守護霊のような存在である。その姿は人間に似たものから、動物や怪物のようなもの、果ては無機物まで千差万別。一言で言えば超能力が具現化したものである。

(引用部はここまでとする)

 以上のような作中の超能力、[スタンド]の能力が「問題となる」描写に関わってくるとのことがある。が、そのことに論ずるに先立ち、ここではさしあたって、予言的描写 ―(先に事細かに解説なした、集英社「単行本」版『ジョジョの奇妙な冒険』第20巻ないしリニューアルされての集英社「文庫」版『ジョジョの奇妙な冒険』第13巻(にて掲載の[「クヌム神」のオインゴ 「トト神」のボインゴ(1)]の部)に描画の予言的描写)― がダイレクトに関わってくるとの、

(『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズにての)『ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース』

の主人公(作中で「空条承太郎」と命名されている人物)についての[世間での解説のされよう]について ―すぐにオンライン上にて目に入るとのウィキペディアより該当項目の記載を引く、とのかたちで― 紹介しておく。

(以下、ウィキペディア[空条承太郎]項目にての現行記載内容よりの引用をなすとして)

空条承太郎(くうじょう じょうたろう)は、荒木飛呂彦の漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』に登場する架空の人物。Part3『スターダストクルセイダース』の主人公。 
・・・(中略)・・・
Part6『ストーンオーシャン』
41歳。DIOの元部下ジョンガリ・Aの陰謀でG.D.st刑務所に投獄された徐倫を救出するため、スピードワゴン財団の協力を得て脱獄の手引きを行うが、陰謀の真の首謀者・プッチ神父の襲撃を受けて記憶DISCとスタンドDISCを奪われ、長い間仮死状態となっていた。後に徐倫の活躍によりDISCを2枚とも取り戻し復活し、決戦の地ケープ・カナベラルに駆けつける。プッチ神父との最終決戦においては、冷静な判断力や往年の実力が健在であることを見せるが、プッチ神父の攻撃から徐倫をかばった隙を突かれ、頭から裂かれて死亡する

(引用部はここまでとする)

 くだくだと[(大人の常識人にとっては)どうでもいいようなこと]を引用までなして説明しているようにとらえられる向きもあろうか、と思うが(当然至当なる反応であろう)、「ここでの話はそれでは済まされない」と(誤解を恐れずに)敢えても申し述べて続けるとして、第一のポイント]は空条承太郎が上にてその物語の主人公であると表記されているPart3『スターダストクルセイダース』というのが問題となる予言描写内包作品となっていることとなる。
第二のポイント]はその予言描写を含む、Part3の部(スターダストクルセイエダース)の主人公であった[空条承太郎]というキャラクターが無残にもあっさりとPart6の部で殺害されており(上にて引いたウィキペディア記述にあっての[プッチ神父の攻撃から徐倫をかばった隙を突かれ、頭から裂かれて死亡する]との表記に見るように殺害されており)そうした作中設定がPart3[スターダストクルセイダース]にての予言描写「とも」関わるジェイコブズ・ラダーと完全に接合していると指摘可能となっている(先刻既述のことである)とのことである。

 いかなことか、と述べれば、次のようなこととなる。

ジョジョの奇妙な冒険』第三部[スターダストクルセイダース] ―先に視覚的論拠・史的背景についての解説を講じてきたとの、ジェイコブズ・ラダー(ヤコブの梯子)とメーソン・シンボリズムを介して接合するようになっているとのところで911の予見描写を含むとの作品― にての主人公たる空条承太郎は第六部[ストーンオーシャン]で殺されることになるのが、その殺害行為はプッチ神父というキャラクターによる[スタンド能力](既述)である[ステアウェイ・トゥ・ヘブン]と命名された能力(後に[メイド・イン・ヘブン]という名にするとの方向での[作品改訂]がなされる)すなわち、[ジェイコブズ・ラダー]と同文の意味合いを持ち、また、レッド・ツェッペリンの有名な歌曲と同名のものでもあるという特殊能力によって成し遂げられておりその[ステアウェイ・トゥ・ヘブン](どういうわけなのかの作品改訂後は[メイド・イン・ヘブン])という能力は空条承太郎(第三部[スターダストクルセイダース]主人公)のみならず第六部主人公(空条徐倫というキャラクター)ら主要キャラクターらをも無残にあっさりと殺し、挙げ句には作中の世界そのものを不可逆的に完全破壊した(ゼロに戻して別世界に変えきった)との[重力]の作用を操る超能力となっているとのことが「ある」 ―ポイントは作品内の[予告描写と関わる(と先述した)ジェイコブズ・ラダーと同一の語感の超能力]が作品主人公らを皆殺しにし、また、作品世界そのものを破壊するとのことになっており、また、それが[重力]と結びつく力であるとされていることである― 」

 面倒でしようがないとの認識があるのだが、節義の問題として上記のことを支える出典を挙げていくこととする。

 まずもって日本のみならず世界的にもよく知られた作品である『ジョジョの奇妙な冒険』(英文タイトルは JoJo's Bizarre Adventure)にてのよくまとめられての第六部[ストーンオーシャン]解説項目の記述を下に引いておく。

(直下、英文Wikipedia[ Stone Ocean ]項目の現行にての記載内容を「掻い摘まんで」引用をなすとして)

Stone Ocean (ストーンオーシャン) is the sixth story arc of the Japanese manga series JoJo's Bizarre Adventure, written and illustrated by Hirohiko Araki. It was published in Weekly Shonen Jump from 2000 to 2003 and was collected into 17 tankobon volumes ( volumes 64 to 80 of the entire series ). 
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Plot
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Jolyne and company engage in hot pursuit with Father Pucci, only to face the next evolution of Whitesnake, C-Moon, a Stand which alters the gravitational field around Pucci. Though a revived Jotaro arrives to aid his daughter and her friends in fighting, Pucci is able to achieve his goal as C-Moon evolves once more into its final form: Made in Heaven. Using Made in Heaven, Pucci is able to speed up Earth's rotation ( and thus time itself ), during which time he proceeds to kill Jolyne, Jotaro, Anasui, and Ermes in front of Emporio. The final effects of Made in Heaven are completed when time accelerates to the end of the universe, leading to a new cycle of time and a parallel universe in its place where all surviving humans have precognitive understanding of fated actions in their lives. Pucci, believing that such knowledge of one's fate will bring them happiness, proceeds to hunt down Emporio to ensure that the future does not change.
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Characters [ . . . ] Enrico Pucci is the main antagonist of Stone Ocean. He seeks to use his Stands Whitesnake (ホワイトスネイク), capable of stealing other people's spirits and memories, even Stands, in the form of compact disks; C-Moon (シー・ムーン(C-MOON)), capable of negating gravity to keep things away from Pucci; and Made in Heaven (メイド・イン・ヘブン), capable of accelerating time to such a degree that the universe resets itself, all to remake the world according to DIO's ideals. Made in Heaven was previously named "Stairway to Heaven" (ステアウェイ・トゥ・ヘブン(天国への階段) Suteawei Tu Hebun) in the serialization, but was later changed in the tankobon volumes.

(上記の掻い摘まんでの引用部に対して文意補いながらもの訳を付すとして)
「『ストーンオーシャン』は荒木飛呂彦により執筆・作画されての日本の漫画作品である『ジョジョの奇妙な冒険』にあっての第六の梁となる物語となる。
 同作は週刊少年ジャンプ誌にて2000年から2003年にかけて刊行されたとのものとなり、計17冊の単行本(タンコウボン、和文表記がそのまま英語表記ともなる)にて収められている作品ともなる。
・・・(中略)・・・
[粗筋]
・・・(中略)・・・
徐倫(訳注:英語表記Jolyneとなり、第六部『ストーンオーシャン』主人公)およびその仲間達はプッチ神父に対する熱を帯びての追跡行に身を入れていたが、結局、[[ホワイトスネーク]が[C-Moon](訳注:[ホワイトスネーク]も[C-Moon]も共に作中の宿敵となっているプッチ神父の超能力たる[スタンド]の名称となり、名前の由来は共に米国と英国の歌曲名となっている)という重力場を変化させることができるとのかたちでの次なる進化を遂げる]のに際会するだけとの結果へと終わってしまった
 傷が癒えた承太郎(訳注:英文表記Jotaroとなり、第三部『スターダストクルセイダース』主人公)が闘いに際して自分の娘(訳注:第六部『ストーンオーシャン』主人公の徐倫のこと)およびその友らを救うために駆けつけたが、プッチは自身の能力たる[C-Moon]をさらにいま一度、[メイド・イン・ヘブン]へと進化させた時点で最終目標を達成できるようになっていた
 そして、(重力場をコントロールできるとの)[メイド・イン・ヘブン]の能力を用い、プッチは地球の自転を加速化させ(そして、そうやって時間すらも加速させ)、その加速された時間の中でもって、徐倫、承太郎、アナスイ、エルメェスをエンポリオの眼前で殺害するにまで至る(訳注:和文表記に倣えば[アナスイ][エルメェス][エンポリオ]となる彼・彼女らは全て第六部主人公の徐倫と共闘していた仲間達となる)
[メイド・イン・ヘブン]による最終的効果は[宇宙の終わり]にまで時間が加速した際に実現されるとのもので、それによって新しい時間の環にしてパラレル・ユニバースの世界、[そこにて生きる全ての人間らが自分達の生活にあって[運命が決する行動]に対する先覚的知識を既に見に付けている(行動が起こされる前から行動の結果を知りながら人間が生きる)との世界]を実現するとのものである。プッチはそのような[自身の運命に対する先覚的知識]こそが人間に幸福をもたらすのであるとの信念を抱きながら、「未来は不変である」ことを確信させようとしつつも(加速された時間の環にあっての「後の」世界で唯一、自分以外に旧世界からやってきたとのキャラクターである)エンプリオを狩りたて(そのうえで殺そうと)する。
・・・(中略)・・・
[登場人物ら] ・・・(中略)・・・ エンリコ・プッチ:『ストーンオーシャン』の主たる敵対者となる。同プッチは彼のスタンド能力、他人の心や記憶、スタンド能力でさえを盗むことができそれをコンパクト・ディスクに収めるとの[ホワイトスネイク]、同プッチから離れさせるべくも物体にかかる重力の力を無効化できるとの[C-Moon]、既存宇宙をリセットできるまでに時を加速させることができるとの[メイド・イン・ヘブン]、全てディオ(訳注:ジョジョの奇妙な冒険シリーズに登場していた主人公達の仇敵としての吸血鬼化存在)の理想の元に世界を造り替えるべくものそれら各能力を使わんとする存在となっている。うち、プッチの[メイド・イン・ヘブン]の能力に関しては従前、[ステアウェイ・トゥ・ヘブン]と命名されていたところを「単行本化にあたって」名称が[メイド・イン・ヘブン]へと改められたものとなる

(引用部に対する文意補いながらもの訳はここまでとする ―※― )

(※尚、上にて記載されているように Stairway to Heaven[ステアウェイ・トゥ・ヘブン]という初期の名称が Made in Heaven[メイド・イン・ヘブン]に変更されているとのことについては週刊の漫画誌に連載されていたとの表記が早くもそちらが単行本化されるに当たって ―どうしてそういうことがなされたのかは置き― コマ内の台詞表記・表題含めてすべてが「改訂」されもしたとのことを指している ―そちら[改訂]については無論、国内でも諸所で言明されているところである― .さらに述べれば、漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』に登場するスタンドである[ステアウェイ・トゥ・ヘブン]の名は著名バンドのレッド・ツェッペリンの歌曲『ステアウェイ・トゥ・ヘブン』、すなわち、それへのバックマスキング・メッセージ混入疑惑が取り沙汰されてきた歌曲の曲名に由来していると解されるようになっている.に関しては和文ウィキペディア[スタンド]項目にて(以下、引用なすとして)「スタンド」とは「パワーを持った像」であり、持ち主の傍に出現して様々な超常的能力を発揮し、他人を攻撃したり持ち主を守ったりする守護霊のような存在である。その姿は人間に似たものから、動物や怪物のようなもの、果ては無機物まで千差万別。一言で言えば超能力が具現化したものである・・・(中略)・・・各スタンド名の由来は、Part3ではタロットカードの大アルカナなどから、それ以降は洋楽のアーティスト名・曲名・アルバム名から取られていることが多い。なお、人名などを洋楽方面から取材するというこの傾向は、スタンドに限らず『ジョジョの奇妙な冒険』全編を通じて多く見られるものである(引用部はここまでとする)との記述がなされていることより(当該の漫画作品について細かくもご存知ないとの向きにも)理解いただけることか、とは思う)

 以上の英文ウィキペディアよりの作品紹介部 ―作品概要を分析して知っている筆者が太鼓判を押すところとして目立っての誤謬を含まないとの作品紹介部― でもってして大体にして

[第三部主人公(空条承太郎というキャラクター)および第六部主人公(空条徐倫というキャラクター)を仲間もろともに無残に殺し、また、世界そのものを造り替えてしまったとの重力作用に基礎を置く「超」能力 ―にしてジェイコブズ・ラダーことヤコブの梯子とも結びつくステアウェイ・トゥ・ヘブンを名称に冠する能力― ]

にまつわる世間一般での解説のされよう(ジェイコブズ・ラダーや予言的描写といった深い意味性に関わる考察は一切含まれずにの解説のされよう)がいかようなものなのか、ご理解いただけたことか、とは思う。

 そうしたことに関わる原作での描写が一体全体いかようなるものなのか、とのことについては国内にて幅広くも流通を見ており、容易に内容確認できるとの、

『ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン』第16巻(リニューアルを見ての文庫化されてのバージョンでは10巻)
『ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン』第17巻(リニューアルを見ての文庫化されてのバージョンでは11巻)

にての描写なぞをも検討いただきたいものだがそこにては滑稽なまでに[肉体の鈍重さ]のみならず[精神の鈍重さ]が強調されている人間達が無残な運命を辿る(変化に巻き込まれるかたちで重力作用によって殺されていったりする)姿が描写されながら加速する時間の中で世界が次の時間の環へといざなわれ、既存の世界が崩壊していく様が「これは・・・」とのかたちで描かれている、同様のことにまつわる和文ウィキペディアにての解説のされようも下に引用しておく。

(直下、和文ウィキペディア[エンリコ・プッチ]項目より掻い摘まんでの引用をなすところとして)

プッチが重力を最も軽減できる位置に到達したことで進化した、プッチのスタンドの完成形。それまでのプッチのスタンドとは全く異なる外見であり、前半身だけの馬に人の上半身が跨った姿をしており、顔の中心や手の甲には能力を象徴するかのように時計(或いは計器)のマークが描かれている。時を無限に加速させるスタンドであり、「天国へ行く方法」実現の鍵となる。プッチ以外の全生物は時の加速についていけず、傍目から見るとプッチが高速移動しているように見える。 ・・・(中略)・・・ 単行本17巻掲載のスタンドパラメータでは時間の加速の原理について「全宇宙の「引力」を利用して加速しているようだ」と説明されている。 ・・・(中略)・・・ このスタンドの真の能力は時間を無限大に加速し続けることで世界を一巡させることである。一巡した間に全ての人間や生物は未来にいつ何が起こるかを体験しており、その運命を変えることは出来ない(多少の違いはあっても運命に変更は無い。例えば紙を踏んで転ぶと言う出来事を体験している人間が、紙を踏むまいと回避したとしても別の物に躓き転んでしまう)が、プッチ本人のみは自身や他者の運命に干渉、変更することが出来る。雑誌連載時は呼称が「ステアウェイ・トゥ・ヘブン(天国への階段)」であった。

(引用部はここまでとする)

(直下、和文ウィキペディア[エンリコ・プッチ]項目より掻い摘まんでの引用をなすところとして)

ケープ・カナベラルにおける最終決戦では、「メイド・イン・ヘブン」の時の加速によりエルメェス、アナスイ、徐倫、時を止められる承太郎をも抹殺する。エンポリオには逃げられてしまうが、プッチが時を極限まで加速させたことにより宇宙は終焉と新たな開闢を迎え、時の加速を体験した全ての生命体(人間のみならず蟻の一匹をも含む)はパラレルワールド「一巡後の世界」に到達する。一巡した間に全ての生物は未来にいつ何が起こるかを体験しており、それを変えられない運命として事前に何が起きるかを知ることが出来る。すべての人類があらゆる悲劇や絶望にも事前に「覚悟」が出来る世界こそが「覚悟こそが幸福」という価値観のプッチの求めた「天国」であった。続編となるPart7『スティール・ボール・ラン』に直接の登場は無いが、舞台となった世界は「メイド・イン・ヘブン」の能力により生まれたパラレルワールド「一巡後の世界」であると説明されている

(引用部はここまでとする)

 以上のような能力、メイド・イン・ヘブンと命名された作中の敵役プッチ神父の能力(単行本化に当たって早くも改訂がどういうわけなのかなされているとの旧名ステアウェイ・トゥ・ヘブンとの能力)によって既存世界が終焉を迎えると描写されることが問題になるととれるだけの要素がある(ことを本稿筆者は重んじている)。

(:ここまでにて解説してきたようにステアウェイ・トゥ・ヘブンとは ―その疑惑が真実であれ、そうでないにせよ― 「悪魔の王に対する礼讃を内容とする」逆再生メッセージ混入が非常に問題視されもした(米国で州法における逆再生メッセージ混入規制の流れにつながりかけたとのかたちで問題視された)との著名バンド Led Zeppelinの歌曲 Stairway to Heavenから命名されたものと(当然に)解されるようになっているものなのだが、そちら特殊能力としての【ステアウェイ・トゥ・ヘブン】が問題となる漫画(『ジョジョの奇妙な冒険 Part6ストーンオーシャン』)にて同じくもの特殊能力が真価を発揮する局面は重力の特殊な作用状況下での【天国への道の実現】であるとされている。そして、同じくもの漫画(『ジョジョの奇妙な冒険 Part6ストーンオーシャン』 )にての【天国への道の実現】は【特異点】との言葉と意味不明極まりないかたちで結びつけられて「も」いる(和文ウィキペディア[ストーンオーシャン]項目にあっての現行にての注記表記より引用なせば、天国へ行く方法・・・(中略)・・・その内容は、「ザ・ワールド」「欲のない人間」「極罪を犯した36人以上の魂」「14の言葉」「ザ・ワールドを捨てる勇気」最も重力が弱い場所が揃うことで実現すると書かれていた・・・(中略)・・・([注記;14の言葉])発言した順番に、「らせん階段」「カブト虫」「廃墟の街」「イチジクのタルト」「カブト虫」「ドロローサへの道」「カブト虫」特異点「ジョット」「天使(エンジェル)」「紫陽花」「カブト虫」特異点「秘密の皇帝」(引用部はここまでとする)とあるとおりである)。そうもしたフィクション設定は意味不明なものだが(あるいは格好をつけて述べれば、「凡俗の理解を超える程に形而上学的でシンボリックである」とのかたちにもなろうか)、科学概念上の一般論として述べれば、【重力】と【特異点】が結びつけられれば、それは【ブラックホールの特異点】のことを指しもすることになる。筆者としてはその点について「も」(後述の観点から)決して軽んずべきではないと判じている)

(:尚、漫画にて[天国への道]の実現を企図しているプッチ神父というキャラクターが「いかにも、悪役らしい」のは[人間が自分の運命を事前認識しながらもそれを変えることがかなわぬ中で「覚悟」すること]を「幸福」とみなしていることである(そして、自身のそうした「幸福」観を無理矢理にでも人類全体に押しつけるために世界そのものを一端破壊、産まれ変わらせようとし、その過程で次の世界に引き継がせないかたちで主人公らをはじめ多くの人間の因果を旧世界で断ち切ることまでをも是認していることである)
 換言すれば、「自分の運命を知って」いながら、「それを変えることができない」というのはある種の[拷問]なわけであるが、プッチが邪悪な存在と見えるのは[運命を変えるよう人間が努力する可能性][自由意思介在の可能性]を否定したうえで[運命を事前認識し、それに屈従すること]を[明日への糧(かて)となる覚悟]と表して幸福の前提条件になるように物事を語り、それを自己の思想の核としてしまっているとのことにあるとも述べられる。
 そのようなことが(ある程度、物事を突き詰めて考えるとの)読み手には易くも理解できるようになっている ―※同じくもの点についてさらに一歩進んでの話、高等批評といったものを講ずれば、プロテスタントの世界観、なかんずく、カルヴァン派などの世界観にて認められる[運命は既に決まっている][決まっている運命のなかで決まった運命に見る幸福の多寡が信者の信心のありよう・神の恩寵を計測するバロメーターである]といった内容の[予定説](社会学者マックス・ウェーバーが[決まった運命のありようを「証明」したくもキリスト教徒らが蓄財に励み、もって、資本主義の助長・深化・発展につながった]と分析していたような観点でもある)と表記のプッチの観点は非常に親和性が強いものにも見え、漫画作品はそうした思考形態を茶化す、ないし、論難しているように[見えもする]とのもの「とも」なる(但し、プッチは予定説の考えに目立って立ったカルヴァンや[自由意思は悪魔の呪いである]と述べての De servo arbitrio『奴隷意志論』なるものを唱え神の御心にすがることのみが信徒の幸福であると説いたルターの広めた[新教]というもの、プロテスタンティズムの聖職者たる「牧師」ではなく、カトリックの聖職者である「神父」といった描かれかたをしているのではあるも)。以上、云々しはしたが、しかし、ここ本稿でなしたいとのことは[下らぬ人間らが下らぬ作文で持ち出すような非建設的なる「お」話]と大差ないとの以上のような高等批評(と世間的に見られるようなもの)を「これ無意味に」展開することではなく、(それすらも聞く耳を持つ人間がいなければ無意味なわけだが)、我々人類の今後に関わる[予定]に対する[予告]の問題]の存在の具体論的摘示に努めることにあること、断っておきたい次第でもある(『そういう断りをなすうえで[語るに足りぬ下らぬ「お」話の一例]として反面教師として引き合いに出す以上には[プロテスタンティズムの思想と予言漫画のヴィラン(悪役)の思考様式の比較]などということは持ち出す必要も無いだろう』とさえ筆者は見ており、そのうえで、敢えてもの下らぬ話をなした)― )

 ここまで指し示しに努めてきたことを図示なせば、次のようなかたちとなる。

 上にての関係図は

[『ジョジョの奇妙な冒険』にての911の事件に対する予見描写] ←→ (際立っての視覚的一致性の介在) ←→ [「特定の」フリーメーソンシンボル体系構図] ←→ [構図内におけるジェイコブズ・ラダー(天国への梯子)の使用慣行] ←→ (意味的一致性) ←→ [ステアウェイ・トゥ・ヘブン] ←→ (回帰) ←→ [『ジョジョの奇妙な冒険』に見る重力の操作による世界破壊の流れ]

との関係性「も」が成立していることを示したものとなる。

 さて、長大なものとなっている本稿にあっては先行する段にあって

[【911の事件の予見描写】と【重力の機序による世界崩壊の可能性が取り沙汰されてきた史上最大の「実験」】との間に多重的な関係性が成立している (というより成立してしまっている) ]

とのことにつき ―膨大な文字数を割きながら、必要かつ十分であろうとの出典を事細かに挙げながら― 指し示すのに注力してきたとのことがある。

 そして、上にて呈示の通りの図にて問題のありようが多く視覚的に示せてしまうとのここでの話「も」がそうもした[従前指し示しに注力してきたとの本稿の流れ]と相通ずる関係性を示す ―お分かりのことか、とは思うが、911の事件の予見描写重力による終焉とのことで接合する― ところのものとなっている。

 さらにもって述べれば、である。同じくものことについては[側面からの補強材料]らが伴っている。例えば、である。本稿ではダンテ『地獄篇』におけるルチフェロ(サタン)の領域に、あるいは、ミルトン『失楽園』のルシファー(サタン)のやりように関わるところに[現代的観点から見た場合のブラックホールの質的等価物]が具現化しているとのことの問題性をも文献的事実に基づいて指摘してきたわけだが(本稿にての[出典(Source)紹介の部55]から[出典(Source)紹介の部55(3)]を包摂しての段からそのことを取り扱いだしている)、表記の漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』にあって問題となる[重力による破壊作用]と結びついた能力[ステアウェイ・トゥ・ヘブン]と関して述べれば、同名の歌曲(レッド・ツェッペリンのステアウェイ・トゥ・ヘブン)について既述のように逆再生、バックマスキングという収録手法に基づいて[サタンへの礼讃の言]が入れ込まれている歌曲であるとする申し分が広く取り沙汰されてきたとの世間的経緯がある ―バックマスキング行為が本当に意図的になされていたのか、あるいは、そうではなくたまたまそういう響きとなっているのかに関わらず、とにかくも州法による無断バックマスキング行為規制の流れに通ずるとのかたちで同じくものことが広く取り沙汰されてきたとの世間的経緯がある― 。となれば、

[サタン(ルシファー)と結びつく重力の(災厄の)領域]

との特異なる要素がダンテ『地獄篇』にも、ミルトン『失楽園』にも、そして、(いきなり卑近なところとなって)『ジョジョの奇妙な冒険』にすら見てとれる、脇・側面からの関係性の補強材料としてそうもしたことが見てとれるとのことになるのである。

 それにつき、「考えるべきは、」そういうことが多重的に存在しているのが[偶然の賜物]として済ませられるような性質のものであるのか、あるいは、[恣意によるところ]と判じられるし判ずべきなのかということであり、さらに述べれば、それが[恣意の賜物]であるというのならば、―そのような「非」人間的なる[恣意性]がいかように具現化なさしめられているのかとのその[機序]([仕組み])の問題を「敢えても」脇に置いたうえでも― そのような多重的なる[恣意の表明]の先にいかなることが控えているのかが問題になるとのことである。

(※尚、ここまでの話に関わるところとしてそのものずばりで Jacob's Ladder『ジェイコブズ・ラダー』(1990年公開)という題名の映画作品が存在しているとのことがある。日本のレンタルビデオ店では置いていないところも少なからずある、その程度の流通度合いしか国内では見ていないとの映画作品とはなるが、ヤコブの梯子を題名に冠する同映画作品『ジェイコブズ・ラダー』からして[911の事件の事前言及のことを爆破陰謀「論」との絡みで想起させる作品]「とも」なっている。
 については「秒単位で収録DVDから裏取りできるように」との指摘をなしておくが、同作 Jacob's Ladder収めたDVDコンテンツにての本編開始後【0時間30分50秒】DVDタイムカウンター表示【00:30:50】)あたりから本編開始後【0時間31分09秒】DVDタイムカウンター表示【00:31:09】)に至るまでの描写を[流れ]を目で追えば納得いただけるであろうところとして、同作にあっては
「[窓に119とのプレートが掲げられている]ところで車の[爆破][爆発]についての言及がなされている」
とのことが具現化を見ている(:英文Wikipedia[ Jacob's Ladder (film) ]項目にて As the hallucinations become increasingly bizarre, Paul, one of Jacob's old Army friends, contacts him to tell him about sharing such experiences, and is soon killed when his car explodes.「(主人公を煩わせ続けた)幻覚が次第によりもって奇怪なものへとなっていく中、ジェイコブ(主人公)の軍隊時代の戦友の一人のポールが彼もまた同じような体験を共有しているとのことを伝えるためにコンタクトを取ってきて、そして、(彼ポールは)自動車の爆発にて殺されてしまう」と表記されているような粗筋に関わるところである)。
 につき、DVD再生時間にして30分50秒経過から31分9秒経過後の合間の部位を視ることで理解できるところとして
[[119](反対から見てみると911となる数値)および[(車の)爆破・爆発]が結びつけられている]
とのことだけでは
『911の事件への事前言及「がかった」側面は見出せないだろう』
と考える向きも当然にあろうかとは思うが、ここでは
[ジェイコブズ・ラダー(ヤコブの梯子)と結びつくその他の事物が[911の事前言及]の側面とともにある]
との一事を[前提]に置いての話を筆者がなしているとのこと、理解なしていただきたいものではある ―尚、『ジョジョの奇妙な冒険』にての予見描写が(映画『ジェイコブズ・ラダー』の車の時限爆破よろしく)[時限爆破]と結びつくこと、また、それがなぜもってして問題になるのかについてのより噛み砕いての説明は続いての段にてなすこととする― )

(これにて[■補足3]と振っての部を終える)

 本題から逸れてのここでの話の[とりまとめ]として最後に、

(「極めて長くなるも、」と事前に断ったうえで)■[補足1]から■[補足3]と振って書き進めてきたとのここまでの一連の部

でいかようなことを摘示なさんとしてきたのか、極々端的に振り返っての表記をなしておく。

(以下、端的に振り返っての表記をなすとして)

■補足1:[補足1]の部は以下のことの強調をなすためだけに設けての部であった。


「筆者は国内特定漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険(スターダストクルセイダース)』の[911の事件の発生の予見描写]とされているところに高度な意味でフリーメーソン・シンボリズムとの「際立っての」連続性があると具体的な視覚的指示材料に依拠して指摘している(エンタード・アプレンティス位階のトレーシング・ボードなどとの視覚的接合性があると指摘している)が、当該漫画作品の作者がフリーメーソンであると主張するなどとのことをなしたいのではない

■補足2:続いての[補足2]の部では以下のようなことの指し示しに注力していた。


『ジョジョの奇妙な冒険(スターダストクルセイダース)』の[911の事件の発生の予見描写]とされているところについては作者が「考えずに書いていた」との表明を外向けになしている中でも
[フリーメーソン象徴主義のみならず[錬金術の象徴主義]との接合性]
もが指摘できるようになっているとのことがある。
 のみならず、そこにて問題となる[錬金術象徴との接合性]との兼ね合いでは黄金の林檎という媒介項を介して
[「他の」(そうしたものらが存在していること自体が問題なのだが)911の予見文物らとの接合性
すら指摘できるようになっている(でなければ取り上げるに値しないようなところとして、無論、[印象論などではなく証拠に基づいての具象論]としてそういう指摘がなせるようになっている)
 であるから、計算されての思惑(傀儡くぐつの意中心境は問題にならぬとの思惑)の問題]が[[執拗さ]の背景にある[動機]]との観点で当然に問題になると解される。

■補足3:[補足3]は以下のようなことの指し示しに注力していた。


『ジョジョの奇妙な冒険(スターダストクルセイダース)』にあっての[911の事件の発生の予見描写]とされているところについては
(フリーメーソン象徴主義との兼ね合いで)
ヤコブの梯子(はしご)の象徴との視覚的連続性
「もが」観念されるようになっている(:当該漫画作品の中にての[吊された男が登場する911の事件の発生の予見描写](として知られている部)は[月][一つ目][太陽]を並べて配しているとのものだが、同様に[月][一つ目][太陽]を並べて配しているのが[フリーメーソンの入団者が足入れする徒弟位階のトレーシング・ボード]であり、そちら徒弟位階トレーシング・ボードに関しては[ヤコブの梯子]「とも」ワンセットとなっているとのことがあるためにそうも述べられるようになっている)
 それにつき、旧約聖書に見るヤコブの梯子(はしご)とは[天国への梯子]とのその語感からステアウェイ・トゥ・ヘブン](天国への階段)という呼称でも通用するところのものであり、ステアウェイ・トゥ・ヘブンとくれば、「逆再生メッセージが混入されている」との疑惑が取り沙汰されてきた著名バンド(レッド・ツェッペリン)の有名歌曲曲名[ステアウェイ・トゥ・ヘブン](天国への階段)のことが想起されるものである。
 そして、『ジョジョの奇妙な冒険シリーズ』では(「有名バンドおよびその歌曲から名前が取られての」)[スタンド]なる超能力が作中主要要素となっており、そのスタンド能力の中には(改訂にて名前を後に変えられたとのものだが)[ステアウェイ・トゥ・ヘブン]というものが含まれている(著名バンド(レッド・ツェッペリン)の有名歌曲曲名[ステアウェイ・トゥ・ヘブン](天国への階段)に名称が由来するところの能力として、である)。
 そちら『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズ版の天国への階段、[ステアウェイ・トゥ・ヘブン](改訂「後」名称メイド・イン・ヘブン)については
重力の機序を操作して主人公らを皆殺しにすることになり、かつ、作中世界そのものを不可逆的に根本破壊した能力
ともなっている。
 要するに、
[【911の事件の発生の予見描写の部】と(視覚的接合性を呈するフリーメーソン象徴主義を介しての)【ヤコブの梯子】との重なり合い]
から「も」その存在が浮かび上がってくるとの[ステアウェイ・トゥ・ヘブン]が『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズの作品世界を重力(引力)の機序を用いて徹底的に破壊したジョーカーのようなものとなっているとのことがあるわけだが、そこから想起されるのは
[(本稿でその指し示しに注力してきたとの)【911の事件の発生の予見描写】と【重力の怪物たるブラックホールの類を生成する可能性が取り沙汰されてきた「実験」】との間の「多重的」関係性]
のことである。
 大の大人が取り合わないようなものにあってすら
[【911の事前言及】と【重力による根本破壊と通ずるもの】(ブラックホール生成挙動)との接合性]
が介在していると指摘できるようになっている(指摘できるように「なってしまっている」)のであるから問題になる。

(以上をもってして[とりまとめ]とし、■[補足1]から■[補足3]と振ってのことらを述べてきた脇に逸れての部を終えることとする)


[極めて長くなってもの補足の部はここまでとする]


 ここまでにて■[補足1]から■[補足3]と振っての脇に逸れての話に長々と筆を割いてしまったきらいがあるが、『ジョジョの奇妙な冒険』という作品にあっての[「問題となる」予見描写]に関して本質をなすところ ―A.からE.と振って取り上げているところ― に話を引き戻す。

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 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

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[出典(Source)紹介の部28-3]([時間の相対性]に関わる点として[浦島伝承]が何故もって双子のパラドックスという現象と密接に結びつくのかについての解説をなしているところの出典紹介部28-3)
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典拠紹介部第23頁 双子のパラドックスと浦島伝承、そして、タイムマシン理論

[出典(Source)紹介の部35]LHC実験とトロイア崩壊およびアトランティスの関係性を示す命名規則上のありようにまつわっての部LHC実験にあっては[(トロイア崩壊の因たる)黄金の林檎の在処を知ると神話が語り継ぐ巨人アトラス]の名前を冠する検出器ATLASおよび黄金の林檎の果樹園とも同一視されもするアトランティス]の名前を冠するディスプレイ・ウェアATLANTISによって生成極微ブラックホール捕捉をなしうるとの可能性が取り沙汰されてきたとのことについての出典紹介の部35)
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典拠紹介部第30頁 アトラス・アトランティスとLHC命名規則の繋がり合い

[出典(Source)紹介の部37]から[出典(Source)紹介の部37-5](よりもって後の段で[さらにも、の他の事例ら]を紹介することを前提に先行的に挙げているところの[[ヘラクレスの第11功業]と[911の予見事物]の接合性を示す事例]にまつわっての出典紹介部37から出典紹介部37-5)
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[出典(Source)紹介の部37]
典拠紹介部第31頁 911の予言的言及事物としてそこにあるもの

[出典(Source)紹介の部37-5]
典拠紹介部第33頁 陰謀論とりまとめ小説イルミナティ三部作に伴う特質[2]

[出典(Source)紹介の部55](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55)
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典拠紹介部第46頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写

[出典(Source)紹介の部55(3)](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55(3))
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典拠紹介部第47頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写[2]

[出典(Source)紹介の部101]先に発生した911の事件は(飛行機が突撃したツインタワーのみならず)ワールド・トレード・センターに存在していたビル七棟がすべて倒壊したとの事件となる】、 【その中身が適正なものか否かはとりあえず置き、かつてそこにあったワールド・トレード・センターの第七ビルに関してはそれが発破倒壊 ―コントロール・デモリッション(ビルを炸薬を用いて一挙に破壊して解体処理する手法)― によって倒壊したのだとの申しようが専門家団体、[建築家団体]より呈されている】、 【911の事件が発生する「直前」、2001年7月にて、「アメリカで[アルカイダ]と[オサマ・ビン・ラディン]の犯行を名目にしての政府関係者筋による[自作自演のテロ]が起こされることを警告していた」との有名な論客が存在している】とのことらを各別に紹介しての典拠紹介部101の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第117頁 重大事件の先覚的言及と『使徒行伝』に見る占いの霊

[出典(Source)紹介の部102(4)](1999年公開の映画作品『ファイト・クラブ』がいかようにして[911の事件の先覚的言及]を多重的になしていると指摘出来るのか、そのことについての[1]から[9]と振っての典拠紹介部にあっての「一例」としての ―[4]と振っての部の「一例」としての― 典拠紹介部102(4)の部)
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典拠紹介部第118頁 ファイト・クラブに見る911の前言、その解説[1]

[出典(Source)紹介の部102(8)](1999年公開の映画作品『ファイト・クラブ』の原作小説(1996年刊)からして911の予見的側面と相通ずるようになっていることにまつわっての典拠紹介部102(8)の部)
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典拠紹介部第119頁 ファイト・クラブに見る911の前言、その解説[2]

[出典(Source)紹介の部106(3)](1973年公開の映画作品『タワーリング・インフェルノ』がいかようにもってして多重的に911の予見的言及作品となっているのかにまつわっての典拠紹介部106(3)の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第123頁 フリーメーソン象徴主義と911発生の予言的言及[3]