典拠となるところの明示[142]――本稿にて摘示してきたような事柄らがそこに存在
しているとのことについて【意味上の特色】として何が問題となるのかについて

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本稿ここまでの段にあって摘示に努めてきた事柄ら ―極めて特異なる特色を帯びての事柄ら― の間にあって「恣意的にそうなるべくもされている」とのかたちで見受けられる意味上の繋がり合いについて

 直前頁よりもってして

【意味上の「重大な」多層的繋がり合い】

が露骨な式で見受けられることにまつわっての指摘をなすと申し述べもしての段に入りもし、間を経ずに、

【ドゥームズディ・クロック(世界終末時計)】

というものがいかようなものなのかの説明をし、そのうえで、

【ドゥームズディ・クロック(世界終末時計)と先に発生した911の事件の間の多重的繋がり合い】

にまつわっての解説をなしもしてきた(ここまでをもってして前頁までの内容の一言でもってしての振り返りの部とする)

 さて、再述するも、ドゥームズデイ・クロックとは

[(人間が最後の審判に至る折柄たる)[ドゥームズ・デイ]との宗教用語を用いて[世界の終末の時]を示す時計]

となるわけだが、それがここまで詳述なしてきたような事由から[911(の「予見」事象)]と結びついていると指摘出来るようになっている(なってしまっている)とのことは次のような[思惑]の体現であろうと判じられるところ「とも」なる。

「911の事件は人間に(ドゥームズデイ・クロックが宗教用語を用いてそれを体現しているとの)[黙示録的筋立て]にまつわる何らかの意思表示をなすための事件であったと判じられもする」

 宗教的狂人の類の放言に聞こえるかとは思う。だからこそ、ここでくどくも何度も本稿文中にて述べていたことを繰り返すが、

「本稿筆者は「宗教など実にくだらない」ととらえている(どころか「宗教とは根本をとらえれば、人間を去勢し薬籠中の存在とする手管となっているとの意味では実に悪質なものである」ととらえている)無神論者である( As an atheist, I never think highly of "religious" dogmas.)」

 さらに述べれば、筆者は ―自由主義者として自身のそうした[理念]の押しつけまでなすつもりはまったくないわけだが― 

「宗教的な名詞を自己の主義主張を表象するものとして用いる人間、自己の主張の核と据えているような類はすべてお為ごかしの類、道理を通すべきところに不条理をもたらすことを是とするような類である」  (筆者の経験則上、まじめな話をなして然るべきところで[馬鹿な(としか表しようがない)論理]を振りかざすのは大体大概にして[「宗教」の徒]であったとのことがある)

とも見ているような人間である (筆者が[宗教的な人間ら]/[不幸なことに宗教的な人間に「させられてしまった」同輩の人間ら]をどう[リアリスト]として見ているかについては本稿にての出典(Source)紹介の部87(4)に続く段で[アビラのテレサ]といった聖人(視されてきた存在)について[ブレイン・マシーン・インターフェ-ス技術]との兼ね合いでいかような[可能性論]を紹介しているのかよく見てみるとよい ―※― )。

(※以上のような物言いをなせば、
「何故もって望んで敵を作るような言い分・言辞を敢えても弄しているのか.利口ではないやりかただな」
と宗教の徒ではない合理主義者からして思うところかとも見るのだが、筆者としては「然にあらず」と強調しておきたい。宗教の徒は、否、宗教という名の【思考体系】(ミームとも表されるもの)に心がウィルスに冒されるが如く根深くも、そう、心底から浸かった者は[(実はそちら言葉由来とて仏教教訓譚から派生しているものなのだが)[獅子身中の虫]としてながらも(実体は仇なす者として)味方の「振り」をなす]以外のやりようはなさぬ、「決して」筆者のような人間の側に立た「ない」ととらえているし(『宗教とはそういう特性を有していないと心より奉じられないものである』と[観察]の結果、判ずるに至っている)、[「心よりの」熱烈な宗教の徒]とは筆者が面罵なそうがなすまいが、本然的に筆者のような人間の足を引っ張るように「できあがっている」(それがそうもした宗教的に熱心な者らに与えられた役割である)とまで達観するに至っているため、言論の差別化・差異化のために
[人類が克服しなければならない統制装置]
としての宗教に対する自身のスタンスを明確化した方が却(かえ)っていいと判じるに至っているとのことがあり、ここでのような筆の運びを敢えてもなしているのである(筆者は[教義に基づいての仲間外れごっこ]が好きである、というより、そもそものやりようとしているとのかたちで料簡・心根が規定されてしまっているとの熱心な宗教の徒に対してこちらからお断り、[ともだち]には絶対になれないな、と書いているわけだが、ただし、さりとて、宗教の徒を諸共、無条件に[ゾンビ人間]として度外視しようとしているわけではないこと、誤解なきように。他の心持ちの問題にまでくちばしを入れんとするのは大概にして狂信的かあるいは卑劣な宗教の徒のやりようと筆者もよく「識」っていることだが、筆者の方としては相手が何を奉じようと何を信じようと自由であるべきだと思っている。「ただし」付きで、そうした者達が自分が生存の途と信ずるところに不条理かつ積極的に石を置いてくるとのことをしない限りは、であるが.))

 といった宗教的な見方を忌みもする身であるところを押しもして宗教的ドグマに相通ずる話(正確には宗教的ドグマの類が人類に対する犯罪の具に用いられているとのことにまつわる話)を続ければ、である。

「911の事件は人間に(ドゥームズデイ・クロックが宗教用語を用いてそれを体現しているとの)[黙示録的筋立て]にまつわる何らかの意思表示をなすための事件であったと判じられもする」

とのことについて

[危険要素] (宗教の徒輩がそれを[救いの途]などと誤信していようと生物が本然的に避けて然るべき[虚無たる死をもたらす危険要素]でもいい)

に関わるところとして次のことら ―便宜的にi.からiv.と振ってのことら― が指摘できるようになっている(なってしまっている)と申し述べておく。

i.(911との接合性が問題になることを呈示してきたドゥームズデイ・クロックのドゥームズデイの元となっている最後の審判の日の概念を提供している)新約聖書の黙示録とは

[[年を経た蛇]にして[七つの頭を持つ赤い龍]たるサタンが偽りの奴隷たる諸国の民、大海の真砂(まさご)の如くも多いとの形容がなされての諸国の民(ゴグ・マゴグとも呼称される)を率いて神の勢力に戦いを挑み、必定としての敗北を見、永劫の地獄行きを強いられる]

との内容を有しているものである (黙示録よりの文言引用は出典(Source)紹介の部54(4)にてもなしているが、再度、PDF版が流通している聖書よりの引用をなせば、(以下、日本聖書協会『新約聖書』(1954年改訳版)黙示録第20章よりの引用をなすとして)千年の期間が終わると、サタンはその獄から解放される。そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわち、ゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために招集する。その数は、海の砂のように多い。彼らは地上の広い所に上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都を包囲した。すると、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽くした。そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれたそこには、獣もにせ予言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである(引用部はここまでとする)と記載されているところである)

 ここでまずもって着目すべきであると指摘したいのは
[古き蛇][七つの頭を持つ赤い龍]
との要素である。

 その点、【エデンの園の禁断の果実】と結びつくようにされているとのことを本稿にて延々と[証示]なしてきた【黄金の林檎】を求めもしていたヘラクレスもまた[多頭の蛇の眷族]らを目立って屠ってきた存在でもある(本稿にての出典(Source)紹介の部63(4)で一覧表記をなしているのでそちらを参照してみるのもよかろう)。

上掲図左の部はルネサンス期画家のアントニオ・デル・ポッライオーロ( Antonio del Pollaiolo )の手になる15世紀製作のヒドラと戦うヘラクレスの図よりの抜粋。ヒドラが多頭の存在となっていることが分かる。他面、上掲図右上の部 Conrad Gessner、博物学の大家にして書誌学の創始者と認知されている17世紀のスイス在の識者たる同コンラート・ゲスナーの手になる Historiae animalium『動物誌』に掲載の(観念上の)ヒドラの似姿。そちら「ヒドラの」似姿、キリスト教黙示録にて描かれる赤い龍(直下言及)のように[七つの頭に冠を被った姿]にて描画されている(そうした画が描画されている時点にて[七つの頭を持つ赤い龍]たるサタンと[ヒドラ]との接点が強くも想起される)上掲図右下。アルブレヒト・デューラーの手になる有名な15世紀末(1498年)の版画集たる『黙示録』に七つの頭を有し七つの冠をかぶった赤い龍の姿で描かれる ――(日本聖書協会『新約聖書』黙示録第12章第3節よりの引用をなすとして)[また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた](引用部はここまでとする)との似姿で描かれる―― サタンの似姿を抽出して挙げたもの。
 ここでは【多頭の爬虫類】として描写されている彼らヒドラ、そして、サタンの結びつきを問題視している)

ii.上のi.に付して図示しているようにヘラクレスが戦ってきた多頭の蛇の眷族らの似姿は黙示録のサタンの似姿と通底するものがあるのだが、話は変わってダンテの『地獄篇』。西洋文物ありようを根本から規定する、【ウェスタン・カノン】と呼ばれる【基準古典】に連なるものであるとのことを既に解説している同ダンテ『神曲;地獄篇』については地獄最下層、重力の中心地にて【三面構造のルシファー(サタン)】の似姿が描写されているそして、そうもしたルシファー(サタン)を描くダンテ『地獄篇』はルシファーに至るまでの道程がヘラクレスの十二功業(の後半部)と「濃密に重なる」とのかたちにて叙述されているとのものとなっており、かつ、その絡みで【三面構造のサタン(ルシファー)】自身と【三面構造のケルベロス】の接合性もが見てとれるようになっている ―同じくもの点については本稿にての補説3の部、の中の、出典(Source)紹介の部90から出典(Source)紹介の部90(10)]を包摂する解説部にて文献的事実の問題に依拠して細かくもの証示にひたすらに努めてきたところでもある― 

(再掲図としての上のことを支える論拠以外にダンテ『地獄篇』のルシファー領域に至る地獄行脚がヘラクレスの12功業と結びつく論拠は(上掲図内にて再言のもの以外にも)他にもある。については本稿にて出典(Source)紹介の部90から出典(Source)紹介の部90(10)]にて呈示の典拠らを参照のこと)

iii.本稿にてくどくもそうしたことが述べられるとの文献的事実に依拠しての話をなしてきたように、

[新約聖書の末尾たる『黙示録』にて神の軍勢と最終決戦を繰り広げる(そして、それに次ぐのが審判が確定するドゥームズデイである)との設定が付されているサタンなる存在]

についてはルシファーとの名前で(双方とも基準古典(ウェスタン・カノン)に連なるものである)ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にて

[現代的な観点で見てのブラックホールの近似物の描写]

と多重的に結びつけられている存在ともなっている(つい先立っての段でも多少細かくも振り返ったところだが、よりもって細かくは本稿にての出典(Source)紹介の部55から出典(Source)紹介の部55(3)を包摂する解説部を参照されたい)

iv.【911の発生の「予見的」言及が(奇怪なことながら)なされていること】にも関わるものであると本稿にて詳述に重ねての詳述をなしてきたとの、
【黄金の林檎 ―エデンの園の禁断の果実とも同一視されもするもの― を巡る寓意】

【最近になって取り沙汰されだしたブラックホール生成問題】
「とも」接合してもいる(LHCにおけるATLASATLANTISを巡る話として本稿にてこれまた何度となく解説を講じてきたことである)。 
 そして、(これまた同文に既に具体的かつ客観的で、なおかつ、容易に後追い出来るとの論拠にのみ基づいて指し示しなしてきたところとして)命名規則との絡みで【黄金の林檎】とも接合しているブラックホール生成をなすに至った加速器実験実施機関、そして、加速器実験関連人脈は
【マンハッタン計画】
より生み出されたものである(下の繰り返しての表記を参照されたい)。
 そして、同じくものことはドゥームズデイ・クロックを考案した人脈がマンハッタン計画から生じていること(先立ってなした英文 Wikipedia[ Doomsday Clock ]冒頭表記よりの引用を繰り返せば、 the origin of the Clock can be traced to the international group of researchers called the Chicago Atomic Scientists who had participated in the Manhattan Project.「ドゥームズデイ・クロックの起源はマンハッタン計画に参画した[シカゴ原子力科学者グループ]と呼称される一群の国際的科学者らグループに淵源を求められるとのものである」とのことがあるとのこと)と通ずるところでもある


(以下、加速器実験実験機関らとマンハッタン計画の関係についての繰り返し表記として)

 マンハッタン計画 ―(本稿の先の段にて既述のように)結果として[グラウンド・ゼロ]との言葉を生みだした計画でもある― については

[後にLHCに進化するに至った円形加速器、その円形加速器の[真の発明者]とされる人間(レオ・シラード)がそもそもの計画のプロモーター(推進者)となっていた計画]
[公式上の円形加速器の発明者とされる人間(アーネスト・ローレンス)が初期段階にてとりまとめ役として重要な役割を果たしていた計画]
[公式上の円形加速器の発明者とされる人間(アーネスト・ローレンス)に計画に招聘された人間たるロバート・オッペンハイマーが[ブラックホール(とかなり後になって呼ばれるようになった[縮退星]というもの)の研究で既に業績を挙げていた科学者]として科学者陣を率いることになった計画]
[戦後影響力を増した同計画関係科学者によって巨大加速器実験を日常業務として執り行うなかでブラックホール生成問題で矢面に立たされることになった研究機関らの主要なるもの(フェルミ国立研究所/ブルックヘブン国立研究所/CERN)らを設立させしめることになった計画]

となっているとのことがある。

 上のことについての典拠は極めて長くもなっての本稿にての出典(Source)紹介の部84(本稿にての補説2の部に包含される出典紹介部)にて網羅的に要素要素に分解しながらも挙げているのだが(属人的主観が問題になるような具合の話ではないと指し示すのに努めているわけだが)、うち、ここでは

[マンハッタン計画とは同計画関係科学者をして[ブラックホール生成問題で矢面に立たされることになった研究機関らの主要なるもの(フェルミ国立研究所/ブルックヘブン国立研究所/CERN]らを設立させしめることになった計画ともなっている]

とのこと(直近直上の段にて述べもしていること)の典拠を抽出して再掲なしておくこととする。

(以下、「マンハッタン計画というものがあってこその(後の日にブラックホール生成問題で矢面に立つことになった)加速器実験機関である」とのことにまつわる長くもなっての出典(Source)紹介の部84よりの一部典拠の再呈示をなす)

[マンハッタン計画関係者であった科学者イシドール・ラビによって[ブルックヘブン国立研究所]及び[CERN]の設立の後押しがなされたことについて]

(直下、誰でもオンライン上より即時即座に確認可能なところとしての和文ウィキペディア[イジドール・イサーク・ラビ]項目の現行の記述よりの([中略]なしつつもの)部分的抜粋をなすとして)

 イジドール・イザーク・ラービはアメリカ合衆国の物理学者。・・・(中略)・・・共鳴法による原子核の磁気モーメントの測定法の発見により、1944年、ノーベル物理学賞を受賞した。・・・(中略)・・・1940年にはマサチューセッツ工科大学の放射線研究所の副所長となり、ロスアラモス国立研究所でアメリカの原爆開発に関わった。
 第二次世界大戦後は、ブルックヘブン国立研究所や欧州原子核研究機構の創設者のひとりとなった

(引用部はここまでとする ―※― )

(※尚、現行英文Wikipedia[ Isidor Isaac Rabi ]項目には A legacy of the Manhattan Project was the network of national laboratories, but none was located on the East Coast. Rabi and Ramsey assembled a group of universities in the New York area to lobby for their own national laboratory. When Zacharias, who was now at MIT, heard about it, he set up a rival group at MIT and Harvard. Rabi had discussions with Groves, who was willing to go along with a new national laboratory, but only one. Moreover, while the Manhattan Project still had funds, the wartime organization was expected to be phased out when a new authority came into existence. After some bargaining and lobbying by Rabi and others, the two groups came together in January 1946. Eventually nine universities ( Columbia, Cornell, Harvard, Johns Hopkins, MIT, Princeton, Pennsylvania, Rochester and Yale ) came together, and on 31 January 1947, a contract was signed with the Atomic Energy Commission (AEC), which had replaced the Manhattan Project, that established the Brookhaven National Laboratory.(補ってもの訳として)「マンハッタン計画の遺産は[国立研究所らのネットワーク]であったわけだが、それらのどれもが東海岸とは(マンハッタン計画が名前にそぐわず米国の東海岸地方から離れて推進されていたとの経緯があり)無縁なるところであった。イシドール・ラビおよびノーマン・ラムゼー(ラビの同僚の有力物理学者.後にノーベル賞受賞)は自分たち自身の国立研究所を設立させるべくものロビー活動を行うべく(東海岸の)ニューヨーク地域の大学らからなるグループを組織した。その折、マサチューセッツ工科大学に所属していたザカリアス(物理学者 Jerrold R. Zacharias)がそうした流れを聞き及び、「我こそは」と競うグループをマサチューセッツ工科大学およびハーヴァードに組織することになった。イシドール・ラビは国に新しい国立研究所を創設するとのことに対し積極的に賛意を表していたグローヴス(マンハッタン計画を主導した米国軍人レズリー・グローヴズ)と議論を交わしたが、新国立研究所創設に賛意を表するのはグローヴス唯一人にとどまった。往時はマンハッタン計画が未だ予算を保持しての折ながらも、新しい関連行政機関が登場を見るに至っていたとの折ともなり、戦時中の組織は段階的に縮小消滅していくことが期されていた。といった中、イシドール・ラビおよびその他の同調者による交渉・ロビー活動の後、二つのグループ(文脈上、ラビらのロビー集団とマサチューセッツでザカリアスが組織化したロビー集団の二つのグループ)は1946年1月に統合を見るに至り、そして、1947年1月31日、コロンビア大、コーネル大、ハーヴァード大、ジョン・ホプキンス大、マサチューセッツ工科大、プリンストン大、ペンシルヴァニア大、ロチェスター大、イェール大の(東海岸の)9大学が大同団結なして合意、マンハッタン計画関連組織を継承・代替するかたちとなっていた[原子力委員会](マンハッタン計画関係者が中心になって設立した戦後の原子力関連技術管理組織で原子力技術の民生移管を名分としていた)との間の[ブルックヘブン国立研究所]を設立するとの合意をなした」(引用部に対する補ってもの訳はここまでとする)とより細かき経緯が( John S. Rigdenという物理学者としての著者の手になる Rabi, Scientist and Citizenという書を出典として)記載されてもいる)

(直下、誰でもオンライン上より即時即座に確認可能なところとして英文Wikipedia[ Isidor Isaac Rabi ]項目の現行の記述よりの再度の部分的抜粋をなすとして)

Rabi suggested to Edoardo Amaldi that Brookhaven might be a model that Europeans could emulate. Rabi saw science as a way of inspiring and uniting a Europe that was still recovering from the war. An opportunity came in 1950 when he was named the United States Delegate to the United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization (UNESCO). At a UNESCO meeting at the Palazzo Vecchio in Florence in June 1950, he called for the establishment of regional laboratories. These efforts bore fruit; in 1952, representatives of eleven countries came together to create the Conseil Europe'en pour la Recherche Nucle'aire(CERN).

「(訳として)ラビはエドアルド・アマルディにブラックヘブン国立加速器研究所は欧州人の模範となるものであるべしと訴えていた。同イシドール・ラビは科学をもってして戦傷が癒えぬ欧州を刺激・統一させるひとつの手段と看做していた。彼が合衆国によってユネスコの代表として指名された1950年に好機が巡ってきた。フィレンツェのヴェッキオ宮殿でのユネスコの会議にてラビは域内研究機関の設立を求めることになった。これら努力は実ることになり、1952年、11カ国の代表らが欧州原子核研究機構(CERN)の創設の合意に至った

(訳を付しての引用部はここまでとする.尚、上記のことについては John S. Rigdenという物理学者としての著者の手になる Rabi, Scientist and Citizenという書を出典としているとの表記が現行、Wikipediaには見てとれる)

 以上、
[ブルックヘブン国立研究所](本稿の冒頭部、出典(Source)紹介の部1からしてその発表資料 Review of Speculative "Disaster Scenarios" at RHICを挙げて、加速器RHICに伴うブラックホール生成可能性を問題視されだした機関であるとのことを詳説した米国の主要加速器運営組織の内のひとつ)
および
CERN
らがマンハッタン計画関係者(ノーベル物理学者でもあったイシドール・ラビ)の手により、マンハッタン計画の衣鉢を継ぐとの組織・人脈らの関与で世に生まれ落ちたとのこと、その[通史として語られるところ]につき紹介した。

 さらにもってして、

[主要加速器実験機関のうち、フェルミ国立研究所がマンハッタン計画関係者の手により設立を見たこと]

についての出典を(とりあえずも端的に)挙げておく。

(直下、誰でもオンライン上より即時即座に確認可能なところとしての和文ウィキペディア[ロバート・ラスバン・ウィルソン]項目の現行の記述よりの([中略]なしつつもの)再度の部分的抜粋をなすとして)

ロバート・ラスパン・ウィルソン ・・・(中略)・・・ はアメリカ合衆国の物理学者。マンハッタン計画でグループリーダ一を務め、フェルミ国立加速器研究を企画、建設した。1967年から1978年まで初代の所長を務めた

(引用部はここまでとしておく)

 以上、オンライン上より即時即座に確認できるところより抜粋して示したようにマンハッタン計画の関係者たるイシドール・ラビとロバート・ウィルソンらが

[ブルックヘブン国立研究所]
[欧州原子核研究機関(CERN)]
[フェルミ国立研究所]

の設立に尽力、それら設立後の主導者になったということがそれら科学者自身にまつわるたかだかウィキペディア解説項目程度のところにも見受けられる[史実]として世に知れ渡っているとのことがある。

 そして、そうして建立を見た加速器実験機関らについては[その力(影響力)の源泉]がマンハッタン計画にあるとの申しようが当の実験機関当事者 ―フェルミ国立研究所二代目所長― によって「も」言及されたりしている。
 ここではその典拠として(マンハッタン計画にグループ・リーダーとして参画していたとの科学者であるとつい最前の引用部でも言及されている)ロバート・ウィルソンが設立に尽力なした加速器研究機関フェルミ国立研究所の二代目所長となったレオン・レーダーマン( Leon Lederman )という男、1988年にノーベル物理学賞を受賞している同男が著した、
THE GOD PARTICLE(邦題)『神がつくった素粒子(下)』(邦訳版版元は草思社)
よりの引用を下になしておくこととする。

(直下、 THE GOD PARTICLE(邦題)『神がつくった素粒子(下)』にあっての48ページより再度の原文引用をなすところとして)

 第二次世界大戦の前と後では、科学研究は決定的に変化した(こんな物議をかもすような発言をしていいのかな?)アトムの探究においても新しい局面を迎えることになった。そのいくつかを見ていこう。第二次大戦は科学技術の飛躍的発展をもたらした。その多くはアメリカから起こった。ヨーロッパのように、すぐそばで爆弾が炸裂して轟音にじゃまされることはなかった。戦時下におけるレーダー、エレクトロニクス、核爆弾(正しい名で呼ぶなら)の開発は、科学と工業技術が協力すればいかなることが可能になるかをよく示している――ただし、予算の制限を受けないかぎり。・・・(中略)・・・以来、米政府は科学の基礎研究を支援することになった。基礎研究および応用研究にたいする援助額はうなぎのぼりに増加し、一九三〇年代の初めにE・O・ローレンスが苦労して手にした助成金の一〇〇〇ドルなど、笑い草になってしまった。この金額は、一九九〇年の連邦予算の基礎研究助成金――総額約一二〇億ドル!――にくらべると、インフレ率を顧慮しても、影が薄い

(引用部はここまでとしておく)

(直下、 THE GOD PARTICLE(邦題)『神がつくった素粒子(下)』にあっての50ページより再度の原文引用をなすところとして)

 卓上の研究から発展して、周囲数マイルの加速器を使用する研究にいたる過程を監督していたのは、アメリカ政府だ。第二次大戦時の爆弾計画がもとになって、原子力委員会(AEC)が生まれた。これは核兵器の研究、生産、貯蔵を監督する文民機関である。また、原子物理学、その後身である素粒子物理学の分野での基礎研究に予算を配分し、監督する役目も国家から委託されている

(引用部はここまでとする―※― )

(※尚、米国の[原子力委員会]は先にイシドール・ラビのブルックヘブン国立研究所設立を巡る経緯の通史的解説の紹介部で先述したように[加速器実験機関設立の認可・決定機関]ともなっていた ――Wikipediaにて a contract was signed with the Atomic Energy Commission (AEC), which had replaced the Manhattan Project, that established the Brookhaven National Laboratory.と表記されているような機構となっている―― )

 その点、上の THE GOD PARTICLE(邦題)『神がつくった素粒子(下)』よりの引用部に見るようにマンハッタン計画に淵源を持つと明示されている、
原子力委員会] (民生化されての原発産業とは異なる観点での原子力利用、核兵器の管理・監督と粒子加速器実験実施機関らの管理・監督を行ってきた米国国営機関)
転じての
アメリカ合衆国エネルギー省](DOE
が後に米国にて提訴された[LHC実験差し止め訴訟]にあっての被告の一たる国家機関、レオン・レーダーマンというここにて引用なしている著作をものした男が二代目所長を勤めていた[フェルミ国立研究所]と並んでの[LHC実験差し止め訴訟]の被告の一たる国家機関となっているとのことが(下にて出典呈示するとのこととして)現実にある。そのようになっているのはマンハッタン計画後に設立されたそれら政府機関が[窓口]として加速器実験に多額のマネーを誘導、また、加速器実験を監督してきたとの経緯がある ―上にてレーダーマン著作より引用なしているような経緯がある― からである (:政府機関より資金を流されている加速器マフィアと核兵器マフィアは「史的には」[大元でひとつであった]とも述べられ、それは【ナチスに対するカウンターアクション】(マンハッタン計画)に端を発して集合した科学者らのその後のなるべくしてのありようとなりもしているとのかたちとなっている ―特段、陰謀史観がかったことを述べているわけではなく、よく識られた史的事実の問題を断面として切り取って呈示しているにすぎない― ) 。

 次いで、以下、ここでの(再度もってしての)指摘事項にあっての半面をなすところである、

[(フェルミ国立研究所、ブルックヘブン国立研究所、CERNの設立につながっているとのことは、詰まるところ、)マンハッタン計画とはブラックホール生成問題で批判の矢面に立った研究機関の設立をもたらした計画「でも」あるとのことになる]

との点についての出典を挙げておく。

[マンハッタン計画とはブラックホール生成問題で批判の矢面に立った研究機関の設立をもたらした計画でもあることについて]

 まずもってして表記のことについて

[(マンハッタン計画参画人脈に設立されている)ブルックヘブン加速器研究所がブラックホール生成問題に関して矢面に立たされた研究機関であることについての出典]

を紹介しておく。

(直下、本稿の前半部出典(Source)紹介の部1にてもそこよりの引用をなしたとの Case of the deadly strangeletsと題されたオンライン上流通文書 ―物理学系専門誌の特定記事の転写物/検索エンジン上での表記のタイトル入力で現行、特定・ダウンロード可能な文書― にての19と脇に振られての頁よりの「再度の」原文引用をなすとして)

The trouble began a few months earlier, when Scientific American ran an article about RHIC (March 1999 pp65-70). Its title, "A little big bang", referred to the machine's ambition to study forms of matter that existed in the very early universe. Walter Wagner, the founder of a botanical garden in Hawaii, wrote a letter in response to that article. Citing Stephen Hawking's hypothesis that miniature black holes would have existed moments after the big bang, Wagner asked whether scientists knew "for certain" that RHIC would not create a black hole.
Scientific American printed Wagner's letter in its July issue, along with a response from Frank Wilczek of the Institute for Advanced Study in Princeton. Physicists hesitate to use the word "impossible", usually reserving it for things that violate relativity or quantum mechanics, and Wilczek called RHIC's ability to create black holes and other such Doomsday ideas "incredible scenarios".
Amazingly, however, he then went on to mention another Doomsday scenario that was more likely than black holes. It involved the possibility that RHIC would create a "strangelet" that could swallow ordinary matter. But not to worry, Wilczek concluded, this scenario was "not plausible".
It was the July 1999 issue of Scientific American containing the Wagner-Wilczek exchange that then inspired the Sunday Times article in mid-July. This was followed by much more press coverage, and the filing of a lawsuit, by Wagner himself, to stop the machine from operating.
Shortly before the July issue of Scientific American was published, Brookhaven's director John Marburger learned of the letters, and appointed a committee of eminent physicists (including Wilczek) to evaluate the possibility that RHIC could cause a Doomsday scenario. After the Sunday Times article appeared, CERN's director-general Luciano Maiani - fearing a similar reaction to the Large Hadron Collider that was then in the planning stages - did likewise.

(上の引用部に対する拙訳として)
「問題はサイエンティフィック・アメリカン誌が加速器RHICについての記事(1999年3月号65-70ページ)を掲載した時より数か月前に遡る。 『小さなビッグバン』とタイトルが付されていた同記事は[極めて早期の宇宙にて存在していた物質の組成を研究する装置の野心的側面に言及していた]とのものだった。ハワイの菜園の創立者となっていたウォルター・ワグナーがその記事に対してのものとしての手紙を書いてよこしてきた。[ビッグバン直後、ミニブラックホールが存在していた]とのスティーブン・ホーキングの仮説を引用しながら、ワグナーは「科学者らは加速器RHIC(訳注:『小さなビッグバン』と題されての記事にて取り上げられていた加速器)はブラックホールを生成することがないとはきと分かっているのか」と訊ねてきた。
 サイエンティフィック・アメリカンは7月発行版にプリンストン高等研究所のフランク・ウィルチェックよりの応答を脇に添えてワグナーよりの投書を載せた。物理学者というものは通例、相対性理論や量子力学の法則を侵すものに言及するとき、「不可能である」との言葉を使うのに躊躇するきらいがあり、ウィルチェックはRHICによるブラックホール生成能力、および、その他に[黙示録のその日]に通ずる観念につき[信じられるものではない]と表した。
  だがしかしながら、驚くべきことに、彼(ウィルチェック)はブラックホールよりさらにありえやすくもある黙示録のその日の現出的状況(ドゥームズ・デイ・シナリオ)に言及することまでなした。それはRHICが通常の物質を呑みこみうるストレンジレットを生成する可能性を指し示して見せた、とのものであった。しかし、「心配することなかれ」とし、ウィルチェックは「このシナリオはplausibleではない」(「ありえることではない」あるいは「もっともらしくは見えない」)と結論付けた。
 後の7月中旬のサンデー・タイムズ紙の記事に影響を与えたのは1999年7月のサイエンティフィック・アメリカン誌のワグナー・ウィルチェック書簡を含む版である。これがより多くの紙誌における取扱い、そして、稼働中のマシーンを止めるためのワグナー彼自身のものにもよる訴訟の提訴によって後追いされることになった。
 サイエンティフィック・アメリカン誌の6月発行より少し前、ブルックヘブン国立研究所の所長ジョン・マクバーガーは書簡をめぐる状況を知り、RHICが[黙示録のその日の現出的状況]を引き起こしうるかの可能性について見極めさせるためのウィルチェックを含む令名馳せていた物理学者らによる委員会を設立していた。サンデー・タイムズの記事が世に出た時には計画推進段階にあったラージ・ハドロン・コライダーにつき同じくもの反応が出てくることを危惧したCERNの所長ルチアーノ・マイアニも同様のことをなした」

(訳を付しての引用部はここまでとする ―※― )

(※上にては1999年当初、ブルックヘブン国立加速器研究所(マンハッタン計画関係者が設立した研究機関と上にて指し示しなした研究機関)が運営する加速器RHICがブラックホール生成問題につき最初に取り上げられることになった研究機関であることが明示されている.尚、[1999年当初の余剰次元理論の機微について触れているわけでもないようであるとの(市民運動家ウォルター・ワグナーが旗振りしての)ブラックホール生成可能性の問題化]⇒[ブラックホール生成可能性それ自体に対する実験機関および科学者らの完全否定]⇒[理論的地殻変動を受けての一転しての「安全な」ブラックホール生成の肯定]の流れについては本稿にての出典(Source)紹介の部1から出典(Source)紹介の部2を参照いただきたい)

 上文書の引用でもってしてブルックヘブン国立研究所 ―つい先立っての段でマンハッタン計画参画者のイシドール・ラビが設立したとのことを指摘しもしていた研究機関― がブラックホール生成問題につき、一番最初に矢面に立たされることになった研究機関であることの紹介をなしたとして、次いで、

[(マンハッタン計画より生まれ落ちた存在であること、先立って示しもしてきた)アメリカ合衆国エネルギー省、フェルミ国立加速器研究所、CERNらマンハッタン計画の子供らがブラックホール生成問題のリスクを問われるかたちでそうなるべくして合衆国法廷に引きづり出されている]

とのことの出典を挙げておく。

(直下、誰でもオンライン上より即時即座に確認可能なところとして英文Wikipedia[ Safety of high-energy particle collision experiments ]項目の Legal challengesと題されての部に見る現行の記述よりの抜粋をなすとして)

On 21 March 2008, a complaint requesting an injunction to halt the LHC's startup was filed by Walter L. Wagner and Luis Sancho against CERN and its American collaborators, the US Department of Energy, the National Science Foundation and the Fermi National Accelerator Laboratory,

(訳として)
「2008年3月21日をもってしてLHC実験の開始を停止する差止めを求めての申し立てCERN]およびアメリカのその協働機関たる[アメリカ合衆国エネルギー省]、[アメリカ国立科学財団]、[フェルミ研究所]らに対してウォルター・ワグナー、ルイス・サンチョらによって提訴された」

(訳を付しての引用部はここまでとする ―※― )

(※上にては加速器実験機関関係者がブラックホール生成可能性につきなんら言及していなかったとの時点で[ブルックヘブン国立研究所]のブラックホール生成可能性につき疑義発しだしたとの人物、ウォルター・ワグナーが後に[CERN(マンハッタン計画関係者イシドール・ラビが設立にての旗振り役を果たしたと先に指し示した研究機関)][フェルミ研究所(マンハッタン計画関係者ロバート・ウィルソンが設立したと先に指し示した研究機関)][アメリカ合衆国エネルギー省(元・原子力委員会としてマンハッタン計画関係者が大元となっている合衆国省庁)]らをLHC実験の差し止めを求めて訴えたことが記されている ―ブラックホール生成実験に資金援助しているか、そこに直接的にコミットしているとの組織の行為の差し止めを求めるとのかたちにて、である― 。 尚、ワグナーらが関わった訴訟案件 ― Sancho v. U.S. Department of Energy ( CIVIL NO. 08-00136 HG KSC )とのケース名の訴訟― についてはその解説のために本稿の先の段で多少の筆を割いている(出典(Source)紹介の部17から出典(Source)紹介の部17-4を包摂する段)。同訴訟案件についてより微に入っての検討をなしたいとの向きらで英文の訴訟資料を読み解くぐらいの見識を有しているか、あるいは、見識欠如を補うだけの意欲を有しているとの向きらはオンライン上より(筆者も当然に検証しているとの) Sancho v. U.S. Department of Energy ( CIVIL NO. 08-00136 HG KSC )との入力で当該訴訟案件のPDF化文書を特定・ダウンロード可能となっているので、そちら検討されてみるのもよかろうか、と思う)

 以上でもって

[マンハッタン計画とは同計画関係科学者をして[ブラックホール生成問題で矢面に立たされることになった研究機関らの主要なるもの(フェルミ国立研究所/ブルックヘブン国立研究所/CERN]らを設立させしめることになった計画ともなっている]

とのことの「再度の」典拠紹介としておく(;再言するが、ドゥームズデイ・クロックの産みの親もまたマンハッタン計画関連人脈となっているとのことが「ある」ことが果たして偶然で済むのかとの関係性が見てとれることにこそ問題があるとのことを申し述べもしてきた中での脇に逸れての再度の典拠紹介の部を終える)。

 ここまできたところでここ本段を包摂する一連の部(意味的な側面に着目しての分析をなすことを中心に据えての部)にあっての直近までの内容を再度、くどくも振り返っておこう。

 まずもってここでの表記を包摂する一連の部にあっては、(奇怪なれど事実であるとのことを強くも指し示すとの式で)、

「ドゥームズデイ・クロックはその時刻下限のポイントが時針にて「9」「11」を指すものとなっている」

「[911を指す時計時針]と[先の911の事件に関連する事物]を(2001年の事件が発生する「その前に」)併せて描いていた作品らが存在する」

とのことらを指摘した。

 そのうえで次いで、

1.[911の事件の発生の予見的言及を「あまりにも露骨な式で」なしているとしか述べようがないとの作品ら]が現実に存在している(につき「あまりにも露骨な式で、」の具体例として先には物理学者キップ・ソーン著作 BLACK HOLES & TIME WARP Einstein's Outrageous Legacy『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』(1994年初出)および映画作品 Fight Club『ファイト・クラブ』(1999)の両作につき再言及しもした)

2.上の1.にて例示した[911の事件の発生の予見的言及を「あまりにも」露骨な式でなしているとしか述べようがないとの作品ら]の例たる作品らを含めて911の予見文物には【黄金の林檎】との結節点が見てとれるとのことがある。

3.[911の事件が起こったニューヨーク自体が【黄金の林檎】に仮託されている]とのことがある。

とのことらを指摘した。

 そこからさらにもってしてここ一連の表記部では、つい先立って振り返りもして指摘したように、

・【黄金の林檎】が【エデンの誘惑の果実】と多重的に結びつくようになっているとの事情がある。

・ドゥームズデイとは[エデンにての原罪]を負った人類が[最後の審判]によって救済を確たるものとする ―エデンの蛇に比定されるサタン(ないしルシファー)の会衆が永劫の破滅を見ることになるのに対し義人(キリスト教ドグマから引き直して見ての義人)が失楽園の状態から脱し復楽園を見る― との宗教的設定にての[そのとき]を指している。

とのことらを複合顧慮しもし、もって、

「どういうわけかその予見事物が多々具現化しており、それらの一部にあって【黄金の林檎】との結びつきもがみとめられもする【911の事件】とは人間に[黙示録的筋立て] (時針で「9」「11」を指す部を始点としているドゥームズデイ・クロックが宗教用語ドゥームズデイを用いてそれを体現しているとの筋立てにして人間が(【黄金の林檎】と接合しもするようになっている)【エデンの禁断の果実】を食したことにはじまる原罪の最終的解決をもたらすとの筋立て)にまつわる何らかの意思表示をなすための事件であったと判じられもする」

とのこと ―(それ単体で述べれば、愚かなりし人間の妄言と区別つきようがないものだが、【長い前提となることらにまつわる摘示】をあわせてなすことで決して[飛躍を含んだまったくもって練れていない話]にも[終末論者の無責任なざれげん・たわごと]にもならないといった按配のこと)― を申し述べた。

 そのうえでさらにもってi.からiv.と振ってのことらとして次のことらを呈示した。

(以下、よりもって要約しての再摘示をなすとして)

i.新約聖書の黙示録がそれにまつわるものとなっているドゥームズ・デイとは
[[年を経た蛇]にして[七つの頭を持つ赤い龍]たるサタンが偽りの奴隷たる諸国の民、大海の真砂(まさご)の如くも多いとの形容がなされての諸国の民(ゴグ・マゴグとも呼称される)を率いて神の勢力に戦いを挑み、必定としての敗北を見、永劫の地獄行きを強いられる]
との内容を有しているものである。
 また、その際、描かれてきたサタンの似姿とはヘラクレスが12功業 ―(うち第11功業はそれが911の事件の予見事象とも結びつくようになっているとの【黄金の林檎】の取得が描かれるとの計12の功業)― の中で対峙した【多頭の蛇】の眷属らと相似形を呈するものともなっている(たとえば、16世紀にての書誌学の大家として知られるコンラート・ゲスナーの動物学関連辞典には【ヘラクレスが誅伐したと伝わる多頭のヒドラ】が【黙示録の冠をかぶる多頭の蛇たるサタン】の如き姿で紹介されているといったことがあることを先立って例示している)

ii.上のi.にて述べもしているようにヘラクレスが戦ってきた多頭の蛇の眷族の似姿は黙示録のサタンの似姿と通底するところがあるものだが、話は変わってダンテ『地獄篇』にあってのサタン(ルシファー)ありようもが問題になる(だけのことがある)。ダンテ『地獄篇』にあっては地獄最下層、重力の中心地にて三面構造のルシファー(サタン)が登場してくる。そして、そうもしたルシファー(サタン)を描くダンテ『地獄篇』は[地獄最下層のルシファーに至るまでの道程]がヘラクレスの十二功業と重なるようになっており、かつ、その絡みで三面構造のサタン(ルシファー)自身と三面構造のケルベロスの接合性もが見てとれるようになってもいる (従って直上i.にて指摘した【ヘラクレス12功業の多頭の蛇の眷族と多頭のサタンの接合性】がよりもって濃厚に観念される)。

iii.新約聖書の末尾の『黙示録』にて神の軍勢と最終決戦を繰り広げる(そして、それに次いで審判が確定するドゥームズデイをもたらす)との設定が付されているサタンなる存在についてはルシファーとの名前でダンテ『神曲;地獄篇』およびミルトン『失楽園(『神曲;地獄篇』も『失楽園』も双方共々、欧州文化の根底にある基準古典、いわゆる Western canonとなっていることについて本稿の先だっての段で解説してきたとの「超」がつく程に著名な文物ら)にて
[「現代的な観点で見ての」ブラックホールの質的近似物 ―重力の中枢にして光が閉じ込められた領域、そして、時間と空間が意味をなさなくなり、外側の観測者から見て粉々になっている被収容者が停止性を呈しているとの領域― の描写
と結びつけられて描かれていもする存在ともなっている。

iv.911の事件の発生の予見的言及が(奇怪なことながら)なされていること]にも関わる【黄金の林檎】 ―【エデンの園の禁断の果実】とも同一視されもするゴールデン・アップル― を巡る寓意は

最近になって取り沙汰されだした【ブラックホール生成問題 ―(物理学界筋にて[科学の進歩に資する挙]となりうると手放しに歓迎されてきた風がある(いかにもってしてブラックホール生成が(響きに反し)肯定的に見られてきたのかは Present at the Creation The Story of CERN and the Large Hadron Collider(邦題)『宇宙創造の一瞬をつくる CERNと究極の加速器の挑戦』からの引用や出典(Source)紹介の部2にての実験関係者文書よりの引用、出典(Source)紹介の部81にての米国科学界関係筋の公的ウェブサイトよりの引用部などを参照のこと)と先述なしてきたところの【ブラックホール生成問題】である)― ]

と接合してもいる(:LHCにおけるATLASATLANTISを巡る話として本稿にて何度となく解説を講じてきたところとなる)
 そして、(これまた既に具体的かつ客観的で、なおかつ、容易に後追い出来るとの論拠にのみ基づいて指し示しなしてきたところとして)ブラックホール生成】をなしうるとされるに至った加速器実験実施実験機関および実験関連人脈は【マンハッタン計画】より生み出されたものである。 
 その【マンハッタン計画】の完遂に甚大な貢献をなしたのが

(「9」「11」との時針と結びつき、またもってして、【黄金の林檎】と多重的に接合するようになっている【エデンの禁断の果実】による原罪(オリジナル・シン)に最終的解決をなすべくもの概念であるドゥームズデイと結びつく)ドゥームズデイ・クロックを世に出したシカゴ大の原子力物理学者グループ
である

 これにてドゥームズデイ・クロックを例に恣意性の問題が何なのかの「ひとつの訴求」をなしえたか、と思う。

 再度、繰り返す。

 恣意性 (あるいは「彼ら」にその認識があるのか、歴年養殖してきた家禽としての豚は殺して当然でないのかとの観点「しかない」ともとれるのだが、罪の問題を観念すれば、罪を成り立たしめる【加害意思・故意】(一部刑事犯についてその有無が問題になるラテン語で言うところの Mens rea)) はその[実在]が示せる、そう、

「どういうわけかその予見事物が多々具現化しており、それらの一部にあって【黄金の林檎】との結びつきもがみとめられもする【911の事件】とは人間に[黙示録的筋立て] (時針で「9」「11」を指す部を始点としているドゥームズデイ・クロックが宗教用語ドゥームズデイを用いてそれを体現しているとの筋立てにして人間が(【黄金の林檎】と接合しもするようになっている)【エデンの禁断の果実】を食したことにはじまる原罪の最終的解決をもたらすとの筋立て)にまつわる何らかの意思表示をなすための事件であったと判じられもする」

とのことに関わるところとしてその[実在]が示せもしようとのものである。
 そして、そうもした恣意性の実在の問題は【ミーム】(思考・情報の体系)として同じくものことの指摘の体系が説得力を保ったまま幅広くも流布され、多くの人間が覚悟をもってそれに処さなければ、応変、それを克服せねば、我々の児孫(人類の種)が早晩刈り取られることにもなろう ―脳機序の部分的拘束も幅広く実施されている節がある状況より解放されじのままでの忌まわしい家畜としての絶滅を見ることにもなろう― との性質のものであると知れているとの筋目のものでもある。

 ここまでにて問題となる恣意性の実在性について【意味に着目しての分析をなすとの観点】から呈示すべきことは十二分に呈示したとも考えるのだが、さらに意味上の繋がり合いに着目しつつ同じくものことを指さしもする方向性についてよりもって煮詰めるべくもの指摘、いわばものだめ押しめかしての指摘をなすこととする。

 さて、ドゥームズデイ・クロックとは
[11時]

[12時(0時は見方を変えれば深夜12時となる)]
の切り替わりをもって人類の破滅を示すものとして設定付けられているものだが、ヘラクレス功業「も」第11の功業にて【黄金の林檎】を取得して後、「12」番目の功業で終わるものとなる。につき、ヘラクレスはその第12の功業にて三面のケルベロスを捕縛することになる。そして、ダンテ『地獄篇』にあってはその[ケルベロス]に悪魔の王ルシファーが重なるようなかたちでの描写がなされている、「執拗に」との按配でなされている (ダンテ『地獄篇』では本稿補説3の部で原文引用なしながらも解説しているように浅い階層でもケルベロスが登場しているのだが ―[大いなる蟲(グレート・ワーム)]との形態にて、である― 、といったことを顧慮したうえでも【地獄最終地点のルシファー】と【ケルベロス】が多重的に重なるべくもして重なるようになされているとのことがある。同じくものことについては本稿にての出典(Source)紹介の部90から出典(Source)紹介の部90(10)]を包摂する解説部、そちらにての文献的事実にひたすらに依拠しての記述を参照されたい) 。 

 その点、(同じくもの側面については先立っての出典紹介部にての説明を参照いただきたいところとしての)【[ケルベロス]との接続性を呈するルシファー】についてだが、同ルシファー(サタン)が[ドゥームズデイ(審判の日)]に先駆けて赤い龍として登場してくる聖書の黙示録は「異常異様に」[7]との数値と結びついている文書となっているとのことがある。
 サタン本体が【「七つの頭」を持つ赤い龍】として描写されることもそうだが、以下出典紹介部にて引用なすような記述が聖書の黙示録には含まれている。


| 出典(Source)紹介の部113(2) |

 ここ出典(Source)紹介の部113(2)にあっては

[聖書にあっての黙示録という文書は「異常異様に」[7]との数値と結びついている文書となっている]

とのことの典拠を聖書そのものの引用によって示すこととする。

(直下、オンライン上にてPDF版が無償配布されている日本聖書協会一九五四年版『新約聖書』の末尾に収録されている[ヨハネの黙示録]第一章第四節から第五節よりの端的なる引用をなすとして)

 ヨハネからアジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから、また、その御座(みざ)の前にある七つの霊から、また、また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。

(引用部はここまでとする ―上にては七つの教会][七つの霊との語句が見てとれる― )

(直下、オンライン上にてPDF版が無償配布されている日本聖書協会一九五四年版『新約聖書』の末尾に収録されている[ヨハネの黙示録]第一章第十一節から第十二節よりの端的なる引用をなすとして)

 あなたが見ていることを書きものにして、それをエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤにある七つの教会に送りなさい」。そこでわたしは、わたくしに呼びかけたその声を見ようとしてふりむいた。ふりむくと、七つの金の燭台が目についた。

(引用部はここまでとする ―上にては七つの教会][七つの金の燭台との語句が見てとれる― )

(直下、オンライン上にてPDF版が無償配布されている日本聖書協会一九五四年版『新約聖書』の末尾に収録されている[ヨハネの黙示録]第一章第十六節よりの端的なる引用をなすとして)

 その右手に七つの星を持ち、口からは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており、顔は、強く照り輝く太陽のようであった

(引用部はここまでとする ―上にては[七つの星]との語句が見てとれる― )

(直下、オンライン上にてPDF版が無償配布されている日本聖書協会一九五四年版『新約聖書』の末尾に収録されている[ヨハネの黙示録]第一章第十九節よりの端的なる引用をなすとして)

 あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星七つの教会の御使(みつかい)であり、七つの燭台七つの教会である

(引用部はここまでとする ―上にては七つの金の燭台][七つの星][七つの教会へのまとめての言及が見てとれる― )

(直下、オンライン上にてPDF版が無償配布されている日本聖書協会一九五四年版『新約聖書』の末尾に収録されている[ヨハネの黙示録]第三章第一節よりの端的なる引用をなすとして)

 神の七つの霊七つの星とを持つかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。

(引用部はここまでとする ―上にては七つの霊][七つの星との語句が見てとれる― )

(直下、オンライン上にてPDF版が無償配布されている日本聖書協会一九五四年版『新約聖書』の末尾に収録されている[ヨハネの黙示録]第四章第五節よりの端的なる引用をなすとして)

 また、七つのともし火とが、御座の前で燃えていた。これらは、神の七つの霊である。

(引用部はここまでとする ―上にては七つのともし火][神の七つの霊との語句が見てとれる― )

(直下、オンライン上にてPDF版が無償配布されている日本聖書協会一九五四年版『新約聖書』の末尾に収録されている[ヨハネの黙示録]第五章第一節よりの端的なる引用をなすとして)

 わたしはまた、御座(みざ)にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。

(引用部はここまでとする ―上にては七つの封印との語句が見てとれる― )

(直下、オンライン上にてPDF版が無償配布されている日本聖書協会一九五四年版『新約聖書』の末尾に収録されている[ヨハネの黙示録]第五章第六節よりの端的なる引用をなすとして)

 わたしはまた、御座(みざ)と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたと見える子羊が立っているのを見た。それに七つの角七つの目とがあった。これらの目は、全世界につかわされた、神の七つの霊である。

(引用部はここまでとする ―上にては神の七つの霊の体現存在たる七つの角と七つの目を持った子羊への言及が見てとれる― )

(直下、オンライン上にてPDF版が無償配布されている日本聖書協会一九五四年版『新約聖書』の末尾に収録されている[ヨハネの黙示録]第一〇章第四節から第五節よりの端的なる引用をなすとして)

 子羊が第七の封印を解いた時、半時間ばかり天に静けさがあった。それからわたしは、神のみまえに立っている七人の御使(みつかい)を見た。そして、七つのラッパが彼らに与えられた。

(引用部はここまでとする ―上にては七人の御使(すなわち天使)][七つのラッパとの語句が見てとれるわけだが、黙示録ではそれら天使の七つのラッパが吹かれる毎に地と人間に災厄がばらまかれるとの描写がなされている― )

(直下、オンライン上にてPDF版が無償配布されている日本聖書協会一九五四年版『新約聖書』の末尾に収録されている[ヨハネの黙示録]第八章第一節から第二節よりの端的なる引用をなすとして)

 彼が叫ぶと、七つの雷がおのおのその声を発した。七つの雷が声を発した時、わたしはそれを書きとめようとした。すると天から声があって、「七つの雷の語ったことを封印せよ。それを書きとめるな」と言うのを聞いた。

(引用部はここまでとする ―上にては七つの雷との語句が見てとれる― )

(直下、オンライン上にてPDF版が無償配布されている日本聖書協会一九五四年版『新約聖書』の末尾に収録されている[ヨハネの黙示録]第一二章第三節よりの端的なる引用をなすとして)

 また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた

(引用部はここまでとする ―上にては(サタンであるとの)七つの頭と一〇の角を持ち、七つの冠を被る赤い龍]への言及がなされている― )

(直下、オンライン上にてPDF版が無償配布されている日本聖書協会一九五四年版『新約聖書』の末尾に収録されている[ヨハネの黙示録]第十三章第一節よりの端的なる引用をなすとして)

 わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。

(引用部はここまでとする ―上にては七つの頭を持ち、角に一〇の冠を被る黙示録の獣]への言及がなされている― )

(直下、オンライン上にてPDF版が無償配布されている日本聖書協会一九五四年版『新約聖書』の末尾に収録されている[ヨハネの黙示録]第十五章第一節よりの端的なる引用をなすとして)

 またわたしは、天に大いなる驚くべきほかのしるしを見た。七人の御使が、最後の七つの災害を携えていた。これらの災害で神の激しい怒りがその頂点に達するのである。

(引用部はここまでとする ―上にては[七人の御使(すなわち天使)][七つの災害]への言及がなされている― )

(直下、オンライン上にてPDF版が無償配布されている日本聖書協会一九五四年版『新約聖書』の末尾に収録されている[ヨハネの黙示録]第十六章第一節よりの端的なる引用をなすとして)

 それから、大きな声が聖所から出て、七人の御使(みつかいにむかい、「さあ行って、神の激しい怒りの七つの鉢(はちを、地に傾けよ」と言うのを聞いた。

(引用部はここまでとする ―上にては七人の御使(すなわち天使)][七つの鉢への言及がなされている― )

(直下、オンライン上にてPDF版が無償配布されている日本聖書協会一九五四年版『新約聖書』の末尾に収録されている[ヨハネの黙示録]第十七章第八節から第九節よりの端的なる引用をなすとして)

 あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びるに至るものである。地に住む者のうち、世の初めからいのちの書に名をしるされていない者たちは、この獣が、昔はいたが今はおらず、やがて来るのを見て、驚きあやしむであろう。ここに、知恵のある心が必要である。七つの頭は、この女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである。

(引用部はここまでとする ―上にては七つの頭を持つ獣][七人の王][七つの山への言及がなされている― )

 以上、引用なしたところに見るように『黙示録』には

[七つの教会][七つの金の燭台][七つの星][神の七つの霊][災厄をもたらす七つの封印][裁きの実行者としての七人の使い][七つのラッパ][七つの災害][七つの雷][七つの金の鉢][七つの頭をもつ獣][七つの頭を持つ赤い竜(サタンたる赤い竜)][七つの山(聖書『黙示録』ではバビロン大淫婦の座っているとされる寓意物として七つの山が登場する)][七人の王]

が登場してくるとのことがある。

出典(Source)紹介の部113(2)はここまでとする)


([いわばもの[一般教養]を出でぬところながらもの指摘として]:
 尚、以上紹介なしてきたように[ナンバー7にまつわる執拗なるこだわり]が見てとれる聖書『黙示録』ではあるが、同『黙示録』の英文呼称はブック・オブ・レベレーション、Revelationとなる. そこに見るRevelationとの名詞の意だが、―日本では高等学校レベルで把握強いられるような英単語語彙にまつわるところの話として― [暴露]との意味合いの語であり(動詞reveal「暴露する、明かす」の辞書表記ありようを顧慮すれば自明かとは思う)、 聖書黙示録が[暴露の書]とされているところのそもそもの淵源はギリシャ語のアポカリプス、これまた黙示録を指す名詞でもあるそちらApocalypseからして[暴露する;粛々と、だが、つまびらやかに秘されたものを明かす]との意味合いとなっていることに求められもしている(:和文ウィキペディア[ヨハネの黙示録]項目にあって「現行、」(以下引用なすとして)タイトルの「黙示」とはギリシャ語の「アポカリュプス(古代ギリシア語: 'Aπōκάλυψις)」の訳であり、原義は「覆いを取る」ことから転じて「隠されていたものが明らかにされる」という意味であり、英語では「Revelation」。黙示録という名前は(日本では)定着しているが、本来、「黙示」は法律用語では「もくじ」と読んで、「明示」の反対語であることからも明らかな通り、訳語としては「啓示」が相応しい(引用部はここまでとする)と表記されているようなところでもある ―日本語にあっての[黙示録]との訳は本来的には正しくはない、[啓示録]が正しい訳であろうとの物言いも引用なしたウィキペディアには記載なされているが、といったことはともかくも、筆者としては[秘密暴露の書]なぞとのその本来の意味合いを重んじている― )
 同じくものこと、新約聖書の末尾に置かれた黙示録が[暴露の書]を意味する表題のものとして目立って存在しているとのことは欧米圏では[語るまでもない常識]とはなろうことか、とは見るのであるも、につき、キリスト教というものが社会の精神気風を根本規定していはしない東洋ならではの視点でもってして見て、岡目八目、むしろその意味合いが[ある種の露骨さ]をもって感じられるようなところとしてそうもなっていると本稿筆者はとらえている.ちなみに、[秘密開示の書]などとのタイトル付けの趣意については幻視者ヨハネ、英語ではアポカリプス・オブ・ジョンなどと表記される黙示録の作者と伝わる同聖ヨハネが将来ありうべくことを[神の予定の問題]として示した(とキリスト教の信者らが信じたがっている)からだとの言い分が講じられているところともなる)

[一般常識の話から多少離れて申し述べもするところ、だが、オンライン上より関係性を易々と確認出来もするところの話として]

 宗教の徒 (そして、その宗教の徒より宗教的観点を接ぎ木されての公共心とも道義心とも無縁なる無責任なる陰謀論の徒ら) が[反キリストへの妄信者の勢力][サタンの薬籠中の勢力]にまつわる陰謀論的言説を長らくも広めてきたとの背景がある(今でも反キリストとの語句を検索エンジンに入れればそれなりの者らの媒体が目に入ってくるであろう)。
 どうしてそういうことになっているのかと言えば、宗教の徒らが非常に好むとの『ヨハネの黙示録』では[終末の刻](黙示録20章の文言を忠実に解釈すれば[本当の終末に1000年遡ってという設定の刻]だが、両者は混同される)に[サタンたる赤い龍]、[サタンの会衆に崇められる獣]、[偽預言者たる反キリスト]がアライアンスを組んでその支持者共々、[破滅に至る戦争]を義人たるキリスト教信仰者よりなる勢力に仕掛けるとの設定が採用されているとのことがある、それをもってして終末の世には[反キリスト][サタンの薬籠中の勢力たるゴグ・マゴグ]が付きものであるという思潮があるからである。
 今まで[反キリスト]や[サタンが召集した海岸の砂のように多きゴグ・マゴグと呼称される勢力]の候補としては
[正しき信仰から逸脱した(と新教勢力が見る)ローマ法王およびカトリック教会]
[フリーメーソンリー]
[(無神論とときに結びつく)共産主義勢力]
[ロシアや日本(あるいは黄禍論における東洋人種)]

がその折々の社会状況に応じて名指しで挙げられてきたとのことがある(nonsenseであることを承知のうえでその内容を引用すれば、例えば、冷戦下ロシアが終末の折のサタン(ルシフェロ)の走狗、ゴグ・マゴグとしての役割を果たすと認識されていたとのことについては英文Wikipedeia[ Gog and Magog ]項目にあっての Historical identificationsの節にて During the Cold War the idea (first advanced by Wilhelm Gesenius in the mid-1800s) that Russia itself had the role of Gog gained popularity (since Ezekiel's words describing him as "prince of Meshek"- rosh meshek in Hebrew - sounded suspiciously like Russia and Moscow). This interpretation has been taken up by several Christian authors and preachers since then (such as Hal Lindsey's The Late Great Planet Earth; Grant R. Jeffrey's Armageddon: Appointment with Destiny; M. R. De Haan's The Signs of the Times; Tim LaHaye's Are We Living in the End Times?).といった風に表記されているようなところとなる)。
 ここで振り返りもするが、神の正しき信徒にして義人たるキリスト教勢力と悪しき勢力の最終戦争を描くとの黙示録は[数値の7で溢れかえっている文書]である(直上、引用なしたばかりである)。そして、[【赤い龍】にして【七つの面】を有したサタン]が立ち現れてくるとの文書でもある(これまたつい先立って指摘したことである)。
 以上、振り返ったうえで書くが、この日本にあっても中世期、[「7ばかりの」文書にして【七つの面】と結びつく【赤い龍】が登場する]との文書が産み落とされている。黙示録の文言が細かくも文化伝播にて流入していたとは考えがたい折柄ながらもそういう文書が有名どころとして産み落とされている。そして、その日本にあっての中世期文書が聖書の【黙示録に由来するハルマゲドン ―反キリストの勢力と義人たるキリスト教勢力の前者の滅尽に通じている世界最終決戦― 】の視点と接合するだけの歴史的流れが第二次世界大戦期にあって」「ある種、(マンハッタン計画によって完成した)原爆の投下にまつわる先覚的言及を含むかたちで具現化していたとのことがある(同じくものことを取り上げる人間がどういうわけか[いない]のだが、そういう流れが【文献的事実】にまつわる一致性の問題としてこの世界にて具現化してきたとのことがある)。
 にまつわっては

1.日本中世期にあっての【7ばかりの文書にして七つの面と結びつく赤い龍が登場する文書】とは何か

2.上文書が何故もってして【黙示録に見るハルマゲドンが如しの歴史上の流れ】と結びつくのか

とのことに分けて誰でも易々と確認できるところよりの典拠を挙げておく。

 まずもってして

1.日本中世期にあっての【7ばかりの文書にして七つの面と結びつく赤い龍が登場する文書】とは何か

とのことについてだが、問題となる中世期文書は

日蓮宗の信仰ありようについて解説した古文書たる『身延鏡』

との(以下、問題セクションを含む箇所の引用をなす)文書となる。

 どうしてそれが[七ばかりの文書であり、七つの面を持つ赤い龍による堕地獄を伴っての最終戦争にまつわる相応の表記を含む]との新約聖書最終章黙示録と結びつくのかについて ―人間存在(劣等種と愚弄され続けながらも家畜として育てられた種族と解されるようになっている人間存在)が終局的にどういう風に[処理]される方針なのかとのその方向性が[微細なところ]からも推し量れるようになっているとのそのことを【愚昧】や【臆病】の弊にとらわれずに直視したいとの向きにあっては― 以下、引用部を確認されたい。

(直下、「現行にての」和文ウィキペディア[七面天女]項目の記載内容 ―これより編集者の介在によって内容が陳腐化や削除消除を見る可能性もあるが、本稿本段執筆時での記載内容― よりの引用をなすとして)

(七面大明神は)七面天女とも呼ばれ日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神。七面天女は当初、日蓮宗総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰され、日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになった
・・・(中略)・・・
日蓮は、身延に隠棲し、現在の思親閣がある身延山山頂に登り、亡き父母の墓のある房総の方を拝しては両親を偲んでいた。
・・・(中略)・・・
建治3年(1277年)9月、身延山山頂から下山の道すがら、現在の妙石坊の高座石と呼ばれる大きな石に座り信者方に説法をしていた。その時、一人の妙齢の美しい女性が熱心に聴聞していた。「このあたりでは見かけない方であるが、一体だれであろうか」と、南部公をはじめ一緒に供をしていた人達はいぶかしく思った。日蓮は、一同が不審に思っている気持ちに気付いた。読経や法話を拝聴するためにその若い娘が度々現れていたことを知っていた。その若い女性に向かって、「皆が不思議に思っています。あなたの本当の姿を皆に見せてあげなさい」と言った。すると、女性は笑みを湛え「お水を少し賜りとう存じます」と答えると、日蓮は傍らにあった水差しの水を一滴、その婦人に落とした。すると今まで美しい姿をしていた婦人は、たちまち緋色の鮮やかな紅龍の姿に変じて仰った
私は七面山に住む七面大明神です。身延山の裏鬼門をおさえて、身延一帯を守っております。末法の時代に、法華経を修め広める方々を末代まで守護し、その苦しみを除き心の安らぎと満足を与えます」と
・・・(中略)・・・
身延鏡」に残された伝承
山を七面といふは、此の山に八方に門あり、鬼門を閉じて聞信戒定進捨懺(もんじんかいじょうしんしゃざん)に表示し、七面を開き、七難を払ひ、七福を授け給ふ七不思議の神の住ませ給ふゆへに七面と名付け侍るとなり
。此の神、末法護法の神となり給ふ由来は、建治年中の頃なりとかや、聖人読経の庵室に廿(20)ばかりの化高き女の、柳色の衣に紅梅のはかま着し、御前近く居り、渇仰の体を大旦那波木井実長郎党共見及び、心に不審をなしければ、聖人はかねてそのいろを知り給ひ、かの女にたづね給ふは、御身はその山中にては見なれぬ人なり。何方(いづかた)より日々詣で給うとありければ、女性申しけるは我は七面山の池にすみ侍るものなり。聖人のお経ありがたく三つの苦しみをのがれ侍り、結縁したまへと申しければ、輪円具足(りんねんぐそく)の大曼荼羅を授け給ふ。
名をば何と問い給へば厳島女(いつくしまにょ)と申しける。聖人聞し召し、さては安芸国厳島の神女にてましますと仰せあれば、女の云く、我は厳島弁才天なり。霊山にて約束なり、末法護法の神なるべきとあれば、聖人のたまはく、垂迹の姿現はし給へと、阿伽の花瓶を出し給へば、水に影を移せば、壱丈あまりの 赤竜となり、花瓶をまといひしかば、実長も郎党も疑ひの念をはらしぬ

(以上、元よりこの身、本稿筆者の主観など問題にならぬ宗教的人間らが奉ずる宗教体系にまつわってのウィキペディア[七面天女]項目の引用部とした)

 直上引用部表記にみとめられるように、

「日本にては七との数値に対する多重的言及をなしているとの身延鏡との文書が存在しており」「その中には中世期に由来する日蓮衆の七面大明神信仰に対する由来が表記され」「それは詰まるところ七つの面と結びつく赤い龍に対する七だらけの文書 ―[七面を開き、七難を払ひ、七福を授け給ふ七不思議の神の住ませ給ふゆへに七面と名付け侍るとなり]などとの表記がなされている文書― の中での言及ともなっている」

とのことが[記録的事実]の問題として「ある」わけである(何度も何度も同じくものこと本稿内で述べているように[記録的事実]をそこに存在しないとするのは質的に狂った者らだけであろう)。

 ここまででもってして

1.日本中世期にあっての【7ばかりの文書にして七つの面と結びつく赤い龍が登場する文書】とは何か

とのことを指摘したわけだが、次いで、

2.上文書が何故もってして【黙示録に見るハルマゲドンが如しの歴史上の流れ】と結びつくのか

とのことを指摘しよう (批判的に検証頂きたいところだが、それは第二次世界大戦期にあって」「ある種、(マンハッタン計画によって完成した)原爆の投下にまつわる先覚的言及を含むかたちで具現化していたとのことにまつわっての指摘ともなる) 。

 その点、高等学校で[文系]なる途を進路選択し、[日本史]という科目を受験科目選択したような筋目の向きらならば当然にその暗記が意中の大学に入学するうえで必須となるとのレベルの歴史的著名人、日中戦争・二次大戦期の著名人たる人物として石原完爾という人物がかつていた。 同・石原完爾は独断専行をなして満州事変を引き起こした[関東軍]の主導者として知られ、いわば、[日中戦争の仕掛人]として知られる人物だが、石原完爾の戦争推進を支えたイデオロギーは世界最終戦論というよく知られたものとなっており、その世界最終戦論の内容は

日蓮に対する信仰が天皇崇拝と融合した東洋の王道がそれに対抗する覇道としての西洋アメリカの勢力といずれ最終決戦を演じる ―ただ一回の使用で何万人を瞬時に殺せる[決戦兵器]を用いての最終決戦を演じる― 。 その最終戦争は日蓮の予言にも合致するものであり、その完遂をもってして、世界から戦争根絶の抑止力が及んでの絶対平和の状況が訪れる

とのものになっているとのことが「ある」 (一応、断っておくが、そのようなこと、戦中期からして刊行物を通じて知られもしていた石原完爾のイデオロギーの細かき中身までは[良き社会の部品を造る(との名目の)教育課程]で把握を求められるようなことでは(当然に)ない.また、石原完爾やおなじくも関東軍首脳として独断専行、日中戦争の端緒たる事変の種を撒いていた板垣征四郎なぞが(絞首刑で吊されて死んだA級戦犯、東條英機らと同文に)拡大主義的日蓮宗組織である国柱会(戦後、創価学会に最大限活用されるようになった[在家主義][国立戒壇]とのイデオロギーを「発明」した戦前戦中期に教勢を誇った宗教右翼)の支持者であったとのことも普通人一般が知るようなことではおよそない ―ある一定程度以上の知識人、歴史通以外知らぬことである― )。

 さて、七ばかりの文書たる『黙示録』における七つの面の赤い龍(サタン)と結びつく側面を有しているのが日蓮宗本山の守護神である七面大明神(赤い龍)についての記述を含む『身延鏡』となる ―先にその解説をなしている古文書・身延鏡にも見てとれるように日蓮宗とは七面大明神という赤い龍に変じた存在を本山で崇拝してきた宗教であり、排他的かつ攻撃的な新興宗教(例としては「利害関係とてない」はずなのに何が憎くてならぬのか筆者の前にもさんざんとその成員が石を置かんとしてきた(たとえば脅迫がかった電話がかかってきたりしもしている)創価学会が挙げられる)の母体となってきた宗教でもある― のではあるも、といったことがある一方でのこととして、他面、西欧の世界観ではイエロー・ペリル、黄禍論で東洋から台頭した勢力が反キリスト(七つの面を持つ赤い龍のサイドの偽の預言者)としての役割を演じるとの観点がありもする。 

 そうもしたことらと
[間尺が合うにも程がある]
との式で石原完爾(これより引用して示すが多くの命をあたら奪った大陸侵攻の拡大の根を撒いた人物でもある)という男は
[日蓮の大戦争にまつわる予言(とされるもの ―新約聖書黙示録もまた最終戦争にまつわっての予言文書である― )]
なるものに基づいて
[日蓮に対する信仰が天皇崇拝と融合した東洋の王道がそれに対抗する覇道としての西洋アメリカの勢力といずれ最終決戦を演じる ―ただ一回の使用で何万人を瞬時に殺せる[決戦兵器]を用いての最終戦争を演じる― .その最終戦争は日蓮の予言にも合致するものであり、もってして、世界から戦争根絶の抑止力が及んでの絶対平和の状況が訪れる]
なぞとのことを戦中期に発表されている同男の著述で主張している、そういうことが「ある」のである(従順・素直に殺されていくだけの愚劣な家畜 ―ネズミの脳にリンビック・システム、[大脳辺縁系]を刺激する電極を差し込めば飲食を忘れ死ぬまでその刺激レバーを押し続けると言われるが、そうしたかたちで快楽に満ち満ちたできあがったが如く語るに値しない「宗教的」家畜らでもいい― ならば、[最期]までそうした「ふざけた」ことの意味合いを適正に[情報処理]しないことか、とは思うが、微細なる事例この世界の同文にかぐわかしい臭いを放っているものらの中にあっての微細なる事例)としてながらもとにかくもそういうことが「ある」)。 

 敢えても不快な話をなしているわけではあるが、以下、引用部を参照されたい。

(石原完爾が泥沼化のうえで多くの人間を無駄死にさせもした日中戦争(のそもそもの端緒と通常は考えられている満州事変)の仕掛人にして主導者となっており(ただ石原完爾は日中戦争の直接の導火線になった盧溝橋事件では拡散防止に努めたなどともされ、それが戦後の同男に対する極刑執行回避との処遇の原因になったともされている)、そうもした石原完爾の持論、日中戦争のそもそもの端緒にもなったとされる満州事変引き起こし、そして、大東亜共栄圏確立を目指していったことに通ずる持論が日蓮に対する信仰が天皇崇拝と融合した東洋の王道とそれに対抗する覇道としての西洋アメリカの勢力との間にいずれ最終決戦が発生する(そしてその後に理想的な戦争から解放されての絶対平和の世界が実現する)云々との側面を帯びていた最終戦論(なるもの)であったことについての誰でも易々と確認できるところの典拠を(和文ウィキペディアなぞの記述を引くとの式で)以下、挙げることとする)


(直下、「現行にての」和文ウィキペディア[石原完爾]項目の記載内容 ―これより程度の低い編集者の介在によって内容陳腐化や削除消除を見る可能性もあるが、本稿本段執筆時現時点での記載内容― よりの引用として)

 石原莞爾
関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らとともに柳条湖事件を起し満州事変を成功させた首謀者であるが、後に東條英機との対立から予備役に追いやられ、病気のため戦犯指定を免れた。
・・・(中略)・・・
『世界最終戦論』(後に『最終戦争論』と改題)を唱え東亜連盟(日本、満州、中国の政治の独立(朝鮮は自治政府)、経済の一体化、国防の共同化の実現を目指したもの)構想を提案し、戦後の右翼思想にも影響を与える。熱心な日蓮主義者でもあり、最終戦論では戦争を正法流布の戦争と捉えていたことはあまり知られていない
最終戦争論とは、戦争自身が進化(戦争形態や武器等)してやがて絶滅する(絶対平和が到来する)という説である

(以上、現行のウィキペディア[石原完爾]項目よりの引用とした)

(続いて直下、「現行にての」和文ウィキペディア[世界最終戦論]項目の記載内容 よりの引用として)

『世界最終戦論』(せかいさいしゅうせんろん、世界最終戰論)は、大日本帝国陸軍の軍人である石原莞爾(いしわら かんじ)の代表的著書である。1940年(昭和15年)9月10日出版。『最終戦争論』(さいしゅうせんそうろん)とも呼ばれる。本書の題名は『世界最終戦論』または『最終戦争論』であり『世界最終戦争論』ではない。
・・・(中略)・・・
最終戦争では航空機や大量破壊兵器によって殲滅戦略が実施され極めて短期間のうちに戦争は終結することになる。このような最終戦争を戦う国としてはブロック化したいくつかの勢力を列挙することができる
・・・(中略)・・・
1942年(昭和17年)に立命館の初版の内容に加えて『「世界最終戦論」に関する質疑回答』、『戦争史大観』、『戦争史大観の由来期』を含めた著作として新正堂から出版された。石原はヨーロッパ戦争史の研究と日蓮宗の教義解釈からこれを構想、日米決戦を前提として満蒙の領有を計画した
・・・(中略)・・・
天皇について石原は

人類が心から現人神(あらひとがみ)の信仰に悟入したところに、王道文明は初めてその真価を発揮する。最終戦争即ち王道・覇道の決勝戦は結局、天皇を信仰するものと然らざるものの決勝戦であり、具体的には天皇が世界の天皇とならせられるか、西洋の大統領が世界の指導者となるかを決定するところの、人類歴史の中で空前絶後の大事件である ―― 石原莞爾、世界最終戦論

とし、また『戦争史大観』では

 我らの信仰に依れば、人類の思想信仰の統一は結局人類が日本国体の霊力に目醒めた時初めて達成せられる。更に端的に云えば、現人神(あらひとがみ)たる天皇の御存在が世界統一の霊力である。しかも世界人類をしてこの信仰に達せしむるには日本民族、日本国家の正しき行動なくしては空想に終る ――石原莞爾、(第三篇「戦争史大観の説明」第一章「緒論」第一節「戦争の絶滅」

と述べている

(以上、元よりこの身、本稿筆者の主観など問題にならぬ歴史的事実にまつわってのウィキペディア[石原完爾]項目よりの引用とした)

 上にては石原はヨーロッパ戦争史の研究と日蓮宗の教義解釈からこれ(世界最終戦争論)を構想、日米決戦を前提として満蒙の領有を計画したと表記されているが、よりもって煮詰めての引用を和製プロジェクト・グーテンベルクとでも言うべき青空文庫より全文公開されている ―すなわちオンライン上で検索して全文確認できる― との石原完爾の『最終戦争論・戦争史大観』それそのものよりの引用をもなしておく

(以下、青空文庫にて公開されている戦中期にあっての石原完爾著述『最終戦争論・戦争史大観』(筆者などは相応の宗教的徒輩による妄言録にしか見えぬととらえているところの書)よりの掻い摘まんでの引用をなすとして)

軍艦のように太平洋をのろのろと十日も二十日もかかっては問題になりません。それかと言って今の空軍ではとてもダメです。また仮に飛行機の発達により今、ドイツがロンドンを大空襲して空中戦で戦争の決をつけ得るとしても、恐らくドイツとロシヤの間では困難であります。ロシヤと日本の間もまた困難。更に太平洋をへだてたところの日本とアメリカが飛行機で決戦するのはまだまだ遠い先のことであります。一番遠い太平洋を挟んで空軍による決戦の行なわれる時が、人類最後の一大決勝戦の時であります。即ち無着陸で世界をぐるぐる廻れるような飛行機ができる時代であります。それから破壊の兵器も今度の欧州大戦で使っているようなものでは、まだ問題になりません。もっと徹底的な、一発あたると何万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像もされないような大威力のものができねはなりません
 飛行機は無着陸で世界をクルグル廻る。しかも破壊兵器は最も新鋭なもの、例えば今日戦争になって次の朝、夜が明けて見ると敵国の首府や主要都市は徹底的に破壊されている。その代り大阪も、東京も、北京も、上海も、廃墟になっておりましょう。すべてが吹き飛んでしまう……。それぐらいの破壊力のものであろうと思います。そうなると戦争は短期間に終る。それ精神総動員だ、総力戦だなどと騒いでいる間は最終戦争は来ない。そんななまぬるいのは持久戦争時代のことで、決戦戦争では問題にならない。この次の決戦戦争では降ると見て笠取るひまもなくやっつけてしまうのです。このような決戦兵器を創造して、この惨状にどこまでも堪え得る者が最後の優者であります。 ・・・(中略)・・・
 悠久の昔から東方道義の道統を伝持遊ばされた天皇が、間もなく東亜連盟の盟主、次いで世界の天皇と仰がれることは、われわれの堅い信仰であります。今日、特に日本人に注意して頂きたいのは、日本の国力が増進するにつれ、国民は特に謙譲の徳を守り、最大の犠牲を甘受して、東亜諸民族が心から天皇の御位置を信仰するに至ることを妨げぬよう心掛けねばならぬことであります。天皇が東亜諸民族から盟主と仰がれる日こそ、即ち東亜連盟が真に完成した日であります。しかし八紘一宇の御精神を拝すれば、天皇が東亜連盟の盟主、世界の天皇と仰がれるに至っても日本国は盟主ではありません。
 しからば最終戦争はいつ来るか。これも、まあ占いのようなもので科学的だとは申しませんが、全くの空想でもありません。再三申しました通り、西洋の歴史を見ますと、戦争術の大きな変転の時期が、同時に一般の文化史の重大な変化の時期であります。この見地に立って年数を考えますと、中世は約一千年くらい、それに続いてルネッサンスからフランス革命までは、まあ三百年乃至四百年。これも見方によって色々の説もありましょうが、大体こういう見当になります。フランス革命から第一次欧州戦争までは明確に百二十五年であります。千年、三百年、百二十五年から推して、第一次欧州戦争の初めから次の最終戦争の時期までどのくらいと考えるべきであるか。千年、三百年、百二十五年の割合から言うと今度はどのくらいの見当だろうか。多くの人に聞いて見ると大体の結論は五十年内外だろうということになったのであります。これは余り短いから、なるべく長くしたい気分になり、最初は七十年とか言いましたけれども結局、極く長く見て五十年内だろうと判断せざるを得なくなったのであります。
・・・(中略)・・・
 仏教、特に日蓮聖人の宗教が、予言の点から見て最も雄大で精密を極めたものであろうと考えます。空を見ると、たくさんの星があります。仏教から言えは、あれがみんな一つの世界であります。その中には、どれか知れませんが西方極楽浄土というよい世界があります。もっとよいのがあるかも知れません。その世界には必ず仏様が一人おられて、その世界を支配しております。その仏様には支配の年代があるのです。例えば地球では今は、お釈迦様の時代です。しかしお釈迦様は未来永劫この世界を支配するのではありません。次の後継者をちゃんと予定している。弥勒菩薩という御方が出て来るのだそうです。そうして仏様の時代を正法(しょうほう)・像法(ぞうほう)・末法(まっぽう)の三つに分けます。正法と申しますのは仏の教えが最も純粋に行なわれる時代で、像法は大体それに似通った時代です。末法というのは読んで字の通りであります。それで、お釈迦様の年代は、いろいろ異論もあるそうでございますが、多く信ぜられているのは正法千年、像法千年、末法万年、合計一万二千年であります。
・・・(中略)・・・
お母さんの胎内に受胎された日蓮聖人が、承久の乱に疑問を懐きまして仏道に入り、ご自分が法華経で予言された本化上行(ほんげじょうぎょう)菩薩であるという自覚に達し、法華経に従ってその行動を律せられ、お経に述べてある予言を全部自分の身に現わされた。そして内乱と外患があるという、ご自身の予言が日本の内乱と蒙古の襲来によって的中したのであります。それで、その予言が実現するに従って逐次、ご自分の仏教上に於ける位置を明らかにし、予言の的中が全部終った後、みずから末法に遣わされた釈尊の使者本化上行だという自覚を公表せられ、日本の大国難である弘安の役の終った翌年に亡くなられました
 そして日蓮聖人は将来に対する重大な予言をしております。日本を中心として世界に未曽有の大戦争が必ず起る。そのときに本化上行が再び世の中に出て来られ、本門の戒壇を日本国に建て、日本の国体を中心とする世界統一が実現するのだ。こういう予言をして亡くなられたのであります

・・・(中略)・・・
明治の時代までは仏教徒全部が、日蓮聖人の生まれた時代は末法の初めの五百年だと信じていました。その時代に日蓮聖人が、いまだ像法だと言ったって通用しない。末法の初めとして行動されたのは当然であります。仏教徒が信じていた年代の計算によりますと、末法の最初の五百年は大体、叡山の坊さんが乱暴し始めた頃から信長の頃までであります。信長が法華や門徒を虐殺しましたが、あの時代は坊さん連中が暴力を揮った最後ですから、大体、仏の予言が的中したわけであります
・・・(中略)・・・
折伏を現ずる場合の闘争は、世界の全面的戦争であるべきだと思います。この問題に関連して、今は仏滅後何年であるかを考えて見なけれはなりません。歴史学者の間ではむずかしい議論もあるらしいのですが、まず常識的に信じられている仏滅後二千四百三十年見当という見解をとって見ます。そうすると末法の初めは、西洋人がアメリカを発見しインドにやって来たとき、即ち東西両文明の争いが始まりかけたときです。その後、東西両文明の争いがだんだん深刻化して、正にそれが最後の世界的決勝戦になろうとしているのであります
・・・(中略)・・・
われわれが仮にヨーロッパの組とか、あるいは米州の組と決勝戦をやることになっても、断じて、かれらを憎み、かれらと利害を争うのでありません。恐るべき惨虐行為が行なわれるのですが、根本の精神は武道大会に両方の選士が出て来て一生懸命にやるのと同じことであります。人類文明の帰着点は、われわれが全能力を発揮して正しく堂々と争うことによって、神の審判を受けるのです
・・・(中略)・・・
第二部 「最終戦争論」に関する質疑回答
・・・(中略)・・・
第十四問 最終戦争の必然性を宗教的に説明されているが、科学的に説明されない限り現代人には了解できない。
答 この種の質問を度々受けるのは、私の実は甚だ意外とするところである。私は日蓮聖人の信者として、聖人の予言を確信するものであり、この信仰を全国民に伝えたい熱望をもっている。しかし「最終戦争論」が決して宗教的説明を主とするものでないことは、少しく丁寧に読まれた人々には直ちに理解されることと信ずる。この論は私の軍事科学的考察を基礎とするもので、仏の予言は政治史の大勢、科学・産業の進歩とともに、私の軍事研究を傍証するために挙げた一例に過ぎない。
・・・(中略)・・・
戦争史大観
・・・(中略)・・・
遂に私は日蓮聖人に到達して真の安心を得、大正九年、漢口に赴任する前、国柱会の信行員となったのであった。殊に日蓮聖人の「前代未聞の大闘諍(とうじょう)一閻浮提(えんぶだい)に起るべし」は私の軍事研究に不動の目標を与えたのである。

(よくもこうもした唾棄すべき非科学的な妄言妄信で溢れた文書をこさえたものだと思いつつも嫌々ながら引用なしての戦中期石原完爾著述『最終戦争論・戦争史大観』にあっての[石原はヨーロッパ戦争史の研究と日蓮宗の教義解釈からこれ(世界最終戦争論)を構想、日米決戦を前提として満蒙の領有を計画した]とのことにまつわっての部よりの引用はここまでとする ―※― )

(※尚、石原完爾が1940年時点からして核兵器・核戦争(そして、による核抑止に基づいての平和状況)を企図していたようなことを書き記していること、すなわち、
【一発で何万人も殺し、都市を一夜で灰燼に帰せしめる兵器による最終戦争(あまりにもの威力から戦争根絶による絶対平和をもたらす最終戦争)】
なるものに言及していることについてそれを「ユニークな」先覚的言及と看做す見方は妥当ではないと判じられるとのこと「も」指摘しておく。
 駐在武官として洋行なしていたとの経験もある石原完爾(陸軍幼年学校出との純粋培養の軍人とされるが、ナンバースクール出の戦前期の識者層の多くがそうであったように当然のように独逸語も手繰ったとされる男)はおそらくH.G.ウェルズの The World Set Free『解放された世界』(紙誌初出1913年、書籍刊行1914年)を読んでいたと見えもする。
 その点、H.G.ウェルズの The World Set Freeとの小説は
[【核兵器】・【核戦争】(複葉機による原子爆弾による都市の徹底破壊による最終戦争)についての先覚的言及をなしていたとの小説]
として現代にあってつとに知られているものである。そして、ウェルズの同 The World Set Free『解放された世界』は現実の核兵器開発にインスピレーションを与えたともされる小説であり、かつ、核戦争後の統一世界政府を描くとの作品ですらある(:たとえば、和文ウィキペディア[ハーバート・ジョージ・ウェルズ]項目にあっての[作品と影響]の節に「現行」記載されているところとして(引用なすとして)小説『解放された世界』は、原子核反応による強力な爆弾を用いた世界戦争と、戦後の世界政府誕生を描いた。核反応による爆弾は、原子爆弾を予見したとされる。ハンガリー出身の科学者レオ・シラードは、この小説に触発されて核連鎖反応の可能性を予期し、実際にマンハッタン計画につながるアメリカの原子爆弾開発に影響を与えた(引用部はここまでとする)とあるとおりである)
 であるから、その方向性での石原の見方には他よりアイディアを吸収拝借しての二番煎じの側面が俄然つきまとう。
 以上指摘したうえで書くが、石原完爾の言いようの伝で真に問題になるのは【核兵器・核戦争の先覚的言及】などではなく、【七つの面と結びつく赤い龍に言及した七だらけの文書(身延鏡)】にてその本尊守護神たる七面大明神ありようが伝わっている日蓮宗系の信仰に通ずる【予言】(なるもの)に基づいて最終戦争の目分量が披露されているとのことであり、そうもしたありようが【七つの面と結びつく赤い龍(サタン)に言及した七だらけの文書(聖書黙示録)】【予言】なるもの(に対する解釈動向)と平仄・間尺が合うにも程があるとの按配になっているとのことであり(戦中期のできあがった輩がいわばものゴグ・マゴグ宣言(黙示録に描写される最終戦争におけるサタンの会衆にまつわる宣言)なるものをできあがった頭で手ずからなさしめられていたとも解されることが[問題になる]とのことである)、 またもってして、ナチスと日本の枢軸勢力へのカウンター・アクションが原爆開発を成功裡に終わらせたとのことでそちら石原完爾の最終戦論なるものへの言及なしようが(結果的)反対話法として堂に入っているとのそのことであるマンハッタン計画より今日の加速器(リング)を用いての「実験」に通ずる「実験」実施機関らが生まれ落ちたとのことは本稿つい最前の段でも解説したわけだが、同じくものことに通じもする非人間的なる嗜虐的言及が見受けられるとのことも「ある」 ―たとえば、【嗜虐的二重話法で満ち満ちている作品】【異常異様なる911の先覚的言及事物にしてブラックホール関連の書籍であるとのものと地続きの関係にある作品】であるとのことを本稿先立っての段で詳述しもしていたとのカール・セーガン『コンタクト』ではナチス躍進のテレビ映像にまぶされるかたちで地上にブラックホール(ないしワームホール)を構築するうえで必要な装置の設計図が送られてきたなどとの設定が採用されている(とのことも先立って解説している)― がためにここでの話をなしていること、お含み頂きたい)


 以上ここまでの指摘 ―筆者の属人的主観など問題にならぬとの指摘― でもってしてお分かりいただけるものかと思うが、

1.日本中世期にあってからして【7ばかりの文書にして七つの面と結びつく赤い龍が登場する文書】が存在している

2.上文書が【第二次世界大戦の歴史上の流れ】と結びつくとのことがある【7ばかりの文書にして七つの面と結びつく赤い龍が登場する文書】でその信仰が規定されている宗教(日蓮宗)を狂的に信じ、日蓮の大戦争の予言なるものを思想中核に据えて戦争をなくすための戦争、一瞬で何万人を殺し都市を灰燼に帰せしめる決戦兵器を用いての最終戦争に備えるための大陸侵攻を企図したとの戦前期戦争主導者がいたとのことが「ある」)

とのことらがこの実にもって下らぬ世界 (人間存在を予定通りに動かし予定通りに殺していくとの方針があらかじめ相応の類の口を通じて ―霊媒師・巫女の類のように口寄せでも用いてでか、との式でながらも実にもって正確に― 予告されている、そして、のようなことをまじめ・真っ当に問題視するきちんとした筋目の人間がいないとの下らぬ世界) には具現化しており、そこからして「よくできている」と本稿筆者などはとらえているのである(悪い意味で実にもって「よくできている」とのことである;一大畜舎としてのこの世界にあっての極東領域の利用方針、こう言っては当然に誤解を招きうるかとも思うのだが、[望ましい全頭処理の養豚小屋の発展段階](ナチスだけでは心もとなかったマンハッタン計画およびその先 ―原爆開発、の先にあっての原子核領域破壊機序を用いての巨大加速器であると先立って詳述なしている― へと促すための闘争を通じての進歩の段階)にまでレギオン、【家畜】を誘導するうえでの極東領域の利用方針を茶化すが如しやりかたとして「堂に入っている」との意で悪い意味にて「よくできている」ととらえている)

 新約聖書にあって最終章として配置されているヨハネの黙示録。の中にキリスト教の義人を圧迫する勢力を誘惑し、彼らよからぬ勢力(とされる者達)とともに堕地獄の運命を辿ると設定付けされている、
【黙示録の獣(ザ・ビースト)】
【黙示録の獣にまたがる大淫婦バビロン(ザ・ホー・オブ・バビロン)】
【黙示録の獣に権威を与えるとされるサタンたる赤い龍】

ら三者の似姿の描画のなされようを挙げたのが上の図である。
 似通っていて紛らわしいことか、とは思うが、黙示録の獣も黙示録の赤い龍(たるサタン)も双方共々に
[七つの頭を持った存在]
として描写されており(それは先述のように数値の七で満ち満ちた黙示録との文書の特性に沿うとの特質でもある/尚、聖書をわざわざ紐解かなくとも和文ウィキペディア[赤い竜]項目などにもそうした[獣とサタンのビジュアル上の近接性(七つの頭を持った存在としてのビジュアル上の近接性)]については解説されているので疑わしきはそうしたところでの基本的解説のなされようを参照してみるのもよかろう)上掲図の上の段で挙げているのはアルブレヒト・デューラーによる15世紀著名版画『黙示録』に見る獣とサタンの似姿となる左の方の大淫婦バビロンを背に乗せているが七つの頭を持つ獣、そして、右側の方が(同じくもの黙示録に古き蛇とも記載されていながら)多頭の竜としての形態でお目見えしているサタンの似姿となる)。 上掲図下段は大淫婦バビロンを背に乗せているとの18世紀作成のロシア壁画として英文Wikipedia[ Whore of Babylon ]項目にも掲載されているものとなる。
 ここ枠で括っての脇に逸れての部では以上似姿を呈示している[黙示録の赤い龍]([大淫婦を背に乗せての獣]に権威を与えた存在と聖書に記されているサタン)が何故もってして日本の排撃性・攻撃性が異様に強いことでも知られる歴史的宗教セクトと「属人的主観など問題にならぬとの記号論的一致性でもって」結びついていると指摘できるのか、また、そうもした結びつきが何故もってして先の大戦の戦禍拡大(そしてそのことを突き詰めて行けばカウンター・アクションとしての原爆開発)に「貢献」した国内宗教的狂人の軍部大物申し分と ―異常異様にできすぎているとの式で、また、そこに人間存在を徹底的に愚弄している統制のやりようが透けて見えもするとの式で― 接合していると指摘できるようになって「しまっている」のか、そのことにまつわっての詳説をなしてきた。

(尚、筆者が[宗教の徒]の反感を呈するようなあまりにも行き過ぎたことを書いているがゆえに「およそクレバーではない」と見る向きもあるかもしれないが、筆者なりの計算の上でここでのかきようをなしているとも申し述べておく
 第一。ここでなしているのは本来的には
【誰も傷つけはしない過去の戦争主導者・右翼的思想家の先見性】
にまつわる話となり、それをして
【現代に適用される宗教的ディスリスペクト】
の問題に脳内変換する(あるいはさせられる)ような者達 ―そして結果、言論を違法に検閲するように動く、動かされる者達― には[本当の意味での思考の自由性や真っ当な精神性]など「ない」と判じられる(からそうした「心など無い」者達の心中などおもんぱかる意味など「そもそもない」)とのことがある。
 第二。第一の点より拡大して述べておきもすることとして、(同種のことは先にも書いたが)、【なにをやろうと言おうと宗教の徒などというものは筆者のような人間に石を置いてくる】(そもそもの存在意味の問題として妨害工作を仕掛けてくるとのユニットに段階的にしつらえられてきた)との判断がこの身にあるとのこともある(それは思考の不自由度合いについての観察結果だけの問題だけではなく筆者が際会してきた状況、その観察に基づいての属人的経験則に拠っての判断ともなる ―日本でもたとえば落語家などで創価学会や皇室、その他被差別・逆差別問題についての猥談・卑語を交えての凄まじい小咄を披露する向きもあるわけだが(具体的芸名は書かない)、そうもした向きは言論妨害されていないように見えもする.他面、遙かに人を傷つけないことを述べているにすぎない筆者のような人間が宗教的徒輩に眼前から消えて欲しいとの扱いを受けるのならば、その意は自明であろうか、と思う。そして、それは説得力それ自体が排斥材料になるような類には妥協の余地など「はなからない」ということでもある― )。 銃は人を撃つためにこさえられた(銃の気持ちなどはそも顧慮に値するものとして存在してはいない)との目的論に依拠しての観点が筆者にありもし(知的売春夫(婦)の問題を考えれば[苦]と[快]の問題で麻薬中毒の娼婦に節度節義を求めるようなものとも見ている)、であるから、却(かえ)って
【敵手に犬のようにかしずいて、それで安閑を気取っていても、最後は愚劣に嘲笑われながら殺されていくような者らの特質】
を正直・赤裸々に伝えるとの式を採った方がいいとの判断があるとのことである。
 以上のことらより、カルトと呼ばれるような勢力 ―ときに[折伏]などとの名詞で呼称されての思考信条押しつけとワンセットになった歴史的愚行でもってして数々の人権侵害行為(尊厳無視と社会的排斥をもたらす行為)をなしてきたとの勢力/理性的道徳律の問題を稚拙極まりない狂信の問題と置き換えてそれを恥ともしない勢力― の反感を買うようなことを招きうるようなことを書いているのは利口ではないといった見方、それは妥当ではないと筆者はとらえている(くどくも書けば、何をどう彼らのできあがった脳でとらえようと何にせよ【人間存在の未来に対する宗教的勢力の位置付け】などははなから決まっているのであり(そも、【宗教】、その定義と歴史的挙動からして考えてみる必要がある)、 「彼ら」が筆者のような人間に対してそうしたことをなさしめられるリアクションとしては(不合理違法なものながらも名分があって)妨害を朗々と明示的にやる、(名分無くして)隠れて陰湿な式で攻撃してくるどちらであろうとも変わりはない、そうもした彼らの出方を気にするなどはなから意味のないこと、であれば、そういう者達「をも」含んでの万人に足下状況についてきちんと伝える、それで宗教の徒にも【諫言】をなしたとの事実だけは作った、そういうことをなす意味はある ―少なくとも(それとて無駄かも知れないが)下らぬ頭の具合のよろしくない犬風情ではなく同輩の人間存在に対して確認するための挙はなしたとの意で意味はある― との判断(自分を綺麗に見せようとする、反面、相手を汚く見せようとする偽善的で姑息なやりようには虫酸が走るとの性質の人間だが、他面、死地でなお優しい嘘に固執し、それで他の内面をもちあげて尊重するなどの甘さは露も持ち合わせていない(何度も書くが、騙されたままのできあがった家畜などは見苦しく殺されていくだけだと考えているし、その旨、はきと言う)との人間、そうした人間として正しいと判じることを伝えようとするうえで必要かとの観点に依拠しての判断)がこの身にはあるということである)

 脇に逸れての話が長くもなった。本題に引き戻す。

 さて、翻って述べれば、先の911の事件 ―こここれに至るまでにて黙示録における審判の日、ドゥームズデイを語源・命名由来にしてのドゥームズデイ・クロックとの接続性を指摘せんとしてきたとの事件― について「も」([数値の七]だらけのヨハネの黙示録よろしく)[7]という数値との尋常一様ならざる結びつきが見てとれるとのことがある。
 同じくもの点について本稿のつい最前の段、そして、補説4の部にて述べたことを多く繰り返しての話を続いてなしておく。

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また、直下、本稿冒頭部へのリンクも設けておく

(⇒冒頭頁へは下の部より)

[典拠紹介部第1頁 加速器実験に伴う欺瞞性から証示なせることについて]

 上にて挙げているのはドイツ浪漫主義芸術の巨匠たる18世紀画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Freemasonでもあったとの画家 Caspar David Friedrich)の手になる一品、

Der Wanderer uber dem Nebelmeer雲海の上の旅人』(に多少の[動き]をアレンジとして加えたもの)

となる。

 言われようの問題として一般に、

[人間の崇高なる精神が高みを目指し、ついぞ多くの物事を達観するに至った時、その折の孤独と感慨を描いた画]

などと形容される上掲の『雲海の上の旅人』に関して(本稿でもその言行を順次・段階的に取り上げることになるとの)物理学者リサ・ランドールは[次のような申しよう]をなしている。


(直下、物理学者リサ・ランドールの手になる著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)にての CHAPTER THREE LIVING IN A MATERIAL WORLD[第三章 物質世界に生きる]の章の記述内容 ――オンライン上検索エンジンにあっての原文検索にて該当部特定できるところの記述内容―― よりの原文引用をなすとして)

Our universe is in many respects sublime. It prompts wonder but can be daunting ―even frightening― in its complexity.  Nonetheless, the components fit together in marvelous ways. Art,science, and religion all aim to channel people’s curiosity and enlighten us by pushing the frontiers of our understanding. They promise, in their different ways, to help transcend the narrow confines of individual experience and allow us to enter into―and comprehend―the realm of the sublime. (See Figure 11.)
          [ . . . ]
[ FIGURE 11 ] Caspar David Friedrich’s Wanderer Above the Sea of Fog (1818), an iconic painting of the sublime ― a recurring theme in art and music.

(上の原著引用部に対する[訳文]として国内流通訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版にあっての81ページに記載されているところを引くとして)

多くの点で、私たちの宇宙は崇高だ。その複雑さは好奇心を駆り立てはするが、無力感も抱かせるし、ことによっては恐怖さえも感じさせる。にもかかわらず、宇宙の構成要素は素晴らしくぴたりと絡みあっている。芸術、科学、宗教は、いずれも人々の好奇心を促して、理解の限界を広げさせ、それによって私たちを啓蒙することを目指している。いずれもそれぞれのやり方で、個人の経験の狭い領域を越えさせることを約束している。それがかなえられたとき、私たちは崇高なものの領域に踏み込む――そして理解する――ことができるのだ(図11を参照)。 …(中略)… [図11]ドイツの画家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ。崇高さは、美術と音楽に繰り返し登場するテーマである

(以上をもって Knocking on Heaven’s Doorにての原著表記および訳書よりの引用とした)


 さて、何故、ここ脇に逸れての部にあって「目立つように」特定絵画 ― 『雲海の上の旅人』― を挙げ、その絵画に対する物理学者の評しよう ―「雲海の上の旅人」は、崇高なものを象徴的に描いた作品だ....― などを引いたりもしたのか

「それは、」
絵画『雲海の上の旅人』に対して直上引用なしたような評しようをなしているとの物理学者リサ・ランドールが

加速器によるブラックホール生成可能性にまつわるトピックの理論深化に一廉ならぬ貢献をなしているとの著名物理学者

[[崇高なるもの]を目指しての宇宙の探求(およびそのための装置と銘打たれている巨大加速器LHC)の称揚・礼讃をなしているとの向き

であるとのことがあり、また、なおかつ、彼女リサ・ランドールの手による、(絵画『雲海の上の旅人』を科学者が目指しての[崇高さ]とを結びつけている)引用元著作 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)が

人間のありよう(崇高さとはおよそ程遠いところにあるありよう)]
人間の辿る運命

を嘲笑うような[嗜虐的寓意]で満ち満ちていると申し述べられるようになっている著作であるとのことがある、遺憾ながら
[理の当然]
として申し述べられるところとしてある ――個人のせせこましい偏頗(へんぱ)な主観などとは一線を画したところで客観的かつ具体的にこれはこうでこうだと申し述べられるようになっている(出典呈示を第一義にしての本稿では無論、その論拠を事細かに挙げる)とのところとしてある―― からであり、そのことに注意を向けたかったからである(※)。

(※上にて引用元とした著作、 Knocking on Heaven’s Door『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)、同著にあってはその冒頭部より
September 10, 2008, marked the historic first trial run of the Large Hadron Collider (LHC). Although the name―Large Hadron Collider― is literal but uninspired, the same is not true for the science we expect it to achieve, which should prove spectacular. (表記英文引用部に対する訳として)「2008年9月10日、ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)が歴史的始動を見た.[ラージ・ハドロン・コライダー]との名称は有り体に言ってインスピレーションを何ら与えぬとの平凡なものだが、私たちがそれ(LHC)に[証明すべきととらえている壮大なる挙]を託しているとの意では[科学(の進歩)]にとり同じくものことは真実とはならない(LHCは際立ってのインスピレーションを与えるものである)」
などとのことが書き記されている。
 そうもした書きようが目立ってもの冒頭部にてみとめられる著作ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアにおける表題、 [天国のドアをノックする]の由来についてリサ・ランドール女史は同じくもの著作の中で次のようなことを述べてもしている。
(以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER FOUR LOOKING FOR ANSWERSより引用なすところとして)
I first heard the phrase “knockin”on heaven’s door”when listening to the Bob Dylan song at his 1987 concert with the Grateful Dead in Oakland, California. Needless to say, the title of my book is intended differently than the song’s lyrics, which I still hear Dylan and Jerry Garcia singing in my head. The phrase differs from its biblical origin as well, though my title does toy with this interpretation. In Matthew, the Bible says, “Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you: For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened. (以上原著表記に対して訳書『宇宙の扉をノックする』(NHK出版)ハードカヴァー版[第四章]103ページにての表記を引くとして) Knocking on Heaven’s Door(天の扉を叩く)]――これが本書の原題だが、私が最初にこのフレーズを聞いたのは、一九八七年、カリフォルニア州オークランドでのグレイトフル・デッドとのコンサートで、ボブ・ディランが『天国への扉』を歌うのを聞いたときだった。いまでも私の頭の中ではディランとジェリー・ガルシアがこれを歌っているのが聞こえてくるけれど、いうまでもなく、私の本のタイトルは、この曲の歌詞とは意味が違っている。このフレーズは出典である聖書の一節とも違っているが、私のタイトルはこちらの意図を拝借したものだ。聖書の「マタイ伝」には、このように書かれている。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり
(以上、引用部とした)
 といったところ、新約聖書のマタイ伝にあっての
[求めよ。さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。門を叩け、さらば聞かれん。すべて求むる者は得、たづねる者は見いだし、門を叩く者には開かれるるなり]
とのフレーズ、それが
[天国の門]・[天国への扉]・[天国への階梯](ステアウェイ・トゥ・ヘブン)
との兼ね合いでいかように嗜虐的なる別側面での意味( Double Meaning )と共にあるのか、そのことからして具体的典拠を挙げ連ねるとの式で遺漏無くも事細かに示そうというのが本稿の本義であるとここ脇に逸れての部にあって訴求しておきたいとの意図が筆者にはある)

当サイト内にあっての【各頁および各典拠への一覧方式遷移部】、及び、【PDF形式文書配布ページ】へのリンクを直下、設けておく

各頁および各典拠への一覧方式遷移部へは以下より


問題となる[「予見的」言及→実現]の体系についての[典拠紹介部]一覧呈示頁

PDF形式文書配布ページへは以下より


典拠解説媒体としての[一括PDF文書]の公開頁

ここ本頁内の記述内容を支える【「容易に後追い確認なる」「堅い」ソースを呈示しての出典紹介部ら】のうち、枢要なるものへの[遷移経路]を下に設けておく。 典拠について疑わしいとの部があれば、必要に応じて参照されたい (:クリックすることでブラウザ ―インターネット閲覧ソフト― の[別タブ(別枠)]にて典拠紹介部を表示( open "additional" tabbed window(s) of web browsers ))

[出典(Source)紹介の部1](加速器のブラックホール生成リスク問題視の契機が1999年にあり、の折、実験機関はブラックホール生成可能性それ自体を否定していたとのことにまつわっての典拠紹介部1)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第2頁 1999年における加速器を巡る議論動向

[出典(Source)紹介の部2](加速器によるブラックホール生成が[現実的にありうること]と当事者実験機関および科学界にて表立って論じられ出したのが2001年であると判じられるようになっていることにまつわっての出典紹介部2)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第3頁 ブラックホール生成可能性にまつわる研究機関の変節の経緯

[出典(Source)紹介の部17](米国にて提訴されたLHC関連訴訟、ブラックホール生成のリスクの問題が争われたとのそちら訴訟にまつわっての出典紹介部17(以降)の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第13頁 海外にてのLHCブラックホール関連訴訟 その詳説

[出典(Source)紹介の部17-4](米国にて提訴されたLHC関連訴訟、ブラックホール生成のリスクの問題が争われたとのそちら訴訟にまつわっての出典紹介部17-4(以降)の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第14頁 海外にてのLHCブラックホール関連訴訟 その詳説[2]

[出典(Source)紹介の部55](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第46頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写

[出典(Source)紹介の部55(3)](ダンテ『地獄篇』およびミルトン『失楽園』にあって[「今日的な観点で見た場合の」ブラックホールの質的近似物]が描写されていることにまつわっての出典紹介部55(3))
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第47頁 ダンテ『地獄篇』とミルトン『失楽園』に見るブラックホールに通ずる描写[2]

[出典(Source)紹介の部81](ブラックホール人為生成可能性現実化の理論登場後にあっては[加速器実験の大義]にブラックホール生成それ自体もが組み込まれることに至ったとのことを[超統一理論]にまつわる言われようを引用しながらも解説しもしている出典紹介の部81)
の参照は直下より


典拠紹介部第86頁 小説『コンタクト』にあっての加速器実験と通ずる側面

[出典(Source)紹介の部90](ダンテ『地獄篇』がいかようにして[ヘラレクレス12功業]と接続性を呈しているのかについての出典紹介部90以降の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第99頁 ダンテ『地獄篇』に見る地獄降下、そして、ブラックホール

[出典(Source)紹介の部90(5)](ダンテ『地獄篇』がいかようにして[ヘラレクレス12功業]と接続性を呈しているのかについての出典紹介部90(5)以降の部)
の参照は直下より (クリックすることで当該の出典紹介部を別タブにて表示)


典拠紹介部第101頁 ホメロス、ヴェルギリウス、そして、ダンテ