[異様性を呈しての先覚的言及]が[高度な科学的知見を示す方式]にて具現化してきたとのことがあることについて 補説4
直前頁にあっては極めて長くもなっての絵画 Meeting of Augustus and the Sibylにみとめられる「あまりにも人を食ったような」特性について解説をなしおえた ―(その「あまりにも人を食ったような」特性の概要を詳細に示すことで人間の向かう先を先覚的に描写してきた[力学]がいわば悪意の凝集したものであり、またもってして、[力学]がこととしているのは[高度に科学的な手法]であるとのことを側面から訴求できるとの判断からの解説をなしおえた)― うえで以下再掲の図に見るような【ソ連国章とメーソン・シンボルズムの接合性】の問題を付しもしてのこととして取り上げることとした。
ここで ―直近にて取り上げたところの【ソ連国章とメーソン・シンボルズムの接合性】にまつわる話をより深めてなすとの方向に向けて― 下の図を挙げる(同図、本稿にてのそれ程、前のことではないとの按配にての先の段にて挙げていたところの図を再度挙げることとしたとのものとなる)。
上の図にまつわるところとして本稿では以下、振り返りまとめもして呈示の事柄らの解説を延々となしてきたとの事前経緯がある。
Digest
(細かき典拠は先の段に譲ったうえで指し示しの筋立ての部「だけ」 ―詰め込みすぎの風ある中ながらも― 先だっての指し示し内容を再掲するとして)
さて、委細を従前の段に譲っての直上再掲の事柄らに関わるところとして、またもってして、
[[占いの霊(使徒行伝に見るパイソン)の業]が如くものがいかにして具現化を見ているのかとのことにも関わるところとしてフリーメーソンシンボリズムがいかようにして人間社会にて具現化を見てきたか]
とのことにも関わるところとして ―最終的には先だってより問題視している【ソ連国章とフリーメーソンのシンボリズムの通底の問題】に通ずることに行き着くとの式で― 取り立てて次の[a]から[c]のことらに依拠しての訴求をなしたいと思う。
【黄金の林檎】という伝承上の果実が国内にあっての911の先覚的言及作品、数々の派生商品を生み出しもしている著名作品たる漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』にての予言描写「とも」関わり合いを見せている。
直上にての振り返っての図解部でその点に関しても極々端的に再言及しているように
[数百年前よりの錬金術象徴体系の図像化ありようと結びつけられるようになっているところの部]および[海外の著名映画作品『時計じかけのオレンジ』と結びつけられるようになっているところの部]と【黄金の林檎】との結節点
が国内流通作品『ジョジョの奇妙な冒険(スターダストクルセイダース)』の【911の予見描写】(として語られもしてきたこと)「にも」認められるようになっているとのことがある。
(うち、[数百年前よりの錬金術象徴体系の図像化ありようと結びつけられるようになっているところの部]については直上にての振り返っての図解部にあっての「第二、Bの部、その補足2]にまつわる箇所で(再三再四繰り返すが、細かくもの委細はより従前の段に譲っての式でながら)一言のみ振り返って言及しているところとなり、[海外の著名映画作品『時計じかけのオレンジ』と結びつけられるようになっているところの部]については同じくもの直上図解部にあっての[第二、Dの部]にて言及しているところとなっている
その点、長大なるものとなっている本稿では ―ここ補説4の段に入る前から― 委細呈示に一意専心、注力するとのかたちにて、
[911の予見事象は「どういうわけなのか」【黄金の林檎】のシンボルと多重的に結びついているとのことがある]
とのことの指し示しに努めてきたとのことがある(:国内漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』の予見描写にもみとめられるつながりはその一例にすぎないとして[911の予見事物と黄金の林檎の繋がり合い]についての指し示しに努めてきたとのことがある ―他例としてここまでにて挙げたのは小説作品『ジ・イルミナタス・トリロジー』、映画作品『ファイト・クラブ』、映画作品『トレーディング・プレイシズ』(邦題『大逆転』)― )。
上は本稿にての出典(Source)紹介の部37から出典(Source)紹介の部37-5で解説なしてきたところとして911の予見作品としての性質を露骨に帯びている『ジ・イルミナタス・トリロジー』(作中にてマンハッタンのビルが爆破され、また、ペンタゴンが爆破されもするとの70年代欧米圏ヒット小説)に図示までされながら、頻出を見ている【黄金の林檎とペンタゴンの象徴を並列させての図】を再掲してのものとなる。
さて、【黄金の林檎】というのは ―それこそ何度も何度もその点について指摘しているように―
[ヘラクレスの第11功業の取得目標物]
となり、また、
[最終的に木製の馬で滅ぼされたと伝わるトロイアが破滅に至る戦争へと突入する契機となったもの]
でもある(:表記のことについては本稿にての出典(Source)紹介の部39を包摂する解説部にて神話上の典拠・概要につき洋書を引き合いに解説している.さらに述べれば、本稿では【黄金の林檎】がフォゥビドゥン・フルーツ、【エデンの園の誘惑の果実】と同一視されるだけの論拠が山積していることをも「文献的事実および記号論的事実に依拠しての証拠を積み重ねるとの式で」詳述してもいる ―詳しくは出典(Source)紹介の部48から出典(Source)紹介の部51を包摂しての部位などを参照されたい― )。
そうもした【黄金の林檎】というものが
[古のアトランティス]
「とも」接合するものとなっているとのことを指し示せるし、本稿ではその指し示し「にも」また先の段で努めてきた。
いかなことか、と述べれば、
「黄金の林檎の所在地として語られるヘスペリデスの園 ―ヘラクレスが計12に及ぶその功業にての第11番目の功業にてその在り処を探し求めていたとの伝説の果樹園― というものが(往古、海中に没したと伝わっている)[アトランティス]と同じくもの地とされてきたとのことがある」
のである(端的にいわれようの典拠について言及すれば、下述の1.および2.のようなところが挙げられる)。
(⇒1.[黄金の林檎が実るヘスペリデスの園の管理者たる[巨人アトラスの娘ら]は単数形でアトランティスと別称される存在にして、また、複数形でアトランティデスと総称される存在ともなり、彼女ら黄金の林檎の管理者らであるヘスペリデスら ―アトラスの娘ら― のそうもした属性が(大洋に没したと伝わる古の陸塊である)【アトランティス】に名称の面で接合している]
2.[アトランティスはプラトン著作『ティマイオス』が伝えるところでは大西洋の果てにかつてあったとされる巨大な陸塊となるが、アトランティデス[アトラスの娘ら]と表されるヘスペリデスらの黄金の林檎の園の神話上のありようも[大海の果てにある西方浄土]といったものであるがため、位置的な意味でヘスペリデスの園とアトランティスには接合性が観念される]
といった理由から【黄金の林檎の園】と【アトランティス】は接合していると述べられるところとなっているし、一部にてそういう言いようがなされてきたとの歴史的経緯がある ―出典表記:出典(Source)紹介の部40から出典(Source)紹介の部43を包摂する部位を参照されたい― 。 さらにそうもしたことに輪をかけてのこととして[黄金の林檎が原因で滅びた古のトロイア]と[アトランティス]の近接性のことなどをも本稿では問題視している)
(下図は本稿にての前半部にて挙げていた図の再掲となる)
先行するところの[a].及び[b].では、(本稿従前内容に依拠してのこととして)、
[(911の予告事象に関わる)黄金の林檎] ⇒ [アトランティス]
との関係性(長大なる本稿で延々と指し示しに注力してきたところの関係性)についての注意喚起をなした。
そうも注意喚起なしたことを前提に置いたうえで話を続けるが、本稿にての先の段では次のことら「をも」指摘していた。
・フランシス・ベーコン、[フリーメーソン的紐帯の理念上の父]ともされている著名な歴史上の人物 ―フランシス・ベーコンの名は日本の受験生の暗記事項でもある― である同ベーコンはアメリカを【大アトランティス】(グレート・アトランティス)としたうえで「それとは別の」【ニュー・アトランティス】で欧州の人間がそれに範を見出すべくもの理想的文明が構築されているとの筋立ての『ニュー・アトランティス』という著作をものしている(ベーコンがいかなる人物か、また、同ベーコンの『ニュー・アトランティス』がいかなる著作なのかについては ― Project Gutenbergより全文ダウンロードできるとの New Atlantisそれそのものおよび国内で岩波文庫より出されている邦訳版『ニュー・アトランティス』よりの原文抜粋をなしながら― 本稿にての出典(Source)紹介の部52および出典(Source)紹介の部105にて細かくもの紹介をなしている)。
・上のベーコン著述『ニュー・アトランティス』にあっては[文明の孵卵器ふらんき]とでもいうべき[ソロモンの家]こと[サロモンの家]という組織が登場してくる(出典:出典(Source)紹介の部52および出典(Source)紹介の部105を参照のこと。ソロモンの家の文明孵卵器としての成果には『よくも17世紀初頭の人間がこのようなことを考えたものだ』と思われるようなところとして、(出典(Source)紹介の部105にて Project Gutenbergにて公開されている New Atlantisの原文を引きながら呈示したように)、【あらゆる光学的手段で距離の問題を超克し幻影をもたらす光学的やりようとしての光の操作を自儘(じまま)にできるとの技術】【あらゆる音響学的手段で網羅的なる音声を再生し、補聴器具を実現することも出来、音声を遠距離に送ることが可能であるとの技術】【あらゆる動力研究の成果として鳥の運動を模倣してある程度の飛翔が可能であり、水中進行も可能、海難事故を克服しての大きな舟も用意できるとの技術】についての言及までもがなされている)。
・ベーコン著述『ニュー・アトランティス』にあっては
(先にも取り上げたものとして)
[並び立つ2本の柱の間に球形オブジェを配するとの口絵]
が登場を見ているとのことがある(出典(Source)紹介の部105にてより図像紹介)。
下にても再掲なすことにしたところのものである同・口絵については
(視覚的なるつながりを感じさせもするところの)
[ツインタワーの間に球形オブジェたるスフィアが置かれての構図]
との接合性を ―脳がきちんと働いているのならば、だが― 【黄金の林檎】との兼ね合いで「複合的に」想起できるところとなっている。
およそ次のような理由からである。
第一。
上にても先述のこととして
[【黄金の林檎】が[911の事件を事前言及をなしているとの作品]らと関わっている]
とのことがあるわけだが、うち、甚だしくもの事例にあってのこととして、
[ワールド・トレード・センターにて複数のビルの連続倒壊が ―グラウンド・ゼロとの言葉が冒頭より目立つように用いられているとの式で― 実現することに寸刻描写でもってして多重的に言及しているとの「1999年初出の」映画作品『ファイト・クラブ』]
にあって
[現実世界にあってかつてツインタワーに敷設されていた球形オブジェたるザ・スフィアが[ルネサンス期の【黄金の林檎】のひとつの描写ありように通ずる形態として目立って登場している]
などとのことがありもする (:ちなみにワールド・トレード・センター敷設のスフィアを黄金の林檎に照応するとの相応のかたちで登場させていたとの映画『ファイト・クラブ』の原作小説、チャック・パラニュークという作家に由来するものとして1996年に世に出た原作小説では[191]階建ての建物、入れ替えなせば、911ともなる数値の階数の超高層ビルが爆破対象となると描写されている(いいだろうか.ワールド・トレード・センターでの複合ビル倒壊が爆破によって実現されることに寸刻描写にて言及している映画作品の原作小説からしてそうなのである)。 さらに述べれば、チャック・パラニューク、『ファイト・クラブ』原作小説作者たる同人物は[「双子の」兄弟の葛藤と[飛行機のハイジャック]と[狂的カルト]の問題]を扱っているとの小説を1999年、映画『ファイト・クラブ』が封切られたのと同年に刊行しているとのこともがある ―出典:出典(Source)紹介の部102(8)― )。
上は同様のものを本稿にて何度も挙げてきたところの図となり、映画『ファイト・クラブ』に登場するワールド・トレード・センターのツインタワーに敷設されていたオブジェ(映画の中で爆破されるとのオブジェ)が黄金の林檎の一部描画形態と接合することを「再度」訴求するために挙げたものとなる
(フランシス・ベーコン著述『ニュー・アトランティス』の扉絵構図がワールド・トレード・センター敷設の著名オブジェ(ザ・スフィア)を通じて【黄金の林檎】と相通ずるようになっているとのことの理由として)
第二。従前の内容を繰り返すが、【黄金の林檎】とは[ヘラクレスの11功業にあっての目標物]にして[アトランティスと結びつくもの]でもある([【黄金の林檎】の園]としての[ヘスペリデスの園]が海洋に没したと伝わる古のアトランティスと同一視されることがあるからである)。そのことから(アトランティスと結びつく)【黄金の林檎】と(アトランティスを表題に冠する)ベーコンの『ニュー・アトランティス』との結びつきが観念されるとのことがある(そうもしたことと(直近再述したところの)[『ニューアトランティス』扉絵に見る二柱の間に球形のオブジェを配するとの構図]と[ツインタワーの間に球形オブジェ(著名なるザ・スフィア)を配していたかつてのワールド・トレード・センターのありよう](およびそうもしたワールド・トレード・センターにて9月11日に起こった悲劇のことを【黄金の林檎】のシンボルと通ずるところで先覚的言及なしていたとのやりよう)を複合顧慮することで問題となる多重的関係性の片鱗が見えるようになっている)。
(フランシス・ベーコン著述『ニュー・アトランティス』の扉絵構図がワールド・トレード・センター敷設の著名オブジェ(ザ・スフィア)を通じて【黄金の林檎】と相通ずるようになっているとのことの理由として)
第三。上の第一、第二の点に加えて、『ファイト・クラブ』以外の911の予見をなしているとの文物らが[黄金の林檎]のみならず[アトランティス崩壊]といった寓意と結びつけられてのものとなっていること「も」がある(作品タイトルに The Golden Appleとの副題が付されもしている『ジ・イルミナタス・トリロジー』、黄金の林檎とペンタゴンのシンボルを並列させてのシンボルが何度も登場を見るとの同作ではニューヨークとペンタゴンの双方が爆破の標的にされていたりとナイン・ワン・ワンの事前言及作品としての側面が露骨にみとめられるわけだが、そうした『ジ・イルミナタス・トリロジー』でも(本稿にての出典(Source)紹介の部38-2を包摂する部位にて原文引用なしながら説明なしていたこととして)[アトランティス滅亡]が作中の重要要素となっている)。
従って、「より色濃く」も
[アトランティスの名をタイトルに冠する『ニュー・アトランティス』にあって認められる[並び立つ2本の柱の間に球形オブジェを配するとの口絵]に関しては[ありし日のツインタワーの間に球形オブジェたるスフィアが置かれていたこと]との接合性が【黄金の林檎】との兼ね合いで想起される]
とのことになる。
([a].から[c].と振っての部はここまでとする)
以上、(予言といった力学の具現化が認められる国内漫画作品についてより話しはじめ、そこから【黄金の林檎】のことを抽出するとの式で書き綴ってきたとの)[a].から[c].のことらを念頭にしたうえで述べるが(そしてそれは残酷な話ともなるのだが)、上の関係性は
[ニュー・アトランティスに見るサロモンの家が如き文明孵卵器(インキュベーター)を用いての人類の歴史には相応のゴールを用意している]
との予告とも通じているところのものとなると「当然に」解されるだけのことが「ある」(かつもって同じくものことが先だってより取り上げている【ソ連国章とメーソン・シンボルズムとの間の接合性】にも相通じるようになっていると解されるだけのことが「ある」)。
そのことを示すべくも呈示したいのが以下のことら、I.からII.のことらである。
(まさに直近a.からc.に先立つところとして国内の漫画作品たる『ジョジョの奇妙な冒険』についての話をなしはじめたことに関わることなのだが)
著名なサブ・カルチャー作品、『ジョジョの奇妙な冒険(スターダストクルセイダース)』という作品にての予言的描写(世間的にも一部で予言的描写として語られていることを先述なしたところの描写)は
[ソロモン神殿の前に立つそれら柱をモチーフにしてのフリーメーソン・シンボリズム]
と[際立っての類似性]を呈しているとのものとなっており、本稿ではその絡みで下のような図を挙げていたとのことがある。
先にそうしたものからして問題になるとのことで取り上げていた『ジョジョの奇妙な冒険(スターダストクルセイダース)』(額面上・券面上は青少年向けの荒唐無稽「がかった」伝奇物としてのサブカルチャー作品)にあっての
【[太陽][一つ目][月]を並べたものとしての911の予言的描写】
と露骨なる視覚的接合性を呈するものとしての図の再掲。
図の左側は【[太陽][一つ目][月]を一直線に並べての(入団者が[吊された男]の役回りをまずもって与えられるところの位階たる)フリーメーソン徒弟位階のトレーシング・ボード】となり(前面にはウィズダム、ストレングス、ビューティ、知恵・剛毅・美のフリーメーソンの美徳の柱らが鎮座する)、図の右側は【ヤキンとボアズの柱を図の中に含むフリーメーソン象徴画】として『賢者の羅針盤』(1779)という書物より抜粋なしたものとなる ―英文ウィキペディアをはじめオンライン上でもよく引き合いに出されているとの『賢者の羅針盤』に見る図にあってのJとBと刻まれた柱らがフリーメーソン象徴主義におけるヤキンとボアズの柱となっていることについては先の段にて国内学究(吉村正和名古屋大学教授)の著作『フリーメーソンと錬金術 西洋象徴哲学の系譜』(人文書院)にあって掲載されているところの申しようを引きもしていた。すなわち、(同著『フリーメーソンと錬金術 西洋象徴哲学の系譜』p.112より原文引用するところとして)1779年にベルリンにおいて匿名で出版された錬金術的薔薇十字文書『賢者の羅針盤』の図版:上部に太陽と月が描かれた2本の柱には、JとBの文字が刻まれている。それぞれの文字はヤキンとボアズ(ソロモン神殿の前に立てられた2本の柱)というフリーメイソンの象徴を指しており、この図版では薔薇十字錬金術思想とフリーメーソンの象徴が融合している
(引用部はここまでとする)との言を引きもしていた― 。
さて、上にて掲載したような構図に関わるソロモン神殿前面の柱、なかんずく、そのうち、ヤキンとボアズの柱(と呼ばれるもの)は
[ヘラクレスの柱 ―地中海(ヨーロッパ世界)と大西洋を分かつジブラルタル海峡の比喩的象徴物でもあると往古より見られてきた(出典(Source)紹介の部36)とのヘラクレスの柱― ]
と一部フリーメーソンの観点で同義同文のものと見なされるものとなっているとのことがある。
(直下、本稿にて何度となく引いてきたところの19世紀有力フリーメーソン、アルバート・パイクの手になる著作、 Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonry『古代より連綿と続く認証されしフリーメーソンのスコットランド位階の徳義と教義』にあっての XXV.KNIGHT OF THE BRAZEN SERPENTの部よりの再度の引用をなすとして)
The Solstices, Cancer and Capricorn, the two Gates of Heaven, are the two pillars of Hercules, beyond which he, the Sun, never journeyed: and they still appear in our Lodges, as the two great columns, Jachin and Boaz, and also as the two parallel lines that bound the circle, with a point in the centre, emblem of the Sun, between the two tropics of Cancer and Capricorn.
(補ってもの訳として)
「[夏至・冬至の至点]、そして、[巨蟹宮(きょかいきゅう)および磨羯宮(まかつきゅう)](訳注:黄道12宮の構成要素)、そして、[天にあってのゲートとなるところ]は[ヘラクレスの柱ら]でもあり、それらを越えては太陽たる彼が決して旅しなかったとの地点を指しもし、我々(訳注:ここでは『モラルズ・アンド・ドグマ』執筆者たるアルバート・パイクらメーソンを指す)にあってのロッジにて二つの偉大なる柱、[ヤキンとボアズ]として具現化を見てもおり、それらは換言すれば、
[巨蟹宮(きょかいきゅう)と磨羯宮(まかつきゅう)の二つの回帰線(夏至線・冬至線)の合間の中央に太陽の象徴たる環を置いたうえで境界をなす二つの対称性呈してのラインら]
となっている」
(訳を付しての引用部はここまでとする ―※― )
(※ちなみに上にての引用元著作 Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonryの著者アルバート・パイクがメーソンらにとりどれだけの重みを持った存在であるとされているか、その点についての世間一般での言及のされようも本稿にての補説3及び(本段を包摂する)補説4の部で紹介をなしている ―※英文の方のウィキペディアの記述を訳しながらも解説なしていたところとして「彼(アルバート・パイク)は1840年に(メーソン系組織たる)オッド・フェローのインデペンデント・オーダーに参加、それからその間、メーソンのロッジに加わり、組織関連の動きにて非常に活動的に関わるようになり、1859年には米国南部管轄のスコティッシュ位階にての最高指令官(ソブリン・グランド・コマンダー)の位に選出されることになった.彼は自身の持てる時間の過半を同組織の儀式体系の発展に費やしながら、その後の余生(計にして32年間)にあって最高指令官の地位に留まり続けた.よく知られたところとして、彼(アルバート・パイク)は1871年に Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonry『古代より連綿と続く認証されしフリーメーソンのスコットランド位階の徳義と教義』と呼ばれる書物を刊行、それについては以降いくつもの版が存在するとのことになっている.アメリカにてパイクは今日もってまだ(殊にスコットランド位階にての南部管轄だけにあって)卓抜し、また、影響力を有しているメーソンと見られている」との申しようが世間一般にてなされているとのこと、紹介している― 。そのようにメーソンにとっての重要人物であったとされるアルバート・パイクがものした上記引用元著作 Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonry『古代より連綿と続く認証されしフリーメーソンのスコットランド位階の徳義と教義』の方もまたメーソンらにとり甚大なる影響力を与えた著作として語られるところのものであり、については、例えば、その解説のためだけに設けられている英文Wikipedia[ Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of
Freemasonry ]項目にて(以下、再引用するところとして) A copy of Morals and Dogma was given to every new member of the Southern Jurisdiction from the early
1900s until 1969 ( although some local Scottish Rite bodies offered copies through the mid-1970s
), when it was deemed "too advanced to be helpful to the new Scottish
Rite member."
「アルバート・パイクの『モラルズ・アンド・ドグマ』の複製は ―それがスコテッシュ位階の新規メンバーにとって「あまりにも(高度なという意味で)進んだ内容であるために助けにならないであろう」と判断されるまで― フリーメーソンの南部管轄の「全」新規メンバーに1900年代から1969年まで配布されていた(いくつかの地方のスコティッシュ位階運用組織では1970年代半ばまで同著コピーを配布していた)」(引用部はここまでとする)との表記が、(媒体性質よりこれより有為転変を見るかもしれないが、「少なくとも現行にては、」のこととして)、認められるとのこと「も」紹介していた)
上にて引用なしている代表的フリーメーソン著作にあっての書かれように見るように[ヤキンとボアズの柱 ―ソロモン神殿に前に立つ、フリーメーソンらにとって重要な象徴― ]が[ヘラクレスの柱]と同義同文に見られてきたということは、である。ベーコン由来の『ニュー・アトランティス』に見る理想郷[ニュー・アトランティス]と[ソロモン神殿]の関係性を「より一層、」想起させるところ「とも」なる。
フランシス・ベーコン著作『ニュー・アトランティス』に見る大西洋の先にある[ニュー・アトランティス]は、(再述するように)、
[サロモン(ソロモン)の家]
という文明促進機構にて発展を見た桃源郷でもあるわけだが、[大西洋(地中海に対するジブラルタル海峡の向こう側)の先にある]、すなわち、[ヘラクレスの柱(地中海と大西洋を分かつジブラルタル海峡寓意物であるヘラクレスの柱)の先にある]との[ソロモンの家]に支えられての領域であるの伝でニュー・アトランティスが
[ヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)の先にある理想郷] ⇔ [ヤキンとボアズの柱を面前に設けてのソロモン神殿の名を冠するソロモン家によって運営される理想的共同体(たるニュー・アトランティス)]
との関係性でもってより濃厚にソロモン神殿と結びつくということになるというわけである。
本稿本段を執筆している時分より遡って4年近くも前より試験的に(無為ながらも)公開しはじめていたとの手前の訴求用サイトにても解説していることではあるが、[フリーメーソンにとり重要視されるソロモン神殿の前に立つヤキンとボアズの柱]は[ヘラクレスの柱]と歴史的な図像描画形態にても類似性を呈していた、すなわち、視覚的に似たものとして描かれてきた、とのこともがある。
同じくもの点にまつわって少なからずの人間が当然に気付いているであろうし、一部の人間が不十分ながら指摘しもしていることと通ずるのが上の図となる。
さて、上掲図にて挙げているのは
(それぞれ左から)
(左側)【ゲラルドゥス・メルカトル(とその息子、ルモルド・メルカトル)によって製作された地図帖『(1595年版)アトラス』図葉】
(中央)【フランシス・ベーコン著作(プレ・メーソン、前メーソン的紐帯の大立者として語られていることについても先だって言及してきたフランシス・ベーコンの著作)として1620年に刊行された Novum Organum『ノヴム・オルガヌム-新機関』(より正確にはノヴム・オルガヌムをメインパートとして包摂する Instauratio magnaという未完の著作集)の表題紙掲載図像】
(右側)【フリーメーソン(ソロモン神殿を組織の理念の中核に据える団体)のヤキンとボアズのシンボルを描いた画(1779)】
となる。
うち、上掲図中央に配しもした【フランシス・ベーコン著作 Novum Organum『ノヴム・オルガヌム-新機関』(を包摂する未完の著作集 Instauratio magna)表題紙掲載図像】に描かれている二本の柱がヘラクレスの柱ことジブラルタル海峡の象徴物であることは誰でも即時容易にそうだと確認(そして確言)できるようなものである(;英文Wikipedia[ Pillars of Hercules ]項目にて[ヘラクレスの柱の象徴図]として同じくもの図像が掲載されているのはそうした事情による)。
対して、上掲図の左端に配しての図、【ゲラルドゥス・メルカトル(とその息子、ルモルド・メルカトル)によって製作された地図帖『(1595年版)アトラス』図葉】に見る二柱の柱らについては「それがヘラクレスの柱と断言できるか」と訊かれたば、「断言はできないが、自然にそのように解されるところのものではある」とまでは述べられるようなものとなっている。その理由としてはメルカトル図法の名であまりにも有名なメルカトルが地図職人として活躍した大航海時代は欧州人がジブラルタル海峡を越えて大西洋の先へと活路を見出した時代となっているとのことにある。そこにいう[ジブラルタル海峡 ―ヨーロッパ内海としての地中海と大西洋を分かつ海峡― ]とは[ヘラクレスの柱]によって「往古から」表象されてきたものとなり(本稿にての出典(Source)紹介の部36で原文引用なしながら紹介しているプラトン著作は「往古から」してそうした表象がなされていたことを示すものである)、また、上のメルカトル地図帖の中央に立つ存在は地図帖名称がアトラスであるのと同様にアトラスであるとされているとの存在であること、そして、欧州人が活路を見出した大西洋が[アトラスの海]すなわちアトランティック・シーとの呼称が与えられている存在であるとのこともがある。そうした背景からメルカトル地図帖に認められる[アトラス]とされている中央に立つ存在(アトランティック・シーこと大西洋の表象であろうと解される)の間に配されている二柱の柱もジブラルタル海峡の表象物であるヘラクレスの柱であろうと自然に解されるところのものとなる。
以上、細々くだくだと指摘したうえでの話として述べるが、ヘラクレスの柱と確言できるもの(17世紀、1620年刊行のベーコン著作に由来する上掲図中央の図)、および、そのように解されるもの(16世紀末葉、1595年に成立していた著名地図帖に見る上掲図左端の図)らが双方ともに上掲図右側にて呈示のヤキンとボアズの柱と目立っての類似形を呈している、そのことは図らの一目・瞥見(べっけん)で理解いただけることとなっている。
そうしたことがあるがゆえにフリーメーソンらの間にてよく知られる著作 ―上にて英文ウィキペディア記述を引いているように米国ではフリーメーソン新規メンバー「全員」に長年配布されていたとされる著作 Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonry― に認められる[文字情報](先述)からだけではなく、著名文物らを具にしたうえでの[視覚的特性]からも[ヘラクレスの柱(の図像化形式)]と[ヤキンとボアズの柱(の専らメーソンに由来する図像化形式)]の一致性の問題が窺い知れるのである。
伝承ではギリシャ神話の際立ってのヒーロー、ヘラクレスは第11功業に先立つ第10功業、三面の怪物ゲーリュオーンを討伐することになったとのその功業の最中にて[ヘラクレスの柱]を構築したと語り継がれている(出典(Source)紹介の部90)。さて、ここまで述べてきたアナロジー(類似性)の環から理解いただけもしようかと考えられることとして、
[ツインタワーの間に黄金のザ・スフィア(11功業の【黄金の林檎】との結びつきを本稿で説明してきたもの)を配するとの式] ←(視覚的・意味論的接合性の存在)→ [フランシス・ベーコンのニュー・アトランティスの扉絵(第10功業にてヘラクレスが打ち立てたヘラクレスの柱「状の」ものを配しもしている扉絵)の構図]
との関係性が導出できるところとなっている(:疑念があるのならば、ここ本段の内容をよく読みなおし、また、本稿にての典拠となるところを精査してみるといい)。
といったことが述べられる中で合間に[ザ・スフィア]を配してのツインタワーは崩落させられている。そこから[ヘラクレスの柱][ヤキンとボアズの柱]を崩す、[ソロモン神殿を崩す]との寓意が見てとれることになる(単純な記号的言い換えの問題に過ぎない/同じくものことにまつわっては本稿の先の段で映画『ファイト・クラブ』でのワールド・トレード・センターと寸刻描写される場での爆破挙動が何故もってしてフリーメーソンのソロモン神殿のヤキンとボアズの柱の象徴画と色濃くも接合すると述べられるのか、単純な視覚的根拠を多方向から呈示してきたとのこともある ―同じくものことにまつわってはこれより続いての段にて同様の図解部を再掲することともする― )。
そして、[ソロモン神殿関連の事物]を最大限重視しているとの「フリーメーソン」思潮のそもそもの発端となっているとの観点も呈されるフランシス・ベーコン、英国にての17世紀思想家たるフランシス・ベーコンの主著『ニュー・アトランティス』(本稿ここまでにてヘラクレス第11功業との接合性を黄金の林檎との絡みで呈示せんとしてきた著作でもある)では
[文明の構築主体]
が
[ソロモン(サロモン)の家]
とされていることに鑑み、それが既存文明を崩壊させることの比喩であろうことは(順を追って考えれば)察しがなせるところとなっていると申し述べるのである(ちなみに本稿にての出典(Source)紹介の部101で取り上げているように911の事件に際しての倒壊の仕方が極めて不自然であったとの意見が専門家らより呈されている7WTCはソロモンと密接に結びつくビルであったことが知らている ―英文Wikipediaにあっての[ List of tenants in Seven World Trade Center ]項目([旧セブン・ワールド・トレード・センター・ビルにてのテナントのリスト]項目)にては【かつての7WTCの47階の過半(というよりも圧倒的多数)を占めていた企業が Salomon Brothers(事件時の Salomon Smith Barney)であった】との表記(合衆国諜報機関およびシークレット・サービスを押しのけて過半がソロモン「ブラザーズ」関係であったとの表記)がリスト形式で仔細に(現行にては)呈示されている― )。
(I.及びII.と振っての部はここまでとする)
以上、I.およびII.のことらを敷衍(ふえん.押し広げ)しもし、以下のことを問題視したい。
本稿の先の段、補説2の部では
The Lesser Key of Solomon, Goetia『ソロモンの鍵』
などという下らぬもの、(歴史区分における[近代]以前の)[近世]の欧州人の妄言 ―悪魔を召喚・使役するなどとの妄言の類― を書き連ねただけのものであろうとの愚書・悪書としての魔術書(グリモア)の類にも[嗜虐的なる寓意]の片鱗が見受けられるとの話をなしていたとのことがある ―図形的特質、レギュラー・ペンタゴンこと[正五角形]と無限に続く内接・外接関係を呈するとの[五芒星]との絡みでそういう寓意の片鱗が見受けられるとの話をなしていたとのことがある― 。
では、何故、悪魔を召喚・使役する術を記したものとされていた妄言録、魔術書(グリモア)などに[ソロモンの鍵]との表題が付されていたのか。
それはソロモンが「悪魔を使役した」と伝わっている王であるからである。
ソロモンが悪鬼羅刹の類を使役した王であるといかように伝わっているのか、(先にても簡単に言及なしていたことだが)、細かくもの出典を紹介しておく。
については Project Gutenbergのサイトにて公開されている ―したがってオンライン上より誰であれ労せずに裏取りもなせようとのこととなっている― ところの1899年刊行の著作 Solomon and Solomonic Literature(『ソロモンおよびソロモンにまつわる文学』とでも訳せよう著作/奴隷解放論者にして牧師を兼ねていたとの19世紀往時にて著名な著述家として知られ、英文Wikipediaにも同人物関連の一項が設けられているとの Moncure D. Conwayという人物の手になる著作)の内容を引いておくこととする。
(直下、 Solomon and Solomonic Literature(1899)の開巻劈頭の部、序言(Preface)の部よりの引用をなすとして)
An English lady of my acquaintance, sojourning at Baalbek, was conversing with an humble stonecutter, and pointing to the grand ruins inquired, “Why do you not occupy yourself with magnificent work like that?”“Ah,” he said, “those edifices were built by no mortal, but by genii.”
These genii now represent the demons which in ancient legends were enslaved by the potency of Solomon’s ring. Some of these folk-tales suggest the ingenuity of a fabulist. According to one, Solomon outwitted the devils even after his death, which occurred while he was leaning on his staff and superintending the reluctant labors of the demons on some sacred edifice. In that posture his form remained for a year after his death, and it was not until a worm gnawed the end of his staff, causing his body to fall, that the demons discovered their freedom.
(拙訳として)
「バールベック(神殿の遺跡)に逗留していた最中、私も知遇を得ていたとある婦人がつつましやかなる石切工と談話している際に彼女は巨大なる遺跡を指さし、「あのような壮観呈しての作をあなたのなすべき仕事としてみてみられてみたらばいかがなものですか」と尋ねていた。「ああ、ええ」とその石切工が応え、そして、言うには「あれら建築物は死すべき定めを負った者(モータル/人間)によって造られたものではなく、ジンら(訳注:イスラム世界に伝わる精霊や悪魔の類を意味するgenieの複数形)が造ったものなのです」と述べていた。(その話に認められる)ジンらは古代の伝承ではソロモンの所有していた指輪の力によって隷属化させられた存在となっている。そうした民話はといった話を作り上げた者の創意創作の妙を示すものともなる。(たとえば)ひとつの説話によると、ソロモンは使役した悪魔ら、ソロモンが自身の身を杖にて支えていた折に現われたとのその悪魔らに対して自身が死を得た後にあっても裏をかき、神聖なる建築物の造成にあたってそれら悪魔の不承不承の労働を監督したとされる。死後一年もの間、ソロモンの似姿は杖に支えられての姿に留められ、蛆が彼の杖をかじって彼の遺骸が崩れ落ちるまで悪魔らは自由を手にできなかったとされるのである」
(訳を付しての引用部はここまでとする)
(さらに直下、同じくもの著作 Solomon and Solomonic Literature(1899)にての書かれようをほんの一例、引くとして)
In European Folklore, Solomon and his old adversary, Asmodeus, now better known as Mephistopheles, have long been blended. Solomon’s seal was the mediaval talisman to which the demon eagerly responds. The Wisdom involved is all a matter of magic. It is wonderful that so little recognition has been given in literature to the epical dignity and beauty of the biblical legends of Solomon.
(訳を付すとして)
「欧州の民話にあっては[ソロモン]および彼の古き助言者たる(ファウストに対する)メフィストフェレスのように現在よく知られている悪魔アスモデウスは長き月日を経て似姿を練り上げられてきた存在となる(訳注:アスモデウスAsmodeusという悪魔についてはユダヤ教のタルムードに派生するところの伝承で[ソロモン神殿建立に与(くみ)した悪魔]であるとの言われようがなされてきた存在である ―英文ウィキペディアなど目立つところにても具体的解説がなされているところである(たとえば英文Wikipedia[Asmodeus]項目には現行、 The demon is also mentioned in some Talmudic legends, for instance, in
the story of the construction of the Temple of Solomon.]
「悪魔アスモデウスはいくつかのタルムード伝承にて、たとえば、ソロモン神殿建立との絡みで言及されている存在となりもする」との記載がなされている/訳注の部はここまでとする)― )。ソロモンの紋章は悪魔が熱心にそれに応じたとの中世の護符(タリスマン)の類となる。そこでは智惠はまったくもって魔法の賜物であった。(そうした)民話にあって聖書にてのソロモンの伝承に認められる詩的荘厳さも美しさも一顧だにされていないとのことは驚くべきことである」
(訳を付しての引用部はここまでとする)
以上、引用なしたところが19世紀の牧師でもあったとの知識人の著作 Solomon and Solomonic Literature『ソロモンおよびソロモンにまつわる文学』に見てとれる、
[ソロモンと悪魔との関係性]
を端的に示す部となるが、さて、【悪魔との契約】が【対価に見合うだけの代償】が要求されるものであることは世間一般に認知されていることである。
ソロモンに関しては悪魔だけではなく天使より
[悪魔と天使らを使役する指輪]
を与えられたなどとの話が伝わっていもするが、といったソロモン(旧約聖書『列王記』にあっての著名かつ目立っての登場人物である)にまつわることから離れてのオーソドックスな悪魔の使役ではゲーテ戯曲としてあまりにも有名なファウスト博士のそれに典型例を見出せもするように[栄耀栄華に見合う代償・対価の類を要求されるとの筋立て]が世間的によく認知されている、そう、魂を売った者の末路は悲惨なものであると相場が決まっているというのが世の教訓譚というものとなっている (尚、ゲーテの戯曲に見るファウスト博士が浮き世の享楽のために悪魔に魂を売り払い、最後は相応の最期を迎えた ―魂を売った相手たる悪魔らが自分の墓穴を掘る音を盲目がゆえに聞き誤り、壮大な事業が成し遂げられんとしている中での地盤開発の音と聞き誤りもしての中で結局、死を遂げる― との物語は極めて有名となっているが、19世紀のゲーテの物語「それ自体」がそうもした[物語の類型]の端緒・嚆矢であると見るは誤りである。16世紀末に劇作家(にして間諜ともされる)クリストファー・マーロウによって早くも(ゲーテに200年以上先立つとのかたちで)ゲーテの物語と同じくもの悪魔に魂を売って応報を受けるとの筋立てで戯曲化されだしていたドクトル・ファウストの物語についてはドイツ・ルネサンスの旗手となっていたヨハン・ゲオルク・ファウストというモデルとなった実在の人物がいることが知られておりもし、伝承によれば、栄華・悦楽のために悪魔に魂を売り払ったとのフィクション上の学者のモデルであるとされるそちら実在のヨハン・ゲオルク・ファウスト、[錬金術]の実験中に五体四散しての爆死を遂げ、それが悪魔の仕業であろうと早くも16世紀より見られていたとのことが伝わっていたとされる(:英文Wikipedia[ Johann Georg Faust ]項目の現行にあっての記載内容より引用なせば、 Faust's death is dated to 1540 or 1541. He allegedly died in an explosion
of an alchemical experiment in the " Hotel zum Lowen " in Staufen
im Breisgau. His body is reported to have been found in a "grievously
mutilated" state which was interpreted to the effect that the devil
had come to collect him in person by his clerical and scholarly enemies.
「ファウストの死は1540年ないし1541年のこととして伝わっている。言われているところでは彼(ヨハン・ゲオルク・ファウスト)は独逸のシュタウフェン・イム・ブライスガウにての Hotel zum Lowenという建物にての錬金術実験に起因する爆発にて死んだとされている。彼の死体は「ひどくちぎれていた」とのかたちで発見され、そちらは悪魔がその遺体を手ずから回収しに来たからだろうと(ヨハン・ゲオルグ・ファウストの)宗旨および学問上の敵対者らによって解されるようになったところでもある」(以上引用部訳とした)。につき実在のファウストの死期については不分明なるところが多いとされるが、往時の人間の証言から1548年以前に苦悶のうちに死亡したとのことが推し量れるとの表記がWikipedia[ Johann Georg Faust ]項目の続けての段にはみとめられる))。
延々細々とした話をなしすぎているか、とも思うのだが、こまごまついでに以下のような図解部を設けておく。
上掲図は19世紀フランスの文筆家コラン・ド・プランシーがものした Dictionnaire Infernal『地獄の辞典』にてその似姿が収録されているとの悪魔ら、[ソロモン72柱]などと日本では呼び慣わされている一群の悪魔ら(英語では the 72 spirits of Solomonなどと呼称される一群の悪魔ら)の似姿を一部挙げたものとなる。
欧州が中世から近世に移行していく中にあってなお妄言を広めんとしていたとの愚書・悪書としての魔術書(グリモア)、そういったものに名前・来歴が目立って掲載されているとの(上にて似姿呈示のような)悪鬼らのことをいちいち表記するのもなんであるとは思うのであるが、一応、解説すれば、[左上]はソロモン王が[ソロモン神殿](フリーメーソンがその理想としていること、本稿にて折に触れ細かくも呈示してきた[ソロモン神殿]である)の建立に当たってその助力を特段に受けたとユダヤ教派生伝承などにて伝わっているところの[悪魔アスモデウス]を描いた図像となる、より具体的にはソロモン王にあやかっての名を冠する The Lesser Key of Solomon(別名『ゴエティア』)という魔術書(初出は17世紀とされる魔術書で総称して『レメゲトン』とも呼ばれるより包括的なる魔術書の第一書となるもの)にて[地獄の王の一人]として紹介されているそのアスモデウス似姿を近代文筆家のコラン・ド・プランシーが描いたものとなる ―尚、聞く向きによっては下らなくも響こうことかと承知の上でさらに書けば、同アスモデウスはサラという美女に取り憑いて次々と男達を殺していったとのことが旧約聖書「外典」の Book of Tobit『トビト記』にて主題として扱われているとのことでも有名な悪魔となり、それが材源であろうと思われるところとして、かのエクソシスト・シリーズの焼き直し作品、映画『ザ・エクソシスト・ビギニング』(2004年初出/時計の時針などその細部にあっての描写を筆者などは意味深くも受け取っている作品)にて劇中登場人物として【サラ】という人物が[悪魔(バビロニアのパズスという悪鬼に表象される悪魔)の類に「憑依」された存在]として登場してきたりもする― 。[右上]は『ゴエティア』ことザ・レッサー・キー・オブ・ソロモンにて地獄の大公爵なる設定でその名が掲載されている[アガレス]という鰐に騎乗した姿をとるという悪魔の似姿(を19世紀文筆家コラン・ド・プランシーが描いた図)となり、[左下]はザ・レッサー・キー・オブ・ソロモンにて地獄の王の一人として掲載されているとの[バエル]という悪魔の似姿、[右下]は同文にザ・レッサー・キー・オブ・ソロモンにて地獄の総裁(プレジデント)との設定で掲載されている[ブエル]という悪魔の似姿(同じくものコラン・ド・プランシーの手にて描かれた似姿)となる。
(「ソロモン王と紐付けられての」悪魔ら似姿の描写につき紹介したうえで書くが) ここ本稿本段にあって問題視したきは下記の如きことである。
「旧約聖書それ自体の方では悪魔使役とは無縁なる存在、[おおよその名君]として登場してくるソロモン王(ただし、本稿の先の段にても紹介しているようにその治世の後半期にては同ソロモン王は[モロク神]という異教神に対する信仰を容れ、王国に分裂の芽を撒いたとも旧約聖書列王記(上)第11章7節から第8節にては表記されている)という存在が歴年、悪魔の類とかくも色濃くも結びつけられてきたとのことがあることにつき現代社会に通ずる意味性がまったくないと言い切れるのか。そう断言するのが賢明なやりようと言えるのか。
その見極めにあって意をなすのは現実世界で[多数人が殺されたとのある種、悪魔的・嗜虐的なる事件]に
[ソロモン王の神殿にまつわる寓意 ―(尚、ソロモン神殿建立、ヤキンとボアズの柱が門前に立つソロモン神殿の[建立]のためのソロモンの悪魔使役の話については上にて Solomon and Solomonic Literature(1899)との書籍から引いているような伝承( According to one, Solomon outwitted the devils even after his death, which occurred while
he was leaning on his staff and superintending the reluctant labors of
the demons on some sacred edifice. In that posture his form remained for
a year after his death, and it was not until a worm gnawed the end of his
staff, causing his body to fall, that the demons discovered their freedom.
「ひとつの説話によればソロモンは使役した悪魔ら、ソロモンが自身の身を杖にて支えていた折に現われたとのその悪魔らに対して自身が死を得た後にあっても裏をかき、神聖なる建築物の造成にあたってそれら悪魔の不承不承の労働を監督したとされる。死後一年もの間、ソロモンの似姿は杖に支えられての姿に留められ、蛆が彼の杖をかじって彼の遺骸が崩れ落ちるまで悪魔らは自由を手にできなかったとされるのである」にもその一端がみとめられる)― ]
と通ずるところの側面が[寓意]として「悪質極まりなくも」込められているとのことが「露骨に」指し示せるようになっているか、あるいはもってして、否か、ということであると述べても差し障りなかろう ―多くの人間が没義道・無惨にも殺された911の事件に[ソロモン神殿に通ずる比喩]が濃厚かつ異常異様に入れ込まれているとのことが露骨に示せるというのならば[ソロモン神殿建立にまつわってのソロモン王伝承と悪鬼羅刹の関係性]とておよそ等閑に付すことはできまいと見るべきところとなろう― 」
その点、本稿にてのここより紙幅にてさして離れていないとの先行する段にては
[[ヘラクレスの柱]にも通ずるとの式で[ソロモン神殿の前に立つヤキンとボアズの柱 ―ソロモン神殿の柱― ]が[現実世界で打ち崩されたツインタワー]と結びつくようになっている(しかも、異常異様なる予見事物の中に見受けられるところとしてそうもなっている)]
と申し述べられるように「なってしまっている」、すなわち、ソロモン神殿にまつわる相応の寓意の介在が ―こともあろうに、[911の事前言及]を「これ悪魔的に」なしている文物にあってのこととして― 見受けられるようになってしまっているとのことにまつわっての具体的論拠らを ―「容易に裏取り可能.」との式にて― 例示しながらも挙げもしていた(※)。
※実にもってくどくなりもしての[確認表記]として
本稿ここ本段にての先行する部について述べてきたことにつき細かくも問題としていたところを割愛、また、順序も違え、振り返っての表記をなせば、次のようなことらを従前、 ―[ソロモン神殿の柱]と[ヘラクレスの柱]と[911の予見事物]との関係性にまつわっての指し示しの中にあって― 取り上げもしてきた。
A.「[ワールド・トレード・センターでのかの事件の発生の予見的言及]が[ヘラクレスの第11功業に登場する黄金の林檎]と直接的・間接的に結びつくとのかたちで具現化してきたとのことが「ある」 ―そうもしたことがあるのがいかに異様なことであれ、とにかくも、【現象】の問題としてその具現化の指し示しがなせるようになっているとのことが「ある」― 」
B.「911の予見的事物らと結びついているとのこと、上のA.にて言及の【黄金の林檎】はヘラクレス第11功業に登場するものだが、そのヘラクレス第11功業に先立つヘラクレス第10功業にて打ち立てられたと伝わるのが[ヘラクレスの柱]である。そのヘラクレス第10功業にて打ち立てられた[ヘラクレスの柱]がフリーメーソンの間で著名なる著作 ― Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonry― にあって[ヤキンとボアズの柱](ソロモン神殿の前に立っていた柱)に文中明示されるとのかたちで仮託されているとのことがあり、また、歴史的図像群としてのヘラクレスの柱を描いたものら (たとえば『メルカトル地図帖』やフランシス・ベーコンの『新機関』という著作に認められるヘラクレスの柱と定置されるものら) の描写もソロモン神殿面前のヤキンとボアズのフリーメーソン「流」図像化法式と際立っての相似形を呈していることがある(であるから、メーソンの間で著名なる僅か一点の著述にとどまらないとの按配で[ヤキンとボアズの柱]⇔[ヘラクレスの柱]との関係性が幅広くも導き出せるようになっている)」
C.「(A.にて一言言及の)【911の予見事物らと結びついているとの黄金の林檎】は(往古海中に没したと伝わる伝説の)[アトランティス]とも濃密に結びつくと指摘出来る[伝説上の果実]となる(黄金の林檎がたわわに実る果樹園がアトランティスと同一視されるだけの事情が複合的に存在している)。そこいうアトランティスの名を冠する著作がフランシス・ベーコンの著作『ニュー・アトランティス』となるのだが、そちら『ニュー・アトランティス』にては[サロモンズ・ハウス]こと[ソロモンの家]という名の社会機構が望ましき文明をもたらすための存在、作品主題となる[理想郷実現のための装置]として描かれているとのことがある ―(B.にて言及しているところとして「[ソロモン神殿の柱]は[ヘラクレスの柱]と結びつけられている」、そういうことがあるなかで(A.にて言及しているように)[911の事件に対する予見事物と多重的に接合する,ヘラクレスの求めた黄金の林檎]と結びつきもするアトランティスと[ソロモンズ・ハウスに主軸を置く著作]との接合性が見てとれるとのことがある)― 」
D.「直上のC.にて言及の『ニュー・アトランティス』は[ソロモン神殿の前のヤキンとボアズの柱状のもの(換言すれば、ヘラクレスの柱状のものでもある)の間に球体を配するとの構造]が口絵にて登場を見ている著作ともなる。 そして、同様の構図 ―並び立つ二柱の間に球形オブジェを配するとの構造― が[ツイン・タワーの間に球形オブジェたるザ・スフィアを配する]とのかたちで災厄発生前のワールド・トレード・センターにあって垣間見れたとのことがある。 そうした[ツイン・タワーの間に球形オブジェたるザ・スフィアを配する]とのかつての現実世界でのありようと結びつくところとしてフィクションとしての911の予見事物、の中の、映画『ファイト・クラブ』(初出1999年)にては[(爆破対象としての)黄金色のオブジェ]が[ツインタワーの間に据え置かれていたザ・スフィア]と露骨なる視覚的類似性を呈しながら登場させられていたとのことがあり、また、その映画『ファイト・クラブ』に見るザ・スフィアのイミテーションの登場形式が欧州ルネサンス期にての[黄金の林檎]の描かれかたとも対応するようにさせられていたと指摘できてしまうとのことがある。 そして、映画『ファイト・クラブ』、ワールド・トレード・センターであると寸刻描写にて名指しされているとのことが特定出来る(但し、不誠実な輩にはデラウェア州ウィルミントンとも通ずると「的外れな」暴論も呈される)一帯での[金融センター]を標的にしての爆破計画、劇中、[グラウンド・ゼロ]現出を企図してのものであると(グラウンド・ゼロとの言葉がそのままに用いられる中で)冒頭部より言明されている複数ビル爆破計画(尚、現実に911の事件でもワールド・トレード・センターで計七棟の高層ビルが倒壊した)にまつわっての同映画『ファイト・クラブ』内での描写がフリーメーソンのソロモン神殿の柱らを描いた図像らと「露骨に」対応付けされているとのことまでもがある(先に入念に図示なしてきたところであるが、再度の図示をすぐ後の段にてなしておくこととする)。 ここでA.にて言及のこと ―911の予見事物が黄金の林檎と結びついているとのことがあること― を念頭にしたうえでC.にて言及のことを繰り返すが、[黄金の林檎]は[アトランティス]と結びつくものとなっていもする。そして、フランシス・ベーコンの『ニュー・アトランティス』という著作、[ソロモン神殿の前のヤキンとボアズの柱状のものの間に球体を配するとの構図](要するにソロモン神殿の眼前の描写と接合するような式での映画劇中内球体オブジェ爆破シーンに関わるところのザ・スフィア,映画『ファイト・クラブ』でそのイミテーションが黄金の林檎と結びつくようなかたちで登場し、爆破されているとの現実世界のツインタワーの間に据え置かれていたザ・スフィアのありようを想起させる構図)が口絵として現われているとの同著 ―ソロモンの家による文明発展を描く作品たる同著― はタイトルからしてアトランティスという名を冠している著述である]
以上のA.からD.のような流れで指し示せるようなことは「一例として」問題になることを先行する段にて取り上げてきたことを「くどくも」繰り返し再言なしているとのものであるが、同じくものことが以下のことと相通じるようなところがあると判じられるから問題になる。
「旧約聖書に[おおよその名君]として登場してくるソロモン王という存在が歴年、悪魔の類と色濃くも結びつけられてきたとのことに現代社会に通ずる意味性がまったくないと考えるのは賢明なやりようではない。それにつき、(現実世界にあってのツインタワー崩落が[ソロモン王による悪鬼使役の成果として建立されたとも伝わるソロモン神殿の柱]の寓意の具と「露骨」かつ「悪質極まりなく」結びつけられているとの指し示しがなせるとの式で)意味性が見てとれるのであるから、[ソロモン王の悪鬼使役の話に現代社会に通ずる寓意性が込められているとの見立て]はおよそ等閑に付すことなどできなきものとなろう」
これにて何が問題になるのか、おおよそもって理解していただけるものか、と期す次第である。
上掲図の[左上]の部に配しての図像は Project Gutenbergサイトに公開されている20世紀前半、1921年初出の、
The Story of Mankind(『人類の物語』)
という書籍、世の中のことがいまだよく分かっていないとの若年者を読者層として想定して[人間の「表向きの」歴史]を簡明に綴っているとの Hendrik Willem van Loonという著述家がものした前世紀初頭(20世紀初頭)初出書籍の「扉絵」となる(:尚、同著 The Story of Mankindも Hendrik Willem van Loonもある程度知名度が高くもあったと伺い知れ、[書籍名]および[著者名]とのことでそれぞれ英文Wikipediaに一項が設けられている)。
同『ザ・ストーリー・オブ・マンカインド』扉絵にては
[蔦が絡まるような形態での二柱の柱]
が『ニューヨークのマンハッタンか』と見える都市 ―比定されるものを顧慮すると摩天楼が海港に現出しているとのことでマンハッタンぐらいしか想起されないとの都市― を支えている姿が見受けられるわけであるも、といった構図は上掲図にての[右上]にて(再掲なして)呈示している、
[1779年初出の『賢者の羅針盤』にて典型的似姿が描かれてもいるヤキンとボアズの柱らソロモン神殿の柱 ―[蔦が絡まるような形態での二柱の柱]― ら]
と[顕著な構造的類似性]を呈するものともなっている(とにかくもって図のありようから判断いただきたい)。
そうしたこと、【20世紀初頭初出著作にあって港湾部の上にそびえたつ摩天閣がソロモン神殿の柱「然」とした柱らに支えられるとの描写】が見て取れるとのことは(恣意なきところの[構造的類似性][視覚的類似性]にとどまらず)[計算されての挙動]である可能性がある。
というのも、フリーメーソンの間には
[ソロモン神殿(特徴的な二本の柱で表象される神殿)こそが社会(フリーメーソンが理想とする社会)の基礎である]
との発想法が存在しており、そうしたメーソン思潮との相関性が問題になるところとして初期のフリーメーソン的紐帯の大立者とも表される(先述)とのフランシス・ベーコンがその著書『ニュー・アトランティス』にて ―本稿の出典(Source)紹介の部52にあって既述のように―
[サロモン(ソロモン)の家]
という[文明の構築機構]([人間の歴史;問題となる絵を扉絵として挙げている書籍書名に見るザ・ストーリー・オブ・マンカインド]を適正に導く存在でもいい)を登場させているとのことがあるからである(:高度に発達した文明に至るまでの道筋が[ソロモンの家]によって実現されるとのそうもした『ニュー・アトランティス』発想法が[文明の発達は[ソロモン神殿の柱]で支えられている]との式によって表記の西洋の歴史を(原始時代に遡るところとして)綴っているとの著作である The Story of Mankind『人類の物語』の図像ありように影響を与えているとのこと、そうもしたことは[さもありなん]と述べたいのである)。
ここで物事の先後関係に基づいて考えれば、表記著作 The Story of Mankindに認められる人間世界を支える柱が先の2001年の事件で崩されたツインタワーと結びつくようにまで計算されたものであるとは「無論にして」考えられ[ない]ところなのだが(日系人ミノル・ヤマサキに由来するワールド・トレード・センターのグランド・デザインが正式採用されたのは[1962年]のこととされている ―英文Wikipedia[ Construction of the World Trade Center ]項目に見る On September 20, 1962, the Port Authority announced the selection of Minoru Yamasaki as lead
architect, and Emery Roth & Sons as associate architects.
というのが世間的説明となっている― なかで表記の著作『ザ・ストーリー・オブ・マンカインド』が世に出たのは[1921年]であるからである)、 ただし、ソロモン神殿の柱が両者デザイン(『ザ・ストーリー・オブ・マンカインド』という1921年著作の中の描写及びツインタワーのデザイン)の共通基盤になっている、あるいは、そうした寓意性を用いてのやりようをとるとの[方針]が(専らにして[人形]では無く[人形遣い]の方に)「ある」と考えることは出来もする、いや、というより、そういうふうに自然に判じられるところとなっている。
(説明をさらに続けるとし、)「というのも、」上掲図の下の段にてその描かれようの一例を指し示しているとの、
[ソロモン神殿の柱] (ソロモニック・コラム)
をツインタワーに仮託して崩すとの意思表示の式が(計算尽くのものであろうとの按配にて)[存在していること自体が異常異様なる予見的文物らありよう]を通じて浮かび上がってくるとのことが「ある」(再三再四申し述べてきたところとしてそうもしたことが「ある」)からである ―※尚、上掲図にての下段にて呈示しているソロモン神殿の柱は英文Wikipedia[ Solomonic column ]項目にも掲載されているとのルネサンス期巨匠ラファエロの手になる画にて具現化を見ている構図となる。その点もってして[ソロモン神殿の柱]と呼ばれるものがソロモン神殿正面に立つヤキンとボアズの柱に限られるのか、と述べれば、必ずしもそうではなく、[ソロモン神殿を支えていたとの多数の柱]をもってしても[ソロモン神殿の柱]とすること「も」あるとされており、そのような集合的存在としてのソロモン神殿の柱のデザインは(英文Wikipedia[ Solomonic column ]項目によれば)
spiraling twisting shaft like a corkscrew
「(ソロモン神殿の柱は)コルク栓抜きのように螺旋構造でねじれてのかたちを呈する」といったありようで描写されることが多いとされる(上掲図下段の呈示の画などはその式での[ソロモン神殿の柱]を描いているものとなる.また、メーソン・シンボルを体現してのものとされていることを紹介の上掲の『賢者の羅針盤』(右上の部にて呈示)にあってのヤキンとボアズの柱および1921年初出書籍『ストーリー・オブ・マンカインド』にみとめられる柱らの双方ともが[蔦が螺旋形態で絡まっている」との式でそうした形態を表象しているとのこともあろうかと見えもするところとなっている)― 。
直上取り上げもしたことに関して補うべくものことをここに表記しておく。
まずもって以下のことらを顧慮いただきたい。
■欧州・中東にあって中世の人間は[一神教](ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)の信奉をほぼ全員がなしていたわけであるが、彼ら一神教にほぼ全数が浸りきっていた中世人の視点にあっては、いや、のみならず中世人の宗教的観点を受け継ぐ現代の一部宗教観にあっては[エルサレム]こそがまさしくも[世界の中心]のように見られてきたとのことがある(そうも見られてきたことの典拠については下に図を付しながらも解説する)。
■エルサレムが[世界の中心]として見られてきたとして、である。その世界の中心たるエルサレムにあって今日にあっての一神教の信奉者らにとっての最大の聖地らとされているものらは元を辿れば
[ソロモン神殿]
であったとのことがある(:イスラム教教徒にとってメッカのカアバ神殿と並び最も重要視される聖地ともなる[岩のドーム ―イスラム教開祖ムハンマドが天の導きでメッカのブラックストーン(黒石)の在所たるカアバ神殿から瞬時に移動したとされる聖地― ]も元を辿ればソロモン神殿の遺構の上に拠っていること、また、ユダヤ教教徒にとって最も重要視される聖地[嘆きの壁 ―ソロモン神殿が崩壊の後、復興拡張されたエルサレム神殿の今日、残存している部分であり、往古の宗教センターとの立ち位置から今日に至って聖地とされている場― ]も元を辿ればソロモン神殿の遺構それそのものであるとのことがある;表記のことについては欧米圏にあっては一般教養に留まる程度のことであるため、ウィキペディア程度の記述を引くに留めておくが、現行にて和文ウィキペディアにあって(以下、[エルサレム]項目より引用なすとして)嘆きの壁はユダヤ人地区の東端にある。嘆きの壁の上はムスリム地区に属し、神殿の丘と呼ばれる、かつてのエルサレム神殿の跡で、ここにはイスラム教の聖地アル=アクサー・モスクやイスラーム建築の傑作とされる岩のドームが建っている。岩のドームにはムハンマドが旅立ったという伝説があり、地下には最後の審判の日にすべての魂がここに集結してくるとされる「魂の井戸」がある
(引用部はここまでとする)と書かれておりもし、英文Wikipedia[ Temple in Jerusalem ]にて(掻い摘まんで引用なすとして) The mount bears significance in Islam as it acted as a sanctuary for many
Hebrew prophets. Islamic tradition says that a temple was first built on the Temple Mount
by Jacob and later renovated by Solomon, son of David. In addition, it
is considered to be the site of the Prophet Muhammad's Night Journey (Isra
and Mi'raj) and his ascent into Heaven - one of the most significant events
recounted in the Qur'an.
「(エルサレム神殿が建っていたとの)神殿の丘はヘブライ系(ユダヤ系)の預言者らにとってそうあったようにイスラムにあっても重要な意味をなしている。イスラムの伝統にあってはエルサレム神殿はまず最初に神殿の丘にヤコブによって建築され、後にダヴィデの子たるソロモン王によっての改築修繕を見たとされている。加えて、イスラムの伝統では神殿の丘のある場は[預言者ムハンマドが[夜の旅]をなし、天に昇った]とのコーランにおける最も重要な出来事とされているとのその出来事の舞台とされている(から
the Dome of the Rock[岩のドーム]の構築に繋がった)」(引用部訳はここまでとする)と書かれていもする)。
上のことらをまとめて端的に述べれば、
[「ソロモン神殿とは、」[世界の中心]と歴史的に見られてきた地(エルサレム)にあって今日に至ってもなお、大宗教の最大の聖地とされている存在となる]
と形容できるところとなっている。
といった視点に基づいて換言なせば、
「[ソロモン神殿](に仮託されるもの)を崩す]とのことは[[世界の中心]にあっての人類史上、極めて重要視されてきた象徴を破壊する]とのことに等しい」
とのことになる。
そして、長大なものとなっている本稿ではこここれに至れりの段までにて
[「ワールド」・トレード・センター]で崩された[双子の塔]がいかようにして[ソロモン神殿を表象する二柱の柱ら]と質的に結びつくと述べられるようになっているのか](そうも述べざるをえないようになっているのか)
とのことについての委細を細かくも ―属人的主観など問題にならぬとのことを強調できるとのかたちで― 示さんとしてきたとのことがある。
であるから、 The Story of Mankind(『人類の物語』)の扉絵に見る摩天楼・摩天閣ら ―同著が刊行された往時、1921年にはそれに視覚的に代替するところがニューヨークはマンハッタン以外にあったのか、とのことともなる扉絵に見る高層ビル「群」の領域― を支えるものとして
[蔦が巻き付き、ソロモン神殿の柱(ソロモニック・コラム)の表象物と自然に受け取れるもの]
が描かれている意味性を【(近年の)ツインタワー崩壊】との観点で見た場合に、
[世界がそれに拠って立つ(と宗教というものに基づいて人間が信じきってきた)[世界の基盤]を破壊する]
との寓意が ―過去と現在の象徴的ありようを通じて― 自然に導出されもする(ように「なってしまっている」)。
[エルサレムが[世界の中心]と見られてきた]との上にて取り上げもしたことの典拠として
下図をご覧戴きたい。
以上呈示の図は
[英文情報に強き検索エンジン上でタイトル入力さえすれば、オンライン上より労せずにその内容を「全文」確認出来もするようになっているとの Project Gutenbergのサイトにての公開著作、1877年刊行の Astronomical Myths, based on Flammarion's "History of the Heavens"『カミーユ・フラマリオン著述『天の歴史』に依拠しての天文上の神話ら』に掲載されての図葉「ら」を挙げてのもの] (より具体的には、の中の、Fig.46.およびFig.49.と挿絵番号が付された部を挙げてのもの)
となる ―よりもって具体的には図内キャプションにても出所として言及しているように、 The Map of Andrea Bianco『アンドレア・ビアンコの地図』および The Grandes Chroniques de Saint-Denis『サン=ドニ大年代記』らの歴史的資料らにそれぞれ掲載されている図葉ら(中世人の世界観を体現しての図葉ら)を挙げてのものとなる― 。
それら呈示の図らを一目いただければ、分かろうか、と思うが、(イエスが磔刑に処せられたと伝わる場にしてソロモン神殿と結びつく各宗教の聖地がある場でもある)エルサレムJerusalemが[世界の中枢]に据えられているとの構図がそこには見てとれる(尚、さらに下にそれにまつわっての典拠を呈示するが、一部中世識者より「この世界は卵のようなありようを呈しており、その卵の頭頂部こそがエルサレムである」との世界観すらもが人類の歴史では目立って鼓吹・唱道されてきたとの史的背景がありもする)。
上にて呈示の図像らにもそうした観点が反映されているとのこと、
[エルサレムが世界の中心として見られてきたとのこと]
については無論、容易に確認なせるだけの「視覚描写ではなく字面にての」文献的根拠がそこら中に見受けられるようになっており、たとえば、上にて図のソースと挙げもした Project Gutenbergサイト全文公開著作、
Astronomical Myths, based on Flammarion's "History of the Heavens"
にあっても以下のように記されている。
(直下、 Astronomical Myths, based on Flammarion's "History of the Heavens"にあっての CHAPTER X. COSMOGRAPHY AND GEOGRAPHY OF THE CHURCH.より原文抜粋するところとして)
The celebrated Raban Maur, of Mayence, composed in the ninth century a treatise, entitled De Universo, divided into twenty-two books. It is a kind of encyclopedia, in which he gives an abridged view of all the sciences. According to his cosmographic system the earth is in the form of a wheel, and is placed in the middle of the universe, being surrounded by the ocean; on the north it is bounded by the Caucasus, which he supposes to be mountains of gold, which no one can reach because of dragons, and griffins, and men of monstrous shape that dwell there. He also places Jerusalem in the centre of the earth.
「名高きマインツのラバン・マウル(訳注:ラバヌス・マウルス・マグネンティウス/9世紀にあっての卓抜したキリスト教神学者と伝わっている向き)の12世紀刊行の著作 De Universoは22巻に分かたれもしており(訳注:そちらは日本語では『宇宙についての二十二巻本、あるいは語源に関する著作集』( De universo libri xxii., sive etymologiarum opus )または『事物の本性』との題で言及されもするとのことがある著作となる)、 同著、一種の百科全書的ありようを呈しもしており、著者ラバヌス・マグネンティウスの科学にまつわる観点を要約しもしたものとなっている。彼ラバヌス・マグネンティウスの宇宙観にあっては地球は[車輪状の形態]となっており、そうもした地球が宇宙の中心に位置しもしながら大海に囲まれもし、そのコーカサス山脈にいだかれた北部にあっては竜ら・グリフォン(注:鷲と獅子が混合した似姿をとる伝承上の存在)ら・怪物のような似姿の人間達らがゆえに人跡未踏となっているとの黄金の山々があると想定されもしていた。そして、彼ラバヌス・マグネンティウスはエルサレムこそが世界の中心であると見なしていた」
(訳を付しての引用部はここまでとする)
同様のこと ―エルサレムが世界の中心と見られてきたとのこと― については次のような一般的解説のなされようがなされていることも容易に特定できる(その気がある、そう、自身を取り巻く状況を把握するだけの最低限の意志の力があるのならばだが、容易に特定できる)ところとなりもしている。
(直下、[魂の井戸 ―イスラムの伝承にあって全ての魂が[最後の審判]に備えて集められていると伝わっているとの[岩のドーム]の地下の領域― ]にまつわる解説がなされているところの英文Wikipedia[ Well of Souls ]項目にあっての「現行にての」記述内容を一部、引くとして)
Both Jewish and Muslim traditions relate to what may lie beneath the Foundation Stone, the earliest of them found in the Talmud in the former and understood to date to the 12th and 13th centuries in the latter. The Talmud indicates that the Stone marks the center of the world and serves as a cover for the Abyss (Abzu) containing the raging waters of the Flood. The cave was venerated as early as 902 according to Ibn al-Faqih. Muslim tradition likewise places it at the center of the world and over a bottomless pit with the flowing waters of Paradise underneath. A palm tree is said to grow out of the River of Paradise here to support the Stone. Noah is said to have landed here after the Flood. The souls of the dead are said to be audible here as they await the Last Judgment.
(補いもしての拙訳を付すとして)
「ユダヤ教教徒およびイスラム教教徒の伝承の双方が[(岩のドームの)礎石の下に何があるのか]とのことと関わりもしており、そうもした伝承の最も早期のものはユダヤ教教徒由来のものにあってはタルムードにみとめられ、イスラム教教徒由来のものとしては12-13世紀にみとめられるところとなっている。タルムードが指し示すところでは[岩のドーム](訳注:一般教養の問題として[岩のドーム]とはエルサレムに存在するイスラム教の主要なる聖地のことであり、同じくもソロモン神殿の跡地に位置するユダヤ教の聖地[嘆きの壁]と接地している)の礎石は[世界の中心]をなすとのものとなっており、[洪水の根源となる荒れ狂う水を擁するアビス・アブズー(訳注:中近東の伝承における膨大な水をたたえた地下の領域)の蓋]としての役割を帯びているとのものとなっている。 Ibn al-Faqihによると早くとも礎石が存在している穴の部は902年には崇拝の対象となっていた。イスラム教の伝統でもユダヤ教のそれと同様に世界の中枢と見立てており、そして、天国に由来する水をたたえる底無しの穴のことが観念されていた。にあっては死後の天国に由来する川より生じもしているヤシの木が[礎石]を支えているとされもし、ノアは洪水の後、ここに降り立ったのだともされている。(同文にイスラムの伝承では)[礎石]のある場にて死者らの魂の声が最後の審判を備えているとの恰好で耳に入ってくるともされている」
(訳を付しての引用部はここまでとする)
(以上をもってしてソロモン神殿 ―その遺構がユダヤ教の聖地[嘆きの壁]になりもし、イスラム教の聖地[岩のドーム]ともなっているとのエルサレム神殿― をその宗教上の核たるところとして据えるエルサレムがいかように[世界の中心]と見做されてきたのかの紹介とした)
次いで、以下の図をご覧いただきたい。
上掲図[左上]は[世界の中心]と見られてきたとのことについて先述のエルサレムが[[卵]としての世界にてその頭頂部に据えられていもする領域]となりさえしていることを示す図となる(卵状の世界を描いての図の出典は先立って引用なしたところの1877年初出の著作、 Astronomical Myths, based on Flammarion's "History of the Heavens"『カミーユ・フラマリオン著述『天の歴史』に依拠しての天文上の神話ら』に掲載の図葉、より具体的には同じくもの著作にて Fig. 43.と付されての図ともなる)。
さて、直近にても引用部を通じて言及なしているように図に見る、
[聖地エルサレム ―卵としての世界の頭頂部に定置されるような重要性をもって見られてきた場― にての宗教上の中枢地域となる岩のドーム]
はかつての[ソロモン神殿]のあった場所に建っているとのものであり(これまた上にて基本的な言われようを引用なしているところである)、また、そちら岩のドームもイスラム教徒にとって[世界の中心]と見られているものである。先述のようにその地下に[最後の審判に備えてこれまで生きた人間の魂らが集められている魂の井戸(なるもの)]が存在しているともされるようなものとして、である ―といった[岩のドーム]の外観としては金メッキが施されたドームの部が極めてよく知られているが(岩のドームありようについてはほとんど[一般教養]の問題であろうかと思う)、上掲図では英文Wikipedia[ Dome of the Rock ]項目にて掲載されている考古学者兼画家であったとのフレデリック・ギャザーウッドの手になる近代にての[岩のドーム]の構造解析図の抜粋を上掲図[右下]の部にてなしておいた― 。
イスラム教にあってカアバ神殿と並び最重要視されている聖地[岩のドーム]、[世界の中心]ともされるその宗教上のアイコンの前身となっているのが[ソロモン神殿]となるわけだが、同ソロモン神殿にあっての柱(いわゆるソロモニック・コラム)を[ニューヨークの摩天楼・摩天閣]と結びつけている観ありとの扉絵を伴っての1921年初出著作があるとのこと、そして、そうもした著作([人間の歴史]それそのものを教科書的・常識的側面でのみ総括しているとの著作ともなり、 Project Gutenbergのサイトを通じて全文確認できるとの The Story of Mankind)に見る視覚描写とてもが[ニューヨーク摩天楼の領域にて崩された双子の塔]と結びつく節があるとのこと、そうもしたことの意味性をも思索対象としているのが本稿となる (くどくも繰り返すが、第一に1921年初出著作『ザ・ストーリー・オブ・マンカインド』に見る(マンハッタンのように摩天楼をいただく海港を支える)二本の柱はそちら形状よりソロモンの柱 ―先述のように蛇行形状とも結びつくとされる柱― を想起させる構図のものとなる。他面、第二に、ニューヨークにて1962年より建築物としてのデザインが定まったツインタワーは後の1999年に封切られた映画(『ファイト・クラブ』)の寸刻描写の中で ―フリーメーソンのシンボル画構図との兼ね合いで― 露骨にソロモンの柱に仮託されていたと判じられるようなものとなっている)。
ここまできたところで以下のような図を内容整理すべくものものとして挙げておくこととする。
上図像はフランシス・ベーコンの著作である New Atlantis『ニュー・アトランティス』、[ソロモンの家]を
[文明の孵卵器(インキュベーター)]
として登場させているとの同著作『ニュー・アトランティス』の性質を示し、また、同著作の中に(これまで問題視してきたように)[柱の間に球体オブジェを配するとの構造]が具現化を見ていることを再強調するために挙げたものとなる(:委細については先行する段の内容を参照いただきたい。尚、同『ニュー・アトランティス』表紙部には[ローマの土星体現神格サターン(サトゥルナス)]ないし[時の翁]と解される存在、鎌を持つ存在が描かれているが、そちらを[翼を生やし鎌を持った老人]として描かれる[時の翁](ファーザー・タイム)と解すれば、[時の翁]が表象するところの時果つるところ、[死]が連想されることになる。筆者としては[文明の理想的なる育成]を説く書物にそうした表紙絵が採用されていることからして(出版版元の表象シンボルなどにまつわって表向きなされうるととらえもする説明の他に)寓意性が介在していると考えているわけであるが、それについての甲論乙駁はここではなさないことにする)。
ここまできたところで先述のこと、
[【ソ連国章】(1923年制定の国章)と【フリーメーソン・シンボリズム】(たとえばのものとして1915年初出の Project Gutenberg全文公開のメーソンらの手になる Washington's Masonic Correspondence(1915)との著作より抽出したシンボル)がまるでソ連国章が先行して世に出ていたフリーメーソン著作に見る組織シンボリズム体系を多重的に踏襲しているようであるとの「時期的に問題となる式で」視覚的に結びついている]
[上記のことに関しては【予言が如きものをもたらす力学 ―(含む:911の予言)― の介在】でもってそうもなっていると想定できるだけのことがある]
とのことに話の方向性を回帰させる。
再掲しての次の図をご覧いただきたい。
上掲図が具体的にどういったかたちでのシンボル上の視覚的かつ意味論的な連続性を多重的に示しているのか、また、それら連続関係が何故、「時期的先後関係の兼ね合いで」問題になるのかについては ―図内部に付してのキャプションの部の読解からだけでも大体は理解いただけることかとは思うが― その委細を先の段に譲る。
譲ったうえでフリーメーソン・シンボリズムとソ連国章が接合性を呈しているとのことについて[ソロモン神殿の寓意]が介在していると申し述べられるようになっていることを訴求すべくもの図を下に挙げる。
上の図解部は従前呈示のものに多少アレンジ加えての再掲図であるが、といったものとしての同図解部で指し示したきことについては先立っての映画作品『ファイト・クラブ』に伴う事前言及の特質を問題視するとの段で解説しもして「いた」ところとなる(該当部はそれ単体だけでもかなりの文量を割いてのところとなっている本稿にての出典(Source)紹介の部105の部となる)。
簡略化して述べれば、上掲図にあっての最上段にて呈示している図ら、すなわち、
(右上)[フランシス・ベーコン著作『ニュー・アトランティス』に掲載の口絵]
(左上)[ Le Sanctuaire de Memphisという著作(フリーメーソンにてのメンフィス儀礼の構築に功あったとされる人物 Jacques Etienne Marconis de Negreが19世紀に著した仏語著作)に掲載のメーソン・シンボリズム要覧図]
らを引き合いに従前、大要にして次のことを訴求していたとのことがある。
映画『ファイト・クラブ』にあっては「噴水の中に据え置かれた」「巨大な」「黄金色を呈しての金属製の」【球形オブジェ】が爆破されて[チェス盤上のスペース]に向けて階段を転げ落ちていくとの描写がみとめられる(上掲図にあってはその【中段部[左部]】にあって映画劇中にてのそちらプロセス ―球形オブジェが時限爆破されて転げ落ちていくとのプロセス― の再現図を再掲しもしているが、出典(Source)紹介の部105にて主として解説しているように映画『ファイト・クラブ』にあっての国内流通DVDにおける本編開始後【1時間45分44秒】から【1時間45分55秒】の箇所にて見てとれるシーンがそれ絡みのシーンとなる)。
他面、現実世界ではワールド・トレード・センター、そのオースティン・トービン・プラザにあってツインタワーの間に据え置かれるとのかたちで「噴水の中に据え置かれて」「巨大な」「黄金色を呈しての金属製の」【球形オブジェ】たるザ・スフィアという著名オブジェが設置されていた(上掲図【中段[右側]】の図はそのワールド・トレード・センターのオースティン・トービン・プラザのザ・スフィアを巡る位置関係を簡略表記なしたものとなる.それにつき、先の出典(Source)紹介の部102(4)以降の段で詳述してきたことだが、ワールド・トレード・センターにあってのツインタワー敷設のスフィアについては視覚的に映画『ファイト・クラブ』のそれ ―よくもこのような大がかりなセット(コンピューター・グラフィックスの部の配分は分からない)を用意してまでこさえたものだ、と思えるような堂の入りようの球形オブジェ― と[ほぼそっくりなもの]となっている)。
さて、映画『ファイト・クラブ』の球形オブジェ ―現実世界のワールド・トレード・センターのツインタワーの合間にあったザ・スフィアのイミテーションそのものと述べても何ら差し障りなきもの― の爆破描写は、(先だって指摘してきたことをこれまた繰り返すが)、
[独特なる段差(ステップ)の部を経て玉をチェス盤模様のスペースに向けて転がす]
ものとなっていたのだが、フリーメーソンの象徴主義ではそうした構図と際立っての同一性を呈しているところとして、(上掲図【上左部】の[ Le Sanctuaire de Memphisという著作に掲載のメーソン・シンボリズム要覧図]に認められるように)、
[ステップ(小階段)]・[二柱の柱たるヤキンとボアズ]・[チェス盤模様の床]がワンセットにされている]
とのことが「頻用されるとの式で」見受けられるようになっている ―上掲図にての【下段】の部にても同様の構図( Washington's Masonic Correspondence(1915)との書籍から抽出したとのフリーメーソンシンボル画にみとめられる構図)が認められるところである。また、本稿では同じくもの構図に関わる他の例としてトレーシング・ボードにまつわる図葉を挙げたりもしている― 。
従って、[実際に露骨に照応するものとなっている]との[映画『ファイト・クラブ』に登場の球形オブジェ]および[ツインタワーのザ・スフィア]らにあってのツインタワーの位置付けを顧慮すれば、ワールド・トレード・センターのツインタワーというものは ―(『ファイト・クラブ』のザ・スフィア・イミテーションの爆破シーンがそれと視覚的に完全に対応するようになっている(上にて再度呈示の図をきちんと見ていただければお分かりいただけるように、[ステップ(小階段)]・[二柱の柱たるヤキンとボアズ]・[チェス盤模様の床]との共通モチーフで対応するようになっている)との意味合いで)― 【ヤキンとボアズの柱】の仮託物となってもいるとの観点が導出されることとなる(:理由となるところとしては、である。他にもここまでそれらのことにまつわることを図を数多挙げながらも解説してきたところとして【ヘラクレス功業にまつわるシンボリズムを介しての接続性】や【フリーメーソン象徴主義に塗れた他の[前言]作品の性質の問題】などなどもあるのであるが、ここで再度取り上げている一致性問題それひとつとってからしてツインタワーがヤキンとボアズの仮託物となっているとの観点が導出されるかたちともなっている)。
以上、先の訴求事項を繰り返しもしてのことに言及したうえで書くが、筆者は
「ソ連という統治体もまた[文明のインキュベーター]として構築された国家であろう」
と見ている。そうも述べることに何ら飛躍はない(と強調したい)。
というのも、
[ソロモン神殿](の正面に配されてのヤキンとボアズの柱)
の寓意でもって[彼ら流の神]の意向に基づき望ましき世界の構築を謳ってきたのがフリーメーソンという団体となるわけであるが(フリーメーソンを[神なき宗教]であると誤解してとらえる向きもあるようだが、本稿にての出典(Source)紹介の部106(6)で The Symbolism of Freemasonry: Illustrating and Explaining Its Science
and Philosophy, its Legends, Myths and Symbols.(1882)とのオンライン上より全文確認となっている著作より引いたところとして The Masons that are in it are not occupied in thinking, or speculating,
or reasoning, but simply and emphatically in working. The duty of a Mason
as such, in his lodge, is to work. Thereby he accomplishes the destiny
of his Order. Thereby he best fulfils his obligation to the Grand Architect,
for with the Mason laborare est orare―labor is worship.
「メーソンは[思索]・[推察]・[理由付け]に専心するとのものではなく、ただ単純に、そして、強調されるところとして[活動すること]に専心しての存在となる。それによって、メーソンはおのれに課された[オーダー]を完遂するのである。それによってメーソンは[偉大なる設計者](グランド・アーキテクト)へのおのれの義務を充足させるのである。何故なら、メーソンにとり[労働は崇拝( laborare est orare )]であるからである」(引用部はここまでとする)とメーソンらには定置されているようなところがあり、彼らは自分達が熱烈な[信仰心に近い感覚]で動かされていると自認したりしている)、 といったフリーメーソン的紐帯に多分なる影響を与えたと(一般論にて)述べられているところの思想家フランシス・ベーコンの著作に見る、
【文明の促進機構としての[ソロモンの家]】
に通ずるところの寓意がソヴィエト連邦の国章にもまた「視覚的に」反映されているとのことが[現象]としてそこに「ある」、だからこそのここまでの迂遠なる繰り返しを多分に含んでの説明となる (についてまだ理解が及んでいないとの向きはフランシス・ベーコン著述『ニュー・アトランティス』扉絵に見る柱の間の球形オブジェ構図を上掲図にあって呈示しているとの部位、そして、それがフリーメーソン・シンボリズムと接合していることを ―とにかくもって図の注視を通じて― 確認いただきたい(本稿のつい最前の段までにて『ニュー・アトランティス』に関して述べてきたことを顧慮のうえで確認いただきたい))。
そのように指摘しても物事を表層的にしか見ないとの人間 (何ら物事を検証する能力もない、また、意思もないところで話を聞こうともしない機械のような者は問題外である中で物事を見ようとするとのことはある、だが、表層的にしか見ないとの人間) などは
「しかし、ソヴィエトはただの失敗国家だ.その後裔の衛星国家らも[人類の進歩]に何ら貢献していないとの牢獄、赤い貴族(あるいは甚だしくは赤い王族)が支配しているとの愚劣なる統治体 ―人間(の置かれた状況)の愚劣さを確認せざるをえないとの統治体― と「なった」ではないか」
ととらえるかもしれない。
そうした見方は二点ほど誤っていると手前個人は見ている。次のような見立てからである。
「第一。フリーメーソンを動かす力学、あるいは、チェス盤上の人間の操作の力学とでも述べられようものにとって[真に望ましい世界の構築]とは(人形らに与えられた建前はどうでもいいとして)[人間にとって望ましい世界の構築]を指すものでもなければ、そもそも、[人間世界の存続][人類の存続]を指すこと「でさえない」と述べられるだけの事由が山積している (:本稿全体で何を述べているかよく振り返って見ればいい.蚕棚(かいこだな)を住みやすきものにしても蚕が最後に熱で殺されるとのことに変わりはないとのことに通ずる話の論拠を本稿では膨大な文量を割いて延々と呈示しているわけだが、それら論拠群でもって、多くのことをご理解いただけるであろう)。 であるから、[人類の進歩]なぞとというものをこの世界にて問題視することはそも、ナンセンスである ―人類という種が進歩を約束された種ならば、社会矛盾の束、[他罰的宗教][他罰的イデオロギー]なぞに由来する狂気などは文明水準と情報の浸透度が向上していく中で漸次的に取り除かていくべきところであろう? だが、そうはなっていない。なんらなっていない。この世界では、そう、人形のように空っぽの目をした精神性なき者達がこれ数多、全くもってしての醜悪な虚偽を常識として薬籠中の存在として日々を生きている(そして本稿にて述べたことから照らしあわせて見れば、「愚劣」も甚だしいことに何も変えようとせぬとのありようで「生き続けて「いける」」と信じている)とのこの世界では[狂信的宗教][狂信的イデオロギー]なぞに由来する社会矛盾の類は残置、本質的にはなんら改善せずに密行化しながら残置し続けているし、統治機構もその改善に努めるどころか、寄り添うものとして存在しているとのありようを見せている(詰まるところ、[人間の進歩を肯定「しない」力学]が世界には強くも伴っており、に関しては、人間が目的ずくで養殖されてきたとの観点からとらえれば、利と理に適っていると受け取れるところともなっている― ) 。
第二。第一の観点で見る(『ニュー・アトランティス』に見る)[望ましき世界の構築]とは[文明が特定水準に至るまでの発達を見た世界の構築]であろうととらえられるとのことがある。いや、よりもって至当ととれる言い様をなせば、[特定の技術体系の発現を育種対象になさしめるにまで煮詰めた世界の構築]であろうと考えられるとのことがある (フランシス・ベーコンのニュー・アトランティスの表紙に[時の翁]状の存在が鎌を持って刈取りの準備をしているような様が見てとれることは先に言及したが、至れりつくせりの永年に亘っての ―とは述べても一日千秋、【時間の尺度】が異なる存在にとっては永年とはならないかもしれないが― [養殖活動]にはゴール・目的地がはなから用意されている節があるととらえられるだけのことが「ある」)。 その他の部、たとえば、[高度経済社会の発達]やそれによって担保される[娯楽](数多の人間に不満を忘れさせるためか、あるいは、それすらも嗜虐的やりようの賜物なのか現実世界では「本質的には何ら[生きる]ために闘おう」としない人間らが望ましい世界に向けての闘争を命がけでなすといったテーマを有するフィクションらも込みにしての[娯楽])や[生活技術の向上]らといった部はいかにそれが[主たるもの]であるように見せられていても「本来的には」現実に抗うかサボタージュして然るべき(だが、そのような途は決して選ぼうとしない)との【構築子ら】に与えられた[夢]の部にしかすぎない、そのように考えられるとのことがある ―そのように「露骨に見える」との論拠が奈辺にあるかは本稿を最初から最後まで検討いただければご想像いただけることか、とは思う― 。につき、(構築子に与えられた夢の部がいかなるものであれ)、「望ましき」世界構築(人間のためではない式での「望ましき」世界構築)の目的に資するものであれば、[世界を構築する存在(構築子たる人間)にあっての思想的失敗も構築子(人間)の大量死]もまた合目的なものとして歓迎されてきた素地がある」
先掲のありうべき観点、「ソ連の存在意味を無なるもの、反面教師のそれ以外には失敗国家のゼロなるものに過ぎぬ」と見るような観点に対して手前が呈示したきところの以上呈示の見立ては[条理・道理たるところを(長大なる本稿にて呈示のことを未読のためか、キャパシティを越えるためか)理解なさない・理解なせないとの人間]ならば、理解に失するとのものかもしれない、あるいは、甚だしくは却(かえ)って筆者のことを異常なる人間、奇天烈なる見方をし、なおかつ、その意味なき訴求に執拗に注力なしての異常なる人間ととらえるうえでの材とするであろうことは承知のうえで引き合いに出しているものである。
また、たとえ道理に通じている向きでも、筆者のことをして冷酷極まりない見方をする人間ととらえる向きもいそうであろうこと(そうした見方をなす人間がこのような世界にそうそうに存在しているととらえること自体が過分なる期待なのかもしれないが、取りあえずも述べればそういう人間もいようかと受け取れること)をも承知のうえで表記のことを引き合いに出している。
だが、筆者は ―この人間存在の意味を根源から愚弄しているといった嗜虐的反対話法で満ち満ちた偽物のものであると指摘したい世界にて― [本当であると「判断」できるだけのこと]を申し述べることは語るに値せぬ向きら、相応の向きら ―(絶対に何も変え得ないし、むしろ、何かを変えることを拒否することに注力し、その結果、望ましき未来をついぞ勝ち得ないとの種別の存在)― に自身が訴求せんとしていることがいかようにとらえられるようとも、また、その訴求なしたいこと自体が実体としていかに「残酷極まりない」ことでもそれを呈示することが望ましいことであると思っている ―その申しようが[適正なる論拠呈示]を伴っているのならば、だが― 。
その点、「残念ながら」、ここにて呈示の見立てからして筆者の偏頗(へんぱ)なる一主観に依拠しての申しようではない、論拠あってのことである(「書き手は異常者である」との話では済まない)とのこと、是非とも読者諸氏におかれては検証なしていただきたいものである(筆者がこうもくどくも表記しているのはそれが[本質]であると判ずるに足る理由がそこにあるからであると慮(おもんぱか)りいただきながらのこととして、そうも願う)。
さて、フリーメーソン・シンボリズムと際立っての視覚的相関性を多重的に見出せるとのその特質に鑑みれば、
[ソロモンの家による文明育成を主要テーマとするフランシス・ベーコンの『ニュー・アトランティス』扉絵に通ずるソロモン神殿の柱(ヤキンとボアズの柱)]
とも深甚なる関わりあいを見せていることも理解なせようとのソ連シンボリズム、いや、ソ連やその衛星国家の建国、そして、存在それ自体の背面にあるところの意図は
[闘争それそのものによる技術革新(必要なる技術進歩)をもたらすとの意図]
[人間の視点を偽りの対立に釘付けにし、真なる問題性に注意が行かないようにするとの意図、また、体制自体が崩壊しても矛盾自体を残置させて、その矛盾にがんじがらめにされた人間に(同文に)真なる問題性に触れさせないようにするとの意図]
であろうことか、と見えもする。
前者の意図 ―[闘争]そのものが[発展の具]である、とのことに関わりもする意図― については、である。本稿にて取り立てて問題視している、
[現在の巨大加速器]
に至るまでの流れが(民族迫害に対する反作用として推進された)[マンハッタン計画]あってこそのものとなっている、そして、そこに相応の寓意性が介在していることが窺い知れるようになっていることを殊に重視して然るべきであると筆者は見ている。
(本稿にての出典(Source)紹介の部84を包摂する解説部では
[奇怪なることが束になって相互に密接につながりあっているところの(関連するところの)関係性、の中にあって、僅少なるひとつの構成要素に対しての指し示し]
としてながらも原爆開発が加速器、ひいては、ブラックホール生成と揶揄されるに至った実験といかように「多重的に」接合しているかも紹介している。
すなわち、
[「半世紀ほど、後の時代にあって」ブラックホール生成装置と考えられるに至った円形加速器の発明者「ら」(レオ・シラードおよびアーネスト・ローレンス)によってマンハッタン計画とは提案・推進されるに至った計画であり、といった同計画の指揮を現場でなすに至ったのは(ブラックホールという言葉すらもがなかった折ながらもの)ブラックホール理論開拓者であるとの男(ロバート・オッペンハイマー)となっており、同計画によって戦後、後にブラックホール生成問題で主としてその挙動を問題視されるに至った機関ら(フェルミ国立研究所/ブルックヘブン国立研究所/CERNら)が誕生を見ている]
との式でまとめているようなことが現実にあることを解説している。
ブラックホール生成問題にて矢面に立たされることになった今日の主要加速器実験機関らがナチスドイツのユダヤ人迫害(そして太平洋戦争での日本の敗北によって終息する第二次世界大戦)によって産まれ落ちることになったとのその一事に見るように人間の文明は[闘争]を通じて進歩を見てきたものである。闘争は[調整]を誤って「やらせ」すぎれば、対象、闘争を引き起こす対象の社会(最後は煮沸などして熱死させることになる蚕らを押し込めての蚕棚でもいいが)を破壊しかねない劇薬となるものだろうが、そうもした中で「必要な技術水準にすんなりと到達させるべく」の【名分】を与えるため絶妙なバランスで調整されての闘争・緊張状態が具現化させられているように考えられもするようになっている(そのためのひとつの具材としてのナチスや大日本帝国、ソヴィエト連邦であったとも解される/尚、今日における高度情報化社会、コンピューター化社会の基礎は二次大戦下、そして、冷戦下の【バリスティックス(弾道学)の技術を煮詰めるうえでのコンピューティングの高度化】と紐付くかたちとなっており、そうもした高度コンピューティング社会の成立が加速器「実験」への技術投下・名分付与にも関わっているとのことが現実にある ―インターネットの来歴が、そも、どこにあるのか、分散コンピューティングの加速器実験における効用とは何か、また、たとえば、日本ではヴィデオゲームという幻影投影媒体の大御所となっている会社の社名由来ともなっているENIACといったものがどういった目的で世に出たのか、そういったことから調べてみれば表記のことがどういうことなのか、部分的には分かろうかとは思う― ) )
(【闘争を通じての理想的進化】との観点については直上までにて言及したとして) 後者の意図 ―人間の視点を偽りの対立に釘付けにし、真なる問題性に注意が行かないようにするとのことに関わりもする意図― については人間という生き物、いや、生物というものは絶えず【生きるための本能】としていろいろなところに注意を向けるものであるとのことから考えれば理解なせようとのことである。ぬくぬくと生きられるような生育環境を与えられていたとしても、あるいは、本能が脳機序の操作でまったくもって異常なる方向で歪められていたとしても、いみじくも知性ある存在ならば、そう、機械的な式で紛い物としての素養を移植された者達であろうと、自分達が生きる環境が[ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家]である可能性に注意を向けかねない(「鬱病とは生物学的[不適応]反応である、であるから、生きるために全神経を目先の方向に向ける必要がある戦地にあっては鬱病はない」との式で生物は生きている限り生存のための緊張と闘争を前提に機能しているのであるし、ときに、自らをそれを是とする)。
であるから、
[偽物の闘争に注意を向けさせ、[紛い物の生]にあって対象の[緊張]を生物としての本能に依拠してのかたちで調整しようとのニーズ]
が生じもし、人間存在の注意をそちらに一意専心して向けさせるべくもの
[マクロのレベル(社会全体を射程においての巨視的なるレベル)での闘争]
を[悪役]とワンセットに造りだすとのことがなされてきた、それがためにソ連ら社会主義陣営 (その国章からしてソロモン神殿のシンボリズム ―911の事件の奇怪なる予見的言及に接合しているところのシンボリズムでもある― に濃厚に結節していることがフリーメーソンのシンボリズムに通暁した向きにして思考能力ある向きには理解出来るようになっているとの統治体ソ連を中枢とした全体主義国家群) と自由主義陣営の対立であった「とも」考えられるところではある ―※ジョージ・オーウェルという作家の有名なディストピア諷刺小説『一九八四』では[人間の精神と生活を掌握するためだけの[まやかし]の世界戦争]がここでの話そのままに恒常的に演じられているとの筋立てが採用されている(その目的は[権力それ自体にある]との人間的目分量の域を出ていないとのかたちで設定されているのだが、とにかくも、そうもした筋立てが小説内で採用されている)のだが、そうした小説『一九八四』描写が最悪のかたちでこの世界の真実を穿(うが)っていても何らおかしくはないとの見立てを筆者は抱いている(社会の統計的現実を分析する[知]の力が無い、個人の悲喜劇をもってして良くも悪くも社会の悲喜劇の問題に拡張解釈してしまうような相応の人間(ワイド・ショー・クオリティの人間)はそれで満足しようとの[市中の狂った通り魔の類の凶行]とは一線を画するところで[マクロレベルでの闘争]を具現化させる必要があった(よりもって生存状態の危機に対する感受性が高い向きらの感性をそこに釘付けにするための闘争を演出する必要があった)のかもしれないと筆者は解している)― 。 行状の悪辣なること、明々白々な敵役がそこに居て、それが将来これより現実に排斥される可能性があるように見えるようにされているのならば、(たとえ人間社会の実体の過半が紛い物でも、そして、真なる敵は個々人の脳機序に介入しようとしている存在であったとしても)、[生物が程よくそれを発揮しているところの野生の緊張状態]を本当に問題となるところに向けさせずに適正に調整できるようになるとの発想法があってもおかしくはない、そういうことと表裏をなすところとして、である。
これにて補説4の段の末尾にあって申し添えておくべきか、と判断しての話 ―[ソ連国章(1923年制定)と同国章制定より以前から存在していることが書誌情報から明示可能なるフリーメーソン象徴主義が【現実的現象】として視覚的・意味論的(ブレイジングスターとしての五芒星がフリーメーソン象徴体系では万物を見る目に置き換えできるとの意味論的ありよう)で接続していると述べられるようになっているとのこと]、および、[[メーソン象徴主義と共産主義象徴主義のあまりにもできすぎた連続性]からして[フランシス・ベーコンの文明育成装置としてのソロモンの家について取り上げている著作『ニュー・アトランティス』に見る象徴主義]や[911の予見的言及]の如きものに通ずることとなっているとのこと]についてそうもしたことよりおもんぱかれるところを呈示すべくもの話― を手仕舞いの方向に持っていきたいと思う。