論客デーヴィッド・アイク展開の異説、そちら異説にあって欺瞞性が強くも現われているようにとらえられる部分が何故もってして[人間存在の直面する陥穽]に通じていると判じられるかについて 補説2
先だってのページまでにて補説2と銘打っての部にて指し示すべきかと判じた[重大事にまつわっての多重的関係性の所在]についてほぼ指し示しきった ([重大事にまつわっての多重的関係について指し示しきった]との言いように大言・高言と指弾される余地がないか否か、銘々、自身の運命を屠所の羊のそれと同様のものに扱おうとの力学など認めるつもりはないとの銘々におかれては是非ともその「指し示しきった」と申し述べるところの対象の理非の程を ―(粗探ししてやろうとの批判的視点でもってしてでも)― 検討いただきたいものである)。
[確認のための弁]として:
直上にあってそうも述べた[指し示しきった]とのことについて申し述べておくが、[ひたすらにもってしての指し示しに努める]とのことをこの身が履践しているのは
「読み手の興味本位の精神に応えるための話をなす」
「(中途半端に)忌まわしき世界にての忌まわしき社会問題を訴える」
といった意図に因るところでは元より「ない」(筆者のことをよくも知らずに『この物書き崩れが...』『どこぞやらの山師風情が...』などと見たがるような向きらは「よりもってして」そうした予断・偏見などを抱こうか、とは思うのだが)。
本稿筆者の念頭にあるのは
[社会改変]を促しつつ、もって、このままいけば、遠からず殺されるであろうこと「自明」である(と示せると明言するしそこに判断上の行き過ぎがないのか確認を求めたい)との状況にあって、この身自ら、そして、この身が個人的に守りたいと思っている向きら、そして、正しきところを残し育む可能性がある良き者達(『屑など死んでも構わぬ』とのある種の非情冷酷さを伴った筆者のような胸中の人間に比べて本当に善良なる者達)の生き残りをただただ担保したい、その目的のために、 ―そうも述べるとこれまたもってして大仰に響くかもしれないが― 多くの人間に[確認]を「なしきりたい」
とのことだけである。
につき、[この「ような」世界](ニュアンスを当然にお分かりいただけようか、と思うところとしての「ような」付きで述べてのこのような世界)で市民運動家(と分類されるような人種)やジャーナリストの類がそうしたことに向き合いもし、自身の生き様に矜持を持ちもしている(あるいはよりもってありそうなところとしてそのフリをしている)のであろうとの諸々の[社会問題]、そこに見る「非」本質的な[社会問題]なるものを訴えることなどは本稿筆者にとり、言うならば、二の次・三の次のことであり(述べておくが、世界中に根絶せねばならぬとの不幸や不条理が満ちていることは筆者もよくもってして承知のうえである ―たとえば、中国や北朝鮮のような自分のこと「しか」考えぬ・言われれば何でもやるとの下らぬ相応の人間らを数多含む[尊厳]軽視社会にあっての労働収容所の問題などその最たるものであろう― 、そう、「地球全体・人類社会全体を水槽に見立てた場合、不条理な淀みはなくすにかぎる」との観点からそうもしたことに異を呈することは誰かがやらねばならないことであるとは思っているが、方法論も込みに「現行の」[社会問題]なるところへのアプローチは筆者にとって二の次・三の次であると述べている)、 筆者がただただそれのみ志向しているのは
[「問題」社会(本稿筆者が[蚕の煮沸死とワンセットになった本質的蚕棚(かいこだな)]と内心見ているところの「問題」社会)の露骨に示唆されている行き着く先にまつわってのこと]
について
「[確たる事実]を[自分達を死地に追い込むまさしくものそのやりよう]として眼前に突きつけられて[なおもって何もやらぬ]種族に明日などあるわけがないとのことを伝える」
とのことであり、そのために長大なる本稿をものし、その全内容でもってして
「「遠からずもの人災(マン・メイド・ディザスター)としてこういうことが具体的に企図されていると摘示できるようになっている(なってしまっている)」「それは[頭の本然的作用を破壊されたような人間]たちの[目的尽くの最終的に行き着く先]の問題と接合していると易々と解されるようになっている」が、諸兄ら(あなたがたら)はそれでよいのか」
との[確認]を(前述のように自分自身と守るべきと見ている者達の生き残りを図るために)なそうとのことである ―尚、筆者にそうも述べるだけの資格があるのか、また、話柄が[字義通りに行き過ぎたもの]として斥け「られない」とのことが果たして本当にあるのか、(筆者の理と知の水準の問題をよくよくも検証いただきながらも)本稿全体からご判断いただきたい― 。
またもってして述べるが、現実に抗う勇気・能力がない、ただただ[屠所の羊]として殺されていくだけである、それでよい、との向きらには「はなから用がない」、そういう向きらには[残酷極まりない現実]に目を向けさせるような[残酷なこと]は元よりなしたくないとの観点(合理精神に加えもしての最低限ながらもの人情にも依拠しての観点)がこの身、筆者にしてからあること、何卒、履き違えずに認識いただきたいものである ――だが、もし貴殿が[俺・私は殺されると分かっているのならば、[圧倒的上位者]を含めいかなる相手にもそのやりように異を呈する]との精神(意志の力)を少しでも有しているのだとするならば(あるいはそうだともって任じたいというのならば)、そうした向きには[状況]を呈示しての[確認]を筆者は求めるであろう。
の際、[明朗明らかなる事実]を懇切丁寧に「証示」されたうえで too big to fail[大きすぎる問題だからそれは挫くことはできない]との諦観とワンセットになった観点(筆者が「誰も国内ではそれをやらぬ中で」訴求の用のためだけに権威の首府相手に一審からして二年間、法廷に立ってきたLHC関連行政訴訟に関して知人に言われた言葉であり、また、呈された観点)では「なく」にもの、
[後追い確認容易なる確たる具体的事実の存在そのものを意固地に認識しない・認識しようとしないとのありよう]
で[問題となること]になんら向き合わぬ向きらに関しては、そうした[心なき者ら]が舌の先で何を言おうが、また、頭で何をどう勝手に思い込もうが、筆者はそういう向きらには「[確認]はもう済んでいる」と当然に看做すとも申し述べておく(そのような「もの」には残念ながら[生き残る能力などはなからない]とこの身からして当然に判断しきると述べている)―― )
さて、先だってのページまでにて[指し示しきった]と申し述べることら(直上、長くも付した[「確認」にまつわっての言]のことはともかくにも、の[指し示しきった]と申し述べることら)についてここ本頁では別観点から幾点か補足しておくべきかと判ずることがあるのでその点についての解説を ―「かなりもってして長くなる」も― 続いてなしていきたい。
「長くなるも、」の補足として
補説2と振っての長大なセクションでの指し示しはもう幕を引いてもいいところまで来ているか(そして、次いでもの(同文に生き死にの問題に関わるところを指し示すべくもの)補説3に移行するところまできているか)と本稿構成に思いを巡らしての執筆者として考えてもいるのであるが、補足として加えて取り上げるべきかと判じたところにつき取り上げておくこととする。
さて、唐突だが、本稿のより先立っての段では
[[龍宮伝承]と[五芒星形状を呈する呪符(セーマンと呼称される呪符)を用いて潜水する海女にまつわる慣習]]
にまつわっての解説をなしていた。
そうもした先立っての解説の段にあっては
海女(職業的潜水夫)らが五芒星形状の呪符 ―セーマンと呼ばれるそれ― を身に帯びて潜水するのは俗間では[龍宮に引き込まれるのを防ぐ]ためとはされているが、[海女らが用いている五芒星]が[龍宮伝承]と結びつくとのことは口伝・口誦として語られるにとどまる節ありのところであり(:セーマン・ドーマンと呼ばれる魔除けと龍宮の関係についてはそのことを紹介したウェブサイトも目立つように存在しているが ―検索エンジンで検索することでも表示されてくる― 、おそらく該当古文献[非存在]ゆえにであるからであろうも、といったところ含めて古典上の由来というものが「現行は」どこにも呈示されていない)、 そう、[史的論拠たる[文献的事実]というものを同定できない]がために同じくものことは
歴史的因習としての面で見た場合、竜宮と五芒星紋様を結びつけるが如きことは史的励行の有無の確実性としては弱い節がある
とのこと、申し述べもしていた。
(:につき、(本稿別所で別観点にてその内容を問題視しもしていたとの著作でもあるとの) かの南方熊楠の手になる『十二支考』にあっては
(以下、オンライン上の青空文庫媒体より全文確認できるとの南方熊楠の手になる『十二支考 蛇に関する民俗と伝説』より再引用なすところとして)
種彦の『用捨箱(ようしゃばこ)』巻上に、ある島国にていと暗き夜、鬼の遊行するとて戸外へ出でざる事あり。その夜去りがたき用あらば、目籠を持ちて出るなり、さすれば禍なしと、かの島人の話なりといえるは、やはり新島辺の事で、昔は戸口にも笊を掛け、外出にも持ち歩いたであろう。種彦は、江戸で二月八日御事始おことはじめに笊を門口に懸けた旧俗を釈(と)くとて、昔より目籠は鬼の怖るるといい習わせり、これは目籠の底の角々は☆如此(かく)晴明九字(あるいは曰く晴明の判)という物なればなり。原来の俗説、ただ古老の伝を記すと言ったが、その俗説こそ大いに研究に用立つなれ。すなわちこの星状多角形の辺線は、幾度見廻しても止まるところなきもの故、悪鬼来りて家や人に邪視を加えんとする時、まずこの形に見取れ居る内、邪視が利かなくなるの上、この晴明の判がなくとも、すべて籠細工の竹条は、此処(ここ)に没して彼処(かしこ)に出で、交互起伏して首尾容易に見極めにくいから、鬼がそれを念入れて数える間に、邪視力を失うので、イタリア人が、無数の星点ある石や沙や穀粒を、袋に盛って邪視する者に示し、彼これを算(かぞ)え尽くすの後にあらざれば、その力利(き)かずと信ずると同義である。節分の夜、豆撒くなども、鬼が無数の豆を数え拾う内に、邪力衰うべき用意であろう
(再度の引用部はここまでとする)
との記述内容、大要、
[特定古文献(江戸期戯作者たる柳亭種彦の手になる随筆『用捨箱』)などに典拠求められるところとして[鬼の遊行]による災いを避けるため籠(かご)を持ち歩く風習や笊(ざる)を家屋に立てかけるとの風習があるとのことである。これは籠(かご)などの底の編み目が[五芒星紋様][晴明九字]の形態に近しく、各辺に出口のないその構図より悪鬼がやってきて[邪視]をなさんとしてもそれに見入ってその[邪視]が[邪視]の用をなさなくなるからであるとされている(ことによる)]
との記述内容がみとめられると申し述べつつ、
「日本国内でも西洋と同文に五芒星それ自体が魔除けの呪符として諸所にて用いられてきたとの経緯は確かに[古文献](『用捨箱』など)それ自体にみとめられる文献的事実である」「だが、それが[大昔からの因習としての[[龍宮](というもの)に対する海女(職業的潜水夫)らの魔除け観]としてそこにあったことまでを明瞭明確に示す証跡は(調査しても)目につかない」
とのことを付言しもしていた)。
(最低限の節義の問題としてお断りしたきところとして)話の筋がまだ読み手に見えなかろうとのところにあって[細々としたこと]について延々云々するようで何ではあるのだが、そうもしたこと、龍宮に対する魔除けとして海女らが五芒星を用いるとのことが確たる伝統を伴う式で史的に励行されてきたのかあやふやではあるとのことを述べての段にあっては、あわせて、「ただし、」付きで
「ただし、[龍宮]と[海女](セーマンという呪符を帯びて潜水する習俗が現代に一部伝わっているとの職業的潜水夫)が ―([五芒星]はそこには出てこないながらも)― 著名古典にて結びつけられているとのことまでは明朗なる文献的事実の問題としてそこにある」
とのかたちでの説明「をも」講じもしていた。
(:何故、従前の段にて上のようなことの解説に力(りき)んで取り組みもしていたのかについて振り返りもして述べれば、である。
事実1:「龍宮とは時間が歪んでいるとされる領域であり(浦島伝承)、かつ、同・龍宮は常闇の領域たる常夜の領域であるとも(古典それそのもの依拠しての観点で)見られうるもの「でも」ある」
事実2:「そうもした龍宮の災厄を避けるために五芒星のことが(伝統性との意味での根の深さの問題はともかくも)俗間にて引き合いに出されている」
との一般論としての単純で明朗な二つの事実と、それら二つの事実に対しての、
事実3:「ブラックホール近辺は時間が歪んでいる領域であり、またもってして、常闇の領域に親和性高いところであると解説される」
事実4:「「どういうわけなのか」ブラックホール(がかったもの)に相通ずる要素として[五芒星]及び[五芒星と永遠に続く相互内接外接関係で結節する正五角形]のことらが近年にあっての欧米圏文物らに見てとれるとのことがある」
事実5:「上(の事実4)にあって言及しているところの文物らは[双子のパラドックス]と呼び慣わされる物理現象にまつわるところでこれまた「どういうわけなのか」そうしたものが存在しているとの[911の事件の発生の「予見的」言及要素]と多重的多層的に接合する側面を帯びもしている」
事実6:「上(の事実5)にあって言及しているところの[双子のパラドックス]は本然として浦島にての竜宮滞在によって生じた時間のズレと結びつけられるが如きものとなっている」
との各事実らの間にあっての「奇怪なる」相関関係の問題に注意を向けたかったとのことがある、よりもって巨視的なるところのことらにあってのたかだかものワン・オブ・ゼムの問題、themがmanyであるとのところの問題としてながらも注意を向けたかったとのことがあるからである(尚、理解が早いとの向きに対してはいちいちもって述べるまでもないことか、とは思うが、表記の事実1から事実6より導きだされるとの(全体の中で極々部分的なる)関係性とは単純化させると、詰まるところ、次のようなものである ⇒ 竜宮 ←→ [時間の遅れが生じる、時空間が乱れる場][常闇の領域] ←→ [ブラックホール近傍のありようとの質的近似] / 竜宮 ←→ [五芒星紋様と「部分的に」結びつく領域][双子のパラドックスと相通ずる領域] ←→ [五芒星紋様・正五角形紋様(五芒星と正五角形は永遠に続く相互内接・外接関係を呈することでよく知られる)の類と関わり、かつもってして、双子のパラドックスとも結びつく欧米圏文物が911の「奇怪なる」予見的言及文物として存在しているとのありよう] ←→ [左記の如しの文物におけるブラックホールを描いての内容] ←→ [ブラックホールの特性・五芒星と通ずるとのありよう・双子のパラドックスと通ずるとのありよう] ←→ [竜宮](回帰;「奇怪なる」911の事前言及にまつわるところでの「奇怪なる」回帰)))。
表記のことにつき、より具体的には、である。(繰り返すも古典それ自体ではセーマンと呼ばれる五芒星形状とは無縁ながらも)[海女らの龍宮探索]について扱っているとの『源平盛衰記』より特定部の記述を出典(Source)紹介の部75と振って抜粋し、海女と龍宮が結びつくことの解説を講ずることまで先だってなしていた。
壇ノ浦の合戦にての平家一門の行き先が八岐大蛇の眷族に利用されての龍宮であったとの内容を有しているのが『源平盛衰記』である。他面、浦島の行き先も ―「初期の」浦島子伝承ではその行き先は蓬莱(ほうらい)とされていたのであるも― 龍宮である(下の図はその点について触れたもので同図上段は山口県赤間神宮所蔵の壇ノ浦の合戦を描いた安徳天皇縁起絵図(英文Wikipediaに掲載されている著作権の縛りなきことが明示されたもの)よりの抜粋をなしたものとなり、同図下段は Project Gutenbergにて公開されている著作にあっての Edmund Dulacとの挿絵家の作となるものである)。
ここ補足部では海女と龍宮の関係について指摘するために取り上げていた古典『源平盛衰記』にての記述を再度、引き、そこからして(「別観点にて補足加えておくべきかと判じられる」こととのからみで)[問題になるところがある]との方向性での話をなしていく。
さて、疑わしきは引用テキストのグーグル検索エンジンなどへの入力・検索で内容確認いただきところの『源平盛衰記』よりの特定の下りよりの(出典(Source)紹介の部75にてなしたところを繰り返しての)再度の抜粋を下になすこととする。
(直下、オンライン上の国内サイト(j-texts .comとのサイト)にて掲載されている『源平盛衰記』(国民文庫刊行版として紹介されているとのもの)の特定の下りよりの抜粋をなさせていただくとして)
老松は母也、若松は女也。 勅定の趣を仰含。母子共に海に入て、一日ありて二人共に浮上る。
若松は子細なしと申す。
我力にては不(レ)叶、怪き子細ある所あり、凡夫の可(レ)入所にはあらず、如法経を書写して身に纏て、以(二)仏神力(一)可(レ)入由申ければ、貴僧を集て、如法経を書写して老松に給ふ。
海人身に経を巻て海に入て、一日一夜不(レ)上。人皆思はく、老松は失たるよと歎ける処に、老松翌日午刻計に上。
判官待得て子細を問。
非(レ)可(二)私申(一)、帝の御前にて可(レ)申と云ければ、さらばとて相具し上洛。
判官奏し申ければ、老松を法住寺(ほふぢゆうじの)御所に被(レ)召、庭上に参じて云、宝剣を尋侍らんが為に、竜宮城と覚しき所へ入、金銀の砂を敷、玉の刻階を渡し、二階(にかい)楼門を構、種々(しゆじゆ)の殿を並たり。
其有様(ありさま)不(レ)似(二)凡夫栖(一)心言難(レ)及。暫惣門にたゝずみて、大日本国(だいにつぽんごく)の帝王の御使と申入侍しかば、紅の袴著たる女房二人出て、何事ぞと尋、宝剣の行へ知召たりやと申入侍しかば、此女房内に入、やゝ在て暫らく相待べしとて又内へ入ぬ、遥在て大地動、氷雨ふり大風吹て天則晴ぬ。
暫ありて先の女来て是へと云。老松庭上にすゝむ。御簾を半にあげたり。庭上より見入侍れば、長さは不(レ)知、臥長二丈(にぢやう)もや有らんと覚る大蛇、剣を口にくはへ、七八歳の小児を懐、眼は日月の如く、口は朱をさせるが如く、舌は紅袴を打振に似たり。詞を出して云、良日本(につぽん)の御使、帝に可(レ)申、宝剣は必しも日本(につぽん)帝(みかど)の宝に非ず、竜宮城の重宝也。我次郎王子、我蒙(二)不審(一)海中に不(二)安堵(一)、出雲国簸川上に尾頭共に八ある成(二)大蛇(一)、人をのむ事年々なりしに、
素盞烏尊(そさのをのみこと)、憐(二)王者(一)孚(レ)民、彼大蛇を被(レ)失。其後此剣を尊取給(たまひ)て、奉(二)天照太神(てんせうだいじん)(一)、景行天皇(けいかうてんわうの)御宇(ぎよう)に、日本武尊東夷降伏の時、天照太神(てんせうだいじん)より厳宮御使にて、此剣を賜ひて下し給(たまひ)し、胆吹山のすそに、臥長一丈の大蛇と成て此剣をとらんとす。去共尊心猛おはせし上、依(二)勅命(一)下給間、我を恐思事なく、飛越通給(たまひ)しかば力及ず、其後廻(レ)謀とらんとせしか共不(レ)叶して、簸川上の大蛇安徳(あんとく)天皇(てんわう)となり、源平の乱を起し竜宮に返取、口に含るは即宝剣なり、懐ける小児は先帝安徳(あんとく)天皇(てんわう)也、平家の入道太政大臣(だいじやうだいじん)より始て、一門人皆此にあり。見よとて傍なる御簾を巻上たれば、法師を上座にすゑて、気高上﨟其数並居給へり、汝に非(レ)可(レ)見、然而身に巻たる如法一乗(いちじよう)の法の貴さに、結縁の為に本の質を不(レ)改して見ゆる也、尽未来際まで、此剣日本(につぽん)に返事は有べからずとて、大蛇内に(はひ)入給(たまひ)ぬと奏し申ければ、法皇を奉(レ)始、月卿(げつけい)雲客(うんかく)皆同成(二)奇特思(一)給(たまひ)にけり。偖こそ三種神器の中、宝剣は失侍りと治定しけれ。
(引用部はここまでとする)
以上、引用なしたところに対して[文系]と呼ばれるような進路選択をなしたうえで(勝負運に恵まれていないのならばいざしらず)ほぼ意のままの大学に入学できるだけの古文・漢文知識(込:上にての引用文に含まれるレ点表記や一・二点表記に見る訓読メソッドに関する知識も含めての知識)を身につけた向きならば労せずもなせるであろうところの現代語訳をも ―長々としたものになるが― 下に付しておくこととする。
(直下、壇ノ浦の合戦の後、宝剣草薙が海中に没し、法皇(後白河上皇)が草薙の回収が図った中、海女が回収に召集されたとの下りについての直上『源平盛衰記』引用部に対するこの身による現代語訳を付すとして)
(宝剣回収のために招集された海女らのうち)老松オイマツという女の方は母親となり、若松ワカマツという女はその娘であった。
勅命の趣旨を言い含められたうえで彼女らは母子共々、壇ノ浦に潜り、一日を経て、浮上してきた。
若松が言うには「子細なし」とのことであった(註:「子細なし」とは「別状ない」と訳されるような言いまわしだが、この場合は悪い意味で「どうしようもない」とのニュアンスともとれる)。
続いて、
「我らが力では適うところではなく、怪しいとのところはあったものの、普通の人間が入り込めるようなところではなかった。如法経(法華経別称)を書写して身に帯び、神仏の加護を受けてのことならば先へと進めるであろう」
と言うので、由緒ある僧らを集め、如法経(註:[法華経]の別称である)を書写しそれを老松に与えた。
海女(註:引用元の『源平盛衰記』の表記では海人)としての彼女らはその如法経(法華経)を身にまとって潜水し、一日一夜の間、浮上してこなかった。人々が老松らは死んでしまったのであろうと嘆いていたところ、老松が翌日の午後に海中より浮上してきた。
そこで義経(註:この部は原文では[判官]と表記されているが、前段の文脈上、検非違使として朝廷に仕えていた源義経、頼朝に討伐される前の源義経が草薙之剣回収作戦に旗下100騎を伴って関与しているとの記載が認められるので、この場合の[判官]とは[判官贔屓]の語源としても知られる[検非違使(判官)としての九郎義経]のことであろうと当然に解せられるようになっている)が「どうだったのか」と委細を問うた。
すると海女らは
「申し上げることができません、帝の御前でならば申し上げられますが」
と言うので、義経は海女らを伴って上洛した。
義経が用向きを上奏したならば、老松は法住寺(の後白河の)御所に召し出され、そちら御所庭園にて彼女老松が申し述べたところ、(彼女らは)宝剣を得るがために[竜宮城]と思われるところへ入り込むことになり、そこにて金銀の砂が敷かれているとのありさま、玉(宝玉)製の渡りが設けられ二階建ての楼門と種々様々な御殿があったとのありさまのを見出したという。
そのありようはまさしく普通人には形容しがたいこの世のものとは似ても似つかぬものであったという。
しばらくの間、そこにての門前でたたずみ、次いで、「大日本国の総攬者たる帝の使いでやってきた」と言い伝えたらば、紅色の袴を着た女官(女房)らがそちら竜宮内部より二人出てきて、「何事か」、と問うてきたので、
「宝剣(註:文脈上、壇ノ浦海戦で海中に没した[草薙の剣]のこと)の行方が知りたいのです」
と伝えたところ、女官らは宮殿内に入り、ややあって「しばらく待つように」と伝えに来もし、それからまた宮殿内に入っていった。大地が動くほどにも長き間、氷雨が降り風が吹き、そして、天は晴れたとの長き間、待つような想いであった(註:海底の龍宮の中で天候の話をしているようにとれ、妙にも映るとの部だが、[遥在て大地動、氷雨ふり大風吹て天則晴ぬ]とは時間が長くも経っていることの修辞的表現と受け取れもする)。
しばらくしてから先の女官がやって来て、「これへ」と言うので、老松らは中庭の中へと進んでいった。
(その先の龍宮の統治者が座する場にて)すだれが半分ほど、上にあげられていた。
庭の方より老松らがそちらを見ると、正確には分からぬが、全長にして二丈(今日で言うところの6メートルか)もあろうことかとは分かる大蛇が口に剣を加えて、七から八歳の小児 (註:別の古典内容から判断するにこれは[八歳の竜女]との法華経用語への言及と解される) を懐に抱いてそこに座しており、その眼は日月のように見え、また、口は朱を塗ったようになっており、その舌は紅の袴が動いて揺れるようにゆらゆらと振られていた。
その存在(竜宮主催者との出で立ちで描写される大蛇)が言葉を発して言うところ、
(以下、かなりもっての長口上の記載箇所であるため、他との別を設けるために段下げして表記するとして)
「良き日本よりの使者よ、帝(みかど)へと申すがよい。宝剣(註:文脈上、草薙の剣)は必ずしも日本国の帝の宝物(ほうもつ)ではなく、竜宮城にあっての至宝なのだ。私の次男にあたる王子、それが我が不興を蒙(こうむ)ってのこととし、海中にて安心しての居所を見出せず、出雲の国の簸川(ひかわ)の地にて頭と尾が共に8本ある大蛇と化し、人を呑み込んでは殺していたとのこと、多年に渡ってなしていた。そこを素盞烏尊(すさのおのみこと)が土地の王を憐れみ、民を慮っての挙に出たために、その次男坊としての大蛇を失うことになった。その後、素盞烏尊(すさのおのみこと)がその大蛇より剣を取り、天照大神(あまてらすおおかみ)に献上し、その宝剣を景行天皇(註:伝説上の帝で九頭竜を草薙で退治した日本武尊こと[やまとたける]の父でもある)の統治期に日本武尊(やまとたける)が夷(蛮族)の討伐にと東征に出た際に天照が同皇子に授与することになった。 授与されての宝剣を[全長1丈(註:3メートル程か)の大蛇]へと変じて(註:元[ヤマタノオロチ]であった存在の親たる竜宮の主が、か)胆吹山の裾野のところで略取しようともした(註:話の筋立て上、[日本各地に伝わる日本武尊の[九頭龍]退治伝承]へのそれと明示せずにの言及であるように解される)。
しかし、剣を佩(お)びての日本武尊が心猛々しき者にして、また、勅命を帯びていたとのかたちでもあったために、この我を恐れることもなく、飛び越えて行ってしまって力が及ばなかった。
後、謀(はかりごと)を再度めぐらし、剣を略取せんとしたがすべてうまくいかなかった。
さらにその後、簸川(ひかわ)にて素盞烏尊に退治された大蛇(註:文脈上、竜宮の主催者の次男で八岐大蛇のこと)は生まれ変わって安徳天皇(註:壇ノ浦で平家一門と共に入水して果てた、平家一門の権力の源泉となっていた幼帝)となり、(騒乱を煽って)、[源平の合戦]を引き起こし、竜宮に宝剣を取り返した。いま口に咥えているのがまさにその剣であり、ここに抱いている幼児が先の帝、安徳天皇である。平家の入道太政大臣(註:壇ノ浦の合戦の前に没した平清盛のこと)よりはじまって、その一門も皆、ここにいる。見るがいい」
と述べてその大蛇が簾(すだれ)を全て巻き上げて見せたらば、法師(註:剃髪して仏門に入ったとのスタンスを生前取った平清盛のことであろうと当然に解される)を上座に平家の高貴なる者たち(公達)がそこに居並んでいた。
(大蛇が続けて口を開いて言うには、との文脈にて)
「本来ならば汝(註:老松のこと)は見ることが出来なかったようなところだが、身につけた如法一乗(註:先述のように[法華経]のこと)の尊さ、および、縁(えにし)がゆえに[ことの本質]を見せた。未来永劫、この剣が日本に返ることはないであろう」
と述べ、大蛇は奥へと入って行った。
そのように(老松が上皇に)上奏したらば、法皇(後白河上皇)をはじめとしたその場に居合わせた公達らは皆、一同、「奇特なることだ」との面持ちであられた。三種の神器のうち、宝剣が失われたとのこと、これにて定まった」
(抽出部に対して筆者がなしたところの補ってもの現代訳はここまでとする)
以上、現代訳を付しつつもの引用元古典『源平盛衰記』内記述に見るように、
[[竜宮]と[海女](歴史的潜水漁業従事者)はときに結びつく存在となっている]
とのことまでは(口伝・口誦の類に留まらず)著名な古典に見受けられる[文献的事実]の問題として摘示できるようになっている。
以上再掲なしての古典 ―平家物語異本たる『源平盛衰記』― の特定の下りよりの引用部からは
「「老」松と「若」松との潜水をなした海女らの名前からして[「若」者の「老」人化]が話の結末として設定されている龍宮伝承というものを想起させる」
とのことで気にかけているところでもあるのだが、といった穿(うが)ちすぎの観ありの点とは離れてのこと、
[あらためて注記すべきととらえたところ]
としてここ付記の部にて本稿前半部でも取り上げていた特定書籍よりの再度の引用なすこととする(具体的には ――極めてエキセントリック、パラノーマルな( paranormal : 超常的な)な話であること、そして、「史的」贋造物( archaeological forgery )であるものが引き合いに出されての話であることを承知の上でのこととして―― デーヴィッド・アイク( David Icke )、「有史以来の人類の支配者は[爬虫類人]との形態をとる存在である」との主張を物議を醸すこと、大なるところとして流布したことでも知られる人物、そして、「超」陰謀論者との立ち位置にあると形容される人物である同男アイクの著述 Children of the Matrix(2001)にあっての記述を下に再度、引用することとする)。
(直下、本稿にあっての出典(Source)紹介の部34でもその内容を引いたところの Children of the Matrix(2001)原著にての CHAPTER 8 the shape-shifters[変身なす者達]、その中の The children of the shadowsと振られての節よりの「再度の」引用をなすとして)
Ancient tablets, alleged to come from beneath a Mayan temple in Mexico, describe the reptilians and their ability to shape-shift. These accounts correlate remarkably With modern experience and reports. They are known as the Emerald Tablets of Thoth, who was a deity of the Egyptians. It is claimed that they date back 36,000 years and were written by Thoth, an "Atlantean Priest-King" who, it is said, founded a colony in Egypt. His tablets, the story goes, were taken to South America by Egyptian "pyramid priests" and eventually placed under a Mayan temple to the Sun God in the Yucatan, Mexico. The translator of these tablets, who calls himself "Doreal" (Maurice Doreal), claims to have recovered them and completed the translations in 1925. But only much later was he given "permission" for part of them to be published, he says. However, you don't have to accept all the details of that story to appreciate the synchronicity between what these tablets say and what is now being uncovered.
The following is the relevant section in the tablets to the subjects we are discussing.
"Speak of ancient Atlantis, speak of the days of the Kingdom of Shadows, speak of the coming of the children of shadows. Out of the great deep were they called by the wisdom of earth-man, called for the purpose of gaining great power.
"Far in the past before Atlantis existed, men there were who delved into darkness, using dark magic, calling up beings from the great deep below us. Forth came they into this cycle, formless were they, of another vibration, existing unseen by the children of earth-men. Only through blood could they form being, only through man could they live in the world.
"In ages past were they conquered by the Masters, driven below to the place whence they came. But some there were who remained, hidden in spaces and planes unknown to man. Live they in Atlantis as shadows, but at times they appeared among men. Aye, when the blood was offered, forth came they to dwell among men.
"In the form of man moved they amongst us, but only to sight, were they as are men. Serpent-headed when the glamour was lifted, but appearing to man as men among men. Crept they into the councils, taking form that were like unto men. Slaying by their arts the chiefs of the kingdoms, taking their form and ruling o'er man. Only by magic could they be discovered, only by sound could their faces be seen. Sought they from the kingdom of shadows, to destroy man and rule in his place.
(上記原著引用部に対する拙訳として)
「メキシコはマヤ期神殿に由来すると主張されもしている古代の碑文らがレプティリアン[爬虫類人](とデーヴィッド・アイクが呼称する操作者)および彼らの変身能力についての描写をなしている。その碑文らに見る書かれようは今日の経験・報告事例と合致するところがある。
(ここで取り上げている)それら碑文とは[エジプトの神として知られるトートの名を冠するエメラルド・タブレット]である。「36000年前に遡るものである」と主張され、また、「エジプトにコロニーを創始した[アトランティス神官王]たるトートによって書かれたものである」とも主張されているとの碑文らとなる。
同[トートの碑文]にてはその碑文がエジプトのピラミッド聖職者らによって南アメリカに持ち込まれ、そして、メキシコ・ユカタンにての太陽神を祭ってのマヤ神殿の下に安置されたものであるとつづられている。自身を「ドリール」 ―注:ここでは「リアルにする」とのことをデービッド・アイクは強調しているようにとれる― [モーリス・ドリール]と名乗る碑文解読者は1925年にそれらを修復・解読をなし終えたと主張し、「だが、一部の出版の許可を与えられたのはより後のことである」と同人物は述べもしている。
しかし、あなた(デービッド・アイクが読者を形容してのあなた)はその碑文らが言っていることと今日、明かされてきていることの一致性の価値を認めるうえで、ドリールのそうした話の細部についていちいち認容する必要もないだろう。
次の部が我々が議論の俎上にのせている主題と相関関係を呈している碑文にあっての問題となる部となる。
[古代アトランティスについて語りたまえ、影の王国たるありし日について語りたまえ、暗闇の子らの到来について語りたまえ。より強き力を欲せんとのため、彼ら暗闇の存在、地上の賢者より深淵の外へと呼び出されるなり]
[アトランティスのありし日より前に遡る往古、暗闇によって分かたれし者ども、黒魔術を用い、我々より下にある深淵からの存在を呼び出さんとした人間らがいた。この世界の輪に彼らがやってくるとき、彼らは別の振動領域に属して形なさず、地上の者達には姿が見られずとの形にて存在をなす]
[かつて、彼らは彼らがやってきた場へと下ったマスターらによって征服された。しかし、思い出すべきは人間には知られぬ隠された空間、領域があることである。彼らはアトランティスに影として生き、時に人の間にその姿を現した。血が供されたとき、彼らは人の間に居を定めるべくも上昇してきた]
[人の形をなして彼らは我々の間を闊歩し、彼らはただ見かけ上、人間であるように見せたのだ。彼らは魔力が発露するとき蛇の顔を現した。彼らは人間の形をなして議会に入り込んだ。そうした者らはその秘法にて王国の首長らを殺害し、殺害した彼らの形をなし、全民衆を支配した。魔術によってのみ彼らは探知され、音によってのみ彼らの素顔は見られた。人間を破滅させ、そして、そちら領域より支配なすためのものとなっている影の王国にこそ彼らは見出される(以下略)」
(訳を付しての「再度の」引用部はここまでとする)
上のデービッド・アイク、海外ではその名が知れ渡っていると先にて表記の[爬虫類人人類支配説](との異説の)旗手の言いようは
[小説 The Shadow Kingdom『影の王国』(1929) ⇒(露骨なる相似関係)⇒神秘家由来の「自称」古代碑文 The Emerald Tablets of Thoth(1939/欧州にて中世期より重んじられた錬金術関連書たる『エメラルド・タブレット』とはまた別もので影の王国からのアトランティスへの侵略を語るとのもの)]
との流れで指し示せる捏造forgeryを示唆する関係性に ―識見に欠けるところがあったとの言い分も成り立ちうるかとも見るのであるが― 何ら言及していないとの「相応のもの」であること、本稿の先の段にて出典挙げつつ細かくも解説したわけではあるも(出典(Source)紹介の部34および出典(Source)紹介の部34-2で解説したことである)、一見する限りは[稚拙なる捏造遺物]と映る『第二のトートのエメラルド・タブレット』(人類の歴史にあっては文字というものが最古のものでも紀元前3500年にシュメール人に発見された楔形文字であるとされるところを、あまりにも無理矢理なるところとして神秘家なる人種「でも」解読可能なものとしての[三万六千年前に遡る碑文]なるものを登場させているとのことで当然に捏造遺物と言い切って構わぬものであろうとの一品)について言及するうえでの論客デヴィッド・アイクのやりようについてはとにかくも、背面にて、そういったところからして問題視される「べき」ところがある。
その『第二のトートのエメラルド・タブレット』(なる神秘家による捏造文書)にまつわって問題視される「べき」ところとは
「現時にあって「も」平家物語の異本たる『源平盛衰記』のついせんだって抜粋したような特定の下りは海外にては全く知られてない節があり(本稿をしたためながら、インターネット全盛時代として古文献のオンライン上公開などが進んでいる現段階にあって『源平盛衰記』に関する英文情報がいかように出回っているか調べてみたのだが、龍宮にての老松および若松の下りをカヴァーしている情報は「英文では」見当たらなかった)、 といった状況は1939年(神秘家モーリス・ドリールが解読したと自称していた『第二のエメラルド・タブレット』が出た折)にあっては尚更のことであったろう」
ということに関わることである(「由来どうあれ」と一部書かれながらもデヴィッド・アイクに取り上げられるような捏造碑文をこさえたモーリス・ドリールという男が『源平盛衰記』の特定の下りを(英訳も見当たらなかった折に)参照したとは考え難い、とのことである)。
以上述べたうえで書くが、
[『源平盛衰記』の竜宮にまつわる(最前にて引用なした)下り]
と
[デーヴィッド・アイクが引き合いに出している1939年発表のモーリス・ドリールによる贋造物(紀元前三万六千年という「自称」文書来歴からして信に値せぬもの)]
の間には[次のような類似性]が成立している(:話の奇怪性、そして、不快性がゆえに「成立してしまっている」と述べた方が至当か)。
(『源平盛衰記』(の最前にて引用なした部)と20世紀前半に「捏造」されたとの紛い物である[アトランティスに対する影の蛇の王国からの侵略を扱うモーリス・ドリール版トートのエメラルド・タブレット](の直上にて内容紹介した部)の間にあっての純粋に記号論的な意味での類似性について)
1.蛇の眷属が人界に紛れ込んで統治体を(望ましくはない方向で)操作しているとの話の筋立てを有しているとのことで両者には共通性が見て取れる
2.竜宮(『源平盛衰記』に見る竜宮)は海底にあっての都市である。他面、アトランティス(モーリス・ドリール20世紀贋造物)は伝承にて海中に没した存在とされている。人の世に紛れ込んでいるとの蛇の眷属がそうした海中の都市と(一方は日本の古典にあっての「現在形で」海底のそうした者たちの住処であるとされ、もう一方は捏造物にあっての「過去形で」陸上に存在していた折に闇の世界より呼び出された者たちの住処となった場とされているわけだが)結びついているとの[設定上の共通性]が見て取れる
3.(より高度な観点から記号論的規則性につき詰めても述べるところとして)[トロイア崩壊]方式が採用されているとのことで両者には共通性がある。『源平盛衰記』では「奢る平家は...」何とやらと評されていた平清盛ら一党がその実の[滅ぼされることを念頭に動かされていた薬籠中の存在]として蛇の眷属たる幼帝・安徳の影響下にあり、意図されての戦乱を誘発するための具とされながら海底に引きづり込まれたと(問題となる古典『源平盛衰記』の一節では)されるが、それは外側からものにはできなかったものを[内破]させて入手、要するに、木製の馬で滅んだトロイヤ方式ともなっている(:『源平盛衰記』では海底の竜宮の主たる大蛇という存在がいくらやっても宝剣が取り戻せなかったがゆえに天皇として眷属を送り込んで騒乱を誘発し、それでもって宝剣を回収したと述べているとの記述が先に引用なした『源平盛衰記』にはみとめられる)。 他面、ドリールの『エメラルド・タブレット』という贋造遺物ではアトランティスの崩壊が問題とされているわけだが、[アトランティスの崩壊]が(「であるから問題である」ところとしてモーリス・ドリールの捏造文書とは全く無縁なるところで)[トロイアの崩壊]と言い換え可能なことは本稿で入念に摘示してきたことである ――※本稿では20世紀初頭に至るまでのその事績から人類学領域の大家として認知されているジェームズ・フレーザーの蒐集・提示情報に基づきトロイアの創建伝説が洪水と結びついていること、また、スミュルナのクィントゥスの古典『トロイア戦記』によるところとして木製の馬による住民皆殺しの後の城塞トロイアの末路が[包囲勢たるギリシャ勢をも呑み込んでの大洪水による完全破壊]であったと表記されていることにつき(和文・英文にての出典該当部よりの原文抜粋をなしながら)解説している(出典(Source)紹介の部44-3から出典(Source)紹介の部44-5を包摂する解説部、および、出典(Source)紹介の部58から出典(Source)紹介の部58(3)を包摂する解説部を参照のこと)。 そこからトロイアは[ギリシャ勢との戦争の折、大洪水によって跡形もなく消え失せた都市]だったと表せられるようになったわけだが、アトランティスもまた[ギリシャ勢との戦争の折、大洪水によって跡形もなく消え失せた都市]でもあった(プラトン『ティマイオス』を引きあいに先に示していることである/出典(Source)紹介の部36)。 だけではない。 欧州の一部識者に由来するところの歴史的見立ててとして[アトランティス]の質的同等物が[黄金の林檎の園]すなわち[トロイア崩壊の原因になった果実の実る場所]と考えられてきたとのことも本稿では(具体的出典を明示しながら)問題視していることとなる(出典(Source)紹介の部41)――
4.(より高度な観点から純・記号論的接合性につき詰めても述べるところとして)およそ[伝承伝播の類]では説明「できない」との関連性が『源平盛衰記』とモーリス・ドリールの贋造文書『第二のエメラルド・タブレット』の間には見受けられる。[ブラックホールの類を結節点とする結びつき]がそれである。龍宮については[時間が遅れての領域][[常世]転じての[常夜]と接合する領域]との観点から重力の怪物たるブラックホールの近傍領域と親和性が高いものであると先に論じている(出典(Source)紹介の部75-2および出典(Source)紹介の部75-3)。 他面、影の王国から侵略を受けたとの設定が問題となる文物に表出している[アトランティス](あるいはそちらアトランティスと記号論的に結びつくこと、本稿で立証に努めてきたとの[トロイア]「でも」いいが)は[加速器によるブラックホール生成挙動]と関わるところのものとなっている ――先に既述のようにLHC実験に対しては「どういうわけなのか」それらがらみの命名規則が実験関係者によって用いられているとのことがある(出典(Source)紹介の部35から出典(Source)紹介の部36(3)を包摂する解説部および出典(Source)紹介の部46を包摂する解説部にて先述のようにLHCに関してはブラックホール生成イベントを観察するための装置としてのイベント・ディスプレイ・ツールにATLANTISの名が振られているといった側面が伴っている)――
5.(さらにもって純・記号論的接合性につき詰めても述べるところとして)『源平盛衰記』それ自体にあっては既述のように[龍宮]と[海女]と[五芒星形状の魔除け]([セーマン]と海女に呼びならわされてきたとされるもの)の関係性にまつわる記述は何ら見受けられ「ない」ようになっている ―(『源平盛衰記』での海女らは代わって法華経を竜宮の領域に進入するうえでの[魔除け]として用いている)― のだが、そうもある中で現時、口伝口誦との形態で語られるところの[職業的潜水夫・海女には[竜宮]に引き込まれるのを防ぐ魔除けとしてセーマンという五芒星形状の魔除けが用いられてきた]との言われようを複合顧慮なすと、「あまりに多くものことが龍宮とアトランティス絡みで結線する」ことになる。
すなわち、(ここに至るまで厭となるほどに詳述してきたことであるからできるだけ簡潔な式に留めたいとは思いつつも書くのだが)、以下の各観点での結びつき「も」が問題になる。
→
・「奇怪なことに911の質的事前言及小説となっていると(出典(Source)紹介の部37から出典(Source)紹介の部37-5を包摂する解説部でもって指摘している)との『ジ・イルミナタス・トリロジー』という作品がここにて問題視しているモーリス・ドリールの手になる20世紀前半に捏造されての文物と同様に[アトランティスの蛇人間による侵略]との要素を具備した作品「とも」なっており(出典(Source)紹介の部38にて典拠紹介.表層的には『ジ・イルミナタス・トリロジー』「も」パルプ雑誌掲載小説『影の王国』及びその作者ロバート・ハワードの影響を同文に受けているとの言われようがなされるところか)、かつ、同作『ジ・イルミナタス・トリロジー』、[五芒星形状の魔除け]ともつながる[(五芒星形状と永遠に続く相互内接関係にある正五角形を用いての)正五角形形状の魔除け]としてのペンタゴンがアトランティスおよび現代アメリカにてそれぞれに破壊されるとの設定を具備している作品「とも」なっている(出典(Source)紹介の部38-2)」
・「直上より再度言及の『ジ・イルミナティ・トリロジー・シリーズ』については[正五角形を異界とのゲートにしている作品]・[トロイアの寓意と結節している作品]・[911の事前言及要素を具備している作品]としての各側面からカール・セーガン小説『コンタクト』という作品と接合している、すなわち、[正五角形を12面重ねての彼方外宇宙とのゲートを描く作品]・[トロイアの寓意と結節している作品]・[別の911の事前言及作品(キップ・ソーン『ブラックホールと時空の歪み アインシュタインのとんでもない遺産』)と通過可能なワームホールの概念にまつわるやりとりを介して接合する作品]としての要素を具備している小説『コンタクト』と接合しているとのことが申し述べられるようになっており、そうもして『ジ・イルミナタス・トリロジー』と接合しもする『コンタクト』という作品、カー・ブラックホールや通過可能なワームホールの人為生成を主要テーマとしているとの作品となる。 そして、カー・ブラックホールやワームホールを現実世界で生成する可能性があると近年考えられるようになったのが(直近にあって「も」再述しているように)[アトランティス]との命名規則と「どういうわけなのか」結びつけられているLHC実験であるとのことがある。であるからその伝、『ジ・イルミナティ・トリロジー』および[五芒星・五角形と退魔の象徴の関係性]のことらを留め金にしての伝でも[龍宮と蛇の眷族の権門の乗っ取りの描写を含む『源平盛衰記』]と[アトランティスと蛇の眷族の権門の乗っ取りの描写を含むモーリス・ドリースの荒唐無稽な捏造碑文]が結びつくようになっていると述べられる
以上のような[相互関係性]がそこにみとめられるとのことは決して軽んずべきことではない。[相互関係と因果関係は異なる]とは言われるものだが、「当然に」そのように(決して軽んずべきではない)とこの身はとらえている。何故か。これまた再三再四、述べもしてきたことなのだが、次のことがあるからである。
【[加速器のブラックホール生成にまつわる予見事象 ―この場合の予見事象とはそうしたものが存在していることが「時期的に不可解である」との筋目の事柄を指す― ]が現実に存在しており(後に再度、取り上げることにする『リアノンの剣』など)、 それらにあっては、どういうわけなのか、
[爬虫類の異種族の来臨・来寇]
との特性が多く介在しているとのことが目立って見受けられるようになっており、またもってして、(本稿にてさらなる傍証事例を後の段にあって挙げ連ねることを念頭に一例呈示してきたとの)[911の事件の発生にまつわる予見事象]に関して「も」一部同文のことが当てはまるとのことがある。
そして、そこにいう[加速器のブラックホール生成にまつわる予見事象]および[911の事件の発生にまつわる予見事象]が[黄金の林檎]及び[ヘスペリデスの園(黄金の林檎の園)と同一視されもしてきたアトランティス]を媒介項に結びついているのこと「も」がまたもってしてある】
との[客観的事実] (話柄奇矯なれどもそうだとしか表しようがない現象・関係性がこれはこうでこうだと容易に後追い出来てしまうとの式で厳密に指し示せてしまうとの意での[客観的事実]/仮にそれが生き死にに関わるものであるのならばそうしたものを無視する個体ないし群体は「生きる能力を奪われているほどに」狂っているとしか表しようがないとの筋目の事実) がそこにある
直上表記のことと複合顧慮すべきところとして
[龍宮と蛇の眷族の権門の乗っ取りの描写を含む『源平盛衰記』における記述内容](つい先ぞ原文引用なしての部)
および
[アトランティスと蛇の眷族の権門の乗っ取りの描写を含むモーリス・ドリースの荒唐無稽な捏造碑文に見る記述内容](つい先ぞに知られているところの内容解説しての部)
の間に多重的記号論的一致性が存すること
を軽んじざるべきところの理由について続いての部にて[振り返りなしながらもの訴求]を本補足部でもなしておく所存であるが(それがための本補足部でもある)、 「だがもってまずはその前に、」 蛇の眷族による乗っ取りの式に相通ずる主張展開をなして物議を醸しているとのデヴィッド・アイク説(本稿の前半部でもその主張内容について幾分細かくも筆を割きもしたとの英国の著名論客に由来する説/「人類の支配者は爬虫類人である」とするとの説)およびここ最近のデヴィッド・アイクやりようにまつわっていくつか注記なしておきたいことを(かなり微に入っての式で)書き記しておくこととする ―そうすることも必要であろうとの観点にて、である― 。
さて、本稿の先の段でも述べたところだが、再度強調、ここにて述べたいところとして、
「本稿筆者はデービッド・アイクという人物 ――[爬虫類人支配説](そちら細かくもの内容については出典(Source)紹介の部34に先行する前の部にて詳述を加えているとの本稿前半部内容を参照されたい)という説、ある種、尤(もっと)もらしい側面をも伴った説の展開をなしつつも、そこにて多く[正しくはなき論拠]([どこそれになにそれとの[記録]が遺っている]/[どこそれになにそれが[ある]]といった[文献的事実][記録的事実]の問題を実際とは異なる方向に歪めているとのところが(数多)顕在化してのあやまてる論拠)によって成り立っているとの側面が残念ながらありもし、かつ、そのシンパ・追従者に多く[情報操作要員と受け取れる者ら](実体としてはこの世界に五万といる傀儡(くぐつ)ないし唾棄すべき無責任の徒にすぎなくとも外表としては[情報操作要員]と受け取れるが如くの者達)が含まれていると見受けられる人物―― の妄信者などでもないし、そのやりように賛同している者でもない」
とのことがある(:ただもってして本稿筆者からして一時期、デヴィッド・アイクの憎めないキャラクターやそのセンセーショナルな申し分にすっかりまいり、彼は傑物だな、と思っていたこともあった。今では清濁あわせて呑み込みすぎる節があるとの彼の特性がどうかとよりもって見えるようになったこと、また、自身の知識深化にて次第次第に「あまりにも胡散臭いところがある」と見えてきたとのことがある、そういう意味でデヴィッド・アイクにはがっかりとさせられることが実に多いのだが、「従前心証のことを述べれば、」そういったことがあった)。
さらにまたもってして述べるも、デヴィッド・アイク申しようの式、問題が[新世界秩序]の完全なる実現・人間の完全なる家畜化の確保のみが[最終目標]であるとのことに収斂しているとの言い様の伝 (いわゆる New World Order Conspiracy 「Theory」[新世界秩序陰謀「論」]の系譜に連なる言い様をなしているとのありよう) を望見した上でそちらについては極めて問題がある[誤り](そこに恣意があるのならば[悪辣な虚偽]である)と筆者は考えるに至っている。
その点、[歴史的記録]の問題としていかに馬鹿げたこと(少なくとも[歴史的記録登場以後、有史以後からの根底からの人形劇の世界]でなければそういうことはなかろうと思えるぐらいの馬鹿げたこと)が我々人間の世界で歴年具現化してきたのかを分析なしてきたうえで、また、
[徹底完全に機能しているディストピア](監獄社会)
は現状にても[無痛収容所;ペインレス・コンセントレーション・キャンプ](先進国)および[明確に具現化しての苦痛の収容所](北朝鮮や中国(にての一部側面)に見る尊厳軽視国家ら)の問題として[魂の隷従者](とでも表すべき人間一般)を用いて[歴史的にずっとそこにあり続けた]ものである、[未然形・未来形]ではなく[過去形・現在進行形](英語的表現の have been ....ing、「であり続けている」との完了進行形との方が適切か)の問題として[今に至るまでそこにあり続けたものである]と判ずるに至っている人間として
[究極的なディストピア(監獄社会)の実現が目的だが、[これからそうもなる]との超常の力に人間が目覚めた時、ディストピアは崩壊せざるをえない]
などとのことを意固地に述べ続けているとのアイクをして筆者はそれなりの見方でもってしてとらえる ―はきと述べれば、あまりにも白々しかろうとの見方でもってしてとらえる― に至ってしまっている (:たとえば、これよりそこより[あまりにも問題となる]との記述内容を引くとの HUMAN RACE GET OFF YOUR KNEES The Lion Sleeps No Moreとの近年の著述にてデヴィッド・アイクは The Reptilian manipulation is going to be ended, but it is not as simple as just sitting around and watching and waiting for it happen. We all have much to contribute and the more we do, the less traumatic this transformation will be as the world made manifest from the Schism is replaced by one made manifest from balance and harmony. The foundation of everything that is happening now is the energetic change that I call the 'Truth Vibrations' - the quickening.
(拙訳として)「レプティリアン(訳注:爬虫類人とアイクが呼ぶ存在)の操作は彼らがいくら統制を強めようが終わりを迎えようとしている。だがしかし、ことはそれが起こるのをただ座って傍観し待っていればいいというほどに単純なことではない。我々全員がよりもってそれに貢献できるだけのことをなす、そうすれば、より多くのことがなせるようになる、[分離](訳注:アイクの言うところの肉体コンピューターの全一状態からの分離)の状況にて明確化させられている世界からバランスと調和の一(ワン)なる方向にて明確化させられている世界への移行の状況をより悲劇的ではない方向になせもするのである。現在起こっていることのすべての基礎にあるのはわたしが[トルゥース・バイブレーション](真実の波動)と呼ぶエネルギー的移行、すなわち、再活性化である」(訳付しての引用部はここまでとする)といった言の葉を ―「考えるのではなく感じて壁を壊すのだ」「理性ではなく直感にて感じ、それで訴えるんだ」とする式で― 明朗なる根拠なくにそればかり持ち出しているとのデーヴィッド・アイクという人物をして筆者はそれなりの見方でもってしてとらえるに至ってしまっている)。
(そうまでは書きたくはなかったのだが) よりもって言えば、彼アイクは悪い意味で
[ゲオルギー・ガポン神父] (帝政ロシアの末期、世界史の教科書にも載せられているような血の日曜日事件が発生する契機となったデモを率いていたとの人物/後述するが、帝政ロシアの当局秘密警察の[不満分散(ガス抜き)のためのエージェント]であったとの説が広くも語られているとの歴史上の人物)
のような存在ではないのか、もっと言えば、
[人間を諷刺しての内容を帯びているジョージ・オーウェル『動物農場』に登場してもしている動物農場のカラスによって擬人化される(ガポン神父のような)存在] (そちら意味合いについてもすぐに記す)
なのではないかと ―アイク個人の悪意の有無はさておきも― 濃厚・如実に見立てるに至ってしまっている(そうした見方の押しつけは断じてしないが)。
その点、[読み手貴殿が操作をなす存在であったらばどうか]との観点で考えてみて欲しいものだが(このような世界の表面皮相なる側面、たかだかものそこですら切った張ったに近しい状況に何度か追い込まれたこともある人間として相手の立場に立って考えるとの[想像力](およびそれを支える情報収集)は何よりも重要であろうと筆者は常日頃思っている)、 誰が何のために[惨憺たる歴史]を歩んできた、いや、歩まされ続けてきたとの節ある種族 ―(実体としてどうかは分からないが、その歩みには少なくとも宗教戦争・宗教迫害の歴史から20世紀の酸鼻を極めたイデオロギー・イデオローグなる新たな演出装置を持ち出しての社会主義と国家「社会主義」の災厄に見るありように至るまで[愚劣さ]がとみにみとめられるとの種族、そう、我々、人類)― を今更もってして
[完全家畜社会(なるもの)]
に閉じ込める必要があるというのか。
そして、そうもした[未来の家畜化社会]の徹底化をなさしめるとの企図がなされているなどとデヴィッド・アイクのような向きに強弁される中で、だが、一方でこの世界に[望ましいものに変異変容を呈しつつある]と一方的に言い切れるだけの曙光が射していると言えるのか。
その点についてまずもってよく考えていただきたいものである(:筆者としても人間の認識ありようが部分的に変わりつつあるのではないかとときには考えもするのだが、それははきと言ってしまって、表層的にそう「見える」だけなのかもしれず(最悪、幻影にて生じさせしめられた[気の惑い]かもしれない)、またもってして、[目的達成としての終わりが近い中での締め付け弛緩のありように希望的観測を抱いている]とのところにすぎぬとの可能性をも念慮している)。
その点もってして本稿筆者としてはアウシュビッツ ―比喩的に表してのアウシュビッツ― とはどこまでいっても[仮の宿り]であって、はなからそれは[恒常的運用を企図して構築されているもの]ではない、であるから、そこに収容されている対象(我々人類)を ―そこから絶大な何らかの効用が得られるのならばいざ知らず― わざわざ手間と設備を割いてよりもって強くも留め置く意味などは「ない」と判じられる(だけの[論拠]がある)と申し述べたいのである。
他面、これまた極めてもってして遺憾かつ憤懣やるかたなしのところとして、
[今まで目的尽くで育て上げた(ようである) ―高度人工知能などを用いて間接的統治なさしめながらか?とも判じられる式で目的尽くで産業的に育て上げた(ようである)― との悲劇の養殖種に終わりをもたらすとの[意図]がそこにある]
との[兆候]は「露骨にある」との式で指摘できるようになってもいる(:本稿はそこにいう[兆候]が具体的にどういうものなのか細かくも摘示するとのことを趣意としているとのものであり、またもってして、本稿を最後まできちんとお読みいただければお分かりいただけようが、考えられるところの究極的目標が何であると察せられるのかとのことについて「も」いくつかの具体的可能性論を呈示せんとするとのもの「でも」ある ――目標の中身は人(ひと)である筆者を含めての人間にはいかに意志と理性の力を投入して突き詰めて見ても[推察する]ことしかできぬが(筆者念頭にはもう何年も前から自身が相対取材した物理学者などにその内容を折に触れて確認してきたとの The Physics of Immortality: Modern Cosmology, God and the Resurrection of the Dead(1994)『不死の物理学』(現時未邦訳)との著作内容にあっての[反対解釈可能性]の問題があるのだが、本稿で後に懇切丁寧に詳述に重ねての詳述をなす所存であるとのそうしたことも含めて[目標の中身]の分析は推論以上のものとしてなすことはできない)、 ただもってして、[兆候]が既に「それをなさねば明日はない」との式で[対策を是が非でも要求しているとの水準]に至っていることは明言できるところとなっていると申し述べておく(筆者には非建設的な印象論(情報操作要員の類がそればかりを前面に押し出そうとのものである)を吹くなどとの心根はまったくなく、何度も何度も同趣旨のことを申し述べているようにリアリストとして「それで行動しないようならば明日はない」との水準での具体的論拠を挙げ連ねての具体的警告をなそうと一にも二にも考えて本稿をものしている)―― )。
さて、このような世界で[新世界秩序]こそが最終目標である(だが、それは超常的なる力に人類が目覚めた時に瓦解する定めにある)などと強くも論じたてているデヴィッド・アイクが
[ゲオルギー・ガポン神父(の名でもってして寓意的に表せられる存在)]
である可能性があると触(さわ)る程度に上にて述べもしたが、そも、そこにいうガポン神父とはどういった存在か。
日本の高校で用いられる世界史の教科書 ―偽りの世界の[縦軸](史的時間軸)の偽りの成り立ちを刷り込むためのものであるかもしれないが、とにかくもの世界史の授業に供される教科書― にも彼ガポン神父の名前が[歴史上の人物]との式で記載されていたかと記憶するが ―曰く「ガポン神父はロシア革命の強くもの契機となった血のメーデーと呼ばれる事件、同事件に繋がった行進を煽っていた聖職者である」云々― 、彼ガポンは(今となっては愚にも付かぬものにすぎぬかと判じるに至ってもいるのであるも、かつてはこの身も理想的美風のひとつの形態の描出文物との観点にて愉しんだ)司馬遼太郎のヒロイック歴史小説『坂の上の雲』 ([虚偽で満ち満ちた現実世界の惨憺たるありよう]をいわゆる[司馬史観]式で美しくもすべくもの潤色に潤色を加えているといった筋目の作品)なぞにも同じくもの趣旨の記述が簡単になされているとうろ覚えするところとして、
「当局サイド(帝政ロシア)の運用するスパイだった」
との観点が呈されている向きともなる。
その点についてはロシアという国の歴史に詳しい識者には次のことが知られているところとなっている。
「帝政期ロシアの帝室秘密警察オフラーナことロシア帝国内務省警察部警備局。彼らオフラーナはユダヤ系が世界征服を企んでいるとの筋立ての『シオン賢者の議定書』を贋造した(と専らに言われている)。そのやりようから帝室の統治に望ましくないうえに民草(19世紀後半の農奴解放後も知性・教養を与えられる余地もなくまさしく獣畜に準じたもののように扱われたがそれでも帝政に背く潜在力はあると見られていた民草)の不満・攻撃の対象を逸らすとの[ガス抜き]に利用できると判じたユダヤ系勢力 (日露戦争時に大富豪ジェイコブ・シフ(明治期の勲一等の勲章の受賞者でもある)が日本側に多大な援助をなす、またもってして、帝政ロシアを打ち倒すことを企図していた革命勢力に助力するなどとのことをなしていたことが[史実]として知られているように帝政ロシアに含むところが大なるところとしてあった、[ポグロム](帝政ロシアが[ガス抜き]のために利用しもしていた虐殺を伴っての反ユダヤ主義)との兼ね合いで含むところが非常に大きかったとされる民族集団ユダヤ系) に対してそのマス・パワー(確たる資金力に裏打ちされたマス・パワー)を削ぐとの意図もまたあってユダヤ系陰謀文書(シオン賢者の議定書)の証拠を「贋作」したといったことをやったとされる一方で彼らオフラーナは帝政の脅威たりうる[革命分子]へと傾きかねない大多数の無産階級(恒産なければ恒心もなしではないが知識がない中ながらも風が吹けばそれになびきうるかもしれないとの悲惨なる状況に置かれた階級)の不満を比較的穏便な式で別側面にあって分散させるべくも体制側工作員(および御用組織)を運用しており、他ならぬガポン神父もその一人である(とされる)」(※)
(果たしてそこまでする必要があるのかと判じもするところながらも同じくものことにまつわっての目につくところの表記を挙げておく。英文Wikipedia[Okhrana]項目の表記では
(以下、引用なすとして)
The Okhrana tried to compromise the labour movement by creating police-run trade unions, the practice known as zubatovshchina. Of note is the Bloody Sunday event, when imperial guards killed hundreds of unarmed protesters who were marching during a demonstration organized by Father Gapon, who was alleged by the Bolsheviks to have collaborated with the Okhrana, though in fact this was unproven, and Pyotr Rutenberg. Other controversial activities included alleged fabrication of The Protocols of the Elders of Zion hoax (many historians maintain that Matvei Golovinski, a writer and Okhrana agent, compiled the first edition on the instructions of Pyotr Rachkovsky) and fabrication of the antisemitic Beilis trial.
(補って訳すとして)
「オフラーナ(ロシア帝国内務省警察部警備局)のやりようとしては秘密警察主導の御用組合を創出したとのことがある、ガポン神父 ―彼はボルシェビキ(革命勢力)に立証されざるところながらもオフラーナと協働していたとされている男だが― 、同ガポン、および、ピンハス・ルーテンベルグ (注:ガポンとの活動の後、転向し、ユダヤ系銀行家らと紐帯を組んでイスラエル建国運動に注力したとされるガポン神父のオフラーナ後押しの御用労働運動時代の同士) に組織化され非武装の抗議者ら抗議行進の中、皇宮防衛隊が何百人もの人間を殺害することになった[血の日曜日事件]に通ずることになったとの歴史的注釈が付きまといもする彼ら警察主導の御用組合を創出することで労働運動との妥協を試みもしていたとのことがある(とされている)。またもってして秘密警察オフラーナの物議を醸してのやりようとしては(ユダヤ人の一部勢力が世界制覇を企んでいるとの)『シオン賢者の議定書』に見る虚偽体系を贋造したとされることである」
(引用部はここまでとする ―※1尚、ガポン神父が秘密警察オフラーナ設立の組合を利用して頭角を現わしていったことまでは事実と断ずるウィキペディアなぞの媒体の他所記載も目立ちもする.※2オフラーナが[シオン賢者の議定書]の偽造元であると強くも言われているのはオフラーナの幹部ラチュコフスキーのパリでの動き、そして、シオン賢者の議定書が(決議文との体裁を採っているのに)なぜなのかそれ以前に世に出ていたナポレオン三世の世界制覇の野望に対する諷刺物語『マキャベリとモンテスキューの地獄での対話』との仏語文献を加筆した「だけ」といった特性を強くも帯びている「ロシア初出文献」(ポグロムが吹き荒れていたロシアにてのロシア初出文献)であるとの露骨な特性ゆえであると語られるところである。ただし、現実にガポン神父が帝政ロシア秘密警察によって帝政時代、完全にコントロールされていたエージェントと言えるのか、後にガポンは叛意を呈する(自身に発砲した当局に明確な叛意を呈する)ようになるもそれでも結局スパイと疑われて同じくもの革命勢力に暗殺されたとされることを含めてどこまで真実かは判断が難しいところである― )。
さて、ガポンのような人間が体制(19世紀後半の農奴解放後も獣畜に準じた人格権伴わぬ存在として扱われていた大衆と富を湯水のように自由に出来た一部の王侯貴族に二極化していた[アジア的専制君主国と欧州先進文明の合いの子]と形容されてもいた帝政ロシア)側の不満分散のために使役されていた走狗らしいとされる中で最終的に成就することになったロシア革命のその結果が
[新たに台頭した権力亡者 (彼らとて彼らが「放伐」した旧体制支配者と同文に[糸繰り人形]だったと本稿筆者は考えているのだが、とにかくもの権力亡者) の圧政志向と疑心暗鬼によるあまりにも多くの人間の酸鼻を極めた「極々短期間での」投獄・拷問・虐殺のプロセス]
であったとのことは歴史通にはよくも知られていることである(:一般教養の問題にすぎないし、専門的解説書から引用なすとの手間は時間的に割けないとの理由からそこよりの引用をなすに留めるが、例えば、和文ウィキペディア[大粛清]項目に(以下、引用なすところとして)ソビエト連邦共産党内における幹部政治家の粛清に留まらず、一般党員や民衆にまで及んだ大規模な政治的抑圧として悪名高い出来事である.ロシア連邦国立文書館にある統計資料によれば、最盛期であった1937年から1938年までに、134万4923人が即決裁判で有罪に処され、半数強の68万1692人が死刑判決を受け、63万4820人が強制収容所や刑務所へ送られた.ただしこの人数は反革命罪で裁かれた者に限る.ソ連共産党は最も大きな打撃を受け、旧指導層は完膚なきまでに絶滅された.地区委員会、州委員会、共和国委員会が丸ごと消滅した.1934年の第17回党大会の1966人の代議員中、1108人が逮捕され、その大半が銃殺された。1934年の中央委員会メンバー(候補含む)139人のうち、110人が処刑されるか、あるいは自殺に追い込まれた.1940年にトロツキーがメキシコで殺された後は、レーニン時代の高級指導部で生き残っているのはスターリンだけであった.また大粛清以前の最後の党大会(1934年)の代議員中わずか3%が次の大会(1939年)に出席しただけであった.1939年の党の正式メンバーのうち、70パーセントは1929年以降の入党――つまりスターリン期の入党――であり、1917年以前からの党員は3%に過ぎなかった.党の討論機関たる大会と中央委員会は――終には政治局さえも――1939年以後、スターリンが1953年に死ぬまでめったに開かれなくなった
(引用部はここまでとする)と記載されているようなところである ――尚、このような世界で[理想的社会の計画運用]などとのことを[人間存在の腐敗性向]を無視してごり押ししたソ連にての大量虐殺の実行役となった秘密警察(スパイ組織)の首脳が異常なる個人的殺人行為愛好者であったとされる(少女らを拉致しては強姦して、後、殺してその死体を庭先に埋めていたなどと旧ソビエト内外で語られ報じられている)とのことについては[ラヴレンチー・ベリヤ]にまつわっての報道のされようなどを調べれば、すぐに成程と思わされもしようところとなる―― )。
そうもした[「革命」の惨憺たる帰結]のことを聞き及んでいた、仄聞するとの式でよくも知っていたとされるかつての革命の闘士、革命義勇兵なるものとしてスペイン内戦に参加して
[革命勢力(首謀者ら)の理想の表看板に隠れて自分達のことしか考えぬとの[醜すぎる内面]の問題]
に失望させられきってスペイン内戦参加時のルポルタージュ(『カタロニア讃歌』という作品)に胸のうちを反映させていた作家のジョージ・オーウェル ―彼、ジョージ・オーウェル(本名エリック・ブレア)はディストピア(監獄社会)諷刺小説の金字塔として知られる『1984』という小説の作者でもある― はアニマル・ファーム、[(貪欲の象徴でもある)豚に主導されての家畜小屋にあっての人間に対する叛乱]の帰結を扱った寓意小説として Animal Farm『動物農場』との作品をものしている。
同作、『動物農場』では
[(ガポンがそうであったような)ロシア正教の聖職者ら]
が
[現実から遊離した夢物語ばかりを語る動物農場世界でのカラスRavenのモーゼス(なるキャラクター)]
に仮託されて登場してきている(:和文ウィキペディア[動物農場]項目にあっては(以下、引用なすところとして)モーゼス:カラス。まだ家畜達が蜂起する前の農場にて、御馳走が食べ放題の天国の存在など沢山のユートピア神話・都市伝説を吹聴し、困窮する家畜達に希望を与える半面、現状打破の意欲も削いでいた為、スノーボールやナポレオンらから疎まれ続けていた。モデルはロシア正教会とその神父達
(引用部はここまでとする)と表記されているところであり、英文Wikipedia[ Animal Farm ]項目にあってはカラスのモーゼスについて The raven "was Mr. Jones's especial pet, was a spy and a tale-bearer, but he was also a clever talker." Initially following Mrs. Jones into exile, he reappears several years later and resumes his role of talking but not working. He regales Animal Farm's denizens with tales of a wondrous place beyond the clouds called "Sugarcandy Mountain, that happy country where we poor animals shall rest forever from our labours!" Orwell portrays established religion as "the black raven of priestcraft -promising pie in the sky when you die, and faithfully serving whoever happens to be in power." Napoleon brings the raven back (Ch. IX) as Stalin brought back the Russian Orthodox Church.
と表記されているところである)。
[耳に聞こえはいい]との実現論拠がないとのこと(『動物農場』的に言えば、 Sugarcandy Mountain[キャンディーが山なす理想郷]なるもののこと)ばかりを口にし、現実にそこにはきとある問題についてきちんと取り上げないどころか、現実の状況悪化の側面を[全く異なる似姿目分量]へと誘導して認識「させない」ようにしているとの者がいたらばどうか。その者固有の悪意の有無は別として、オーウェルの『動物農場』におけるカラスの問題が何故、観念できるかお分かりいただけるであろう (そのカラス本体に悪意があるか否かは問題ではない。またもってして述べておけば、[カラス]を影から支えているのが北朝鮮や旧ソ連にての酸鼻を極めた尊厳圧殺に積極的ないし消極的に与しもしようとの筋目の人間ら、[おのれ一人の浅ましい現世での逸楽安寧]を対価に[望ましき未来]を悪魔に売り払ったが如くの筋目の自己中心主義者的人間らや同文に同じくものこともやろうとの甚だしくもの臆病者らや愚かさ際立っての自己欺瞞者らであるというのならば尚更もって救いようがない ――それを[最終目的]を帯びて動いていると判じられもする上位存在らが傍から見て[(彼らが皆殺しにすると露骨かつ執拗に前言・予告し続けている対象である)人間存在]の愚劣さを嘲笑っているのならばさらに輪を掛けて救いようがない―― )。
以上、申し述べたうえで、である。
海外で極めて目立つ位置にあるとのデービッド・アイクの
[[失望させてくれる]とのやりよう]
について具体例を挙げることとする(:「人類の帰趨の問題に[具体的証拠](これまで羅列しもしてきたし、これよりも重み付けの問題から羅列していくとの具体的証拠)を伴って関わるものである」と強調したき本稿にての摘示内容と矛盾することをデービッド・アイクという男が数多「不適切極まりなくも」「衆をたばかるように」広めているとの経緯があるからデービッド・アイクの衆目に付きやすくもなっている[[失望させてくれる]とのやりよう]について具体例を挙げることとする)。
本稿で「まさにそれこそが我々の運命を決するものである」との[兆候]が多重的に存在するとのことを「証拠に依拠して」取り上げているワームホールやブラックホールの生成問題(LHCあるいはその事後加速器にプラスアルファの外的要因(ここではない他なる領域よりの重力波などの外的要因)が介在した場合に具現化しうると考えられるところの問題)と何ら平仄が合わぬとのことらとしてデービッド・アイクの最近世に出た著作、
Remember Who You Are Remember 'where' you are and where you 'come' from (本稿執筆現時、未邦訳.原著は「2012年」著作権表記.『自分たちが何者でどこにいるのか、そして、どこからきたのか、思い出せ』と「二重話法;ダブル・ミーニング」がかってタイトル訳されもするとの著作.本稿を公開することとしたサイトの一で筆者が情報提供を試みだした「後」に出された著作で大要、[月を介しての爬虫類人の操作の究極的な中心地は土星(英語で述べるところのサターン)にある]との内容を有しもしているとの書籍)
からして筆者が[欺瞞性に眉をひそめさせられることになった表記]が含まれているとのことがある(のでまずもってそのことを[人間存在を嘲笑うやりよう]に対する憤りもあって問題視することとする)。
それにつき、どこがどう問題になるのか、ここ補足部では(極めて重要なところで欺瞞の最たる物言いが見受けられるとのことで)細かくも指摘しておくこととする。
さて、後にて解説する筆者それ自体の「従前」指摘事項(土星神格化存在サトルナスにまつわっての指摘事項)との一部内容一致性を帯びもしている(後述)とのものでもあるデービッド・アイクの近著、 Remember Who You Are Remember 'where' you are and where you 'come' fromにあっては
[LHCは[高周波活性オーロラ調査プログラム]と接合するところとして運用されている人間の覚醒を阻むための洗脳装置である]
などとの[断定]がなされている(下の出典(Source)紹介の部88を参照のこと)。
ここ出典(Source)紹介の部88にあっては、
[論客デヴィッド・アイクが近著に至るまで[LHCは[高周波活性オーロラ調査プログラム]と接合するところとして運用されている人間の覚醒を阻むための洗脳装置である]との主張を流布している]
とのことの典拠を原文引用にて示しておくこととする。
(直下、 Remember Who You Are Remember 'where' you are and where you 'come' fromのp.405-p.406にての[ Reptiles on the barricades ]よりの[paranormal:超常的]かつ[incorrect:不正確な]との側面が強くも現われた(と指摘したき)ところよりの一部原文引用をなすとして)
The Reptilians and their human hybrids have been preparing for the challenge of the Truth Vibrations,and that is the magor motive behind HAARP.
[ . . . ]
The Saturn-Moon Matrix operates within a certain frequency band and open our minds beyond that band the less we are influenced by the transmissions. There was little danger of that before the Truth Vibrations began to open minds, and the Reptilian Aliance has been prepareing to resist this change that would bring their house down. This is why, at the very point that humans are demonstrably awaking we are being hit by what is described in this book. They needed to increase the level of mind and emotional suppression to stop people expanding awareness beyond the confines of the Suturn-Moon Matrix. HAARP and associated technologies are a Matrix support system on Earth manuipulating the energy field with which we interact. CERN's Large Hadron Collider is involved in this,too,along with what is happenning in the vast and interconnected underground bases and cites and those inside gouged-out mountains.
(補ってもの訳として)
「レプティリアン (※注:爬虫類人/デヴィッド・アイクがその遺伝子的に調整された[憑依]に適しているとするハイブリッドを用いて人類を支配していると主張する存在) および彼らの人間レベルのハイブリッドはこの[真実の波動] (※注:現行アイクが目立って主張しているとの言いようの伝では[銀河系より飛来する覚醒を促す波長]とのこと) に対する準備をなしており、それがHAARP (※注:先に EISCAT( the European Incoherent Scatter Scientific Association )の解説に絡んでその解説もほんの少しなしたところなのだが、 HAARPとは[ High Frequency Active Auroal Research Program ]こと[高周波活性オーロラ調査プログラム]の略称でアメリカ合衆国にてアラスカ大・空海軍・DARPAの共同研究として高周波を大気圏上層に投射し無線に対する影響を調べるとの名目で実施されているプロジェクトであるが、一部にてビームを生成してそれを兵器に転用する等等の陰謀論が取り沙汰されているとのものでもある) の背後にある主たる動機である。
・・・(中略)・・・
[土星および月のマトリックス] (※注:デヴィッド・アイクが2012年に刊行された書籍より土星との要素を加えて主張しだしたことなのだが、アイクによると、[月と土星の双方が人間に幻影を見せるシステムの中枢となっているとの申しように依拠しての映画『マトリックス』的幻影世界の操作手法]に対して[土星および月のマトリックス]との表されようがなされている) は[特定の周波数]の下で機能し、その周波数帯の外側に「開かれた」我々の精神がある場合には我々の精神は一層、(マトリックスを規定する)[送信行為]よりの影響を受けにくくなる。 が、[真実の波動] (※注:現行アイクが目立って主張しているとの言いようの伝では[銀河系より飛来する覚醒を促す波長]とのこと) が我々の精神を開こうとすることにはまったくもって危険はなく、他面、レプティリアン共同体は彼ら、その王朝を凋落へと導きうるとのこの変化に対する抵抗の用意をなしているのである。 本書に述べているこの真実の波動に我々がさらされているとのことが我々人間が目を覚まさんとしているまさしくもの理由となっている。 彼ら(爬虫類人)は[土星および月のマトリックス]の制約を超えての知覚の拡大を阻止すべく精神および感情に対する抑制のレベルを高める必要を感じている。HAARPおよび関連技術は我々と相互作用するエネルギーフィールドを調整するための地球に存在するマトリックス補助システムである。広大かつ相互結合している地下基地らと関連用地(山中に穴を穿たれてのものらを含む)の中で行われていることと共にCERNのラージ・ハドロン・コライダー(LHC)はこれに関わっているのである」
(訳を付しての引用部はここまでとする)
上はデヴィッド・アイクの近著(2012年刊行の Remember Who You Are Remember 'where' you are and where you 'come' from )に見る主張だが、彼アイクは先行して世に出ていた2010年初出の著作、本稿筆者が2009年下半期に出版社に手渡ししていた著作 ―初版数千部での商業出版とあいなる筈だったところが「常軌を逸しているにも程があろう」との経緯にて出版頓挫に事態収束したとの著作― の内容との近似性との絡みで着目するに至っている(「実にもって不快ながら着目せざるをえなくなった」でもいい)との著作、
HUMAN RACE GET OFF YOUR KNEES The Lion Sleeps No More
からして同文のことを強調している。
にまつわっての引用「も」下になしておく。
(直下、 HUMAN RACE GET OFF YOUR KNEES The Lion Sleeps No Moreにての 29 The Uprisingよりの節よりの引用をなすとして)
The Large Hadron Collider built by the European Organization for Nuclear Research or, CERN , is all part of this too. It is the world's largest and highest-energy particle accelerator and consists of a 17-mile tunnel loop beneath the Swiss-French border. It is described as an 'atom smasher' that collides particles and contains more than 1000 cylindrical magnets arranged end-to-end. In November 2009, CERN announced that it had broken the record for proton acceleration and created beams of particles of 1.18 trillion electron volts and it planned to reach up to seven trillion electron volts. The project involves 10,000 scientists, with the biggest group from the United States. We are told that it was built at a money-no-object cost of billions of dollars for experiments to establish what happened at the time of the alleged (I stress 'alleged') 'Big Bang', and to understand the 'deepest laws of nature'. But this is just the cover story. It is connected with HAARP and other technology centres around the world, including the satellite network, in manipulating and disharmonising this reality to block the effect of the Truth Vibrations. The World Wide Web was invented by particle physicists at CERN and that,too, is a manufactured collective reality. The main reason for the microchip agenda is to access the body-computer and manipulate its ability to receive and transmit within the frequency of the Truth Vibrations, and the same with the electrochemical destabilisation through food and drink additives and electromagnetic and microwave pollution.
(補いもしながらもの拙訳として)
「ラージ・ハドロン・コライダー(LHC)は欧州原子核研究機構ことCERNによって建築されたものであり、同装置もまた全面的に「この」(デービッド・アイクが伝聞にて真に受けているようであるとの「HAARP計画」)の一部をなすものである。 LHCはスイス・フランス間国境地下の全長17マイルのトンネルによって成り立っている。そちらlHCは粒子らを衝突させるためのものであり、1000のシリンダー状のマグネットを端々で繋ぎ合わせての原子粉砕装置であるとされている。 2009年11月、CERNは(LHCによって)陽子加速にあっての従前記録を更新、1.18兆電子ボルトの粒子ビームを生成したと発表し、さらに7兆電子ボルトの大台に達すべくもの企図しているとした。 LHC計画には10000人の科学者らが関わり、その内、最大のグループは合衆国からの者達によるものである。 金銭換算に適さぬ式での数十億ドルの出損について「言われているところの」(ここでは「言われているところの」にアクセントを置く)[ビッグバンのその時]に起こったことを再現なさしめるためのものであり、そして、自然にあっての最も奥深いところにある秘密を理解するためのものであると我々は言い含められきた。 しかし、これはただのカバー・ストーリー(ダミーとして構築された嘘)にしかすぎない。 LHCはHAARPに繋がるものであり、そして、それにまつわっての一連の世界中の他の技術動向に通ずるものでもあり、その中には[真実の波動]の効力を妨げるべくも現実(認識のありよう)を操作、かつ、不調和なるものとするべくもの衛星ネットワーク(の技術)も含まれている。マイクロチップを人間に装着しようとのアジェンダの背後にある主たる理由はいわば生体コンピューターとして機能している人間の身体に(無理矢理)アクセスして、[真実の波動]を受け取り、かつ、発信する能力を操作することにあり、同じくものことが飲食物および電磁波とマイクロ波による環境汚染を介しての電気化学的なる不安定化の促進としてなされている」
(訳を付しての引用部はここまでとする)
オンライン上よりも文言確認なせる(その気があれば確認なせる、とのことである)との上の引用部をもってしてお分かりか、とは思うが、デービッド・アイクという男は2010年に世に出た同人物著作にあってからして ―(その意味合いの判断は心ある読み手に譲るが、とにかくも、[ぶれない][ぶれていない]とのかたちで)― 「LHCとは」[人間の認識をせばめるためのHAARP計画の一端をなすものであり][人口衛星や(飲食物にまぎれこまされた)化学物質による操作と近縁をなすものである]「また、表向きの実験目的はカヴァー・ストーリーである」などとのことを(このような世界にあって)主張しているわけである。
(出典(Source)紹介の部88はここまでとする)
(以上、デービッド・アイクの加速器に対する主張のなしようを引用にて示したところで)
ここでLHC実験および加速器実験がどういった思想に基づき、どういったものとして運営されているかに関しては[常識の世界; main street]では次のように説明されていることを(馬鹿馬鹿しい、煩瑣であるとは思いつつも)引用しておくこととする。
(直下、加速器研究機関フェルミ国立研究所の二代目所長となったレオン・レーダーマン( Leon Lederman )という男、1988年にノーベル物理学賞を受賞している同男が著した、 THE GOD PARTICLE(邦題)『神がつくった素粒子(上)』(邦訳版版元は草思社)にての[(疑念に思われるところもあるが)素粒子物理学こそが脇道としての科学 ―[電気工学]や[化学]― から外れての本流にあたるとは言えるようなものであり][その分野にて用いられる加速器とは新種の粒子を高エネルギー状況下で造り出して][宇宙の全ての成り立ちを解明しようとの道をもたらそうとするものである]との筋立ての記載がなされている部、20ページから21ページよりの原文引用をなすとして)
それにしても、ときどきふっと疑問に思うことがある。われわれはどっかで曲がり角をまちがえたんじゃないか?装置のことに気をとられすぎじゃないか?素粒子物理学なんてのは、一部の人間だけにしかわからない「サイバー科学」じゃないのか、おおぜいの人間がばかでかい器械を使ってわけのわからないことをやっているが、高エネルギーで素粒子がぶつかったらどうなるのか、神さまだってご存じじゃないのじゃないか?
そこで、われわれは出発点から順に経過をたどってみることにしよう。
そうすれば自信もわくし、いい発想も浮かぶんじゃないか。
その道はおそらく紀元前六五〇年にギリシャの植民地ミレトスからはじまっている。終着点は、あらゆることが理解できている町だ。そこじゃ、ごみ清掃員はもちろん市長さんでさえ、宇宙のしくみを知っているだろう。
すでに多くの人びとがこの道を通ってきた。デモクリトス、アルキメデス、コペルニクス、ケブラー、ガリレイ、ニュートン、ファラデー、さらにはアインシュタイン、フェルミ、そして現代の研究者たちまでが。道は狭くなったり広くなったりしている。なにもない直線部分(ネブラスカを走る州間高速八〇号線みたいに)や、活動が盛んでカーブが連続している部分もある。魅力的な「電気工学」「化学」「無線通信」「固体」なんていう標示のついた脇道もある。こういう脇道に入った連中が、地球の住民の生活を変えてきたわけだ。ところがそのまま本道を進んだ人間は、どこまで行っても、まったく同じ、文字あざやかな標識を見る羽目になった――「宇宙のしくみはどうなっているのか?」この道を走っているとき、一九九〇年代のところで加速器を見つけることになる。
わたしはこの道に、ニューヨーク市のブロードウェイと一二〇丁目の角(コロンビア大学のこと)から入った。その時分、こうした問題はきわめて明快できわめて重要なものに思われた。それには、いわゆる強い核力と、理論的に予言されていたパイ(π)中間子、別名パイオンと呼ばれるものの性質が関係している。コロンビア大学の加速器は、罪もない粒子に、加速した陽子をぶつけて大量のパイ中間子をつくろうというものだった。当時の装置は単純だったから、大学院生にもよく分かった。
(引用部はここまでとする)
(続けて直下、欧米圏では比較的著名なサイエンス系読み物の著者であるアミール・アクゼル著 Present at the Creation The Story of CERN and the Large Hadron Colliderの邦訳版『宇宙創造の一瞬をつくる CERNと究極の加速器の挑戦』(早川書房)にての[原子核を壊してあらたな物理事象を観察するための高エネルギーを実現するとの加速器機序]にまつわる解説部としての24ページより原文引用をなすとして)
LHC内部での陽子衝突により解放される凄まじい量の高密度エネルギーは、科学を未踏の新たなレベル、我々の宇宙ではビッグバン直後以来観測されたことのない高エネルギーの領域へと推し進めてくれる。そのような形で大型ハドロンコライダーは我々を百数十億年昔に連れていき、誕生直後の灼熱の宇宙を満たしていた状態を見せつけてくれる。
(引用部はここまでとする)
(さらに続けて直下、欧米圏では比較的著名なサイエンス系読み物の著者であるアミール・アクゼルの手になる Present at the Creation The Story of CERN and the Large Hadron Colliderの邦訳版『宇宙創造の一瞬をつくる CERNと究極の加速器の挑戦』(早川書房)にての[原子核を壊してあらたな物理事象を観察するための高エネルギーを実現するとの「LHCの」機序]にまつわる解説部としての27ページよりの原文引用をなすとして)
LHCを最大レベルで運転すると、陽子は加速しつづけて光速(秒速二九万九七九二・四五八キロ)の九九・九九九九九九一パーセントという想像を絶するスピードに到達する。このときLHCはエネルギーレベルで一四TeV(テラ電子ボルト)で運転される。一TeVは蚊の飛ぶエネルギーに近く、ごく小さな値に思えるが、それがきわめて高密度になる。LHCは陽子二個の体積、つまり蚊の一兆分の一の空間の中にこのエネルギーを詰め込むのだ。体積あたりのエネルギーとして、これまでに達成された値をはるかにしのぐレベルだ。この超高エネルギー領域で、今まで物理学者の頭の中にしかなかった新粒子や新規現象が現われると考えられている。
(引用部はここまでとする)
無論、
[以上の正統派申しよう]
と
[過分に一頃流行った(ここ日本でも相応の類らが音頭をとる中で流行った)エイリアンの地下基地についての(都市伝説がかっての)言説を受けてのアイクの上にて抜粋した申しよう ――地下基地らや関連用地、そして、山々に掘削されて構築された用地の中で行われているとの[高周波活性オーロラ調査プログラム]と相互連結しながら銀河からの真実の波動に人間が曝されるのを防ぐためのものがCERNのLHC実験であるとの話―― ]
はどちらか一方しか成り立たないとの
[相互矛盾; the mutual incompatibility]
の関係にあるとのものである(:いいだろうか。「この段階では」どちらが誤っているのか、どちらが正しいか、あるいは、多くの人間の(偽りの大義・言い分であれ)内面を規定しやすいものなのか、といったことを論じているのではなく、アイク申しようと常識世界のそれとは[こちら立てばあちら立たず]の[矛盾]の関係にあると「とりあえずも」述べているのである。そう、両者の間には[目的]と[効果]と[機序]の面で両立する側面は「ない」と述べているのである。それにつき、アイクのやりようが相応のものと見えるような中でも部分的によくできていると思われるところには[超光速通信]の可能性を検証するとの実験になったとの意味で一部にて注目を集めていたグランサッソのOPERA実験が(英文Wikipedia[ OPERA experiment ]項目より抜粋するところとして) OPERA, in Hall C of the Gran Sasso underground labs, was built in 2003-2008. The taus resulting from the interaction of tau neutrinos are observed in "bricks" of photographic films ( nuclear emulsion ) interleaved with lead sheets.
(記載に不足があるところを補っての大要として)「OPERA検出器はイタリアはグランサッソの地下研究施設にて2003年から2008年にかけて構築されたものとなる。CERNサイドから放出されたタウニュートリノの類(地面を貫通して0.0024秒で目的地に到達するとのニュートリノ)はそのグランサッソの検出器でフィルムにて隔地で観察される」 となっていると専門家らにはよく知られているところまで超常的な[paranormal]であるとの陰謀論がかった領域に落とし込んで、 CERN's Large Hadron Collider is involved in this,too,along with what is happenning in the vast and interconnected underground bases and cites and those inside gouged-out mountains.
「CERNのラージ・ハドロン・コライダー(LHC)はこれ(爬虫類人の操作挙動)に関わっているものとなり、それと広大かつ相互結合している地下基地らと関連用地(山中に穴を穿たれてのものらを含む)の中で行われていることは関わっているのである」との式にて[信のおけぬと看做されよう話]に組み込んでしまっているきらいありのことだが、それは[やりようの問題]にあっての一特質を示すことにすぎないとのことでここでは切り捨てる)。
(尚、誤解される向きもあるかもしれないが、筆者はこの世界「それ自体」が数々の限界領域・タブーの領域を蔵した[伏魔殿]であることを否定しているわけでも疑念視しているわけでもない。この世界がそれ自体からして[操り人形]のような類で満ち満ちた牢獄のようなものであるとは筆者とて[本稿にて指し示しているような具体的指示材料の山]および[自身が直に見聞きしてきたロボット人間らありよう]に基づいて[そうだろう]と当然に考えている(その伝ではアイクの物言いに当然に同意するところがある。人形遣いがこの世界に実体を伴って進出しきっているといったことや[支配]が[手段]ではなく[目的]であるといったことは(本稿にてその精華を具体的かつ客観的に呈示している諸種収集情報より)[まったくもって支持できない]との結論に現行至っているわけだが)。
につき、この世界「それ自体」が伏魔殿であることを「理なくして」否定する、そして、のみならず、加えて、「理あって」この世界「それ自体」が伏魔殿であると指摘されるようなことが[ある]、厳として指摘されるようなことが[ある]中で何の[具体的反対論拠]の呈示もなく、それを「理なくして」否定するのはいわばもの[拒絶]であろう(おかしなことは述べていないであろう?デヴィッド・アイクのような向きなども「[無視]は[拒絶]の高等的方法である」などとのことを述べているが、ここでは[理なくしての否定]もまた[拒絶]であると述べているだけだ)。そして、そこにて[拒絶]されていることに仮に[種族の限界線]そのものを強くも規定していると判じられる論拠までもが現実に数多伴っているのならば、そして、同じくものことらに対する[拒絶]([ただの否定]ではなくくどいが[拒絶]である)とのやりようを[さも適正なる行為]であるように(何の理もないところで)最もらしく「演出」しようとしているとの筋目・筋合いの輩がいるのならば、である。はきと述べてそこにては[相応の力学]と[相応の類]が見てとれると述べられもしよう。(「仮に」付きで述べもして)仮にそういうことがあるのならば、[愚かさ]との観点では[尋常一様ならざるところ]に到達していると述べても良かろうとは判じられもするわけだが、そういう中で理なくもの[拒絶]をなしている「それ」は ―属人的悪意が仮にそこにないのならば― 最早、厳密には人間とは言えない「虚ろなる」存在ととらえられそうなところともなろう(言うならばそういう「もの」が発する言の葉は厳密には[何かを人に伝達しようとの情報伝達の媒質]ではなく[建設的営為を破壊するための理なき[獣声]]に等しきもの、ゴロツキの恫喝の声と同程度かそれにすら劣るものとも言えよう)。 そして、である。 筆者がその気になれば、そこら中にある一見にして紳士面した者らによる正統派言説の欺瞞性というものについて[具体例]を挙げ連ねられるし、抑えての筆致以上に痛烈にそうもしたいと考えており(だが、本稿ではある程度、ブレーキをかけている)、また、多くの人間がそれを洗練された式でやるべきなのだろうともとらえている)
以上、書いたうえで申し述べるも、一見する限りは正統派ありよう(の存立基盤)を凄まじい方向から否定しているようにとれるデービッド・アイクという男のここで問題視している物言い ――[LHC実験は爬虫類人の地下基地と結節するところのものであり、人類を操作する[高周波活性オーロラ調査プログラム]などと同様の制御洗脳計画の一環をなすものである(人類を滅尽滅亡させるものでは「なく」洗脳制御計画の一貫をなすものである)]―― が
[容易に後追いできるとの数多の証拠らに基づいて本稿で[明確にそうなっていること]を指し示してきたとのこと]
とも、そう、
[加速器にはトロイア(木製の馬で内側から内破させられ、住民皆殺しを見た伝説上の都市)およびアトランティスの寓意が絶滅作戦の寓意と共に愚弄すべくも組み込まれている節がある]
とのことと両立するものなのか、それについて「も」(「も」付きで)よく考えてみていただきたいものである。
同じくものことについてこちらより申し述べておくが、(はきと述べて)、
「[社会にて確たる立ち位置をもってやっている主流派・正統派(CERNに集まっている「学究」の類らである)の申しように重大な虚偽が含まれている]と[証拠]に基づいて指弾しようとの本稿筆者の言いようの伝 ――[加速器およびその関連事物にはトロイアおよびアトランティスの複合的寓意が人間を愚弄すべくも多層的に組み込まれていると断じられるだけの証跡がある]との言いようの伝―― 「とも」アイクのここにて問題視している式での申しようには両立するところが「何ら」ない」
とのことがある(アイクという男ないしアイクを動かす力学のようなものが[事後学習]の結果、今までそうあったと見ているところとして悪い意味で[バージョン・アップ]する可能性もありはするかと見ているのだが、現行やりようでは筆者申しようとアイク申しようには「加速器の位置付けとの観点では」結びつくところがない。アイクの申しようはメインストリートの目立つところに陣取っている人間らの申しようとも相互矛盾 ――どちらか一方しか成り立たない―― の関係にあるのだが、この身、筆者申しよう「とも」同様の要素を(LHCのそれに関して)目立って帯びているとのものである)。
その点、デーヴィッド・アイク由来の表記の申しようの前提となっているところ、
[この地球にて地下基地 ―LHCともリンクしているなどとされての地下基地(なるもの)― より操作を施している爬虫類人の類が現実に実体伴って存在しているとの申しよう]
を容れるのならば、(それは無論、[マーベラスなことを成し遂げる魔法世界]が存在していると容れるぐらいのことになるわけだが)、「最早なんでもあり」の世界となり、確かにそうした現実の理解を ―たとえ過てるものでも― 取る限り、そこにあっては
[トロイアの木製の馬](攻撃対象の城門を内側から解放させて皆殺しを実現するとの装置)
など要らない、そのようなもの([トロイアの木製の馬])が[まさしくものその伝でのもの]として今日ここに至るまで人間を地に「養殖」し最終段階として構築されるに至っているとの[可能性]を顧慮する必要だに一切ないことにはなる (:[人外]は既にこの我々の世界に入り込み、歴年、どういう目的でなのか、【幻覚】(脳機序操作)などではなく実体伴って跳梁・具現化出来るのにまったく表に出てこないで我々人間と付き合い続けていることになるからである ――いいだろうか。ここでは言論の中身の問題をしているのではなく、その言論の効果、その言論がどういうメッセージ性を有しているのか、どういう気風を一部の人間に醸成するのか、との話をしているのである(例えば、[団結を阻んでの相互不信の気風を社会に拡大させる][正しくはないところで予断・偏見を醸成し[行き着く先]に対する方針を誤ったものになさしめる]というのは言論の[中身]の話ではなく、言論の及ぼすありうべき[効果]の話となる)―― )。
同じくものアイク主張の前提となっているところの申しよう、[エイリアンや爬虫類人の地下基地がどこかに存在している]との申しよう( The Saturn-Moon Matrix operates within a certain frequency band and open our minds beyond that band the less we are influenced by the transmissions.
といった月と土星のマトリックにまつわるところも含めての申しよう)は、それに対して反論をなそうという者にとり、
[悪魔の証明] (「~である」「~となっている」との[肯定の事実]に対して「~が存在しない」「~ではない」との事実、いわゆる不存在それものが関わるとの否定の事実を完全に証明しきることは不可能か、あるいは、非常に困難であることを[悪魔の証明]という.例えば、[未確認飛行物体が存在しない]との申しようの適正さを示すためには事実群の羅列による証明というものは(捏造写真やミステリー・サークルの偽造などにまつわる否定の事実をいくら並べ立てようとも)[肯定の事実]が[一億の否定事実の中に一つでも存在していれば]折られることになるのであるから、[悪魔の証明]となる ――尚、[悪魔の証明]は日本の民法の適用運営の現場にあっては[所有権帰属問題を証明することは有為転変する帰属関係を全立証することが要されるから困難である]との用いられ方をするものであるともされるが、法廷での使用規則も含めて英語圏にての[悪魔の証明]の使用法は英文Wikipedia[ Probatio diabolica ]項目(悪魔の証明のラテン語表記にて設けられている一項)に見るように、
The Devil's Proof is the logical dilemma that while evidence will prove the existence of something, the lack of evidence fails to disprove it.
「悪魔の証明は証拠(の【存在】)が何かの存在を示すものである一方で証拠の【不在】の方は何かの不適切性・不存在性を示すもの「ではない」ことに起因する論理的ジレンマの問題である」と記載されているもの、ここにて述べている通りの語法で幅広くも用いられているものとなる(と傍目にも伺い知れるようになっている)―― )
と親和性の高いものとなっている(上に述べたところのアイクやりよう、エイリアンの地下基地が[コントロール下にある(アイク流にいうところの憑依されている)ゾンビ人間ら]の背後に控えているとのことを衆を惑わす嘘であると暴く、[そんなことはない/存在しない]との否定的事実・消極的真実の証明は難しいとのことである。(仮に世界がゾンビのように自己思考能力が乏しい人間で横溢を見ているのであれば、そして、そうした環境下で事実と異なる妄言を積極的に折ろうとするとの気風が乏しいとのことがあれば尚更のこととして)世界にエイリアンや爬虫類人の地下基地が実体を伴って存在して「いない」ことの証拠を全地的にスムースに呈示することは不可能であり、また、エイリアンや爬虫類人の類が人類を薬籠中のものとしているとのことであれば、その存在を立証しようとの挙は全部台無しにされて無為無駄に終わっているのだとの言い分を許すとのことで[存在しないとの消極的事実]を示すことはよりもって完璧なる[悪魔の証明]となるとも言えよう)。
だが、[悪魔の証明]の問題が関わってこようとの前提となるところ ―(押しつけはなさないが、筆者自身は『それはおそらく「ない」だろうな』と結論を下すに至っているとの)地下基地の存在といったこと― はともかくも、
[LHCが[高周波活性オーロラ調査プログラム]と並んで洗脳・制御の装置にとどまるものである]
とのことまでについては[虚偽である]と「明示的に」指し示し可能なところとなっている(と申し述べたい)。
どういうことか、と述べれば、筆者の申しようが正しいと指し示せるとき、デヴィッド・アイクの申しよう ―[LHCが[高周波活性オーロラ調査プログラム]と並んで洗脳装置となっている、そのためだけのものである]との式での申しよう― に関しては
[相互矛盾関係にあることのもう片方側が正しい]
とのことを遺漏なくも摘示なすことで斥けられる、そう、虚偽であると示せるとのものであるということである (:非常に単純な話である。矛盾していることの片方が正しいのならば、もう片方は嘘であるとの[単純な嘘つき問題]である。につき、我々が中学校で学ぶとの初等数学の段階からして[背理法(帰謬法)]、すなわち、[証明対象の真実性を真っ向から否定しているとのことを敢えても想定、その想定してのことが[誤り]を含んでいるとのことを示すことで却(かえ)って証明対象の真実性を示す]とのやりようがとられることもあるが(英文Wikipedia[ Proof by contradiction ]にて In logic, proof by contradiction is a form of proof that establishes the truth or validity of a proposition by showing that the proposition's being false would imply a contradiction.
「論理の世界では[矛盾による証明](背理法)とは[命題(指し示し事項)の真実性ないし適正さ]を[命題(指し示し事項)の偽であるところ]が矛盾を含んでいるとのことで示そうとのものである」とある通りである)、 のように論理的に純化されての話ではないものの、少なくとも背理法成立状況「的」ではある状況、[明らかに意味論的に異なるものら]の片方の方が質的に正しいとのことが露骨に示される ―LHCが外側からは攻め落とせぬ城塞内部に運び込まれたトロイアの木製の馬であるとの意思表示を巧妙に、確信犯的に、尋常一様ならざるやりようで執拗になされてきたとの相互に連関する具体的証拠の山がある― との状況成立にダイレクトに通ずる事実らを通じて「アイクの言い様は正しくはないとの判断がなせる」と筆者は申し述べているのである ――ただし、アイクが悪い意味で進歩する存在ならば、[LHCは洗脳装置の類にすぎない]との現行の申しようの伝に加えて(彼の従前主張らとは何ら両立しないものだが)「LHCはゲートにしてトロイアを滅ぼした木馬「でも」ある」であるとか「(そのことがきちんと問題視されていないからこそ問題なのだが)LHCがトロイアを滅ぼした木馬の寓意の多重的に結びつくようにされていたとしてもそれとて[フェイク]である」などといったことを彼お得意のお伽噺的なる「相応の」話に交えて「これより」さらにいい加減に述べ出す可能性もあるととらえているのだが、については、現行、本稿執筆現時点でのアイク(という欧米圏でよく知られた男)の申しように基づいての話をなしていること、お含みいただきたい―― )。
(⇒尚、筆者としては誤記・錯簡・誤解誤信(知覚に惑わされてのそれや他者体験談取得に伴う惑溺等々)、その他の汎ミスなどを抜きにして[本当に正しくあろうとする者]は「能動的・主体的に」虚偽をこととしないものであると当然に考えている。
また、重要なところで結果的に虚偽を心ならずになしていた(属人的限界で手違いをなして事実と異なることを書いていた、言っていた)と気付いた場合、その悪影響の可能性を斟酌しつつ、必要ならば、それを訂正するとのことを(正しくあろうとするのならば)遅からずなすであろうと考えている。
でなければ、[重過失][過失]の問題を知っていて黙過し続けていたとのことで、それは[悪意の,正しくはない者のやりよう]と同じくものところになってしまうと考えている(いいだろうか。能動的・主体的に虚偽をなすような人間 ―人間的に実に下らぬとの切って捨てて構わぬ質的詐欺師(質的犯罪者)の類― ははなから正しくはない、論外であるとの伝で「能動的・主体的ではなくとも」との話をここではなしているのである)。
その点もってしてデヴィッド・アイクについては彼の主張を経年観察してきて自身の言説にあって問題となるところをあらためようとの側面が「あまりにも」見受けられない (:その点、本稿筆者とて[限界を有した人間存在]であるのだから重大なミスとは決して無縁ではなく、(話をなすこと、その意味・意義に直結するところの聞き手・読み手がいかほどに存在していたか何ら希望的観測をなせぬところなのだが)、自身の述べてきたことについて「これは筆の誤りか」と考えることがあり、その訂正・調整をなすべきかに苦吟しているとのことがある。たとえば、本稿を公開しているサイトの一などにて従前、[911の事件は人形と化した類らの業であるのだろうが、にあっては秘密結社に属するが如く類らの関与が[演出問題]として強くも作用していると判じられる]とより以前から収集していた[論拠の山](殊に第七ワールド・トレード・センター・ビルジングにまつわる論拠の山)および自身の見知っていることより「過度に」強調しすぎていたとのことからして[過ち](質的誤謬)があるかも「しれない」と考えるに至ってもいる ――については、本稿の後の段で「どうして従前、そういう結論を下していたのか」にまつわっての具体的論拠の山をも呈示するとのことをなしもする所存ではあるも、のうえで、「だが、」現況、「そうした結論は誤りであった可能性がある(低いとは受け取れるのだが、誤りの可能性がある).であれば、自身の前非を認めるし、そうすべきであると考えている」とのことをも明示する、ひたすらに論拠挙げ連ねての本稿の後の段、[補説4]の段で明示するつもりでもある―― 。 そのように、正しくありたいとの人間は都度、自身が謬見を呈していた、と考えれば、都度、そのありようを可及的に明示して修正するところか、と思う。だが、デーヴィッド・アイクという向きはそういうことをきちんとなさないで、[誤り]を強化・固執するようなことを平然とやっている、まるで柔軟性がない(彼自身のまったくもって若くないとの年齢や元より問題があったのかもしれないとの精神状態のこともあるかもしれないがまるで柔軟性がない)とのことが[目に付く]ところとしてある)。
以上のようなことにつき、[優しい嘘]というものもあろうかとは思うのだが、[生き死にに関わるところ]でそうもした[優しい嘘]なるものは観念できず、であるから、その伝で筆者はデヴィッド・アイクという人物に(その他、いろいろと事情もあるのだが)失望するに至っているとのことがある)
くどくも申し述べるが、
[LHCが現行、そうなっているところの巨大加速器が人類の領域(城壁で守られて攻め手が直には侵入できぬ人類の領域)に内側から「最終的」内破とのかたちで引導を渡すベくも構築されているトロイアの木製の馬であるとの前言・予告といったものが尋常一様ならざるかたちで多重的に長年、なされてきたと指し示せるようになっている.しかも、そこには通りひととおりの人間(ラジオ・コントロールされているが如しの[ゾンビ人間]ではないとの[自ら所与の情報に基づいて思考する人間]との文脈での人間)のやりようでは説明がなしがたいとの要素が伴っていると指し示せるようになっている]
とのことが[確たる事実]として呈示できるのであれば(実際にそれは呈示できると強調する)、アイクのような者達の申しよう、
[LHCが[高周波活性オーロラ調査プログラム]と並んで(真実の波動なるもの、厳密に定義すらできぬものの浸透を防ぐための)直にこの世界に進出している者達による洗脳装置にとどまるものである]
と矛盾関係にあることが呈示「なせてしまう」とのことともなり、アイクらのその伝での申しようは斥けて然るべきものであると背理法(前述)的なる観点に基づいて当然に強調する次第である (:ただし、である。筆者見立てとアイク見立てが「極部分的に」両立するケースもなきにしもないでもない。 [トロイアの木製の馬の多重的寓意とありとあらゆるところで結節している加速器](ここに至るまでLHCがどういったことと多重的に接合していると論じているのか、本稿の内容を全体として振り返っていただきたいものではある)の運用の結果、[かねてよりなされていた不自然極まりない犯行予告](さらに煮詰めての話をなす所存だが、たとえば、出典(Source)紹介の部1から出典(Source)紹介の部10の内容などを参照のこと)の通りに[ブラックホール][通過可能なワームホール]が生成されたとして、それでもって、地球や地球人類がどういうわけか滅亡しなかった場合、そして、その結果が[洗脳][制御]と「ほぼ」同文であった場合 ――[高周波活性オーロラ調査プログラム]といった話は切り捨てて「ほぼ」同文であった場合―― 、例えば、そう、本稿にての出典(Source)紹介の部20以降の解説部で Parallel Worlds; A Journey Through Creation,Higher Dimensions and the Future of the Cosmos『パラレルワールド ――11次元の宇宙から超空間へ』を引き合いに出典内容を細かくも原文引用なしながら取り上げているとのこと、[仮想上の先進文明やりようにまつわる未来技術予測として[ブラックホール][通過可能なワームホール]越しに重力の怪物らの中の凄まじい潮汐力や放射に耐えうるとのナノマシン(あるいはそれより遙かに小さいフェムトマシン)といったデバイスを[文明再建の種子]として送り込むとの科学者ら未来技術予測]のようなことが本当にあるのであるとすれば、そして、その結果が[人間の脳機能の破壊後代替](本稿にて出典(Source)紹介の部21-3(2)以降の段で述べているようなグレッグ・イーガン『ディアスポラ』との小説に見るような人間のナノマシン・スキャンによる「アップロード」次いでの「移行」、ないしは、より単純に考えての[首から上のまずもっての物理的すげ替え])というかたちでの人間の「別」存在化として現出するのであれば、確かにアイクの[洗脳・制御]なぞとの話と筆者の呈示していることに「部分的に」接合性は観念できることになる ――普通に考えれば、筆者申しようとアイク申しようには[高周波活性オーロラ調査プログラム]および[真実の波動なる非科学的概念]の絡みで「互いに並び立たないものである」とのことになるのだが、とにかくもの部分的一致性の話をなせば、である―― )。
さて、本稿ではそうしてアイク申しようと両立せぬことを、
[証拠の山]
および
[はきとした因果関係]
の摘示でもって[危険なる兆候] ―どのレベルでの操り人形による犯行かは論ずるまでもなく破滅的[人災]が引き起こされうるとのことにまつわる危険なる兆候― として指し示さんとしている(:デヴィッド・アイクの申しようを真に受けるとこの世界には[トロイアを滅ぼした木製の馬]を構築する必要も無く、嗜虐的で碌でもないとの操作者としての人外は既に「実体を伴って」人間(じんかん)の中に紛れ込んでいるとのことになるが、[テーブルを隔ててのテーブル下からの磁石を用いての人形操作]に見るそれのようなマリオネット仮説の問題とも関わっているところで「現実に」この我々人間の世界にあっては加速器の類が[侵出不可能領域に対するトロイアの木製の馬]になるとの「あまりにも巧妙」「あまりにもできすぎた」寓意で満ち満ちているとのことがあり、しかも、にまつわっての関連事象らが長年に渡り相互に結合するかたちで具現化しているとのことがある(と摘示可能となっている) ――(疑わしきは膨大な文量を割いての本稿にて筆者がどのようなことを事実として指し示しているかをきちんと検討いただき、デヴィッド・アイク申しようと手前が摘示に努めていることらのうち、どちらが正しいのか軽重の程を分析頂きたいと思う。尚、筆者は読み手が[相互矛盾]の問題に関わるところのどちらが正しいと見ようと頓着しない。人間としての信念から人間は[尊厳をもった存在]として自分で物事を判断すべきである、また、そのようにあるべき存在だととらえているし、何にせよ、デヴィッド・アイクの申しようを(その意味性を深くも考えることもなく)無批判に受け入れるような、あるいは、僅かに容れるべきところも含めて字義通り全てが馬鹿げていると検討もせずに全否定するとの雅量(度量)しか有しておらぬとの向きらがそうした向きらに往々にして伴っている宗教的側面から離れて[理]と[知]でもって何かを本当に望ましき方向で変えることはない、およそなかろうと考えているからである)―― )。
重要なことであるととらえるから、くどくも申し述べるところとして、次の各点、胸に刻みつけていただきたいものではある。
「正気の人間ならば、(それらが相互矛盾の関係性を呈するとき)[確たる証拠を伴わず駄法螺であることが高度に疑われる話柄]と[証拠の山と共にあって堅く、かつ、特異性が伴った相互多重的関係性の呈示がなされていること]とのどちらが取り合うに足るものと判断するか、自明のことであろう」
「正気であるうえに[勇気]がある人間ならば、不快な証拠によって危険と指し示されている現状を脇目に、何もしなくては決して好転しなかろうとの節がある未来を[魔法の類](実に性質悪きことに「耳に快きことを含む話は否定しがたき哉、」とのメカニズムを結果的に悪用しているようにとれるようになっている話柄、デヴィッド・アイク流の[真実の波動]なるものでもいい) が介在して好転するように頭から妄信することはしないだろうし、[認知]→[理解]→[行動]の三ステップを踏んで[できる範囲]で運命を変えるべくも抗う道を選んで然るべきであろう」
以上述べたうえで書くが、アイクの表記申しようとこの身のそれとの両立せぬ申しようを複合顧慮すれば、論拠に拠ってたつところを見極めることでどちらが賢明な道か分かろうものか、と思う。
(その点、敢えても述べれば、長期的に見た上での賢明なる途 ―と述べても真に勇気ある人間に説く以外意義なきものとも解される途― の方向性を指し示そうとのこの身は本当のことを探り、訴求しようと試みだした折から
[一人、嵐で吹きすさぶ荒れ野を行くような辛酸]
をなめさせられ続けている。
といったこの身に対して他面、デヴィッド・アイクなどは[仲間](と[それら]が「本当に」言えるに値するものならばだが)らしきものに恵まれ、彼の異説を流布するに奏功を見ている。につき、「それこそが世の[適正評価]である」と見立てたければ、ご随意・ご自由に、そうして欲しいものではあるが、この身が「他ならぬ自分自身および自分の守ろうとする者のために真実を訴え流布する必要を感じている」とのその言の通りに本当のことしか述べていないとのことがあれば、また、アイクについては耳に心地よいこと「をも」述べるとのそのやりようの背後に[相応の機序](偽物らをその偽物ら自体の悪意の有無はさておきも怪物がかったやりようで無理矢理選り集めているとの力学)があるのだとすれば、その[責め]を誰が負うのか、その点についてもよくよくも考えていただきたいものである。
と、批判がましきことをあまりにくどくも述べすぎた感があるので書いておくが、勘違いしないでほしい。この身はアイクに対して[嫉視]なぞなしているのではない。むしろ、アイク(的なる向きら)については従前、
『殉難者(じゅんなんしゃ)であり、面白い人物である』
「とも」見てきた(最近、とみにその評価は変わってきているが、それは置き、である)。
また、この身は長じてからは「緑色の目をした悪魔」なぞと表されている嫉視なぞ人生経験上、実にもって的外れに「される」覚えは数多あった(であるからこの身は[油断を売れる局面ではそれを売れ]とのことをモットーに滑稽芝居を演じてきたことも数多ある人間である)が自分からそれをなしたことはない(誰であれ同じか、と思うが、「根の暗い人間」ははっきり言って、嫌いである)。 「問題は、」そうした低劣なところ(嫉視と相応の程度の人間は見るかもしれぬこと)にはなく、自身一個の存在は表に出なくとも自身の言論だけは広めたい、人として正しいかたちで[存在悪]の類([必要悪]ではなく[存在悪]の類である)といったものに取り込まれずに、代わりに、そのやりようをできるだけ斥ける作用となるかたちでそのままに自身の言論(誰もやろうとせぬところの指摘・立証)だけは広めたいと考えており、そのためには、ノイズとしてそこに目立ってある、アイクの不品行をも明らかにする必要もあることか、と考えるに至ったのである。
「自身および自身の守るべきと見た人間らの生き残りの必要性認識に駆られ」動いているとのこの身のそうした要望だにこの世界では通らないとのことをここに至るまで思い知らされてきたわけだが、そうもした現状が変わらぬのであれば、あとは、(歴史的にてはそれは碌でもない発露をなしてきたものだが)、 武士的なる潔さ、「相応のものばかりが認容される相応の世界、もとよりそういう下らぬ世界では[節]と[真]は通らず、また、尊厳が担保される素地はなかった、あとは散りゆくままに任せるのみであろうよ」ということになろうか、とまで思い至っている(:本稿の先だっての段でその主張のセンセーショナルさについて解説してきたデヴィッド・アイクなどに言わせれば、[生存本能のみで動いているのが爬虫類人である]とのことであるようだが、その式でいけば、 ―[尊厳の担保の道]はまずは[生命の確保と安定化]にあるととらえている― 私なぞも爬虫類人となるのであろうか、とも声を大に問いたいところではある。検討なす向きが[現実]を見る能力、また、その[現実]に向き合うだけの[勇気](臆病さとは対極にある美徳であろう)を持ち合わせているのならば、それは「否」とはわかることか、とは思う。 [ブラックホールの類に呑みこまれ結果的に相応の人間らに巻き添えにされるかたちで死ぬことになる可能性が「現実的に危険なものとしてそこにある」(ただし「実験」実施の物理学者らはそのようなことは彼らが不磨の大典のようにして崇め奉っている物理学教程と理論に基づき「天文学的数値を母数にしての何千万の1もありえない」と強弁している)と証拠の山に基づき判断、一個の人間としてそれを回避したい]との認識、ただそれだけをもってやっている人間に対して、「奴は爬虫類人だ」、なぞとそのようなことを述べる方が[(字義通りの)人でなし]だけであろう)。
問題はそこまで述べるこの身申しようが真実一路のものか(あるいは高度に黒と疑われるものを適切・至当に指し示しているものなのか)、そうではないか、であり、何度も何度も述べているように
[[偽物]と[本物]を区別すべくもの[検証]]
を、そう、「こいつは嘘つきかもしれない.だから嘘を暴いてやろう」との批判的視座でもってしてでも[検証]を、(無視される中、あるいは、愚劣な者達に色づけされるような機序ばかりが目立ってきた中、語るに値する人間がいればだが)、[検証]を是非ともなしていただきたい、そのように請願したいのである(尚、検討者に対しては再三再四どころか再四再五以上とのかたちで強くも述べておくが、「私は自身の指摘事項について無条件に信じろとは言わない。むしろ疑わしいとの観点で検討して欲しいところである(世界は生え馬の目を抜くような虚偽で満ち満ちていることをゆめ忘れないようにと述べつつものこととしてである)。そうも懐疑的検証の奨めの弁を前面に出しつつも、他面、事前に申し述べておきたきところとして、自身の全知性と全誠意に賭けて述べるところとして私は嘘などついていない(世間にはそういうものばかりが目立つとの操り人形などではなく人間であるのだから、一部、誤字・脱字を含む汎ミスをなしてしまうこともまたあるが、それは置き、である)。 嘘吐きというものはえてしてそう言うものだとは受け取れるが(であるから出典紹介部らを通じて確認されたしと求めている)、 なんら偽りもないとの式を心掛けつつ、[生き残る意思ある者らならばそれを妨げるべくもの挙をすぐにでもなしはじめるべきだ]とのかたちで我々を狙う銃座の所在を適宜適正に証拠に基づいて指し示さんとしているのがこの身である(とのこと、本稿より検証頂きたい)」))。
ここまできたところで、である。(本補足部にて述べるべきと判じたところの多くは述べたつもりであるのであるが)、さらにもってして
[(余事ながらも)述べておくべきとしたこと]
について筆を割いておきたい。
その点、識者(を気取る向きら)に失笑冷笑をもって応えられるものであろうとなかろうと、デヴィッド・アイクのつい最近出た上にて言及の著作、
Remember Who You Are Remember 'where' you are and where you 'come' from『自分たちが何者でどこにいるのか、そして、どこからきたのか、思い出せ』 ―先述のようにその意味合いにつき黒白どちらかなのかと考えさせられるタイトルではある―
にあってはSaturn[土星]([サトゥルナス]こと[時の翁]とも結びつく鎌を持った神格と対応付けさせられている土星)こそが[操作のセンター]であるとの申しようが目立ってなされだしているとのことがある(同著作を起算点としてのアイクやりようとしてなされだしているとのことがある)。
そうもした式、サターンこと土星を重要視する式からして
「どうしてそういうことが現出しているのか」
と想起させられるところとし、試験的に本稿を公開することにしたサイトにて「より以前」 ―アイクの上記新刊刊行「前」とのかたちでの「より以前」― から目立ってこの身が前面に出していたとの式、
[土星神格化存在サトゥルナスおよび時の翁のシンボル的な意味合いを重要視するとの式 ―本稿にあっても先だっての部でサトルナス(土星体現神格サターン)がいかように性質の悪い寓意と結びついているのか、諸種文物よりの原文引用にて示してきたとのことがある― ]
と通底するところとなっているとのこともある([先後関係]につき把握していないとの向きが見れば、まるでこの身、筆者がデヴィッド・アイクの[剽窃]をなしているように誤解されかねない格好となっている)。
につき、アイクの上著作の刊行 ―くどいが、デヴィッド・アイクが土星ことサトゥルナスが土星こそが操作のセンターであると述べだしたとの著作の刊行― に先立ってこの身が「より以前から」試験的に運営していたサイト(本稿を公開することにしたサイトの一)で目立つように問題視していたとのこと、それと類似のやりようがアイク書籍に最近になって質的に論証不能な言い分(月と土星のマトリックスなるものを問題視するとの論法)を伴ってとみに目立つかたちで表出を見だしているとのその一事からして、(ヴィデオ録画して[国内にて不快な妨害行為ととれること]を「何故なのか」堂に入っての式でなされてきた経緯を経年で把握してきたとのサイトに関わるところとして)、
[「個人的には」気になるところとしてある]
のではあるも(被害妄想であると言われぬように強くも「個人的に」という言葉を出して前面に出していることとして[「個人的に」気になるところとしてある]のだが)、声を大にして強調しておきたきところとして、
「この身はデヴィッド・アイクの申しようの紹介ないし批判はなしても[思考能力なき機械のような存在][悪辣な情報操作要員]がそれをなすような猿真似・おうむ返しの類、[無批判の受容]をなすような相応の類などではない」
(:直近述べているようなところ、それ以前から911にまつわる儀式性を論じての論稿なども含めて意図して取り上げていたところの
[土星サターンに伴う意味性]
について「も」先後関係の問題を容易に提示できる。立論論拠を追加で一覧して呈示するために本稿のようなものをアップロードしているサイトの一にてよりせんだってより公開している『911の儀式性詳説』との(表紙からして土星体現存在たるサトゥルナスを挙げているとの)同PDF文書からしてその[旧版]の骨格となる部が2010年に完成を見ていたとのものであり、無論、アイクが[ムーン・サターン・マトリックス(月と土星のマトリックス)]なる主張を目立つようになしたとのその折(2012年)より前から本稿を公開することとしたサイト経緯でダウンロード可能としてきたとの経緯があるものである(旧版新版と分かれている中でのよりもって拙くもあった旧版)。 その点、この身が土星サターンに対する注意喚起を以前よりなしている背景には([ムーン・サターン・マトリックス]なる[あるかないかも分からぬもの]を問題視するとの観点では毛頭なく)[フリーメーソンの特定象徴]([ウィーピング・ヴァージン]とされるもの等々)と[サトゥルナス]および[悪魔の王たるサタン(あるいはルシファー)]の不快極まりない関係性について思索を巡らしていた ――本稿でも一部細かくも指し示しなさんとしているとの不快なる相関関係に気づいて思索を巡らしていた―― とのことにある)
私的にはデヴィッド・アイクのような人間の論理導出の出所が「その実、一体全体、どこにあるのか」ということも込みで疑義抱きつつ、ますます注視するようになったところなのだが、とにかくも、以上のこと、筆者の言論とアイクの言論には ―結論が多く異なるのだが― サターン(土星神格化存在)に注意を向けるとの点で似通っているとの側面があるとのことについて断わっておく。
また、「さらにも、」要らずもがなであろうと受け取られかねない記述ながらも表記なしておくと、次のような「個人的」に表記したくもあるところの断り書き記載にかかわるところ「でも」アイクやりようについては注視しているとのことがこの身にはある。
(以下、続けての内容に繋げるとの意図あってのものにして、そして、「個人的」にも強調なしたきところのものでもあるとの断り書き表記をなすとして)
「本稿筆者は2009年に『人類と操作』という著作 (改訂版を本稿公開サイトで公開しているとの著作/デヴィッド・アイクという英国人論客の従前申しよう・人格的特性を不穏当にも高く評価しすぎた等々との意味合いで今振り返れば問題も「極めて」多かったかと反省しもしているところの著作) を某出版社 ―後に代替出版提案を大手出版社出入りの相応の人間がなしてきたわけだが、そうではない方の某出版社― に
[商業出版(要するにこちらは何の負担もなしに10パーセントの印税受け取るとの形態の通常出版)形態での[事実上の契約]がなされたとの帰結]
に至るとのかたちで手渡していた(往時はまだ私は今日のように状況につき悲観的にはなっていなかったわけであるも、橋頭堡、「そこから広げて」世に訴えたいことはあったがために出版とのかたちでの情報流布を企図しての手渡しをなしていた)。
といった拙著、今振り返れば問題も多かったといった著作ながらも[より重大なこと]を社会に訴えるうえでのなにがしかの[橋頭保]となれば、との観点でものしたとの同著作を2009年に出版社に手渡しした後(2010年の前半期)に初出を見た著作として論客デヴィッド・アイクは
HUMAN RACE GET OFF YOUR KNEES The Lion Sleeps No More『人類よ。ひざまずくのを止めよ。ライオンはもうこれ以上、眠らない』
という著作を世に出しており、その著作からしてより以前に出版社に渡っていた拙著『人類と操作』と同様に[人類]との言葉をきわめて目立つように用いている著作であり、また内容も新規主張との絡みでそこはかとなく似ている それがゆえに、手前なぞが
「「個人的に」非常に興味深くも受け取った」
とのものであるとのことが「ある」(:手前自著作の出版プロセスに対して容喙・横槍を入れるのに関与したとのことを聞き及んでいる相応の大手出版の関係者らが供給している「よりどぎつい」邦訳版の方のアイク本では[人類]との言葉の使用はどういうわけなのか、[なり]を潜めているようだが、とにかくものこととして、である)。
その点もってして、
「どうしてそうもした[類似性]を拙著との間に見たのか」
と[個人的]には疑義をもってしてとらえている同著( HUMAN RACE GET OFF YOUR KNEES The Lion Sleeps No More『人類よ。ひざまずくのを止めよ。ライオンはもうこれ以上、眠らない』)について「も」 ―土星を介しての最前にて言及の通りの事後的類似性の発露の問題があるため― 強くも断わっておくが、
「誇りを重んじるこの身、筆者は「意味なく」「デメリットをきたすように」アイクの[猿真似]などなすような者ではない」(アイクに限らず猿真似、人から盗むなどとのこと、この身は矜持の問題としてなさぬし、そのようなことはなす必要がない)
とのこと、(もしもって万が一にして気にかかるようなところがあれば)、念頭に置いていただきたいものである (:【同じくものこと】については、である。本稿を公開しているサイトの一でもあるとの手前サイト(analysis-of-giga-ritual.comというサイト/海外にてメガ・リチュアルのことを言辞として問題視しているような者もいた中でそうした動向を受けて「いや、[メガ・リチュアル](100万単位=メガMegaと紐づいた儀式との語感ある言葉)ではなく[ギガ・リチュアル](10億単位=ギガGigaと紐づいての儀式的やりよう)であろう」との観点で2010年以前より中身を構築していたとのサイト)でも言論の先後関係の問題として紹介していることではある ――※そこにいう従前サイト(手前が訴求のために株式会社まで設立することになった2011年年末の前から公開している従前サイト/本稿を公開しているサイトの一でもあるとのサイト)については現行現時点に至って何にせよ反響の程度にまったくもって希望的観測を抱けぬとのものともなっている、そして、同サイトからして先後関係を偽るようなまがい物を(何故なのか海外も含めて)意図・動機など人間存在にはあろうはずもないところで生んできたにすぎぬかと【観察事実】に基づいて嘆息しながら見るに至っている、そのため、「無駄なことを力(りき)んでなしすぎた感がありすぎるな」と当然に思っているのだが、往時にあっては「後々のことも考えて、」との観点で「猿真似など誇りを重んずるこの身はしないし、そうするメリットもない」との同じくもの断り書きをなしていたとのことがある― )。
以上、断り書きの中で引き合いに出しもしているとのアイク著作については同著作固有の特質・細かき内容についてからして取り上げておくべきかとの判断がある(それが人間存在をたばかる欺瞞の根の問題に通じているとの観点もあってである)。そのため、そちら著作、デヴィッド・アイクの、
『人類よ。ひざまずくのを止めよ。ライオンはもうこれ以上、眠らない』
がどういう著作なのかについてその主たる主張内容 ―1970年代のソ連科学アカデミー関係者に由来するところの Spaceship Moon Theory[月宇宙船説](後述)を拡張させてもいることが見受けられるとの主張内容― について以降、続いての段で多少細かく説明をなすことにする(繰り返し述べたくもあるところとして、そこに見る[衝撃的事実(と感じられるような事柄ら)にまつわっての欺瞞性と共にあると見える悪しき側面]に心ある向きが眩惑されないように、との観点から多少細かくもの内容紹介をなすことにする)。