筆を擱(お)く前に今一度、訴求しておきたくもあることとして
本稿ではつい最前の段までにあって
[そこに現実にありもし、[恣意性]([執拗なる意思])を明らかに伴ったものである (との具体的判断材料についてひたすらに指し示すことに努めてきた) 相互に連関しあう多重的関係性]
についてその背後にある[動機]について考えられるところのもののうち、幾点かについて ―そうであろうと判じられるところの論拠を挙げながらも― 解説してきた。
そちら[考えられるところの動機]について以下、振り返っての[整理]のための再表記をなしておくこととする。
ホワイダニット、[何故、それをなしたのか]の問題にまつわっての(委細を先の段に譲っての)振り返り表記を以下、なすとして
人間を盆栽のように[歪に恣意的なるもの]として育てあげんとしてきたとの機序が作用し続けてきたのだとして、である(本稿ではそちら方向を指さしもする材料を多角的に呈示している)。 その背後にある動機・目的が
α[オメガポイント(と呼ばれる状況)の実現](出典(Source)紹介の部115から出典(Source)紹介の部115(5)および出典(Source)紹介の部116を包摂する段にて解説)
β[こことは異なる空間との垣根の破壊(そして、それに次いでものこの世界への侵出)](出典(Source)紹介の部117から出典(Source)紹介の部117(4)を包摂する段にて解説)
γ[裸の特異点の機序を利用する仕組みの確立](出典(Source)紹介の部118を包摂する段にて解説)
のいずれかないし複数であるのならば、その効用は「絶大」であるため、それら効用は 「絶大」 であると判じられもするため、身内間の確認のためなのか、
[見立て殺人 ―他の出来事らと意味的連関をもたせての殺人― としか表しようがないやりようを含む数々の執拗な意思表示の賜物としての(異様なる)行為]
がはきとそうだと判じられるかたちでなされてきた(その証示に本稿では極めて多くの紙幅を割いてきた)とのことにもすんなりと納得がなせてしまうことになる。
その点もってして先立って海外で流通している物理学者フランク・ティプラーの著作よりの細々とした引用をなしながらもその摘要紹介に努めもしてきたとのオメガポイントにての[万能機械]誕生にまつわる申しよう ―(閉じた宇宙モデルにおける[最終的特異点](ブラックホールのそれと類似するビッグクランチの特異点)招来状況下の環境の無限の計算リソースを活かして実現可能となるとされる[万能機械]誕生にまつわる申しよう)― にあっては
α[神と見紛う、いや、神そのものであるとの究極機械(オメガ)の無限大のコンピューティング能力を活用することで時の呪縛を超越した[時の果て]にあって世界の再現および今までに生きた生命の無限再生を実現する]
とのことまでが可能であるなどと強弁されるが、そうもしたことの理論的至当性や実現可能性の問題はともかくも、フランク・ティプラー著作 The Physics of Immortality : Modern Cosmology, God and the Resurrection of the Dead『不死の物理学:現代の宇宙観、神、そして死者の復活』(1994年初出で現時、未邦訳)に見るそうした申しようそれ自体に
[加速器によるブラックホール人為生成の問題に通ずる不可解な先覚的言及 ―現実世界でそうもなることになった事柄らにまつわる先覚的言及― との接点]
が「現実に」垣間見れもし(出典(Source)紹介の部116に至るまでの解説部を参照されたい)、といったことがある中で、後、
[ブラックホールを「究極の」コンピューティングに活かせる]
との
[真っ当な筋からの研究]
に基づいての意見呈示がなされている ―(委細省いて振り返れば、物理学者フランク・ティプラーは「[閉じた宇宙]モデルにおける宇宙の終焉、ビッグクランチの折にあっての特異点をコンピューティングに用いると神と見紛う存在を生み出せる」と主唱しているわけであるが、対して、[ビッグクランチの宇宙終焉の特異点]に通ずるところがあるとされる[ブラックホールの特異点]をコンピューティングに活かせるとのティプラーとは「別方向からの」意見呈示がなされている)― というのは紛れもない事実である (先にてのレイ・カーツワイル著作 The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biology(原著は2005年刊、日本語訳書2007年刊との著作.原題を訳せば『特異点の時は近い.人類が生体組織を超越するとき』とあいなるとの著作なのだが、(現)NHK出版より出されているとの訳書邦題は『ポストヒューマン誕生 コンピューターが人間の知性を越えるとき』となっているとの著作)からの引用部 ―出典(Source)紹介の部115(5)― などを参照いただきたい)。
そうもした中で「不愉快極まりないことに」物理学者フランク・ティプラー申しよう「それ自体」に、
[(聖書なぞに見る[予言の霊]の如き類が傀儡(くぐつ)を手繰ったかとも見える式での)それが存在していることだに異常異様なる先覚性との接点]
がはきと見受けられるようになっている(から殊更にティプラーの言行録を問題視している) ――把握しておられぬとの向きにあられては紙幅にして然程遡るところではないとの本稿の出典(Source)紹介の部115(2)から出典(Source)紹介の部116を包摂する解説部でよりもって先行する段の内容を振り返りながら何を指摘しているのか確認いただきたいものではある―― とのことがありもし、そこから思料するに
[世界そのものを再現する程度のコンピューティング能力の確保]
のため、そのために人間が[前提条件を整えるための構築種]として育てられてきた、それも大いにありうることであると映りもするようになっている ――究極のリング(加速器)をこの世界に構築なさしめ、その運営に大義名分を与える(人間にその意味性を一切気取(けど)らせず、また、取り上げさせずもの非本質的事柄で世を埋め尽くしたうえで大義名分を与える)のには、(補ってもの話をこれよりの締めくくりの段にて述べるが)、文明(と呼ばれる[畜舎の水準]かもしれない)を今この時分のものにまで育てる必要があったと判じられるようになっているとのこと「も」がある―― 。
また、優位文明(この場合、精神の、ではなく、技術にての際立っての優位文明)の極めて優れた機械、人工知能を媒質にしての介入を想定した場合、劣位文明に介入し、その劣位文明を自壊なさせないかたちでロング・スパンにて育て上げてきた動機 ―それにまつわるところの何らかの理由で確認をなすための見立て殺人その他、メッセージングが行われてきたとも考えられるところの動機― は、
β[こことは異なる空間との垣根の破壊(そして、それに次いでものこの世界への侵出)をなす]
γ[裸の特異点の機序を利用する仕組みの確立をなす]
にまつわるところ「でも」十二分に想定されるとのものである(ことを最前の段まで解説してきた)。
そのうち、
γ[裸の特異点の機序を利用する仕組みの確立をなす]
とのことについては裸の特異点を(ビニール手袋とされた存在を介しもしてでも)構築して、それを活用すること(γ)ができるのならば、その周辺の過去にも未来にも思うように介入できるようになるのかもしれない、そうもした万能性の問題については先立っての段で言われようから推し量れるところを解説したとおりである(出典(Source)紹介の部118)。
そして、[本稿でそこに込められた多角的寓意性・メッセージングの問題を微に入って摘示してきた加速器たるLHC]でも裸の特異点の類が生成されうるとの見立てがイタリアの名門大学ボローニャ大の物理学者の論稿に見てとれるようになっていたりもする(出典(Source)紹介の部76(7))。
他面もってして、
β[こことは異なる空間との垣根の破壊(そして、それに次いでものこの世界への侵出)との行為、微少なるワームホール越しに極微機械を投入する]
とのこととの絡みではそのことがこの人間世界にての[科学予測]で微に入ってなされもしている(当たり前なのだが、であるから、本稿でもにまつわっての思索を深くもなせている)。
すなわち、欧米圏科学者由来のものとしての
[1ナノメートルのワームホールを1秒構築しただけでそこを経緯に[10の69乗ビット](情報単位としてのその意味合い・程度については先述している)との情報を送れるとする未来技術予測](出典(Source)紹介の部117(2))
といったことや
[[素粒子]大のワームホールに原子核サイズの文明再建の種子(とすればフェムト単位のものと解される)を投下するとの未来技術予測](出典(Source)紹介の部20)
といったことが「ここ最近」同じくものことにまつわっての科学予測 ―人類がそこに到達した場合の超先進文明としてのやりようの問題としての科学予測― とのかたちで提唱されだしているとのことがある。
といったことが仮にもってして[養殖者]由来のものとして実現を見るのだとすれば、である。
第一段階として現行のこの世界の人間の脳(すなわち我々人類の[魂](とでも表すべき存在の実質)の宿る場)をさながら[自律的微生物]のように振る舞う[極微機械](血中の糖や太陽光をエネルギー源にする自己再生産機械としてのナノマシン)に全部置き換える、あるいは、人間をナノマシン禍で滅ぼすとのやりようが現実的可能性として想起される(:どうしてそのような悪夢のようなシナリオが想定されるのか、それとて[現実的な技術予測と適合するところ]となっていることを[生体の機械化][太陽光から離れての生体リソースを活用してのナノマシンの運用]との観点で事細かな引用をなしつつもこれまた先立っての段(出典(Source)紹介の部117(3))で解説なした)。
の上で、第二段階に控えているところとして別の時空間から介入している(と想定される)ような存在が ―従前まではたとえ無意識的ないし意識しつつ操られていても自主性が強くもあり[マス(集団)としての自殺行為]まではなさなかったとの種族を諸共、[機械]に完全に置き換えたうえで― [今までおよそなしえなかった飛躍]を実現しようとすることが想定されもする。 初期一世代だけで切り捨てられるとの[かつて人間だった存在](旧人類の[成れの果て]の「生体の」脳が欠損した存在)を完全なるラジコン、あるいは、極めて効率的なAIの走狗として動かし、あるいは、邪魔な人間をナノマシンで「完全に」滅ぼした後に構築した高度機械装置群を介しもして[オメガポイントがかったものの実現の準備]や[この世界に自分達の種子(あるいはクローン)を播種すべくものプラントの建設の推進]といったことがなされることになり、によって、この世界(いくつかの多元宇宙を想定すれば[この宇宙]かも知れない)そのものの完全掌握あるいは神の如く発展を遂げる準備が急速度で進められるようになるのかもしれない。
たかだかもってしての[予測]の問題 ―それも耳に苦しいこと限りなしとの悪夢的であり、かつ、誤解を誘発しやすいであろうとの遠大・気宇壮大に過ぎるとの[予測]の問題でもある― ばかりを云々しすぎたきらいがあるが、ただもってして、そうもした[予測]に通ずる[兆候]の問題として現実にLHCによって極小のワームホールが構築される可能性が「ここ最近」幾人もの研究機関研究者らに主張される(出典(Source)紹介の部18や出典(Source)紹介の部89を参照されたい)とのありように至っており(それについてはADDモデルにおける重力の働き具合に対する目分量の変化からここ10数年でLHC程度のものでもワームホールが構築される可能性があると見られるようになったことによると解説されているところでもある ―出典(Source)紹介の部21-2およびそれに付随させての解説部を参照されたい― )、 そうしたワームホール生成可能性にまつわる論文ら登場をもたらした理論動向の変遷の「前」からLHCというものに関しては「どういうわけなのか」【トロイアの木製の馬】(それを神に祝福されたモニュメントであると受け入れた者達の住処たる城塞を内側から皆殺しの状況にいざなったと伝わっているトラップ)に通ずる寓意が ―警鐘乱打・警告との観点とはなんら見えずにもの「愚弄」がかったやりようと受け取れるような式にて― 多角的に込められていると(本当に神話伝承に詳しい向きには)分かるようになっているとのこともが「ある」 (LHCでワームホールが生成されうると世間的に真っ当な筋より問題視されているのも【事実】ならば、同LHCがワームホールやブラックホール生成の可能性が取り沙汰される「前」(1992年に遡る計画策定段階)から執拗にトロイアとの結節点を有した命名規則が採用されてきたのも【事実】である。容易に後追い確認なるそうもした【事実】らを無視するのは願望と現実の別もつけられぬような類の狂人(並みに頭の具合ができあがっている向き)か、あるいは、(いまは表向きには万民がそれに相当するとのことになっているとの[国家・社稷の主催者]の問題に置き換えれば)殺され滅せられて当然だろうとの暗君のやりようとのことになる(:それが重力波などを機序として用いている機械に脳を、たとえばもってしてのリンビック・システム、辺縁系をメスを使わぬ式で間接的に弄(いじ)くられた者達にはめられた枷(かせ)に通ずる問題だとしても観察事象からはそういう判断がなされるところとなる)。 そうも舌鋒鋭くも述べつつ書けば、問題は不愉快極まりない【事実】らが果たして本当に危機的な状況を指し示すものたりえるかということであり、(本当にそうした向きらがそうそうにこの世界にいれば、だが)本稿筆者は語るに値する向きにその見極めをきちんとなしていただきたいと考えている)。
繰り返しもすれば、以上のようなことら、
α[オメガポイント(と呼ばれる状況)の実現](出典(Source)紹介の部115から出典(Source)紹介の部115(5)および出典(Source)紹介の部116を包摂する段にて解説)
β[こことは異なる空間との垣根の破壊(そして、それに次いでものこの世界への侵出)](出典(Source)紹介の部117から出典(Source)紹介の部117(4)を包摂する段にて解説)
γ[裸の特異点の機序を利用する仕組みの確立](出典(Source)紹介の部118を包摂する段にて解説)
が背面にあるのであるのだとすれば、執拗な意思確認がなされるのも然もありなんと解されるわけだが、そのことが馬鹿げた印象論で済まされない ―それ単体でなせば馬鹿げた印象論であること必定であると見做されるようなところが馬鹿げた印象論で済まされない― ところとして
[それら存在がゆえに、そも、ホワイダニット(何故それをなしたのか)が問題になるところの人類に対する犯罪(的意思表示)、具体的証跡を伴って具現化していることを指し示せるようになっているその意思表示行為らが[奇怪な予見的言及を含んだ重力の特異点にまつわる文物ら]などと濃厚に結びつくようになっているとのことがあり](奇態なることに露骨なる式で[911のかの事件がかの態様で起こることを事前言及している]といったかたちの文物があり、同じくものものが[「タイムマシン」として機能する通過可能なワームホールを扱っている]とのブラックホール関連の著作のタイムマシン実験の一部分となっているといったことがこの世界には現実にある)
[ブラックホールの重力の特異点というものが上記の三つのα[オメガポイントの実現]β[こことは異なる空間との垣根の破壊(そして、それに次いでものこの世界への侵出)]γ[裸の特異点の機序を利用する仕組みの確立]の全てに[そのための実現手段]として関わっているものであるとのことがあり](そうもしたことを指摘していく過程で本稿では物理学者フランク・ティプラーのオメガ・ポイント理論の説明著作がいかようにして[911の事前言及][トロイア関連の寓意]と接合しているのか、といったことの解説をもなしてきた)
[のみならず、以上のような背面の真なる意図に関わりうることら、α[オメガポイントの実現]β[こことは異なる空間との垣根の破壊(そして、それに次いでものこの世界への侵出)]γ[裸の特異点の機序を利用する仕組みの確立]にまつわっての事物ら「それ自体」が相互に通じ合うようになっているとのこともがありもし、そして、それが人類に対する犯罪(的意思表示)と結びつくようになっているとのことすらある](これもまたつい最前の段までにてそのことの指し示しに注力してきたことである)
とのことが現実に摘示できるようになっているから問題なのである。
ホワイダニットの問題にまつわっての(委細を先の段に譲っての)振り返り表記はここまでとする
以上、直上までにて(はきと証示できるとの)[犯行]がなされている中での[推理]についての振り返り表記をなしてきたとして、である。付け加えての断り書きとして下のこと、申し述べておく。
何度も何度も強調してきたところとして
[本稿の真価](たるところとして本稿筆者が手ずから訴求したいところ)
はここまでなしてきたところのホワイダニットにまつわる推理 ―たかだかもってしての「推理」― なぞ「にはない」。
ホワイダニットの問題が首をもたげもしてくるとのその背景にある、
[(本来的には誰であれ)向き合わざるをえないところとしての嗜虐的犯罪行為が執拗になされているとのことにまつわる「具体的」かつ「客観的」なる指し示し]
の部にこそ、そう、属人的主観など問題になりようはずもない(どの部を証示の材とするか、との話柄選択以外の意味で属人的主観など問題になりようはずもない)との、
[(第三者が容易に裏取り出来るようになっていもする「堅い」論拠らを挙げ連ねもしての)ハードカヴァー本10冊に迫らんとする勢いにての文量にての(スペキュレーション、たかだかもってしての推理など「ではない」ところの)指し示し]
の部にこそ本稿の真価があると強調したい(※)。
(※本稿筆者は ―類型化しての― 自身「のような」人間以外、その指し示しの挙をこの世界では誰もなそうとしない(またもってして指し示しをなそうとも人間存在一般にはそちら指し示し内容に対する[需要]も[受容]も生じえない)とのことに半ば絶望的心境を抱いているとのことを(本稿それ自体の中で)何度も何度も心中吐露せざるをえないとのポイントにまで至ってしまっているのだが、「経験主義者として」遺憾ながらそうも述べざるをえぬところの観測点に至るまでに諸種の活動に最大限力を入れてきたとの人間ともなり、のような中にあって、
【常識的な面しか前面に出さないとの外的訴求活動】(普通人ならば恐れ戦(おのの)いて直視せずに逃げ惑うかもしれぬところに一切触れずにしての[欺瞞だらけの世界にての穴だらけの常識]に厭々ながら敢えても遠慮をなしての常識的訴求活動)
として
【LHCリスク問題にまつわるところ】
で行政訴訟を提訴、長期化することとなりもした同訴訟にて、
【法的枠組みに照らしあわせても公金投下されての研究機関関係者らは公民に対する法的背信行為(説明責任を回避するための法的欺瞞をなしたとのかたちで撒き餌(ベイト)ではないが、こちらよりの挙で炙りだしての法的背信行為)の問責】
をなすとのことまでなしてきた者でもある(問責自体が【目的】ではなく他を「試」し他に「諮」るための【手段】であったところとしてそういうことをもなしていた.[聞き飽いた]との心証を読み手に抱かれるぐらいがむしろ望ましいと考えるところとして申し述べるところとして、である)。
そうもした常識世界での法的問責行為(自身、辟易するような欺瞞で満ちているものであるとよく認識している、本当は屁とも思っていない[世間的常識]というものに配慮しながら【世間一通りの人間に機会を与えた際にどういう反応をなすのか】を探るべくもなした法的問責)では
「公金供与母体たる公民に対する法的背信行為にやぶさかではない、平然と情報隠蔽を違法になすような者達が彼ら実験機関の面々である.そのような彼らに重大なリスク胚胎が問題視されている【実験】(手前自身、本心意中では【実験】などと[白々しい阿呆のための題目]としての語法とはとらえているのだがとにかくもってしての【実験】なるもの)を執り行なわせることを看過していいのか」
なぞとのことに通ずる式で実際に現実がそうしたありようを示していた法的問題について仰々しくも芝居がかった問題視をなさんとしていた。 そう、「肩書きは立派でも間接正犯の手足が如きもの、実質は取るに足りぬ者達 ―糸繰り人形に過ぎぬとの魂を既に売り払いきっているファウスト博士達およびその思考しない下位者ら― が相手方であり、それら程度のものを相手に(時間もおしてきていると判じられる中で)常識好きのする者達でも耳を傾けもしよう(正常という意味で[普通]ならば傾けもしよう)との訴求を白々しいと内心、厭々ながらもなしもし」、権威の首府の付属機関としての国際的加速器研究機関(ノーベル賞受賞者の肝煎りで設立された戦略的研究機関)の雇った弁護士らと法廷で延々とやり合うとのことをなしていた(そして、それに付随する挙から[学習性無力感]ではないが、失望を深め続けてきた)との按配の人間が筆者となる。
そうもした[問題となる事柄に対する絶えずもってしての力の入れよう]につき、何卒、お含みいただきたいものである ――そう、そこからして、ぽっと出の素人論客(気取り)が適当な印象論を無責任に展開しているとのレベルでは済まれされるものではないこと、お含みいただきたいものではある(大概の人間は本稿それ自体の内容を少しでも検討すれば、筆者が一体全体どのくらいの知的程度の人間でどの程度の追求をなしている人間かご理解いただけるかとは思うのだが、一応、申し述べるところとして、である。ちなみに、筆者が原告席に立ち、権威の首府([日本社会にあっての官僚輩出マシン]を母体としての付設の研究機関でもある)を向かいに回して執り行ってきたとの訴訟を巡る経緯については本稿にての出典(Source)紹介の部17から出典(Source)紹介の部17-4を包摂する段にて([比較検討すべくものものとしての海外訴訟にての主張なされよう]などを原文引用しながら)若干ながらもの解説をなしている)―― 。
尚、そうした訴訟、国内初かつ(本稿執筆時現行現段階にては)国内唯一のLHCリスク問題関連訴訟であるわけだが、それが、(即刻にての棄却とのかたちで門前払いを食うような「馬鹿な」(としか表しようがない)人間由来の狂態としてではなく)、一審では延々と続き、かつ、法廷にて[二転三転する滑稽なる言い訳]が被告サイドより講じられるところまでの追求がなされえた(いくら筆者やりようが世間人並みの水準とはかなりもの偏差をきたすところがあったとしても、そういう追求が実際になされえた)うえでもその挙がまるで
「どこぞやの小せがれがつまらぬ窃盗でもやらかしたか」
といった程度のバリューのものとして往時、2012年に遡るところとして何故もってして「徹底無視」され続けてきたのか(今風に言えば「見事にスルーされ続けてきた」のか)、(あまり期せずものところとしてそうした向きが仮にいれば、だが)【[心]と[自由意思]の双方を残した向き】にはその意味性について考えていただきたいものではある (:そうした訴訟を彼らこそが取り上げて然るべき立ち位置にいるのだろうと常識の世界では「勘違い」されている者達、だが、そうしたことを[一切無視]すること(存在しないとすること)という[実体としての役割]に忠実な、(羊の飼い主にとって)実にもって良い子ちゃんとしてのメディア産業の者達はどういった者達か。についてはテレビを点けてみてディスプレイの中に映じられる「虚構の」世界の出来事には多く[心]も[誠実さ]も伴っていないことの意味を考えていただきたいものである(筆者は人間存在のそうした現状を「確認」するうえでのみテレビなどというものは視るに値するととらえている)。また、新聞(日本で表向きの情報的価値の面で大人が見るに値する主要紙は日本経済新聞ぐらいであろうも、とにかくもの新聞)を開いて見れば分かるだろうが、そこでは[建て前に対する建て前の批評・寸評]ぐらいしか具現化しておらず、[この世界]が実体としてどういうものなのかの本質的分析などはそこ(新聞紙上)には見受けられないとのその[意味性]もあわせて考えていただきたいものである) )
本稿の性質を強調するための直近の断り書きの部からして冗漫さが目立つものとなってしまったきらいがあるが、延々と重要な事柄を訴求するためにものしてきた本稿もそろそろ書き納めにした方が良いだろうと判ずるに至ってもいる。
といった中で、いや、といった中であるからこそ、次のことを申し述べたい。
[巨大加速器LHC(およびその後裔として企図されている節があるVLHC)はあまりもってして主流メディアに取り上げられないものであるが、【現況現時点での文明水準でしか達成できもしなかったであろう人類文明(文明、そう見えるだけの紛い物として構築されたものでもあったとしてもとにかくもの人類の「文明」)の精華】を結集させての【人類史上最大の装置】となっているとのものである]
表記のことについて、それでは以下、引用でもってしての訴求をなすこととする。
(直下、幅広くもの流通書籍 MASSIVE: The Hunt for the God Particle(邦題)『ヒッグス粒子の発見 理論的予測と探求の全記録』(講談社ブルーバックス)第七章[加速器が放った閃光]にあっての[LEP始動――月の満ち欠けにも影響を受けて]の節、250ページから252ページよりLHCがその全長27キロメートルのトンネルをそのままに流用して構築されているところの旧・加速器LEPにまつわっての記述を掻い摘まんで引用なすとして)
LEPの建設はそれ自体、他に類を見ない業績である。装置全体の大きさだけでも、骨の折れる技術上の挑戦の連続だった。しかし、建設作業はあくまで始まりにすぎなかった。LEPの運用に関する話となると、リン・エバンスはソファから身を乗り出して、さらに生き生きし始めた。さまざまな意味で、LEPは現実のものとは思えないほどできすぎていたのだ。
新しい粒子衝突加速器・LEPを使った最初の研究として、CERNはZ粒子の質量をより精密に計測することにした。
・・・(中略)・・・
1991年、奇妙な出来事が発生した。観測結果の中に、変わったパターンが含まれていることが明らかになったのだ。粒子ビームがだんだん強くなっていったあと、今度はだんだん弱くなるという不可解な規則性が見出されたのである。
・・・(中略)・・・
その実験――そして、その結果判明したこと――は、CERNの伝説となった。ホフマンが記録したデータの中に、この問題を指摘したフィッシャーが疑った犯人、すなわち、私たちに最も近い天体である月の存在があったのである。
私たちはみな、太陽と月の重力によって潮の干満が生じることを学校で習う。月は、太陽に比べればわずかな質量しかもたないが、地球の非常に近くにあるため、太陽よりも潮の干満に与える影響が大きいのだ。
あまり知られていないことだが、月と太陽は、地球の地殻にも潮汐を生じさせている(地球潮汐。固体部分も海面と同様に潮汐力を受け、多少の上下変動や傾斜などが日々、起きている)。
ホフマンの実験は、太陽と月が一直線に並ぶとき、その影響で地面が隆起すること、そして、その現象がCERNが位置する地表におよそ25センチメートルの上下動を生み出していることを明らかにした。
LEPの足下で、地面が(文字通り)変化していたのである。地球潮汐によって地面が隆起したとき、LEPのリングは1ミリメートル伸ばされていた。その装置に携わる誰にも感知できないようなわずかな変化が、加速器の中を飛ぶ粒子の1周あたりのスピードを変化させていたのだ。その影響はごく小さなものだが、粒子がもつエネルギー量を変化させるには十分だったのだ。「LEPはそれほど精巧にできていたんです」とエバンスはいう。
「あんなに巨大な装置なのに、あれほどの精度が得られるなんて、ただただ驚きでしたよ」
(引用部はここまでとする)
上にてつい最近、世に出た書籍 ―加速器実験および加速器実験機関礼讃本(提灯)としての側面が強い書籍、 MASSIVE: The Hunt for the God Particle『ヒッグス粒子の発見 理論的予測と探求の全記録』― にて記載されているのは
「全長27キロメートルに達する超巨大なリング加速器LEP(そのトンネルがそのままLHCに流用されているとの加速器)が運転開始を見、運用されている最中に」
「ビーム衝突実験結果に不可解なデータが見出されたので精査してみたらば」
「月の潮汐力が大地に働いての地球潮汐力の作用で(全長27キロメートルの装置に)1ミリメートルの誤差が生じ」
「27キロメートルに対する1ミリメートルの誤差が粒子の軌道を変えて予測外の観測結果が出てきた」
とのことが記され、に対して、
「極めて巨大な装置であるのにたったその程度の誤差で実験結果が出てくるとは驚異的精度である」
と却(かえ)ってCERNの担当者(後にLHC建設計画の責任者になったリン・エヴァンスとの人物)に称賛されていた
とのことである。
にまつわって ―くどくもなりながら― ここで強調したいのは
「超長大、全長27㎞のリング構造を呈し(英文Wikipedia[LEP]項目にて LEP was a circular collider with a circumference of 27 kilometres built
in a tunnel roughly 100 m (300 ft) underground and passing through Switzerland
and France.
と記載されているとおりである)、LHC加速器の前身となっている(同じくもWikipediaにて Around 2001 it was dismantled to make way for the LHC, which re-used the
LEP tunnel.
と記載されているところである)とのその装置が
[僅か1㎜の地殻変動による装置の地盤変化]でもその誤差を正確に抽出する品質を有している」
とのものになっていることは
[これぞまさしくもの人類文明の精華が具現化しての特質]
であろう
ということである。
さらに引用を続ける。続いては世間にて[一流の物理学者]と評されている女流科学者リサ・ランドールがいかようにLHCを[べた褒め]しているのか、それでもってLHCがいかように高度な水準に達してのものとされているのか、判断いただきたくもの引用をなす。
(直下、著名な物理学者リサ・ランドールの手になる著書 KNOCKING ON HEAVEN'S DOORの邦訳版『宇宙の扉をノックする』(原著の刊行年は2011年/NHK出版よりの邦訳版刊行はここ最近のことで2013年)にての第8章[すべてを統べるひとつの環]190ページから191ページの記載内容よりの引用をなすとして)
私は大げさな表現を好むたちではない。素晴らしい出来事や業績というのは、普通、それ自体が雄弁にその偉大さを語っていると思うからだ。しかしアメリカでは、きらびやかな言葉を使うことに抵抗を感じていると、えてして面倒な状況に陥る。誰もが最上級の表現を当たり前のように用いる国だから、「最」をつけない簡素な賛辞は、うっかりすると悪口のように受け取られてしまう恐れさえあるのだ。だから私などは、発言にもっとそれらしい言葉を加えて余計な誤解を招かないようにしたらどうかと、たびたびご親切に忠告される。しかし、そんな私でも、LHCについては問題無用のたいへんな偉業であると断言したい。LHCは、恐れを抱かせるほどの美と威容を誇る。そのテクノロジーはまさに圧倒的だ。
・・・(中略)・・・
科学者という立場からすれば、この信じがたいほど精密なテクノロジーの奇跡を芸術作品のように――たとえ立派な作品だとしても――捉えることにはためらいがあるのだが、それでも私はこれを見たときに、カメラを取り出して写真を撮りまくらずにいられなくなっていた。その複雑でありながら調和のとれた、とてつもない規模の全体像といい、縦横に交差した線と色彩といい、とても言葉では伝えきれない。それはもう荘厳のひと言である。
(まずもっての引用部はここまでとする)
(さらに続いて直下、同じくものリサ・ランドール著作『宇宙の扉をノックする』(原著の刊行年は2011年/NHK出版よりの邦訳版刊行はここ最近のことで2013年)にての第8章[すべてを統べるひとつの環]196ページよりの引用をなすとして)
そして約二五年後、もともとLEPのために掘られたトンネルを、いまでは陽子ビームが駆け巡っているというわけだ(図24を参照)。大型ハドロン衝突型加速器(LHC)は当初の予定より二年ほど完成が遅れ、二〇パーセントほど予算を超過している。残念だが、それもいたしかたないところだろう。なにしろLHCは、その規模、国際性、費用、エネルギー、実験の革新性と、どれをとってもすべてが史上最大級なのである。映画監督で脚本家のジェームズ・L・ブルックスは、LHCの稼働直後の不調と復調のニュースに対し、ユーモアを込めてこう言った。「壁紙の貼り直しと同じくらいの時間をかける人だっているよ。宇宙の解明のほうが多少スリリングかもしれないけどね。ともあれ、そこに素晴らしい壁紙が貼られることは間違いないよ」
(次いでもってしての引用部はここまでとする)
まさしくもの[べた褒め]ではあるが、カリスマ物理学者としての顔を持ったリサ・ランドール ―本稿出典(Source)紹介の部76(6)にて解説しているように加速器によるブラックホール人為生成にまつわる理論に関わるところでの RS modelの提唱者として知られるハーバード卒の女流物理学者― はLHCがいかように技術の粋を集めた一品なのか、そのパフォーマンスについて「も」かなり細々とした解説をなしている。すなわちもってして、
[この宇宙の外部領域のどこよりも低い温度を実現するとの空間を見事に現出しているのがLHCであること]( KNOCKING ON HEAVEN'S DOORにあっての CHAPTER EIGHT ONE RING TO RULE THEM ALLの表記によると、It is not merely cold: the 1.9 kelvin (1.9 degrees Celsius above absolute zero) temperature necessary
for the LHC’s superconducting magnets to operate is the coldest extended
region that we know of in the universe - even colder than outer space.
)
[地球磁場の10万倍の状況を実現する工業生産された中で「史上最強の」超伝導双極磁石に見る絶妙さあってこそのLHCであること]( KNOCKING ON HEAVEN'S DOORにあっての CHAPTER EIGHT ONE RING TO RULE THEM ALLの表記によると、The magnetic field is not merely big: the superconducting dipole magnets
generating a magnetic field more than 100,000 times stronger than the Earth’s
are the strongest magnets in industrial production ever made.
)
[陽子ビーム衝突のための陽子を入れる管に大気の10兆分の1の真空状態が具現化されていることに見る絶妙さあってこそのLHCであること]( KNOCKING ON HEAVEN'S DOORにあっての CHAPTER EIGHT ONE RING TO RULE THEM ALLの表記によると、 The vacuum inside the proton-containing tubes, a 10 trillionth of an atmosphere, is the most
complete vacuum over the largest region ever produced. The energy of the collisions are the highest ever generated on Earth, allowing us to study the interactions that occurred in the early universe
the furthest back in time.
)
といった側面でLHCがいかようにもってして[テクノロジーの極北にあるのか] ― Lisa Randall女史曰くのところとして incredibly precise technological miracle
[信じがたい技術上の奇跡]との式でのテクノロジーの極北にあるのか― とのことを同じくもの書『宇宙の扉をノックする』で解説している。
(また、ランドールは同書の別の章にて[「実験」の大義名分を支えるためのコンピューティング技術]について「も」多少筆を割いており、そこよりの引用をなせば、次のような記述がみとめられもする。(以下、訳書『宇宙の扉をノックする』にての335ページよりの引用をなすとして)LHCを語るのに、その甚大な計算能力を抜きにしては終われない。いままで見てきた飛跡検出器やカロリーメーターやミューオンシステムや磁石に投入されているハードウェアに加え、世界中を巻き込んで組織的に行われているコンピューター計算が、無数の粒子衝突を生み出す圧倒的な量のデータに対処するのに欠かせないものとなっている。LHCはテバトロン――かつての最高エネルギーの衝突加速器――より七倍もエネルギーが高いだけでなく、五〇倍も速いベースで事象を生み出している。したがってLHCは、それぞれが本質的にきわめて分解能の高い画像に対応するような事象を一秒につき最大およそ一〇億回も処理しなくてはならないわけだ。その各事象の「画像」には、およそ一メガバイトもの情報が含まれている
(引用部はここまでとする)。それがなければ、実験とされる営為が極めて不自然なるものへと成り下がろうとの大義、そう、[ヒッグス粒子ら新種の物理事象の「観察」をなす]との大義 ―魂というものが欠如を見た紛い物の人間らに納得を強いるためだけのものかもしれないが、とにかくもの大義― を加速器使用挙動に与えるためのものとなっている節がある[コンピューティング技術]とて今日、この水準に達していなければならなかったと解されもするとの書きようが直近引用なしたところでなされている)
上もて大体にしてご想像いただけたか、と思う。
「人間の歴年の進化が現況現在の科学技術水準に「ようやっと」達していなければ、LHCのようなものの構築はなされえなかった」
とのことが現実にあることを、である (:その点、筆者は本稿にてのつい先ぞの段で高校生でも理解できるかたちに単純化させてのベイズ確率論(にてのベイズ推定)の極々基本的なモデリングを呈示した ――この国の高校の数学の教科書が「何故なのか」ロボットでなければ「本質的」理解に窮するようなかたちで数式を[原理説明なくして最初に天ありき的に提示するもの]と往々にしてなっている中で、そうした弊を踏襲せぬようにと極めて懇切丁寧に数式の意味を解説しながら高校生程度の数学知識でもってしても理解できるようなかたちで呈示した―― わけだが、たかだかものそうした単純な確率論にあっての計算式の解答を(小数点20桁以下四捨五入ぐらいの精度で)導出するための計算とてはきと述べ、コンピューティングの能力 ――コンピューターとは冷戦期の弾道ミサイル軌道計算の正確さを期すとの(見映え上の)死活問題の中で発展を遂げてきたものでもある―― が現代の水準にまで達した(正確にはここ半世紀でそれに見合うものに達した)からこそ瞬時に実行できるものとあいなっている(疑わしきは出典(Source)紹介の部114にて引いた著作内表記などを参照されながら本稿にあっての単純計算の性質がいかようなものとなっているのか、先の段を参照されたい)。 かくのように単純な数式でもそれが膨大な計算の手間を要するとの場合が往々にしてあり、のような中で[この時代]になったからこそ実現できるようになったとのことはそれこそ数多あり、そうもした中でこそ実現しえたとの最も巨大な科学実験にして装置(技術の結集体)がLHCになっているとのことがある、極々単純化させれば、そういう言いようもなせようかと考えている)。
長くもなっての付記として:
上にてはリサ・ランドールの著述 KNOCKING ON HEAVEN'S DOORにあっての書かれようを引用し、そちら記述をもってして、
[LHCとはまさしくも現時点まで人間の文明が進歩しなければ実現しなかったものであると解される]
とのことを説明(かつ訴求)に供したわけであるが、そうもした訴求事項から離れて、引用元とした著作( KNOCKING ON HEAVEN'S DOOR )それ自体に見るある種、人を食ったような側面について、それが
[実験の推進者らによる人間存在そのものに対する背信の問題に通ずるようになっている]
とのことをここ付記の部 ―本稿も書き納めが近いとのことがある中ながらも重要であるとの観点で付しもしての付記の部― で指摘しておく。
その点、まずもって申し述べるが、くだんの引用元著作、リサ・ランドールの手になる KNOCKING ON HEAVEN'S DOORではその第8章( CHAPTER EIGHT )にあって
ONE RING TO RULE THEM ALL
との表題を掲げもし、もってして、
[LHCをして[全てを統べる指輪 ONE RING TO RULE THEM ALL]などと形容している]
とのことが見受けられる。
そこにあっての、
[全てを統べる指輪]( ONE RING TO RULE THEM ALL )
とは元来、近年三部作で映画化されて多くの視聴者を得た ―日本でも数人に一人との按配で視聴者がいるのではないかと見えもするぐらいの按配で多数の視聴者を得た― 著名作品『ロード・オブ・ザ・リング』、J.R.R.トールキンの手になる The Lord of the Rings『指輪物語』にあっての
[冥王サウロン ―映画での描写をご存知の方も多かろう,[肉滅しての中空に浮かぶ一つ目]となっているとの劇中における悪の根源― が鍛造した一つの指輪: One Ring ―それを身に帯びた者を誰からも攻撃されぬ透明存在にするなどの圧倒的なる力を有しているが、と同時に、精神への侵蝕作用も呈し、終局的にはそれを纏う者に破滅にいざないもする指輪(にして「肉滅した」サウロンがその再取得をもってして現世での支配の確立を図っているとの設定の指輪)― に刻まれた銘文(綴り全て同じであるワン・リング・トゥー・ルール・ゼム・オール[全てを統べる指輪]との銘文)]
に拠っていると判じられるものである(:そこからして疑わしいとの方もいるかもしれないが、照覧あれ、にまつわっての目立つところの説明のなされようも続いての段で引用なすことにする)。
以上述べたうえで申し述べるが、著名フィクション『指輪物語』にあってのサウロンの[一つの指輪]( One Ring )にあって刻まれた
[全てを統べる指輪]( One ring to rule them all )
とのフレーズは同じくもの指輪に刻まれた銘文より「一部のみを」切り取ったものに留まりもし、の背後背面には、
One ring to rule them all, one ring to find them, One ring to bring them all and in the darkness bind them.
「全てを統べる指輪、全てを発見すべくもの指輪、全てをいざない闇の中に繋ぎ止めるべくもの指輪」
との「全」銘文が存在している ――※英文Wikipedia[ One Ring ]項目にあって(以下、引用なすとして) The One Ring is a fictional artefact that appears as the central plot
element in J. R. R. Tolkien's The Lord of The Rings (1954--55). [ . . .
] The One Ring was forged by the Dark Lord Sauron during the Second Age
to gain dominion over the free peoples of Middle-earth. [ . . . ] Gandalf speaks the words in Black Speech in Book II, Chapter 2, "The
Council of Elrond": / Ash nazg durbatulûk, ash nazg gimbatul,/ Ash
nazg thrakatulûk agh burzum-ishi krimpatul./ Translated, the words mean:
/ One ring to rule them all, one ring to find them, / One ring to bring
them all and in the darkness bind them.
(訳として)「[一なる指輪]はトールキンの『指輪物語』(1954-1955)にて登場する架空の被造物である。[一つの指輪]は(『指輪物語』作中設定に見る時代区分にあっての)第二期に闇の王サウロンによって中つ国の自由なる人々に支配を及ぼすために鋳造されたものとなる。・・・(中略)・・・ガンダルフ(『指輪物語』世界の善き魔法使い)は『指輪物語』第二巻第二章にあってのエルロンドによって催された会議の席で「そこには闇の言語で Ash nazg durbatulûk, ash nazg gimbatul,/ Ash nazg thrakatulûk agh burzum-ishi
krimpatul.
と表記されている、その意味するところは[全てを統べるべくものひとつの指輪 / 全てを発見すべくもの指輪 / 全てをいざない、闇の中に繋ぎ止めるべくもの指輪]である」と言及している」と表記されているところがそれだ―― 。
くどくもなるが、といったことが文献的事実の問題としてありもする中でリサ・ランドールは
One ring to rule them all, one ring to find them, One ring to bring them all and in the darkness
bind them.
とのそのサウロンの指輪の銘文にあっての One ring to rule them allとの特徴的フレーズを彼女の著書 KNOCKING ON HEAVEN'S DOORの Chapter 8のタイトルに充てている、そして、同フレーズでもってしてLHCのことを呼び慣わしているわけではあるも、その点、そちらフレーズ (ブラックホール人為生成可能性についての革新的理論である RS modelを構築したことでも知られるリサ・ランドール博士によってLHCに仮託されている『指輪物語』におけるサウロンの指輪の銘文に見るフレーズ) に続けてフィクションの中の指輪に刻まれている、
[全てをいざない闇の中に繋ぎ止めるべくもの指輪( One ring to bring them all and in the darkness bind them )]
との部には[ブラックホール]とのアナロジー(類似性)を見出せなくもない(:言うまでもないことだろうが、銘文に見る[闇ダークネス]をして[いざなわれた者達を縛り付けるとの悪と悪に由来する絶望的状況]の比喩的表現と見ずに(完全黒体のようにまったく光を反射しない存在に近しい)究極的な[闇]そのものの「ブラック」ホールの比喩と解した場合にはそうもとれるということである)。
だがもってして、サウロンの[ひとつの指輪]に刻まれた特徴的銘文に見るフレーズを一言一句違わずに「わざわざもってして」LHCの呼称に充ててているとのリサ・ランドールは
「LHCによるブラックホール生成のリスクはないし、また、生成されたうえでそれが安全なものか否か云々以前にブラックホール(完全黒体に近しい究極の闇)生成それ自体がほぼありえないと考えられるに至っている」
とのことを彼女の同じくもの著作 KNOCKING ON HEAVEN'S DOORにての CHAPTER 10 BLACK HOLES THAT WILL DEVOUR THE WORLDとの章題を付しての続けてのセクションで強弁している。
引用なそう。
曰く、
(以下、オンライン上にての文言検索よりそちら記述がなされていることが文献的事実であることを現行確認できるとの書籍 KNOCKING ON HEAVEN'S DOOR内記述より原文引用なすとして)
Hopefully this chapter and the next will convince you that your time is better spent worrying about the depletion of the contents
of your 401(k) than fretting about the disappearance of the Earth by black
holes. Although schedules and budgets posed a risk for the LHC, theoretical
considerations, supplemented by careful scrutiny and investigations, demonstrated
that black holes did not.
(即時拙訳として)
「本章および次章にての表記で読み手たるあなたにはっきりとお分かりいただくことを望みたいところとして[ブラックホールによる地球の消滅可能性に思い悩むより401k(米国の確定拠出型年金)の目減りに時間を費やすという方が余程あなたの時間の使い方としてはよろしい、適切である]とのことがある。スケジュール(日程)とバジェット(予算)の問題がLHCにおけるリスクとなったことはあるわけだが、ブラックホールによる地球の消滅が実験存続に対するリスクになったとのことは入念なる精査・調査によって補われての理論的熟考らが指し示す方向として「なかった」」
(引用部はここまでとする)
(さらに続けもして、以下、オンライン上にての文言検索よりそちら記述がなされていることが文献的事実であることを現行確認できるとの書籍 KNOCKING ON HEAVEN'S DOOR内記述より原文引用なすとして)
Patrick and I had not been concerned about dangerous black holes. We had
wanted to know whether small,harmless,rapidly decaying higer-dimensional
black holes could be produced and thereby signal the presence of higher-dimensiona
gravity. We calculated this could rarely happen,if at all. Of course,if
possible,the production of small black holes could have been a fantastic
verification of the theory Raman and I had proposed. But as a scientist,
I'm obliged to pay attention to calculations. Given our results,we couldn't entertain false expectations. Patrick and
I (and most other physicists) don't expect even small black holes to appear.
That's how science works.
(即時拙訳として)
「同僚パトリックと私(ことリサ・ランドール)はなんら危険なる(LHC由来の)ブラックホールについてそれがありうることだとは気にしていなかった。私たちはただ小さく、そして、無害な即時蒸発を呈するとの高次元領域でのブラックホールが生成されうるのか、そして、によって、高次元重力の存在の兆候が見出せるのかとのことを知りたかっただけだ。私たちはまったくないとは言えないが、そうもしたことはほとんど起こりえないことであると計算することになっていた。無論、もしそれがありえるというのならば、小さなブラックホールの生成というのはラマンおよび私がかつて提唱した理論のまたとなく素晴らしき証明の材料になったであろう(訳注:この部はリサ・ランドールと彼女の同僚ラマン・サンドラムが提唱した RS modelがブラックホール生成に関わっていることに通ずる記述となる)。しかし、科学者として私は計算(の結果)に注意を払うことを強いられている。我々が計算より得た結果によって我々はあやまてる期待をもてあそぶことがなんらできないでいる。同僚のパトリックと私(そして他の大多数の物理学者達)は小さなブラックホールさえ生じることに何の期待もなしていない。それが我々の科学が有効に作用するうえでの仕組みというものである」
(引用部はここまでとする)
とのことを述べているわけである。
以上のような言い分を強くもなしているがゆえにランドール女史は「意図明示しない式での」警告のために『指輪物語』のサウロンの指輪に刻まれたフレーズ ―[全てをいざない、闇の中に繋ぎ止めるべくもの指輪]とのブラックホールのことをも想起されるフレーズに先行する[全てを統べるべくものひとつの指輪]との特徴的フレーズ― をもってしてLHC呼称および彼女著述の特定の章の章題に充てたのではないと考えられるように「も」なっている(すくなくとも外面から素直に解釈する限りは、である)。
表記のこと、指摘したうえで書くが、だがしかしもってして、彼女ランドール女史はここにて問題視している著作 KNOCKING ON HEAVEN'S DOORの同じくもの章( KNOCKING ON HEAVEN'S DOORにての CHAPTER 10 BLACK HOLES THAT WILL DEVOUR THE WORLD)にてブラックホール生成などありえないとのこと「以外」にも[現象の発現]というかたちでの現実的状況に合致せぬとのことをも強くも述べている。
その点について以下、引用部を参照されたい。
(以下、オンライン上にての文言検索よりそちら記述がなされていることが文献的事実であることを現行確認できるとの書籍内 KNOCKING ON HEAVEN'S DOOR記述より原文引用なすとして)
Before the 1990s, no one thought about creating black holes in a laboratory since the minimum mass required to make a black hole is
enormous compared to a typical particle mass or the energies of current
colliders.
(即時拙訳として)
「1990年代の前にあっては誰一人とて研究所でブラックホールが生成されるとは考えていなかった、というのも、ブラックホール生成に必要とされる最小限の質量が普通の粒子の質量あるいは現行加速器のエネルギー領域に比して圧倒的に大きいからである」
(引用部はここまでとする)
上にて引用なしたようなランドール女史言い分 ―(90年代以前には実験室でブラックホールが生成されるなどということは誰も考えていなかったとの言い分にして本稿にて解説しているように planck energy → trillion electronvoltと極小領域に投下するエネルギー規模に応じてのブラックホール生成可能性のありえなさに対する目分量が ADD Modelというもので変質することになった経緯を指しているのだと判じられる言い分)― がなされている一方でのこととして、である。本稿にあっては1980年原著初出の Thrice Upon a Time(邦題)『未来からのホットライン』との小説作品にあって
[2009年年末から2010年の世界(要するに小説 Thrice Upon a Time刊行時たる1980年からおよそ30年後の世界)にて「欧州の」加速器を用いてのレーザー核融合炉 (本稿前半部出典(Source)紹介の部4で原文抜粋しながら指し示しているように正確には[加速器]を用いての Laser fusion核融合) に起因する災禍として大量の蒸発しない極微ブラックホールが生成されたとの粗筋が現出を見ていること]
[上のことがLHC実験が2008年9月10日にスタートを見、その直後、ヘリウム漏出事故を受けて2009年11月20日まで機器調整のための停止を見ていた実験である(換言すれば、LHC実験とは2009年年末から本格スタートを見た実験である)とのありようとあまりにも平仄が合うようになっていること]
との側面が見受けられるなど
[「90年代以前に遡りもする」[加速器によるブラックホール生成]に対する「数々の」予見的言及の問題]
をつまびらやかにすべくもの指摘をなしてきた(ちなみに Thrice Upon a Timeの先覚的言及について細かくもは出典(Source)紹介の部110を参照のこと。また、続いての段では同じくものことにまつわっての再掲図を挙げておく)。
以上のことが[はきとして容易に確認可能なる現象]の問題としてそこにあるがゆえにランドール女史の物言い、本稿前半部でもその問題性について細かくも解説してきたとの、
Before the 1990s, no one thought about creating black holes in a laboratory since the minimum mass required to make a black hole is enormous compared
to a typical particle mass or the energies of current colliders.
「1990年代の前にあっては誰一人とて研究所でブラックホールが生成されるとは考えていなかった、というのも、ブラックホール生成に必要とされる最小限の質量が普通の粒子の質量あるいは現行加速器のエネルギー領域に比して圧倒的に大きいからである」
との物言いについてはそちらについても先にて引用なした、
「ブラックホールより401k(米国確定拠出年金)のことを心配した方がいい」
との同女史言い分のことも含めて[皮肉Irony]の問題も観念できなくはないが(ただもってして情報の流通態様から分析するに[皮肉]を[皮肉]として情報処理している人間の似姿はどうやら俗世間には「全くいない」ようでもある)、他面、[ 嗜虐的ジョーク Sadistic Joke]の問題もまた観念出来なくもない(屠所の羊を一部の[電気仕掛けの羊]を用いて茶化している連中がいそうであると述べているのだ)。
その点、読み手諸賢には[ファウスト博士]の問題 ―ゲーテの戯曲にて悪魔メフィストフェレスに魂を売り払い現世での栄耀栄華を享受することになったとの学者にまつわっての問題― を考えた場合にての欺瞞の所在についても考えていただきたい次第ではある。
(直上付記の部から見て「重畳的に」(畳みかけるような入れ子構造でもってしての)脇に逸れるとの式での指摘を以下、敢えてもなすとして)
上にてゲーテについて話を振ったわけではあるが、それは訴求上、計算しての挙である。
その訴求上、計算しての挙の[計算]がいかようなものなのかを示すためにそこから書くが、ゲーテの有名な戯曲『ファウスト』、うち二部では悪魔に魂を売ったファウスト博士が弟子ワグナーの手で生まれ落ちたホムンクルス(錬金術における人造人間)の助力を受けて、
「時を越えて(タイムスリップし)過去世界である古代ギリシャを訪問し」
「絶世の美女ヘレン(神話ではトロイア崩壊に通じた誓約に関わる絶世の美女)をものにするための挙を開始する」
とのありようが描かれている。
(和文ウィキペディア[ファウスト 第二部]項目に現行、 (以下、引用なすとして)
舞台はかつてのファウスト博士の書斎へと転じる。未だ気を失ったままのファウスト博士を尻目に、メフィストは実験室へと赴く。
そこではファウストのかつての弟子であったヴァーグナーが、自らの学識でもってホムンクルス(人造人間)の創造を試み、ついに瓶の中に肉体を持たない純粋生命体ホムンクルスが産まれる。その神通力によって失神しているファウストの夢を読み取ったホムンクルスは、自らもまた人生を体験したいと思い立ち、ヴァーグナーの元を離れてファウストに随行することを決心する。目を覚ましたファウストはヘーレナーを探すため、時空を超えてギリシアの古典的ヴァルプルギスの夜へと飛び発つ
。
(引用部はここまでとする)
と表記されているところである)
『何を延々云々としているのか.飛躍も過ぎるであろう』と思われる向きもあるかもしれないが (殊にリサ・ランドール女史のような[世に言う学界の大家らの話]からゲーテの戯曲『ファウスト』へと話を繋げているあたりから[順序・段階を重視しての論理的思考]が忌避するような跳躍がみとめられる節が濃厚にある ―(ただファウストに話を振ったのには筆者なりの[指摘するに値する関係性]にまつわる認識があり、については、これより解説をなす)― と受け取られるところもあるかと手前自身も認識しているからそうもおもんぱかりする)、 そうもした『飛躍が過ぎるであろう』との反応が内心もたらされるような中でさらなる同文の反応惹起をおそれずにまずもって述べたきところとして、上に見る、
[ファウストと弟子のワグナーとの関係]
にあってのワグナーの名前から想起されるのはトールキン『指輪物語』 ―いいだろうか.ランドール女史がLHCをそれに仮託した[(魔王サウロンの)指輪]を中心に話が展開していく著名フィクションである― にも多大な影響を与えていることが知られる人物、
[音楽界・音楽史に屹立する偉人などとされるリヒャルト・ワグナー]
の名であり、そして、同ワグナー作の著名歌劇 、
『ニーベルングの指輪』
のことである(:歌劇『ニーベルングの指輪』はワグナー愛好家(ワグネリアン)のサークルが大学にも見受けられるように日本でもかなりもってして知られている作品であると見受けられ、本稿の先行する段でも[黄金の林檎とリングの接続性]との絡みで寓意性について解説してきた作品である) 。
その点、トールキン『指輪物語』とワグナー『ニーベルングの指輪』の間に多重的なる接続性があるとのことについては[一般論]として欧米圏の一部識者層には知られていることとなり、にまつわっては、英文Wikipedia[ Der Ring des Nibelungen ]項目にあっての、
J. R. R. Tolkien's fantasy novels The Hobbit (1937) and The Lord of the
Rings (1954) share elements with Der Ring des Nibelungen, but Tolkien himself
denied that he had been inspired by Wagner's work, saying that "Both
rings were round, and there the resemblance ceases." In spite of Tolkien's
protestation, there are various similarities in addition to annularity:
a ring of power which curses its bearer; a powerful wanderer in a large
hat carrying a spear (Wotan) or staff (Gandalf the Grey); magical invisibility;
the reforging of a powerful sword; a riddle contest; Sme'agol's murder
of his cousin Deagol for possession of the ring and Fafner's murder of
his brother Fasolt for the same reason; the slaying of a powerful gold-hoarding
dragon; to name but a few.
(即時大要訳として)
「トールキンの『ザ・ホビット』(1937)と『指輪物語』(1954)は ―トールキン自身はワグナーの作風から影響を受けたことについて否定しているのだが― ワグナーの『ニーベルングの指輪』と作中要素を共有している.トールキン自身の否定的声明にかかわらず両者作品の間には数多多岐にわたっての一致性が存する(以下略)」
との記述からもそのことが窺い知れるところとなっている。
さて、(そうもした話の流れが[「額面どおり」の飛躍しすぎである]では済まされぬとのことの所以(ゆえん)はもう少し先の段に解説するとして)、
[ファウスト博士][指輪の物語][ワグナー](と繋いでいったここでの話の文脈)
より述べもするところとして、リングたるLHCにまつわる問題で「不完全な」問責をなして愚弄軽侮ばかりを買ってしまった(そして、実験推進者の正当性を間接的に強化することになってしまった)というのが市民運動家ウォルター・ワグナー氏のやりようである (ワグナー氏について:ウォルター・ワグナー氏はLHCに抗しての運動家ではあるが ―「生きる上で必要だからか」とは思われるのではあるも― 専従、そのことに一意専心しての運動家ではない。につき、彼ワグナー氏は[果樹園運営者]にして、のみならず、[良きシステムの守衛]といった印象を伴う職種であるも、の高校教師との職にも就いているとのことである(筆者から見れば高校の教師という職種は多く[教育]という名のやりようで[カリキュラム]という名のシステムの建て前の論理を拡大再生産することを生業となさしめられている職種に見えもする。さらに言えば、こらえ性がない筆者などからすれば『およそ[士]たらんとする者が取り合うにたらぬ輩、実質、鶏鳴狗盗の如き無礼千万な輩なぞが[人格不問の部分社会]にあっての諸々の中には一部ながらいるというのが世の常・慣いというやつだろう、といった中で、「槌」(暴力・威圧)でしんどくも統御するしかない下種小人ばらでなくしても、往々にして生意気盛りな小僧・小娘共、もとい、ティーンらのお世話、[教育]とかいう名のお世話稼業か...。当事者らには豚小屋で豚が尾を噛み合っている、あるいは、畜舎で鶏がつつき合って鬱滞した部分社会のストレス解消をしつつ力関係を探る程度の意図しかなくとも「舐められたら仕舞い.」というのが本当の大人の世界というやつだが、そこから見れば、高校での舐めたがり盛りのティーンのお世話をする稼業なぞおよそ一般の大人がやりたがらぬ仕事、世話好きで人格的に余程できている向きむけの、あるいは、[強いられての苦行]とも見える仕事だろう』と見受けれもする(そうした視点の共有を求めることはしないが))。とにかくも、(人格に余剰というものがあるのか)、LHC反対運動家のワグナー氏は高校教師との職に就いているとのことだが、他面もってして、彼ワグナー氏は弁護士資格も持っているようで(アメリカでは往時一頃の日本に比べて比較的楽に弁護士資格をとれるとのことがあるが、その過程でロースクールでみっちり詰め込み学習をしなければならないとされる)、また、同ワグナー氏は物理学系学士号を有した元・原子力安全監督官との来歴をも有しているようである。そのため、当然に彼ワグナー氏は世間一般のレベルの人間よりは遙かに知的程度が高い[なにがしかの人物]であるととらえられる)。
粒子加速器実験の主たる(その点について読み手諸賢らに手ずからお調べ頂きたいものだが、「それ以外目立っての動きがアメリカではほとんど見受けられない」)批判家の方のワグナー氏の動きとのことで述べれば、そちら動静が
[我々人間の世界の限界線]
を示しているように見えもすることが「ある」(ワグナー氏が[科学界の甲論乙駁程度のもの]に準拠しての不完全な問責をなして軽侮愚弄を買ってしまった、というより、口撃の材料を主流派気取りの学者ばらやその追従者ばら(としての物書きなど)に与えてしまったとのことは[存在しない者][居ない者]として完全無視される「よりも」悪かろうととらえられるところがあり(ゼロどころかマイナスであるからである)、そのことが種族の(批判能力・現状改変能力の)限界性の問題に通じていると解されるだけのことが「ある」 ――※について、ワグナー氏がいかような軽侮愚弄に曝されることになってしまっているのかとのことに関して具体例を挙げれば、最前にてそちらよりの引用をなしたリサ・ランドール著作にて次のような「不愉快な」記載がなされていたりもする ⇒ (以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER TEN BLACK HOLES THAT WILL DEVOUR THE WORLDより引用なすとして) Walter Wagner, a high school teacher and a botanical garden manager in
Hawaii, who is also a lawyer and was a nuclear safety officer, together
with the Spaniard Luis Sancho, an author and selfdescribed researcher on
time theory, were among the most militant of the alarmists. These two went
so far as to file a lawsuit in Hawaii against CERN, the U.S. Department
of Energy, the National Science Foundation, and the American accelerator
center Fermilab, in order to hinder the LHC’s start.
(続いて以下、 Knocking on Heaven’s Doorにての CHAPTER ELEVEN RISKY BUSINESSより引用なすとして)Ideally, one of the first steps would be to calculate risks. Sometimes
people simply get the probabilities wrong. When John Oliver interviewed Walter Wagner, one of the LHC litigants, about
black holes on The Daily Show, Wagner forfeited any credibility he might
have had when he said the chance of the LHC destroying the Earth was 50-50
since it either will happen or it won’t. John Oliver incredulously responded
that he “wasn’t sure that’s how probability works.” Happily, John Oliver
is correct, and we can make better (and less egalitarian) probability estimates.
(以上引用部に対する即時訳として)「ウォルター・ワグナーはハワイにての高校教師にして果樹園運営者(訳注:この場合、原文マネージャーはオウナーシップを伴ったものなのか不分明であるので運営者と訳した)となり、また、弁護士にして、元原子力監督官となりもし、彼ワグナーは自称[時間の理論にまつわる調査者]であるとのスペイン人ルイ・サンチョと共に心配性の向きらの中で最も好戦的な部類に入っていた(訳注:原文にあるアラーミスツはこの場合、[心配性の向きら]と訳されるところの語感のものである)。CERN、合衆国エネルギー省、米国科学技術振興会、そして、アメリカの加速器研究のセンターであるフェルミ国立研究所を相手取ってLHC実験のスタートを妨げるべくもの訴訟を提訴した。・・・(中略)・・・ 理想的に言えば、物事の起点はリスクを見繕うとのことにあるべきであろう。しばしば人は確率との概念を誤ってとらえてしまうものだ。(コメディアンにして政治風刺をこととするタレントでもある)ジョン・オリバーが彼の関わるザ・デイリー・ショー(米国にて深夜放送されている諷刺番組)にてLHC訴訟当事者であるウォルター・ワグナーに対してインタビューをなした折、ワグナーがLHCが地球を破壊する性向について「起こるか起こらないかとのことなのだから、50対50だろう」との発言をなしたその折、彼ワグナーは(幾分でも)信頼をそれまで得ていたとしてもそれを喪失することになった。(ワグナー発言を受けて)ジョン・オリバーは信じがたいといった風に「確率という概念がそういう風に働くとはちょっと確信できないですね...」と応じていた。幸運なことにジョン・オリバーは正しく、我々はワグナーよりも上手く(またワグナー程にフィフティ・フィフティ的に平等主義的ではなく)確率的目算というものを見繕えるところとなっている」(即時訳付しての引用部はここまでとする).以上ランドール女史のワグナー氏に対する言いようが[失言の類を必要以上にあてこすっての衆に対する瞞着(まんちゃく:騙くらかし)の意図を含んでの印象操作の物言い]か否かは置き、とにかくも、ワグナー氏の「どうして彼ほどの人物がそんな失言を呈してしまっているのか」とのやりようは「実験」(などとされる挙)の推進者らにとっての追い風になっている節がある(話は逸れるが、リサ・ランドールが[ワグナーの確率にまつわっての失言]を強調するようなかきようをなしているとのことで書くところとして、本稿では高校生でも分かるようにとベイズ推定( Bayesian inference )の単純化メソッドを持ち出し、権威言いようの欠陥性を示しつつものかたちで状況がいかように切迫しているのか、(不確実ではなく専門的な[理論]などではなく)現実に束とそこにある[観察事象]より導出出来るとの式での計数的目分量「をも」呈示ししている(のでその適否からして(このような世界にといった方々がそうそうにいれば、だが)心ある向きには検討いただきたい))―― )。
(批判家ワグナー氏のことから話を引きも戻しもし、)
ここでの話、[ファウスト博士][指輪の物語][ワグナー]と繋いでいったここでの話に関しては、である。 ―当然に観念される[飛躍]の問題についてはそれを否定するための補ってもの表記を「すぐ後に」なす所存であるとして― とりあえずもの道筋として
[ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテおよびリヒャルト・ワーグナーとの近代ドイツを代表する二大文人の作品ら]
すなわちもってして
[【悪魔に魂を売った男ファウストが弟子ワグナーの造りだした錬金術上の人造人間ホムンクルスの助力で過去にタイムスリップし、ギリシャの絶世の美女ヘレン(トロイア滅亡の原因として黄金の林檎の対価ともなっている美女)をものにしたとの粗筋が現出している作品】(ゲーテ『ファウスト』) と 【闇に全てを繋げとめるものとしての銘文が刻まれての一なる指輪を巡る攻防が展開するファンタジー作品(ランドール女史がブラックホール生成はリスクではないと強弁しているLHC、そして、ワグナーにはじめてブラックホール生成の可能性が問題視されだした加速器の極北にあるLHCがそちら登場の[ひとつの指輪]に仮託されているとの『指輪物語』のことである)に多大な影響を与えている歌曲】(ワグナー『ニーベルンゲンの指輪』)]
を媒介項にしてこの身、筆者が
[ワグナー (【自ら創造したホムンクルスを介して師たるファウスト博士のタイムスリップおよび絶世の美女ヘレン取得を助長したゲーテ・フィクションに登場する男】、【トールキン『指輪物語』にも影響を与えている『ニーベルングの指輪』の作者として知られる男】、【リングたる加速器にまつわる批判をなしたことで一部にて知られている人物】、彼ら三名の姓となっているとのそのワグナー) とリングとを巡る問題性]
について何らかのことを述べたいのだとまじめな読み手には「おおよそ」にしてご想像いただけるか、と思う (この段階、つい上の段までの流れだけでは「馬鹿げたまでにこじつけがましい far-fetchedことである」との評価が伴うところでも、である)
ここでこじつけがましさに対して弁明し、かつ、さらなる訴求をなすために書くが、
1.[ランドール女史ら学界の大家の欺瞞の問題視する] → 2.[学界の大家の欺瞞に通ずるありようから学者が悪魔に魂を売る挙動を描いているゲーテの戯曲『ファウスト』に焦点をあてる] → 3.[ゲーテ『ファウスト』に登場するファウストの弟子ワグナーのやりよう(ファウスト博士のタイムスリップを助け古代ギリシャの伝説上の絶世の美女ヘレンのファウストによる取得を助長しているとのやりよう)に話を振る] → 4.[ワグナー繋がりでリヒャルト・ワグナーの歌劇『ニーベルンゲンの指輪』のことを問題視、同『ニーベルングの指輪』とランドール女史らがLHCに仮託する『指輪物語』の指輪の濃密なる関係性のことに話を回帰させる]
との直上までのおおよそにしての話の繋ぎかたは無論、
「論理的な思考の筋道ではない」
と解されるところのものである(要するにとらえどころのない漫談並みの論理性しかないと映るところのものである)。
殊に上にて表記の1.→2.と話を繋げもする流れに目立っての[飛躍]があるのならば(何故、いきなりファウストなのかの繋がりが学者の衆を欺く瞞着(まんちゃく)との実に幅広くもの共通性にしか求められていないのだから[飛躍]以外の何物でもない)、 同文に3.→4.と話を繋げもする流れにも無理がある(ワグナーとの名称との共通だけで話を繋げているように見える、であるから、同文...)と受け取られるところである(書いている人間たる手前手ずからがそうも当然に自認せざるをえぬところとして、である)。
だが、そうもした評価を「その実...」の問題として斥けられるだけのことがここでの話の背景に「ある」。
その[背景に「ある」]こととは何なのか、以下にての箇条表記の部を参照されたい。
・小さなことからまずはじめる。『ファウスト』を遺したヴォルフガング・ゲーテと『ニーベルングの指輪』を遺したリヒャルト・ワグナーら、教科書にもお目見えしている彼ら近代ドイツの代表的文人らの生き様・作品には少なからずもってしての繋がりがあるとのことがある。まずもってしてゲーテもワグナーも双方共にライプツィヒの地にゆかり・えにしのある存在であったとのことがある(具体的にはゲーテがライプツィヒ大学で学び、同地ライプツィヒを代表する偉人がゲーテとされている一方で、他面、ワグナーはライプツィヒで産まれ育ち、ゲーテと同じくものライプツィヒ大学で学んでいる)。 そして、ゲーテ所縁(ゆかり)のライプツィヒにルーツを持つワグナーは先達のゲーテ『ファウスト』を非常に重んじておりもし、ゲーテの『ファウスト』をモチーフにしての歌劇『ファウスト』を世に出していもする。 したがいもして、3.→4.の流れ(すなわち、[文豪ゲーテの戯曲にての【ファウストの弟子ワグナー】を持ち出すやりよう]から[ゲーテのファウストをモチーフにしての歌曲も製作しているリヒャルト・ワグナー(の歌曲)]に話を繋げるとの流れ)を持ち出していることに関して「皮相的に見ても」それほどには[行き過ぎ]にはならないとのことがある。
・次いで述べるが、リサ・ランドールのLHCにまつわっての欺瞞性感じる物言い(それは部分的にはウォルター・「ワグナー」を茶化しての物言いでもある)からゲーテのことを持ち出すことには無理がない。に関して述べたきところとして、他ならぬLHC実験を作中小道具に登場させての芸術家団体が『トロイアの人々』という歌曲(オペラ)を公演しているとのことがあり ―正確にはLHC実験に用いられているATLAS検出器のイミテーションを演出として舞台装置に登場させながらもスペインのヴァレンシアのオペラハウス、 Palau de les Arts Reina Sofia(ソフィア王妃芸術宮殿)にて公演しているとのことがあり― (『トロイアの人々』の原題である[ Les Troyens ]との語と[LHC]の両語を併せてグーグルで画像検索などいただければ、削除なされていない限りはその絡みの画像を捕捉できるであろう/ちなみに相応の人間がといった挙をサイエントロジーのような新興宗教 Religious Cultのやりようと同文のものとして矮小化してオンライン上で語りきる、いや、騙りきるとのありようも筆者が情報精査していた折には見受けられるようになっていた)、 元来もってして、(LHCのアトラス・ディテクターのイミテーションが舞台装置に用いられもしている)歌曲『トロイアの人々』とのそちらオペラの作者はエクトル・ベルリオーズという19世紀に生きたフランスの著名作曲家となっており、そうもしたことがここでの話との絡みで意をなしてくるとのことがある。 LHC(のアトラス検出器)を作中舞台装置に用いての『トロイアの人々』との歌曲を世に出した同エクトル・ベルリオーズの代表作は ―彼ベルリオーズがゲーテのファウストに相当程度かぶれていたとされる中で― ファウストをモチーフにした『ファウストの劫罰』(との歌曲)となっている。そうもした[ゲーテのファウストの焼き直しオペラ]で知られる音楽家エクトル・ベルリオールの名であるエクトルとは[ヘクトル](英語呼称はヘクター)のフランス語呼称およびスペイン系呼称となりもし、そこに見るヘクトル=エクトルHectorとは[トロイア城塞に籠城したトロイア勢力の軍司令官にして最強の戦士ヘクトル]に由来している(ヘクターのことについてはオンライン上でキーワード検索してお調べいただければすぐにご理解いただけるであろう)。 従って、[トロイアの軍司令官たるヘクター]・ベルリオーズの代表作が『ファウストの劫罰』となっているとのことがあることにもなるわけだが、同ベルリオーズの別の代表作たる先述の『トロイアの人々』でモチーフにされているトロイアとは元来にしてのギリシャ伝承では
[絶世の美女ヘレン(ゲーテの『ファウスト』にてファウストが弟子ワグナーの産み落としたホムンクルス(錬金術体系の人造人間)の助力を受けてタイムスリップしてまで手中に収めようとした絶世の美女ヘレン)を巡る取引 ―本稿にあって何度も何度も述べてきたように[美女ヘレン]と[黄金の林檎]を交換しての取引― ]
で滅んだ都市であると伝わっている(エクトル・ベルリオーズの歌劇には[ヘレン]やヘレン取得に情熱を燃やしたパリスといった神話上の存在は目立って登場していないのだが、とにかくもってして、である)。
そして、LHCに関しては(ヘレンの対価となっていると伝承が語り継ぐ)[黄金の林檎]と複合的に結びつく側面がある ―現代にて焼き直されたベルリオーズの『トロイアの人々』舞台装置にもそのレプリカがお目見えするLHCのATLAS検出器とは[黄金の林檎の在処を把握していると伝わる巨人アトラス]からその名称を受け継いでいる等々の事由からである― 。
お分かりであろうが、そうもした側面から
[LHC実験関係者の欺瞞(ワグナーを茶化しつつものランドール言いように見るそれ)とファウストの物語の繋がり合い]
に考えが及ぶ ―[ゲーテの戯曲でファウスト(悪魔に魂を売った学者)の拘(こだわ)ったワグナー助力を受けつつものヘレンの取得][ヘレンの取得で滅んだトロイアをモチーフにしての現代にての「ゲーテ関連劇で知られる」19世紀音楽人の作(トロイア伝承守勢側主力の名を受け継いでいた音楽人の作)である著名劇を焼き直してのLHCに対する揶揄のありよう][LHCとヘレン等価物(黄金の林檎)との現実世界それそのものでの多重的な繋がり合い]に考えが及ぶ― とのことには「さして」飛躍はない(1.[ランドール女史ら学界の大家のLHCにまつわっての(ワグナーを小馬鹿にするといったやりようを含む)欺瞞を問題視する]→2.[学界の大家の欺瞞を悪魔に魂を売る挙動として描いているゲーテの戯曲『ファウスト』のワグナーにまつわる下りに焦点をあてる]との思考の流れにあって行き過ぎがあるとは言えない)。
・上記のことら「のみ」では ―行き過ぎての飛躍であろうとの無条件の非難は斥けられても― 、だが、いまだ自手流のこじつけ臭が残置している感もありもするか、と思う。
だから述べるが、
[ワグナー助力でヘレンの取得のためのタイムストリップまでなしえたファウスト博士の物語](ゲーテの『ファウスト第二部』)
のみならず
(ゲーテにかぶれもしていたこと、先述の)リヒャルト・ワグナーの歌曲である『ニーベルングの指輪』
「も」が
[黄金の林檎を求めての諍(いさか)いの伝承]
と密接に結びつくことを(再)指摘し、そして、ゴールデン・アップルとのことになれば、LHCと通ずるとのことの問題性をあらためて強調しておく。
その点、くどくも繰り返すが、トロイア戦争は[黄金の林檎]と[絶世の美女ヘレン]の交換が元になってはじまったと伝わる欧米古典の源流としての神話上の戦争であり、ゲーテに由来するファウスト博士の物語ではファウストはタイムスリップしてまでトロイアの災厄たるヘレンをものにしたいと(黄金の林檎の対価であったと伝承が語り継ぐ)同ヘレンに恋情千々に惚れ込んでいるとの設定がみとめられる(人類の思考体系の変遷にあっての沿革上、[黄金の林檎]と[絶世の美女ヘレン]の交換にまつわる神話上の筋立て ―本稿でくどくもそのありようについて解説してきたいわゆる[パリスの審判]にあっての筋立て― あってこそのゲーテのファウスト博士の物語であるとも述べられるようになっている)。 他面、(そちらは本稿のかなりもって先立っての段で先述したことでもあるのだが)、ワーグナーの『ニーベルングの指輪』、英語呼称ではただ単純に The Ringとも呼び慣わされる同作品「でも」その前半にあっての Das Rheingold『ラインの黄金』の部で神々の主催者ヴォータン(オーディン)が
[神々に若さを提供する林檎(北欧神話における黄金の林檎)の製造元である女神フライヤ](元来北欧神話では女神イドゥンがそちら存在に該当するところをリヒャルト・ワグナーが翻案してのフライヤという黄金の林檎の管理者)
を指輪 ―ランドール博士がLHCにそれを仮託していることを先述した魔の王サウロンに由来するのも[指輪]だが、と同文に(サウロンの指輪を巡る物語である『指輪物語
と同文に)『指輪物語』に多大な影響を与えていることが指摘されている『ニーベルングの指輪』にあっての指輪― を巡る取引の具に使ったことが神々の秩序の崩壊 ―神々の黄昏― 、そして、劇中悲劇の現出へと向かって物語が進んでいく原因として描かれていもする(ヴォータン=オーディンのすべてを支配せんとする強欲さの問題とあわせて描かれていもする)。
要するにゲーテの『ファウスト』と同文にワグナーの『ザ・リング』(トールキンの指輪物語に多大な影響を与えているとのことが知られる『ニーベルングの指輪』の英文略称)にも
[黄金の林檎(を管理する存在)を巡っての取引と崩壊のエピソード]
が強くも影響していると述べられるようになっている。
そして、再度に次ぐ再度とのかたちでくどくも申し述べるが、LHC ―リサ・ランドールがトールキンの『指輪物語』のサウロンの世界を扼する指輪に仮託しもしている巨大なリングたる加速器― は黄金の林檎と「どういうわけなのか」実験実施サイドより多重的に結びつけられている実験である。
多くがかくも結びつく、黄金の林檎を介して結びつくようになっている。
(尚、本稿では
[【黄金の林檎】が北欧神話の一部伝承で【リング】の対価とされているとのことがあること](スキールニルの歌というエッダ収録の物語にそういう筋立てがみとめられること)
を引き合いにしつつ、そうもしたことと関わるところとして、日本の一部著名ホラー作品およびその紡ぎ手ら挙動が[リングと加速器とワグナー戯曲との繋がり合い]の方向を指している、しかも、【ブラックホール人為生成に通ずる奇怪な先覚性】を伴ってそちら方向を指しているとのことの詳説「をも」なしている ―卑近な事例、その分だけ、レベルが低いと言われることもあろうかと思うのだが、ひとつにそれは小説『リング』(貞子という怨霊が登場する日本の大衆のみならず欧米のホラー好きにもある程度知られた小説)の続編小説『ループ』で[加速器遺構のコンピュータによってシュミレートされた仮想世界(ループ世界)でのバグが怨霊の正体であった]との落ちがつけられている、そして、そのことがブラックホール生成の異様なる先覚的言及の問題「にも」通じているとのことにまつわっての話となる(といった一見にして馬鹿馬鹿しくも響くとの話について「も」委細確認する必要を感じたとの向きにあられては各自、そちら解説の段まで遡って確認いただきたい)― )
以上、各点にて箇条表記のようなことらがあるがために、である。先述のように「リヒャルト・ワグナー歌曲『ニーベルングの指輪』と多重的に接合しているとの指摘がなせるようになっている」との『指輪物語』にあって登場を見ている【破滅をもたらす指輪】(などとの銘文が刻まれているリング)をリサ・ランドールが加速器LHCと意図明示せずに結びつけていること、そこからして相応の恣意性体現のやりようが介在していると判じられると指摘するのである。
(その点もってして同じくものことについてはファウストの問題など介在させずに[ワーグナー『ニーベルングの指輪』と黄金の林檎の結びつき]→[トールキン『指輪物語』と『ニーベルングの指輪』の濃厚なる結びつき]→[LHCと黄金の林檎の結びつき]とのよりもって単純な流れだけでの訴求もなせたのではあるが、筆者にはリサ・ランドールのような大物物理学者(との【役割】をその特性から与えられている者達)のやりようについて思い、かつ、含むところが大なるところとしてあったため、わざわざファウストのことも交えての話をなしたと断っておく ―ちなみに現世の快楽・栄耀栄華を得るとの方向で悪魔に(死後の)魂を売り払ったファウスト博士についてのゲーテ戯曲では、である。ドクトル・ファウストは自身が一大事業を成し遂げようとしているとの幻想に取り込まれもしている中で満ち足りた心境で魂の破滅の危機を迎える(「逸楽のために悪魔に魂を売り払った」おのれが年を経て求めるに至った理想郷として今まさに自由を求める人民の理想郷が構築されているのだとのめしいた(盲目になった状態で)妄信している中、そう、ファウスト博士が[自由な理想郷を造るための自身主導下にある民らの勤勉なる作業の音]と認識していたものが現実には[悪魔らが当のファウストの墓穴を掘っている音]であったとの状況下でファウストは最期に満ち足りた心境で Verweile doch! Du bist so schon.「時よ止まれ、汝、なんと美しきかな」と叫んで死ぬ(ただし博士は悪魔メフィストがかねてより質草として要求していた魂を回収しての中で本来的には地獄に落ちるところであったのをご都合主義的に救われる))。といったゲーテ『ファウスト』結末に見る有名フレーズ、「時よ止まれ、汝、なんと美しきかな」における[時が止まった]とはブラックホールの特色であると本稿で解説してきたところのありようでもある。また、ゲーテの『ファウスト』は[初期のタイムスリップ作品]としての様相も帯びている(とされる)わけだが、【過去に対して「物理的」実体を投射・移送しうる】というのはLHCでそれが生成されうるとされるワームホールなどの業(わざ)であると語られるところでもある(閑話休題)― )
(付記の部の中に畳み込むように入れ込む、重畳方式で展開してきた脇に逸れての話はここまでとする)
(リサ・ランドールの「90年代まで実験室でブラックホールが生成されるとは誰も考えていなかった」との物言いとの【抵触】が問題になりもする事柄ら、その一例にまつわっての再掲図として)
(※表記図にみてとれるような先覚性を帯びた小説 Thrice Upon a Time(邦題)『未来からのホットライン』からして多重的に【 The Golden Apple黄金の林檎】(が登場する【ヘラクレス第11功業】)と濃厚に結びつくようになっている、またもってして、そこに【人類に火を与えたプロメテウスの解放】や【ヘラクレスの多頭の蛇の毒による悶死】といった事柄らとの多重的結節性も ―ブラックホールとも相通ずるかたちで― みてとれるようになっているとのことについての解説をも本稿では出典(Source)紹介の部110(2)から出典(Source)紹介の部110(8)を包摂する段にてなしている)
(【黄金の林檎】と【ヘラクレス功業】が多くを繋ぐキーとなっている(させられている)とのことにまつわっての再掲図として)
(※上掲図は【(リヒャルト・ワグナー歌劇『ニーベルングの指輪』にもモチーフが転用されている存在である)北欧神話に登場する女神イドゥン】や【錬金術シンボル体系】と【黄金の林檎】との関係を強調すべくも本稿のせんだっての段で挙げていた図である。 【黄金の林檎】はフリーメーソンの不快なシンボリズムにも影響を与えている【錬金術シンボル】、の中における、【賢者の石(フィロソファーズ・ストーン)】にまつわっての寓意にも影響を与えていると判じられるものとなり、そこに不愉快極まりない ―歌会での歌の巧拙・雅趣を競うように人間を殺していくのを「是」とするようなやりようを不愉快極まりないとのものではないと述べるならば別だがも、の不愉快極まりない― 予見的言及との結節点もが存在していることをひたすらに細かくも摘示してきたのが本稿である)
(直上までの枠で括っての付記の部を延々長くも続けすぎたとの感もあるが、とにかくもってして、)
ここまでにて
[この時代でしか実現しえなかったであろうとの技術の粋を集めてのLHCの特質]
についての訴求をなしたとして、最後に、である。「技術の粋を尽くしている」との粒子加速器に[ソフト]として提供されているATLANTIS(との固有名詞が与えられているイベント・ディスプレイ・ツール)に通ずるところで次のような【こだわり】が見てとれるとのことを訴求しておく。
実験関係者にLHC実験にあってそれを介してブラックホール観測(人類の科学の進歩に資するなどと強調されての極微ブラックホールの観測)がなされうると諸所で主張されてきたのが「検出範囲が広めに設定されている」とのことであるアトラス・ディテクター、ATLAS検出器となる(出典(Source)紹介の部35,出典Source)紹介の部81)。
そのATLAS検出器に接合するところとしてATLANTISなどという名前が付されたイベント・ディスプレイ・ツールを実験にて用いているのはそのツールで表示されてくるデータが
「アトラス検出器の[目](イベント・ディスプレイ用の目)に引っかけられてのものであるから」
と述べられるようになっているようなところがある(:アトランティスがいかようにアトラスと結びつくのかとのことについては本稿にての出典(Source)紹介の部36で解説をなしている ―※― )。
(※海外ではLHCと2004年より米国にて放映されだした『スターゲイト・アトランティス』(映画『スターゲイト』続編で時空のゲートを描くとの作品)を結びつけて、LHCを[ゲート構築装置]になぞらえるような論調が存在するが、ATLAS検出器のネーミングが決したのはLHC建設計画が正式に承認される前の[1992年]となっている(出典(Source)紹介の部36(2))のであるから、ATLANTISの命名背景に関しては
[『スターゲイト・アトランティス』 ⇒(影響)⇒ イベント・ディスプレイ・ウェアたるATLANTIS]
との流れは成立して「いない」と判じられる。
現実的状況に照らし合わせれば、
[イベント・ディスプレイ・ウェアたるATLANTISの名称がそちらに由来するところと解されるATLAS(1992年に名称決定) ⇒(影響)⇒ 『スターゲイト・アトランティス』(2004年リリース)]
との流れが時系列的に観念されるところとなる ―常識的に人間レベルのネーミングの背景を考える限りではそうもなる― 。
そしてもってして実験関係者 ―揃いも揃ってLHCにて生成されるブラックホールの観測が科学の進歩にとり望ましいと主張しているような実験に率先して関わっているとの向きら― に由来するところとして
[(現行、ATLANTISによって観察されうると見られている)ブラックホール]
がゲートたりうるものとして生成されうるとの寓意付けを強くもなさんとするとの意図が90年代よりあったとは普通には考えがたいようになっている (:先立っての出典(Source)紹介の部18,出典(Source)紹介の部19,出典(Source)紹介の部21-2(かなり後の段にずれこんで)出典(Source)紹介の部76(3)(さらに後の段にずれこんで)出典(Source)紹介の部89で指摘しているところとしてLHCでは[プランクエナジーの極小領域投下]を実現せずともワームホールが生成されうるとの発想法も[ADDモデル]に基づいて近年、ここ10数年で提示されるに至っているとのことがある(が、といった科学界の一部見方の変遷のありように目を向けつつも反言すれば、ここ10数年より前、1990年代にはブラックホール生成もワームホール生成もおよそ考えられるところではなかったと公式発表されつつ強調されてきたとの背景があり、ノーベリスツ、ノーベル賞級の科学者らからしてそうも主張・強調しているとのことを本稿では諸種ソースを挙げることで摘示している)。 またもってしてLHCで仮にもし通過可能なワームホールが生成されればどういうことがありえるのかとのことについては、たとえば、レイ・カーツワイル著作 The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biology(原著初出2003年.邦題『ポストヒューマン誕生 コンピューターが人間の知性を越えるとき』)に見る仮想の先進文明やりように通ずる問題として、(以下、再度の引用をなすとし) Sending molecular-scale selfreplicating devices along with software will
be sufficient and much easier. Anders Sandberg estimates that a onenanometer
wormhole could transmit a formidable 1069 bits per second.
[ソフトウェアとともに分子サイズの自己修復するデバイスを送れば十分であり、そのほうが簡単だ。アンデルス・サンドベルイは、一ナノメートルのワームホールは一秒あたり10の69乗ビットもの膨大な情報を送ることができると試算している](引用部はここまでとする)といったことにも接合する可能性すら考えられることになる ―10の69乗ビットという情報がいかように凄まじいものなのかの解説は従前解説部を参照のこと― )。
直上再言及のように1992年に由来するところとして、
[ATLASの名称の決定] (ATLASとの呼称から派生してのATLANTISの呼称が後に決せられることになる[芽]となる名称決定行為)
が見受けられるとのことになるわけだが、伝承上、(LHCに通ずる命名規則でもその名が用いられている)【アトラス】という名の王に戴いていたとされているのがプラトンの古典『クリティアス』に見る沈んだ陸塊アトランティスとなる(出典(Source)紹介の部36にて出典提示しながら、古典字面それのみに基づいて論拠示しているところでもある)。
さてもってして、ここからが
[LHC実験にみとめられるこだわり]
に関わるところとなるわけだが、プラトン古典『クリティアス』にて描写される[アトランティス]の宮殿都市のありよう(中央にアトラス王の血脈の王族が主となる宮殿を配するありよう)がそのままLHCのイベント・ディスプレイ・ツールたるATLANTISと接合するようになっているとのことまでもが「ある」。
細かくは本稿にての出典(Source)紹介の部47を包摂する部で古典そのものの字面だけに基づいて仔細にそうもなっていることの典拠を古典よりの原文引用でもってして提示してきたことだが、端的に要約すれば、次の1.から3.のようなことらまでもがあるのである。
1.古典では古のアトランティスの首府がアトラス王の一族が住まう宮城となっていると描写されるのに対して LHCの Event Display ToolたるATLANTISは検出器アトラスATLASと紐付けられて存在している。
2.プラトン古典『クリティアス』によれば古のアトランティスの首府は環形構造の島を幾重にも城壁が囲んでいるとの構造をとっている。
対して、LHCの Event Display ToolたるATLANTISも環形構造状の画面を呈し、幾重にもの枠(城壁のような外枠)で囲まれているようなヴィジュアルを呈しており、その環形構造の中心部でブラックホール生成その他のイベント ―関係者らに科学の進歩に資すると強弁されてのイベント― を検知する可能性が取り沙汰されてきたとのことがある。
3.プラトン古典『クリティアス』によれば古のアトランティスの首府は肥沃で広大なアトランティス大陸平野の「端(はじ)の部に」「環形構造をなして」存在する。
対して、LHCの Event Display ToolたるATLANTISは巨大なLHC加速器の「端(はじ)の部に」「環形構造を呈しながら」具現化しているATLAS検出器と紐付けられもしている。
(1.から3.と振ってのことらにまつわって従前呈示していた図の再掲として)
以上のようなLHC実験、そのATLANTIS周りのところに見受けられる【執拗さ】と以下呈示のことら、4.から7.のことら ―それこそ何度も何度も本稿にて核となるところとして繰り返し強調なしもしてきたことら― を複合顧慮すれば、何が明確な犯行意思の表明か、それは分かろうとのものであろうと見る。
4.【アトラス】と【アトランティス】は【(木製の馬の計略で滅んだ)トロイア】と伝承上、複合的に結びつくようになっているものである。
(直上4.と振ってのことにまつわって従前呈示していた図の再掲として)
5.アトラスとトロイア(の滅亡)との結節点ともなる【黄金の林檎】は【エデンの禁断の果実】との多重的接合性を指摘できるものともなっており、にまつわっては、たとえば、【黄金の林檎の園】と【エデンの園】の一致性などが西洋の一部識者にて(近代以後)部分的に指摘されてきたといったことがある。
6.【エデンの禁断の果実】は蛇によって【失楽園(楽園追放)の具】にされたと聖書に記載されているものだが、【蛇の種族】【次元間侵略】【加速器とブラックホールの寓意】【アトランティス】の各要素を複数具備している時代区分現代にあって登場のフィクションらが「複数」存在しており、また、 ―であるからこそ極めて重篤であるとはきと判じられるところとして― それら現代的文物らにあって「異様な」先覚性および互いにもってしての接合性がみとめられるようになっている(と明確に指摘できるようになっている)とのことがある (:たとえば、本稿にての出典(Source)紹介の部65(6)から出典(Source)紹介の部65(9)を包摂する解説部にあっては【いまだ加速器によるブラックホール生成などがなんら考えていなかったとの折柄にて加速器の質的同等物(プロトンビーム)とブラックホールの質的同等物を結びつけている作品】にして【ブラックホールの質的同等物を含むテクノロジーを自儘(じまま)にすることで間接統治の具であった人間を不要としての統治体制を企む蛇の種族を描く作品】としての『リアノンの剣』という半世紀以上前の作品の「異様なる」先覚性のことを摘示・問題視しもしており、本稿にあっての出典(Source)紹介の部22から出典(Source)紹介の部25を包摂する解説部では【悲劇の宇宙でもある人造宇宙にて異なる領域の強制的接合が試みられることで人間に似た種族を爬虫類に似た種族が皆殺しにするとの粗筋を有している作品】にして【カシミール効果捕捉実験(後に通過可能なワームホールの要件となると考えられるに至った斥力を伴った負の質量を持つ負のエネルギーの存在を示すことになった実験)と同様の行為をそちら実験実施の前に先覚的に持ち出している作品】であるとの1937年初出の作品『フェッセンデンの宇宙』のことを取り上げもしている。そうもした予見的言及をなしているとの作品ら、爬虫類の種族による人間の存在否定と結びつく中で他面、異様な先覚的言及をもなしているとの筋目の作品らが存在している一方でのこととして、先の大戦期以前に遡るところとして蛇の種族のアトランティスへの次元侵略を扱った捏造遺物としての文物 ―表向きには神秘家妄言にしかすぎぬといった 『第二のエメラルド・タブレット』 なる愚劣な一品― が存在していたりする(出典(Source)紹介の部34および出典(Source)紹介の部34(2))、そして、といったアトランティスへの爬虫類の種族による次元間侵略とのテーマを含む文物が別方向での異様なる先覚的言及と記号論的に通じるようになっている、そういったことがあるのがこの「下らぬ」世界である(ここで「下らぬ」と表しているのはやりようの圧倒的高所から人間存在を執拗に愚弄するような側面のこともそうだが、そういう露骨な愚弄と究極的加害意思の表明をなされてなお状況を理解できずに(なんら情報として認識・処理せず)、あるいは、理解してなお従容として死の道を歩みもしよう、との気風に満ちている節もある、そういう存在に自身の属する種族がなされているとのその唾棄すべき「世界的」現状を指しての申しようでもある))。
7.【エデンの禁断の果実】による蛇の誘惑を聖書の筋立てを大幅に翻案して、【堕天したサタンによる神への意趣返しとしての林檎を用いての人間を堕落させる挙】として描く作品がジョン・ミルトンの手になる著名古典『失楽園』とはなるのだが、 Western canonと呼称される代表的古典に含まれる (英文Wikipeia[ John Milton ]項目にて現行、 Once Paradise Lost was published, Milton's stature as epic poet was immediately
recognised. He cast a formidable shadow over English poetry in the 18th
and 19th centuries; he was often judged equal or superior to all other
English poets, including Shakespeare.
(即時訳)「『失楽園』が刊行を見てより、(壮大な)叙事詩の紡ぎ手としてのミルトンの名声は即時に認容されることになり、同ミルトン(の詩)は18世紀から19世紀にあっての英文詩ありようにおそるべき隠然たる影響力をおよぼすことになった.ミルトンはしばしば「シェイクスピアを含む」他のいかなる英語による詩の紡ぎ手に比肩しえる、あるいは、優越しうると評価されてきた存在であった」なぞと記載されていることにも著名性ありようが推し量れる) との同ミルトン『失楽園』の、
[トロイア崩壊関連事物への言及を含む箇所 ―人間を失楽園にいざなうべくもルシファーがアビス(深淵)の領域を押し進んだとの描写がなされている箇所― ]
それそのものに
[(現代的観点より見ての)ブラックホールと見紛うもの]
についての描写「も」がなされているとのことがある(少なくとも[時間と空間が意味をなくなる領域][永劫の底無しの暗黒領域][自然の祖たる領域]との描写は全部、今日的な意味でのブラックホール理解に当てはまるところともなり、時間と空間を渾然一体なるものとして見る[時空間]の概念すらなかった17世紀往時にあっての[時間と空間が意味を有さなくなる]などとは殊に露骨性が感じられるところともなる)。
そして、ミルトン『失楽園』にあっての
[(今日的観点より見た場合にての)ブラックホールと見紛うものの描写]
が
[地獄門の先にてのルシファーに起因する災厄にまつわる描写]
として具現化を見ている(とのことがある)ことと対応するように同じくもの、
[地獄門の先にてのルシファーに起因する災厄にまつわる描写]
としてブラックホールに近しくものものを多重的に描くとのありようがミルトン『失楽園』に数世紀遡るところの著名古典『神曲;地獄編』 (こちら『神曲』も[ウェスタンカノン]と呼ばれるその影響度合いにて西洋文化で最も重要な文物、そのひとつに含まれる「超」が付くほど欧米では著名な古典である) に見てとれるようになっているとのことがある (:少なくとも[時間と空間が意味をなくなる領域][永劫の底無しの暗黒領域][自然の祖たる領域][光を名に冠する存在(ルシファー)をして「一端落ち込めば脱出不能」と言わさせしめている領域]との描写は全部、今日的な意味でのブラックホール理解に当てはまるところともなる、そう、時間と空間の法則が破綻し、かつ、底無しの暗黒領域にして、宇宙そのもの(たる自然)の祖とされ、光さえほぼ脱出不能となるとされるブラックホール理解に当てはまるところともなる。また、時間と空間を渾然一体なるものとして見る[時空間]の概念すらなかった17世紀往時にあっての[時間と空間が意味を有さなくなる]などとは殊に露骨性が感じられるところでもある(であるからであろう、ダンテ『地獄篇』とブラックホールの結びつきについて詳説を欠く「中途半端に」留まっての式で言及する著名物理学者が何名もいることも本稿出典(Source)紹介の部55では紹介しもしている))。
(ここまで書き連ねてきた1.から7.と振ってのことらに関わるものとして本稿で呈示してきた図らのうち、「極一部」を再掲するとして)
(最前、振り返りもして書き連ねてきた1.から7.と振ってのことらに関わるものとして本稿にて呈示してきた図らの「極一部」再掲の段はここまでとしておく)
以上、振り返りもしてきたようなことが加速器まわりにて用いられているATLANTISに通ずるところとしてありもし、そこに見る関係性が
[尋常一様ならざる予見描写] (911の事件が起こることを事件発生前に記号論的に示して見せていたとの奇態なる予見描写)
と複合的に接合するようにさせられ「も」している、そして、そこに[アトラス][トロイア]との接続性が根強くもみとめられるとのことの意味を問題視してきたのが本稿である。
ここまで訴求なしてきたことの背面にいかような[意図]があるとおもんぱかれるのか、そこにどういう悪意(加害意思)があるのかについては働くべきところが働いているのならば瞭然自明としてお分かりかとは思うのだが、そうもした加害意思の発露の背後にある目標と結びついた動機(ホワイダニットの問題として先立っての段で論じたこと)の推察もが容易になっており、その具体的手段 ―考えられもするところとして「多世界解釈理論」にあって他世界間を貫通するとされる(先述)の Gravitational Wave重力波が人間に終焉をもたらす方向で作用するといった[推察]にも通ずる具体的手段― が煮詰まったもの、そして、[相応の色彩を付されたもの]がいよいよ具現化してきたというのが昨今の状況であると判じられるようになっている(直前にて述べたように、LHCが今日の文明水準でしか実現がなせなかったようなものとして具現化してきたこと、しかも[あまりにも異様なるこだわりを感じさせる装置]として具現化してきたこと、その意味性について考えて頂きたいものである)。
最早、今はこれ以上語ることもないだろう。真実には本来的には飾る言葉も無用であろうとの中で、である。あとは御自分で運命を決する、種族に与えられた未来に異議を呈するだけの気概がある、そういう向きらに本稿を検討いただければ何よりと考えている。
それではこれにて筆を擱(お)くことにする。